ハンカチを綺麗にたたんでカバンにつめていると、お前は女の子かと魔理沙に笑われてしまった。
僕が少しにらむと、イスにどっかりと腰をおろしていた魔理沙は悪かったと言いたげに手をひらひらと振る。
香霖堂の初めてできたお得意様に商品を届けるため僕は準備を進めていた。
「そんな態度で接客がつとまると思っているのかい」
「あたりまえだぜ」と魔理沙は少女らしくにっこりと笑う。「お前にこんな可愛い笑顔ができるのか」
「可愛いかどうかはわからないが笑顔ぐらい、いつでもできるさ」
ほほの筋肉を無理やりつりあげて歯を見せる。完璧さ。
ところが魔理沙はひざを叩いて声をあげる。
「あははははは! 目が全然笑ってないぜ! 子供でも、もうちょっとましな作り笑顔ができるな」
「そうかい」
不愉快になってきたので話を切りあげることにした。
「じゃあ僕はもう行くよ、店番まかせたよ」
「まかされたぜ。香霖こそ本のこと忘れるなよ!」魔理沙は僕を指さしながら言った。
僕はちょうど店に来ていた魔理沙に店番を頼んだ。
用件を聞いた魔理沙はあきらかに嫌そうな顔をしていたのだが、ついでに本を借りてくる、と条件をだすとすんなりと頷いた。
カバンから先ほど魔理沙に手渡された1枚の紙を取り出す。
「ここに書いてある本を借りてくればいいんだろ」
魔法関係だろうとすぐに予想できるタイトルが10はならんでいる。どれだけ借りるつもりだ。
「ああそうだ。最近やたら警備が厳しくてせいぜい2、3冊しか持って帰れなくて困ってたんだ。
まあ、今回のお前なら客人扱いで普通に入れるだろうからな。期待してるぜ。でも、いくつかは貴重な魔道書だからそう簡単にあいつが貸すとは思えないぜ」
「大丈夫さ。紅魔館の魔女なら必ず全て貸してくれるはずさ」
「ずいぶんと強気だな。何かコネでもあるのか?」
「幻想郷は思っている以上にせまい……ということさ」
僕の言葉の意味が分らないらしく、魔理沙は不思議そうな顔をする。
「ふーん? まあ帰りには気をつけろよ。紅魔館に着くころには夕方になるだろうからな。こんな時間じゃなくてもっとはやくに出ればよかったのにな」
この時間だからこそいいんじゃないか、と僕は心の中でつぶやいた。
「香霖、あの館には吸血鬼がいる」
「昨日従者の十六夜咲夜から聞いて知ってるよ、レミリア・スカーレットだろう」
「気をつけなきゃいけないのはレミリアの妹のフランドールの方だ。弾幕ごっこにつき合わされないようにしろよ」
「忠告ありがとう、じゃあ後はよろしく」
商品が入ったかばんを慎重に肩にかけ、僕は店の扉をあけて外に出た。
太陽は西に傾いている。
道すがら、先ほどの魔理沙との会話を思い出す。彼女は子供の方が作り笑顔がうまいと言ったがそれは違うと思う。
子供はそんなことをしない。する必要がない。いつも全力で笑うのだ。
紅魔館への道はまだまだ続いている。
もうすこしでちょうどあの日と同じ色になる。薄い夕日に照らされたおぼろげな時間。
彼女も100年前と変わらず同じ笑顔をするのだろうか。
ある夏の2日間。
僕はゆっくりと子供の頃の記憶を再生させた。
24時間ぶりに今日もまた夕方がおとずれた。
セミの鳴き声が雨のよう降りそそぎ、好きな人を前にした女の子のように、恥ずかしそうに西の山に隠れていく太陽。
赤みを帯びはじめた強い日差しが世界を支配していく。水たまりを天にはりつけたような青い空を誰にも気づかれないようにそっと侵食していた。
こんな時間まで遊んでいる人間はアホだ、さっさと妖怪に食われちまえ。
そんなことを警告するように、2匹のカラスが夕日に照らされながら鳴いていた。
「慧音のやつ遅いな」
足元に落ちていた小石をけりながら僕は言った。
ここは人里と博霊神社をつなぐ山道。まわりは背の高い木々にかこまれている。
時間が時間だけに人気はまったく感じさせない。ただセミの、自分の嫁をさがす必死なナンパ声だけが聞こえていた。
さらりとした風が吹いているからだろうか、蒸し暑さはほとんどなく、むしろ気持ちがいい。
「セミでも捕まえるか」
そう思い立ち、ひときわうるさく鳴いている樹木に身体を向けた。
1歩前進するたびに、叫ぶような音が小さな耳に反響する。ざっと見ただけでも3匹はとまっている。
背伸びをして、手をぎりぎりまで伸ばせばなんとか届きそうなやつがいた。
「お前さっきからやかましいぞ、捕まえてやる」
つま先で立ち、射程距離を底上げする。片手を木にそえてバランスを保つ。両目でしっかりと目標をさだめ腕を限界までのばした。
「もう少し……」
だが、敵はすでにこちらの行動を把握していたのだ。かたそうな外殻に触れるかどうかの瞬間、やつはぎろりとにらんできた。
「う、うわ!」
セミは絶妙のタイミングで離脱をはかり、おかえしとばかりにお土産までくれた。
「…………」
尿をかけられた。しかし、以前にも同じような経験があり、これがはじめてではない。慌てることはなかったのだが精神的に痛かった。
「くそ、今日のところはこれぐらいにしといてやる」
やり場のない思いを、強がりを口にすることで沈めようとしたが、ただむなしいだけだった。
茜に染まった空を見上げると、お前の喜劇面白かったぜ、と人をバカにするようにカラスが鳴いていた。
幸いにもこの場所は妖怪が出ることもあり、人が寄りつかない。慧音もまだ来ていない。自分の失態を誰にも見られていないことに安堵した。
安心の吐息をもらす僕は気付いていなかった。僕の背中に目標をさだめ、ゆっくりと近づいてくる生き物の気配を。
それは一切の音をたてることなく背後に立ち、口を開いた。
「ふふふふ、バーカ」
全身の毛が一斉に叩きおこされた。
目前は林が広がっている。人の姿は確認できず、声は後ろから聞こえた。誰かがそこにいる。
まず頭に浮かんだのは慧音だった。しかし、すぐに否定された。彼女は他人をバカにするようなことを言わない。
それに目の前の、夕日によって作り出された自分の影を見れば彼女ではないと一目瞭然だった。僕の影から翼が生えていた。
鳥の羽とはとても思えない、刺々しく気味の悪い形状をしたものである。
まるでそれ自身の持つ性質を表しているように僕の影よりさらに黒く見える。
背後にいるのは何か? 時間と場所を考えればすぐに分る。ここは妖怪が出ても不思議ではない場所だ、そして今は逢魔へと時は流れている。
緊張の汗が首筋をなめる。心臓がさけぶように騒ぎだす。自然と呼吸も荒くなった。
きっと妖怪だ。逃げなければ。
直感がそう訴える。しかし、それに反して足は動こうとしない。代わりに首が回り始めた。
相手はどんな姿をしているのだろう? もしかしたら、たいしたことない妖怪かもしれない。好奇心と都合のいい期待が身体を動かした。
そして、後ろの正面を僕は見た。
振り向いた先には女の子がいた。赤いべっとりとした服を着ていた。当然、知らない子だった。
少女はしばらく僕の顔を観察するようにながめると、白く鋭い歯を見せながらにっこりと笑う。
そして背筋を伸ばし、右腕の肘を高く上げ、手のひらを水平にして額に当てる。
見慣れないおかしなポーズをとりながら少女は高らかに言った。
「最前線であります!」
「……っえ?」
理解できない言葉が飛び出し、僕は口をぽかんと開けた。
「ただ今、私は最前線であります!」
それだけを口走り、満足げな表情を浮かべ、少女は停止した。
なにがなんだか分らない。最前線? どう言うことだろうか? 逃げることも忘れて頭に疑問が広がっていく。
なぞで乾いた喉が、つい、人外の少女に質問していた。
「お、お前誰なんだよ……言ってることがよく分らないぞ」
「私? 私は吸血鬼。名前は……う~ん、そうね……そうだ!Fよ!」
「F?」
「そうよ、コードネームFよ!」
腰に手を当てて、自信に満ちた瞳を向けてくるなぞの少女F。コードネームって何だろう?
