(この先、東方永夜抄に関してとてつもないネタバレがあります)
(永夜抄Exに辿り付けない、Exをクリアしていない方はプレイする楽しみを
損なわないためによくよく注意して下さいますようお願い申し上げます)
(また、グロい描写・シーンがあります、苦手な方はご一考を)
これも、今は昔の物語である。
その小さな寺には、住職を合わせて八人ほどが住んでいた。
住職以外はみな子供。藤原妹紅はその中でも一番年が多そうに見えた。
「頂きます」
八人の声が講堂に響く。そして皆箸を手にとり、食事を始める。
それぞれの前に並んでいるのは簡単な朝食である。大根の漬物に、芋粥。簡単というよりも質素であるが、この時代、食べ物があるということが何より嬉しいことだった。妹紅はそう記憶している。
子供たちは勢いよく粥を平らげる。例に漏れず、妹紅も綺麗に平らげた。朝食の有る無しは、この後の労働意欲にも関わってくる。また粥に入っている芋の数も影響したりする。妹紅の碗には普段より多めに入っていて、今日はなんだかいっぱい働けそうな気がした。
食事が済むと、お次は寺の掃除が待っている。それこそ働かざるもの食うべからず、とでも言われているかの如く、皆が一生懸命に取り組む日課である。
小さな寺であるとはいえ、寺であることには違いない。調理場や講堂、金堂や境内など掃除しようと思えばいくらでも出来そうなほど、寺は八人にとっては広かった。よって使わない場所は掃除しないのがここでの暗黙の了解である。
妹紅はその限られた掃除場所のうち、金堂を受け持っていた。
「っはーーー」
大げさに声を上げながら、床の端から端まで雑巾をかける。掃除するには不向きと思われるほどに長い、蒼く綺麗な髪には埃がついている。髪だけではなく、お札を縫い付けた袴のような服にも、所々埃が見て取れる。
「うう、腰が痛い・・・」
何度目かの往復をしたところで、妹紅は立ち上がり腰を叩く。未だ三分の一程度しか終わっていない床の状況を見ると、自然に口からため息が漏れた。床だけでなく、柱なども磨かなければならないというのに。
日中も光が差し込むことのない金堂は薄暗く、中央に安置された仏像だけが目立って見えた。妹紅は掃除の手を休めて、なんとなしにそれに近づく。
すぐに有名な寺などに置かれている仏像とは全く別物であることが分かった。小さいし、金箔などの光沢も見受けられなければ、手足の先などは欠損しているというひどい有様だ。埃の舞うこの古い金堂にはお似合いの姿である。
けれども、生きとし生けるものを見守っているかのような、優しい柔和な微笑みだけはしっかりと保たれていた。
妹紅は手を合わせ、そしてうろ覚えであるが仏の名を誦唱した。言ってみて、その名をまだ覚えていたのかと、自分でも少し感心する。
「これは驚きじゃの。お前さんのような子がそんな言葉を口にするとは」
その声に振り向くと、この寺の住職である白い髭の爺が立っていた。
「どこかで覚えたのかの?」
「・・・昔、習ったことがあるだけよ」
興味津々そうに聞く袈裟を着た爺に、ぶっきらぼうな声で返す。
「ほう、誰に習ったんじゃ?」
妹紅はそれについて何も言わず、黙って掃除を再開する。
爺は何か言いたそうな顔でしばらくその様子を眺めていたが、黙々と雑巾をかける妹紅を見ると、寂しそうに肩をすくめて金堂を出て行った。
掃除は夕刻に程近い時間に終わった。
やることが無くなった妹紅は境内の木に寄りかかり、子供たちが鞠で遊ぶのを見ていた。
色鮮やかな鞠は子供たちに蹴られて宙を舞い、放物線を描いて地面に落ちる。しかし落ちる寸前に子供たちの足に拾われ、再び空に向かって跳ねる。ただそれを繰り返すだけの遊びなのに、時々鞠が地に着いては、子供たちは残念そうに声を漏らす。
「蹴鞠ねぇ・・・」
妹紅が眺める中、また誰かの足に拾われた鞠は小気味良い音を出して飛んだ。
ぼんやりと目を向けるだけの妹紅であったが、よくよく見ていると子供が一人足りないことに気づく。
「あれ、ついさっきまでいたような気がしたんだけどな」
もう一度遊んでいる子供の数を数えてみるが、やはり五人しか居ない。妹紅は辺りを見回し、消えた一人の姿を探す。するとすぐに見つかった。
その子供は胸に竿が入っているような袋を抱えて、丁度門を出て行くところだった。慎重に辺りを窺って、その子は門の外へ小走りで去っていった。
