「あんたらってさ、なんでしゃべれるの?」
「は?」
突然の問いかけに問われた方はしばし固まってしまった。
昼下がりの博麗神社。その縁側に普通の巫女さんが一人と普通の人間以外が二人。仲良く座ってお茶をしばいていた。
普通の巫女さんの名は博麗霊夢。言わずと知れた博麗神社の巫女さんである。
普通の人間以外はそれぞれお燐とお空。霊夢とは間欠泉の異変で知り合ってからこっち一緒にお茶を飲んだり食べ物をせびったり特に目的もなく神社に入り浸る程度の付き合いを続けている。二人とも旧地獄跡の管理の一角を担 う立場のため本来ならば各々の仕事場にいなければならないのだが『所詮跡地だし少しくらいサボっても特に問題は無いだろう』という理由で地上に来ることが多くなっていた。
そんな訳で今日も今日とて二人で神社に押しかけ霊夢がしぶしぶ出した割には渋味の足りないお茶を飲んでいたところ唐突に上の質問をぶつけられた次第である。
「なんでっていきなり聞かれてもねぇ……」
お燐は質問の意図が読み取れないといった反応だ。
「なんだってそんな事聞くのさ?」
質問に質問で返すのはお空である。
「いやだからさ、必要ないでしょ。さとりと居る分にはさ」
さとりは相手の心を読む。単に意思の疎通を行う分には人語を操れなくても理解さえできれば問題ない。
「別にあんた達が何か言わなくてもさとりが心を読んで反応してくれるんでしょ?」
「そうだね。だからさとり様は動物に好かれてるわけだし」
「じゃあなんであんた達は人の言葉を覚えようと思った訳?」
「そうさねぇ……きっかけは――」
お燐は思い出すようにポツポツと語りだす。それは今より大分前。旧地獄跡がそう呼ばれるようにになったばかりの頃のお話――――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
何から話したもんかね……旧灼熱地獄跡が地獄のスリム化計画の一環で地獄から切り捨てられた土地だってことは知ってるよね?
何? 知らない? まぁあんたにゃ関係無い話だし無理も無いか。とにかくあたいはそこが地獄として機能してた頃からそこで暮らしてた。
当然その頃の灼熱地獄は是非曲直庁の奴らが管理しててね、私達みたいな地獄に住む動物は自由気ままにその辺をぶらぶらしては糧である怨霊や魑魅魍魎を狩って生活してた。今思うとあの頃は何の悩みも無くて気楽だったねぇ……
しかしまぁそんなあたいの幸せな野良猫ライフは唐突に終わりを告げる。灼熱地獄の廃棄が決まるとそっからはあっという間だった。灼熱地獄は川に投げ込まれた焼け石みたいに冷え込んじまってね、それを管理してた奴らもどっか行っちまった。
まぁあたいは是非曲直庁の事情だとかそんなことは知ったこっちゃ無かったから自分の周りに起きた変化の意味も理解してなかった。燃え滾る炎の中で昼寝する楽しみは減ったけどせいぜいその程度の事だと楽観してた。そんですぐに自分の考えが甘かったって思い知らされた。
それから程なくしてあたいは食い物に困りだした。罪人が送られることが無くなったんだから怨霊の数が減るのも当然だね。
あたいは決断をせまられた。灼熱地獄跡に留まって細々と生きていくか、新しい住処を探すかだ。アテなんてありゃしなかったけどさ。
で、結局あたいは地獄を出ることにした。いかんせん腹が減ってしょうがなかったからね。慣れ親しんだ灼熱地獄に別れを告げて「いざ! まだ見ぬ新天地へ!」と意気込んだところであたいはようやく気づいたんだ。知らない間に灼熱地獄跡と外を繋ぐ道を塞ぐようにでっかい『蓋』がされていたことにね。
その『蓋』はとてもでかくて厚くてあたいの力じゃどうにもこうにもなりゃしなかった。それでもなんとか外に出る方法は無いもんかと思ってね。『蓋』を隈なく調べると幸いなことに外に通じているとおぼしき扉が見つかった。不幸だったのはあたいの猫の手じゃ扉を開ける手立てが無かったことだね。あのときはみじめだったねぇ……
あたいは諦め切れなくてその扉をガリガリと派手な音を立てて引っかいてた。扉は頑丈で傷ひとつ付かなかったけどそうしてれば向こうの『誰か』が聞きつけて開けてくれるんじゃないかって思ってたのかもね。んで実際そうなった。扉が開くやいなや『彼女』は言ったんだ。
「地獄の方からお客なんて珍しいわね? そう……お腹が空いてるなら何か用意しましょうか? 怨霊……は無理でも『きゃっとふーど』くらいなら何とかなるかも知れません。私? 私は――」
それがあたいと地霊殿の主、さとり様の最初のやり取りだった――
「ああ、気に入ってくれたみたいで何よりです」
『きゃっとふーど』をがっつく私を横目で視ながらさとりと名乗る少女は言った。
(普通の猫の餌なんざ食えたもんじゃないと思ってたけど中々どうしてうまいじゃないか)
「食わず嫌いは駄目ですよ?何事もバランスが大事です」
(そう言うあんたは腕と身長のバランスが悪いように見えるけど気のせいかな?)
