迷いの竹林へと続く道。
昼間でも薄暗いのに夜になったら真っ暗になるのはいうまでもない。
そんな暗闇の中にぽつりとある紅い光。それは夜雀、ミスティアの屋台の光である。
焼き鳥撲滅を目指す彼女の屋台の定番メニューは八目鰻の蒲焼。
たまに鰻や泥鰌も混ざっているのはご愛嬌というやつだ。
そしてもうひとつの定番メニューともいえるのが美しい夜雀の歌であり、その歌声はまさしく(下手したら)天にも昇る美しさと一部ではすこぶる評判になっている。
この夜雀の屋台には妖怪と一緒に飲み食いするのがへっちゃらという肝の据わった人間から、気の小さい妖怪などと種族関係なく集まり、飲んで騒いで楽しんでいた。
そんな中、幻想郷の妖怪の中でも最強の種族の一種である鬼、萃香もここの屋台の常連になっていた。
文の取材の後にお奨めの屋台と紹介されたのがミスティアの屋台だったのだが、料理も酒も旨いうえ、少しやかましいが美しい歌も聴ける。更にこんなへんぴなところにある屋台に来るような客は変わり者でおもしろいやつが多い。ので萃香はこの屋台を大変気にいっていた。
今日来ている客は人間の青年に人食い妖怪のルーミア、そのほかにも人間のおっさんや妖怪などなかなかの繁盛具合のようだ。
人食い妖怪と人間が笑いあっている光景などこの屋台でくらいしか拝めない光景だろう。
そして、鬼である萃香に対して気さくな態度をとるのも一部の変人や妖怪を除けばここの常連ぐらいであった。
萃香は青年とルーミアがふざけあっている間に割って入っていった。
「ういーす。ミスティア、いつもので頼むよん。ようあんちゃん! あんたが遊んでる相手は人食い妖怪なのわかってるのーん?」
「よお萃香! これが人食い? そりゃ笑えるぜ!! こんなお嬢ちゃん、ほっぺたでもつねれば楽勝よ!! ほれほれ」
「むぎぎ、そんなことやるとあとが恐いのだー! お前に明日の月は拝ませないぞー」
「ああそうかい、それじゃああんたに奢るのはやめて、最後の晩餐を己の為に楽しむとするか」
「うー! きょ、今日のところは許す、ってほっぺたプニプニやめるのだー」
『ぶはははは』
こんな他愛の無い会話を人間妖怪関係なく楽しめる。萃香はこの屋台が大好きだ。
萃香も混ざってより一層もりあがる屋台。
女将であるミスティアもニコニコと嬉しそうでった。
しかし、そんな楽しい時間も終わりが近づいていた。
屋台に近づく不審な影。
その影はしゃがんで移動し、客側のほうからミスティアの死角から屋台へと向かっていく。
もちろん客からは丸見えなのだが、客達は何事も見ていないかのように振舞っていた。
そしてその影は屋台のテーブルの下に潜り込むとおどろおどろしい声でミスティアに声をかける。
「女将~、注文を頼む~」
その声を聞いたミスティアは、先ほどまでニコニコしていた表情を強張らせながらも恐る恐る返事を返す。
「な、何を頼みますか?」
ちなみに客達はおかまいなしに騒いでいるが、どことなく笑いを堪えているようにも見える。
ミスティアの問いかけにその影は突然飛び出すと大声を上げ、屋台を回り込むようにしてミスティアに襲い掛かった。
「それは女将~お前だ~!!」
「ひゃぁー!!」
悲鳴をあげて屋台の周りをぐるぐる逃げるミスティアを追いかける影とは、自称美食家、通称大食い亡霊こと幽々子であった。
バターになりそうな二人を客達はただニヤニヤ眺めているだけ。
もちろん萃香も助けになどはいらない。
そして激しい追いかけっこの末、勝利したのは幽々子であった。
羽交い絞めにされたミスティアは精一杯の愛想笑いで命乞いなどを試みる。
「あのーお客さん? 鳥を生で食べるのは危ないですよ。私の知人は生焼け焼き鳥にあたって四日間寝込んだんですよ。ざまぁ見ろですよね。だから諦めたほうが……」
そこまで喋ると黙り込んで幽々子の返答を待つミスティア。
しかし現実は非常であった。
「あら~、私の胃袋は頑丈だから大丈夫よ~。それじゃあ、いただきま~す」
「きゃー!」
哀れミスティア! 非力な夜雀は大食い亡霊の餌食になってしまった。
~完~
ということはなく
「ほ~れこちょこちょ~」
「あははっ、くすぐったい! 駄目、死ぬ死ぬ! 降参降参!!」
幽々子はミスティアをくすぐって遊んでいた。
やがて満足した幽々子はミスティアを開放すると席に座り、今度は普通の注文をする。
「あ~やっぱり女将はいじりがいがあるわ~。とりあえずお酒と蒲焼一人前」
「まったく、こっちは生きた心地がしませんよ」
そう文句を言うミスティアだったが顔は笑っている。
このミスティアと幽々子のじゃれ合いは挨拶のようなものになっていた。
幽々子は出された酒と蒲焼をつまみながら妖夢のグチを言い出す。
「最近妖夢がつれないのよね~。私がくすぐっても何のリアクションもかえさないでそれどころかため息なんかついちゃって~。なんか可愛げが無いのよね~」
「そりゃあ、あんたのお転婆ぶりに付き合ってたら身がもたねぇよ。妖夢は賢く育ってんな。まさしく反面教師だわ」
青年の正しい突っ込みに屋台の皆がどっと笑う。
そんな楽しい屋台の雰囲気に萃香はとても気分が良くなった。
なんとなく歌いたくなった萃香は遠慮なく、大声で歌いだした。
「酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~」
その歌声はお世辞にも上手いとは言えず、しかも大音量なため飛んでいる鳥すら落とせそうな騒音と言うのが相応しい。
他の客が耳を塞いで耐える中、その騒音をミスティアは目を閉じ心から楽しそうに聞いていた。
しばらく聞いていたミスティアだったが、やがて彼女も萃香に合わせて歌いだした。
「酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~ 夜雀の屋台は 酒が飲めるぞ~♪」
すると騒音だった萃香の歌が、美しいミスティアの歌声につられていき、とても上手な歌へと変わっていく。
その楽しげな歌に聞き惚れていた客達もいつしか一緒に歌いだしていた。
『酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~皆騒がしくても酒が飲めるぞ~♪』
今宵も人間妖怪入り乱れ、夜雀の屋台で楽しく歌を歌うのであった。
数日後の夜。
萃香はミスティアの屋台でいつものように騒がしく飲んでいた。
そんな中、歌っていたミスティアが突然歌うのをやめてコメカミを抑えて呻く。
つらそうなミスティアを心配したのか青年が声をかける。
「おいおい、女将さん。つらそうだけど大丈夫かい? 風邪でもひいてるんじゃねぇの」
「大丈夫大丈夫。熱もないしくしゃみもしたくならないよ。少し頭痛がするだけ」
そう笑顔で答えるミスティアだったが、萃香には大丈夫そうには見えなかった。
「あらあら、今日も襲おうとしたけど、調子が悪いんじゃしょうがないわね」
幽々子も調子が悪そうなミスティアに遠慮して今日は普通に現れる。
先ほどまで騒いでいたルーミアとリグルも心配そうだ。
「あんまり無理はしちゃいけないね。今日は早めに帰ろうか?」
「そんな、気にしないで。本当に平気だから」
萃香もなんだか心配になりミスティアを気遣ったが、あくまでもミスティアは笑顔で大丈夫だと言い張る。しかし、眉間にしわが寄っているのを見るとあまり大丈夫そうにはみえなかった。
結局その日は、騒がしくも早めに皆が帰っていくまでにミスティアが歌を歌うことはなかった。
さらに数日後。
この日屋台にいる客は萃香と青年だけであった。
今日のミスティアは先日の調子の悪さなど感じさせず元気に歌を歌っている。
その様子にホッして歌を聞いている萃香だったが、青年はいつものように騒がず静かであった。
初め萃香は客が自分しか居ないので話題が無いのかと思っていたが、どうやら青年がミスティアを気にしていて萃香の事は眼中にないようだ。
もしやコイツ、ミスティアに惚れたな。
そう勝手に解釈して内心ほくそ笑んでいた萃香であったが、いつも騒がしくへらへらしている青年の真面目な表情を見ているとそんな甘い雰囲気ではないように思えてきた。
(なんか空気が重いような気がするよ~)
そんな時、幽々子がいつものようにこっそり屋台に近づいていた。
正直なところ、萃香は幽々子がこの微妙に重い空気を変えてくれることを期待していた。
幽々子はミスティアの死角の机の下に潜り込むとお決まりのおどろおどろしい声を出す。
「おい女将~」
だが、ミスティアの反応はいつもと違っていた。
幽々子の声にビックっと身震いすると、自分の体を抱きしめ怯えるようにあたりを見渡す。
「ちょっと、ミスティア?」
その尋常でない様子に萃香は声をかけるがミスティアは聞こえていないように、震えながらあたりを見渡し続けている。
青年は相変わらずで、黙ってミスティアを見続けていた。
死角に居る為、ミスティアが見えない幽々子はミスティアからのリアクションがないことに疑問を抱きながらもとりあえずお決まりの台詞とともに飛び出した。
「お前を食わせろ~」
イヤァァァァァァァァ!!
