「台所を貸して下さい!」
またかよ。
博麗神社の主、博麗霊夢は縁側でお茶を飲みながら、今日何人目かの来訪者に胡乱な目を向ける。
「……貸してもいいけど、壊したり爆破したりしないでよ? 勿論異臭も駄目だし黒魔術も却下よ?」
「ちょっ?!」
いきなり失礼な疑いをかけられた、へにょりとした兎耳を垂らしている宇宙人は、紙袋を胸に抱いたまま絶句している。
霊夢はそんな彼女を見ると「……はあ」と嫌な感じに溜息をついた。
「あんたの前にもね、台所を貸して欲しいって奴らがいたのよ。さっきのは、その借りた奴らがしでかした迷惑事の一例よ」
「一例!?」
その説明でっ?!
驚愕して、どんな奴らが借りたらそうなるのだろうと考えつつ、そんな人たちと一緒にしないで欲しいと、全力で失礼な霊夢をちょっと睨んだ。
だが、霊夢には木枯し程度の威力もなかったらしく、むしろ完全に疑った目を向けて、
「まあ、全部ちゃんと直させたけど、あんたは変な薬とか混ぜそうよね?」
「しませんっ!」
酷い偏見だった。当然憤慨して、霊夢につっかかる鈴仙・優曇華院・イナバ。
「ま。この日の女は遠慮なんてしないみたいだし?」
チラリと、霊夢の目が胸に抱いたままの紙袋にいく。
その視線で、そして先程の台詞で、自分が何の目的で此処に来たのか、すでに見抜かれている事に気づいて、鈴仙は頬を赤らめた。やはり博麗の巫女の直感は侮れないと、鈴仙はしょうがなくその通りだと認めた。
霊夢は、その様子に僅かに微笑み、
「ちなみに、そういった反応は貴方が一番素直ね」
「……えっと」
あんまり嬉しくなかったので、鈴仙は曖昧に頷いておく。
「萃香は最後まで誤魔化していたし、にとりはチェンソー片手に照れ隠しで怖かったし、妹紅はとにかく無愛想だし、魔理沙は何か呪いの篭ってそうなチョコを置いていったわ」
………。
鈴仙は、そこで迂闊な事を言いそうになった口を閉ざし、また面妖な方々が借りに来たんだなぁと、壊すとか爆破とか異臭とか黒魔術の該当者が綺麗に当て嵌り、むしろ納得したように頷いた。
「よく分からないけど、ココだと隠れて作れるみたいね」
「ええ、まあ。永遠亭の台所でなんて作ったら、ばれちゃいますし」
「大変ね。職場恋愛って」
「―――なっ!」
直球な、どうも誰に渡すのかも気づいてるっぽい霊夢。
見るとニヤニヤして「人参もいれるんでしょう? 特別に新鮮なの分けてあげましょうか?」とか、からかってくる。
「結構です!」
照れ隠しに大声で断り、鈴仙はちゃんと持ってますよと赤い顔でぶつぶつ呟いて、逃げる様に靴を脱いで室内へと消えていく。
霊夢はそれを見送り、お茶で喉を潤して「冬でも春ねぇ」と嘆息交じりにポツリと、青い空へと向けてみた。
「……まったく、霊夢さんは」
ぶつぶつと、鈴仙は綺麗に整えられた台所を前にして、早速準備に取り掛かっていた。
材料を並べ、効率よく作業をする為の準備を着々とこなしていきながら、しかし、とこっそり苦笑。
「皆、気合はいってるなぁ」
これでも早めに来たつもりだったが、それよりも気合の入った少女たちはたくさんいるようだ。
鈴仙は、早速銀紙を取り除いたチョコを刻みながら、自分を含めて幻想郷の少女たちの行動力の早さには恐れ入る。
今日はバレンタイン。
天狗の新聞に始まり、いつの間にか好きな人へとチョコを贈る日になってしまった日。
この日は、当たり前だが朝から幻想郷中がそわそわとして、心なしか甘い匂いが漂うのだ。
たくさんの人妖が胸を躍らせ、不安を抱きながらも勇気を出す、そんな素敵な日。そんな日を、こうして胸を躍らせて迎える事に、鈴仙自身驚いていた。
「……てゐに好きって、言って貰えなかったら、きっと」
今年も、胸の痛みを堪えて、師匠へと嘘で塗り固めたチョコを贈っていた。
だからこそ、胸を甘く締めつける、見た目は自分より年下な、あの悪戯兎が愛しかった。
「てゐ、喜んでくれるかな」
それとも、もしかしたら受け取って貰えないかもれない……
少し不安になり、心細くなるが、だけど贈りたいと思う。もしも受け取って貰えなかったら、その時はその時だと開き直る。
食べて貰えなかったら自分で食べてやる! と逆に意気込み気合が入った。
いつの間にか三枚目になった板チョコを細かく刻んでいき、湯銭で溶かしながら赤い瞳が不安で瞬く。
「……あ。いや、でも」
もしかしたら、だけど。
ふと、可能性が首を擡げた。
もしかしたらもしかして、てゐも、自分に用意してくれているかもしれない。なんて。
「いや、そんな事、てゐに限っては……」
急いで否定するが、だけど、もしかしたらは大きくなり、チョコを混ぜる手が止まっていく。
受け取って貰えるかも不安が混じるのに、だというのに、てゐが自分の為にチョコを作ってくれるなんて、少しうぬぼれすぎじゃないか? 鈴仙はボウルの中の、茶色く溶けたチョコを見つめながら思う。
「でも、本当に百分の一ぐらいの確率で、てゐが、私に作ってくれていても、不思議じゃない、よね?」
不安げに、だけど、どこか期待する様に呟く。
次第に、ドキドキと胸が高鳴っていくのを鈴仙は自覚する。
い、いやいや、そんな都合が良すぎる。
いやしかし。
と、思考がループする。
ありえないかもしれないが、ちょっとぐらい期待したい。
鈴仙は、乙女心を震わせ、赤い顔を冷ますように握りこぶしをぎゅっと作った。
だけど、もしかしたら。
鈴仙の頭の中で、てゐの手作り風景がとてもリアルなビジョンで映し出される。
『鈴仙ってば、食べてくれるかなぁ……』
なんて、
ちょっと不安そうな顔をして、そっと包装済みのチョコレートを胸に抱いているてゐ。
普段の悪戯兎ぶりが見えない、見た目相応の可憐さはどこまでも可愛らしい。ふわふわの白い兎耳も、今だけは不安げに、ぺったりだ。
『…鈴仙』
そして、呟くように自分の名前を呼んでから、チュッ、と、気持ちを込めて、ピンク色の縦長のチョコの箱へと、心を篭めて少しだけ長いキスを贈る。そんな―――――
「って、ちょっと待ったあぁぁぁぁぁ!!」
叫んだ。
脳内で描き出された妄想の有り得なさとか、興奮とか、とにかく色んなものが耐えられなくて気が付いたら全身赤くなって叫んでた。
「あ、ありえないありえない! ありえないから! 何勝手にとんでもない妄想してるのよ私はっ?!」
思わず、本気で自分の頭を勝ち割りたくなる。鈴仙は包丁を持ったまま暫し人の家の床でゴロゴロと転がってしまう。
「で、でもそんなてゐも可愛い……! むしろ私がこう、チューって……。でも、もしそんなだったら私、本気で耐えられないよてゐっ?!」
