「お前が相談しにくるだなんて珍しいな。いつもは自分でなんでもできるって顔してるのに」
そういって魔理沙がニヤけた。ちょっと癪な顔だけど、今日相談しているのは私のほう。
不満は胸元より先には出さずに飲み込んで、本題へと切り込む。
その前に、魔理沙の淹れた紅茶を一口すすっておくのも忘れない。
「もっと美味しく淹れられないのかしら。紅茶が泣いてるわ」
「ほっとけ、私は緑茶のほうが好きなんだ」
軽く憎まれ口を叩いておかなければイーブンにはなるまいて。
魔理沙はスプーンに砂糖を盛って、自分のカップへぶち込んだ。
こういうとこばっかしは、子供なんだから。
「それでね、うちの上海が最近変なの」
「腹筋でもするようになったか?」
「そう」
「うそだろ!?」
「嘘に決まってるじゃないの。ばーか」
「ちょっと、これはひどくないか……。お前がのったから」
「はいはい、茶化そうとした魔理沙が悪いのよ? だから、上海の様子がおかしいの」
「上海ってお前、魔力で動かしてる人形のどこがおかしいんだよ」
「そう、うちの人形は全て、私の魔力を受けなくては行動ができない。
上海や蓬莱には、常に最新の研究結果を反映させて性能を上げているけれど、それでも、自律して行動することなんてありえないことなの。
そのありえないことが、起きてるっていったら?」
「よかったなアリス。研究が結実したんだな」
そう言って魔理沙はティーカップを傾けた。危うく、紅茶をぶっかけてやろうかと思ったけれど、さすがにそれは可哀想なのでやめておく。
「本当にそうならわざわざ相談になんてこないわよ。もっと別の要因があるんじゃないかって思って」
「へぇ……。じゃあ気づいたところをまとめて教えてくれよ。まずはそれからだ」
「それじゃあ、初めてそのことに気づいたことから纏めていくわね」
「どうぞ」
本当に、どうしたのかしら上海は。
◇
「ん……」
ふっと目が醒めた。何か物音がした気がした、泥棒? なわけないか。大体誰かが来たのなら、家の中から音がする前に結界に引っかかるはず。
それこそ、八雲紫や伊吹萃香ぐらいの化け物じゃなければ。まさかその二人が夜中に押しかけてくるわけもないと、もう一度寝なおすことにした。
――ガタッ
「んもうっ!」
物音が気のせいじゃないとわかった途端、なんだか腹が立ってきた。人が寝てるときに一体何が目的でこんな音を立てるんだろう。
寝巻き姿のままベッドを降りて、物音がどこからしているのか耳を澄ませると、どうもリビングのほうから音はしているらしい。
「……念のため」
魔力の糸を蓬莱へと接続。枕元にいつもいるはずの上海は、前日どこかへと置き忘れたのか座ってはいなかった。
蓬莱だけでは心許ないけれど、話が通じない相手ではあるまい。
それでもなんとなし、忍び足で向かったリビングを覗きこむと、予想と違ってそこには誰もいなかった。
「あれ?」
やはり物音は勘違いだったのだろうか。もしかすると風の音がが窓枠を揺らしていたのを聞き間違えたのかもしれない。
それはそれで、と寝床に戻ろうとすると、窓のところで何かが動いた。
「上海……なんで……」
上海が、窓から外をじぃっと眺めている。上海の瞳はガラス玉。その目が世界を映すことなんてないと言うのに。
それでも上海は、一心不乱に何かを見つめていた。
◇
「で、結局原因はわからずじまいなのか?」
「残念ながらね」
朝になってから、私は上海を徹底的にメンテナンスした。
けれど、他人の魔力の痕跡も、悪霊が乗り移ったようなこともない。
結局原因を突き止めることができずに、魔理沙のところへと相談に来たのだった。
魔理沙は魔法使いとしての技術はまだ未熟だけど、咄嗟の機転や柔軟な発想に関しては私も一目置いている。
癪だけど、ラーニング技術は天下一品だし。
「なぁアリス」
「何?」
「今夜、上海を見張ってみようぜ。やりたいことがあるのなら勝手に動くだろ」
「やりたいこと?」
「だって上海はどこかを見つめているんだろ? だったら上海は、窓から外へ出たかったのかもしれない。
