燦々と輝く太陽。ほどよく吹く風。雲ひとつない青空。そして、うっすらと桃の香りのする花畑。
そんな花畑を荒らす一人の少女がいた。
「うーん、暇だわ~~~~」
花びらを辺りに撒き散らしながら、ごろごろと花畑を転がる少女。彼女の名は比那名居天子。天界では爪弾き者の不良天人である。
「ちょっと前は色々遊びに来ていたのに、今は誰も来ないんだもの。つまらないわね」
寝転んで蒼い空を見上げながら物憂げにつぶやく。
以前、天子は人間や妖怪と遊びたいが為に気象を弄り、地震を起こし、博麗霊夢をはじめとする地上の面々と争ったことがある。
もっとも争ったと認識しているのは、地上の妖怪達で、天人の天子は暇だったから遊んだという感覚しかない。何度か負けたのも、黒幕は負けるべきだからという考えからだ。
その後も何度か天子を叩きのめそうと何人かやってきたが、そのたびに天子はそれを退けている。異変が解決したのだから負けてやる義理はなかった。
おかげで最近は誰も天界にやってこず、天子はこうして日がな一日中ごろごろしているのだった。
「あの小鬼はずっと酒飲んでばかりだし……、まったくあいつのほうが天人らしいだなんてね」
天界に居座った小鬼。伊吹萃香は時折、天界に来ては酒を飲んで帰っていく。他の天人ともすっかり意気投合してしまっている。
「また地震でも起こそうかしら。でもそれも芸がないわね」
「何が芸が無いですか。勉強していないとまた総領様に怒られますよ?」
「その空気を読んでそうで読んでいない発言、相変わらずね衣玖」
「総領娘様相手に空気を読んでも仕方ありませんから」
天子の背後にふわりと降り立つフリルの着いた羽衣を纏う女性。
やれやれと肩をすくめる衣玖。
「まぁいいわ。それよりも何か暇つぶしはない? 最近誰も来なくなって暇なのよ」
「暇、ですか……」
本気を出して勝ちまくるから誰も来なくなったんですよ、とは言えない。衣玖は空気の読める女だから。
「何かおもしろいことないの~?」ごろごろと転がる天子。
「と、言われましてもー……」
「また地震でも起こしてどこか倒壊させようかしら。神社は要石があるから無理として……里とか」
「それだけはダメです」
「えー、なんでよ」
不満げに頬を膨らませる天子。
「里は総領様の管轄です。それに今地震を起こせば死者は百や二百じゃ聞きませんよ」
「百や二百って、里はそんなに大きくないはずよ。まぁ確かに家は耐震構造してないだろうけど……」
「いったい何時の話をしているんですか。今、里は街といっていい大きさですよ?」
「嘘。だって私が地上に居た時は……」
天子はもとは人間である。祀っていた名居一族が神霊になったので、おまけで天人になったのである。それがおよそ数百年前。天人になると成長は遅延し、寿命は延びた。天子も今の姿になってからもう数十年は経過している。
そんなものだから、天子の記憶でいう里とは家々が固まったままの集落であり、ごくごく規模の小さいコミュニティだった。
「そっかー。里も様変わりしているのね。…………それよ!」
「は?」
「衣玖、あなた里には詳しい?」
目を輝かせて詰め寄る。こういう時の天子はろくなことを考えていない。
「ええ、まぁ。龍宮の使いで時々尋ねますから」
「なら好都合だわ。数百年ぶりに里へ行きましょう。衣玖、案内よろしく」
「え、いえ私にも都合が……」
半分くらいは予想できていたとはいえ、急に話を振られて慌てる衣玖。
「なら里に地震を起こしましょう。そうすればあなたも仕事として里へいかねばならないでしょう? 予報は予報。地震が起こらなくても問題はないわ」
「それはそうですがー……」
「なら決まりね。さ、行くわよ」
さっさと歩きだす天子。暇つぶしが見つかり、機嫌がいいのか足取りは軽い。
「はぁ、まったくもう……」
地震が起こるとなれば龍宮の使いとしては動かざるをえない。天子にしてはうまい案ではある。衣玖が天子に振り回されることを除けば、だ。衣玖の心情に反応したのか羽衣も萎る。
とはいえ、話を聞いておいて無視することもできない。怒れば本当に里に大地震を起こしかねないのが天子だ。衣玖は軽いめまいを覚えながら天子の後を追った。
