この作品は時系列上、作品集67『てんれい』の翌日の話となります。
前作を読まなくても
・霊夢視点
・天子と霊夢は仲良し(健全な意味で)
・その証拠にいま霊夢は天子の腕枕で寝ている
あたりがわかっていれば大丈夫です。
─────────────────────────────────
朝、陽の光に起こされる。
腕枕の上での幸せな二度寝もここまで。布団に彼女を残して静かに部屋を出た。
顔を洗って朝食を作る。
作るといっても、大したものを作るわけではない。
大したものではないのに、天子はいつもおいしいと言って食べる。
食べるものが普段は桃ぐらいだからだとは思うけど、それでも何となく嬉しい。
とりあえず味噌汁、と思って新しい味噌を開けてみると、思ったより甘かった。
よし、予定変更、今朝は豚汁だ。
天人が肉など食べてよいものどうかは知らないが、どのみち幻想郷では常識に捉われてはいけないのである。
ご飯に豚汁、そして漬物を適当に切って、天子を起こしに行く。
襖を開けると既に起きていて、何を見るでもなく外を見遣っている。
こういうときの、一定の年月を経た者にしか出せない何とも言えない物憂げな顔は、嫌いではない。
「食べる?」
「ん、食べる」
いただきますからごちそうさままでの間には、特段の会話があるわけではない。
魔理沙あたりだとうるさいのだが、私も天子も沈黙が気にならない性質である。
──ごちそうさま。
「それで、今日は何処に?」
「何も決めてないね。良いとこあったら連れてってよ」
「無いわね」
「つれないなぁ。……そうだ」
何か思いついたらしい。
「何処でもないところに連れてって」
何だそれは。
「さっぱりわからないわ」
「適当に、勘の赴くままに行けばいいから」
「うーん、どうなっても知らないわよ」
「よし、そうと決まれば善は急げだ」
すぐにでも飛び立ちそうな天子。
だが、
「待ちなさい」
「何よ」
「歯を磨いてから」
「えー」
「えーじゃない。あんたも磨く」
この不良天人め。
「さーて、天気もいいし、楽しいことになりそうね」
「私にとっては厄日になりそうね。勘だけど」
「まあいいじゃない。私が楽しければ」
「いっぺん死んでみる?」
「丁重にお断りします」
「でも死ね」
いけない、じゃれあっている場合ではなかった。
思い直して、適当な方向に飛び始める。この方向には何かがあると思ったら向きを変えるようにすれば、
何処でもない場所にいけるんじゃないだろうか。そんなことを考えていた。
一刻ほど飛んだだろうか、前方に「誰かいる」ような気がした。
天子のほうにちらりと顔を向けて、少しスピードを上げる。
「どうしたの?」
「誰かいるっぽいんだけど」
「ここ何処?」
「さあ」
「ふーん、面白いことになりそうね」
「どうだか」
とりあえずお札を一枚飛ばす。博麗神社の札だ、気付けば止まってくれるだろう。
そのまま前方へ進んでいくと、人影らしきものが大きくなってきた。
「変な札が飛んできたと思ったら、あんただったのね」
ネコ耳に尖った爪、二又に分かれた尻尾だ。この格好には見覚えがある。
「橙じゃない。何やってんの」
「それはこっちの台詞よ。どうしてこんなところにいるの?」
「適当に飛んでたらここまで来たのよ。あんたは何処に向かってるの?」
「私は藍様のところに行く途中だけど」
「つまりは、あんたを倒して先に進めばいいってことね」
「何でそうなるのよ……」
逸る私を制して、ここまで黙っていた天子が口を開いた。
「霊夢の知り合いなの?」
「あれ、あんた知らなかったっけ。紫の式の式よ」
「そう言われれば見たことあるかも」
天子が橙の前まで進み出る。
ちょっと待て、私は急に止まれない。
「比那名居 天子よ。よろしく」
「あ、橙です。よろしくお願いします」
せっかくやる気になってたのに、水を差さないでよ。
「貴方、猫の式神なんでしょ?」
「そうですよ」
「本体が橙色なのかなぁ」
「いえー、黒猫ですよー」
世間話みたいなことしてるし、私は? ねえ私は?
