(前回の粗筋)
鬼の娘っ子、略して鬼っ娘が好いた相手を呼ぶ時はやっぱり「ダーリン」だとは思う。て言うか不比等が篁と一緒に晴明に迫ってるくらいなんだから、中途半端な遠慮なんかしないでダーリン言っとけば良かったかも知れない。
ところで昔の大河ドラマで「殿、チャンスですぞ!」ってのがあったって本当なんだろうか。
詳しくは作品集67に在る「ヘイアンキャピタル異邦人 序章」をお読み下さい。
“ヘイアンキャピタル異邦人 終章”
昔々のお話です。舞台は夜の大江山。
都の近く、鬼によって支配された妖怪の山。そこを登る人間四人組。
「んまーあれだ? 俺に任せてもらえりゃもう万事問題なしって感じ?」
大声上げて先頭を歩く男、頼光。英雄の名を騙る山師で、ひょんな事から人外の美少女複数と共同生活を始める事になった普通の人間です。特技は死亡フラグを作る事。
「やっぱね? ほらね? こう焦らされて我慢して溜まりに溜まったりするのもまた快感と言うか、でもそれももうすぐで溜めてたものがもう一気にね? ウフフ輝夜かわいいのう輝夜ウフフ」
熱に浮かされた様な顔で息を荒げる初老の男性。彼の名は不比等。惚れた女の為に在るか無いかも判らぬ宝を求め死地に飛び込む熱き漢です。特技は死亡フラグを立てる事。
「邪悪で汚らわしい妖怪どもよ。贖罪の時は来ました。血を流しなさい。お前達の血が世界の闇を洗い流し、お前達の屍が新世界の礎となる。喜びなさい、これは名誉な事なのですよ……」
据わった目で何やらぶつぶつ呟いている長身の老人。彼は篁。正義に目覚め正義を愛し、そうして己の全てを正義に尽くす正義の人です。特技は死亡フラグを増やす事。
「やめましょ! ね、今からでも遅くないから帰りましょうってば、ねえっ、ちょっと、皆さんっ」
パーティーの最後尾で泣きそうな声を出している彼は晴明。都でもトップクラスと言われる若い陰陽師で、巻き込まれ型で性格が良くて女の子みたいな見た目をしてて実は不思議な力と出生の謎まで持ってるのに、何故かハーレム話の中心になる事もなくむさ苦しい男ばかりに絡まれる不幸の人です。特技は立てた生還フラグを片っ端からへし折られる事。
彼らが目指すのは山の支配者、巨乳の星熊勇儀と幼女の伊吹萃香。
幸運と不運が重なって巨乳に気に入られた頼光、彼を仲介として鬼の宝を掠め取ってやろうという魂胆です。
が、そんな浅ましい人間の企みがそうそう巧くいく筈もありません。
「お茶取って来るのにどれだけの時間を!
って」
夜の中に響く、歳若い少女特有の高くて少し舌足らずな声。
「これは一体、どういう事かしら」
現れたのは空飛ぶ天狗の美少女、射命丸文。鴉から成ったばかりの幼い天狗でありながらその高い能力を買われ、男、頼光の付き人となる様に鬼から直接の命を受ける程の天才美少女です。更にはその明晰な頭脳で以って即座に男の正体を見破り、それを利用して現時点では彼の飼い主ともなっていました。
「お使いもまともに出来ないどころか、人間を三人も勝手に山へ入れるなんて。とんだ駄犬ね」
これは一からしっかり調教してやらないと。声こそ静かに落ち着いていながらも、高い位置から重く冷たい視線を突き刺す美少女。
しかしそんな怒れる飼い主を前にして、何故だか駄犬は謝りもしなければ怯えも見せません。
「るっさいぞ天狗の餓鬼ん子っ」
そしてあろう事か立場をわきまえぬこんな暴言まで。飼い犬に手を噛まれるとは正にこの事です。
「へえ、随分強気ねえ」
美少女は目を細めます。その視界に入る四人の人間。何故か調子こいてる男と、それからやけに鼻息の荒いおっさんに体格の良い爺さん。この三人は只の人間です。
が。
半分涙目でおろおろとしている青年一人。彼だけは違います。見た目もそうですが、その内から感じる確かな霊気。
「成る程。陰陽師一人仲間に加えたから、それでこんな強気になってる訳だ」
陰陽師。人間の身でありながら神秘の術に長けた、山師の男などとは違う正真正銘のゴーストスイーパー。妖怪退治の専門家です。
そんな危険人物を黙って山に入れるなんて。男のその行為、それは鬼達への反逆に相違無い。美少女はそう判断しました。
「これは星熊様達に報告しなくっちゃね」
「甘いな餓鬼ん子。そう簡単に行かせると思うか?」
「……あ?」
美少女の細く綺麗な眉が僅かに歪みました。
何でしょう、男のこの態度。まともな戦闘要員をたった一人連れて来ただけでもう勝ったつもりなのでしょうか。何を調子こいてるんでしょうか。天狗舐めてるんでしょうか。
「いいわ」
美少女が団扇を握るその手に力を籠めます。
「鬼神様達の手を煩わせる迄もない! 今この場で私が成敗してあげるっ」
途端、美少女の周りで強い風が吹き始めました。若輩とはいえ天狗は天狗。風を操るその力、相手はたかが人間の陰陽師が一人、もう僅かに退く気もありません。
「でもって駄犬! こいつら山から追い出したらあんたにはお仕置きよ!
服全部引っぺがして手足ふん縛った上で水浴び後の足拭き敷物代わりにでも使ってあげるわ!」
「望むところじゃあああっ!」
「望むのっ!?」
予想外の返事に思わず僅かに後退してしまう美少女。いつのまにそんな趣味を持ったのか。ちょと焦ります。
しかし声は犬のものではありませんでした。
「て言うかむしろお願いします! 踏んで下さい! その白くて細くてけれども何処か幼さを残した丸みも感じるその神業的造形のあんよ! それで以ってどうぞ儂の事を遠慮せずにっさあさあさあっ!」
声は鼻息の荒いおっさんのものでした。彼は欲望に血走った視線を、丈の短い着物から伸びる美少女の脚に向けてきています。
彼女は宙に浮いています。なので男達よりも位置的に高い所にいます。そしてその周囲には今、強い風が吹いているのです。ついでに言えばこの時代、スパッツだとかブルマだとかその下だとか、そんな気の利いた物が存在する筈もありません。つまり。
「もっ、もうちょっと、あともうちょっとでっ」
「っちょ駄犬!? 何この人間は、ってちょっとヤダこっち見んな!」
悲鳴を上げて腰を抑える美少女。強風に阻まれながらもその足元に何とか潜り込もうとする充血した目のおっさん。
「おっさん、あんた節操ってもんがないのか!?」
その余りにも犯罪的な光景を前に、堪らず男がツッコミを入れます。
男もおっさんも好色は一緒。けれど男は十八歳未満の幼女には手を出しません。十八歳以上だと言い張る幼女にも手を出しません。とても話の判る良い奴です。
「あんな子供に何やってんだよ! 見た目で言や親子以上に離れてんじゃねえかっ」
「親子以上とは失礼な! うちの妹紅ちゃんが正にあの娘と同じ位の可愛い盛りじゃっ」
「子供と同い歳に欲情すんなよっ。あんた子供が家に友達連れて来たら一々それに色目使うのかよっ」
「当然じゃろっ!」
同じ人間同士。同じ色好きの漢同士。けれども二人は判り合えません。とても悲しい事ですがこれも人間のサガです。どうしようもありません。戦争だってこうして泥沼化していくものなんです。
そうした対立する二者間の無益な争いを止める一番の良い方法、それは。
「もうっ、許さない」
圧倒的且つ無慈悲な戦力を持つ第三勢力による武力介入です。
低く殺気の籠もった美少女の声。それを前に漢の欲望が許される限度範囲についての議論はぴたりと止まりました。
「っつー訳で、先生、後は頼みましたよっと」
そう言って自分はさっさと後方に隠れる男と、速やかにそれに続くおっさん爺さん。
代わりに瞬時にして矢面に立たされる青年一人。
「えっ。え、その、えっ?」
急な事で頭も追い付かないのか、慌てて懐からお札を取り出してあれこれ呪文なんぞを唱え始めます。
が、その余りの暢気さ、あらゆる妖怪の中で最も速さに長けた天狗を目の前に余りにも無防備。
「遅いっ」
黙って待っている義理は無い。容赦も躊躇も無く美少女はその手にした団扇を振るいます。
「へ」
突風一陣。それも一瞬の事。小さな声一つだけを残し、可哀想な陰陽師は夜の彼方に吹き飛ばされていきました。
「え」
「嘘」
「もう終わり?」
残された人間三人。揃って目を丸くした同じ様な顔で青年の吹き飛ばされた先を見詰めています。
都でも評判の陰陽師。彼ら三人が信用していた最大戦力。
それが一撃です。一瞬です。戦いと言える程の戦いにすらなっていません。
「さて」
夜に響く美少女の声。仲良く一斉にびくんと飛び跳ねる三つの背中。
「っちょ射命丸さん何か勘違いしてるみたいッスけど僕ぁ怪しげな侵入者どもを見付けたんで引っ捕らえて星熊様達の所に連行するその真っ最中ってだけであってですね!
何かお互いちょとした誤解があったみたいッスけどそれもこうして無事解決した訳ッスしね!
その物騒な団扇はしまってここは平和的に会話による相互理解の道をですねっ!?」
「そうじゃそうじゃあ! そんな団扇で一発で味気なくだなんて、どうせやるんだったらその綺麗な脚で踏んだり蹴ったり踏んだり蹴ったりお願いしますううう!」
「いや素晴らしいっ! その力を私と共に正義の為に振るってみようとは思いませんかっ!? ね、だからここはまず落ち着いて話し合いましょうっ!?」
美少女は何も答えません。口を閉じたまま満面の笑顔を見せます。
そうしてその笑顔のまま、陰陽師を一撃で葬ったその団扇を高く掲げ。
「っきゃ」
小さな叫び声。振り下ろされる事なく地に落ちる団扇。
そしてそこに刺さった飛苦無一本。
「何奴」
苦無の飛んで来た先に美少女が目を遣ります。睨むは宙に浮いてる彼女よりも更に上、夜空の真ん中で大きなお月様を背に負っている一人の少女。
「す、げえ」
男の口から思わず感嘆の声が漏れました。
月光に輝く金色の髪、まるで陶磁器の様に白く冷たい肌の色。明らかにこの国の人間ではない、いえ、それどころかこの世のものとすら思えません。
その証拠、少女の背中から生える、髪の毛と同じく金に輝く大きな尻尾。しかもそれが九本。
「九尾っ。それも、金毛白面!?」
驚愕の声と共に美少女が固まりました。
が。
「何故こんな所に現れたか知らないけど」
戦闘の真っ最中にいつ迄も呆けた姿勢を晒しているほど彼女は抜けてはいません。瞬時に地に降り打ち落とされた団扇を回収し。
「今の私の力では分が悪い」
相手と自分の力量差を考えられぬ馬鹿でもありません。一言を残し、そのまま美少女は夜の中へ飛んで消えて行きました。
そんな彼女を追いかけることもせず、その姿が完全に見えなくなったのを確認して後、ふう、と、金髪の少女は小さく息をつきました。
「ありがとございますお姉さんー! 良かったらお礼にこれから食事でもどうッスかーっ!?」
「お名前とご住所と、それともし宜しければ服を着る時は何を何処からどういう順番でかというのを具体的な描写も交えて詳しくーっ!?」
男の欲求に忠実な二人がつい先程までの死地も何処吹く風といった具合で手を振ってきます。
が、金髪の少女はそれに応える事もなく、その姿も月の光の中に溶ける様にして消え失せてしまいました。
と、その直後。
「おおっい、皆さーん」
声が聞こえてきました。三人が一斉に顔を向けます。
元気な声と爽やかな笑顔で手を振り走ってくるのは、つい先ほど天狗の美少女に飛ばされ夜の彼方に消え去った筈の陰陽師。
何だか物凄く良いタイミングです。それにとても良い笑顔です。
「無事だったのか晴明!」
「まったく、もう駄目かと思いましたよ」
男と爺さんが、背を叩き肩を叩きの少々手荒い喜びの表現で陰陽師を迎えました。
「ええ。今の、あの不思議な女の人が助けてくれたんですよ」
そう言って夜空を見上げる陰陽師。その見た目、傷の一つどころか服に目立った汚れすらも見えません。
彼女は一体何者だったのだろう。遠い目をしてそんな事を呟く青年。そんな彼を。
「のお、晴明君」
色親父が何かいやに熱の籠もった目で見詰めてきていました。
「君、さっきの娘と何処となく似てない? 雰囲気とか匂いとか」
「や! やだなあ不比等様。そんな、僕があの人と似てるだなんて、雰囲気とか、匂いとか。
……って匂い!? さっきのあの状況で匂いとか判るんですか!?」
「うん。匂い。あのね、さっきの脚の綺麗なお嬢ちゃんから漂ってきた元気に飛び回る子供特有のちょっと汗の滲んだ少しすっぱくてでも柔らかい良い匂いと違っての、こう冷たいんだけど微かに鼻の奥をくすぐるくすぐったさと異国情緒漂うお香っぽい感じとが混ざった良い匂いがしたんじゃが、それと何か似た様な感じを晴明君からも受ける様な気がすると言うか、ね? 晴明君、確認の為に良かったらちょっと服脱いでこう直にその匂いを堪能させてもらえないかのお」
自分の身体を抱く様にして後じさる美青年とそれに鼻息荒く迫る初老のおっさん。
「あんた本当に節操ないのな」
女同士ならまだしも男同士はマジ勘弁。男は呆れた息を吐きました。
それにしても、です。
人間ではとても敵わない相手が出てきた。訓練された専門家の人間が立ち向かった。あっさりやられて行方不明になった。謎の人外が出てきて敵を追っ払ってくれた。その人外が消えると同時に行方不明になった奴が戻って来た。「良かったよ!」喜ぶ仲間その一と「怪しいな?」訝しむ仲間その二。