いや、その前にもっと気にしなければならないことがある。吸血鬼と言ったのだ。目の前にいるのは吸血鬼。
それによく見ると、赤い服ではないみたいだ。彼女の服には血が染みついていたから赤く見えていたのだ。
「その血は人を襲ったときのものだな……ぼ、僕の血が目当てか……」
ふるえる声で精一杯の力をこめて言った。だがFはきょとんとした顔をして、笑いだした。
「あははは。違うわよ。この血は吸血鬼の血よ」
僕のよく分らないという表情を読み取ったようでFは説明をつけ加えた。
「探したい物があるから外に出でようとしたのよ。そしたらあいつが言いがかりをつけてきて、それでちょっとした姉妹喧嘩になっちゃったの。
いつもなら言い争いで終わるけれど、あまりにしつこいからあいつの頭をカチ割ってやったのよ。いい気味ね」
その時の様子を思い出したのかFの瞳に優越感が光り、勝ち誇ったような顔。口が開き鋭い犬歯が見えてぞくりとした。
「でもこの服せっかく気にいってるのに血で汚れちゃったもんだからハンカチで拭いたんだけど、もう乾いちゃったわ。
ってあんたもいつまでおしっこかぶってるのよ、はい貸してあげる」
Fは黄色いハンカチを僕にさしだした。吸血鬼ともあろう大妖怪がどうして僕のような半妖に気を使うのだろうか。
そう思いながらも素直にハンカチを受け取った。
頭を拭きながら彼女の言葉で気になったことを質問してみた。
「お前は何を探しているんだ?」
「死体よ」
「し、死体!」
「そう、この辺に落ちてないかしら?あんた知らない?」
僕はぶんぶんと首を振った。死体なんて見たことがない。見たいだなんて考えたこともなかった。
「なあ、どうして死体なんて……」
「しっ!」
突然Fはゆびを立てて静止をうながした。おしだまったFは両手を耳にあてた。何か聞こえたのだろうか。
視界からの情報は邪魔だと言わんばかりにまぶたを下ろす。
「悲鳴が聞こえたわ」
「悲鳴?」
「これは……女の子が何かにおそわれているみたいね。弱者を主張するお手本のような綺麗な叫び声が聞こえるわ」
「女の子……まさか……」
「そうね、年はちょうどあんたぐらいの女の」
Fの言葉を最後まで聞くことなく、道のはしに無造作におかれていた僕のリュックをつかみ、勢いよく走りだす。が、肝心なことを忘れていた。
「方角は!」「あっち」
吸血鬼のほそい指先に向かって、僕の両足は加速する。
胸騒ぎと嫌な予感が身体を突き動かしていた。女の子とは慧音のことかもしれないし、そうでないかもしれない。
人が妖怪に襲われている状況に自分のような子供が参加したところでたいしたことができるとは思えない。
でも何もしないわけにはいかなかった。
「ほらほら~早くしないと少女Aが食べられちゃうよ~」
うるさく飛び回る蝿のように、全力疾走している僕のまわりを余裕で満ちた微笑を浮かべながら低空飛行する少女F。その口からは悪魔のささやきが漏れる。
「あんたの足が遅いせいでいたいけな少女の血が!肉が!」
「うっとおしいな、どっかに行けよ」
相手が吸血鬼ということも忘れてFを邪魔者扱いする。
「そんなこと言っていいのかな~? 悪魔が天使に変わるかもよ~?」
いきいきとした笑顔でわけの分らないことを言ったかと思うとFは僕の腕を強引につかみ、空中に引きあげる。
「わっ!」
自分の体重と先ほどまで感じていた地面の感覚がいきなり消えた。身体が何ともいえない浮遊感で満たされる。
大きなリュックと子供1人の重量を軽々と片手だけで持ちあげながらFは速さを増していく。
「ほら、もう見えてきた」
彼女の言葉通り、僕にも見えた。座りこんでいる女の子と大きくて黒い生き物がいる。
「よし、そろそろ下ろしてくれ」
「何言ってるのよ、このままつっこむわよ」
「なっ! おい! まさか……」
「そ~れ」
Fは迷いなく手を放した。僕は一直線に黒い生き物へと突っこんだ。とっさにリュックを前にだし、目をつぶってさけぶことしかできなかった。
体験したこともない人生初の大衝撃。そして地面を転がった。
そこで意識が飛びかけたが慧音の声で正気に戻った。
「霖ちゃん! 大丈夫霖ちゃん!」
「あ、ああなんとかね」
「怖かったよ霖ちゃん! 霖ちゃんが助けてくれなかったらわたし食べられてたよ!」
「わ、分ったから、あんまり身体ゆらさないで……」
よっぽど怖かったのか、慧音は僕に抱きついてきて強くゆさぶる。視界も脳もくるくると回る。
黒い生き物がよくもやってくれたなと言わんばかりに大きな声をあげた。
「慧音、とにかく逃げよう」しかし、彼女は首をふった。
「腰も足も動かないよ……」泣きだしそうな顔で声は震えていた。
捕食者の瞳が僕たちをにらむ。だがその視線は赤い背中でさえぎられた。
「ほら、こんな不味そうな子供なんてほっといてさっさとどっかにいきなさい」とFは化物にしっしっと手を振った。
「えっ? だ、誰?」慧音は戸惑いながら言った。
「さっきそこで会った吸血鬼のF」僕は説明する。
「吸血鬼! なんでこんなところに」
「それはよく分らない。けれどあいつのおかげで間に合うことができたんだ……悪い奴じゃないと思う」
大人ほどの大きさの犬のような黒い妖怪が、地面をゆさぶるように咆哮をあげる。
僕と慧音はその声に恐怖した。けれども吸血鬼は鬱陶しそうに言う。
「ああもう、お腹すいてるのは分ったから。だけど今回は運が悪かったと思って出直しなさい」
黒い妖怪は1度小さく唸るとFの忠告を無視して襲い掛かってきた。
Fは手の平を妖怪に向けた。
それだけで黒い巨体は弾け飛んだ。妖怪は地面を転がる。何かが音をたてて落ちてきた。黒い腕だった。
「あ~あ、せっかく拭いたのにまた汚れた」
返り血を浴びたFは不満そうにつぶやいた。彼女は妖力をとばしたのかそれとも別の特別な力なのか。素人の僕では何が起こったのか分らなかった。
腕を1本失った妖怪は、しかしそれでも立ち上がる。だが戦意は喪失したようだ。
ふらふらになりながらも森の中に消えた。
「よ、良かった~」慧音は涙目になりながら安堵の息を吐いた。「ありがとう吸血鬼さん」
「ふん、これぐらいどおってことないわ。それと私の今の名前はFよ」
「変わった名前ね、私の名前は」
「待った」
僕は片手で慧音の口の動きを制した。彼女の手首をつかみFから離れる。慧音が首をひねった。
「どうしたの?」
「あいつに本名を教えちゃだめだ。博霊さんが妖怪に簡単に名前を言ったらいけないって言ってただろ」
「でもそれは悪い妖怪でしょ」
Fを見ると血で汚れた服を熱心に観察し、落胆していた。
「僕だってFは悪い奴だとは思わないよ。だけどあの吸血鬼だ。用心にこしたことはないよ」
「でも……」
「大丈夫、いい方法があるから」
僕と慧音の話が終わるとFが嬉しそうに笑う。
「どんな方法を見せてくれるのかしら」
「聞こえていたのか」僕は驚いて言った。
「当たり前でしょ、その子の悲鳴を拾ったのは誰だと思ってるの」
「Fだ」
「その通りね、それじゃあ、あんたの名前は」
「僕もFだ」
少女2人は虚をつかれたらしく一様に口をぽかんと開けた。カラスがまた何か鳴いている。
「あんたもFなの?」
「そうさ、僕はF。もちろん彼女もFだ」
「えっ! わたしも!」慧音が高い声で言った。
これでFが3人になった。