「黒に橙なんて、変わったことするのね」
「それがどうかしました?」
「いや、別に。ところで、貴方の主人のところに一緒に行ってもいいかしら」
あれ、勝手に話が進んでるような気が……。
「うーん、できれば遠慮してほしいですね」
「そう、それじゃあ、私が勝って無理やり連れて行かせたということにしましょう」
「私が勝ったらどうするの?」
「そのときは、貴方、青を自称していいわよ」
「良くわからないけど、とりあえず勝負!」
ちょ、ちょっと。
私が唖然としているうちに、いつの間にか一人と一匹は弾幕ごっこを始めていた。
なんてこった、完全に置いていかれてる。
うーん。
正直なところ、他人の弾幕ごっこなど眺めていても別段面白いものではない。
ぼけっとしていたら、いつの間にか橙が撃墜されていた。
「うにゃあーーーーーーーーーーー」
いやいや、いくら猫でもそれはないわ。
思わずツッコミを入れてしまうほどの叫び声を残して橙は墜ちていった。
「いえーい」
「あんた、大人気ないわね」
「霊夢のほうがよっぽど大人気ない戦いかたするのに」
「この慈悲深い霊夢様に向かって何て口を」
「あー今日も快晴だわー」
「聞け!」
「お、猫ちゃんが帰ってきたよ」
「まったく……お疲れ、橙。どうだった?」
「うぅ。天子さんの弾幕は、何というか、二段構えなんですね」
「おー、それがわかるだけでも大したもんだ」
「ここに避けることを知っていたように弾が飛んで来るんですから」
「ふふ。それじゃあ、連れて行ってもらうからね」
「仕方ないです」
その後も会話を続ける一人と一匹をよそに、私の思考が漂い始める。
二段構え、という言葉には思い当たる節が無いわけでもない。
まず、天子は相手の次の手を読んでいる。しかし一方で、相手の次の手までしか読んでいない。
では、次の手までしか読めないのか。
そんなはずはない。私の彼女に対する評価はそこまで低くないのだ。
二段目までしか考えない、その理由はいったい何なんだろう。まだ考えがまとまらない。
そこからまた半刻ほど飛んだところで、
「そろそろですよー」
着くらしい。しかし、藍がいるってことは紫もいるのだろう。
天子は最初からここに来るつもりだったのだろうか。
「ありがとうねー猫ちゃん」
「猫ちゃんはやめてください。藍様にいただいた名前がありますから」
「いやあ、そんなに大事な名前を軽々しくは呼べないねぇ」
「おお? これは珍しい」
「あ、藍様!」
「橙が人間を連れてくるなんて」
「猫ちゃんにお願いして無理やりついてきたのよ」
「ほう。それでは、私が橙の仇を取らなきゃいけないのかな?」
「別に構わないけど、いまの貴方じゃ私は倒せないよ」
「どうしてそう思う」
「式神がどういうものかは知っている。独断専行が本分から外れたところにあることもね」
「脅しのつもりかい」
「どうせ、自分でもわかってるんでしょ。やるなら独力で何とかしなきゃいけないってことぐらい」
「ふむ。意外に鋭い。確かに今日のお前は拒絶されているわけでもなさそうだ」
「それじゃあ、貴方の主人のところに連れて行ってもらってもいいかしら」
「連れて行ってやらないこともないが……」
「何よ」
「その前に、少し遊んでいかないか」
「あんたも好き者ねぇ」
「私はまぁ、嗜む程度だよ」
「私はさっき猫ちゃんと遊んだし、順番からすると霊夢かな。っと、聞いてるの?」
やべえ、全然聞いてなかった。
「あ、何?」
「いや、貴方も弾幕ごっこ、どうかなと思って」
「うーん……パスかな」
さっきの逸っていた心はどこへいったのか、何だか気分が乗らない。
だが、それを聞いた一人と二匹はとても驚いたらしい。
「弾幕ごっこをパスする霊夢は霊夢じゃないよね」
「出会ったら即弾幕で有名なあの霊夢が……」
「あいつ熱でもあるんじゃないのか? 後で医者に連れて行ってやりな」
顔を見合せて好き勝手言いやがる。
「あんた達、私を何だと思ってるのよ」
「弾幕バカ。もしくはバカの弾幕好き」
「泣く子も黙る鬼巫女。妖怪はむしろ泣く」
「秩序の名の下に暴力を振るう暴君」
「よしわかった。お前ら全員歯をくいしばれ」
そう言いながら拳骨を作る。ちなみに指と指の間に針を挟んでいるので当たるとたぶん痛い。
