「ふぁ……、ちょっと寝過ぎたかな……」
心地良さが恋しいが、誘惑を振り切ってベッドの外へ。
パジャマを脱ぎ、青いワンピースに袖を通しながら時計を見ればもう十時近くだった。
昨晩は人形作りに興が乗ってずいぶん遅くなってしまった。
本来は食事も睡眠も必要としない身なのだが、習慣と言うか生活のリズムを保つのは悪いことではない。
生活の端々から常に余裕を持って過ごすべきなのだ。うむ。
食事の支度をするべく階下へと降りる。
これでは朝食じゃなくてブランチになりそうだ。
「モーニン。──と言うにはちょっと遅いわね」
テーブルに理解不能な物体が着いていた。
いやそれ自体は知っているのだが、目の前にあるのが理解できない。
「……ここ、私の家よね」
「ええ。もちろんあなたの家よ、アリス」
本に目を落としたまま紅茶をすする、あまり動かないはずの大図書館・パチュリー。
ごく自然に私のティーカップを使ってるし、茶葉も一番高いお気に入りの物だ。
「それともあなた、目が覚めたら他人の家にいたりするのが普通なの?
寝てる間にお持ち帰りされるのが日常なのかしら。えっちね」
鍵も掛けてないみたいだし、誘ってるの?とこちらに向けた半眼をきらりと光らせる。
人聞きの悪いこと甚だしい。
だいたい鍵なんてあっても無くても大差ない。
人間は迷子以外にこんな所にまで来はしないし、森の妖怪も魔法使いの領域に踏み込むような真似はしない。
わざわざ踏み込んでくるようなやつには鍵なんて何の意味もなさないし。
「それで、どうして私の家にいるわけ?」
「……あなたしか、頼れるところがなかったから」
読んでいた本を置き、いきなり神妙な面持ちになるパチュリー。にわかに部屋の空気が重くなる。
頭を切り換え、心構えを正す。私──すなわち「魔法使い」アリス・マーガトロイドを頼る。
しかもわざわざパチュリー自ら出向いてきたのならそれ相応の大事か。
向かいの椅子に座り、真剣に耳を傾ける私にパチュリーがゆっくりと告げた。
「──大掃除で追い出されたの」
さて。とりあえず、ご飯作ろうかな。
限りなく無駄な時間を過ごした気がする。私は腰を上げてキッチンへ向かうことにした。
昨日の野菜スープの残りを温め、パンをオーブンへ。卵を溶いてスクランブルエッグにでも。
「私のぶんもお願いね」
「……生粋の魔法使いさんがお食事なさるの?」
「ええ、嗜好目的だから。美味しい物は大好きよ」
皮肉にもならない。こう言われては無視するわけにもいかないか。
さすがに彼女を前に一人だけ食べるのも気が引けてしまうし。
できた皿をテーブルに並べ、沸かした湯で二人分の紅茶を淹れ直す。
それに口を付けたパチュリーは、ふぅと暖かい息を吐く。
「やっぱりあなたが淹れた方が美味しいわね。うちの小悪魔にも見習わせたいわ」
「お褒めいただきどうも」
「アッサムも揃えておいてね。ダージリンより好きなの」
しれっと言ってパンに手を伸ばした。
びきっとカップを支える指に力がこもる。
我慢しろ私。いつももっと手のかかるやつを相手にしてるんだから。
「一応さっきの話の続き、聞いておくわ」
どうでもいいことではあるけれど、自分の家に居座っている理由なのだし。
何より、二人いるのに一切の会話無しに食事というのはどうも落ち着かなくなってしまった。
促すと、パチュリーは語り始めた。
先ほども言ったように図書館の大掃除をするからしばらく出ていてくれと。
パチュリーは必要ないと断ったのだが、レミリアの意向とあっては突っぱねることもできない。
なんでも図書館に足を運んだ際に埃でむせたのが切っ掛けらしい。
咲夜が時間を止めてる間に一瞬で、と行きたいがいつもの仕事と合わせると難しいとかで。
それでも一日で終わらせるからと言うので仕方なく了承することに。小悪魔は人手として置いてきた。
さて、どこで過ごすか。無駄に広い紅魔館、最初は空いた一室に籠もってみた。
しかし妖精メイドに近くをうろつかれたりひそひそと話し込んだりされて気が散って仕方ない。
なら誰かの家に一日やっかいにならせてもらおうか。
そうは思ったものの、引き籠もりの身では知り合いなんて巫女と魔法使い二人くらい。
神社はスキマ妖怪や鬼がうろつき、とても静かな環境とは言い難い。
ネズミの住処は論外だ。あそこは物置とイコールで結んでいい。何より神社よりうるさい。
そういうわけでここに来た。アリスなら読書の邪魔はしないだろうし。
「30点ね」
「何が?」
「あなたの判断が。確かに私は邪魔しないけど」
紅茶を堪能する私に、いささかむっとした顔をするパチュリー。
そこへ、どんがどんがとドアが壊れそうなほどの激しいノック。
「おーい! アーリスー!」
「ほら、うちもうるさいもの」
玄関から聞こえる声に、パチュリーはぐたりとテーブルへ突っ伏した。
パチュリーと話す私の代わりに、上海がドアを開ける。
応対をした上海を頭に乗せて、魔理沙がずかずかと上がり込んできた。
「よぅ、朝食にゃ遅いんじゃないか?
