冥い街にある路地裏の石段を越えて、トタンで張り合わせた壁に空いた穴を潜った更にその先、太陽のように眩しい花を咲かせる向日葵の花畑と、銀幕のような夜空が出迎えてくれる小さな丘の一番上にそれは建っていました。
紅魔館に良く似た西洋作りの建物は、建てられた目的の通り、自身も白い姿で来訪者を出迎えます。小さな丘の小さな建物には、一人の女性が居ました。と言っても住んでいるのではなく、月明かりが導く夜に訪れてふらりと建物の鍵を開け、小さな建物の片隅の小さな部屋で彼女と同じようにふらりと訪れた人の悩みを聞いているのです。彼女の元を訪れ、悩みを打ち明けた人々は皆同じように、晴れ晴れとした顔で帰って行くのでした。
まるで、悩みなんて無かったかのように。
いつしか、人々は悩みを聞いてくれる女性のことをシスターと呼び、馴染みの無いその小さな建物のことを教会と呼ぶようになりました。
奉る神の居ない教会で、今日もシスターは迷える子羊を導きます。
「シスター。私の話を聞いていただけますか?」
「ええ、聞きましょう、一体何があったのです」
「あれは先週のことです。私はいつもと同じように部下、……死神の小町と言うんですけれど、彼女の仕事ぶりを観察しに行きました。はい、仕事は優秀なのですが、少々サボリ癖があるので時々渇を入れに行ってるんですよ。まぁ、結果はいつもどおりでした。小町は川岸の木陰で高いびきをかいていたんです。ゲンコをしようと小町に近づいた時でした。小さな石に足を取られて転んでしまったんです。当然、私の身体は小町の上、しかも具合の悪いことに、その、く、唇がですね。はい、更にタイミングの悪いことに、小町が目を覚ましまして……。それ以来、小町はサボって寝ると言うことはなくなったのですが、私の顔を見るたび夜這いの映姫サマと呼ぶんです。誤解が招いたこととはいえ、事実は事実ですし。私も小町を見るたびに顔が火照ってしまい、このままでは私も仕事どころじゃなくなってしまいます。この感情、黒白つけ難いのですが……」
「ふむ。……つまり、その事実が無かったことになれば良いワケですね」
「……! は、はい。シスターの仰る通りです。せめて私の記憶から消え去れば、小町を見ても顔を真っ赤にしなくて済みますし……」
「……いいでしょう。記憶とは空く、また移ろいやすいモノ。その歴史、修正してさしあげましょう」
迷える子羊、四季映姫ヤマザナドゥは、霧の晴れたような爽やかな笑顔で小さな教会を後にしました。シスターの仕事はまだまだ終わりません。四季映姫を見送るとすぐに次の迷える子羊が懺悔室にやってきます。
◇ ◇ ◇
「ここね。シスター、居るかしら?」
「迷える子羊よ、貴女の懺悔を聞きましょう」
「懺悔……って程でも無いのだけれど聞いてくれるかしら。昨日ね、久々に晴れたからウチの藍が洗濯物をまとめて干していたのよ。お昼過ぎには全て取りこんで縁側で綺麗に小分けしてたたんでいたわ。当然、たたみ終えた洗濯物はそれぞれの部屋の入り口に置かれていたの。自分で箪笥にしまおうとその洗濯物を抱えた時のことよ。一番上に小さいぱんつがたたまれていたのよ。ええ、モチロン私のではなく、大きさから言って橙のものだということにはすぐに気が付いたわ。けど、魔がさしたのね」
「貴女がソレを帽子と間違えて頭から被ったと言われても驚きませんよ。さ、続きを」
「わかったわ、シスター。続きを話しますわ。で、ついつい懐かしくなっちゃったのね。橙の小さなぱんつを穿いてみたのよ。予想通り、大人の魅力に肉付く私にはすんなりとは入りませんでした。ただ……」
「その光景を見られてしまった、と」
コクンと迷える子羊は頷きました。
「よりにもよって私の藍に。驚いてぐいってぱんつを引き上げたらビリって破れちゃって……。藍ったらため息ついて可愛い橙のぱんつにスキマを創らないでください、スキマ妖怪様、なんて言うのよぉ! 酷い酷い! うぅ、ぐすん」
「やれやれ……、その歴史、無かったことにしますよ、良いですか?」
「ありがと、シスター。特盛、つゆだくでお願いしますわ」
「意味が分かりませんが……」