妄想で危険な事を口走りながら鈴仙は冷たい床の感触に少しずつ落ち着いていく。そして次の瞬間、彼女は慌てて我に返った。
「っていけない! 今はチョコ作りに専念しなきゃ! そうよ、だってあのてゐだし、イベント事に詳しいからって、わざわざチョコを作ってくれるわけないし、あんな都合の良すぎる妄想が現実に起こるわけがない! むしろ、てゐなら香霖堂で買う方が自然よ」
自分で言っといてちょっと切ないが、だが、それがてゐだと鈴仙は頷く。そうすると、先程の妄想がただの妄想だと分別できて落ち着いた。
「―――あれ?」
だが、落ち着きかけの鈴仙の頭に、またまた桃色の風が吹く。精神的に弱っていた鈴仙は、その風に簡単に流されて、そして頭の中にお花畑の如く、想像してしまった。
そう、でもその場合は、もしかしたら、と―――
『えっと、鈴仙、愛してます……と』
てゐは、備え付けのカードにこっそりと、そんな恥ずかしい言葉を書き記す。そしてその文面を読み直して、改めてその恥ずかしさに赤くなり、こっそりと誤魔化す様にギュッと胸に握りこむ。
そして、そのカードを店主に気づかれないようにと、そっとチョコの箱へと添えると、そのまま、どこか祈る様な眼差しで、買ったばかりのチョコを胸に店を出て、里を抜け、竹林を抜け、永遠亭へと帰り、誰にも見られない様にと、こっそりと私の部屋に入って、
『鈴仙、今日、気づいてくれるかな?』
なんて、苦笑気味に呟いて、
私の部屋の机の上に、他の資料と紛れさせてこっそりと、
見つけて欲しいけど、見つけて欲しくないみたいに、複雑そうな表情と共に―――――って。
「それ駄目ぇぇええ!! それ、それ反則すぎだよてゐぃ! それなんか切なすぎるよっ! むしろ全力で幸せにしてあげたくなるよてゐぃ!」
ダンダンダンダンダン!! と蹲って床を拳で叩きまくる鈴仙。腰の入ったいいパンチの連続だった。
外で、鈴仙の奇声と打撃音に嫌な顔をしている霊夢がいるなど、本気で失念している。
「てゐ可愛い可愛い」と連呼する彼女は、自分の妄想にちょっと泣いていた。てゐが切なすぎて涙を溢していた。そんな、ちょっと暴走した彼女が現実へと帰ってくるのは、暫く無理そうで、
その頭上で、茹でていた人参の鍋が凄い勢いで吹き零れていたが、今の鈴仙の茹った頭には届きそうになかった。
――――――――――――――――――。
霊夢は、ダンダンダンダンダン!! と、うるさすぎる台所へと嫌そうな顔を向けて、諦めた様に冷めたお茶を啜った。
本当は、そろそろ新しいお茶を淹れなおしたいのだが、今の台所へは行く気がしない。行きたくない。何か見たくないもの見せられそうだし。というか、ココを借りに来る奴らにまともな奴はいないのか? と諸々の事情で深く溜息をつく。
私なんて、チョコすら作れないのに、皆浮かれちゃってさ。なんて小さくぼやく。
そんな、ちょっと憂鬱になっている時。
「……何だか不機嫌そうだな?」
「え?」
トンッ、と、目の前に、
唐突といえるぐらい突然に、頭上から降ってきた彼女。
「久しいな」
「……あ」
どうやら上空からそのまま直角に降りて、いや、落ちてきたらしいのだが、日の光を浴びてキラキラと輝く金色の九尾が眩しく、霊夢は僅かに目を細めた。
「……藍」
そう、隙間妖怪の式。八雲藍。
「って、何だ? 台所あたりから奇怪な叫びと破壊音が聞こえるが」
「いや、それは気にしないで」
微妙な雰囲気クラッシャー的な音が聞こえて、藍は帽子の下で耳がぴくりと動く。
霊夢は、それを無視する様に進めた。
だって、説明するのも億劫だし難解だから。と、霊夢の目が死んだ魚みたいになっていたので、藍は疑問を一杯に感じながらも「…はあ」と頷いた。
「分かった。それでは先に用事を済ます事にする」
「用事?」
冷え切ったお茶を湯飲みに注ぎながら藍を見上げると、藍は手にした重箱を「ほら」と差し出して、霊夢に受け取らせる。
「? 何よコレ」
「チョコだ」
………………。
霊夢は、暫しとんでもなく胡散臭いものを見る顔で藍を数秒見つめる。そして、どうにも酷く不愉快そうな顔をしてから口を開いた。
「ごめん。私、藍の事は真面目に嫌いです」
「誰が私からだと言った? そして本気で失礼だなお前は……」
正直で遠慮のない霊夢の台詞に、微妙にこめかみを引きつらせつつも、霊夢が紫関係で藍の事を嫌っているのは知っていたので、特に動揺もなく話を進める。
「これは紫様からだったのだが、いらないなら返せ」
「触るな狐ッ!」
ブスッ。
と、伸ばした手に針が刺さった。ちなみに貫通するぐらい深々と。
「……お、お前なぁ」
当たり前だが痛い。
プルプルと、怒りのあまり藍が尻尾と身体を震わせると、霊夢も我に返ったのか、慌てて謝る。
「ご、ゴメン藍! つい普段から抑えていた貴方への破壊願望が……!」
「分かった。ラストスペルする前に黙れ」
分かっていた事だが、紫が起きていればまだ落ち着いている霊夢も、冬は藍への対抗意識とかそういうのが微妙に剥き出しになり、出されたお茶に玉葱とか、飛んでいたら札とか、橙を迎えに来たら仕掛けていたタライとか、何か情緒不安定になる。
昔はこうでもなかったのだが、紫を想うあまり、紫が心を許して甘える藍が可愛さ余って憎さ百倍という、それは面倒なことになっていた。
「……で、でも藍。紫が私にチョコを?!」
「ああ、去年は特に意識していなかったが、今年は面白そうだと冬眠する前にお作りになったのだ」
手に刺さった針を抜いて、吹き出た血を舐めながら答える藍。その顔は、霊夢の年相応の赤みを帯びた表情を見つめていて、霊夢もまだ子供なのだなと微笑していた。
「あ。ちなみに試作品第一号と本命は勿論私が貰った」
「てい」
グサッ。と額に針が刺さるが、今のは藍も意識してからかってみたので問題はない様だ。
暫し、霊夢は肩を怒らせていたが、すぐに好奇心には勝てなくなったのか、そのまま霊夢は重箱の中をチラっと開けて中を見て「うわわ」と慌てて閉じた。そして、嬉しそうにはにかんで重箱を胸に抱く姿は、藍にも好感が持てるほど可愛かった。
「あ。更に付け加えるなら、調理中、私の口元についたチョコを紫様が取ってくれるという素敵ハプニングが―――」
「うりゃあ!」
グサササッ! と人体の急所全部に刺さる針。
藍はそれでも気にせずに笑いながら、乙女の純情に水を注しまくる。藍だって、ちょっとはヤキモチを焼いているのだ。
「くっ、全身血まみれでも余裕の笑いって、喧嘩を売ってるわけ?!」
