Coolier - 新生・東方創想話

華胥の亡霊は遥けき昔日を夢見るか? 9(後)

2004/10/07 10:58:36
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―9 さくら、さくら―






「誰か、都合よく切り札を持っている奴がいればねぇ」

ばら撒いてばら撒いてばら撒いて、
打ち砕き叩き壊し破り捨てる。

形容するならそんな感じの攻撃の応酬。
庭木の心配をするのも忘れて、私はそんな風に西行妖との殺し合いに興じてる。
大気を部分的に殺して真空を作ったり、
マンドラゴラも枯死させる死の歌で舞ったり、
私たちは二人して三途を渡る招待券をタダ同然で配っているのだ。
ここは冥界だから、いくら配っても誰も欲しがりはしないけど。

「配るならもっとマシなもの配りたいわ。肩叩き券とか」

『どうした、嬢』

「はてさて、どうしたものかしら」

『質問に聴き返すは礼に失す』

「硬いこと言わないの。何時まで続けるのか、って話よ」

『夜明けまでで良いではないか』

鞭のようにその根をしならせ、
周囲の桜の木をバキバキ薙ぎ倒しながら平然と言ってくる。
・・・妖夢への言い訳を考えるのは諦めた。
辻褄が合おうが合うまいが、もうこの有り様では何を言われても仕方が無い。
ここだけの話、すっごい爽快だった、などと開き直るつもりでいる私である。

「殿様みたいなこと言わないの。もう朝も近いんだから、
 尻切れトンボは御免だって話よ」

『解せぬでもないが、何か考えがあるのか』

「切り札一枚の一本勝負が望ましかったんだけど」

強者同士の対戦だと、妖気が有り余って延々と勝負が続いてしまう。
私は短気な方ではないけれど、折角のシメが冗長になるのは好ましくないので、
互いの切り札一本で白黒つけるのが格好良くていいわ、と思っていたのだけど、
相手が一枚も持っていないのではしょうがない。
その憂さ晴らしをするかのように、私もこの子もぶち殺し放題。
やり始めたはいいけれど、どこで区切りをつけたものか。
今ほど自分の計画性の無さを痛感した瞬間もあるまいと思うほどだ。

『式の打ち方も型の取り方もわからぬ。
 出来合いのものがあれば、応用して使う程度ならできようが』

「不勉強ねぇ」『無茶を言う』

どうしたものか、困ったもんだ。ううん。
とそんな事ばかり考えながら動くものだから、
手元が狂って狙いが逸れ、温度を殺された木がたちまちに凍滅したり、
気圧を失った空間がひしゃげて爆死したりして、益々庭園はズタボロになっていく。

「・・・このままじゃいけないわ。
 誰か止めてくれないかしら」

勝負如何よりも、我が白玉楼二百由旬(自称)の庭園の存続の危機だ。
私はそれを意識していても決着がつくまでは止まれない。
記憶の蘇生のせいか、ストッパーが外れたように殺戮の能力が咲き誇っている。
その上、決着の付きようが無い。
互いを殺す手段自体をお互いが殺し、その手管の見事さを眺めながらまた殺しているだけなのだから。

しかし、誰かといったところで、ここには今、
対戦相手である西行妖以外に私を止められるような人材がいない。
妖夢はあの様子では明け方まで休息しているだろうし、
下界の知り合いも一夜の内にはここまで来れないだろうし。
紫が起きてここに来る事を期待したいけど、
夢の中にいたって事は寝てたって事だから除外。

「酒蓋の爺さんは惜しいけどアウト、
 純白に至っては論外だわ。どうしましょ」

思わず考えていることが口をついて出た。
こうなるともう殆ど愚痴に近い。言いつつ、また庭木が十本単位で消し飛ぶ。

その愚痴が、聴こえたのかもしれない。

「誰が、論外だって?」

聞き覚えのある声が耳に響くと、
その残響と共に、西行妖と私の間、震わされた空気の歪みが、
地面に平行した形で波打つような錯覚が見えた。
その波紋の中心からは、小憎らしい純白の少女と、
注意しないと見落としかねない程小さな、桜模様の酒蓋が姿を顕す。

「あら、これはこれは。元気だった?お爺さん」

「無視するな、西行寺っ!」

「お陰さまで、元気一杯じゃい。寝心地のいい袖じゃなぁ、姫さん。
 さっきまでな。このお嬢ちゃんと遊んでおったんじゃよ」

「へー。その雑魚“で”遊んでたの間違いじゃなくて?」

「・・・あんた、人の神経逆撫でする技術だけは認めてやるわよ」

「ほ、お墨付きが出たぞ、姫さん。目出度いなぁ」

「爺ぃ!フォローの一つもできないのあんた!」

「難題じゃなぁそれは」

おや、何だか知らないうちにこの二人、随分仲良くなっているようである。
が、思い当たる節が無いでもなかった。
私はそれほど長い間ではないとは言え、放心状態のまんまで空に浮かんでいたのだから、
この純白少女がそんな私を放置して遠くでドンパチやってたっていう事実は、
私を守ってくれた何者かの存在を想像するのに充分な材料だ。
更に、今私を守れるような何者かなんて、あの酒蓋の爺さんの他にはいないわけである。
こうしてこの二人が一緒に登場すること自体、
このゲストたちが勝手に親交を深めていたということを示している。
弾幕戦は自己紹介、後腐れなんてあるわけもなく、勝負の後には皆友となるのだ。例外もあるけど。

『・・・塵が何とする』

と、そこの辺りを今一つ理解できてない堅物が私にだけ聴こえる声で言った。
その声音からは、私との決闘を邪魔された不服が滲んでいる。

「こら。拗ねないの、いつまでも子供じゃあるまいし」

小声で諭す。聴覚に音を届かせようとしているわけじゃないので、
これでも充分に妖怪桜には言葉が伝わるのだ。

「ん、姫さん、何か言ったかの?」

「ふふん、きっと不安を口にしたんだよ。表情から余裕が消えた」

「ちょとだけ、のう」「黙んな爺」

酒コンビ(今命名)には私の呟きが聴こえたようである。
純白の方はろくに聴こえもしてないのに好き勝手言っている。
それも仁王立ちでふんぞり返って、勝ち誇るようなしたり顔で。
どうしてこの雑魚は理由もなく偉そうなのだろうか。
渦中のど真ん中の中心、私と私の標的の間なんていう危険地帯にいるというのに。
片腕がもげて無くなり、全身が穴だらけになった痛々しい姿で見せるその態度は、
開き直ったか、どこか諦めたかしたかのように見える。