傍から見ていれば余りにも判り易い話ですね。昔からのお約束、様式美と言われるものです。
そうなんです。そこに何の捻りもありはしませんし、入れる必要もありません。当然の如く。
◆
「先輩、どうもご無沙汰です」
そう言って少女はぺこりと頭を下げました。
金色の髪、白色の肌。顔立ちにしろ髪の色にしろ日本人離れしたその容貌。
「あっら、やだあ久し振り!」
先輩と呼ばれた方、少女と比べればはっきりと歳が高いその見た目、二十代後半以降の、立派な大人女性といった風の印象を受けます。髪は真っ黒でこちらは如何にも良い所のご婦人といった感じの和風美人。
彼女は嬉しそうに手を叩き、長いこと音信不通になっていた後輩との再会を喜びました。
「心配したのよお。色々怖い噂も聞こえてきてたし、もしかしたら本当にタマちゃん死んじゃったんじゃあないかって」
「その節は本当に、ご心配をおかけしてしまって。ちょっとまあ、向こうで色々とありまして、それで先輩の所に顔を出すのがこんなに遅れてしまい……。
本当、申し訳ないですっ」
綺麗に腰を九十度にして頭を下げてくる後輩の前、いいのいいの、と気軽に笑いながら先輩の女性は手を振ります。
「タマちゃんが無事だってのが判ればそれで充分。
にしても、相変わらず礼儀正しいわねえ。その先輩っていうのもまだ言ってるし。
クーちゃんで良いって言ってるじゃないのぅ。って言うか実年齢で言えば下手したらタマちゃんの方が上じゃない?」
「先輩は先輩ですよ。私は後からこの国に来た身分なんですから、歳がどうこう言う以前、先から住んでいる先輩に敬意を払うのは当然です」
本当にお堅い。そう言ってまた笑う、いい年した外見で自称クーちゃんとか言えちゃうその女性と、すみません、そう言いながら少し照れた様なはにかみ顔を見せるタマちゃんと呼ばれ少女。
どちらもその姿形は美しい人間そのものです。
ただその頭と、その腰、余りにも判り易い人外の証が見て取れました。獣の耳と獣の尻尾。いわゆる獣っ娘です。クーちゃんは娘ではありませんが。
タマちゃんは元々の顔立ちが愛らしいという事もあり、何だかイベントのコスプレみたいでとても愛らしいです。カメラで写真に撮りたくなる感じです。
クーちゃんの方は見た目が大人の妖艶な女性と言う事もあり、何だかお店のコスプレみたいで美人だし似合ってない訳ではないのですがちょとコメントしづらいです。カメラはカメラでもビデオカメラの前に立つ事が多そうな感じです。
勿論この当時に青少年向けだろうとそれ系のお店であろうとケモ耳コスプレなんてものが在る筈もありません。どちらも本物。
二人は狐の妖怪、いわゆる妖狐なのでした。
タマちゃんと呼ばれる金髪の少女。彼女はその外見の通り日本の生まれではありませんでした。海の向こう、大陸の出身です。
彼女は妖狐の中でも最も力のある九尾の狐でありながらその性質はとても穏やかで、決して人を襲ったりはせずに、むしろその力で以って人間を助ける珍しい妖怪でした。
けれどもそんな彼女にも只一つ、悪い所がありました。
それは運です。彼女は非常に運が悪かったのです。
彼女は成るたけ多くの人々を助ける為、病や怪我に苦しむ人間の多い所に出向いてはそこで力を振るっていました。また彼女は妖狐一般に通じる特徴として非常に見目麗しき少女でもありました。
さて、病人怪我人が多い地域というのはそれだけ衛生状況や治安が悪い、言うなれば政情が不安定になっている地域という事になります。
そんな所に不思議な力を使う美しい少女が現れた。評判はたちまちに広まります。お偉いさんの耳にも当然入ります。するとどうなるか。
当然「はいそうですか」と放って置かれるなんて事はあり得ません。権力の座に在る者が色を好むのは世の常、少女は強引に権力者の下へ連れ込まれその傍らに置かれる様になります。
そうして目の当たりにする人外の能力とその美しさ、まともな国政運営能力も持たないボンクラはあっと言う間に骨抜きへ。自分にはやる事がある、そう言って帰りたがる少女のご機嫌を取ろうと、望まれてもないのに無駄金をつぎ込んで贅の限りを用意する。
元々政情不安の上にこんな暴挙、周囲の人間がいつ迄も我慢できる筈もありません。あれよあれよの内に気付けば勃発クーデター。
少女自身の想いとは裏腹に、彼女の存在によって国は大混乱へと陥ってしまうのです。
生来のお人好し巻き込まれ型キャラでありながら、そんなこんなで何故だか国を傾ける羽目になること計三回。
事ここ迄に至っては流石に地元にも居辛くなり、海の向こうへ新天地を求めて遣唐使の船に紛れ込んだのでした。早い話が夜逃げです。引越し屋さんのチラシの隅っこで再出発プランとか書かれてるアレみたいな感じです。私服スタッフが無記名トラックでお伺いします。深夜早朝も承ります。ご近所に引越しとは気付かれません。
そうしてやって来た我が国日本。元よりこの国に住む先輩妖狐から、目立たず平凡が一番、そんなアドバイスも受けて心機一転、まずは赤子に変身して子供の居ない夫婦に拾われ、そこでごく普通の人間として平凡な人生を送ろう、そう彼女は決意しました。
が、髪の色こそ黒に合わせたもののオリエンタルな見た目の美しさそのものは変える事も出来ず、狭い日本、結局彼女の存在は時の権力者の耳に届きその元へ召抱えられる事になってしまいました。
さて、ここからが巻き込まれ型不運キャラの真骨頂。
彼女が召抱えられたのとほぼ同時、そのお偉いさんは重い病に罹ってしまいました。当時の人間ではとても治せぬその難病、けれども妖狐である自分なら。望まぬ殿上に上がってしまったその途端にこの状況。これも運命と思い彼女は密かにその力で以って病の治療に当たりました。
で、その様子を運悪く他の人間に見られてしまったのです。しかもその際の彼女、力を治癒に向ける為に変化の術は解いて見事に金髪狐耳に狐尻尾×9。
目撃した人は見事に大誤解。病を治している、ではなく、人間に化けた狐が妖しげな術で病を引き起こしている、そう思ってしまったのです。時期としても彼女が来たのと発病がほぼ同時期ですし。まあ、それは運の悪い只の偶然だったんですがね。
誰も自分の事を知らない土地で新しい人生を。そう考えていた筈が何故だかこうしてまた人から追われる身に。
相手が九尾の狐という事で人間達も通常の兵に陰陽師まで加えた大軍勢で以って彼女を追ってきます。それだけの戦力が相手、本気で戦えば何とかなりもしましょうが、人を傷付ける事に躊躇いのある彼女は幻術を駆使しながら取り敢えず逃げの一手。けれどもやがては東北の地に追い詰められる事となってしまいました。
下手に反撃をする訳にもいかず、敵司令官の夢枕に立って講和を申し立てるも敢え無く却下。ついには人間達の手により彼女は殺され、しかしその怨念は殺生石という名の毒を吐く石となって残ったのでした。
「って言うのが私の聞いた噂だったんだけど。ねえタマちゃん、そっからどうやって逃げ出したのよ」
「いえ、言ってしまえば拍子抜けする位に簡単な話なんですけどね」
彼女の怨念が変化したと言われる殺生石、しかしながらそれは山に幾らでも転がっている只の溶岩でした。早い話が変わり身。少年漫画の忍者モノでは基本中の基本にして頻繁に使われててお話の緊迫感を削ってしまうアレです。
とどめの一撃を喰らう正にその瞬間、幻術で以って予め自身と似た形に加工しておいた溶岩と入れ替わったのです。幻術って便利ですよね。大概の強引な展開は「実は幻だったんだよッ!!」で説明つきますし。本当に便利です。て言うか現実的に考えても実際かなり怖ろしい攻撃とは思いますが。幻術師とかいうとどうも中途半端で逃走手段以外にはまるで役に立たない様な響きを感じてしまいがちですが、どうして中々、少なくとも力しか能の無い脳筋のどなたか達よりはよっぽど強力。
まあ、最速最強を誇る天狗には劣りますが。
「でもさあ、そんなの調べられたらすぐにばれちゃうんじゃないの? 相手には陰陽師だって居たんだし」
「そこはまあ、ちょっとした仕掛けと言いますか」
彼女はただ闇雲に逃げた訳ではありませんでした。彼女が最終決戦の地として選んだのは活火山。そうして自身を殺生石と入れ替えるその際に山の地脈をほんの僅かに刺激、硫化水素等の有毒ガスが発生し易い様に細工を施したのです。
「これなら人間がまともに石へ近付いて調べる事も出来ませんし、それに何より、殺された妖狐の怨念が毒を吐く、という、いかにもそれらしい演出を見せる事で殺生石が本物だと信じ込ませる事が出来る。
ま、そんなところです」
そうして何とか人間の手から逃れはしたものの負った傷は深い。
そんな彼女を助けたのは一人の妖怪少女でした。彼女は非常に強力な結界術の使い手であり、外界から隔離された異空間を作ってそこで九尾の少女が傷を癒すまで匿ってくれる事となって。
「でまあその際、彼女から是非とも式になってくれって、そう勧誘されたんですけどねえ」
「式って、妖怪が妖怪を式神に? それも金毛白面九尾の狐を!?
また滅っ茶苦茶言うわね、そいつ」
結界の妖怪は日本中から強力な妖怪を集めているという事でした。そんな事をして一体何をするつもりなのか、まさか四十七匹くらい集まったら太古の悪龍や西洋妖怪や宇宙妖怪とでも戦うつもりなのか。詳しい事は九尾の少女にも判りませんでしたが、とにかく彼女の力は境界の妖怪にとって非常に魅力的に写った様で、かなり強力に式になるよう迫られたのでした。
が。
「断っちゃったんだ」
「断っちゃったんです」
「ま、式になると力は上昇しても自由が無くなるしねえ」
「ええ、はい。恩義ある立場なのに本当、申し訳なかったのですが」
九尾の少女の願いは人として平穏な生活を送る事。式神として妖怪に仕えるという訳にもいきません。
そうして恩ある境界の妖怪に申し訳ないとは思いつつ半ば逃げる様にして東北を離れ、以前に世話になった先輩妖狐を頼りにこうして顔を出してみた訳なのですが。
「て言うかさあ、タマちゃんみたいな娘が一般人として平凡に生活とか無理だって」
極めてあっさりと人生の目標を否定されてしまいました。それはそうでしょう。人外の美少女にごく普通の生活を全うされてしまっては世の中の伝奇物がまともに立ち行かなくなってしまいます。狐なら狐らしく、春の次はまた春が良いとか何とか我侭を言ってもらわないと各方面の人達に結構深刻な影響が出かねません。背景その一で居てもらっては困るのです。
「無理なんでしょうか」
「無理。一般人としては」
「無理、ですか……」
「ただまあ、一般でない人間でなら」
「っと、言いますと」
微かに見えた光明一筋、目を輝かせて九尾の少女が飛び付きました。
「うちの子に憑くのよ」
「先輩のお子さんに、ですか?」
自称クーちゃんの先輩妖狐、彼女はかつて人間の男と恋に落ち、彼との間に子を成しました。けれどもそこは人と人ならざるものとの恋の常、幸せの時は長くも続かず彼女はその正体を知られ、幼い我が子とも離れ離れになる事を余儀なくされました。
そうして残されたその幼子、妖狐と人間のハーフである彼は生まれながらに強い霊力を持ち長じて陰陽師と成ったのですが。
「どうにも力の使い方が下手なのよねえ。今の状態じゃ陰陽師全体で見ても並の上程度」
「悪くはない、と思うんですけど。それなら」
「この私の子よ? 悪くない、じゃあ駄目。当然の様に上の上であってもらわないと」
「はあ。それでしたら先輩がこっそりと顔を出して力の使い方を指導するとか」
「んもう。判っちゃないわねータマちゃんは」
首に加えて両腕も大仰にぶんぶんと振り回しクーちゃんは否定の意を示します。
彼女の言い分も尤もです。幼い頃に生き別れになった、それも化生の母親というものは、そう易々と子供の前に姿を現して良いものではないのです。息子が人生に悩み、彼女が出来て、でもその彼女にフィアンセが居て、しかもそのフィアンセが数年ぶりに再会した親友で、ついでに実は異父兄弟だったとかそこまで面倒に話がこじれる位までしないと母は顔を出してはならないのです。現状に今一満足できない程度の話でちょくちょく助け舟を出したりしていては盛り上がる話も盛り上がりません。て言うか満足してないのは本人ではなく母親の方なのですが、ともかく顔出しは状況を出来る限りに引っ張って引っ張って引っ張りきった後にのみようやく許されるのです。
まあ、世の中には満を持して送り込んだ息子の元へ二週間後には早速顔を出した母とか居たりもするんですが。
「そーいう訳でさあ、タマちゃんに憑いてもらってさ、力を引き出す手助けをしてもらいたいのよ」
「確かに先輩のお子さんなら半分は狐な訳ですし、融合して力を引き出すのも可能って言えば可能ですけど。
でも良いのかなあ、そういうの」
「親の私が良いって言ってるんだから良いんだって。
それにさ、うちの子陰陽師な訳だし、それなら融合したクーちゃんが幾ら力を使っても怪しまれないどころかむしろ評価上昇。
男だから今までみたく助平親父の魔手にもかからないし。多分」
「うーん」
顎に手を当てタマちゃんは考え込みます。
確かに彼女の美貌と能力では、また普通の人間に化けたところで結局はこれ迄と同じオチになるのは避けられないでしょう。