単に外を眺めてたかっただけかもしれないしな。どっちにしろ、弄くりまわしてわからないのなら、観察するべきだろ」
「まぁ、ね」
そんなこと私にだってわかってる。わかってるつもり。
だけど、本当にどうしてかわからないけれど、一人で上海のことを見ていられる自信が、私にはなかった。
「んじゃ今夜はアリスん家に泊まるか」
「ちょっと、あんたも来るの?」
「当たり前だろ? 乗りかかった舟は最後まで乗るぜ」
「まぁ……いいけど」
どうして反発してしまったんだろう。本当は頭を下げてでも、ついてきて欲しかったのに。
そもそもここに来た理由が、それをお願いしにきたっていうのに。やっぱり私は、素直じゃない。
「んじゃ早速準備するぜ。アリスはどうする?」
「一緒に行くわよ。一人だけで戻ってる理由もないし」
「そっか、ならそこで待っててくれ。私はちょっと奥に行くから」
そう言って魔理沙は席を立った。魔理沙の部屋は正直言って、汚い。
食べ物や飲み物が落ちているわけでなく、研究の資料が山のように転がっている。
リビングは辛うじてマシな部類だけど、私からすると結構目に付いてしまう。
「上海、蓬莱、片付けてあげて」
命令を入力して、魔力を注入。それを済ませれば、人形たちは自由自在に操れる。
それ以外に彼女らは動く術を持っていない、私たちの関係は常にお約束事に縛られている、縛られているはずなのに。
「どうしてあなたは、一人で動けたのかしらね」
上海は私の目線に首を傾げて応えた。これは私が入力した行動を反映したに過ぎない。
鈴蘭畑のメディスン・メランコリーのように、自分で考えてした行動ではない。
(メディスン・メランコリーかぁ。あの娘の場合は、恨みが積もって意思を持ったんだっけ)
もしかすると、上海は私への恨みを積もらせていたのかもしれない。
寝惚けて雑巾と間違えて紅茶を拭いたり、伊吹萃香と一戦交えたときに取っ組み合いをさせたり。
マスタースパークを真正面から受け止めさせて危うく消滅しかけたり。
考えてみれば、恨まれる要素は掃いて捨てるほどにあった。
(……やばいなー、私そろそろ殺られるかも)
人形遣い、人形に葬られる! 今日から私が人形マイスターby上海。なんてことになったら洒落にならない。
魔理沙辺りは大爆笑するかもしれないし、射命丸は新聞記事を大いに書きたてるだろう。
霊夢なんかは失笑というか、ぽかーんと口を開けていそう。
それらが簡単に想像できる辺り、私はロクな交友関係を築けていないらしい。
ちょっと涙出てきた。
「あー? アリスなんで机に突っ伏してるんだ?」
「ちょっと、人生に疲れたというか」
「そうかい。もう少しかかるからちょっと待ってろ」
ごめんなさい上海。ちょっと本音で、話し合う必要が出てきたかもしれない。それか、地霊殿の覚り妖怪のところへ行って、人形の本音を聞きだすとか。
自分でもめちゃくちゃなことを考えていると思うけれど、上海や蓬莱をはじめ、人形たちに負担をかけていたのは事実だった。
戦いに出向いたあとは、次の日はずっと人形たちのメンテナンスに追われる。
火薬を詰めて爆発した人形はどうにもならないとして、相手の攻撃を受け止める子や、自分の体よりも大きなランスを振り回す子。
腕が飛んだり、関節が破損するなんてことは日常茶飯事だった。
もちろん、捨て駒として人形たちを使っているなんてことは毛頭ないつもり。
この子らはいわば私の娘たちで、一緒に戦う戦友。どうしようもなく壊れてしまったときは、箱に納めて供養もしている。
けれどそんなことで許されていると思っているのは私のエゴで、人形である上海や蓬莱を始めとした子たちは、不満を溜めているのかも。
「どうしたもんかしら……」
いずれにせよ、夜にならなければその答えはわからない。
また今夜も動き出すという確証はないけれど、一度は動いているのだから、次があっても何も不思議ではない。
もしも動き出したとして、その時私はどうするのだろう?
