ダンベル百科事典の前作を読むと意外と楽しめるかもしれないよ! でも、前作との繋がりはないかもしれないね!
あけおめ!
『咲夜……今日はクリスマスイヴね。これは西洋風な感じの紅魔館としては率先して動かなければならないと思うの。なんというかスイーツな夜を私達が演出?』
『一つ質問してもよろしいでしょうかお嬢様』
『なにかしら?』
『それは悪魔的にOK?』
『カルト宗教に利用される前ならば親が崇められていたし、今のクリスマスは欲望で満たされたまさしくサバトと言うに相応しい儀式だからいいのよ。戦後の混乱と経済成長期を利用して、そんな文化を根づかせたのは家の財団だけど』
『そのような事は紅魔館史には記されて――』
『三割は冗談に決まってるじゃない……真面目に受け取らないでよ、この子は』
『……クリスマスの準備ですね、直ぐに取り掛かります』
『言い返してくれないのね』
そんな会話を年末にした。
『除夜の鐘を阻止したい』
『美鈴に腹マイトを装備させて博麗神社に送り込むんですね』
『むちゃくちゃいうわね、あなた』
『先のお嬢様の発言よりはマシかと……』
『うー、それじゃあ一ドル紙幣で一万ドルのお賽銭を用意しておいてちょうだい』
『前から言おうと思っていたのですが、海外の通貨は霊夢的にはゴミと変わらないのでは――』
『それがいいんじゃないの』
『はぁ、地味すぎる嫌がらせですね』
『ええ、あの巫女ってば私の入れるお賽銭を紙切れだと思って、ドルやらポンドをお札に流用してるのよ。飛んでる巫女が紙幣をばら撒く姿は悪魔的じゃない?』
『本人が知れば憤慨ものでしょうに……』
『それはそれは素敵な事ね……話は変わるのだけれど、門番に腹マイトというのは制止のため?』
『いえ、自爆要員です』
『そう、酷い子供ね、あなたは』
『はい?』
自身の完璧さを証明するために、咲夜頑張った。
『新年会が終わった事だし一日ほど棺桶で寝るわ。その間、貴女にも正月休をあげるから適当にダラダラ生きなさい』
『妹様は?』
『何も言わなくても門番が面倒見るでしょ』
『お掃除は……』
『一日でどうにかなるものでもない。まあ、気になるなら好きにしなさい、好きに』
『はい、お掃除します』
『不器用なコ……』
異変未満を起こした正月から十日経過し、静寂を取り戻しつつある紅魔館。淡い雪化粧が施された敷地内を小窓から確認し、十六夜咲夜は小さなため息をついた。
必要最低限の家事が終了したのは午前十一時四十三分。自室の掃除は終わったし、館内の掃除も終わってしまった。
天気は曇りなので洗濯をする気も起こらず、もう何もすることがない。
天井を見上げる。
「時間を停めていないのに……この結果」
独りごちた。
それほどまでに、今現在のメイドさんは暇なのだ。
年末年始において完璧に仕事をこなしたメイドさんは、主人より一日だけ休暇を貰った。しかし、残念な事に十六夜咲夜は仕事中毒の気があるメイドさんなので、何かをしていないと手が震える。
主にはダラダラ生きろ、と言われているが難しい。
そんな門番のような生き方は――。
「……する事がないというのも問題ね」
思考に引き摺られるように、咲夜の足は門に向いていた。
時間が停止していない館内を一人で何もせずに歩く。よく考えてみれば始めての事かもしれない。館に来た時は、吸血鬼の主に屈服するまで連れ回されたし、その後、魔女と妖怪に師事したときは紅髪の誰かが隣に居た。
その辺の記憶ははっきりと思い出せない。
知識をくれた魔女はパチュリー・ノーレッジだと憶えているが、吸血鬼に連れ回される度にボロ雑巾になった自分を介抱し、礼儀作法込みの体術と生体エネルギーの扱い方を教えてくれた妖怪の名前が思い出せない。
