*ご注意*
このお話は
作品集63「星熊勇儀の鬼退治」
作品集64「エンゲージ~続・星熊勇儀の鬼退治~」
作品集65「おにごっこ~星熊勇儀の鬼退治・参~」
作品集65「温泉に行こう!~星熊勇儀の鬼退治・肆~」
の流れを引き継いでおります。
「妬ましい、かな」
「なにがだい?」
掠れるほどに小さな呟きだったけれど、彼女はちゃんと聞いていてくれた。
「ん……ずっとずっと先の話よ、勇儀」
「……そうか」
勇儀の笑みが歪だ。
先なんて無いって、未来なんて訪れないって知っているから。
でも、それは間違い。
先が無いのは私だけ。死にかけているのは私だけ。
彼女には、勇儀にはまだまだ未来がある。
「いつか……勇儀に、新しい恋人ができたらって思って」
長く言葉が紡げない。息継ぎすらも難しい。
でも、止められない。
こうして勇儀と言葉を交わせるのは……もうこれが最後だから。
「そしたら、妬ましいかなって」
「それは……どうだろうな。また恋人を見つけるなんて出来るかな。私は、不器用だから」
彼女は、不器用というより義理堅い。
「難しいかもしれないわね」
苦笑する。そうしたら、苦笑に、苦笑が返ってきた。
あぁ、やっぱり、不器用なのかもね。
萃香だったら、ここで気の利いた台詞を返してるわ。
昔、私を迎えに来たあいつ――大妖怪八雲も同じだろう。
器用には見えなかった博麗の巫女だって、もう少しはましかもしれない。
でも、だから、私は勇儀が愛おしい。
不器用で、まっすぐで、すごく強いのに、どこか弱い勇儀だから――私は惚れたんだから。
「……勇儀、酔ってないわね?」
もう匂いもわからないけれど、立ち居振る舞いがいつもの彼女のそれではない。
「ああ……酒も、喉を通らなくてさ」
「まったく……先が思いやられるわ」
私が死ぬ前からこんなじゃあ、死んだ後なんて水も飲めなくなってしまうんじゃないかしら。
「後追いなんてしたら蹴り返すわよ」
「手厳しいなぁ」
浮かべるのは苦笑。
苦い、笑み。
もう随分と――これ以外の表情を見てない気がする。
「……勇儀」
なにかを言おうとして、言葉に詰まる。
なにを言えばいいのか――どんな慰めなら届くのか……わからない。
「どうした? 今日はいやに私の名を呼ぶじゃないか」
はぐらかすかのように勇儀が口を開く。
……心は読めないはずだけど、読んでくれたかのよう。
まるで、言葉の澱みを取り除いてくれたかのよう。
「忘れないように」
なら。それなら――想いをすべて、伝えよう。
「忘れないように刻みつけているの。例えば、もし――生まれ変われたら」
心残りの無いように。
「また勇儀を見つけられるように」
心を全部、彼女に残していけるように。
「――探さずとも、私はずっとここに居るよ」
けれど、彼女の笑みは悲しいまま。
苦く、苦しそうなまま。
「ずっとおまえの傍に居る。一時も離れない。探すまでも……ないさ」
……こんなとき、私を忘れろと言う方が正しいのかもしれない。
悲しみを薄れさせて、立ち直るのを早めて。
「……だぁめ。私があなたを捕まえるんだから」
そんなこと、知ったことか。
私はそこまで悟ってない。
自分の恋心に達観してない。
勇儀が好きだってこの想いを誤魔化すなんてできない。
勇儀の握ってくれているこの手を――振り払うことなんて、できない。
「……ゆ」
握り返そうと、力を込めようと、名を呼ぼうとしたら、強く握られ言葉は遮られた。
「――すまない」
代わりに紡がれるのは勇儀の言葉。
「私が――おまえをこんな地底に閉じ込めてしまった」
見えるのは笑みすら消えた、苦々しい顔。
「いつかまた空を見せてやろうと……していたのに」
握られる力は強いけれど、そこに籠るのは虚脱。
「八雲との約束を破ってでもおまえを地上に連れて行こうと思っていたのに」
ぽたりと、雫が落ちる。
「私は馬鹿だなぁ」
泣いていた。
「こんなにも……猶予が無かっただなんて」
勇儀が、泣いている。
「こんなにも――こんなにも、生きる時間が違うだなんて、知らなかったよ」
鬼の勇儀と、私とでは……寿命もなにもかも、比べるべくもない。
無知かもしれない。ならば、馬鹿なのかもしれない。
だけど、それはただ未来を信じ続けていただけ。
一片の曇りも無く、幸せな明日を夢見ていただけなのだから――嘲ることでは、ない。
