夕暮れの紅魔館。それは、世界でもっとも紅き場所。
沈みゆく太陽を見ながら、柄にもないことを考える。
赤は狂気。これから始まる夜の妖怪たちによる妖怪たちのための宴を象徴するかのように、ほんの一瞬だけ、世界は赤に満ち溢れる。
本当はこの時間の紅魔館を外から見ると美しいのだが、あいにくここ数年間は紅魔館からから出ていないのでなんともいえない。
――と、紅魔館の廊下を歩いていると、この夕暮れの時間の赤よりもなお紅い影が目に入る。
「レミィ。そんなに急いでどこに行くの?」
珍しく駆けているレミリアを見て、パチュリーは微笑みながらたずねる。
「ん?どこにっていうか、咲夜を探してるの。パチェはここら辺で咲夜を見なかった?」
「見てないけど…どうしたの?またなにか楽しいことでも思いついたの?」
「いやいや、この世界には楽しくないことなんてないわよ。ようは、それを楽しいと身構えていられるかだもの。それよりも咲夜め…。こういうときに限って近くにいないんだから」
レミリアがなにか行動を起こそうとするたびに咲夜が姿をくらますのは珍しいことじゃない。
普段は呼びかければすぐにやってくるというのに、こういうときはなかなか姿を現さないのだ。
たまたまそのときが忙しいだけなのか、わざとやっているのか。
きっと後者だろうなと思いながら、パチュリーは苦笑する。
「少し乱暴だけど、咲夜を呼び出す?」
「お願いするわ。今日は気持ちいいくらい夕焼けが紅いし、少しでも時間を無駄にしたくはないの」
レミリアがそう言うと、パチュリーはなめらかな動作で魔道書を開き、呪文を唱える。
呪文の詠唱とともに地面に青い線が浮かび上がり、青い線は魔法陣を描く。
魔方陣が完成し、パチュリーが最後の詠唱を終えると、煙とともに咲夜の姿が魔方陣から現れた。
「…礼をしたまま現れるって、どう考えてもおかしいわよ咲夜」
呼び出される側は突然召喚されるわけなのだから、礼をしながら現れるにはレミリアとパチュリーの会話をどこかで盗み聞きしている必要がある。
パチュリーは訝しげな目で咲夜を見た。
きっとまた、レミリアの後ろで駆け回るレミリアの姿を見ていたのだろう。
「何か御用でしょうか、お嬢様」
だが咲夜は気にしてない様子で用件を尋ねる。
レミリアもそんな細かいことは気にしないのか、何事もなかったかのように口を開く。
「これから散歩に行くわ」
「どちらにいかれるのですか?」
「どちらに…じゃなくて、あなたも行くのよ、咲夜」
「私も、ですか?」
命令するレミリアに、咲夜は大げさに驚いてみせる。
これもいつものことだが、こうして瀟洒であろうとする咲夜は見ていてとても気持ちいい。
レミリアは咲夜の言葉に大きく頷きながら次の言葉を発する。
「えぇ、だって今日は私の散歩じゃないもの」
「と、いいますと?」
私の散歩じゃない、という部分に引っ掛かりを覚え、咲夜は若干戸惑うように聞きかえす。
聞き返された瞬間、レミリアがにやりと笑う。
その問いかけを待ってましたといわんばかりに。
スカーレットデビルと称される、小さな吸血姫に相応しいその悪戯な笑みで。
「今日はあなたの散歩よ。悪魔の犬――十六夜咲夜」
永遠に紅い幼き月は、そう答える。
☆★☆★
予想外の返答でむりやり連れ出された咲夜は、レミリアに気づかれないようにそっとため息をついた。
いつもレミリアの気まぐれに付き合わされてはいるが、今回ばかりは気が滅入りそうだった。
懇切丁寧に接している忠実なメイドに向かって犬呼ばわりとは、さすがにひどい気がする。
「お嬢様、いい加減そろそろ本来の目的を教えてはいただけませんか?それともまさか、本気で私の散歩なんてするつもりですか?」
若干棘を含む言い方で、咲夜は聞く。
「別に散歩も目的ではあるんだけど…本当の目的は、まだ教えられないね」
背中に背負っていた袋をよいしょと手前に持ち直しながらレミリアは答える。
「その袋は?」
「ただの匂い袋よ」
言われて、納得する。
たしかに袋の中からは独特な匂いが漂っている。
これならば匂い袋としての役目を十分に果たしているだろう。
「何故そのようなものを?」
「餌を誘き出すために」
確認のための質問は、当然の答えで返される。
しかしわからない。わざわざこんな時間に、そんなものを嬉々として用意してくるなんて何を考えているのだろう。
「どうして餌を誘き出すのですか?」
もしかして、お嬢様はチルノ病にでも侵されてしまわれたのだろうか。
もしくは妹様病?