博霊さんが妖怪に名前を聞かれたら相手の名前をそのまま言い返せばいいと村人に教えていたのを僕は知っていたのだ。
吸血鬼のFの瞳がずいっと僕の顔に近づいた。
「あんたなかなか面白いこと言うのね」
「そ、それはどうも」と答えながら後ろにひっぱられた。慧音だった。
「むー。あまりFに近づかないの」
「今、隣にいるじゃないか」
「わたしはいいの!」
慧音の機嫌が悪くなる。お腹がすいているのかもしれない。
夕日は沈み、どこからか空腹をくすぐる美味しそうな匂いがした。そろそろ夕食の時間だった。
僕には親がいなかったからいつもは学校で寝泊りしていた。
しかし夏休みになり学校を使うことができなくなったのだが、その間、博麗の神社で過ごすことなっていた。
その事を慧音に話すと自分も神社で泊まってみたいと言い出して、今日は待ち合わせをして博麗神社に向かう予定だった。
Fは立ち去ろうとしたが慧音がその腕をつかんだ。
命の恩人をそんな汚れた姿で帰すわけにはいかないらしい。
慧音は自分の服をしばらく貸すから博麗の神社で洗濯させてもらおうと提案した。
吸血鬼はあっさりと賛成する。
博麗神社は神の宿る聖域であり博麗の巫女は妖怪退治の専門家である。
まさに飛んで火に入る吸血鬼。大丈夫なのだろうかと僕は1人不安になった。
すでにまわりは暗くなっている。神社では博麗さんが境内の石畳をほうきで掃いていた。僕らの姿を認めると、どうしてこんなに遅れたのか尋ねた。
慧音は妖怪に襲われたことを話して、僕はFについて話した。吸血鬼だと話すとわずかに博麗さんの眉が動いた。
博麗の巫女がFの顔をじっと見つめた。その様子を僕はひやひやしながら見守った。
お風呂が沸いているから入りなさい、そう言い残し博麗さんは裏の方にいってしまった。
中に入り、廊下を抜けてふすまを開ける。
部屋に荷物を置いているとFがやおら上着を脱ぎはじめた。
慧音が慌ててそれを止め、僕は赤くなりながら畳に視線を落とした。
慧音に注意された後、2人の少女は風呂場へと向かう。Fは僕を見ながら、のぞかないでよ、と言ってにやりと笑う。
さらに赤くなる僕の反応を楽しみ、Fは慧音の背中を追った。だれがのぞくか。
そこで博麗さんが大きなザルに素麺を乗せて登場した。
僕はFのことがひどく気になっていた先ほどの彼女の台詞が頭から離れないもしかして誘っているのだろうか
そう考えてしまうと自然と想像力が働いた偶然触れてしまったFの白く美しい腕きっと彼女の全身が同じようにふんわりと柔らかく温かいのだ
そして今彼女は衣服をまとわず生まれたままの姿で、と博麗の巫女はべらべらと言った。
「……博麗さん、言いたいことがあるならちゃんと言ってください」
こんな巫女に村の安全を任せていて大丈夫なのだろうか。とても、心配になり溜息がもれた。
その夜、布団の中で僕は目覚めた。
目を開けると、不必要に接近している可愛らしい慧音の寝顔が出迎えてくれた。彼女の吐息が口に入ってしまいそうなほど近い。
「…………」
慧音とFの次に僕が風呂に入り、夕食を食べた。
Fは素麺を驚きの顔で向かえ、箸の使い方に悪戦苦闘しながらも美味しそうに食べていた。
そして3人で川の字で寝たのだが、まわりを見ると両手に花ではなく片手だけとなっていた。Fがいない。
起き上がり、ふすまを開けて、暗い廊下を音が出ないように慎重に移動する。外に居るのだろうか。
境内へ向いゆっくりと歩いた。月の輝きを自ら受けることで、淡い夢のようにぼやけている薄い紙の壁を、すっと横に開く。
青い夜空に金色の三日月、静寂な境内、そしてFが賽銭箱に身体を寄せて座っていた。
「どうしたのよ。子供は寝ていなさい」
僕に気がついたFが、半身をねじって言った。
僕はまだ彼女のことが少し怖かった。でも、頭には飲み込めない疑問がいくつかある。
これはそれを解消するいい機会なんだと思い、Fとは反対の空席になっている賽銭箱の隣へ腰を落とした。
このすっからかんの空箱を挟んで、僕とFは離れている。
「何してたんだ?」僕は質問をした。
「う~ん、別に。ただぼ~っと考え事をしていただけ」Fは頬をぽりぽりと掻きながら言った。
「吸血鬼でも人間みたいにそんなことするんだな」
「あたりまえでしょ。犬や猫じゃないんだから悩んだりするわ。泣いたり悲しんだりするのよ」
さも当然のように彼女は言うが、あの恐ろしい吸血鬼が泣く姿など、子供の僕には想像することさえできなかった。
「……なんで死体なんて探してるんだ?」ずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。
「本を読んだの」吸血鬼は月を見あげながら言った「私が住んでいる館の地下に書庫があって、そこで外の世界の本を読んだの。
戦争っていう外の人間の争いについての本だったんだけど、それには人間の血や死体について詳しく書いてあったわ。思わずよだれが垂れちゃった」
僕は思わず唾をのみこんだ。
「それを読んで気づいたの。そういえば私は死体を見たことがなかった。
前から死んだ人間と寝た人間の違いがよく分っていなかったからちょっと探して観察してやろうと思ったのよ」
「そういう理由だったのか……じゃあ最前線は?」
「最前線ってこれのこと?」
僕の顔に向けてFは額に手を水平にあててにっこりと笑う。彼女の笑顔が目を通過した。
「これもさっきの本に書いてあったのよ。敬礼っていう挨拶なんだって」
「へえ、敬礼ねえ……外の世界は変わってるな、最前線って言いながら挨拶するなんて」
「ああ、最前線っていうのもその本にのってた言葉なんだけどちょうだ私にぴったりだから使ったのよ」
「どういうこと?」僕は再び質問する。
「私ってほとんど外に出ないの」Fは少し恥ずかしそうに答える。「飛びだしたものの初めての場所ばかりで迷っちゃて……
それで道でも聞こうかと適当に飛んでいた時、あんたを見つけて声をかけたってわけ。そこが私にとっての最前線なのよ」
そこで会話がとぎれ、間があいてお月見の時間になった。しかし、美しい三日月を前にしてもFのことが少し気になる。
夜の彼女は先ほどのように僕らと同じ生き物ではなかった。笑顔で素麺をすする少女ではなかった。
吸血鬼が月を見ている。
彼女は慧音から借りた服を着ている。その1枚の薄い布をなぜか月光が透かしているように見えた。
「な、なあ。吸血鬼ってお日様に浴びると怪我しちゃうんだろ? 夕日も大丈夫だったのか」
「私ぐらい高貴で何百年も生きている吸血鬼にはそんなのへっちゃらよ。まあ流石に朝日は無理だけど……」
「それなら昼の太陽は?」
「日傘があれば大丈夫よ、でもどうしてそんなこと聞くの?」
僕は立ちあがった。Fが見上げてくる。
「明日、僕も死体を探すの手伝うよ」
「あら、吸血鬼を助けるの」
「そうじゃない、まあどうせ暇だし……なんとなくさ」
死体を探すなんてやっぱりどこか怖い。しかし、僕もFと同じく死体なんて見たことがない。
見たことがない、よく分らない物にただよう未知の魅力。それにまんまと引っ掛かってしまったのかもしれない。
死体、そしてF。彼女はいつも何を考えているのだろうか? もう少しだけ、吸血鬼を観察していたかった。
次の日、博麗さんにこの近くに幽霊が出るような場所がないか尋ねた。
