* * *
「――」
私は誰かに両の肩を掴まれ、がたがたと揺すられている。
「――」「――」
「―――」「――」
「――。――」
がやがやと騒がしい声。
私の知らない人たちの、とても楽しそうな雰囲気と、
“私”の知っている人たちの、とても懐かしい雰囲気。
皆が、寝こけた私を起こそうとして悪巧みをしているのだ。
何だか、そこで起こされてやるのも癪だったので、
私は彼らが去ってしまうまでは絶対に起きてやらないと誓った。
「はいはい、御免なさいねご家族の皆さん。ちょっとどいてて」
喧騒を割って、私の友達の、“私”の友達の声が聞こえてくる。
八雲紫。
「――」
「―――!」
「――。―――」
「――」
「―――?」
「―――」
「あー、良いわよそんなの。それより私、ちょっとその子に用があって」
所在なげな紫の声を遮るようにぺちゃくちゃと喋る騒音たち。
彼らが何者なのかは“私”には確かに判るが、
それが不明でないことを不審に思いたくて、
私は薄く目を開けてちらっと目の前の平和を覗いた。
うっすらと見えた外。そこには草色の野原が広がっていて、
数名の男女が野に腰掛けて歓談している。
阿々禰。長姉で、西行寺家次期頭首。私以上のうわばみ。
無意識下の力、自我の不変を保つ程度の能力。
迦々璃。私の一つ上の姉。一家当代の顔。
無意識下の力、蒼穹を描画する程度の能力。
沙々花。私の一つ下の妹。誰よりも家族皆を愛する。
無意識下の力、和合を調律する程度の能力。
多々瑠。長男で、年は下から二番目。姉弟の黒一点。
無意識下の力、四海を見聞する程度の能力。
南々妓。末娘で、この子だけは養子。異能の捨て子。
形而上の力、玉石を鑑別する程度の能力。
ああ。なんて懐かしい人たちだろう。
いや、なんだこの変な人たちは?
私の心は二つの感想を提出する。提出先も私の心だから、帰ってくる答えも判りきっているのだ。
嗚呼本当に。皆元気でいてくれたんだ。
いやおかしいな、皆私が殺した筈だわ。
「――」
「―――」
「――」
「――!」
「あー・・・」
「――」「―――!」
「――」「――!」
「――?」「――――!」
「―――?」「―――!?」
「――?」「――!」
「「「「――――」」」」
「――――!」
のっぱらで好き放題にはしゃぐ我が最愛の、私には無縁の姉弟たち。
私の友達は、彼らがそうして一向に道を開けないのに苛立ったか、
「うっさい。退きなさい、脳天気姉弟」
と不機嫌そうな声をあげて、どこからか取り出した日傘を大振りに振るった。
すると、何をどうされたのか姉弟たちの姿が徐々に薄らいでゆく。
「――」「―――」
「――!?」
「――――」
「―――」
少しずつ背景の空に溶け消えて、
そうして最後までみんなは享楽的に笑っていた。
風。少し肌寒く感じる、寂しげな一迅。
でもそれは、帰る家がある者にとっては、
家路を歩く足を後押ししてくれる、優しげな吐息なのだろう。
姦しい人たちがいなくなり、
そこには私を良く知っている、“私”を良く知っている彼女が佇んでいる。
「ふふ。相も変わらず、騒がしい人たちだわ」
紫は空を見上げて軽く慎ましやかに手を振ってから、
私に目を向けて呼びかけてきた。
「もう起きてるんでしょう。
ね、ここがどこか。判るかしら、幽々子?」
・・・ばれている。
さっきも阿々禰姉さんと南々妓には気付かれてたけど。
彼女たちが去ってしまったので、私は瞼をしかと開いて紫と眼を合わせた。
「紫。ここが何処か、と聴いたの?」
「ええ。判る?