「猫ちゃんここは任せた!」
「ちょ、ちょっと。藍様助けてください!」
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落すというらしいな。頑張れ、橙」
橙が前面に押し出されてきた。どうやら生贄が決まったらしい。
「安心しなさい。一撃で決めてあげるから」
言い終わると同時に踏み込んで、拳を叩き込む。きちんと顔は外してあげる優しい私。
橙は動けないでいる。これはもらった、そう思った。
しかし、
腕が途中から消えてしまった。これでは当てようがない。
まるで別の空間に飲み込まれてしまったかのように、肘の少し先から綺麗さっぱり無くなっている。
この状況からすると、犯人は一人。
「まったく。いるなら最初から出てきなさいよ」
腕を引き抜きながら見えない相手に声を上げる。
その声に誘われて、何もなかったはずの空間に隙間ができる。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」
「何よそれ」
「外の世界ではこうやって登場するのよ」
「適当なこと言わないでよ」
言わずと知れた八雲 紫だ。相変わらず胡散臭い。
「ちょっと今失礼なこと考えたでしょ」
「幻想郷では胡散臭いは褒め言葉だってさ」
「適当なこと言ってるのはどっちよ。ま、今日は霊夢の日じゃないからいいけど」
そう言って、紫は天子の方へ向き直る。
「ごきげんよう。今日は桃でも持ってきてくれたのかしら」
「お生憎、私の口に李は合わなくてね」
「あら。それじゃあ、何しに来たのかしら」
「偶然よ。何処でもないところに行こうとしたら、ここに流れ着いてしまって」
「なるほど。上手いこと考えたわね」
「私の霊夢は優秀なのよ」
おい、誰の許可を取って所有権を主張しているんだ。
「へぇ、私の霊夢はそこまで優秀じゃないんだけど……」
こら、お前もか。何でこう面倒な方向に話が進んでいくのだろう。
しかし、「私の」という表現は紫にそれなりの影響を及ぼしたらしく、いつの間にか手には三枚のカードが現れていた。
ふと天子を見ると、こちらもカードを準備していた。お互いに、こうなることはわかっていたようだ。
やはり今日は最初からここに来るつもりだったのか。
「せっかく手ぶらで返すのもなんだから、これでどうかしら」
「ふん、寛にして畏れられる。何でもそうやって片を付けるようじゃ嫌われるよ」
「ふふ、厳にして愛せらる。甘やかされるとつけ上がる未熟者にはわからないかしら」
紫がまずは一枚のカードを取り出す。
「幻巣『飛光虫ネスト』」
無数の隙間から天子目掛けてレーザーが殺到する。
天子は十分に高さを取って避ける。そのまま空中でスペルを宣言した。
「霊想『大地を鎮める石』」
地中から要石が現れたかと思うと、針が紫を襲う。
紫はきちんと針と針との隙間に身を置いていく。
どちらも直線的な攻撃で、その分避けやすいともいえる。
特にまだ切迫感もなくお互い避け続けていた。
ちなみに私たちは安全な場所から観戦中である。
「あんた、紫を手伝わなくていいの?」
「今日の紫様には必要ないらしい」
「二人とも本気じゃないみたいだしね」
藍とそんなことを話しながら眺めていた。
あ、互いに時間切れ。
紫が早速次のカードを手に取る。
「魍魎『二重黒死蝶』」
昔見た弾幕を思い出し、これは意外と本気なのかもしれないと思いなおした。
確か、弾幕が通り過ぎたと思ったら後ろから横から戻ってきたような気がする。
天子は初見のはずだが、大丈夫だろうか。
その天子はしばらく様子見することに決めたようで、宙を舞いながら慎重に弾を避けていく。
表情も、普段の余裕を残したものから比べると真剣さが増している。
「どうしたの? 避けてるだけだと貴方に勝ち目はないわよ」
「こんなに綺麗な弾幕、打ち崩しちゃうのは勿体ない気がして」
意外そうな顔をする紫。
しかし、それは私も同じだった。改めて紫の弾幕を見ると、確かに美しさを持っている。
相対している時はなかなか分からないものだが、横から見ていると全体が把握できるのだ。
そういえば、スペルカードルールを制定したときは、弾幕の美しさも考慮に入れたはずだった。