「準備、できたぜ」
◆
すっかり陽は落ちた。私たちはリビングに上海を置いて、寝室へと閉じ篭ることにした。
じっと見つめていたら、動きだすものも動かないという魔理沙の進言に従ったのだ。
「昨日は何時ごろ動き出したんだ?」
「さあ……」
「さあってお前」
「びっくりしたり何なりして、時計見てなかったのよ」
「お前にしちゃ珍しいな。というか私に相談を持ってきたことからして珍しい」
「うぐ……」
「まぁ人形のことだからな、取り乱したって別におかしかないか。お前そろそろ人形と結婚しそうだしな」
「あんたはキノコとでも結婚したらいいんじゃないの」
「皮肉が言えるのなら元気なんだな」
魔理沙はケタケタと笑って、部屋の中を勝手に物色し始めた。
泥棒癖でもついてるんじゃなかろうか、こいつはもう。
「ほほう、これがアリスのいつも付けてる下着か」
「ちょ! どこみてんのよ」
「冗談だぜ、ほら」
にへらと笑う魔理沙の手の中には、なるほど何も入ってはいない。
要するに騙されたってわけか。
「ちょっとそこになおりなさい、そのひねくれた性根を叩き直してあげるから」
「お断り、だぜ」
魔理沙が手でバツ印を作ったのと、リビングから物音がしたのはほぼ同時だった。
「……聞こえたか? アリス」
「そりゃ、もちろん」
時計はまだ午後九時頃、徹夜の多い魔法使いからすれば昼間と変わらない時間帯だ。
よもやこんなに早く動くとは、思ってもいなかった。
「そーっとだぜ、そーっと」
「わかってるってば」
口の前に指を立てる魔理沙、なんでこいつがいつのまにか主導権を握ってるんだろう。
でもこれぐらい引っ張ってもらわないと、原因を突き止める勇気も出なかったことも事実だった。
(理由つけて目を背けてばっかりって、悪いくせよね、これ。)
合理化ばかりしてしまう私には、素直に思っていることを口に出せる魔理沙が、ちょっぴり羨ましい。
というか、便利だろうなって。これぐらいストレートに生きていられれば、凹んでもすぐに立ち直れそうだし。
私だったら、理由を一つずつ作って順序を踏んで立ち直っていかなくちゃ。
今日のことだって、もしも上海に私が拒絶されているとするのなら、私はこれからどうやって人形と接すればいいんだろうか。
「開けるぜ」
「ええ……」
開いて欲しくないなって思っても、魔理沙は構わずにノブを回した。
見据えなきゃいけない現実があるのだから、私はきっと、そこから目を背けちゃいけない。
それも誰かに頼らないといけないだなんて、恥ずかしくて死んでしまいそう。
「窓のところで、外を見てるな。行こうぜアリス」
魔理沙の手に引かれてリビングへ入ると、上海がゆっくりとこっちを向いた。
首を傾げてから両手をぶんぶん振り回し、こっちへふわふわ飛んできた。
「何か言いたいことがあるのか?」
魔理沙が上海へと話かけると、上海は机の上でぺこりとお辞儀をして、きょろきょろと何かを探し始めた。
「紙とペンだな。アリス、どこにあるんだ?」
「ちょっと魔理沙、どうして上海の言いたいことがわかるのよ」
「だって上海は喋れないだろ? だったら筆談しかないだろうが」
「う……」
そんなもの、なのだろうか?
私のほうがずっと長い間上海と一緒にいたはずなのに。
どうして魔理沙には上海の伝えたいことがすぐに伝わって、私は悩んでしまうんだろう。
「あっちの、棚にあるわ……」
「よしわかった、待ってろよ上海」
魔理沙が取りに行ってる間、上海は机の上にちょこんと腰掛けて大人しく待っていた。
私はというと、どうやって上海と向き合えばいいかがわからなかった。
胸元のリボンを握り締めたって何にもならないっていうのに、私は魔理沙が戻ってくるまで、何のアクションも起こせなかった。
情けなくって、この場から消え去りたくなった。
「よしじゃあ上海、何か書いてみろよ」
魔理沙が上海に鉛筆を持たせて、メモ帳に何やらを書かせている。
しきりに頷いている姿を見ると、意思疎通がきちんと取れているのだろう。
けれど私はそこから少し離れた場所で突っ立っているばかりで、その輪に入る勇気がでなかった。
(どうして私っていつもこうなんだろう)
宴会の時だって、羽目を外すのがみっともないって自分に言い聞かせて距離を置いて。
だけど催し事でもあれば顔を出して、常識人を演じているのが私。
本当、自覚すればするほどに嫌になってくる。こればっかりはどう直せばいいのか、見当もつかない。
「アリス、なぁアリスってば」
「え、あ、な、何?」
「上海な、外に出たいんだってさ」
ビッと前に突き出されたのは、ミミズが這ってるような、そとという二文字。
魔理沙は満面の笑みで、上海を肩の上に乗せている。
「よくわかんないけど、上海のしたいようにさせてやろうぜ。何があるのか、アリスも見たいだろ?」
「え、ええ……」
「よしじゃあ決まりだ。行こうぜ上海」
横を過ぎていく魔理沙と、その肩に腰をかけた上海。
(あなたの居場所は、そこなの?)