妹紅はちょっとした好奇心からその後をつけることに決めた。
村というよりも、集落と言った方がいいのかもしれない。人口わずか百足らず、山あいに存在するこの村は、寺を囲むように人々が集まって出来ている。
人々の主な生産活動といえば農業である。稗、粟、麦、米などを育ててはふもとの町まで売りに出かける。特にこれと言った特色のない、どこにでもあるような村だ。
前方の坊主頭の少年は、胸に袋を抱えたまま村の小道をいそいそと歩く。
妹紅は少し離れて、両手をポケットに突っ込んだまま付いて歩く。
道の両側に広がる水田が、時折風に吹かれて波立つ。張られた水が夕日の光を反射し、眩しくて目を細める。
やがて少年は村の外れまで来たところで、袋からなにやら取り出した。取り出されたそれは、少年には相応しく無いほどに立派な刀だった。刀を鞘から抜くと、正眼に構えて掛け声と共に振り始める。
妹紅は黙ってその様子を見ていた。勿論、ばれないように草むらに身を屈めた低い姿勢である。あんな小さな子がどうして重い刀なんて振っているのか、必死に振る必要があるのかは分からない。ただ、その顔からは真剣さが見て取れた。
やがて疲れてきたのか、刀を振るたびに少年の体が大きく揺れはじめる。それを見て妹紅はわざと大きな音を立てて少年に近づく。音に気づいた少年は急いで刀を鞘に収め、それを袋にしまう。
「何やってるの?こんなところで」
「別に。ただ散歩に来ただけ」
さも今来たかのように振舞う妹紅に対して、少年は冷静を装って答える。
「お姉ちゃんこそ、なんでこんなところに」
「さぁ、なんでかしら?危ない物を持ち歩いている子が居たからじゃ駄目?」
それを聞いて、少年は狼狽の表情を見せた。まさか自分が刀を振っている場面を他人に見られるなど、予想だにしなかったのだろう。
だがすぐに狼狽の表情は必死な表情に変わった。刀の入った袋を地面に置き、少年は妹紅に向かって膝をついた。
「お願い!誰にも言わないで!」
地面に額を擦りつけるようにして頼み込むその姿に、妹紅はうんと言うしかなかった。
妹紅の記憶に拠れば、少年の名前は兵太という.
「代々僕の家は武士の家系だったんだ」
なるほど、お家柄に適った名前である。そう思いながら妹紅はマイペースに歩く。暗くなった道に、二人の影が満月の光に照らされて伸びる。
兵太は熱に浮かされたように、自分の父親や祖父がいかに凄かったかを語った。祖父は剣術に加えて馬術の達人でもあった、父親も剣の達人でありながら力自慢大会でも優勝したなど、その話は尽きることがない。加えて母親はとても綺麗で優しかったとか、飼っていた馬はとても足が速かったなど、兵太が隠れて練習していることには関係ない話もあった。
妹紅は話を聞きながら、少し羨ましくなっている自分に気づく。
妹紅には、人に話せるような父親の話はない。ただ記憶の中にあるのは、時たま来ては少し蹴鞠と仏行を教えてくれた父の姿だけだ。
今になって思えば、父の立場上、私のもとを尋ねることはあまり気分が良いものではなかったはずである。けれど、当時の私はそんなことに気づくはずも無い。毎日嬉しそうに、教えてもらったことを何度も練習していた気がする。
兵太は未だ喋りつづけていたが、ふと声のトーンを落とした。思い出したくもない、といった様子で重々しく口を開く。
「でも、一年前山賊が家にやって来て―――」
そう語りだした顔は、とても暗く沈んでいた。
兵太曰く、山賊は何十人と言った人数で家を襲撃したらしい。すぐに味方の応援が駆けつけたものの、父親は兵太を守る為に死んでしまった、というのだ。振っていた刀は、その父親の形見らしい。
両親が他界した後、遠縁だった今の寺の住職が兵太を引き取ったそうだ。寺に住む残りの五人も、ほとんどが親なしの子供であるというのは初耳だった。
寺では仏教の影響なのか、不必要な刃物類の使用は禁止しているみたいだ。人を斬るための刀などもっての他である。兵太が剣術の練習をしていても、人を殺す技など磨くものではないと、止めさせられるそうだ。
「だけど僕は強くなりたい。父さんが僕を守ってくれたように、僕も誰かを守れるだけの強さが欲しい」
兵太は刀の入った袋を握り締める。