「いや全然」
ニコリと魅力的に笑い、藍は針を抜いていきながら、それでも重箱は死んでも返さないとばかりに抱き抱えている霊夢を観察する。
「ちなみに霊夢」
「何よ」
「その調理中の紫様の衣装とか、知りたくないか?」
「―――ぬがっ!?」
知りたいっ! と目は口ほどに物を言う霊夢に、藍はうんうんと頷き、ここらで霊夢との仲をちょっとは回復させとこうと、紫様プライベート写真集を背中にこっそりと持ったまま、にこやかに「それじゃあお茶でもご馳走になろうか」と縁側に腰を下ろすのだった。
ちなみに三分後。
藍のとっても自慢そうに揺れる尻尾とか顔に耐えられず、霊夢は鼻を抑えながら真っ赤な顔で夢想封印とかかました。
その時「羨ましいのよこの狐ぇ!」とか、とても切実な乙女の叫びが響き渡ったが、藍はひたすらに勝ち誇った様に笑っていた。
どうやら藍も、やっぱり紫関係で霊夢に対抗意識はちょっぴりもっているらしかった。
――――――――――――――――――。
ドォン、と。
瞬間、博麗神社の辺りで物凄いエネルギーのぶつかり合いを感じて、彼女はまず驚き、しかし数秒後には何してんだ? とその方角を見て呆れた顔をした。
その存在は、二本の角が目立つ鬼で、その名も伊吹萃香。
萃香は、適当な大きさの皿の上に、甘い匂いを漂わせるチョコを無造作に乗せたまま、森の中に立っていた。
「なんだいアレは? 喧嘩か?」
「ん~。だろうね」
力の波から霊夢の相手を悟り、萃香は軽く肩を竦ませる。いつもの事だ、みたいなその態度に、目の前の長身の鬼も「そうかそうか」とカラカラと小気味良さそうに笑う。
「久しぶりに出てきたが、やっぱり地上は賑やかだねぇ」
「まあね、毎日どこかが騒がしくて最高だよ」
顎に指を当てて、感慨深げにニヤリと歯を見せる鬼に、萃香も同じぐらい無邪気に笑い返す。
そのまま、手にした皿を持ち上げた。
「ほら勇儀。ったく、恥ずかしかったんだからな」
「いやすまない。恩にきるよ萃香」
すまなそうに頭をかいて、額から一本の太い角を生やした鬼、星熊勇儀は片手を上げて萃香に惜しみない感謝をしめす。
そのまま、指先で一つだけ、そのチョコの固まりを大切そうに摘み上げ、白い紙で器用に包み込んでから皮袋の中にしまいこむ。
その慎重な手つきに萃香は苦笑して、次にはどこか複雑そうに唇をひん曲げる。
「……一粒でいいのかい?」
「ああ、これでいい」
陽気な鬼は、笑顔を絶やさず、目を細めてその皮袋を腰に下げる。
「あいつは、私から受け取るものは毒だと思い込んで、絶対に食わないからな」
「笑顔で何悲しい事言ってるんだよ……」
「だから一つで充分。隙を見せて口の中に放り込めれば私の勝ちだ。……なんか、最近は全然隙を見せないというか、節分の時から炒り豆を常備する様になって、顔を見せると力一杯に投げられるけどな」
それ、嫌われてないか?
萃香は瞬時に思ったが、口に出すのはギリギリ堪えた。
どうやら、節分の時、鬼にとって炒り豆がどれ程脅威なのか理解して、毎日きちんと用意しているらしい。
萃香は、何とも言えずに勇儀を見上げるが、勇儀はしかし笑顔だった。
「可愛いだろう橋姫は」
「いや、憎らしいと思うぞ私は」
「いやいや、お前は橋姫の事が分かっていないからさ」
手を振って否定して、勇儀は可愛くて仕方ないという顔で、絶賛片思い中の相手、水橋パルスィの事を考える。
「最近は、勇儀って名前で呼んでくれるんだ」
「……へぇ」
「名前で呼んでくれと二ヶ月ぐらい正座したり土下座したりしてお願いしたら、快く呼んでくれる様になったんだ」
「快くって意味、知ってるか勇儀?」
脳裏に、物凄い嫌そうな顔で、憎々しげに名前で呼んであげているパルスィの「……しつこい、うざい、どうあっても私の静寂を邪魔しつつ私を洗脳しようというのねこの鬼は? ああ、妬ましい……!」とか、炒り豆を勇儀にぶつけてる姿が浮かんだ。
「……勇儀、お前」
「一歩前進だろう萃香!」
いや、四歩ぐらい下がってる。
というか、そんな調子なら、橋姫にチョコをあげても更に嫌われるだけではないかと萃香は考えたが、元々勇儀が橋姫に片思いという図式が嫌だったので、あえて何も助言しなかった。
萃香はいまだ、どうして勇儀があんな嫉妬狂いにデレデレと笑いかけているのか、理解できないのだ。
なので、話題を変えるようにしてコホンと咳払い、
「あ、あー。そういえば勇儀も酷いな。流石に、私だって霊夢にチョコを溶かして固めたいから台所を貸せ、なんて言いづらいんだぞ?」
「んん? あぁ、それは悪いと思ってるんだが、萃香以上に、私のほうが言いづらかったんだ。それに、私は不器用で、溶かして固めるだけでも、あの神社を破壊しそうでねぇ……」
決して、勇儀は料理が下手というわけではない。
だが、改めて好きな人へ作るとなると話は別で、どうにも気合が入りすぎて、むしろ失敗してしまう。そこは付き合いの長い萃香も理解しているので、軽く笑って「そうだな」と同意した。
「ま。私も文の分が作れたからいいんだけどね」
皿の上にある、一際大きい、ちょっと歪ながらも気持ちの篭った赤ん坊の拳ほどのチョコ。中には萃香でも滅多に飲まない、とっておきの酒が混じった一品だ。
「文、喜んでくれるかなぁ」
きっと笑顔で受け取ってくれるだろうと、萃香はへらりと口元を緩ませる。文は何だかんだで萃香を嫌いではないし、何より先の節分の時、追い掛け回される萃香を率先して助けて、その日ずっと逃げ切ってくれたのだ。
ますます惚れ直したと、萃香はその時の文の真剣な横顔を思い出して頬を染める。
「……む」
それを、微妙に苛立ち紛れに見下ろしたのは勇儀だった。
「……萃香、お前。噂には聞いていたが、本当にあの天狗に惚れてるのか?」
「ん? あー、まあね。私はどうにも、文を好きになる事はあっても、嫌いになれそうにない」
「……むむ」
照れた顔をする萃香を見て、眉間に皺をつくり、皿の上のチョコを見る勇儀。萃香の手作りのその一品は、良い酒の匂いを漂わせ、萃香が相当に本気だと窺える。
「………」
勇儀は、あんな天狗の何処がいいんだ? と、萃香の幸せそうな横顔を見つめながら考える。
速さだけなら一級品だし、力だってある強い妖怪であるのは認めるが、しかし、萃香に釣り合うかどうかは別だと思う。
ヘラヘラと笑って覇気がないし、たまに旧都で見かけた時も、お供の天狗やら妖精にくっ付かれて、困った顔で、だけど満更でもないように飛んでいた。
浮気してないかあいつ? というか、あんな奴の何処がいいんだ萃香は?