ならば、それは――
「それはね、純粋って云うのよ」
強く、残った力を振り絞って、勇儀の手を握り返した。
「後悔なんてしなくていい」
あの日。
「悔やむことなんてない」
勇儀に捕まったあの日。
「私は――」
空への想いを断ち切ったあの日。
「ずっと幸せだった」
私だけの、太陽を見つけたあの日――
「勇儀といっしょに居られて、楽しかった」
私は、この世に生まれたことを感謝するほどに嬉しかった。
「××××……」
……あ、勇儀の声が、聞きとれなくなった。
残念。きっと、今のは私の名を呼んでくれたのに。
もう時間がないんだ。
勇儀の泣き顔が、よく見えない。
まだ手を握ってもらっているのかもわからない。
なら、伝えなきゃ。
言葉になるかわからないけれど。
最後まで言えるかわからないけれど。
「最後のわがまま」
私の願いを。
私の想いを。
紡がなきゃ。
「また私をさらってね、勇儀」
――決して自分のものじゃない夢を見た。
酷く、嫌な気分だ。
愛情、後悔、悲しみ――おおよそ思いつく限りの感情が一気に流れ込んだような、飽和状態。
……今生の別れの夢。
頬が、冷たい。
「……こんな顔、誰かに見られたら舌を噛むわ」
袖で顔を拭う。
「なにかしら……夢枕? なんかのお告げ?」
だとしたら最悪だ。目覚めが悪いなんてもんじゃない。
あんな別れの夢など、何時だって見たくない。
たとえ夢想の産物でも、見たくない。
自然、勇儀の姿を探していた。
だけど、見当たらない。見当たらないどころか――見慣れない光景。
「んぁー……ここは……あぁ、魔法使いの家か」
遭難しかかって、留守だった魔法使いの家に泊まったんだっけ。
窓を見れば、陽の光が射している。吹雪は止んだらしい。
「……勇儀」
陽の光よりも――彼女の姿が無いことの方が気にかかる。
上着を引っ掛けて部屋を出る。
探す。
見つからない。
探す。
見つからない。
探す。
見つからない。
探す――
意味も無く焦ってしまう。
まるで、悪夢の続きだ。
肌を刺す寒さは本物なのに、まるで現実感が無い。
勇儀が、目覚める度に私が近くに居ないことを不安がっていた気持ちが今ならわかる。
不安なんてものじゃない。怖くて、恐ろしくて、押し潰されてしまいそう。
「……っ」
外に出る。
周囲を見回して、上を見て――ようやく勇儀を見つけられた。
屋根の上に彼女の姿がある。
息を吐いて、彼女を見る。
勇儀は空を見上げている。
青く澄んだ、果ての無い空を。
私もこだわっていたけれど――彼女も何か、空に想うことがあるのだろうか。
「ゆう――」
声を掛けようとして思いとどまる。
空を見上げる勇儀は……ひどく脆そうに見えた。
泣きそうな顔をしているわけでも、沈んだ顔をしているわけでもない。
強いて言うなら無表情。なのに……脆く、見える。
触れるのを躊躇うほどに。触れたら、壊れてしまうと思えるほどに。
脆く、儚く見える。
このまま、消えてしまいそうに――
「勇儀」
「ん? あぁ、おはようパルスィ」
普通に、返事が返ってきた。
やんわりとした笑みをたたえた、ほろ酔いの勇儀の顔。
いつもの――勇儀だ。
今度こそ胸を撫で下ろして息を吐く。
「……おはよう」
思えば勇儀自身にとっても久しぶりの青空なんだ。
少なくとも私よりも昔から地下に居たのだから。
なら、さしずめ――空見酒なのかしら。
「勇儀、風邪ひくわよ」
上着を持ってきていない勇儀はいつもの半袖姿。
晴れてこそいるもののあたり一面雪景色で、刺すほどに空気は冷えている。
「ん」
なのに。
「んー。大丈夫さ」
返ってくるのは生返事。
……なんか、気に入らない。
気遣いを無碍にされたから、なんて安直な理由ではなく、私自身でもわからないなにかに……
胸の内が、ささくれ立つ。
「……」
飛んで、勇儀の隣に着地する。
「お? パルスィも一杯やるかい?」
「いい」
差し出された盃を見もせずに私は突っぱねる。
八つ当たりのようだけど――違う。
勇儀が、悪い。
なにが悪いのかわからないけれど、こいつが悪い。
「……あの、もしかして私なんかやったかな……?」
冷や汗をかいているのが見える。
「実行中、でしょ」
だけど気にせず冷やかな目を向ける。
「…………鋭いなぁ」
意外とあっさり、勇儀は己の罪を認めた。
