今年は、春の訪れがとても遅かった。
冬の間は幻想郷の妖怪とは言え、一部を除いてあまり外出したい物ではない。
何しろ寒いのだ。
それも、もの凄く。
寒さは集中力を欠く要因になるし、体が冷えて上手く動かないなんて事になりやすい。
だからこそ、咲夜さんにも協力してもらっての徹底的な体調管理を警備班全員でした甲斐があった。
体調を崩した者も居なければ、館に侵入した者も居ない。
咲夜さんがお暇を貰ったあの日から、見違えるように暖かくなってきた。
それでもまだこの辺は肌寒い。
けれど、西行寺のお屋敷はもうずっと桜が満開らしい。
其処の桜が気に入ったのか、ここのところお嬢様たちがずっと入り浸っている。
流石に毎回咲夜さんが付いて行くと、紅魔館のお仕事が滞りっぱなしになってしまう。
その為、今回は私が護衛に付く事、と咲夜さんに言われた。
メイド長から直々に、
「私がお嬢様たちの護衛を任せられるのは貴女しか居ないんだから。くれぐれも、お願いね?」
とのお言葉を戴いた警備班の長としては、張り切るしかない。
こうして、私は白玉楼へ行く事になった。
お嬢様の護衛、という仕事ではあるけれども。
巨大な、死霊達の為の結界を越えて。
遠くからでも見える長い長い石段。
その石段の前で少女が待っていた。
背丈からするといささか大きい二振りの刀を佩いている少女。
その背後に控える一際大きな半透明の魂。
…彼女、只者じゃない。
かなりの使い手。
精神を集中させて、文字通り周囲に『気』を配る。
「この子なら大丈夫よ、美鈴。こちらは…」
「西行寺家の庭師兼警護役、魂魄妖夢と申します」
お嬢様の紹介を受け、後を続ける少女。
「私は紅魔館の警備担当、紅美鈴です」
お互いの自己紹介も済み、彼女に対する気を緩める。
どうやら彼女もわずかに警戒していたのだろう。
少しだけ感じていた圧力が霧散してゆく。
似ている…
彼女と私は、似ている。
それはどちらの胸中によぎった思いか。
或いは、双方共に感じた想いか。
目の合った僅か数瞬に、ふとそんな事を考えた。
絡まっていた視線は、すぐに解ける。
「それでは、こちらへどうぞ」
何事も無く、白玉楼への長い石段を先導する彼女。
私はその列の最後尾につく。
その長い道のりの行き着く先から、濃密な春の気配が漂ってきていた。
そして、その溢れ出る春が呼び寄せたものは吸血鬼の一行だけではなかった。
宴もぼちぼち始まろうか、という頃。
ここ最近ここ最近増えていた事が、また起こっていた。
幻想郷全体に春は広がったが、まだ偏りが大きい。
此処、西行寺の屋敷が最も濃度の高い春の中心。
其処から遠く離れる程、加速度的に春が薄れてゆく。
長く続いた冬にもう嫌気が差している者は決して少なくない。
その為に、不届き者の襲撃が後を絶えないのだった。
彼等にとって西行寺家の都合なんて物は有って無きが如し。
寧ろ予定があったほうが、警備の手が薄くなりやすくなるので好都合だ。
そして、中には徒党を組んで突入する者達もいる。
その人数も増え、侵入方法も次第に複雑化してきている。
数ヶ所から同時に入り込む者も居れば、波の様に間を置いて攻め入る者もいる。
正直なところ、そろそろ妖夢一人の手には余りつつあった。
現に、それまでは少女の後ろ姿を見た者はいなかった。
この一週間でその防衛線も数回突破されている。
もっともその数瞬後には斬り捨てられてはいるが。
この日、白玉楼への襲撃はその極みにあった。
最大規模の人数が同時に侵入し、そして更に控えている不逞の輩の群れ。
守人達はまだ、それを知らない。
宴の準備に追われている少女に、守部としての責務を果たす事が容易とは言い難かった。
平穏が崩される時まで、あと僅か――
「――!!」
同時に、気付く。
気を操る少女はその流れの澱みから。
刀を佩いた少女は敷地の外にに張られた結界から。