分野的に確実に門番なのだが、どうにも記憶が危うい。
ただ、生暖かい視線で見守られているときが一番辛かった、そんな事は憶えている。
見た目からして、仕事が出来る、凛とした空気をまとう紅髪の時間をたくさん消費させた結果、自分が詰まらないミスをするのは許せなかった。
当時の目標は紅髪を超えること――。
館内で一番人間らしい者だったので、最初は摸倣から始まり、最終的にそれ以上の使い手になる事を考えた。
そして、使用人としての技量が紅髪を超えると“完璧で瀟洒なメイド”等と呼ばれるようになり、誰がどう見ても瀟洒であった紅髪は一番楽な格好で門前に立つようになった。
そこからははっきりと思い出せる。
本人曰く門番らしい。そんな職業名を名乗って置きながら悪鬼羅刹のように戦わず、適当にお茶を濁していく姿は悪魔の館としては如何かと思うのだが、誰も文句を言わないので昼寝をしている時を見計らってナイフを投げておく。
瀟洒な貴女は何所にいったの、という思いを込めて。
昔の事を思い出しながら、咲夜は紅魔館の扉を開く。
空一杯に広がる分厚い雲、視界に映るのは銃撃か。ガンッという音と共に小さな高速弾体が空気を裂き、館の上方に向かっていた。
瞬時の判断で時を停める。
そして弾丸の向かう先を確認すると、空中を錐揉み回転している妹様の姿があった。
やたらフワフワした感じの白いコートに猫耳フードが実に可愛らしい。
しかし、その身のこなしは並みの鴉天狗以上であり、主人の妹がそんな動きをしているなんて、狙撃でもされているのか、門番は何をしているのか。疑問が湧き、狙撃手を確認するために首を動かすと、館前の十字路にヘラヘラした顔の門番がいた。
「なにこれ?」
時が動き出す。
「まだだよ!」
「いいえ、もう遅い! 音速よりも遅い!」
屋根に片足をつけた妹様が無理矢理に身体を動かし、高速飛翔体をぶん殴った。
ガンッと空気がかち割られ、打ち返された弾を門番がまったく無駄のない構えで受け止める。
軽く浮いた弾――。
それに向かって妹様が屋根から飛び出し、右手を上から下に振り下ろす。
弾が軽く寸断されたように見えた。門番が板のような物を刀剣の如く振るい、弾丸の弾道を前方に撃ち逸らしたのだ。
妹様が着地する。
「吸血鬼は! 光速よりも速いのさ!」
「くっ、知っていましたとも!」
小さな手に握られている板が弾を掠め、放物線を描いて対戦者に返っていった。
何かを達観したらしい門番が板を握り直し、妹様が板を意味も無く振り回す。
障害物が無い場所で軽機関銃を撃ち合えば、目の前のような光景になるだろうか。
反射角を利用して左右に打ち分けようとしている門番の姿には哀愁が漂い、普通に音の壁を突き破っている妹様からは狂気が漏れ出している。
『合気を数百年ほど修行すれば、狙撃位なら同じ力で打ち返せますよ。三人位に同時に狙われたり連射されると流石に拙いですけど』
昔々にそんな事を言っていた妖怪はもうダメかもしれんね。
精密な動作で動く門番と、恵まれた運動能力で空間をかき回す妹様。弾を打ち合う距離は徐々に近づいていき、殆ど距離がなくなったときに二匹の魔人の身体が大きく動いた。
それは大型トラックの衝突に似ている。
風圧を感じられるほどの速度でぶん回された“羽子板”が、憐れな羽根を潰した。
力の無い方へと飛んでいく。
「ピギャッ!?」
「あっ、めーりんの額に刺さった」
「でも、平気ですよ!」
「おー」
形状の変化した羽根を額から抜き、門番は二カッと笑う。
昔は困ったように笑う事しかなかったのに、あのいい加減かつアホそうな顔はなんなのだろう。あまり変化しない妖怪がここまで変質すれば、すでに別妖怪なのではなかろうか。咲夜は首を傾げた。