突然のミスティアの悲鳴に屋台の空気は凍りついた。
そのあまりに大きな悲鳴に萃香は驚きながらも周りの様子を見てみる。
青年は目をむいて固まっており、幽々子は
「えっ、えっ?」
と何が起きたか分からずと惑っていた。
そして悲鳴を上げたミスティアは
「ゴメンナサイ、ゴメンナンサイ、ゴメンナンサイ……」
と小さな声で呟きながら屋台の隅で小さくしゃがみこんで震えていた。
「おい、大丈夫か? しっかりしなよ!」
その尋常ではない様子に萃香はミスティアの両肩を掴み、揺すりながら呼びかける。
しばらく震えていたミスティアだったが、萃香の呼びかけにハッと気がつくと慌てたように立ち上がると笑顔になった。
「あ、あれ~? ちょっと恐がった演技しただけなのに皆本気にしちゃった? これだと私女優狙えるかも」
その先程とは嘘のようなミスティアのおちゃらけた様子に萃香はホッと胸を撫で下ろし、幽々子も「だっ、騙したわね~」と憤慨しながらも安堵の表情を浮かべる。
和やかになった雰囲気の中三人がじゃれあっていると、突然青年がバターンと倒れた。
何事かと集まる一同の前で青年はう~んと唸る。
「っつー! どうやら飲みすぎたみたいで世界が回るー。悪いけど萃香ちゃんと幽々子様~手、貸してくれ」
こいつそんなに飲んでたっけなと疑問に思う萃香の心中などお構い無しに、酔っているにしては機敏な動作で萃香と幽々子の肩に寄りかかると、二人の身長差によって変な体制にも関わらずスタスタと屋台から離れようとする。
「ちょっと、平気なの?」
心配するミスティアに青年は平気平気と手を振って答えると、二人に連れられてというよりは二人を連れて行くように屋台から離れていった。
屋台の光が見えなくなるところまで来ると、青年は?マークを浮かべる二人を開放する。
そして、悲しそうな表情で二人に話しかけた。
「なあ、お二人さんよぉ。何かに怯えながら女将が歌っていたのに気がついたかい?」
青年の思いがけない言葉に萃香と幽々子は驚愕する。
近くで歌を聞いていた萃香からはミスティアがいつものように歌っているように見えたし、遠くから様子見していた幽々子も同じだった。
そんな二人に青年は「まぁ、俺だって感だったから分かんなくて当然だけどよ」と言い屋台のほうを眺める。
「しかし、あの様子だとあながちハズレじゃないな。お二人さんは俺なんかより長生きしてんだろ? 女将の過去とか知らないのか」
青年の問いかけに対しての萃香の答えは否であった。
ミスティアと関わり出したのはここ最近であったし、鬼は幻想郷から出て行った妖怪であり、萃香は最近一人で幻想郷に戻ってきたのである。
ミスティアの過去については何も知らなかった。
おそらく、最近ミスティアと関わりを持ったのは幽々子も同じであろう。
「まあ、長生きしてるのは当たりだけどさ、ただ、それだけだよ」
萃香はそう答えることしかできなかった。
幽々子も萃香と同じというように黙っている。
その様子に青年は「いやっ、そんなにがっかりなさんな。ただ聞いてみただけだからさ」といいそれじゃと挨拶すると人里のほうへ帰っていった。
「大事にならないといいんだがな」
去り際に一言残して。
その一言に萃香の胸中にはの知れない不安が生まれた。
そしてその不安が現実になるのにそう時間はかからなかった。
さらに数日後。
その日も萃香はミスティアの屋台に居た。
今日のメンツは普段からミスティアと仲のいい、ルーミア、リグル、チルノ。
この日もミスティアはあい代わらず美しい歌声を披露している。
しかし、萃香達は言いようの無い緊張感を感じていた。
歌は美しい、いや、いつもよりも格段に美しくどんな野蛮な妖怪もこの歌の前では腑抜けになると思わせる程のものだ。だが、普段は楽しげに歌うミスティアはどこか鬼気迫るような雰囲気をかもし出し、萃香達は料理にも酒にも手をつけることが出来なかった。
下手なことをして歌を止めるのが恐ろしい。
鬼である萃香は、己が恐怖に近い感情を抱いていることが信じられないが、現に指一本動かすことが出来ないでいた。
(何、なんなのこの歌は!)
一同が得体の知れない恐怖と美しい歌声に戦く中、この空気に馴染めきれない奴がいた。
「くしゅん!」
チルノのくしゃみによって、ミスティアは歌うのをやめた。
無粋なくしゃみをした氷精を見つめる夜雀の目が萃香にはどことなく悲しいものに見えた。
「チルノちゃんは私の歌が邪魔なの?」
「そ、そんなことないよ!」
ダンッ!!
チルノの弁解など聞こえていないかのようにミスティアは屋台に拳を打ち付け激昂する。
「うるさい!! どうせ私の歌なんてやかましいだけなんでしょ!! でも、でも、私には歌しかないの。歌しかないのよぉぉぉ!!!」
叫び終えると今度は嗚咽を漏らし始めミスティアは顔をうずめてしまう。
情緒不安定なミスティアに一同はただおろおろするしかできなかった。
あまりの事に萃香もただただ呆然とするしか出来ない。しかし、最年長としてのプライドから彼女はミスティアを慰めてやらなければいけないと思わせた。
いまだ肩を震わし泣き続けるミスティアにやさしく手をそえ話しかける。
「おいおい、いったいどうしたんだよ。いつもなら皆が騒がしくてもおかまいなしに歌ってるじゃん。歌はちゃんと聞いてるから今日もそのノリで頼むよ」
その萃香の言葉にミスティアは泣くのをやめる。
泣き止んでくれたことにホッとしたのも束の間、一瞬前まで萃香の顔があった空間を鋭い爪が抉っていた。
「なっ、お前!」
「帰ってよ……」
文句を言おうとする萃香を遮りミスティアは呟く。
その呟きはどこか懇願するようにも聞こえた。
「………」
一同はどうしていいのか分からず黙ってしまう。
そんな一同に痺れを切らしたのかミスティアは手近なものを掴み投げ始めた。
「もう! 私なんかどうでもいいから帰ってよ! 帰ってよぉぉ!!」
飛んでくる石やら串やらに一同は逃げ出すしかなかった。
屋台から離れたところまで逃げてきた一同はぜぇぜぇと息を整えると顔を見合わせ、さっきのことについて話始めた。
「ごめん、アタイがくしゃみなんかしたからミスティア怒ったんだよね」
「そんな、チルノのくしゃみはしょうがないよ。それにしてもどうしたんだろうねミスティア…」
「なんか心配なのだー」
チルノ達の口から出るのはミスティアに対する怒りではなく心配することばかり。
その光景を見て萃香はなんともいえない憤りを感じていた。
なんなんだあいつは。
皆お前のことをこんなにも心配してるのに!
それをあんなふうに追い払うなんて、馬鹿だ!
でも、ミスティアがあんなふうになっても何もできない私はもっと馬鹿だ!!
鬼だからなんだっていうんだ!
ちくしょう、ちくしょう!!
己の無力さを嘆く萃香には夜雀の嗚咽が聞こえるような気がした。
その次の日からミスティアの屋台を見かけることが無くなった。
萃香は毎日屋台が出ていた場所へ通ってみるのだが、屋台はおろかミスティアに会うことは無かった。
その時に青年を初め屋台の常連に会ったが皆も突然居なくなったミスティアのことをとても心配していた。
何が私には歌しかないの!
