夕暮れ時の紅魔館は、建物の影が湖に届き、湖面はまるで紅魔館の一部と化したかのように紅く染まる。
館の門番をしている美鈴は、一日のうちでこの時間が一番好きだった。日がな気の移ろいを感じながら、一日が何事もなく終わり、自然が眠りにつくときに見せるわずかな煌き。館の中では楽しむことのできないもので、彼女に言わせればメイドなんかより門番の方が遥かに良いのである。
そんな景色を前にしていた折に、背後から声が掛かる。
声の持ち主は館の主人であるレミリア・スカーレット。美鈴がゆっくり振り返ると、従者も連れず、傘も差さず、独り空中に佇む彼女の姿が見えた。外見は可愛らしい少女であるが、背中から生えた羽が目を引く。人間ではないことが一目瞭然で、彼女は吸血鬼である。この館は他にも種族魔法使いに悪魔や妖精がいて、生きている人間は極少数しかいない。
むろん、美鈴も妖怪である。
「お嬢様、咲夜さんと日傘はお忘れですか」
美鈴は、わかっていながらも聞いた。咲夜とはレミリアに付き添うメイドであり、日傘は陽光に当たると気化してしまう吸血鬼の必需品である。どちらも伴わずに外に出てくることは滅多にない。滅多にないことではあるが、無いわけではないので、本気で心配しているという風でもない。
「咲夜は厨房、日傘ならあるわよ」
「なるほど、お嬢様には十分すぎる大きさでした」
レミリアは館を背にしている。そのため夕陽は紅魔館に遮られ、レミリアに届くことはない。日傘が陽の光を遮る物であるならば、レミリアは紅魔館を差しているといってもよいだろう。つまりは、影の外に出ることはないということであり、美鈴は用向きが自分にあることを改めて知るのであった。
「それで、今日は何用ですか?」
「久しぶりに貴方の弾幕を見たくなったのよ」
「どういう風の吹きまわしですか」
「昼間、パチェがね」
レミリアがすいと飛んできて、門の上に腰掛ける。二人のときは、レミリアはそうやって湖面を眺めながら話すのだ。咲夜がいると、行儀がよろしくない、などと言って止めさせようとするのだが、美鈴はむしろそうやっているレミリアが好きである。見上げたレミリアは何とも様になっていて、美鈴がもし天狗であれば、迷わずシャッターを切っていただろう。
「光って本当は幾つもの色が集まっているんだって」
「そうなんですか」
「虹は集まった色をもう一度分けたものだと言っていたわ」
「ああ、それで私のところに」
なるほどレミリアは虹を見に来たのだ。吸血鬼は陽光を見ることができない。それならせめて虹を見ようということなのだろう。パチュリーの魔法であれば雨を降らせることもできるので、湖に本物の虹を架けることもできるだろうが、生憎とレミリアは雨を好まない。そこで思い至ったのが美鈴だった、という辺りではないだろうか。
何となれば、美鈴の弾幕は虹の代わりになりうるものである。少なくとも、魔法の森に住む七色の人形遣いを嘆息させる程度には。
そこで美鈴は、門から少し距離を取りつつ、彼女の選択肢の中でどれを選ぶのが最善かを考える。美鈴は人の悲しむを愉しまず、人の楽しむを愉しむ者であるから、彼女のお嬢様を楽しませたいのだ。ただし、冒険は求められていない。彼女がすべきことはレミリアが望むものを望むままの容で供することにある。
一息ついて、美鈴は泥棒魔法使い相手などにはまず出さない弾幕を想い起こす。色鮮やかに虹色な門番に相応しい弾幕を。
「彩華『虹色太極拳』!」
宣言と共に美鈴の周りを七つの弾幕の輪が取り囲む。順に紫、藍、青、緑、黄、橙、赤である。その七つの輪が自らも回りながら美鈴の周囲に円を描き、それぞれが弾列を放ってゆく。そして、回転によって遠心力を得た弾列は渦を形作るように広がる。