「気のせいです」
(そうかい。でもさっきからあたいの思ってることが伝わってるっぽいのは気のせいじゃないよね?)
「私は相手の心を『読む』ことが出来ますからね」
(そりゃ便利だね。礼をする手間が省けるってもんだ。ごちそーさま)
「どういたしまして。しかし何でまたこんなへんぴな所に?」
(話せば長いんだけどかくかくしかじかでね)
「地獄跡から出ようとしたら『蓋』が邪魔で出られなかった……と。あんまり長くは無かったですね」
(話の都合ってやつさね。それにしてもここはなんなんだい? てっきりあの『蓋』を越えれば地獄の外だと思ってたんだけど?)
「灼熱地獄の『外』なのは確かですけどね、ここは私の屋敷です。あなたが『蓋』だと思ったのは屋敷の床ですね」
(何だってそんな嫌がらせみたいな建て方したのさ?)
「さぁ? 多分臭いものには蓋ってことじゃないですかね?」
(誰が獣臭いって?)
「違いますよ。多分『あの人達』にしてみればゴミ箱の蓋を閉めるのと同じだったんでしょうね」
(冗談じゃないやね)
「そうですね。ゴミは分別しないといけませんよね。あの閻魔様ならそういう事はしっかりしてそうなんですけどね……管轄外ってやつですかね?」
(散々な言われようだね。要するにあたい等は捨てられた・と)
「捨てる神あれば拾う神ありと言いますよ?」
(地獄なんぞに来る神様がいたら是非お目にかかりたいもんだね)
「すぐそばに居るじゃないですか」
(この家からはあんた以外の気配がしないけど?)
「これは手厳しい。今は私一人ですね」
(こんな広い屋敷に一人暮らしってのも何だか侘しいねぇ……)
だだっ広い屋敷を見回して思う。
「一人暮らしって訳でも無いんですけどね。『あの子』は気分屋で滅多に家に居ませんから」
『あの子』って誰さと思ったけど答えてくれなかったから気にしないことにした。
「それにしてもあなたは運が良かったですね」
(そうだね。あんたが来てくれなきゃ今頃自慢の爪がボロボロだった)
「そういう意味じゃないですよ。ここに住んでいたのが私で良かったと言ってるんです」
(ここに住んでるのがあんただと何かいいことがあるのかい?)