昔のことを思い出したのか、それから兵太は黙り込んでしまった。妹紅も無理に話を切り出そうとせず、二人はしばらく何も言わずに歩いた。
やがて寺も近くなってきた頃、先に口を開いたのは妹紅だった。
「ねえ、両親が居なくなって寂しくないの?」
ぽつんと口から素朴な疑問が出た。言った後、自分でも驚くほどに意外な言葉だった。
「・・・寂しくなんかないさ。だって父さんも母さんも、爺ちゃんも見守ってくれてる」
と言って兵太は夜空を見上げて指差した。妹紅も釣られて首を傾ける。
二人の見上げた先には、幾千と光る星があった。黒い夜空に浮かんでは、どれも力強く煌めき、白い輝きを放つ。その光が、妹紅の紅い瞳にはとても優しく映った。
「あれが父さんで、その隣が母さん、その上に爺ちゃんで、さらにその上には―――」
兵太は妹紅がちゃんと見ているのかどうか、そんなものお構いなしに指をさして回る。実際妹紅には、兵太がどれを指しているのか検討もつかない。けれどその子供らしい姿を見ていると、なんだか微笑ましく感じる。
でも妹紅にはその子供らしい発想が、どことなく悲しくも感じられるのだった。
しばらくして二人は寺に着いた。
妹紅は門をくぐったところで、振り返って兵太に尋ねる。
「明日もやるの?」
「雨が降ってなければ、多分」
「そう、じゃあ明日から私が稽古つけてあげるよ」
意外な言葉に兵太は驚く。自分より二、三才年上にしか見えない妹紅がそんなに強いとは思えなかった。
「姉ちゃん強いの?」
「少なくとも坊やの五十倍は強いと思うよ。それに、ここだけの話だけど」
兵太はごくりと喉を鳴らして、次の言葉を待っている。それを見て、妹紅は目を細め半分脅かすように言った。
「私、不死身なの」
一瞬、分からないような顔をして兵太は首をかしげる。だが、次第に自分がからかわれていると感じたらしく、顔を膨らませて怒り出した。妹紅はそんなことお構いなしに、笑いながら言葉を続ける。
「でも切られると痛いから、そこら辺の枝を使うのよ」
この次の日から、妹紅の新しい日課が増えることとなった。
「はっ!」
勇ましい掛け声と共に、妹紅に向かって木刀が突き出される。妹紅は目の前に迫る切っ先を見て、両手をポケットに突っ込んだまま上半身を横に捻り避ける。
「でぃ!」
そのまま木刀は刀身をぶつけるように、体を捻った方向へと振り抜かれる。しかし、それも予想済みだったかのように、妹紅は背中を橋のように曲げて鼻先ぎりぎりのところで交わしてみせる。
「これなら・・・」
驚くべき避け方だが、妹紅の体勢は崩れきっていて次の攻撃は交わせないはず。そう判断した兵太は、自分でも卑怯とは思いながらも、反す刀で妹紅の足を狙う。絶対に当たる、そんな確信があった。
だが、その木刀は妹紅の体に当たることなく、空を切る。
兵太は悔しそうな表情で空を見上げた。正確に言うと、いかにも楽しそうな顔で、空中を舞う少女の姿を。
「なんであの姿勢から避けれるのさ」
「なんでかな?避けようと思ったから?」
夕焼けに染まる赤い空を背に、妹紅はその蒼く白い髪をなびかせながら笑った。そして、その言葉が終わらないうちに着地する。
信じがたいことだが、妹紅はあの姿勢から空高く飛び上がり、木刀を避けたのだ。両手をポケットに入れたまま、しかも滞空時間は半端ではない。普通、の人間で考えるならありえないことだ。
兵太も最初は信じられなかった。しかし、実際に起こっている訳であり、何度もそれを見ているうちに慣れてしまった。もしかすると、妹紅が空を飛んだって現実として受け入れられるかもしれない。流石に、不死身というのは信じがたいけれども。
「飛べるよ」
ある時、練習からの帰り道で兵太は空を飛べるか尋ねたのだった。予想通りというか、妹紅はさも普通そうに答えた。
「じゃあ、なんで飛ばないの?」
「飛ぶ必要がないからよ」
兵太は納得する。それはそうだ、人間には足があるし、地面には歩くための道がある。わざわざ空を飛んでまで移動する必要はないのだろう。
「―――それにね、他の人に知られるとまずいのよ」
「ふーん」
兵太には妹紅の言うことが実感できなかった。しかし、怖い顔で他言無用の約束を迫る妹紅を見ると、そうなんだろうと思うしかない。
他にも兵太は色々聞きたいことがあるようだったが、妹紅の怖い顔を避けてか話題を変えてきた。