……って珍しい顔がいるな。てっきり図書館に根付いてると思ってたが」
「根が生えてても動くくらいトレント程度でもできるじゃない。
そう言うあなたがここにいるのはそう珍しくないことなの?」
「そりゃここは別宅みたいなもんだしな。管理人もいるだろ」
「誰が音無さんよ」
適当に狙って指からレーザー発射。
ツッコミを入れてやったのに魔理沙は頭を振ってひょいとかわし、射線の先にいたパチュリーの障壁が受け止めた。
「で、今日はいったい何の用?」
「何だ、用が無きゃ来ちゃいけないのか? アリスは連れないな」
途端にうつむいてしゅんとしおらしい姿を見せる魔理沙。
少し前ならどきりとしてあげられたのだろうが。
残念なことに、これが本気か演技か区別が付くくらいには付き合いが長いのだ。
「あんたがこんな中途半端な時間に来るなんて、何か用事か厄介事を持って来てるに決まってるんだから」
「見抜かれちゃ仕方ないな。とっとと本題に入るか」
と、魔理沙はスカートの中に手を突っ込み、何やら取り出した。
いつも思うがこの収納を人前でやらないでもらいたい。一応女の子なんだし。
「アリス、宝探ししようぜ!」
ちゃらららー、と自分で効果音付けて取り出したのは一枚の地図。普通の紙じゃなくて羊皮紙だ。
御丁寧なことに、伝統と格式に則ってその一角に×印が書き込んである。
魔理沙と宝の地図。胡散臭いことこの上ない組み合わせだ。頭痛くなってきた。
「信用に至る部分がカケラも見えないんだけど。そもそも出所はどこなの」
「私の家」
「帰っていいわよ」
「あー、待て待て。珍しく蒐集品の片付けしてたら出てきたんだ。
自分で書いた覚えは無いから、どっかで手に入れた物に紛れてたんだろ」
「あの中から、ねぇ……」
たまに魔理沙の家に入ることはあるが、それはもう「足の踏み場も無い」を体現したような魔窟である。
表に見えている半分くらいの物は把握しているが、もう半分は何が埋もれているかわからない。
下手をすれば稀代の値打ち物が眠っている可能性すらある。そこらの遺跡より魔理沙の家の方が探索しがいがありそうだ。
「頭から否定するほどでもないと思うぜ。実際確認に行ってみたけど、結構な魔法で封印がしてあったし」
魔法で封印。つまり魔法使い、あるいはそれを従者にするくらいの者が関わっているのは確かだろう。
そう言えば、霧雨邸にある本は七割方が魔法使い(図書館在住)からの拝借物だ。
その中に紛れていたとしたら、この地図もパチュリーの物の可能性もあるんじゃないのか。
「ねぇ、パチュリー。これってあなたの蒐集品の倉庫とかじゃ」
「私は本以外集める趣味は無いわ。その本だって自分で集めてるわけじゃなし」
ごもっとも。パチュリーが自分の足で物を集める姿は想像しづらい。図書館の本もいつの間にか増えてたりするそうだ。
本以外にはさして興味を見せないし、必要な物があれば咲夜あたりが揃えるのだろうし。
それに無駄に広い紅魔館、わざわざ外に倉庫を造る意味も無いか。
話を元に戻すが、魔法使いが関わっているからと言って当たりとは限らないのが世の常だ。
この幻想郷、狭いようでいて色々な所で遺跡だの財物の隠し場所だのがあったりする。
そしてそれは研究者や蒐集家にとっては垂涎の的。
だが、そこに眠る物に本当に価値があるか、そのシュミが発掘者と一致するかはフタを開けてみるまでわからない。
確かに当たりもあった。苦労の末に貴重な魔導書やマジックアイテムを見付けられれば、その感慨もひとしおだ。
しかし時には山と積まれた自作ポエム集──見られるのが恥ずかしくて隠したまま亡くなったのか──だったり、
部屋いっぱいの土器だったりと大外れも少なくない。
「なぁ~、行こうぜ~。頼むよ~」
上目遣いで体を寄せてくる魔理沙。玩具を買って欲しいとねだる子供のよう。
だが今の私がその程度で落ちると思ったら大間違いだ。
媚びるならもっと徹底的に媚びてみろと言うのだ。いややっぱ鳥肌立ちそうなのでやめて。
……はて、確認まで行ったのにどうしてそのまま踏み込まないのか。
魔理沙の誘いに乗って、協力して発掘に当たったことは何度かある。
その理由はたいてい──
「……あんた、また自力で封印が解けなかったんでしょ」
「うっ……」
甘い声がのどに詰まったようなうめきに変わる。
「……ちぇっ、そーだよ。だからこうしてSOS隊の隊員に頼りに来たんだ」
「SO……なに? 救難信号?」
「
隊長はもちろん私、副隊長は上海でアリスはヒラ隊員な」
「上海のが上なの!?」
「むう、そうまで熱烈に頼まれると仕方ないな。アリスを副隊長にしてもいいぜ」
「いや全然頼んじゃいないけど」
「悪いなー上海、アリスがわがままで」
魔理沙の肩の上で頭をなでられ、シャンハーイ!と手を挙げて喜ぶ上海。うむ、かわいいやつめと魔理沙が笑顔でほっぺたつついたり。
……最近、どうも上海が魔理沙になつきすぎな気がする。
弾幕するときに手加減したりしないだろうな、とちょっと不安を感じたりするくらいに。
断っておくが、私の人形はまだ自立の域に達していない。九十九神のように魂が宿るのも先の話。
それでも経験を蓄積して学習することはできる。それを繰り返して状況に対応する行動を増やしていくのだ。
中でも上海は経験が豊富なため、完全ではないが半自立と言っていいくらいにはなっている。
命令しなくとも私が外出しようとすれば付いてくるし、頭をなでてやれば嬉しそうにしたり。
