最近、幻想郷が暗い。
幻想郷でも極少数の者しかその存在を知らない、とある場所。
その薄暗い一室で、妖怪の賢者達はそんなことを議論していた。
賢者とは言え妖怪である。「そんなもの祭りでもなんでもしてれば勝手に明るくなるさ」という考えは誰しもが持つところだが、しかし事態はそれ程
軽視できるようなものではなかった。
「新手の結界を張るのはどうか」
「『それ』のみを程よく防ぐものなど、都合が良すぎであろう。不可能だ」
「全く無用のものであれば、完全に遮断する等のことも可能なのでしょうが……」
「そうだな。今でこそこのような状況とはいえ……大元を完全に消し去ってしまった後の世など、拙らにも予想できぬ」
賢者達は頭を抱えていた。
現在、幻想郷にはある異変が起きているのだが、これは従来の様に博麗の巫女が解決するものとは大きく異なっていた。
どちらかと言えば周期的に起きる大結界異変に近い今回の異変は、しかしそれともまた、異なっている点が一つ。
それは放っておいても収まることはない、という点である。
賢者達はその解決に向けての会議を開いていたのだが、話は一向に纏まらない。
異変の原因は既に把握済み。しかし主犯格と呼べる個体が存在しないため、厄介なのだ。
賢者は皆、各々の間隔で溜め息を漏らし続けていたが、ある時、ふと一人の賢者が口を開く。
「……八雲紫、そろそろ起きないか」
その言葉で、賢者達の視線は瞬時に一点へと集中する。
机に伏していた紫はハッとして、慌ててよだれを拭く。
「……これは申し訳ありません。なにぶん、今は冬眠の時期でして」
紫は口元を隠し、おほほと愛想を振りまく。まるで悪びれた様子はない。
数人の賢者は「またか」と呆れ顔をして、また数人の賢者は「さすが」と言わんばかりにニヤリと笑う。
紫は前髪を整えながら、誰ともなく聞いた。
「それで……ええと、なんのお話だったでしょうか」
数人は睨みをきかせ、数人は口元を押さえて笑いを堪えるのに必死だ。
紫は寝ぼけ眼をこすりながら、睨みをきかせている一名の賢者を見つめる。
「……此度の異変の解決案に決まっておるだろう。小二時間は話したが、収束がつかん。八雲紫、貴様も何か良い案があれば……」
「ああ、それでしたらご安心を。既に解決の心算は付きましたわ。今日はその報告をするつもりでしたのに……私ったらうっかりさん」
けろりと言ってのける紫に賢者達は唖然とし、目を丸くする。
紫はそれを見て満足そうに微笑むと、空間の隙間から一枚の赤い布のようなものを取り出した。
「ん~~~っ!よく寝たわぁ」
「お帰りなさいませ…………寝た?」
腕をピンと伸ばしながら現れた主人を、藍は微妙な顔で迎えた。はて、たしか主人は異変に関わることで賢者の集まりに行った筈では。
紫は指を立てて、藍に軽く片目を閉じてみせる。
「細かいこと気にしてると老けちゃうわよ」
ああ、だから主人はこんなにも若々しいのか。
藍は皮肉たっぷりに溜め息を付く。
「……ところで紫様。例の異変に関して各所の妖怪達の動向を調べましたところ、やはり力の弱い者ほど増長傾向にあるようです」
「ご苦労さま。……まぁ、言ってしまえばそれは全くの『気のせい』に過ぎないのだし、厄介にはならないでしょう」
「そうですね。月があのような状態では、むしろ力を落としているというのに……。視覚に囚われながら、力の拠り所を見る眼は養われていないようで」
くいと夜空を見上げ、藍は息を吐く。
昼間は雲一つ無い快晴。本来ならば爛々と輝いている筈の十五夜の空には、靄のかかったような極薄色の月が、しかし異様な程に丸く、微かだが確かに浮かんでいた。
異変はかなり前から起こっていたらしい。
にも関わらず発覚が遅れたのは、異変は侵食するようにじわじわと、時間をかけて進行していたからである。
余りにも緩やかな広がりで、幻想郷の住人達は誰一人としてその異変に気付くことはなかった。
しかしここ数ヶ月でそのペースが急激に上がったことにより、それはほぼ全ての者の目に、明らかな異変として映った。
幻想郷の夜が、異様なほど暗い。
当初は通常の異変と同様、博麗の巫女が主犯である妖怪を抑えれば済むと思われた。
が、巫女や賢者らがいくら調べても、それらしい妖怪は全く見当たらない。
それに妖怪の力を高めると言われる月の光を完全とはいかなくとも遮断するなど、妖怪が起こすにしては不自然と言える点もあった。
何にせよ、このままでは妖怪達の士気が下がり、幻想郷の均衡が崩れかねない。異変解決は急務であった。
そんな時、賢者の一人である八雲紫はふいに「心当たりがある」と言い残し、隙間を通り単身外界へと赴く。
身勝手な行動だと咎める賢者もいたが、既にその場に紫の姿は無く。賢者達は仕方なく紫の帰りを待つことにした。
それから僅か三日後に、紫はふらりと帰郷。早速、数人の賢者達の質問攻めに遭う。
紫は疲れたように愛想笑いをして、あっさりと「異変の原因を突き止めた」と言ってのけた。
続けてその異変の詳細を話したが、それは俄かには信じられないようなもの。
しかし紫は静かに微笑んで、口癖のようにこう付け加えた。