「ええ。おかげであなたはアテの無い旅に出なくて済みそうですよ?」
(あんたが養ってくれるってかい? 飼い猫なんざゴメンだよ。)
「それは残念。では代わりにあなた達が今までの生活を維持できるよう是非曲直庁にかけあってみましょう。ああ、心配要りませんよ。こう見えても地獄跡の管理を一任されている身ですから」
(とてもそんな大物には見えないんだけど……)
「こう見えて嫌われ者揃いの地底の住人が顔をしかめる程度には嫌われ者ですからね……適材適所。あるいは私を地底に縛り付けておくもっともらしい理由が欲しかったんでしょう」
(そりゃ驚きだね。見た感じお人よしで扱いやすそうなのに)
「そんな風に思うのはあなたぐらいなものですよ」
そんな出会いから数日、灼熱地獄は相変わらず冷たいままだったけど怨霊がその辺をフワフワ漂うようになった。仕事が早いねぇ……さとり様が言うには「お役所仕事っていうのはどこに話を通すかを見極めるのが肝心ですよ。たらい回しはゴメンですからね」とのことだ。
その間あたいはって言うとさとり様の屋敷に厄介になってた。あんまり長居しちゃいかんとは思ったんだけどね。あの『きゃっとふーど』ってやつを食べたのがまずかった。すっかり味をしめちゃってねぇ……
そんでズルズルとさとり様のそばに居るうちに今度は彼女自身にちょっと興味が沸いた。数日一緒に居て彼女が本当にお偉いさんで尚且つ自分で言ったように相当な嫌われ者だってことが分かったからだ。
そんな現実を目にしてもその時のあたいにはさとり様が毛嫌いされる理由が理解できなかった。だからだろうね。
あたいは考えた。地獄に帰って怨霊狩りをしたい。一方でもうしばらくここに留まってさとり様を観察したい。両方なんとかするには……
「ほほう、つまり私のペットになりたい。と……」
(誰がんなこと言ったんだい。一つ屋根の下に住まわせて欲しいって言ってるだけだろ?)
「人家に住む猫を普通はペットと言いますけどね」
(あんたは妖怪でここは人家じゃないからペットじゃないね)
「あなたがそう言い張るならそれでいいですけどね。いい加減同居人を『あんた』呼ばわりは酷いんじゃないですかね?」
(さとりだってあたいを『あなた』呼ばわりじゃないか)
「うっかりしてました。私はあなたの名前も知らないんでした」
(名前? そんなもん無いよ。野生の獣にゃ必要ない)
「それもそうですね。じゃあ私が名付け親になっても?」
(どうせあたいが名乗るわけでも無し、好きにしとくれ)
「種族が火焔猫だから姓はそれで良いとして……」
(あんたと同じじゃ駄目なのかい? 確かこめ……何だっけ?)
「名前はそう……鈴なんてどうかしら? 『鈴』って書いて『りん』! 可愛いでしょう?」
(人の話聞いとくれよ……それに可愛いなんてガラじゃない……)
「気に入りませんか……じゃあ……『燐』。よく燃える元素の方の」
(それならまぁ……いいんじゃない?)
「じゃあ決まりですね。あなたは今日から火焔猫燐です!」
(何だか長ったらしいねぇ……親しみを込めて『お燐』とでも呼んどくれ)
「人の努力を即刻半否定ですか。中々にひどいですね……まぁいいですけど代わりに――」
(何さ?)
「私のことは『ご主人様』って呼んでくださいね?」
(短い付き合いだったね……)
「いいじゃないですかー……名付け親ですよ? な・づ・け・お・や!」
(子供かあんた……)
「子供に見えませんか?」
(それを言われると何も言えないね)
「元々しゃべれないでしょう?」
(あんたとはしゃべってる)
「私は『視て』『読む』だけですよ。会話が出来るのは『あの子』が帰ってきたときぐらいです」
あたいは是非曲直庁の奴らと彼女のやり取りを思い出していた。確かにそれは『会話』には程遠いものに見えた。
屋敷を訪ねてきた相手の苦々しい顔、真一文字に結ばれて決して開かない口、うつむいたまま最後まで彼女を見ようとしなかったその目、そいつを視て一人淡々と言葉を吐き出す彼女、逃げるように去っていく相手の背中、いつもより小さく見えた彼女の背中、そいつが帰る直前に彼女がつぶやいた言葉……
「あなた方も大変ですね。仕事とはいえこんな嫌な思いをしなければならないとは……」
あのとき彼女はどんな顔をしていたのか……本当に嫌な思いをしたのはどちらだったのか……
あるいはあたいと彼女のやり取りもまた他人から見れば同じように見えるのだろうか?