掌を握り締めて悔しがっても、どうにもならないことぐらい――わかりきっているのなら、動けばいいのに、動けない。
そうやっていい子ぶっているだけじゃ何もならないって、理解はしても実践には至らない。
(なんだ、お馬鹿ちゃんなんだね、私って)
ふっと緩くため息を吐いてから、出て行った二人のあとを追う。
私はこのまま、傍観者として終わるんだろうか。
◆
魔理沙と上海は、魔法の森を抜け再思の道に差し掛かってもその歩みを止めようとはしなかった。
このまま進めば無縁塚にまで辿り着いてしまう。
「ねぇ、魔理沙、どこに向かってるの?」
「さあ? 上海が指を指す方向に向かってるだけだからな」
楽しそうに山吹色の髪を揺らす、一人と一体。
色も長さも似通ってることが、私といるよりもずっと相応しく見えて、胸が痛くなった。
(何で嫉妬してるんだろ、ホントにくだらない)
私たちの足元は、満面に笑っているお月様が照らしている。
鼻歌の一つも飛び出すぐらいには陽気な夜だった。
実際魔理沙はさっきから楽しそうに鼻歌を歌っているし、上海も体を揺らしている。
暗い気持ちでいるのは、この幻想郷でたった一人、私だけなんじゃないかって思うぐらいに。
素敵な夜なはずなのに、誰もが踊り出しそうな月光が降り注いでいる場所なのに。
私はずっと同じ場所で佇んでいる。
歩だけは止めないようにしているけれども、心は一つことに囚われてばかり。
失敗しないように考えて、当たり障りのないことを心がけて。
私は、何を手に入れようとしているんだろう。
周りからの尊敬? 常識人というラベル?
周りを諌めてため息を吐くのは、悦に浸っているだけなのかしら。
言いたいことも言えずに、言いたいことに論理の鎧を被せて意図が読み取られないようにして。
適度な距離感が必要なんだと自分に言い聞かせつつ、その実心を許せるような相手もいない。
(人形だけは、私に応えてくれるって思ってたのにな)
その上海は、今は魔理沙の肩の上で楽しそうに、嬉しそうに揺れている。
私の心は、その光景に無様に揺らされている。情けない。
(もっと、自分は強いもんだと思ってた)
それが、人形が手元にないだけで。いや、人形が手元にないから、私はこんなに脆いんだ。
花の一つも咲いてない再思の道は、虚しさを掻き立てるには十分すぎる場所だった。
帰りたい、もう何でもいいから、早くベッドに入って眠りたい。
そうすれば私はまた、いつも通りになれる。
隣には上海がいて、蓬莱がいて、ほかの人形たちがいて。
私は自律人形の研究に没頭しつつ、たまに誘われたら……たら?
ああ、次また誰かに誘われることを、心の底では期待してるんだ、私は。
そんな心があることを、いつもおくびにも出さない自分が一番馬鹿みたい。
とぼとぼ惨めになりながらも付いていくと、紫色の桜が咲き乱れている寂しい場所――無縁塚へと辿り着いてしまった。
緩い風にゆるゆると揺れる、背の低い桜たち。紫色の花弁は、大風が吹けば全て飛んでしまいそうなほどにか細い。
まるで今の私のようだ。大風が吹いてしまえばぷっつりと気持ちの線が切れてしまう。
自嘲の念がこみ上げてくるけれど、前の二人を見ていると、それすらもどこかへと消え去ってしまった。
誰も咲き誇ることを見届けることのない、寂しい紫色の桜たち。どこか私に似ている桜たちは存外に、心を柔らかく暖めてくれた。
(虚しい、なぁ……)
誰も訪れることのない僻地で咲く意味などあるのだろうか。
こんなにも優しく受け入れてくれるのに、誰も価値を認めはしない。
せめて私だけは、この桜の咲く姿を覚えていよう。
「上海、ここか?」
魔理沙が上海へと呼びかけると、上海は肩から降りて、一本の桜の木に腰を下ろした。
何かを待っているかのように。
「よくわからんな。一体どうしてこんな寂しい場所にきたがったんだ?」
「別に、知らないわよ」
「アリス、機嫌悪いのか?」
誰のせいだと思ってるのよ。そんな八つ当たりの言葉を飲み込んで、頭を振った。
落ち着くのよアリス・マーガトロイド。たとえ内面が揺れているとはいえ、それを表に出したら全てが台無し。