これからは、他人の弾幕ごっこもそういう目で見なければならないかもしれない。
「変わってるのね。いいわ、存分に避けなさい」
「言われなくても。気符『無念無想の境地』」
被弾しても大丈夫モードに突入した天子は大胆に動きながら弾幕の間をすり抜けていく。
その動きはとても滑らかで、まるで紫と天子が事前に打ち合わせをしていたかのようだ。
私も、藍と橙も段々とその様子に惹き込まれていく。
そのまま、予定調和のように天子は避け切った。
「あらあら、本当に避けられちゃったわ」
呆れ顔の紫。
「いいね! こんなに楽しいことはない」
興奮気味に地上に降り立つ天子。
「でも、これはどうかしら。境符『波と粒の境界』!」
紫が宣言したのはこれまで聞いたことのないものだった。
弾の列が何本も飛び出し、紫を中心として回転しながら四方八方に広がっていく。
弾速が速い上に弾と弾の隙間が小さく、一目見ただけで大変なものだというのがわかる。
これに対して天子は相変わらず避けることしか考えていないようだ。
小刻みにステップしながら、踊るように弾を避けていく。
いや、踊るように、ではない。踊っているのだ。
身を翻すようにして、紙一重で弾のないところに移動していく。
こんな避け方、見たことがない。
「ううむ。理論上はむしろ効率的なんだが……」
隣で藍が呻く。橙は完全に言葉を失って目を丸くしている。
「どういうこと?」
「紫様の弾幕はとても規則正しい」
「確かに」
「そして、一つ一つの弾はそこまで大きくなく、隙間もある」
「それなら、ぎりぎりでかわす方がかえって安全なわけね」
「問題は、かわし続けることができるかどうかだ」
視線は天子を捉えたままである。
表情からは余裕が失われつつあり、額には汗が浮かんできている。
ステップはとても激しい。天人は歌と踊りばかりして暮らすというが、ここまではしないだろう。
見ているこっちが先に疲れ果ててしまいそうな感じがする。
時間が過ぎるのがとても遅く感じられる。正確に計れば二分ほどかもしれないが、体感では十分以上はありそうだ。
順調に避け続けていた天子だが、流石に疲労もあってか動きにキレがなくなってきた。
紙一重がさらに薄くなって、段々と体勢を維持することができなくなっってきている。
「危ない!」
被弾しそうになって、思わず声をあげてしまった。
その声に弾かれたように身を捩らせて何とか回避した天子。
しかし、新たな弾が既に迫ってきている。
これはもう避けられない。
天子はとっさに回避結界を発動させる。弾は要石に当たり、それとほぼ同時に全ての弾が消えた。
そのまま地面に足を投げ出して座りこむ天子。
「最後が余計だったわ。画龍点睛を欠くってやつね」
「そんなことない。十分良いものを見せてもらいましたわ」
紫が天子に手を差し伸べる。
「ようこそ、幻想郷へ」
「もう来てるわよ」
そう言いながらも天子は紫の手を取って立ち上がり、服についた土を落とす。
「貴方、どうしてこんなことを?」
「その方が楽しそうだったからね」
それを聞いて、何となく腑に落ちたことがある。
こいつの行動基準は結局のところ楽しいかそうでないかでしかないのだ。
恐らくは「まあいいじゃない。私が楽しければ」というのは冗談ではなく本心なんだろう。
そして、その楽しみ方こそが、二段目までしか考えないということなのではないか。
先に全てを見通さないことで常に自分に一瞬の判断を要求する。
天人にとって今を楽しめないことは死活問題に繋がると聞いた。
今をどうやって楽しむか、彼女が行き着いた答えがそれなんだろう。
まったく傍迷惑な奴である。
だが、私だって自分が楽しいことが一番だし、傍若無人な輩など捨てるほどいる。
だから、彼女は変わる必要もなく、私も変えさせたりはしない。
たまに来て少し振り回されるぐらいなら可愛いものだ。
「せっかくだから、うちにも少し寄って行きなさい」
「いいの? それじゃあ、台所を借りてもいいかな。霊夢にお昼でも作ってもらおう」
「あら、それは名案ね」
「じゃあ、お願いされてくれるかしら」
……少し振り回されるぐらいなら可愛いものだ。うん、可愛いものだ。
