その異変は突然に、しかし世間にはあまり気づかれずに起こっていた。
「霊夢!いるよな?」
木枯らし吹く博麗神社。霧雨魔理沙がいつもの様に部屋に飛び込んできた。言葉通り、箒ごと。
「魔理沙。ちゃんと障子直しなさいよ」
「それどころじゃないぜ。霊夢、またおかしなことが起こってるんだ」
「何の話よ」
「お前(博麗の巫女)が知らない訳ないだろう。妖怪が人間を襲ってるんだ」
「…そんなの至極当然の事じゃないの」
霊夢が魔理沙から視線を外して答える。霊夢の言うとおり、妖怪が人間を襲うのは当然のことだ。
そして周知の通り、異変解決・妖怪退治は博麗の巫女の仕事である。
その為「その手」の話が霊夢に来ない訳がない。
そんなことは魔理沙だって当然知っている。それでも聞いたのには勿論理由がある。
あくまでとぼける霊夢を魔理沙がゆさぶる。
「それじゃあ聞くぜ。霊夢。お前、今月何件妖怪退治した?」
「…………」
霊夢が黙る。今月、霊夢が処理した件数は既に20件を超える。
通常、この手の相談は月に2~3件もあれば多いほうなだけに、魔理沙が怪訝に思うのはもっともだった。
「何が言いたいのよ」
「そろそろ動いてもいいんじゃないか?これは立派な『異変』だぜ」
「んー、ちょっとね。長く神社を離れられない訳があるのよ」
「訳?」
「…こんにちはー」
「そ。実は急にアイツが………って、あら?」
寝室を指差して口を開き掛けた霊夢を遮ったのは、二人の新たな来訪者だった。
霊夢たちには、既に見慣れた紅魔館のメイド服。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が手土産を持って立っていた。
「こんにちは、お二人さん。何やら深刻そうね」
「珍しいわね。咲夜が此処に来るなんて。それにもっと珍しいのは…」
「お久しぶりです。お花見以来ですね」
その小柄な身体に不釣合いな2振りの刀。そして横には半霊の証である大きめの幽霊が浮いている。
白玉楼の庭師で冥界の姫の従者、魂魄妖夢が咲夜の後ろに控えていた。
この二人。咲夜も妖夢も、買出し以外では滅多に世間に出てくることはない。
咲夜は膨大なメイド仕事と、我侭な吸血鬼の世話を。
妖夢は広大な白玉楼の庭と、暢気な亡霊姫の世話で忙しい為だ。
勿論白玉楼は冥界に存在するため、妖夢の方が人間の里まで出てくる頻度は低い。
というか、来ようと思えばいつでも顕界に来れることの方が問題か。
「それで、何しに来たんだ二人とも?」
魔理沙が咲夜と妖夢にお茶を注ぐ。霊夢が苦笑いしながら、
「アンタの家か、ここは。でも本当に何しに来たの?」
「お嬢様が『霊夢がそろそろ異変に向けて動くと思うから、今回は助けてあげなさい』って」
全てを見透かしたようなレミリアの言葉に、霊夢は眼に見えて機嫌を悪くする。
「へえ、あの引き篭もり。運命操作の能力を未来視で使うとはね」
その科白を聞いた咲夜が、しゃらん、と懐中時計を取り出す。
「『引き篭もり』って、お嬢様の事かしら?」
「落ち着け、咲夜!月時計をしまえ!」
更にナイフを取り出そうとする咲夜を、魔理沙が慌てて止める。そしてその体勢のまま、急いで話題を逸らす。
「そうだ!妖夢はどうしてこっちにきたんだ?」
「私も幽々子様が『博麗神社に行って巫女の手伝いをするように』と。但し、幽々子様に入れ知恵したのは紫様ですが」
「紫?なんでアイツが?」
霊夢が訝しげに眉を顰める。妖夢も首をかしげて、
「私もほとんど聞かされてないんですよ。今回の異変に関係があるのは確かなんですけど…」
『それについては私から話そうかしら』
不意に、どこからか紫の声が話に割り込んできた。
全員紫の『境界』の能力と、巫山戯た性格は知っている為、別段驚きもせずに紫が姿を現すのを待った。
…
……
………
何時まで待っても紫は姿を現さない。霊夢が呆れ顔で、
「紫。『何処か面白いスキマから出て行こう』とか考えてるなら、思いっきりスベってるわよ」
『し、失礼ね…。この非常時にそんなボケしないわよ。
取り合えず全部説明してあげるから、今から開くスキマを通ってこっちに来て頂戴』
霊夢の目の前にようやく空間の裂け目が現れる。境界の向こう側には紫の住処であるマヨヒガが、ゆらゆらと蜃気楼の様に見えている。
ここで魔理沙が当然の疑問に首を傾げた。
「何でわざわざ私達をマヨヒガに呼ぶんだ?」
「そういえば、そうですね。紫様なら何処にでも行くことが出来るのに」
「考えても仕方ないわ。行ってみるしかなさそうね」
霊夢の言葉に3人が頷き、順番に境界へと飛び込んだ。
こうして博麗神社には、静寂と外れた障子だけが残された。
境界を抜けると、そこはマヨヒガの中庭だった。目の前の縁側にはネコが数匹、幸せそうに寝そべっている。
ふわりと香る金木犀の香りに4人は庭を見渡した。マヨヒガは以前来た時の平和な風景と同じ………では無かった。
マヨヒガを囲む様に設置されているのだろうか。見たことも無い大きさの結界用要石が庭の両端に置かれていた。
その要石を起点に、ハッキリと目に見える程強力な結界がマヨヒガを包んでいた。
「ようこそ。マヨヒガへ」
結界を見上げる4人に、マヨヒガの主が声をかけた。縁側に視線を戻すと、紫とその式である藍がいつの間にか座っていた。
「紫。聞きたいことは山程あるわ。この結界の事とかね」
「まあまあ。焦らないで、順番に説明させて頂戴」
パチンッ、と紫が扇子を閉じる。と、4人の後ろに境界から椅子が現れた。
更に、目の前に台のような木箱が現れる。木箱の上にはお茶と饅頭が乗っていた。
「さて、貴方たち。最近起こってる事は既に知ってるわね?」
紫の問いに、魔理沙が饅頭を頬張りながら答える。
「はは、ようはいはちはあはれへるやふはろ(ああ、妖怪たちが暴れてるヤツだろ)」
「へえ、そんな事が起こってたの?」
「知りませんでした」
「今ので分かるのアンタ達!?」
事も無げに頷いた咲夜と妖夢に霊夢が思いっきりツッコむ。
咲夜も妖夢も異変が起こっているのは知っていたが、実際どんなことが起こっているのかまでは知らなかったようだ。
まあ、この準引き篭もり二人は知らなくても仕方ないが。
そんな二人は気にせずに、紫が話を続ける。
「現在、幻想郷に起こっている異変は『妖怪の突然の凶暴化。及び、自我の損失』。