「――なにをしているのよ……」
「あっ、咲夜だ」
「あっ、ども」
声が届いたらしい。
というか、門前付近で小悪魔とその主人も同じ遊びをしているので、質問的に意味のないことかもしれない。「むきゅ! むきゅ! むきゅ!」と一生懸命に魔女が振るうのは魔法の杖ではなく、どこぞの島国の遊具である“羽子板”だ。
御付きの小悪魔がヘロヘロした弾道で羽根を打ち上げ、それを魔女は打ち返そうとしているらしい。だが、すべての羽根が魔女の頭にポテンッと乗り、雪化粧が施されている大地に落ちていく。
ああ、無常。と思ったのもつかの間――。
運動センスの欠片も見出せない世界有数の魔女の板に羽根がぶつかり、綺麗に小悪魔の手元に返っていった。
「パっ、パチュリーさま、やりましたよ! 命中です! 見事なご懐妊です!」
「む…むきゅ……」
「こ、こぁ、紫天すでに死す、性欲立つべしッ!」
変なテンションの小悪魔が魔女に躍り掛かる。
狙撃音と共に赤い花が咲いた。地面を転がっていく肉体に性欲はなく、その原動力は既に事切れている。
「こ…こぁ……」
「小ちゃん、決勝戦ですよ! 相手はフランドール様です!」
「きゅ、急な生理痛で無理です、バタッ」
妹様に脇腹を撃ち抜かれた小悪魔は力無く笑い、最期まで下ネタで通そうとした。
勇者である。倒れたふりをして、虚空を見上げて気を失う主人の胸元に向かう姿は美しささえ感じた。
もう、好きにさせよう――。
従者間のアイコンタクトで門番と意思の疎通をし、咲夜は小悪魔の姿を“従者とはかくありけり”と心に刻んだ。
「バンとうって、どっかーん!」
「……ナイスヘッドショットです妹様」
「えっへん!」
幼児的感性には、忠義者の美しき姿も弱った獲物にしか見えなかったのだろう。
小悪魔の頭部に命中した羽子板の羽根は彩色に砕け散り、その身体を喧嘩独楽のように吹き飛ばした。それを見て、ふむ、と頷いてから顎を擦る門番が「――フランドール様の勝ちを宣言するのを忘れていました」と呟く。
その姿に悪意はなく、この場に居る誰もが悪くはなかった。
そう、ただ、めぐり合わせが悪かったのだ。
咲夜は敬虔なシスターのように、「こあぁぁ、脳内フォルダが壊れるぅ!」と叫びながら転がっている小悪魔の運命を、今は棺桶の中で眠っている紅い悪魔に祈った。
『まっ、いいんじゃない?』
投げやりな答えが返ってきた気がする。
そんな咲夜の意識を戻すかのごとく、服の裾が引っ張られた。
「おはよう、咲夜!」
惨事を引き起こした後とは思えぬ爽やかな挨拶、フランドール・スカーレッドはまさに狂った悪魔の妹に相応しい少女であろうか。
「はい、おはよう御座います妹様」
「今日は休みなんだから“さま”はなくてもいいよ。お姉様からそう言われているでしょ」
「休めとは言われていますが……お気持ちだけ頂いておきます」
「ぶー、固いなぁ咲夜は」
妹様は両手を上げてプクッと頬を膨らます。
そんな四百九十五年以上は生きている幼児の隣では、「まあまあ、そこが咲夜さんのいい所なんですよ、乙女チックチャームポイントというヤツです」等と門番が軽口を叩いていた。
視線を向けると、ヘラッと頭を下げてくる。
「明けましておめでとう御座います、咲夜さん。今年も何事も無く健やかに過ごせればいいですねぇ」
「ええ、今年は宜しくお願いね、門番業とか門番業を」
「はい、去年と同じ程度に職務を遂行する覚悟でありますよ、ハッハハ」
刺したい気持ちは心の鞘に収めた。
だって、妹様がキラキラしたお目眼で此方を見ているのだから当たり前さ。