迷える子羊、八雲紫はぴーぱっぱるんららとスキップをしながら小さな教会を後にしました。ちなみにこの件で八雲紫が懺悔に来たのは4回目。シスターはこれで良かったのかしらと若干不安になりましたが、次の迷える子羊が部屋の戸を叩く音で思考を切り替えました。
◇ ◇ ◇
「黙って聞きなさい。妹のコトよ」
「……」
「氷精……知っているだろ。アレがこの前ウチに遊びに来たのよ。当然、紅魔館の当主たる私はどんな客人も丁重にもてなす、それは氷精とて例外ではない。けれど私の力を以ってしてもあの日の運命までは見えなかった。……トイレに行くんだって駆け出した氷妖精とお散歩中のフランが鉢合わせしてしまったのよ。当然の如く、最強を自称する氷精は力を誇示する為、フランにスペルカードルールによる決闘を申し込んだ。……ここまでは良かったんだ。どうせよわっちい氷精のことだから、私の可愛いフランの圧勝に終わるはずだった」
「……チルノが勝ってしまった、と言うことですか」
「黙れと言ったろう。そう、その通り。勝利した氷精はフランを子分にし、あろうことか子分の姉も子分よね、なんて言い出したの。夜でも無いのに目の前が真っ暗になったわ。無様、屈辱。この事実を跡形も無く破壊し尽くしてしまいたい、ははっ、妹じゃないから無理よね。何より一番可哀そうなのは可愛いフランよ」
「……」
「そこで、だ。シスターK、破壊できないのなら無かったことにして貰いたい。コレが私がココを訪れた理由よ」
「はぁ……元々はどうしても忘れてしまいたい過去がある人の為に始めたのですが、なんか段々内容が俗っぽくなってきたような……。まぁ、良いでしょう。このまま放置すればチルノが悲惨なことになりそうですし」
「恩にきるわ」
迷える子羊、レミリア・スカーレットは綺麗さっぱり、フランドール・スカーレットの恥辱の過去を消去して家路へとつきました。やれやれ、と思う間もなく、次の迷える子羊が部屋の戸を叩きます。
◇ ◇ ◇
「あ、あの、私の話を聞いてくださるシスターと言うのはココでよろしいですか?」
「ええ、どうぞ、そこにおかけなさい」
「はい、では失礼します」
子羊に話しかけるシスターの声はどこか弾んでいます。それもそのはず、シスターはこの子羊の為だけに、今夜、ここで待っていたのでした。
「稗田、阿求さんですね。御待ちしておりました」
「どうして私の名前を……、あっ、そうか。慧音先生から聞いたんですね。実は私、その慧音先生にアドバイスされて来たんです。何でも……忘れたいコトを忘れさせてくれる人が居るというので……」
「先にお断りしておきましょう。誰も彼も一様に、忘れたいことを忘れさせる、と言うワケではありません。貴女が自身の歴史について告白し、本心から後悔し、無かったら良いのにと深く願うことがらについてのみ、私は力を行使します」
「はぁ、でしたら私にはその資格が無いような気もしますが」
「それは聞いてみないとわかりません。さぁ、貴女の歴史を教えてください」
「……わかりました。では告白させていただきます。私、こう見えても引きこもりがちで運動不足気味なんですよ。ええ、執筆作業にかかりきりであまり食事も摂らないのですが、それでもおなかの辺り、ちょっと摘めちゃったりして悩んでいるんですけれどね。あっ、そのことじゃないです。実はですね、珍しく私が外出した時のコトなんですが、何故か皆さんが私を指差して阿求先生、阿求先生と言うんですよ。時たま慧音先生の授業に混ぜてもらって講釈することはあるのですが、それにしても通りすがる人が全て私のことを阿求先生と言うんです。今までは稗田の御当主、と距離を置いた物言いだったのにですよ。不思議に思って聞いてみると、人里では私の書いた本が売れに売れているだとか。不思議でしょう。私は一度も人里に本を卸したことが無いのに、その本の評判によって阿求先生と呼ばれていたんです。本題はここからなのですが、私もやはり気になってしまい、その本を入手してみたんですよ。そしたら、その……。コホン、えっとですね。