今の幻想郷は妖怪同士の争いが起こったり、人間の里が襲われたりと滅茶苦茶な状況よ」
4人が一同に息を呑む。息を呑んだついでに饅頭を喉に詰まらせた魔法使いもいたが。
とにかく紫の話が本当なら、今までの異変より遥かに深刻な事態となる。
妖怪がところ構わず暴れてしまうと、これまでとは比べ物にならない被害が人間にも幻想郷自体にも現れるだろう。
「それじゃあ、この強力な結界はその為に?」
霊夢が結界を指差す。紫が溜息を一つついて、ゆっくり頷く。
「そうよ。私と藍と橙に異変の影響が出ないようにね。
これだけの結界を張ってようやく防げる程、異変の力は強力よ。
お陰で私はここから動けない上に、境界能力も大分限定されるわ」
「なるほど。それでわざわざ私達をここまで連れてきたのですね」
「ええ。悔しいけれど私の今の力では、せいぜい大結界のある博麗神社。
若しくは影響の届かない冥界までの境界を開くのが精一杯。と言ったところね」
ギリギリと歯軋りをする紫。『妖怪の賢者』とまで呼ばれる紫の力は幻想郷で1、2を争うと言っても過言ではない。
その紫にここまで力を使わせるとは。その意味を察したのか、咲夜が厳しい表情のまま尋ねる。
「八雲紫。この『異変』は一体何?」
「それがねえ。まだハッキリとは分かってないのよ」
「分からないものに対して、これだけの局所結界が張れる訳無いでしょうが」
わざとらしく肩をすくめた紫に、霊夢がお茶を啜りながらツッコミを入れる。
結界とは通常、何かを封じる。若しくは、何かから身を守るものである。
その為、その対象となるものがある程度分かっていないと、張ったはいいが素通り、なんてことも有り得る。
勿論万物に有効な万能結界も出来ない事はないが、強度は極端に落ちてしまう。
現在マヨヒガを覆う結界の強度は、いかに紫といえども局所結界でしか保てないだろう。
結界の事を指摘された紫は何故か嬉しそうに、にんまりと微笑んでいた。
「流石は霊夢ね。鋭いわ。でも嘘は言ってないのよ。
異変が『何が要因で起こっているか』は分かっているのだけど…。
だから、今私に分かっていることを説明するわね。
今回の異変の原因。すなわち、妖怪たちを狂わせているもの。
それは『月の光』よ。元々、月は私達に多大な影響を及ぼすわ。特に満月は。
けれど今の月は、常に満月時の数十倍の影響を発しているのよ。
それによって、力の弱い者。…そうね。妖精、幽霊辺りから自我を失っていってるわ」
紫の説明に妖夢が息を呑む。その頬を一筋の汗が流れた。
無理も無い。今のところ彼女には影響はないようだが、間違いなくその半身は幽霊なのだ。
その表情で妖夢の考えを察したのか、紫が妖夢に向かって微笑む。
「ああ。心配しなくても貴女には異変の影響はないわ。
その確信が無ければ冥界から出しはしなかったし」
それを聞いて、妖夢が深く安堵の息を漏らす。
「安心しました。と、いうことは冥界にも異変の影響は…」
「届かないわ。だから幽々子の事は心配しなくても大丈夫よ。
さて…。何処まで話したかしら。そうそう。異変の原因は月の光。と、いうとこまでね。
異変の影響を受けた妖怪は自我を失い、狂暴化し…そして、何故かむやみにスペルを使いたがるわ。
人間が相手だろうと、妖怪が相手だろうと、ね。
そして………」
「あー、もういいぜ」
急に魔理沙が紫の言葉を遮る。
さっきまで目深に被っていた帽子を、ぐいっ、と引き上げて、一つ大きな欠伸をする。
どうやら半分眠っていたようだ。
「説明はもう十分だ。紫、本題に入れ。異変の影響が出始めたのは20日程前だ。
今になって私達を呼んだからには、何か解決への手掛かりを見つけたんだろ?」
魔理沙がニッと笑う。紫も微笑んだまま魔理沙に向かって答える。
「今日は貴女も随分と冴えてるみたいね。
その通りよ。先日、結界を張る為に今の月の光を解析してみたの。
それで分かったことが幾つかあったわ。
一つ。異変の依存性は、光を浴びた時間に比例するわ。
私も数時間光を浴びたのだけど、気分が高揚するくらいで済んだわ。
…まあ。結局その後半日程、藍と弾幕ごっこを繰り広げたけど」
今日の藍は口数が妙に少なかったが、なるほど。
本気では無いとはいえ、紫を相手にしての弾幕ごっこなんぞしたら疲労と被害は計り知れない。
藍が紫の隣で力なく微笑む。と急に、かくんっ、と頭を垂れる。
どうやら耐え切れず眠ってしまったようだ。
動かなくなった藍を式である橙がいそいそと床の間に引っ張っていく。
橙の小さな体では辛いのだろう。中々進まないが、その甲斐甲斐しい姿がとても可愛らしい。
「二つ。こちらが重要…と言うか、ほぼ答えなのだけど」
紫が扇子をパチンと閉じる。と、障子の向こうから橙の悲鳴が聞こえた。
どうやら紫の生んだ「床の間直行便」の境界に問答無用で落とされたらしい。相変わらず酷い。
そして、当の紫は何事も無かったかのように話を続けた。
「現在の月の光は、以前と比べて波長が変わっているわ。
その変わっている波長にこそ手掛かりがあったの」
西の空を夕焼けが紅く染めている。微かに見える月を仰いで、霊夢が呟く。
「波長…ね。なるほど。確かにアイツの感じに似てるわね」
「霊夢は気づいたみたいね。貴女達、皆一度は経験しているはずよ。
あの永夜異変で、月の兎に出会った時にね」
永夜異変。最近起こった中では割とメジャーな異変な為、知らない人はいないだろう。
簡単に言うと真実(ほんもの)の月を隠し、空には偽者の月が浮かべられた。という事件だ。
その首謀者は永遠亭に住む月の姫、蓬莱山輝夜とその従者、八意永琳。
このような異変を起こした理由は色々とあるのだが、それはここでは深くは語らない。
結果として輝夜と永琳。そして永遠亭の面々は、人・妖怪両サイドからキツく懲らしめられた。
その後月は元に戻り、輝夜たちも心配事が杞憂だった事が分かり本格的に幻想郷に馴染んでいったのだが…。
ちなみに、今ここにいる人間4人はそれぞれ個々別々で永夜異変の解決に動いていた。
実際、どのチームがこの異変を解決したかは正確には語られていない。
その異変の最中、永遠亭側に波長を操る月の兎がいた。
名前を鈴仙・優曇華院・イナバ。確かに彼女ならば、波長を操り狂気を起こす事も可能だろう。
しかし…。
「確かに覚えはあるわ。だけど、今更あの兎がこんな異変を起こすかしら?