「ああ、すいません。嫌なことを思い出させてしまいましたね」
(それはこっちの台詞。何でもなさそうに言われると反応に困る)
「申し訳ないと思うなら……分かりますよね?」
(へいへい分かりましたよ。『ご主人様』)
「お燐は話の分かる猫ですね」
(ご主人程じゃないよ)
「そうですかね?」
(そうさ、普通こんな穀つぶし家に置いたりしないよ)
「あなたが居るだけで退屈しないですからね。ペットを飼う人は皆そうだと思いますよ」
(恥ずかしい人だね)
「照れてますね?」
(ご主人が嫌われる理由がちょっとだけ解ったよ)
そんなこんなであたいは一日の半分くらいはさとり様の屋敷で、もう半分は灼熱地獄で暮らすようになった。
それから屋敷にはすごい勢いで住人が増えていった。あたいがさとり様のことを地獄の動物達に宣伝して回ったからね。
何でそんな事したのかって? そりゃまぁアレだ…ペットが増えりゃあたいが居ない時でもさとり様は寂しくないだろ?……笑わないで欲しいね。ガラじゃないって事くらいわかってたさ。
さとり様はあんな風に言ってたけどあたいとしちゃ受けた恩はしっかり返さなきゃ気が済まなかったってとこかね……
程なくして屋敷はペットで溢れ返った。ちーっとだけやり過ぎたんだよねぇ……
屋敷の中のどこを見ても地獄の妖獣共がうろついてる上にそいつらの世話が手に負えないからって餌の怨霊を屋敷中に放したせいで今やお化け屋敷同然の有様だった。
その頃からかね? 屋敷は地底の住人から『地霊殿』なんて仰々しい名前で呼ばれるようになってた。
そういやお空に会ったのもその頃だったね。屋敷に住み着いた地獄鴉の中でも一際馬鹿そうでガーガー煩かったからとっ捕まえて食ってやろうとしたんだ。そしたらさとり様に怒られたっけ……ガーガー煩いね! もう時効だろ?
まぁ今思うとお空にとっちゃ最悪の出会いだったろうね。よく友達になれたもんさ。まぁ……あたいが何したってお空は三回ガーと鳴きゃ忘れてたみたいだけど……ホントどうやって顔覚えてもらったんだか……
とにもかくにもそれから数年は穏やかな生活が続いた。昼間はさとり様の膝の上で昼寝して夜は地獄跡でハッスルして朝になったらさとり様を起こしに地霊殿へってね。
(おはよございますー。さとり様ー? 起きてますかー?)主人の寝室に入り問いかける。ドアノブに飛びついてドアを開けるのも慣れたものだ。
「ぐー」
(ああ、まだ寝てるね。もう八時だってのに……仕方の無い人だ)あたいはさとり様の枕元にさっと跳びあがる。
「すぴー」
(可愛い寝顔しちゃってまぁ……とても泣く子も黙る鬼も逃げ出す妖怪には見えないねぇ……どれ)
プニプニ……
(ご主人様ー起きてくださーい)
「むー」
プニプニ……
(おーい)
「にゅ~」
プニプニ……
(おーきーろー)
「にゃむ~」
ガリッ!!
朝の地霊殿に少女さとりの悲鳴が響き渡った。
「非道いじゃないですかお燐! 途中まではとっても気持ちよかったのに……」
(途中で気付いてたんならご主人の自業自得だよ)
「肉球からいきなり爪だとは思わないじゃないですか~」
(じゃあどうすりゃ良かったのさ?)
「それはほら……もうワンクッション置いてですね……舌でペロペロとか尻尾でコチョコチョとか……」
(それで起きるのかい?)
「試してみるまで判りません」
(次からは優しく引っ掻くことにするよ)
「またまたご冗談を」
(ご主人に冗談が通じりゃ苦労しないよ)
その頃にはあたいもすっかり丸くなっちまっててね。飼い猫なんざゴメンだよ。なんて言っていたのが嘘みたいだったね。
地霊殿の生活も悪くないなと思ってたんだ。
そこはとてもあたたかくて居心地がよかったから、自分を思い、自分の思いを汲んでくれる人がいたから。
それに一方的に与えられるだけじゃない。あたいらがいるからさとり様は笑ってられる。
お互いにお互いを必要としてる。そう思ってたし、そのことを誇りに思ってた。
だけどそんな生活に事件は突然やって来た。
いつもの様にあたいがカーペットの上で寝てると何やらドタドタと近付いて来る音がしてね。あたいは寝ぼけながらも音の正体を確かめようとした――が時既に遅し。
グチャリッ!!