けれども陰陽師である先輩妖狐の息子に憑けば、普通の、ではありませんが、人間として一応の安定した生活は手に入るかも知れません。しかもそれが人助けにもなる、というのであれば。
「判りました。そのお話、引き受けさせてもらいます」
「ありがとー! クーちゃん大好きーっ!」
「っちょ先輩!?」
全身で喜びを表現して抱きついて来る先輩妖狐。少し困った様な、恥ずかしい様な、けれども確かな笑顔で以って九尾の少女は彼女を受け止めました。
他人の望みを否定し、落ち込んだところにこちらの要望を代案と称して提示してみせる。
交渉事に於ける、って言うかぶっちゃけ詐欺の初歩的な手法の一つでもありますね。
この九尾の少女、運だけが悪いと書きましたがちょっと訂正。どうも彼女、運に加えて少々要領も悪いみたいです。て言うか人が好すぎる。狐ですけど。
◆
「……――っつー訳で。
って、おい晴明、聞いてんのか」
「っは!? はいっ! じゃなくて、いえ、何でしょうっ」
「おい大丈夫か? まさかさっき吹っ飛ばされた時に頭でも」
「いえ、大丈夫です。はい」
どうにも頼りない陰陽師の青年の返答に、今一つ納得していない顔で頭を掻く山師の男。
昔の事を思い出していたら、どうもそちらに意識がいってしまっていた様です。陰陽師は少し頬を紅くして恥ずかしそうに額に手を当てました。
それにしても。彼は考えます。
今の思い出は、はてさて私のものであったか僕のものであったか。本来ある筈の境目がどうにもはっきりしなくなってきている。
これはまずい。彼女は僅かに下唇を噛みました。
彼女は、九尾の少女は彼、陰陽師の青年に取り憑いてはいますが、その本来の目的は彼の能力を引き出すその手助けをする事。現在の、人間の陰陽師としての生活はそれなりに気に入ってはいるのですが、かと言って青年の人生をまるごと奪おうなどとそんなつもりは毛頭ありません。時が来ればその身を離れ青年には自立してもらう、そう考えているのです。
けれども彼と彼女は長い間同化を続けている内、本来は完全に別物である筈の二つの意識が少しずつ混ざり合ってきてしまっていたのです。と言うよりむしろ、今の状態に至っては彼女の意識が完全に彼を喰って表に出てしまっています。天狗の美少女を追い払う為に九尾の力の一部を解放してしまったせいでしょう。
先程の様な力を振るえるのは後一度が限度。ここから先は人間の陰陽師として最低限まで力をセーブしていかねばなりません。正直、鬼を相手にそんな状況では余りにも辛すぎます。
とは言え。
「っつー訳で、うちで最大最強の戦力である晴明君ですがあ」
メンバー三人の前で声を張り上げている男の話を聞きながら、彼女はそれほど悲観もしていませんでした。
「見事に負けました。手も足も出ませんでした。瞬殺です」
そう。彼の言う通り、パーティーは本物の妖怪を相手に危うく全滅の危機に陥ったのです。
「んでもってあいつは実は小物中の小物。鬼にへーこらしてまるで頭が上がりませんっ」
小物中の小物は言い過ぎですけどね。それにあの天狗美少女にはまだまだ将来があるんですし。って言うかそんな小物にすらへーこらしてまるで頭の上がらないのは誰だったのでしょう。
まあ、それは兎も角。陰陽師は安堵の息をつきました。流石のかしまし男三人組もこれに懲りて大人しく山を降りて。
「という訳で鬼から秘宝を手に入れるにはもう今が最後の機会なんだよッ!!」
「なんだって――――!!」
夜の山に響き渡る陰陽師の高い声。何と言う事でしょう。漢達の胸に燃ゆる熱き炎はその勢いを僅かにも損なってはいませんでした。
「どういう理論展開を踏んだらそんな結論に至るんです!? 今さっき天狗の子を相手に手も足も出ず全滅しかけたばっかりじゃあないですかっ」
「だからこそだよ、晴明君」
青年の肩にぽんと手が置かれます。元々渋い顔を更に渋くして正義の爺さんは言いました。
「あれ程の小さな子供があそこ迄の力。あんな怖ろしいものを放っておく訳にはいきません。その為の力を手にする数少ない機会、みすみす逃す訳にはいかないでしょうっ!」
「そうじゃぞ晴明君!」
今度は助平親父です。真っ直ぐに青年の瞳を見詰めてきます。顔が近いです。両手で以って手も握ってきます。何かすりすりしてきます。先輩妖狐は男なら助平親父の魔手にかからないとか言っていましたが現実はそうでもないみたいです。
「天狗ってもっとこう、顔真っ赤で鼻高ないかついおっさんとか後は二足歩行の鴉面とかそんなの想像してたけど実際の所あんなちっちゃくて可愛い女の子だったんじゃぞ? 脚とかもうすっごく細くてすべすべしてそうだったじゃろっ? この調子なら鬼だってどんなプリプリでぷにぷにな娘っ子だか判らんじゃろっ? それを見ずに嗅がずに触らずに舐めずに帰れとか漢としてそりゃちょっといくら何でもあんまりじゃろうっ!?」
「ま、という訳だ」
いい歳こいて涙と鼻水でぐっちゃになった顔を押し付けてくるおっさんの背中から、最後に山師の男が口を挟んできました。
「あの餓鬼ん子が鬼達に俺の事を報告しちまったら、もうその時点で全てがおじゃん。
だからな、その前に即行で山を登って宝を頂いて即逃げる。それしか無い。時間も無い」
「って言うか、もう既に報告が済んだとかそうは考えないんですか」
「大丈夫。多分きっとまだ大丈夫。ま、もし鬼の所に行ってやばそうな空気だったら、そん時は宝は諦めて即逃げれば良いんだし」
人生前向き思考が大物の秘訣。そう言って男は豪快に笑います。
嗚呼、何という酷い勘違いなのでしょうか。
真の大物というのは常に将来に於ける最悪の事態を何通りも意識し、それに対しての十全な備えを保ち続けられるよう努めるものです。そこ迄の事をしてようやっと、前向きなんて言葉は使えるのです。
男のそれは前向きではなく、単なる根拠の無い楽観。きっと男は、現代に生まれれば教習所のKYTで「信号の無い交差点ではマッハ全開大胆不敵フルスロットル」を選択して教官に悲しい目をさせてしまう事でしょう。教習所のシミュレーションとスリルドライブを混同するタイプです。当てるのがむしろ通の楽しみ方とか言い出しかねません。て言うか「危険予知トレーニング」を略してKYTと言うのは日本語英語どっちつかずで何だか切なくなってしまいます。日本放送協会は素直に日放協と略すればもっと放送料も集まると思います。もしくはJNRみたくJBCにでも。
「即逃げるって、言って逃げられる様な相手でもないでしょうにっ」
根拠の無い自信に満ち満ちている男に向かって、それでも陰陽師は泣き付きます。そうですよね。大魔王から逃げられないのは皆が知ってる世界の常識です。そんな事も知らないでいると、いざという時に偉い人から失笑をかったりしてしまいます。
「大丈夫。何とかなるってえ」
「具体的にその根拠を詳しくっ」
「取り敢えず話がややこしくならないよう、不比等のおっさんと篁の爺さん、それから晴明には近くで隠れててもらって、鬼の前には俺だけが出る。
な? これなら大丈夫だろ」
「天狗の子の報告が済んでたらどっちにしろ関係ないじゃないですかっ! 貴方反逆者扱いで即捕まりますよ!?」
「晴明、お前はちゃんっと二人を抑えててくれな? 特に篁の爺さんに下手に思想を語られた日にゃ俺達確実に全滅だし」
「だからそうなる前に帰りましょうようっ」
必死にすがる陰陽師の声も何処吹く風、男の自信は揺らぎはしません。今さっき手も足も出ずにやられかけたというのにこの態度。
その裏に在るのは結局、九尾の少女の存在でした。
絶体絶命のピンチを都合良く救ってくれる存在。そんなものを目にしたという経験が、何とかなるさ、そんな甘い男の考えの裏付けとなってしまっていたのでした。勉強できない喧嘩も弱い眼鏡君が、便利アイテム満載の猫型ロボットが家に来た途端イジメっ子に対してでかい態度をとるようになるのと同じ事です。
で、そういうお話のオチというのも、まぁこれ決まりきったものではあるのですが。
そこまで頭の回る様な自制心が在る連中ならばそもそも夜の山に入ったりもしません。
「という訳で急ぐぜ晴明!」
「お願い人の話を聞いてー!?」
意気揚々と死亡フラグを乱立させていく漢三人組に引きずられて行く可哀想な陰陽師、て言うか九尾の少女。言うこと成すことの悉くが裏目に出るその有様、正に巻き込まれ型不幸キャラの鏡です。
住む場所を変えようと身分を偽ろうと、人の生まれ持ったサガというものは簡単には変わらないものなんですね。哀しい事です。人じゃないですけれど。
◆
「蓬莱の、玉の枝?」
お酒の臭いが混じった大きな息と共に、真っ赤な顔の幼女が怪訝そうな声を出しました。
「そ、そうッス。蓬莱の玉の枝。伊吹様達ならご存知でないかなーとか、もしかしたら現物を持ってたりしないかなー、とか」
全力の愛想笑い、九十度近くまで曲がった腰、無駄に動きの滑らかな揉み手。喜劇舞台の怪しい商人ぐらいしかやらないだろうという勢いの愉快何だか不愉快なんだか判らなくなる態度で男が幼女達にお伺いを立てていました。現実にここまで腰の低い人間を見たら話を聞く前に警察に電話する準備をした方が良いかも知れません。普通に気味が悪い。
でかい態度をとりながらも、やはり内心びくびくしながら戻った鬼の宴会場。けれどもそこに天狗美少女の姿は無く、巨乳も幼女も変わらぬ態度で男を迎ました。
こりゃ助かった、そしたらとにかく早い内に事を済ませて。そう思い早速話を切り出してはみたのですが。
「蓬莱のって、ありゃ確か月の連中が地上の人間に嫌がらせをする為に持ち込むってやつでしょ? 元は月の植物で、地上の権力者に渡すとその美しさが元で騒乱の種になるとか、確かそんな感じの。
そんなの私らが持ってるわけないじゃん。って言うかあんたら人間の方が詳しいんじゃないの?」
その外見に似合わず博識な所を見せる幼女。残念な事にどうも鬼は蓬莱の玉の枝は持っていないようです。
「ああ。そう言えば、風の噂で聞いたんだけどさあ」
そこにぽんと手を打って巨乳が話を挟んできました。
「何でもさ、今、都に居るらしいって。蓬莱の玉の枝を持った人間が」
「風の噂って天狗の流言飛語の事でしょう? 一体どこ迄が本当の事やら」
何か幼女がとても失礼な事を言っています。天狗の情報があること無いこと混じった当てにならないものだ、なんて話はきっと悪意ある第三機関が流した、それこそデマに過ぎない話なのです。天狗の情報は風の様に速く、そして明日を照らす朝日の如く確かな真実の輝きを放つものなのです。けれどもその正しさ故に悪意ある者から謂れなき非難を受けたりもするだけなのです。嗚呼、世界は哀しみで満ち溢れています。
「そッスか。持ってないッスか」
気落ちした様子で息を吐く男に向けて。
「お前さん、蓬莱の玉の枝が欲しいのかい」
巨乳が訊ねてきました。
「えっ。
あ、そッスね、僕ちょっと最近盆栽にはまってまして、それでまあ、音に聞く蓬莱の玉の枝がもし手に入ったら素敵かなーとか何とか」
蓬莱の玉の枝で盆栽。人間の常識でも妖怪の常識でもちょっとあり得ないレベルの苦しい言い訳です。が、そんな話にも巨乳は納得顔でうんうんと頷き、それならば、そう言って一つの案を出してきました。
「本物は無理だけどさ、模造品だったら河童に頼めば」
「河童でも流石に無理でしょ。蓬莱の玉の枝は」
そんな事を言ってくる幼女に対し、けれども巨乳は大きく首を振ります。勢い余って豊かな二つの膨らみも揺れます。抑えが無いっていうのは大変な事です。
て言うかこぼれそう。男は無言のままに唾を飲みました。この乳とももうすぐお別れ、軽く触れるくらいはしたかった。少し寂しい気持ちが彼の心の底に漂います。
「八ヶ岳の河童、あいつらの技術は侮れないって。特に谷カッパの河城、あそこで最近、数百年に一度っていう天才児が生まれたらしいし」
そこまで言うなら頼むだけ頼んでみれば良いか。巨乳の言葉に幼女も取り敢えずの納得を見せます。
それから幼女は男に向き直って言いました。
「どうせだしさ、他に欲しい物があったらついでに発注しておくけど」
「っは!? あっはい、もしできれば最後に吸わせて」
「吸うって、何を」
「いやじゃなくって! えと、そうッスね、何か、何でも良いから攻撃力の高い物を」
「了解。蓬莱の玉の枝、で、攻撃力の高い、と」
何はともあれ話は纏まりました。何だかあり得ない位にぽんぽんと男に都合よく話が進んでいきます。後はこの注文を八ヶ岳に住む河童に届けるだけです。その為に。
「あれ」
と、この時点になって幼女達は気付きました。
「あの天狗の子、何処に行ったのかしら」
「ひにょい!?」
またいい年こいた男が出すには余りにも気色悪い叫び。堅気の友人と行ったカラオケで「自分が知ってるので堅気に通じる流行り歌はこれしかないから」という理由で選んだのがキーの高いガールズポップだったかのような悲しくて痛々しい響き。一生懸命無理して出している裏声が哀しくも気持ち悪いです。しかもそういう時に限って画面に流れるのはOP+名場面画像。せっかく嫌な話題に触れられない様にしてたってのに。要らん気を使うなと叫びたくなります。
「あらほんと不思議あの子ってば何処にいっちゃったのかしらん僕にはもうさっぱり!?
