Coolier - 新生・東方創想話

風見幽香はゼラニウムの夢を見る

2009/02/10 00:30:44
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 夕暮れ時に一匹の兎が居た。
 
 それはただの兎では無い。
 長く生きて日月の精気を吸収し、人化の術を心得た妖怪兎。かつて高草郡と呼ばれ、現在では迷いの竹林と呼ばれる竹林に住み、兎達の最長老の因幡てゐに従う妖獣だった。
 
 その兎は怪我をしていた。
 
 兎というものは比較問題となるが他の猪だの狐だのという獣に比べて捕まえやすい。故に兎を対象とした罠は多く、迷いの竹林の入った辺りなどには、タンパク質を求めた人間がしかけた罠があったりする。
 もちろん、罠というものは危険な代物である。
 間違えて、人間がかかったりしたら一大事、だから、そう言った罠のそばには『人間には罠があると分かる目印』がある。なので、普通の人並みの知性がある妖獣であれば、兎罠などにかかったりしない。
 しかし、この兎は少々慌てていた所為か、あからさまに仕掛けられた兎罠にかかり、怪我をしてしまったのだ。
「ううー、痛いよう……」
 兎は白兎だった。
 永遠亭に集う妖怪兎には最長老のてゐと同じ白兎が多い、この兎も例外では無い。
「しくしくしく、誰か助けてぇ……」
 医術を心得ていれば、この程度の怪我など簡単に対処できるのだろうが、この兎に医術の心得は無かった。
 故に出来る事は、かすれ声で助けを呼ぶことだけだ。
 
 しかし、ここは迷いの竹林の入口。
 兎もあまり来ないし、人間だってそんなに来ない。
 もしかしたら誰かが探しに来てくれるかもしれないが、兎は数が多いので、一匹や二匹居なくなったぐらいでは誰も騒がない。
「……でも、てゐ様だったら」
 探しに来てくれるかもしれない。
 兎達のてゐの対する信頼感は絶対的なものがある。
 それは確固たる尊敬であり、兎によっては崇拝ですらあった。
 神話の時代から生き続ける兎であり、かの大国主と言葉を交わし、月の賢人と交渉し、月の医術の一端を手に入れる兎の英雄、生きた伝説だ。
 その上、驕り高ぶったところは微塵も無く、気さくで、年若い兎に混じって馬鹿をやる若々しさすら持っている。
 
 故に怪我した兎は、完全に絶望していなかった。
 
 怪我は痛いがてゐが来るかもしれない、そう思えば、痛む足に耐えることができたのだ
「ううー、でも痛いよう……」
 しかし、痛いものは痛いので、とりあえず兎は泣いていたのだった。
 
「どうしたの、そんなところで」

 その時、彼女は現れた。
 若草のような緑色の髪、タータンチェックのスカートとベストが良く似合い、黄昏時であると言うのに日傘を差した女性だった。

「あら、怪我をしているのね。大丈夫?」

 その現れた女性は怪我をした妖怪兎を見て声を上げると、しゃがみ込むと、兎をいたわるように罠を取り外してやると、ポケットから真っ白なハンケチーフを懐から取り出して、怪我をした妖怪兎の足に巻き、応急手当をしてやる。
 
「まったく、人間はしょうがないわね……」

 愚痴を言いながら手当てをするタータンチェックの女性は丁寧かつ迅速に兎の手当を進めていく。
 そしてされるがままに手当をされる妖怪兎、その顔は、
 
 
 極度の恐怖によって歪んでいた。
 
 
「さ、これでとりあえず歩けるはずよ」
 タータンチェックの女性は、そう言って立ち上がる。
 一方、地べたに座り込んでいた妖怪兎は、足がとりあえず動く事を確認する。
「ええと、その……お助けいただき、あ、ありがとうございました……」
 怪我の手当てを受けた兎は、まるで獅子に睨まれた兎のように縮こまりながらも、懸命に礼の言葉を言った。
「ええ、どういたしまして……立てる?」
「は、はいッ! 立てます立てます!」
 立つ事を促された兎は慌てて立ち上がる。
「ふむ、家はどこ? 送ってくわ」
 タータンチェックの女性が兎にそう聞いた瞬間、兎の顔色が変わった。
「いえいえいえいえ! 問題ないです、大丈夫です! あ、もう足は痛くもなんともないぞ!? それでは!」

 そう言って、まさに『脱兎の如く』迷いの竹林の奥に向って逃げ出したのであった。

「……はぁ、なんなのよ」
 それを見送っていたタータンチェックの女性こと、風見幽香はため息をついた。

 畏れられているという自覚は当たり前だがある。
「だからと言って、人助けをしたのに逃げられる覚えはないんだけどね」
 助けた兎に逃げられて、風見幽香は少しくさった。
 性格は苛烈で好戦的で、幻想郷でも指折りの実力者、そんな感じだから、畏怖の対象となることに風見幽香は異論がない。
 しかし、風見幽香が好戦的、攻撃的になるのは、自分の縄張りを侵された時や攻撃された時に限定されている。
 
 当たり前だが、目に付いたから、目が合ったからといった理不尽な理由で人を攻撃することは無い。
 
 せいぜい唐突に弾幕ごっこを挑むくらいだが、それだって相手が乗り気じゃなければやらない。
 目があっただけでいきなり逃げられるようなことは、したことは無かった。
「まあ、良いけどね……」
 こういったことが続くのであれば、少し気を付けた方が良いのかもしれない。
 そう思いながら幽香は残された兎罠を撤去した。
 
 
 
 稗田家は幻想郷縁起を執筆だけでは無い。
 幻想郷にも活版印刷ぐらいはあるし、それなりに本は流通している。
 有名な本は手書きの写本が多いとはいえ、庶民だってそれなりに本を読んでいる。
 それを一手に引き受けるのが稗田家……と言う事は無いが、それでも幻想郷で流通している本のかなりの割合に稗田家は関わっている。
 特に多いのが帯の推薦文で『この本には阿求もびっくり』だとか『稗田阿求も読んでいます』のような形だ。
 別のケースだと監修だ。
 勿論、名前を貸しているだけの監修者ではなくちゃんと監修しているが、複数の本を並行して監修している場合は、チェックはやや甘くなってしまう。
 
 年の初めに必ず出る『幻想郷の用語辞典』もそれは同様だった。
 
 基本的に、用語辞典に限らず辞典というものは常に変わり続けるものである。
 故に辞典は毎年更新され、常に情報は書き換えられる。
 しかし、その情報と言うものは基本的に膨大であり、稗田阿求にしたところで編者では無いので一冊丸ごとをチェックすると言う事はしていない。
 
 そのため、稗田阿求は下記の項目を見落としていた。
 
 
 
 【あるてぃめっとさでぃすてぃっくくりーちゃー】アルティメット・サディスティック・クリーチャー
 
 ①究極加虐生命体 究極のいじめっ子の事 ②近づくと危ない
 
 用例 「そんな事をするなんて、君はまるでアルティメット・サディスティック。クリーチャーだな」
 
 関連 風見幽香
 
 
 
 稗田家の玄関は吹き飛んだ。
「な、何事ですか!?」
 書斎で執筆作業をしていた阿求は慌てて声を上げる。
 その後に続くのは、何かが壊れる激しい音、
「あ、阿求様ー!」
 稗田家に詰めている女中が息も絶え絶えに書斎に飛び込んでくる。
「なにが起こっているのです!?」
 阿求が尋ねると女中は、
「逃げてください阿求様! アルティメット・サディスティック・クリーチャーが襲ってきました!」
「は? あ、ある……?」
 突然、女中の口から飛び出た珍妙な単語に、阿求がポカンとしていると、歌が聞こえてきた。
 
 それは、ハイキングの歌だった。
 火の吹く火山にハイキングへと向かう、ナンセンスな歌。
 
 
 ハイキングに行って死ぬこともある……
 そのくだりが歌われた時、書斎の壁が吹き飛んだ。
「……さて、意外と早く付いたみたいね」
 壁から現れたのは風見幽香だった。
「な、な、壁から入ってくる人がありますか!」
 阿求が声を上げる。
 しかし、風見幽香は阿求の問いには答えずに一冊の本を取り出した。
「これが何か分かる?」
 それは、阿求の監修した幻想郷の用語辞典だった。
「幻想郷の用語辞典……ですけど、それが何か」
「監修は?」
「……私です」
「そう」
 幽香はこぼれるような笑顔で頷くと、パラパラとページを捲り、あるページで止めると阿求に見せる。
「だったら、このページの責任も貴方にあるわけよね?」
 幽香が開いたページは『アルティメット・サディスティック・クリーチャー』の項目があるページだった。
 それを見た瞬間、阿求の背に冷たいものが走る。
「えーっと、まあ監修だから……でも、それはそれで稗田家がこう言ったものを監修するのは慣習みたいなもので……」
 脂汗を垂らしながら阿求は答えた。
「……ねぇ」
「な、なんですか」
「監修するのが慣習って、駄洒落?」
 幽香は笑っていた……笑っていたが、眼は笑っていなかった。
「た、たまたま! たまたま洒落になっただけで意図してないです! こんな状況で、ジョークで場を和ませようなんて考えてないですよ!」
 死の危険を感じた阿求は必死で弁明した。
 美人薄命が稗田の宿命とはいえ、今死ぬのは流石に早すぎる。
「……そ、だったら良いんだけど」
 幽香はそう言ってにっこり微笑む。
 危機一髪にも程がある。
 やはり目が笑っていなかったが、とりあえず阿求は息を吐いた
「で、これを書いたのは誰かしら? ついでにこの項目を描いた人間を知りたいんだけど」
 そう言って風見幽香はパラパラと辞書を捲り、阿求に見せた。
 