そんな態度に余計腹を立てたのかもしれない。

『不愉快だ。退け、塵芥』

西行妖は怒気を孕んだ声を放つと、酒コンビのいる単位空間に、
周囲にある死を充満させる殺戮芸を試み始めた。
つくづく、危ない奴である。
空間に満ち満ちていく死は、顕在するまでは私にしか知覚できない。

「あーちょっと、ねえ」

二人とも、そこ危ないから、離れた方が身の為よ、と。
言おうとした私は、純白の妖怪が自信満々で片一方の手を頭上に掲げるのを見て言葉を飲んだ。

何故ならその手には―――どこかで見た覚えのある、一枚のスペルカードが握られている。
私はそれを確認した瞬間、あれをこの子に渡せば片がつくかも、と思い、
噤んだ口から気を引くような言葉を紡ごうと思考した。

だが、私から何かを言うよりも早く。


「西行寺幽々子! あんたと桜の勝負、あんたの負けにさせてもらうよ!」

純白はそう言って身を翻し、勢い良く振り向きざまにスペルカードを投擲する。
鈍くさそうなこの妖怪に似合わぬ素早い動きに意表を突かれて、
私は純白少女の言葉の真意を測りかね、つい身動きを止めてしまった。

それはどうやら西行妖にしても同じだったらしくて、
しゅっ、と空気を裂いて飛んだ一片の呪符は、
何の抵抗も受けずに妖怪桜に貼り付き、その黒い幹に一点の白を打つ。

ただそれだけ、何も変化は起こらない。
だけど、純白はそれでなんだか満足しているような表情を私に向け、
おまけに例の不気味な笑いで白皙を歪ませてみせる。

意図の掴めないその行動に、
満たした死を暴発させる事も無く、

『何のつもりだ?』と西行妖はただ純白に問い掛けた。

その声は私にしか届かない。
だから私が質問を仲介して聞き質す。

「あなた。何のつもり?」と聴いた声には、私自身の疑問の色も含まれている。

「賞品のつもり」

笑みの不気味さを多少やわらげさせて純白が言い、
その肩に乗った酒蓋が「それと、審判のつもりじゃ」、と付け加える。

「んー、どういうこと?」

さっきからずっと思っていたことだが、
どうにもこの純白、前後の言動に不一致が多過ぎる。
いきなり人様の決闘を邪魔しに来るかと思えば、
自分を賞品だのとのたまって、片一方に肩入れするかのようにカードを擲つ。
今一つ意図の掴めない行動に、私は疑問符を量産せざるを得ない。

「ふふ、わからないでしょう。ふふふふ。
 わかんないわよねぇ。不思議そうな顔してるもんねぇ。
 あっはっは!あー気分いいわホント。
 爺。こいつに説明してやると良いわ」

「ふむ、いい性格しとるのう」

・・・全く、わけがわからないだけならまだしも。
何故こうまで偉そうな態度を続けるのだろう。
どう考えてもそれが虚勢にしか見えない以上、
私にとってこいつの態度は腹立たしい以外の何ものでも無い。
率直に言えば、むかつく。

「姫さん。もう存じとるかもしれんがの」

そんな私を落ち着かせるつもりでか、
酒蓋は静かに語りかけてくる。

「この嬢ちゃんはな、今宵限りの命じゃ」

「ええ、一応知ってる。
 というか、さっき思い出したわ」

「思い出した・・・?まぁ、いいじゃろ。
 そういうわけでな、嬢ちゃんにはもう時間が無い」

「まぁ、そういうことになるわねぇ。
 あはは。そう創られてるんだから仕方ないわ」

またしてもこいつの態度がわからない。
自分の存在が数時間も持たないとわかっているのに、
異様なほどにあっけらかんとそれを笑う。

「でじゃ、もうどうせ短い命となれば、
 やりたいことをさせてやろうと。
 そう、わしは思ったんじゃよ」

「ふうん」

「そこでこの子に何がやりたいと聞くと、
 姫さん、あんたを殺したいとこう来るわけじゃ」

「その為に創られたんだしね」

「じゃがここで困ったことに、
 姫さんはもう死んどるから殺せないという問題が出てくる」

「殺せたら殺す手伝いを、ってのも物騒な話ねぇ」

「そういう契約じゃからのう。
 でまぁ、そういうことであれば、
 それ以外のことでこの子が満足できることを探すより他にない」

「そしたら、この爺さんが言うのよ。
 ―――忘れられない屈辱を与えればいい、ってね」

「屈辱?」

「そうじゃ。姫さんに対して、
 こんな雑魚のせいで負けた、という屈辱を感じさせればいいと言った」

「でも、私の力量じゃ、あんたを打ち負かすなんて到底無理でね。
 一体どうするのかって聞いたのよ」

「全くその通り、わしや墨花嬢ちゃんには、
 姫さんを倒すなぞ夢のまた夢」

「ああ、成る程・・・」

こいつらの考えが大体読めたので、
私は得心の溜息とともに一言を告げた。
つまり、こいつらは、私と西行妖の戦いが拮抗している様を見ていて、
私を悔しがらせるには天秤を傾ければいいと考えたのだろう。

「わかったでしょ?
 あのカードは、そこの桜にくれてやったのよ」

「しかも、そんじょそこらの代物じゃない」

「そう。この私、墨花という酒の妖怪を、
 自力で生み出した酒師、かつて酒神と呼ばれた、たった一人の人間!
 私のオリジナルが死に際に創った、極意の符!」

私はそれを聴いてはっとした。
話半分で聞いていたら、この純白が思い掛けない言葉を言ったからだ。
正直な所、あの桜にカードを使わせるにしても、
純白や酒蓋の持つスペル程度では、
私の全力を懸けた最後の一枚を使うには値しないと思っていたのだけれど。

本物の彼女のスペルなら、一見の価値どころか、
一生の価値がある。何せ、もう本人には会えないのだから。

「それは、興味あるわね」

「じゃろう?」「でしょう?」

やれ喰い付いた、とばかりにハモる酒コンビ。
何だか本当に楽しそうだ。
要するに、こいつらは私を悔しがらせたいのだろう。
とは言え実際の所、西行妖にカードを渡したって、私を喜ばせるだけである。
悔やませるのには逆効果。

でもまぁ。こいつらに喜んでみせる方が私としては悔しい。
この純白もお土産持ちとはなかなか殊勝なことだし、
酒蓋の爺さんにしても私をちょっとの間守ってくれてたみたいだ。
だから、そのご褒美という意味も含めて。