けど、強がりと虚飾で形作ってきたものなんて、最初からなくっても一緒じゃない? 壊しちゃえばいいのに。
私には、そのどちらも選ぶこともできなかった。
ただ、自分でも笑えるぐらいに小さな声で、「気分が悪いの」とだけ呟くのが精一杯。
魔理沙はそんな私に目を丸くして、「大丈夫か? ここは辛気臭い場所だからなぁ」だなんて言ってる。
ごめんね魔理沙、余計な心配かけちゃって。本当に、私って肝心なところで詰めが甘いんだから。
分厚い鎧を着て、醜い心も全部覆い隠せちゃえば、余計な心配をかけることもなかったのに。
「うぉっ! なんだあれ! 見ろよアリス」
魔理沙があまりに大きい声を出すもんだから、私も釣られて顔をあげた。
するとそこには、言葉では形容しがたい何かが、大勢を引き連れて、居た。
それは茶碗だったり、古びた傘であったり、長机や、どこかで見たような調度品も混ざっていた。
「九十九神の百鬼夜行だ……。は、はじめてみた」
魔理沙は、近づいてくる百鬼夜行を見て興奮していた。確かに日用品のそれらが命を持ち躍動している姿は圧巻だ。
寂しかった無縁塚が、一挙に賑やかな様相となった。それらの九十九神たちは、私たちを囲むようにして居る。
まるでここが、最後の目的地であるかのように、緩やかにそれでいて、穏やかに安らかにそこに居た。
「驚いたな……。百鬼夜行だなんて滅多に見れたもんじゃないぜ」
確かに今の幻想郷では、妖怪たちは自由気ままに暮らしており、誰かを先頭に立てて列を成すなんてことは見ることができない。
それこそ、物に宿った魂が群れをなし踊る九十九神でなければ……。
「上海!?」
「おわ、どうしたアリス」
いつのまにか上海の姿を見失っていた。先ほどまでは桜の木の下に腰掛けていたはずなのに。
ああそうなのだ、上海はきっと待っていたのだ。この九十九神が、無縁塚までやってくるのを。
だから上海は私たちを連れてきた。百鬼夜行に加わり、私のところから去ることを見届けさせるために。
「そんなの、絶対に絶対に許さない! 上海、戻ってきなさい!」
私は無我夢中で、魔理沙のミニ八卦炉を奪い取り、自分の魔力をそこに叩き込んだ。
場合によってはこれを媒介にして、九十九神の百鬼夜行を消し飛ばす覚悟もできている。
けれど今はそうではない。魔力を通してしか繋がれない私たちの絆を、ほんの一本の小さな絆を。
何倍にも、何十倍にもして繋いで見せる。
(絶対に、絶対に許さないんだから! 勝手に私のところから、居なくなるだなんて!)
過剰すぎる魔力を受けた糸は、表面から魔力を駄々漏れにしつつもその受け取り手を探した。
溢れ出る魔力の色は、虹。幽玄に咲き誇る紫色の桜をも霞ませるほどに瞬く七色が、百鬼夜行の中へと吸い込まれた。
(いたっ!)
上海は、豪奢な飾りつけがなされた椅子と、鈍いながらも暖かな茶色を湛えたタンスに挟まれるようにして、居た。
そしてその糸を、王子が差し伸べる手を取る姫のようにたおやかに、手に取った。
(これは……。上海の、心?)
糸を通して流れ込んでくる、溢れ出しそうになる感情の奔流。
まだ上海が上海ではなく、ただの布や木でしかなかった頃。苦心しつつ不恰好でも、目を輝かせながら糸を通して行く、私。
それをガラス玉の目を通して、上海は見ていた。
愛する主人の剣となり、時に盾となる。たおやかで脆い、繊細な指先を守るために。
自分の体よりも大きなランスを構え、不敵に笑う鬼へと蓬莱と共に突貫をした時の記憶。
恐怖よりも、主人に喜んで欲しいがために、全力以上の力を出せた。
直撃をすれば大怪我は免れないであろう魔力の奔流に、蓬莱と頷き合い、体を張って結界を張った。
二体とも腕を失くすほどボロボロに壊れてしまったけれど、アリスは泣きながら一生懸命、元に戻してくれた。
姉妹たる人形たちが壊れてしまったときは、我が子を亡くした母親のように泣きじゃくって、一生懸命綺麗にしてから葬ってくれた。
壊れてしまった人形たちはもう、何も感じることはできないけれど、きっと喜んでいたと思うよ。
ありがとう、アリス。
(ありがとう、じゃないわよ、馬鹿!)
