開演
チクタクチクタク
時計の音が、響いている。
周囲を闇で覆われた、舞台らしき場所の上に、ポツンと置かれた置時計。指す時刻は十一時五十九分。
時計の長針が、短針が、秒針が、少しずつ、十二時へと近づいていく。
「こんばんは、人間」
「こんばんは、招かれざるお客さん。ようこそ、幻想劇場へ」
まずは少女が。そして次に女性が、その時計の裏から現れ、ニッコリと微笑んで言う。
まるで、人形のような、作られた完璧な笑みを浮かべて。
――十一時五十九分、十五秒
「ここは、私とこの子だけの劇場」
「本来なら、誰であろうとも、ここへお通しするわけにはいかなかったわ」
「私事のせいね。だから特別」
「その理由は教えられないけれど、ね」
笑みを浮かべたまま、人差し指を口元にあて、シーッ、とジェスチャーする少女。
傍らに立つ女性は、ニッコリと微笑んだまま。
――十一時五十九分、三十秒
「あら、あなた、不思議に思う?『何故自分がこんな所に』と」
「それこそが私事のせいよ。あなたは気にしては駄目」
「気にすればどうなるかしら?」
「――二度と『日常』には戻れません」
「本当に?」
「いずれにせよ、保障はしませんが」
小首をかしげ、可愛らしく問いかける少女に、女性は形の整った眉をひそめて答える。
だが、二人のその口元は、相変わらず笑みを象ったまま。
――十一時五十九分、四十五秒
「・・・・・・そうね、初めてのお客様だもの。これ以上お待たせするわけにもいかないわね」
「では、少し早いようですが、そろそろ開演しましょうか」
「ええ。・・・・・・自己紹介が遅れたわね。私はこの劇場の主。そして登場する者達すべての台本を作り、演技させる監督」
「私は主の補佐。登場する者達の想いを、あるべき時へと戻す者。そして必要な小道具を用意する、監督補佐」
「レミリア・スカーレット」
「十六夜咲夜」
「役者は台本通り動いてくれたわ」
「すべての準備は整いました」
『運命具現者』は台本を作る。『時間具現者』は舞台を整える。二人は共に開演の時を待つ。
どちらが欠けても、この劇は成立しないのだから。
――十一時五十九分、五十五秒
「さあ、幕を開けましょうか。咲夜、開幕のベルを」
「畏まりました。レミリア様」
「「では、始めましょう。少女幻葬物語を」」
時計の針が、十二時を指す。
重々しく響く音を、時計が鳴らす。
それが、開演のベル。
人間。人であった者。妖怪。それらの定義からも離れた者の、既に紡がれた物語を紡ぐ演劇が
――静かに、幕を開ける。
――――そして、最初に舞台に姿を見せたのは――――
第一幕 人形達の密葬
「例えば」
「例えば?」
「人形と私たち人型の生き物の境界が曖昧だとしたら?」
「は?」
「よく考えてみなさい。人形は自ら動かない、喋らない。誰かが操って、初めてその動作を始める」
「それがどうしたのよ?」
「分からない?人は肉体という人形を、脳によって操っていることに。妖怪は自らの本能によって操っていることに」
「・・・・・・」
「そう考えるとね。人形も、私たちも、そんなに差異はないのよ。あるとすれば」
「あるとすれば?」
「自らを操る存在を認識しているか、していないか。ただそれだけよ」
「・・・・・・私たちは後者ってこと?」
「大・正・解」
幻想郷、魔法の森。
そこは、晴れであろうが雨が降ろうが、昼であろうが夜であろうが、ほぼ変わらぬ風景を入り込んだ者に見せる、不思議な森。
その理由は、ほとんど変動せず、森の隅々を循環する魔力の流れにある。この森自体が巨大な魔力の塊だと言っても過言ではないその力は、森に生える植物は勿論、住む者達にも分け隔てなく与えられている。
そのせいかこの森では魔力を帯びた物が多く採れており、それを求めて、必然的に魔法使いや蒐集家もこの森の中、あるいはその周辺に居を構えていた。
その中の一つ。魔法の森の中に、古風かつ西洋的な館が建っていた。
建築されてかなりの年月が経っているのか、古い洋館にありがちな重々しい雰囲気を醸し出しており、それは初めて見る者をたじろがせるには十分なものである。
だがそこに住むのは、洋館としてのイメージはともかく、年月を経ているというのにはかけ離れた容貌をした少女であり、名をアリス・マーガトロイドと言った。
僅かに癖のついた、鮮やかな金色の髪にフリルのついた赤色のカチューシャをつけているアリスは、暖かな春の朝日が照らす窓際で西洋風の椅子に座り、自身の使い魔に淹れさせた紅茶を飲んでいる。