「あー、悔しいわー」

と言い、頬を歪め、宙に浮かんだまま地団太を踏んでみせた。
しかし、純白はそんな私を見ながら露骨に嫌そうな顔をしてから、

「・・・爺。あいつ、全然悔しがってないよ」

「むしろ喜んでる風じゃな」

指差しざまにボソボソと言い合う。
・・・何故か失敗のようである。私は精一杯悔しがっているというのに。

「悔しいってば。ほらほら、悔しい~」

私は引き続きぱたぱたと身を震わせて悔恨を示す。
すると純白は、

「はぁ・・・アンタねえ。顔、笑ってるわよ」

そう言って、何故だか溜息を一つ吐いた。
隣に立つ老人の幻視もからからと笑っている様子である。
私が笑ってるって?そんな馬鹿な。
悔しげに、頬を歪ませているのに―――

「あや、本当だわ」

確認のために、自分の顔を両手で検めてみると、
なるほどこれは笑ってる。吊り上げた頬は、
にやけ顔を形作るばかりだったのだ。
悔しがろうとして笑んでしまうとは、
私も自分で思っている以上に嬉しがっているのだろう。
意外なことこの上ない。

あんまり意外に感じたので、私は頬に手を当てたまま、

「まあどうしましょ」

さも驚いた、という風におどけてみた。
酒蓋の爺さんはなおも楽しそうに笑っている。
その笑い声のせいもあってか、
純白は頭痛に堪えるように額を指で支える。

「ったく、わけわかんない奴ら・・・でもね、西行寺」

「なにかしら?」

額の指はそのままに、純白が片目で私を睨んで、そう言った。
その声音が少し冷えていたので、
私も少し気を取り直しながら聞き返す。

「あんたがあの符に負けるということは、
 持ってきた私に負けるということ」

「まあ、そうなるわね」

「そんなに余裕にして。大丈夫なのかしら?」

「ええ勿論。勝てばいいのよ」

さらり、と。
純白の向けてきた殺気を、私は軽い言葉で受け流す。

『簡素に言うものだな、嬢。
 私とて、そう易々と下されようとは思わぬ』

酒タッグとの漫才のような問答を黙って聞いていたこの子も、
話が自分にも及んだと知ってか、流石に口を挟んできた。
まぁ、そもそも私にしか聴こえない声なのだから、
四者交えての会話は出来ないわけだ。
別段含みがあって静かにしていたわけではあるまい。

『この符。紛れも無く酒神の嬢の物。
 嬢がいかな符を用いようと、苦戦は免れ得ぬだろうよ』

「ええ。楽しみだわ」

『不敵な。何を根拠に勝利を確信する?
 昔のように、八ツ雲の助けがあるとでも?』

やれやれ、誰も彼も素人ばかりである。
付き合いの年数で言えば誰よりも長いこの子ですらこれだ。
この私が、戦う前から負けた後のことを考えるような慎重派だと思っているのだろうか。
いちいち勝ち負けなんて気にしては戦う訳が無い、
適当にやっていれば勝手に向こうが負けてくれるのだから。

「何言ってるの。なんにも手助けが無いから楽しいんじゃない」

『解せん事も無い』

「それに―――」

『む?』


あれは、ただの殺し合いだった。
あんなのは、もう、未来永劫御免だわ。

そう続けようとしたところで、
私は何か哀れむような目つきでこちらを見ている酒タッグに気付いた。

「ちょっと、何?その目は」

その視線に耐えかね、非難気味の口調で問い質す。
すると二人(正確には一匹と一個)は声を潜め、

「墨花ちゃん、あんた・・・。
 手が滑って、変な所を弄ったんじゃないのかね?」

「凄く誤解を招く表現じゃないのよ、それ。
 でも知らないわよ。私はちょっと過去の花を開いただけで」

「じゃがのう、事実、姫さんはああして」

「独り言くらいで私のせいにしないで」

「言ってる事もようわからんし」

「今に始まった事?ってか、あんたは人の事言えるの?」

何か私に対して大変失礼な話をしているようだ。
どうやら、私と西行妖の会話を独り言と思っているらしい。

「ちょっとちょっと、何か勘違いしてないかしら?」

これはいけない。私の名誉の侵害である。
そんなものが私にあるのかどうかはわからないけれども、
私は私の尊厳を保つ為に再度声をかけた。

「独り言じゃないわよ。
 あなた達には聴こえないかもしれないけど、お話してたの」

私がそう言うと、純白はまたも露骨に、今度は疑わしげな目で私を見て、

「あんた、その発言、相当やばいわよ」

と偉そうな態度をまるで崩さずに言った。

「幽霊を看る医者なんぞおるのかのう・・・」

酒蓋の爺さんも随分と無礼な事を言う。

「違うわ。電波とか妄想とかじゃなくて、ただの幻想よ。
 ほら、あなた達のすぐ後ろにいるじゃない」

誤解を解くには、正答を述べる他無い。
私が取り繕うようにそう言うと、
酒タッグは揃って呆、とした顔になって、

「後ろ?」と虚ろに聞いてきた。

私はそんな彼らに、
「そう、後ろ」と指を差して重ねて教える。

す、と酒タッグが振り向いた先には、
長い間、もうずっと同じ場所に根を張りつづけている千年桜がいるのだ。

些か余談になるけれど。私がこの子を“この子”と呼ぶのは、
この子がまだ感情表現もろくに正しく出来ない子供のように見えるからである。
不器用なのか、はたまたそれ以外の表現が出来ないのかわからないけれど、
この子は、私以外の相手には意思を『殺気』という形でしか伝えられない。

『痴れ者よ。塵芥の限りにある身にしては、
 中々の物を持ってきた。大儀である』

と、実に寛大な君主であるかのように言うけれども、
それは私以外へ向けられた言葉であり、かつ私以外には聴こえない声なので
他者は溢れんばかりの殺気を浴びせ掛けられるばかりなのだ。

純白は血も通わぬその顔面の白を、器用に一層青白くして、

「じ、爺っ!用は済んだんだから逃げるわよっっ!!」

一息に言って酒蓋を急かした。

「言われるまでもないわいっ!
 じゃあの、姫さん!健闘を祈っとるよ!!」

老人の幻視も幾分か慌てた様子で指を十字に振ると、
彼らが現れた時と同じような波紋が生まれた。
次の一瞬、彼らはその架空の水面にざぶん、と沈んで、
ろくな捨て台詞も吐かずに酒タッグは退場したのだった。