それに幻想郷全土に影響を与える程の異変を彼女が起こせるとは思えないわ」
もっともな疑問を咲夜が口にする。
確かに鈴仙は進んで異変を起こす、というタイプの妖怪(正確には兎だが…)ではない。
輝夜と永琳にしても今このタイミングで、これだけの異変を起こす事に何のメリットも無い。
紫が目を閉じてゆっくり首を振る。
「そこまでは分からないわ。だからこそ貴女たちを集めたの。
『誰が』『何の為にこのような事態を起こしているか』を調べる為に。そして、この異変を解決する為にね」
わずかな沈黙の後、魔理沙が、仕方ない、といった様子で頭を掻いた。
「ま。ここいらで、紫に恩を売っとく、ってのも悪くないか。今回は何故か霊夢が動かなかったしな」
「失礼ね。ちょっと訳ありだったのよ。
ウチの居候の鬼が急に高熱で倒れたのよ。ほっとく訳にもいかないでしょ?」
「ちょっと待って!?霊夢、博麗神社に萃香がいるの?」
紫が縁側から身を乗り出して霊夢に詰め寄る。
いきなり声を荒げた紫に気おされながら霊夢が答える。
「い、いるわよ。寝込んだままだけどね。それがどうかしたの?」
「…なるほど。大結界の近くにいたから持ちこたえてたのかしら。
いえ、それだけでは…」
紫は何やらブツブツと呟いて考え込んでいたが、急に顔を上げると緊迫した顔で、
「霊夢!さっきの境界から神社へ戻って萃香を連れて来て頂戴。
急いで!時間的にはほとんど余裕がないはずよ」
「わ、分かったわ」
戸惑いながら、大急ぎで霊夢が境界の中へと消える。
「間に合うかしら…。いえ。間に合っても、きっと萃香にもうそんな力は…」
紫が溜息をついて、ぺたんっ、と縁側に腰を下ろす。
残された3人は、そんな紫を訳も分からず見つめていた。
数分後、霊夢が萃香を連れて戻ってきた。紫が大急ぎで縁側に寝かせ、額でその熱を測る。
紫は一つ頷くと、萃香が持っていた瓢箪を軽く振った。わずかにだがチャポチャポと音がする。
「やはりギリギリだったわね。酒を生む力だけでなく、飲む力もすら無くなってたのかしら」
紫が瓢箪の酒を、ぐいっ、と口に含み、口移しで萃香に飲ませる。
それを2、3度繰り返すと、口元を拭い一つ溜息をついた。
「取り合えずはこれで大丈夫ね。暫くすれば目も覚ますでしょう。
それにしても、萃香が博麗神社に居たのは不幸中の大幸いね」
「伊吹様がこれだけ持ちこたえたのは、やはり博麗大結界の影響なのですか?」
妖夢が不思議そうに首を捻る。
確かに先ほどの紫の説明によれば、異変の影響は光を浴びた時間に比例する。
幻想郷のほとんどの妖怪が異変の影響を受けている今、
同じだけ光を浴びた筈の萃香は高熱こそ出しているが影響は受けていない。
「そうね。博麗大結界のおかげ、が要因の一つ。もう一つは…コレのお陰ね」
そういって紫が空になった萃香の瓢箪を手に取る。
「酒…か?」
「この酒はこの子の瓢箪から湧き出たもの。
古来より、瓢箪には邪気を吸い込む力があるとされているわ。
その昔には鬼や妖怪すら吸い込むものもあったそうよ。
そこから湧き出る酒は邪気を払う、まさに百薬となる。
特に持ち主である萃香には絶大な効果を及ぼすわ。
あの酒自体が萃香用に生み出されているのだから当然だけれど。
だからこそ、これほどまでに持ちこたえることが出来たのよ」
「なるほどね…。でも何でこの鬼にそれほど執着するのかしら。
さっきの貴女の様子はただ事じゃなかったわよ」
咲夜がしぼったタオルを萃香の額に乗せる。
じゅわー、と音がしたかと思うとあっという間に水分が蒸発してしまった。一体何度熱があるのか。
「仮にも幻想郷最強クラスの力を持つ萃香に敵になって欲しい?