ただ、私と一緒にいることが多いためか行動の端々に私の影響が出ている。平たく言うと私に似ているのだ。
違う点を挙げるなら、人形ゆえに機微が無い。0か1しか無い。
例えば、私にも魔理沙が訪ねてくることを内心楽しんでいる節はある。直接言ったりはしないけど。
しかし上海はもうひたすらフルオープンで喜ぶ。魔理沙が来る→嬉しいをダイレクトに発揮する。見てるこっちは微笑ましいより恥ずかしいが先に立つ。
……なので、魔理沙には自我ができ始めてるんじゃないのとごまかしてある。
「ともかく頼むぜ、アリス。取り分7:3でどうだ」
「あら珍しい。私に七割も渡してくれるの?」
「馬鹿言うな。見つけたのは私なんだから当然こっちが七割だ」
「一人で入れなかったくせに」
「ぐっ……じゃあ6:4で」
「ふむ、まあいいか。その代わり検分の優先権もらうわよ」
事前交渉も一応成立。決めた約束はちゃんと守るタイプなので後でもめることはあまり無い。
と、そこで一人蚊帳の外にしていたパチュリーのことを思い出した。
予想通り我関せずで本に没頭している。
「パチュリーも行くか? 今ならSOS隊名誉顧問の座を──」
「毛先ほどの興味も無いわ」
一瞥をくれるなり、気持ちいいほどにばっさり切り捨てた。
「アリス、あなたもインドア派なのだしやめておいた方がいいわ。万が一があったら馬鹿らしいわよ」
「心配してくれるのは嬉しいけど、これでも蒐集家だから。一度好奇心に火がついたら止められないのよ」
「そう。まあ好奇心で死なないように」
魔法使いは総じて猫っぽい。気まぐれさとか。かく言う当人も含まれるが。
魔理沙を待たせておいて準備を調える。内部が複雑だと踏破が一日で終わるかわからない。
封印を解いた先がすぐ宝物庫かもしれないし、罠や仕掛けが渦巻いている可能性もある。
軽くお腹に入れる物くらいは用意しておくべきか。私はともかく、お供は空腹になるとうるさいし。
下手をすれば数日仕事になるかもしれないが、その場合はいったん帰って出直しという形になる。
とりあえず準備もできたし、いざ出発である。
……私がここを空けたらパチュリーだけになってしまうが、魔理沙じゃないんだからさすがに家の物を漁ったりはしないか。
「ネズミじゃないんだから。本棚くらいは見せてもらうけど」
「何だ、もったいないな。タンスの中とかカラフルで面白いぜ」
タンスとツボは基本だろ、とぬかす魔理沙に裏拳をお見舞いしておく。
「それじゃ、お茶はセルフサービスでご自由に。
いつ戻るかもわからないし、留守番せずに適当に帰ってちょうだい」
「朝帰り?」
「いちいちやましい方に持って行かないで。罠があるかもしれないところで一泊するわけないでしょ」
伸びた魔理沙に活を入れて起こし、私たちは地図に書かれた場所へ向かって飛び立った。
地図に印が付いていた場所は妖怪の山。
守矢の神社へ向かう道を表側とすれば、その裏側。麓近くの切り立った崖にその場所はあった。
箒に相乗りしたのでそう時間はかからず、まだ昼前だ。
魔理沙に併走しようと思うと全力で飛ばなければならず、目的前に疲れるのは本末転倒だし。
「ここだぜ」
魔理沙が示す場所は周囲と何も変わらない岩壁だ。
触ってみても質感も岩そのもの。しかし手に魔力を込めるとぱちりと反応する。
入り口の封印に加えて、幻術の類でカモフラージュしているのだ。
それでいて注意しなければその魔力を感じられない。
これなら場所を知っている者以外にはそうそう見つかりはしないだろう。
「行けるか?」
「誰に言ってんの。お手本見せてあげるわ」
岩壁に当てた手から封印の情報を読み取っていく。
たいてい入り口の鍵は持ち主の魔力パターンが使われていることが多い。
魔力パターンは指紋と同じく個人で違うので、本人確認の意味も含められるからだ。
しかしここの持ち主は念の入ったことに、生体ではあり得ないような複雑かつランダムなパターンを用いている。
確かにこれは制御の甘い魔理沙にはまだ手に余るか。
情報を読み取れば、あとはそれを形にするだけ。持ち主と同じ印鑑を即興で彫るような仕事だ。
ふぅ、と額の汗をぬぐう。
正味十分ほどだが、細かい制御に集中しっぱなしは結構消耗するものだ。
封印が解け、岩壁だった場所にはぽっかりと空洞ができていた。
「お見事、ってか」
「あんたもこれくらいはできるようになりなさいよ」
努力家で飲み込みの早い魔理沙のことだ。何年か特訓すれば、これくらいの制御力は身に付くだろう。
そうなったらこうして連れ立って探索ってことも無くなるか。
厄介事に巻き込まれることも少なくなるのかと思う反面、少しだけさみしくもある。
良くも悪くも騒がしいのに慣れさせられてしまったものだ。
「いやいや、アリス隊員の仕事を取っちゃかわいそうだからな。役割は分担すべきだ」
何だか心中をフォローされたような。無論魔理沙にそんなつもりはないだろうけど。
って地味に私をヒラ隊員に戻してるなこいつ。
「開いたなら早速行こうぜ」
「待った。いきなり突っ込むな」
逸って中に入ろうとする魔理沙を手で制す。
いきなり罠があっても困るのでそれを調べるのが先だ。
探ってみるが、とりあえず入り口周辺には何も無さそうなので足を踏み入れてみる。
高さは私の背を倍したくらい、横幅は両手を広げて三人並べる程度と通路にしては広めだ。