こうして喧しい二体の刺客はとんずらし、
互いに見慣れた相手だけが残る。
尤も、あの二人もこの庭のどこかから私たちの決戦を見ているのだろうけど。

「さて、ゲストは去ったわ」

『そして、決着の準備は整った、か』

「そうね、一応ルールらしきものがあるんだけれど」

『聞こう』

「あなたの符と、私の符。お互いの持つカード一枚での一本勝負。
 結界を展開して、めいめい相手のそれを攻撃する。
 この結界の強化・防護・維持と、弾幕による結界への攻撃、
 これ全てを一枚の符で行使して、先に相手の結界を破壊した方が勝ち」

『理解した』

「二符は論外、上乗せ使用は条件付きで可。
 待ったもそこまでも無し。
 ありったけの力で結界を維持して、
 同じくらいのありったけで弾幕を張るの」

『望むところ』

「そんなとこかしらね。
 っと、もう一つ。これは個人的な趣味だけど」

『何か?』

「弾幕は、美しくね。
 今日はまた、二人もギャラリーがいることだし」

『承知した。さて、あの塵芥が我が美学を理解するかはわからぬが』

「ま、そこは気にしちゃダメ」

『いいだろう、嬢。
 ―――正直な所、こうして雌雄を決す時がこようとは夢にも見ぬ』

「寄寓ね。奇遇かもしれない。
 私も、あなたをただの桜と思わなくなる時が来るとは思わなかった」

『あれからどれだけの時が経ったか』

「今までの時が何のためにあったか」


「『 永く長く。さても短く限りあれ 』」


『今宵こそは勝ち越す』「今宵だけは負けない」

「あなたは真正の負けず嫌い。とにかく一度、負けて御覧なさい」

『戯けるな。二度と負けるつもりは無い。
 次に見える時の為にも。敗北の寂寥を後悔するには飽いた』

「あら、今まで後悔していたのね。
 でもそれは負けたことより、勝てなくなったことにでしょう」


『なれば、見えるは勝つが如し。
 ―――彼の酒神嬢の采配、とくと見よ』

「それでも、花咲くは負けと同義だわ。
 ―――憂世の汚れ、散り雪いであげる」




『 ―――冥酒「一生必死の墨染桜」――― 』

「 ―――桜符「完全なる墨染の桜」――― 」




* * *




桜の花が、散っていた。

大きな、大きな木を背凭れにして少女が顔を伏せている。

眠ってはいない。起きてもいない。

何故ならそれはもう、少女であって少女でないものなのだから。

少女を支える木も、ともすれば少女に支えられている少年のように見える。

その二人を見ている、紫色の少女がいる。

―――そろそろ、往かない?

彼女がそう言うと、二人は頷くともなく頷き。

遠い遠い、幻想の世界へと旅立っていく。

少女の親しき人たちを、その心の中にだけ仕舞って。




* * *



***



どん、と。
天空の隅から大地の端まで凄まじい衝撃が走る。

その衝撃は、白玉楼庭園に時節を無視して咲いていた華という華に及び、
それらは皆死の恐怖に慄いて、一息にばっ、と散り騒いだ。
風が吹き、花吹雪は庭園を霧のように包む。

そうして流れてきた花びらたちを一身に受け、

「・・・あ―――?」

木に凭れていた、庭園を司る少女が目を覚ます。
彼女は覚醒してすぐのぼんやりとした意識のままに空を見上げると、
今時分、己がここで途絶していたことと、
そうなってしまった理由を想い起こして、
決然と立ち上がり、

「幽々子様、ご無事で・・・!」

言い聞かせるように呟くや、未だ傷の癒えないその身を引きずって歩き出した。



***



桜が散っている。
いや、その時の幻想郷全てを表現するならば、
桜が降っている、と言うべきなのだろう。

桜花の結界は郷全域を覆い、住人たちを良くも悪くも落ち着かせない気持ちにさせた。
その広がりきった桜の海が、今や大きな津波となって地面へと降り注いでいる。
並大抵の量ではない。極寒の吹雪の如く風に舞い流れに流れ、
幻想郷は時ならぬ豪雪に見舞われているかのように見えた。

天地が桜色に染まっている。
だが、見る人が見れば、この桜の雪は全く違ったものに見えるだろう。

一仕事を終え、他人の寝床から這いずって出てきた八雲紫は、
縁側から見えたその光景に、

「ああもう。たまに息抜きでもしてれば、
 こんなに埃が貯まらないっていうのに。
 毎年の大掃除も欠かしてるから、こんなことになるのよ」

欠伸と共にそう漏らし、仕事の疲れを癒す為に今度は座敷で雑魚寝を始めた。



***



冥府の門。立て看板代わりの桜花結界。
舞い散る桜はこの門にも降り積もる。

その門の上、よく目を凝らしてみると、
一点だけ妙に花が積もっている部分があった。
丁度、成人女性の座高程度の高さを持っている。

夜の湿り気のせいか、その花の塊には次々と花びらがくっついて、
段々その規模が大きくなっていく。

そこに一迅。少し強い風が他方から吹き付け、
門の上に積もった桜はめいめい吹き流されていく。
件の塊もばさぁっ、と音を立てて崩れ、
果たしてそこには、一人の少女が座っていた。

「ぷはぁ!」

少女はわざとらしいまでの深呼吸を始める。
上下が黒一色の作務衣風の服に、
ところどころ花びらが付いている。

「苦しかったー。
 緊縛状態からの奇跡の生還。生存、生と死」

彼女は花が散る様を一人歓声を上げながら見ていて、
舞い来る花を振り払おうともせずにただぼうっと座り、
その内に花びらの塊になっていたのだった。

桜は、まだ降り続いている。



***



東方に桜が降る。
遥かな高みから舞い降りる。

雲より高く、それよりも高い階段の先、よりも更に高い。
純白と酒蓋は、庭園の高空にて桜花を見ている。
更なる高空より降るそれを。

「爺っ!」

「何じゃ、嬢ちゃん」

「この桜、もしかして―――」

「ああ、そうやもしれんの」

庭園の桜の花は、妖怪桜・西行妖の意外に少ない枝に咲くそれを除き、
その全てが既に散っている。結界はやはり結界で、本当の桜では無かったのだ。
だが、桜の花は、いまだ高空より舞い落ちてくる。

「こりゃ・・・弾幕じゃな」

「ど、どっちのよ!」

「ふむ、今一つ判断材料に欠くが・・・」

老人の幻像が、道を説くように一方を指差して言う。
その方向、桜吹雪の舞う先には、
巨大な扇を背に浮かべて桜と共に宙を舞い踊る少女と、
泰然と根を張った老木が見える。