それぞれ歪みを感じ取って敏感に反応している。
顔を上げて向いた方向も、そのタイミングも同じではあった二人だがその後の行動には差異があった。
この屋敷の守手として此処に居る少女は、一言だけ主に断りを入れて、その返事を聞く前に駆け出していた。
対する紅き館の守人は、客人としての立場がある。
主に恥をかかせる訳にはいかない。
しかし…
彼女の知覚する敵の数は次々と増えてゆく。
これだけの数が一度に現れた時…それが紅魔館だった場合、自分が館を守りきる事。
それが出来る自信など、無い。
もう、一人での撃退が不可能なほどの数の妖魔が翔けて行った少女の前に立ち塞がっている。
「行きたいのでしょ?構わないから行ってらっしゃい」
お嬢様が、全てを見越しながら私にかけたその声で。
私も彼女に続いて翔け出した。
「かまわなかったかしら、亡霊のお姫様?」
「ええ、もちろん。此方としても助かるわ」
銀と紅の弾丸は、妖怪の群という砲弾と対峙しつつある。
しろがね色の軌跡を残して、飛ぶ様に疾る少女。
長い石段を墜落しているかと思われる速度で駆け降りている。
否。
文字通り、落ちている。
少女の今踏みしめている物は確かに石段ではあるが、蹴りつけているのはその垂直面。
まるで地面に向けてその階を上るように、重力に逆らわずひたすら加速する。
この屋敷に忍び込む不埒者の集団を視界の奥に捉えた所で、刀の柄に手が伸びる。
「破っ!」
まだ妖怪達は刀自体の間合いの外にいるにも関わらず、構わず刀を挽く。
紫電、一閃。
その手に持つ符の加護を借りた音速の抜刀により、その刀身は空間を斬り裂く。
裂かれた隙間から生まれた衝撃波は、魑魅魍魎を巻き込み吹き飛ばしてゆく。
そこでようやく足を止める妖夢。
大挙してやって来る彼等を睨み付けて、気を吐く。
最初の一撃で、何割かは排除できた様に見える。
かと言ってそれらの敵が回復しないとは限らない。
ならば…行うべき事は一つ。
回復する間を与えずに、殲滅するのみ。
追撃の為に二枚の符を取り出し、呪いの言葉を紡いで札の一枚を空に放る。
空中のある一点で動きを止めた符は、そこから大量の大玉を産み出し始めている。
ゆっくりとしたスピードで弧を描きながら、腕を振るように広がる大玉の弓。
二重、三重にその腕が広がったその時。
少女は再び、世界を―― 斬る。
この世と共に歪みに巻き込まれた大玉は、捩れ、潰れ、破れ、砕ける。
消えた泡の残した飛沫は、内包していた無数の弾幕。
大・中・小と入り交じる弾の嵐。
爆ぜた火の粉の様に舞う弾の吹雪。
それらは往く手を阻む壁となる。
それとほぼ同時に、天から地に向かって立て続けに幾つもの異次元の扉となる、世界の傷を作る。
現世に刻まれた歪から流れ出す力は可視の塊となって、閉じゆく顎の様に天地から降り注ぎ、立ち上る。
息をつかせる間を与えない攻めで、相手の戦意は刈り取れただろうか。
一人でも逃げ出せばそこから崩壊が始まる。
そうすれば、相手をしなければならない頭数が大幅に減ってくれる…はずだった。
視界を覆う弾幕の雲が晴れた時、少女はそうなる事を期待していた。
ほんの僅かだが、心の何処かに隙があった。
その為に、その瞬間の対応を少女は間違えた。
少女が動きを取り戻すまでの数瞬で妖怪たちの一団は一斉に走り出し、追い抜いてゆく。
それに気がついた時には次の集団が、今度は彼女に敵意を向けて襲い掛かってきていた。
狼藉者は、まだ数多くいる。
二択の答えは決まっていた。
今はまだ、倒れる訳には行かないのに――
その想いも虚しく、少女は妖異の波に飲まれる。
今はその身を削りながらもひたすら耐えて、失点を取り返さなければならない。
しかし少女の犯した失態は、彼女と同じ守人によって挽回された。
くれない色の光を曳きながら現れた彼女は、そこに辿り着くまでに練っていた気を放出する。