ミスティアのこの言葉が萃香の胸に突き刺さっていた。
(本当にどうしたんだ、お前らしくないよ)
皆が心配するなか、しばらくミスティアが姿を現すことはなかった。
そして1週間程たった夕方。
神社の縁側で萃香は足をぶらぶらさせていた。
ボーとしながら思い出すのは蒲焼の匂いと騒がしい喧騒とミスティアの歌。
ここ1週間の殆んど萃香は一人で酒を飲んで過ごしていた。
霊夢はどこかへ遊びに行くことが多いし、二人で飲む機会があっても何故か萃香はいつものように楽しく酒を飲むことが出来ないのだ。
はぁ、こんなにもあの屋台が居心地よかったなんてなー。
あの屋台での馬鹿騒ぎを思い出しながら、もはや友人であるといえるミスティアの詳細を分からないことがこんなにも不安だということをひしひしと実感していた。
なんとなくだが、あのなにもかも拒絶しているかの様なミスティアが今は一人で居るんじゃないのか、幻想郷を捨てた鬼仲間に馴染めず一人戻ってきた自分の時のように寂しい思いをしてるんじゃないか。
そんな想像が萃香の頭を巡る。
と、黄昏ている萃香の目の前に毎度同じみのスキマが現れた。
しかし、中からでてきたのは少し予想外の人物だった。
「霊夢? なんでスキマから出てきてんの? それに泣いてる?」
スキマから出てきた霊夢の目からは確かに涙が流れている。
しかし、霊夢は「なんでもないわ」と言うと逃げるように奥の部屋に消えていった。
状況が把握できない萃香の前に今度はスキマから出てくるのが当たり前の妖怪、紫が出てきた。
いつもはよく言えば優しい微笑み、悪く言うと常に相手を小馬鹿にしているような笑みを浮かべるその表情が今はなんとも寂しげな顔になっている。
「おう、どうした紫。そんな顔して珍しいじゃん。それになんで霊夢がスキマから出てきて泣いてるの?」
そこまで言った萃香は紫がふざけて霊夢をスキマに引きずり込んだけど、思いのほかマジ抵抗されてお互いに落ち込んでるのかなと想像した。
しかしその想像は外れていた。
「ちょっとね、人里に妖怪が出てきたから霊夢が退治したのよ。それで思いのほか疲れていたようだから送ってあげた。それだけよ」
「へーえ、霊夢が泣くほどなんてよっぽど強い妖怪だったんだなー。私も戦いたかったかも」
「いいえ、決して強くはないし霊夢が一方的に攻撃しただけで逃げていったわ」
「えっ、じゃあなんで泣いてたの」
「歌よ」
「歌?」
その言葉を聞いた瞬間萃香はミスティアのことを思い出していた。
そんな萃香をよそに紫は話を続ける。
「その妖怪はね、人里に出てくると人間を襲うわけでもなくただ歌っていた。その歌はとても美しかったわ。私もしばらく聞き惚れたぐらいに」
紫は目を閉じるとその歌を思い出しているのかうっとりとした表情になっている。しかし、その表情はすぐに強張った。
その顔には紫と長い付き合いの萃香ですら滅多に見たことがない恐怖が存在していた。
「そして恐ろしく、悲しかった。普通の人間なら生きる気力を失うぐらいにね。私ですら戦慄したわ。あのレクイエムには」
「レクイエム……」
「そう、己の魂を削っているかのようなレクイエム。幸い早めに阻止できたから被害は無かったけど、歌を聴いた霊夢は今もその余韻が残っているの」
己の魂を削る、私には歌しかない!
その言葉が頭に浮かび萃香はとてつもなく嫌な予感がした。
いつの間にか自分が冷や汗をかいているのに気がつく。
「なあ、その妖怪はもしかして」
「明日の夜には私が始末をつける」
「……えっ?」
「霊夢の精神ダメージは思ったより重そうだし、今回は私がやるわ」
萃香の言葉を遮って紫が放った言葉はどこか物騒な響きを持っていた。
「あの歌は危険すぎる。まったく、昔皆で散々懲らしめてやったからここ最近は上手にやっているもんだと思っていたけど、どうやら駄目だったようね」
その言葉に萃香はミスティアが怯えていた時の事に合点がいった気がした。
あの怯えは昔、歌を歌って酷い目にあったときの記憶を思い出していたのではないのか。
ただただ、歌いたかっただけなのに、あんなに怯えるほどのことをされなければならなかったのか。
それを思うと目の前の友人に対して激しい怒りが生まれた。
「紫、あんたってやつは!」
「あら? 何を怒っているのかしら。私はその妖怪が夜雀だなんていってないわよ」
「そんな誤魔化そうとして! 明らかに……」
「力を制御できない者は幻想郷に存在を許しておけない。あなたなら分かるでしょ」
「!!」
幻想郷には強大な力を持つ妖怪や神が共存している。
そんな強大な力が共存できるのは、お互いに力を制御し平穏を保っているからだ。
しかし、その平穏は非常に危ういバランスで成り立っている。
そのバランスはどんな些細なことで崩れるか予想もつかない。
紫はわずかなイレギュラーでもそのバランスを崩しかねないと危惧しているのだ。
萃香は紫がどれだけ幻想郷を愛しているかを知っている。
しかし、萃香とて友人が友人に消されるのを黙って見てはいられなかった。
「始末するのは明日の夜だったな」
「ええ、そうね」
「なら私は夜までにミスティアを助ける」
「あなたが何を言ってるのかは分からないけど……まあ健闘を祈ってるわ」
そう言い残し、紫はスキマの中へ消えていった。
紫が消えた後、萃香は己の体を霞に変化させると幻想郷の広い範囲にわたって広がり始めた。
萃香が幻想郷中を探し始めてからかなりの時間がたち、そろそろ夕方になろうとしていた。
しかしただでさえ夜行性の夜雀なのに、ここ最近姿を現さなかったミスティアを見つけ出すのは困難であった。
(早くしないと夜になる)
夜になれば紫はどんな手段をも使ってミスティアを見つけ出し消すだろう。
焦る萃香だったが何の手がかりもないまま夜になろうとしていた。
そんな時だった。ふと蛍が飛んでいることに気がつく。
その蛍はどこへ行くこともなくふわふわ飛んでいるだけである。
(これは、私に何かを伝えようとしている?)
直感でそう思った萃香は蛍の目の前でもとの姿に戻る。
するとその蛍は萃香の顔の前で旋回すると何処かへ向かって飛び始めた。
(蛍といえば……リグルが案内してくれてるのか?)
もうこの蛍に賭けるしかない。
そう決心した萃香は蛍に飛んで着いて行った。
しばらく飛んでいると蛍はとある丘へと向かっていた。
(ここは無名の丘? なんで私はここに気がつかなかった!)
しかし、萃香が無名の丘を見逃していたのも無理も無いかもしれない。
普段は鈴蘭が咲き誇る丘もいまでは枯れる寸前の鈴蘭に覆いつくされていた。
その光景は普段の美しさなど微塵もなく、ただただ空虚な悲しさ漂う丘となり果てていた。
廻りに目を向けてみると、様々な動物や妖怪、それにメディスンまでもが眠っているように枯れかけの鈴蘭の中にいた。しかし、その姿からは眠っているような暖かい感じはしない。
そして彼らがなぜそうなっているかの原因はすぐに分かった。
歌が聞こえる。
美しくも悲しく、生を拒絶するかのような歌声が。
その歌詞のない歌を聴いていると生きることを放棄しひたすらに歌に身をゆだねたくなってくる。
萃香を案内していた蛍もその歌が聴こえてくると唐突に落ちていった。
その蛍を萃香は受け止めてやると出来るだけ安全そうな所に置いてやり、歌っている主へと向かっていく。
生への放棄を誘惑する歌に耐えながら向かっていくとそこには歌い続けるミスティアとその周りに安らかな顔でうずくまっているリグル、チルノ、ルーミアの姿があった。
「おい! しっかりしろ!!」
萃香はルグルに近づき抱え起こすが、息はあるものの一見安らかな顔は白く刻一刻と生命が失われていくのが見て取れる。
「おい、ミスティア!! やめろ! やめてくれ!!」
萃香が二度三度呼びかけるとミスティアは歌うのをやめた。
そして忌々しそうに、しかしながらどこか虚ろな目で萃香を見ると何処かへ飛んでいこうとした。
「! 逃がすかー!!」
そうはさせまいと萃香はミスティアに体当たりのような形で飛びつき、大した抵抗もできずミスティアは引き摺り下ろされた。
「イヤッ、ヤァッー!!」
萃香に捕まったミスティアは駄々をこねる子供のように萃香から逃げようとする。
その鋭い爪が肌に食い込む痛みに顔をしかめながら萃香はミスティアの軽さ、細さに唖然としていた。
(こんなに弱って……)
ミスティアの衰弱は予想以上だった。
聞いた対象を死に誘うレクイエム。
それを歌っている本人に影響が出るのは至極当然の結果であろう。
弱った体で尚も抵抗するミスティアが萃香はどうしようもなく儚くて、ただただ優しく抱きながら撫でることしかできなかった。
しばらく抵抗していたミスティアだったが、しだいに抵抗が収まってきた。
しかし、抵抗の意思が無くなったわけでなくただ体力が尽きたといった感じであった。
そしてミスティアは静かに泣きはじめる。
萃香は優しくなで続けながら話しかけた。
「ねぇ、いったいどうしたのさ。こんなの、こんなの…ミスティアらしくないよ」