「ん? どうかした勇儀」
「……いや、何でもない」
何故に、萃香はあんな天狗に惚れてしまったんだろうと、あんまり賛成できないと仏頂面を隠し、勇儀は「んん」と煮えない呻きを漏らす。
「と、ところで萃香」
「? さっきから変だぞ勇儀」
「い、いや、気にしなくていいんだ。だからな、その、文って天狗の何処が好きになったんだ?」
「なっ、ち、直球だな!?」
変化球無しの直球すぎる質問に、萃香は赤くなり、だが、特別親友に隠すことでもないので、頬を掻きながらもじもじしだす。
その姿は別人かと思うぐらいに可憐で、勇儀は目を見張った。
「え、えーとだな。まず、文は可愛いだろ? それに足も速いし、傍にいると風が甘い匂いを運んで気持ちいいし、笑顔が魅力的で、あれでけっこう律儀なところもあるし優しいし、押し倒すと必死に涙目で逃げるとこなんて悩殺ものだし」
「………ん?」
「私の事は全然好みじゃないからやめて下さい! とか叫ぶけど、その時の声とかやばいぐらい小動物ちっくで堪らないし、キスすると、何とも言えない顔で、私はロリコンではないので、いい加減諦めませんか? とかしつこく言ってくるとか、とにかくそういう無駄な行動するところも大好きだし」
「………んん?」
勇儀は、はて? と首を傾げる。
聞いたら聞いただけ、何かおかしい気がするのだが、何がおかしいのか分からないのだ。
「まあ。私が大きくなったらナイスなボディで文を悩殺するって言ったら、はいはい、その時になったら考えますねー。とか全然乗り気じゃないところとか、チルノを甘やかしすぎだ! とか、あの犬っころとスキンシップ多すぎだろ?! とか、まあ色々不満はあるけど、でも好きなんだ!」
「………ん、んんん? そうか」
一応頷くが、やっぱり何かおかしい気がする。ひたすらに考えるが答えは出そうになかった。
だが、そんな淡白な勇儀の反応に、面白くないのは熱弁した萃香で、それならと、萃香は膨れっ面で勇儀に詰め寄る。
「おい、ならお前さんは橋姫の何処に惚れたんだい?」
「んあ?」
急に話をふられて、僅かに驚きながらも、すぐに勇儀は頭に引っかかっていた疑問という名の針の事を忘れ、自慢げに大きく胸を張った。立派な胸がつめ寄った萃香にぶつかりのけぞらせる。
「そりゃあ、一目惚れさ!」
「はあ? 見てくれは、まあ悪くないけど、そこそこだろう?」
「萃香の天狗よりずっと美人じゃないか」
ムカッ。
青筋浮かべえる萃香に気づかず、勇儀はうんうんと頷く。
「まあ、橋の上で静かに佇む姿にまず心奪われてねぇ、すぐに声をかけたんだよ。そこのお嬢さん、一緒に酒でも飲まないかい? って」
「ナンパじゃんそれ」
「そしたら、橋姫は冷めた瞳でこちらを見下しきった感じに顎をあげて、消えろ。邪魔だ。妬ましい。と」
「……ナンパだと思われたんだな?」
「次の瞬間、私は恋に落ちた!」
「どこら辺で!?」
びっくりする萃香に気づかず、勇儀はぐっと拳を強く握る。
「あの生意気そうな顔とか、妬ましいといった本気の感情とか、しっしと犬を追い払う失礼な仕草とか、橋姫は初対面の私を本気で邪魔で妬ましくて死んでくれとまで思っていた!」
「最低じゃないか!」
「なんで!? 最高だろうが!」
ムカッと、今度は勇儀が青筋を浮かべる。
「初対面で、あそこまで私を否定しきったんだ。私を肯定してくれた時、橋姫の愛がどれだけ深く、そして大きいかなんて、想像するまでもないだろう! そんな相手だからこそ、鬼の私は一生をかけて愛する事が出来る! 例え橋姫が私を肯定しなくても、私はもう橋姫を選んでいるんだ!」
熱い叫びは、萃香の心を震わせるが、しかし、完全にはひるませない。
そんな一方通行の、ただ親友が尽くすだけの恋を、萃香は認められない。
萃香は、勇儀に幸せになって欲しいと願っているから、そんな、大切な彼女の報われないかもしれない、報われる方が奇跡な恋を、認めるわけにはいかないのだ。
「………ああ、そう」
だが、言えない。
萃香は苦々しげにそう呟くと、真剣な顔の勇儀をただ睨み、すぐに顔を背ける。
萃香が勇儀に言えないように、勇儀だって萃香に何も言えない。これは自分たちの問題であって、例え親友であろうとも、自分の考えを押し付けるだけでは、ただ我侭をぶつけるだけではいけないと、経験論で長い付き合いの二人は知っている。
だから。
「……んじゃあ、橋姫によろしくな。勇儀」
「……ああ、そっちこそ。天狗によろしく」
今だけ、少し仲違いをして、次に会った時には酒を飲もうと、暗黙の了解で鬼達は背を向け合い、そのままそれぞれの愛しい人に会いに行く。
「なんだよ。……勇儀の奴」
ふん、と鼻息を荒くして、萃香は途中、大き目の石を思い切り蹴り飛ばした。色々納得できなくて、もやもやと不満がたまっている。
だから、今は一秒でも早く、あの優しい風を吹かせる天狗に会いたいと思った。
――――――――――――――――――。
「………え?」
ふと、作業に集中していると、隣の方でゴツッ。という音が聞こえた気がしたので、気のせいかと思いつつ視線だけを向けたら、そこには目玉の付いた帽子に大きめの石がめり込んで、地面に倒れている神様がいた。
「ぶっ?!」
吹いた。
吹いてから、慌てて神様を抱き起こしてみたら、帽子がボトリと落ちて、急いでその頭を撫でてみると、案の定たんこぶが出来ていた。
「諏訪子様!? 大丈夫ですか!?」
「し、死ぬほど痛いぃ」
ぐるぐると目を回して、だけど人間なら致命傷の一撃も神様な彼女、洩矢諏訪子には輪ゴムを遠慮無しに顔にぶつけられた様なものだ。