ムギュと手を握られたので、自身の硬さを岩にする。お嬢様ことレミリア・スカーレットにボロ雑巾にされ、その都度治療を受ける度に、風呂やベッドで軟膏を塗られながら身体を弄くられて、硬気功と軽気功の初歩を身体に刻み込まれた。
今思えば、あれは房中術の一種だったのではなかろうか。
精神的に幼いときはそんな事は考えなかったし、日頃は二十四時間仕事中なので考え事をしている暇はない。
記憶を探ってみれば紅魔館の人間にプライベートで遇うのは、メイド長になってからは始めてであった。自分と同じように妹様に手を繋がれ、困ったように笑っている紅髪を見ていると、メイド長として必要な思考部位以外から妙な気分が漏れ出してくる。
「めーりん、お腹が空いたぁ」
「それでは、今日は鍋にでもしましょうか。昨日はツマミと肉しか食べていなかったような気がしますし」
「うー、なんでもいいよ! 食べられるならなんでもー」
妹様は両手をブンブン振り回し、咲夜は門番と共に門前へと引き摺られてしまった。
館から出る気の無い妹様は、神社で開かれた新年会のおりに門番に預けられ、正月から今までずっと門前に居たのだろう。
色々とよくもったものだ。
それらの責任者の横顔を見ても、特に気苦労の後はない。
立ち尽くしているパチュリーを回収し、転がっている小悪魔を足でふわりと蹴り上げて肩に掴まらせた門番は不平不満を洩らさず、「知性が十以上減って、体力が一未満増えましたか……」等とのたまっていた。
「……新年会でマリアリに置いていかれたのがショックだったのかしら? 途中から御姿が見えなかったけれど――」
「そうですね。新年会途中で小ちゃんが召喚されたかと思うと、ふらふらと門番詰所に倒れこんで来て、出来る筈もない腕立て伏せを始めましたから……」
「知性が十減って、体力が一増えるのは非効率的ね」
「まあ、日陰道に戻ればパラメータが元に戻りますし、新年の始まり位はアホな子で良いんじゃないですか。そういった変な不器用さは可愛らしくて好ましいですよ」
小悪魔が「ですよね! 私の脳内フォルダにも…ああ、ない…記憶が無い!」等と同意し、唇を尖らせた妹様はブーブーし始める。
「めーりん、私は! 器用だよ! 可愛くないの!?」
「そういう事は、ご飯をこぼさずに食べられるようになってから言いましょうね」
「うー、えー、でも器用になったら可愛くないんでしょ?」
「その辺を微調整するのが真の悪女、いえ、淑女と言うものです。お嬢様や魔理沙だって一撃必殺で落とせますよ」
「へー、がんばる」
「無駄なまでに頑張って下さい!」
「うん!」
何か歪んだ教育の一環を垣間見た。
しかし、不器用な者が可愛くて好きとは、“完璧で瀟洒なメイド”の自分とは正反対ではなかろうか。別に門番の好み等知った事ではない……無い筈だが胸中がモワモワする。
これは一体なんだろう。親愛友情恋慕共感、知識内で当て嵌まるものを検索する。
どれも当て嵌まるようで判らない。
「――夜さん! 立ち寝なんて高等技術を使わないでください! それは私の個性ですよ!」
妹様を挟んで門番の顔が近くにあった。
「え、ええ、私は自分よりも小さい子が好きよ?」
「何をカミングアウトしているんですか、性的な意味で……」
門番の背中に捕まる小悪魔が、「エロ従者とは…流石はパチュリー様の御友人の従者ですね、臀部が共感しました!」等といったが無視する。
これ以上喋るとボロボロと変なミスが増えそうだからだ。
ゆったりと門を抜けると、外壁沿いに二階建てのログハウスが見えてきた。
何百年か前に作られた釘一つ使わない組み立て式の物らしく、幻想郷で足場が固まってくると、門番達が地下倉庫から持ち出してきたある種の別荘のようなものだ。