……まだ私はその罪がなんなのか把握できてないんだけれど。
そんなことに気づいてるはずはないのに、勇儀はぽつりぽつりと自白を始める。
「空を見せてやりたかった奴が居たんだ」
またさっきの――無表情。
空を、どこか遠くの空を見上げる。
「……誰?」
「昔の恋人」
思わず咳き込みそうになった。
あまりにも予想外で、体の中がでたらめに暴れまわる。
「そ、そう」
……考えなくても、当然、だ。
勇儀はこんなにも美人なんだし……私の数倍は生きているんだし。
今まで恋人が居なかったって方がおかしいんだ……
「空を見ると」
こちらの混乱には気づかなかったようで、自白は――独白は、続く。
「思い出しちゃってね。約束――ですらなかったけれど、あいつに空を見せるってのが……
果たせなかった、私の、愚かしさを」
言葉は痛々しく、苦々しい。
なのに。
「強い、つもりだったんだけどな。なんでもできる……つもりだったんだけど、な」
その表情は――なにもかも取りこぼしたかのように……無表情。
――埋められない溝だと、自覚する。
どうしようもないほどに単純な――年齢差。積み重ねた年月の、差。
私ではどうやっても届かないずっとずっと昔の話。
……慰めの言葉すら、出てこない。
「……その、ごめんなさい」
「なにを謝るんだい?」
「なんか、無理矢理話させたみたいだから」
「私が勝手に話したことさ。パルスィが謝ることはないよ」
やんわりと微笑まれる。
私の好きな優しい笑顔。
だけど。
今は、その笑みが、痛い。
「……ねぇ」
追いやらないで。
「なんだい?」
私を置いていかないで。
「その人の、話」
私の知らないところで……
「聞かせて」
……泣かないで。
一瞬だけ、驚いた顔をして――勇儀は頷いた。頷いて、くれた。
「なにから話そうか。……といっても、然程長く一緒に居られたわけじゃないからな。
そんなに話すことはないんだけど」
「そうなの……?」
確認してしまうほどに彼女の言葉は、重い。
「十年も……一緒じゃなかったなぁ」
とてもそうは、思えない。
とても――そんな短い時間で積み上がる重さには、見えない。
「あの子は、人間でね」
「……人間?」
「ああ。私がさらった、最後の人間だ」
予想外に過ぎる。
鬼は――人間嫌いだと聞いたけれど。
「……ずいぶん早く、逝っちまったよ。悔いばかりだ。空を見せてやれなかったこと然り、ね」
言い終えて、私を見る。
「あ、勘違いするなよ? 今回の旅行は純粋にパルスィと温泉に行きたかったからなんだからね」
「馬鹿」
そこまで……疑ったりしないわ。
けれど、人間、か。勇儀の……昔の恋人。
気になってしょうがない。
知りたくてしょうがない。
不安になって――しょうがない。
「なんか楽しそうな思い出はないの?」
「そりゃあ数え切れないほどにあるけど――パルスィ、私は確かに女心もわからない愚か者だけど。
それを今の恋人に語って聞かせるほど間抜けじゃないよ」
それを知りたいのに。
知れば、傷つくかもしれないけど。泣いてしまうかもしれないけど。
「パルスィ、生まれは何時だ?」
突然質問を返されて、戸惑う。
「そんなのいきなり訊かれても。年号なんて知らないし……」
はぐらかされてる気がしたけれど、勇儀が答えてくれてるんだから答えないわけにはいかない。
記憶を遡って、いつごろだったのか思い返す。
「一番古い記憶は……江戸の将軍がどうとか公家が橋の上でぼやいてたの、かな」
「そうか」
……それにしても、なんでいきなり私の歳なんて知りたがるんだろう。
妖怪に年齢なんてあんまり関係ないのに。
「まぁ私も人間の年号なんて知らんしな」
本当になんでこんな質問したんだろう。
あなたじゃなかったら、小細工ではぐらかしたと断定してるわよ。
呆れていると、彼女は苦笑した。
「我ながら、未練がましいね」
意味は、わからないけれど。
欠片も理解なんてできてないけれど――今の質問が、『彼女』に深く関わっていると気づいた。
微塵もはぐらかしてない。
勇儀はずっと、『彼女』のことを考えている。
……不安は募る一方だ。
心だけが焦って先走って、言葉にならない。
「まさか、私と似ていたとか言わないわよね」
違う。そんなことを訊きたいんじゃない。
「はっはっは。あいつはパルスィとは似ても似つかない奴だったよ」