どうしてそんな場所に用事があるのかと聞かれたが、肝試しがしたいからだと言うと納得してくれた。
なんでも少し西に行ったところに廃墟があるらしく、以前は人が住んでいたらしいのだが、今では妖精の遊び場に成り果て悲惨な状況になっているみたいだ。
元住人の死体が妖精によってどこかの部屋に隠されている。そんなことをつい考えてしまった。
博麗の巫女は妖精が多いからいくつか御札を持っていきなさいと言ったが、大丈夫ですよこっちには吸血鬼がいますから、と答えた。
その肝心の吸血鬼はお昼を過ぎてようやく目を覚ました。
慧音には死体を探しにいくなんて素直に言えない。しかし、肝試しにいくと言えば彼女の性格からしてついてくるとは思えない。
それにこんな変なことに彼女を巻き込みたくなかったのだが慧音は絶対についていくと強い口調で宣言した。
吸血鬼と2人っきり。それが気に入らないらしい。確かに少し警戒心がゆるくなっていた。
Fは完全な妖怪だ何をするのか分らない。
僕は思い直し、3人で肝試しの舞台へと足を運んだ。
廃墟と化した館の前で、僕と慧音はその巨体に対して首が痛くなるほどただ呆然と見上げていた。
その洋館からは人々を寄せつけないねっとりとした気味の悪い感じがする。
昼間にして正解だったと僕は思った。
もしこれが夜ならば、足がすくんで近づくこともできないだろう。
侵入者を阻む鉄格子の隙間からは広い庭が見える。てっきり草が伸び放題なのだろうと思ったのだが予想に反して以外に綺麗だった。
「さあ、中に入りましょ。探検、探検」
Fは博麗さんから借りた日傘をさしながら楽しそうに言った。
錆び付いた門の格子を素手で開き、なんとか通れる小さな隙間を作る。雑草の中をずんずんと迷い無く進むF。その背中に僕と慧音も続いた。
館の巨大な扉につけられていた鍵は何故か壊されており、手で押すだけで簡単に部外者の侵入を受け入れてくれた。
割れたガラス窓、穴の開いた天井から日光がもれている。
本当に幽霊がいるのか背筋がひやりと冷たい。
「本当に人が住んでいないのね。なんだがとても寂しいところ……怖いな……」と慧音。
「そうかしら。私はこれくらい静かな方が好きだわ」とF。
女性陣2人がそれぞれの館に関する感想を言い終え、僕に首を向けた。あなたはどうなの? と視線が尋ねてくる。
「落ち着いた雰囲気があるから悪くはないと……」と言うと慧音の眉が寄る。
「あ、いや、やっぱり不気味な感じがするから……」と言うとFの視線に力がこもる。
どうしろと言うんだ。
その時、突然に慧音が僕の腕をつかんできた。
「わたしはFと違って怖がりだから心ぼそいの」
言いながらFを流し見る慧音。
その瞳には勝ち誇ったような色が塗られ、小さく鼻を鳴らした。
「しょうがないな」僕は承諾した。
その様子を見ながらFは言う。
「そう、それじゃあ私が先頭になるわ、行きましょう」
Fは僕の手首を強引につかみ大股で歩きだす。僕が引っ張られ、連結していた慧音もその力を受ける。
「ちょっと! どうして霖……じゃなくてFの腕をつかむのよ!」
「私があんたたちの眼になってあげるのよ、眼と脳は神経で繋がられるべきだわ」
「意味分らないわよその理屈!」
静寂な廃墟に少女たちの言い争いが騒がしく反響する。
細い腕によって繋がれた好奇心と恐怖心をともなって、館の奥へと進んでいった。
進めば進むほど外の光りは届かなくなる。博麗さんから借りたランプに火を灯した。冷えた空気が薄暗い廊下を包んでいた。
「あ、ちょっと待って……」慧音が立ち止まり、顔を赤くしながら言う。「その……外までお花摘みにいってくるね」
「何で急に花なんて必要なんだ?」
慧音の意図が分らず、僕が尋ねると慧音の顔がますます赤くなった。
「女の子に恥をかかせるものじゃないわ」そう言ったのはF。
そして慧音にランプを渡した。
「ここで待ってるからはやくいってきなさい」
慧音は僕とFの繋がれた手を一瞥して「むむ~」とうなりながらもランプの光りを頼りに来た道を引き返した。
遠ざかっていく光りを見送る。薄暗い闇の中で不思議と恐怖を感じることはなく、Fの手は心強い。
「お花摘みっていうのはトイレにいくってことなのよ、あんた何も知らないのね」
見えていなくても、自慢げな表情の吸血鬼の姿が容易に想像できる。
少しむかっときたので反撃した。
「じゃあお前はなんで僕がFって言い返したのか分るか?」
「理由なんてあるの?」
「もちろんだ」僕は雄弁に語る。
「あれはエインセルと言って、妖怪や化物に名前を聞かれたときに相手の名前を言うことで自分自身に降りかかる災いを受け流す簡単な護衛手段さ」
「あっそうなんだ」
「知らなかっただろう」
他人に何かを説明している時というのはどうしてこんなに楽しいのだろうか。薀蓄万歳。
「じゃあ、あんたはまだ私のことを警戒してるんだ」
「ま……まあな」
「こういうことをするからかしら」
Fはいきなり走りはじめた。握られた片手が強引に引っ張られる。
「わっ! ま、まてよ! こっちは何も見えないんだから止まれ!」
僕の願いを悪魔が聞くはずもなく闇のはびこる廊下をFは暴走する。
「おっ、目前に階段を発見! 飛ぶわよ!」
「ちょっとまっ……うわあああああ!」
暗闇で中に浮かぶ。これほど恐ろしい体験が他にあるだろうか。
谷底に落とされたような気分で、落下しているのか上昇しているのかもよく分らない理解できない不安な感覚。
半妖の子供に空を飛ぶトラウマを植えつけた吸血鬼はけたけたと笑っていた。
しばらくして暴走は収まり、僕はぐったりと床にうなだれた。
「次は何をしようかしら」Fの声は弾んでいる。
「もう勘弁してくれよ……」
「あっそうだ、またいいこと思いついた」口を三日月のように曲げたF。「あんたも死体見たいでしょ」
「まあ1度は見てみたいな」頷きながら答える。
「実はね、私もう死体見つけていたの」
「えっ? 本当か?」
さっき館の中を走り回ったときにそれらしい場所があったのかもしれないが、彼女の目がなんだか怪しい。
「もちろん本当よ。案内するわ、ついてきて」
そう言うと僕の手をつかんで歩きだす。
この道は覚えている。ここは入口に近いのでうっすらとだが周囲が見えるのだ。Fの足は止まり、音をたてないように静かにしゃがむ。
「ほら見て、あそこよ」
Fは死体があるという場所を指さした。しかし僕には目的のものがどこにあるのか分らなかった。
「それらしいものはなさそうだけれど……」
「よく見なさいよあれよ、外の光りで少しだけ見えるでしょう」
いくら目を凝らしても慧音しか見えない。
おそらくランプの火が消えてしまって帰る道がわからなくなったのだろう。彼女の泣きそうな顔はつい手助けしたくなる魅力がある。
見ていられないと、慧音に声をかけようとしたその時、ようやくFの目的を理解した。そして恐怖する。いや、ありえないだろうと自分に言い聞かせた。
「お前まさか……」
「どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのかしら。死体がないなら自分で作ればいいのよ」
世紀の大発見をしたように目を輝かせるF。
考えてみればそれがたしかに一番簡単な方法に思える。
だが僕はFのたどりついた結論の恐ろしさに驚きを隠せないでいた。