「多分、同じタイプのスペルじゃろう」

「お、同じぃっ!?」

「そう思える理由がいくつか、のう。まぁ省くわい。
 ふぅむ。こりゃ、大層な珍事なんじゃろうなぁ」

「偶然、なの!?」

「いやぁ、わしの身から言わせれば、
 これも蓋然じゃな。然るべき布石があってこそじゃの」

何か満足げに酒蓋が言う。
その落ち着き払ったその態度に、

「・・・ねえ、爺。この桜ってさ」

思いついたように純白の少女が声をかける。

「ふむ?」

「これ、当たっても痛くないよ。
 別に避けなくても良くない?」

「うむ、その通りじゃが。
 わし、さっきから動いておらんし」

「私さ、必死に花びら躱したりしてたんだけど。
 攻撃じゃないの?」

「まぁ、そういうことなんじゃろうな。
 お疲れ様じゃな。酒でも飲むかね?」

「労ってくれるのは嬉しいよ、でも私酒だから」

「共食いになるのかの?」

「んなことはどうでもいいの!
 私が言ってるのは!」

「ふむ。じゃあ、この桜って何のために出してるの、ってとこかの?」

「判ってるなら早く言え!」

「多分に推測が混じるが・・・そうじゃな」

老人の幻像が戦渦の中心を見遣る。
それに伴う形で純白もそちらに目を向けると、
酒蓋は少しずつ語り始める。

「おそらくは―――」



***



『驚嘆したぞ、嬢』

「ええ、私も少し驚いた」


瞼を閉じ瞑目したまま、私は両の手に扇を持ち、
散る桜の流れに任せて舞う。
振り、傾け、流し、受け、斬り、撫で、合わせ、閉じる。
避け、潜め、躱し、向け、取り、支え、包んで、開く。

『幻の桜を降らす。雅やかではあるが』

「偶然もここまで重なると不気味だわ」

私は、指揮棒に見立てた扇を、拍子をつけて振るった。
一つ、二つ、二つ、四つ、四つ、八つ。
すると描いた軌跡から死蝶が生まれ出で、桜吹雪の最中を泳ぐように舞って、
西行桜へ向けてゆったりと飛び惑う。
さらに、桜吹雪の一片一片が死蝶に触れる度、
その花びらが新たな死蝶に姿を変え、列を作るように追いかける。

死の連鎖。蝶が蝶を呼び、その蝶がまた蝶を呼ぶ。
全ての生き物は、その生の最後に“死”という絶大なる化け物に喰らわれて、死ぬ。
トライアングルの頂点は常に終端、死を意味する概念だ。
どこから始めても、どこまで往っても、終わるものは終わる。

この符は、その具現だ。死が生むのは死のみ。
怨恨も復讐も、元の死が新たな死を望むが故に発生した派生の型。
墨染。それは墨罪の花。消せない烙印。
はっきりと、確かにもう終わったのだと言い聞かせる形。

だが、それ故にこの符は完全である。
発展途上ではない、不完全でない、
未完でない、まだ終わりを迎えていないものを、生と言うのだから。
終了は完了。終結は完結。ならば、完全は終章の終わり。
死とは完全な形。到達した地点だ。
だからこの符は、死者である私の為の「完全なる墨染の桜」なのである。

『同種、か。縁の恐ろしさには今昔も無い』

西行妖がそう言うと、音波に乗った衝撃が空間を波打たせ、
振幅と共に一帯の桜吹雪が妖弾の雨へと変貌する。

そう。私のスペルとほぼ同じ。
上空より殺傷力の無い幻の桜を降らせ、
それへ何らかの干渉を行うことで攻撃へと転化する。

あの酒蓋と純白を封じていた、
酒神の異名を持つ酒造の匠の符。
冥酒「一生必死の墨染桜」。
この符と私の符が、何故こうまで似た弾幕を発生させるのか。
私は舞いながら、判然としないものの、何とは無しにその理由に思いを馳せる。
死を直前にした彼の人の意思と、今の私の意思が、
斯様なまでに似通うということの、その意味を。

「一つの生には、必ず死が訪れる。
 人生の法則の最低限を刻んだ花の唄、か」

何となく、ぽつりと呟いてみた。
視線を奈辺に飛ばし、呟きを遠くに投げかけても、
私は自分へと襲い掛かる桜色の妖弾を無意識に舞って躱す。

『ふ―――洒落よ』

洒落。なるほど、洒落てはいるかもしれない。
いや、それよりもこの子。

「あなた。もしかして今、笑った?」

私は心中に生じた疑問を、咄嗟に口に出していた。
西行妖の声音に、嘲笑にしか聴こえないような、
でも確かに笑いを含んだ調子が乗っていたのだ。

『ああ、笑った。
 死に触れようというものは、死しか考えられぬ。
 如何程に生に固執しようとも、
 死の本質に酔ってしまえばその魅力から逃れることは出来ぬ』

「ふうん?」

『だから、死の直前であろうと、
 死してより数百年の後であろうと、
 死を知った後である事に変わりは無く、
 なればこそ、二人の嬢に同様の式が組める』

理解できない事も無かった。
死の停止は、思考の静止。時間の経過に拠る差は生まれない。

「でも、個人差ってものがあると思うわ、私」

当然、同じ形になるには、同じ人物か、
それと近しい者である筈である。
彼女は私に似ていただろうか?
蘇生した記憶にある最後の彼女は、
今宵と同じ桜の舞う死の庭で寝転がる肉塊。
それ以前は―――いけない。もう忘れている。

これだから、夢っていうのは儚くて、面白い。

『嬢はどうか知らぬが。
 彼の嬢は、精神の大部分が嬢に依っていた。
 何を思ってか、今とては確かめる術も無し』

「昔は、そういう器用なこと出来なかったもの。
 ―――ね。そろそろ機の読み合いはやめない?」

蝶が舞う。妖弾が飛び交う。相殺し透過し、
符の張る結界へ辿り着いてはそれを磨り減らして消し飛ぶ。
どちらの防御も堅固で、
結局さっきまでと様子が変わっていないのだ。
庭園への無用な被害の心配が無いという点については、
本当にあの純白にはいくら感謝してもし足りない。
その態度を憎らしく思うのを返上しようとは思わないが。

『そうか』

「何?まさか、名残惜しいの?」

『いや。―――いや、その通りだ。
 私は、この楽しき夜を終わらせるのが、惜しい』

今度は、大きく落胆を感じさせる声音。
随分感情表現が豊かになったものだ、と私は思う。
さっきの笑いに続き、悲しみ。昔の西行妖からは考えられないものだ。
この子は、ただ己の欲望に忠実な純粋の妖だったのだ。

