ある平和な昼下がりのころ。
藍は紫のMy布団(予備)を干しながら悦に浸っていた。
「うむ、あいかわらず干し甲斐のある布団だ」
びゅん!びゅん!ぱーん!ぱーん!
激しい音を立てながら布団たたきが空を切り、布団を叩く音が響き渡る。
本当なら術でもって布団たたきを操ってもいいところだが、それをすると紫がうるさいので滅多にしない。
紫曰く、叩き加減が足りないのよ~とか。
楽をするといつも文句を言われるので、ひょっとしたら本当にわかっているのかもしれない。
そんなことを考えながら布団を叩いていたら、視界の端に見慣れた姿を確認することが出来た。
「お。あそこに見えるは我が式神、橙じゃないか」
ずいぶんと遠くにいたが、それは見間違えるはずがない橙の姿だった。
橙は藍の方向に背を向けてなにかをしている。
「お~い、橙~!」
そう呼びかけてみるが、相変わらず藍に背を向けたままだ。
いつもなら藍の姿を見て真っ先に反応する橙が、今日に限ってどうしてしまったのだろうか。
ひょっとして遊びに夢中になってるのかな?
そう思い、藍は微笑ましく思いながら橙が見つめる。
「……遊び、には見えないよな。これはどう見ても」
よく見ていると気づくが、橙はどうやら何者かと戦っているらしい。
展開されているスペルカードは、仙符「屍解永遠」。
どうやらかなり追い詰められているようだ。
「……てあれは上級の死霊じゃないか!橙、やめろ!まだお前が戦うには早すぎる!」
そう叫ぶのと同時に藍は布団たたきを投げ捨てて橙のところへと向かう。
「くっ!?橙、待ってろよ……!」
全速を出しているはずなのに…遠い。いつもならすぐのはずの距離が、異様に遠く感じられる。
その証拠に、ほら。
――橙のスペルカードが敗れ去ってしまった。
「橙!」
相手の攻撃が橙に止めを刺そうとする寸前、ギリギリ間に合った藍が攻撃を無効化する。
霧散された攻撃の奥には、橙を亡き者にしようとした憎むべき敵の姿。
ぷつりと、なにかが切れる音がした。
「そこな死霊。……楽に成仏できると思うな」
いつもなら結ぶはずの九字の印。
しかし今日は結ばない。そんな楽な消滅は許さない。
未来永劫、地獄の業火に焼かれてしまうがいい。
「橙、目を瞑ってなさい」
橙にそう告げて自分の背中でかばいながら、空に五芒星を切り、術式を織り込んでいく。
一筆書きできる五芒星は、すなわち無限。
五芒星は永遠に変わることなく、故に終結を持たない。
藍の持っている封印の印の中でも最凶に分類される術式を、しかし躊躇うことなく藍は練り上げた。
あとは、言霊に乗せて呪を展開するだけ。
「巡れ五つの点。汝、懺悔あたわず。消滅あたわず。成仏あたわず。転生あたわず。巡れ永遠の刻の中、刹那に通ずるその獄舎で!」
発動。
五芒星の中から地獄を連想させる紫の炎が放たれ、死霊を覆い尽くす。
抵抗しようとする死霊。だが藍との力の差が大きすぎる。
結局最後の悪あがきに放たれた一閃も、炎の中から飛び出すことはなく、焼き滅ぼされてしまう。
「……橙に手を出した罪。それ相応の報いを覚悟しろ」
あとに残ったのは一枚の御札だけ。
五芒星を描いた御札の図柄には、忙しなく点滅する光が巡っていた。
その光はいつまでも消えることはなく、永遠に五つの頂点を巡りつづけることだろう。
「ら、藍さま……?さっきのおばけ、消滅させちゃったの?」
恐る恐るといった感じで目を開き、橙がそうたずねる。
「いや、封印しただけだが…どうしたんだ?」
いつもなら元気よく「やりましたね、藍さま!」と抱きついてくるはずの橙。
今日もてっきりそうだと踏んで構えていたのに、一向に抱きついてこない橙に一抹の寂しさを覚える。
「うん」
橙は俯いてしまい、目を合わせようとしない。
怒られると思っているのだろうか?
「橙、ダメでしょ?ああいうやつの所に一人で行っちゃダメだって、前に言わなかったか?」
「うん」
「スペルカードが使えるようになったからって自信過剰になってはいけない、とも言ったはずだよな?」
「うん」
「まぁ、強く怒りはしないが……なんにせよ、無事でよかった」
「うん」
橙の藍にたいする反応が薄い。
それになんだか、小刻みに震えているようにも見える。
「橙、どうした……?」
次々と思い浮かぶ、嫌な予感。
もしかして、あのような術式を使ったせいで嫌われてしまったのだろうか!?