大きく見開かれている僕の目をいちべつし、じゃあいってくるね、と朝のあいさつをするような調子で言って慧音のもとにFは駆けだした。
「ま、待て!」僕はFの後を追った。
慧音は不安そうな表情を浮かべていたが僕達の姿を見るとぱぁっと顔をほころばせた。
「ああ良かった、急に火が消えて困っていたの」
Fは立ち止まり、手の平を慧音に向けた。あれをやる気だ。
昨日、黒い化物を追い払う時に使ったやつだ。大きな妖怪でもあれだけの傷を負ったのだ。慧音に当たれば……想像したくなかった。
「慧音伏せろ!」
「えっ? 何?」慧音は聞き返す。
説明している時間はない。咄嗟に口が動いた。
「足元に虫がいるぞ!」
そう言うと慧音はすぐにぴょんと身を引いた。
次の瞬間、彼女の後ろの方から何かが壊れる音がした。おそらく狙いが外れた攻撃が壁を破壊したのだ。
僕は何が起こっているのか分らずにいる慧音の腕をつかんで出口に向かって全力で走る。
「どうしたの霖ちゃん」
「いいから走るんだ! Fに殺される!」
暗闇が支配する視界の悪い道は迷路だった。だがわずかに外の光りが見える。
明るい方を目指していたのだが、途中道を間違ってしまったようで迷ってしまった。
適当な部屋に入り、僕はマッチに火を灯してランプに命を与えた。
「どうしてFはわたしを……」
慧音の目線は揺れていた。どうしようか。本当のことを、死体を探しに来たと言ったほうがいいのだろうか。
「女の子の声が聞こえるわ。弱者を主張するお手本のような可愛いらしい声が聞こえるわ」
やけに暗闇に響く声。Fが近くにいる。しまった、はやく火を消さなければ。
ランプを掴んだ時にはすでに遅かった。
「み~つけた」
扉を乱暴に開き、吸血鬼が表れた。笑顔のままゆっくりと歩み寄ってくる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。あんたは助けてあげるから。さあ、その子を私に渡しなさい」
僕と慧音は部屋の隅に追いやられたネズミのように2人で震えていた。しかし、僕達の歯では吸血鬼に通用しそうにない。
淡い炎がFの顔をぼやけさせる。僕は声を張って言った。
「なんでだよF! 一緒に寝て、同じご飯を食べた相手じゃないか!」
「同じ時間に寝ていたと言えるかしら? それに私の食事は人間の血よ、そろそろ喉が渇いてきたわ……」
Fは舌をのぞかせる。その視線は慧音の身体を舐めるように移動する。
僕は慧音の前に立ち、盾になるように両手を広げてFと対峙した。
「ふ~ん、そう、その子を守るんだ」
そう言って、彼女は僕の顔に手の平をかざした。人に忘れられた暗闇の廃墟。こんなところで僕は死ぬのか。
ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。なんて、こんな時にのんきなことを考えてる場面じゃない。しかし、僕に時間は残されていなかった。
「友達になれそうだったけれど残念ね」
Fが手に力を込めているのが分る。咄嗟に腕で頭を守り、しゃがみこんだ。
すぐ近くから大きな破壊音が聞こえた。まだ僕は生きていた。
うまく避けることができたのだろうか。おそるおそるまぶたを開いた。Fが笑っていた。
「どう? 少しは肝が冷えたかしら?」
右後ろの壁に大きな穴が生まれていた。
僕の心臓は陸にあげられた魚になっていた。はやく川に戻そうと努力する。
慧音が怯えながら細い声をだした。
「えっと……もしかして演技だったの?」
「あたりまえでしょ。本当に殺すつもりなら、思いついた瞬間殺ってるわ」
自慢げに恐ろしいことをのたまったF。
慧音は緊張の糸が切れたらしく少し泣いている。僕もなんとか立ちあがるのがやっとだった。
やっぱり吸血鬼には近づかない方が安全だ。
Fは僕に言った。
「さっきのあんた、赤ちゃんみたいな顔してたわよ」
「いや……さっきのはただの演技だ」
Fの白い腕が伸び、手の平が僕の胸に触れた。
「熱いじゃない」
「う、うるさい」
とにかく彼女のせいで肝が冷え切り、疲労がよけいに溜まる。
本来の目的を忘れてFは楽しんでいるようだ。死体もなさそうだし、本人がこんな調子じゃあ今日の探索はもうお終いだろう。ところが。
「あっ!」と慧音が大きな声をあげた。
彼女はFによってあけられた壁穴を指さした。僕とFも注目する。
「あそこに……誰か居る……」
信じられないものを目撃したという表情で慧音は固まっていた。
ランプをかざしてのぞくと、確かに服ようなものが見える。
Fによって偶然開けられた穴以外に入れそうな扉も窓もない密封された小さな部屋。
どうしてわざわざこんな秘密の部屋が必要なのだろうか。
人が住んでいない薄暗い廃墟。そんな場所に隠すように作られた小部屋で放置されているもの。
背筋が少しぞくぞくした。しかし、まだ人かどうかも、ましてや死体だなんて分らない。Fは吸い寄せられるように1人で中に入った。
「霖ちゃん……」慧音はすがるような瞳で僕を見た。
「大丈夫だよ慧音。一緒にいこう」
彼女はこくりと頷いた。
手を握り合って僕達も穴をくぐって中に侵入した。
その部屋の中央に何かがいる。ランプを向けるとそれは人だった。
あお向けに寝かされている人がいる。顔は白いが死んでいるかどうかは判断できない。
光りをもっと近づけるとそれが少女のものであると分る。年は僕よりも少し上のお姉さんといったところか。
「ふーん、死体ってけっこう硬いのね」
勝手に死体と決め付けて少女の顔をぺちぺちと叩く吸血鬼。
死後硬直というものは聞いたことがある。死んでしまうと3日ぐらい硬くなってしまうのだ。
どうやら本当に彼女は死んでいるらしい。僕は手を合わせて名前も知らない少女に頭をさげた。慧音も僕の真似をする。
「氷みたいに冷たいわ。生きているとあんなに温かいくて柔らかいのに……魂ってやつがないからかな」
ぶつぶつと考察しなが仏の顔を悪魔がやたらと叩いている。罰がこちらまで及ばないことを祈る。
あたりを見渡し、どきっとした。
周囲の壁には見たことがない文字がびっしりと書きこまれていた。
さらによく見ると部屋の4つの隅に塩が盛られていた。そういえばこの館は妖精の遊び場だと博霊さんが言っていた。
夜な夜な妖精達が集まり、人間の死体を使って何か儀式的なことをおこなっていた。というのはさすがに考えすぎかもしれないが本当だったらかなり怖い。
もう帰ろう、と言おうとして口を開けたまま停止した。死体の少女と目が合ったような気がした。
「あ、あれ? おかしいなあ」
眼鏡を外して目をこすり、もう一度見る。少女はじっと僕の顔を見つめていた。
「あっ……」
声にならない声がもれる。
「どうしたのよ」Fが尋ねた。
「い、今、目が……」
僕の言葉に慧音が反応する。
「もう、そんなことあるわけ……」彼女も停止した。
死んだはずの少女がむっくりと起き上がった。
「きゃあああ!」
慧音が叫ぶ。それと同時に僕とFの腕をつかんで一目散に出口の穴へと走り出す。
いきなり腕を引っ張られ動転するさなか確かに聞いた。パチンと指を鳴らす軽快な音がした。
「痛っ!」
慧音が突然後ろに倒れてきた。何が起きたのかはすぐに分った。
「な、なんだよこれ」
穴はいぜんとして開いている。しかし抜けることができないのだ。触れると、そこには透明な壁が存在し塞がれてしまった。
「ぐが……ぐあ……」