此処が何処なのか、今のあなたは誰なのか、
そして何故私が此処にいるのか」
「問題が増えてる増えてる」
「添削してあげるから、答えて御覧なさい」
「そうねぇ、ここはどこ?私は誰?なんで紫がここにいるの?」
「言うと思ったわ。じゃ正答率0%のよしみで全問正解にするわよ」
「ありがとう。で、質問の答えは?」
紫はそこで目を伏せ、そのままで私に近づいてきて、
隣まで来てから寝転がっている私と添い寝するように寝そべって言う。
「・・・此処は貴女。あなたは此処の貴女。
私は、此処の貴女が此処に来る事を知って、
前もって此処に来ていたのよ」
「ああ、はいはい。大体判ったわ」
「じゃ一問一答よ。今度は全問正解するまでやめてあげないから真面目にね」
「そんな時間あるの?」
「ここの時空は三歩進んで二歩下がる。些細なことは気にしないで答えて」
「了解了解。じゃ、どうぞ」
「ここどこ?」「私の中の私の中」
「あなた誰?」「私の中の私の私」
「あなた何?」「幽々子のアカシック。入り口と出口」
「今は何者?」「西行寺幽々子。『屍姫』。“桜(チェリィオーダー)”」
「何があった?」「記憶の絶壁に橋がかかったの」
「私は誰かな?」「空を隔てる八ツ雲。私の友達」
「何してるの?」「混乱中。橋がぼろくて崖が崩れちゃう」
「手助けいる?」「橋の利用者が多すぎ。交通整理、よろしく」
息も継がずに問い掛ける紫に対して、
『私たち』はゆっくりと返答し続けた。
最後の問いを終え、私の答えを聴いた紫は、
複雑そうな顔をしながらも答えてくれる。
「ううん、大正解。わかったわ幽々子。橋を封鎖すればいいのね?」
「いいえ、折角空いた穴、そんなにすぐに塞いではダメ」
「・・・今のあなたに聴くけど。
いいのかしら、この結界はあなたの記憶を封じてるのよ。
生前のあなたが最後に私へ依頼した仕事の産物、過去を包んだ袋なの」
「いらなくなったわけじゃないわ。
ただ、密閉することにどうしようもない冷たさを感じたから」
「家族が恋しくなった?
恋しがるべき家族の存在を思い出してしまったから?」
「あの涼しげな風に含まれた暖かみを改めて知ってしまったから」
「その記憶も封じればいいのではなくて?」
「封印は一つで充分。それとそれ以外を隔離する密閉の線は、
相互の哀しみを生み出すわ。今の私にはそれが手に取るようにわかる」
「今だけが楽しければ良い、が刹那の人生で、
あなたは死後の生にそれを望んでいたわ。それを捨てるのかしら」
「いつまでも使いつづける物をオブラートとは言わないわ。
固執、妄執、どちらも遠いわね。
遠い昔日の悲しみも、刹那を悦楽に思うためのエッセンスよ」
「重荷とは思わないのね」
「過去の自分は過去の自分という名の他人。私の後ろに立つ少女。
昔日の残照に対して否定も肯定も虚しいだけよ。隣人とは仲良くしなきゃ」
「ああ・・・そう。ようやく、そう思えるようになったんだ。おめでとう幽々子」
「ありがとう紫。だから、過去の水槽に空気穴だけ残しておいて、
余計に水が漏れて来ないようにして欲しいのよ」
「そう、それは今のあなたにしか頼めない事だから」
「そう、それは今の私を見ているあなたにしか頼めない事だから」
つらつらと語り合う。この友とこんなに長く語り合ったのも久々だ。
紫が大きく深呼吸してから、呼気の勢いに任せて一気に立ち上がって言う。
「危ないわね。気をしっかり持ちなさいよ幽々子。
境界が揺らいで貴女と私の線引きがぼんやりしてきている」
「あら紫、あなたが弄ったんでしょう?」
「ふふ。結局の所、気まぐれに過ぎないんでしょう?」
「気まぐれに生きないと、冥界は退屈でしょうがない」
「現世でも同じ事言ってたわね。あなたは冥界で見る夢に飽いたのかしら」
「新境地の開拓はいつも来訪する精神によって行われる。
あの純白の妖怪は私にとって最高で最悪の挑戦者だわ」
「ふうん、純白って?」
「墨染めの花と書いて、すみか、だそうよ」