中の壁に手を触れてみると、岩なのに滑らかな感触。凹凸がほとんど無い。
手や道具ではなく、大地に干渉する魔法で穴を掘って壁を固めたのだろう。
天井や壁面にヒカリゴケが植えられ、淡い光を放っている。探索には少し暗いので魔法の明かりを浮かべて周囲を照らす。
「あ、ずるいぞアリス!」
魔理沙が不平を漏らす。先に入ったのが気に入らないらしい。子供か。
後ろから私を追い抜き、前に出る。ほんとに子供だ。
魔理沙を前に、三歩ほど遅れて私が続く。上海は私の肩の上に。
「ちょっと魔理沙、もっと慎重に進みなさいよ」
「あん? 大丈──」
後ろを振り返りながら踏み出した魔理沙の足が、ごとんと沈んだ。
それをスイッチに岩壁の隙間から撃ち出される矢。叫ぶ間も無く、魔理沙の頭は貫かれていた。
「魔理っ──!」
「うぉ……、やばかったぜ……」
──帽子だけ。
射出された矢は帽子を貫き、反対の壁に突き立っていた。
「ふぅ……、心臓に悪いわ。背が低くて助かったわね」
「うるせ、おまえだって大差ないだろが」
そうは言っても今の矢、魔理沙の頭のてっぺんをぎりぎりかすめていた。私の背だったらこめかみのあたりに突き刺さっている。
……まあそこまで迂闊に引っかかりはしないけど。
しかし探索開始三分でいきなり盛大に肝を冷やすことになった。
先が思いやられるが、これで魔理沙も少しは慎重になってくれるだろうか。
それからしばらく、少し曲がりながらも一本道のまま三十分ほど。
私たちは壁や床にいくつかあったスイッチを回避して、何事もなく進んでいた。
一度慎重になれば魔理沙のトラップ探知はなかなかのもの。泥棒家業の多い経験者は語る、だ。
「アリス、そこ。足下だ」
魔理沙の指が差すあたりへしゃがんでみると、足首ほどの高さに細い糸が張られていた。
暗い洞窟で光を反射しない素材の糸はまず見えないだろう。
一本だけなら跨げばいいのだが、間隔を置き、高さを変えて何本も張られている。
これでは飛んでやり過ごすのも難しそうだ。面倒だがある程度解除してやらないといけない。
ぴんと張られた糸はそのまま岩の割れ目に吸い込まれている。
四つん這いになって壁に近付き、魔力の糸を送り込んで中の構造を調べてやる。
ふむ、フックに引っかけてあるだけのごく単純な仕掛けだ。
糸を引っかけるなり踏むなりして、これ以上テンションがかかると作動するシンプルなもの。作動する罠の場所は──
「あんた、何やってんの?」
目をやると、私の後ろで魔理沙も四つん這いになっていた。
「桃が──ああいや、何かあったら危ないから身を低くだな」
「そう。なら私に近付いてた方がいいわよ」
「いいの? んじゃお言葉に甘えて」
四つん這いのままふらふらと魔理沙が近付いてくる。
適当なところで調べていた糸の一本をくいっと引っ張った。
じゃきん、と地面から生えた鉄の槍が鼻先をかすめ、あわてて飛び退く魔理沙。
「お、おまっ! 殺す気か!」
「死なない位置でやったでしょ。くだらないことしてんじゃないの」
抗議の声を上げる魔理沙を無視して私は罠の解除に取り掛かる。
フックが動いたら作動するだけなので、単純に糸を外すだけで良い。
岩の隙間を通して壁の中で仕掛けを組んであるが、魔力の糸を操れば造作もない。
張った糸に絡ませてフックを動かさないようにゆっくりと外す。
それを繰り返すこと数度、通れる道ができたところで魔理沙に声を掛ける。
「にしても、地味だけど陰険な罠が多いな」
確かに。さっきの糸を張った罠にしても、調べた限りでは手斧が飛んできたり酸をぶっかけたり虫をばらまいたり。
致命傷から嫌がらせじみたものまで様々だった。
「持ち主の性格が出てるのかしらね。苦労させるんだから見合った物があるといいんだけど」
「そのへんは祈るしかないなー」
進む通路の真ん中に、一メートルほどの高さの台座が立っていた。
あからさまに怪しいが、一本道である以上そこを通過しなくてはならない。
警戒しつつ近づき、台座の上をのぞき込む。
ボタンがあった。手のひらで押すくらいの大きさで玩具みたいな作りの簡素なボタン。
何のつもりか知らないが『押 す な よ』と張り紙がしてある。
「バカじゃないの。誰がこんなのに引っかか──って魔理沙ぁ!?」
ボタンに伸びた魔理沙の手を寸前でキャッチする。
「はっ!? た、助かったぜアリス……何て恐ろしい罠だ……」
「恐ろしいのはあんたのアタマの中よ!」
こんな間抜けな罠で命の危機にさらされようもんなら死んでも死にきれない。
気付けば魔理沙のもう片方の手がボタンにかかる寸前だった。
「だから何やってんのよ!」
「ううっ……、放してくれアリス! 私の中の何かが押せと騒ぎ立てるんだ……!」
「やかましい!」
暴れる魔理沙を羽交い締めにして台座から距離を取る。
ついでに目を覆ってボタンが目に入らないように。張り紙が見えなきゃ大丈夫だろう、たぶん。
そのまま壁まで引っ張って台座に手が届かないように迂回だ。
ふと、壁にもボタンと張り紙があった。
『押す?』
「何で疑問形!?」
ばしん、と反射的に裏手で叩く。
だがここでボタンにツッコミ入れてしまうほど浅はかではない。
ちゃんとボタンを外して壁に──がっこんとツッコミを入れた場所がへこみ、落ちてきたタライが私の頭を強打した。
うずくまって頭を押さえる私に、魔理沙がつぶやく。
「なぁ、アリス……。おまえに対する認識を少し改めていいか?」
「あんたのせいよ……!