「ちぇ、橙!?今の術はだな、その ―― 」
「わたしが、使役しようとした…のに……」
慌てて言い訳しようとする藍にたいして、橙がそうぽつりと呟く。
「……え?ちぇ、ん?」
「わたし、藍さまの式なのに全然弱いし、だからもっと強いのを使役すれば強くなれると思って……もっと役に立ちたくて………なのに、全然ダメで、けっきょく藍さまに助けてもらって…………」
上を向いた橙は、涙を流していた。
それは恐怖から出る涙ではない。
こんなに真っ直ぐな瞳をして、そんなものが流れてくるわけがない。
だからこれはきっと悔し涙。
それを見て、藍は言葉に詰まった。
「藍さまの役に立ちたかったはずなのに、藍さまの迷惑になっちゃって……だから、ごめ…なさぃ。藍さま、私のこと、嫌わないでぇ……!」
藍の言い付けを破ったことや藍の手を煩わせたことが、橙の頭の中ではイコールで嫌われることに結びついているようだ。
もしかしたら藍の式なのに弱い、ということも含まれているのかもしれない。
だから藍はふっと笑い、やさしく橙を抱きしめた。
「バカな子だ。私が橙を嫌いになるはずがないだろう?」
「だ、だって……わたし、藍さまの式なのに、ぜんぜん藍さまのお力になれないもん!」
「それは、まだお前の式としての期間が短いからだよ。私だってなり始めの頃は…紫様に、迷惑ばかりかけていたからな」
「えっ!?ら、藍さまが紫さまに!?」
「驚くのも無理はないけど、私にだってそういう時期はあったさ。……ちょうど、今のお前と同じくらいのときにね。私もスペルカードを覚え始めた頃で、お前のように紫様の役に立ちたいと思って随分と無茶をしたんだ」
当時のことを思い出して、苦笑してしまう。
そういえば自分も、橙と同じことをして紫様に怒られたんだっけ。
それも、一度ではなく何度も何度も。
きっと昔の自分はすきま妖怪という自分のご主人に少しでも近づきたくて、焦っていたのだろう。
「だからお前の気持ちはよくわかる。だけど、焦らなくてもいいんだぞ?」
橙の肩を掴んで、自分の目の高さをあわせる。
「そんな落ちこぼれだった私でさえ、今じゃ天弧として人間どもに恐れられる式になれたんだ。橙だってきっとなれるさ」
だから笑ってくれ、と。
お前には笑顔が見合うんだから、と微笑む。
「藍、さまぁ……!」
「よしよし、いい子だ。……そうだな、泣き止んだら、布団を叩くのを手伝ってくれ。きっと楽しい気持ちになるぞ?」
「藍さま……うん!」
『あら、なんだか楽しそうね。私も参加しようかしら』
どこからともなく声がする。
橙はそのいきなりのことに驚き、耳としっぽをぴんと張る。
藍はまたこの悪戯か、とため息をつく。
「紫様、橙を驚かせて遊ぶのはやめてください」
『あら……昔は藍も、驚いてくれたのに』
「ゆ、紫様っ!」
「ふふ、冗談よ…と」
すきまの間から姿を現す紫。
その姿を確認して、橙は安心したように胸をなでおろした。
「ところで紫様。いつのまに起きていらしたんですか?」
「あら。私はあんな物騒な術を家の周りで放たれて起きないほど、にぶちんさんじゃないわよ?」
「……あ。す、すみません!緊急事態だったものでうっかりしてました!」
「ふふ、いいのよ。大事な橙を守るためですものね」
「……ほぇ?」
藍の放った術の本質を知らない橙にとっては、まったくわけのわからない話。
とりあえず自分の名前が出てきたので反応してみる。
「本当は様子を見るだけ見て、また寝なおそうかとも思ったんだけど気が変わったわ。藍、さっきの死霊を封印した御札を貸しなさい。それは私が調伏しておくわ」
「えっ!?」
ぎくり、と藍が露骨な反応をする。
「……あら、そんなことで驚かれるなんて心外ね。私はあなたの考えてることがわからないほどご主人様歴は短くないのよ?」
「し、しかしわざわざ紫様の手を借りるまでも」
「藍には今、橙と一緒に私の布団を叩くという使命があるでしょう?」
「うっ」