気味の悪い泣き声を死体つぶやく。まさか僕の予想が的中して、たった今死体が蘇ったのだろうか。
1歩、また1歩と焦らすように死体はゆっくりと近づいてくる。
なすすべのない僕と慧音を尻目に吸血鬼は前に出る。
「F!」
僕の呼び声には答えずに視線を動く死体へと向けていた。
少女の死体がFの両肩をつかもうとした時、吸血鬼はつぶやいた。
「あんたからは妖力というよりも魔力を感じるわ……もしかして魔女?」
ぴたりと死体は動きを止める。数秒の静止時間をはさみ答えを返した。
「そう言うあんたからは底知れない妖力を感じるわ……もしかして吸血鬼?」
「その通りよ」自慢げにFは言った。
「ふうん、なるほどね。ちなみにあんたも正解。私は魔女よ」
魔女と名乗る少女は、僕と慧音に顔を向けて先ほどまで死んでいたとは思えないような生き生きとした笑顔で言った。
「ごめん! ごめん! 脅かしてごめんね! いや、ちょっと私も悪ノリしすぎたわ」
「し、死んでなかったの……?」慧音はおずおずと尋ねる。
「死んでないわ。ちょっとした魔術の実験をしていて仮死状態になっていただけよ」
「じゃあ、あんた本当に魔女なのか?」僕の質問に魔女は手を腰に当てて答える。
「ええ、そうよ。私の名前は天才魔女パチュリー・ノーレッジ! いずれこの幻想郷では知らぬものがいないほどの大魔法使いになる予定よ!」
予定かよ。
パチュリーが指をパチンと鳴らすと透明な壁が消えた。
その壁にもたれていた慧音と僕はバランスを崩して後ろにこけてしまった。その様子を見てFはけたけたと笑う。
「脅かしたのは悪かったけど。あんたたちも悪いのよ。
まったく、勝手に人の館に入ってきて、せっかくの儀式を邪魔して、おまけに壁にこんな大きな穴まで開け……」
穴を抜けたパチュリーは表情を一変させた。
「な、なによこれ……まるで廃墟じゃない……」
信じられないといった顔のパチュリーに僕は説明する。
「ここを廃墟だと思って、僕達は肝試しをするために来たんです」
「肝試し?何も冬にすることないじゃない」
「今は夏ですけど」
「夏ですって! この実験は冬に覚醒するように設定していたのに……この私が失敗するなんて……
そもそも結界で妖怪は近づけないようにしていたのよ、なんで吸血鬼が……」
「結界ってこの紙クズのこと?」
その辺の壁に貼り付けられていた紙をあっさりとはがすF。
「この程度の結界なんて痛くも痒くもないわ。あの巫女が神社の周りに警戒程度にしてたやつの方がよっぽど強力よ」
「……天才?」と僕。
「……魔女?」と慧音。
子供2人の乾ききった視線を受けて魔法少女は弁解をはじめた。
「い、いやこの結界は長期間展開するタイプだから効果が薄いのよ。それにまさか吸血鬼が来るなんて想定していなかったわ。
妖精程度なら簡単に追い払えるんだけどね」
「でも博霊さんはこの館に妖精が住み着いているって言ってたわ」慧音が矛盾を指摘する。
「もしかして妖精達がこの館を廃墟に……」
僕の言葉にFは同意するように頷く。
「おそらくそうでしょうね。この入った時もそうだけど、この館、やたらと寒すぎるわ」
「悪寒がしてるからだと思ってたけど言われて見れば肌寒いわ」と慧音。
「妖力も少しだけ残ってるし、力の強い氷の妖精でもいたんじゃないかしら」
Fの話を聞いて魔女は肩を落とした。
「そ、そんな……この館はここに住んでた人間達を操って……じゃなくて友好的に譲ってもらったばかりの新築なのに……」
「なら新しい家を紹介してあげましょうかしら」とFが面白いことを思いついた時の笑顔で言った。よくない兆候だ。
「本当なの」
「もちろん。あっちの方角に吸血鬼が住んでる館があるわ。地下には図書館もあるのよ」
「図書館か、それは魅力的ね」
「でもそこに住んでいる吸血鬼はそこそこ強いのよ。倒せるかしら」
Fの何かふくんだような言葉にパチュリーは鼻を鳴らす。
「大丈夫よ! 弱点だらけの吸血鬼の1匹や2匹、私にとって敵じゃないわ!」
道具さえ揃えれば簡単だと豪語する魔女。
妖精も追い払えないのに本当に大丈夫なのだろうか。僕と慧音は不安を隠せないでいたが、Fだけはにっこりと笑っていた。
館の外に出るとうっすらと赤みを帯びていた。
パチュリーは大量の魔道具を召喚した悪魔に持たせてFに教えられた場所へと向かっていった。
僕達もいったん帰ることにした。
神社では昨日と同じように夕食を食べ、風呂に入り、そして3人で就寝した。
違うことと言えば僕が寝たふりをしたことぐらいだ。
深夜。思っていた通り、Fは起床して服を着替えはじめた。
そして音をたてないようにひっそりと障子を開けた。
三日月の守護か、外は意外と明るい。
自分の帰るべき場所に帰ろうとしている吸血鬼に背中から声をかけた。
「もう帰るのか?」
Fは驚いていた顔で振り向いた。そして微笑を浮かべる。
「ええ、そうするわ。一応、死体を見たから目的も達成できたし、あの魔女がどうなっているのか気になるもの」
Fは博麗の巫女がいつも綺麗にしている石畳を軽い調子で歩いていく。
賽銭箱の裏に用意しておいた靴を僕ははいた。
「本当なら私がこうして夜にひっそりと抜けだして、あんたとあの子が朝起きてびっくりする計画だったんだけどな」
彼女は振り向いて「残念」と言いながらイタズラっぽく舌をだした。
僕もFの後を追うよに歩きだした。
「館であんなことをするお前のことだからそうじゃないかと思ったんだ」
「吸血鬼の行動を読むなんてやるわね」
Fは境内の真ん中あたりで歩くのをやめた。
「それで? 私に何か言いたいことがあるのかしら?」
「ああ」
風が夜の神社を通過する。なびいたFの髪が月の光を反射した。
「本当の名前を教えてほしい」僕が言うとFの目つきが変わった。
「私にとってのFはあんたで、あんたにとってのFが私。それでいいじゃない。名前、言いたくないんでしょ」
「いや」僕は真剣にFを見る。「もうFのことは……その、信用してもいいと思ってる」
「……ふ~んそう、でも嫌よ」
「な、なんでだよ」
「だって」Fは月を見上げ、それから僕の顔を見て笑う。「なんかそっちの方が不思議な感じがして面白そうじゃない」
何百年も生きている吸血鬼は人間の子供のように全力な笑顔で答える。それにつられて僕のほほもほころんだ。
「それってただの自分の我がままじゃないか」
「吸血鬼とはそういうものであります」
敬礼のポーズでFは言った。月は今日も元気に頑張っている。夜の光りが吸血鬼の少女を青白く輝かせる。
「でも僕は自分の名前を言うよ」僕は背の後ろに隠していたものをぎゅっとにぎった。
「私の美学が分らないのかしら。別にいいわよ、名前なんて。じゃあばいばい。あの子にもよろしく言っといて。……元気に生きていたらまた会いましょう」
今にも飛びあがろうとするFを僕は声を張ってひきとめる。
「ま、待ってくれよ!僕の名前は」
「あっ!賽銭箱にお金を入れようとしている人がいる!」
「何っ!」
思わず振り向いた僕がバカだった。賽銭箱はいつものように寂しく鎮座している。
嘘だと分り、急いで首を戻してもそこにFの姿はなかった。
月明かりで博麗神社の境内は青い。
名前を名乗ってから渡そうと考えていた黄色いハンカチ。僕に強くにぎられ力なくたれていた。
「……F、僕の、僕の名前は……」