愛を受けたから九十九神となる。
しかし九十九神となったならば、百鬼夜行に加わり後進に道を譲るが運命。
(手を離して欲しい? このまま行かせてくれ?)
そうすれば、勝手に心を持ってしまった悪い人形がアリスの傍からいなくなる。
ほんのちょっとだけ、時々でいいから上海のことを思い出してくれる時があったならば、それだけで嬉しいから。
だから、行かせてほしい。道具として生まれた身には、これが最高の幸せなのだから。
「ふざっけんじゃないわよ!」
私が叫んだ瞬間、賑やかだった百鬼夜行が静まりかえった。魔理沙もびっくりして、腰を抜かしてる。
「あんたが幸せだとか、幸せじゃないとか!」
道を塞ぐようにしていた椅子を蹴り飛ばして、自分の体ぐらいあるクローゼットを押しのける。
「心を持ったとか、そうじゃないとか」
直進を妨げるものは、何であっても押しのけてみせる。
たとえそれが、自分よりもはるかに大きなベッドであったとしても、だ。
「邪魔、なのよっ!」
私は、勝手にいなくなるなんて絶対に許さない。
上海はずっと私と一緒に研究を見てきてくれて。
嬉しいときも悲しいときも、今までもそしてこれからも、一緒にいなきゃいけないのだ。
こんな勝手な理屈で、愛されたから、心を持ったからなんて理由で、手放さなきゃいけないだなんて。
「絶対にそんなの認めない! そう簡単に、大事なパートナーを手放してたまるもんですか!」
ベッドを渾身の力で横にどかし、残るは囲むようにしている椅子とタンス。
見た目は軽そうだけども、ベッドよりもずっと難敵のようにも思えた。
「あんたに私はまだ、ぜんっぜん恩返しも何もしてない!
自律人形の研究だって進まないし、間違って雑巾にもした!
なのにどうしてあんたは、こんな駄目な私にありがとうなんていうの?
隣で一緒に歩いてくれてたあんたの気持ちなんて、気づかなかったのに!」
袖で、溢れてきていた涙を拭う。こんなことで、泣いてる場合じゃない。
「私には、まだまだ上海が必要なの、心があるとかないとかそんなの全然関係ない。
私がアリス・マーガトロイドであるために、人形遣いであるために、あんたが傍にいなきゃなんないの!」
最後はもう、言葉になっていなかった。
息が続かずに、嗚咽だけが漏れ出す中で、魔理沙がそっと肩を抱いてくれた。
「なぁアリス……」
魔理沙はきっと、私に諦めろって言うんだろう。私が泣きじゃくったところで上海の決心は変わらないだろうし。
道理に背くことなんて、してもしょうがない。結局涙を流していることなんて茶番に過ぎなくて、百鬼夜行だって嘲っているはずだ。
「もっと、ワガママになれよ」
まるで、雷に打たれたような衝撃だった。
魔理沙の顔を見ると、魔理沙はにへら、といつも通り悩みなさげに笑っている。
「遠慮なんてしなくていいだろ。お前は上海が必要なんだ。
だったら、道理なんて全部ぶっ壊してしまえばいい。行けよ、アリス」
「えっ……」
魔理沙に背中を押されて一歩踏み出すと、タンスと椅子は、静かに道を開けた。
そこには、居場所なさげに目を伏せている上海がいる。
「上海」
呼びかけても返事はない。当たり前だ。
上海はその場でもじもじと、私の様子を伺っている。
「おいで、上海。帰りましょう、私たちの家に。蓬莱だって待ってるわ。
ううん、蓬莱だけじゃなくって、あなたの妹たちも、これから生まれる妹たちも。
あなたがお姉さんなんだから、勝手にどっかに行ったらだめ、だめなの」
最後は、泣いてしまって上手く言葉にならなかった。けれど上海は、迷いなく私の胸元へと飛び込んできた。
「ごめん、ごめんね……。本当、だめなご主人様でごめんね。
大事にするから、だから、ずっと一緒に居よう」
「アリス。百鬼夜行が終わるぜ」
魔理沙がぶっきらぼうに言ったその時、辺りに咲き乱されていた紫色の桜の花弁が。
一斉に、舞った。
「無縁塚の桜が散るとき、死者は迷いから解き放たれ中有の道へと進む。
それはきっと、九十九神たちも同様なんだろうな。ほら、あいつらも旅立つみたいだ」
胸に抱かれた上海が、動き始めた百鬼夜行へと手を振った。上海を守るように道を塞いでいた日用品たち。