しばらく黙って泣いていたミスティアだったがしだいにポツリポツリと話はじめる。
「…私の歌は危険なの。でも私は歌いたい。だから一人で居ようとするのに何で皆放っておいてくれないの?」
「ミスティア……」
「ほら、私の歌を聴いたら皆こうなってしまうのよ。私は迷惑をかけてたくない。誰の命も奪いたくない。だから、だから、一人にして」
そう言うと萃香から離れようとする。
だが、萃香を離したりはしなかった。
「……なんで、なんで?」
「あんたが私を必要としなくても私はあんたが必要だからさ」
再び泣き出すミスティアを萃香はより一層強く抱きしめる。
「孤独はさ、心地良いような気はするよな。私もそうだった」
人間に見切りをつけて幻想郷から去っていった鬼。
しかし、萃香はそんな鬼達にも馴染めずたった一人で幻想郷に戻ってきた。
そこでは人間妖怪関係なく楽しそうに宴会にあけくれる奴らがいた。
最初は見ているだけで十分だった。だが、ただただ見ているだけではずっと一人であるのに気がついた萃香はどうしても寂しくなり、退治されるかも、追い出されるかもしれない覚悟で姿を現し暴れた。そして連中はそんな自分を受け入れてくれた。
その時の気持ちはとても言い表せるものではないが、心に覆っていた黒い何かが剥がれた気がしたのであった。
「でもさ、孤独が心地いいなんて結局は誤魔化してるだけで、実際は心を蝕んでるだけ。人間だろうが妖怪だろうが一人でなんか生きていけない、無理なんだよ」
ミスティアに話しかけながらいつしか萃香も涙を流していた。
萃香は分かるのだ。
強力な力を持つが故、周りから距離を置きたくなる気持ち。
そんな気持ちとは裏腹に孤独が心を蝕んでいく辛さが。
「あんがい、私達の周りでは助けてくれようとする奴は居るもんだ。ただそいつらも救いを求められないとどうしよもない。お節介かもしれないけど私はミスティアを助けたい。リグルもチルノもルーミアもミスティアを助けたいからここまで来たんだ。お願いだからミスティア、助けを求めてくれ、心を開いてくれ」
萃香は優しく、しかし力強くミスティアを抱きしめ続けた。
しばらく動かなかったミスティアだったがぽつりぽつりと呟きだす。
「私も、私も皆と一緒に居たい。でも私の歌は危険だから…」
「何を言ってるんだよ。屋台で歌ってた歌は楽しい歌だったじゃないか。ミスティアの歌は危険なんかじゃない。私が保証する」
「でも」
「ほら、なんか明るくて、生きたいー! て歌あるだろ。一緒に歌おうじゃん」
「……うん!」
萃香が笑顔でいるとミスティアの顔にも久しぶりの笑顔が戻る。
そして大きく息を吸うと大きな顔で歌いだした。
「ぼーくらはみんな生きている♪ いきーているから笑うんだー♪」
その歌声に萃香も大声で続く。
「ぼーくらはみんな生きている♪ いきーているから笑うんだー♪」
「手ーの平を太陽にかざしてみれーばー♪」
「まーっかに流れる僕のちーしーおー♪」
「人間だーって、妖怪だーって、神様だーって♪」
いつのまにか復活したリグル、チルノ、ルーミアもミスティアの肩に手を置きながら歌う、歌う、歌う。
『皆、皆、生きているんだ友達なーんだー♪』
その楽しく、元気な歌声が丘に響きわたるとミスティア達を中心に枯れかけていた鈴蘭に元気が戻っていった。
そして、妖怪や動物達も元気を取り戻し、その元気な歌声に心躍らせるのであった。
「うわー! スーさん綺麗!!」
眠りから覚めたメディスンは今までみたことのない丘の光景に心奪われていた。
『皆、皆、生きているんだ友達なーんだー♪』
歌い終わった一同は泣いていた。
とにかく嬉しくて泣いていた。
泣き笑いするミスティアは誰から見てもいつもの元気なミスティアであった。
「リグル、チルノ、ルーミア、そして萃香。ありがとう。私嬉しいよ、嬉しいよ!」
うぇぇぇ~ん! と泣き続けるミスティアを皆は優しく撫でて続ける。
と、突然ミスティアの膝を崩してその場に座り込んでしまった。
「!? どうしたミスティア?」
慌てて萃香が受け止めると、ミスティアは力なく笑って答える。
「えへへ、そういえば最近歌ってばっかりだったから寝てないんだった」
「そうか、そりゃ眠いよ」
「うん、だからちょっと寝るね、もう目…開けて…られない」
「無理しないで寝たほうがいいよ」
萃香の言葉を待たずしてミスティアは目を閉じると寝てしまった。
しかし、その眠りが決していいものではないことを一同は理解していた。
現にミスティアの顔はどんどん白くなっていく。
「しっかりしろよミスティア、死んだりしたりなんか許さないからな!」
萃香の叫びが咲き誇る鈴蘭畑に響き渡るのであった。
あの後メディスンの案内で、永遠亭へと一同は駆け込んだ。
運び込まれたミスティアをみた永琳はすぐに治療を行い、一同は治療が終わるのをただただ待っていた。
一時間程すると永琳が出てきた。
駆け寄る一同に永琳は優しく笑いかける。
「貴方達、お腹減ってるでしょ。よければこれを食べなさい」
そういって出してくれたものは焼き鳥。
一同は涙した。
ミスティアは間に合わなかった。
だからこんな姿に……
「うぅ、せめて、せめておいしく食べるからな」
そんな事を言い涙ながらに焼き鳥を頬張る萃香達に、とりあえず永琳は突っ込んでおく。
「あのね、冗談でもやめなさい。ミスティアが大丈夫なの分かってるんでしょ?」
そう言われ一同は素直に頷く。
しかし、そう言われても一同本心では心配だった。
「本当に、大丈夫なのかー?」
ルーミアが不安そうに尋ねる。
「ええ、彼女は衰弱しているだけだから栄養剤を打って安静にしてればすぐに良くなるわ。病気の原因は貴方達が取り除いてくれたから問題無しよ」
「うぇ? ミスティアって病気だったの」
チルノの疑問は萃香も同じだった。
それにいつ自分達が病気の原因を取り除いたのか見当もつかない。
「あの、病気ってなんなんだ?」
萃香は素直に聞いてみることにした。
「それはね、心の病気よ」
「ココロの、病気?」
「そう、心の病気。これはね外の世界で流行ってるみたいで時々幻想郷に入ってくるのよ。これが厄介でね。心は目に見えないから本人も周りも中々気がつかない。でもその症状は馬鹿にできないの。最悪の場合は自殺とかありえるのよ」
「自殺……」
「周りが信じられなくなったり、自暴自棄になったりもするらしいわね」
それはまさしくミスティアの症状であった。
一同は心からミスティアの病気が治せて良かったと思った。
そんな中、突然リグルが萃香に話しかける。
なんだおーと振り向く萃香に向かって頭を下げた。
「な、なんだよ突然」
「ありがとう、ミスティアが助かったのは萃香のおかげだよ。本当にありがとう」
そんなリグルに続いてチルノとルーミアも頭を下げてありがとうとお礼を言う。
「よ、よせやい、あんまり煽てると攫うぞ?」
照れ隠しに思わず変なことを口走ってしまう。
鬼である萃香の台詞としては結構洒落にならないのだが
「うーん、萃香にだったら攫われてもいいよ」
とリグルは屈託のない笑顔でかえしてきた。
その笑顔をみて、こんな友人を持ったミスティアは幸せだなと思い、自分も幸せ者なんだと、萃香は幻想郷に戻ってきて良かったと心から思うのであった。
その後、復活した屋台は前のような騒がしさが戻っている。
屋台では相変わらず人間も妖怪が一緒に騒いでいるのであった。
そんな中、萃香が酒を飲んでいると、幽々子が話しかけてきた。
「どうやら上手くいったようね。お疲れ様」
「いーや、そんな大したことしてないよ。当たり前のことしただけさ」
そう答える萃香に幽々子は嬉しそうな笑顔で答える。
そして、お嬢様とは思えない食べっぷりで蒲焼を食べてから言葉を続けた。
「話を聞いてると、私が紫を宴会に誘って二日酔いにしたのも必要なかったわね」
「幽々子…」
それを聞いて萃香は幽々子がミスティアを助けるのに協力してくれていたのを理解した。
萃香が頭を下げようとすると幽々子はそれをやんわりと止めて、「私は保険をかけただけなんだから大したことはしてないわ」とウインクするのであった。
「おい、萃香ちゃんよ。俺からもお礼を言わしてもらうぜ。ありがとよ」
今度はルーミアのほっぺで遊んでいた青年が萃香に話しかけてきた。
「いやいや、思えばあんちゃんが一番最初に教えてくれたようなもんだよ。そうするとあんちゃんこそ凄いよな」
「ははっ、まあ、人間って生き物は本当に弱い生き物でよ。俺なんか特にそうなんだが、弱い奴は他人が苦しんでるのがなんか分かるだよ。なんせ自分がしょっちゅう苦しむんだからな」
そんな青年の話を聞いて、萃香は人間の持つさりげない優しさを感じていた。
そして、自分が人間を見限れなかったのは正解だったと思えるのであった。
今宵の屋台も騒がしい。
そこに夜雀の歌が聞こえだすと、そのうち楽しそうな大合唱になるのであった。
屋台が、夜雀の歌が、親友が、そしてそんな素晴らしいもの達が存在する幻想郷が萃香は大好きである。
昼間でも薄暗いのに夜になったら真っ暗になるのはいうまでもない。