それに…忘れているようだけど、この娘は月が砕けるのよ?」
「!?。萃香ならこの異変を根本から砕くことが出来たのね。…気がつかなかったわ」
「いや、気がついたみたいだぜ。鬼がな」
魔理沙の言葉に一同が萃香を覗き込む。状況の理解出来ない萃香がゆっくりと口を開く。
「ん…ここは?」
「私の家よ。貴女は異変の影響で倒れたのよ。危ないところだったわ」
「異変…?んー、駄目だ。頭が割れるように痛くて力が入らない」
「アンタは藍と一緒にゆっくり休んでなさい。後は私達が何とかするから」
霊夢が乾いてしまったタオルを取り上げる。奥の床の間を見ると藍が布団で横になっていた。
寝言で「あぶらあげもってかないでー」とか言ってるあたり大分参っているようだ。
「萃香も目を覚ましたことだし。調査を始めましょうか」
「待って、霊夢。これを持っていって」
立ち上がった霊夢に萃香が自分の瓢箪を差し出す。
「もう酒も入ってないし、今の私じゃ酒を生むことも出来ないけれど。
何かの役に立つかもしれないから」
「でもアンタ。この瓢箪が無くていいの?大切なものでしょ?」
「大丈夫大丈夫。元気になれば私の力で創れるから」
「あ、そう…。そういうことなら預かっとくわ。それじゃあね。ゆっくり休みなさいよ」
手を振る萃香を背に、一同は境界を抜けて博霊神社に戻ってきた。途端、マヨヒガへの境界が力なく消え去った。
『私達妖怪は動けない。異変を解決するためには妖怪に匹敵する力を持った貴女達の力が必要なの。
さあ、向かいなさい。永遠亭を目指して、西へ…。』
消えかける境界から紫の声がわずかに聞こえてきた。その声に魔理沙がケラケラ笑いながら、
「まあ、博霊神社からみたら何処に行くにも西だけどな」
咲夜が不安気な表情のまま、夕日を見ながら呟く。
「陽が沈む場所から、陽の出づる場所へ…ね」
過去の異変が紡いだ「絆」という名の蜘蛛の糸。新たな異変の解決に向かう4人の長い旅が始まった。
「さて、まずは当面の目的地を決めましょうか」
神社の境内。霊夢の言葉に魔理沙がうんざりした顔で問い返す。
「…おいおい。永遠亭に向かうんじゃなかったのか?」
「あの隙間バカの言う通り動くつもり?紫の情報は正しいでしょうけど、そのまま永遠亭に行くのは得策ではないわ。
それ相応の準備と、行くべき処に行ってからでないと。『たけやり』と『布の服』で竜の王に挑むのと同じことよ」
霊夢の良く分からない例えに魔理沙は怪訝な顔をする。
その横で咲夜が心ここにあらず、といった様子で二人のやり取りを眺めている。
「何の話だよ…」
「…何でもないわ、忘れて。そ、それに咲夜。どうせレミリアの事が心配で仕方ないでしょ?」
「ふぇ!?」
図星を突かれ言葉を失う咲夜。思いふけっていたのは紅魔館が心配だったようだ。
「紫は冥界のことは安全と言ってたが、紅魔館については何も言ってなかったからな」
「うう…」
畳み掛ける魔理沙の言葉に咲夜が不安気な表情を見せる。少し可愛い。
そこで!と霊夢が手を一つ叩きながら、
「それを踏まえて。チームを分けるわ。咲夜・魔理沙は紅魔館に向かって頂戴」
「どうしたんだ霊夢!?合理的な結果の為には友人すら踏みつけるお前が!」
ぶぎゅるっっ!
大袈裟に驚いてみせた魔理沙を霊夢が盛大に張り倒す。
「…お望みどおり、踏むわよ?」
「もう踏んでるぜ…」
地面とディープキスしながら、声を絞り出す魔理沙。
霊夢は魔理沙を踏んだ状態のまま、真顔で咲夜に向き直り、
「咲夜。レミリアが無事なら前みたいに幻想郷を紅い霧でおおうよう頼んでみて」
「なるほど。レミリア様の霧で月の光を遮ることが出来れば…」
霊夢の言葉を妖夢が繋ぐ。その意味を理解して咲夜も一つ頷く。
「これ以上の異変の進行を食い止めれる。ってわけね。解ったわ」
「私たちは一度霖之助さんのところに向かうわ。今の私たちでは物資が乏しすぎる。
あそこで色々と接収…じゃなくて、搾取…じゃなくて、強奪…じゃなくて、補給しなきゃね」
「3度も言い直しましたね…」
妖夢が呆れ顔で霊夢を見る。勿論、言い直す前こそが彼女の本心なのが怖い。
「でも香霖堂の店主もおかしくなってるかもしれないんじゃない?」
「あら、もしそうなら張り倒せばいいじゃない。異変の所為でおかしくなってたんだもの。不可抗力よね」
「霊夢…。おそろしい巫女」
しれっと言い切る霊夢を見て、咲夜が真顔で冷や汗を流す。
と、霊夢の足の下から震える声で助けを求める声がした。
「どうでもいいけど、そろそろ足退けてくれ…」
「取り合えず、何か起こっていても日没過ぎまでには香霖堂に来るように。
時間にして…1時間程かしら」
「わかったわ」
咲夜が頷いて、懐中時計で時間を確認する。
魔理沙は箒にまたがって飛ぶ体制に入っている。背中に霊夢の足型がついたままなのが物哀しい。
「さ、行くぜ咲夜。時間が無い全速力でいくぞ」
「分かってるわ。しっかりついて来てね」
「言うじゃないか。コレでも人間じゃ最速を自負してるんだがな」
咲夜と魔理沙が砂埃を残して紅魔館に向かって飛び立つ。
二人とも流石のスピードで、霊夢が目を開けた頃には二人の影すら見えない。
「さて…私達は香霖堂に急ぐわよ。霖之助さんが無事だと話が早いんだけど」
太陽はゆっくりと地平線に向かっている。既に月は肉眼で確認出来るほどの時刻だ。
「紫様の言うことがホントなら、普通以上に夜は気をつけないといけませんね」
「ん。まあ、そうね。どちらにしろ今日は香霖堂で夜を明かすことになりそうね」
「それでは行きましょう。完全に日の沈む前に着きたいですしね」
残った二人が魔法の森目指して飛び立つ。闇はゆっくりと、それでいて確実に広がっていく。
誰もいなくなった神社。凛とした静けさの中、太陽と月が鳥居を紅く染めていた。
「霊夢!いるよな?」
木枯らし吹く博麗神社。霧雨魔理沙がいつもの様に部屋に飛び込んできた。言葉通り、箒ごと。
「魔理沙。ちゃんと障子直しなさいよ」
「それどころじゃないぜ。霊夢、またおかしなことが起こってるんだ」
「何の話よ」
「お前(博麗の巫女)が知らない訳ないだろう。妖怪が人間を襲ってるんだ」