「仕方ない。あの二匹も借りるわよ」
そう言い残して歩き出す。
「ちょっと待って、霊夢!」
橙に引き留められた。せっかく綺麗にまとまったのに何よ。
「そっちは逆よ」
ちくしょう。やっぱり今日は厄日だ。
前作を読まなくても
・霊夢視点
・天子と霊夢は仲良し(健全な意味で)
・その証拠にいま霊夢は天子の腕枕で寝ている
あたりがわかっていれば大丈夫です。
─────────────────────────────────
朝、陽の光に起こされる。
腕枕の上での幸せな二度寝もここまで。布団に彼女を残して静かに部屋を出た。
顔を洗って朝食を作る。
作るといっても、大したものを作るわけではない。
大したものではないのに、天子はいつもおいしいと言って食べる。
食べるものが普段は桃ぐらいだからだとは思うけど、それでも何となく嬉しい。
とりあえず味噌汁、と思って新しい味噌を開けてみると、思ったより甘かった。
よし、予定変更、今朝は豚汁だ。
天人が肉など食べてよいものどうかは知らないが、どのみち幻想郷では常識に捉われてはいけないのである。
ご飯に豚汁、そして漬物を適当に切って、天子を起こしに行く。
襖を開けると既に起きていて、何を見るでもなく外を見遣っている。
こういうときの、一定の年月を経た者にしか出せない何とも言えない物憂げな顔は、嫌いではない。
「食べる?」
「ん、食べる」
いただきますからごちそうさままでの間には、特段の会話があるわけではない。
魔理沙あたりだとうるさいのだが、私も天子も沈黙が気にならない性質である。
──ごちそうさま。
「それで、今日は何処に?」
「何も決めてないね。良いとこあったら連れてってよ」
「無いわね」
「つれないなぁ。……そうだ」
何か思いついたらしい。
「何処でもないところに連れてって」
何だそれは。
「さっぱりわからないわ」
「適当に、勘の赴くままに行けばいいから」
「うーん、どうなっても知らないわよ」
「よし、そうと決まれば善は急げだ」
すぐにでも飛び立ちそうな天子。
だが、
「待ちなさい」
「何よ」
「歯を磨いてから」
「えー」
「えーじゃない。あんたも磨く」
この不良天人め。
「さーて、天気もいいし、楽しいことになりそうね」
「私にとっては厄日になりそうね。勘だけど」
「まあいいじゃない。私が楽しければ」
「いっぺん死んでみる?」
「丁重にお断りします」
「でも死ね」
いけない、じゃれあっている場合ではなかった。
思い直して、適当な方向に飛び始める。この方向には何かがあると思ったら向きを変えるようにすれば、
何処でもない場所にいけるんじゃないだろうか。そんなことを考えていた。
一刻ほど飛んだだろうか、前方に「誰かいる」ような気がした。
天子のほうにちらりと顔を向けて、少しスピードを上げる。
「どうしたの?」
「誰かいるっぽいんだけど」
「ここ何処?」
「さあ」
「ふーん、面白いことになりそうね」
「どうだか」
とりあえずお札を一枚飛ばす。博麗神社の札だ、気付けば止まってくれるだろう。
そのまま前方へ進んでいくと、人影らしきものが大きくなってきた。
「変な札が飛んできたと思ったら、あんただったのね」
ネコ耳に尖った爪、二又に分かれた尻尾だ。この格好には見覚えがある。
「橙じゃない。何やってんの」
「それはこっちの台詞よ。どうしてこんなところにいるの?」
「適当に飛んでたらここまで来たのよ。あんたは何処に向かってるの?」
「私は藍様のところに行く途中だけど」
「つまりは、あんたを倒して先に進めばいいってことね」
「何でそうなるのよ……」
逸る私を制して、ここまで黙っていた天子が口を開いた。
「霊夢の知り合いなの?」
「あれ、あんた知らなかったっけ。紫の式の式よ」
「そう言われれば見たことあるかも」
天子が橙の前まで進み出る。
ちょっと待て、私は急に止まれない。
「比那名居 天子よ。よろしく」
「あ、橙です。よろしくお願いします」
せっかくやる気になってたのに、水を差さないでよ。
「貴方、猫の式神なんでしょ?」
「そうですよ」
「本体が橙色なのかなぁ」
「いえー、黒猫ですよー」
世間話みたいなことしてるし、私は? ねえ私は?