あんたが毎度毎度ボケ倒すから、知らない内にツッコミ体質が染みついちゃったのよ!」
「じゃあこれからもボケとツッコミで仲良くやっていこうぜ」
「何で漫才コンビ結成しないといけないの!」
「両方女でも夫婦漫才って言うのかな」
「ちょっと黙って! 突っ込む方は疲れるんだから!」
「おお、意味深な発言だぜ」
「このっ……! 本気で口塞いでやろうかしら……!」
「そうつぶやくと、アリスは自らの唇でおしゃべりな口を塞いだのだった……」
「って、あんたから寄ってきてるじゃない! ああもうっ……!」
その後も執拗な罠は続いた。
『このボタンはチキンには押せません、あしからず。……ぷっ(笑)』
甘く見んなこの野郎、と突っかかろうとした魔理沙を往復ビンタで正気に戻し。
『べ、別に押してほしいわけじゃないんだからねっ!』
どっちなのよ、と蹴りかけたところをお尻ひっぱたかれて我に返る。
巧妙な心理トラップの連続ではあったが、ここの持ち主にとって誤算だったのは私たちが二人組であったことだ。
お互い属性が違うために、片方が引っかかってももう片方が止めることができる。
こんな情けないことで二人いるありがたみを実感することになるとは思わなかった。
「何とか……抜けたみたいだな……」
「ええ……。無駄に疲労したわね……」
ようやくボタン地獄を脱出できたようだ。
しかし侵入者を撃退したいのか、おちょくりたいのか。
実に十数個ものボタンを攻略した私たちは、心身ともにかなりのダメージを負っていた。主に精神的に。
常に余裕を持って事に当たる私の矜持が木っ端微塵だ。こんな姿、人には見せられない。
……お尻がじんじんと痛む。魔理沙、もう少し加減して叩きなさいよ。
その魔理沙は両頬を真っ赤にしているのだけれど。
うんざりと話しながら通路を直角に折れる。その先には──
「うわぁ……」
「これまた怪しさ大爆発ってヤツだな」
台座の上に立つ悪魔をかたどった石像。それが向かい合わせにずらりと十体ずつほど並んでいる。
よくあるパターンとしては、この中にいわゆるガーゴイルが紛れていて通った者に不意打ちをかけるとか。
「ははは、そりゃいくら何でもありきたりすぎだろ」
「そうよねー。いくら何でもそれはないわ」
あははと笑う私たち。
石像が一斉にこっち向いた。
「全部かよ!?」
ぎゃうぎゃうと怪鳥じみた声を上げてこちらに向かってくる悪魔の群れ。
「よっしゃ、まとめてマスター──!」
「ってこんなとこで撃つな! 生き埋めになるでしょ!」
「っと、そーだったそーだった」
てへりと舌を出して八卦炉をしまい、レーザーや星弾を撃ち放つ魔理沙。冗談にしてもタチが悪い。
私も上海とともにレーザーで迎撃を開始。
幸い通路がそこまで広くないから一斉にかかってくることもできず、そこまでの脅威ではない。
貫通したレーザーで後続にもダメージが行き、ほどなく片は付いた。
多勢を用意しておいて今ひとつ間抜けな結果だが、一人では物量に押し潰されていたかもしれない。
だが、お粗末なだけにもう一手があるかも。周囲や石像の残骸に気を配る。
「うわっ!?」
ばしゃっ、と視界の隅で魔理沙が天井から降ってきた水をかぶった。
うつ伏せに転けた魔理沙に視線が行く。水じゃない。もっと粘度の高い──スライムだ。
しゅうしゅうと焦げるような煙を上げる背中。それに気付いた魔理沙はとっさに振り落とそうとする。
「動かないでッ!」
しかし撃ったら魔理沙の背中まで焼いてしまう。
素手で触れば私まで冒されるので、魔力を込めた手でスライムを打ち払う。
壁まで飛んでべちゃりと張り付いたそれを、とどめとばかりにレーザーで焼き尽くす。
「魔理沙、背中を見せて!」
早く治療をしなければ。スライムの粘液は強酸のように皮膚を冒す。
人間の体では、治癒しても一度ただれた皮膚は火傷の痕を残してしまうかもしれない。
一応治療魔法の類も扱えるが、ひどい場合はすぐに引き返して永遠亭に担ぎ込むことも考えないと。
魔理沙も女の子だ。体に大きい傷痕が残るのは防いであげたい。
「え……?」
だが、私の不安をよそに魔理沙の背中は何ともなっていなかった。
服こそ酸に浸したようにボロボロに朽ちてしまっているが、皮膚はつるりと綺麗なままだ。
すぐに引き剥がしたから皮膚まで届かなかったのだろうか。それでもまるで無傷というのは……。
「よくわからんが、別に痛くも何ともないんだよな……。まだちょっとぬるぬるするけど」
「うーん、無事ならそれで良いんだけど……」
やはり皮膚に触れていたのは確かなようだ。何事もなければ良いんだけど。
ぬるぬるするとのことなので、消毒用のアルコールにハンカチを浸して背中をぬぐってやる。
「うひゃっ、冷て」
「どうする? 大事を取っていったん引き返す?」
「いや、特に何ともないみたいだし。ここまで苦労させられると、お宝拝まずには帰れないぜ」
「そう言うだろうと思った。でも、もし何かおかしいと思ったらすぐ言いなさいよ」
ちと背中がスースーするな、と立ち上がる魔理沙。
そりゃ首もとから腰近くまで丸出しでは寒かろう。
何か羽織るものでもあればいいんだが、あいにく私は一枚脱いだらシャツと下着だけになってしまう。
まあ自分から先に進むと言い出したことだし、しばらく我慢してもらうしかない。
通路の終わりは開けた空間だった。
天井はさらに一メートルほど高くなり、直径十メートル程度の円形を成している。
私たちの真向かいには両開きの扉、そしてその前に立つのは人の形。
身の丈三メートルほどの巨体に、バスタードソードと盾で武装した剣闘士の姿。
ならばこの円形のフィールドはさしずめコロシアムか。
「ゴーレム、ね。またありきたりだけど。
……真理の探究でもしてみる?」
ゴーレムは「emeth(真理)」と書かれた羊皮紙、または直接彫り込んだ文字を核としている。
その「e」を削って「meth(死)」にしてやればゴーレムは滅び去る。