その扉は大きく二階には窓が多い。
一度に多く飛び出すためだろうか、それとも手抜き工事か。
建てられている場所からしてマスタースパークの被害は考えているのね、そんな事を考えながら、唯一片手が開いている咲夜は木製の扉を開いた。
何人かの門番が奥の部屋で雑魚寝している姿が見える。というか、足元にも門番が養命酒の空き瓶を抱えて寝ている。
二階の空間を感覚が把握すると、そこにも多数の門番が寝ていた。
正直、寝過ぎだろ門番隊――そんな感想を抱き、紅髪の門番長を見る。
彼女は扉から一番近い部屋の引き戸を開け、パチュリーをコタツの中に突っ込んでいた。
何時の間にか手を放していた妹様もコタツに入り、電源をオンにしている。
紅魔館は自家発電をしているが、どのようにして此処まで電源を引いてきたのだろう。咲夜は質問するために門番長を呼び止めようとした。
足をガッチリと何者かに掴まれる。
視線を下げると、紅魔館歴の長い妖怪メイドがいた。
昔、おいしいオムレツの作り方を教えてくれた妖怪だ。
「さっちゃん…夢……」
「ええ、離してくれないかしら?」
「うん…まだね……さっちゃんにはメイド長…早いのです。ボスに全部任せえとけばいいんですお…うん、それがいちばんなのら!」
「そう、酒臭いわ」
目潰しを食らわして、ニャッ、と言わすと門番その一を黙らした。
メイド長になった当時、こういった輩は無数に居たものだ。
確かに、技術で超えたとしても紅髪ほどの臣下を追い落とせば反発もあるだろう。
そんな風に思っていた時期も合ったが、どうにも彼女達は真摯に自分の事を心配してくれていたらしく、門番長に連れられて門番になるまで「大丈夫? 大丈夫? 辛い事無い?」と煩かった。
「……フゥ」
実際、嫉妬とかしょうもない感情で害しようとしてきた者は、同年代の若い妖怪メイドくらいだった、そんな気が今更ながらにする。
数年前の事を思い出し、何気に物思いに耽っていると、「小ちゃんはご飯作るから手伝ってね」と小悪魔を抱えた門番長が奥へ奥へと歩を進めていた。
すでに家屋の空間を理解している咲夜は、その長い紅髪の後を追う。
声を掛けられなかった背中に、今は気軽に声を掛けられる。
「私も手伝うわ、暇だし」
「ええ、まあ、お手伝いなんだから時を停めないでくださいね。休暇中の人に全部やらせたとなるとお嬢様に叱られます」
「お嬢様には好きにしろと言われているのだけれど?」
「紅魔館メイド長様にはワークシェアリングという素晴らしい言葉を捧げましょう」
「分業化した結果、お嬢様に不利益が発生するかもしれない。紅魔館メイド長には必要の無い言葉ね」
「では、休暇中の十六夜咲夜さんに」
瀟洒風のやり取りなのに、「もう私いらなくないですか? パチュリー様の肩周り前面を揉みに行きたいんですよね」と言う小悪魔の所為で台無し気味だ。
それでも、門番に肩から下ろされて“好きにしなさい”的な視線を一人と一匹で向けると、「あ、あんた達のために手伝って上げるわけじゃないんだからね!」と小悪魔がデレた。
ツンが無いとは不思議なツンデレである。そんな妙な赤い頭を眺めていると、いい匂いのする台所らしき場所に到着していた。
エプロンを投げ渡される。
包丁の場所を確認。
「何を作るのかしら? 鍋と言われてもたくさんあるし」
「寄せ鍋です。ご飯は炊いておきましたし、だしはとっているんで――」
「そう、やる事はあまりないわね」
なぜか稼動している業務用冷蔵庫から食材が次々と取り出されていく。
鳥四羽に巨大な川魚一匹、それに各種野菜。大きめの鍋でだしの味を調え始めた美鈴は戦力外としても、小悪魔一匹とメイド一人で処理すれば十五分程度でどうにかなるだろう、そのように咲夜は推測した。