「黒に橙なんて、変わったことするのね」
「それがどうかしました?」
「いや、別に。ところで、貴方の主人のところに一緒に行ってもいいかしら」
あれ、勝手に話が進んでるような気が……。
「うーん、できれば遠慮してほしいですね」
「そう、それじゃあ、私が勝って無理やり連れて行かせたということにしましょう」
「私が勝ったらどうするの?」
「そのときは、貴方、青を自称していいわよ」
「良くわからないけど、とりあえず勝負!」
ちょ、ちょっと。
私が唖然としているうちに、いつの間にか一人と一匹は弾幕ごっこを始めていた。
なんてこった、完全に置いていかれてる。
うーん。
正直なところ、他人の弾幕ごっこなど眺めていても別段面白いものではない。
ぼけっとしていたら、いつの間にか橙が撃墜されていた。
「うにゃあーーーーーーーーーーー」
いやいや、いくら猫でもそれはないわ。
思わずツッコミを入れてしまうほどの叫び声を残して橙は墜ちていった。
「いえーい」
「あんた、大人気ないわね」
「霊夢のほうがよっぽど大人気ない戦いかたするのに」
「この慈悲深い霊夢様に向かって何て口を」
「あー今日も快晴だわー」
「聞け!」
「お、猫ちゃんが帰ってきたよ」
「まったく……お疲れ、橙。どうだった?」
「うぅ。天子さんの弾幕は、何というか、二段構えなんですね」
「おー、それがわかるだけでも大したもんだ」
「ここに避けることを知っていたように弾が飛んで来るんですから」
「ふふ。それじゃあ、連れて行ってもらうからね」
「仕方ないです」
その後も会話を続ける一人と一匹をよそに、私の思考が漂い始める。
二段構え、という言葉には思い当たる節が無いわけでもない。
まず、天子は相手の次の手を読んでいる。しかし一方で、相手の次の手までしか読んでいない。
では、次の手までしか読めないのか。
そんなはずはない。私の彼女に対する評価はそこまで低くないのだ。
二段目までしか考えない、その理由はいったい何なんだろう。まだ考えがまとまらない。
そこからまた半刻ほど飛んだところで、
「そろそろですよー」
着くらしい。しかし、藍がいるってことは紫もいるのだろう。
天子は最初からここに来るつもりだったのだろうか。
「ありがとうねー猫ちゃん」
「猫ちゃんはやめてください。藍様にいただいた名前がありますから」
「いやあ、そんなに大事な名前を軽々しくは呼べないねぇ」
「おお? これは珍しい」
「あ、藍様!」
「橙が人間を連れてくるなんて」
「猫ちゃんにお願いして無理やりついてきたのよ」
「ほう。それでは、私が橙の仇を取らなきゃいけないのかな?」
「別に構わないけど、いまの貴方じゃ私は倒せないよ」
「どうしてそう思う」
「式神がどういうものかは知っている。独断専行が本分から外れたところにあることもね」
「脅しのつもりかい」
「どうせ、自分でもわかってるんでしょ。やるなら独力で何とかしなきゃいけないってことぐらい」
「ふむ。意外に鋭い。確かに今日のお前は拒絶されているわけでもなさそうだ」
「それじゃあ、貴方の主人のところに連れて行ってもらってもいいかしら」
「連れて行ってやらないこともないが……」
「何よ」
「その前に、少し遊んでいかないか」
「あんたも好き者ねぇ」
「私はまぁ、嗜む程度だよ」
「私はさっき猫ちゃんと遊んだし、順番からすると霊夢かな。っと、聞いてるの?」
やべえ、全然聞いてなかった。
「あ、何?」
「いや、貴方も弾幕ごっこ、どうかなと思って」
「うーん……パスかな」
さっきの逸っていた心はどこへいったのか、何だか気分が乗らない。
だが、それを聞いた一人と二匹はとても驚いたらしい。
「弾幕ごっこをパスする霊夢は霊夢じゃないよね」
「出会ったら即弾幕で有名なあの霊夢が……」
「あいつ熱でもあるんじゃないのか? 後で医者に連れて行ってやりな」
顔を見合せて好き勝手言いやがる。
「あんた達、私を何だと思ってるのよ」
「弾幕バカ。もしくはバカの弾幕好き」
「泣く子も黙る鬼巫女。妖怪はむしろ泣く」
「秩序の名の下に暴力を振るう暴君」
「よしわかった。お前ら全員歯をくいしばれ」
そう言いながら拳骨を作る。ちなみに指と指の間に針を挟んでいるので当たるとたぶん痛い。
「猫ちゃんここは任せた!」
「ちょ、ちょっと。藍様助けてください!」
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落すというらしいな。頑張れ、橙」