 
 
 【かざみゆうか】 風見幽香
 
 ①花を操る妖怪であり、花のある場所に出没する ②好戦的で危険 ③アルティメット・サディスティック・クリーチャー

 用例 「風見幽香は本当にアルティメット・サディスティック・クリーチャーですね」

 関連 アルティメット・サディスティック・クリーチャー

 
「わざわざ、私の項目を作ってくれたわけだから、お礼をする必要があると思うの」
 それを見たとき、阿求は青ざめた。
 そして決心する。
 逃げよう、と。
 
 しかし、その決意は砕かれる。
 
 気が付けば、腰が抜けていたのだ。
「あ、あ、命だけは……」
 腰の抜けてしまった阿求にできるとこは命乞いだけだった。
「……ねぇ、命を取ろうなんて考えているわけじゃないわよ。さっき言ったでしょ『お礼』をしてあげるだけだって……って、聞いてるの?」
「…………も、もちろん」
 阿求は逡巡する。
 辞典というものは何人もの人間が集まって作るものである、実際の風見幽香の項目を書いたものは分からないが、その辺は編者に聞けば執筆者は判明するだろう。
 しかし、その場合阿求は同業者を売るという形になる。
 
 しかし、そんな事は出来ない。
 
 阿求も伊達や酔狂で稗田家の当主をやっているわけでは無い。
 何代もの稗田の当主……というかかつての自分の苦労の上に幻想郷における稗田家の栄光は成り立っている。
 その積み上げられた稗田の栄光を容易く投げ出して良いわけはないのだ。
 腰を抜かしながら、阿求は考えた。
 そしてその結果、阿求が選択したのは
 
「少し考えてみてはどうですか?」
 
 正攻法での説得だった。
「……考えてみるってなにを?」
 阿求は風見幽香を良く知っている。
「簡単なことですよ。自分の行動を振り返ってみて、考えてみようと言う事です」
 彼女だけでは無く、幻想郷に住む妖怪の事を良く知っている。
「行動……ねぇ、何が言いたいのかしら?」
 いきなり壁をぶち抜かれ「あ、死ぬかも」と最初は思ったが、実際に風見幽香という存在はそこまで乱暴では無い……ハズだ。
「貴方は、この本の中でアルティメット・サディスティック・クリーチャーと呼ばれて抗議にきた」
 少なくとも阿求は、彼女が対話の中で無暗に暴力を振るう存在では無いと確信していた。
「……間違った記述のある本に抗議するのは当然でしょ」
 これで、仮に風見幽香が暴力を振るい死ぬ事になるなら、それは稗田阿求は人を見る目も無い愚か者と言う事。
「その抗議で暴力を振るえば、逆に貴方の言う間違った記述を肯定することになりませんか?」
 しかし、自分は愚か者では無い。
 ならば、自分の眼は正しく、風見幽香は話し合いをしている間は『安全』であるはずだ。
「…………なるほどね」
 阿求の話を聞き、幽香の顔から笑いが消えた。
 
 そして周囲を見回す。
 土壁が散乱し、遠巻きに幽香と阿求を見ている女中や使用人たち、その眼は恐怖に彩られていた。
「……帰るわ」
 頭を掻くと幽香は踵を返した。
「あ、あの! 辞典は回収して……」
「しなくて良い。これで回収とかしたら逆に『やはりアルティメット・サディスティック・クリーチャーは恐ろしい。自分の事を書かれた本を無理やり回収させたんだ』って事になるでしょ?」
 そう言って、風見幽香は振り向かず手を振った。
「で、ですが、さっきはああ言ったものの、確かに辞典で特定の個人を記述したこちらが悪い……」
「……今、頭を冷やして考えたんだけどね。一冊の本に書かれただけで人はこうも恐れられたりしない。もし、恐れられるとしたら、それは普段の行いが悪いから」
「……それは」
「汚名や悪名を他人の所為にした時点で、私が愚かだったわけよ。だから、自分の始末は自分でつけるわ」
 そう言って、風見幽香はアンテナ売りの歌を歌いながら、稗田の家を後にした。
 
 その後、立った噂は『アルティメット・サディスティック・クリーチャーが稗田家を襲ったが、幸い阿求の説得で撃退できた』と言うものだった。
 
  
 
 ※
 
「最強とは、山の頂のようなもの。最も高くすべてを見下ろせる代わり、横に並ぶものは居ない。故に最強とは孤独なものである……そう言う事なのかしらね」
 風見幽香は深いため息を吐く。
「まあ、標高の高い山には植物も少ないし住む動物もいないしね。でも、その代り他では絶滅した動植物が現存していることだってあるのよ」
 ここは冬の雪山の中腹、少ないながらも冬の花がひっそりと咲く秘密の場所、そこに置かれているのは適当なテーブルや椅子、そこで静かに落ち込む幽香の話を聞いているのは、この秘密の場所の主である冬の忘れものレティ・ホワイトロックだった。
 かつて、冬の花を探して幽香が冬山を探しまわっている時に彼女はレティと出会い、以来なんとなく冬限定とはいえ、ずっと友達付き合いを続けているのである。
「……しかし、そこまで恐れられることはしてないと思ったけど」
 どうにも腑に落ちんという顔で幽香は頬杖を突く。
「んー、でもチルノ達が太陽の畑に入ったとき『ひまわり』にされそうになったって言ってたけど」
 一方、レティは、のんびりと空を見上げながら答えた。
「……あれは、あれよ。勝手に入ってきたからとりあえず威嚇しただけよ」
 バツが悪そうに幽香が言い訳する。
「他にも閻魔様に喧嘩売ったり」
「いや、あれは逆に売られたようなものよ」
「あとは、見ただけで死人が出るとか、その拳は天を裂き、その足は地を砕く、神と悪魔に喧嘩を売り、天変地異を引き起こす世紀末覇者……」
「それはない、それはない」
 手を振って、幽香は否定し、疲れたようにため息を吐く
「まあ、その辺は噂だからね。私が町に行ったときに聞いた噂」
「うーん、別に畏怖の対象となるのに異論は無い。でもねぇ、変に怖がられるのは単にウザいだけだわ」
「畏怖と恐怖じゃ随分違うってこと?」
「ええ、恐怖と違い畏怖には尊敬が混じる。怖がられるだけならおばけでもできるけど、恐怖と尊敬を併せ持つものだけよ」
「……つまり、幽香は尊敬されたいと?」
 そう言うとレティはにぃ、と笑う。
「い、いや、怖がられるだけじゃあまり意味がないって話で……」
「んー、っていうか別に幽香自身は『畏怖されたい』って本当に思ってるの? どっちかと言うと『好かれたい』って思ってるんじゃ……」
「ち、違うわよ!」
 なぜか幽香は顔を赤くして必死に否定する。
「そうかしら? 尊敬も好意の一形態よ。つまり幽香は怖がられてばかりじゃ寂しいから好かれたいと思ってるってじゃないの?」
「ち、違う違う。私が畏怖を求めるのは、単に怖がられているだけだと癪だから、畏怖されたいだけで、別に好かれたいなんて思ったことなんかない……」
「わかったわ!」
 その瞬間に幽香は声を上げた。
「な、何よいきなり大声を上げて」
 幽香が抗議するが、レティは構わず、
 
「風見幽香、貴方ツンデレね!」

 と、幽香を指差す。
「…………え?」
 その時、幻想郷でも指折りの実力者であり、アルティメット・サディスティック・クリーチャーとして恐れられている風見幽香は、ハトが豆鉄砲を食らったような顔になっていた。
「その『べ、別に人から好かれたいなんて思ってないんだからね!』って、態度は間違いないわ! ツンデレよ。幽香、貴方はツンデレなんだわ!」
「……つ、つんでれって何?」
 一人得心するレティ、一方話についていけない幽香だった。


 
 つんでれ 【ツンデレ】
 ①最初はツンツンとしているが、次第にデレデレし始める様、あるいは人物の事 ②人が居る時はツンツンしているが、二人っきりとなるとデレデレし始める様、あるいは人物の事
 