「それに私がそっちをやってる間に私のMy布団をもう一つ干しておいてもらうと、すごく嬉しいんだけどな?」
「うぅっ」
「安心しなさい。あなた達が布団を叩き終わるまでに、橙にも使役できるようにしっかりと調伏しといてあげるから」
「……藍さまと紫さま、なにをお話してるんですか?」
「橙にもね?そろそろ使役の仕方を教えてあげるわ、ていうお話よ」
「えっ!?本当ですか!?」
「えぇ、本当よ。…ね、藍?」
「……うぅ、本当ならもっと時期を見計らって教えたかったのに」
「あら。藍はたんに橙の親離れが悲しいだけじゃないの?それに、使役するくらいなら十分すぎるくらいの力を持ってるわよ、この子」
「人のこと言えないくせに」
「そんなことないわよ。……だって藍ったら、未だに親離れしてくれないんですもの」
困ったわねぇ?と橙に同意を求める紫。
橙も、普段の藍の行動を思い出してうん!と元気よく頷いた。
「なっ!?」
「きっと狐という種族の性ね。犬科だからきっと寂しがり屋なのね」
「ゆ、紫様!いくら私でもそろそろ怒りますよっ!」
「あらあら、怖い怖い。じゃあ、この御札は借りてくわよ~」
紫の手には、いつの間にか藍を封印した死霊の御札が握られていた。
そしてそのことを藍に注意されるよりも前に、紫はすきまの中へと入ってしまった。
「はぁ。紫様は本当、手癖と寝癖が悪いんだから」
「でもわたし、紫さまの寝癖、可愛くていいと思うけどなぁ」
「橙、頼むからそれを直す私の身にもなってくれ。すごく細いから、やりにくいんだぞ?」
ため息をつく藍に「いやです~」とにこやかに答え、橙が藍の裾を引っ張る。
ん?と藍が反応すると、橙はどこか遠慮がちに言う。
「お布団、早く叩きたいなぁ?」
ここにも布団たたきの魅力に取り憑かれた猫が一匹。
「……今日だけだからな?普段は絶対に私がやるんだからな?」
「え~、藍さまのけちんぼ~!」
「ふふ、これは紫様の式たる私の特権なのだ!」
「じゃあ私も紫さまの式になるっ!」
「なにっ!?ちぇ、橙!私のことが嫌いになったのか!?」
「あはは、冗談だよ~だ!」
そう言って、藍から逃げるように布団のところへ飛んでいく橙。
そのはしゃぎようを見て、藍は苦笑する。
どうやらもう普段の橙に戻ったらしい。
そんな橙の後ろをゆっくりと飛んでいると、橙が振り返って藍を呼んだ。
「藍さま~!はやく二人で布団叩きましょうよ~!」
「お~、今行くぞ~!」
そんなマヨヒガは、今日も平和そのものだったそうな。
この橙のセリフの「もん!」ってトコに激しく萌えた自分はもはや人間失格。
ンなことよりも、感想を。
うーん、親子愛だねぃ(←知った風な事を言う)。
彼女達が親子かはともかく、橙にしろ妖夢にしろ咲夜にしろ、主想いの従者というのは激しくツボです。
そして、そんな2人を一歩引いたところから見守り、適度にちょっかいを出すゆかりんがいいですね。
誤字について。
『布団たたきを操ってもいいとろこだが』『藍さま、わしのこと、嫌わないでぇ……!』の2点。
後者のようなミスなどは、折角のシーンが台無しになってしまうのでご注意を。
紫と藍、藍と橙の微妙な関係の差がいい味を出していると思います。
さて、突然なのですがここで一つお願いがありまして…
今現在、自分は一つ連載型のSSをこちらに投稿させていただいているのですが、それとは別に短いのをちょこちょこと進めています。
そちらのテーマ・内容が、この「そんなマヨヒガの一日」と多分に重なっているのです。
つきましては、作者様にその点何卒ご了承下さいますようお願い申し上げる次第です。
それでは、作者様の次作を楽しみに待ちつつ、この辺で。
全然無問題です。というか氏のSSはいつも楽しく読ませてもらってますので、氏のSSが多く出ることはこちらとしてもとても嬉しいことです。
う~む、まさか八雲一家で被ってるとは。(笑
まぁ、八雲一家は情報が少ないですし仕方ないですけどね。
では、連載型の方共々楽しみに待ってます。
お互い次のSSに向けて頑張っていきましょうっ!