符を介して弾の形を取ったそれは、今も開き続ける二重の華となって顕現している。
彼女の周囲で一定の距離を取り、密度を高めて広がる気弾は少女を抜いて石段を登る者達を捕らえて離さない。
まるで結界の様に彼女の周りに集う気弾に撃ち落される者もいれば、散る華の欠片の如く広がる気弾に掛かり力尽きるものもいる。
銀の少女を越えていった妖魔達は、紅の少女の前に、皆伏せられていた。
そのままの勢いで気を符に叩き込むと、彼女の周りに不可視の文様が五芒星を描いて浮かび上がり、気弾を放出する。
高速で彼女の周囲から乱れ飛ぶ気弾は、銀の少女に集る魔を払ってゆく。
美鈴が三割ほどの邪鬼を妖夢から引き剥がした事により、多少の余裕が出来たのだろうか。
大玉と衝撃波が、少女を覆う妖怪のドームを内から外へ三方向から突き崩す。
一度、崩落が始まったそれは見る間に形を失ってゆく。
五条に及ぶ衝撃波は少女の周囲を一掃した。
少女の周りに灰が舞う。
無理をして符を使用した所為だろうか。
限界を超えたそれは色を、形を失いながら少女の手から流れる砂となり、静かに散っていった。
符の寿命を越える程の急激な発動によって、その危地からの脱却は成功した。
これから反撃だと言わんばかりに、美鈴が妖夢に向けて鬨をつくる。
「行きますよ!妖夢さん!」
「はい!」
勢いに乗った追撃に移る美鈴に圧倒され、礼を言う時期を失う妖夢。
しかし、今がチャンスだと言うのも事実。
――ならば、やるべき事は一つ。
二人が全く同時に繰り出した二枚の符は、いまだかつて無い、激しい嵐となって幻想郷に現在した。
最後に残る百鬼夜行のすぐ横を、先の返礼と言わんばかりの距離で駆け抜ける。
一団の後方に踊り出た少女は、そのまま退路を断ち切る為に空間を断つ。
開かれた異界から溢れ出した力は弾の形をとり、紅雨となって背後から突き刺さる。
そして、振るう剣閃は衝撃波となり幻妖を挟み込む。
それに呼応して連なる弾の傘を開き、その内にあやかしを封じる紅い髪の少女。
続けて五月雨を思わせる弾の雨を呼び寄せる。
開かれた傘は道となり、降りしきる春の雨は道を塞ぐ。
戻る道は潰え、左右へ行く道は失われ、進む道には守人が待つ。
彼等妖怪に、為す術は残されていない。
数分後、白玉楼を襲った最大の危険は消滅した。
「美鈴さん、先ほどはどうもありがとうございました」
一区切りついた所で、感謝の言葉を口にする少女。
「いえいえ、気にしないで良いですよ。それにしてもすごい数でしたね…あれほどの数じゃ、私一人では到底守りきれませんよ」
「ええ、あれほどの数では無理ですね…今日は美鈴さんのお蔭で何とかなりましたけど…」
会話を続けながらも屋敷へと戻る二人。
この日の一番のイベントは、まだ始まってもいないから。
暮れ時からやや遅れたが、桜の下での宴が始まる。
既に日は落ちているが、その代わりに最中の月が漆黒の空に穴を穿つ。
静かな光の下で、淡く輝き反射する挿頭草。
「さぁ妖夢、貴女の舞いを見せて頂戴」
姫の命に従ってその二振りを双手に構え、ゆっくりと振るう。
なだらかに流れるその動きは、殺傷を目的として造られた鋼ですら美しく魅せる。
その軌跡の語る物語は、主を護る二刀の剣士か。
刀の舞いは月光を返して人の目を奪う。
時々散る桜の花びらは、少女を幻想の存在に変えたかに見えた。
入綾を迎えて宴の席に戻った妖夢に、惜しみない拍手が送られる。
それは少女の主からも、客人の紅い悪魔からも、そしてともに戦った紅い館の守手からも。
「良い物を見せてもらったわね。ならばこちらからも…美鈴、いけるわね?」
彼女としても、素晴らしい舞の礼代わりに自分も、思っていた。
そこに告げられた主の命。
従う事に、異論なぞあろうはずも無い。
構えた型から目にも止まらぬ速さで、しかし静かに打ち出される拳。