 用例 「あの子は貴方が嫌いなのではなく、ツンデレなだけです」
 
 関連 クーデレ デレツン デレ期など



「やっほー、レティー!」
 ツンデレの説明に幽香がショックを受けていると、ひょっこりとチルノがやってきた。
「あら、チルノいらっしゃい」
 レティは、いつもの笑顔でチルノに挨拶をする。
 しかし幽香はレティに教えられたツンデレの説明を見て時を止めたままだった。
「あ、太陽の畑の怖いのだ」
 チルノが幽香を見止めて、声を上げる
「駄目よチルノ。人を呼ぶ時はちゃんと名前で呼んであげなくちゃ」
「はーい。やっほー、ゆうか!」
 素直に頷くチルノは幽香に挨拶をする。
「……ああ、やっほー」
 のろのろと幽香は手を上げてチルノに挨拶を返す。
「で、二人でなにしてるの?」
「んー、多分、人生について考えているんじゃないかしら?」
 人生について、確かにそうなのかもしれない。
 風見幽香は、それほどの衝撃を受けているのだ。
「人生……なんか難しそうだねぇ」
 固まった幽香を見て、チルノは感心するように腕組みをして呟いた。
「そうね。人生って難しいわよね」
 レティもまた固まった幽香を見ては、困ったようにため息をつくのだった。
 
「……どうすればいいの?」
 テーブルに突っ伏した幽香は、力なく呟いた。
「落ち込んでるの?」
 アイスティーを淹れながらレティは尋ねる。
「元気が一番だよ?」
 おやつとして出された冷凍蜜柑をシャリシャリと食べながら、チルノは幽香の肩を叩き、元気出せよ、と言った。
「……元気ねぇ」
 顔を向けると、幽香は呟く。
「そう、元気が一番だもんね!」
 チルノはそう言って笑った。
 
 実に良い笑顔だった。
 
「……落ち込んでいるわけじゃないわ。分かりにくく言えば、仮に貴方はクリケットの選手だったとする。ところがある日『君はカバディに激烈な才能を示している。その性格は実にカバディ向きだ。さらに言えば君にクリケットの才能は全くない。やるだけ無駄だ!』とか言われたら困るでしょ? そう言う事よ」
 それほど、分かりづらくも無いが、かと言って分かりやすくも無い微妙な例えで幽香はチルノに説明した。
「それって、ツンデレと言われて困ってるってこと?」
「……言われれば、確かに私は周囲に壁を作っていたところはあったかもしれない。まあ『選ばれしものの恍惚と不安我にあり』って孤高を気取って群れるのを嫌がっていたような気はする。好意を照れで拒絶していたそんな事もあったかもしれない、でも一方で一人のままでいる事は……」
「寂しかった、ってこと?」
 言葉を詰まらせた幽香に代わり、レティが続けた。
「寂しい……のかもしれないわね」
 まあ、そんなところなのかも知れないわね、そう言って幽香はテーブルに突っ伏したまま答えた。
「寂しいんだったら、簡単じゃん! 仲間に入れてーって、言えばいいんだよ!」
 まさに輝くような笑顔でチルノは幽香に提案する。
「……できればいいんだけどね」
 完全に幽香は脱力し、すべてをテーブルに預けている。
「できるできないじゃなくてするの! 笑ってお願いすればみんな仲間に入れてくれるよ!」

 それは、眩しい笑顔だった。
 一部の疑問も無く、純粋で無垢な笑顔だった。
「……ねぇ、レティ」
「なに?」
「この笑顔、ちょっと私にはキツイんですけど」
 人は後ろ向きな時に前向きな者に出会うと、色々とダメージを受ける。
 日光を恐れる吸血鬼のようにレティは笑顔のチルノを直接見ないよう、顔を伏せた。
「良い子でしょ?」
「良い子過ぎね」
 誇らしげに胸を張るレティに対して、ダメージを受け過ぎた幽香はため息を吐くのだった。
「……まあ、その辺は置いておいて、好かれたいか嫌われたいかと聞かれれば、貴方は好かれたいんでしょう?」
「まあ、ね」
 渋々という形で幽香はレティの問いを肯定する。
「だったら、話は簡単よ」
 そうしてレティは続けた。
 
「もっと素直になりなさい」






 アルティメット・サディスティック・クリーチャー目撃報告


case1

転んだ子供が泣いているところ、アルティメット・サディスティック・クリーチャーが現れ、子供に手を差し伸べた。
危険を感じ取った子供は即座に逃げ出したが、もし手を取っていれば大変なことになっていいただろう。

 case2
 
 雨が降って雨宿りをしていたら、アルティメット・サディスティック・クリーチャーが先客で居た。
 なにやら世間話をしてきたが、無難な答えを選ぶことで切りぬけることができた、仮に答えを間違えていればどうなっていたか……

 Case3
 
 酒屋にて、泥酔した若者四人が暴れていたところ、店の小上がりで呑んでいたアルティメット・サディスティック・クリーチャーが立ち上がり、暴れていた四人を即座に昏倒させた。
 その後『騒がせたわね』と、言って多めに勘定を払い去って行ったが、何か企んでいるのであろうか?
 あるいは、暴れる若者を見て、血が騒いだだけだろうか?

 
 case4

暴走した馬車が子供を跳ねかけるという事件が起こったが、そのに居合わせたアルティメット・サディステイック・クリーチャーが偶然、子供をさらった。
その後、アルティメット・サディスティック・クリーチャーは子どもを解放したのだが、その動機は不明。
見ていた人たちに話を聞くと、食べようと思ったがよく見たら口に合わなそうだったので食べるのをやめたという説が優勢であった。


 Case5
 
 春が近づき、地盤が緩み、雪崩が起きて、麓の村を押し流そうとしていたところ、アルティメット・サディスティック・クリーチャーが現れてすべてを薙ぎ払っていった。
 恐らくアルティメット・サディスティック・クリーチャーは、圧倒的な雪崩の持つ大自然のパワーを見て、暴力衝動を抑えきれなくなり、雪崩に全ての力をぶつけたという考えが優勢である。
 これによって麓の村が助かったのは純然たる幸運だろう。






「……ままならないものね」
 空気が澄みきり、満天の星空が輝く丘の上で、風見幽香は深いため息をついた。

 素直になれ。

 その言葉を受け、風見幽香は素直な気持ちで里に赴き、そして出会ったトラブルに対してはできる限りのことをした。
 だが、その結果はあまり芳しいものでは無い。
 色眼鏡、先入観、偏見、そういったものによって風見幽香の善行は、裏のある行動や結果として良いことをしただけで、本質は良いものでは無いと取られていた。
 なにをしても『何か裏がある』『良くない意図で行動している』『たまたまだ』などと受け取られるのだ。
 
 既に固定観念として、風見幽香=アルティメット・サディスティック・クリーチャーという図式が存在し、すべての幽香の行動は、その概念に縛られてしまっているのだ。
「困ったものよねぇ……」
 これで落ち込むほどヤワでは無いが、無駄かも知れないと思う事を延々と続けるほど無神経もない。

 風見幽香は困っていた。

 レティは既に春眠の準備に入っているし、霊夢はこういったデリケートな相談事に向いているとは思えない。
 スキマ妖怪は……
「あれに借りを作りたくはないわね」
 ある意味、論外だった。
 どうにか自分で打開策を見つけ出すしか方法はないだろうか。
「あら?」
 そう考えていた時、それが現れた。
 
 それは、だいたい白かった。
 でかい耳が白く、それが全体のイメージを決定していた。
 そして波がかった髪は黒かった。
 あとは眼が赤で、服は微妙に赤みがかかった白、つまり桜色の薄い感じだった。
「こんちゃー」
 つまり、それは高草郡の妖怪兎、因幡てゐだった。

「……なんか用?」
 不機嫌そうに幽香はてゐに尋ねた。
「いや、うちの兎がお世話になったそうで……」
 よく見ればてゐは菓子折りを持っている。
 その言葉を聞き、幽香は兎を助けたことを思い出す。
「……そう言えばそんな事もあったわね」
 興味無さそうに幽香は言った。
「で、お礼にきたわけですよ。ハンカチはちゃんと洗ってありますし、と○やの羊羹もありますよ」
 そう言うとてゐはぺこぺこと頭を下げながら、幽香に近づいた。
 普通に胡散臭かった。
 だが、
「別に、礼を言われるようなことじゃないわよ」
 そう言って幽香は微妙に顔を赤くすると、そう言ってそっぽを向く。
 人から、礼を言われるのに慣れていないので、照れているのだった。
「いやいや、礼は言わせてくださいな。聞けばそそうもしていたようですし、是非お詫びとお礼がしたいのですよ」
 てゐはどこか胡散臭い笑顔をまき散らしながら、受け取ろうとしない幽香とら○の羊羹を押しつけた。
「お願いします、私を助けると思って!」
 そこまで言われては幽香も受け取らないわけにはいかない。
「……分かったわ」
「ええ、それでは。同胞を助けていただきありがとうございました! それじゃ、これは早く食べてくださいね、できれば私が見ている前で!」
 120%の笑顔でてゐは幽香に羊羹を渡すと、そう言いって包みを開ける事を促す。
「わかったわ」
 そして幽香は、てゐに勧められるまま、と○やの羊羹の包みを開けた。
 