「すみか。でもそれって・・・」
紫が私に何か言いかける。と、その姿がぐらりと歪んだ。
『私たち』の夢の界が消えようとしている影響だろう。
それもそのはず、私が“私”を他人と認識した以上、
“私”が私を自分と認識した以上、
同じ『私たち』でいるのは無理な話である。
湖面にたゆたう像のようになった紫が、ぐにゃぐにゃ歪んだ姿のままでなお言う。
「終わりが近いのね、あなたの。短い間だったけれど、楽しかったわよ」
「それはどうもお褒めに預かり。これからも私をよろしくお願いね」
私は、いや『私たち』は、いつもいつまでも私の友達でいてくれる、
何だかんだで世話焼きの彼女へ微笑を向けた。
紫は少しだけはにかんだような表情を見せてから、
何時の間にか取り出した扇子で顔を覆い、
いつもの妖しい笑みを浮かべて言う。
「さて、それは貴女次第だわ。
こんなところで寝てる場合じゃないってこと、忘れてない?」
* * *
***
ほんの一瞬。私は全ての“私”を見た。
つまるところ私は常に綺麗だったのだ。
一瞬のうちに“私”の夢を読了して思ったのはそんなことだった。
だけど、夢は夢。その全てを覚えていられるのはごく僅かな時の間。
細かい事なんて覚えていても仕様がないから。
忘れるままに忘れ、大切な夢への扉だけは大事に大事に鍵をかけておく。
さっきまでの私は、鍵をその扉の内側に置き忘れた私。
不意に開いたドアの向こうから転げ落ちてきた鍵は、
今、心の中の私がしっかりと手に持っている。
さぁ、この鍵を持ち帰ろう。
まずはこのドアを開いて、私が、私がいる場所へ帰ろう。
***
「・・・忘れてた」
ざぁ、という強い風を感じ、急激に引き戻される意識。
突如蘇生した第五までと、即座に停止する第十までの感覚。
帰って来たのだという実感と、もう戻ることは出来ないのだという虚脱。
反転した世界がもう一度反転して、
元の形と同じをしている筈のそれが全く違った形に見える曖昧な記憶の美化。
私は帰ってきた。帰ってきた。
月光と、それよりも強い桜光の海と、そのところどころから天を衝くように伸びる黒き根。
我が家の妖怪桜が満開でも無いのにあつかましく咲き誇っている夜だ。
紛れもなく、私は帰って来たのだ。
自分が何処かに行っていたという意識はあったけれど、
何をどうやって帰ってきたのか、そもそも何処へ行っていたのかを思い出すよりも早く、
その意識自体が薄らいでいく。
でも、どれだけ希薄になろうと、それはもう金輪際消えないのだ。
少なくとも、消えないものになったのだと言える程度の夢を、私は確かに見た。
消せない過去。居残りつづけるしこり。
それを旧習の痛みと捉えるか忘れ得ぬ隣人と捉えるかは、結局私の心の匙加減一つなのだから。
地獄の責め苦を受けるでもない。私は今、誰よりも楽しく、生きながら死んでいるのだ。
「って、あれ?」
心中で数百年ぶりの己の成長を自画自賛していた私だったけれど、
そうしている内に、なんだか辺りの様子が少々変である事に気付いた。
私が飛びっぱなしで寝こけている間に、事は次の段階に移行してしまったのだろうか。
よく目を凝らして周囲を見渡してみると、視界の端、遠くの方に何かが見えた。
その何かが、私には色とりどりの妖弾のように見えるのだ。
弾幕。何故か、その単語が物凄く懐かしいものに思える。
遥かに遠い果てからの旅路、通過点の一つに立っていた歓迎の看板のような無辜の好意。
暖かいというには殺伐とし、恐ろしいというには救いに満ちたコミュニケイション。
その方向からは時折、「ひょわああぁぁぁ・・・」とか、
「うきゃああぁぁぁ・・・」とかいう只ならぬ悲鳴が爆音とともに聞こえてくるけど、
今の私にはその切羽詰った声音が美しいBGMにしか思えない。
それは勿論、その向きに度々見え隠れしている純白の物体を確認したからである。
「ふっふっふ、いい気味だわ、白いのA」