橙が前面に押し出されてきた。どうやら生贄が決まったらしい。
「安心しなさい。一撃で決めてあげるから」
言い終わると同時に踏み込んで、拳を叩き込む。きちんと顔は外してあげる優しい私。
橙は動けないでいる。これはもらった、そう思った。
しかし、
腕が途中から消えてしまった。これでは当てようがない。
まるで別の空間に飲み込まれてしまったかのように、肘の少し先から綺麗さっぱり無くなっている。
この状況からすると、犯人は一人。
「まったく。いるなら最初から出てきなさいよ」
腕を引き抜きながら見えない相手に声を上げる。
その声に誘われて、何もなかったはずの空間に隙間ができる。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」
「何よそれ」
「外の世界ではこうやって登場するのよ」
「適当なこと言わないでよ」
言わずと知れた八雲 紫だ。相変わらず胡散臭い。
「ちょっと今失礼なこと考えたでしょ」
「幻想郷では胡散臭いは褒め言葉だってさ」
「適当なこと言ってるのはどっちよ。ま、今日は霊夢の日じゃないからいいけど」
そう言って、紫は天子の方へ向き直る。
「ごきげんよう。今日は桃でも持ってきてくれたのかしら」
「お生憎、私の口に李は合わなくてね」
「あら。それじゃあ、何しに来たのかしら」
「偶然よ。何処でもないところに行こうとしたら、ここに流れ着いてしまって」
「なるほど。上手いこと考えたわね」
「私の霊夢は優秀なのよ」
おい、誰の許可を取って所有権を主張しているんだ。
「へぇ、私の霊夢はそこまで優秀じゃないんだけど……」
こら、お前もか。何でこう面倒な方向に話が進んでいくのだろう。
しかし、「私の」という表現は紫にそれなりの影響を及ぼしたらしく、いつの間にか手には三枚のカードが現れていた。
ふと天子を見ると、こちらもカードを準備していた。お互いに、こうなることはわかっていたようだ。
やはり今日は最初からここに来るつもりだったのか。
「せっかく手ぶらで返すのもなんだから、これでどうかしら」
「ふん、寛にして畏れられる。何でもそうやって片を付けるようじゃ嫌われるよ」
「ふふ、厳にして愛せらる。甘やかされるとつけ上がる未熟者にはわからないかしら」
紫がまずは一枚のカードを取り出す。
「幻巣『飛光虫ネスト』」
無数の隙間から天子目掛けてレーザーが殺到する。
天子は十分に高さを取って避ける。そのまま空中でスペルを宣言した。
「霊想『大地を鎮める石』」
地中から要石が現れたかと思うと、針が紫を襲う。
紫はきちんと針と針との隙間に身を置いていく。
どちらも直線的な攻撃で、その分避けやすいともいえる。
特にまだ切迫感もなくお互い避け続けていた。
ちなみに私たちは安全な場所から観戦中である。
「あんた、紫を手伝わなくていいの?」
「今日の紫様には必要ないらしい」
「二人とも本気じゃないみたいだしね」
藍とそんなことを話しながら眺めていた。
あ、互いに時間切れ。
紫が早速次のカードを手に取る。
「魍魎『二重黒死蝶』」
昔見た弾幕を思い出し、これは意外と本気なのかもしれないと思いなおした。
確か、弾幕が通り過ぎたと思ったら後ろから横から戻ってきたような気がする。
天子は初見のはずだが、大丈夫だろうか。
その天子はしばらく様子見することに決めたようで、宙を舞いながら慎重に弾を避けていく。
表情も、普段の余裕を残したものから比べると真剣さが増している。
「どうしたの? 避けてるだけだと貴方に勝ち目はないわよ」
「こんなに綺麗な弾幕、打ち崩しちゃうのは勿体ない気がして」
意外そうな顔をする紫。
しかし、それは私も同じだった。改めて紫の弾幕を見ると、確かに美しさを持っている。
相対している時はなかなか分からないものだが、横から見ていると全体が把握できるのだ。
そういえば、スペルカードルールを制定したときは、弾幕の美しさも考慮に入れたはずだった。
これからは、他人の弾幕ごっこもそういう目で見なければならないかもしれない。
「変わってるのね。いいわ、存分に避けなさい」
「言われなくても。気符『無念無想の境地』」
被弾しても大丈夫モードに突入した天子は大胆に動きながら弾幕の間をすり抜けていく。
その動きはとても滑らかで、まるで紫と天子が事前に打ち合わせをしていたかのようだ。