そんな暗闇の中にぽつりとある紅い光。それは夜雀、ミスティアの屋台の光である。
焼き鳥撲滅を目指す彼女の屋台の定番メニューは八目鰻の蒲焼。
たまに鰻や泥鰌も混ざっているのはご愛嬌というやつだ。
そしてもうひとつの定番メニューともいえるのが美しい夜雀の歌であり、その歌声はまさしく(下手したら)天にも昇る美しさと一部ではすこぶる評判になっている。
この夜雀の屋台には妖怪と一緒に飲み食いするのがへっちゃらという肝の据わった人間から、気の小さい妖怪などと種族関係なく集まり、飲んで騒いで楽しんでいた。
そんな中、幻想郷の妖怪の中でも最強の種族の一種である鬼、萃香もここの屋台の常連になっていた。
文の取材の後にお奨めの屋台と紹介されたのがミスティアの屋台だったのだが、料理も酒も旨いうえ、少しやかましいが美しい歌も聴ける。更にこんなへんぴなところにある屋台に来るような客は変わり者でおもしろいやつが多い。ので萃香はこの屋台を大変気にいっていた。
今日来ている客は人間の青年に人食い妖怪のルーミア、そのほかにも人間のおっさんや妖怪などなかなかの繁盛具合のようだ。
人食い妖怪と人間が笑いあっている光景などこの屋台でくらいしか拝めない光景だろう。
そして、鬼である萃香に対して気さくな態度をとるのも一部の変人や妖怪を除けばここの常連ぐらいであった。
萃香は青年とルーミアがふざけあっている間に割って入っていった。
「ういーす。ミスティア、いつもので頼むよん。ようあんちゃん! あんたが遊んでる相手は人食い妖怪なのわかってるのーん?」
「よお萃香! これが人食い? そりゃ笑えるぜ!! こんなお嬢ちゃん、ほっぺたでもつねれば楽勝よ!! ほれほれ」
「むぎぎ、そんなことやるとあとが恐いのだー! お前に明日の月は拝ませないぞー」
「ああそうかい、それじゃああんたに奢るのはやめて、最後の晩餐を己の為に楽しむとするか」
「うー! きょ、今日のところは許す、ってほっぺたプニプニやめるのだー」
『ぶはははは』
こんな他愛の無い会話を人間妖怪関係なく楽しめる。萃香はこの屋台が大好きだ。
萃香も混ざってより一層もりあがる屋台。
女将であるミスティアもニコニコと嬉しそうでった。
しかし、そんな楽しい時間も終わりが近づいていた。
屋台に近づく不審な影。
その影はしゃがんで移動し、客側のほうからミスティアの死角から屋台へと向かっていく。
もちろん客からは丸見えなのだが、客達は何事も見ていないかのように振舞っていた。
そしてその影は屋台のテーブルの下に潜り込むとおどろおどろしい声でミスティアに声をかける。
「女将~、注文を頼む~」
その声を聞いたミスティアは、先ほどまでニコニコしていた表情を強張らせながらも恐る恐る返事を返す。
「な、何を頼みますか?」
ちなみに客達はおかまいなしに騒いでいるが、どことなく笑いを堪えているようにも見える。
ミスティアの問いかけにその影は突然飛び出すと大声を上げ、屋台を回り込むようにしてミスティアに襲い掛かった。
「それは女将~お前だ~!!」
「ひゃぁー!!」
悲鳴をあげて屋台の周りをぐるぐる逃げるミスティアを追いかける影とは、自称美食家、通称大食い亡霊こと幽々子であった。
バターになりそうな二人を客達はただニヤニヤ眺めているだけ。
もちろん萃香も助けになどはいらない。
そして激しい追いかけっこの末、勝利したのは幽々子であった。
羽交い絞めにされたミスティアは精一杯の愛想笑いで命乞いなどを試みる。
「あのーお客さん? 鳥を生で食べるのは危ないですよ。私の知人は生焼け焼き鳥にあたって四日間寝込んだんですよ。ざまぁ見ろですよね。だから諦めたほうが……」
そこまで喋ると黙り込んで幽々子の返答を待つミスティア。
しかし現実は非常であった。
「あら~、私の胃袋は頑丈だから大丈夫よ~。それじゃあ、いただきま~す」
「きゃー!」
哀れミスティア! 非力な夜雀は大食い亡霊の餌食になってしまった。
~完~
ということはなく
「ほ~れこちょこちょ~」
「あははっ、くすぐったい! 駄目、死ぬ死ぬ! 降参降参!!」
幽々子はミスティアをくすぐって遊んでいた。
やがて満足した幽々子はミスティアを開放すると席に座り、今度は普通の注文をする。
「あ~やっぱり女将はいじりがいがあるわ~。とりあえずお酒と蒲焼一人前」
「まったく、こっちは生きた心地がしませんよ」
そう文句を言うミスティアだったが顔は笑っている。
このミスティアと幽々子のじゃれ合いは挨拶のようなものになっていた。
幽々子は出された酒と蒲焼をつまみながら妖夢のグチを言い出す。
「最近妖夢がつれないのよね~。私がくすぐっても何のリアクションもかえさないでそれどころかため息なんかついちゃって~。なんか可愛げが無いのよね~」
「そりゃあ、あんたのお転婆ぶりに付き合ってたら身がもたねぇよ。妖夢は賢く育ってんな。まさしく反面教師だわ」
青年の正しい突っ込みに屋台の皆がどっと笑う。
そんな楽しい屋台の雰囲気に萃香はとても気分が良くなった。
なんとなく歌いたくなった萃香は遠慮なく、大声で歌いだした。
「酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~」
その歌声はお世辞にも上手いとは言えず、しかも大音量なため飛んでいる鳥すら落とせそうな騒音と言うのが相応しい。
他の客が耳を塞いで耐える中、その騒音をミスティアは目を閉じ心から楽しそうに聞いていた。
しばらく聞いていたミスティアだったが、やがて彼女も萃香に合わせて歌いだした。
「酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~ 夜雀の屋台は 酒が飲めるぞ~♪」
すると騒音だった萃香の歌が、美しいミスティアの歌声につられていき、とても上手な歌へと変わっていく。
その楽しげな歌に聞き惚れていた客達もいつしか一緒に歌いだしていた。
『酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~皆騒がしくても酒が飲めるぞ~♪』
今宵も人間妖怪入り乱れ、夜雀の屋台で楽しく歌を歌うのであった。
数日後の夜。
萃香はミスティアの屋台でいつものように騒がしく飲んでいた。
そんな中、歌っていたミスティアが突然歌うのをやめてコメカミを抑えて呻く。
つらそうなミスティアを心配したのか青年が声をかける。
「おいおい、女将さん。つらそうだけど大丈夫かい? 風邪でもひいてるんじゃねぇの」
「大丈夫大丈夫。熱もないしくしゃみもしたくならないよ。少し頭痛がするだけ」
そう笑顔で答えるミスティアだったが、萃香には大丈夫そうには見えなかった。
「あらあら、今日も襲おうとしたけど、調子が悪いんじゃしょうがないわね」
幽々子も調子が悪そうなミスティアに遠慮して今日は普通に現れる。
先ほどまで騒いでいたルーミアとリグルも心配そうだ。
「あんまり無理はしちゃいけないね。今日は早めに帰ろうか?」
「そんな、気にしないで。本当に平気だから」
萃香もなんだか心配になりミスティアを気遣ったが、あくまでもミスティアは笑顔で大丈夫だと言い張る。しかし、眉間にしわが寄っているのを見るとあまり大丈夫そうにはみえなかった。
結局その日は、騒がしくも早めに皆が帰っていくまでにミスティアが歌を歌うことはなかった。
さらに数日後。
この日屋台にいる客は萃香と青年だけであった。
今日のミスティアは先日の調子の悪さなど感じさせず元気に歌を歌っている。
その様子にホッして歌を聞いている萃香だったが、青年はいつものように騒がず静かであった。
初め萃香は客が自分しか居ないので話題が無いのかと思っていたが、どうやら青年がミスティアを気にしていて萃香の事は眼中にないようだ。
もしやコイツ、ミスティアに惚れたな。
そう勝手に解釈して内心ほくそ笑んでいた萃香であったが、いつも騒がしくへらへらしている青年の真面目な表情を見ているとそんな甘い雰囲気ではないように思えてきた。
(なんか空気が重いような気がするよ~)
そんな時、幽々子がいつものようにこっそり屋台に近づいていた。
正直なところ、萃香は幽々子がこの微妙に重い空気を変えてくれることを期待していた。
幽々子はミスティアの死角の机の下に潜り込むとお決まりのおどろおどろしい声を出す。
「おい女将~」
だが、ミスティアの反応はいつもと違っていた。
幽々子の声にビックっと身震いすると、自分の体を抱きしめ怯えるようにあたりを見渡す。
「ちょっと、ミスティア?」
その尋常でない様子に萃香は声をかけるがミスティアは聞こえていないように、震えながらあたりを見渡し続けている。
青年は相変わらずで、黙ってミスティアを見続けていた。
死角に居る為、ミスティアが見えない幽々子はミスティアからのリアクションがないことに疑問を抱きながらもとりあえずお決まりの台詞とともに飛び出した。
「お前を食わせろ~」
イヤァァァァァァァァ!!