人里は紅魔の湖に流れ込む河の下流に在る。
妖怪の山を源流とし、里をほぼ北から南へと貫く川は、あらゆる意味で人里の生命線である。
川と直角に、西から東へと一直線に伸びているのが、里の目抜き通りである。
その西側の入り口に天子と衣玖がいた。
「ここが里の一番の通りですね。大体の品物はこの通りで手に入ります」
「……ふえー」
天子は文字通り空いた口がふさがらないようであった。それもそのはず、天子の知っている里といえば、集落といっていいくらいの小さなものだ。それがこれほど大きくなっているとは、天子の埒外であった。
「な、なんでこんなに大きくなってるの……」
「えーと、まぁ色々理由はあるのですが、妖怪との間の条約で里の保護が約束されたことでしょうね。それによって河童とかの妖怪の技術が流入したというのもあるでしょう」
「にしたって増えすぎじゃないの!?」
通りには人が溢れ、客を呼び込む声がひっきりなしに響いている。荷台を引くもの。店先で芸を始めるもの、主婦子供商人、そして時々妖怪。それらが入り乱れて天子の前に現れている。
「今までは増えても妖怪に食べられたりしていましたからね。それが無くなったんで急激に増えたんでしょう。ベビーブームというやつです」
「うむむ……。そういうところは相変わらず生き汚いわね」
生き汚いと天子はいうが、衣玖はそう思っていない。里の発展こそ人間の持つ特性でありエネルギーの表れだ。いったいどこまで成長していくのか、衣玖は楽しみだった。
「さて、これからどうするの? 色々見てまわりたいんだけど」
「そうですね。まずは中央にある両国橋まで行きましょうか。そこで里の地理について説明します」
両国橋は里の中央を流れる川に架かる橋である。およそ五十メートルの長さと、通りとおなじ幅をもつ橋は、里の交通の要所でもあり、そして人間と妖怪で初めて共同制作された建築物である。両国という名前は江戸にある同名の橋から縁起かつぎとして借りたという。
「この橋を中央として川と目抜き通りで里は四つの区域にわけられます。北西部を職人街、南西を下町、裏店。北東を富裕層の屋敷と公共施設、南東が飲み屋などのいわゆる繁華街です」
里が綺麗に区画整理されているのには理由がある。それは街の周囲を囲む壁である。
遥か前に妖怪の侵入を防ぐ為に造られた壁は、いまでこそその機能を果たしていないにせよ、長年人々に目に見える形で守られているという安心感を与えてきた。だが逆にその壁の内部でしか、人々は暮らせないということであり、限られた土地と増える人口により、土地の使い方は厳しく制限されていた。そんな背景から里の内部は区画整理がされているのである。
この都市計画を指揮したのは外から来た人間だ。各区域への奉行所の設置や、災害時の避難経路など、他にもさまざまなところにその人間の案が使われているという。
「正確にはその人が書き残した書物からの流用らしいですが。名前が確か天海……」
「そんなことはどうでもいいわ。それよりも……」
橋の欄干から身を乗り出して、川面を見つめる天子。その目には川底にいる何かを捉えている。
「この川に河童がいるんだけど……。何で誰も気にしないの?」
「そりゃあ河童と人間は通商条約を結んでいますからねぇ。河童の一匹や二匹珍しくもないですよ」
里が保護されたことで、人間に興味を持つ一部の妖怪との間に交流ができるようになった。最たるものが天狗と河童である。
天狗は比較的距離を取っているが、河童は積極的にかかわりを持ってきた。建築技術や簡易的な上下水道は河童の技術の賜物である。
「それにさっきまで歩いて来た間にも妖怪は居たでしょう?」
「え、そうだっけ……」
「ほら、道行く人々で時折派手な衣装を着たのがいましたよね。 ああいう輩は十中八九妖怪です」
「どんな見分け方よ。派手な衣装くらい人間だって着るでしょう?」
「ところがそうではないのです。里に住む人間は基本的に質素ですから。派手な衣装はお金がかかるんですよ」
そもそも幻想郷の染めの技術では原色のような明るい色はまず出せない。それ以前にデザインが和装とは根本的に違っているのだ。思えば、天子の知っている妖怪はのきなみ派手な服装をしている。