真理と死が紙一重とは皮肉なことだ。
「冗談だろ、そんなめんどくさい。
第一、パンツの中にでも書かれてたらどうすんだ? 私は調べたかないな」
「このバカ!」
一瞬想像してしまい、魔理沙の頭をぱかんと殴りつける。
そんな漫才をしている間に、件のゴーレムは私たちを侵入者と認識したようだ。
巨体なだけあって一歩が大きく迫るスピードは早い。あっという間に距離が詰まる。
左右に散る私たちのいた場所を、突き出したゴーレムの大剣が砕き割った。
固い地面に刀身の半ばまでが埋まるほどの膂力。あんなもの当たろうもんなら当然ミンチの一丁上がりだ。
「出てきてそうそう悪いが、退場してもらうぜ!」
魔理沙のマジックミサイルが大剣を持つ右腕を、私と上海のレーザーが頭部を狙い撃つ。
しかしゴーレムに当たった瞬間、ばしゅっと水を掛けたように私たちの魔法が霧散した。
「何っ!? うわっと!」
魔弾を意に介さず振るわれる剛剣。それを魔理沙は地に伏せて何とかやり過ごす。
このゴーレム、それなりの思考はできるらしい。
天井があるため上段に振りかぶるようなことはせず、突きや払い、盾で押す戦法を中心に攻めてくる。
魔法を弾く体ならば防御を気にする必要もないということか。
魔法を弾く。これには大別して二つの方法がある。
一つは物質自体が魔法を受け付けにくい物であること。
ミスリルとかオリハルコンなどはその性質として魔法の効果を受けづらい。
ただ、その希少性から非常に高い。
どのくらい高いかと言えば、金やプラチナをして「あら綺麗な真鍮ですわねおほほ」とバカにできるくらい。
そんなシロモノでゴーレムを作ろうなど、無茶を通り越してもはや崇敬の対象になりかねない。それ自体が宝の塊だ。
あの巨体なら表面を覆うだけの分量で、城に敷地と使用人を揃えて買っても一生遊んで暮らせるお釣りが来る。
もう一つは単純に防御魔法の付加。
術者から離れた物への障壁は効果が格段に落ちるが、重ね掛けすることである程度はカバーできる。
そして大出力への対策は洞窟という密閉空間がフォローしてくれる。
こんな場所で魔理沙みたいな広範囲無差別無節操無遠慮魔法を使えば、崩れて生き埋めか反響した爆風で自分まで吹っ飛ぶか。
魔法使いをほぼ無力化し、固さを頼りに接近戦か。悪くないやり方だ。
ただまあ、私たちが二人揃ってゴーレム風情に後れを取る道理はない。
私が考えている間、魔理沙はゴーレムの周囲を回るように飛んで適当に牽制の弾を撃っている。あれなら剣を振るいづらい。
暴れられても面倒だし、魔理沙が気を引いている内にまずは動きを止めてやるか。
ゲート魔法で家から人形を転送する。
「──戦符『リトルレギオン』」
展開された人形が槍を構え、ゴーレムの膝に波状攻撃を仕掛ける。
防御魔法に頼っている分、素材自体はごく普通の岩のようだ。障壁の上からでも槍の連打を浴びせられ、わずかに亀裂が入った。
ダメージを受けたことで私の方を障害と認識したか、ゴーレムがこちらへと切っ先を向ける。
私を潰すべく振り払われた刃を、大きく飛び退って回避。
「おっと、気の多いヤツは早死にするぜ!」
注意が逸れた瞬間、魔理沙のレーザーが狙い違わず亀裂部分を直撃する。
大雑把なわりに狙撃の正確さはやたら良い。狙った獲物は逃がさない、とかか。
剣の大振りで隙ができたところへ、私はすかさずダッシュをかける。
「っせぇぇぇぃっ!」
勢い付けた渾身の蹴りが鎚となってゴーレムの膝を打ち据える。
人体を模している以上は間接ができ、そこは当然強度が落ち、可動範囲の限定を生む。
さらに、こんなこともあろうかと私のブーツは鉄骨と魔力で補強済みだ。
真横から加えられた衝撃で、ひびが入った膝が砕け散る。片足を失い巨体が傾ぐ。
「魔理沙!」
魔理沙の元へ走る私。それだけで意図を察したか、魔理沙もこちらへと駆け寄ってきた。
肩を並べ、重ねた右手をゴーレムへと向ける。
通常、他人と魔力を重ね合わせると、波長の違う部分が相殺を起こしてしまうことが多い。
それに引き替え、私と魔理沙は何故か波長が良く合うらしく、波が重なって津波になるような現象を引き起こす。
魔理沙の魔弾が、私のレーザーに沿うように螺旋を描く。
誰が呼んだか、通称マリス砲。
マスタースパークのような広範囲には及ばないが、一点集中の火力と破壊効率は他の追随を許さない。
その威力は永い夜に実証済み。詐欺くさい永遠亭の連中をして「何かズルくない?」と言わしめたり。
……あとは効果に見合う名前でも付けば良いんだけど。
マリス砲(仮)に胴体を粉砕され、残った頭や腕が地に落ちる。
emethの文字がどこにあったのかは知るよしもないが、五体をバラバラにされて人型を維持できなくなってはもう動けない。
ぱん、と互いの手を打ち合わせる。
「ま、二人がかりなら楽勝だぜ」
「ええ。この手のわかりやすいヤツは対処が楽で良いわ」
宝を守る最後の関門として出てきたゴーレムではあるが、来るのがわかっていれば魔法使いはいくらでも対処できる。
そこいらの罠の方がよほど厄介だ。
実際、ここに至るまでで一番苦労したのはボタン地獄なわけだし。
恥ずかしいから口外しないでもらいたい。
「だが、ちと華が無かったな。主にアリスの掛け声に」
「力押しのあんたがよく言ったもんね。掛け声に華とかどうしろっての」
「そーだな……。『どっせい♥』みたいな」
「いやハートマーク付けられても。そんなの自分でやりなさいよ」
「私の場合は『どっせい☆ミ』かな。恥ずかしいからやんないけど」
て言うか、今見たように加減無しで蹴ったら岩くらい粉砕できるんだけど。
そんなのにハートマーク付けろと。……逆に怖いな、それ。
「とりあえず与太話はそれくらいにして、目的にかかりましょ」
シンプルな両開きの鉄扉。触れてみると、当然封印の魔法がかかっている。
それだけでなく、扉自身にも鍵がしつらえてある。