「そういえば、姉ちゃんの父さんはどんな人だったの?」
妹紅は少しばかり考える振りをする。けれど、既に言う言葉は決まっている。
「もう、忘れたわ」
隣の兵太は、嘘だといわんばかりの顔をしている。
「本当よ。人間は長いこと生きると、楽しいことしか覚えていないものなのよ」
「じゃあ、姉ちゃんは父さんとの楽しかった思い出がないの?」
「・・・さあ、どうかしら。私には、良く分からないわ」
「ふーん、変なの」
二人は村に続く小道をただ歩く。見上げた今宵の月も、綺麗な満月だった。
日課が増えたからと言っても、日々の生活に大きな変化はない。
いつも通り適当に掃除を終え、妹紅は境内の木に寄りかかって座り、遊ぶ子供たちを眺める。秋とは言え、まだ暑さが厳しい中でよく遊ぶものだ。しかも今日も蹴鞠である。毎日蹴っていて飽きないものなのだろうか。
「本当、よくやるわ」
やることが無いからと言って、蹴鞠に参加するような気はおきない。この暑さも理由の一つだが、主な理由がもう一つある。
「・・・あーあ、下手ねぇ」
あらぬ方向へ飛んでいく鞠を眺めながら妹紅は呟く。もしも自分が参加すれば、きっと他の子供たちは興ざめしてしまうだろう。実力差がかけ離れている遊びほど、楽しくないものは無いのだ。これが第二の理由だ。
「教えてやるのも一つの遊びじゃぞ?」
突然近くから声が聞こえ、妹紅は驚いて周囲を見回す。すると、木の陰から住職の爺が現れるが見えた。
「もう、心臓に悪い登場方法は止めてよね」
「ほっほっほ。こりゃ失礼」
ほっほっほ、って全然失礼そうに思って無いじゃないの。そう思いつつ、木の下に立つ笑みを崩さないままの爺を見上げる。
「何か用かしら」
そう言われると特に無い、みたいな表情で爺は黙り込む。だがしばらくの沈黙のあと、何か思いついたように口を開いた。
「そうじゃな。暇なら歌合わせでもせんかの?」
「歌合わせ?」
いぶかしげな顔で爺を見やる。にやにやとこっちを見るその顔からは、何を企んでいるのかは想像できない。
「出来るんじゃろう?お前さん、見たところ元貴族のようじゃし。実はわしも出家した身での、そういうのには鼻が利くんじゃ」
それを聞いて少し驚き、妹紅は不思議そうに聞き返す。
「なんで分かるのよ」
「何、驚く事は無い。そんな長い髪を持つ者は、貴族ぐらいなものじゃ」
再び得意そうに例のごとく笑い出す爺。
そういえばこの時代、荘園の運営で食べて行けなくなった貴族が財産を失ったり、出家したりすることがあったように思う。それはまだましな方で、荘民などの反乱で命を落としたり、国を追放されたりすることもあったようだ。だから爺には、三ヶ月前寺の前に倒れこんでいた妹紅が、そういう経緯で放浪してきた貴族の一人として映ったのかもしれない。
「で、どうじゃ?やらんのか?」
「まあ、暇だからやってもいいわ」
「そうこなくてはの」
大げさに息を吐きながら、爺は妹紅の隣に腰を下ろす。妹紅は再び境内の子供たちに向ける。丁度、鞠が地面に着くのが見えた。
「わしが先行でよろしいか?」
「いいわ。判定する人が誰もいないけど」
「判定なぞ適当にきまっとろう。まあとりあえず、最初の御題は夢でどうじゃ」
「夢ねぇ・・・」
しばらく二人とも考えていたが、爺は決まったのか一つ咳払いをして口を開いた。
「寝られぬをしひて我が寝る春の夜の夢をうつつになすよしもがな」
真面目な顔をしてさもそれらしく詠む爺の顔に、妹紅は思わず吹き出す。
「・・・年の割に情熱的ね」
「ふん。お前さんの番じゃ」
爺は照れ隠しか両腕を組んで、境内の子供を見やる。
「そうね」
判定者のいない歌合せに意味があるとは思えなかったが、まあこれも遊びの一つということだ。そう割り切って妹紅も一つ詠むことにした。
「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」
妹紅の選んだ歌を聞き、爺は難しそうな顔をする。
「うーむ、お前さんもなかなかやるのぅ・・・」
「じゃあこの御題は私の勝ちかしら」
「いやいや――――」
時折、涼しい風が吹き二人の上の木を揺らす。それに合わせて、微かに赤く色づいてきた葉が擦れる音がする。
境内で遊ぶ子供の声が聞こえる中、二人の歌合せはまだまだ終わりそうになかった。
