ここ数日間、降り続いていた雪が止み、雲一つ無い青空から一面の銀世界に降り注ぐ太陽の光が眩しい。
里からは少し離れた森の入り口。その一角にある香霖堂で、森近霖之助は今日も読書をしていた。
いつも通り、熱くなり過ぎているストーブのお陰で幾つかの窓が結露しており、そこに差し込む日光はまるで、窓ガラス自体が光っているかの様な錯覚を起こさせる。
それによって、普段は薄暗い店内が少しだけ明るくなっている為、「これはもう、読書をする他に無い」と考えた霖之助なのだ。
本人に言わせれば、「読書は店番のついでだから」という様な事なのだろう。
しかし、この日は未だ1歩も外に出ていない霖之助である。商売をする気が無いと言われたところで、誰が否定できようか。
――カランカラン
いつもより上品な音を立てて、ドアが開いた。
読んでいた本の内容が中々に良いところだったのが少し惜しいと感じた霖之助だが、ドアの開く音で霊夢や魔理沙ではない事が分かった為、努めて平静に入り口を見る。
そこにはコートを羽織り、帽子を被った少女が1人。
「あら、お店は営業しているのね」
そう言って帽子とコートを脱いだのは、森に住む魔法使いのアリス・マーガトロイドだった。
「やっていますよ。いらっしゃい」
「てっきり、今日はお休みかと思いましたのに」
そう言ってアリスの後ろから現れたのは、湖の畔に建つ紅い洋館のメイド、十六夜咲夜。ドアを閉めると、コートと帽子を脱いだ。
あまりにも珍しい組み合わせに表情だけで驚いた霖之助は、すぐにいつも通りの表情で、「こう見えて、商売熱心ですからね」と返す。
「お店の前の雪掻きもせずにそんな事を言われたって、説得力がありませんわ」
手近な置物にハンガーが掛かっているのを見た咲夜は、アリスのコートと帽子を受け取り、2人分をハンガーに掛けた。
ハンガーが掛かっている逆三角形の赤いプレートには、白い文字で「止まれ」と書かれている。
口にこそ出さないが、霖之助に咲夜の言を否定する気は無かった。そして、その代わりとでもいった風に言う。
「それはすみません。それじゃ、ここに入るのは大変だったでしょう」
「別に、そんな事は無いわ」
アリスは左腕に1体の人形を乗せると、「ね」と言ってその頭を撫でた。当の人形は、無表情のままでそれを喜ぶ仕草だけ見せている。
要は、人形がお店の雪掻きをしたという事なのだろう。それ以上の解釈は無用だった。
「まぁ、どうぞ奥へ。今、お茶を用意します」
この洋風な少女2人に出すお茶なら、紅茶の方が良いのだろうか。そう考えた霖之助は、「だったら僕より彼女等が淹れた方が美味しいんじゃないか?」とも思った。
だから、「でしたら、お茶は私が淹れますわ」と言った咲夜に霖之助は素直に従う事にした。
「今日は美味しいお茶を持ってきたそうですから」
不意に、アリスが霖之助から目を逸らす。
霖之助が話を聞くと、今日は2人共、特に用は無いという事だった。2人が一緒に来たのは、ただの偶然らしい。「雪掻きをしている人形が目に付いたから立ち寄る事にした」というのが、咲夜の説明だった。
それではあの2人と一緒ではないか。そう考えた霖之助だが、何故か、それよりは「まとも」だなという気がするのも事実である。
それは多分、この2人が遥かに落ち着いた性格の持ち主だからなのだろう(少なくとも表面上は)。
そう思う一方で、咲夜には何をするか分からないという不安も付き纏うのだが、それを差し引いても尚、あの2人といるよりはまだ楽なのだろうと考えた。
結果として、魔女とメイドと道具屋の3人で、午後のお茶会という事になっている。
アリスが用意した茶葉を咲夜が淹れ、霖之助が用意したティーカップに注ぐ。偶然の産物がもたらす違和感があるものの、これはこれで良いものだと霖之助は思った。
正直に、お茶が美味しい。
この美味しさはアリスの茶葉によるものなのか、咲夜の技術によるものなのか。
「決まっているでしょ。良い物を持ってきたんだから」とアリスが答え、「私はその風味を最大限に活かす事が出来ますわ」と咲夜が続けた。
