伊吹萃香は耳慣れない音で目を覚ました。日が沈むにはまだ早い夕暮れ時のことである。
しゃらん、しゃらん。たんた、たん、たたん。ぴーひゅるり、ぴーひゃらら。
音は鈴をかき鳴らし、和太鼓を叩き、龍笛を吹いている。祭囃子だった。はて、ココは博麗神社、宴にはまだ些か早い。面妖なコトもあるモノだと思いつつ、萃香は自らの身体を霧と化し、外の様子を探る。
しゃらん、しゃなりしゃらん。たかたん、たたん。ひゅるりらり、ひゅるりらら。
軽快な和太鼓や笛の音に合わせて、時折聞こえる囃子歌。馴染み深い声。
幻想郷を駆ける一陣の風と共に、声は愉快に唄う。
――焼くも尽くモノ。
人里に近い川の畔、河城にとりと藤原妹紅が会話している。
「だからさ、今度は絶対大丈夫さね! にとり様の腕を信じなさいって!」
トンと胸を叩き、絶対の自信を誇るにとりに、妹紅は不安そうな顔で話しかける。
「そう言って何回騙されたことか……。まぁ、いいわ。信じる分にはタダだから。その代わり、大丈夫じゃなかったら覚えてろよ?」
妹紅は恐る恐る、にとりから受け取った帽子を被る。
「ふにゃあああああああ!!!!!」
ぷすん、と黒焦げになり、その場に崩れ落ちる妹紅。
「ありゃ、失敗したか。未来を視る帽子、ちょっとばかり電流が強すぎたみたいだなぁ。これで8モコ目、道のりは遥か遠く」
にとりは残念そうに悔しがると灰の中から帽子を回収し、川へと消えた。
――焼くも尽くモノ。焼いても焼けぬ、蓬莱人。
――厄も憑く者。
夕焼けに沈むあぜ道を、東風谷早苗と洩矢諏訪子が歩いている。
「ねぇ、早苗。考えようによってはサ、それはやっぱり運が良いってことなんだよ」
「……」
「だ、だってそうでしょ!? 100回に1回しか当たらない籤引きで99回外れるんだから! お店の人だって驚いていたじゃない」
「……」
「ねぇ、だから元気出してよ、早苗! 涙でしょっぱいおゆはんなんてヤダよ!」
早苗は、諏訪子に促されるまま、ポツリと重々しく言葉を吐き出した。
「……いえ、きっとコレはわたしの普段の行いの所為です。神奈子様に対する信仰の不足が今日のような結果を招いたに違いありません。諏訪子様、お社に戻りましたらわたしは早速、先月編み出した神奈柄帰神祈祷に入りますのでお夕飯は諦めてください」
早苗は6時間コースの祈祷法を宣言する。
「えぇぇえええ!!」
瞳に使命感を宿し、ずんどこ歩く早苗としょんぼりしながら追いかける諏訪子の上空を、早苗と同じ緑色の髪をした厄神がくるりくすくすと飛んでいた。
――厄も憑く者。憑いてもツかぬ、厄神様。
――八雲九十九の。
びぇぇ、と小さな屋敷に橙の声が木霊する。何事かと八雲藍が駆けつけてみれば、台所で橙が大泣きをしていた。
「うぇっ、うぅ、ぐすっ、藍さまぁぁ」
涙でくしゃくしゃになった顔が藍に向けられる。藍は橙をこんな目にあわせた妖怪を許しはしない。静かに、犯人を問う。
「橙……。何があったの、話してくれる?」
「ぐずっ、……あのね、わたしが後で食べようって取って置いたカステラが無いの。藍さまがわたしにって切ってくれたのに。うぇぇ……」
「ホラホラ、泣かないで、橙。カステラならまだ戸棚に取り置きがあるから。また切ってあげる」
橙をなだめながら戸棚を捜索する藍。しかし、あるはずの場所にあるはずのものは無かった。
「不思議なこともあるものねぇ~」
隙間からにゅっと顔を出して藍に話しかける八雲紫、口の端には何かの食べかすが付いていた。
「ええ、ホントに。トコロで紫様。犯人見つけたら八つ裂きにしてブチ殺した後、向日葵畑に蒔いても良いですか?」
「ちょ、ちょっと可愛そうすぎるんじゃないかしら、大体ね、藍。貴女少し子煩悩すぎよ」
「恐れながら進言させていただきます、紫様。……アンタには親心が無いのか!?」
ぽかんとする橙を前に、紫藍第148次おやつ争奪戦の火蓋が切って落とされたのである。
――八雲九十九の。足して足りない、一煩悩。
なんてことは無い。いつもどおりの、萃香の良く知る幻想郷だった。
しゃらららららん、しゃなりしゃなり。たったかたかたん、たたんたんたん。ひゅるりるりらりらり。
祭囃子はいよいよ佳境。やくもつくものと唄う声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。ああ、なんか良いな、と萃香はまどろみに身を任せる。
目を瞑ると、霊夢たちが楽しそうに演奏する様子が浮かぶよう。
ゴトリ、と何処かで朽ちた鳥居が地面へ落ちる。囃子に耳を傾け、まどろむ萃香はそんな音にさえ気が付かない。
謂れすらも忘れられた社の片隅で、萃香はいつまでも、いつまでも、懐かしいあの風景を夢見ているのだった。
それを問う事さえ憚られる、
寂しく切なく美しく愛しい幻想郷の夕暮れの風景。
ありがとうございました。
ときすぐる やくもつくもの おにのはた
短いながらも想いの詰まった素敵なお話でした
短い文章の中にこれでもかと言わんばかりに幻想郷への
想いが詰め込まれていたように感じました。
素晴らしいお話でした。
とりあえず人間はいなくなってて、寿命が短い妖怪もいなくなってて
残った何人が萃香と同じ夢を見ていられるんだロ。
そして何を言っても無粋になるな。
黄昏な移ろいの画がさらりと描かれていて素晴らしい空気でした。
ほのぼの物とはちょっと違うのでしょうが、この短さでこれほどの空気を醸し出していたのが良かった。
GJ。
わけもなく息が詰まりそうになる、そんな作品。
なんというしんみり。新鮮でした。
この作品を開いてから、実に5分後の出来事である。
短く、さらりと読めてしまえるけれど、逆にそれがなんとも儚さを感じさせるんでしょうね。
ラスト1行で表現できぬほどの力で、心が叩きつけられた。
そしてあとがき。ただの幻惑でなく、われわれに感じさせる幻惑であるのでさらに評価が上がった。
欠けることが考えられない