「森近霖之助さんですねお待ちしておりました」と緑の服を着た明るい女性。
昨日香霖堂に十六夜咲夜が来店した。
ティーカップを探しているようで、自慢の品を見せるとぜひそれを譲って欲しいと言ってきた。
初めて来店してこの店の雰囲気に動じず、さらに商品を買っていく人なんてなかなかいない。
このカップならまあいいかと思い、取引は成立した。
しかしこのカップ専用の箱がどこかにあったのだがなかなか見つからず、結局翌日、つまり今日こちらから届けるということになっていた。
場所を教えてもらう際、吸血鬼の館として有名だから迷った時は近くの人に尋ねるといいと言われた。
吸血鬼と聞いてもしやと思い、ハンカチを持参した。
門番にそれらの話は通してあったようで、すんなりと門を抜けることができた。紅魔館の扉を開けると十六夜咲夜が頭をさげていた。
「ようこそ紅魔館へ。わざわざありがとうございます」
「いえいえ、いつも香霖堂のご利用ありがとうございます」
数少ない貴重なお得意様には精一杯の礼儀で対応する。それがこの幻想郷で生き残る秘訣だ。ここのお嬢様の機嫌を損ねるのは得策ではない。
魔理沙に忠告されたことに気をつけて不自然にならない程度に目に光りを灯す。
「ちょうど今からティータイムですから御一緒にどうですか?」
笑顔の効果かどうかは分らないがお茶のお誘いを受けることができた。魔理沙の言うこともたまには聞いてみるものだ。
ことわる理由がないどころかこれはチャンスだった。
僕は快く頷いた。
「ごちそうになります」
この館の廊下はとにかく長い。遠くからこちらに向かってくる者がいるが小さくて誰だか分らない。やっと判断できたのは1分後のことだった。
「パチュリー様もお茶を御一緒しませんか?」咲夜が尋ねる。
「そうねえ、今は手が離せないから後で小悪魔に取りにいかせるわ」彼女は僕の顔を見ながらつぶやく。「そちらの方は……」
僕は1歩前に出て会釈をした。
「これはこれは、吸血鬼を倒して館を乗っ取ってやると豪語するも結局敗れてしまい
地下の図書館に住み着いてしまったパチュリー・ノーレッジさんではありませんか、お久し振りです」
魔女の顔は引きつり、メイドは戸惑う。
「ど、どうしてそれを……知っているのはあの時の……」
そこで思考と記憶が繋がったようでパチュリーの表情は驚きに変化した。
「僕は半妖です」
「あなた……そう、人間じゃなかったのね」パチュリーは納得する。
「えっと……どういうことでしょうか……」話についていけないメイド長に僕は説明する。
「実は以前、パチュリーさんに遊ばれた経験がありまして」
「えっ!」と少女のように……いや少女らしく驚く咲夜。
てっきり慌てて否定するかと予想していたが100年生きた魔女はこの程度で揺れなかった。
「勘違いするようなこと言わないで。咲夜も本気にしない」
「あ、冗談ですか」咲夜は安堵の息を吐く。
僕は魔理沙に頼まれていた本の件をパチュリーに話した。
カバンから魔理沙の書いた紙を取り出して見せる。思ったとおり彼女は眉にしわを寄せて険しい顔になった。
「う~ん、下の3冊はいいけれどあとはだめね」パチュリーの声が強くなる。「と言うより魔理沙が今まで勝手に持っていった本を全部返すまで1冊も貸す気ないから」
魔女はかなりのご立腹だ。まあ僕も彼女と似たような立場であるため気持ちはよく分る。
しかし、手ぶらで帰ればマスタースパークがお出迎えということになるだろう。
「どうしてもだめかい?」「だめね」
彼女の意思は簡単に折れそうにない。仕方なく、僕は切り札を切ることにした。咲夜に話しかける。
「咲夜さん、パチュリーさんは今でこそ実力、人格ともに備わった美しい魔女になられました。ところがです、はるか昔は魔理沙顔負けの自信過剰な」
「ちょ! ちょっと! 何言い出すのよ! それとこれとは関係ないでしょ!」
よほど昔の自分が嫌いなのだろうか、先ほどとはうって変わって大声で止めに入る。
こちらも命が懸かっている。手を抜くわけにはいかない。
「私の名前はいずれ幻想郷中に広まるであろう! 心に刻め! 私は大魔法使い! パ」
「わー! わー! わー! わかった! わかったから! 好きなの持っていっていいから!」
真っ赤になって声を張りあげる魔女に僕は深々と頭をさげた。
「さすがパチュリーさんだ心が広い」
「あんた……覚えてなさいよ」
「100年越しのお返しですよ」
久し振りに大声を出したからなのか、パチュリーは肩で息をしている。
1度深呼吸をして呼吸を整えると僕をぎろりとにらんでまた歩きはじめた。しかしまた立ち止まり、振り向いた。
「今、記憶を操作する魔法の研究をしているの……いい実験体が見つかったわ」
ほほの筋肉がつりあがり目が笑っていない。僕もあんな表情をしていたのだろうか。だが魔理沙のように笑えない。
魔女は薄気味悪く笑いながら廊下の奥へと消えてしまった。
「パチュリー様が本気になった目、久し振りに見ました」
咲夜の言葉に背筋が冷える。
金輪際、魔女は怒らせないようにしようと僕は心に誓うのだった。
「こちらでございます」
咲夜に案内された部屋は赤かった。
大きく開かれたバルコニーから夕焼けが侵入しているからなのだが、それ以上に、床を隙間なく埋めている赤い絨毯が原因だ。
ここのお嬢様の趣味なのだろう。まるで血の池だ。
「レミリア様、お茶の時間でございます」
バルコニーからレミリア・スカーレットが表れた。
「ようこそ紅魔館へ。さっそくだけど品物を見せてくれないかしら」
「こちらでございます」
館の主の命令を受けてかばんから商品を取り出す。昨日の夜にやっと見つけた専用の木箱のふたを開ける。ツインのティーカップが夕日を浴びた。
バルコニーに設置されているテーブルと2つのイス、自慢の品をお披露目する。
咲夜が紅茶をそそいだ。甘い匂いがほんのりと広がる。
レミリアはカップをつかんだ感触を確かめながらゆっくりと飲んだ。小指を立てるのも忘れない。
「どうでしょうかお嬢様」咲夜はおずおずと尋ねた。
「うん、なかなか良い品ね、気に入ったわ」
「ありがとうございます」僕は頭をさげた。
そこで、部屋の扉が開き、少女が顔を出した。
「あ~お姉さまだけずるい。わたしもおやつ食べたいわ」
「フラン様、おやつはこれから持ってきます。こちらに座ってお待ちください」
フランは無邪気に笑いながらレミリアと対になっているイスに腰掛けた。
「森近さんのイスもすぐにお持ちしますわ」
「いえ、大丈夫です」目的をはたすべく、僕は黄色いハンカチを差し出した。「それよりもこれに見覚えはありませんか」
3人が注目する。
咲夜は首をひねったがフランの口が開く。
「あれ……これって……」
「咲夜」とレミリアは強い口調で言った。「悪いけれど今日のティータイムはこれでお終いよ」
「ど、どうしたのですかお嬢様?」
「おやつまだ食べてないわ!」
レミリアはフランに矢を射るような視線を向けた。
「フラン……私の言うことが聞けないのかしら?」
「うっ~、……分った」
しょんぼりとしてしまった妹の頭を姉はやさしくなでた。
「私はこの人と少し話があるの。ごめんなさいね。私のおやつも食べていいから許して頂戴」
「お姉さまの分も! やった! 咲夜はやくいこう!」
「えっ! ちょっとフラン様!」