シスターは、私が幻想郷縁起なる書物を執筆しているの、知っていますか? あ、はい。ご存知ですよね。ああ言った記録を綴っていると、どうしてもその、気晴らしに奇妙奇天烈で脈絡の無い、芝居がかったお話と言うものを書いてみたくなってですね。……結論から言いますと、確かにその本は私が書いていたんです。でも、……でもですよ。アレは私が満足したら屋敷の奥深くにしまいこんでいたものなので、誰かが勝手に持ち出して複製していたとしか考えられません。話すの結構恥ずかしいのですが、実在の、それも大妖怪級の方々を主人公にしたとりとめの無いお話を書かせていただいてたんです。本当にとりとめの無い、自己満足みたいな、物語と呼ぶのすらも憚られるかのような、そんなお話でした。それだけならば別に人の目に触れても問題なかったのですが……、問題なく無かったモノがありまして……、その、ひたすらに私の妄想、夢想を書き連ねていたお話も人里に出回っていたんです。高貴な生まれの主人公が自分の出生の秘密を知り、実は兄だったライバルとの戦いの中特別な力に目覚め、やがては魔を討つ一陣の風となるようなお話だとか、特別な眼を持つ二人の女学生が夜な夜な冥い街を駆け回るようなお話だとか、半人半妖の少女達がひたすらにいちゃいちゃするお話だとか、何と言いますか、思い出しただけでも布団を頭から被り、脚をバタバタとさせて悶えつつ顔から火が出てしまうような恥ずかしいお話ばかりなんですよ……!」
「……ごくり」
「シスター?」
「はっ、いえ、何でもありません、さぁ、続きを」
「はい。赤裸々な一面が人里中に知れ渡ってしまった今となっては、私、外に出るのが恥ずかしくて……」
「……ふむ。ところで阿求さん、その本は今日、お持ちで?」
「持ってきています。もし、この事実を忘れられるのならば私が所有し続けるのもおかしな話ですし」
「良いでしょう。その歴史と事実は私がお預かりします。本は足元に置いていきなさい」
迷える子羊、稗田阿求はありがとうございましたと深く頭を下げて教会を後にします。どういたしまして、と笑いかけるシスターの手には、紙袋に入った沢山の本。阿求は、何故シスターが大量の本を抱えているのかと不思議に思いながらも、どこかすっきりとした表情で自らの屋敷へと帰っていくのでした。
◇ ◇ ◇
「毎度毎度ご苦労なことで……全く、お前はまどろっこしいな」
「ん、ああ。そこに居たのか、妹紅」
シスターの背後からため息の混じった、あきれ返った声がしました。シスターは声の主の方へ振り返り、自らも声をかけます。教会の屋根に腰掛け、つまらなそうに阿求の背中を見送る人、藤原妹紅でした。
「稗田阿求がその本を書いた歴史を喰ったのか。そもそも書かなかったことにしちゃえば良かったのに」
「まぁ、そう言うな。生まれ出づる物語に罪は無いよ。それに里の人たちにも大評判だったんだ、きっと面白いに決まっている」
シスターは愛しそうに紙袋を抱えなおします。
「歴史の異端児が紡いだ、語られることの無い物語なんて、素敵じゃないか」
「ふぇー、そんなもんかねぃ」
「そんなもんだよ、妹紅。お前も読んでみる?」
「私は遠慮しておくわ、慧音の好きにしたら良い」
それにしても、と妹紅は言いました。
「よくこんな変なこと、続けるわね。まー、助かっている人が居るならそれも良いのかも」
「助かっている人、か。……元々はあの娘、稗田阿求の為にだけ始めたんだよ」
「おろ、意外」
慧音は紙袋を地面に置くと、教会の屋根にのぼり妹紅の隣に腰を下ろし、再び話し始めました。
「御阿礼の子はその能力が故に、辛い宿命を負う」
「一度見聞きしたものを忘れることができない、だっけか」
「魂に刻まれた記憶は劣化も散逸もすることなく、永久に保たれる。例え本人の肉体が滅んだとしても、魂が不滅である以上、その記憶は永遠だ。御阿礼の子の能力は、忘却を許さない。それこそ、無かったことにするしか、な」
「不滅の魂か、だとしたら」
妹紅はふぃー、と深いため息をつき、あとを続けます。
「だとしたら、あの娘は私と同じだね。一旦彼岸へ行き、別の肉体を得る。戻ってくる方法に差はあるけれど、まるで私と同じじゃない」