人間の知り合いの巫女は巫女装束だし、魔法使いも白黒のエプロンドレス。メイド服は目立つのだが、華美なものかと問われれば違うだろう。
「なるほどね。それで見分けがつくのね……」
自分と衣玖の服装をみる。頭に桃がついていたり、衣玖に至ってはフリルのついた帯だ。確かに妖怪は派手好きなのかもしれない。統計でも取れば面白い結果になるだろう。
「それなりに共存はしているってわけね。で次はどこへいくの?」
「北の船着場に行って見ましょうか。あそこは妖怪の山との交易の場ですし」
里を流れる川の北端。妖怪の山から流れてくる川が里に流れ込んでいる場所。そこが妖怪と人間との交易の場所である。河童や天狗が色々な物を船に乗せてここまで運んでくる。
今もまた、丸太を乗せた船が河童に曳かれてやってきた。接岸するなり、裸の男達が掛け声と同時に丸太を複数で抱えて運んでいく。それを商人風の男が値踏みして、手元の帖に値段を書き込む。それが終わるとまた別の男達が台車に乗せて運んでいく。
そろそろ昼が近いというのに、男達は休まず働いている。気温とは違う熱気があたりを包んでいた。
筋骨隆々とした褌一丁の男達が汗水流しながら、一抱え以上もある丸太を運んでいく様は非常に暑苦しい。あいにく天子にはそういった趣味はないので見ていてもおもしろくはない。衣玖の方を見れば、頬に手をあてて熱い眼差しで眺めている。そういう趣味があったのかとすこし、引く。
別世界に行っている衣玖を放って、木陰から適当に眺めていると丸太がひとりでにヒョコヒョコ動いている。
「む、むむむむ……あの顔と角はどこかで!」
良く見れば天子よりも背の低い子供が片手一本で丸太を持ち上げて運んでいるではないか。良く見ればその顔に見覚えがある。
「あれは……小鬼じゃないの。天界に居ないと思ったらこんなところで何やっているのよ」
萃香は運ばれてくる丸太をひょいひょいと持ち上げては河岸に積み上げていく。鬼の怪力とはよくいったものだ。大体5艘くらいの丸太を運び終えると、現場監督らしい男から小銭をもらい、萃香はひとしきり喜び、人夫達に挨拶すると霧のように消えた。
「まぁ酒代にするのでしょうけど、ああやって人に交わって生きる妖怪、鬼だと珍しいですね」
いつの間にか衣玖が戻ってきていた。
「まぁいいんじゃない別に。酒はそうそう造れるものじゃないし。妖怪でも造れるかもしれないけど、質じゃ人間が作った方がおいしいものね」
「あら、天界のお酒があるじゃないですか」
「いい加減飲み飽きたわ。いったいあれを何年飲み続けてきたと思っているのよ。で、次はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」
「そうですね。日も高いですし、そろそろ昼食にしましょうか」
案内されたのは里の南西、下町区画の蕎麦屋だった。
店内にはその日暮らしの男達がなけなしの銭で蕎麦をすすっていた。彼等は天子達を一瞥すると、元から居なかったかのように席につく。。
染みの付いた壁に天井には雨漏りの跡。机や椅子は綺麗ではあるが使い込まれている為、見た目はよろしくない。
注文を取りに来た小太りで無愛想な女中にもりそばを二つ頼む。
「ねぇ衣玖。本当にここがおいしい蕎麦屋なの?」
「ええ、ここの蕎麦は一級品ですよ。それと、もうちょっと声を落としてください」
むすっと黙る天子。衣玖と違い空気など読まない天子ではあるが、声は聞こえていたであろうに反応しない店主や客が逆に不気味で黙ってしまった。
そのまま気まずい時間が十分ほど続いた。衣玖は慣れているらしく、出されたお茶をゆっくりと飲んでいた。天子は短気な性分なので、天井の染みを数えながら指でとんとんと机を叩いていた。
「はい、もりそば二つ」
注文を聞きに来た時と同様に無愛想に蕎麦を置かれる。
「むむむ~~~~!」
目の前に置かれた月見蕎麦を凝視する天子。見た目は普通。特筆すべきところがないくらい普通。
卵とねぎと天かす。何の変哲もない月見蕎麦だ。
「早く食べないとのびますよ?」
「わ、わかってるわよ!」
無様に割れた割り箸をもって蕎麦をすする。味にはまったく期待していなかった天子だった。だが。