愛をたくさん注いでもらった彼らは、妖怪になりきる前にあの世へと向かうのだ。
「……ごめんね上海。私のワガママで、一緒に行かせてあげられなくて」
ほんの数分で、賑やかな百鬼夜行たちの姿はどこにも見えなくなってしまった。
祭りが終わったあとのような静けさの中、ただ茫然と私たちは、無縁塚に佇んでいた。
「ま、いいんじゃないのか? 上海はお前んとこに残る選択をしたんだしな」
「そうなの、かしら。これでよかったのかしら」
「それってお前の悪い癖だよな。どっちが良い、悪いかじゃなくて。もっと自分がしたいようにやれよ、な?」
「好き勝手やってたら、あんたみたいになるじゃないの」
「けっ、すぐにいつもの調子に戻りやがって、からかい甲斐の無い奴だぜ。
いい、私は帰って、寝る! じゃあな!」
魔理沙はそういって、箒に跨って飛んで行ってしまった。
決して、私と顔を合わせようとはせず。
「……帰ろう、上海。私たちの家に」
――かえろう。ありす。
魔力の糸を通して、上海の気持ちが伝わってくる。
今はまだそれでしか意志疎通ができないけれど、いずれまた違ったやりとりができるかもしれない。
もしかすると、蓬莱も同じように……。なるのかしら?
「今度は九十九神じゃなくって、私自身の手で自律人形を作ってやるんだから!」
これは誰に向けるでもない、自分への誓いの言葉だ。
どれだけ時間がかかろうとも、絶対に作り上げて見せる、そう決めた。
――がんばれ、ありす。
「あったりまえじゃない、人形遣いの名にかけて、絶対に結実させて見せるわ」
だから、その時まで隣に居てね、上海。
出かけた言葉を飲み込んで、私は無縁塚からの帰路についた。
紫色の花弁が名残惜しげに、ゆらゆらと揺らめく中を。
◆
本格的に春が来た。麗らかな春だ。
そう言っておけば大抵のことは片付くので、研究で忙しい私はそれ以上の説明を放棄することにした。
先日里へ買い物へ行った帰り、寒空に大きな華が咲いていた。
その時吹いた大風で、ついに春が来たのは確信していたのだけど、春の実感はそういうところで感じるものではない。
「へっくちょん! ぶぇー、アリスー。ティッシュティッシュ」
「自分でやれ」
「ちっ。じゃあ上海、ちょっと取ってくれよ」
「ジブンデ、ヤレ」
「ちぇっ、変なとこばっか主人に似やがってさー」
今では上海は、魔力の注入ナシでも自由に動き回ることができた。
けれど戦いなどに出向くときには糸を繋いだほうが出力も上がるし、思い通りに動ける。
結局は、日常部分で若干機転が働くようになったことと、このように憎まれ言が叩けるようになった以外、大きく変わったこともなかった。
「上海、ちょっと紅茶を淹れてきてくれるかしら」
「ジブンデ、ヤレ」
「ちょっと! なんで人形が私に逆らうのよ! ああもう、蓬莱にやらせるから」
「フトル、ゾ」
「ああもう! なんでこの子連れて帰ってきたんだろう!」
幻想郷屈指の毒舌人形と化した上海とのこれからの生活は、若干の不安が残っている。
これに加えて蓬莱も九十九神と化したならば、それはそれで。
「賑やかでいいじゃないか。な?」
「ごもっとも」
「ホラーイ、オネエチャンダゾー」
上海がグリグリと、蓬莱にほお擦りをしている。
心なしか蓬莱の表情が曇って見えるあたり、そうなる日もそう遠くないのかもしれない。
「来春に期待って奴だな。アリスも紅茶いるか? ついでに上海も」
「ノメネーヨ」
「あっそ。ならあんたは蓬莱の世話でもしてなさい。蒸らしておいて、魔理沙」
上海は妹分の人形たちと遊ぶのが楽しくてたまらないようで、暇さえあれば他の人形と戯れている。
一足先に自律して動けるようになった分、お姉ちゃん面をしたくてしょうがないのだろう。
ソファーに人形を立てかけて、何度も頷いたり位置を直したりしている上海を見ながらのティータイムが、私の最近の午後の過ごし方だった。
「なぁアリス。あとで霊夢のところに押しかけようぜ。上海も連れて」
「そうね。幽香が居たらメディスンも連れてきてるかもしれないし、そしたらお友達になれるかもしれないわよ? 上海」
「フーン、キョウミナイ」
そういうと上海は、西蔵人形やオルレアン人形たちの髪の毛を整えはじめた。