ってか別に良いじゃないッスか! 別に今この場であいつがいなくても困る事なんかもう一切っ!」
「いや、八ヶ岳に注文持ってってもらうのにあの子の力を借りないと」
「だったらあの火の玉でぼばーんっと!?」
「ここまで細かい話が燐火だけで出来る訳もないでしょうに」
「そしましたらまた八ヶ岳から新しい天狗を呼んでっ」
「こっちに既に居るんだから無用の手間をかける事もないじゃない」
今この場で天狗の美少女に戻ってこられたら全てが終わり。どうかもう暫く何処かで時間を潰しててくれ。男は願います。
そんな男の心など露知らず、さっさと戻って来てくれればすぐに用も済んで楽なのに、幼女はそんな事を考え、そうして大きく息を吸い。
「お待たせしました。伊吹様、星熊様」
幼女が大声を出そうとしたその寸前、二つの願いの内、一つが叶い一つが破れました。
真打は遅れてやってくるのが世の常なのです。真っ暗な夜の山中から松明の炎が照らす宴会場にゆっくりと歩み出てきた美少女。その後ろには。
「ちょっと待って何あのでかさ!? 儂のお手てじゃ文字通り手に余りそうじゃよ!? しかも何そのお隣のけしからん格好したお嬢ちゃん! お着物がぼろぼろ腋が丸見えじゃない! 何てけしからん! もし宜しければ舐めるとまでは言いませんので匂いを嗅ぐだけで良いのでどうかどうかああっ!!」
「ええい汚らわしい妖怪どもめ! お前達の様な者がこの私にここ迄の仕打ち、覚悟は出来ているのでしょうね!」
「すみません~、捕まっちゃいました~……」
鼻息荒く目を血走らせているおっさん爺さんと半泣き顔で何度も頭を下げる陰陽師の青年。一番目のおっさんに比べて二番目の爺さんの個性主張が明らかに弱い気もしますがそれはそれ、ともかく三人仲良くお縄について美少女に引きずられていました。
「この者達は、そこの人間が」
見た目は子供、頭脳は(単純に歳を数えて人間と比較すれば)大人の美少女がやおら山師の男を指差します。
「鬼神様達に無断で夜の大江山へと立ち入らせたのです」
確たる証拠も無くただ報告のみを鬼へ持って行ったとして、そこは狡賢い人間の男、口先八寸で巧いこと言い逃れを計るかも知れない。て言うか、強敵が現れたから逃げ出して告げ口だけでハイ終わりだなんてそんな骨川さん的な役回り、美少女のプライドが許しません。
そこで彼女は、場を離脱したと見せかけて密かに人間達の後をつけ、男が鬼の前に出て残り三人が茂みに身を隠したその後、周囲に充分気を配り九尾が近くに居ない事を確認し、そうして背後から襲いかかり得意の速さを以って見事賊三人を捕らえこうして鬼達の前に動かぬ証拠として突き出す事に成功したのです。
勝てない敵は徹底的に避けつつ、隙を狙って確実に目的を達成する。幼いながらも見事な判断力と実行力です。感涙を禁じえません。卑怯とは言うまいね。
「どういう事かしらね、これ」
幼女の声のトーンが一気に下がりました。
それも当然。ここ数日で大分気軽になってきていたとはいえ、元々彼女は巨乳ほど男を信用してはいません。そこにきて妖怪の山に勝手に人間を入れるというその行い、しかも内一人は妖怪退治の専門家である陰陽師。
「あっれ~スンマセン何処のどちら様ッスかねえ? 僕にゃもうさっぱり」
「すみません~、捕まっちゃいました~。
って、思いっきりあんたに向かって言ってたわよね。さっき、そこの陰陽師君」
この馬鹿野郎。非難を籠めた視線を陰陽師に投げ付ける男。
「あっ。すみません、頼光様っ」
「だからそれをやめろっちゅーに!?」
「名前まで呼んだー。はいこれお知り合い確定」
悪意は微塵も無いのに国三つを傾けたうっかりっぷりは伊達ではありません。男の背中に突き刺さる幼女の豚を見るかのような視線が痛いです。
「い、いいのう……こんなちっちゃい女の子に、こう、侮蔑の視線で見下されるのってもうね、おじちゃんもうホントにもうねっ!?」
一部喜んでいる初老のおっさんも居たりしますが、男にはそんな趣味もそれだけの余裕もありません。
人外の美少女複数と一緒。でもちょっぴり怒ってるみたいだゾ☆ これならギャルゲで済みますが。
「いやその彼らは僕の友達でしてねっ! 鬼の皆様の豪力無双の程を聞いてもう憧れちゃって家来にして欲しいとかもうそんな感じでせがまれてせがまれて仕方なくですねっ!?」
豪力無双の鬼と一緒。でもちょっぴり怒ってるみたいだゾ☆ 死ぬには良い日ですね。
でも死ぬには良い日なんて死ぬまで無いというのがポリシーのこの男、必死に無理矢理に口を回して何とか言い逃れの言葉を吐き続けます。
「この私が妖怪なんぞの家来だと!? 巫山戯ないでもらいたいっ」
「ってこら爺さんこんな場面で余計な自己主張とかすんなよ!?」
無駄に台詞の多い助平親父の後ろで中途半端に個性の薄いキャラをやっていれば良かったのに、何故だかここに来てこの爺さん、キャラ立てを始めようと無駄に頑張り始めた模様です。空気読め、思わず男も文句を言いたくなります。空気読めと言う言葉が若者言葉っぽくて嫌だって言うのなら、あれです、遠く慮って下さい。意味としては大体同じだと思います。
「そう言やそいつ、さっき汚らわしい妖怪だなんだ言ってたっけ」
「その通り! 罪に穢れたお前達のその命、神に返しなさいっ」
もはやツッコミを入れる気力すらも無く泣き崩れる男の前、ここに来てようやくまともな出番のやって来た爺さんは調子に乗って弁舌を振るいます。よく居ますよね。自分で冷静だ真面目だと言いながら一度話し始めるとすぐに熱くなる人間。天狗の美少女に手も足も出なかったという過去を忘れるのは兎も角、縄に縛られて物理的に手も足も出ない現在くらいはしっかりと見詰めてほしいものです。
「最初っから怪しいとは思ってたけどさあ。
やっぱりか。勇儀に取り入って私ら油断させて、そんで騙まし討ち狙ってたか」
汚い、さすが人間汚い。酒を呑まされ泥酔した所に不意討ちを喰らって敗れたという祖父と父親。そんな話を思い出し、幼女のテンションが明るく楽しい酔っ払いから、かつて他の四天王と共に各地の妖怪の山へ山登りを仕掛けていた当時へと戻っていきます。レディースの人達もいつかはやんちゃな青春から卒業して素敵の大人の女性になります。が、路上で他人を全力のグーで殴った経験があるか否か、そんなたった一つの差だけで人間の戦闘能力はまるで違ったものとなるんです。
ましてやこれが鬼ならば。
「そんな、お前さん、まさか」
一方巨乳の方。その過去のせいか外見の割りにやけに擦れてる幼女と違い、純情乙女の巨乳は未だ信じられぬといった様相で男の顔を見詰めます。
「誤解ッス星熊様!」
叫ぶ男。けれどもこれ哀しい事、今も昔も男女の想いなんてものは戦闘潮流の前には意味も成さず。
「夜の山は妖の世界。そこに人が立ち入ったその意味。
理解はしてるな、覚悟は有るな」
もはや幼女にとっては、目の前の人間達は単なる敵に過ぎません。一切の慈悲も容赦も無く、全力を以って文字通り叩き潰すのみ。
「あ?」
男が奇妙な声を上げました。その視線、自分より背の低い幼女を見下ろしていた筈のそれは。
「あ」
おっさんが間抜けな声を上げました。視線は下向きから上向きへ、段々と高度を上げていき。
「ぁ……」
爺さんが声にならない声を上げました。今やその顔は完全に真上を向き、だらしなく口を開いたままにしています。
『己ら大江山に立ち入りし人間ども、悉く皆殺しにしてくれるっ』
聞こえてくるのは幼女の声。聞こえてくるのは遥か頭上から。
「あっはっはっはっは」
歳も趣味も思想も離れたかしまし男三人組。その三人が仲良く声を揃えて笑いました。笑うしかありませんでした。
「これどう思います? 不比等さんに篁さん」
「いや~良いんじゃないですかのう。大きいのにぺったんなままというのも風情があってこれはこれでいとをかし」
「いやしかし、流石は成長期といったところですな~はっはっは」
人間の身体は強烈な痛みを感じるとその機能を麻痺、要は気絶をさせて痛みから解放してくれます。凄いね、人体。
では精神的な過負荷がかかった時はどうか。同じく脳味噌がその機能を麻痺させて恐怖から開放してくれます。平たく言うと現実逃避。これは夢です。現実の自分はあったかいお布団の中に居るんです。もうすぐ目も覚めます。さあて、今日の朝ご飯は何かなー?
彼らの目の前、幼女が変身をしていました。大きくなっていました。と言っても小さな女の子がアダルトタッチに変身とかそういうデリケートに好きしたくなる様な感じではありません。
でかいんです。只々単純に大きいんです。幼女だけれど大きいんです。これぞ正に変身。着物も拡大しているのはお約束です。良心です。大人の事情です。女の子が腰蓑一丁って訳にもいきませんからね。世の中色々と難しいんです。
何はともあれそのでかさ。四十メートル位はあるでしょうか。
「あー成る程ねー。これなら山も五発で崩せるかー」
納得納得。男は満足そうに首を振りました。
勿論、納得した所で事態は一切好転しません。もはやこの状況、巨大合体ロボを出すか怪獣退治に使命をかけてる人を呼ぶか位しか対処法もありませんが、この当時にそんな便利なものがある訳ないのです。彼らはチェスや将棋でいう「詰み(チェック・メイト)」にはまったのでした。
現実とか明日とか勝機とか正気とか、色々なものを見失ってアハアハ笑い続ける三人組の真上、巨岩の如き幼女の右拳が叩き込まれました。哀れ無力な人間達は、ビルから落っことした汚らしいトマトの様に。
『……あ?』
と思いきや。幼女の顔が僅かに歪みます。何か硬いものを殴ったかの様な奇妙な感触。
何事か。ゆっくりと拳を上げます。そこに見えたのは。
「晴明……?」
すんでの所で死地を脱したショックに正気を揺り起こされたか、男が驚愕の声を上げました。彼の目の前、青年陰陽師の張った光の壁が巨幼女の一撃を防ぎきったのです。
「何じゃ、一体」
「今の一撃を?」
おっさんと爺さんも正気を取り戻したようです。と言うか取り戻してしまった、かも知れませんが。
目の前の不思議が信じられない三人組。何せこの陰陽師、将来性があるとはいえ今はまだ未熟である天狗美少女にさえ瞬殺された程度の腕前。それが本気を出した鬼の一撃を防ぐとは。
「おい晴め」
「優しさを失わないで下さい」
話しかけた男の言葉を遮り、唐突に陰陽師が語り始めました。
「弱い者をいたわり、互いに助け合い、何処の国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないで下さい。例えその気持ちが何百回裏切られようとも。
それが私の最後の願いです」
ここ迄の話の流れや、殺る気満々の敵が目の前に居るという現状、そうしたあれこれを全てうっちゃって急激な勢いで離別フラグを立てていきます。初めから一年四クール放送と判っていたのにシリーズ構成が巧くいかず大風呂敷広げ過ぎて収集に難儀してるテレビ番組の最終回みたいな勢いです。
けれども仕方がありません。今の彼には、彼女にはもう、力が残っていなかったのですから。
「あ、あんた」
男達の目の前、陰陽師は少しずつその姿を変えていきます。
金色の髪、真白な肌、そうして九本の大きな尻尾。
ここで力を使ってしまった以上、青年の人生を守る為、彼女は彼と別れねばなりません。
けれども最後に許されたその力、それで以ってせめてこの鬼だけは退けてみせる。強い決意と共に彼女は自ら抑えつけていたその力を解放していきます。
「あ?」
男が頓狂な声を上げました。その視線、自分達の目の前の陰陽師、いえ、九尾の少女へと真っ直ぐ向けられていた筈のそれは。
「あ」
おっさんが愉快な声を上げました。視線は段々と高度を上げていきます。九尾の少女が赤い光の玉となって宙に浮き上がっていくのです。けれども事はそれに収まらず。
「……」
爺さんは既に声を上げる気力も無いようです。光の玉は次第にその大きさを増していきます。形もまた、単なる球形から明らかに別の物へとそのシルエットを変えていきます。
「うそぉん」
男の口から気の抜けた声がこぼれました。涎も一緒にこぼれています。けれどもそれを拭う事もしません。そこまで頭が回りません。
彼らの頭上、巨幼女の目前に一匹の狐が現れていました。
ケモ耳ケモ尻尾の少女ではありません。四速歩行に突き出た鼻、顔のみが白毛、後は全身が金毛に覆われた完全な獣の姿。尻尾は九本。しかもその身体は幼女の巨躯に負けず劣らずの馬鹿でかさ。因みにこちらは服の一切を残してはいません。獣だから裸は当然です。そこに何の問題もありはしません。
『金毛白面九尾の狐か』
これは面白い。願ってもいない強敵の出現、しかも相手は自分と同じく日の本三大妖と謳われる掛け値なしの超大物。腕を打ち鳴らし巨幼女は不敵に笑いました。
喧嘩上等が鬼の生き様。三大妖、三大妖と仲良く横並びで扱われる状況に彼女は満足はしません。なればこれも良い機会。
『どっちの方が上か下か、白黒はっきり付けようじゃあないか!』
こうして今は昔の夜の山、世が世なら大勢の観客から観覧料を取れる程の無駄に豪華な二大怪獣大激突、その火蓋が切って落とされたのです。
◆
“キュウビ忍法
スイカ危うし!”
「颯爽と山に現れました伊吹萃香。今日の相手は、あ! 九尾です。
不思議な妖術を使います。金毛白面九尾!
おっと飛び込んでいきました伊吹萃香ですが、蠍の様な格好で、大きな尻尾を、前に振りかざしております九尾。
何とか飛び込もうという伊吹萃香ですが、この尻尾でかえって逆をつかれました跳ね返されましたっ。
ちょぉっと伊吹萃香も戦いにくそうです。
何っとか飛び込もうとしております。あまり敏捷な動きはありませんが、これが固い防御になっております九尾っ。
ああっと尻尾の一撃を喰いました。萃香が倒れる!
どーだザマを見ろという九尾。
おっ? ここで九尾がお得意の妖術分身の術を使いました!
さあ九尾の姿があちらこちらに見えます。伊吹萃香が九尾の本体の姿を探しています。
しかしっ、これだけっ、九尾の姿が、分かれておりますとちょっと伊吹萃香も本体の姿が探しにくい。
懸命に伊吹萃香が探しておりますが、中々見付かりません。
見当付けて飛び込んだ! おおっと違った!
