目を開けたそこには見知らぬ天井があった。
紅を基調としたその天井には様々な紋様が施されている。
その紋様の線は僅かに光を帯び部屋をほんのり明るくしていた。
「咲夜!」
起こした体に突如、誰かが抱きついてきた。
妙に鉄の錆びたような匂い、つまり血の匂いが物凄くしたのでとりあえず抱きついている誰かを引き剥がした。
さほど力を入れずに簡単に離す事が出来た。
「れ、レミリア様!?」
慌てて掴んだ手を離した。
そこにいたのは普段の赤い服をさらに血で赤く染めたレミリアであった。
掴んでいた脇腹は服が裂けそこから血が滲み出ていた。
肌は死人の様に白くとても生きているという感じがしない。
誰が見ても無事とは思えないその少女は顔を涙で濡らしながら笑っていた。
「よかった。本当に・・・」
倒れるかのようにベットに崩れるレミリア。
「レミリア、様?」
肩を揺すっても何の反応も示さない。
揺すった手の平には暖かさを感じなかった。本当に死んでしまったかのような冷たさだ。
咲夜に一つの不安がよぎった。
死とは無縁と思っていた少女の死という不安が咲夜を強張らせた。
「嘘ですよね。レミリア様・・・」
どんなに強く揺すっても何の反応も見せてはくれなかった。
揺り動かす手に従い、人形の様に動くだけであった。
「レミリア様!」
「大丈夫よ。」
顔を上げた先には紫色の髪を持つ少女。
淡い紫のネグリジェを着こなした少女はレミリアを担ぎ隣のベットに移した。
脇だけでなく全身に同じような傷が多数あった。
「ただ寝ているだけよ。」
少女の言う通り、隣のベットからは安らかな寝息が聞こえてくる。
「大量出血による一時的な身体機能の低下、極限まで高めた身体能力による体への負荷、それらによる衰弱」
淡々と話す少女はこちらに向き直りながら、レミリアの容態を説明しているようだ。
向き直った少女は目が悪いのか目を細めている。
「おまけに能力の長期使用、魔力の大量消費による精神疲労。心身共にボロボロね。」
「あなたは?」
「まだあなたには自己紹介してなかったわね。」
さも面倒そうにこちらを睨みつけてくる。
実際、睨んでいるのか細めているのか分からない。
「パチュリー・・・パチュリー・ノーレッジよ。そして、彼女がリトル。」
「よ、よろしくお願いします。」
「ええ、こちらこそ。」
何故か、おどおどとした態度でこちらへお辞儀をしてくるリトルという少女。
艶やかな赤い髪を持った少女は申し訳ないほど頭を下げている。
「じゃあ、リトルはレミィの方をお願いね。術式の展開はさっき教えたとおりよ。」
「は、はい。」
挨拶を終えるや否や、パチュリーと名乗る少女はリトルに指示を出していた。
隣のベットに駆け寄っていった赤髪の少女は1冊の本を片手に詠唱を始めた。
魔術書の類なのだろうその本は声に反応し赤い光を放ち出し、レミリアを中心に複雑な魔方陣が造っていく。
赤く光る魔方陣が形成され強く光りだした。光の中、レミリアの顔色が徐々に良くなっていくのが見えた。
「さあ、今度はあなたの番よ。」
その様子を見て安心したのかパチュリーはこちらに向き直り右手を胸にかざした。
かざす先には縦長に切れ込んだ穴が開いていた。
咲夜は手をかざされるまで自分の胸にそんな穴が開いていることに気が付かなかった。
小さな呟きとも思える詠唱に応答し、少女の髪に止めた月のオブジェが淡く光りだす。
手の平より小さな魔方陣が造られ、薄緑色のその光が胸に開いた穴を徐々に小さくしていった。
「全く、レミィは何を考えていていたのかしら。」
胸に手をかざしたまま、愚痴のように漏らすその声は少し飽きれているような声であった。
「レミィに感謝するのね。」
数分後、治療を終わったのかパチュリーはかざしていた手を下ろした。胸の傷はすっかり消えていた。
立ち上がったその額にはうっすらと汗を滲ませながら、ふらふらとした足取りで部屋の出口に向かっていく。
「後で、私の部屋に来てちょうだい。話したい事があるから。」
壁にもたれながら、部屋を去っていった少女。
「パチュリー様・・・」
赤い髪の少女も治療を終えたようで、その弱弱しい背中を見つめていた。
レミリアも治療前にあった全身の傷は無く血の気も幾分良くなっているように見えた。
「ねぇ、リトル。一体何があったの。」
*
「・・・・・・」
眩しい日の中、チュンチュンと小鳥の囀りが聞こえる。
いつものように迎える朝。清清しいはずの朝なのに自分の心はもやもやとした霧がかかっていた。
