博麗神社の朝は早い。神社の朝はどこでも早いものだが、幻想郷にある神社はここだけである。
幻想郷。博麗大結界によって完全に人間界と隔離された世界。
博麗神社。どちら側から見ても人里離れた山奥にある神社。正確には、その境は神社の境内にある。参拝客も御利益もゆかりも、何一つ無い、小さい神社。
そんな博麗神社にも巫女がひとりいる。幻想郷で唯一、規律を持つ博麗の者である博麗霊夢だ。紅白の服の袖に今日も腕を通し、髪を整えて、箒を握り、境内に入っていく。
三日前魔理沙が来て、人間界からの拾い物だぜーとか言いながら怪しい黒ずんだ箱を、今霊夢が立っている場所に置き、色々弄繰り回していた。ありありと蘇る、立ち上る煙と火花。そして爆発四散。霊夢は思い返しながら、ここにいない友人、霧雨魔理沙魔法使い蒐集癖アリに向かって、あくまでも心の中で叫ぶ。
「散らかしたら責任を持って片付けなさいよ、まったく」
箱の正体は、香霖堂の主人である森近霖之助のところに、(形だけは)無事に残った箱の部品を持っていくと明らかになった。彼曰く、人間界で使われるという「パーソナルコンピューター略してパソコン」というものらしい。なんでも膨大量の情報を詰め込むことが出来て、なにかと便利な存在だとか。どこで拾ってきたのかと、霖之助が霊夢に訊いた。
霊夢はその質問を魔理沙に流した。魔理沙は、博麗神社に向かっている途中、道の真ん中に落ちていた、と答えた。
霖之助は「パソコン」(の残骸)に興味津々らしく、これをくれないかと霊夢達に訊いた。霊夢は元々そんなものに興味は無いので、私じゃなくて魔理沙に訊いて、と言った。当事者の魔理沙は二つ返事で頷いて、しかしひとつ条件を出した。
「二つか三つ。いや、四つ。この店の品物を貰ってもいいなら、いいぜ」
霖之助は三十秒間考えてから、渋々頷いた。魔理沙はにっこり笑って、物色を始める。ただでさえ人災的な雪崩の心配がある霧雨邸に、また物が増える。霊夢は白黒い友人に、そのうち雪崩が起きてあんたが飲み込まれて、死んで化けてもお祓いはしてやらないからね、皮肉を込めて言った。
すると魔理沙。ああいいぜ。そんな辛気臭いのは願い下げだ。こう切り返した。
霖之助は部品の残骸を手にとって、ふんふんとかふむふむとか、その他色々の感嘆符を洩らしていた。すっかり夢中になっているふたりを交互に見やってから、霊夢は勝手にお茶の準備を始めた。
今日の日課は神社でなく、香霖堂で済ませることにしよう。急須はどこにあるのか、霊夢は台所に入っていった。
幻想郷の空は変わり映えなく、お茶の味もこれまた変わらなかった。
そういえばお茶がそろそろ切れ掛かっていることを思い出して、空っぽになった湯のみに新しいお茶を注ぎつつ、霖之助に「お茶貰ってくわね」と大きめの声で言った。
何も返事が無い。もしかして、まだ見ているのか。様子見のため、店内に再び戻った。
案の定だった。そろそろお昼も近くなってきている。そう言えば、今日は境内を掃除していなかった。魔理沙が急に訪ねてくるから、失念していた。ああもう、魔理沙め。
すべてを魔理沙のせいにしてから、よし、とひとり頷く。霊夢は静かに、物色中の魔理沙の背後に忍び寄る。魔理沙は気付かない。
博麗アミュレットを展開し、彼女のすぐ頭上に配置。自分はお茶葉がある棚に移動する。数秒後、魔理沙らしき苦悶の声が店内に響いた。そしてアミュレットを回収してから、どうせツケなんだから、と霊夢はそのまま店を出て行った。
霖之助はまだ止まっていなかったが、夢中になるといつもこうなので、別段気にかける必要も無い。早く帰って、境内の掃除に取り掛かろう。霊夢は空に舞い上がる。
滞りなく掃除が終わって、霊夢は縁側に腰掛けていた。何をするでもなく、ただ空を見ている。香霖堂で見た幻想郷の空と、ここで見るそれは、寸分狂いなく同じだった。それでも霊夢は空を見る。
そうだ、どうせならお茶でも飲もう。二回目の日課である。お茶は嫌いではなくむしろ好きである。早速、霊夢は立ち上がって、台所に入っていった。
毎日やっている賜物なのか、霊夢の手際はかなり正確かつ俊敏だった。日課は毎日やってこそ日課である。