歩を進める時に僅かに聞こえる草を踏む音以外、風切る音すら聞こえない。
その高速の打撃、蹴撃は、一見緩慢な動きにも映る。
一切の無駄がなく、一分の隙もない為に緩やかに見えるそれは、姿の見えぬ何者かとの格闘戦。
形亡き者と闘っているかに見せる彼女。
他者を惹き込むそれは舞であり、また武でもあった。
最後に、それら幻の全てを打ち消すかの様に放たれた拳。
静寂な世界にただ一つ響いた、空気の破裂する音。
数枚の花びらを散らせた中に居る彼女もまた、幻想の存在だった。
夜、朝を迎える少し前。
主達はそれまでの宴で飲み過ぎたために、既に休んでいる。
月が沈みかけ、東の空がうっすらと色づき始めている今。
彼女は一人、彼方まで広がる庭を歩いていた。
薄く広がる朝霞の中、ぼんやりと光を受ける吉野草を眺めながら歩む。
のんびりと、静謐な空気の中の散歩。
冷たく清浄な大気の中に身を置く事で、自らも引き締まってゆく。
その感覚が好きで、今もここを歩いている。
もちろん、花を見るのも好きではあるけれど。
しかし、今彼女がこの場を散歩しているのはそれだけが理由ではない。
少し気になることがあって寝付けなかったのだが… どうやら彼女も私と同じ様だった。
私の正面に立つ彼女は、数時間前に共闘した仲間だった。
そして、目前の彼女の提案は私にとっても望ましい物だった。
「私と仕合いをして下さい」
故に、返事はただ一つ。
「喜んで」
構えた刀に朝影二つ。
対峙する、くれないとしろがねの少女。
少し冷たい風が止んだ瞬間、二人は同時に動き出した。
紅の少女が猛烈な速度で翔けて来る。
それを見越していたのか、銀の少女は一枚の符をかざしていた。
紅い矢となった少女を捕らえるハエトリソウの様に、左右から挟み込む青赤の弾。
しかし、それでは紅矢は止められない。
その事を充分承知している銀の刃は、右手に持つ一刀を振るう。
斬り開かれた空間の作り出した歪曲は、文字通り周囲の弾を巻き込んで螺旋を描きつつ、刀の切っ先の指し示す所へなだれ込む。
眼前に広がる、二色の弾を内包した局所的な竜巻。
それを認識した上で、更に加速する美鈴。
異常なほどの相対速度を持つ弾を、髪一本ほどの距離でかすりながらも吶喊する。
展開された気の防壁は僅かに弾の軌道を逸らし、蜘蛛の糸の様な生命線を創りあげる。
その生命線から一分もずれる事無く疾走する彼女。
二人の距離が縮まるにつれて高くなる弾の密度をものともせず、ひたすらに走る。
妖夢の刀の間合いまで一気に駆け、その背後に回りこむ美鈴。
すれ違い様の一撃を警戒していた妖夢には少々意外ではあった。
次の一手を考慮して、警戒していた為に自らの身に残る堅さを解く妖夢。
その短い時間の中で、大量の気を練りこんだ符を発動させる美鈴。
彼女を中心に、全ての方向へ爆発的に広がりながら渦を作る気の雨。
背中の向こうから突如発生したその暴風雨。
振り向いて、気弾をその二刀で捌きながら後ろに跳び退る妖夢。
間一髪で致命的な一撃は避けられたものの、若干の被弾から来る影響は免れられないだろう。
ならば、次は…
「あら?こんな所でもお花見?」
「ええ、私の防人の華は美しいでしょう?」
主達は、白玉楼の屋根の上から二人を眺めている。
「そうね。演舞も良かったけど」
「あなたの従者の剣舞も美しかったわ」
「それを聞いたらあの子も喜ぶわ」
本人たちの知らぬ間についた観覧者二人。
朝日が昇り始めても、二人の仕合いは終わらない。
主に忠実な武人たちの宴は、まだ始まったばかり…
紅魔館で響く、刀の音。
白玉楼で響く、拳の音。
切磋琢磨した防人たち。
侵入者を許したと言う話は、それ以来全く耳にしない。
良き友を得た武人を圧倒する障害なぞ、この幻想郷にも存在しない。
今日も、二人の仕合う音が何処からか響いてくる…
冬の間は幻想郷の妖怪とは言え、一部を除いてあまり外出したい物ではない。