「……そうだな」
「ひょっとして慧音、だからか?」
「……」
慧音は妹紅の手を握り、夜空を見上げながら呟きました。
「私はね、妹紅。永遠と言うものにどうにも懐疑的なんだ。古今東西、ありとあらゆる者が永遠を手にするために命を落とし、皮肉にも永遠に歴史に名を刻むこととなった。誰もが一度は憧れる永遠。いざ目の前にしてみるとどうだ。私にはお前も、阿求もどうしようも無く、孤独に見える。実際に目の前にして考えが変わった、永遠に価値はあったのだろうか。永遠の価値なんて、幻想に過ぎないのではないか、なんてな。望むべくも無く成ってしまった永遠、貴女は、寂しくないの?」
「ん、私には慧音が居る」
『だから、寂しくなんか無いよ、今は』
返事の代わりに妹紅は、慧音の手を握り返し、同じように夜空を見上げます。
「そういえば、慧音は知ってる? 夜空を照らす星の光は、ずっとずっと昔に輝いた光だって。この星空の中には、既に無くなっている星もある。輝いていた光は、星そのものが無くなってしまった今でも、私達の目の前にある」
「……まぁ、私が教えたことだし、な」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「そっか」
慧音は、妹紅の言いたいことがなんとなく理解できました。自分が居なくなってしまった後でも、輝き続けられる光。手を繋いでいるこの娘に、自分は何を遺してやれるのだろう、と。慧音はもう一度、妹紅の手を強く握りながら言いました。
「なぁ、妹紅。今度また、二人きりで星を見に行こう」
妹紅はきょとんとした顔をして慧音を見つめた後、太陽のように輝く笑顔で力一杯頷くのでした。
冥い街にある路地裏の石段を越えて、トタンで張り合わせた壁に空いた穴を潜った更にその先、太陽のように眩しい花を咲かせる向日葵の花畑と、銀幕のような夜空が出迎えてくれる小さな丘の一番上のそのまた上。
二人の少女が笑う、歴史の一ページ。
紅魔館に良く似た西洋作りの建物は、建てられた目的の通り、自身も白い姿で来訪者を出迎えます。小さな丘の小さな建物には、一人の女性が居ました。と言っても住んでいるのではなく、月明かりが導く夜に訪れてふらりと建物の鍵を開け、小さな建物の片隅の小さな部屋で彼女と同じようにふらりと訪れた人の悩みを聞いているのです。彼女の元を訪れ、悩みを打ち明けた人々は皆同じように、晴れ晴れとした顔で帰って行くのでした。
まるで、悩みなんて無かったかのように。
いつしか、人々は悩みを聞いてくれる女性のことをシスターと呼び、馴染みの無いその小さな建物のことを教会と呼ぶようになりました。
奉る神の居ない教会で、今日もシスターは迷える子羊を導きます。
「シスター。私の話を聞いていただけますか?」
「ええ、聞きましょう、一体何があったのです」
「あれは先週のことです。私はいつもと同じように部下、……死神の小町と言うんですけれど、彼女の仕事ぶりを観察しに行きました。はい、仕事は優秀なのですが、少々サボリ癖があるので時々渇を入れに行ってるんですよ。まぁ、結果はいつもどおりでした。小町は川岸の木陰で高いびきをかいていたんです。ゲンコをしようと小町に近づいた時でした。小さな石に足を取られて転んでしまったんです。当然、私の身体は小町の上、しかも具合の悪いことに、その、く、唇がですね。はい、更にタイミングの悪いことに、小町が目を覚ましまして……。それ以来、小町はサボって寝ると言うことはなくなったのですが、私の顔を見るたび夜這いの映姫サマと呼ぶんです。誤解が招いたこととはいえ、事実は事実ですし。私も小町を見るたびに顔が火照ってしまい、このままでは私も仕事どころじゃなくなってしまいます。この感情、黒白つけ難いのですが……」
「ふむ。……つまり、その事実が無かったことになれば良いワケですね」
「……! は、はい。シスターの仰る通りです。せめて私の記憶から消え去れば、小町を見ても顔を真っ赤にしなくて済みますし……」