こんにちは、霊夢。挨拶された。
こんにちは、レミリア。霊夢も挨拶をした。すぐに台所に戻っていき、湯のみは二つに増えた。
日傘を何度か回して、レミリアは遠慮なく霊夢の家の中に入っていった。数百年を生きるこの少女は限りなく尊大で、尚それに見合う実力もある。しかし彼女は幻想郷を支配とか、そういうことは一切しない。紅の霧を出した理由も、暑いから、というなんともわがままお嬢様な理由からである。
そう、わがまま。レミリア・スカーレットはわがままである。だからこそ博麗神社にちょくちょくお邪魔し、霊夢に引っ付きっぱなしなのだ。レミリアにとって、霊夢は初めて自分と対等に付き合える、付き合ってくれる存在で、吸血鬼であるレミリア・スカーレットになんの畏怖も恐怖も感じていない。「あら、吸血鬼? それがどうかした?」みたいなものである。
ふたつの湯のみが空になって、他愛無い会話を交わして、夕暮れ時に紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が来て、レミリアは帰っていった。また明日も来るのだろう。
お茶を貰ってきて正解だったわね。そう呟く霊夢の顔は、どことなく嬉しそうだった。
幻想郷を闇が覆い隠して、しかし誰にでも平等に夜は過ぎていく。
霊夢は寝床を準備して、寝巻きに着替えた。衣擦れの音が、彼女以外誰も居ない部屋の中に染み渡る。リボンも解いて、長い黒髪がふわりと揺れた。
そう言えば、魔理沙はどうしただろうか。随分と痛がっていたけど、まあ魔理沙だし、大丈夫よね。自己完結。
心配しているわけではなく、少しだけ気にかかっただけで、それはすぐに霊夢の中から消えていく。
おやすみなさい。
翌日、魔理沙がむすっとしながら神社にやって来た。霊夢は、どうしたの魔理沙、なにかあった? と訊いた。
すると魔理沙がすごい勢いで、霊夢に詰め寄った。やれ頭が痛いだの、やれおかげで覚えた魔法を一部忘れただの。霊夢はうーん、と考えてから、ああ、と手を打った。
それから五分して、ふたりは縁側で肩を並べて、空を見ながらお茶を飲んでいた。幻想郷の空は今日も変わらない。
幻想郷。博麗大結界によって完全に人間界と隔離された世界。
博麗神社。どちら側から見ても人里離れた山奥にある神社。正確には、その境は神社の境内にある。参拝客も御利益もゆかりも、何一つ無い、小さい神社。
そんな博麗神社にも巫女がひとりいる。幻想郷で唯一、規律を持つ博麗の者である博麗霊夢だ。紅白の服の袖に今日も腕を通し、髪を整えて、箒を握り、境内に入っていく。
三日前魔理沙が来て、人間界からの拾い物だぜーとか言いながら怪しい黒ずんだ箱を、今霊夢が立っている場所に置き、色々弄繰り回していた。ありありと蘇る、立ち上る煙と火花。そして爆発四散。霊夢は思い返しながら、ここにいない友人、霧雨魔理沙魔法使い蒐集癖アリに向かって、あくまでも心の中で叫ぶ。
「散らかしたら責任を持って片付けなさいよ、まったく」
箱の正体は、香霖堂の主人である森近霖之助のところに、(形だけは)無事に残った箱の部品を持っていくと明らかになった。彼曰く、人間界で使われるという「パーソナルコンピューター略してパソコン」というものらしい。なんでも膨大量の情報を詰め込むことが出来て、なにかと便利な存在だとか。どこで拾ってきたのかと、霖之助が霊夢に訊いた。
霊夢はその質問を魔理沙に流した。魔理沙は、博麗神社に向かっている途中、道の真ん中に落ちていた、と答えた。
霖之助は「パソコン」(の残骸)に興味津々らしく、これをくれないかと霊夢達に訊いた。霊夢は元々そんなものに興味は無いので、私じゃなくて魔理沙に訊いて、と言った。当事者の魔理沙は二つ返事で頷いて、しかしひとつ条件を出した。
「二つか三つ。いや、四つ。この店の品物を貰ってもいいなら、いいぜ」
霖之助は三十秒間考えてから、渋々頷いた。魔理沙はにっこり笑って、物色を始める。ただでさえ人災的な雪崩の心配がある霧雨邸に、また物が増える。霊夢は白黒い友人に、そのうち雪崩が起きてあんたが飲み込まれて、死んで化けてもお祓いはしてやらないからね、皮肉を込めて言った。
