射命丸文は唸っていた。
「ネタがない……」
ネタ、と言うのは新聞のことではない。近々開かれる天狗の写真展に出品する作品が無いのである。閉鎖的な天狗社会の催しにしては珍しく、今回は人間の里で開催されるため、これは頑張らなければいかんと過去に撮った写真を漁っていたのだが……どうにもインパクトに欠けていて選ぶ気になれなかった。
「弾幕の写真はありきたりすぎるし、風景は今更写真で撮ってもねぇ。……やっぱり此処は禁断の……妖怪達の着替え写真とか?」
自分でそう言った瞬間、悪寒が走った。流石に写真展の為に命を落とす危険を冒すのは嫌だ。
「あー!何かこう、『まさかの新事実!あの妖怪の意外な趣味を見た!』とか、良い感じにインパクトのあるネタは無いモノか……」
それも色々と危ない気がするのだが、気付いていないのだろうか?
文が頭を抱えて唸っていると、同業者と思しき鴉天狗が近付いてきた。
「文ちゃん文ちゃん、それなら良いネタをゲットしたよ?」
「それはネタの提供?それとも只の世間話?」
文がそう言うと、男の笑顔が少し引きつった。ネタの提供なら聞くつもりは無い。何か条件を出されるか、借りを作らされるか……どちらも厄介なものなので御免被る。
「あーあー、世間話!世間話だよ!おいらじゃちょっと手が出せないから捨てるぐらいなら文ちゃんにと思っただけだから!」
よし、それなら問題ない。文は営業用の笑顔を作ると、メモ帳を取り出す。
それを見た男は苦笑する。調子良いなぁもう……と呟いて、懐から一枚の写真を撮りだした。
「こいつをどう思う?」
文が写真を覗き込むと、そこには微笑ましい光景が広がっていた。
幼い子供が緑髪の女に頭を撫でられて嬉しそうに笑っていた。子供は草花を編んで作ったと思われる花冠を大事そうに抱きしめていた。緑髪の女も優しそうな笑みを浮かべている。……そう、とても微笑ましい光景だった。
しかし、しかし文にはどうしてもそう見えない。それどころか有り得ないだろこれ、と叫んでしまいそうになった。……妖怪としての先入観がそうさせるのだろうか。
「これ……良くできた写真ですね。……そっくりさん?」
「分かるよその気持ち……おいらも叫びそうになったもんで。……ジャーナリストは先入観を持っちゃいけないって言うのにな」
そう、きっとこれは妖怪としての本能が紡いだ感情だ。……人妖問わず畏れられているあの風見幽香が、幼い子供に優しい笑顔を見せているなんて想像できない、と。
「これ……本当に風見幽香?」
これはアレか、今流行のコラージュというやつなのか?だとしたらこの男かなりの職人かもしれない。
「そうだよ。……なんたって丁寧に花冠の作り方まで教えてたんだ。……流石のおいらも永遠亭のお医者様に見て貰うべきか、なんて考えちまったが間違いない」
同じ状況なら私もそう思っていたに違いない。目の錯覚じゃなければ幻覚だ、これは。男はニヤリと笑うと面白そうだろ?と言って写真を文に手渡した。
「おいらは一応、本当に一応だが永遠亭に行ってくる。……それは好きに使ってくれ」
男はそう言うと、翼を広げて竹林の方に飛んでいく。
……これは確かに面白いことになりそう。文は予感に従って太陽の畑へと飛び立った。
文は風見幽香の前で手を合わせていた。
「実は私、以前から花に興味がありまして!そこで今回、花の妖怪と言われている風見幽香さんに密着取材を頼みたいと……」
手をすりすりと擦り合わせて、眉をハの字に曲げ、片目を瞑って上目遣い。俗に言う、困った表情と言う奴だ。男ならまずこれで落ちるだろう。女でも少しドキッとするかも知れない。
「その嫌な表情と見え透いた嘘を止めてくれるって言うのなら考えてもいいけれど?」
幽香はニッコリと笑って、文の羽根に手を掛ける。顔が「それ以上やるともぐわよ」と語っていた。
まずい逆効果だった。文は慌てて懐から例の写真を取り出す。
「おおっと、待ってくださいお願いですから。もぐのは止めてくださいよ!……本当のこと言っても怒りません?」
幽香は笑顔を崩さない。それが不気味さを醸し出していた。
「そうねぇ……怒るかも知れないし、怒らないかも知れない。……でも、何だか鶏肉が食べたくなってきたわ」
ああ、天狗の肉は鶏肉で良いのだろうか。……なんて、考えている場合じゃない。
「話します!話しますから!……実はこういうモノを手に入れまして」
まるで好きな相手に手紙を手渡すかの如く、勢い良く写真を突き出す。
幽香はその写真を手にとってたっぷり五秒間凝視してから、溜息を吐いた。
「……そう言うこと。……いいわよ、別に」
「え?」
何だ?私は助かったのか?