突然のミスティアの悲鳴に屋台の空気は凍りついた。
そのあまりに大きな悲鳴に萃香は驚きながらも周りの様子を見てみる。
青年は目をむいて固まっており、幽々子は
「えっ、えっ?」
と何が起きたか分からずと惑っていた。
そして悲鳴を上げたミスティアは
「ゴメンナサイ、ゴメンナンサイ、ゴメンナンサイ……」
と小さな声で呟きながら屋台の隅で小さくしゃがみこんで震えていた。
「おい、大丈夫か? しっかりしなよ!」
その尋常ではない様子に萃香はミスティアの両肩を掴み、揺すりながら呼びかける。
しばらく震えていたミスティアだったが、萃香の呼びかけにハッと気がつくと慌てたように立ち上がると笑顔になった。
「あ、あれ~? ちょっと恐がった演技しただけなのに皆本気にしちゃった? これだと私女優狙えるかも」
その先程とは嘘のようなミスティアのおちゃらけた様子に萃香はホッと胸を撫で下ろし、幽々子も「だっ、騙したわね~」と憤慨しながらも安堵の表情を浮かべる。
和やかになった雰囲気の中三人がじゃれあっていると、突然青年がバターンと倒れた。
何事かと集まる一同の前で青年はう~んと唸る。
「っつー! どうやら飲みすぎたみたいで世界が回るー。悪いけど萃香ちゃんと幽々子様~手、貸してくれ」
こいつそんなに飲んでたっけなと疑問に思う萃香の心中などお構い無しに、酔っているにしては機敏な動作で萃香と幽々子の肩に寄りかかると、二人の身長差によって変な体制にも関わらずスタスタと屋台から離れようとする。
「ちょっと、平気なの?」
心配するミスティアに青年は平気平気と手を振って答えると、二人に連れられてというよりは二人を連れて行くように屋台から離れていった。
屋台の光が見えなくなるところまで来ると、青年は?マークを浮かべる二人を開放する。
そして、悲しそうな表情で二人に話しかけた。
「なあ、お二人さんよぉ。何かに怯えながら女将が歌っていたのに気がついたかい?」
青年の思いがけない言葉に萃香と幽々子は驚愕する。
近くで歌を聞いていた萃香からはミスティアがいつものように歌っているように見えたし、遠くから様子見していた幽々子も同じだった。
そんな二人に青年は「まぁ、俺だって感だったから分かんなくて当然だけどよ」と言い屋台のほうを眺める。
「しかし、あの様子だとあながちハズレじゃないな。お二人さんは俺なんかより長生きしてんだろ? 女将の過去とか知らないのか」
青年の問いかけに対しての萃香の答えは否であった。
ミスティアと関わり出したのはここ最近であったし、鬼は幻想郷から出て行った妖怪であり、萃香は最近一人で幻想郷に戻ってきたのである。
ミスティアの過去については何も知らなかった。
おそらく、最近ミスティアと関わりを持ったのは幽々子も同じであろう。
「まあ、長生きしてるのは当たりだけどさ、ただ、それだけだよ」
萃香はそう答えることしかできなかった。
幽々子も萃香と同じというように黙っている。
その様子に青年は「いやっ、そんなにがっかりなさんな。ただ聞いてみただけだからさ」といいそれじゃと挨拶すると人里のほうへ帰っていった。
「大事にならないといいんだがな」
去り際に一言残して。
その一言に萃香の胸中にはの知れない不安が生まれた。
そしてその不安が現実になるのにそう時間はかからなかった。
さらに数日後。
その日も萃香はミスティアの屋台に居た。
今日のメンツは普段からミスティアと仲のいい、ルーミア、リグル、チルノ。
この日もミスティアはあい代わらず美しい歌声を披露している。
しかし、萃香達は言いようの無い緊張感を感じていた。
歌は美しい、いや、いつもよりも格段に美しくどんな野蛮な妖怪もこの歌の前では腑抜けになると思わせる程のものだ。だが、普段は楽しげに歌うミスティアはどこか鬼気迫るような雰囲気をかもし出し、萃香達は料理にも酒にも手をつけることが出来なかった。
下手なことをして歌を止めるのが恐ろしい。
鬼である萃香は、己が恐怖に近い感情を抱いていることが信じられないが、現に指一本動かすことが出来ないでいた。
(何、なんなのこの歌は!)
一同が得体の知れない恐怖と美しい歌声に戦く中、この空気に馴染めきれない奴がいた。
「くしゅん!」
チルノのくしゃみによって、ミスティアは歌うのをやめた。
無粋なくしゃみをした氷精を見つめる夜雀の目が萃香にはどことなく悲しいものに見えた。
「チルノちゃんは私の歌が邪魔なの?」
「そ、そんなことないよ!」
ダンッ!!
チルノの弁解など聞こえていないかのようにミスティアは屋台に拳を打ち付け激昂する。
「うるさい!! どうせ私の歌なんてやかましいだけなんでしょ!! でも、でも、私には歌しかないの。歌しかないのよぉぉぉ!!!」
叫び終えると今度は嗚咽を漏らし始めミスティアは顔をうずめてしまう。
情緒不安定なミスティアに一同はただおろおろするしかできなかった。
あまりの事に萃香もただただ呆然とするしか出来ない。しかし、最年長としてのプライドから彼女はミスティアを慰めてやらなければいけないと思わせた。
いまだ肩を震わし泣き続けるミスティアにやさしく手をそえ話しかける。
「おいおい、いったいどうしたんだよ。いつもなら皆が騒がしくてもおかまいなしに歌ってるじゃん。歌はちゃんと聞いてるから今日もそのノリで頼むよ」
その萃香の言葉にミスティアは泣くのをやめる。
泣き止んでくれたことにホッとしたのも束の間、一瞬前まで萃香の顔があった空間を鋭い爪が抉っていた。
「なっ、お前!」
「帰ってよ……」
文句を言おうとする萃香を遮りミスティアは呟く。
その呟きはどこか懇願するようにも聞こえた。
「………」
一同はどうしていいのか分からず黙ってしまう。
そんな一同に痺れを切らしたのかミスティアは手近なものを掴み投げ始めた。
「もう! 私なんかどうでもいいから帰ってよ! 帰ってよぉぉ!!」
飛んでくる石やら串やらに一同は逃げ出すしかなかった。
屋台から離れたところまで逃げてきた一同はぜぇぜぇと息を整えると顔を見合わせ、さっきのことについて話始めた。
「ごめん、アタイがくしゃみなんかしたからミスティア怒ったんだよね」
「そんな、チルノのくしゃみはしょうがないよ。それにしてもどうしたんだろうねミスティア…」
「なんか心配なのだー」
チルノ達の口から出るのはミスティアに対する怒りではなく心配することばかり。
その光景を見て萃香はなんともいえない憤りを感じていた。
なんなんだあいつは。
皆お前のことをこんなにも心配してるのに!
それをあんなふうに追い払うなんて、馬鹿だ!
でも、ミスティアがあんなふうになっても何もできない私はもっと馬鹿だ!!
鬼だからなんだっていうんだ!
ちくしょう、ちくしょう!!
己の無力さを嘆く萃香には夜雀の嗚咽が聞こえるような気がした。
その次の日からミスティアの屋台を見かけることが無くなった。
萃香は毎日屋台が出ていた場所へ通ってみるのだが、屋台はおろかミスティアに会うことは無かった。
その時に青年を初め屋台の常連に会ったが皆も突然居なくなったミスティアのことをとても心配していた。
何が私には歌しかないの!