「あ……」
意外や意外。こんな店にも関わらず蕎麦は美味かった。やや太めな麺に蕎麦の香りが素晴らしい。そして薄口でダシの香りがいい汁。思わず夢中ですする。
ふと気がつけば衣玖がこちらをにやにやを眺めていた。
「なにみてんるよ……」
「いえいえ、なんでもありませんよ? おっとお蕎麦が伸びてしまいますね」
笑って誤魔化す衣玖を睨み付けて、自分も蕎麦をすするのにもどる。大抵の場合、こんな状況で衣玖に反論すると負ける。なら、いっそ無視した方がマシというものだ。
そう自分に言い訳して蕎麦を食べた。負け惜しみとも言う。
お代を払って店を出る。もちろん衣玖持ちである。外は大通りのように小奇麗な町並みではない。
通りを一つ曲がれば、長屋と長屋の間にさらに長屋があり、他人の庭のような通路が入り乱れる裏店がある。
店も小奇麗というよりは雑多に、だが細かい部分では多様な品物が置かれている。そんな雑貨店があちこちにある。心なしか人々の服装も地味な色合いが多く、へたれている。
「つまり、ここは貧民街?」
「そういう言い方はおやめください。せめて下町と――おっと」
二人の会話をさえぎって男が一人ぶつかってきた。
「へへ、すいませんねぇ」
頬の落ち窪んだ男はおざなりに頭を下げると人ごみへと消えた。
「なによあれ。あんなのがいるから貧民街とか言われ……どうしたの衣玖」
袖口をまさぐっている衣玖を不審に思い、問いただす。
「やられましたね。あの男、スリだったようです」
「その割には随分と落ち着いているわね。というか、龍宮の使いからサイフをスるだなんて恐れ知らずもいいとこじゃない」
「まぁ大した額は入っていませんでしたし、妖怪は別にお金無くても困りませんからね」
しれっと述べる衣玖。だが、天子の方は収まらない。
「そういうわけにはいかないわよ。天人の前で悪事を働くとどうなるか、思い知らせないと、ね」
言うが早いか天子は駆け出す。その目はしっかりと先ほどの男を捉えている。
「ああっ総領娘様っ!? いけません、里の中で暴れては――」
それを追って衣玖も慌てて駆け出す。
何事かと振り向く町人達を半ば突き飛ばすように掻き分けながら追いかける天子。ちょうど晩飯の材料を買いに来た主婦が多い時間帯である。中々思うように追いつくことが出来ない。
「ああもう。邪魔よ! どきなさいったら……!」
鰻売りを突き飛ばし、荷車を飛び越えて追いかける。男の姿を確認すれば、下町から中央通へと出るところであった。
「しめたっ」
中央通は道幅も広く中央は馬車や荷車が通る為、空間が作られている。そう、そこならば回りの人間に被害がでることはない。
天子の懐から取り出される一枚のスペルカード。発動と当時に天子は空を飛ぶ。
スリは安心していた。身振りのよさそうな相手からサイフをスり、追いかけてきたのは子供だけ。ならばどうとでもなる。大通りに出て走る速度を緩める。背後を振り返れば追ってきていない。諦めたかと思った瞬間だった。
「天地開闢プレ~~~~~~ス!!」
暗くなる視界。仰ぎ見れば自分めがけて振ってくる大岩。あっけに取られる間もなかった。
軽い地響きと共にスリは大岩に消えた。
「ふっふーん、命までは取らないであげる。だから、とっとと衣玖のサイフを返しなさい!」
大岩の上でふんぞり返る天子。大岩に潰されて命まで取らないもなにもないが、本人的には手加減をしているつもりらしい。
事実岩の下から這い出てきたスリは息も絶え絶えであったが、生きてはいた。そのスリの頭を踏みつけ、天子は罵る。
「貧相な顔ね。そんなことだからスリなんかに身を落とすのよ」
さらにもう一回踏みつけようとしたところで、周囲を取り囲んでいた群集を散らせて手に棒を持った男達がやってくる。彼等は手にしたさす又で天子とスリの動きを封じる。
「奉行所のものだ! 街中での呪文使用の咎で捕縛する! 大人しくしろ!」
「はぁ? スリを捕まえただけでどうして連れて行かれなきゃならないのよ」
腐っても天人である。腕の一振りで男達を吹き飛ばす。慌てて距離を取る男達。
更に一撃を食らわせようと腕を振り上げたところで、晴れた空にも関わらず落雷が天子を撃つ。
