春のうららかな日差しが降り注ぐ中、私こと八雲紫は冬眠明けのリハビリがてら、神社に挨拶にでも行こうと考えつくと、大きく一つ伸びをする。
思い立ったが吉日とばかりにすぐさま目の前の空間の境界を弄り、お気に入りの服を幾つか取り出した。
「お出かけですか?」
「……ええ、博麗神社にね。留守番は頼んだわよ、藍」
背後から聞こえてくる式神の質問に軽く答え、着替えを終えると、私は神社への近くて遠い道のりを再び歩みだしたのだった。
―――――――――――――――それでも私は夢を見る―――――――――――――――――
「……で、何の用よ紫」
ぶすーっと言う音が聞こえて来るほどにふてくされながら、自称楽園の素敵な巫女、博麗霊夢は私に向かって問いかけた。
今の今まで眠っていたためであろう、黒のストレートヘアーの中にいくつかぴょんぴょんと跳ねた髪が混ざっているのが愛らしい。
「何よ、用がないと来ちゃいけないのかしら?」
「来てもいいけど用がないなら起こさないで欲しかったわ」
こんな真昼間に何を言っているのだろう、この巫女は。と思ったが、それを口にすればどんな反論が来るかは想像に難くなかったので、心の中に留めておく事にする。
まぁ不機嫌そうな彼女の姿を拝む事も私にとっては趣味の一つのような物なのだが、それにしても今日の彼女のふてくされ度は昼寝を邪魔されたことを差し引いても当社比五割増しだ。
「今日は嫌に不機嫌ねぇ……何かあったの?」
「う……」
質問に答えたくないのだろうか、問いかけに対し目を逸らそうとした霊夢の顔を、私は二ィッとした笑顔を浮かべ覗き込んでやる。
彼女は存外この「何もかもお見通し」スマイルに弱いのだった。
それは今日のような不機嫌時も例にもれないらしく、始めの内は目を合わせない事で抵抗を見せていた彼女だが、すぐに観念したのかその重い口を開いた。
「……夢を見てたのよ」
私がその言葉の意味を理解するのまでには、若干の時間を要した。
「ぷっ、あははははははははっ!」
一拍置いて彼女の言いたい事を理解した私は、文字通り指をさして彼女の事を笑ってやった。
要は彼女はいい夢を見ていた所を私に邪魔されたからふてくされているというのだ。
全く、可愛らしいにも程がある。
「な、何よ! 本当にいい夢だったんだから!」
「ごめんごめん……それで、それは一体どんな夢だったのかしら?」
その質問にも答えたくないのか、先程のように一文字に結んだ霊夢の口を、私もまた先程と同じ手法でまるでルーチンワークのように開いて見せる。
彼女には悪いが、この辺りの事に関しては年季が違う。
「……参拝客がたくさん来て、お賽銭もたくさんもらえる夢よ!」
自棄になったかのように言い放った彼女の答えを聞いて、私はさらに大きな声をあげて笑う。
対照的に霊夢はそんな私の姿を見て恥ずかしそうに頬を染めながらも、同時に恨めしそうに私の事を睨みつけていた。
「うぅー……!」
「ぷくくっ、ごめんなさい……確かにそれは夢でもないと無理な事だったわね」
「む、無理じゃないわよ!」
「へぇ、そうなの。だったらそこまでいい夢でもなかったんじゃない?」
そんな私の反論に対して、うぐ、と言葉を詰まらせる霊夢。
そんな彼女の顔を眺めているのも悪くはないのだが、これ以上いじめるのも少し可哀想な気がしたのでこれくらいにしておく事にする。
「あのねぇ、夢なんてまた眠ればすぐに見られるわよ」
そこで心優しい私は殊勝にも彼女を慰めてやろうと、そう声をかけてやった。
ちなみに、もとはと言えばお前のせいだ……などと言った抗議は一切受け付けていない。
もっとも、せっかくの私の心遣いも、どうやら焼け石に水どころか熱湯だったらしく、不機嫌メーターが一切減らない様子の少女は大きなため息を吐き言葉を紡いだ。
「……同じ夢は二度と見られないわ」
「まぁ、それはそうね」
確かに霊夢の言う通り、一度見たものと全く同じ夢など決して見る事は叶わない。
それは今日と全く同じ日が二度と訪れない事と同じだった。
私がそんな彼女の言葉に納得したのを好機と見たのか、霊夢は先程までより多少語気を荒げながら私に対して追撃を行った。