納得のいっていない表情の咲夜をフランは無理やり部屋の外に連れ出した。
僕はレミリアと対峙した。
「あなたが私のFだったのね……えっと……」
「森近霖之助と言います、レミリア・スカーレット」
「座っていいわよ」
フランが座っていたイスに僕は腰掛けた。
「君はずいぶんとお姉さんらしくなったようだね」
「そうかしら」
レミリアは紅茶を一口飲んだ。
僕はハンカチを広げた。夕日が西に沈もうとしている。
「先日、部屋を整理していて見つけたものなんだ」
「そう、これは外の世界から持ってきたものなの、触り心地がいいからよくフランと取り合いをしたわ」
懐かしそうに目を細めてレミリアは言った。
子供のころ吸血鬼と遭遇したと慧音と話したことがある。廃墟にいったことはなんとなく覚えていると彼女は言っていた。
僕もその程度のものだった。しかし、このハンカチを発見した瞬間、奥に仕舞われていた記憶が飛び出した。
探していたパズルの最後のピースを見つけ、はめこんだような感覚だった。
黄色いハンカチは押入れの隅に小さな木箱に入れられていた。保存状態が良く、子供の僕がよほど大切にしていたのだろう。
いつか渡す日のことを考えていたのかもしれない。
「そう言えば君はまた会いに来ると言っていたが、結局来なかったね」
「いったわよ、50年くらい前に」レミリアはしれっと言った。
「半世紀もたってるじゃないか、人間だったら死んでいてもおかしくない」
レミリアは思い出すようにあごに手を当てて言った。
「いえ、確か別れて1週間後ぐらいにもいったのよ、だけどあの神社に近づけなかったのよ、結界が強すぎて」
あの日の翌日、僕と慧音はFを探そうとしていた。しかし、博麗さんに止められた。あの子ことは忘れなさいと強く言われたのだ。
昔は弾幕ルールもなく、殺伐としていた。やはり彼女は博麗の巫女で、吸血鬼を警戒していたのだ。
「名前を教えてくれなかったから探すこともできないし」とレミリア。
「何を言っているんだい? 君が名前を聞きたくないと言ったんじゃないか」
「そうだったかしら? おかしいわね、私は名前を大切にしているわ。
名前はその人物の運命すら変えてしまうのよ、姓名判断って知らないかしら。それにさっきのメイド、十六夜咲夜も私がつけたのよ。かっこいいでしょ」
「まったく……それじゃあ、あべこべじゃないか。君の言っていることが僕には理解できないね」
「吸血鬼とはそういうものであります」
彼女は微笑んだ。
Fも吸血鬼もレミリアもまったくもって理解し難い。
永い時を姿を変えることなく遊び続ける高貴な怪物。関わりたくないと思いながらも、今こうして自ら会いに来ている不可解な心理。
ふと、別れ際に言った彼女の言葉が蘇る。元気に生きていたらまた会いましょう。今まで生きていたから今日、再会することができた。
彼女と遭遇すると運命が書き変えられてしまうという。パチュリーも彼女に触れられたことで変えられてしまったのだろう。
ならば僕の場合はどうなのだろうか?
100年振りに会うためにレミリアに生かされていた。自分でもバカバカしいと思う考えが浮かび、笑ってしまった。
「何がおかしいのかしら」
「いや別に……ただ、運命も吸血鬼もよく分らないと思っただけさ」
「それでいいのよ。分らなくてもいいの、そっちのほうが面白いでしょ?
それとも自分の運命を誰かに保障してほしい? なんなら私がいつも一緒にいてあげようかしら?」
レミリアは僕の顔に向けて小さく微笑んだ。
「それだけは勘弁してほしいものだね。子供の面倒は魔理沙だけで十分さ」
「誰が子供よ、私から見ればあんたもまだまだ子供だわ」
「それはどうも……ともかくこれで君に返すことができた、もう帰ることにするよ」
僕は立ち上がり、バルコニーか出ようとして、足を止めた。
「そうだ、まだ目的があったんだ」と手をポンと合わせながら言った。
「なんだかわざとらしい仕草ね、で、何かしら?」
「もう一度、君の最前線を見てみたかったんだ」
「最前線……もしかして敬礼のこと?」
「そう、それだ」
レミリアは急にばつの悪そうな顔をした。昔の幼かった自分を思い出して恥じているのか、ほほが少し赤くなった。
「あ……あれは、ほら、若気の至りというか……」
夕焼けが幻想郷を支配していく。
100年たってもこの輝きは決して色あせない。タイミングはばっちりだった。
「……それを私にやらせるためにわざわざ来たのね」
「楽しみは最後にとっておく主義なんだ」
やっぱり子供じゃないのとレミリアはつぶやく。
「……まあ、いいわ。でもこれはハンカチのお礼だと思って頂戴」
「感謝いたしますレミリアお嬢様。あの時と同じように元気一杯でお願いしますよ」
「わ、わかってるわよ!」
僕は恭しくお辞儀をした。
レミリアは立ちあがり、僕の前に移動した。顔をゆっくりと起こす、そこにはFがいた。
「最前線であります!」
昔と変わらない無邪気な満面の笑み。
未知の生き物と偶然会ってしまった少年のように僕の身体は弾んでいた。
あの時、Fの顔は夕日を照らされ赤くなっていた。
レミリアの顔もよほど恥ずかしいのかあの日の夕焼けのように紅潮している。
僕の心が赤く染まった。100年前と同じように。
、
楽しく読むことが出来ました。
パチュリーの反応とかも面白かったですし。
楽しいお話でしたよ。
誤字の報告
>「な、ないよこれ……まるで廃墟じゃない……」
正しくは「な、なによこれ……」ですよね。
Fはフランじゃなくて、レミリアだったのか。
という事は、血で汚れていたのはフランじゃなくて誰か別の人間の血、と。
紅い悪魔、の由来ですね。
となると、フランみたいな能力は何でしょー???
う~ん、わかんない。
とりあえず、パチュリーが素晴らしかったです。
こんなマヌケなパチュリーさんも良いですね~♪
素敵な子供霖之助の話でした。若いときのパチュリーもいいなあ。
最後に誤字報告
博霊 → 博麗
素敵だ
フランみたいな力ってのは単純にレミリアが弾幕みたいなエネルギーの塊を撃ってたと自己解釈。
Fと霖之助の懐かしい友情。良いなぁ〜。
実を申せば、読み始めはなんか、はァ?子供香霖?子供慧音?とか思いながら読んでたのですが。
…読み終えた頃には新境地が見えてました。
無邪気なFと、天才魔女様。2度読みしてニヤニヤが止まらねぇ。
最後のとこが余計ニヤリとできるなぁと
ちょっとしたトリックも含め楽しめました。
慧音は別に慧音でなくてもいい気がしちゃいましたけどね。
それにしても、こういう形のレミリアとパチェの出会いは面白いと思った
なんか少年少女の淡い感情の描写がとても素晴らしく3回も読みなおしてしまいました。
少年香霖、少女慧音、そして「F」のほんのり三角関係も良かったです。
楽しませていただきました。
慧霖幼馴染設定をうまく使った良いお話。
あとパチュリーにやにやw
「F」ってルーン文字の一のfehuかと思いました。
500さんの作品をさかのぼって読ませてもらってますが、一言。
面白い!
…今回のお話は絶対フランだろうと思っていたら最後にやられましたw
慧霖幼馴染設定に黒歴史レミパチュにと贅沢な密度でおいしかったです。
しかしFというのは本当にただの偶然だったのにはやられたかも。フランの口調じゃないよなあとは思ってたのですが……