ミスティアのこの言葉が萃香の胸に突き刺さっていた。
(本当にどうしたんだ、お前らしくないよ)
皆が心配するなか、しばらくミスティアが姿を現すことはなかった。
そして1週間程たった夕方。
神社の縁側で萃香は足をぶらぶらさせていた。
ボーとしながら思い出すのは蒲焼の匂いと騒がしい喧騒とミスティアの歌。
ここ1週間の殆んど萃香は一人で酒を飲んで過ごしていた。
霊夢はどこかへ遊びに行くことが多いし、二人で飲む機会があっても何故か萃香はいつものように楽しく酒を飲むことが出来ないのだ。
はぁ、こんなにもあの屋台が居心地よかったなんてなー。
あの屋台での馬鹿騒ぎを思い出しながら、もはや友人であるといえるミスティアの詳細を分からないことがこんなにも不安だということをひしひしと実感していた。
なんとなくだが、あのなにもかも拒絶しているかの様なミスティアが今は一人で居るんじゃないのか、幻想郷を捨てた鬼仲間に馴染めず一人戻ってきた自分の時のように寂しい思いをしてるんじゃないか。
そんな想像が萃香の頭を巡る。
と、黄昏ている萃香の目の前に毎度同じみのスキマが現れた。
しかし、中からでてきたのは少し予想外の人物だった。
「霊夢? なんでスキマから出てきてんの? それに泣いてる?」
スキマから出てきた霊夢の目からは確かに涙が流れている。
しかし、霊夢は「なんでもないわ」と言うと逃げるように奥の部屋に消えていった。
状況が把握できない萃香の前に今度はスキマから出てくるのが当たり前の妖怪、紫が出てきた。
いつもはよく言えば優しい微笑み、悪く言うと常に相手を小馬鹿にしているような笑みを浮かべるその表情が今はなんとも寂しげな顔になっている。
「おう、どうした紫。そんな顔して珍しいじゃん。それになんで霊夢がスキマから出てきて泣いてるの?」
そこまで言った萃香は紫がふざけて霊夢をスキマに引きずり込んだけど、思いのほかマジ抵抗されてお互いに落ち込んでるのかなと想像した。
しかしその想像は外れていた。
「ちょっとね、人里に妖怪が出てきたから霊夢が退治したのよ。それで思いのほか疲れていたようだから送ってあげた。それだけよ」
「へーえ、霊夢が泣くほどなんてよっぽど強い妖怪だったんだなー。私も戦いたかったかも」
「いいえ、決して強くはないし霊夢が一方的に攻撃しただけで逃げていったわ」
「えっ、じゃあなんで泣いてたの」
「歌よ」
「歌?」
その言葉を聞いた瞬間萃香はミスティアのことを思い出していた。
そんな萃香をよそに紫は話を続ける。
「その妖怪はね、人里に出てくると人間を襲うわけでもなくただ歌っていた。その歌はとても美しかったわ。私もしばらく聞き惚れたぐらいに」
紫は目を閉じるとその歌を思い出しているのかうっとりとした表情になっている。しかし、その表情はすぐに強張った。
その顔には紫と長い付き合いの萃香ですら滅多に見たことがない恐怖が存在していた。
「そして恐ろしく、悲しかった。普通の人間なら生きる気力を失うぐらいにね。私ですら戦慄したわ。あのレクイエムには」
「レクイエム……」
「そう、己の魂を削っているかのようなレクイエム。幸い早めに阻止できたから被害は無かったけど、歌を聴いた霊夢は今もその余韻が残っているの」
己の魂を削る、私には歌しかない!
その言葉が頭に浮かび萃香はとてつもなく嫌な予感がした。
いつの間にか自分が冷や汗をかいているのに気がつく。
「なあ、その妖怪はもしかして」
「明日の夜には私が始末をつける」
「……えっ?」
「霊夢の精神ダメージは思ったより重そうだし、今回は私がやるわ」
萃香の言葉を遮って紫が放った言葉はどこか物騒な響きを持っていた。
「あの歌は危険すぎる。まったく、昔皆で散々懲らしめてやったからここ最近は上手にやっているもんだと思っていたけど、どうやら駄目だったようね」
その言葉に萃香はミスティアが怯えていた時の事に合点がいった気がした。
あの怯えは昔、歌を歌って酷い目にあったときの記憶を思い出していたのではないのか。
ただただ、歌いたかっただけなのに、あんなに怯えるほどのことをされなければならなかったのか。
それを思うと目の前の友人に対して激しい怒りが生まれた。
「紫、あんたってやつは!」
「あら? 何を怒っているのかしら。私はその妖怪が夜雀だなんていってないわよ」
「そんな誤魔化そうとして! 明らかに……」
「力を制御できない者は幻想郷に存在を許しておけない。あなたなら分かるでしょ」
「!!」
幻想郷には強大な力を持つ妖怪や神が共存している。
そんな強大な力が共存できるのは、お互いに力を制御し平穏を保っているからだ。
しかし、その平穏は非常に危ういバランスで成り立っている。
そのバランスはどんな些細なことで崩れるか予想もつかない。
紫はわずかなイレギュラーでもそのバランスを崩しかねないと危惧しているのだ。
萃香は紫がどれだけ幻想郷を愛しているかを知っている。
しかし、萃香とて友人が友人に消されるのを黙って見てはいられなかった。
「始末するのは明日の夜だったな」
「ええ、そうね」
「なら私は夜までにミスティアを助ける」
「あなたが何を言ってるのかは分からないけど……まあ健闘を祈ってるわ」
そう言い残し、紫はスキマの中へ消えていった。
紫が消えた後、萃香は己の体を霞に変化させると幻想郷の広い範囲にわたって広がり始めた。
萃香が幻想郷中を探し始めてからかなりの時間がたち、そろそろ夕方になろうとしていた。
しかしただでさえ夜行性の夜雀なのに、ここ最近姿を現さなかったミスティアを見つけ出すのは困難であった。
(早くしないと夜になる)
夜になれば紫はどんな手段をも使ってミスティアを見つけ出し消すだろう。
焦る萃香だったが何の手がかりもないまま夜になろうとしていた。
そんな時だった。ふと蛍が飛んでいることに気がつく。
その蛍はどこへ行くこともなくふわふわ飛んでいるだけである。
(これは、私に何かを伝えようとしている?)
直感でそう思った萃香は蛍の目の前でもとの姿に戻る。
するとその蛍は萃香の顔の前で旋回すると何処かへ向かって飛び始めた。
(蛍といえば……リグルが案内してくれてるのか?)
もうこの蛍に賭けるしかない。
そう決心した萃香は蛍に飛んで着いて行った。
しばらく飛んでいると蛍はとある丘へと向かっていた。
(ここは無名の丘? なんで私はここに気がつかなかった!)
しかし、萃香が無名の丘を見逃していたのも無理も無いかもしれない。
普段は鈴蘭が咲き誇る丘もいまでは枯れる寸前の鈴蘭に覆いつくされていた。
その光景は普段の美しさなど微塵もなく、ただただ空虚な悲しさ漂う丘となり果てていた。
廻りに目を向けてみると、様々な動物や妖怪、それにメディスンまでもが眠っているように枯れかけの鈴蘭の中にいた。しかし、その姿からは眠っているような暖かい感じはしない。
そして彼らがなぜそうなっているかの原因はすぐに分かった。
歌が聞こえる。
美しくも悲しく、生を拒絶するかのような歌声が。
その歌詞のない歌を聴いていると生きることを放棄しひたすらに歌に身をゆだねたくなってくる。
萃香を案内していた蛍もその歌が聴こえてくると唐突に落ちていった。
その蛍を萃香は受け止めてやると出来るだけ安全そうな所に置いてやり、歌っている主へと向かっていく。
生への放棄を誘惑する歌に耐えながら向かっていくとそこには歌い続けるミスティアとその周りに安らかな顔でうずくまっているリグル、チルノ、ルーミアの姿があった。
「おい! しっかりしろ!!」
萃香はルグルに近づき抱え起こすが、息はあるものの一見安らかな顔は白く刻一刻と生命が失われていくのが見て取れる。
「おい、ミスティア!! やめろ! やめてくれ!!」
萃香が二度三度呼びかけるとミスティアは歌うのをやめた。
そして忌々しそうに、しかしながらどこか虚ろな目で萃香を見ると何処かへ飛んでいこうとした。
「! 逃がすかー!!」
そうはさせまいと萃香はミスティアに体当たりのような形で飛びつき、大した抵抗もできずミスティアは引き摺り下ろされた。
「イヤッ、ヤァッー!!」
萃香に捕まったミスティアは駄々をこねる子供のように萃香から逃げようとする。
その鋭い爪が肌に食い込む痛みに顔をしかめながら萃香はミスティアの軽さ、細さに唖然としていた。
(こんなに弱って……)
ミスティアの衰弱は予想以上だった。
聞いた対象を死に誘うレクイエム。
それを歌っている本人に影響が出るのは至極当然の結果であろう。
弱った体で尚も抵抗するミスティアが萃香はどうしようもなく儚くて、ただただ優しく抱きながら撫でることしかできなかった。
しばらく抵抗していたミスティアだったが、しだいに抵抗が収まってきた。
しかし、抵抗の意思が無くなったわけでなくただ体力が尽きたといった感じであった。
そしてミスティアは静かに泣きはじめる。
萃香は優しくなで続けながら話しかけた。
「ねぇ、いったいどうしたのさ。こんなの、こんなの…ミスティアらしくないよ」
しばらく黙って泣いていたミスティアだったがしだいにポツリポツリと話はじめる。