「……いいでしょう。記憶とは空く、また移ろいやすいモノ。その歴史、修正してさしあげましょう」
迷える子羊、四季映姫ヤマザナドゥは、霧の晴れたような爽やかな笑顔で小さな教会を後にしました。シスターの仕事はまだまだ終わりません。四季映姫を見送るとすぐに次の迷える子羊が懺悔室にやってきます。
◇ ◇ ◇
「ここね。シスター、居るかしら?」
「迷える子羊よ、貴女の懺悔を聞きましょう」
「懺悔……って程でも無いのだけれど聞いてくれるかしら。昨日ね、久々に晴れたからウチの藍が洗濯物をまとめて干していたのよ。お昼過ぎには全て取りこんで縁側で綺麗に小分けしてたたんでいたわ。当然、たたみ終えた洗濯物はそれぞれの部屋の入り口に置かれていたの。自分で箪笥にしまおうとその洗濯物を抱えた時のことよ。一番上に小さいぱんつがたたまれていたのよ。ええ、モチロン私のではなく、大きさから言って橙のものだということにはすぐに気が付いたわ。けど、魔がさしたのね」
「貴女がソレを帽子と間違えて頭から被ったと言われても驚きませんよ。さ、続きを」
「わかったわ、シスター。続きを話しますわ。で、ついつい懐かしくなっちゃったのね。橙の小さなぱんつを穿いてみたのよ。予想通り、大人の魅力に肉付く私にはすんなりとは入りませんでした。ただ……」
「その光景を見られてしまった、と」
コクンと迷える子羊は頷きました。
「よりにもよって私の藍に。驚いてぐいってぱんつを引き上げたらビリって破れちゃって……。藍ったらため息ついて可愛い橙のぱんつにスキマを創らないでください、スキマ妖怪様、なんて言うのよぉ! 酷い酷い! うぅ、ぐすん」
「やれやれ……、その歴史、無かったことにしますよ、良いですか?」
「ありがと、シスター。特盛、つゆだくでお願いしますわ」
「意味が分かりませんが……」
迷える子羊、八雲紫はぴーぱっぱるんららとスキップをしながら小さな教会を後にしました。ちなみにこの件で八雲紫が懺悔に来たのは4回目。シスターはこれで良かったのかしらと若干不安になりましたが、次の迷える子羊が部屋の戸を叩く音で思考を切り替えました。
◇ ◇ ◇
「黙って聞きなさい。妹のコトよ」
「……」
「氷精……知っているだろ。アレがこの前ウチに遊びに来たのよ。当然、紅魔館の当主たる私はどんな客人も丁重にもてなす、それは氷精とて例外ではない。けれど私の力を以ってしてもあの日の運命までは見えなかった。……トイレに行くんだって駆け出した氷妖精とお散歩中のフランが鉢合わせしてしまったのよ。当然の如く、最強を自称する氷精は力を誇示する為、フランにスペルカードルールによる決闘を申し込んだ。……ここまでは良かったんだ。どうせよわっちい氷精のことだから、私の可愛いフランの圧勝に終わるはずだった」
「……チルノが勝ってしまった、と言うことですか」
「黙れと言ったろう。そう、その通り。勝利した氷精はフランを子分にし、あろうことか子分の姉も子分よね、なんて言い出したの。夜でも無いのに目の前が真っ暗になったわ。無様、屈辱。この事実を跡形も無く破壊し尽くしてしまいたい、ははっ、妹じゃないから無理よね。何より一番可哀そうなのは可愛いフランよ」
「……」
「そこで、だ。シスターK、破壊できないのなら無かったことにして貰いたい。コレが私がココを訪れた理由よ」
「はぁ……元々はどうしても忘れてしまいたい過去がある人の為に始めたのですが、なんか段々内容が俗っぽくなってきたような……。まぁ、良いでしょう。このまま放置すればチルノが悲惨なことになりそうですし」
「恩にきるわ」
迷える子羊、レミリア・スカーレットは綺麗さっぱり、フランドール・スカーレットの恥辱の過去を消去して家路へとつきました。やれやれ、と思う間もなく、次の迷える子羊が部屋の戸を叩きます。
◇ ◇ ◇
「あ、あの、私の話を聞いてくださるシスターと言うのはココでよろしいですか?」
「ええ、どうぞ、そこにおかけなさい」
「はい、では失礼します」
子羊に話しかけるシスターの声はどこか弾んでいます。それもそのはず、シスターはこの子羊の為だけに、今夜、ここで待っていたのでした。