その姿だけでも様になっており、まるでそうするのが当たり前だと言わんばかりに堂々と、かつ優雅に振舞う。
だが、例え作り物だったとしても、微笑めば十分男性を魅了するであろうその顔立ちに浮かぶ表情は、僅かに曇っていた。
疲れたようなため息をつき、アリスはカップを置く。
「憂鬱だわ・・・・・・」
椅子にもたれかかり、再びため息。
呟いたところで、現状に変化があるわけではない。だが、呟かずにはいられなかった。
自身が呟いたように、アリスは昨日から憂鬱だった。もっとも、正確には昨日の夕方からだったが、今のアリスにとっては、その原因が起こった時間など瑣末な問題だった。
「気まぐれなんて、起こすものじゃないわね。ロクなことがないわ」
呟き、後ろに置かれた棚へと視線を向ける。
規則正しく並べられ、綺麗に手入れをされて座っている人形。どこで見たのか、その人形は外の世界にいる様々な人種を模した容貌をしており、服装もそれに合わせて着せられていた。
和服、洋服、様々な国の民族衣装――それらのほとんどが、アリスによって作られた物だというのだから、驚きである。勿論、中には探してきた物もあるのだが、数では前者の方が多い。
アリスはそのコレクションを眺め、そして次に、目の前のテーブルへと視線を戻した。
アリスと向かい合うように置かれた、数体の人形。
だが、棚に置かれた人形とは違って、体の所々が傷つき、中には着ている服さえもボロボロのものがあった。
それを見て、アリスは再びため息をつく。
事の発端は、つい先日のことである。
五月になっても降り止まぬ雪を眺めながら、アリスは使い魔の上海人形、露西亜人形と共に、紅茶を楽しんでいた。
彼女にとって、冬が続こうが春が来ようが、あまり関係はなかった。森の中を歩き回れないのと、これが長引けば食糧が不足する問題があったのだが、それでも些細な事、として、さして気にも留めなかった。
それに、アリスに動く理由もなかった。
「どうせ、お節介な誰かが、勝手に解決してくれるでしょうし」
クスリ、と笑って呟く。
その言葉に上海人形、露西亜人形共に、可愛らしく首をかしげたが、アリスは答えず、紅茶を飲み干す。
そう呟いたアリス自身にも、確証があるわけではなかった。ただ、心当たりなら二人ほどいる――その程度だった。
だが、あの二人なら、今頃異変解決に駆けずり回っているだろう。何故か分からないが、アリスには確信が持てた。
だからこそ、アリスは自宅で、自身の使い魔と共に何気ない日常を過ごす。
そう決めていたのだが――
「・・・・・・そう言えば、あの二人と、何年会ってなかったかしら」
ふと呟き、顎に手を沿え、考え込む。
過去に二人――正確には四人だが、純粋な人間という意味では二人である――と出会った時、自身はまだ幼かった。たった一度敗れたことに腹を立て、自身が持つ中でも一番強力な魔道書を手に再戦を挑んだが、結局敗れてしまった。
それ以来、アリスは二人と会っていない。
友達という間柄ではなかった。何しろ出会いが最悪だったからだ。恐らく、相手も良い印象は持ってないだろう。
それでも二人の姿は、アリスの記憶に深く刻み込まれている。
あの一件で、彼女たちにも、自身を印象付けることはできたかもしれない。
だが、それはあくまで子供の頃の話である。成長した姿を見て、あの時の少女だと気づくだろうか。
そう考えた瞬間、紅茶を注ごうとしたアリスの動きが、止まった。
不自然な体勢で固まった主を心配そうに眺める、上海人形と露西亜人形。だが、二体の視線を向けられても、アリスの動きは止まったままだった。
「・・・・・・私だと・・・・・・」
口から漏れた言葉は、しかし最後まで続けられなかった。
深く息を吐き、頭を振る。
「私らしくもない。そんなこと、どうでもいいでしょうに」
ため息混じりに呟いた後、気分を変えようと、何気なく窓の外へと視線を向けて――
――空に、三つの人の形をした影が映った。そしてそのうち二人は、先ほどアリスが思い浮かべた人間の少女だった。
自身と戦った人間。紅白と白黒の、真逆の性質を持つ少女。
「霊夢。魔理沙」
呟いた瞬間には、アリスは椅子から立ち上がっていた。
主の突然の行動に驚き、カップを取り落としそうになった上海人形と露西亜人形を尻目に、アリスは棚に飾っていた様々な人形に魔力を施し、出かける用意を始めた。