痛かったね。あれは非常に痛かった。その人の一切の躊躇を感じさせない踏み込みによってあたいの尻尾は無残極まりないことになった。おかげさまで今でも私の尻尾はイカレたまんまで震えが止まらない。笑い事じゃないよ全く……
「あ! ゴッメーン! つい無意識に……」
あたいが上げた非難の声にその人が振り向く。あたいはそれと同時に彼女に飛び掛ってやろうと身構えてたんだけど振り向いた顔を見た途端にそんな気はかき消されちまったね。
すぐにわかったよ。二人が姉妹だってことも、その人がさとり様が初めて会ったときに言ってた『あの子』だってこともね。その人は呆然とするあたいを置いてリビングへと突進していく。あたいもすぐにその人の後を追って行く。妙な胸騒ぎがした。
その人に遅れること数秒、リビングにたどり着いたあたいを待ち受けていた光景は今でも目に焼きついてる。
「たっだいまー!」
そう言って背後からさとり様に勢い良く抱きつくその人。
「あらこいし、おかえりなさい」
そう言って彼女の頬に軽くキスするさとり様。
たったそれだけ。たったそれだけのやり取りだったけどあたいは悟ったんだ。
――ああ、このこいしという人はさとり様にとって『特別』なんだってね。
「今回はまた長かったですね。どこまで行ってきたんです?」
(ご主人嬉しそうだね)
「んーっとねー、半分くらいは無意識にブラブラしてたから覚えてないんだよね」
(夢遊病患者かなんかみたいだね)
「いつものことでしょう? 覚えてるところだけでいいですよ」
(あたいが何処に居たってご主人は気にしないよね?)
「色々あったねー、真っ赤な建物の前で寝てる真っ赤な人の鼻提灯割ったり」
(寝てる猫をふんずけたりね)
「天狗と河童の将棋を観戦したりね」
「あら、私も将棋は得意ですよ? 今度一局指しましょうか?」
(そりゃご主人なら大概の相手には負けないでしょうよ)
「それに火の鳥とお姫様の心ときめくような殺し合いも見れたわ」
(趣味悪いなこの人……)
「それは良かったですね」
(そんでご主人は何だってそんな笑顔なのさ……)
「ああそうだ、おみやげがあるんだよ……じゃじゃーん! 人里で『貰った』お饅頭! お姉ちゃん餡子好きでしょ?」
「ええそうね、ありがとう」
(そういえばあたはご主人が好きなものとか何にも知らないな……)
「それにしてもビックリしたわ! 帰ってきたら家の様子がガラっと変わってるんですもの!」
(あたいらの事なんて大して気にも留めなかったじゃないか……)
「ああ、そうでした。紹介しますよ。私の――」
(!!!!)
あたいは全速力で駆け出していた。
眩しすぎた。
姉妹が普通に会話して普通に笑いあう。そんなごく当たり前の光景が
分からなかった。
どうしてそれを見て自分の胸が苦しくなるのか
堪えられなかった。
幸せそうにに話すさとり様の見たことの無い顔も
それが当たり前だと信じて疑っていないであろうこいし様も
今の自分をあの瞳で『視られる』ことも
なにより――
「ああ、そうでした。紹介しますよ。私の――」
「――私のペットです」
そう言われるのがどうしようもなく怖かった。
(何がおかしい!?)
(どこがおかしい!?)
(そのとおりじゃないか!!)
(そうじゃないなんて言えるか??)
(分かり切ってるじゃないか、あたいらはさとり様にとっては『ペット』以上では有り得ない!)
(分かり切ってるじゃないか、あたいらじゃ彼女にあの笑顔を与えることなんかできやしない!!)
(分かり切ってたじゃないか、あたいらは彼女に彼女以外の誰もが持ってる平凡なものすら与えてやれない!!!)