何しろ寒いのだ。
それも、もの凄く。
寒さは集中力を欠く要因になるし、体が冷えて上手く動かないなんて事になりやすい。
だからこそ、咲夜さんにも協力してもらっての徹底的な体調管理を警備班全員でした甲斐があった。
体調を崩した者も居なければ、館に侵入した者も居ない。
咲夜さんがお暇を貰ったあの日から、見違えるように暖かくなってきた。
それでもまだこの辺は肌寒い。
けれど、西行寺のお屋敷はもうずっと桜が満開らしい。
其処の桜が気に入ったのか、ここのところお嬢様たちがずっと入り浸っている。
流石に毎回咲夜さんが付いて行くと、紅魔館のお仕事が滞りっぱなしになってしまう。
その為、今回は私が護衛に付く事、と咲夜さんに言われた。
メイド長から直々に、
「私がお嬢様たちの護衛を任せられるのは貴女しか居ないんだから。くれぐれも、お願いね?」
とのお言葉を戴いた警備班の長としては、張り切るしかない。
こうして、私は白玉楼へ行く事になった。
お嬢様の護衛、という仕事ではあるけれども。
巨大な、死霊達の為の結界を越えて。
遠くからでも見える長い長い石段。
その石段の前で少女が待っていた。
背丈からするといささか大きい二振りの刀を佩いている少女。
その背後に控える一際大きな半透明の魂。
…彼女、只者じゃない。
かなりの使い手。
精神を集中させて、文字通り周囲に『気』を配る。
「この子なら大丈夫よ、美鈴。こちらは…」
「西行寺家の庭師兼警護役、魂魄妖夢と申します」
お嬢様の紹介を受け、後を続ける少女。
「私は紅魔館の警備担当、紅美鈴です」
お互いの自己紹介も済み、彼女に対する気を緩める。
どうやら彼女もわずかに警戒していたのだろう。
少しだけ感じていた圧力が霧散してゆく。
似ている…
彼女と私は、似ている。
それはどちらの胸中によぎった思いか。
或いは、双方共に感じた想いか。
目の合った僅か数瞬に、ふとそんな事を考えた。
絡まっていた視線は、すぐに解ける。
「それでは、こちらへどうぞ」
何事も無く、白玉楼への長い石段を先導する彼女。
私はその列の最後尾につく。
その長い道のりの行き着く先から、濃密な春の気配が漂ってきていた。
そして、その溢れ出る春が呼び寄せたものは吸血鬼の一行だけではなかった。
宴もぼちぼち始まろうか、という頃。
ここ最近ここ最近増えていた事が、また起こっていた。
幻想郷全体に春は広がったが、まだ偏りが大きい。
此処、西行寺の屋敷が最も濃度の高い春の中心。
其処から遠く離れる程、加速度的に春が薄れてゆく。
長く続いた冬にもう嫌気が差している者は決して少なくない。
その為に、不届き者の襲撃が後を絶えないのだった。
彼等にとって西行寺家の都合なんて物は有って無きが如し。
寧ろ予定があったほうが、警備の手が薄くなりやすくなるので好都合だ。
そして、中には徒党を組んで突入する者達もいる。
その人数も増え、侵入方法も次第に複雑化してきている。
数ヶ所から同時に入り込む者も居れば、波の様に間を置いて攻め入る者もいる。
正直なところ、そろそろ妖夢一人の手には余りつつあった。
現に、それまでは少女の後ろ姿を見た者はいなかった。
この一週間でその防衛線も数回突破されている。
もっともその数瞬後には斬り捨てられてはいるが。
この日、白玉楼への襲撃はその極みにあった。
最大規模の人数が同時に侵入し、そして更に控えている不逞の輩の群れ。
守人達はまだ、それを知らない。
宴の準備に追われている少女に、守部としての責務を果たす事が容易とは言い難かった。
平穏が崩される時まで、あと僅か――
「――!!」
同時に、気付く。
気を操る少女はその流れの澱みから。
刀を佩いた少女は敷地の外にに張られた結界から。
それぞれ歪みを感じ取って敏感に反応している。