「…そんなの至極当然の事じゃないの」
霊夢が魔理沙から視線を外して答える。霊夢の言うとおり、妖怪が人間を襲うのは当然のことだ。
そして周知の通り、異変解決・妖怪退治は博麗の巫女の仕事である。
その為「その手」の話が霊夢に来ない訳がない。
そんなことは魔理沙だって当然知っている。それでも聞いたのには勿論理由がある。
あくまでとぼける霊夢を魔理沙がゆさぶる。
「それじゃあ聞くぜ。霊夢。お前、今月何件妖怪退治した?」
「…………」
霊夢が黙る。今月、霊夢が処理した件数は既に20件を超える。
通常、この手の相談は月に2~3件もあれば多いほうなだけに、魔理沙が怪訝に思うのはもっともだった。
「何が言いたいのよ」
「そろそろ動いてもいいんじゃないか?これは立派な『異変』だぜ」
「んー、ちょっとね。長く神社を離れられない訳があるのよ」
「訳?」
「…こんにちはー」
「そ。実は急にアイツが………って、あら?」
寝室を指差して口を開き掛けた霊夢を遮ったのは、二人の新たな来訪者だった。
霊夢たちには、既に見慣れた紅魔館のメイド服。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が手土産を持って立っていた。
「こんにちは、お二人さん。何やら深刻そうね」
「珍しいわね。咲夜が此処に来るなんて。それにもっと珍しいのは…」
「お久しぶりです。お花見以来ですね」
その小柄な身体に不釣合いな2振りの刀。そして横には半霊の証である大きめの幽霊が浮いている。
白玉楼の庭師で冥界の姫の従者、魂魄妖夢が咲夜の後ろに控えていた。
この二人。咲夜も妖夢も、買出し以外では滅多に世間に出てくることはない。
咲夜は膨大なメイド仕事と、我侭な吸血鬼の世話を。
妖夢は広大な白玉楼の庭と、暢気な亡霊姫の世話で忙しい為だ。
勿論白玉楼は冥界に存在するため、妖夢の方が人間の里まで出てくる頻度は低い。
というか、来ようと思えばいつでも顕界に来れることの方が問題か。
「それで、何しに来たんだ二人とも?」
魔理沙が咲夜と妖夢にお茶を注ぐ。霊夢が苦笑いしながら、
「アンタの家か、ここは。でも本当に何しに来たの?」
「お嬢様が『霊夢がそろそろ異変に向けて動くと思うから、今回は助けてあげなさい』って」
全てを見透かしたようなレミリアの言葉に、霊夢は眼に見えて機嫌を悪くする。
「へえ、あの引き篭もり。運命操作の能力を未来視で使うとはね」
その科白を聞いた咲夜が、しゃらん、と懐中時計を取り出す。
「『引き篭もり』って、お嬢様の事かしら?」
「落ち着け、咲夜!月時計をしまえ!」
更にナイフを取り出そうとする咲夜を、魔理沙が慌てて止める。そしてその体勢のまま、急いで話題を逸らす。
「そうだ!妖夢はどうしてこっちにきたんだ?」
「私も幽々子様が『博麗神社に行って巫女の手伝いをするように』と。但し、幽々子様に入れ知恵したのは紫様ですが」
「紫?なんでアイツが?」
霊夢が訝しげに眉を顰める。妖夢も首をかしげて、
「私もほとんど聞かされてないんですよ。今回の異変に関係があるのは確かなんですけど…」
『それについては私から話そうかしら』
不意に、どこからか紫の声が話に割り込んできた。
全員紫の『境界』の能力と、巫山戯た性格は知っている為、別段驚きもせずに紫が姿を現すのを待った。
…
……
………
何時まで待っても紫は姿を現さない。霊夢が呆れ顔で、
「紫。『何処か面白いスキマから出て行こう』とか考えてるなら、思いっきりスベってるわよ」
『し、失礼ね…。この非常時にそんなボケしないわよ。
取り合えず全部説明してあげるから、今から開くスキマを通ってこっちに来て頂戴』
霊夢の目の前にようやく空間の裂け目が現れる。境界の向こう側には紫の住処であるマヨヒガが、ゆらゆらと蜃気楼の様に見えている。
ここで魔理沙が当然の疑問に首を傾げた。
「何でわざわざ私達をマヨヒガに呼ぶんだ?」
「そういえば、そうですね。紫様なら何処にでも行くことが出来るのに」
「考えても仕方ないわ。行ってみるしかなさそうね」
霊夢の言葉に3人が頷き、順番に境界へと飛び込んだ。
こうして博麗神社には、静寂と外れた障子だけが残された。
境界を抜けると、そこはマヨヒガの中庭だった。目の前の縁側にはネコが数匹、幸せそうに寝そべっている。
ふわりと香る金木犀の香りに4人は庭を見渡した。マヨヒガは以前来た時の平和な風景と同じ………では無かった。
マヨヒガを囲む様に設置されているのだろうか。見たことも無い大きさの結界用要石が庭の両端に置かれていた。
その要石を起点に、ハッキリと目に見える程強力な結界がマヨヒガを包んでいた。
「ようこそ。マヨヒガへ」
結界を見上げる4人に、マヨヒガの主が声をかけた。縁側に視線を戻すと、紫とその式である藍がいつの間にか座っていた。
「紫。聞きたいことは山程あるわ。この結界の事とかね」
「まあまあ。焦らないで、順番に説明させて頂戴」
パチンッ、と紫が扇子を閉じる。と、4人の後ろに境界から椅子が現れた。
更に、目の前に台のような木箱が現れる。木箱の上にはお茶と饅頭が乗っていた。
「さて、貴方たち。最近起こってる事は既に知ってるわね?」
紫の問いに、魔理沙が饅頭を頬張りながら答える。
「はは、ようはいはちはあはれへるやふはろ(ああ、妖怪たちが暴れてるヤツだろ)」
「へえ、そんな事が起こってたの?」
「知りませんでした」
「今ので分かるのアンタ達!?」
事も無げに頷いた咲夜と妖夢に霊夢が思いっきりツッコむ。
咲夜も妖夢も異変が起こっているのは知っていたが、実際どんなことが起こっているのかまでは知らなかったようだ。
まあ、この準引き篭もり二人は知らなくても仕方ないが。
そんな二人は気にせずに、紫が話を続ける。
「現在、幻想郷に起こっている異変は『妖怪の突然の凶暴化。及び、自我の損失』。
今の幻想郷は妖怪同士の争いが起こったり、人間の里が襲われたりと滅茶苦茶な状況よ」
4人が一同に息を呑む。息を呑んだついでに饅頭を喉に詰まらせた魔法使いもいたが。