ここ数日、職務に没頭している時も消える事が無いその霧はとても深かった。
―――コン、コン
一つの扉をノックした時、その霧はさらに深くなった気がする。。
ノックをしても中からは返事はなかった。
「・・・失礼します。」
普段なら造作も無く開けられるその扉は鉄の扉のように重く感じられる。
開け放たった室内は真っ暗である。窓の厚い遮光カーテンが日の光を完全に遮断しているためだ。
灯りがなければ何が何処にあるのか分からないほどの暗い室内。
部屋にあるランプに火を灯し、室内は僅かに明るく照らされた。
その部屋の一角にあるベットに一人の少女がいつものように座っていた。
「今日は珍しい物が手に入りました。」
ベットの隣にあるテーブルに持ってきたティーポットを置いた。
カップに注がれる暖かなお茶は白い湯気を立ち上る。
「竹の花を使った紅茶なんです。」
カップに生えるような見事な紅い紅茶。
六十年に一度咲くか分からない竹の花を使った贅沢な紅茶は、そっと少女の膝元に置かれた。
しかし、少女はカップを取ろうとせず部屋の壁を見続けたままであった。
竹の花を使った紅茶の不思議な香りを前にしても、ベットにもたれる少女はカップを掴む事が無く時間だけが過ぎていった。
膝元に置かれた紅茶はすっかり冷めてしまい、紅茶の香りも無くなってしまった。
ポットに入れられた紅茶もきっと冷めてしまっているだろう。
「・・・入れ直してきますね。」
膝元に置かれたティーカップを取ろうと手を伸ばした。
カチャンッ
音を立ててティーカップが床に転がった。
中に入っていた紅茶は絨毯にこぼれしみをつくっていく。
伸ばした手にはベットにいた少女が抱きついて、いや噛みついていた。
何の反応も示さなかった少女が不釣合いな二本の牙を腕に突き立て、そこから滲み出る血を少女は舐めていた。
「お腹が空いていたんですか。」
優しく銀色の髪を撫でる。幼い少女は意も介さず血を舐め続けていた。
一心に・・・
それから暫くして少女は咲夜の腕から離れた。口の周りを赤い血で汚しながら拭おうともせずまた部屋の壁をただ眺めていた。咲夜はそんな少女の口元を拭きながら布団を膝元までかけ直した。
少女の名はレミリア。
スカーレットデビルと恐れられた吸血鬼は今そこにはいなかった。
光を失った瞳。反応を示さない小さな体。ただ生きる本能だけで一心に血を啜る哀れな吸血鬼がそこにはいた。
そっと撫でる髪はさらさらとし、触れた頬は暖かい。
それだけが、少女がここに居ると実感出来ることであった。
「また、夜に伺いますね。」
それだけを言い咲夜は立ち去った。
閉じられた部屋の扉の音が朝の静かな廊下に響き渡った。
ドアに持たれた体は鉛のように重く、心が痛かった。どうして痛いのか分からないのことが咲夜をさらに苦しめた。
ただ、心が潰されるように重くのしかかるその感情は日に日に増していた。
悲しむ事を知らないその心はただ彼女に漠然とした苦しみしか与えなかった。
こんな状態が一週間近くも続いていた。
*
「・・・パチュリー様にお茶をお持ちしようと廊下出たんです。」
数刻の説得に応じリトルがその重い口を開いた。
リトルはその時見た光景を話し始めた。
「いつもの廊下を歩いていたら、血の匂いがして、匂いを辿って行ったら、辺り一面、血が飛び散っていて、元の形を留めない程の大量のナイフで切り刻まれた警備のメイドさんたちが居て、そ、それから、それから・・・」
血と銀に埋め尽くされたその世界にレミリア以上の恐怖を感じただろう。
リトルは肩をかすかに震えさせていた。
「その中を、歩いてく、るんです。レミリア様が・・・全身から、ち、血を流しながら咲夜さんを、抱えながら、レ、レミリア様が」
血と死臭の漂う廊下を進むレミリアの体には何本ものナイフが突き立てられているのに平然と歩いてきたらしい。
歩くたびに血を流しながら、
「と、とても歩けると思えな、いその体で、あ、歩いてくるんです!」
「落ち着いて、リトル。」
何かに取り付かれたように歩くその姿を思い出したのか、歯をガチガチと鳴していた。
とても正気とは思えないほど動揺したリトルを落ち着かせようと手を伸ばした。
「さ、咲夜さんだって!」
何かに怯えたような声と同時に後退するリトル。まるで、幽霊でも見るような目を向けていた。
彼女はあの時の事を否定するかのように叫んだ。
「その時、死んでいたんですよ!」
「リトルに呼ばれて駆けつけた時、確かにあなたは心臓をナイフで貫かれ死んでいたわ。」
本が乱雑に積み重ねられた机の主は平然と答えた。