 その瞬間、バチン! と言う音と共に羊羹の包みが弾け跳び、中から飛び出した巨大な輪ゴムが幽香の額を打った。
「おっしゃー! 成功!!」
 それを見て、てゐは大きくガッツポーズを取る。
「あっはっは! うまいとこ引っ掛かってくれたな! 本物のと○らやの羊羹はこれだ! つーかさぁ、私がただで○らやの羊羹を渡すわけないだろ? お礼が欲しければ捕まえてみなー」
 そう言って、てゐは懐からとら○の羊羹を取り出すと、それを掲げた。
 一応、ちゃんとお礼は持ってきているらしい。
 その一方で、悪戯は仕掛けずにはいられないというあたり、因幡てゐという兎は、なかなか難儀な性格をしているようだった。
 
 ちなみにニセモノのとらやの羊羹は、巨大輪ゴムをギリギリとねじり、無理やり包みに包んだというもので、開けると輪ゴムが戻る作用で周囲をしたたかに打つという、トラップである。
 そうして、てゐは追いかけてくるであろう幽香から逃げ出そうと走り出す……が、すぐに足を止めた。
「えーと、追いかけないの?」
 幽香が輪ゴムに打たれたまま立ち止まっているのだ。
 追われるから逃げるのであり、追ってこないので、逃げる道理は無いし、何よりつまらないことおびただしい。
 故に、追ってこない幽香を見て、てゐは逃げるのをやめた。
 
 てゐを追わない風見幽香は、ゴロンと寝転がると、
「……なんかバカバカしくなってね」
 と、冷めた口調で呟いた。
「……いや、そうやって冷められるとこっちとしては大変困るんですが」
 てゐが困ったように呟く。
「知ったこっちゃないわよ」
 しかし、気にせず幽香は星空を見上げた。
「えー、と○らやの羊羹いらんの?」
「いらないわよ」
 にべも無かった。
「そんな、高かったのに……」
 そういってと○やの羊羹をもったいなそうにてゐは撫でる。
「だったら、最初から素直に渡せばいいじゃない」
 そう、幽香が言うと、てゐは、
「え、いや、だって、ちょいとウィットを効かせないと面白くないだろ?」
 と、少しそっけなく答えた。
 
 素直にお礼を言うのが照れくさい。
 
 その顔はそう言っていた。
「ぷ、あはははは……」
 そんなてゐを見て、幽香は笑う。
「な、なんだよ突然」
「いや、意外と似てると思っただけよ」
 風見幽香は、そう言うとまた笑った。
 
 他人に素直でないところが。
 愛情を素直に表せないところが。
 
 とても、似てると思ったのだ。
 
「はぁ?」
 いきなり、笑いだしたかと思うと妙なことを言い出した幽香にてゐは思わず聞き返す。
 しかし、幽香は気にせず、
「あんたもツンデレって言うのかしらね?」
 と、てゐに聞いた。
「つ、つんで……?」
 戸惑うてゐを見て、幽香はただ笑っていた。
 

「好かれたいって願うわけだ、花の妖怪さんは」
 星空の下で、てゐと幽香はとらやの羊羹をお茶受けにしてお茶を飲んでいた。
「好かれるまではいかなくとも、せめて無駄に恐れられる今の状況は解消したいわね」
 お茶は幽香が水筒に入れていた二級茶、丘の上の切り株にナプキンをテーブルクロス代わりに敷き、その上に羊羹とお茶が載っている。
「なるほどね。で、あんたは困ってると」
「……そうね。確かに怖がられる理由はあるのかもしれない……でも、その範疇を超えて恐れられるのは困ったものよ」
 夜は人を素直にさせる。
 風見幽香は、因幡てゐに素直に打ち明けた。
 自分に降りかかっている困難を、困っていることを、そしてそれをどうにかしたい事を。
「……うちの兎が世話になったし、何より助けてもらった時もとんだ失礼をしたみたいだからなぁ」
 悪戯兎のてゐとアルティメット・サディスティック・クリーチャーの風見幽香、やっかいものの二人は星空の下で、一切の嘘、偽り、わだかまりなく話をしていた。
「力を貸してくれると?」
「ん、ただし『私の流儀』で、だけどなそれならあんたの助けになっても良いよ。私の言う事を聞くってんなら力を貸す……幻想郷一の詐欺師であり、嘘吐きで、全然信用の無い私を信じてくれるなら……って、条件がついちゃうけどね」
 そう言っててゐは笑う。
 その笑いには、自嘲が含まれるものの、それは暗いものは一切なく『どうしようもねーな、私』という自分に対する呆れのようなものだった。
 そして、てゐは「やっぱやめるよな?」と聞いた。
 
 しかし、風見幽香は、
「信じるわ」
 と、答える。
 
 それを聞いたてゐは、幽香の目を覗きこむ。
 星空も下でのお茶会で、とらやの羊羹を食べながら幽香は、ごく当たり前のようにてゐを信じた。
「…………そっか」
 てゐは、そんな幽香を見て何か納得したように頷く。
 風見幽香の信頼、それが口先だけのものではなく、心の内からのモノであることを因幡てゐは理解した。
「ええ、お願いね」
 助けたお礼のとら○やの羊羹を平らげ、風見幽香はぺこりと頭を下げる。
 
 頭を下げた風見幽香、それは幻想郷でも特に長く生きて来た因幡てゐを持ってしても見たことの無いものだった。

 だから、因幡てゐは宣言した。

「知ってるか? 兎って幸運のシンボルなんだ。だから私があんたを幸せにしてやる。私の知恵なんて賢人達の知恵には程遠いけど、私の持っている小賢しい知恵、大したことのない力、無い威厳、無駄に長い兎生、それらすべてを使って叶えて見せるよ。あんたにまとわりついている他の連中の先入観、誤解、偏見そういったものをぬぐい去って、アルティメット・サディスティック・クリーチャーとあんたを怖がる連中の目から鱗を叩き落としてやる……どんな手段を使っても、あんたを幸せにしてやるよ」

 てゐは手を差し出し、幽香はその手を取った。
 
 空はただ、満天の星を讃えていた。
 
 
 ※
 

「ハイ、コンニチハ!」
 次の日、人間の里の裏通りにある閑静な……流行っていないとも閑古鳥が鳴きっぱなしとも言うカフェーに現れた因幡てゐは壮絶な恰好をしていた。
 草臥れたスーツによれたネクタイ、黒い帽子に革の鞄。
 それはあまりに胡散臭かった。
「なに、その格好は」
 幽香が突っ込んだ。
「ハハハ、こういったことはマズ形からはいりませんとね……あ、私はアラブコーヒーね」
 店の店主に注文するときは、てゐは素に戻っているが、基本的に胡散臭げなキャラを作っている。
「……形って、いったい何のつもりよ」
 ちなみに幽香が飲んでいるのはカフェ・ラテである。
「ハイ、つまりですネ。ヒトとヒトを繋ぐのが今回の仕事なワケです。ヒトとヒトを繋ぐ……それを考えた時、私の白い脳細胞はピキンと閃きました! それはフィクサーです! 今回私はフィクサーになる必要がある! そう理解した私はフィクサーらしい格好をしてきタ訳デース。この喋り方もその辺を意識しています……だけど、たるくなって来たから、普通に喋って良いかな?」
「好きにしなさい」
 風見幽香は笑顔で切って捨てた。
「まあ、そんなわけで色々と私も考えているわけだよ。大船に乗った気でいて良いぞ!」
 果てしなく胡散臭い格好のてゐ、それを見て幽香は自分が乗った船が泥船であったのではないかと思った。
「で、どうするの?」
 前日は星の魔力に惑わされたが、昼となってその魔法が切れてしまった。
 そんな訳で風見幽香は、なにかどうでもよくなって、なんとなくカフェ・ラテをかき混ぜている。
「ふふ、色々と段取りは整えているんだ。なんたって私はフィクサーですけんね、人を使ってこの絶望的状況どうにかするよ!」
 店の店主が持ってきたアラブコーヒーを全く味合わずに飲み干すと、てゐは店主にお代わりを要求する。
 ちなみにアラブコーヒーであるが、流石に幻想郷に正統なるアラブコーヒーが伝わっているわけは無く、濃く煮出したコーヒーにカルダモンやシナモンを振りかけたという結構いい加減なアラブコーヒーであった。
 最も、いい加減とはいえカルモダンとシナモンの風味が良い感じで、飲んだとたんに口内にほのかな甘みと濃い苦みが広がる店主会心の一杯である。
 その自慢のコーヒーを一瞬で呑まれて店主は少しだけ悲しそうな顔をした。
「人ねぇ……誰を使うの?」
 二杯目のアラブコーヒーを淹れる店主を背景に幽香はジト目でてゐを見ていた。
「私はその辺は手抜かりは無いよ。ゆうかりんは心配せずに私に任せてれば良い」
「……ゆうかりんって、あんた」
 風見幽香は苦笑をせざるえない。
 こうも気安いあだ名を自分に付けたものなど、この長い生の中でも無かったからだ。
「じゃあ、幽香さんとか、風見さんとかあるいは呼び捨てとかの方が良いかね?」
 目をクルクルと動かして、てゐは幽香に聞く
「……まあ、ゆうかりんでも何でも良いわよ。好きに呼びなさい」
 少しだけ『あだ名』で呼ばれるという事に頬を赤らめる風見幽香、それを聞きてゐは、
「了解、んじゃ好きに呼ぶわ」
 と、言って店主がそっと差し出したアラブコーヒーを一瞬で飲み干すと、おかわりを要求した。
「で、人って誰を使うのよ」
「ああ、それはゆうかりんの後ろのボックス席を見てみ?」
「後ろ……って」
 てゐに促されて幽香が後ろを振り向くと、日の差さぬボックス席には小さな少女が座っていた。
 