けれど、その耳は私たちの言葉一字一句を聞き漏らさぬように気を張っている。
興味はあるけれど、今一歩踏み出すことができないのだ。
その姿に私は、素直になりきれなかった自分を重ね合わせた。
「つれない奴だな」
「恥ずかしがってるだけでしょ」
子は親に似るという言葉もある。
つっけんどんに見せている上海のせいで、胸の奥がこそばゆかった。
「もう、すっかり春ね」
「ああ、そうだな。花粉症の季節だ」
「あんた、もっとマシな言い方できないの?」
「んじゃ、上海が喋るようになった最初の春だ」
魔理沙は相変わらず、どばどばと砂糖を紅茶に入れている。
一週間や二週間ぐらいで嗜好が変わるはずもない。
「もっと美味しく紅茶を淹れられないのかしら。紅茶が泣いてるわ」
「タシカニ、ナ」
「上海までそういうこと言うのかよ。ひでーなぁ」
「ま、当然のことを言ってるだけだから、ね、上海?」
「ホーライ、ホーラオネエチャンダゾー」
「……聞いてないし」
こうしてうちに、五月蝿い同居人が一体増えることとなった。
友人でも家族でもない不思議な関係だけども、きっとこれから上手くやっていけると思う。
上海は今まで通り上海のままだし、私だって変わらずアリス・マーガトロイドなのだから。
すれ違いや衝突はあるかもしれないけど、私がちょっと素直になるか、上海が一歩譲ってくれるか。
それを魔理沙や霊夢なんかに茶化されたりもするかもしれないけれど、それはそれでありなんじゃないかなぁって。
私がそう思えるようになったのも、形振り構わずに叫んだ無縁塚での出来事があってのこと。
本当に大切な物があるのなら、打算も計算も全部投げ打ったって、損は無いと思う。
「博麗神社の桜は、きっと今頃が見頃だと思うぜ、今日は朝が来るまで飲み明かそう。
そうだそれがいい。決まりだな、上海」
「オウヨ、オニダッテツブシテミセル」
「それはさすがに無理ね。だってあなた飲めないでしょう」
こうして素晴らしき春の日を迎えられたことを、今は素直に噛み締めよう。
それでほんの少しだけわがままになったって、罰は当たらないでしょう。
ね? まだまだ不器用な上海と、私。
「シャンハーイ……」
でも上海、いきなり言葉遣い荒いなw
こんな話、個人的には好きです。
誤字?
「窓の外から出たかった」
「窓の外に」か「窓から」ですかね?
でも九十九神に連なるほどの年月がたっているとすると…上海、そしてアリスは何歳なんでしょう^^;
なんというか、あじわい深いSSですね…。
何度も読み返しても感じるものがある……そう、まるでお米。
ロンリーアリス、でも決して孤独ではないアリス。
小さな幸せはすぐそばにあるけど気づくのが難しいってけーねが言ってた。
素直になるって難しいね。
無縁塚の桜が散るシーンをもちっと羊ワールドでアリスの心理を投影して描写
してほしかった気がしないでも無いですが、吹っ切れた感じがして今のままでいい気もします。
なんにせよいいSSをありがとうございます。
ところで羊さん、かわいい上海に「バカジャネーノ?」と言われたくて夜も眠れません。どうにかしてください。
バカジャネーノ
上海かわいいよ上海
もっと可愛い性格してると私個人は思っています。
いや、でもコレはコレで良い味してて好きですけど。
アリスが行ってしまいそうになる上海に想いをぶつける場面とか
とても良かったです。
アリスと上海の関係ってやっぱり良いですよね……。
面白かったですよ。
上海かわいいよ上海
これはいい毒舌人形ですね。
そして魔理沙がかっこよすぎ、これは惚れる!
内容で100点入れようかと思ってたんですが
自分の中の感情が葛藤したのでごめんなさい90みたいな感じで。
いつギャグ化するかドキドキしながら読んでたぜw
面白かったです。
感動しちまったぜ…
やっぱり上海はかわいいなぁ
>まさか上海は知らず知らずのうちに、私に恨みを積もらせていたのかもしれない。
「まさか」があるせいで微妙に言い回しが変な気がします。
「まさか→もしかすると」或いは「かもしれない→積もらせていたのか」という感じに変えた方が良いかも。
誤字発見
×後進
○行進