(永夜抄Exに辿り付けない、Exをクリアしていない方はプレイする楽しみを
損なわないためによくよく注意して下さいますようお願い申し上げます)
(また、グロい描写・シーンがあります、苦手な方はご一考を)
これも、今は昔の物語である。
その小さな寺には、住職を合わせて八人ほどが住んでいた。
住職以外はみな子供。藤原妹紅はその中でも一番年が多そうに見えた。
「頂きます」
八人の声が講堂に響く。そして皆箸を手にとり、食事を始める。
それぞれの前に並んでいるのは簡単な朝食である。大根の漬物に、芋粥。簡単というよりも質素であるが、この時代、食べ物があるということが何より嬉しいことだった。妹紅はそう記憶している。
子供たちは勢いよく粥を平らげる。例に漏れず、妹紅も綺麗に平らげた。朝食の有る無しは、この後の労働意欲にも関わってくる。また粥に入っている芋の数も影響したりする。妹紅の碗には普段より多めに入っていて、今日はなんだかいっぱい働けそうな気がした。
食事が済むと、お次は寺の掃除が待っている。それこそ働かざるもの食うべからず、とでも言われているかの如く、皆が一生懸命に取り組む日課である。
小さな寺であるとはいえ、寺であることには違いない。調理場や講堂、金堂や境内など掃除しようと思えばいくらでも出来そうなほど、寺は八人にとっては広かった。よって使わない場所は掃除しないのがここでの暗黙の了解である。
妹紅はその限られた掃除場所のうち、金堂を受け持っていた。
「っはーーー」
大げさに声を上げながら、床の端から端まで雑巾をかける。掃除するには不向きと思われるほどに長い、蒼く綺麗な髪には埃がついている。髪だけではなく、お札を縫い付けた袴のような服にも、所々埃が見て取れる。
「うう、腰が痛い・・・」
何度目かの往復をしたところで、妹紅は立ち上がり腰を叩く。未だ三分の一程度しか終わっていない床の状況を見ると、自然に口からため息が漏れた。床だけでなく、柱なども磨かなければならないというのに。
日中も光が差し込むことのない金堂は薄暗く、中央に安置された仏像だけが目立って見えた。妹紅は掃除の手を休めて、なんとなしにそれに近づく。
すぐに有名な寺などに置かれている仏像とは全く別物であることが分かった。小さいし、金箔などの光沢も見受けられなければ、手足の先などは欠損しているというひどい有様だ。埃の舞うこの古い金堂にはお似合いの姿である。
けれども、生きとし生けるものを見守っているかのような、優しい柔和な微笑みだけはしっかりと保たれていた。
妹紅は手を合わせ、そしてうろ覚えであるが仏の名を誦唱した。言ってみて、その名をまだ覚えていたのかと、自分でも少し感心する。
「これは驚きじゃの。お前さんのような子がそんな言葉を口にするとは」
その声に振り向くと、この寺の住職である白い髭の爺が立っていた。
「どこかで覚えたのかの?」
「・・・昔、習ったことがあるだけよ」
興味津々そうに聞く袈裟を着た爺に、ぶっきらぼうな声で返す。
「ほう、誰に習ったんじゃ?」
妹紅はそれについて何も言わず、黙って掃除を再開する。
爺は何か言いたそうな顔でしばらくその様子を眺めていたが、黙々と雑巾をかける妹紅を見ると、寂しそうに肩をすくめて金堂を出て行った。
掃除は夕刻に程近い時間に終わった。
やることが無くなった妹紅は境内の木に寄りかかり、子供たちが鞠で遊ぶのを見ていた。
色鮮やかな鞠は子供たちに蹴られて宙を舞い、放物線を描いて地面に落ちる。しかし落ちる寸前に子供たちの足に拾われ、再び空に向かって跳ねる。ただそれを繰り返すだけの遊びなのに、時々鞠が地に着いては、子供たちは残念そうに声を漏らす。
「蹴鞠ねぇ・・・」
妹紅が眺める中、また誰かの足に拾われた鞠は小気味良い音を出して飛んだ。
ぼんやりと目を向けるだけの妹紅であったが、よくよく見ていると子供が一人足りないことに気づく。
「あれ、ついさっきまでいたような気がしたんだけどな」
もう一度遊んでいる子供の数を数えてみるが、やはり五人しか居ない。妹紅は辺りを見回し、消えた一人の姿を探す。するとすぐに見つかった。
その子供は胸に竿が入っているような袋を抱えて、丁度門を出て行くところだった。慎重に辺りを窺って、その子は門の外へ小走りで去っていった。