 真紅の目に赤いリボン、蝙蝠の如き羽を邪魔臭そうに座っている彼女こそ紅魔館の主レミリア・スカーレットその人だった。
 
 テーブルの上に乗っているのはネーブルとポンカンを混ぜた果汁入り飲料ネーポン、このカフェーにはコーヒー以外の飲み物はこれしかないので仕方がなく頼んだのである。
「……あの子に何を頼むと言うの?」
 微妙に嫌そうに幽香は呟いた。
「それは簡単、あんたと吸血鬼だと、うまい具合に利害が一致するからさ」
 そう言って、てゐは帽子を跳ね上げるとニヤリと笑った
 勿論、店主の出したアラブコーヒーを飲んでお代りを要求するのも忘れない。
「……人を呼び出しておいて、なに二人でこそこそ話をしてるわけ?」
 微妙にピリピリとした雰囲気でレミリアが移動してきた。
 やはりネーポンが口に合わなかったのだろうか?
「いやー、利害の話ですよ。こちらとあなたの利害がうまく一致するって話」
 てゐがレミリアに笑いかける。
 その笑顔は極めて胡散臭いもので、それを見た幽香はため息を漏らした。
「利害ね、私に得する話があるとでも?」
 胡散臭そうにレミリアはてゐを見た。
 
 事実、胡散臭くアラブコーヒーをお代わりしまくる、胡散臭い格好をしたてゐの姿は胡散臭さの権化のようであった。
 
 たぶん、胡散臭いオリンピックに出場すれば『近代胡散臭いオリンピックの歴史を胡散臭く塗り替える!』と評されるほどの胡散臭さであった。 
「得、しますよ。レミリア・スカーレットさん」
 怪しげな笑みを浮かべながらてゐはレミリアにすり寄った。
「得ねぇ……」
 胡散臭げにレミリアはてゐを見る。
「ハァイ! 私はシアワセを運ぶ幸運の白兎、人と人をつなげて幸福にすることこそわが宿命ですから!」
 
 説得力は皆無だった。

「……胡散臭いわね」
 故にレミリアも流石に引いた。
 だが、てゐはそんなレミリアにさらにすり寄ると耳元で囁く。
「ですが、イイ話なのは間違いないですよ……時にレミリアさん。貴方、最近あるものが無くなって困っていませんか?」
 アラブコーヒーのおかわりをしながら、てゐはレミリアに尋ねた。
「無くしもの……別に無いけど」
 胡散臭さに辟易していたレミリアは、そんなてゐをうざったそうにしながら答える。
「いえいえ、それは物とは限らないですよ。たとえば形のないものとか、ね?」
 にたぁ、という言葉が適切な笑み、てゐはそれを顔に貼りつかせている。
「……遠まわしね」
 てゐの物言いにイラつくのか、レミリアはテーブルを指で叩く。
「じゃあ、端的に言うならば、カリスマ無くなってませんか?」
 その瞬間、タン! と乾いた音がカフェーに鳴り響いた。
 アラブコーヒーのお代わりを持ってきた店主が、その瞬間に悲しげな顔をする。
 
 レミリアの指が、叩いていたテーブルを見事に貫通していた。
 
 店主が、カフェーをオープンする時に、かなり無理をして用意したマホガニーのテーブル、それに見事な穴が開いているのだった。
「死ぬにはいい日ね」
 素晴らしい笑顔でレミリアは言った。
「あっはっは、死ぬのにいい日なんて死ぬまでありませんよ?」
 それを受けててゐもさわやかに笑う。
 みんな笑い合っているが、カフェーの空気は殺気立ち始めている。
「で、何? 次に何かつまらない事を言ったら……」
 そう言ってレミリア・スカーレットは手に指を貫くジャスチャアをする。
 
 串刺しにしてやる。
 
 彼女は言葉を使わずにそれを伝えた。
「まあ、そこは我々の話を聞いてからにしていただきましょうか」
 だが、因幡てゐは軽く笑ってレミリアの目を見た。
「……まあ、話してみなさい」
 気勢を削がれたレミリアは、大人しくレミリアの話を聞く。
 因幡てゐが提唱するすべての人が幸せになるプランAの話を。
 
 全ての話が終わった時、てゐが飲み干したアラブコーヒーは17杯、その伝票は幽香に回された。

「……大丈夫、よね」
 その伝票を握りしめながら、風見幽香は自分に言い聞かせた。
 
 
 
 


 泣いた青鬼という話がある。
「……赤鬼じゃなかったっけ?」
 
 ……泣いた赤鬼という話がある。
 人間と仲良くしたいけど鬼という理由で何もしてないのに人から怖がられて、信用されない赤鬼が、友達の青鬼の協力で人間と仲良くなるという話だ。
「鬼の癖に人と仲良くとか、たわけた話よね」
 ……えー、とりあえず最後まで聞いていただけますか。


 青鬼が赤鬼の為に考えたプランが、こういうものだ。
 
 赤鬼が人間に信頼される状況を作る
 ↓
 そのためには、悪い奴が人間を襲う場面を作りだし、それを助けさせることで人間を信用させるのが手っ取り早い。
 ↓
 幸い、青鬼である自分は恐れられる鬼。自分が村を襲い赤鬼に助けさせれば人間は赤鬼を信じるだろう。
 ↓
 しかし、村を襲った自分と赤鬼が一緒に居てはすべてが台無しだ、芝居がばれる。
 ↓
 放浪の旅に出る。


 まあ、そんな感じに青鬼は姿を消した事に赤鬼は悲しみ、涙を流すわけだが、この話のポイントは人間と言うものは危機を救ってもらえば有難がるケースが多いって事だ。
「でも、そういった事をしても『たまたまやっただけだ』と思われたわよ」
 その辺は、ゆうかりんにも問題がある。
「え?」
 良いことってのは、さりげなくやっても駄目だ。
 自分はこんないいことをしてるんだ! 良い奴で社会に貢献してるんだ! って、アピールしなきゃ世間は分からないよ。
「そうなの?」
 ああ、だから今回はあからさまに行く。
 完全にゆうかりんが、正義の味方って印象付けるんだ。
 ただ、それだけじゃこのプランは問題がある。
 
 この赤鬼のプラン、赤鬼プランは赤鬼に心の傷を残すわ、青鬼が住みなれた土地を離れるわと、実際の解決策という点では問題がアリアリだ。
 だから、この私、因幡てゐが提案するプランAは、この問題点を克服する必要がある。
 
 それが、青鬼役にレミリア・スカーレットを持ってくるという事だ。
「私がポイントなの?」

 そう、なぜなら私のプランのポイントは『本来嫌われ役であり、得るものがないはずの青鬼役も利益を得ることにある』からだ。
 
 赤鬼役は人々から受け入れられて、ハッピーエンド。

 そして青鬼役にはどういう変化が訪れる?
 
 まず、人々から恐れられる。
 普通であれば、これは利益にならない……しかし、人の立場が変われば求めるものも変わる。
 時には、人から恐れられることを求めるものだって居るわけだ。
「……まー、最近の紅魔館は全く恐れられてないからね……これは当主である私の問題だわ」
 レミリア・スカーレットは吸血鬼が恐ろしいものであると、人々に思い出させたがっている。
 でも、だからと言って幻想郷の人々をいたずらに傷つけたいとは思っていない、そのため悶々としていた。
「いや、そこまで切羽詰まってないわよ……まあ、乗ってみるのは悪くないとは思ったけど」
 このプランのポイントは利害の一致。
 青鬼役も赤鬼役も、互いに得るものがある。
 まさに私のフィクサーとしての手腕が面目躍如だね!

 てゐはそう言うと、空に向かってガッツポーズをするのであった。


 
 
 
 
 夜は更けた。
 
 年若い娘たちが、足早に里の通りを歩いている。
 その顔に浮かんでいるのは帰路に着くのが遅れたことへの後悔や、早く帰らなければならないという焦りだった。
 人間の里は妖怪向けと言う事で夜でも開いている店は多いし、基本的に安全であるが、それでも夜は人の時間ではない。
 
 早く帰ろう。
 
 娘たちは誰ともなく、歩みを早めた。
 暗い夜道は、人に根源的な恐怖を思い出させる。
 人の心の内には、闇に対する理屈を抜きした恐怖が存在するのだ。
 その刹那、先頭を歩く娘が夜道に浮かぶ白い影を見止めて足を止める。

 どうしたの?
 