今度はこっちか。
んんっこれは巧く相手の逆をつきました。相手の隙を誘いましたっ。
ようやく本体に飛び込みました伊吹萃香。拳打攻撃! 顔面に拳打の嵐を、浴びせます。
しかしこれを跳ね返しましたっ、九尾です」
手に持つは大きな巻物と河童謹製硯不要の不思議な筆一本。熱に浮かされたかの様に早口で喋りながら、それと同じ速さで以ってその内容を次々と書き込んでいきます。
お月様も間近の遥か高空、眼下に広がる怪獣大決戦を見下ろしながら天狗の美少女は、未だかつてない高揚感に突き動かされて一心不乱に筆を走らせ続けていました。
お腹の底、いえ、それよりももっと低く深い所から熱くむず痒い何かがゆっくりと身体を這い登ってくるこの感覚。思わず胸を掻き毟らずにいられません。湿った唇から吐き出される熱い空気。胸の鼓動が早い。吐息のリズムもどんどんと速くなります。身体中を流れる汗。けれどそれに微塵の不快も感じはしません。幼い頬を紅潮させ、大きな瞳を潤ませながら彼女は夜の中で未知の感覚に身を震わせました。
彼女は今まで記事を書くという行為に何の楽しみも見出せてはいませんでした。何故なのか。それは、記事を書きたいと心動かされる程の出来事、そうしたものに彼女は出会った事が無かったからなのです。それも当然でしょう。天狗の心を揺らす程の大事なんてものはそうそう起きはしないのですから。
けれども彼女は知りました。本物の大事件が天狗の記者魂に点けるその炎の熱さを。
そしてもう一つ。
面白い事件が起きないのであれば自分の手で以って起こせば良いのだという事を。
「闘え、萃香、九尾の狐。私の手の中で闘いなさい。
勝った者を、私が全身全霊をかけて記事にしてあげますよ……アッハッハ……!」
◆
大人の階段を登った天狗の美少女、そこから視線下ろして地上の山。
九尾の狐により間一髪の所を救われた人間三人組は、何とか拾ったその命を。
「どーっすんだよこれえええ!?」
あと少しで完全に手放す様な状況に陥っていました。男の泣き叫ぶ声とは無関係に、頭上では二大怪獣の死闘が繰り広げられています。
さて、ここに二頭の象さんが居たとします。その象さんが喧嘩を始めてしまったとしましょう。象さんは心優しい動物なんで喧嘩なんてしないよ、そう思う方も居るかも知れませんが、その辺は象さんにもきっと色々事情があるんです。大人なら察してあげましょう。周りから、あいつは優しい優しい言われてばっかりというのもストレスが溜まるものなんです。動物園の象さんだって人語を解せるなら結構酷い事を話してるかも知れませんよ。世の中夢も希望もありませんね。
兎も角、そうして喧嘩を始めてしまった象さん達。その足元に蟻さん達が住んでいたとします。
さて、蟻さん達はどうなるのでしょうか
要はそういう事でした。象さん達に悪気が一切無くっても足元の蟻さんは踏み潰される以外に何も出来ません。
って言うかこういう最終決戦的シチュエーションでは無力な仲間は結界で護るか安全な所に転移させるのが常道な訳なんですが、どうも九尾の狐、ドラマチックなノリにのっていたせいでうっかりその辺の事を忘れていた様です。
流石に何の悪さもせずに三国を傾けただけの事はあります。人間の常識レベルがまるで通用しないその見事なうっかりっぷり。人外の美少女でケモ耳ケモ尻尾付きで性格は真面目なんだけどちょっとおっちょこちょいだとか、どんだけ彼女は狙ったキャラ作りをしてるんでしょうか。
いえ、無自覚なんでしょうけどね。
無自覚だからこそこういう場面で致命的なうっかりをしてしまう。
「何でじゃあ! 何で獣姿なんじゃあ! でっかくても良いから女の子同士がくんずほぐれつポロリもあるよとかそーいうのを期待しておったのにいいいい!?」
おっさんは結構余裕のありそうな口振りですが、その置かれている状況自体は必死も必死。必ず死ぬと書いて必死。九尾の振った尻尾がぶつかって砕ける山肌、そこから無数に転がる岩の一個にでも当たればそれで極あっさりと人生ゲームオーバーです。特撮でさくさく壊されてるビルにも人が住んでるとか考えると結構本気で怖くなりますが、まあ大体そんな感じです。
「ふ、ふふふはは……。ちっぽけな、我ら人間などという生き物は何とちっぽけな存在か……。
これぞ神々の怒りか。こんな物の前では我々が何をしたって……うふふふふ……」
無駄なキャラ立て行為のせいで事態悪化の引き金を引いた正義の爺さんは、一足早く精神的にこの世とおさらばしかけていました。流石に人生の半分を地獄に浸かっていただけあって諦めが早いです。あと宗旨替えも速いです。今度は妖怪の力に神への畏怖を感じている様です。信念の人ってその信念を目の前でへし折ってやると切ないくらい簡単に膝を地面に付けちゃいますよね。
「何で俺がこんな目にー!」
世の不条理を嘆く男。彼は自分のその手で倒していった生還フラグの数なんて少しも覚えてはいないのでしょう。そもそも一番最初、鬼の存在を聞きながら無謀にも夜の大江山に立ち入った、その時点で男の運命は決していたのですから。
そんな彼がそれでもここまで生き延びてこられた、その唯一にして最大のフラグ。
「お前、さん」
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、一人茫然自失の体で立ち尽くす純情乙女巨乳。彼女に気に入られたからこそ男は、異邦人の身でありながらも妖怪の山で今日ここまで居られたのです。
まあ、気に入られたせいで逃げるタイミングを失っていたのも事実ですが。あとアルコール過剰摂取で悪意も無く殺されかけてますし。
「本当に、本当に私を騙して」
普段の豪放磊落が嘘のよう。泣きそうな瞳で見詰めてくるその姿、思わず男は逃げ回るのやめて足を止めてしまいました。
「いやそれはっ」
「違うって言うの!? だったらその証をっ」
「証、って言っても」
「何でも良いのよ。そう、あの時、私の事を好きだって言ってくれたあの時。何であんな事を言ってくれたのか、その時の素直な気持ちさえ教えてくれればっ!」
隙あり。
って言って飛び込もうと思ったけど実際隙なんて全く無くって、その場のノリで叫んだらああなりました。
などと素直に言える度胸は男に有りません。何せこの巨乳の拳骨、聞いていた話が本当であれば今暴れまわっている巨大幼女よりその破壊力は上。多分、痛みだとか何だとかそういった雑多なものを全て振り切って、ある意味精神的には無傷かと勘違いする位の勢いであの世に叩き込まれます。
「お前さん」
とは言え。
男は思い出します。彼女と初めて会った時の事。そうしてこの数日、一緒に過ごしてきた生活。
「お前さんっ」
相手は鬼。普通の人間なんか歯牙にもかからない程に強大な力を持った人外。人が怖れるべきもの。人が退治すべきもの。
けれども本当にそうなのか。男は自分自身に問いかけます。自分は本当に、彼女に対してそう感じていたのか。怖れ、倒すべき対象であると。
「お前さんっ!」
否。断じて否。素直に、そう素直に考えれば、その答えは。
彼はやっと理解しました。いえ、とっくの昔に理解していた事を思い出しました。今この場でそれを口にする決心がつきました。
人間である男が鬼の少女に好きと言った。これまで一緒に暮らしてきた。
「お」
その理由はたった一つ。とても判り易いもの。
「おっぱいが大好きだからああああああああああッッ!!!!」
時が止まりました。
巨乳だけではありません。
人生を諦めて泣き叫んでいたおっさん爺さんも、大地を揺らし山を崩しながら戦っていた二大怪獣も、遥か高空で筆を走らせていた美少女も、全てがぴたりとその時を止めました。
「判るかよ? おっぱいなんだよ!
平らなのにも需要があるって、そりゃ確かにそうだよ。無くても気にしないって、そう言って格好付ける奴が居るのも事実だよっ。
でもな? おっぱいだぞ! 胸だぞっ! 乳だぞ!?
大きけりゃ大きいでそれが最高じゃあないか! 少なくとも俺はそう思うんだよっ、漢としてそう思うんだよっ。
だってそうだろ!? 漢が漢として世に生まれ、最初に触れる異性、最初に触れる命の糧、それがおっぱいなんだぞ!?
おっぱいの大きさってのはそのまま、漢が生まれて初めて感じる恋慕と安堵の大きさなんだよっ!
だからだよっ。だから好きなんだよっ!
未だかつて見た事のない信じられないでかさのおっぱいっ。着物の内からこぼれんばかりの豊満なおっぱい! しかも僅かも垂れたりもせず張りのある鞠の如き綺麗なおっぱいっ!
そんなもんを見せ付けられたらもう、惚れるしかないじゃあないかああああああッ!!」
時の止まった世界の中、只一人吼え続けた漢。それは魂そのもの叫び声。漢のサガ。
そんな炎の言霊もやがては夜の静寂に飲み込まれ。
「ぷっ」
代わって一つの小さな音。それは愛らしい少女の声。
「くっ、ぷっふう、っぷ」
音は途切れ途切れながらも次第にその数を増していき。
「あっっっっはっはははははははっ!」
ついには大きな笑い声となって夜の山に響き渡りました。
「あー。何かやる気そがれた」
腰をくの字に折り曲げて笑う巨乳の横、いつの間にやら元のちびっ娘に戻った幼女の姿が在りました。
「ねえ勇儀。良いの? 女としてそれで」
どうにも不服そうな顔で見上げてくる幼女に、けれども巨乳は目尻に涙を溜めた笑い顔で応えます。
「良いさ。うん、その素直さたるや非常に良しっ! 改めて気に入ったよ、お前さん」
幼女の背中をばんばんと叩きながら、且つ空いたもう一方の手で苦しそうにお腹を抑えながら、それでも巨乳は笑顔で以って漢の告白に改めてYesを返しました。
「何じゃあ、これ」
「助かったの、ですか」
泣き叫んでいた残り二人の人間も、この不思議な空気に安堵の色を見出したのか、緊張も解け力なくその場にへたり込みました。
それを見届けて後、九尾の巨体が一瞬にして赤い球体に変化、そうしてそのまま夜の空の彼方へと飛び去りました。
同時に。
「あれ。僕は確か信太の森で赤い玉とぶつかって、それで……」
一人、何が何とも判らぬ様子で首を捻っている青年陰陽師。本来の晴明です。どうやら九尾の分離と共にその間の記憶を失った模様、何だか如何にも最終回っぽい台詞を口走っています。
何はともあれめでたしめでたし。騒動あれこれ巻き起こりはしましたがどうやら大団円を迎えられそうです。
「鬼の私にここまで言わせたんだ。約束してもらうよ? これからはずっと、私の事だけを見詰めてくれる?」
巨乳はゆっくりと男に歩み寄ります。
「ああ、勿論」
その言葉の通り、男は巨乳を真っ直ぐに見詰めます。本当にもう文字通りの意味で。
男と巨乳、二人の顔はゆっくりと近付き、やがて。
「頼光様~~っ!」
あと一歩のところで突然の黄色い声。
それも一つではありません。
「ご無事ですか~っ」「お怪我は!?」「及ばずながら助太刀にっ!」「お隠れになると言うのならば私のこの身もご一緒に!」
きゃいのきゃいのと女学生の遠足みたいに騒ぎながら夜の山を登ってきた人間の女が、何とこれまた十人ちょっと。幼女と九尾の争いに巻き込まれぬ様にと木っ端な魑魅魍魎どもが身を隠していたせいもありましょうが、それにしても一般人女子にここまで気軽に妖怪の山へと登られてしまうとは。鬼の統率能力に疑問を投げかけざるを得ない由々しき事態です。少年漫画のバトル物とは違い現実でトップに立つ者に必要とされる能力は腕力ではないのです。少しは天狗の組織力を見習うべきですね。
「っちょ皆や~だ、どーしたのこんな所へー?」
男は途端に気軽い顔と声とになって女の子達の元へ走り寄りました。
彼女らは英雄を騙った男が都に居る間、よく一緒に遊んだり呑んだりしていた女友達です。もちろん、友達だとか遊んだとかいって、別に一緒にお絵描きをしたりおままごとをしたりとかそういう仲ではありあません。て言うか、ある意味おままごとはやっているのかも知れませんが。とてもリアルな意味で。
まあ、いわゆるそういう関係です。関係を持っている、というご関係なのです。
「どうしたじゃないって」
「大将がまだ山に残ってるって噂で聞いて」
「そんな所にいきなり馬鹿でかい妖怪同士の喧嘩」
「心配になって、思い同じくする彼女達と共にここまで来たのですよ」
男の問いに応えたのは野太い四つの声。
「お前ら生きてたのか」
男の頭からも幼女や巨乳からも、その他の色々な所からも綺麗さっぱり忘れられていた、男の子分たる四天王の面々。
幼女に吹き飛ばされて見事に山から追い出された彼ら。一人鬼の前に残ったリーダーを、もう駄目だろうな、そう諦めてとぼとぼ都に戻ったのですが、そこで聞こえてきた噂一つ。曰く、彼らのリーダー頼光が鬼を調伏し大江山を支配したという。
もし本当ならばこりゃ凄い。確認の為に山へ向かおうと準備を整えていたその矢先、夜の山の上で突如繰り広げられる怪獣大決戦。四十メートル大の巨体が二つ、空を飛びながらガチンコかましているんです。高い建物の殆ど存在しないこの当時、その様子は都からも丸見えでした。
すわこれ一大事と、同じく男を心配する女友達を連れてこうして山まで乗り込んできた次第なのでした。
「ああでも、ご無事の様で何よりです」
出番の終わった脇役四人を押しのけて女の子達は男を囲みました。
「ご無事もご無事ぃ! あ、でもね、ちょおっとだけ怪我しちゃったかもお?」
「まあ大変! 一体どちらを」
「うーんとねえ、お腹の下の方、みたいな?」
「やっだあ、頼光様ってばー!」
「ホントだようホント? 嘘だと思うんならちょっと実際見てみてよ?」
「んもー、そーゆーのは都に帰ってからにしましょっ?」
「えええ? ひっさしぶりに皆と会ったんだしい、ね、ちょっとだけで良いからここでちゅっちゅしよ? ね?」
「やだー頼光様の変態ぃ♪」
「いいじゃん、ねっ! たまにはこうやって野外でも――」
「お前、さん?」
人間がミスをやらかす時というのは、さてどんな時なのでしょうか。
気の緩んでいる時でしょうか。いえ、リラックスしていると人間は存外ミスを起こさず良い成績が出せるものです。
ならば緊張している時でしょうか。いえ、動きが固くとも気が張っていればつまらないミスは犯しません。
ならば一番危ない時とは。
「あ。えーと」
ずうっと張り詰めていた緊張の糸が切れた正にその瞬間。落差というものこそが人の心を最も大きく揺さぶるのです。
背中に突き刺さったトーンの低い声。今のこの場が何処なのか、それを思い出した男がゆっくり振り向くそこには。
「そちらのお嬢さん方、どういったご関係かしらねえ」
文字通りの鬼の顔。
を予想していたところが意外と明るい笑顔の巨乳。
けれどもその笑顔が怖い。目尻とか口の端っことかが明らかに無理をしているという感じ丸出しで痙攣しています。どう控えめに見ても本気で笑ってなんかいません。
迂闊でした。余りに迂闊。誰が見てもそれと判るミステイク。男だって普段ならこんな馬鹿も晒しはしません。
が、人知を超えた圧倒的戦力同士の衝突、文字通り虫けらの様に踏み潰されそうになったその恐怖と緊張、それが途切れて一気に緩んだその心、久々に顔を合わせた女の子達を前に、ここが何処で今がどんな状況かも忘れてついつい都に居るのと同じノリで。
最後の最後に立ったグッドエンドフラグ、そこにぴしりと音立ててヒビが入ります。
「い、妹ッスよ妹! お兄ちゃんから離れられない甘えん坊な奴らでしてそのっ」
「何か十二人くらい居るけど。全部妹なの?」
「あ、いや、先生っつかお母さんかも。うん。お母さん!?」
「明らかにお前さんより年下の娘もいるけど」
「あーいや彼女こう見えても立派に十八歳以上でしてっ!?
って言うかともかく家族ッスよ家族! 血は繋がってないけどそれでも僕らは真の家族ッ!!」
最後の最後に来て最大最悪のミステイク。
嗚呼、彼は忘れてしまったのでしょうか。それとも端から理解していなかったのでしょうか。
つい先程の、普通の人間女性相手なら警察呼ばれて然るべき最低の告白が、それでも巨乳に通じたその理由。
『その素直さたるや非常に良しっ』
鬼は正直者を好みます。
そしてそれは、逆に言えば。
「この嘘つき野郎――――ッ!!」
純情乙女の涙の平手打ちが男の顔面に炸裂しました。
素直に男女の仲だって、そう言えば男の甲斐性だ何だとまだ巧くいく芽もあったのかも知れませんが、まあ何を言っても考えても後の祭り。
「こんちくしょおおおおおお!」
初恋破れ哀れ泣きながら巨乳は何処かに向かって走り去って行ってしまいました。
何をヒステリックな。そう思う殿方ももしかいらっしゃるかも知れませんが、実際問題、告白してきた方の相手がOKあげた直後に他の女と、それもこちらの目前で平気でイチャついてたら、流石にこっち黙ってはいられません。別に他の女と一切話をするなとか、そこ迄ヤンデレた話をする訳ではないのです。ただ時と場所と場合を考えて欲しい。どうも男の人はその辺のちょっとした気遣いが足りません。
その上見え透いた嘘で言い逃れまで図ったんですから、これはもう平手打ちで済んだのを感謝すべきものでしょう。
「ああっ勇儀!?