「だから、私が今日の夢で手に入れる筈だった幸福は二度と戻っては来ないの。全く、夢に形があるなら弁償してほしいくらいだわ」
「でも夢の中で得た幸福が大きければ大きい程、目が覚めた時は虚しいとは思わない?」
「む……」
「だとしたら、私は貴女を幸せな夢の中から救いだした救世主、とも取れないかしら」
「じ、じゃあ、紫はいい夢を見ていた時に起こされたらどう思うのよ?」
「腹が立つわね。場合によっては絶対に許さないかも」
「言ってる事が矛盾してるわよ!」
その後も延々と議論……いや、議論とも言う事が出来ないであろう不毛な言い争いを続ける私達。
このある意味夢のような不毛で無駄だらけな時間が私は存外好きだった。
こんな時間がずっと続けば良いのに、とさえ思ったこともあった。
「……ねぇ、霊夢。どうして私達は夢を見るのかしらね。それが醒めてしまった時、自分には何も残らないのに。望んでも同じ夢を見ることは叶わないのに。醒めない夢なんて何処にも無いのに。それなら、始めから夢なんて見ない方がずっと幸せかもしれないわ」
「紫……?」
いきなり訳のわからない事を言い出した私に、霊夢が訝しげな視線を送る。
そんな少女の表情がまた予想通り過ぎて、私はまたもや声をだして笑い、それを見た霊夢はやはり頬を赤らめながら怒るのだった。
ふと、私と霊夢の間をビュウッと冷たい秋風が通り抜けた。
今までプリプリと怒っていたはずの巫女はそれで頭を冷やされたのか、はぁっと大きな溜息を吐くとその場で身震いする。
「……寒くなってきたわね」
「そうね。霊夢、熱いお茶が飲みたいわ」
「アンタはどこまで図々しいのよ……」
そう毒づきながらも二人分のお茶を淹れるために奥へと向かおうとする背中に向かって、私は彼女の名を投げかけた。
「霊夢」
「何よ、まだ何かあるの? 言っておくけどお茶請けなんて……」
「ありがとう」
「……は?」
一瞬時が止まったかのように静止する霊夢だったが、私が彼女に対してお礼を言ったという事を理解すると、先程していたものとはまた違う身震いをしだした。
「驚いた。アンタが私にお礼を言うなんて。これは明日は季節はずれの大雪か、台風ね」
そんな皮肉を口にした霊夢は再び私に背を向けると、そのまま奥へと消えていった。
残念ながらここには明日なんて来ないわよ……などと考えながら私はそんな彼女の愛らしい後ろ姿を名残惜しいように……目に焼き付けるように見送り……
「楽しい夢だったわ」
――ゆっくりと目を開いた。
さっきまで私たちがいた神社とは違い、春の暖かな空気が私の周りを包んでいる。
冬眠から目を覚ましたばかりの私はあまり刺激を与えないようにゆっくりと身体を起こすと、まだ完全には覚醒していない頭で自室を見渡し、一冬を越えても変わり映えの無いことに安堵し、同時に落胆する。
「本当ね、霊夢」
もう十分といって良い程に外は暖かい筈なのに、不思議と寒気を感じた私は、自嘲めいた笑みを浮かべながらポツリと呟いた。
「……幸せな夢を見ると、醒めた時が虚しいわ」
さっきまで隣にいた……今はもういない少女に向かって私は語りかける。
返事が無い事は当然予想していたが、それでもあの不機嫌そうな少女の声が聞こえない事はやはりとても寂しく感じた。
「紫様、お目覚めでしたか」
私の心の中での女々しい独り言を遮るかのように、背中側の襖が開き、式神である藍が姿を現した。
自分のそんな弱さを悟られまいと慌てて居住まいを正した私は、藍の方向へと向き直り、いつも通りの掴みどころの無い八雲紫を演じて見せる。
「フフ、おはよう藍」
「はい、おはようございます紫様。いい夢は見られましたか」
久しぶりの対面を喜ぶのも束の間、空気を読んだのか読んでないのかは定かではないが、藍は見事にタイムリーな話題を私に振って見せてくれた。
ニコニコと笑みを浮かべている藍に対して一瞬だけ恨めしそうな視線を向けた後、私は観念したようにフッと薄い笑みを浮かべた。本当は誰かに今の夢の事を話してしまいたかったのかもしれない。
「……何処か懐かしい夢を見たわ」
「はぁ、懐かしい……ですか」
