――世界は、白かった。
何もない空間。自分さえも存在しない、暴力的なまでの白。
私はそこで、揺り篭に揺られるように漂っていた。
ただ自分という曖昧な概念だけを持って、そこに漂っていた。
当時の私には時間という概念がなくて、だからどれだけの時間が経過したのかわからなかったけど、私という概念はある瞬間に変化を感じ取った。
世界に、七色の光が円を描きながら現れたのだ。
時間という概念が存在しない世界。どれだけ経ったかわからなかったけれど、それはみるみる間に成長…そう、成長しながら私に近づいてきた。
ぴたり。その円が成長を止めたとき、それは既に私の目の前まで迫ってきていた。
成長が終わってしまったからだろうか、これ以上私に迫ってくることはないとぼんやりと考えていた。
だけど好奇心があった。
私という、概念しか存在しなかったものは、始めて自らの力で動きたい。あれに触ってみたいと考えた。
だから私は自らの体を創造した。存在という概念だけでは触ることができないからだ。
白い世界が、収束していくのがわかる。私に向かって、白い世界は終わりへと近づく。
だから私は、自身が終息するまえに、腕を突き出した。
そして――七色の光によって描かれた円に、触れた。
『ようこそ紅魔館へ。今日からあなたは、ここのメイドよ』
声が聞こえる。
それが、収束した世界の殻を破った。
目の前に新しい世界が広がる。
白とは真逆、薄暗い空間に佇む一人の少女。
紫の髪を持った少女は、満足げに笑っていた。
『私の名前はパチュリー・ノーレッジ。これからあなたの主人になる者の名よ。覚えておきなさい』
その姿を見て、その声を聞いて、私はようやく自覚することができた。
だから私はこう言った。
「おはよう、ごさいます」 と…。
あぁ…私は生まれたんだ。そう、実感した ――。
★☆★☆
門番の美鈴さんが落とされたのは、知っていた。
だけど、まさかこんなところに来るなんて…!
私は歯軋りしながら目の前の敵を睨みつける。
「おいおい、会ってそうそう睨むなんて教育がなってないな。私がその根性、叩きなおしてやるぜ」
にやりと魔的な笑みを見せる目の前の敵。
黒い装束に白いエプロンなんてセンスが悪いことこの上ない服装をしている敵は、箒なんかに乗っていた。
「ふん、箒がないと飛べない青二才が調子に乗らないで!」
敵は魔法使いだろうと推測できた。
だからだろうか、私には彼女という侵入者がたまらなく憎く感じられた。
箒に乗っているような魔法使い。
それはつまり、箒がないと飛べない未熟な魔法使い。
パチュリー様を侮辱してるようで、無性に腹が立った。
不意打ちに近い形で私は魔力を練って青の大玉を打ち出す。
「おっとぉ…しかしそんなものじゃ私は落とせないぜ」
しかし敵は余裕綽々といった感じでそれを避けきる。
ならば、と私はその大玉の隙間を埋めるようにさらに凝縮させた魔力でクナイ弾を放つ。
「…ほぅほぅ。魔力の凝縮度としてはそこいらにいる奴よりも全然強いか。今日会った中では門番に次くらいだな。当たったらひとたまりもないぜ」
私の弾幕を見て冷静に解説した少女は、だがなと楽しそうに呟いたあと、帽子を深くかぶりなおした。
「今日は気分がいいから…とっておきを見せてやるぜっ。魔力の凝縮ってのは、こうやるのさっ!」
にやりと笑う少女。懐から取り出すは一枚の符。
少女はその符に莫大な魔力を注ぎ込む。
――ぞくり。
自分の背筋に悪寒が走るのがわかる。
冗談じゃない!あんなものを喰らったら私どころが周りの本棚にまで被害がおよぶ!
私はほぼ無意識のうちに羽をはばたかせて上空へむけて戦線を離脱した。
奴が狙っているのは、私。
ならもっともっと高く、距離を稼がないと!
できるだけ高く…本に被害がでないように。
「私のこの符から逃げようったってそうは行かないぜ」
少女はあくまでも楽しそうに呟く。
見ると、符はあと発動を待つのみだった。
「いくぜ…恋符・マスタースパーク!」
瞬間。
「――えっ?」
ただ広がった真っ白な光に、私はまぬけな声を出していた。
そして本棚から離れることしか考えていなかった私は、その魔力の奔流に為す術もなく、飲み込まれていく。
――白い。ただ白いその世界だけが、私の見た最後の光景だった。
☆★☆★
目が覚めたとき、私は体中が縛り付けられている感覚に襲われた。
痛くはない。けれど、どこか違和感の残る感じ。
これは――
「呪縛の魔法…」
「お、目が覚めたか」
私の呟きに気付いたのか、本を読んでいた少女は視線を上げて私を見た。
「あぁ、ついでに無駄に動かないほうがいいぜ。それは私が知ってる中で一番強い呪縛の魔法だ」
首を動かすことはできない。だから目だけを動かして自身の体を確認する。
それは、一言で言えば星だった。
連なった星が私の体を縛り上げていた。
「一番強い…ですか。侮ってくれなかったんですね」
動くたびに締め付けが強くなる。
私は顔が苦痛で歪まないようにしながら強がってみせる。
「馬鹿言うな。あのマスタースパークを喰らったってのに服の端々が焦げて気絶しただけの妖怪を侮るほうがどうかしてるぜ。そんなのはよほどの加護を受けているか、お前さんの潜在能力が高いか、だろ?どちらにしても危険だ」
「よほどの加護は受けてますけど、純粋にあなたが思ってたよりも威力がないだけじゃないですか?それ」
「門番を倒した符の威力は伊達じゃないぜ」
少女のその言葉を聞いて、私は驚きを隠せなかった。
