迷いの竹林に店があるという事を、一体何人の人妖が知っているだろう。
山の天狗も、里の阿求も、永遠亭の姫様だって知りはしない。まさしく、知る人ぞ知る隠れ家的な店なのだ。竹林の案内をしている妹紅ならば、あるいは知っているかもしれない。だが、そのことに関して何も言ってこないのだから、どちらにせよ害は無かった。
外見は、今にも倒壊しそうなただの小屋。しかし、戸を開けば誰もが言葉を呑む。中もただの小屋だった。
要するにただの小屋であり、洒落たマスターもいなければ可愛いウェイトレスもいやしない。店主もいないし、店員もいないのだ。それを店と呼んでいいのか甚だ疑問ではあるが、これを店と呼んでいる連中がいるのだから仕方ない。妹紅も見逃しているのではなく、単に壊れそうな小屋程度の認識しかしていないのだろう。それは至極普通の反応であり、むしろ店と呼んでいる連中の方がおかしいのだ。
彼女らは決まって、満月の晩に集う。その事を知っている者は誰もいないし、知っていてもどうしようもなかった。
三人はその行為を、こう呼んだ。
あたい会議と。
「よく集まってくれたわね」
上座っぽい場所に陣取ったチルノが、威厳がありそうで無い声を放つ。
しかし小町もお燐もチルノに威厳など求めているわけもなく、誰一人として文句を言う者はいなかった。
「早速始めるわよ」
「前回は何話したかなあ。『あたい』の有効活用法だっけ?」
「それは前々回さね。前回は格好いい『あたい』の使い方だよ」
「ああ、そういやそうだったね」
合点いったと頷く燐。チルノもとりあえずといった感じで頷いて、話を続ける。
「だから今回はどうやって『あたい』って言葉を広めるか考えるわよ」
チルノの言葉に、二人は難しい顔で腕を組んだ。
「いやしかし、そうは言うがねチルノ。無理をしてまで、あたいって一人称を広める必要は無いと思うよ。これはこれで、あたいらのアイデン……何だっけ?」
しばし考えこみ、燐が答えた。
「アイデンテディーベア?」
明らかに知っている単語をくっつけただけだが、それを間違いだと指摘できる者はこの場にいない。小町もああそれだと納得し、可愛らしい熊のぬいぐるみの名前が会議の場に飛び交うこととなった。
「そのアイデンテディーベアが崩壊するわけだよ」
小さなお子様が見たら泣きそうな光景だ。
「そうかなー?」
「そうだよ。ともかくあたいはアイロンテディベアーを守ることに賛成だ」
今にも熱してプレスされそうな熊を保護して何になるのか。ツッコミ役がいない為に、指摘されることは永遠にない。
「ま、とにかくさ。あたいって一人称を広める事はないと思うわけだよ。あたいは」
「あたいも賛成だな。さとり様があたいって使い始めたら、それはそれで違和感あるし」
「むー」
二人の力強い説得に、チルノは唇を尖らせる。良いアイデアだと思って出したのに、ことのほか不評だったのが我慢ならないのだろう。
氷精の機嫌に影響しているのか、小屋の中を冷たい風が吹き抜けていく。小町は身体を震わせて、手を挙げた。
「あー、悪いけどちょっと酒飲んでいい?」
これが普通の会議だったら、叩き出されてもおかしくない発言である。
「いいわよ。でも、あたいにも一杯ちょうだい」
しかし、あたい会議などという名称のついたものが普通であるわけもない。一応は議長っぽかったチルノが小町の提案に賛成し、お燐もそれに乗っかった。
「おっ、いいねえ。じゃあ、あたいにもおくれよ。どこの酒?」
「さあて。四季様が贈り物に貰ったんだと」
「ん、じゃあ何であんたが持ってんのさ」
「それはそれ。蛇の道は蛇って言葉、知らないかい?」
「悪い奴だね、でも一杯貰おうか」
用意周到というべきか、胸の間から三個のお猪口を取り出す小町。チルノはそれを感嘆の声で出迎え、燐は自らの胸を見た。
「まだ成長期!」
「うん?」
突然自分を励ます燐に、小町が訝しげな視線を向ける。説明するつもりはない。したところで、どうせ理解しても貰えないだろうし。
燐はお猪口を傾け、舌鼓を打った。
「っくぁー! こいつは良い酒だねえ。買うなら結構な額だよ」
「おいおい、金の話なんて酒の席じゃあ無粋だ無粋。上手いの一言で終わらせとこうや」
「それもそうだね。そいじゃあ、もう一杯」
空っぽのお猪口に、新しい酒がなみなみと注がれる。なにせ、ここはすきま風が厳しい小屋の中。出来るだけ暖を取ろうとするのは、人間のみならず死神でも猫でも変わらない。ただ、妖精だけは寒さを気にしていなかった。
「待ちなさいよ!」
お猪口を突き出して、言い放つ。
「あたいの分も!」
なかなかどうして。チルノもいける口らしい。
酒もあらかた片づけて、ようやく会議も本題に戻る。
なかなか度の強い酒であった。燐と小町は酔ってこそいないものの、頬を染める程度にはアルコールが回っていた。
「ふふん、それじゃあ続きを始めるわよ」
ただ、チルノだけは酒を飲んだという片鱗すら見せない。妖精は酒に弱いものだとばかり思っていたが、案外強いのか。それとも、チルノが特別強いのか。燐と小町は顔を見合わせた。
考える事は同じらしい。
試してみるか。
「なぁ、チルノ」
「なに?」
「さっきの酒は美味しかったろ?」
小町の問いかけにチルノは頷く。ならば、話は簡単だ。
「ちょっとばかり時間をくれたら、あの酒をもっとご馳走してあげるよ。どうだい、飲みたいかい?」