「ええ、咲夜さんにお手伝いして欲しいのは食材を切る事だけです、手の込んだ料理は得意ではないので」
「そんな貴女に中華料理で勝てる気がしない私は……」
「勉強不足なんでしょう、ハッハハ」
喋りながらも、戦力外と思われた門番の手の中で鳥が分解されていく。
黙々と野菜を切り刻んでいる小悪魔の腕もなかなかだ。
咲夜は一番の大物と思われる川魚と相対した。幻想郷では過去に絶滅したと思われている動植物もいるらしく、この怪魚もそんな物の一匹なのだろう。
「これは難題ね……」
小さな出刃包丁では攻撃力が足りなさそうだ。
しかし、職業メイドはその程度で目標達成を諦めたりはしない。腹を掻っ捌いて内臓を取り出し、どうにか解体していく。
そんな決戦使用の咲夜の聴覚は、パタパタ、と後方からの足音を空気中から拾った。
知っている足音と似ていたので反射的に振り向く。そこに居たのは予想の人物ではなく彼女の妹であった。
台所と廊下の境界線で、妹様が「ご飯まだー」と指を咥えている。
それを見て、ピコピコとお玉を振るった門番が「まだですよー」と答えた。
台所をうろちょろし始める妹様、何故か手伝いの咲夜は手元に視線を感じる。
「咲夜はなんで空間切断を使ってないの? 調子わるいの? ポンポン痛いの? 撫でてあげようか?」
「いえ、それは、只のお手伝いですし、能力を使うなと美鈴に……」
咲夜の返答に、門番が目をパチクリさせた。
「えっ、いえ、時間を停めたらどんどん作業を進められそうでしたし、休暇中の咲夜さんにそこまでさせるのは――と言う意味だったんですけど」
「そうなの?」
「ええ、変なところで不器用ですよね、咲夜さんは」
生温かい視線を感じる。
理路整然と反論してやろうと思った咲夜であったが、特定のキーワードが脳内で解凍されて動きを止めた。
今、自分は不器用と言われなかったか。ちょっと前に、コイツは不器用な者が好きだとか言ってなかったか。思考が煮詰まり、鼓動が高まり、血の循環が激しくなり、顔面の毛細血管が開いていく。
なんだこれは、なんだ。こんなものは教えて貰っていない。
知識上にある状態に酷似していたが、それは男女間で起こり得る状態ではなかったのか。
自分はもしや変態なのでは――包丁の目標が定まらず、指先に小さな切れ目ができた。
紅い粒が見える。
「あっ、血」
妹様が呟く。
その瞬間、誰かが極自然に動き、指先にぬるりとした感触が伝わってきた。
指先をしゃぶられているらしい。妖怪らしい長い舌が人差し指に絡みつき、傷口が火傷をしたように熱く痛む。
「あの…美鈴……」
「ンチュ、ああ、治療です治療、メイドは食べちゃダメだって言い伝えが在りますから安心してください。それに、私は血で狂乱するほど若くはありません」
何時の間にか片手で抱いていた妹様の背中をポンポン叩き、美鈴はヘラヘラと笑った。
ダメだ、拙い、顔の毛細血管が限界だ。休暇中とはいえ瀟洒なメイドとして現状は大変宜しくない、という事は誰の目にも明らかだ。
小悪魔が「こぁ」とニヤニヤしている。
正直刺したいが、今は自重して何時もの十六夜咲夜に戻らなければ――。
フッと前髪を弄る。
「そう…迷惑掛けたわね」
「いえいえ、咲夜さんのミスなんて久しぶりに見ましたからフォローのし甲斐があった? まあ、あれです、困ったときはお互い様の精神が人生にほど良いスパイスを効かせてくれるんですよ」
「なによそれ」
「義に往き義に死ぬ、そんな武侠な人生観?」
妹様を抱っこしながら、美鈴はだしの調整に戻って行った。
鳥は全てばらしたらしい。お玉でだしを掬い、妹様に味見をさせる姿には余裕すら感じさせる。