「稗田、阿求さんですね。御待ちしておりました」
「どうして私の名前を……、あっ、そうか。慧音先生から聞いたんですね。実は私、その慧音先生にアドバイスされて来たんです。何でも……忘れたいコトを忘れさせてくれる人が居るというので……」
「先にお断りしておきましょう。誰も彼も一様に、忘れたいことを忘れさせる、と言うワケではありません。貴女が自身の歴史について告白し、本心から後悔し、無かったら良いのにと深く願うことがらについてのみ、私は力を行使します」
「はぁ、でしたら私にはその資格が無いような気もしますが」
「それは聞いてみないとわかりません。さぁ、貴女の歴史を教えてください」
「……わかりました。では告白させていただきます。私、こう見えても引きこもりがちで運動不足気味なんですよ。ええ、執筆作業にかかりきりであまり食事も摂らないのですが、それでもおなかの辺り、ちょっと摘めちゃったりして悩んでいるんですけれどね。あっ、そのことじゃないです。実はですね、珍しく私が外出した時のコトなんですが、何故か皆さんが私を指差して阿求先生、阿求先生と言うんですよ。時たま慧音先生の授業に混ぜてもらって講釈することはあるのですが、それにしても通りすがる人が全て私のことを阿求先生と言うんです。今までは稗田の御当主、と距離を置いた物言いだったのにですよ。不思議に思って聞いてみると、人里では私の書いた本が売れに売れているだとか。不思議でしょう。私は一度も人里に本を卸したことが無いのに、その本の評判によって阿求先生と呼ばれていたんです。本題はここからなのですが、私もやはり気になってしまい、その本を入手してみたんですよ。そしたら、その……。コホン、えっとですね。シスターは、私が幻想郷縁起なる書物を執筆しているの、知っていますか? あ、はい。ご存知ですよね。ああ言った記録を綴っていると、どうしてもその、気晴らしに奇妙奇天烈で脈絡の無い、芝居がかったお話と言うものを書いてみたくなってですね。……結論から言いますと、確かにその本は私が書いていたんです。でも、……でもですよ。アレは私が満足したら屋敷の奥深くにしまいこんでいたものなので、誰かが勝手に持ち出して複製していたとしか考えられません。話すの結構恥ずかしいのですが、実在の、それも大妖怪級の方々を主人公にしたとりとめの無いお話を書かせていただいてたんです。本当にとりとめの無い、自己満足みたいな、物語と呼ぶのすらも憚られるかのような、そんなお話でした。それだけならば別に人の目に触れても問題なかったのですが……、問題なく無かったモノがありまして……、その、ひたすらに私の妄想、夢想を書き連ねていたお話も人里に出回っていたんです。高貴な生まれの主人公が自分の出生の秘密を知り、実は兄だったライバルとの戦いの中特別な力に目覚め、やがては魔を討つ一陣の風となるようなお話だとか、特別な眼を持つ二人の女学生が夜な夜な冥い街を駆け回るようなお話だとか、半人半妖の少女達がひたすらにいちゃいちゃするお話だとか、何と言いますか、思い出しただけでも布団を頭から被り、脚をバタバタとさせて悶えつつ顔から火が出てしまうような恥ずかしいお話ばかりなんですよ……!」
「……ごくり」
「シスター?」
「はっ、いえ、何でもありません、さぁ、続きを」
「はい。赤裸々な一面が人里中に知れ渡ってしまった今となっては、私、外に出るのが恥ずかしくて……」
「……ふむ。ところで阿求さん、その本は今日、お持ちで?」
「持ってきています。もし、この事実を忘れられるのならば私が所有し続けるのもおかしな話ですし」
「良いでしょう。その歴史と事実は私がお預かりします。本は足元に置いていきなさい」
迷える子羊、稗田阿求はありがとうございましたと深く頭を下げて教会を後にします。どういたしまして、と笑いかけるシスターの手には、紙袋に入った沢山の本。阿求は、何故シスターが大量の本を抱えているのかと不思議に思いながらも、どこかすっきりとした表情で自らの屋敷へと帰っていくのでした。
◇ ◇ ◇
「毎度毎度ご苦労なことで……全く、お前はまどろっこしいな」