つまり、その両方なのだろう。
霖之助はもう一口、紅茶を啜る。
これは教わる価値のあるものだと思った。
落ち着いたお喋りが続く中で、時折、アリスが店内の何かに目を遣っているのが霖之助の気に掛かった。
そちらに何があったろうか。霖之助は考えて、アリスに聞いてみる。
「何か、気になる物がありますか?」
「あのドレス、どうしたの?」
言って、アリスは奥に掛かっている白いウェディングドレスを指した。咲夜も振り返り、ドレスを見る。
「あぁ、それですか」
そう言って、霖之助は簡単な説明をする。
ウェディングドレスを扱うのは香霖堂でも初めての事で、だから霖之助は売り文句なども考えていなかったのだが、このドレスについてはそれ以上に伝えておく必要のある、「いわく」がある。
その為、ドレスは初めから売る気が無かった霖之助なのだが、意外にもアリスはそれを聞いた上で「もし良ければ、試着してみたいわ。良いかしら?」と聞いた。
霖之助はアリスを見る。
人形遣いであるアリスは、自身も、まるで人形の様に整った体つきと顔立ちを持つ。こと容姿に関して言えば、世の女性の理想が集約されているのではないかとすら思う程だ。
そんなアリスであれば、この純白のドレスも似合うのだろうな。そう思った霖之助は、言葉を返す。
「それに、そのドレスは少し汚れてしまっています。今すぐに、というのはお勧め出来ません」
正直、ここまで繊細な物の管理は香霖堂では出来ないのではないか。そう、霖之助は思っているのだ。
「そう、だったら」とアリスが言いかけたところで、咲夜が言葉を被せた。
「でしたら、このドレスは私がお預かりしますわ」
言われて霖之助は考えた。紅魔館であれば、こういったドレスの管理も容易だろう。
「私共の屋敷でしたら、ドレスの管理なども簡単ですよ」
「別に、私の家でも出来るわよ」
「こういう物は紅魔館で着ると、とても映えると思わない?」
「あー…」
アリスが悩む。
その間に霖之助は同意した。自分で中に入った事は無いのだが、話を聞く限りの印象と、新聞に映っていた写真を見た限りの印象では、間違い無いと思う。
「それじゃ、お願いするわ」
結局、霖之助に圧される形でアリスも同意した。しかし、まだ歯切れの悪さが残っている。
「それじゃあ、明日のお昼頃に来てくれるかしら?その頃だったら、きっとお嬢様はお休みの時間だと思うから」
「分かったわ」
渋々、といった風にアリスが答えるのを見て、霖之助は納得した。考えるまでもなく、トラブルメーカーの巣窟とでも形容できそうなあの館に、好んで行く人などそうは居ない。
「是非ご一緒に、如何ですか?」
咲夜が霖之助の方を向いて言う。
「そうですね」
そう考えると少し面倒だなと、霖之助は思った。しかし、仮にもドレスは香霖堂の商品である。
「それでは僕も、お邪魔しますよ」
それに、アリスがあのドレスを着た姿を見てみたいという興味が湧いた。今回を含め、見る機会は多くて2回だろう。そう考えたからだ。
「あ、貴方が森近さんですね。お話は伺っていますので、どうぞ中へ!」
翌日、紅魔館を訪れた霖之助を迎えたのは、中国風の衣装に身を包んだ妖怪の門番だった。
話が伝わっている所為でもあるのかも知れないが、門番というのはこんなにも人間臭くて良いものなのだろうか?
門番という単語のイメージからは随分と離れている気がするのだが、しかし、そこは余り深く考えない事にした霖之助である。
その門番が正面の大きなドアを開くと、中では咲夜が霖之助を待っていた。
「いらっしゃいませ」
咲夜は恭しく一礼。
「もしかして、僕が最後でしたか?」
「ええ。もう準備は整っていますわ」
「そうでしたか」
約束の時間には遅れていない筈なんだけどな。そう思った霖之助の心を読んだかの様に、咲夜が言う。
「貴方が遅れた訳ではありませんわ。彼女が早過ぎたんです」
意外なまでに楽しんでいるんだな。そう思う霖之助に、咲夜が続ける。
「さ、どうぞ」
「お邪魔します」
(そういえば、洋館に上がる際には「お邪魔します」で良いのかな?)