 突然止まった娘、後を歩いていた娘が声をかける。
 しかし、止まった娘は答えず、ただ夜道に浮かんでいる白い影を指差した。
 
 それは白い影。
 
 夜の暗闇に浮かぶ白い影だ。
 それは、ゆっくりとゆっくりと娘たちに近づき、そして、
 
「たーべーちゃーうーぞー」

 と、声を上げる。
 娘たちは金切り声をあげた。
 


「おっし、いまだ!」
 その悲鳴を確認して、てゐが幽香に発破をかける。
「ええ、分かってるわ」
 一方、幽香は落ち着いたもので、娘たちの悲鳴を聞いた瞬間に準備は済ませている。
 風見幽香は隠れていた路地を抜け、レミリアが娘たちを襲っている場所へと駆けた。
「そこまでよ!」
 颯爽と、その言葉がこれほど似合うシチュエーションは無いというほど鮮やかな登場、そして風見幽香は『それ』を見た。
 
 その瞬間、路地から飛び出した風見幽香は、足もとを滑らせて凄まじい勢いで転がり、出て来た路地とは反対側の路地へとスッ飛んでいった。

「何やってんの!」
 その様子を見たてゐが焦り、幽香を追いかける。
 そして、見てしまった。
 
 理解した。
 
 なぜ幽香がずっこけたのかを。
 そして自分も同じ運命を辿ることを。
 
「やーん、可愛いぃぃぃッ!! 食べちゃうぞだってー!!!」
「あーん、見てほっぺがプニプになんですけど!」
「ああん、お持ち帰りしたいよぉ!」

 紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
 当年とって五百歳の恐るべき吸血鬼、その彼女は娘たちに撫でまわされ、可愛がられ、お持ち帰りされそうになっていた。
「ちょ、ちょっとあんたら怖がりなさいよ! 私が食べちゃうって言ってんのよ!!」
「いやー、なんか強がってるぅぅ!!」
「ひゃん、何このお肌! きめ細やかすぎ!」
「持って帰ろうよ、周りに誰もいないみたいだしさぁ!!」

 ずっこけて、幽香が居るであろう路地に転がり込む瞬間、てゐは思った。
 
 だめだこりゃ。
 
 
「あー、もう。あんたら放しなさいよ! ねぇ、ちょっと! ちょ、あああーー!!」

 その後、どうにか娘たちの魔の手から逃れたレミリア・スカーレットは『おうちに帰る!』と言って泣きながら紅魔館に帰っていったという。
 
 どっとはらい。
 
 
 
 
 
 
 
 ※
 
 
「誤算だったかな」
 人間の里の路地裏にあるカフェーで、てゐと幽香はプランの練り直しをしていた。
「……まあ、誤算といえばそうね」
 まさか、幻想郷でも特に恐れられている吸血鬼が、人を襲おうとして逆に襲われて泣きながら逃げかえるとは誤算としか言いようがない。
「やっぱ、食べちゃうぞがアカンかったか」
 アラブコーヒーを飲みながらてゐは、ため息をついた。
「そりゃ、どっかの恐竜の子供じゃないんだから、食べちゃうぞで怖がるのがどれほどいるのかって話よね」
「食べちゃうぞは無いなー」
「無いわね」
 レミリアへの凄まじい駄目出しをした後、二人は大きく溜息をついた。
「どうするの?」
 疲れたように幽香はてゐに聞く。
「HAHAHA 大丈夫。ワシのプランは百八式まであるぞ」
 てゐはそう言って胸を張るが、その頬に一筋の汗が流れているのを幽香は見のがさ無かった。
「じゃあ、プランBは?」
「……えーと、それは」
 聞かれて、てゐは言葉に詰まる
「なにも考えていないわけね」
 溜息をついた幽香はカフェ・モカに口を付けた。
「いや、んなことは無いんだ。ちゃんと考えてるよ、ただ、明確なプランにしているわけじゃなくて、こうモヤモヤーとしたもので言葉に明確にできるものじゃないわけだ。いや、本当に何も考えてい無いわけじゃなくて……」
 手ぶり身振りで幽香に必死に訴えかけるてゐ、一方の幽香は何ともけだるそうにカフェ・モカを啜っていた。
「つまり、明確なプランは無いってこと?」
「そうともいう」
 悪びれもせず、てゐは笑った。
 それを見て、幽香はさらに深いため息を吐く。
「まー、本当にプランが全くないってわけじゃないんだけどね」
「じゃあ、さっき言えばいいじゃない」
 呆れて様に幽香は言った。
「いや、このプランはね。リスキーなんですよ、だからちょいと覚悟が必要な訳で」
 そこまで言って、てゐは少しだけ真剣な顔をする。
「リスキーね、例えばどんなリスクがあるっているの?」
「まあ、説明は少し難しいかな。ただ、私の言う事に絶対に従う事が前提条件で、色々と大変なことになるかも知れない。成功の確率は低くないけど、その代わり確実にリスクは負う事になる」
「で、そのリスクって何なの?」
 幽香はてゐに尋ねる。
 それに対して、てゐはこう答えた。
「……まあ、リスクを負う事がこのプランの本質と言う事かな」

 そして、風見幽香はすべての説明を受けた上で、そのプランを承諾した。
 
 
 
 
 
 起死回生の一手だと、因幡てゐは説明した。
 風見幽香は恐ろしい存在であるという認識、それを塗り替えるためには新しいイメージで塗り替える必要があるという。
 恐怖よりも強烈なイメージを植え付けることによって、幻想郷の人々の認識を変える。
 しかし、その為には大きな代償を支払えと、てゐは言った

 確かに代償は大きいのかもしれない。

 風見幽香は目の前で泣いている兎を見下ろしながら、そんな事を考えていた。
 泣いている兎は、ついこのあいだ罠にかかって怪我をしていた兎だった。
「どうしたの、大丈夫?」
 優しげに幽香が声をかける。
 すると、周囲から『あれは……アルティメット・サディスティック・クリーチャー? 一体何を企んでるんだ』などと里の人間達の声が聞こえてくる。
 しかし、幽香はそれを聞こえない事にして兎に優しく笑いかけた。
 そして、これから起こるであろうことを思い描き、風見幽香は唾を飲み込む。
 思い出すのは、少し前のてゐとの会話。
 
 
『普通の方法じゃ、風見幽香の善業を人間は受け入れない。バカだから』
『……ま、そうね』
『ただ、人間の目もある点では間違ってない』
『どういう事?』
『簡単な事で、風見幽香は人を助ける時にどれだけの労力を払っているのか、って事だ』
『労力?』
『ああ、犠牲と言っても良いけどね。簡単な話だけど、風見幽香はあまりに強大な力を持っている。だから、人を助ける際に全く力を割いていない……全然人助けで苦労をしていないわけだ』
『苦労ね。確かにどれほど人助けをしても、村落を一つ救っても、私自身はさしてる代価を支払っていない』
『だから、だと思うんよ』
『苦労していないから、私の行為は善業と思われてないってわけか』
『涼しい顔をして仕事をするものよりも、汗水たらして苦労して仕事をする人間の方が仕事をしたと思われる。実際の仕事量が、たとえ涼しい顔で仕事をしていたものが多くても、ね』
『つまり、貴方が言いたい事は』
『そう、苦労しろと言う事、犠牲を払えという事。だからと言って、風見幽香が物理的に苦労する状況なんて幻想郷で早々起こる訳は無い……つーか、起こってもらっても困るし、だから、ゆうかりんには精神的に苦労をしてもらう』
『精神的に……』
『最初に言っただろ。リスクこそこのプランの本質だってね』
『なにをすればいいの?』
『簡単だが難しい。ただ、一言で説明はできるけどな』
『なに?』
『風見幽香、あんたは道化になれ』


 これは茶番だ。
 完全なる茶番、出来レース、八百長、仕組まれたものだ。
 だが、流す汗は、血は、失われる尊厳は、誇りは本物。
 
 だからこそ、意味がある。
 
「どうしたのかなー、可愛い兎さん」
 そう言って幽香は笑いかける。
 しかし、兎が泣きやむ事は無かった。
 確かに、この兎はてゐの仕込みである。
 だが、仕込みではあるものの彼女は未だに幽香を本能的に怯えていた。
 そんな怯えきった彼女を笑わせる事。
 それが、因幡てゐが風見幽香に出した『するべき苦労』であり、『払うべき犠牲』であった。
 
 人が人を助けるという献身。
 それを目の当たりにした時に人がそれを崇高なるものと思うのは、それの本質が尊い自己犠牲によって成り立っているからである。
 犠牲を人は尊ぶ。
 率先して血を流すものを人は尊いものとして、尊敬する。
 
 しかし、今は血を流す場所は無い。
 ならば、どうするか?
 全てを投げ出せばいいだけの話だ。
 道化となり、誇りも尊厳もすべて捨て去るほどの献身を見せる。
 それが、この茶番の本質なのだった。
  
「困ったわね……じゃあ。心が明るくなうようなお話をするわね」
 そう言いながら、風見幽香は周囲で見ている里の人間にも聞こえるよう、朗々と歌い上げるように小話を披露する。
 