とにかく紫の話が本当なら、今までの異変より遥かに深刻な事態となる。
妖怪がところ構わず暴れてしまうと、これまでとは比べ物にならない被害が人間にも幻想郷自体にも現れるだろう。
「それじゃあ、この強力な結界はその為に?」
霊夢が結界を指差す。紫が溜息を一つついて、ゆっくり頷く。
「そうよ。私と藍と橙に異変の影響が出ないようにね。
これだけの結界を張ってようやく防げる程、異変の力は強力よ。
お陰で私はここから動けない上に、境界能力も大分限定されるわ」
「なるほど。それでわざわざ私達をここまで連れてきたのですね」
「ええ。悔しいけれど私の今の力では、せいぜい大結界のある博麗神社。
若しくは影響の届かない冥界までの境界を開くのが精一杯。と言ったところね」
ギリギリと歯軋りをする紫。『妖怪の賢者』とまで呼ばれる紫の力は幻想郷で1、2を争うと言っても過言ではない。
その紫にここまで力を使わせるとは。その意味を察したのか、咲夜が厳しい表情のまま尋ねる。
「八雲紫。この『異変』は一体何?」
「それがねえ。まだハッキリとは分かってないのよ」
「分からないものに対して、これだけの局所結界が張れる訳無いでしょうが」
わざとらしく肩をすくめた紫に、霊夢がお茶を啜りながらツッコミを入れる。
結界とは通常、何かを封じる。若しくは、何かから身を守るものである。
その為、その対象となるものがある程度分かっていないと、張ったはいいが素通り、なんてことも有り得る。
勿論万物に有効な万能結界も出来ない事はないが、強度は極端に落ちてしまう。
現在マヨヒガを覆う結界の強度は、いかに紫といえども局所結界でしか保てないだろう。
結界の事を指摘された紫は何故か嬉しそうに、にんまりと微笑んでいた。
「流石は霊夢ね。鋭いわ。でも嘘は言ってないのよ。
異変が『何が要因で起こっているか』は分かっているのだけど…。
だから、今私に分かっていることを説明するわね。
今回の異変の原因。すなわち、妖怪たちを狂わせているもの。
それは『月の光』よ。元々、月は私達に多大な影響を及ぼすわ。特に満月は。
けれど今の月は、常に満月時の数十倍の影響を発しているのよ。
それによって、力の弱い者。…そうね。妖精、幽霊辺りから自我を失っていってるわ」
紫の説明に妖夢が息を呑む。その頬を一筋の汗が流れた。
無理も無い。今のところ彼女には影響はないようだが、間違いなくその半身は幽霊なのだ。
その表情で妖夢の考えを察したのか、紫が妖夢に向かって微笑む。
「ああ。心配しなくても貴女には異変の影響はないわ。
その確信が無ければ冥界から出しはしなかったし」
それを聞いて、妖夢が深く安堵の息を漏らす。
「安心しました。と、いうことは冥界にも異変の影響は…」
「届かないわ。だから幽々子の事は心配しなくても大丈夫よ。
さて…。何処まで話したかしら。そうそう。異変の原因は月の光。と、いうとこまでね。
異変の影響を受けた妖怪は自我を失い、狂暴化し…そして、何故かむやみにスペルを使いたがるわ。
人間が相手だろうと、妖怪が相手だろうと、ね。
そして………」
「あー、もういいぜ」
急に魔理沙が紫の言葉を遮る。
さっきまで目深に被っていた帽子を、ぐいっ、と引き上げて、一つ大きな欠伸をする。
どうやら半分眠っていたようだ。
「説明はもう十分だ。紫、本題に入れ。異変の影響が出始めたのは20日程前だ。
今になって私達を呼んだからには、何か解決への手掛かりを見つけたんだろ?」
魔理沙がニッと笑う。紫も微笑んだまま魔理沙に向かって答える。
「今日は貴女も随分と冴えてるみたいね。
その通りよ。先日、結界を張る為に今の月の光を解析してみたの。
それで分かったことが幾つかあったわ。
一つ。異変の依存性は、光を浴びた時間に比例するわ。
私も数時間光を浴びたのだけど、気分が高揚するくらいで済んだわ。
…まあ。結局その後半日程、藍と弾幕ごっこを繰り広げたけど」
今日の藍は口数が妙に少なかったが、なるほど。
本気では無いとはいえ、紫を相手にしての弾幕ごっこなんぞしたら疲労と被害は計り知れない。
藍が紫の隣で力なく微笑む。と急に、かくんっ、と頭を垂れる。
どうやら耐え切れず眠ってしまったようだ。
動かなくなった藍を式である橙がいそいそと床の間に引っ張っていく。
橙の小さな体では辛いのだろう。中々進まないが、その甲斐甲斐しい姿がとても可愛らしい。
「二つ。こちらが重要…と言うか、ほぼ答えなのだけど」
紫が扇子をパチンと閉じる。と、障子の向こうから橙の悲鳴が聞こえた。
どうやら紫の生んだ「床の間直行便」の境界に問答無用で落とされたらしい。相変わらず酷い。
そして、当の紫は何事も無かったかのように話を続けた。
「現在の月の光は、以前と比べて波長が変わっているわ。
その変わっている波長にこそ手掛かりがあったの」
西の空を夕焼けが紅く染めている。微かに見える月を仰いで、霊夢が呟く。
「波長…ね。なるほど。確かにアイツの感じに似てるわね」
「霊夢は気づいたみたいね。貴女達、皆一度は経験しているはずよ。
あの永夜異変で、月の兎に出会った時にね」
永夜異変。最近起こった中では割とメジャーな異変な為、知らない人はいないだろう。
簡単に言うと真実(ほんもの)の月を隠し、空には偽者の月が浮かべられた。という事件だ。
その首謀者は永遠亭に住む月の姫、蓬莱山輝夜とその従者、八意永琳。
このような異変を起こした理由は色々とあるのだが、それはここでは深くは語らない。
結果として輝夜と永琳。そして永遠亭の面々は、人・妖怪両サイドからキツく懲らしめられた。
その後月は元に戻り、輝夜たちも心配事が杞憂だった事が分かり本格的に幻想郷に馴染んでいったのだが…。
ちなみに、今ここにいる人間4人はそれぞれ個々別々で永夜異変の解決に動いていた。
実際、どのチームがこの異変を解決したかは正確には語られていない。
その異変の最中、永遠亭側に波長を操る月の兎がいた。
名前を鈴仙・優曇華院・イナバ。確かに彼女ならば、波長を操り狂気を起こす事も可能だろう。
しかし…。
「確かに覚えはあるわ。だけど、今更あの兎がこんな異変を起こすかしら?