「……まさかとは思うけど、もしかして自分で気づいてない?」
咲夜が何を考えてるのか大体想像できたのだろう。本気で聞いてくる咲夜に、レミリアは呆れた顔をする。
「まぁ、気がつかなくても仕方ないか。いや、気がついていればもっとはやく行動を起こしてるだろうし」
ならばそれを気づかせてやろう。
そのための匂い袋だし。餌もいい感じに集まってちょうどいい頃合だ。
「咲夜、鏡を持っててあげるからそれで自分の顔を確認してみなさい」
ポケットから小さな手鏡を取り出して、咲夜に突きつける。
そこに写る咲夜の顔には――夕焼けに照らされた赤い顔色のなか、そんな赤を嘲笑うかのようにさらに強く主張される、二つの紅い瞳があった。
「これで散歩に連れてきた意味がわかった?――ふふ、犬のストレスは主人である私が取り除いてやらないとね?」
先ほどまでとはまったく雰囲気が変わった咲夜を見て、レミリアは満足げに笑う。
そう。いくら忠実であるメイドだろうと…いや、忠実であるからこそ、ストレスというのは溜まっていってしまう。
そして瀟洒であるが故に、自身はそのことに気がつかない。
――無意識のうちに、その紅き瞳が発動してしまっていることにさえも。
普段なら放っておくことだが…たまには。一度くらい、それを発散させてやるのがよき主人というものだろう。だからレミリアはとどめとばかりに叫んだ。
「十六夜咲夜。…今のあなたは、紅に祝福されし私よりもなお、紅き血を渇望してるように見えるわ!」
そう言って、レミリアは袋の中身を空にぶちまける。
それは血生臭い肉塊。
漂う匂いは腐臭。
飛び掛る餌は無数の妖怪たち。
舞台は、整った。
「さぁ、咲夜。競争しましょう!能力の使用なんて野暮なことはせず、この私が用意してあげた殺戮舞踏会で踊り狂いなさい!」
その言葉が発された瞬間――まさしく瞬間。瞬きにも満たないそのわずかな時間から、勝負は始まった。
逢魔が時に現れた、数え切れないほどいた妖怪たちは、その瞬間に、全て生き絶えていた。
そして新たなる妖怪どもの血肉がさらなる妖怪をおびき出す。
「ふふ…ふふふ、あははっ!」
ある妖怪はナイフによって滅多刺しにされ、ある妖怪はナイフによりばらばらに切り裂かれる。
ある妖怪は吸血姫の爪で八つ裂かれ、ある妖怪は散り散りに引き裂かれる。
夕暮れよりもなお紅く染まる血の舞台に主とメイドは笑い、そして狂う。
そういえば久しく、咲夜とはこういう事をやっていなかったな。
今日この時という時間をやけに楽しく感じるのはそのためだろうか。
服を汚すことなく敵を殲滅していたレミリアが、ちらりと咲夜のほうを見る。
(……う~む。随分と荒んでるわね。放置プレイが過ぎたのかしら?)
そういえば最後に戦いにやったのは桜咲かない春のことか。門番はあれでなかなか有能であるから、案外咲夜も欲求不満が溜まっていたのかもしれない。
あえて妖怪の血を浴びるように戦っている咲夜を見てそう思う。
一撃の下で相手の命を奪っている自分とは違い、致命傷を避けてじわじわと、しかし的確に相手を追い詰めていく様は見ていてすがすがしいほど残酷だ。
「本当――今の咲夜は、私なんかよりも紅に祝福されてるように見えるわね」
最後の一匹の頭を握りつぶしながらぽつりと呟く。
咲夜はまだ最後の獲物を追い詰めていた。
あれでも冷静な部分が働いているのか、この妖怪でラストだと自覚しているらしい。今までの数倍の時間をかけて最後の狩りを楽しんでいる。
「咲夜。最後だけ符の使用を許可するわ。思いっきりやっちゃいなさい」
「…かしこまりました」
恭しい言葉とは裏腹に、その顔に凶悪な笑みを張り付ける咲夜。
「幻葬――夜霧の幻影殺人鬼」
空間を操り大小さまざまな大きさのナイフを無数に取り出す。
手に持っていたナイフを牽制用に投げつけて距離をとり――舞台の最後を華やかに飾るために、奇術師は種も仕掛けもない、永遠に続くとも錯覚させるダンスを開始させた。
踊れ――。
ナイフを一刀投げるごとに妖怪は奇怪を動きを見せる。
踊れ踊れ――。
このダンスのもとで跪くことは許されない。無数に飛んでくるナイフがそれを許さない。
もっと踊れ――。
一方的な殺戮の中、咲夜の心は笑っていた。あぁ、なんて楽しいダンスなんだろう。やはりダンスはするものではない。させるものだなと実感する。
もっともっと踊れ。踊れ踊れ踊り狂え――。
「ふふ…ふふふ。あはははは!」
そして、自分も踊り狂え――。
★☆★☆
「どう?あれで少しは気が晴れた?」
目の前に立つ瀟洒な…そう、血の匂いを少しも感じさせない、淡いシャンプーの香りをまとう少女に笑いかける。