顔を上げて向いた方向も、そのタイミングも同じではあった二人だがその後の行動には差異があった。
この屋敷の守手として此処に居る少女は、一言だけ主に断りを入れて、その返事を聞く前に駆け出していた。
対する紅き館の守人は、客人としての立場がある。
主に恥をかかせる訳にはいかない。
しかし…
彼女の知覚する敵の数は次々と増えてゆく。
これだけの数が一度に現れた時…それが紅魔館だった場合、自分が館を守りきる事。
それが出来る自信など、無い。
もう、一人での撃退が不可能なほどの数の妖魔が翔けて行った少女の前に立ち塞がっている。
「行きたいのでしょ?構わないから行ってらっしゃい」
お嬢様が、全てを見越しながら私にかけたその声で。
私も彼女に続いて翔け出した。
「かまわなかったかしら、亡霊のお姫様?」
「ええ、もちろん。此方としても助かるわ」
銀と紅の弾丸は、妖怪の群という砲弾と対峙しつつある。
しろがね色の軌跡を残して、飛ぶ様に疾る少女。
長い石段を墜落しているかと思われる速度で駆け降りている。
否。
文字通り、落ちている。
少女の今踏みしめている物は確かに石段ではあるが、蹴りつけているのはその垂直面。
まるで地面に向けてその階を上るように、重力に逆らわずひたすら加速する。
この屋敷に忍び込む不埒者の集団を視界の奥に捉えた所で、刀の柄に手が伸びる。
「破っ!」
まだ妖怪達は刀自体の間合いの外にいるにも関わらず、構わず刀を挽く。
紫電、一閃。
その手に持つ符の加護を借りた音速の抜刀により、その刀身は空間を斬り裂く。
裂かれた隙間から生まれた衝撃波は、魑魅魍魎を巻き込み吹き飛ばしてゆく。
そこでようやく足を止める妖夢。
大挙してやって来る彼等を睨み付けて、気を吐く。
最初の一撃で、何割かは排除できた様に見える。
かと言ってそれらの敵が回復しないとは限らない。
ならば…行うべき事は一つ。
回復する間を与えずに、殲滅するのみ。
追撃の為に二枚の符を取り出し、呪いの言葉を紡いで札の一枚を空に放る。
空中のある一点で動きを止めた符は、そこから大量の大玉を産み出し始めている。
ゆっくりとしたスピードで弧を描きながら、腕を振るように広がる大玉の弓。
二重、三重にその腕が広がったその時。
少女は再び、世界を―― 斬る。
この世と共に歪みに巻き込まれた大玉は、捩れ、潰れ、破れ、砕ける。
消えた泡の残した飛沫は、内包していた無数の弾幕。
大・中・小と入り交じる弾の嵐。
爆ぜた火の粉の様に舞う弾の吹雪。
それらは往く手を阻む壁となる。
それとほぼ同時に、天から地に向かって立て続けに幾つもの異次元の扉となる、世界の傷を作る。
現世に刻まれた歪から流れ出す力は可視の塊となって、閉じゆく顎の様に天地から降り注ぎ、立ち上る。
息をつかせる間を与えない攻めで、相手の戦意は刈り取れただろうか。
一人でも逃げ出せばそこから崩壊が始まる。
そうすれば、相手をしなければならない頭数が大幅に減ってくれる…はずだった。
視界を覆う弾幕の雲が晴れた時、少女はそうなる事を期待していた。
ほんの僅かだが、心の何処かに隙があった。
その為に、その瞬間の対応を少女は間違えた。
少女が動きを取り戻すまでの数瞬で妖怪たちの一団は一斉に走り出し、追い抜いてゆく。
それに気がついた時には次の集団が、今度は彼女に敵意を向けて襲い掛かってきていた。
狼藉者は、まだ数多くいる。
二択の答えは決まっていた。
今はまだ、倒れる訳には行かないのに――
その想いも虚しく、少女は妖異の波に飲まれる。
今はその身を削りながらもひたすら耐えて、失点を取り返さなければならない。
しかし少女の犯した失態は、彼女と同じ守人によって挽回された。
くれない色の光を曳きながら現れた彼女は、そこに辿り着くまでに練っていた気を放出する。
符を介して弾の形を取ったそれは、今も開き続ける二重の華となって顕現している。