変な敗北感が胸中を吹き抜けていった。
まあ、おかげで毛細血管も元に戻っていったので問題はない。
そう、自分は変態ではないので問題無いのだ。
誰に言い訳をするでもなく、空間切断で魚を捌いた。
こういったとき、やはり自分の能力は家事向きだと実感する。
隣では小悪魔が野菜を切り終えたらしく、長ネギ白菜えのき茸、それらを皿にもって美鈴に近づいていく。
指先を鍋につけてぺロッと舐めた。
「うーん、相変わらずの母の味ですね。さすがは結婚経験のある美鈴さん」
「千年以上前の話だから関係無いと思うけどねぇ」
「まあそうですね、フッフフ」
周囲に影響を与えない咲夜の世界が発動。
妹様が「へー、めーりんは結婚した事があるんだ」と不機嫌そうに呟き、門番は「まあ、数千年も生きていればその手の経験は誰でもするもんでしょう」と答えていた。
別に門番が結婚していても関係は無い。
ただ、この台所には酸素が少ない、とても呼吸がし難いとは思う。
妹様と門番の話は続く。
「回数的には人間の女性と三回、男性が二回ほどでしょうか……。妖怪間では稀な事でも人間社会に溶け込む場合は有効な手ですからね、結婚は」
「へー、妖怪同士だとめずらしいんだ」
「まあ、神様でもあるまいし、どんなに制御しても暴力性が人間よりも強い者同士が、互いを尊重しあいながら愛を語り合うというのは無理があるでしょ。どっちが強いかどっちが下か、その手のことをハッキリさせた関係の方が長続きしますよ」
「そーいうものなの」
「そういうものなのです。だから結婚するなら人間でしょう、儚い一生ならば一生愛せます。頑張って魔理沙辺りを愛でてください、フランドール様」
真面目なのか不真面目なのか、よく判らない会話だ。
しかし、一つだけ凄く質問したい事がある。小悪魔の方を見ると、「聞いちゃいなよ!」的な視線を返された。
「あの、美鈴?」
「あー、魚を……って、ど、どうしたんですか、顔が真っ赤ですよ。何か不手際でもありました?」
一歩引かれる。
「あなた、女性と結婚したの?」
「ええ、それは、長いこと生きていると性別なんてあやふやなりますし、用途に応じて男性にも女性にもなりますよ。まあ、スキマ様みたいに性別を固定されている方もいますけど……」
「なん…だと……」
うめくと、訝しげな視線を向けられた。
だが、そんなの関係ねぇ。咲夜の明晰な頭脳が無駄に空回転する。
つまり、美鈴は不器用な者が好きであり、自分は不器用であり、美鈴は人間となら結婚する妖怪であり、性別も変えられるので一生愛でられる可能性があり――。
人間頑張れば顔から湯気が出るものである。
「ちょっ、咲夜さん!?」
「あっ、血」
「くっ、すみません!」
妹様を床に降ろし、素早く手を伸ばしてきた美鈴の顔が接近してきて、上唇をペロリと舐めてきた。
ペロリと――
唇を舐めてきた――――
全身の血液が暴れ回り、脳味噌がスパークする。
両膝から力が抜けて行くと、顔に喰らいつくように長い舌が伸びてきた。
意識が途切れる。
その直前に聞こえたものは、「こ、こぁ、恐るべしメイドのブラッドサービスッ、自分の妄想で鼻血を出す人なんて久しぶり」という驚愕であった。
紅髪が揺れている。
『あなたはなに?』
『普通の人ですよ、咲夜さん』
『咲夜さん?』
『あなたの事です、十六夜さん』
『私の名前?』
『レミリア様にしか言われないというのも勿体無いでしょう。綺麗な名前だと思いますよ十六夜咲夜さん』
『……あなたは?』
『ふむ、初志貫徹ですか、子供は純粋だから厄介ですね。基本的に、私の名前は私の名前を覚えられそうな者にしか教えない事にしているんです。だから、紅髪、中国、紅、美鈴、化け物、そこの奴、なんとでも言ってください』