それに幻想郷全土に影響を与える程の異変を彼女が起こせるとは思えないわ」
もっともな疑問を咲夜が口にする。
確かに鈴仙は進んで異変を起こす、というタイプの妖怪(正確には兎だが…)ではない。
輝夜と永琳にしても今このタイミングで、これだけの異変を起こす事に何のメリットも無い。
紫が目を閉じてゆっくり首を振る。
「そこまでは分からないわ。だからこそ貴女たちを集めたの。
『誰が』『何の為にこのような事態を起こしているか』を調べる為に。そして、この異変を解決する為にね」
わずかな沈黙の後、魔理沙が、仕方ない、といった様子で頭を掻いた。
「ま。ここいらで、紫に恩を売っとく、ってのも悪くないか。今回は何故か霊夢が動かなかったしな」
「失礼ね。ちょっと訳ありだったのよ。
ウチの居候の鬼が急に高熱で倒れたのよ。ほっとく訳にもいかないでしょ?」
「ちょっと待って!?霊夢、博麗神社に萃香がいるの?」
紫が縁側から身を乗り出して霊夢に詰め寄る。
いきなり声を荒げた紫に気おされながら霊夢が答える。
「い、いるわよ。寝込んだままだけどね。それがどうかしたの?」
「…なるほど。大結界の近くにいたから持ちこたえてたのかしら。
いえ、それだけでは…」
紫は何やらブツブツと呟いて考え込んでいたが、急に顔を上げると緊迫した顔で、
「霊夢!さっきの境界から神社へ戻って萃香を連れて来て頂戴。
急いで!時間的にはほとんど余裕がないはずよ」
「わ、分かったわ」
戸惑いながら、大急ぎで霊夢が境界の中へと消える。
「間に合うかしら…。いえ。間に合っても、きっと萃香にもうそんな力は…」
紫が溜息をついて、ぺたんっ、と縁側に腰を下ろす。
残された3人は、そんな紫を訳も分からず見つめていた。
数分後、霊夢が萃香を連れて戻ってきた。紫が大急ぎで縁側に寝かせ、額でその熱を測る。
紫は一つ頷くと、萃香が持っていた瓢箪を軽く振った。わずかにだがチャポチャポと音がする。
「やはりギリギリだったわね。酒を生む力だけでなく、飲む力もすら無くなってたのかしら」
紫が瓢箪の酒を、ぐいっ、と口に含み、口移しで萃香に飲ませる。
それを2、3度繰り返すと、口元を拭い一つ溜息をついた。
「取り合えずはこれで大丈夫ね。暫くすれば目も覚ますでしょう。
それにしても、萃香が博麗神社に居たのは不幸中の大幸いね」
「伊吹様がこれだけ持ちこたえたのは、やはり博麗大結界の影響なのですか?」
妖夢が不思議そうに首を捻る。
確かに先ほどの紫の説明によれば、異変の影響は光を浴びた時間に比例する。
幻想郷のほとんどの妖怪が異変の影響を受けている今、
同じだけ光を浴びた筈の萃香は高熱こそ出しているが影響は受けていない。
「そうね。博麗大結界のおかげ、が要因の一つ。もう一つは…コレのお陰ね」
そういって紫が空になった萃香の瓢箪を手に取る。
「酒…か?」
「この酒はこの子の瓢箪から湧き出たもの。
古来より、瓢箪には邪気を吸い込む力があるとされているわ。
その昔には鬼や妖怪すら吸い込むものもあったそうよ。
そこから湧き出る酒は邪気を払う、まさに百薬となる。
特に持ち主である萃香には絶大な効果を及ぼすわ。
あの酒自体が萃香用に生み出されているのだから当然だけれど。
だからこそ、これほどまでに持ちこたえることが出来たのよ」
「なるほどね…。でも何でこの鬼にそれほど執着するのかしら。
さっきの貴女の様子はただ事じゃなかったわよ」
咲夜がしぼったタオルを萃香の額に乗せる。
じゅわー、と音がしたかと思うとあっという間に水分が蒸発してしまった。一体何度熱があるのか。
「仮にも幻想郷最強クラスの力を持つ萃香に敵になって欲しい?