「へぎゃっ!!」
視界の隅にやれやれといった表情の衣玖を捉えながら、天子は地面に倒れ伏した。
「今回はどうもお世話になりました」
「いえいえ、いいんですよ。竜宮の使いに天人様ですし。それに一度お話を聞いてみたいと思っていたところですから」
「そういって貰えるとありがたいですね。あなたのとりなしがなければどうなっていた事か……」
衣玖と、誰か見知らぬ女の子の声がして天子は目を覚ました。知らない天井。天界に帰ってきたわけではなさそうだった。
寝ぼけ眼をこすりながら身を起こす。
日はとっくに暮れており、縁側で衣玖ともう独り、おかっぱの見慣れない少女が語り合っていた。
「うう~ん、衣玖ぅ……?」
今だ眠気覚めやらぬままのっそりを身を起こす。長時間寝ていたのか体が固い。
「あ、やっと起きられましたね総領娘様。あの程度の電撃で気絶だなんて情けない」
「うるさいわねぇ……電撃って何よ……。電撃……電撃! そうよ衣玖! あんたなんで私に雷かましてるの!」
跳ね起きて衣玖に詰め寄る天子。自分を攻撃したのが衣玖だったというのだから仕方ない。
「あの時、ああしないと総領娘様は大暴れしていたでしょう? まさかこんな長時間気絶しているとは思いませんでしたけど」
「当たり前じゃない! なんで悪人を退治するのを止められなきゃいけないのよ!」
「そりゃあ、里にはちゃんとした警察が居ますからねぇ」
「誰よあんた。口挟まないでくれる?」
視界には入っていたのだが興味の対象外だった少女に割って入られ苛立つ天子。場所が場所ならいきなり要石をぶつけていたかもしれない。
「ああ、申し遅れました。稗田の九代目の阿求です。比那名居家の評判はよく存じ上げておりますよ」
丁寧に挨拶されては天子も強く出ることは出来ない。自分が押せ押せの性格なので、受けに回ると、とことん弱いのだ。
「えっ、あっ、そ、そうね。殊勝な心がけ……稗田? 稗田ってあの稗田?」
「ええ。幻想郷縁起のあの稗田です」
「……」
笑顔を崩さない阿求と固まったままの天子。
「ああ、なるほど。稗田家は名居家より歴史ありますもんね。変なことすると縁起に書かれて後世まで残されますし……。さしもの総領娘様も苦手、ですか?」
「んもう、衣玖さんってばそんな言い方はやめてくださいよー」
「……ふ、不覚だわ。よりにもよって稗田の人間に寝顔まで晒すなんて」
がくりとうな垂れる天子。
「まったくもう……」
天子の態度をみればどんな風に稗田家というものを教えられてきたかは一目瞭然である。阿求も記憶という形でしか名居家を知らないが、それほど険悪な仲ではなかったはずなのだが。
「そ、そんなことより衣玖よ、衣玖! なんで私を攻撃したのよ!」
「そこまで戻るんですか? ですから、里じゃ妖怪が好き勝手に暴れてはいけないんですよ」
阿求は見た。誤魔化しきれなくて失敗したという表情を衣玖が一瞬だけしたのを。
「里で妖怪は暴れてはいけない。これは妖怪と里で決められたルールです。本来は殺生を禁じただけだったのですが、妖怪同士の争いに巻き込まれるのも勘弁ということで、現在のルールになったのですよ」
「私は妖怪じゃなくて天人なんだけど?」
「同じですよ。超常の力を持った人間は人間じゃないのです。そもそも普通の人に天人と妖怪の区別がつくはずないでしょう?」
「そりゃまぁ、そうだけど……」
「里にはちゃんと警察もありますしね。いざとなればそんじょそこらの妖怪くらいなら押さえられます」
警察とあるが、実際は奉行所に近い。奉行所そのものは里の北東部にあるが、下町、繁華街、職人街に派出所というべき出張所は設置されている。
里の中で暴れる人間や妖怪は彼らに取り押さえられる。彼らの手に負えない妖怪が問題を起こした場合は慧音などが応援にでることになっているが、正式な人員はすべて人間で構成されている。妖精に関しては「あれはああいうものだから」という共通認識がある為、よほど酷くなければ放置されていることが多い。
「というわけで、あれは総領娘様が悪いのですよ。別に捕まえるなとか無視しろとまではいいませんが、スペルカードはやりすぎでしたね」