『しかし。そうだな。もう二度とこうして語り合えぬわけではないが。
 ―――闘争は、今宵にて決着するべきか。
 貰い物の符、焼き切れるまで。逝くぞ』

低く、情念の通わぬ冷徹な音で、先程までとは比べ物にならない衝撃を生み出す。

それだけで大地と大気が鳴動し、
庭園に舞っている全ての桜の花が、
墨水の波動を受けて桜色の妖弾へと塗り替えられた。

「うわ」

その壮絶な光景を見て、私は思わず声をあげてしまった。
冗談ではない。素直に驚いた。
目に映るもの全てが、一瞬で私を害するものに姿を変えたのだから。
そりゃ無いでしょ、と強く叫びたい気持ちを抑えて、
素早く背の大扇を仕舞いこみ、
あべこべに動き始めた妖弾を躱そうと身を動かす。
宙を軽いフットワークで跳び、手の扇で弾を払い散らして。

だが、雨を完全に避ける方法があるのなら、
傘などという発明品は生まれ得なかったわけで。
露払いは軒下でやるものである。


「っ!」


右腕に死角から飛来した妖弾が当たったのを皮切りに、
私は四方八方から襲い来る桜色の群れに次々と被弾する。

「っつ・・・!」

予測不可能、数量無限大。
チンダル現象の如きランブル・ラッシュ。
妖弾一つ一つの隙間は私の細い腰程度しかなく、
消し去り様に空から新手が降り注ぐ。

―――いや、無茶にも程があるわね。

言っている間にも三つ四つ、五つ六つと被弾してしまう。
結界があるうちはいいけれど、無くなる時は私の負けなのである。
そうそう当たってやるわけにはいかない。
しかし、これを躱せるような化け物は、
如何に幻想郷広しと言えど一人しかいまい。
そいつの姿を思い浮かべている余裕も無いほどである。

というか、これは正直ずるい。
何故って、西行妖が符から発しているあの衝撃は、
私の呼び出している桜をも妖弾に変えてしまっているのだ。
そして、私のスペルはあくまで桜を死蝶に変えるものであって、
相手が既に別の物に変えてしまった桜を死蝶に上書き変化させる機能は無い。

つまり、今現在、私は相手への攻撃手段を失っている事になる。

「手が出せない、というより手が無いわ。
 どうしろってのかしら、これ」

愚痴りながら払って躱す。その間にも数個被弾。
完璧に打つ手無し。
そりゃあ、手加減無しってつもりで言いはしたけど。
飛車角以下手勢が全て裏切ったに等しい、
詰み一歩手前からの対局なんて、誰が望むものか。

『負けを認めよ、嬢。
 さもなくば、盆を床で迎える事になる』

「ご冗談。あなたこそ、
 床に就けるような姿にならないようにね」

私はいっそ大声で、ひきょーもん、と言ってやろうかとも思ったが、
精神的に大人な私はそこをぐっと堪えて余裕を見せてみる。

とは言え、きつい。どうにかこの状況を打破しなくては。ジリ貧どころの話では無い。

「・・・一か八か、やってみるしかないわね」

手が無いなら、生やせば良いのだ。
そして伸ばした手が届かないなら、もっと近くに行けばいい。

私は、私の周りを公転していた桜符を掴み、

「“亡我”」

そこにある式を少し組替え、念を込めて再度発動させる。
使用中の型変化はルールのうちである。誰が決めたかは知らないが。


『・・・!』

新たな機能を加えられた符が、
相手のものと寸分違わぬ桜色の衝撃を放ち始めるのを見て、
西行妖が息を呑む。いや、勿論木に所謂呼吸器は無いので、
そういう気配がしただけだけれど。
この子は己の優位が絶対であると確信していたようだ。

ギィン、と金具を引っ掻くような音がして、
私の符の放つ衝撃と、この子の符が放つ衝撃がぶつかり合う。


「ふー、上手くいった、かしら」

これで取り敢えず、妖弾の増加を防ぐことは出来るはずである。
衝撃が妖弾を生むのだから、それを逐一打ち消せば混乱は免れる。
一時凌ぎではあるけれど、何もしないままやられるよりはマシだ。

が、

『・・・まだまだ』

西行妖の呻き声が聴こえると共に、
ぐん、と圧し合う波の片方が押されて弾け飛んだ。

西行妖の発する衝撃が更に強化され、私の生んだ波を打ち破ったのだ。
幾分か緩衝されはしたものの、衝撃はじっくりと宙を伝わり妖弾を生む。

「あらら・・・じゃ、力比べってことで」

このままでは、終わり亡き回避運動に逆戻り、である。
私も符を持ってより強く力を込め、打ち出す衝撃の規模を上げていく。

『む・・・!』

押し返された衝撃を見て、西行妖も更に力を強める。
これはもう、本当に単純な力比べ。

「よいしょ、っと!」

劣勢を甘んじてなるものかと私も押し返す。
余力が大きい方が勝つのだ。
機先を制することにも後塵を拝することにも意味は無い。


押す。圧す。迫る。
巨大な結界同士のぶつかり合う押し競饅頭は、力の余波でまたもや周囲の景観に打撃を与えている。
衝撃が打ち消しあうことで、変化を免れた幻桜が波動のみを受けてやはり吹雪くのが見えた。
しかしそれらに注意を払うだけの余裕があるなら、その分も攻勢に回すべきなのだ。



だから、もう庭のことなど気にも留めない。
一瞬の気の緩みが、負けに繋がる。



しかし、私は自分の気紛れと心語りを止められない。
何故だろうと訝ることも出来ない。
語った所で聞く者もいないだろう、
心中だけを描いた戯曲には、主観にして主観を欠く客観性がありありと見える。




ただ押し合うだけのこの張り合いは相撲ですらなく、
私には力の向きこそ逆でも綱引きに似て見えた。
引いて、引いて、引いて。一対一の綱引きなんて寂しいけれど、
仲間と息を合わせる必要が無いのは楽といえば楽だ。
大体、あの掛け声に何の意味があるのか私にはわからない。