ちくしょーよくも勇儀を泣かしたなあ!? お前ら人間とはもう金輪際絶交だ――ッ!」
幼女もまた、泣きながら爆走する巨乳の背中を追って闇に消えていきました。
こうして人攫いと鬼退治とで成り立っていた筈の人間と鬼との信頼関係は完全に崩壊、彼女達は二度と再び人の世に姿を現さなくなったという事です。切ないお話ですね。これもまた、人のサガが起した悲劇なのでしょう。
まあ本音をぶっちゃけると、結構ありがたかったり何だりもするんですけどね。実際。
さてさて、運の良い事に平手打ち一発で済んだ男。妖怪の領域に勝手に踏み込んだという事で捕って食われても文句も言えない立場ながら、そこは純情巨乳の最後の仏心だったのでしょう。運の良い奴です。
ただ、まあ。
素手で9999のカンストダメージが叩き出せる者がどれだけ手加減しても限界はあるものでして。しかもこの時の巨乳、感情的になっていたものだから平手までで許してやったといえども、平手はきっちり叩き込んだ訳でして。普通の人間である男に。怪力が基本の鬼にあってわざわざ力の一字を冠する彼女が。ちょっと痛い程度の平手打ちを。彼女基準で言うところの。
それとついでに。
人間の体重というのは数十キロはあります。小ぶりの砲丸なんかよりは遥かに重い。そんな物が目にも止まらぬ速さで突っ込んできたらどうなるか。
十九世紀、英国のとある貴族の館でも似た様な事例があるのですが、まあ兎に角。
◆
「と、言う訳で以上。貴方達がこの場に至った経緯について、相違はありませんね」
閻魔の少女、四季映姫。彼女は溜め息をつきました。深く、本っ当に深く疲れた溜め息を。
閻魔大王に憧れ是非曲直庁の門を叩いてから幾年月、その間それこそ数え切れないくらいの死因を読み上げてきましたが、ここまで救い様も無く阿呆らしいものはついぞ見た事がありません。しかも三人同時。
「だってあの巨乳ッスよ!? 男なら手を出さない訳にはいかないじゃないッスか! かと言って他の女の子達を差別するのも男としてそりゃ駄目ッスし!
ああもう女って何でこー雰囲気だとかそんなのばっか気にしてこの燃える漢心を理解してくれないかな――ッ!?」
「そうじゃそうじゃ! そもそも儂はあれじゃぞ? 触っても揉んでも嗅いでも舐めてもいないんじゃぞ!? いや嗅ぐのはちょっとだけしたけどもッ!?
それにしたってこの仕打ちはあんまりじゃー儂が何をしたっていうんじゃああああ!」
欲に負けて妖怪の世界に侵入した。それだけで立派にアウトです。舐めるとか揉むとかそれ以前の問題です。いい歳して道理を理解しない大人達ですね。立ち入り禁止の場所というのは立ち入りが出来ない場所なのではありません。立ち入ると危険な場所なのです。
閻魔様は頭を抱えました。山師の男と助平親父。欲に走って色に惑いてその結果が見事にさよなら人生。それがまあ、本来は口の利けない筈の幽霊の身でありながら生前の意思が強過ぎるのか、神聖なる裁判の席でよくもこれだけ口が回るものです。
「篁もまあ、災難というか自業自得と言うか」
呟いて閻魔様はその視線を三人目の被告に移します。
死人の癖して元気よく騒ぎ立てる男とおっさんの二人からは少し離れた場所、隅っこで体育座りをしながらぶつぶつ何かを呟き続けています。こちらは良い感じに死人をしていますね。今すぐにでも自縛霊として路上デビューしても立派にやっていけそうです。
片腕である彼の死。流石にそれは閻魔様にとっても予想外ではありました。
とは言え元々が一日の半分を地獄で過ごす生活、しかも寿命も間近だったその老体。閻魔様としては彼の死後は正式に自分の下で雇うつもりでいましたので、言うなれば臨時雇いが正社員になるその時期が僅かに早まっただけとも取れます。更に言えば今回の一件で、正義の爺さんも全妖怪の駆除だなんて危険思想からは離れてくれるでしょう。
そう考えるならば閻魔様としてもこの案件はそれほど最悪という程のものでもありません。元気すぎる死人二人、彼らにしても常識と危機感と空気を読む能力が文字通り致命的に欠如していただけで悪意は無かったのですから、冥界送りにでもしてまた同じ程度の境遇の転生先を宛てがってやれば。
「堪忍ッスー! 悪気は無かったんスー! ただ僕は自分に正直に生きただけでえー!」
「あああもう! どうせ死ぬんじゃったら遠慮なんかするんじゃなかった! あの天狗の嬢ちゃんのすべすべしたあんよとか鬼のちびっ娘の全開の腋とか思う存分舐めたり嗅いだりすれば良かったあああああ!!」
「って良い加減に静かになさいっ!」
過ぎた欲望が原因で命を落としておきながら、閻魔王を前に相も変らぬ欲望の振り撒きっぷり。
「全く、貴方達は自分がここに来た理由を理解してないのかしら」
見た目が若いせいで舐められてるのかなあ。閻魔様は再び頭を抱えて疲れた溜め息を吐きました。
「はいスンマセン僕らってばお馬鹿なもんで何が良くて何が駄目なのか全然理解できてないんですー!」
「だもんで閻魔のお嬢ちゃん良かったらこんな愚かな儂らに手取り足取りナニ取りご指導ご鞭撻の程をッ!」
「ってうひゃあ!?」
彼女は別にその容姿のせいで舐められていた訳ではありませんでした。ただその容姿のせいで舐めたいと思われていただけだったのです。物理的な意味で。
「っちょやめなさい貴方達!? こんな事をしてると地獄にっ!」
「はい望むところッス! 僕こう見えて実は結構踏まれたり叩かれたりするのもいけるクチなんで閻魔様のその綺麗な脚や手にした棒でもう遠慮なく罪の苦さってぇもんをこの身に叩き込んでくださはあああい!?」
「地獄の鬼ってやっぱりあれかの? 地上の鬼みたく巨乳とかチビッ娘とかよりどりみどり? そんな娘達に朝も無く夜も無く踏まれ続けるとか、何もしかして地獄こそが儂らの求めた理想郷!?」
自分の境遇とか立場の違いとかそんな色々を全力で無視して閻魔様の細い身体に抱き付く無駄にライフエナジーに満ち満ちた死人二人。裁判所で裁判官にセクハラを働くとかもう、まともなニュースではなくて野球の珍プレー集みたいなノリでバラエティの笑いものにされるのがお似合いと言った愉快かつ不愉快な面白不祥事。しかも相手は間違った意味での確信犯。つまりは故意犯。地獄に落とされるのも覚悟の上というか、むしろ地獄で可愛い閻魔様に責められるのを望む真性の変態さん達です。叩けば叩くほど、罵れば罵るほど逆に喜びます。
「篁っ! ちょっと、助けて篁!?」
思わず助っ人を呼ぶ閻魔様。
ですが。
「……愛」
体育座りの正義さんが何だか面白い事を口走り始めました。
「閻魔である四季様を前にしながら、何も怯むことなくその想いを口にする。これは種族を超えた愛の一種なのか……」
「って何言ってるの篁ぁ!?」
「そう言えば大江山、荒ぶる神々の怒りを静めたのは頼光君の真摯な思いの籠もった言葉。あれもまた愛の起こした奇跡だったか」
「いや彼のは愛じゃなくて単なる欲情だから! って言うかそれのせいで篁も死んじゃったんでしょーに!?」
「そもそも私が小町の姿を隠したのも、あの子に容姿が原因で辛い思いをさせたくないと願ったが為これもまた愛!?」
「ええ? ちょっと何いきなり強引に人生のまとめに入ってるのっ?」
「そうか! 世界を照らす真実の輝き、それは即ち愛の光だったのですねッ!!」
その時でした。
眩いばかりの光の柱が正義の、いえ、愛と正義の爺さんに降り注いだのです。
「四季様! 私は今こそ真理を悟りました!」
ラーラールールーと何処からともなく流れる無駄に神々しいコーラスを背景に、正義に尽くし、そしてまた愛に目覚めた男の魂がゆっくりと天に昇っていきます。
人間が死ぬと、その先に用意されている道は三つあります。
一つは可もなし不可も無しの転生。生前の行いによって転生先のランクが決められ、悪ければトンボだとかオケラとかアメンボだとかにされる可能性もありますが、皆々生きている友達なんだからそれはそれで良しです。
二つ目は悪人が送られる更正教育施設の地獄。既に死んでいるのを良い事に死ぬ程の目を思う存分味わう事が出来ます。とは言え実際にここへ落とされる者はそう多くありません。それは閻魔様達の慈悲、という訳でもなく、人件費や設備維持費や施設の土地代などで無闇矢鱈とお金がかかるからです。世知辛い。
そして最後、何かを悟ってしまった変人達が成仏するその先、天界。無欲の暇人達が歌と踊りと酒桃限定で無限の暇を潰すという縛りプレイに興じる楽園です。勿論、地上にちょっかいをかけて、それで怒って乗り込んできた奴と戦って暇潰しだとか、そんな邪道に走るはしたない者なんて居る筈もありません。
正義に加えて愛も知った篁。彼はめでたくそんな素敵な天界に仲間入りする条件を満たしたのです。
「え。えーと。篁?」
そうして無事成仏して消えていった愛と正義の爺さん。突然の事に何が何だか、呆気に取られて宙を見詰める閻魔様。頼みの綱は何だかすっきり自己解決をしてしまったようです。蜘蛛の糸と違って何一つの掴む物も残さず、そりゃもう綺麗さっぱりと。
「邪魔者が居なくなったところでそろそろ個人指導をお願いしまーッス! もちろんその後にはご褒美あるいはお仕置きなんかもっ!?」
「閻魔様も天狗の嬢ちゃんに負けず劣らずの美脚じゃのー! ちょっと触っても良い? ね、ほんとにちょっと、触るだけだから!?」
そうして残された現実に目を向ければ、無駄に元気の有り余った亡者どもが腰に纏わり付いて離れないというこの諦観。
彼女の中で決定的な何かの切れる音が響きました。
「いいッッ加減にしろって言ってるでしょうがあああああああ!!」
瞬間、閻魔様の身体から裁きの光が迸りました。
「っちょ!? 少し削れた! 幽霊なのに少し削れたよオイ!?」
「ああんっどうせ折檻するなら閻魔様の手や足で直にお願いしたいのにい!」
攻撃判定が微妙に詐欺臭いそのレーザー。流石の変態二人も弾き飛ばされて愚痴をこぼします。
が。
閻魔様は答えません。レーザーの余剰熱を羽の様にしてその背中から放出しながら、血走った目でぜえはあ大きく肩を揺らして無言のまま。
彼女は思い出したのです。是非曲直庁に就職してからここ迄、先輩閻魔達から耳にタコが出来るくらい何度も聞かされてきた裁判に於ける絶対の鉄則。
被告の言う事に耳を貸すな。死人に口なし。
「判決! 両名とも転生! 冥界に行く必要も無しっ! 即・転・生!