「ぐぐっ……。ふんっ、どうせ天人でもここじゃ妖怪なんでしょ! いいわよそれでっ! 矮小な人間なんてすぐに滅べばいいのよ!」
「総領娘様!」
衣玖が引きとめる暇もあればこそ。悪態をつくだけついて部屋を飛び出していく天子。
お茶を持ってきた侍女が驚き慌てて避ける。
「あーあ、せっかく夕食でも一緒にしようと思ってたのに……」
「すいません、ご迷惑をおかけして」
うな垂れる衣玖。里に連れて来たのは自分なので責任を感じているのだろう。
「ああいいんですよ。どうせすぐに戻ってくると思いますし」
阿求は気にした様子もなく、侍女が持ってきたお茶をすする。
「というと……。もしかしてまだ居るんですか?」
「ええ、居ますよ。なので天子様……天子ちゃんもすぐに戻ってくるハメになるかと」
くすくすと笑う阿求。衣玖も何の事かわかっているだけに、つい意地の悪い笑いが漏れてしまう。
「里の子供達というか、里の人は子供時代にみんな受ける洗礼ですからねぇ」
「ということは、あなたも、ですね」
「ええ、まぁ……」
思い出して恥ずかしいのか頬を染める阿求。
「まぁ総領娘様も色々な体験をしてもらわねばなりませんし、天人様には私がとりなしておきます」
「そうしてもらえると助かります。さて、それじゃ遅くなりましたけど夕食にしませんか? いいお酒もありますよー?」
「いいですね。月見酒と行きましょうか」
縁側からみる月は蒼く輝いている。
「まったく、天人に向かって一体どういう扱いよっ!」
とっくに日の沈みきった街中を天子はのっしのっしと感情の向くままに歩いていた。
この辺りは里の北東部。有力者や公共施設がある一角で、つまるところ武家屋敷の類が多い。道は広いが、左右は屋敷の塀が連なっており、通行人も少なく夜ともなれば非常に寂しくなる。
最初は頭に血が上っていた天子も、冷たい夜風に晒されて冷えたのか、ふと立ち止まる。
「べ、別に怖いことなんかないわよ。ええ」
周囲には誰もいない。だが、喋っていれば気は紛れる。阿求の屋敷まで戻ることも頭をよぎったが、あんな事を言って出てきた手前、戻るのは癪だった。
「……とっとと里を出て天界に帰ればいいのよ。それに川まで行けば人も増えるわよね……」
だんだん小さくなる声が天子の心中を表しているといってもいいだろう。
急ぎ足で、でも慎重に進む天子。すると左手に寂れた武家屋敷が現れた。
没落したのか、どうなのかはわからないが、崩れた土塀が随分長い間手入れされていない事を表していた。
その雰囲気が天子を走らせることになったのは仕方ないといえよう。
だが、走っても無駄だった。
「うわんっ!!」
「――ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」
突然、土塀の上から大入道が上半身を出し大声で叫んだのだ。
周囲を警戒してはいたが、予想外の方向だった。
術で反撃するということさえ思いつかず、天子はその場から走り去る。目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「はぁっ、はぁっ。い、いったいなんなのよアレはー! 里には妖怪がいないんじゃ、なかった、の……はぁはぁはぁ」
恐る恐る振り向く。が、追いかけてきた様子はないようだった。安心して一息つく。喉がカラカラだった。
すると、目の前に夜鳴き蕎麦屋の屋台があるのに気づいた。
ちょうどいい。水でももらうついでにさっきのバケモノの事を聞いてみよう。
そう思い天子は蕎麦屋ののれんをくぐった。店主は仕込みをしているのか、こちらに背を向けて何やらこねていた。
「ちょっとおじさん、水をいっぱい頂戴~」
椅子があるのがこれ幸いにと座りこみ、つけ台にぐでっと伏せる。
「はいよ、水お待ち」
置かれた水を一気に飲み干す。冷たい水が頭も冷やしてくれるようだった。
「ちょっとおじさん、聞いてもらえる? さっき武家屋敷で妖怪が出たのよ、妖怪が」
「へへぇ、それは災難でございましたねぇ」
話しかけているのにこちらを向かないのは失礼だと思ったが、屋台を引くような人間にそんな礼儀はわからないと納得して勝手に話しを進める。