「密着取材……してもいいって言ってるの」
どうやら許可を貰えたようだった。
「そうですか!いや、密着取材と言っても私は遠くから貴方の行動を観察させて頂く、と言うものなので気楽にお願いしますよ!……あ、少し質問いいですか?」
許可を得たとなれば、もう水を得た魚のよう。次々と質問を浴びせていく。幽香は嫌そうな顔をしながらも答えてくれるので、ますます勢いに乗った。
「……では、これが最後の質問ですが……その写真、本物ですか?」
文が此処までしていた質問は形式的なもので、長々と質問をして最後に本命を持ってくるのは、これが最後なら答えても良いか。なんて思わせるためである。……成功しているかどうかは怪しいが。
「本物よ。……正真正銘、間違いなく」
即答だった。これは何かある、と新聞記者の勘が告げている。
「何?……この写真がそんなにおかしい?」
おかしいというか不気味である。文が持つ風見幽香のイメージとあまりにもかけ離れていた。……多分これは子供の信頼を得てから恐怖のどん底に突き落として、その反応を楽しむための準備なのではないか。
「いや、おかしくはないですけど。……あまりにイメージとかけ離れすぎていて……」
「鈍感ねぇ……そんなだから何時まで経っても大妖怪になれないのよ」
「新聞記者が行動力を無くしてしまったら終わりですから。……それに大妖怪なんて呼ばれると肩が凝りません?」
幽香の言っていることは分からないが、此処は多少見栄を張っておこう。でも大妖怪になりたくないのは本音。……そんな風に呼ばれるようになると、それだけで行動に支障が出る。八雲紫や風見幽香なんて、ちょっと人里に出向いただけでも影響を与えてしまうだろう。……まあここの連中は人妖問わずお気楽だから、あまり気にしてないのかもしれないが。
「……まあいいわ。……あの子は最近良く来るから、割とすぐに答えを見つけられるんじゃない?」
幽香はそう言ってまた笑顔を作った。ぞくっと悪寒が走る。
私が見たら只不気味なだけなんだけどなぁ。……はたしてその笑顔の奥にあるのは、一体何なのか。
「そうだと良いんですがねぇ。……それじゃあこれからしばらくよろしくお願いしますよ」
幽香の言うとおり、答えを見つけるのにさほど時間はかからなかった。
「こんにちは!お花さん、幽香お姉ちゃん!」
そう元気に挨拶するのは、ゆりという名の女の子。今年で五歳になるそうだ。
「こんにちは。……今日はどうしたの?」
幽香もにこやかに挨拶をする。
この光景を見るのは三度目だが、未だに夢かと疑う自分が居る。どうも少女は毎日来ているらしく、幽香のことも、少女の方向に向いている花々のことも、全く怖がっていなかった。……少女の危機感が足りていないのか、幽香が本当に優しいのか、まだ分からない。
幽香の笑顔に違和感を感じるのは、私が幽香の強さを知っているからなのか?