鍵穴が一つに、ダイヤルが二つ。
「こっちは私向きだな。そっちは頼むぜ」
じゃらりと魔理沙が取り出した鍵束のような輪。ただし、ぶら下がっているのは鍵ではなくレンチのような鉄の棒だ。
穴の径に合わせた太さの物を選び出し、鍵穴に突っ込む。
続いて先端が鉤状になったピックをその隙間に差し込み、がちゃがちゃと。
そうかと思えば聴診器を扉に当てて慎重にダイヤルを回し始めた。手慣れすぎだボケ。
まあ今さらこいつの泥棒稼業をつついても詮無いこと。私だってこうして一緒に盗掘してるわけなのだし。
魔理沙のピッキング講座を眺めていても仕方ない。私の方も仕事をしなければ。
入り口の時のように目を閉じて封印の魔術式を読み取る。
自分の世界に没頭し、頭の中に入ってくる情報のみに意識を集中する。
ぺたりと私の胸に聴診器を当てて「お医者さんごっこ」とかやる魔理沙を無言で蹴っ飛ばす。
「ボケたらちゃんとツッコんでくれよ。心音荒いぞー」
「うっさい、邪魔しないの」
ぶちぶちと文句を言いつつ、再びダイヤルと鍵穴と格闘を始める魔理沙。
激しく集中を乱されたが、一応封印の術式は理解できた。
式自体は特定の呪文をキーワードとして解錠するだけのものだ。もちろんそのキーが何かまではわからないが。
無限にある組み合わせを総当たりなどバカげているので、直接書き換えることにする。
魔法の糸を触れさせて魔術式に介入。
式を書き換えようとすれば当然カウンターが入るので、そちらには「式が正常である」というダミーを流し続けてごまかしてやるのだ。
複数の作業を同時にこなすのは得意分野。思考の一部を使って情報を流し続けるだけなら、人形を操作するより簡単だ。
適当にバイパスを作って別のキーワードで開くようにしてやる。少々強引だが一度破れば用済みだし問題ない。
「オープンセサミ、っと」
扉を覆っていた魔力が消失する。それと同時にがしゃりと重い金属音。
「こっちも完了だぜ。さすがのお手並みだな、アリス」
「あんたも……って、泥棒の技術を褒めていいもんかしらね」
ごぐん、と重たい鉄扉が開かれる。気流で土埃が舞い上がり、扉の上の方から堆積して固まった埃が落ちてくる。
どうやら当分の間、扉は閉じたままだったらしい。
逸る気持ちを隠そうともせず、魔理沙が扉の中へと駆けていく。
私はちゃんと落ち着いて……と思ったが、やはり好奇心を抑えられずにすぐさま魔理沙の後を追いかける。
部屋の中はちょっとした広間くらいはあり、道具類は大きな物は床に並べられ、小物は棚に綺麗に分類されていた。
わりと几帳面な人物が使っていた形跡をうかがわせる。
「おおっ! 何かよくわからんな!」
第一声がそれか。
とは言え、知ってる物ばかりなら変哲もない道具の山。
逆によくわからないものは未知の物。研究の価値があるかもしれない物だ。
蒐集家としては未知の物に興味をそそられて当然である。
私の方は蒐集家を名乗ってはいるけれど、まったく興味の無い物まで家に積んでおく趣味はあまり無い。
でも人形もいくつかあるようだし、これは先にもらっておこうかな。
それに有用なマジックアイテムや魔法の素材なら十分需要はあるので実際に検分してみなければ。
それを調べるべく手近な棚に近付き──その瞬間、縄のような物が私の手首に巻き付いた。
「しまっ──!」
迂闊だった。宝物を発見して気が緩んだ瞬間を狙う。ちょっと考えれば思い付く常套手段だ。
じゅっ、と音を立てて袖口が煙を上げた。
手首に視線をやると、縄ではなくぬらぬらと粘液にまみれた触手が絡み付いている。
それも一本だけではない。棚の隙間から次々に伸びた触手が手首、足首を絡め取る。
魔法を使って振り払おうと手に魔力を集中しても、そのそばから水がこぼれるように消えていく。
この触手が魔力を吸い上げているのか……!
「私の許可無く縛ってんじゃないぜ!」
魔力の刃が私に絡み付いた触手を半ばからまとめて切断する。
流れるように放ったマジックナパームが、本体らしき形容しがたい物体を吹き飛ばした。
「まったく、ふてぇ野郎だぜ。触手だけに」
「全然上手くないけど。ありがと、助かったわ」
切断され、意志の通わなくなった触手の先端を剥がして捨てる。
袖はボロボロになってしまったが、手首はどうにもなっていない。これは──
「……で、どうして魔理沙の許可が必要なわけ?」
「あー……、それはまあつい願望が、じゃなくて。
アリスはどっちかって言うと縛る側……でもなくて……うん、ごめんなさい」
気を取り直して、周囲を警戒しつつ棚の物色を開始する。
魔理沙が最初に目に入った小箱を開ける。中には銀色に輝く指輪が収められていた。
「さて。どんな効力があるんだろな、これ」
「御丁寧に箱に書いてあるわ。……なになに、五感を鋭敏にする指輪」
「ほう、目や耳が良くなるのかな」
私の話を聞く前から合う指を探していたのか、魔理沙はまるで躊躇せずに中指を輪に突っ込んだ。
「うひゃっ!?」
奇声を上げ、かくっと膝を折って魔理沙が崩れ落ちる。
その尋常ではない様子に、抱き留めようと私の体が動く。
「触るなッ!」
鋭い制止の声。びくっと反射的に体がこわばり、腕に触れる寸前だった手をあわてて引っ込める。
倒れず踏み止まった魔理沙が、体を震わせながらその指から銀の輪を引き抜く。
たった一瞬で魔理沙の息は全力疾走したかのように上がっていた。
「はぁっ、はぁ……、何なんだこりゃ……。
あ……、ち、違うぞ! アリスを拒絶したわけじゃなくて! 普段はむしろカモンだから!」
「え、ええ。それはいいから……一体どうしたの?」
「何て言うか……一瞬で全身撫で回されたみたいな変な感じがした」
指輪を収めていた小箱をもう一度確認する。続きがあった。
「五感を鋭敏にする指輪。──主に触覚を」
おそらく触覚を鋭敏にされて、服が触れる感覚が数倍に感じられたのだろう。
あそこで私が腕を掴んだりしていたら、その痛みまで数倍になっていた。