返事は期待以上だったけれど、胸を撫で下ろすには、足りない。
「私ほどじゃないが背が高くてね、人目を惹く奴だった。
黒髪が綺麗で――烏の濡れ羽色というのはああいうのを云うのかな」
反射的にこの間地下に殴りこんできた巫女を連想する。
たぶん、違う。そうだったら勇儀のことだ、真っ先に言っているだろう。
「私に、そいつを重ねてるとか失礼なこと言わないわよね」
言葉に険が宿る。
焦りが、滲み出る。
「――正直、重ねようが無いな。全然違う。別人――だ」
まるで自分に言い聞かせるかのような言葉に、不安が煽られる。
「パルスィと違って家事は上手くなかったし、他人のことを気にかけることなんてしなかった。
面倒くさがりでいつも斜に構えていた。そのくせ甘えたがりで、気難しい奴だったよ」
それでも、と――嘘の嫌いな、嘘の吐けない鬼は――申し訳なさそうに、告げる。
「……パルスィにあいつの影を重ねたことは何度もある」
違うのに、似てないのに――と己を叱責するように言葉を紡ぐ。
「私は馬鹿だから……違うって気づくまで、随分時間がかかったよ」
自責する鬼を、私は責められなかった。
腹は立つ。いらいらする。
でも、その想いを否定するなんてことはできない。
だって、それは単純に――それだけ、純粋に愛していたということ。
「――パルスィ」
手を握られる。
見るまでもなく――勇儀は、壊れていた。
「パルスィ」
いつか、まだ私が彼女を勇儀と呼んでいなかった頃。
不安に押し潰された彼女は狂って、壊れた。
あの時と……同じ、顔。
泣きそうな、涙をこぼす寸前の顔。
「……勇儀」
だから、私は――あのときのように勇儀の手を握る。
壊れても、崩れてしまわないように。
消えてしまわないように。
「すまん。私の自己満足に付き合ってくれ」
消え入りそうな、だけどしっかりした声で、勇儀は語る。
「私は弱くて……馬鹿だから、今の今まであいつに別れを告げられなかった」
その勇気すらなかったと自責する。
「未練がましく、再び出逢えるのだと信じ込んでいた」
何百年も――信じ続けていた。
「パルスィがあいつの生まれ変わりだなんて思ったこともあった」
あいつにもおまえにも失礼だな、と呟く。
あぁ……私の歳を聞いたのはそういう訳か。
「……そうね。失礼だわ」
「はは、容赦ない」
勇儀は、弱々しく、だけど、ちゃんと、笑っている。
「これでさよならだ。私は」
顔を上げる。
空。
どこまでも続く果ての無い青空。
空を見上げ、疾る風にその言葉を乗せて――
「――私は、パルスィと生きていくよ」
笑顔で――『彼女』に別れを告げる。
「……すまん、嫌なことに付き合わせたな」
離そうとする手を、私は掴んで離さない。
「あやまるな馬鹿」
頬を抓って、笑顔の消えた口元を無理矢理笑わせる。
「い、痛いってそれ……」
訴えを無視して片側だけでも笑わそうと頬を引っ張る。
「……嫌なことって、言い切るな」
辛かったけれど、苦しかったけれど……私は、嬉しいんだ。
勇儀は、ちゃんと――『私』を選んでくれたんだから。
あんなに楽しそうで、あんなに悲しそうな過去と比べて……それでも今を選んでくれたんだから。
「もっと私を信用しなさいよ」
私は非力だけど。
私は弱いけれど。
「それくらい……あなたの過去なら、背負えるわ」
あなたのためなら、頑張れる。
あなたの信頼に全身全霊で応える。
それでも無理なら――
「背負えなくなったら、あなたによりかかるから」
……やっぱり、恥ずかしい。耳まで赤くなってるのを自覚する。
手を離して、彼女の背後に回って、座る。
背中合わせ。
これなら……伝えられる。
「……いっしょに、支えればいいじゃない」
言葉通り、勇儀に体を預けた。
「――あぁ」
頷くのが、背中に伝わってくる。
笑顔を浮かべてるのが――伝わってくる。
「ありがとう、パルスィ」
このお話は
作品集63「星熊勇儀の鬼退治」
作品集64「エンゲージ~続・星熊勇儀の鬼退治~」
作品集65「おにごっこ~星熊勇儀の鬼退治・参~」
作品集65「温泉に行こう!~星熊勇儀の鬼退治・肆~」
の流れを引き継いでおります。
「妬ましい、かな」
「なにがだい?」
掠れるほどに小さな呟きだったけれど、彼女はちゃんと聞いていてくれた。
「ん……ずっとずっと先の話よ、勇儀」