「お花の冠、もっと上手く作りたいから!だから練習しに来たの!」
何も此処で練習しなくてもいいだろうと思う。しかしこの少女に花冠の作り方を教えたのは幽香であるらしいから、綺麗に作れるかどうか見て貰いたいのだろう。
少女は座り込んで草花を編み始める。私はその光景を何枚か撮った。
「お花さん、お花さん、この間作った花冠をお母さんにプレゼントしたらね、お母さんの顔が強くなったの。……誰に教えて貰ったの?って。ここに遊びに来てることを話したら、怖い妖怪が居るからもう行っちゃ駄目だって。……お花さん達も幽香お姉ちゃんも全然怖くないのにね」
ゆりちゃん、それは違う。幽香は気に入らなければ即座にレーザーをぶっ放すような、そんな女だ。綺麗な花には棘があるってレベルじゃない。しかしそんな風見幽香が、此処まで優しく接していると言うことは、幽香は子供好き、と言うことか。
そうこうしている間に花冠が出来たようだった。手先が器用なのだろう、編み上げるのも早かった。
「上手に出来たわね」
幽香は微笑むと、少女の頭を撫でてやった。
少女は嬉しそうに笑って、作った花冠を幽香の頭に乗せる。
「プレゼント!作り方教えてくれてありがとう、幽香お姉ちゃん」
うーん、良い子だ。
私はすかさずシャッターを切る。……良い一枚が取れた。
花冠を頭に乗せて、はにかむように笑う幽香が写っていた。……何だ、可愛いところもあるじゃないか。
「じゃあ、今日はもう帰るね。……ばいばい、幽香お姉ちゃん!お花さんも!」
目的を果たした少女は、元気よく手を振って帰っていった。
「つまり、風見幽香は子供好きってことですね!いやー、可愛いところもあるじゃないですか!」
私がニヤニヤと笑いながら近寄ると、幽香はフッと息を吐いた。
「……子供が好き、と言うよりもね。私は元々、花や自然を愛でる気持ちがある者には優しいわよ。……只、子供はその想いが純粋だから、そう見えるだけじゃないの」
「じゃあ私が本当に花に興味があって、純粋に花のことが知りたくて取材に来ていたら、私にも優しくしてくれたんですか?」
「勿論よ。……頭、撫でてあげましょうか?」
即答だった。私は首を横に振って、考える。
「先程の子供が花畑を焼こうとしたら?」
「その子の親を殺すわね」
「あや、やっぱり子供には優しいじゃないですか」
「子供の責任は親が取るものよ。……まぁ殺すと面倒だから、腕とか足をもぐぐらいかしら」
それは良いトラウマになるかもしれない。子供に恐怖を植え付けられて、妖怪としても万々歳では無かろうか。
「ゆりちゃんでしたっけ。あの子……明日も来るんでしょうか」
あの様子なら来るだろう。確実にあの子は幽香を好いている。
「さあ?……あの子の親は出来た親みたいだから……どうかしらね」
幽香は貴女も知ってるでしょう?と呟く。
「幻想郷では『かも知れない』が大事。……外に出ると妖怪に襲われるかも知れない。……その時に怪我をして死んでしまうかも知れない。……大結界の加護があっても、妖怪に食べられるかも知れない。……大人になるにつれ、あの子もそう言う恐怖を覚えていく」
幻想郷が成り立っている一因がそれだ。
妖怪も人間も共に騒げる平和な楽園と化した幻想郷だが、そう言った畏れは必要だ。今や妖怪が里の人間を食べることは殆ど無い。……その『殆ど』を『絶対』にしないことが双方のためである。
「だからあの子は、もう来ないんじゃない?来るとしたら親付きよ、きっと」
幽香はそう言うと、綺麗な笑みを浮かべた。
次にあの少女が来たのは、一週間後。
少女の姿を見て幽香は大層驚いたようだった。
「こんにちは。……今日はどうしたの?」
少女は一人だった。
「うん、お母さんにここに来ちゃいけません!って言われてたんだけど、来ちゃったの。……だから今日のゆりは少し悪い子なの」
それを聞いた幽香は笑った。……ぞくりと肌が粟立つような、そんな微笑み。
……ああ、これはまずい。
「そう。……悪い子はこわぁーい妖怪に食べられちゃうわよー?」
幽香はそう言うと、少女を抱き竦めてこしょこしょと身体をくすぐる。
無邪気に笑う少女の首に、手が添えられていた。