「いつつ、いきなり石が降ってくるって、幻想郷って本当に理不尽だぁ」
「諏訪子様、ほら、痛いの痛いのとんでいけ~」
「……ねえ早苗? 最近私への扱いがとても神様にするものじゃないよね?」
なでなでよしよしふにゃふにゃと、小さな子供をあやすように、涙目で心配している東風谷早苗に、諏訪子はとても複雑げな顔をする。
どうにも、此処に来てから早苗は事あるごとに自分を子供扱いすると、辟易しながら。
「早苗。もういいから」
「諏訪子様歩けませんか? おぶりましょうか? いえ、お姫様抱っこでも大丈夫ですよ!?」
「うん。落ち着いてね早苗」
愛がうざいぐらいに信仰してくれるのは嬉しいが、ちょっと過保護すぎた。
諏訪子は苦笑しながら自分にぶつかってきた石を踏み砕き、そして石が飛んできた方角を見つめて、その可愛らしい目をすうっと細めた。
「…………馬鹿力め」
「えっ?」
「ううん。何でもない」
落ちた帽子をパンパンとはたいて、また被りなおすと、いまだ涙目の早苗にもう平気だと笑いかける。
早苗はその笑顔にほっとした顔をして、すぐにそっと諏訪子を抱きしめた。
「………………早苗?」
「良かった。諏訪子様。いきなり石が降ってくるなんて、今日から私、諏訪子様の頭上にも注意を払いますね。大き目の石は最初から砕いておきますね?」
「いや、凄く大げさだから」
信仰って、ある意味究極の愛よねぇ、とか言っていた、早苗に極限に甘やかされるもう一人の神様を思い出しながら、諏訪子は、うん。そうだね。とか心の中で呟いた。
というか、幻想郷に来て変な友達が増えて、変な交友関係が広がってから、早苗の自分たちへの甘やかしぶりが駄目駄目なぐらいにレベルアップした。
連日連夜の宴会を、もうしょうがないですねぇとか、困りきった顔で、だけど嫌そうでもないし、お酒も飲めないのに頑張る。
「……早苗。ちょっと苦しいな」
「すいません。もう少しこのままで」
ぎゅーと抱きしめられるのは、早苗だから不快ではないが戸惑う。というか胸が当たって、成長したんだなぁとか、変な感慨が生まれてしまう。
「諏訪子様、小さい」
ほっとけ。
うふふ、と楽しそうな笑い声が聞こえて、気づいたら帽子を脱がされてなでなでされている。
暫く好きにさせとこうと呆れて、目線を泳がせると、ふと先程まで熱中していたそれを見つける。
「早苗、花飾り落ちてるけどいいの?」
「え? ああ!?」
慌てて、早苗はそれを拾い上げると、汚れを軽くとって、ほっとした顔をする。
その淡い色の花を集めて結った飾りは、素朴で心をほんのりと暖める出来栄えだった。
「よかった。壊れてないです」
「そう。にしても、バレンタインのただの飾りに、早苗も頑張るね」
「こういうのは見栄えですから。冬に咲く花って、綺麗なんですよ」
ニコニコと笑い、そのまま諏訪子の手を握る早苗。その甘えた仕草に、最近スキンシップが激しいなぁと考えつつも、諏訪子はその手を握り返す。
「昨日から、とても気合を込めて用意してありますから、楽しみにしていてくださいね」
「うん、凄く楽しみだよ。神奈子も楽しみだって言ってたし」
「はい」
花咲く笑顔で、諏訪子の言葉に喜び、早苗は繋がれた手をぎゅっとさらに握り返す。
「それにしても、バレンタインなんてお菓子業界の劣悪なイベントが、幻想郷にも広がっているとはね」
「諏訪子様ってば」
「ま、私は早苗からチョコが貰えるからいいけど」
ケロッ、とふざけて鳴いたら、早苗は顔を赤らめて笑ってくれた。
「そういえば、早苗は私達にチョコをくれるけど、そろそろ本命とかいないの?」
「……はい? 本命、ですか?」
諏訪子が何気なく、しかし好奇心をくすぐられるその関心事を早苗に問うと、早苗は小首を傾げてとても不思議そうな顔をしている。
「ほらほら、幻想郷でも出会いってあるでしょう? 好きな人ぐらい出来たかなって」
「……はあ?」
小さな息を吐いて、やっぱり不思議そうにしている早苗。どうやら誤魔化しているらしいと諏訪子は鋭く早苗の心を暴くと、またケロッ、とわざと鳴いて、上目遣いをする。
「ねえねえ、神奈子には秘密にするから、ね?」
「いえ、ね? と可愛らしく聞かれても」
頬を染めて、早苗はだけど困った顔になる。それから「うーん」と呻いて、諏訪子にそっと顔を近づける。
「ねえ諏訪子様」
「うんうん」
「私の小さい頃の夢、覚えていますか?」
「へ?」
質問の答えと関係なさそうな早苗のそれに、諏訪子はきょとんとして、話を逸らされていると少しムッとする。
「小さい頃って、確かお嫁さんでしょう?」
「そうですそうです。ってうわぁ嬉しい。諏訪子様覚えていてくれたんですね!」
「早苗のことだし、忘れないわよ」
「はい!」
うわうわうわぁ。と何故か大げさに喜んで、早苗は諏訪子の手を両手で握って上下に降る。
「さ、早苗?」
「はい! 諏訪子様」
「だ、だから、本命は誰にあげるのって、私は聞いていて」
「私の夢を覚えていてくれる諏訪子様なら、すぐに分かります。さあ、早速帰りましょう。神奈子様も待っていますよ♪」
訳が分からない。
諏訪子は結局はぐらかされたのだろうかと、唇を尖らせて不満そうな顔をする。
だが早苗はそんな大切な神様の顔を見ても、顔を赤らめるだけだった。
早苗は思い返して、拗ねる諏訪子の手を、もうちょっとだけ強く握った。
『さなえは、かなこさまとすわこさまの、およめさんになりたいんです!』
小さな幼子だった早苗は、神様たちを見上げて、真剣にそう言った。本気で。
そう、あちらの世界では駄目だけど。
此処は幻想郷。此処は、受け入れる世界。