私に変化を齎すなんて大それた事をやってのけたあの白色妖怪を憎たらしく思うと同時に、
自分がにやけ顔のままでいる事を喜ばしく思う。
私は憾み辛みなんてものを無くす為に今の自分を生きているのだから。
純白の対戦相手は見えなかったが、そいつはきっと、
私が呆けている間この身を守ってくれていたのだろう。
無防備な私を、あの純白が放っておく筈が無い。
誰だかは知らないけれども、ありがたいことである。
「さて・・・そんなことより」
眼下の雲、その先に根を張っている筈の桜の木を睨みつけ、
「桜さん。いつまで大人しいフリしてるつもり?」
言いざまに私は己の力を周囲に振り撒いた。
私の能力の中でも最もシンプルな術、
生死の直線上にいる生命に死へのベクトルを与える“死誘”の力を受け、
私と西行妖を遮断する桜花の壁はみるみる枯れ落ちて、
桜色の雲に月光の直射する晴れ間を作り出す。
黒よりも玄い幹を月下に晒し、西行桜はざわざわと花を散らして揺らめく。
「私が鍵を手に入れたということは、
つまりあなたも門を手に入れたということに他ならない。
そうでしょう?忌むべき伴侶ですものね、私たちは」
ざざざざざ、と桜の海が波打った。
だが、この海はどんな大波を生んでも、そこに津波を起こさない。
寄せる白浜を持たないからだ。
この桜色の結界は波打ち際の無い絶陸の大海。
西行妖、死を操るこの妖怪桜には、両端まで死海が広がる世界しか作れないのだ。
命を優しく生む母なる海も、生を強く育む父なる陸もこの妖怪の世界には絶無。
『否、私はそのままで良い筈だった』
「そうね。自業自得だわ」
声亡き声。でも、これにわざわざ驚く私ではない。
起きてから一日くらいは、その日見た夢の内容を覚えていられるものだ。
だから、私はこいつの、いいえ、この子の声に聞き覚えがあって、
これまで一度も口を利いた事の無かったこの妖怪が喋る事に違和感を覚えたりはしないのである。
『それもまた否。触れ合うを求めたは双方よな』
「そうだったかしら。なら、どちらも悪くないのね」
『是非もあるまいに』
「あら、あるわ。私の記憶はまだ朧なのだけど、
あなたはそもそも忘れていないのね?」
『転換が早い、が、然りだ。なら聞こう、
どこまでの記録を蘇生した?』
「一応全部だけど、あんまり時間が無かったからねぇ。
読み飛ばしたせいで、ところどころがもう曖昧になってきてるわ」
『怪しからん読書よ。昔より変わらぬ』
「読みたいところだけ読み返せばいいのよ」
『良い、栓の無い事。単刀直入に聞く。
どちらが勝ったか覚えているか?』
「ああ、そんなこと。勿論私の圧勝よ。キレイな方が勝つのだから」
『異な事を。己の死を歪めるか、嬢。勝ったのは私だよ』
「意地っ張りなのは変わらない、かしら?」
『それもまた互いに、よ』
「全くだわ」
永き時を目と鼻の先の距離で過ごしながら、
私は本当に久し振りにこの子の声を聴いている。
しかも、昔はこの声を恐れていたのに、
今の私はそれを聴くのが嬉しくて楽しくて仕方が無い。
当然だろう。旧友との邂逅はいつだってかくあるべきだ。
しかしそれにしてもこの子、こんなに喋れる奴だっただろうか。
私に対してこの子が語りかけてくることはままあったけれど、
二人でまともに会話をしたのはこれが初めてのような気がする。
「あなたは何を望んでるの?」
『ただ、決着をのみ。八つ雲が水入りに貶めた、彼の桜色の死合のな』
「元気ねぇ。私、今日は働き詰めでちょっと疲れてるんだけど」
『今宵が最初にして最後になるやもしれぬと知っても?』
「あれ、そうなの?」
『開いたには開いたがこの門には鍵穴が無い。
加えて、もう春も終わろうという頃よ』
「花が散れば扉も閉じる」
『私自身は扉を叩くことも適わぬ所を、
あの白い塵が外から戸を開けた。
その間隙を縫って、今こうして動いているだけのこと』
「あの白いのを飼えばいいじゃない」
『それが無理だから言っている。わかるだろう?