すると魔理沙。ああいいぜ。そんな辛気臭いのは願い下げだ。こう切り返した。
霖之助は部品の残骸を手にとって、ふんふんとかふむふむとか、その他色々の感嘆符を洩らしていた。すっかり夢中になっているふたりを交互に見やってから、霊夢は勝手にお茶の準備を始めた。
今日の日課は神社でなく、香霖堂で済ませることにしよう。急須はどこにあるのか、霊夢は台所に入っていった。
幻想郷の空は変わり映えなく、お茶の味もこれまた変わらなかった。
そういえばお茶がそろそろ切れ掛かっていることを思い出して、空っぽになった湯のみに新しいお茶を注ぎつつ、霖之助に「お茶貰ってくわね」と大きめの声で言った。
何も返事が無い。もしかして、まだ見ているのか。様子見のため、店内に再び戻った。
案の定だった。そろそろお昼も近くなってきている。そう言えば、今日は境内を掃除していなかった。魔理沙が急に訪ねてくるから、失念していた。ああもう、魔理沙め。
すべてを魔理沙のせいにしてから、よし、とひとり頷く。霊夢は静かに、物色中の魔理沙の背後に忍び寄る。魔理沙は気付かない。
博麗アミュレットを展開し、彼女のすぐ頭上に配置。自分はお茶葉がある棚に移動する。数秒後、魔理沙らしき苦悶の声が店内に響いた。そしてアミュレットを回収してから、どうせツケなんだから、と霊夢はそのまま店を出て行った。
霖之助はまだ止まっていなかったが、夢中になるといつもこうなので、別段気にかける必要も無い。早く帰って、境内の掃除に取り掛かろう。霊夢は空に舞い上がる。
滞りなく掃除が終わって、霊夢は縁側に腰掛けていた。何をするでもなく、ただ空を見ている。香霖堂で見た幻想郷の空と、ここで見るそれは、寸分狂いなく同じだった。それでも霊夢は空を見る。
そうだ、どうせならお茶でも飲もう。二回目の日課である。お茶は嫌いではなくむしろ好きである。早速、霊夢は立ち上がって、台所に入っていった。
毎日やっている賜物なのか、霊夢の手際はかなり正確かつ俊敏だった。日課は毎日やってこそ日課である。
こんにちは、霊夢。挨拶された。
こんにちは、レミリア。霊夢も挨拶をした。すぐに台所に戻っていき、湯のみは二つに増えた。
日傘を何度か回して、レミリアは遠慮なく霊夢の家の中に入っていった。数百年を生きるこの少女は限りなく尊大で、尚それに見合う実力もある。しかし彼女は幻想郷を支配とか、そういうことは一切しない。紅の霧を出した理由も、暑いから、というなんともわがままお嬢様な理由からである。
そう、わがまま。レミリア・スカーレットはわがままである。だからこそ博麗神社にちょくちょくお邪魔し、霊夢に引っ付きっぱなしなのだ。レミリアにとって、霊夢は初めて自分と対等に付き合える、付き合ってくれる存在で、吸血鬼であるレミリア・スカーレットになんの畏怖も恐怖も感じていない。「あら、吸血鬼? それがどうかした?」みたいなものである。
ふたつの湯のみが空になって、他愛無い会話を交わして、夕暮れ時に紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が来て、レミリアは帰っていった。また明日も来るのだろう。
お茶を貰ってきて正解だったわね。そう呟く霊夢の顔は、どことなく嬉しそうだった。
幻想郷を闇が覆い隠して、しかし誰にでも平等に夜は過ぎていく。
霊夢は寝床を準備して、寝巻きに着替えた。衣擦れの音が、彼女以外誰も居ない部屋の中に染み渡る。リボンも解いて、長い黒髪がふわりと揺れた。
そう言えば、魔理沙はどうしただろうか。随分と痛がっていたけど、まあ魔理沙だし、大丈夫よね。自己完結。
心配しているわけではなく、少しだけ気にかかっただけで、それはすぐに霊夢の中から消えていく。
おやすみなさい。
翌日、魔理沙がむすっとしながら神社にやって来た。霊夢は、どうしたの魔理沙、なにかあった? と訊いた。
すると魔理沙がすごい勢いで、霊夢に詰め寄った。やれ頭が痛いだの、やれおかげで覚えた魔法を一部忘れただの。霊夢はうーん、と考えてから、ああ、と手を打った。
それから五分して、ふたりは縁側で肩を並べて、空を見ながらお茶を飲んでいた。幻想郷の空は今日も変わらない。