 
「隕石によって幻想郷が壊滅するというニュースが駆け巡った。
 
 鬼たちは、我こそが隕石を粉砕するといきり立ち。
 河童たちは、隕石を跳ね返す機械を作ろうと協力し。
 天狗達は、このニュースを誰が一番最初に報じたかで揉めた」
 
 周囲の人間の何人かはくすくすと笑ったが、大半の反応は無かった。
 目の前の兎に至ってはキョトンとした顔をしている。
 ブラックジョークはどうしても人を選ぶ、幽香は方向性を変えることにした。
 やはり、ブラックジョークの本質は冷笑、それでは人の心を動かすことはできない。
 そう、犠牲こそがこのプランの骨子では無かったのか。
 考え直した風見幽香は、周囲を見回す。
 
「ちょっと、そこの貴方!」
 幽香は屋台のおでん屋を指差した。
「へ、わ、私ですか?」
 戸惑うおでん屋に幽香は詰め寄って、言った。
「そのおでん全部ください」
 
 おでん。
 それは『笑い』で使われる熱い食べ物の代名詞。
 椅子に縛られて、おでんを無理やり食べさせられるのは、身体を使った芸の基本の一つであった。
 だが、一人ではそれを行う事が出来ない。故に風見幽香が選んだ事は、おでんの早食いだ。
「……熱ッ! アッチチチ!!」
 大根を食べながら幽香が声を上げる。
 いくら、強大な力を持った妖怪でも、熱いものは熱い。
「そ、そう言えばカラシもつけないとね」
 涙目になりながら大根を食べ終わった幽香は、店主にカラシを要求する。
 いやいや、と頭を振る店主……それは幽香の迫力に押されてなのか、身を案じてなのかは分からない。
 そんな店主が、役に立たないと理解すると幽香は、カラシを取って、それをハンペンの上にてんこもりにして一気に食べた。

「――――――――――――――ッ!!!!!」

 声にならない叫びをあげる。
 そんな調子で幽香は、屋台のおでんをすべて食べきった。
 
 だが、周囲の人間は完全に引いていた。
 兎などもう完全に涙目である。
 身体を張った芸と言うものは難しい。
 温いと白い目で見られ、やり過ぎると引かれる。
 全力でも、手を抜いてもいけない、その適当な温度こそ身体を張った芸の真骨頂なのだ。
 風見幽香が犯した間違いは、やり過ぎのそれであった。
 失策を悟った幽香は、
「パ、パントマイムをやるわね!」
 と、楽しげな方向にシフトさせた。
 
 存在しないはずの壁がそこにあるかのように振舞う定番と言えるパントマイム、まるで、そこに見えない壁があるかのように風見幽香はガラスにぶつかったり、その壁に回り込もうとしたりと振舞った。
 見ている人々は、思わず驚嘆の声を上げる。
 幽香の仕草から、そこにあるはずのない壁が見えているからだ。
 
 こうしてパントマイムが終わって、幽香は周囲を見た。
 凍りついた空気は、少しだけ和らいでいる。
 やはり『芸』というものは強い、風見幽香はマルセル・マルソーに感謝の意を捧げた。
 
 このまま、パントマイムで行くべきか否か。
 
 少し逡巡し、幽香はパントマイムを止める。
 そもそも風見幽香のパントマイムは持ち弾は少なく、オマケに『階段』などパントマイムは足が隠れる場所がなければできないからだ。
 だが、ここで間を作るのは愚の骨頂、とにかくネタを続けようと風見幽香は思いついたはしからネタを続ける。
 
 腹話術、声帯模写、漫談、火吹き、ジャグリング、バカ歩き、演武、一発ギャグ、ブレイクダンス、少年律動体操と続け、気が付けば周囲の里の人々もそして怯えていた兎もぎこちないながらも笑っていた。
 
 だが、それでもまだ爆笑の域には無い。
 更なる笑いを求め、風見幽香は己を酷使する。
 
 犠牲を払う。
 
 払わなければならない。
 
 風見幽香は覚悟を決めると、左斜め四十五度の角度で、平地であるのにもかかわらずまるで坂道を上るかのような歩き……バカ歩きをしながら、左手は蝶の動きを再現するパントマイム、右手は神速のジャブを放ち、腰をグイングインとグラインドさせ「いのちだいじに!」と、叫びながら、ゴル○13の顔真似をした。
 
 その時、パシャッ、という音が鳴った。
「え?」
 その音で風見幽香は我に返る。
 音が鳴った方を見ると、そこには写真機を持った鴉天狗、その隣には白い兎が居た。
「いやー、素晴らしいネタのご提供ありがとうございました」
 鴉天狗が兎に礼を言った。
「いやいや、それよりもギャラの方はよろしく頼みましたよ」
 兎は鴉天狗に返した。
「え、え?」
 そのやりとりを見て、風見幽香は戸惑った声を上げる。
 
 理解が追い付いていなかった。
 
「これで、今度の新聞大会はいただきですよ!」
「いやいや、お役に立てて恐悦至極」
 
 ようやく風見幽香の理解は追いついた。
 
 理解した風見幽香の血液は瞬時に沸騰し、鴉天狗の如く、吸血鬼の如く、疾風の如く、加速し、極限まで加速し、天狗へと向かう
「おっと、危ない!」
 一撃必倒の渾身の一撃だった。
 しかし、鴉天狗も速さでは幻想郷でもとび抜けた存在、見事に幽香の一撃をかわし、空へと舞い上がる。
「待ちなさい!」
「待てと言われて待つ馬鹿はいません」
 空に上がられては追いかける術は無し、天狗……射命丸文にはまんまと逃げられてしまった。
「どうやら逃げられたみたいやね」
 白い兎……因幡てゐは他人事のように言った。
「……みたいね。でも、重要なあんたが残っていれば大方問題は無い」
 殺気混じりに幽香は両手をボキボキ鳴らすと、駆けた。
「生憎とね、兎ってのは逃げ足が速いんだよ!」
 幽香の勢いに気圧されながらも、因幡てゐは脱兎の如く逃げだした。
 
 逃げた先は、それまで割と幽香の芸に笑い転げていた男のところ。
「ひ、ひぇ!」
 突然やって来た白兎とアルティメット・サディスティック・クリーチャーに男は驚いた。
「はい、ごめんよ!」
 しかし、男はその後さらに驚愕することになる。
 因幡てゐは、男の襟首を掴むと風見幽香に向かって突き飛ばしたのだ。
「ひゃぁぁッ!!!」
 男は悲鳴を上げるが、だからといきなり突き飛ばされては、どうすることもできない。
 そして、風見幽香は因幡てゐしか眼中に無いから、男の事など目に入っていない。
 迫る幽香を前に男の命は風前の灯、そう思えたが、
「きゃあ!」
 風見幽香は、偶然にもバナナの皮に滑って、盛大に転んでしまった。
「いたた、何でバナナの皮なんかが……」
 打ったお尻をさすりながら、幽香が呟く。
 しかし、その間にてゐは逃げて、その途中で止まってニヤっと幽香に向かって笑った。
 それを見て幽香の血は再び頭に上り、てゐに向かって駆けだした。
「あっはっは、血が上ってるねぇ!」
 そう言って人混みの中に飛び込んで、幽香の芸に笑い転げていたお子様を拾い上げて突進してくる幽香の前に置いた。
 お子様が危ない、そう見ていたものが思った瞬間、
「きゃん!」
 空から降って来たタライが幽香の頭を打った。
「いやーん!!」
 更に、振って来たタライにはなぜか八目鰻が満載されており、その八目鰻は幽香の服に潜り込もうとする。
 空を見上げると、タライを落としたと思しき夜雀が『ヤバイところに落としてしまった』と思ったのか、凄い勢いで飛び去っていった。
「だいじょーぶかい、ゆうかりん?」
「う、うるさいわね! ギタギタにしてあげるんだから!」
 その後、風見幽香に追い詰められるたびにてゐは、人間に幸運を与えては、それを幽香に向って突き飛ばした。
 その結果、幸運を与えられた人間は、迫りくる幽香から『運良く』助かり、そのつど幽香は足止めを食らう。
「ああん、冷たい!」
「いやー! 蛸がぁ!」
「ああん、なんでこんな大量のなめこなんてぇ!」
「ひゃん! こんなにところてんをかけちゃらめぇぇ!!」
 だが、幽香はそれでも諦めなかった。
 どうにも凄まじい状況になりながらも、幽香はてゐをついに人のいない場所にまで追い詰めることに成功した。
 
 執念であった。
 
「もう、人間は、いないわよ……ふふふふふふ」
 息も絶え絶えになり、破れてかろうじて身体の重要な部分を覆っているだけとなった衣服を纏った幽香はてゐの前に立つ。
「おー、お見事お見事」
 てゐはパチパチと拍手をする。
「何か遺言はあるかしら?」
 肩を回しながら一歩一歩、風見幽香はてゐに近づいた。
「だったら、一言言わせてもらうなら……」
「言わせてもらうなら?」
「今回のプランはなかなか成功だったと私は思うんだ。この追いかける兎とアルティメット・サディスティック・クリーチャーの追跡劇はかなりクオリティが高かった。特にゆうかりんが大量のとろろでベトベトになったところなんて、通人にとっては生唾ごっくんだったと思う、そういう意味では今回は大成功と言えると思うんだ」
「それだけ?」
 にこやかに幽香はてゐに聞いた。
「あとはさ……優しくしてね?」
 てゐは可愛らしく小首を傾げた。
「知ったことかぁ!」
 幽香は全力でてゐのケツに向かって日傘を振り切り、
「ウサー――――ッ!!」
 てゐは幻想郷の星となった。
 