「お嬢様。失礼ですが、その言い方だと私がただの殺人狂に聞こえてしまいますわ」
「そのままじゃないの。…にしてもまぁ、ものすごい能力の無駄使いよね。最後のナイフを投げ終わった途端に返り血を浴びた服も、髪も、顔も、全部きれいになってるんだから」
「終始服も髪も顔もきれいだったお嬢様に言われたくありません。…と、お嬢様?意外なところに返り血を浴びてますよ。お拭きいたしましょう」
こちらの返答を待たずに咲夜はレミリアに近づき、口元を拭う。
「う…返り血なんて回りくどいこと言わないではっきり言ったらどう?つまみ食いはいけないって」
レミリアは一瞬だけ悪戯のばれた子供のような顔を見せたが、なんとか威厳を保とうとふんぞり返って言ってみせる。
「あら、つまみ食いしたんですか?」
たいする咲夜は余裕の笑み。
しかし目は笑っていない。けっこう本気の目だった。
「しかし、よもやお嬢様が調理済みの肉よりも生肉が好きだったなんて存じませんでしたわ。これからは調理せずお出しするので生の味覚をご堪能くださいね」
「うぅっ!?……咲夜の意地悪。べ、別に少しの間食くらいいいでしょっ!咲夜の料理はいつも残さず食べてるんだし、文句は言わせないわよっ!」
「ではこれからは間食が出来ないようにもう少し量を増やしましょう。きちんと残さずお食べくださいね?」
「……しまったっ!咲夜に嵌められた!?」
どうやら少し前から食事後にこっそりメイドの血を吸っていることがばれていたようだ。
「ところでいつから気づいてた?私が間食してるってこと」
「さぁ?私は先ほど知ったばかりですが」
「白々しいわね。…ま、いいわ。その分だとどうやらだいぶ落ち着いたみたいだしね」
普段どおりの咲夜を見て、レミリアは安心したように笑う。
食事の件はまた今度にでも話し合うとして、今はそちらのほうが重要だった。
「それじゃあ咲夜。散歩の続きでもしましょうか」
「えっ?今日のメインディッシュは逢魔が時の討伐ごっこじゃなかったんですか?」
「それも目的ではあるけどもって言ったでしょ?本当の目的はこれからよ。…ま、いやだって言うんだったら無理にとは言わないけど」
「ところでまだかるく夕日が照ってるのですが、お体にお障りはありませんか?」
「いまさらね、咲夜」
それは出かける前に言うことだと思う、とレミリアはため息をつく。
しかしまぁ、やっと本題にも近づいてきたので答えてやるとしよう。
いまだこの異変にたいして気がついていない咲夜に向かって、レミリアは先ほど以上に威厳たっぷりと胸を張って答える。
「こんな弱りに弱りきった太陽の光なんて、それこそ偽りの月の光でさえ打ち勝てるわよ」
「偽り…それなら今のお嬢様は永遠に紅い幼き偽りの月ですね」
「長い上に語呂が悪いわ、咲夜」
「はぁ。本当に出かけるんですか?傘を持ってきてないですから、朝になったら諦めてくださいよ」
無駄に張り切るレミリアとまったく乗り気でない咲夜。
咲夜は、何故自分がわざわざ咲夜を連れてきたのか気づいてないのだろうか。
ならば教えてやろう。今すぐに教えてやろう。今こそ主人としての見せ場だ。
「ふん、朝なんて来ないよ。…少なくとも、この異変を解決するまではね。そのために咲夜がここにいるの。そのために私は逢魔が時の茶番を咲夜に演じさせた。…あなたはストレス解消が出来て、私もいつまでも外にいられる。ほら、一石二鳥でしょ?」
「お嬢様…私の能力にも限界があるって忘れてませんか?」
「忘れてない。だからまだ夜でもないのに外にいるの。夜になったらすぐに行動開始よ」
「仕方ありませんね。そこまで仰るなら、咲夜もついていきましょう」
「別についてこなくてもいいのよ?私が帰ってくるまでずっと夜を止めておいてくれるなら」
「そんなことしたら永遠に帰ってこないじゃないですか」
「ちっ、ばれたか」
そんな呑気なことを話しながら、咲夜はいつの間にか手にしていたナイフをレミリアのほうに向かって投げつける。
咲夜のその動作がさも当然とばかりに、レミリアはそれを紙一重で避ける。
ぐぇっという醜い妖怪の絶命する声が聞こえて、二人は何もなかったかのように散歩を再開させた。
二人の夜はまだ始まらない。
それまでは、久しぶりの主従水入らずの散歩を楽しむとしよう――。
……ま、まあ原因がどこにあれ、それを取り除いてやるというのは、一応は主なりの優しさか。けどこういうのはマッチポンプですよお嬢様(笑)。
すいません。この台詞に一瞬エロスを想像してしまいmギャーー(夜霧の幻影殺人鬼