「……そうか」
勇儀の笑みが歪だ。
先なんて無いって、未来なんて訪れないって知っているから。
でも、それは間違い。
先が無いのは私だけ。死にかけているのは私だけ。
彼女には、勇儀にはまだまだ未来がある。
「いつか……勇儀に、新しい恋人ができたらって思って」
長く言葉が紡げない。息継ぎすらも難しい。
でも、止められない。
こうして勇儀と言葉を交わせるのは……もうこれが最後だから。
「そしたら、妬ましいかなって」
「それは……どうだろうな。また恋人を見つけるなんて出来るかな。私は、不器用だから」
彼女は、不器用というより義理堅い。
「難しいかもしれないわね」
苦笑する。そうしたら、苦笑に、苦笑が返ってきた。
あぁ、やっぱり、不器用なのかもね。
萃香だったら、ここで気の利いた台詞を返してるわ。
昔、私を迎えに来たあいつ――大妖怪八雲も同じだろう。
器用には見えなかった博麗の巫女だって、もう少しはましかもしれない。
でも、だから、私は勇儀が愛おしい。
不器用で、まっすぐで、すごく強いのに、どこか弱い勇儀だから――私は惚れたんだから。
「……勇儀、酔ってないわね?」
もう匂いもわからないけれど、立ち居振る舞いがいつもの彼女のそれではない。
「ああ……酒も、喉を通らなくてさ」
「まったく……先が思いやられるわ」
私が死ぬ前からこんなじゃあ、死んだ後なんて水も飲めなくなってしまうんじゃないかしら。
「後追いなんてしたら蹴り返すわよ」
「手厳しいなぁ」
浮かべるのは苦笑。
苦い、笑み。
もう随分と――これ以外の表情を見てない気がする。
「……勇儀」
なにかを言おうとして、言葉に詰まる。
なにを言えばいいのか――どんな慰めなら届くのか……わからない。
「どうした? 今日はいやに私の名を呼ぶじゃないか」
はぐらかすかのように勇儀が口を開く。
……心は読めないはずだけど、読んでくれたかのよう。
まるで、言葉の澱みを取り除いてくれたかのよう。
「忘れないように」
なら。それなら――想いをすべて、伝えよう。
「忘れないように刻みつけているの。例えば、もし――生まれ変われたら」
心残りの無いように。
「また勇儀を見つけられるように」
心を全部、彼女に残していけるように。
「――探さずとも、私はずっとここに居るよ」
けれど、彼女の笑みは悲しいまま。
苦く、苦しそうなまま。
「ずっとおまえの傍に居る。一時も離れない。探すまでも……ないさ」
……こんなとき、私を忘れろと言う方が正しいのかもしれない。
悲しみを薄れさせて、立ち直るのを早めて。
「……だぁめ。私があなたを捕まえるんだから」
そんなこと、知ったことか。
私はそこまで悟ってない。
自分の恋心に達観してない。
勇儀が好きだってこの想いを誤魔化すなんてできない。
勇儀の握ってくれているこの手を――振り払うことなんて、できない。
「……ゆ」
握り返そうと、力を込めようと、名を呼ぼうとしたら、強く握られ言葉は遮られた。
「――すまない」
代わりに紡がれるのは勇儀の言葉。
「私が――おまえをこんな地底に閉じ込めてしまった」
見えるのは笑みすら消えた、苦々しい顔。
「いつかまた空を見せてやろうと……していたのに」
握られる力は強いけれど、そこに籠るのは虚脱。
「八雲との約束を破ってでもおまえを地上に連れて行こうと思っていたのに」
ぽたりと、雫が落ちる。
「私は馬鹿だなぁ」
泣いていた。
「こんなにも……猶予が無かっただなんて」
勇儀が、泣いている。
「こんなにも――こんなにも、生きる時間が違うだなんて、知らなかったよ」
鬼の勇儀と、私とでは……寿命もなにもかも、比べるべくもない。
無知かもしれない。ならば、馬鹿なのかもしれない。
だけど、それはただ未来を信じ続けていただけ。
一片の曇りも無く、幸せな明日を夢見ていただけなのだから――嘲ることでは、ない。
ならば、それは――
「それはね、純粋って云うのよ」
強く、残った力を振り絞って、勇儀の手を握り返した。
「後悔なんてしなくていい」
あの日。
「悔やむことなんてない」
勇儀に捕まったあの日。
「私は――」
空への想いを断ち切ったあの日。
「ずっと幸せだった」
私だけの、太陽を見つけたあの日――
「勇儀といっしょに居られて、楽しかった」