「いきなり土塀から出てきて、うわん!よ。びっくりするにもほどがあるわ」
「ははは、そりゃあ『うわん』ですなぁ。昔は驚いた隙に魂を抜く、なんて言われてましたけど、今じゃ驚かすだけになっちゃいましてねぇ」
「それにおかしいじゃない。里に妖怪はいないはずでしょ。なんであんなのが居るのに放置されてるの!?」
「妖怪にも色々あるんですよ。人を驚かさないと生きていけない妖怪とかいますからねぇ。ほら、あかなめとか枕かえしとか……」
「それで驚かすだけだから放置してるって? 信じられないわ。驚かすだけでも害なんてありありよ!」
驚かされたせいが随分と攻撃的な天子。だが、そんなことは知らぬとばかりに無視して作業を続ける店主。
「いやぁでも今更驚くなんてのは子供くらいですよ。大人なんかは近寄らないか、逆に怒鳴り返すくらいでしてねぇ。里じゃ子供の夜遊びをうわんで驚かせてやめさせたりなんかね……」
「なにそれ、私が子供だっていうの!? これでも比那名居の総領が娘、天人よ。それに向かって子供だとか失礼ね!」
「ところでお嬢さん」
「――何?」
「うちは蕎麦屋ですからね。注文など……」
「ああ、いらないわ。水が欲しかっただけだか……」
そろそろ出ようかと顔を上げる天子。
「注文などいかがでしょう!!」
顔をあげた天子の目の前には振り向いた店主の顔。いやそこに顔はない。のっぺりとした肌があるだけだった。
「……………………きゅう」
ばたり。
精神が限界を迎えたのか、天子は気を失って倒れこんだ。
心地よく揺れる振動で天子は目を覚ました。空には大きな青い月。まだ夜は明けていない。
「う……ううん……」
「おや、目が覚めましたか、総領娘様」
そこは衣玖の背中の上。どうやら衣玖が迎えに来てくれていたらしい。
「……。はっ、そうだわ。あののっぺら坊はどこに!? あんな事して驚かすなんて最低よ。緋想の剣でもぶち込んでやらないと……」
「いい加減にしてください、総領娘様!」
衣玖がすこしきつい声をあげる。あの衣玖がそんな声をだすとは思わず、動きを止める天子。
「里は新しい形の社会になりかけています。人間と妖怪の共存という形のです。うわんやのっぺらぼうなどがいい例です。彼らは最初こそ驚かれますが、慣れれば平気になりますからね」
「……」
「あののっぺらぼうのつくる蕎麦は絶品で評判なのですよ。もし退治などすれば逆に恨まれるでしょうね。もちろん本当に害をなす妖怪もいますから、難しいところなのですけど」
「……じゃあどうしろっていうのよ」
「普通にしていればいいんですよ、普通に。最初は驚かされたりするかもしれませんが、慣れてしまえば気にならなくなります」
「そういうものかしら。今更人間が変われるとも思えないけど」
「変われないかもしれません。でも、そこは天人として鷹揚に構えていただかないと」
「そ、そうよね。最後に頼れるのは天人だけだものね。ま、まぁ今日は色々参考になったわ」
「そう言ってくだされば幸いです」
天人もまた変わり始めていると衣玖は思う。天界に引き篭もって出てこない天人だが、そこに天子のような天人が現れた。
幻想郷という限定された世界において、他者との関わりを断っていられるのも限度があるはずだと思う。今日、里を連れ歩いたのも経験の足しになればと思ったからだ。
事実、天子は何か得るものがあったようでもある。
「総領娘様は現状を……やれやれ」
何も反応がないなと思ったら、衣玖の背中で天子はすやすやと眠っていた。こういうところがまだまだ子供だと思う。子供だからこそ変化にも対応していけるはずなのだとも。
「ま、今はゆっくりお休みください。総領娘様」
寝ている天子を起こさないように。衣玖はゆっくりと空を飛んだ。
>だから天子はドMじゃなくて、DQNなだけだと何度いったら
そっちの方がたち悪いww
御飯が進むおかずなのに半膳だけ盛られた感じというか。
もっと読みたいところで終わってしまった。
この作風のままボリュームアップを願う。
……稗田さんちが十代増えてる。
「そういうものかしら。今更人間か変われるとも思えないけど」
↓
が
もっとこういうのが増えてくれると嬉しいですな