レミリアはその様子を目を細めて見ていたが、やがてある一点に釘付けとなる。これは美鈴自身も気付いていなかったのだが、レミリアが見たのは虹にとどまらなかったのである。美鈴を取り巻く七つの輪はそれぞれの色の光を発しており、それが中心で重なり合うことにより白い一つの光を生み出していたのだった。なるほどパチュリーの言うとおり、七色が集まると白になる。美鈴は光を分けたりまた戻したり、渦中にて自身は知らぬも他者に気付かせることはできる。しかしながら、教え諭すことはないため気付くかどうかは見る者次第である。門番は試すもの、美鈴にはまこと天職であった。
始まりから終わりまでタイマーで計ったかのようにきっちり九十秒間、レミリアはついぞ身じろぎ一つすることはなかった。
「ルナティック」
ぱちぱちと手を鳴らしながらレミリアが門からふわりと降りる。何がルナティックなのか美鈴にはとんと見当がつかなかったが、眼差しに険しさがないことは確認できた。それがレミリア流の賞し方なのだろうと解釈し、そこでやっと安堵の表情を見せる。レミリアに向けて一礼し、歩を進める。自分も、ふわり、という感じを出そうとしたが、これがどうにもうまくいかない。そこで、ふわり、ふわりと彼女が知る人妖たちの所作にふわりを被せてみるが、なかなか似合わない。ああ、白玉楼の亡霊嬢もふわりが似合う。どうやら、ふわりはお嬢様と呼ばれるような方の特権らしい。と、独り納得したりしていた。
「弾幕の美しさだけでいえば、美鈴が一番よねぇ」
「とんでもないですよ」
「今の、滅多に使わないでしょ」
「勿体ないですから」
「門番の発言とは思えないね」
「お嬢様、来る者全てを追い返してしまう門番がいたらどうされますか」
「クビよ」
「そういう按配でやっております」
「もし、明日どうしても魔理沙を止めなさいって言ったらどうする?」
「初披露のめーりんキックで」
「確かにあれは初見殺しだわ」
レミリアはその様子を想像でもしたのだろう。小さく笑っていた。
「スペルカードルールは便利なものです。あれに則っている人は基本的に通しても大丈夫だと判断できますから」
「おかげで咲夜の負担が増えてるみたいだけど」
「お嬢様」
美鈴は急に真面目な表情を作り、人差し指を口元に立てる。怪訝な顔をするレミリア。
「何よ」
「説咲夜、咲夜就到という言葉を聞いたことはありませんか」
「ないけど」
「咲夜さんの話をすると、咲夜さんが現れるっていう諺です。紅魔館では知らぬ者がおりません」
「美鈴、冗談はもう少し上手く……」
「お嬢様、こちらにおいででしたか」
呆れ顔のレミリアが一瞬にして凍りつく。聞こえるはずのない咲夜の声が後ろから聞こえたのだ。しかも、計ったかのように。実際のところは、いくら十六夜咲夜といえどもどこで自分の話が持ち上がっているかを把握することなど不可能である。美鈴は気を使う程度の能力を有し、気を読むことも当然ながら可能である。特に急ぎの用でもなかった咲夜は時を止めず普通にやってきたので、その接近は既に美鈴の知るところであった。後はタイミングを合わせることだけを考えればよい。
固まっているレミリアと、にこにこしている美鈴、それに事情が分からぬ咲夜の間に妙な空気が流れる。こういうときは、やはり良い意味で空気を読まない咲夜の出番である。流石は止まった時さえ解除するパーフェクト・メイド。
「お食事の用意が調いました」
「ありがとう、咲夜。すぐに行くわ」
「何をなさっておいででしたか」
「今日も美鈴の弾幕に勝てなかったのよ」
「あらあら」
今度は美鈴がレミリアに驚かされる番だった。いつの間にか勝負になっていたらしい。しかも自分が勝っている。ついでに、今日も、という表現からして、勝負は今回が初めてというわけではなかったようである。