私は、この世に生まれたことを感謝するほどに嬉しかった。
「××××……」
……あ、勇儀の声が、聞きとれなくなった。
残念。きっと、今のは私の名を呼んでくれたのに。
もう時間がないんだ。
勇儀の泣き顔が、よく見えない。
まだ手を握ってもらっているのかもわからない。
なら、伝えなきゃ。
言葉になるかわからないけれど。
最後まで言えるかわからないけれど。
「最後のわがまま」
私の願いを。
私の想いを。
紡がなきゃ。
「また私をさらってね、勇儀」
――決して自分のものじゃない夢を見た。
酷く、嫌な気分だ。
愛情、後悔、悲しみ――おおよそ思いつく限りの感情が一気に流れ込んだような、飽和状態。
……今生の別れの夢。
頬が、冷たい。
「……こんな顔、誰かに見られたら舌を噛むわ」
袖で顔を拭う。
「なにかしら……夢枕? なんかのお告げ?」
だとしたら最悪だ。目覚めが悪いなんてもんじゃない。
あんな別れの夢など、何時だって見たくない。
たとえ夢想の産物でも、見たくない。
自然、勇儀の姿を探していた。
だけど、見当たらない。見当たらないどころか――見慣れない光景。
「んぁー……ここは……あぁ、魔法使いの家か」
遭難しかかって、留守だった魔法使いの家に泊まったんだっけ。
窓を見れば、陽の光が射している。吹雪は止んだらしい。
「……勇儀」
陽の光よりも――彼女の姿が無いことの方が気にかかる。
上着を引っ掛けて部屋を出る。
探す。
見つからない。
探す。
見つからない。
探す。
見つからない。
探す――
意味も無く焦ってしまう。
まるで、悪夢の続きだ。
肌を刺す寒さは本物なのに、まるで現実感が無い。
勇儀が、目覚める度に私が近くに居ないことを不安がっていた気持ちが今ならわかる。
不安なんてものじゃない。怖くて、恐ろしくて、押し潰されてしまいそう。
「……っ」
外に出る。
周囲を見回して、上を見て――ようやく勇儀を見つけられた。
屋根の上に彼女の姿がある。
息を吐いて、彼女を見る。
勇儀は空を見上げている。
青く澄んだ、果ての無い空を。
私もこだわっていたけれど――彼女も何か、空に想うことがあるのだろうか。
「ゆう――」
声を掛けようとして思いとどまる。
空を見上げる勇儀は……ひどく脆そうに見えた。
泣きそうな顔をしているわけでも、沈んだ顔をしているわけでもない。
強いて言うなら無表情。なのに……脆く、見える。
触れるのを躊躇うほどに。触れたら、壊れてしまうと思えるほどに。
脆く、儚く見える。
このまま、消えてしまいそうに――
「勇儀」
「ん? あぁ、おはようパルスィ」
普通に、返事が返ってきた。
やんわりとした笑みをたたえた、ほろ酔いの勇儀の顔。
いつもの――勇儀だ。
今度こそ胸を撫で下ろして息を吐く。
「……おはよう」
思えば勇儀自身にとっても久しぶりの青空なんだ。
少なくとも私よりも昔から地下に居たのだから。
なら、さしずめ――空見酒なのかしら。
「勇儀、風邪ひくわよ」
上着を持ってきていない勇儀はいつもの半袖姿。
晴れてこそいるもののあたり一面雪景色で、刺すほどに空気は冷えている。
「ん」
なのに。
「んー。大丈夫さ」
返ってくるのは生返事。
……なんか、気に入らない。
気遣いを無碍にされたから、なんて安直な理由ではなく、私自身でもわからないなにかに……
胸の内が、ささくれ立つ。
「……」
飛んで、勇儀の隣に着地する。
「お? パルスィも一杯やるかい?」
「いい」
差し出された盃を見もせずに私は突っぱねる。
八つ当たりのようだけど――違う。
勇儀が、悪い。
なにが悪いのかわからないけれど、こいつが悪い。
「……あの、もしかして私なんかやったかな……?」
冷や汗をかいているのが見える。
「実行中、でしょ」
だけど気にせず冷やかな目を向ける。
「…………鋭いなぁ」
意外とあっさり、勇儀は己の罪を認めた。
……まだ私はその罪がなんなのか把握できてないんだけれど。
そんなことに気づいてるはずはないのに、勇儀はぽつりぽつりと自白を始める。
「空を見せてやりたかった奴が居たんだ」
またさっきの――無表情。
空を、どこか遠くの空を見上げる。
「……誰?」
「昔の恋人」
思わず咳き込みそうになった。
あまりにも予想外で、体の中がでたらめに暴れまわる。
「そ、そう」