妹紅はちょっとした好奇心からその後をつけることに決めた。
村というよりも、集落と言った方がいいのかもしれない。人口わずか百足らず、山あいに存在するこの村は、寺を囲むように人々が集まって出来ている。
人々の主な生産活動といえば農業である。稗、粟、麦、米などを育ててはふもとの町まで売りに出かける。特にこれと言った特色のない、どこにでもあるような村だ。
前方の坊主頭の少年は、胸に袋を抱えたまま村の小道をいそいそと歩く。
妹紅は少し離れて、両手をポケットに突っ込んだまま付いて歩く。
道の両側に広がる水田が、時折風に吹かれて波立つ。張られた水が夕日の光を反射し、眩しくて目を細める。
やがて少年は村の外れまで来たところで、袋からなにやら取り出した。取り出されたそれは、少年には相応しく無いほどに立派な刀だった。刀を鞘から抜くと、正眼に構えて掛け声と共に振り始める。
妹紅は黙ってその様子を見ていた。勿論、ばれないように草むらに身を屈めた低い姿勢である。あんな小さな子がどうして重い刀なんて振っているのか、必死に振る必要があるのかは分からない。ただ、その顔からは真剣さが見て取れた。
やがて疲れてきたのか、刀を振るたびに少年の体が大きく揺れはじめる。それを見て妹紅はわざと大きな音を立てて少年に近づく。音に気づいた少年は急いで刀を鞘に収め、それを袋にしまう。
「何やってるの?こんなところで」
「別に。ただ散歩に来ただけ」
さも今来たかのように振舞う妹紅に対して、少年は冷静を装って答える。
「お姉ちゃんこそ、なんでこんなところに」
「さぁ、なんでかしら?危ない物を持ち歩いている子が居たからじゃ駄目?」
それを聞いて、少年は狼狽の表情を見せた。まさか自分が刀を振っている場面を他人に見られるなど、予想だにしなかったのだろう。
だがすぐに狼狽の表情は必死な表情に変わった。刀の入った袋を地面に置き、少年は妹紅に向かって膝をついた。
「お願い!誰にも言わないで!」
地面に額を擦りつけるようにして頼み込むその姿に、妹紅はうんと言うしかなかった。
妹紅の記憶に拠れば、少年の名前は兵太という.
「代々僕の家は武士の家系だったんだ」
なるほど、お家柄に適った名前である。そう思いながら妹紅はマイペースに歩く。暗くなった道に、二人の影が満月の光に照らされて伸びる。
兵太は熱に浮かされたように、自分の父親や祖父がいかに凄かったかを語った。祖父は剣術に加えて馬術の達人でもあった、父親も剣の達人でありながら力自慢大会でも優勝したなど、その話は尽きることがない。加えて母親はとても綺麗で優しかったとか、飼っていた馬はとても足が速かったなど、兵太が隠れて練習していることには関係ない話もあった。
妹紅は話を聞きながら、少し羨ましくなっている自分に気づく。
妹紅には、人に話せるような父親の話はない。ただ記憶の中にあるのは、時たま来ては少し蹴鞠と仏行を教えてくれた父の姿だけだ。
今になって思えば、父の立場上、私のもとを尋ねることはあまり気分が良いものではなかったはずである。けれど、当時の私はそんなことに気づくはずも無い。毎日嬉しそうに、教えてもらったことを何度も練習していた気がする。
兵太は未だ喋りつづけていたが、ふと声のトーンを落とした。思い出したくもない、といった様子で重々しく口を開く。
「でも、一年前山賊が家にやって来て―――」
そう語りだした顔は、とても暗く沈んでいた。
兵太曰く、山賊は何十人と言った人数で家を襲撃したらしい。すぐに味方の応援が駆けつけたものの、父親は兵太を守る為に死んでしまった、というのだ。振っていた刀は、その父親の形見らしい。
両親が他界した後、遠縁だった今の寺の住職が兵太を引き取ったそうだ。寺に住む残りの五人も、ほとんどが親なしの子供であるというのは初耳だった。
寺では仏教の影響なのか、不必要な刃物類の使用は禁止しているみたいだ。人を斬るための刀などもっての他である。兵太が剣術の練習をしていても、人を殺す技など磨くものではないと、止めさせられるそうだ。
「だけど僕は強くなりたい。父さんが僕を守ってくれたように、僕も誰かを守れるだけの強さが欲しい」
兵太は刀の入った袋を握り締める。