がむしゃらに走り続けた。いてもたってもいられなかった。ぐちゃぐちゃの頭を置き去りにしたくて脚を動かし続けた。
気が付いたらあたいは地霊殿の最上階。旧都を一望できる部屋。その窓際に一人で佇んでた。
落ち込んだ気持ちのまま旧都に夜の帳が下りるのをぼんやりと眺めていた。
不思議なものであんなに混沌としてた頭の中も時間と共に少しづつ落ち着きを取り戻していた。
叫びだしたくなるような感情の奔流は収まって代わりにどうしようもない惨めさが毒のように体を巡っている気がした。
(全く何を自惚れてたんだかね……とんだ道化じゃないか。相手が自分を理解してくれるからって自分も相手を理解した気になってさ……結局何一つ理解なんてしてなかった。それどころかあの人の好きな食べ物一つ知らなかったじゃないか。何年も一緒いたのに……だ。自分が居るからあの人が笑ってられる? 冗談。自分があの人の笑顔だと思ってたのは全部偽物だったじゃないか)
「そうでもないですよ?」
(!!!)
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたね」
(あんたでも盗み聞きなんてするんだね)
「盗み視ですよ。嫌われてしまいましたかね?」
(別に。こいし様の傍にいてやらなくていいのかい?)
「今は自分の部屋で寝てます。なんだかんだで長旅だったから疲れてたんでしょう」
(だったらなおさらさ。戻っておやりよ)
「お燐」
(何さ)
「妬いてます?」
(猫は嫉妬なんかしないよ。ただいつだって自分が一番じゃないと気が済まないだけさ)
「そうですか」
(そうさ)
「私はね、お燐」
(?)
「あなたに会えて良かったと思ってますよ?」
(そうかい)
「そうですよ」
多分その時のさとり様にはあたいの頭の奥で色々な感情がグルグルしてたのが視えてたと思うんだ。
それでもさとり様は何にも言わないでいてくれた。
いつも通りのようだけど。いつもより少し暖かいやり取り。心地よかった。
何よりわざわざあたいを探しに来てくれたことが嬉しかった。
あたいも大概調子がいいよね。それだけですっかり機嫌をよくしちまってね。
だからだろうね、あんな事を考えたのは……
(こいし様はまた旅に出るのかい?)
「あの子の場合ちょっと長めの散歩と言った方が正しい気がしますけどね。しばらくは家にいるつもりみたいですよ?」
(そっか、じゃあさ……)
「何でしょうか?」
(しばらくあたいが居なくなっても寂しく無いよね?)
それはほんのちょっとした意地悪と我侭。そのつもりだった。
『さとり様のことだから笑って「また冗談を言って。寂しいに決まってるじゃないですか」って言うに決まってる』
その時あたいは自分が頭のどこかでそう考えてる事が分かってた。
分かってて気付かない振りをしてたんだ。分かってて尚思わずにはいられなかったんだ。
何もこいし様と自分のどっちかを選べなんて言った訳じゃない。
たった一言「あなたがいないと寂しいです」って言ってくれればそれで良かった……
その時のあたいには自覚は無かったけど今ならはっきりと分かる。
あたいはその時、彼女を利用しようとした。
自分を満足させる為の自分の言葉を彼女の口に代弁させようとした。
笑っとくれ。その時のあたいは彼女の気持ちなんてどうでも良かったのさ。
だからだろうね……さとり様はあたいのことをじっと見つめて言ったんだ……
たった一言――
「そうかもしれませんね」
彼女の口から出た言葉にあたいは頭をガツンと殴られたような錯覚を起こした。いや、本気で目眩がした。
最悪の気分だったね。その日はもうそれ以上気分が悪くなることは無いってタカをくくってたから余計に効いた。
自分がどれだけさとり様に甘えていたか思い知らされたよ。
さとり様はいつだってあたいを気遣ってくれる。あたいの望む言葉を言ってくれるって……何だってそんな風に思い込んでたんだろね?