あの塵は憾みの酒。一夜を置けば、大気に溶け消える』
「知ってるわ。言ってみただけ」
『なればこそ私もお前もアレに触れられた。許さざるを得ぬ』
「償いのつもり? 結構、殊勝なのね」
『詮方無い。私からアレに詫びる事は出来ぬ』
「そんななりして、お人好しだこと」
『統べる者が下々を気遣うは必然』
「ふふ、思い上がるのも程々になさい」
『挑発するか、嬢。疲れたとは嘘か』
「ええ、遠慮は要らないわ。
―――だって、シメはあなたくらいじゃないと、格好がつかない」
『意気や、良し』
ざざ、ざざざ、ざああああああああああああああああああああ、と。
桜の力強い、でも私にしか聴こえない声が打ち鳴らされると、
巨大な滝が岩壁を容赦無く叩きつけるような轟音が響き渡る。
恐らくは、幻想郷を覆っている全ての桜花が呼応し、ざわめいた音。
その全てが、私を打倒する為に蠢き騒ぐのだ。
ただ、その為だけに。
―――こんなに嬉しい事は無いじゃない。
「ふふ、本気なのね」
『なに、どちらも、どちらをも殺し得ぬ決闘をするのみ』
「そうねぇ。死闘なんて、死よりも深い終わりを呼ぶだけ」
『決着のみを望む。方法は問わぬ』
「それなら、当然」『弾幕、であろう?』
「上等よ、“終局伴侶(ハズバンド・オブ・ジ・エンド)”。それでこそだわ」
『上等だ、“終局伴侶(ブライド・オブ・ジ・エンド)”。そうでなくてはな』
***
火蓋が斬って落とされ、
ここに、この夜を締めくくる弾幕の宴が始まった。
だが、それは弾幕戦と呼ぶには些か度を越す、
壮麗ではあるが優美ではない超常の力同士のぶつかり合いであった。
終わり亡き姫は背に負った巨大な扇を手元の扇で操り振るう。
一振りで幾千の枝と数万の花が枯死し、
その亡骸一つ一つが幻の蝶となって巻き上がると、
壮絶な竜巻を巻き起こして西行妖を襲う。
一度見舞われれば、大国の主要都市が死都と化す程の攻撃。
終わり失き桜は逞しき根の数本を束ねて振り、
いとも簡単にその死の塊を吹き散らしてしまう。
お返しとばかりに桜が放つ、数え切れないほどの光線を、
西行寺幽々子という怪物は電磁の可能性を殺してその全てを光ごと終わらせる。
死者の楽土は、今や真実の意味で死に溢れかえっていた。
「ちょっと爺。何だっての。
あれも弾幕ごっこって奴だとか戯れるの?」
酒蓋妖怪の執拗な弾幕攻撃にとうとう降参し、
表面的には西行寺幽々子の暗殺を諦める事を承諾した純白の妖怪墨花。
ぼろぞうきんのようになっても真っ白な彼女は今、
二匹の人外の超常戦闘、いや戦争を目の当たりにして、口をパクパクさせながら辛うじて言った。
「何・・・って聴かれてものう。末恐ろしいわい。
わしゃ、あんな嬢ちゃんと戦ってるつもりになっておったんじゃから」
取り敢えず墨花を屈服させる事に成功した酒蓋、
花咲じじいもその幻像に呆れ顔を浮かべ、答えになっていない答えを返す。
彼らは死を操る怪物同士の戦いに巻き込まれないよう、
少し離れた所からその弾幕戦(?)を観戦していた。
「しっかし、まだあの桜の方はいいとしても・・・。
純粋に妖怪だし、千年以上も続いてるって話だし」
「ふむ?」
「おかしいじゃないのよ、あの、西行寺幽々子は。
どうして、同じ能力だからってあそこまで渡り合えるのよ」
「・・・? 嬢ちゃん、どういう意味じゃな」
「だって、あいつ。人間でしょうに」
桜色が飛び交い、桜色が死に逝く。
二点の中心にいる桜色だけは終わらない。
彼女らは、周囲の桜色を皆殺しにでもするつもりなのだろうか。
何気なく吐いた純白の少女の言葉を、
酒蓋妖怪はどう受け止めたものか思案して、
「それは、墨花ちゃん。間違っておる。
決定的に、違っておるよ」
暫くしてから、ようやくそう告げた。
「―――え?」
「そうか・・・気付いておらなんだか。
そうじゃな、わしの事を覚えていなかったくらいじゃ。
不思議ではない、か・・・」
こと、死すること、殺すこと、終わらせることにおいて、
彼女たちに敵う怪物はどこにも存在しない。