……まあ、固い地面に倒れてたらもっとひどいことになってたんだろうけど。
「何に使うんだよ、そんなもん」
何と言われても。正直、私の想像力では複数の候補が見つからない。
頭の中を巡るものがある。
通路で襲ってきた、繊維を溶かすスライム。同じような粘液を出し、魔力を吸い上げる触手生物。そしてこの指輪。
たった三つの例ではあるが、恐ろしくイヤな予感しかしない。
「ねぇ魔理沙……。すっごいイヤな予測なんだけど」
「何だよ」
「ここにあるの、全部『あっち』の用途の物ばっかなんじゃ……」
「い、いや、さすがにそれはないだろ……。ここにあるの全部とか、どんな変態だよ」
部屋の三方を囲む棚に陳列された道具の数々。
単純比較にあまり意味は無いが、数だけなら魔理沙のマジックアイテムコレクションと良い勝負ができそうなほど。
棚の無い所には、書き物用のデスクとベッドが一つ。
……元々は研究室か何かだったのだろう。たぶん。きっと。そう思わせて。お願い。
「……一応調べてみようぜ」
「……そうね。さすがに全部ってことはないでしょうし」
◇◆◇◆◇◆◇◆
太陽は山の間に沈み、空は濃紺のグラデーションになる頃。
淡い光の灯るマーガトロイド邸を咲夜が訪れた。
「鍵も無いなんて不用心な家だこと。
図書館の清掃は終わりましたわ、パチュリー様」
「そう。じゃ、帰るわ」
日が落ちる頃になっても二人は戻ってこなかったが、アリスも留守番の必要は無いと言っていたことだし。
読んでいた本を閉じて本棚に返す。
紅茶に使ったカップは唐突に消えた。咲夜が洗って片付けたのだ。
「……それは?」
咲夜の目に入ったもの。魔理沙が持って来た地図だ。
場所しか書かれてないそれは、現地を確認したのならもう必要無い。置いていったのだろう。
「ゴミ置き場よ」
「ゴミ、ですか」
「ええ」
パチュリーが小さくつぶやくと、地図はぼっと炎に包まれる。
そのまま灰も残さず燃え尽きてしまった。
「昔はやんちゃしたものだわ」
「今でも十分好き放題に生きてると思いますが」
ふっ、と鼻で笑うパチュリー。
これでも齢百を数える魔女。昔は魔女っぽいこととはなんぞやと色々考えた。
サバトとかそれっぽいわよね、と結論に至って「それ用」の道具や薬品を作ってみた。結局使わなかったが。
以前は図書館の中に隠していたのだが、咲夜が館を取り仕切るようになってから少々事情が変わった。
この怪しげな道具の数々をうっかり咲夜が見つけようものなら──。
ちょっと怖い未来図を想像してしまったため、紅魔館の外に封印したのだ。
捨てろと言う説もあったのだが、貴重な材料や魔法薬を惜しげも無く注ぎ込んだので、ただ廃棄するのはためらわれた。
折を見て回収することもあるかもと地図を描いておいたが、本の間に紛れたままネズミが持って行ったのだろう。
パチュリーは嘘はついていない。聞かれたことに答えただけだ。
蒐集品の倉庫ではない。全部自分で作った物だから。
それに、アリスにはやめておいた方が良いと忠告までしておいた。魔理沙は言っても聞かないからどうでもいい。
その上で向かったのだからもはや知ったことではない。
「……ま、死にはしないでしょ」
多少の罠はどうと言うこともあるまい。
それどころかあの魔法使い二人が組めば、どんな罠もパズル同然にされてしまいかねない。
おそらく最奥の部屋まで到達されるだろうが、どうせ被害者は一人ないし二人で済む。
いつもの半眼を遠くに向けるパチュリー。事情を知らない咲夜は首をかしげている。
咲夜に続き玄関を出ようとしたところで、ふと立ち止まる。
一日屋根を貸してもらったのに無言で帰るのも礼を失しているな、と。
パチュリーは紙とペンを取り出し、一筆したためてから咲夜とともに家路についた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「なー、アリスー。これ何だー?」
「いちいち聞かなくてもそれくらい読めるでしょ!? て言うか私は帰るの!」
「検分の優先権取ったのはアリスじゃないか。全部確かめてもらわないと分けられないし」
「もういらないわよ!」
「シャンハーイ」
「次はこいつか、副隊長。おお、何かうにうにしてて気持ち悪げだぞこれ」
「ちょ、上海!? 何で魔理沙の手伝いしてんのよ!」
やんちゃしすぎだろパッチェさん・・・
「もしや」と思ってたんですが……。
しかし、パチュリーはなんとも凄いものを。
ニヤリとしながら読ませていただきました。
面白かったです。
相変わらずこの二人はいい味だしてますねー
上海がやたら可愛いんですが、なんかきゅんきゅん来るw
魔理沙と戯れる姿が最高でした。
スレイヤーズすぺしゃるに似てる。
確か五感を鋭敏にする指輪ってのも酷似している気がするんだが・・・。
見てて、「ん?」と思った。
偶然だったのならすみません。特に気になったので・・・
そのSSもマリアリで、その人が書く魔法使い三人の関係が似てたので、その人がリメイクで書いてるのかなと思うほどに……。
ただこのマリアリパチュの関係、ノリは好きなんで次回に期待です。
今回もとても楽しめました。
横レスになっちゃうけど…
上の似てるってどれのことだろう。村人。氏の事かな?
感覚を共有する指輪みたいなのをつけてた話があった気がする。
それもマリアリで、宝探しするやつだったような。
知らなかったのなら一度見てみたほうがいいかもしれない。それからどうこうなるわけじゃないけど。
いや、誉め言葉です。
それにしても、パチェさんの罠が遊び心にあふれていて
昔どんな思考をしていたのかとかが気になる気になる。
マリアリの絡みも好きなので、大満足でした。
村人。氏のパクリと思われても仕方ないレベル
それを全部確認するとか結構な時間かかるから無理って訳でもないですけど仕方ないですね。
ぱっちぇさんやんちゃすぎだろw