決闘の最中に、そんな馬鹿なことを考えるものじゃないというのに。
或いは、綱引きの仲間を無意識で求めてしまったのだろうか。






「―――様っっっ!!!」






聞き慣れた筈のその声が、何故かとても懐かしいものに感じられて。

「―――妖夢?」

一瞬の内に、心の中に去来した万感を堪えきれず。
私は、後ろから届いたその呼び声に、決闘の事も忘れ、振り向いて、しまった。



衝撃を免れて降る桜吹雪の向こう、
妖夢が、ずたぼろの荒野のようになった庭に立ち、
その大きな瞳を一杯に瞠ってこちらを見ている。

こちら。それは私でなく。



ざあああああああああああああああああああああああああああああああああ、
ざあああああああああああああああああああああああああああああああああ。



押し止める枷から外れ荒れ狂う、桜色の波涛。

それは空間を揺らがせ、桜を変成させ、


音無き音を立てて、妖夢を弾き飛ばす。





* * *

弾ける。弾いて弾いて飛ばして飛ばして弾いて弾いて弾いて飛ばす。
弾き弾かれ四つに分かれた彼女は赤い水を明るい夜にぶち撒けて、
赤い水も衝撃で跳ね上げられこの冥い世界に広く伝えられ、
続けざまに八つ裂き十六斬り短冊に細切れのばらばらミンチ。
そんな料理を注文したのは誰だ?他ならぬ私とあの子。
それを栄養にして、私とあの子が末永く暮らすのだ。
二人で全てを殺せる世界を創るのだ。そうしてそこに永遠を築くのだ。
美味しいね美味しいね、姉さんたちは美味しいね。
美味しいご飯も殺したくなる。死にたくなくても殺したい。
そうして、私たちはそこに永遠を築くのだ。
全てを殺せばもう誰も殺さなくて済む。
だから殺そう。ばらばらにしよう、
最後に、その世界も殺せば、いつまでもいつまでも綺麗で居られるの。

* * *




馬鹿を、言っちゃいけない。

語を間違えるな。飛ぶが主で弾くは形容だ。弾かれて飛んだのではないのだ。
齟齬をそのままにするな。あれは妖夢だ。姉さんたちじゃない。生身の人間とは違う。

いつまで夢を見ているつもりなのだろう、私は。
それは、私じゃない私。
さっきから言っているじゃないか。
それは単なる隣人で、その草が青く見えるのは幻。過去に悦びを見出すのは道を閉ざす事。
他ならぬ、この私がそう言ったんだ、家族たちに向けて。友達へ向けて。



ほら見てみなさい、
妖夢はぼろぼろの滅茶苦茶にされても、
ああして五体満足のままに吹き飛ばされているだけ。
大丈夫だ。何も心配する事は無い。

ぼろぼろの滅茶苦茶になっても妖夢はきっと治る。
そりゃあ今すぐにピンピンして帰ってくるとまでは言わないけれど。


ぼろぼろの滅茶苦茶になっているだけなのだから、死にはしない。それだけなのだ。


ぼろぼろの、滅茶苦茶に。



ぼろぼろ。




ぼろ。



ぴん、と。
何か、糸の切れるような音がした。




―――許せるわけ、ないじゃない。




『嬢』

巨大に響いている筈の西行妖の声が、遠く小さく聴こえる。

全く。こいつには何も見えていない。
目が無くても全てを見る者がいる。
だけど、この子は例え瞳があっても、鏡を見続けるばかりだろう。

『余所見は感心せぬな。
 それ、詰んだ。私の勝ちだ』

その昔よりも遠い声が鳴り止むよりも早く。

ぐぅ、と空気の圧縮される感覚がして、私の周りに咲いた妖弾の華が萎む。

十発、百発、千発。数え切れないほどの弾丸が、
私の結界を擦り切り口減らし枯れ果てさせんと襲い、
茫然とした私はそれら全てを甘んじて受け入れる。
躱す気が無いのではない。忘れていた手段を思い出しただけの話。
私の、本当の切り札のことを。


痛みが私の身体を駆け巡る。
先の根の一撃と同じく、死の操作による擬似痛覚発生。
幾万の弾幕によって齎されるそれは、先刻のものとは比べ物にならない苦行。
しかしその痛みの中にあっても、私は今こうして思考を存続し得ている。
それを、たった一つの感情の勃発が支えているが故に。


本当の切り札は、このルール下において使える物ではない。
一対一、一枚ずつのスペルカード。最初からこの符を用いて戦う事はできない理由がある。

だが、この桜は、この大馬鹿者は。

決闘に関わっていないあの子に危害を加え、
あまつさえそれを一顧だにする事無く私に不意討ちをかけた。
誰がどう言おうが知った事ではない。これは明白なルール違反だ。

そしてそれなら。あの純白の言ではないけど。
目には目を。歯には歯を、死には死を。
思いながら、私は強く、今宵のいつよりも強く力を篭めて。


―――そっちがそのつもりなら、こっちだって!


“死誘”の術を、私自身にかけた。


「っっっっっ!!!!」


苦悶の表情を浮かべる自分を意識するよりも早く。
私は、冥界のような安息の地とは違う、
本当の黄泉路に足をかけた。
死ぬ。


『嬢、何を―――』


先ず、私に届く筈だった誰かの声が死んだ。
存在の全てが死という終わりへ強制的に引き寄せられていく。

次に、私の身を襲う偽りの痛みが死んだ。
有り様が根底から失われていく。

更に、私の身を襲う幻の弾塊が死んだ。
形成する概念が解体されていく。

そして、私が死へと向う。
バラバラの形が本当の綺麗さ、混沌に根源があり、そここそが終焉の地。


走る走る。引っ張られて押されて誘われる。私が私に。
一瞬の事だ。すとん、と穴に落ちるだけの話。

でも、ダメなのだ。それは成就しない。
私は死なない。どう足掻いても押し戻される。

であるならば、それをすら利用して。これは、そういう反則技。

どこまでもどこまでも終わりへと向う、
私の最大最強最悪最古最終の―――再生の術。


「蝶に曳かれ、魂よ。
―――お反りなさい」


死への最後の関門、大いなる終穴自体を操作し、
ぱくぱくと開閉するそれを自らの口に見立てて、私は深淵より新生の産声を上げる。

光源が見える。そこが元いた世界の入り口。
私と共に、今宵死した全てが死の門から凄まじい勢いで吐き出され、
眩い光に包まれて現世へと帰還する。いや、再び到着した、と言うべきか。


私は、詠うように宣言する。



「 ―――反魂蝶――― 」



生きている物全てが発する光に包まれた、生きとし生ける全ての在る世界の、
既に死しても逝きつづける者達の棲家へ、私は、私たちは帰ってきた。


今宵の死を全て還元された冥界は、この宴が始まる前の光景を取り戻した。
もう花の散ってしまった数え切れないほどの桜の木。
死の大地と呼ぶには美しく肥沃な庭土。


『・・・まさかに、な』


妖怪桜の声。私が成したのが、反魂の法であるという事を理解しているようだ。
私の主観では、暗闇と曙光が繰り返し訪れた後に元の視界を取り戻したのだけれど、
西行妖には、私の反魂がどう見えたのだろうか。
しかし。そんな些細な疑問などどうでもいい。