 
 

 ※
 
「本当に無茶するわねぇ」
 お尻の上に氷嚢を乗せたてゐに向かって、八意永琳は呆れたように呟いた。
「あはは、ケツバットじゃなくてケツ日傘ごっつあんですってところですね」
 お尻が痛くて動けないてゐは、うつ伏せのまま永琳に答えた。
「しかし、もうちょっとスマートな方法は無かったの?」
 打ち身に効く薬の材料を挽き臼ですり潰しながら、永琳はてゐに尋ねる。
「……むしろ上出来な部類ですよ」
「そうなの? 最初から風見幽香に説明をしていたら、貴方のお尻は無事だったんじゃないかしら?」
 おおよそ粉となった薬の材料を乳鉢に入れ、永琳はさらに様々な材料を入れてすり始める。
「それじゃあ、駄目ですよ。本気で私を追いかけさせないと、里の人間を引き込めなかった……彼女はなんだかんだと素直ですからね、演技は苦手でしょう」
「なるほどね。ジョークの基本ね。やる人間が本気であればある程、見ている方は面白い……そう言う事か」
「それだけじゃないですけどね。こちらが詐欺兎ってのは、里の人間にもよく知られてるし、私に騙された者、おちょくられた者も少なくは無い。だから『あのアルティメット・サディスティック・クリーチャー詐欺兎には騙され、おちょくられてる』ってのは、里の人間との共通体験を作ります。共通体験は共感を生む……それに、あれだけ愉快な様を晒せば、誰も彼女をアルティメット・サディスティック・クリーチャーと言って恐れたりしませんよ。笑いと共に語られたり、場合によっては親しみさえ混じるんじゃないかな?
 そう言って、てゐはにまりと笑った。
「……しかし、どうして因幡てゐは風見幽香にそれほど入れ込んだのかしら?」
 その笑いを見て、永琳は少し考えてから聞いた。
 その問いに、てゐは少しだけ答えるべきか、答えないべきか迷った後、こう言った。
「信じたから、私が天狗を使ってすべてが仕組んだ事だと見せかけるまで、私の事を完全に信じてくれたから……ですかね」
 嘘ばかり付く狼少年ならぬ詐欺兎、たまに本心を出しても身内だってなかなか信じてくれない自分の申し出をあっさりと信じた。
 
 理由はそれだけ。
 
 その答えに永琳は、
「そう……頑張ったわね」
 と言って、てゐの頭を撫でた。
「……まあ、こんなこと二度と御免ですけどね」
 頭を撫でられたてゐは、照れ臭そうに嘯くのだった。
 
 
 
「こっちでいいのかしら?」
 風見幽香は迷いの竹林を歩いている。
「はい、こっちです……たぶん」
 道案内は、前に助けたてゐを慕う妖怪兎だった。
「たぶんって、ずいぶん頼りないわね」
 苦笑しながらも幽香は兎に従った。
 あの騒動の後、風見幽香の世界は完全に変わった。
 里に行くたびに浴びた恐怖の視線は消えた。
 里で話をする人間も増え、あの事件の事は完全にネタとなり、アルティメット・サディスティック・クリーチャーも恐怖の代名詞では無く、風見幽香のちょっと仰々しいあだ名程度となった。 
「しかし、凄い量の花束ですね」
 兎も、もう幽香を怯えていない。
「まあ、色々と一杯食わされた形になったからね。だから花束で窒息させてやろうと思ってね」
 そう言って幽香は笑う。

 二人が向かう先は永遠亭。
 
 全力でぶっ飛ばしたてゐのお見舞いに向かっているのだった。
 今となって風見幽香は理解する。
 自分を叩きのめすところまで、全てがてゐによって仕組まれたことである事を。
 だから、見舞いに行くのだ。

 その心を花束にして。
 
「綺麗な花ですね……なんて名前なんですか?」
「これ? 風鈴草よ」
 それは、釣鐘状の花弁が可愛らしい花、それが幽香の両腕に抱えるほどの大きな花束となっていた。
 
 その花言葉は『感謝』

 風見幽香は両手一杯の『感謝』を抱えて、幸福を呼んでくれた兎の元へと向かった。
ゼラニウムの花言葉は「慰め」「真の友情」「愛情」「決意」「君ありて幸福」

そして「偶然の出会い」
七々原白夜
http://derumonndo.blog50.fc2.com/
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コメント



0.3640簡易評価
1.40名前が無い程度の能力削除
万人受けは無理そうですね。
2.90名前が無い程度の能力削除
とら○やゴリ押しですねw

てゐのキャラが生き生きしていて良かったんじゃないかと思います。
9.100名前が無い程度の能力削除
てゐがかっこよすぎた。
個人的には良い作品だと思います。

>あれだけ愉快な様を晒せば、誰も彼女をアルティメット・サディスティック・クルーチャー
クリーチャーの間違いです。
14.100名前が無い程度の能力削除
老獪な妖怪ウサギっぷりがいいですなぁ。
>ネーポン
ホットでください。
15.80名前が無い程度の能力削除
好みは分かれそうだけど個人的には凄い好きな話だw
ぽつぽつと誤字脱字衍字があったのが勿体無いですが・・・
もうちょっときっちり推敲したら素晴しい出来になりそう。
16.90名前が無い程度の能力削除
両人ともSでツンデレ強いですね。
あとカリスマブレイクわろたw
17.100名前が無い程度の能力削除
やるな詐欺兎、伊達に長生きしてないっすね。
定番な構成を丁寧に仕上げてあり読みやすく面白かったです。
22.40名前が無い程度の能力削除
ごめん、アルティメット(以下略)の単語がでるたびになんか違和感しか感じなかった。
この設定じゃ幽香が傍若無人に振る舞うのは妖怪、妖精くらいだろうし、だけど辞典を編集するのは人間だし。何故にアルティメット(以下略)がついたのか、そこばかりがすごく気になった。
ギャグで持ってくるならば分かるんだけど、真剣みのある話でやるのはなんだかなぁと思ってしまった。

まぁ、一読者の戯言ですがね………。
23.70名前が無い程度の能力削除
だが待って欲しい。カフェのおっちゃんが一方的に悲惨な件について(マホガニー)www
24.100ぷら削除
なんなんだこの爽やかすぎる読後感は
素直なゆうかりんの頑張りに心が暖まりました
25.70煉獄削除
アルティメット(略)って最初に出てきた分には良かったんですけど……
こう、何度も使っているとその名前が邪魔になってきますね。
話は面白かったんですけど、もっとシンプルにしても良かったんじゃないかなぁって
思ったりもしました。
まあ、私個人の考えなんですけどね……。
それでも結構楽しめました。

誤字・脱字の報告
>つまり幽香は怖がらればかりじゃ寂しいから
怖がられているばかりじゃ、ではないでしょうか?
>やりだけ無駄だ
やるだけ無駄、ですよね。
報告でした。(礼)
26.80名前が無い程度の能力削除
アダ名の元ネタ知らないとでしょうねー、これはw
私は知ってたのもありますが、単純に良い話でしたのでこの点数で。
29.100名前が無い程度の能力削除
いやもう幽香がかわいくてかわいくてもう辛抱堪らんです。あとエロい。

>持って帰ろうよ、周りに誰もいないみたいだしさぁ!!
幻想郷怖いよう……
33.100名前が無い程度の能力削除
なにこの幽香まじちゅっちゅしたい

アルティメット略に元ネタがあるとは知りませんでしたが、
物語のアクセントとして楽しめました。
素直になれない真っ直ぐな幽香とトリッキーなていの
組み合わせが違和感無くマッチしていて良かったです。
おぜぅさま?あれはひとつの幸せなのか?

ズルさが誰かのために発揮されるのって格好いいね
45.90☆月柳☆削除
シリアスとギャグの比率的にはギャグなんでしょうかね。
何か不思議な感覚のする作品でしたが、キャラクターは生き生きと動いていたし、楽しませてもらいました。
48.70名前が無い程度の能力削除
これはいい
59.10名前が無い程度の能力削除
書いてて楽しいってのは伝わりました
73.100名前が無い程度の能力削除
good
74.100名前が無い程度の能力削除
俺は好きよ
評価はわかれてるけど
79.100名前が無い程度の能力削除
いやもう最高。
流れるように話が進んで、終わりの切れ味もいい。
84.90名前が無い程度の能力削除
イイハナシダナー
88.100名前が無い程度の能力削除
すげえ面白かった。幽香が過剰におそれられるのを何とかしたい、
っていうのもアリだと思うし、信じられたてゐがいつになく頑張ってるのも、
最後に誤解が解けるのもほのぼのとしたしめくくりでとてもいい。
ちょくちょく挟まれる小ネタも、レティさんもチルノも素敵だし。
ゆうかりんもてゐも素直になれない者同士マジ可愛い。
90.80名前が無い程度の能力削除
いいねいいね
皆が楽しそうで何よりです
特に幽香