彼女の周囲で一定の距離を取り、密度を高めて広がる気弾は少女を抜いて石段を登る者達を捕らえて離さない。
まるで結界の様に彼女の周りに集う気弾に撃ち落される者もいれば、散る華の欠片の如く広がる気弾に掛かり力尽きるものもいる。
銀の少女を越えていった妖魔達は、紅の少女の前に、皆伏せられていた。
そのままの勢いで気を符に叩き込むと、彼女の周りに不可視の文様が五芒星を描いて浮かび上がり、気弾を放出する。
高速で彼女の周囲から乱れ飛ぶ気弾は、銀の少女に集る魔を払ってゆく。
美鈴が三割ほどの邪鬼を妖夢から引き剥がした事により、多少の余裕が出来たのだろうか。
大玉と衝撃波が、少女を覆う妖怪のドームを内から外へ三方向から突き崩す。
一度、崩落が始まったそれは見る間に形を失ってゆく。
五条に及ぶ衝撃波は少女の周囲を一掃した。
少女の周りに灰が舞う。
無理をして符を使用した所為だろうか。
限界を超えたそれは色を、形を失いながら少女の手から流れる砂となり、静かに散っていった。
符の寿命を越える程の急激な発動によって、その危地からの脱却は成功した。
これから反撃だと言わんばかりに、美鈴が妖夢に向けて鬨をつくる。
「行きますよ!妖夢さん!」
「はい!」
勢いに乗った追撃に移る美鈴に圧倒され、礼を言う時期を失う妖夢。
しかし、今がチャンスだと言うのも事実。
――ならば、やるべき事は一つ。
二人が全く同時に繰り出した二枚の符は、いまだかつて無い、激しい嵐となって幻想郷に現在した。
最後に残る百鬼夜行のすぐ横を、先の返礼と言わんばかりの距離で駆け抜ける。
一団の後方に踊り出た少女は、そのまま退路を断ち切る為に空間を断つ。
開かれた異界から溢れ出した力は弾の形をとり、紅雨となって背後から突き刺さる。
そして、振るう剣閃は衝撃波となり幻妖を挟み込む。
それに呼応して連なる弾の傘を開き、その内にあやかしを封じる紅い髪の少女。
続けて五月雨を思わせる弾の雨を呼び寄せる。
開かれた傘は道となり、降りしきる春の雨は道を塞ぐ。
戻る道は潰え、左右へ行く道は失われ、進む道には守人が待つ。
彼等妖怪に、為す術は残されていない。
数分後、白玉楼を襲った最大の危険は消滅した。
「美鈴さん、先ほどはどうもありがとうございました」
一区切りついた所で、感謝の言葉を口にする少女。
「いえいえ、気にしないで良いですよ。それにしてもすごい数でしたね…あれほどの数じゃ、私一人では到底守りきれませんよ」
「ええ、あれほどの数では無理ですね…今日は美鈴さんのお蔭で何とかなりましたけど…」
会話を続けながらも屋敷へと戻る二人。
この日の一番のイベントは、まだ始まってもいないから。
暮れ時からやや遅れたが、桜の下での宴が始まる。
既に日は落ちているが、その代わりに最中の月が漆黒の空に穴を穿つ。
静かな光の下で、淡く輝き反射する挿頭草。
「さぁ妖夢、貴女の舞いを見せて頂戴」
姫の命に従ってその二振りを双手に構え、ゆっくりと振るう。
なだらかに流れるその動きは、殺傷を目的として造られた鋼ですら美しく魅せる。
その軌跡の語る物語は、主を護る二刀の剣士か。
刀の舞いは月光を返して人の目を奪う。
時々散る桜の花びらは、少女を幻想の存在に変えたかに見えた。
入綾を迎えて宴の席に戻った妖夢に、惜しみない拍手が送られる。
それは少女の主からも、客人の紅い悪魔からも、そしてともに戦った紅い館の守手からも。
「良い物を見せてもらったわね。ならばこちらからも…美鈴、いけるわね?」
彼女としても、素晴らしい舞の礼代わりに自分も、思っていた。
そこに告げられた主の命。
従う事に、異論なぞあろうはずも無い。
構えた型から目にも止まらぬ速さで、しかし静かに打ち出される拳。
歩を進める時に僅かに聞こえる草を踏む音以外、風切る音すら聞こえない。
その高速の打撃、蹴撃は、一見緩慢な動きにも映る。