「…私の歌は危険なの。でも私は歌いたい。だから一人で居ようとするのに何で皆放っておいてくれないの?」
「ミスティア……」
「ほら、私の歌を聴いたら皆こうなってしまうのよ。私は迷惑をかけてたくない。誰の命も奪いたくない。だから、だから、一人にして」
そう言うと萃香から離れようとする。
だが、萃香を離したりはしなかった。
「……なんで、なんで?」
「あんたが私を必要としなくても私はあんたが必要だからさ」
再び泣き出すミスティアを萃香はより一層強く抱きしめる。
「孤独はさ、心地良いような気はするよな。私もそうだった」
人間に見切りをつけて幻想郷から去っていった鬼。
しかし、萃香はそんな鬼達にも馴染めずたった一人で幻想郷に戻ってきた。
そこでは人間妖怪関係なく楽しそうに宴会にあけくれる奴らがいた。
最初は見ているだけで十分だった。だが、ただただ見ているだけではずっと一人であるのに気がついた萃香はどうしても寂しくなり、退治されるかも、追い出されるかもしれない覚悟で姿を現し暴れた。そして連中はそんな自分を受け入れてくれた。
その時の気持ちはとても言い表せるものではないが、心に覆っていた黒い何かが剥がれた気がしたのであった。
「でもさ、孤独が心地いいなんて結局は誤魔化してるだけで、実際は心を蝕んでるだけ。人間だろうが妖怪だろうが一人でなんか生きていけない、無理なんだよ」
ミスティアに話しかけながらいつしか萃香も涙を流していた。
萃香は分かるのだ。
強力な力を持つが故、周りから距離を置きたくなる気持ち。
そんな気持ちとは裏腹に孤独が心を蝕んでいく辛さが。
「あんがい、私達の周りでは助けてくれようとする奴は居るもんだ。ただそいつらも救いを求められないとどうしよもない。お節介かもしれないけど私はミスティアを助けたい。リグルもチルノもルーミアもミスティアを助けたいからここまで来たんだ。お願いだからミスティア、助けを求めてくれ、心を開いてくれ」
萃香は優しく、しかし力強くミスティアを抱きしめ続けた。
しばらく動かなかったミスティアだったがぽつりぽつりと呟きだす。
「私も、私も皆と一緒に居たい。でも私の歌は危険だから…」
「何を言ってるんだよ。屋台で歌ってた歌は楽しい歌だったじゃないか。ミスティアの歌は危険なんかじゃない。私が保証する」
「でも」
「ほら、なんか明るくて、生きたいー! て歌あるだろ。一緒に歌おうじゃん」
「……うん!」
萃香が笑顔でいるとミスティアの顔にも久しぶりの笑顔が戻る。
そして大きく息を吸うと大きな顔で歌いだした。
「ぼーくらはみんな生きている♪ いきーているから笑うんだー♪」
その歌声に萃香も大声で続く。
「ぼーくらはみんな生きている♪ いきーているから笑うんだー♪」
「手ーの平を太陽にかざしてみれーばー♪」
「まーっかに流れる僕のちーしーおー♪」
「人間だーって、妖怪だーって、神様だーって♪」
いつのまにか復活したリグル、チルノ、ルーミアもミスティアの肩に手を置きながら歌う、歌う、歌う。
『皆、皆、生きているんだ友達なーんだー♪』
その楽しく、元気な歌声が丘に響きわたるとミスティア達を中心に枯れかけていた鈴蘭に元気が戻っていった。
そして、妖怪や動物達も元気を取り戻し、その元気な歌声に心躍らせるのであった。
「うわー! スーさん綺麗!!」
眠りから覚めたメディスンは今までみたことのない丘の光景に心奪われていた。
『皆、皆、生きているんだ友達なーんだー♪』
歌い終わった一同は泣いていた。
とにかく嬉しくて泣いていた。
泣き笑いするミスティアは誰から見てもいつもの元気なミスティアであった。
「リグル、チルノ、ルーミア、そして萃香。ありがとう。私嬉しいよ、嬉しいよ!」
うぇぇぇ~ん! と泣き続けるミスティアを皆は優しく撫でて続ける。
と、突然ミスティアの膝を崩してその場に座り込んでしまった。
「!? どうしたミスティア?」
慌てて萃香が受け止めると、ミスティアは力なく笑って答える。
「えへへ、そういえば最近歌ってばっかりだったから寝てないんだった」
「そうか、そりゃ眠いよ」
「うん、だからちょっと寝るね、もう目…開けて…られない」
「無理しないで寝たほうがいいよ」
萃香の言葉を待たずしてミスティアは目を閉じると寝てしまった。
しかし、その眠りが決していいものではないことを一同は理解していた。
現にミスティアの顔はどんどん白くなっていく。
「しっかりしろよミスティア、死んだりしたりなんか許さないからな!」
萃香の叫びが咲き誇る鈴蘭畑に響き渡るのであった。
あの後メディスンの案内で、永遠亭へと一同は駆け込んだ。
運び込まれたミスティアをみた永琳はすぐに治療を行い、一同は治療が終わるのをただただ待っていた。
一時間程すると永琳が出てきた。
駆け寄る一同に永琳は優しく笑いかける。
「貴方達、お腹減ってるでしょ。よければこれを食べなさい」
そういって出してくれたものは焼き鳥。
一同は涙した。
ミスティアは間に合わなかった。
だからこんな姿に……
「うぅ、せめて、せめておいしく食べるからな」
そんな事を言い涙ながらに焼き鳥を頬張る萃香達に、とりあえず永琳は突っ込んでおく。
「あのね、冗談でもやめなさい。ミスティアが大丈夫なの分かってるんでしょ?」
そう言われ一同は素直に頷く。
しかし、そう言われても一同本心では心配だった。
「本当に、大丈夫なのかー?」
ルーミアが不安そうに尋ねる。
「ええ、彼女は衰弱しているだけだから栄養剤を打って安静にしてればすぐに良くなるわ。病気の原因は貴方達が取り除いてくれたから問題無しよ」
「うぇ? ミスティアって病気だったの」
チルノの疑問は萃香も同じだった。
それにいつ自分達が病気の原因を取り除いたのか見当もつかない。
「あの、病気ってなんなんだ?」
萃香は素直に聞いてみることにした。
「それはね、心の病気よ」
「ココロの、病気?」
「そう、心の病気。これはね外の世界で流行ってるみたいで時々幻想郷に入ってくるのよ。これが厄介でね。心は目に見えないから本人も周りも中々気がつかない。でもその症状は馬鹿にできないの。最悪の場合は自殺とかありえるのよ」
「自殺……」
「周りが信じられなくなったり、自暴自棄になったりもするらしいわね」
それはまさしくミスティアの症状であった。
一同は心からミスティアの病気が治せて良かったと思った。
そんな中、突然リグルが萃香に話しかける。
なんだおーと振り向く萃香に向かって頭を下げた。
「な、なんだよ突然」
「ありがとう、ミスティアが助かったのは萃香のおかげだよ。本当にありがとう」
そんなリグルに続いてチルノとルーミアも頭を下げてありがとうとお礼を言う。
「よ、よせやい、あんまり煽てると攫うぞ?」
照れ隠しに思わず変なことを口走ってしまう。
鬼である萃香の台詞としては結構洒落にならないのだが
「うーん、萃香にだったら攫われてもいいよ」
とリグルは屈託のない笑顔でかえしてきた。
その笑顔をみて、こんな友人を持ったミスティアは幸せだなと思い、自分も幸せ者なんだと、萃香は幻想郷に戻ってきて良かったと心から思うのであった。
その後、復活した屋台は前のような騒がしさが戻っている。
屋台では相変わらず人間も妖怪が一緒に騒いでいるのであった。
そんな中、萃香が酒を飲んでいると、幽々子が話しかけてきた。
「どうやら上手くいったようね。お疲れ様」
「いーや、そんな大したことしてないよ。当たり前のことしただけさ」
そう答える萃香に幽々子は嬉しそうな笑顔で答える。
そして、お嬢様とは思えない食べっぷりで蒲焼を食べてから言葉を続けた。
「話を聞いてると、私が紫を宴会に誘って二日酔いにしたのも必要なかったわね」
「幽々子…」
それを聞いて萃香は幽々子がミスティアを助けるのに協力してくれていたのを理解した。
萃香が頭を下げようとすると幽々子はそれをやんわりと止めて、「私は保険をかけただけなんだから大したことはしてないわ」とウインクするのであった。
「おい、萃香ちゃんよ。俺からもお礼を言わしてもらうぜ。ありがとよ」
今度はルーミアのほっぺで遊んでいた青年が萃香に話しかけてきた。
「いやいや、思えばあんちゃんが一番最初に教えてくれたようなもんだよ。そうするとあんちゃんこそ凄いよな」
「ははっ、まあ、人間って生き物は本当に弱い生き物でよ。俺なんか特にそうなんだが、弱い奴は他人が苦しんでるのがなんか分かるだよ。なんせ自分がしょっちゅう苦しむんだからな」
そんな青年の話を聞いて、萃香は人間の持つさりげない優しさを感じていた。
そして、自分が人間を見限れなかったのは正解だったと思えるのであった。
今宵の屋台も騒がしい。
そこに夜雀の歌が聞こえだすと、そのうち楽しそうな大合唱になるのであった。
屋台が、夜雀の歌が、親友が、そしてそんな素晴らしいもの達が存在する幻想郷が萃香は大好きである。
歌っていて欲しいですよねぇ。
萃香の行動やミスティアの想いとか、読み応えがありました。
面白かったですよ。