私も、藍と橙も段々とその様子に惹き込まれていく。
そのまま、予定調和のように天子は避け切った。
「あらあら、本当に避けられちゃったわ」
呆れ顔の紫。
「いいね! こんなに楽しいことはない」
興奮気味に地上に降り立つ天子。
「でも、これはどうかしら。境符『波と粒の境界』!」
紫が宣言したのはこれまで聞いたことのないものだった。
弾の列が何本も飛び出し、紫を中心として回転しながら四方八方に広がっていく。
弾速が速い上に弾と弾の隙間が小さく、一目見ただけで大変なものだというのがわかる。
これに対して天子は相変わらず避けることしか考えていないようだ。
小刻みにステップしながら、踊るように弾を避けていく。
いや、踊るように、ではない。踊っているのだ。
身を翻すようにして、紙一重で弾のないところに移動していく。
こんな避け方、見たことがない。
「ううむ。理論上はむしろ効率的なんだが……」
隣で藍が呻く。橙は完全に言葉を失って目を丸くしている。
「どういうこと?」
「紫様の弾幕はとても規則正しい」
「確かに」
「そして、一つ一つの弾はそこまで大きくなく、隙間もある」
「それなら、ぎりぎりでかわす方がかえって安全なわけね」
「問題は、かわし続けることができるかどうかだ」
視線は天子を捉えたままである。
表情からは余裕が失われつつあり、額には汗が浮かんできている。
ステップはとても激しい。天人は歌と踊りばかりして暮らすというが、ここまではしないだろう。
見ているこっちが先に疲れ果ててしまいそうな感じがする。
時間が過ぎるのがとても遅く感じられる。正確に計れば二分ほどかもしれないが、体感では十分以上はありそうだ。
順調に避け続けていた天子だが、流石に疲労もあってか動きにキレがなくなってきた。
紙一重がさらに薄くなって、段々と体勢を維持することができなくなっってきている。
「危ない!」
被弾しそうになって、思わず声をあげてしまった。
その声に弾かれたように身を捩らせて何とか回避した天子。
しかし、新たな弾が既に迫ってきている。
これはもう避けられない。
天子はとっさに回避結界を発動させる。弾は要石に当たり、それとほぼ同時に全ての弾が消えた。
そのまま地面に足を投げ出して座りこむ天子。
「最後が余計だったわ。画龍点睛を欠くってやつね」
「そんなことない。十分良いものを見せてもらいましたわ」
紫が天子に手を差し伸べる。
「ようこそ、幻想郷へ」
「もう来てるわよ」
そう言いながらも天子は紫の手を取って立ち上がり、服についた土を落とす。
「貴方、どうしてこんなことを?」
「その方が楽しそうだったからね」
それを聞いて、何となく腑に落ちたことがある。
こいつの行動基準は結局のところ楽しいかそうでないかでしかないのだ。
恐らくは「まあいいじゃない。私が楽しければ」というのは冗談ではなく本心なんだろう。
そして、その楽しみ方こそが、二段目までしか考えないということなのではないか。
先に全てを見通さないことで常に自分に一瞬の判断を要求する。
天人にとって今を楽しめないことは死活問題に繋がると聞いた。
今をどうやって楽しむか、彼女が行き着いた答えがそれなんだろう。
まったく傍迷惑な奴である。
だが、私だって自分が楽しいことが一番だし、傍若無人な輩など捨てるほどいる。
だから、彼女は変わる必要もなく、私も変えさせたりはしない。
たまに来て少し振り回されるぐらいなら可愛いものだ。
「せっかくだから、うちにも少し寄って行きなさい」
「いいの? それじゃあ、台所を借りてもいいかな。霊夢にお昼でも作ってもらおう」
「あら、それは名案ね」
「じゃあ、お願いされてくれるかしら」
……少し振り回されるぐらいなら可愛いものだ。うん、可愛いものだ。
「仕方ない。あの二匹も借りるわよ」
そう言い残して歩き出す。
「ちょっと待って、霊夢!」
橙に引き留められた。せっかく綺麗にまとまったのに何よ。
「そっちは逆よ」
ちくしょう。やっぱり今日は厄日だ。
もし気持ちがあるならば、これからも書いてくれることを望みます
教養のある天子はとても良い。
続編に限らず今後もおもしろい作品見せてください
霊夢の振り回されっぷりが良い味出してますね。
いいなぁ、この天子はいい
続き物の途中という事でしたが、違和感無くスラスラ読めて、読む事に一切のストレスを感じませんでした。
若干落ちが弱い気はしましたが、さらっと読めて良かったです。