「人と神が、一緒になったって」
絶対に成就しない筈だった恋心は、成就する事は罰当たりとされるそれは。
幻想郷では、受け入れられる。
「私が、お二人のお嫁さんでも――――」
此処で出会った少女たちの、遠慮せずに押し倒してしまえとばかりの強い笑顔と意見は、早苗の心から迷いを消して。切なさを消して。苦しさも消して。何より、我慢を消してしまって。
「早苗ぇ、結局本命は誰なの? いるの? いないの?」
「ふふふ。考えてくださいね諏訪子様」
袖を掴んで、いじけた顔をする愛しい愛しい神様の一人に、早苗は慈しみを込めて見つめて、微笑む。
神奈子様。諏訪子様。
愛しています。心から。
いつか、その言葉が自然に伝えられる日を夢見て、早苗は鈍感な神様に、少し意地悪をしているだけだ。
握った手の暖かさに、幻想郷に来てやっと感じられるようになった温もりに、早苗は少し泣きそうになって、誤魔化すみたいに笑った。
風がさわさわと吹いて、早苗を助けるみたいに、諏訪子の帽子を遠くへと飛ばしてくれた。
慌てた諏訪子は急いで追いかけて、早苗のその顔を、泣き笑いじみた切なげな表情を見る事はなかった。
早苗は、その事実に深く安堵した。
――――――――――――――――――。
驚いていた。
急に、何の前触れもなく、目の前の天狗は真面目な顔をして風を起こしたから。
「うわ?」と、声が漏れて、だけど天狗は別にどうもしてませんよとばかりに笑顔で振り返った。風が冷たいこの季節の中、この天狗の起こす風は、不思議と温かで、いい匂いがする。
「と。失敬失敬。やはり椛ほどではなくても、目が良すぎるというのは考え物ですね」
「? そーなのか」
「ええ、最近、女性の泣き顔とか特に苦手になってましてねぇ。ついついいらぬ節介をしてしまい、と失礼、脱線しましたね」
幻想郷の上空で、鴉天狗が苦笑いしながら、黒い塊と話している。
黒い方は、天狗ほどに目は良くない、というか悪いので、天狗の見ている先に何があるのか不思議そうだった。
よくよく見れば、その黒い塊の中には金色の髪の可愛らしい少女がいて、目がむうっと細められているのだが、それは至近距離まで近づかないと分かりそうもない。
「まあまあ、それより、ルーミアさんはミスティアさんにチョコをあげるんですか? っていう取材に戻りましょう! ね?」
「……んー。うん、いいよ」
ルーミアと呼ばれた暗闇の妖怪は、鴉天狗、射命丸文の誤魔化す様な笑顔を見て、まあいいかと、にぱーと頷いた。
暗闇の中にいるせいか、彼女の視力は人間と比べても劣っているので、さっさと諦めたのだ。
「で、あげるんですよね?」
「うん、あげるよ。みすちーに大きいのを!」
「それは熱いですねぇ。ちなみにミスティアさんの何処が好きですか?」
「全部!」
「おう! 更にお熱い! ほうほう、それでは最近、ミスティアさんとどれぐらい進んでいますか?」
「…………」
と、その文が一番聞きたかった所で唐突に会話が途切れて、ルーミアが笑顔のまま唇を引きつらせた。
「……え?」
ルーミアは、笑っている。笑っているが、目が微妙に笑っていない。むしろちょっと怒っている様にも見える。
「あれ、あれれ? 急にどうしたんですかルーミアさん?」
というか、何か雰囲気が、どんどん怖くなっている気が、冗談ではなく肌に直接伝わり、文は顔を真剣なものにする。
最近。死神やら花の妖怪が、ルーミアが怖くなったとか、ちょっと危ないわよとか聞かされていたが、まさかそれに関係ある? と逃げたくなるぐらいに、ルーミアの顔が笑顔だけど暗くなっていく。
カサカサと、頭上でリボン? が風もないのに震えている。
「……実はね、今ちょっと、ミスティアとは顔を合わせていない状態だから、その質問は素では、答えにくいわね」
「――――へ?」
ルーミアらしからぬ、妖艶とも言える大人びた声。
文は目を丸くして見入ってしまうが、ルーミアは気にした様子もなく、普段のほわわん振りが幻の様に、今のルーミア? は苦々しげに髪をかきあげた。
「……私としては、今すぐミスティアに会いたいけれど、実は先日。どうせなら立派なチョコを用意して渡したいなんて、子供じみた感情が生まれてね。だけど実際苦労して作ってみたら、今度はそれが食べたくなって、だけど我慢していたらミスティアを思い出して、今度はミスティアが別の意味で食べたくなるしで……。嫌になるわよね、欲求って」
「あの、ルーミアさん? いえ、ルーミア様?」
一言で今のルーミアをのべると、エロイ。
醸し出される熱っぽい色気が、幼女の身体から滲み出ている。文は物凄い悪寒を感じて後ずさる。最近彼女は、幼女にいい思い出なんて欠片もなかった。
「……まあ、愚痴よ。聞き流しといて頂戴。たまには本音を第三者ぐらいに語らないと、押さえられなくなりそうだしね」
小さな人差し指を文の唇に押し当てて、今の話は内緒よ? とクスリと艶の混じった笑顔を向けられる。
文はこくこくと赤い顔で頷き、誰にも言いませんと誓う様に、記者根性で会話をメモしていた紙を、目の前で破り捨てた。
「ありがとう、文。あと、チルノを不幸にしたら駄目よ? ミスティアの友達なんだから」
最後にそう締めくくると、いきなり、重苦しいと感じていた雰囲気が消失して、目の前のルーミアはえへへと笑っていた。
「…………。あー、取材のご協力、ありがとうございました」
「ううん。私もありがとう!」
「うわっ?!」
ぎゅっと抱きつかれて、文は狼狽しつつも受け止めて、今のは一体? と疑問顔で、何となくルーミアの頭で揺れるそれを見る。
暫し、複雑そうに頭を掻いていた文は、溜息混じりにぽつりと。