一切の無駄がなく、一分の隙もない為に緩やかに見えるそれは、姿の見えぬ何者かとの格闘戦。
形亡き者と闘っているかに見せる彼女。
他者を惹き込むそれは舞であり、また武でもあった。
最後に、それら幻の全てを打ち消すかの様に放たれた拳。
静寂な世界にただ一つ響いた、空気の破裂する音。
数枚の花びらを散らせた中に居る彼女もまた、幻想の存在だった。
夜、朝を迎える少し前。
主達はそれまでの宴で飲み過ぎたために、既に休んでいる。
月が沈みかけ、東の空がうっすらと色づき始めている今。
彼女は一人、彼方まで広がる庭を歩いていた。
薄く広がる朝霞の中、ぼんやりと光を受ける吉野草を眺めながら歩む。
のんびりと、静謐な空気の中の散歩。
冷たく清浄な大気の中に身を置く事で、自らも引き締まってゆく。
その感覚が好きで、今もここを歩いている。
もちろん、花を見るのも好きではあるけれど。
しかし、今彼女がこの場を散歩しているのはそれだけが理由ではない。
少し気になることがあって寝付けなかったのだが… どうやら彼女も私と同じ様だった。
私の正面に立つ彼女は、数時間前に共闘した仲間だった。
そして、目前の彼女の提案は私にとっても望ましい物だった。
「私と仕合いをして下さい」
故に、返事はただ一つ。
「喜んで」
構えた刀に朝影二つ。
対峙する、くれないとしろがねの少女。
少し冷たい風が止んだ瞬間、二人は同時に動き出した。
紅の少女が猛烈な速度で翔けて来る。
それを見越していたのか、銀の少女は一枚の符をかざしていた。
紅い矢となった少女を捕らえるハエトリソウの様に、左右から挟み込む青赤の弾。
しかし、それでは紅矢は止められない。
その事を充分承知している銀の刃は、右手に持つ一刀を振るう。
斬り開かれた空間の作り出した歪曲は、文字通り周囲の弾を巻き込んで螺旋を描きつつ、刀の切っ先の指し示す所へなだれ込む。
眼前に広がる、二色の弾を内包した局所的な竜巻。
それを認識した上で、更に加速する美鈴。
異常なほどの相対速度を持つ弾を、髪一本ほどの距離でかすりながらも吶喊する。
展開された気の防壁は僅かに弾の軌道を逸らし、蜘蛛の糸の様な生命線を創りあげる。
その生命線から一分もずれる事無く疾走する彼女。
二人の距離が縮まるにつれて高くなる弾の密度をものともせず、ひたすらに走る。
妖夢の刀の間合いまで一気に駆け、その背後に回りこむ美鈴。
すれ違い様の一撃を警戒していた妖夢には少々意外ではあった。
次の一手を考慮して、警戒していた為に自らの身に残る堅さを解く妖夢。
その短い時間の中で、大量の気を練りこんだ符を発動させる美鈴。
彼女を中心に、全ての方向へ爆発的に広がりながら渦を作る気の雨。
背中の向こうから突如発生したその暴風雨。
振り向いて、気弾をその二刀で捌きながら後ろに跳び退る妖夢。
間一髪で致命的な一撃は避けられたものの、若干の被弾から来る影響は免れられないだろう。
ならば、次は…
「あら?こんな所でもお花見?」
「ええ、私の防人の華は美しいでしょう?」
主達は、白玉楼の屋根の上から二人を眺めている。
「そうね。演舞も良かったけど」
「あなたの従者の剣舞も美しかったわ」
「それを聞いたらあの子も喜ぶわ」
本人たちの知らぬ間についた観覧者二人。
朝日が昇り始めても、二人の仕合いは終わらない。
主に忠実な武人たちの宴は、まだ始まったばかり…
紅魔館で響く、刀の音。
白玉楼で響く、拳の音。
切磋琢磨した防人たち。
侵入者を許したと言う話は、それ以来全く耳にしない。
良き友を得た武人を圧倒する障害なぞ、この幻想郷にも存在しない。
今日も、二人の仕合う音が何処からか響いてくる…
接近戦が似合うこの二人、自身の得物で互いに切磋琢磨する姿が目に浮かびます。
決して、弄られキャラ同士は気が合うなあとか無粋なことは考えてませんよ(ぉ