『わかった』
『それは良かった』
『あなたはなに?』
『ハァ、大きくなったら教えて上げますよ』
目を覚ますと、すでに夜の帳が下りていた。
自分が蒲団の中に居る事を確認し、休暇を貰ったというのに眠り続けた己に軽く失望する。
これでは何時も説教している門番と変わりないでは無いか。
上半身を起こし、館内にいるだろう自身の主人を意識した咲夜は首を傾げる。
禍々しい気配を放つレミリア・スカーレットが屋内にいない。左右を見回すと、あまりに自然過ぎて家具と見間違えんばかりの紅髪がいた。
ここが自室でない事に気がつく。
妖力の光が美鈴の手元に集まる。
「おはよう御座います、咲夜さん」
「私が寝ていて、あなたが起きている……異変の前兆かしら?」
「いえいえ、お疲れの様子だったので、身体の疲れがとれるまで眠って頂いたんです。だから、むしろ解決後の始まりの終わりでしょう」
「……感謝すればいいのかしら?」
「さあ? 私としては咲夜さんの器の大きさを信じるだけです」
「メイドの受け皿は小さいわよ」
美鈴は困ったように微笑み、「パチュリー様と小ちゃんは帰りましたし、フランドール様はお嬢様の部屋に突撃しに行きましたから……咲夜さんも色々と支度をした方がいいですよ」と肩を竦めた。
午前中の記憶が無いので、素直に感謝すべきなのかもしれない。
美鈴はゆっくり過ぎて、何時動いたのか判らない動作で動く。
「夕飯くらいは食べていきますか?」
「いいえ、妹様がお部屋に遊びに行ったのなら……」
遠くから爆砕音が聞こえてきた。
「お仕事がんばってくださいメイド長」
「あなたはサボらないようにね門番」
「出来る限りは」
銀時計に触れる前に、美鈴の後ろ姿を見る。
「貴女に憧れていた子供の気持ちを裏切らないでよ」
「へ?」
素で間抜けな顔をしている紅美鈴を見るのは、メイド長になった日に名前を聞いたとき以来だ。
それだけで得した気分になり、完璧で瀟洒なメイドは気持ちよく仕事に戻った。
次の休暇の予定はない。
相変わらず美鈴の性格がいい仕事です
咲夜さん可愛いなチクショウ
パチュリー先生はあんまり自己魔改造を施しちゃめっ!
そして咲夜さんが良い塩梅に真直ぐ乙女ティック不器用で流石です。
でも一番印象に残りやがるのは下連発小(しゃお)さんなんだぜこんちくしょう。
個人的にはむきゅ、むきゅ言って羽子板してるパチュリーに崇拝w
咲夜さんはまるで十代の少女のような可愛らしさをもっている。
ここで盛大に吹いた。男前のめーりんもいいなぁ
咲夜さん頑張れ、超頑張れ。
小悪魔の迸る発言とかパチュリーとか。
美鈴や咲夜さんの雰囲気も楽しく読めました。
面白かったですよ。
誤字などの報告です。
>転機は曇りなので~
正しくは天気ですよ。
>出来たない腕立て伏せを~
え~っと、これは「出来てない腕立て伏せを~」でしょうか?
以上、報告でした。(礼)
博麗神社にはないと思いますw
そしてこぁ自重www
でもそれが一ヶ所に集まると見事なハーモニーになるんですよ。
あと小悪魔は病院行け、脳の。
……羽根突きのシーンでポピー・ザ・ぱフォーマー思い出した。
とても妄想が膨らみますなぁ。
これはとてもいい作品。
秋と冬と春の話も待ってる
とりあえず小悪魔
もっとやれ
れみりゃといっしょ、をお待ちし続けております
とりあえず、軟膏塗られた幼咲夜さんと美鈴の房中術について語ろうか。
しかしパッチェさんの言葉を借りれば美鈴エロゲ主人公体質だなぁ。
しかも大抵何処のSSでもww
そして楽しい話をいつもありがとうございます。
いつまでも続き待ってます