……考えなくても、当然、だ。
勇儀はこんなにも美人なんだし……私の数倍は生きているんだし。
今まで恋人が居なかったって方がおかしいんだ……
「空を見ると」
こちらの混乱には気づかなかったようで、自白は――独白は、続く。
「思い出しちゃってね。約束――ですらなかったけれど、あいつに空を見せるってのが……
果たせなかった、私の、愚かしさを」
言葉は痛々しく、苦々しい。
なのに。
「強い、つもりだったんだけどな。なんでもできる……つもりだったんだけど、な」
その表情は――なにもかも取りこぼしたかのように……無表情。
――埋められない溝だと、自覚する。
どうしようもないほどに単純な――年齢差。積み重ねた年月の、差。
私ではどうやっても届かないずっとずっと昔の話。
……慰めの言葉すら、出てこない。
「……その、ごめんなさい」
「なにを謝るんだい?」
「なんか、無理矢理話させたみたいだから」
「私が勝手に話したことさ。パルスィが謝ることはないよ」
やんわりと微笑まれる。
私の好きな優しい笑顔。
だけど。
今は、その笑みが、痛い。
「……ねぇ」
追いやらないで。
「なんだい?」
私を置いていかないで。
「その人の、話」
私の知らないところで……
「聞かせて」
……泣かないで。
一瞬だけ、驚いた顔をして――勇儀は頷いた。頷いて、くれた。
「なにから話そうか。……といっても、然程長く一緒に居られたわけじゃないからな。
そんなに話すことはないんだけど」
「そうなの……?」
確認してしまうほどに彼女の言葉は、重い。
「十年も……一緒じゃなかったなぁ」
とてもそうは、思えない。
とても――そんな短い時間で積み上がる重さには、見えない。
「あの子は、人間でね」
「……人間?」
「ああ。私がさらった、最後の人間だ」
予想外に過ぎる。
鬼は――人間嫌いだと聞いたけれど。
「……ずいぶん早く、逝っちまったよ。悔いばかりだ。空を見せてやれなかったこと然り、ね」
言い終えて、私を見る。
「あ、勘違いするなよ? 今回の旅行は純粋にパルスィと温泉に行きたかったからなんだからね」
「馬鹿」
そこまで……疑ったりしないわ。
けれど、人間、か。勇儀の……昔の恋人。
気になってしょうがない。
知りたくてしょうがない。
不安になって――しょうがない。
「なんか楽しそうな思い出はないの?」
「そりゃあ数え切れないほどにあるけど――パルスィ、私は確かに女心もわからない愚か者だけど。
それを今の恋人に語って聞かせるほど間抜けじゃないよ」
それを知りたいのに。
知れば、傷つくかもしれないけど。泣いてしまうかもしれないけど。
「パルスィ、生まれは何時だ?」
突然質問を返されて、戸惑う。
「そんなのいきなり訊かれても。年号なんて知らないし……」
はぐらかされてる気がしたけれど、勇儀が答えてくれてるんだから答えないわけにはいかない。
記憶を遡って、いつごろだったのか思い返す。
「一番古い記憶は……江戸の将軍がどうとか公家が橋の上でぼやいてたの、かな」
「そうか」
……それにしても、なんでいきなり私の歳なんて知りたがるんだろう。
妖怪に年齢なんてあんまり関係ないのに。
「まぁ私も人間の年号なんて知らんしな」
本当になんでこんな質問したんだろう。
あなたじゃなかったら、小細工ではぐらかしたと断定してるわよ。
呆れていると、彼女は苦笑した。
「我ながら、未練がましいね」
意味は、わからないけれど。
欠片も理解なんてできてないけれど――今の質問が、『彼女』に深く関わっていると気づいた。
微塵もはぐらかしてない。
勇儀はずっと、『彼女』のことを考えている。
……不安は募る一方だ。
心だけが焦って先走って、言葉にならない。
「まさか、私と似ていたとか言わないわよね」
違う。そんなことを訊きたいんじゃない。
「はっはっは。あいつはパルスィとは似ても似つかない奴だったよ」
返事は期待以上だったけれど、胸を撫で下ろすには、足りない。
「私ほどじゃないが背が高くてね、人目を惹く奴だった。
黒髪が綺麗で――烏の濡れ羽色というのはああいうのを云うのかな」
反射的にこの間地下に殴りこんできた巫女を連想する。
たぶん、違う。そうだったら勇儀のことだ、真っ先に言っているだろう。
「私に、そいつを重ねてるとか失礼なこと言わないわよね」