リトルの話の後、咲夜はパチュリーの書斎を訪れていた。
「死んだって・・・」
「鏡を見てみなさい。」
すぐ横に壁にはめ込まれた大きな鏡があった。
何の事か分からなかい咲夜だがとりあえず覗いてみた。そこへ映るのは血で紅く染まったメイド服に身を包む自分自身。
胸の部分は治療の時には良く分からなかったが、確かにナイフで刺されたような穴が開いていた。
それ以外、何も変化が無いように見えた。しかし、視点が上にいくにつれてその事に気がついた。
瞳が血のような紅い色をしていた。
「これは憶測だけど」
鏡を食い入るように見る咲夜にパチュリーは一つの推測をたてていた。
「恐らく、何らかの吸血鬼の因子が作用してあなたは一命を取りとめた。そして、それが副作用といった所かしら。」
「では、私は吸血鬼になったんですか。」
「そこまでなっていないわ。身体機能が活性化した程度よ。そのおかげで死んだはずの体が辛うじて生きかえった。」
吸血鬼の特徴である牙が生えていないというパチュリーの言う通り、咲夜には牙が生えていなかった。
「それと、レミィの能力ね。」
「レミリア様の能力?」
「運命を操る能力よ。あなたはそれによって死の運命を回避したんでしょうね。」
パチュリーは読んでいた本から顔を覗かせ、咲夜に向き直った。
その瞳を細め咲夜を見る。
「・・・止血も治療も受けずに一昼夜もの間、能力を酷使し続けたのよ。あなたの為に」
目が悪いから目を細めているのではなくはっきりとした憎しみを持って咲夜を見ていた。
自分の命を捨てる覚悟で助けた人物を親友として許せなかったんだろう。
「もう話す事は無いわ。」
再び本に目を落とした幼い魔女に咲夜は何も言い返すことが出来なかった。
*
一日の仕事がようやく終わり自室に戻った咲夜はいつものようにナイフを手入れをしていた。
しかし、ナイフを何度磨いているのにいっこうに輝きが出なかった。
別のナイフも同様で何度試しても結果は同じであった。。
「もう、こんな時間なのね。」
部屋に置かれた時計の鐘の音に我に戻った咲夜はその時間に少し驚いた。
時計は十二時を示しており数時間もの長い時間、手入れしていたからだ。
少し遅くなってしまったが夜の巡回をしなければならなかったので片付けもそこそこに部屋を後にした。
夜になると廊下は真っ暗になり、壁に付けられたランプだけでは決して明るいとはいえなかった。
それに今日は新月。月が昇る事の無いため廊下はいっそう暗く感じられる。
誰も起きていないのか廊下には咲夜の歩く足音しか聞こえなかった。
暫くし、ある一室の前でその足音は止まった。
―――コン、コン
静かな廊下に酷く大きく響いた。
あの日から同じであるように中からは何の返事もなかった。
ゆっくりとドアノブを廻した。
中から返事が無いのが当たり前となってしまった事に酷く胸が締め付けられた。
その扉は相変わらず鉄のように重い。
「失礼し・・・」
扉を開いた時、自分の目を疑った。
部屋のカーテンが開け放たれており、そこには昇るはずの無い月が顔を覗かせている。
真っ赤な紅い月が窓いっぱいに映し出され、一人の小さな人影を浮かび上がらせている。
佇むその背中には一対の特徴的な小さな蝙蝠の羽があった。
「遅い。一時間も遅刻よ。」
幼さの残る声は少し怒っていた。
「待っている間、喉が渇いてしょうがなかったわ。」
ふわりと服を舞わせながら振り返る少女はとても楽しそうに話す。
「何か、おいしい飲み物はあるかしら。咲夜。」
こちらを見る紅い少女はとても吸血鬼とは思えないほどの笑顔だった。
「・・・・・・」
「ん?咲夜、聞いてるの。咲夜~」
「えっ、あ、はい。」
茫然と立ちすむ咲夜に寄ってきて目の前で手をパタパタとする少女は間違い無くレミリアであった。
「え、え~と、珍しい紅茶があります。」
「じゃあ、それを頼もうかしら。」
「かしこまりました。」
お辞儀をして出ていく咲夜。
廊下を歩くその瞳には溢れんばかりの涙を溜めていた。
頬を伝い落ちる涙は堰を切ったように止めど無く流れ出す。
壁に背を預け泣き続けていた。
紅い月が見守る夜、静かな廊下に一人の少女の鳴き声が響き渡った。
― * ―
あの時、彼女は言っていた。
「私が仕えたレミリア様はよく言っておりました。」
――― 運命が見えるのも難儀なものよ。
結末が見えているからそれに従って行動するだけ。
でも、その過程を自分で探すのがなかなか面白いの。
数多ある可能性の中に変わった結末があると思わない?