いや、あるいはその時のあたいはさとり様がそうしてくれてた事にすら気付いて無かったのかもね。
あたいは今度こそ、そこには居られなかった。
あたいは地霊殿を勢い任せに飛び出した後、灼熱地獄跡の各地をアテも無く歩いていた。
(これからどうしたもんかねぇ……地霊殿にはしばらく戻れないし……こんなつもりじゃ無かったのになぁ……)
嘘から出た真、身から出た錆というやつだ。今のあたいにさとり様に会わせる顔なんてありゃしなかった。
(どうにかしたら……さとり様、許してくれるかなぁ……?)
いや、違うね。自分を許せないのはきっとさとり様ではない。あの人なら今のしょぼくれてる自分を見たら笑って許すだろう。そういう人だ。
誰よりも自分が自分を許せないでいたんだ。
(自分は一体何がしたかったんだ? 彼女の何になりたかったんだ?)
自分に問いかけても答えは出てこなかった。当然だね。
さとり様とこいし様。あの二人のやり取りを見るまではそんな事考えもしなかったんだからそう簡単に答えが見つかる訳も無かった。
(『他人の振り見て我が振り直せ』か……そのとおりだね)
こいし様が現れるまではこんな風に自分を見つめなおすなんて事は無かった。結局『自分』を見るには『他人』という鏡が必要なのかも知れないね……
(しかし鏡を見るたびに尻尾が痛み出すってのも難儀な話だね……いやいや気にすまい! 気にすまいぞ!!)
そうだ。過去のことは置いておこう。気にするだけ無駄だ。重要なのは……
(重要なのはこれから何をするかだね。何だっていい、あたいがさとり様に出来る事は……)
そしてあたいは足りない頭から無理矢理答えをひねり出した。
(そうだ、人語を話せるようになろう。出来れば人化の術も習得したい。さとり様の『話し相手』になろう。こいし様のように……そうすればきっと――)
笑い話さ。結局その時もあたいは何一つ解っちゃいなかったんだ。
こいし様の閉じた瞳の意味も
さとり様が周りから恐れられる理由も
それまでの自分がさとり様に与えていたものが確かに存在したことも
その選択によって自分とさとり様がどんな思いをする事になるかも
とにもかくにもあたいは選択した。
それからのあたいは必死で力を付けた。
食べる怨霊の数をそれまでの二倍にしたり
無駄に断食してみたり
睡眠時間を二倍にしたり
無駄に徹夜してみたり
土蜘蛛と戦って風邪引いたり
鬼と戦って猫鍋にされかけたり
とにかく何でもやった。手段は選ばなかった。
その間はなるべくさとり様の前には姿を出さないようにした。別にばれても困りゃしなかったはずなんだけどね、ある日急に人間の姿で彼女の前に現れてさとり様を驚かせてやりたかった。その方がかっこいいだろ?
それからそれだけ経ったろう?
あたいは灼熱地獄の奥地、かつて罪人共の死体が積まれていた針の山。今じゃ妖怪も獣も滅多に立ち寄らなくなったその山の中に一人座り込んでいた。
「あー、あー、ふぉんじつは晴天なりー。気温は平熱ー。JIGOKUいいとこ一度はおいでー。うん! 完璧だ!」
「よっし! いざ行かん決戦の地へ!!」
あたいはそれなりに人語を操れるようになっていた。
いつの間にか身体の方も黒のフサフサヘアー全長50センチじゃなくてさとり様と同じ人型になっていた。
機は熟した。そう思った。
あたいは彼女が居る地霊殿に向かって走り出していた。
地霊殿に帰った見慣れない姿のあたいに他のペット達が訝しげな視線を向ける。しかしその時の私にはどうでもいい事だった。
あたいは全速力で階段を駆け上がり廊下を駆け抜けた。速く、機関銃の如く鳴り響く心臓の鼓動より速く駆けた。
目標の部屋が見えてくる。心臓が一層高鳴るのを感じた。
リビングのドアを勢い良く開け放ち……
「さっとりっ様ぁああぁあぁぁぁぁ!!」
いつかこいし様がそうしたようにソファに座るさとり様に背後から抱きつく。が……悲しいかな、その時のあたいは興奮のあまり大切なことを思考の外に置き去りにしていた。
そう……その時点での自分の速度と質量を計算に入れていなかったのだ。結果……
ポーーン!