「ええ、霊夢と夢について語り合う夢。夢の中で夢について語るなんて可笑しいわよね」
その「霊夢」というキーワードが出た途端、藍は沈む様な気まずい様な何ともいえない表情を浮かべた。
ひょっとすると後ろ半分の内容は全く聞き取れていないかもしれない。
「ほらほら、この八雲紫の式神たる者がそんな情けない顔しないの」
「あ、す、すみませんっ」
私がそう言って肩を叩くと、藍はビクッという音でもしそうなほどにその場で跳ねる。
そのあまりの微笑ましい光景に私も思わず頬が緩んでしまう。
これ以上夢の話をしても仕方ないだろう、そう考えた私は話題を変えるために、逆に彼女に対して問いかけを行う事にした。
「さて、今度は私から質問する番よ。私が眠っている間に、何か変わったことはあったかしら?」
「あー、その……あったと言えばあったのですが……」
あまり私には伝えたくないことなのだろう、明らかにバツが悪そうに口篭る藍だが、その態度では私の関心を惹くだけだと彼女は理解したほうが良い。
いや、十二分に理解していながらも、私に対しては嘘を吐けないだけなのかも知れないが。
「言いなさい、藍」
「……はい、わかりました」
お得意の笑みを浮かべながら、若干の威圧を込めて彼女の双眸を覗き込んでやると、藍は観念したのか溜息を吐きながらもその重い口をゆっくりと開いた。
「博麗神社に新たな巫女がやってきました」
「……!」
それはある意味当然な事。
博麗の巫女がいなければ幻想郷は成り立たなくなってしまう。
霊夢が居なくなってしまったのならば、次の博麗の巫女がその神社に住み込む事はわかり切っていた事だった。わかり切っていた事なのだが……
「俄かには信じられないわね」
「そうかも知れませんが、私はもう既に一度挨拶に行って参りました」
「あら、そうなの? ……どうだった、新しい博麗の巫女は?」
「それは……」
……その彼女の沈黙は、どんな説明よりも雄弁に物を語り、それこそ私に全てを伝えるには十分だった。
私は哀れな藍からこれ以上無理に聞きだすようなことはせず彼女に向かって背を向け、何も無い筈の空間におもむろに手を突っ込むと、本当に久しぶりに寝巻き以外の服を取り出した。
「お出かけですか?」
全てわかっているだろうに、儀礼的に問いかけを行う藍に対して、私もまた儀礼的に答えてやる。
「……ええ、博麗神社にね。留守番は頼んだわよ、藍」
私はこれから再び博麗の巫女と出会う。再び新しい夢を始めようとしている。
嗚呼、それはなんて愚かな行為なのだろう。
始めから結末の見えている道を、また歩もうというのだから――
ねぇ、霊夢。どうして私達は夢を見るのかしらね。
それが醒めてしまった時、自分には何も残らないのに。
望んでも同じ夢を見ることは叶わないのに。
醒めない夢なんて何処にも無いのに。
それなら、始めから夢なんて見ない方が……始めから出会わない方が、ずっと幸せなのかもしれないわ。
「それじゃあ、行ってくるわね」
――それでも私は夢を見る。
「ああ霊夢がいなくなったらきっと忘れることも引きずることも無く、大切な思い出として持ったまま自分の責任を果たして行くんだろうな・・・」等と思いながら読んでいたら特に気にはなりませんでした。
なら言うなって言われそうですね。すいません。
とにかく情緒の有る良い物語でした。ありがとうございました。
紫は夢も現実もいずれ終りが来ることがわかりながら楽しんでるって事だよね
とても切ない……でもそれが話を引き締めていたように感じます。
紫様の「それでも私は夢を見る。」という言葉は
様々な想いが籠められているように想いました。
良いお話でした。
誤字?かもしれない報告
文章中に「ーー」となっていますが、これは罫線のほうが良いかと思います。
「──」これですね。
霊夢との会話の部分が夢だったなんて,
読み終わって切なさが溢れてきました。
実は落ちが読めたとき、二重の夢落ちを期待してしまった自分がここに。
タイトルをラストワードに持ってくるところも(逆かも?)いい〆かただと思いました。
この手の話には年取ったせいか弱いなぁ、、、
もう少しここからひねった話が読みたいです