精根尽き果てるまで、彼女たちは互いの攻撃を殺し、終わらせ続ける。
酒蓋は俯き加減にポツリと言い、
純白妖怪はその一言に虚を衝かれ戸惑う。
「え・・・ぼう、れい?」
「此処が何処なのか。あの姫さんが何なのか。
辛い事を言う事になるがのう、嬢ちゃんが手を下すまでも無いんじゃ」
「ここは、彼の世、なの・・・」
「冥界、白玉楼、死者の住まう庭。ふむ、そして」
「西行寺、幽々子は」
「もう死んでいる」
それでは埒があかない。片がつかない。決着を、着けられない。
一夜如きで彼女らが疲弊しきる筈も無く、
さりとて既に制限時間は今宵のみと定められている。
二体の妖怪が空気を沈黙に落とす間も、
二体の超常は冥界を死界に滅し続ける。
「・・・」
「つまり、今宵の全ては茶番。
まぁ、茶番は茶番なりに面白い仕事じゃが」
「そ―――れじゃ」
「死んでいる者を殺す、そんな事が出来るとしたら、
姫さん自身か、あの妖怪桜か。
しかも今、あの二人がやっているのは殺し合いではない」
「―――」
「あの姫さんの死の花は、とうの昔に咲いているのじゃよ。
・・・嬢ちゃんの力では、消せん」
「そして、あいつらはお互いを消すつもりは無い・・・」
「気を落とすでないよ、嬢ちゃん。
世の中楽しいことで一杯じゃ、生きてても死んでても。
宿命なんぞ忘れてしまうが良かろう」
だが。
朝が来て、曙光が世界を満たすとき、
春の夜を狂わせた恨みの酒気は消えてなくなる。
花は散り、晩春の夢の夜は終わりを告げる。
告げられた事実を受けて、少女もまた別の真実を想い起こした。
「思い出しちゃった・・・無理よ、それ」
「ふむ・・・?ふむ、そうか。そうじゃった、か」
「私は私をそう創った。一夜限りの憾みの酒。
一晩あれば、人一人殺すのには充分だから・・・」
「そうじゃ、そうじゃった。―――なら、わしは止めまい。
墨花ちゃん、あんたの思うようにせい。邪魔してすまんかったな。
今しかないのなら、今やりたいことをすると良い」
「あー・・・もう、どうでも良くなった。
したい事なんて、無いわよ。このまま夜明けまで観戦してるわ」
「投げ遣りじゃな。一矢報いる気も無いのかの?」
「私にはあいつを殺せないんだって言ったの、あんたじゃない。
何にも出来ない。どうしようもないよ」
「いいや、出来るぞい。それ、彼女らを見てみよ」
朧に浮かぶ幻の老人は超常同士の戦場へ指を差し向け、
少女は胡乱な気色のままそちらへ目を動かす。
庭園の半分が灰塵に帰そうという壊滅的な対戦は、
双方に何らのダメージも及ぼさずに拮抗状態に陥っている。
「・・・割り込めとか言うつもりなんでしょ、爺」
「わかっとるじゃないか。
このままだと相打ちにもならずに引き分けるところを、
どちらかに何らかの助力があれば、じゃよ」
「均衡が崩れるかもしれないって?
決着は片方の死を意味しないのに、そんなことしても」
「意味はある。あんたの存在を記憶させることじゃ」
「え」
「姫さんも桜も、嬢ちゃんをただの雑魚としか見ておらん。
ことに姫さんは忘れっぽい性質じゃ、
明日には今宵を出来事を忘れておっても不思議は無い」
「・・・なんで爺さんにそんなことがわかるのよ」
「年の功じゃよ」
老人の幻像は不敵に笑う。さっきまでその姫の護衛をやっていたというのに、
この酒蓋はもうその事を忘れてしまっているかのようだった。
こりゃあ面白そうじゃ、と悪戯心にかられてニヤニヤと。
「胡散臭い・・・けど、いいねそれ。
何だか、あいつの悔しがる顔が見れればいいような気もしてきたし。
殺せないなら、その位で我慢してあげようじゃない。元々私の方が年上なんだから」
「ほ、その意気じゃよ。
怨念がくよくよしとってどうする」
「でも爺さん、あの化け物どもの戦いに介入できる?
私は無理だと思うの」
「わしには無理じゃな。嬢ちゃんにも無理じゃろ」
「じゃあ、どうするつもりよ」
今にもくつくつ笑い出しそうな綻んだ顔の老人は、
怪訝そうに自分をジト目で見る少女をその幻像で指差して言う。
「切り札を持っているのは、墨花ちゃん、あんたじゃよ」
***