門番…つまり美鈴さんを倒せるほどの符を受けて、それでも生きていられるなんて…。
「…ふん、そうか。ならお前さんは誰かの使い魔ってところだな。それで、お前さんの主人ってのは誰だ?パチュリーってやつか?」
「――っ!?何故それを!」
「そう警戒するな。さっきの寝言を聞かせてもらっただけさ。この本の量を見ると、そうとうの知識人だな。知識と実力が伴っているかどうかは別だが…楽しみだな」
「…ふん、パチュリー様に勝つ気?」
「少なくとも、負ける気はしないね」
私のほうを見て、少女は鼻で笑う。
……それは、私の実力が弱かったからなのだろう。だから、主人たるパチュリー様の実力もそんなものだろうといっているのか。
ぷちり。
何かが、切れる音がする。
たしかに私は未熟な魔法使いにも負ける役立たずな使い魔だけど、パチュリー様を侮辱されてそのままで終わることなんてできない。
「ほぅ、かすかでもその呪縛の中で動けるとはな」
わずかな驚きを含んだ声で少女が呟く。
手に持っていた本はいつの間にかなくなっていた。
「……お前さんにはまだ聞きたいことがある。無駄だと思うが、名前を聞いてみてもいいか?」
名前とは一種の呪縛。それを唱えれば呪縛の魔法はさらに強度を増す。
無駄だとわかっているのなら聞かなければいいのに。そう思いながらも、しかし私は答えてやることにした。
「――私の名前は、小悪魔よ」
とたん、その呪縛は先ほどまでとは比べ物にならないほど拘束力をなくしていく。
そう、私の名前は小悪魔。この幅広い呪の言霊に耐え切れる呪縛なんて、そうそうあるものじゃない。
私は全身に魔力を行き渡らせ、一気に放出する。
「能力は、名前がない程度の力!」
名前がないものを拘束することなど誰にもできやしない!
「なっ…!?」
少女の驚きの声とともに、呪縛が破られる。
「これでも…喰らえー!」
少女に突進していく。
手に込められるはこれでもかというほどの魔力。
不意を突かれて身動きさえままならない少女の鳩尾に、私は思い切りそれを叩きつける!
「ぐぅ…!」
カエルを潰したような少女の声。
しかし少女は戦い慣れしているのか、咄嗟に私との距離をとり箒で逃げていってしまった。
鳩尾をおさえながら飛んでいく少女に、だけど私はそれを黙って見送ることしかできなかった。
名前の力を借りたとはいえ、あの呪縛を解くのに力を使いすぎた。
少女が言ったように、あれは確かに最強の部類に入る呪縛魔法だろう。
本気でぶつけたはずの魔力も、おそらくたいしたダメージにはなっていない。
「悔しい…なぁ」
パチュリー様に遠く及ばない自分の実力。それをまざまざと見せつけられた気がした。
泣きそうになる瞳をぐっと押さえ込み、今の自分ができる最善のこと…パチュリー様のいる場所へ行くための最短距離を導き出す。
はやく…行かないと。
パチュリー様があんなやつに負けるとは思えないけど、それでも注意が必要な相手だ。
はやく行って報告しないと。私が与えたダメージが回復しないうちは隠れているだろうけど、それでも残された時間は少ない。
はばたき飛ぶだけの力は残されていない。壁に手をつきながら必死でパチュリー様のもとへと向かう。
「ぱちゅり…さま……」
息を切らせて、ようやく辿りつくことができたその場所。
薄暗い空間で、読書に耽っていたパチュリー様が私の姿を見て慌てて近寄ってくる。
「ちょ…小悪魔!?そんなにぼろぼろになってどうしたのよ!?」
「え…えへへ。ちょっと、侵入者にかけられた呪縛の魔法から逃げるために無茶しちゃいました……」
「な、呪縛?だってあなたは…」
そんなもの関係ないでしょ。そう言いかけて、パチュリー様は私の言いたいことに気がついたみたいだ。
そう、名前を晒してなかったとはいえ私を呪縛できるほどの魔法。そして、私がこんな無茶をしなければその呪縛から逃れられないほどのキャパシティを持つ侵入者。決して油断はできない。
「馬鹿…そんな無茶しなくても、よかったのに」
そう言ってパチュリー様がやさしく抱きしめてくれる。
それと同時に、私の意識は白く染まっていく。
どうやら自分が思っていた以上に私の体は限界にきていたようだ。
パチュリー様の手によって、私は一時的にあの白い世界へと送還されていくのがわかった。
「無茶…でも、しなきゃだめですよ」
そう口にしてから、今できる最高の笑顔をパチュリー様に見せる。
「私を束縛していいのは…パチュリー様、だけですから」
「――っ!……ばか。もういいわ、しばらくゆっくりと眠ってなさい」
呆れたような、パチュリー様の声。
とん、とやさしく押され、私は白い世界へと埋没していく。
最後に見たパチュリー様の表情は、呆れ顔。
それと…とってもあたたかい、瞳。
私を生み出してくれたあの時と同じ、その瞳を見て私は安心して意識を手放した。
きっと次に呼び出されるときには、きっとパチュリー様の綻んだ顔があるだろう。
そしてきっと私にあの少女との戦いについて事細かく説明してくれるに違いない。
魔女だから、きっと話し終わるのに何時間もかかってしまうんだろうな、と苦笑する。
パチュリー様、説明するの、好きだから…。
そしたらそのあと、戦いで散らばってしまった本とかを私が片してあげないと。
「おやすみなさい、パチュリー様…」
そんなことを考えながら、私は深くて浅い、永遠とも刹那ともいえる無限の空間で、眠りについた――。
小悪魔の視点ですらすらと読むことが出来ました。イイ
萌えますなぁ