それに…忘れているようだけど、この娘は月が砕けるのよ?」
「!?。萃香ならこの異変を根本から砕くことが出来たのね。…気がつかなかったわ」
「いや、気がついたみたいだぜ。鬼がな」
魔理沙の言葉に一同が萃香を覗き込む。状況の理解出来ない萃香がゆっくりと口を開く。
「ん…ここは?」
「私の家よ。貴女は異変の影響で倒れたのよ。危ないところだったわ」
「異変…?んー、駄目だ。頭が割れるように痛くて力が入らない」
「アンタは藍と一緒にゆっくり休んでなさい。後は私達が何とかするから」
霊夢が乾いてしまったタオルを取り上げる。奥の床の間を見ると藍が布団で横になっていた。
寝言で「あぶらあげもってかないでー」とか言ってるあたり大分参っているようだ。
「萃香も目を覚ましたことだし。調査を始めましょうか」
「待って、霊夢。これを持っていって」
立ち上がった霊夢に萃香が自分の瓢箪を差し出す。
「もう酒も入ってないし、今の私じゃ酒を生むことも出来ないけれど。
何かの役に立つかもしれないから」
「でもアンタ。この瓢箪が無くていいの?大切なものでしょ?」
「大丈夫大丈夫。元気になれば私の力で創れるから」
「あ、そう…。そういうことなら預かっとくわ。それじゃあね。ゆっくり休みなさいよ」
手を振る萃香を背に、一同は境界を抜けて博霊神社に戻ってきた。途端、マヨヒガへの境界が力なく消え去った。
『私達妖怪は動けない。異変を解決するためには妖怪に匹敵する力を持った貴女達の力が必要なの。
さあ、向かいなさい。永遠亭を目指して、西へ…。』
消えかける境界から紫の声がわずかに聞こえてきた。その声に魔理沙がケラケラ笑いながら、
「まあ、博霊神社からみたら何処に行くにも西だけどな」
咲夜が不安気な表情のまま、夕日を見ながら呟く。
「陽が沈む場所から、陽の出づる場所へ…ね」
過去の異変が紡いだ「絆」という名の蜘蛛の糸。新たな異変の解決に向かう4人の長い旅が始まった。
「さて、まずは当面の目的地を決めましょうか」
神社の境内。霊夢の言葉に魔理沙がうんざりした顔で問い返す。
「…おいおい。永遠亭に向かうんじゃなかったのか?」
「あの隙間バカの言う通り動くつもり?紫の情報は正しいでしょうけど、そのまま永遠亭に行くのは得策ではないわ。
それ相応の準備と、行くべき処に行ってからでないと。『たけやり』と『布の服』で竜の王に挑むのと同じことよ」
霊夢の良く分からない例えに魔理沙は怪訝な顔をする。
その横で咲夜が心ここにあらず、といった様子で二人のやり取りを眺めている。
「何の話だよ…」
「…何でもないわ、忘れて。そ、それに咲夜。どうせレミリアの事が心配で仕方ないでしょ?」
「ふぇ!?」
図星を突かれ言葉を失う咲夜。思いふけっていたのは紅魔館が心配だったようだ。
「紫は冥界のことは安全と言ってたが、紅魔館については何も言ってなかったからな」
「うう…」
畳み掛ける魔理沙の言葉に咲夜が不安気な表情を見せる。少し可愛い。
そこで!と霊夢が手を一つ叩きながら、
「それを踏まえて。チームを分けるわ。咲夜・魔理沙は紅魔館に向かって頂戴」
「どうしたんだ霊夢!?合理的な結果の為には友人すら踏みつけるお前が!」
ぶぎゅるっっ!
大袈裟に驚いてみせた魔理沙を霊夢が盛大に張り倒す。
「…お望みどおり、踏むわよ?」
「もう踏んでるぜ…」
地面とディープキスしながら、声を絞り出す魔理沙。
霊夢は魔理沙を踏んだ状態のまま、真顔で咲夜に向き直り、
「咲夜。レミリアが無事なら前みたいに幻想郷を紅い霧でおおうよう頼んでみて」
「なるほど。レミリア様の霧で月の光を遮ることが出来れば…」
霊夢の言葉を妖夢が繋ぐ。その意味を理解して咲夜も一つ頷く。
「これ以上の異変の進行を食い止めれる。ってわけね。解ったわ」
「私たちは一度霖之助さんのところに向かうわ。今の私たちでは物資が乏しすぎる。
あそこで色々と接収…じゃなくて、搾取…じゃなくて、強奪…じゃなくて、補給しなきゃね」
「3度も言い直しましたね…」
妖夢が呆れ顔で霊夢を見る。勿論、言い直す前こそが彼女の本心なのが怖い。
「でも香霖堂の店主もおかしくなってるかもしれないんじゃない?」
「あら、もしそうなら張り倒せばいいじゃない。異変の所為でおかしくなってたんだもの。不可抗力よね」
「霊夢…。おそろしい巫女」
しれっと言い切る霊夢を見て、咲夜が真顔で冷や汗を流す。
と、霊夢の足の下から震える声で助けを求める声がした。
「どうでもいいけど、そろそろ足退けてくれ…」
「取り合えず、何か起こっていても日没過ぎまでには香霖堂に来るように。
時間にして…1時間程かしら」
「わかったわ」
咲夜が頷いて、懐中時計で時間を確認する。
魔理沙は箒にまたがって飛ぶ体制に入っている。背中に霊夢の足型がついたままなのが物哀しい。
「さ、行くぜ咲夜。時間が無い全速力でいくぞ」
「分かってるわ。しっかりついて来てね」
「言うじゃないか。コレでも人間じゃ最速を自負してるんだがな」
咲夜と魔理沙が砂埃を残して紅魔館に向かって飛び立つ。
二人とも流石のスピードで、霊夢が目を開けた頃には二人の影すら見えない。
「さて…私達は香霖堂に急ぐわよ。霖之助さんが無事だと話が早いんだけど」
太陽はゆっくりと地平線に向かっている。既に月は肉眼で確認出来るほどの時刻だ。
「紫様の言うことがホントなら、普通以上に夜は気をつけないといけませんね」
「ん。まあ、そうね。どちらにしろ今日は香霖堂で夜を明かすことになりそうね」
「それでは行きましょう。完全に日の沈む前に着きたいですしね」
残った二人が魔法の森目指して飛び立つ。闇はゆっくりと、それでいて確実に広がっていく。
誰もいなくなった神社。凛とした静けさの中、太陽と月が鳥居を紅く染めていた。