そうしてもう二度と私の前に顔を出さない事ッ!!」
かくして愛に生き愛ゆえに死んだ二人の漢は、また新たなる人生を歩む事となったのです。
その後の彼らがどうなったのか。それは誰にも、閻魔様にも判りません。
一説によれば、もう二度と顔も見たくない、そんな閻魔様の思いが強過ぎたのでしょうか、冥界スルーの即転生ながら二人の魂は遠く時の離れた江戸の時代にまで飛ばされ、その魂もごっちゃになって一人の男児として生まれ変わり、前世の失敗を露とも省みずにまた色を追い求める人生に明け暮れ、仕舞いには女だらけの島が何だどうだとか漫画みたいな脳内妄想に取り憑かれて大人の玩具満載の船で以って大海原に出発、そのまま行方知れずになったそうです。
尤もそんな話も只の噂。実際の事は誰も知りません。はっきりしているのはたった一つの真実だけ。
男って哀しい生き物ですね。
◆
哀しみを背負って散っていった漢達、彼らにも当然家族は居ます。
「お父様、遅いね」
「ん。
そう、ね」
不比等の屋敷、そこでは娘の妹紅と舎人である阿礼が彼の帰りを待ちわびていました。幼い妹紅は未だ父の帰還を信じている様でしたが、阿礼の方は薄々と感付いていました。嗚呼、なるようになってしまったんだなあ、と。
「ひゅい」
突然でした。小さな声。他の家人のものではありません。小さな女の子の声。そんなものが突然、妹紅と阿礼、二人しか居ない筈の部屋に響いたのです。
「阿礼、あれ」
声のした方へと走り寄る妹紅。その先で一人の女の子が顔面から床に突っ込んでいました。年の頃は妹紅より更に幼く五つか六つといったところ。幼女というかもはや幼児。世が世なら園児です。
「げげっ、みつかった!?」
何も無い所ですっ転んで半べそかいていたその幼児。けれども妹紅が走り寄ってきたのを見て慌てて立ち上がって言いました。
「わ、わたしはたひかっはのかわしろにほり」
「ねえ阿礼! この子すっごいほっぺプニプニしてる! つつくときもちいよ!」
「おまえらふひひょひょいうにんへんおかんへいははな」
「凄い凄い! 引っ張ると伸びる!」
何かを一生懸命喋ろうとしている幼児ですがその頬を妹紅が玩具にしているものだから何を言っているのだかさっぱりです。
「ほらほら妹紅ちゃん。もうやめなさい。この子、何か言いたい事があるみたいだから」
童女同士のじゃれ合いというのは見ていて微笑ましいものではあるのですがどうにも話が進みません。取り敢えずは妹紅を幼児から引き離します。
て言うかあの助平親父がこの場に居たら、今の光景に対してもまた荒い鼻息で犯罪じみた事を口走るんだろうなあ。今は居ない主の顔を思い浮かべて阿礼は溜め息をつきました。幼児の見た目は園児並です。けれども不比等は女性限定の平等主義者、なので平気で手を出しかねません。
「ああもう、とにかくっ」
ようやく解放された幼児、流石に自分の身体を玩具にされて気分を害したか、少し乱暴に手にした包みを床に叩き付けました。
「ふひとってにんげんのかたみ、たしかにとどけたからねっ」
そこまでを言い終えたのと同時、音も無く幼児の姿が消え失せました。
「……やっぱり」
阿礼の顔が僅かに険しくなりました。一応は高級官人の屋敷であるここに忍び込んできた、その時点から怪しいと思ってはいましたが、今こうして目の前で姿を消す、その様子を見て確信しました。あの幼児は只者ではない。と言うより人間ですらない。
「きゃうん!」
ごいんと鈍い音一つ。それから小さな叫び声。そんな物が部屋の隅っこから聞こえてきました。まあ、人間ではないようですが怖れるべき相手でもないようです。それどころかむしろ心配になります。
「あの、良かったら屋敷の外まででも送りましょうか」
「あうぅ、おかまいなく」
阿礼の言葉に姿を隠したまま丁寧な返事を一つ、そのまま幼児の足音は遠くへと去って行きました。
見た目幼児とはいえそこは人外、姿を消すといった術も使えるようですし余計な心配も要らないのでしょうか。阿礼は小さく息をつきます。
それよりも。今心配するべきは。
「お父様ぁ」
幼児が置いていったのは不比等の形見。それが意味するところはつまり。
覚悟はしていた阿礼と違って幼い妹紅にはやはり辛い話でしょう。
勿論、阿礼だって悲しくない訳ではありません。
揺り籠から墓場まで、女性であれば自身の娘を含めて一切の差別をせずに色目を使っていた助平親父。しかしながらそんな彼も、唯一阿礼にだけは手を出しませんでした。
大事にしてくれていた、という事なのでしょうか。今となってはその真意も判りません。けれどもそんな事があったからこそ阿礼は、犯罪者すれすれの助平親父を、妖怪の山に特攻をかけて予想通り散った馬鹿親父を、それでも自業自得と笑うことは出来ませんでした。
涙をぼろぼろ流すほど悲しい訳ではありません。けれども胸にぽっかりと穴が空いたかの様な空虚感、そんなものが阿礼の心を締め付けます。
「そう言えば」
阿礼は思い出しました。旅立ちの直前、不比等が最後に立てた死亡フラグ。阿礼に残した手紙。万が一の事があった時に読んでほしい。そう託されたその手紙。
悲しい事に今がその万が一の時、不比等が一体何を伝えたかったのか、阿礼は手紙を紐解きました。
『阿礼君、この手紙を読んでいるという事は儂は既にこの世にはいないのだろう。けれども悔いは無い。儂は愛に生き愛に死んだ。それで満足じゃ。
けれどもたった一つ心残りがある。それは儂の可愛い妹紅ちゃんの事じゃ。あの子はまだ幼い。
そこで阿礼君、君に頼みがある。
君にこの儂、不比等の名と地位を受け継いでもらいたい。そうして妹紅の父となって、あの子を立派な大人の女性として育ててやってほしい。
無論、勝手なお願いである事は重々承知している。だがこれは君を漢と見込んでのお願いなのじゃ。
どうかこの爺の最期の我侭を叶えてやってほしい。宜しく頼む』
嗚呼、何という事でしょう。手紙を持つ阿礼の手が震えました。色に狂い色に溺れ死んだ助平親父、けれどもそんな彼の最後の願い、それは最愛の娘の幸せを願う父の想い。不比等の死を知っても流れなかった涙、今それが阿礼の目からぽろぽろと。
て言うか。
「あのおっさん何で私にだけ手を出さないのかと思えば男と勘違いしてたのかあああああ!?」
生まれたばかりの赤ん坊から墓場に入る直前の老人まで、ただ一点女性であると言う条件さえ満たせば全て平等に扱っていた節操無し。そんなおっさんが自分にだけは手を出さなかった。
性的魅力が無いのかも。そう不安に感じた事もあれど、いいえ、きっと自分の事を特別に、大切に思っているからに違いない。そう信じて今まで生きてきてみれば。
蓋を開ければやっぱり無かっただけでした。やっぱり。性的魅力が。そりゃもうさっぱりと。幼児どころか乳児に負ける位。て言うかむしろ男として余計な信頼感を持たれる位。ゼロじゃなくてマイナス。それも無駄にレベルが高い。
そりゃもう女として涙流して泣きたくもなります。
「あれ? 阿礼って女の人だったの?」
「って妹紅ちゃん何アレアレ言ってるの? 何純粋無垢な瞳で人の心を抉り取るような刃物みたいに尖った言葉吐き出しちゃってくれてるの? 妹紅ちゃんいつからそんな悪餓鬼になったの? ちっちゃな頃からか、ちっちゃな頃からなのかああああ!?」
「だってほら、阿礼って胸が平らだし」
「そゆこと言う? 妹紅ちゃんの胸でそゆこと言う!?」
「えー? だって私、阿礼と違って将来があるしー」
亡き主に託された幼子の未来、それを危うく自らの手で刈り取る寸前で阿礼は自身を押しとどめました。子供の言う事、子供の言う事なんだから真に受けない。そう何度も必死に己の心に言い聞かせます。
「それよりもさあ、ねえ阿礼。さっきの子が置いてったあれ、何だろう」
「ああうん。て言うか妹紅ちゃん結構切り替え早いのね」
「え? ああ、お父様の事だったらまあ。そりゃ悲しいけど、危ないって言われた所に忠告無視して突進して本当に危ない事になったって訳で、それは自業自得なんだしいつまでも引きずっててもー」
「ああうん。すっごい正論。すっごい正論なんだけどね。うん」
どうにも釈然としない気持ちを隠せない阿礼。
でもそれで良いんです。子供に正論吐かれると意味も無く腹が立ったりそんな自分に嫌悪したりするのは大人になった証拠です。主の真意を知り、哀しみを背負い、そうして少女は大人になったのです。幸せは誰かがきっと運んでくれるだとか、そんな戯言はもう微塵も信じてはいません。それで良いんです。て言うか現実に気付く時期は早ければ早いほど総合的に見れば人生にとってプラスですしね。
「はっ。良いですよもう。お蔭様で地位とお金は手に入りましたしねっ。男だろうと女だろうともうどうでも。はっ」
精神的デメリットを現実的メリットで押し潰す。そんな手段を覚えた阿礼が人外の幼児が置いていった包みを手にします。
「何、かしら」
中に入っていたのはどうも何かの木の枝、の様です。色とりどりの、まるで玉の様な不思議な物体が幾つも付いているその姿、博識を誇る阿礼もついぞ見た事がありません。
が、見た事はなくても聞いた事ならば。
「もしかして、これ」
そうして包み紙、その裏に書かれている文字。もはや間違いもありません。
「やっぱりこれ、蓬莱の弾の枝!
……弾?」
何かが違う気がします。一見同じに見えて何かが致命的に間違っている気がします。もう一度、まじまじと包み紙に書いてある文字を読んで見ます。
「蓬莱の、弾の、枝」
確かにそう書いてあります。けれども何かが釈然としません。もう一度、最初から最期まで一言一句も見逃さぬよう阿礼は目を細めました。
“光る! 弾ける! 蓬莱の弾の枝!”
(注意)
・蓬莱の弾の枝は屋外の広い所で遊んで下さい。
・危険ですので人に向けてはいけません。妖怪に向けてもいけません。
・小さなお子様がご使用の場合は保護者の方もご一緒でお願いします。
(遊び方)
枝を手に持って「蓬莱の弾の枝!」とカッコよく叫んでみよう!
「あれえ?」
阿礼は首を傾げます。輝夜が不比等に課した難題、それは蓬莱の玉の枝。そうして目の前に在るのは蓬莱の弾の枝。
何かが違っています。ロッテとロッチみたいな感じで。て言うか名前以前の色々な部分が根本的に間違っている気がしてなりません。
「何これ面白そう!」
けれど子供の食いつきは良いみたいです。やってみよう試してみよう、そうせがむ妹紅に引っ張られ阿礼は庭に下りました。
「蓬莱の~」
正直余りやる気も出ていません。とは言えすぐ横で目をキラキラさせてい妹紅。彼女の期待を無下にするのも気が引けます。高く掲げた枝を掴む手に僅かばかりの力を籠めて。
「弾の枝!」
叫んでみました。
途端。
「うわあ。綺麗っ」
妹紅が嬉しそうに手を叩きました。枝から無数の、七色に輝く光の弾が溢れ出して来たのです。
「ほんと、きれ――」
思わず阿礼も感嘆の息をこぼします。光の弾は虹色の川の様にゆっくりと流れ、やがては二人の正面向こう、庭の塀まで届き。
「――いいいいい!?」
そうしてその塀を粉々に吹き飛ばしました。
「ちょっと待ってこれ玩具じゃないの? 何この無駄に高い破壊力!?」
普通の人間が喰らえば確実に即死、妖怪相手でも充分なダメージが期待できそうなその威力。明らかに蓬莱の玉の枝とは別物としか思えません。例えて言うのなら玩具のエアガンが実弾を放てる様に改造された、ではなく可愛らしい熊のぬいぐるみが目から破壊光線を撃つようなもの。意味が判りません。何の必要性があるのでしょう。もしかしたら一種の暗器みたいな物なのでしょうか。ならば見た目と殺傷能力のギャップにも納得がいきます。
「と言う訳で阿礼、行ってらっしゃい」
「……はい?」
枝の使い道にあれこれ思考を巡らせて阿礼に向けて、唐突に妹紅が奇妙な事を言い出しました。
「あの、妹紅ちゃん、行ってらっしゃいって何処に」
「あの輝夜ってお姫様の所よ。阿礼はお父様になったんだから、その枝を持って行って結婚するんでしょ?」
確かにその通り。不比等の名と地位を受け継ぎ、こうして蓬莱の何ちゃらの枝も手に入れた以上、故人の遺志を受け継いで輝夜に求婚しに行くのは道理といえば道理です。ただ。
「あの、妹紅ちゃん。私、女なんだけど」
「頑張れお父様!」
自分は女だからお姫様と結婚は出来ないんだよー。そう言ったつもりが何故だが応援されてしまった阿礼。訳が判りません。この幼女は未だに阿礼の事を男だと信じているのでしょうか。それとも女同士もそれはそれで美味しいとかそう思っているのでしょうか。いずれにせよ中々に将来の楽しみな幼女です。
「ま、良いか」
諦めた様に阿礼は呟きました。取り敢えず輝夜の元には行こう。
とは言え勿論、彼女にはそっちの趣味もありません。ただ、思い付いたのです。蓬莱の弾の枝の有効な使い道が。
◆
平らな胸に短い髪。服装さえ整えればどうにか男には見えます。美少年。
それでも本来の不比等は初老のおっさん、明らかに年齢がおかしいだろうと、顔を見られた時点で帰れと言われるのも期待していた阿礼だったのですが。
「ちょっと見ない内に随分と若返ったじゃない。こっちの方が前の老け顔より良いわ」
輝夜はあっさりとOKを出してしまいました。まあ、ここまでは阿礼の想定通り。人間外見より中身だ、と言う人は多いですし確かにそれも一理あります、特に付き合いの長い場合にはそうなんですけどね、ぶっちゃけそうでなければやっぱ見た目がまず第一です。道端でモヒカンに火炎放射器がセットになった兄ちゃん見たら誰だって見た目から判断して近付くのは避けますからね。消毒されたら堪ったもんじゃあありません。
阿礼が案内されたのは屋敷というには余りに小さい、それこそ小屋と言ってしまっても差し支えの無い位に粗末な建物。立会い人は輝夜の育ての親だという老夫婦二人のみです。
「では早速」
挨拶の言葉もそこそこに阿礼は蓬莱の弾の枝を取り出しました。余計な手間が掛かるのはもう勘弁、正直そんな気持ちで一杯なのです。屋内使用禁止と説明書に書かれたそれを遠慮なく屋内で高く掲げ。
「ホーライノタマノエー!」
秘密道具を取り出す勢いで叫んでみました。綺麗な光の弾が辺りに溢れました。
そしてついでに小屋の屋根が吹き飛んで消え去りました。みすぼらしく面白味の無かった室内があっと言う間に素敵なオープンカフェの様相。正に巧みの技です。雨が降ったら風呂に入る必要も無くなる親切設計。雪が降ったら憂き世のしがらみとも永遠におさらば出来ちゃう事でしょう。素敵。
ああ、これで結婚の話も破談。めでたしめでたし。阿礼は高く広い空を見上げながら満足げに微笑みました。
確かに普通に考えてここ迄やってしまえばご破談間違い無しでしょう。て言うか人の家で危険物使って現住建築物を破損したのだからご破談どころか公的治安維持組織に捕まって人生ご破算になってもおかしくない状況なのですが、色々な事があって人生投げかけてる阿礼はその辺全部うっちゃってました。犯罪者として一番性質の悪いタイプですね。常人の損得勘定がまるで通用しない。
「……最っ高」
けれども素敵な事に、常人の思考パターンが通用しないのはお姫様の方も同じでした。
「面白い! 何それ? 信じられないもう最っ高よ貴方!」
「はぃ?」
人生賭けた自爆技を華麗にスルーされて反応に困った顔をしてる阿礼の前、からころ奇妙に笑いながら輝夜は懐から一本の枝を取り出して見せました。
「あっ!」
思わず叫んでしまう阿礼。それもその筈、お姫様の出して見せた枝は、阿礼の持つ蓬莱の弾の枝と瓜二つだったのです。
「実はねえ。難題に出した宝物の内一つ、これだけは元から私が持ってたのよねえ。蓬莱の玉の枝」
嗚呼、何と言う出来レースでしょうか。早い話がつまり、他の四人の漢達は難題提示がほぼイコール「お友達でいましょう」だったのに対し、不比等は完全イコールで「お友達で以下略」だったのです。クリアアイテムを既に攻略対象の方でキープして隠してあった。端から絶対クリア不可能だったという訳なのです。
流石は自分の娘にすら手を出しかねない変態親父。嫌われ方の度合いが半端じゃない。今は亡き主の横顔を思い出して阿礼は切なくなりました。
「ああっそれなのに! まさかこんな方法で来るだなんて! 偽物は偽物でも本物以上に面白い偽物! しかも何だか見た目も若いし!
決定! 君に決めた!」
て言うか私はその変態親父にすら手を出されなかったのよねー。明後日の方向に向けて虚ろな目でぶつぶつやってる阿礼を余所にパチリと指を鳴らす輝夜。途端、脇で控えていたお爺さんは訓練された極めて速やかな動作で部屋の真ん中に大きな布団を敷きました。
「って何故に布団!?」
正気に戻って狼狽える阿礼に向けて、白い頬を薄紅に染めながらお姫様がにじり寄って来ました。
「何故にってー、そりゃ結婚したらまずは夫婦の初の共同作業っていうのがお決まりでしょう? あ・な・た」
「え。へ? ふぇ!? え、なに、結婚? あれで私結婚了承!?」
「子供は何人くらいが良いかしらー。個人的には少数精鋭でいくのが好みなんだけどぉ、貴方が望むなら人海戦術もありかなあって」
「いやいやいやいやいやちょっと!?