『反魂・・・記憶の蘇生はそこまで・・・』

まず、この大うつけにでっかい懲罰をくれてやらなければ。
一発叩きのめさないと気が済まない。



「馬鹿。私を怒らせるなんて」



勃興した感情は、理不尽への理不尽な怒り、である。
開けた視界は、月光に澄み渡った夜空。
鈍く光る月へ向けて、取り出した扇子を掲げる。

そして、私が念を篭めると。
その先端に、お気に入りの大扇よりも大きな、肥大化した桜色の妖弾が忽然と姿を顕す。


『・・・何? 嬢、今何と?』

桜は察していない。この妖弾が、如何なる出自の元に現れた物か。
私が、何に対して怒っているのか。


「もう謝っても許さないわ。
 あなたには―――この、今宵の死の塊をあげる」


掲げた扇を振り上げて言った私に、釈明を求める声が上がる。


『馬鹿な―――私が何をしたと』

「この、鈍感堅物。昔からそう」


私は鼻でせせら笑うと、
思い切り良く扇を振り被って、
怒気でその声音を一杯に染め上げ、


「妖夢を苛めていいのは、私だけなのっっっっっ!!!」


そこに繋がっていた、死という死を切り離した。


『―――!!?』


死塊を真っ向から受け止める形になった西行妖が、声にならない声を上げる。
それは程無くして桜の結界に接触し、
ガギガギと、世にも耳障りな音を立てて蠕動を始める。


桜の結界がこそがれる。ぞりぞりと減っていく。

桜の結界が食い破られる。ばりばりと食まれていく。

『グ―――が』

殺された桜がさらさらと舞う。潰された空間が膨張して弾ける。

燃え尽きた寒気が飄々と吹き荒れる。消し飛んだ妖気が荒れ狂う。

終わった死蝶がはたはたと踊る。閉じた光線が開き始める。

『ギ―――ギ』

再生に次ぐ新生、新生に次ぐ再生。

そう。その死の塊は、生きているのだ。


西行妖の張る結界は、平常の私と同じく死を利用した結界である。
死を用いて立ち向かっても、力比べになるばかり。
だがそこには、生、それも再生という相反するエネルギーへの抵抗力は無い。


「ふ―――ぅ」

私は大きく息を吐いてから、
冥界の淀みと流れに満ちた空気を思いっきり吸い込む。

死という空っぽは、生を無条件で受け入れるものだから。
死界は、生の破壊力に蝕まれて補完され無害になり、
やがて音も無く消えてしまった。


『グ―――そう、か――失策だった―――』


呟くように言う声が聞こえてくる。
やっと気付いたのだろう。自分がルールを破っていた事に。

「わかってくれて嬉しいわ」

死の桜が散り、木が木としてこの時節にあるべき姿へと戻っていく。
怒りを全部ありのままに叩き付け、
私はさっぱりとした気持ちで消えゆく桜に答えを返す。

どうせ、どんな死を、どんな生を与えたところで。
私にせよこの子にせよ、どちらへ行くことも出来ないのだから。
だからこそ加減無く力を振舞える。本気で怒る事が出来る。


『ふ・・・惨め―――。
 しか――嬢―――前の底―――せてもらった』

「いえいえ。お粗末さまよ」


再生の弾は、結界と本体の死力を還元した後、
そのあり得ざる生の力を世界に押し戻され、消えていった。

散る花の流れに押されて、門が閉ざされていく。
西行妖の声は、急激に遠ざかって聴こえた。



『願わ―――度。見え―――のだ』


「ええ。いいわ。千年先、二千年先になるかもしれないけれど」




「『また、会う日まで』」



『さら―――ばだ』

私が再会を約束すると。
ぼう、と幽かな音を立てて、西行妖の幹にあった冥酒の符が火を噴く。

それは残り香のように、幹を焦がす事も無く、
少しだけ降っている桜の花びらと共に風に流され、
その桜と同様の幻であったかのように、霧散して消え。


この日死んだのは、彼の符、たった一枚限りとなった。



* * *



す、と。
音を立てずに地面へ降り立った私は、
夏を目前にして葉を見せ始めた庭園の桜たちを見遣る。

元通り、である。危険な賭けではあったが、
後々の脅威を思えば何程の事も無い。

ご飯抜きの恐怖に、勝るもの無し。

さて。
私は、私にそれを言い渡す筈で、あの桜に思いっきり吹き飛ばされた、
親愛なる彼女を探しに行かなければ。
傷はもう治っているだろう。反魂は反魂。
彼女をぼろぼろに痛めつけたのがあの桜だなんて、少し考えれば理解できた筈。
それに気付かなかったのは、何故だろう?

「どんなに生きても。どんなに死んでも。
 わかんないことはあるわね」

そう呟いて思考を止め、適当に見当を付けて、庭の土を踏み歩く。

と、その前に。

私は踵を返し、まただんまりになってしまった大きな大きな友人を見上げて。



「お疲れ様。また、来年」



とだけ声をかけて歩き始めた。

もう、振り返らずに。








ようやく秋度が溜まってまいりました。shinsokkuです。

・・・果たして、この後書まで辿り着いた方がどれだけいらっしゃるのか。

長い。長いです。
容量にして、約40KB。何だ、このテキスト量は。
創想話TOPの注意書きも読めないのか、自分は。
癖もあるし、何かおかしいし、おまけに長ったらしい。
こんな文章を好き好んで読むなんて、全く本当に・・・、

本当に、本当に。ありがとうございます。
もう、これ以上のことは自分などには申し上げられません。

ただただ、こんな膨大さにもめげずに読んで頂けた皆様へ、
脳髄が爛れ零れるまで頭骨を磨り減らして平身するばかりです。
あああ、ぐずぐずずずるるずるず。(脳髄音)

さて。爛れるのもそこそこに。ご挨拶をば。

皆様、重ねまして本当に、ありがとうございました。

次回、「E すみかすむ」。終わりまで、どうぞご観覧下さいませ。
shinsokku
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コメント



0.1260簡易評価
10.90名前はまだない程度の能力削除
――幻想は此処に。
見事な冥界組の過去補完作品です。
これほどの文章の密度、そして伏線の回収。
久しぶりに心躍る文章に出会えました。
そして幽々子様のカミングアウトにちょっと笑わせていただきました。

ちなみに、癖のある文章の方が好きですよ(ぇ
33.100名前が無い程度の能力削除
ふう・・・1からここまで一気に読了した!
何かと避けられがちのオリキャラ・派手なオリ設定てんこ盛りにも関わらず、それがまた良い味を出していて面白かったです!
幽々子様のカリスマも存分に堪能させて頂きました
エピローグも読んでいくつもりですが、ここで感想として足跡を残していくことにします