「その時の言葉がようやくわかった気がします。ただ、少し遅すぎました。」
涙を流すその顔には笑っていた。
そして、幻のように彼女は消えていった。
その世界も崩れ、傍らには消えていった少女と同じ少女。
安らかに目を瞑る少女はその生を終えていた。
二度と覚める事の無い少女の笑顔が見たいと思った。
「私の我侭に少し付き合ってちょうだいね。咲夜。」
それが私の覚えている最後の記憶だった。
目が覚めてから数日が経ち、ようやく調子も戻ってきた。
なんだか私が死にかけていたらしく、パチェなんか私が起きたと聞いてすっ飛んできて物凄い力で抱きしめてきた。
あの体の何処にそんな力があったのかと思えるほどの力で、危うく意識が飛びそうになった事を覚えている。
そんなこんなで今日ようやく部屋から出る事ができ昼の一時を外で過ごしていた。
大きな日傘が取りつけられたテーブルで咲夜の入れてくれた竹の花入りの紅茶を飲んでいた。
「で、食料の方はどうなったのかしら、美鈴。」
「そ、それがですね。生きのいい人間を狩ろうと襲ったんですけど、その人間がなかなかの強者でして刀でズバッっとやられてしまいまして・・・」
「で、むざむざ負けた挙句に二週間近く何の収穫も無しに帰ってきたわけね。」
「はい・・・」
目の前では正座をした美鈴を咲夜がナイフを片手に弄びながら話していた。
咲夜も随分と変わったとこの頃思うようになった。
前みたいに私の事を避ける事が無くなり、よくお茶会と称してパチェとも話を交えたり、美鈴とも仲良くやっているようだ。
何が咲夜をここまで変えたのか分からなかったが今はとても満足している。
「貴方にはとっておきの休暇をあげるわ。」
「嫌な予感がするんですけど・・・」
「妹様のお部屋で7泊8日の長期休暇をあげるわ。」
「嫌です!妹様の部屋でなんて!」
「酷いわ、美鈴。フランと一緒に居たくないなんて」
「いえ、決してそういう訳では・・・」
少しからかい半分に言ったら美鈴は酷く動揺した。見ていてとても可笑しかった。
「なら、逝きましょうか。美鈴」
「ちょ、ちょっと待って咲夜さん。心の準備が!」
「心の準備は着いてからにしてね。」
「そんな満面な笑顔なのに目が笑っていないですよ。」
ズルズルと引きずられて行く美鈴。
必死に抵抗しているみたいだけど咲夜には敵わなかった。
まあ、少し可哀想だけどフランもある程度は手加減できるでしょ。・・・多分。
咲夜も今まで以上に仕事に力を出してくれるのは良いけどその度にメイド達を医務室送りにしていたら何時かメイド達が居なくなってしまうのが少し心配である。
まあ、それも彼女の本当の姿のだろうと思った。
前とは違う生き生きとした咲夜を見るのが毎日の楽しみである。
それに、一番変わったのは
「咲夜。紅茶のおかわり貰えるかしら。」
「少々お待ちください。『お嬢様』」
笑顔で答えてくれるその言葉が一番嬉しかった。
長かった春が過ぎ、幻想郷は夏を迎えようとしていた。
レミリアが意識を失っている間の咲夜さんの反応がとても良かったです。
最初から最後まで楽しませてもらいました。
この二人が幸せに過ごせる事を祈ってます。
後、美鈴の無事も祈ってます( ̄▽ ̄)
でも設定ではフランって手加減出来ないんですよね(笑)
>誤字
パチュリーはかかざしていた→パチュリーはかざしていた
カップを掴む事が無く時間がだけが→カップを掴むことが無く時間だけが
リトルの肩をかすかに震えていた→リトルは肩をかすかに震えさせていた
又は、リトルの肩はかすかに震えていた
片付けもそこそこ部屋を後にした→片付けもそこそこに部屋を後にした
こちらのほうが読みやすいと思いました。
後、自分の命を捨てる覚悟で助けた人物を親友として許せなかった。
断定しているあたり、パチュリー視点だと思うのですが、前の文章の視点からだといきなり視点が変わったという印象を受けるために、少々不自然な感じがしました。
この場合は、自分の命を捨てる覚悟で助けた人物を親友として許せなかったんだろう。のほうが流れてきに良いと思いました。
咲夜の心情が良く表現されていた所がとても良良かったです。
ただ、誤字脱字が少し目立った所が文章の流れを止めていた感があったので次回からは少し読み直してからの投稿をお勧めします。
言ってみれば、彼女達の明るさはまだまだこれからなんだな、という。話としてはこれで終わりだけど、彼女達の明るい物語はこれから始まるんだよ、という感じです。うまく言葉に出来ませんが。