「……あー、私としては、他者の秘密を知るのは記者として嬉しいんですけど、記事に出来ない秘密なんて、いくら手に入れても持て余してしまいます。ぶっちゃけ、そんなのいらないです」
「わはー、だから文はいいんだよ」
「……褒め言葉として受け取っておきますよ」
文としては、その秘密で脅すとか情報を引き出すとか、そういうのも出来るかなぁとか打算的に考えないでもないが、そんな事しても、幻想郷の住人は何処でどう繋がっているのか分からないので、変に恨みを買って変な因縁なんて出来てしまってはたまらない。
「……やっぱり、取材は信頼と円滑が大事ですしね。悪い事は慎みましょう」
「わはー」
「はいはい。あ、あとルーミアさん」
「なに?」
「もしルーミアさんが将来、素敵な美人さんになって、ついでにあんな色気を手に入れて、ミスティアさんと別れていたら、是非に私とお付き合いしましょうね?」
「……へ?」
ルーミアは、ポカンとして文の顔を見ると、文は悪戯っぽく微笑んでいた。
そして、先程の仕返しとばかりに、人差し指をルーミアの唇に寄せて、その柔らかな唇を押してみる。
「今日はバレンタインなんですから、誰かの泣いている顔を見ないですむわけないんですよ」
「あや?」
今までの会話の流れと関係ない。文のそれに、ルーミアは目を白黒させる。
「ですから、ルーミアさんはしっかりと、ミスティアさんを笑顔にしなくちゃ駄目という話です。私のお友達なんですから、不幸にしちゃ駄目ですよ?」
泣き顔は、駄目ですよ。
そう言った文の顔は、いやに真剣で。唖然とするルーミアに、文はすぐにニコリと笑った。
「まあ、記者なんてしてれば、誰が誰を想って、誰が誰を嫌いとか、分かっちゃうものなんです。このバレンタインというイベントは、とても楽しくて、とても残酷で、だけど誰かの背中を押すきっかけぐらいにはなります」
「え? ええ?」
待って? どういう事? 唇を押さえられて、反論が難しいルーミアは、瞳に一杯の疑問を込めるが、文は笑っているだけで。
「―――それじゃあ、頑張ってくださいルーミアさん。貴方に避けられたと、嫌われたと勘違いして、だけど嫌われたくないと必死で、逃げる貴方を捕まえようと頑張る、恋する乙女の綺麗な想い、受け取らないと駄目ですよ?」
「ど、どういう―――」
そこで、ひょいっと文は身を離すと、そのままくるりと背中を見せて「では、アデューです」なんて本気でふざけて、黒い翼を限界まで広げてバンッと風を破るようにして飛んで行ってしまった。
幻想郷最速の天狗を、ルーミアが捕まえられるわけがなくて、彼女は謎だけを残して去っていったのだ。
「え、ええぇ?!」
ルーミアはやはり、訳が分からない。分からなくて暫し固まっていると、不意に「―――――♪」と、耳になじむ歌声が聞こえてきた。
「え?」
そして視界が狭まり、まだ午後にもなっていないというのに、まるで夜の様に暗く写る。だから、その現象に心当たりがあるルーミアは心臓が止まりそうになって。
ああ、くそ。
そういう事?
って、あの目がいい、ふざけた天狗を、苦笑しながらののしった。それならそうと、言ってくれてもいいのに。と、
でも、そんな恨み言は次に会った時で、今は、まずは謝りたいと思った。
だから。
「ごめんね、みすちー」
バサリと。背中にぶつかった感触に、柔らかくて暖かい、胸を締め付ける香り。お腹に回される両腕に、肩に押し付けられる顔に、狭めた視界でも見える。大好きな人の涙が、数滴、キラキラと光ったのを、見て、
馬鹿だったと、今気づいた。
自分の理由で、ルーミアは世界で一番大切な彼女を、とても不安にさせていた事に、今更気づいたのだ。
「……ルーミアの、馬鹿」
大好きな声の主は、怒っていたけど。
嫌ってはいなかった。その事実が、ルーミアには本当に嬉しくて、くしゃりと笑って、「うん」って答えた。
少しだけ、さっきの文が言っていた言葉の意味が、分かった気がした。
勿論。もう泣かせる気なんてない。
――――――――――――――――――。
見えるソレは膨大だった。
だからこそ、目当てのものだけを探し出すのは酷く困難で。
一つ一つのソレは、例えるなら『点』で、僅かな関わりが『線』となって『点』と『点』を結んでしまう。
だから、気づいたら流されて、見えてしまうのも常だった。
何より、見なくていいものも一緒に、一気に見てしまう羽目になる。この感覚は、多分、誰に話しても理解して貰えないかも知れない。
何より、誰かの歴史を覗くなんて悪趣味は、認められるべきですらないのだろう。
――――――――――――――――――。
「………ん」
静かに瞼を開けると、最初はぼやけていた焦点が次第に整っていく。
気づくと、喉がカラカラに渇いていたので、両手で握ったままだった湯飲みのお茶で喉を潤した。先程見たばかりの歴史の甘さは、とてもこんなものでは誤魔化せなかったけど、無理矢理に押し込んだ。
「………ん。…………少し、失敗した」
口の中が、ひたすらにだだ甘い。
歴史を隠す程度という、歴史を見るといった稀有な能力を持つ半獣、上白沢慧音は、しかめっ面で口元を抑える。
「うぅ……」
どうして、こんなにも味覚が壊れそうなぐらいの甘さに襲われるのか?
見えた歴史を食べたわけでもないのに、たまに、まだ比較的新しい歴史には『味』を感じる事がある。そして、今見ていた歴史は、口内に覚える味は、とにかく『甘』かった。
慧音は頬に汗を浮かべて、どうしてこんなに甘いのだろうと、そういう事には疎いので、真顔で考える。
と、バンバンバンバン!!