昔のことを思い出したのか、それから兵太は黙り込んでしまった。妹紅も無理に話を切り出そうとせず、二人はしばらく何も言わずに歩いた。
やがて寺も近くなってきた頃、先に口を開いたのは妹紅だった。
「ねえ、両親が居なくなって寂しくないの?」
ぽつんと口から素朴な疑問が出た。言った後、自分でも驚くほどに意外な言葉だった。
「・・・寂しくなんかないさ。だって父さんも母さんも、爺ちゃんも見守ってくれてる」
と言って兵太は夜空を見上げて指差した。妹紅も釣られて首を傾ける。
二人の見上げた先には、幾千と光る星があった。黒い夜空に浮かんでは、どれも力強く煌めき、白い輝きを放つ。その光が、妹紅の紅い瞳にはとても優しく映った。
「あれが父さんで、その隣が母さん、その上に爺ちゃんで、さらにその上には―――」
兵太は妹紅がちゃんと見ているのかどうか、そんなものお構いなしに指をさして回る。実際妹紅には、兵太がどれを指しているのか検討もつかない。けれどその子供らしい姿を見ていると、なんだか微笑ましく感じる。
でも妹紅にはその子供らしい発想が、どことなく悲しくも感じられるのだった。
しばらくして二人は寺に着いた。
妹紅は門をくぐったところで、振り返って兵太に尋ねる。
「明日もやるの?」
「雨が降ってなければ、多分」
「そう、じゃあ明日から私が稽古つけてあげるよ」
意外な言葉に兵太は驚く。自分より二、三才年上にしか見えない妹紅がそんなに強いとは思えなかった。
「姉ちゃん強いの?」
「少なくとも坊やの五十倍は強いと思うよ。それに、ここだけの話だけど」
兵太はごくりと喉を鳴らして、次の言葉を待っている。それを見て、妹紅は目を細め半分脅かすように言った。
「私、不死身なの」
一瞬、分からないような顔をして兵太は首をかしげる。だが、次第に自分がからかわれていると感じたらしく、顔を膨らませて怒り出した。妹紅はそんなことお構いなしに、笑いながら言葉を続ける。
「でも切られると痛いから、そこら辺の枝を使うのよ」
この次の日から、妹紅の新しい日課が増えることとなった。
「はっ!」
勇ましい掛け声と共に、妹紅に向かって木刀が突き出される。妹紅は目の前に迫る切っ先を見て、両手をポケットに突っ込んだまま上半身を横に捻り避ける。
「でぃ!」
そのまま木刀は刀身をぶつけるように、体を捻った方向へと振り抜かれる。しかし、それも予想済みだったかのように、妹紅は背中を橋のように曲げて鼻先ぎりぎりのところで交わしてみせる。
「これなら・・・」
驚くべき避け方だが、妹紅の体勢は崩れきっていて次の攻撃は交わせないはず。そう判断した兵太は、自分でも卑怯とは思いながらも、反す刀で妹紅の足を狙う。絶対に当たる、そんな確信があった。
だが、その木刀は妹紅の体に当たることなく、空を切る。
兵太は悔しそうな表情で空を見上げた。正確に言うと、いかにも楽しそうな顔で、空中を舞う少女の姿を。
「なんであの姿勢から避けれるのさ」
「なんでかな?避けようと思ったから?」
夕焼けに染まる赤い空を背に、妹紅はその蒼く白い髪をなびかせながら笑った。そして、その言葉が終わらないうちに着地する。
信じがたいことだが、妹紅はあの姿勢から空高く飛び上がり、木刀を避けたのだ。両手をポケットに入れたまま、しかも滞空時間は半端ではない。普通、の人間で考えるならありえないことだ。
兵太も最初は信じられなかった。しかし、実際に起こっている訳であり、何度もそれを見ているうちに慣れてしまった。もしかすると、妹紅が空を飛んだって現実として受け入れられるかもしれない。流石に、不死身というのは信じがたいけれども。
「飛べるよ」
ある時、練習からの帰り道で兵太は空を飛べるか尋ねたのだった。予想通りというか、妹紅はさも普通そうに答えた。
「じゃあ、なんで飛ばないの?」
「飛ぶ必要がないからよ」
兵太は納得する。それはそうだ、人間には足があるし、地面には歩くための道がある。わざわざ空を飛んでまで移動する必要はないのだろう。
「―――それにね、他の人に知られるとまずいのよ」
「ふーん」
兵太には妹紅の言うことが実感できなかった。しかし、怖い顔で他言無用の約束を迫る妹紅を見ると、そうなんだろうと思うしかない。
他にも兵太は色々聞きたいことがあるようだったが、妹紅の怖い顔を避けてか話題を変えてきた。