そう霖之助は思った。実践するとなると、分からない事は意外に多い。
初めて目にする紅魔館の中は、なるほど確かに紅い。
ここが吸血鬼の住処だと考えると、妙に不気味な印象が際立つのだが、霖之助は、この館の主たる吸血鬼の少女を知っている。
ここがあの娘の家か。そう考えると今度は逆に、子供っぽい印象が際立っている気がしてきた。
しかしどちらにせよ、目に優しくない事だけは確かである。窓が少ない為に昼間でも薄暗いのは、逆に救いなのかも知れない。
2階の一室に霖之助を案内した咲夜は、そのドアを規則正しく3回叩いた。そしてもう3回叩くと、「入るわよ」と言ってドアを開ける。
「どうぞ」
アリスの声がした。
それを受けて部屋に入った霖之助は、アリスを見るなり息を呑んだ。
純白のウェディングドレスに身を包んだアリスが、目の前に立っている。
言ってしまえば、「それだけの事」である。しかしそれは、形容し難い程に綺麗なものだった。
真っ白な、一輪の花が咲いている。
陳腐な表現だとは思いつつ、他に上手い表現が出来ない霖之助だった。
このドレスの白がある事で、館を覆う紅がとても高貴な色である様にも感じさせる。館の紅がアリスの白を引き立て、アリスの白が、館の紅を引き立てている。
そして何より、このドレスはまるでアリスの為に作られたのではないかと思わせるほど、アリスに似合っていた。
「どうかしら。似合う?」
しかしそれは難しい質問だな。そう霖之助は思う。
似合っている事は間違い無い。しかし、ただ「似合う」と答えて良いものだろうか。何か、気の利いた言い回しの1つもあって良いものではないか?
考えた末に大した文句が浮かばなかったので、霖之助は「そうですね。返答に困るくらい似合っていますよ」と答えた。
結果として、それが良かったのだろう。それまでは澄ました表情でいたアリスが、「本当?」と言った途端、優しく、嬉しそうに笑った。それこそ、花が咲く様に。
優しく笑うアリスを見た霖之助は、こんな表情も出来るのだなと思った。失礼な話だとは思いつつ、それが少し意外だったのだ。
アリスがドレスの裾をつまんで回ってみせた。
「実際の旦那様が誰になるのかは分からないけれど、この花嫁姿を祝して1杯、如何?」
見ると、咲夜はお酒の瓶と2脚の細長いグラスを持っていた。それがシャンパンと呼ばれるお酒である事も、その銘柄も霖之助には分かる。
「花の女神に乾杯、という事で」
そう言った咲夜は霖之助に目を遣って、悪戯っぽく笑った。
「それじゃあ、今日の貴方は旦那様の代役。ね、いい?」
咲夜が注いだシャンパンのグラスを受け取ると、アリスが霖之助に寄り添って言う。
「喜んで」
断る理由は浮かばなかった。
この少女は、素敵な花嫁になるに違いない。
未来の新郎よりも先にドレス姿を見た霖之助は、誰に対してでもなく、少しだけ優越感を覚えた。
いや、結構想像できるものですね。
頭の中で純白のドレスを着たアリスが浮かび上がりましたし…。
霖之助の「返答に困るくらい」というのも納得です。
こういう話を読むと自然と頬も緩みますね。
面白かったですよ。
誤字の報告
>人形が見せの雪掻きをしたという
正しくは、「店」ですよね。
しかし両手に花だな店主
個人的には咲夜さんが着るのも似合いそうだなー見てみたいなー(期待の眼差し
とおもったけど、何だ啜ってるのは霖之助か。
ただ、展開が速すぎで、アリスが店に来た理由が薄いかなと。
私的な願望といえばそうですが、アリスが店にくる明確な理由があって店を散策、一息つかないかと休憩していたところに、ドレスが目にというような流れがよかったかな。
でも、これはこれで面白かったです。
折角なので誤字などの報告を。
ストーブのお陰でで…「で」
感嘆な説明…「簡単」
済まし表情でいたアリス…すました表情(?)
「すます」は、漢字を当てるなら「澄ます」「清ます」あたりですかね。
淡白な会話文の中に、どこか彼女らのらしさを感じました。
若干霖之助の性格に違和感を憶えましたが、そんな霖之助もまた良し。
そしてもっと美鈴を書くべき。でもアリスだけでお腹いっぱいになりました。
じわじわ盛り上がって、サッと終わる。ちょっと物足りない感じがするけど、
それが良い。そんな、どこか不思議な作品でした。
細かい部分で申し訳ないのですが、
>そう言ってアリスの後ろから表れたのは、
→「現れた」と、こちらの漢字の方がこの場合は適しているかと。