何であれで結婚? しかも何でいきなり子供作成!? せめてもうちょっとこー清く正しいお付き合いを続けてお互いの事をようく知った上でっ!」
「いやほら、下手に互いを深く知り合って底を見られると逃げられかねないから、その前に既成事実作っておいた方が後々有利かなーって。子供できればそれ人質に出来るし?」
「逃げられかねないって自覚あるんだ!?」
どうも目の前のお姫様、普通のお姫様ではありません。物の価値観や考え方が尋常じゃあありません。今で言う所の宇宙人みたいなって奴です。このままじゃ喰われかねません。最悪、二重の意味で。
て言うかそもそも性格がどうこう言う以前、お姫様がお姫様である以上、女の子である以上、阿礼が結婚出来る訳もありません。彼女にそっちの趣味はありません。百合の花にこれっぽっちも興味はありません。根っこは食用薬用に便利です。
「私、女には興味ないのー!」
何で私ばっかりこんな貧乏くじ。泣き叫びながら阿礼は逃げ出してしまいました。
後に残ったのは老夫婦と、それから今一つ何が起きたのか理解できない顔で固まっている輝夜の三人。彼女は今まで海千山千の男共からの求婚を片っ端から振り続けてきました。それが今はまるで。
「ねえ、お爺さん、お婆さん」
しばらくの沈黙の後、やおら輝夜が口を開きました。
「今の状況ってどう見えたかしら」
「どうって、輝夜が振ら」
答えようとしたお爺さんの口がピタリと止まりました。頬から流れる小さな赤い筋一本。はらりと落ちる白い髪の毛数本。
「やれやれ、男っていうのは見る目が無いねえ」
お爺さんの隣、いつの間にやら手に小刀を持ったお婆さんが輝夜に優しい眼差しを向けました。女心が判るのはやっぱり女同士が一番。
「今のはどう見たって輝夜の方が振ったんだろうに」
「そうっ、そうよねお婆さんっ」
「そうともそうとも。男にしか興味が無いなんて倒錯男、そりゃ輝夜に振られて当っ然さあ」
かくしてこの一件以降、都でも並ぶ者の無い好色変態親父として知られていた不比等の名は一転、男にしか興味の無い真性変態親父として人々から以前にも増して冷たい視線を送られる様になりました。何せ男「にも」興味がある、ではなくて男に「しか」興味が無い。つまりは変態の上に生産性も無い。
さて不比等の娘の妹紅、死んだのは自業自得とは言え父親が謂れ無き汚名を着せられた事は我慢も出来ない。そんなこんなで以降、変な噂を広めた輝夜を逆恨みする様になったとの事ですが、まあ、それはまた別のお話。
◆
都の東、地獄に通じる井戸のあるお寺。日も暮れ人影も見えなくなったそこに一人の少女が佇んでいました。篁の孫娘、小町です。
予想通り、祖父は戻ってはきませんでした。自業自得の話ですし、覚悟もありました。それにそもそも篁は半日を地獄で過ごしていた人間です。小町にもさほどの悲しみはありませんでした。
けれども、悲しくはなくてもやはり、本音を言えば少し寂しくもあります。祖父ちゃん今頃元気に働いてるのかなあ。そんな事を考えながらお寺までやって来たのでした。
「君が世界に存在してぇる意味を知りたくなぁい?」
それは余りに突然でした。井戸の脇から何者かの声が聞こえてきたのです。それも女声。
こんな時間に奇妙な話。自身も少女である事はひとまず置いて小町は目を凝らします。
薄暗い中、見えたのは一人の女。しかも若い。
そして何より奇妙なのはその格好でした。大きな飾りの付いた帽子にやけにきっちり固めた上半身、なのに下は見事に生脚。時代的にあり得ない格好です。今の世でも勧業会館か何かの会議室で年に数回程度しか見れない様な面白衣装。
それを見て即座に小町は逃げ出しました。
彼女は祖父から話を聞いていたのでその少女が何者なのか判ったからです。そうして彼女は碁盤目の様な都の構造を熟知していたお蔭でどうにか逃げられ。
「って飛んでるうっ!?」
逃げられる訳もありませんでした。少女は暗い空を飛んで小町を追いかけてきたのです。道を熟知してようが何だろうが地べたを這いずる人間が空飛ぶ怪異から逃げ切れる筈もありません。と言うかこういう場合逃げれば逃げるほど事態は悪化するのが常ですよね。まあ、例え逃げなくても好転もしないのですが。
たまらず小町は近くに在った小屋へと逃げ込み戸を閉めました。幸か不幸かそこは空き家、片隅にうずくまって息を殺します。
「そこに隠れててぇも」
姿は見えません。けれども声は聞こえます。しかもそれは確実にこちらへ近付いてきます。
「何も始まんなぁい」
とうとう声は小町の隠れる小屋の真ん前までやって来ました。そして。
「こんばんは小町さん、四季映姫ですっ!」
「ひぎゃあああ!?」
閉ざされてたドアをその脚で壊して踏み込んできたのは地獄の裁判官でした。空き家とは言え他人の所有物を裁判官が壊すとか大したものですが、そんなこんなは一切気にせず異常な迄の明るく爽やかな笑顔で以って閻魔様は怯える少女に向かって手を差し伸べました。
「今っ是非曲直庁では貴方の様な若い力を求めています!」
「……は?」
若い身空で何でお迎えが。そう思って逃げ惑っていた小町ですが、予想外の言葉と不気味な迄のにこにこ笑顔に、はて、と頭を捻ります。
やがて。
「祖父ちゃん、っと、祖父がそっちに逝ったっていうのにまだ人材不足なんですか」
小町の返答に、閻魔様は満足げに目を細めました。恐慌に陥ったのも僅かの間、すぐに冷静な思考を取り戻し、しかも返す答えは無駄なく的確。
「確かに、本来なら篁を正式に職員として雇うつもりだったんだけど。彼、ちょっと色々あって成仏しちゃって」
「成仏って、祖父がですか!?」
「あら、意外かしら」
「いや、まあ。あの人、自分の正義を他人にも押し付ける人間でしたから。悪人ではないにしろ、成仏できるほど悟った人でもないと思っていたんですがねえ」
小町の答え。聞く度に閻魔様は嬉しくなってしまいます。冷静で的確な判断力に加えて人を見る目も有り。篁の孫なだけあってその能力に申し分なさそうです。
「と言う訳で、彼の代わりに小町さん、貴方に地獄で働いてもらえないかなって」
そうして差し伸べられた閻魔様の手。
「あ、すいません。遠慮させていただく方向で」
けれど小町はあっさりと拒否しました。
「……あら、何故かしら。理由の説明、お願いできる? 可能ならば四文字以内で簡潔に」
「めどい」
「四文字すら使わないっ!?」
ぶっちゃけ小町の今の生活、そこに何一つの不自由もありませんでした。祖父が地位の高い役人で家は安泰。篁の計らいのお蔭で貴族の坊っちゃん達との交流も実質は代理の声優さん任せ。小町本人は御簾の裏で背中を向けながら酒呑んだり饅頭食ったりしてボリボリ腰を掻いたりしていれば良いだけ。それでも名声は上がるのだから貢物は無駄に増えるのです。
大きなお屋敷で好きな時間に寝ては起きて、起きては食って、食っては呑んで、偶に歌でも詠んで、それに飽いたらまた寝る生活。
そんなものを繰り返している人間にまともな勤労意欲なんてものが育つ筈もありません。生活に余裕のあるニートがそう簡単にニートをやめたりはしないのです。働くの面倒臭い。それ以前に面接行くのがめんどい。ハローワーク通いすら、めどい。ネットでバイト情報検索するくらいならしても良いよ。応募はしないけど。そんな感じです。
「貴方、まだ若いのにそんな自堕落な生活で良いと思ってるのっ」
「んまあ、それで問題なく生きていられてますしねえ。実際」
「そんなのはただ惰性で生きているだけでしょうにっ。
貴方、もっと一生懸命に生きてみようとか思わないの。自分がこの世に存在してる意味を知りたいとかそうは思わないの!?」
「ええっと。それを探す為に生きてる、みたいな?」
それを探す為に生きている。とても良い言葉ですね。その昔、ある大企業の支社にカチコミかけた学生さんが、企業のお偉いさんの質問にこう答えて幸せな未来へのフラグを掴んだと言われています。
ただまあ、こうした科白が許されるのは、探すという事それ自体を目標として言えるのは、学生までの限られた期間のみなのです。
もし働ける能力があり、働ける立場に居る人間がお役所でこんな事を言ったらどう思われるでしょうか。
「いい、でしょう」
急に閻魔様の声のトーンが低くなりました。働く能力があるのに、働く意思が無い。
「その根性、私の元で叩き直してあげます」
それを平気で公言できてしまう駄目人間を前に、笑って済ませていられる様ではお役所勤めも失格です。
「っちょ閻魔様!?」
自分より大柄な少女の首根っこをむんずと片手で掴み、閻魔様は井戸の在るお寺に向かって飛び立ちました。
「や……え、んま、様、死ぬ、死んじゃいまずって……」
「大丈夫。死にはしないわよ。生きながら地獄に落ちるだけで」
「ぞういう意味じゃなぐっで、息が、首がしまって」
「安心なさい。地獄には骸骨なんて幾らでも転がってるから、適当なの見繕って貴方の家にはそれ遺骨として送っておいてあげるわ。これでご家族にも言い分が立つでしょ」
「ずんまぜん、お願いだから人の話を……!」
「五月蝿いわねえ、文句ばかり。
判ったわ。なら、おまけで遺骨は一体分じゃあなくて沢っ山用意してあげるから。それで良いでしょう?」
まるで会話に噛みあいを見せぬまま、少女二人は井戸の中に消えていきました。
本編の騒動が解決した後にエピローグで井戸から出てきた化け物に引きずり込まれるとかベタベタなホラーオチもよいところですが、兎も角、この様にして結果、彼女、小町の遺骨だのお墓だのは後世色んな所にばらまかれる事となり、そうしてその各々が観光名所として地域振興の糧となったそうです。貯蓄の消費しか能の無かったニートが大出世ですね。
めでたし、めでたし。
◆
「おつかい、いってきたよ」
「ああ、ご苦労さん」
鬼の居なくなった大江山、何故かやけに頬を膨らました河童の幼児が九尾の少女に帰還の挨拶を入れていました。
そう九尾の少女です。鬼と戦い、陰陽師から離れ消えた筈の彼女です。
頭領である鬼達が姿を消した今、大江山の妖怪達には大きな混乱が起こっていました。今この時を人に攻められれば一溜まりもありません。こうなってしまった原因の一つは自分、そう考えた九尾の少女は山の態勢が回復する迄は残って妖怪達の相談役となる事を決めたのでした。大した頑張り屋さんです。真面目っ娘さんです。しかもケモ耳ケモ尻尾。どんだけ狙ってやがるのでしょう。
夢に散った漢達、彼らの望んだ品を製作して遺族の元に届けるよう河童の幼児に指示を出したのも彼女でした。
「ほうらいのたまのえ、で、こうげきりょくがたかい。ちゅうもんどおりの、たしかにとどけたから」
人間の幼女に良いように弄ばれたのが、一族でも稀な天才児と呼ばれる幼児には不服だったのでしょう。憮然とした表情で言葉少なに報告をします。
「うん、ありがとう」
そんな幼児に微笑んで礼を言う九尾の少女。これで彼らの魂も少しは救われるだろう。僅かの間とは言え仲間だった漢達に九尾の少女は思いを馳せます。
実際、漢達の望んでいた物と幼児が届けた物とでは見事に齟齬が出来ていたりもするのですが、その辺はうっかり見逃してしまっている九尾の少女。伊達にうっかりで過去三国傾けてはいません。真面目で一生懸命ででもちょっぴりドジッ娘とか本当に狙い過ぎです。お蔭でまた何処かで誰かの人生が無駄に狂わされました。
「あー、ただいま、戻りました~……」
そんなほのぼのとした大江山に、随分と疲れた顔の天狗美少女が帰ってきました。
「お帰りなさい。遅かったわね」
「ああ、はい。裏付け取材であちこち飛び回って井戸まで潜って。しかもその後は、またあちこち飛び回って出来たのをばらま……。
じゃなくって、そんな事より大変なんです!」
さて一体何が大変なのか。
以降はぶっちゃけかなりどうでも良い話なのでざっと書くに留めます。本当、大した話でもないので丸々読み飛ばして頂いて結構なのです。
お馬鹿な人間の侵入が元となって起きた大江山の騒動。まあ最終的な引き金をひいたのは天狗美少女だという気も僅かにしなくもないのですがそれは置いといて。とにかくそれによって鬼は消え、突然にトップが居なくなった大江山は大混乱。更には鬼の第二の本拠であった八ヶ岳もまた、今後の組織体制をどうするかであーだこーだと大紛糾。で、そんな二つの山の内実が事細かに人間達に知られてしまったのです。それはもう、どうしようもない不幸がいくつも重なったせいで。決して誰かが悪いという訳ではなく。さて、これを機に人間達は妖怪の山を攻め落とさんと大張り切り。態勢の整っていない現状、しかも仮トップに収まっているのは非戦派のうっかりお人好し狐。不利は明らかなのでとりあえず都に近い大江山は捨ててそこに居た全ての妖怪は八ヶ岳に避難する事となったのですが、八ヶ岳の方も混乱している状況は同じ。しかもそれが不幸な事に人間に知られてしまっている。ここぞ、とばかりに対九尾戦の様な妖怪退治専門家を交えた大軍で攻めて来られたら流石にまずい。そこで狐の古い知り合い、境界使いの妖怪を頼り、妖怪の山ごと彼女の結界に保護される事となったのです。勿論これだけの大事業、何の見返り無しという筈も無く、代価として狐は彼女の式神となり自由を失ってしまったのでした。可哀想ですがそれによって多くの妖怪が助かったのだから良しとしましょう。全ては不幸な事故だったんです。別に誰も悪くはないんです。
◆
◆
お昼休みの終了を告げる鐘の音が構内に鳴り響く。それと同時、黒い帽子を小脇に挟んだ少女は手にしていた紙の束を机の上に戻した。
彼女と、そして相棒である金髪の少女、そのどちらの顔にも今、全てをやり遂げた者が見せる柔らかな微笑が浮かんでいた。
時代設定が明らかにおかしいとか。
エピローグが無駄に長いとか。
その癖して最後は何でいきなり打ち切りっぽくなってるのとか。
て言うかぶっちゃけこれ古文書の解読でも何でもなくて百パーセント完全に教授の創作じゃないかとか。
そんな無粋なツッコミをしようなんて気持ちは微塵もありはしない。
あるのはたった一つの温かい想いだけ。
今からもう少し時が経って、教授が今よりもちょっと分別の付いた素敵な大人の女性になったら。
その時にまた、このお話を彼女の前に出してあげるんだ。
「黒歴史乙」
満面の笑顔でそう言いながら。
「じゃ、行こっか」
「そうね」
そうして二人は、セーラーの少女に軽く頭を下げて部屋を後にしたのだった。
ちくしょう。お蔭でお昼ご飯食べ損ねた。
だがそれがいい
てか変態スグルwww
素敵に無敵な(勇儀姐さんの)おっぱい分ありがとう御座いましたっ!
皆最後にゃ若気の至りで酒の肴になってんですねいやぁ良かった良かった。
それにしてもにとりん良い役貰ってるぅ。
あと姫さまのばぁちゃん色んな意味でイイ性格してますね。
誤字らしきもの
>「金輪際絶好」→「絶交」ではないかと。(意図したものでしたらすみません)
いい意味での力技満載、堪能させていただきました。
ところで、高分子化学を専攻していますが是非曲直庁に技術職採用はありますか?
作者の頭ん中はどうなっているんだwwww
お見事!