その行動にますます首を傾げる二体の前で、アリスは手際よく数体の人形に術を施し、自身の周囲に展開させる。しかも丁度部屋には入ってきた、普段は滅多に連れて行かない蓬莱人形にまで声をかける光景が繰り広げられるに至って、事の成り行きが飲み込めていなかった二体は、ようやくアリスの行動の目的を知った。
それは、アリスが弾幕勝負をしに出かける行動だと。
主の性格上、本気にはならないが、それに近い力を出す勝負になるだろう、と。
そうなれば、自身もついていかなくては――使い魔としての役割を果たすため、上海人形と露西亜人形は共にカップを置き、何かを言われる前にアリスの元へと飛んだ。
それを見て、アリスは何も言わずに微笑むと、部屋を出て、家を出て――
博麗霊夢、霧雨魔理沙、そして初顔合わせとなった十六夜咲夜と弾幕勝負を繰り広げ、何体かの人形が撃墜された後、敗れた。
敗れたことに腹は立てなかった。元々本気ではないし、ちょっかいを出したのがアリス自身なのだから、自業自得もいいところだ。
腹は立てなかったが、何体かの人形が傷つき、修復が必要だと知った時には、憂鬱な気分に陥っていた。
それでも、すぐに修復に必要な材料を揃えているあたり、やる気はあるようだ。
「・・・・・・とりあえず、始めないといけないわね」
自身を奮い立たせるように呟き、一番損傷の軽い人形から作業を始めた。
服の修復には、新しい人形用に手に入れていた布地を使い、見苦しくないように気をつけながら。そして人形本体の修復には、魔力を編みこんだ白い糸で直接縫う。
この糸、見た目は白いが、縫い付けるとその部分と同色になる。つまり保護色になり、よくよく見ないと分からなくなるのだ。しかも年月を経てもほとんど劣化しないし、製作にもそれ程時間や材料を使わずに済む。
唯一の難点は、糸の原料となる特殊な絹糸の採れる期間が短いことだが、アリスはそれが採れる秘蔵の場所を知っていたため、今のところ問題はなかった。
いつの間にか傍らに飛んできていた上海人形も、何かを命令されたわけでもないのに、自主的に主の手伝いを始めている。
修復が終わっては、新たに魔力を注いで命を吹き込み、動かす。そして次の人形へと取り掛かる。
その繰り返しの作業を、アリスと上海人形は黙々と続ける。
上海人形の助けもあってか、当初、アリスが思っていたよりも早く作業は進み、太陽が真上に昇る頃には、残り一体となっていた。
アリスは針を手にその一体へと手を伸ばしかけて、
「・・・・・・」
その手が、止まった。
誰がどう見てもボロボロな人形。元は綺麗だったはずのその肌には無数の刺し傷があり、右腕にいたっては、肘から先が焼き切れてなくなっていた。
魔理沙の光線と咲夜のナイフの攻撃から、身を挺してアリスを守った人形は、微かに残る魔力でその命を繋いでいる。
ざっと傷の具合を確かめたアリスは、裁縫道具を仕舞いこんだ。
人形の体に埋め込んだ、魔力を溜める核を傷つけられていたからだ。これでは魔力を溜めることができず、じきに活動を停止する。
核は一度埋め込んでしまったら、二度と、それを取り替えることはできない。
だから、その損傷を見て、アリスは修復することを諦めた。ただ黙って、その人形を見つめている。
その視線に気づいたのか、傷ついた人形が僅かに顔を上げ、
「―――」
アリスの隣にいた上海人形でさえも聞き取れない程に小さく何かを、呟いた。
だがそれが聞こえたのか、アリスは一瞬だけ眉をひそめ――次の瞬間には、微笑んで頷いた。
「分かったわ」
そう言って、アリスは棚に並べられた人形達に魔力を注ぎ、動かし始めた。
アリスが魔力を使っているのに気づき、部屋に入ってきた蓬莱人形は、何かを聞く前に状況を理解したのか、すぐに傷ついた人形の元へと駆け寄り、ボロボロになった服を脱がせようとする。だが、慣れていないのか、なかなか上手くいかない。
悪戦苦闘する蓬莱人形に、アリスは苦笑しながら手を貸した。慣れた手つきでてきぱきと服を脱がせると、再び裁縫道具を持ち出し、見苦しくない程度に傷を縫った。
傷が縫い終わった丁度その時、上海人形が着替えを持って部屋に入ってくる。服を渡された蓬莱人形は苦労しながらも着せようとし始め、見かねた上海人形がそれを手伝う。
その様子を、アリスは微笑ましげに眺めている。
ようやく着付けを終えた蓬莱人形と上海人形は、額の汗をぬぐう動作をした後、一緒に飾り付けを始めた。アリスが手伝うまでもなく、その作業はものの数分で終わる。
いつも以上に飾り付けられ、整えられた人形。
――――そう。それはまるで、死に化粧のように。
その出来栄えにアリスは微笑むと踵を返し、部屋を出る。