「ん、ああ。そこに居たのか、妹紅」
シスターの背後からため息の混じった、あきれ返った声がしました。シスターは声の主の方へ振り返り、自らも声をかけます。教会の屋根に腰掛け、つまらなそうに阿求の背中を見送る人、藤原妹紅でした。
「稗田阿求がその本を書いた歴史を喰ったのか。そもそも書かなかったことにしちゃえば良かったのに」
「まぁ、そう言うな。生まれ出づる物語に罪は無いよ。それに里の人たちにも大評判だったんだ、きっと面白いに決まっている」
シスターは愛しそうに紙袋を抱えなおします。
「歴史の異端児が紡いだ、語られることの無い物語なんて、素敵じゃないか」
「ふぇー、そんなもんかねぃ」
「そんなもんだよ、妹紅。お前も読んでみる?」
「私は遠慮しておくわ、慧音の好きにしたら良い」
それにしても、と妹紅は言いました。
「よくこんな変なこと、続けるわね。まー、助かっている人が居るならそれも良いのかも」
「助かっている人、か。……元々はあの娘、稗田阿求の為にだけ始めたんだよ」
「おろ、意外」
慧音は紙袋を地面に置くと、教会の屋根にのぼり妹紅の隣に腰を下ろし、再び話し始めました。
「御阿礼の子はその能力が故に、辛い宿命を負う」
「一度見聞きしたものを忘れることができない、だっけか」
「魂に刻まれた記憶は劣化も散逸もすることなく、永久に保たれる。例え本人の肉体が滅んだとしても、魂が不滅である以上、その記憶は永遠だ。御阿礼の子の能力は、忘却を許さない。それこそ、無かったことにするしか、な」
「不滅の魂か、だとしたら」
妹紅はふぃー、と深いため息をつき、あとを続けます。
「だとしたら、あの娘は私と同じだね。一旦彼岸へ行き、別の肉体を得る。戻ってくる方法に差はあるけれど、まるで私と同じじゃない」
「……そうだな」
「ひょっとして慧音、だからか?」
「……」
慧音は妹紅の手を握り、夜空を見上げながら呟きました。
「私はね、妹紅。永遠と言うものにどうにも懐疑的なんだ。古今東西、ありとあらゆる者が永遠を手にするために命を落とし、皮肉にも永遠に歴史に名を刻むこととなった。誰もが一度は憧れる永遠。いざ目の前にしてみるとどうだ。私にはお前も、阿求もどうしようも無く、孤独に見える。実際に目の前にして考えが変わった、永遠に価値はあったのだろうか。永遠の価値なんて、幻想に過ぎないのではないか、なんてな。望むべくも無く成ってしまった永遠、貴女は、寂しくないの?」
「ん、私には慧音が居る」
『だから、寂しくなんか無いよ、今は』
返事の代わりに妹紅は、慧音の手を握り返し、同じように夜空を見上げます。
「そういえば、慧音は知ってる? 夜空を照らす星の光は、ずっとずっと昔に輝いた光だって。この星空の中には、既に無くなっている星もある。輝いていた光は、星そのものが無くなってしまった今でも、私達の目の前にある」
「……まぁ、私が教えたことだし、な」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「そっか」
慧音は、妹紅の言いたいことがなんとなく理解できました。自分が居なくなってしまった後でも、輝き続けられる光。手を繋いでいるこの娘に、自分は何を遺してやれるのだろう、と。慧音はもう一度、妹紅の手を強く握りながら言いました。
「なぁ、妹紅。今度また、二人きりで星を見に行こう」
妹紅はきょとんとした顔をして慧音を見つめた後、太陽のように輝く笑顔で力一杯頷くのでした。
冥い街にある路地裏の石段を越えて、トタンで張り合わせた壁に空いた穴を潜った更にその先、太陽のように眩しい花を咲かせる向日葵の花畑と、銀幕のような夜空が出迎えてくれる小さな丘の一番上のそのまた上。
二人の少女が笑う、歴史の一ページ。
紫様たちの懺悔も中々面白かったですが
妹紅との会話がとても良かったと思います。
面白かったですよ。
全体としては、雰囲気が好みで良かったです。
慧音と妹紅がずっと幸せでありますように。
作品からはもこけね臭が漂いまくってますね。
ごちです。
良かった。