さとり様に抱きついて止まるはずだったあたいの身体はさとり様ごとソファの遥か前方に飛び出して……
グワッシャーー!!!!
哀れ、頭から床に墜落したのだった。
「あああぁぁぁ!! だだだだ大丈夫ですか!? 怪我はありませんか!? さとり様ぁぁぁぁぁ!!!」
完全にパニック状態である。自分の下敷きになったさとり様を乱暴にゆすって起こそうとするもその目は開かない……えらいこっちゃ!!
「ええっとこういうときはアレだ! ききき救急箱! 救急箱だよ!! お空!! 救急箱大至急!!!」
見知らぬ奴に急に名指しされたことに驚きつつ一羽の地獄鴉がガーガー言いながら飛んでいく。
「あとは~……そうだ!! 呼吸の確認だ!! それが第一だろ馬鹿!!」
自分に突っ込みを入れつつさとりの呼吸の有無を確認しようと顔を近づける……とその時である。
バチリ!
『彼女』の目が勢い良く見開かれる!
「ンニ゛ャッッ!!!」
驚きのあまりあたいは天井に頭をぶつける程跳び上がった。
「お~~り~~ん~~」
自分より小さな少女が不気味な笑みを浮かべて立ち上がる。その背後では背景がゆらゆらと揺れている……ヤバイ……
「ちちちちち違うんですよさとり様ぁ~~、これは正真正銘紛れも無く不慮の事故といいますか……決して断じてさとり様を亡き者にしてやろうなんて想いは全く全然毛ほども歯ほども……」
命の危機を感じ本気で思ってもみなかった事を口走りながら弁解する。覚えた単語が片っ端から溢れ出ているようだった。
「不慮の事故ぉおぉ~~!?」
「おおおおお落ち着いて下さい!! こここれには地獄の釜程も深い理由がですね……」
あたいの説得も空しくさとり様の腕が振り上げられる……
殺られる!! あたいは覚悟を決めて目を閉じる――と
次の瞬間、さとり様から溢れていたものはきれいさっぱり収まっていた。
「ええ、分かってますとも。あなたが単純に私を驚かせたくてやったって事位はね。」
「え……あ……!」
そうだ。あまりに久々で自分の主人が誰なのかすら忘れていた。
「さとり様? いつから気付いてたんですか?」
「『だだだだ大丈夫ですか!?』の辺りからですね」
「ほっとんど全部じゃないですか!!」
そうだ。こういう人なのだ。あたいの主人は……
「おかげで楽しかったですよ。それにしても驚きました」
いつの間にかさとり様は自分の正面。あたいが下を向かなきゃ顔が見えない程近くに立っていた。
「そんな声だったんですね……お燐は」
そう言ってさとり様は笑ってくれた。自分には一生向けてくれないと思っていた笑顔が自分を見上げていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
お燐「――とまぁそんなこんなであたいも今やこんなに立派になって旧地獄の管理の一端を担うまでになったというわけ。どうだい? いい話だろ?」
霊夢「そんだけさとりが好きなくせに彼女が侵入者にボコられるのを見てただけ・と」
お空「容赦無いね」
霊夢「というかお燐って昔は随分生意気だったのね」
お空「今だって猫被ってるだけだよ。だからあんまりさとり様に会おうとしない。化けの皮剥がれるから」
お燐「違わい! 色々あったんだよ! 色々と!!」
<色々と投げっ放しのまま了>
あとは?と!の後に文を続ける時は一文字分スペースを入れる。
文法で気になったのはこれぐらいかな。
お話の内容は結構面白かった。次の作品に期待。
良いお話だったと思います。
誤字というか……上の方も書いていることですが、
人のセリフの文末に「。」は必要ないです。
最後はやっぱり締めていただきたかったです。不完全燃焼ですね。
同時並行でお空の話もあったら尚よかったかと。
作者さんのおっしゃっている文の長さや、
肉球などの小ネタの量については良かったと思いますよ。
さとりがいい感じにかわいくて、内容も素直に面白かったので、
次回への期待、という意味もこめて評価は高めに。
別作品を書くならがんばってください。応援させていただきます。