と音がしたので、慧音は驚いた顔をして台所を見て、次の瞬間、その顔は困った様にひきつった。
ああ、そうだった。と言わんげに。
「うわっ! ちょっ! それはやばいって鈴仙! 鈴仙健気すぎるってば! もうどれだけ私を悩ませれば気が済むのよもう!」
バンバンバンバンバン!! まな板を叩きながら、身をくねらせて悶えている小さな兎の妖怪。その名は因幡てゐ。
どうやら、彼女の脳裏で展開する妄想の中では、恋人の鈴仙・優曇華院・イナバが、指を包丁で怪我しながらも、涙目で一生懸命にチョコを作ってくれるという、とても感動的な展開になっているらしい。
てゐは、その妄想に普通に苦しんで、幸せな呼吸困難に陥っていた。
「……あー」
それを見せられた慧音は、ああ、そうそう。とポンッと手を打つ。
何故に自分が歴史を見ていたのかを思い出して、変に納得した。どうやらあまりの甘さに、少し脳が麻痺していたようだ。
「こほん。てゐ殿、調子の方はどうだ?」
「ぜえぜえ……! うん。ばっちりよ。鈴仙のチョコは人参たっぷりの特別製だもの!」
微妙に会話が成立していないが、そうかと慧音は頷いただけだった。
誇らしげな彼女は、まさか先程妄想していた少女も、同じ人参入りのチョコを用意しているとは、夢にも思っておるまい。
「……似たもの同士だな、貴方たちは」
「え? 何か言った?」
「……いや、何でもない。どうぞ続けてくれ」
微笑み、いまだ息を乱して赤くなっているてゐを見つめる。
踏み台に乗って調理している彼女は、早朝から台所を貸して欲しいと慧音宅を訪ねてきたのだ。
そして、理由を聞いて快く台所をあけ渡した慧音は、その後のてゐの何気ない言葉に心を動かされ、鈴仙を探そうと、幻想郷の歴史を開いた。
『ま、鈴仙は真面目で堅物で、変に余裕がないから、バレンタインなんてイベントの事なんて、忘れてるんじゃないの?』
そのてゐの台詞に、
それは駄目だと、慧音は人事ながら思ったから。
てゐは気にしていないと言い張るが、それを慧音に伝えたときの顔は、本当に寂しそうで。
調理中に、何度も「もしかしたら」なんて妄想に浸るぐらい気になっているのに、想像して期待すれば、その分落胆が大きくなるのに、てゐは、鈴仙の事をずっと考えている。
慧音はそれを見つめ、せめて鈴仙にてゐがチョコを作っている事実は伏せるにしても、今日がバレンタインだと伝えるぐらいはしたいと考え、普段は永遠亭にいる事が多いが、薬を配ったり、その薬の材料を取りに行ったりと、ほぼ忙しく動く彼女を効率よく探す手段として、歴史を紐解いたのだ。
だが、それは実に無駄な作業だった。
「……杞憂、だったな」
やれやれと、苦笑する。
本当に、二人は似たもの同士だと、改めて幸せをおすそ分けされた気分だ。
二人とも考えている事も、やっている事も、同じで、なんと微笑ましい事か。
てゐの小さな背中を見ると、その背中は本当に一生懸命で、慧音は微笑んで、それから疲れた様に瞳を閉じた。
慧音は軽い自己嫌悪に陥っていた。
うっかり、鈴仙の歴史から繋がる歴史を辿りすぎて、見なくていいものまで見てしまい、知らなくて良かった人妖関係を知る事になってしまったのは、頼まれたわけでもない、勝手に歴史を見ただけの慧音の良心に突き刺さる。
「……はあ」
誰にも他言せず、綺麗に忘れてしまえば問題ないとはいえ、思わず見てしまった歴史は、罪悪感が胸を深く刺す。
慧音はごめんなさいと、両手で拝むようにして虚空に向けて真剣に謝った。明日は神社にお参りに行って、懺悔もしようと誓った。
そして、ついつい思い出してしまった口の中に広がる甘さに顔を顰めて、慌ててお茶を流しこむ。
味覚を襲う甘さ的な意味で、鈴仙以外の歴史を事故とはいえ見てしまったのは失敗だったと、この甘さは天罰だろうと、慧音は台所から漂うチョコの香りにも耐えられなくなり胸を押さえる。
「えっと、鈴仙はあんまり甘すぎるのよりは、ちょっぴりビターで、人参の味が出る様に」
しかし、ぶつぶつ呟きながら、真剣に調理するてゐの姿は慧音には好ましい。とても匂いが胸にクるなんて無粋は言えない。たまに、一定の確率で暴走するのも面白いし、独り言が大きくて大体の想像内容が予測できるのも楽しい。
しかし。
「まだ、昼にもなっていないのだがなぁ」
慧音は、感情を込めて深々と呟いた。
先程の歴史を垣間見ただけで、どれ程に幻想郷の少女たちが浮き足立ち気合をいれ、そして勇気を出しているのかがわかる。
くつくつと笑いながら、慧音は清々しい気持ちで、午前だけでこれなら、午後の歴史は膨大で、とても見れたものではないだろうと確信する。
本当の意味での、幻想郷という楽園のバレンタインというイベントは、想像に任せた方が味覚にも心情的にも安心だと、慧音は結論付ける。
そして、自分だけはこのイベントに関係ないと思い込んで、散歩にでも行こうかと、胸焼けを誤魔化しながら腰をあげるのだった。
彼女が、午後からの記念すべき『甘い』歴史の第一号者になるだなんて、夢にも思わずに。
玄関の外では、死なない少女が一人、焦げ臭いチョコを持って真っ赤な顔でウロウロしていた。
あなたの幻想郷はお変わりないようでw
全くどいつもこいつも…………。始終頬が緩みっぱなしでした。
あたたかいSSありがとうございます。
失礼ですが、誤字らしきものがありましたのでご報告を……
てゐが切さすぎて涙を溢していた。 「切なさ」
さあ、早速帰りましょう。加奈子様も待っていますよ♪ 「神奈子様」
それは至近距離ま近づかないと分かりそうもない。 「まで」
鈴仙のチョコは人参たっぷりの特別せいだもの! 「特別製」
普段は永延亭にいる事が多いが、 「永遠亭」
いやあ、それにしてもこの甘さと柔らかさが伝わる文体……心が温まりました。
それに彼女達の行動が逐一繋がっていく様、お見事です。
やはり貴方の幻想郷は温かい。 次の作品も楽しみにお待ちしております。
上げられっぱなしにされると敗北を認めざるを得ない
夏星さんの甘い恋愛話大好きです!
これは当日が気になってしょうがないですね。
紫様の調理中の姿……見てみたいなぁ…。
それぞれのバレンタイン風景が見れて面白かったですよ。
誤字の報告
>加奈子様も待っていますよ♪」
ここだけが『神奈子』になってませんでしたよ。
甘い甘いチョコレート、その想いはみんなに届くのかな?
ただし勇儀、てめーはちょっと待て。
ただ、俺の大好きな咲美がなかった・・・・・
相変わらずのあなたのあま~い話が大好きですw
咲美・幽リグ・こまえー辺りも欲しかったとこですが流石に贅沢かなw
糖分過剰摂取で死にそうですww
それはさておき、なんとけしからん甘さの幻想郷よwww
いずれは昨今の逆チョコなんてのもあちらに流れ着いたりするんですかねえ。
そして子供の頃から『二人の』お嫁さんになると豪語する早苗さんはとってもエキセントリックですね。
当日にもまだ話があると期待して満点をば。
あなたの作品をまた見れてうれしいデス…。
相変わらず、目からサッカリンが零れそうなほど甘かったです。文カッコいい…
また、あの甘~い、死神と閻魔様が見たいですね。是非、あの二人も書いて下さい!!
鬼の恋が成就することを祈っています。
紫様も罪な妖ですなぁ。
相変わらずの甘さに失神寸前ですw
本当にありがとうございまた。
口が、口の中があぁぁぁっ!
相変わらずのだだ甘で。ざらざら。
ごちそうさまでした
いやマジで最高だった
あと、妹紅だけ?永琳&輝夜は?
まっ、これだけ甘ければお腹いっぱいだけどね♪ 反省点 お菓子を食べながら読んだこと。