私は眼を伏せて、顔を背ける。
「それ以上私の娘を誑かさないで!」
女の叫び声。
「あ、お母さん……」
少女の申し訳なさそうな声が聞こえた。
「……あら、この子の母親って、貴女だったのねぇ」
知り合いなのか。
女の顔は怒りと恐怖に歪んでいた。
「ゆり!何してるの!?早く逃げなさい!」
少女は少し不満そうな顔をする。
「どうして?このお花さん達も、幽香お姉ちゃんも凄く優しいよ?怖い妖怪なんて此処には居ないんだよ?お母さん」
それは違う。……君のお母さんは正しい。
少女の母親は、目に涙を溜めていた。
「ゆり、……お願いだから。……お花の冠も、お母さんが一緒に作ってあげるから。……お願いだからその妖怪に魅入られたりしないで」
「……お母さん、泣いてるの?」
幽香は抱きしめていた力を緩めてやる。少女が母に駆け寄った。
母親は、娘をしっかりと抱きしめると、泣きながら頭を撫でた。少女も母の頭を撫でて、少し困った顔をした。
「……幽香お姉ちゃん」
「……なぁに?ゆりちゃん」
ここで幽香は、初めて少女の名前を呼んだ。
少女がゆっくりと、言葉を紡いでいく。
「幽香お姉ちゃんは怖い妖怪じゃないと思うけど、お母さんが泣いてるから。……慧音先生が、両親を悲しませちゃいけないって言ってたから。……だから、私もうお姉ちゃんには会わない。……ごめんなさい」
……聡い子だ。自分が見ている世界が全てではないことを、感じ取っているのかも知れない。
「そう。……じゃあ、お別れね。……ばいばい、ゆりちゃん」
「……うん、ばいばい。幽香お姉ちゃん」
少女は何度も振り返りながら、母親と共に去っていった。
幽香は笑顔でそれを見送って、溜息を一つ。
「まあ、こんなものよね……」
別れを悲しんでいるような顔ではなかった。
今なら、この妖怪の本質を見ることが出来るだろうか。
「……あの子の母親と、何かあったのですか?」
幽香は笑う。
「彼女も小さい頃、よく私に懐いていたわ。……まぁ、トラウマを与えちゃったみたいだけど」
幽香の笑顔に込められた感情が、私には分からなかった。
「私が外来人を捌いて食べてるところを見てしまったの」
「……成る程」
「嬉しいことだわ……あんなに怖がってくれちゃって」
確かに、妖怪としては喜ばしいことなのかも知れない。……だが、風見幽香という個は、どう思っているのか。私は懐から一枚の写真を取り出した。
「この写真、近々開かれる写真展に出してもよろしいですか?」
二人の少女が楽しそうに遊んでいる、そんな写真だ。
「天狗が許可を求めるなんて、どういう風の吹き回し?」
幽香はおかしそうに笑って、好きになさい、と呟いた。
「……これは独り言なんですけど。……この子達、仲の良い姉妹みたいだなぁ……なんて」
私がそう言うと、幽香は曖昧な笑みを浮かべた。
その時初めて、この妖怪の奥に眠る感情を、垣間見ることができた気がした。
後日開かれた写真展で、『その笑みの奥にあるもの』というタイトルの写真が人気を集めたのは、また別のお話……
終
子供と接したりする姿とか、とても微笑ましいです。
文との会話なども、しんみりとしていましたけど
それが良かったと思います。
良いお話でした。
幻想郷らしい、と言うことでしょうか。まあ、この母親は少しばかり過敏なご様子ですが。
進行役に徹し過ぎた射命丸が話の中ではぼやけちゃってる様に感じた。
良い話ではありました。
煉獄様
幽香は優しい妖怪なんだと思います。
微笑ましいと感じてくれたのがとても嬉しい。
幽香の妖怪としての優しさを感じられるような人間に、私もなりたい。
8様
その言葉だけで十分です。ありがとうございます。
10様
幽香の勢いは凄い。投票9位になったりしてますし、新作に出てくれないかなぁ。
11様
幻想郷らしさを上手く表現できているか未だに不安ですが。
そもそも幻想郷らしさって何なんだろうなぁ、とか考えたり。
射命丸は取材モードに徹しすぎたかなぁ、と少し後悔。
確かに射命丸が主人公のようで幽香にスポットが当たってますから
そこら辺の加減が難しいですね。……精進します。
ではまた次の作品があれば、その時に。