「私はお披露目しただけですよ」
「どうしても最後まで目が離せなくて」
「美鈴の弾幕では仕方がないですね」
自分のことは自分ではよくわからないものである。自らの弾幕の美しさなど考えたこともない美鈴には、レミリアと咲夜の会話は何やら別人についてのものに思えた。しかしながら、相手が勝手にでも負けたと思ってくれているのであれば、これを機会に一つ、以前から思っていたことを口に出してみよう、という気になった。
「お嬢様、先ほどの弾幕ですが」
「何かしら」
「紅魔館でお一方だけ、まだご覧になってないのです」
「ふむ……」
お一方、とはレミリアの妹、フランドール・スカーレットである。普段は館の地下室におり、現在では形骸化しているとはいえ外に出ることは許されていない。美鈴が真に見せたいのは弾幕ではなく夕暮れ時の紅魔館なのであるが、目的と結果が入れ替わったとしても、それはこの際良しとすべきであろう。
レミリアは目を閉じて何事かを考えている風である。
「どうでしょうか」
「いいんじゃないの。見せてあげれば」
この段階ではまだ目標の達成とは言えない。美鈴は慎重に言葉を選ぶ。
「よろしいのですか? 私は門番ですけれど」
するとレミリアは片目を開けて、いかにも悪魔的な笑みを浮かべた。
「それも含めて、いいんじゃないの、と言ったんだけど」
あっ、と小さく声を上げた美鈴は、思わず、すいません、と言ってしまうところだった。慌ててそれを飲み込み、別の言葉に言い直す。
「ありがとうございます!」
頭を下げながら、美鈴は、今のは少々主人を試しすぎたか、と反省した。この世で最もフランドールのことを考えているのは、恐らくレミリアであろう。ただし、美鈴自身はなし得る最善の行動をしたと思っている。そして、気を使う程度の能力は、こんなところにも発揮されるのだ、とも。
美鈴は頭を上げ、レミリアを見据え直して口を開く。
「では、フランドール様にはお嬢様よりお伝えくださいますか」
いつの間にか夕陽は地平線に沈まんとして、月が姿を現しつつあった。レミリアはまだ形のはっきりしない月をしばし眺め、そして美鈴に視線を落とす。視線を落とす動きが美鈴にはひどく緩慢なものに思え、そのために一瞬だけレミリアの眼に哀しみが差したのを見たような気がした。
「……仕方ない。勝者の願いには精一杯応えてやらないとね」
少しだけ微笑ましさを感じた美鈴は、なるべく眼に喜色が映るようにと努力しながらレミリアに頷きを返した。
「お嬢様」
ここで、控えていた咲夜が進み出る。
「それじゃ、私は食事の時間だから。美鈴はどうする」
「よろしいのですか? 私は門番ですけれど」
先ほどとは異なり、少しおどけたような口調で返す。まだ今日の仕事を終えるには早い。
「仕方ないねぇ。咲夜、一杯だけ」
「どうぞ。お嬢様」
咲夜の手にはいつの間にやらシャンパングラスが三つ。ちゃっかり自分の分まで持ってきている辺りが瀟洒たる所以であろうか。
「それでは、乾杯」
グラスの重なる音が空へ上がって、この日の一番星が輝き始めた。
この二人には主従と友人の間くらいの関係が似合う気がします。
こういうのもなかなか良いものですね。
読みやすくて飄々とした空気感が美味でした。
結局一番長く付き従うんだろうなあ
美鈴もお嬢様も咲夜さんも良かったです。
すっきりと綺麗な話で上手いなと思いました。
こういう話好きです。
だと思います。
お話は楽しませていただきましたが、
上記間違い?が気になり、この点数をつけさせていただきました。
諺が良いですね。本当にそういう噂されてそうでw
いつからメイド長は曹操になったんだwwwwwww
難易度はさておいて美鈴のスペルが美しいのは頷けるな