チルノはしばし考え込み、子供のように再び頷く。もっとも、子供はこんな問いかけに首を振ったりしないだろうが。
「ところで、その酒はどこから調達してくるつもり? まさか、買うとか言いやしないよね?」
お燐の質問ももっともである。あれだけの美酒、買うとなると相応の金が掛かるのは明白だ。
「大丈夫だよ。四季様がまだ持ってたから」
それは飲んでいいものだろうか。燐は止めるべきか否か悩んだけれど、酒の美味さが先立った。
「それに、どうせ四季様は飲みやしないからね。宝の持ち腐れだよ」
「酒は腐らないけどね」
「物は言い様だ。それじゃあ、ちょっくら取ってくる」
取ってくるの字が違いやしないかと思ったが、ご相伴に預かる立場の奴が言っていい台詞ではない。
そうして待つこと、数十分。あっという間に小町が帰ってきた。
もしも上司がいたならば、普段からそれだけ機敏に動いて貰いたいものですと零しただろう。いや、いたらまず怒っているか。なにせ、持ち出したのは上司の酒なのだから。
「おまたせ」
「それで、首尾は?」
まるで泥棒の会話だ。自覚しつつも、今だけは気にしないことにする燐。
それが上手く生きる秘訣だった。
「上々。五本ほど持ってきた」
「それだけあれば充分だねえ」
蓋を開けながら、まずはと、小町はチルノのお猪口を満たす。
「本当に飲んでいいの?」
満たされた酒を見ながら、チルノが嬉々とした顔で訊いてくる。
「ああ、気にすることはない。どうぞ、思う存分飲むといい」
小町の発言に、満面の笑みでチルノはお猪口を空にした。見ているこっちが、惚れ惚れするような飲みっぷりだ。
釣られて、こちらのペースも上がってしまう。小町と燐も酒の味を愉しみながら、チルノにお酌する。
上機嫌で飲み続けたチルノが、瓶を空けるのに十分も掛からなかったという。
そうして、五本の瓶が空になった。
その頃には、さすがの燐も小町もマトモに立って歩くことが出来ないほど酔っていた。美味しい癖に度が強いのだから、こうなるのも無理はない。
虚ろな目でボロボロの机に倒れ込む二人を、チルノが呆れた顔で見つめている。何とも変わった構図であった。
「まったく、二人とも情けないわね」
腕を組むその様は、アルコールのアの字も感じられなかった。いつも通りのチルノであり、その動作にも表情にも何ら変わったところはない。
「な、なんで……」
「お前さんは平気なんだよ……」
息も絶え絶えに酒臭い言葉を吐く二人。
チルノは胸を張って答えた。
「あたいが最強だからよ!」
何か言い返したいところだったが、今日だけは反論することが出来なかったという。確かに、チルノは最強だ。酒飲みという意味においては。それは認めざるをえない。
なにせ、こうして勝敗がくっきりと分かれた構図があるのだから。
そうして、二人は意識を失った。
「それじゃあ会議の続きを始めるわよ!」
店と呼ぶのも馬鹿馬鹿しい小屋の中に、チルノの声だけが響き渡る。
翌日の永遠亭。永琳の元へ、珍しい来客が診察に訪れた。
「あなた確か、氷精といつも一緒にいる……」
「大妖精です」
そういう彼女の頬は、どういうわけか仄かに赤い。
おそらく風邪であろう。この時期、微妙に流行っているのだ。妖精が風邪をひくのかは審議の別れるところだが、永琳はそう判断した。妖精だって自然の生き物なのだから、風邪ぐらいひくだろう。
しかし、彼女の息で即座に考えを改める。
「あなた……ちょっと酒臭いわよ」
大妖精は口を押さえながら、もごもごと答える。
「す、すいません」
溜息を吐いて、カルテを仕舞い込んだ。
「悪いけど、二日酔いの薬なら無いわよ。水でも飲んで、寝ているのが一番良いわ」
「いえ、二日酔いの相談じゃなくて……」
俯いたまま、大妖精は言葉を続けた。
「チルノちゃんの身体がおかしいみたいなんです。なんだか、身体全体がアルコールで出来てるような感じで……」
これが人間相手なら考え込むところだが、妖精の話なら答えは一つしかない。躊躇うことなく、永琳は答える。
「ああ、多分どこかで大量にお酒を飲んだんでしょうね。氷精や水の精霊にはよくあることよ、飲み過ぎて身体の成分が変わることが。しばらくの間は、爪から皮膚までアルコールが多量に含まれているでしょうね」
それで自分をウワバミだと勘違いする妖精も後を絶たないという。何とも滑稽な話だが、自分の身体が変わるだなんて大抵の奴は想像すらしないのだから妖精だけを責められない。
後はもう話すことなど無いだろう。御大事にと残して、次の患者を呼ぼうとする。
しかし問題は解決したはずなのに、大妖精は出て行こうとしなかった。その顔は相変わらず、赤ら顔で困り顔だ。
いや、赤ら顔は当分治ることはないだろうけど。
「じゃあ、どうすればいいんですか」
大妖精は悲痛な顔で叫んだ。
その迫力に、思わず永琳もたじろぐ。
まさか、これからが本題なのか。月の頭脳たる永琳を頼らなくてはいけないほどの、姫の難題を遙かに超えた難題でもあるのか。
仕舞ったカルテを戻して、永琳は大妖精の言葉を待った。
「どうすれば……どうすればチルノちゃんと普通にキスできるんですか!」
永琳は笑顔で、大妖精を叩き出した。
GJ!
うん、大ちゃんがタグに入ってないのがなぞwwww
某所のクソマジメな設定論議見てドツボに嵌ってたんですが、
八重結界氏の作品を読んで目の前が開けました