蓬莱人形と上海人形が傷ついた人形を抱えてアリスを追うように飛び、その後を、腕一杯に花を抱えて部屋に入ってきていた露西亜人形、仏蘭西人形が続く。
更にその後ろを、名前をつけられて使い魔となった人形、必要な時にのみ動く人形達が、列を作って行進する。
一糸乱れぬ、とまではいかないが、それでもアリスを先頭に人形たちは列を作り、同じ方向を目指す。
「久しぶりね、こういうのも」
歩みながらも、アリスは呟く。
大幅に遅れて訪れた春の日差しの中、それでも変わらぬ風景を保つ魔法の森の中を、飛ぶこともなく、その列は行進していった。
魔法の森の中を流れる小川の前で、アリスは立ち止まった。続いて、後ろを行進していた人形たちも立ち止まる。
「ここでいいわね」
周囲を見渡しながら呟き、おもむろに、近くにあった大きな葉を一つ千切り、それに浮力の魔術を与えた。
その上に、蓬莱人形と上海人形が、傷ついた人形を乗せた。後をついてきた人形たちは、川辺に一列に並ぶ。
葉の上に乗せられた人形に、アリスは微笑む。
その微笑みにつられたのか、人形は僅かに顔を上げて、同じく微笑み、
「――――」
「ええ」
「――――」
「あなたは気にしなくていいわ」
「――――」
「これは、今までやってきたことと同じ。もう慣れたから」
僅かに眉をひそめながらも、アリスは口元に笑みを浮かべたまま答えた。
アリスは、決して「喋るな」とは言わない。
喋っても喋らなくても、核を傷つけられた人形は、結局死ぬのだから。
だから、アリスは最後まで、人形のさせたいようにさせる。
「・・・・・・そろそろ、お別れね。言い残すことはある?」
「――――」
「そう・・・・・・今までご苦労様。ゆっくり休みなさい」
「―――じ――ま」
「?」
「――が――ご―いま、す」
人形の言葉に、アリスは微笑んで
その頬に、優しく口付けをした。
そっと、アリスは葉を小川に置く。
人形を乗せた葉は、下流へと流れていく。
川辺では、京人形、西蔵人形、倫敦人形が歌い始めていた。暗く重い、鎮魂歌のような歌を。
三体の人形は歌を歌い、他の人形達はただじっと、人形が流れていくのを眺めている。
アリスは、何の感情も読み取れない表情で、流れていく人形を見送っていた。
昔、アリスは人づてに「川は外界の『海』と呼ばれる巨大な湖に流れ着く。そこはあらゆる生命の根源らしい」と聞いたことがあった。
もっとも、幻想郷から出る理由もなく、結界によって出ることもできないアリスにとっては、確かめようのないことであり、どうでもいいことだった。
話を聞いた際も「へぇ」と、ほとんど感情のこもっていない相槌をうったほどである。
ただ、人形達はそこへ流れ着くことができたのか。それだけを考えていた。
――結界によって隔てられたこの川も『海』に流れ着くのかしら。
――今まで弔ってきた人形達は、そこに流れ着いたのかしら。すべての生物の根源と聞いた、その湖に。
――私によって作られた人の形をしたあの子は、そこに流れ着いて、安息を得られるのかしら。生き物ではないあの子が。
――――あの子達を作った私も、いつか、そこに――――?
そこまで考えて、アリスはふと、同じく人形を見送っていたはずの蓬莱人形と上海人形が、自分を見上げているのに気づいた。
「なに?」
微笑んで問いかけると、二体の人形は一瞬、目をパチクリさせた後、首を振った。
アリスは理由を問うこともせず、ただ「そう」と言って、再び人形が流れていった方へと視線を戻した。
人形達は、その姿が見えなくなっていても、歌い続けている。
アリスと人形達の葬列は、夕暮れまで、その川辺から離れることはなかった。
密葬(みっそう)
1)ひそかにほうむること。
2)内々で葬式をすること。また、その葬式。
・・・・・・Next Phantasm
幻想郷のどことなくプリミチブな感覚に懐かしさを感じてしまう。昔の人にとって、人形を川に流すという行為は日常のひとかけらだったのかもしれない。
(と、妄想してみた)
命なき人形も大切に弔ってあげるアリスの姿にちょっとホロリと来ました。
…何で見逃していたんだ俺。orz
音速が遅いのは承知で感想を。
アリスと人形たちの話は数あれど、ほぼオールキャストと言うのは珍しいですね。
話は切ないのに、何故か人形たちの様子で頬がほころぶ場面が。
しかしアリスは何度このような別れを経験して来たのか、想像すると更に切なくなります。
続きも期待しております。ええいくらでも待ちますとも!w