「そういえば、姉ちゃんの父さんはどんな人だったの?」
妹紅は少しばかり考える振りをする。けれど、既に言う言葉は決まっている。
「もう、忘れたわ」
隣の兵太は、嘘だといわんばかりの顔をしている。
「本当よ。人間は長いこと生きると、楽しいことしか覚えていないものなのよ」
「じゃあ、姉ちゃんは父さんとの楽しかった思い出がないの?」
「・・・さあ、どうかしら。私には、良く分からないわ」
「ふーん、変なの」
二人は村に続く小道をただ歩く。見上げた今宵の月も、綺麗な満月だった。
日課が増えたからと言っても、日々の生活に大きな変化はない。
いつも通り適当に掃除を終え、妹紅は境内の木に寄りかかって座り、遊ぶ子供たちを眺める。秋とは言え、まだ暑さが厳しい中でよく遊ぶものだ。しかも今日も蹴鞠である。毎日蹴っていて飽きないものなのだろうか。
「本当、よくやるわ」
やることが無いからと言って、蹴鞠に参加するような気はおきない。この暑さも理由の一つだが、主な理由がもう一つある。
「・・・あーあ、下手ねぇ」
あらぬ方向へ飛んでいく鞠を眺めながら妹紅は呟く。もしも自分が参加すれば、きっと他の子供たちは興ざめしてしまうだろう。実力差がかけ離れている遊びほど、楽しくないものは無いのだ。これが第二の理由だ。
「教えてやるのも一つの遊びじゃぞ?」
突然近くから声が聞こえ、妹紅は驚いて周囲を見回す。すると、木の陰から住職の爺が現れるが見えた。
「もう、心臓に悪い登場方法は止めてよね」
「ほっほっほ。こりゃ失礼」
ほっほっほ、って全然失礼そうに思って無いじゃないの。そう思いつつ、木の下に立つ笑みを崩さないままの爺を見上げる。
「何か用かしら」
そう言われると特に無い、みたいな表情で爺は黙り込む。だがしばらくの沈黙のあと、何か思いついたように口を開いた。
「そうじゃな。暇なら歌合わせでもせんかの?」
「歌合わせ?」
いぶかしげな顔で爺を見やる。にやにやとこっちを見るその顔からは、何を企んでいるのかは想像できない。
「出来るんじゃろう?お前さん、見たところ元貴族のようじゃし。実はわしも出家した身での、そういうのには鼻が利くんじゃ」
それを聞いて少し驚き、妹紅は不思議そうに聞き返す。
「なんで分かるのよ」
「何、驚く事は無い。そんな長い髪を持つ者は、貴族ぐらいなものじゃ」
再び得意そうに例のごとく笑い出す爺。
そういえばこの時代、荘園の運営で食べて行けなくなった貴族が財産を失ったり、出家したりすることがあったように思う。それはまだましな方で、荘民などの反乱で命を落としたり、国を追放されたりすることもあったようだ。だから爺には、三ヶ月前寺の前に倒れこんでいた妹紅が、そういう経緯で放浪してきた貴族の一人として映ったのかもしれない。
「で、どうじゃ?やらんのか?」
「まあ、暇だからやってもいいわ」
「そうこなくてはの」
大げさに息を吐きながら、爺は妹紅の隣に腰を下ろす。妹紅は再び境内の子供たちに向ける。丁度、鞠が地面に着くのが見えた。
「わしが先行でよろしいか?」
「いいわ。判定する人が誰もいないけど」
「判定なぞ適当にきまっとろう。まあとりあえず、最初の御題は夢でどうじゃ」
「夢ねぇ・・・」
しばらく二人とも考えていたが、爺は決まったのか一つ咳払いをして口を開いた。
「寝られぬをしひて我が寝る春の夜の夢をうつつになすよしもがな」
真面目な顔をしてさもそれらしく詠む爺の顔に、妹紅は思わず吹き出す。
「・・・年の割に情熱的ね」
「ふん。お前さんの番じゃ」
爺は照れ隠しか両腕を組んで、境内の子供を見やる。
「そうね」
判定者のいない歌合せに意味があるとは思えなかったが、まあこれも遊びの一つということだ。そう割り切って妹紅も一つ詠むことにした。
「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」
妹紅の選んだ歌を聞き、爺は難しそうな顔をする。
「うーむ、お前さんもなかなかやるのぅ・・・」
「じゃあこの御題は私の勝ちかしら」
「いやいや――――」
時折、涼しい風が吹き二人の上の木を揺らす。それに合わせて、微かに赤く色づいてきた葉が擦れる音がする。
境内で遊ぶ子供の声が聞こえる中、二人の歌合せはまだまだ終わりそうになかった。