言葉に険が宿る。
焦りが、滲み出る。
「――正直、重ねようが無いな。全然違う。別人――だ」
まるで自分に言い聞かせるかのような言葉に、不安が煽られる。
「パルスィと違って家事は上手くなかったし、他人のことを気にかけることなんてしなかった。
面倒くさがりでいつも斜に構えていた。そのくせ甘えたがりで、気難しい奴だったよ」
それでも、と――嘘の嫌いな、嘘の吐けない鬼は――申し訳なさそうに、告げる。
「……パルスィにあいつの影を重ねたことは何度もある」
違うのに、似てないのに――と己を叱責するように言葉を紡ぐ。
「私は馬鹿だから……違うって気づくまで、随分時間がかかったよ」
自責する鬼を、私は責められなかった。
腹は立つ。いらいらする。
でも、その想いを否定するなんてことはできない。
だって、それは単純に――それだけ、純粋に愛していたということ。
「――パルスィ」
手を握られる。
見るまでもなく――勇儀は、壊れていた。
「パルスィ」
いつか、まだ私が彼女を勇儀と呼んでいなかった頃。
不安に押し潰された彼女は狂って、壊れた。
あの時と……同じ、顔。
泣きそうな、涙をこぼす寸前の顔。
「……勇儀」
だから、私は――あのときのように勇儀の手を握る。
壊れても、崩れてしまわないように。
消えてしまわないように。
「すまん。私の自己満足に付き合ってくれ」
消え入りそうな、だけどしっかりした声で、勇儀は語る。
「私は弱くて……馬鹿だから、今の今まであいつに別れを告げられなかった」
その勇気すらなかったと自責する。
「未練がましく、再び出逢えるのだと信じ込んでいた」
何百年も――信じ続けていた。
「パルスィがあいつの生まれ変わりだなんて思ったこともあった」
あいつにもおまえにも失礼だな、と呟く。
あぁ……私の歳を聞いたのはそういう訳か。
「……そうね。失礼だわ」
「はは、容赦ない」
勇儀は、弱々しく、だけど、ちゃんと、笑っている。
「これでさよならだ。私は」
顔を上げる。
空。
どこまでも続く果ての無い青空。
空を見上げ、疾る風にその言葉を乗せて――
「――私は、パルスィと生きていくよ」
笑顔で――『彼女』に別れを告げる。
「……すまん、嫌なことに付き合わせたな」
離そうとする手を、私は掴んで離さない。
「あやまるな馬鹿」
頬を抓って、笑顔の消えた口元を無理矢理笑わせる。
「い、痛いってそれ……」
訴えを無視して片側だけでも笑わそうと頬を引っ張る。
「……嫌なことって、言い切るな」
辛かったけれど、苦しかったけれど……私は、嬉しいんだ。
勇儀は、ちゃんと――『私』を選んでくれたんだから。
あんなに楽しそうで、あんなに悲しそうな過去と比べて……それでも今を選んでくれたんだから。
「もっと私を信用しなさいよ」
私は非力だけど。
私は弱いけれど。
「それくらい……あなたの過去なら、背負えるわ」
あなたのためなら、頑張れる。
あなたの信頼に全身全霊で応える。
それでも無理なら――
「背負えなくなったら、あなたによりかかるから」
……やっぱり、恥ずかしい。耳まで赤くなってるのを自覚する。
手を離して、彼女の背後に回って、座る。
背中合わせ。
これなら……伝えられる。
「……いっしょに、支えればいいじゃない」
言葉通り、勇儀に体を預けた。
「――あぁ」
頷くのが、背中に伝わってくる。
笑顔を浮かべてるのが――伝わってくる。
「ありがとう、パルスィ」
いやーしかし今回もぐいぐい引き込まれましたよ。
猫井さんの書くお話はすぐにその世界に引き込まれてしまいますね。すばらしい。
続きもまったりと待っております。
今回はしんみりとしていましたけど
二人の感情が表されていて良かったと思います。
でも魔理沙の家の屋根でというのは彼女に迷惑……と
いうよりは気まずいのかな?
何にしても面白かったですよ。
コレはよいパル勇
パルスィの見た夢の状況が勇儀の過去…なんですかね?
それにしてもいい二人です。
元カノの事を聞いて受け入れるって大変なのでは…。
魔理沙帰宅後が気になるので続きをお願いしm(ry
魔理沙のいたたまれ無さは異常だなぁ
自分の家なのに
猫井はかまさんのお話、これからも楽しみに
しています。
昔の恋人に対する嫉妬心を抑えて勇儀を支える道を選ぶ彼女の強さに感服しました。