「幻想郷は全てを受け入れる。何も不思議はないわ」
「しかし……紫様を疑うわけではありませんが、私には未だに信じがたいですよ。まさか外界から、闇そのものが幻想入りしてきていたなんて」
「あら、あなたも少しは頭良い方だと思ってたけど、やっぱりお堅いのねぇ」
手にした扇子でトントンと頭をつつき、悪戯っぽくニヤつく。
藍はムッとしたが、すぐにこの主人には自分など比ぶべくもないと頭を下げた。
紫が言うには、外界では現在、異常とも言えるほどの速度で文明が発達しているそうだ。
その煽りなのだろう。外界では陽が落ちようとも街は電飾で明るく照らされ、至る所で『宵闇』というものが無くなってきているのだという。
それらが徐々に幻想入りし、ついには月を隠さんばかりの闇が溢れかえったというわけである。
「視覚的な光は空に太陽がある限り、まず失われることはない。けれど視覚的な闇は、科学があれば容易に消し去ることが可能なのよ」
「わっ!………紫様、それは?」
藍の目に、眩い光が走る。驚いて腕をかざすと、主人の嫌な笑みが腕の向こうに見えた。この野郎。
聞くと、紫が隙間から取り出したそれは「懐中電灯」と言う外界の産物らしい。電気の力で自在に発光させることができ、さらに携帯も容易で便利とか。
もっとも隙間妖怪には「簡単に持ち運べて助かるわ!」なんて台詞は一生必要ないだろうが。
「光はこんなにも簡単に生み出せるのに、人は闇を生み出すことは出来ない…………いいえ、生み出そうとはしないのね。なぜかしら?」
「……それは、我々がここにいるのと全く同じ理由なのでしょうね」
「よく解ってらっしゃること」
紫は隙間に懐中電灯をぽんと投げ入れて、こくんと頷いた。
同時に紫は、懐中電灯と引き換えになる形で、何やら赤い布らしき物を取り出した。
藍はおや、と首を傾げ、紫がひらひらと見せびらかすようにする布切れを見つめた。
少しばかりまじまじと観察したところで、藍はぱっと顔を上げる。
「……式が書いてあるようですが?」
紫はこくんと頷いて、「ご名答」と微笑む。
「どうせなら可愛いほうがいいかと思ってね。……藍」
「え?……ああ、は、承知しました」
そう言いながらくるりと踵を返し、紫は大きく裂けた空間へと入っていく。
呼ばれて一瞬きょとんとした藍は、慌てて後を追った。
森は想像以上に闇に覆われていた。
妖獣という種族柄、比較的夜目が利く藍は、特に異変を強く実感する。自らの足元を見るのも精一杯とは我ながら驚きだ。
これでは「力を得た」と勘違いしていた夜行性の妖怪達ですら、まともに動けるのか疑わしい。
やや前方に立っている紫の背中も、目を凝らしてようやく見える程度。そこで藍は、ふと主人の視界を心配した。
「大丈夫よ。ほら」
「あ……。なるほど」
紫が少し脇にずれると、そこから微かではあるが、木々の間から光が漏れ出していた。
月はまだ完全には隠されてはおらず、青白い月光が妖しく反射している。
そこで初めて、藍は自分がかの紅魔館の側にある、霧の湖へと来ていたことを知った。
湖に映る月明かりを目指し、二人はサクサクと足元を鳴らしながら進む。
やがて森を抜け、視界にはやや明るい程度の湖が広がった。
しかし藍にはどういうわけか、普段よりも月が輝いているようにも見えていた。はて、と首を傾げる。
紫はそれを気にも留めず、ひょいと先ほどの赤い布を取り出した。
はっと我に返り、藍は慌てて問う。
「紫様。先ほどから気になってはいたのですが……それは、式札に間違いないですよね?」
「ええそうよ。可愛いでしょ?」
「はぁ……」
紫はその一風変わった見た目の式札の両端をつまんで、裏表を交互に見せびらかす。それは式札というか、リボンそのものだ。
式札とはその名の通り式神と契約するための札であるが、一般的には全く飾り気のない紙切れのようなものに式を埋め込んだものがほとんど。
こんな芸当も可能なのか、と藍は改めて主人に恐れ入る。ああ、出来ることなら我が式にも可愛いリボン型を付けてやるんだった。
「親バカの顔」
「あいたっ」
額をつつかれて、藍は思わず背を丸める。
ふと顔を上げると、紫は何やらそのリボン……もとい、式札を闇の中に浮かべた。
札は微かな明かりに照らされ、ふわふわと不気味に漂っている。
そこで起こり始めた現象を見て、藍は目を丸くし、そしてようやく主人のせんとすることを理解した。
「……闇を式に収束し、異変を解決するということですか。そしてこの場所なら隠れている月の力をも加算でき、効率が良い」
「遅かったから70点。……そうよ。これだけの闇が一つに萃まれば、式から洩れた闇はそのまま妖怪に具現化する可能性が高いし、そうなった場合には元が固体じゃない分
式札が目立った場所に取り付いてしまうのは避けられないから」
柔和な笑みを浮かべ、紫は札を見つめる。
札にはどんどんと闇が萃まり、徐々に目立つ赤色が見えなくなっていく。
代わりに薄明かりだった月は、みるみる明るさを取り戻しつつあった。久しぶりの明るい満月を、藍はどこか感慨深げに見上げた。
「――――月光燦然と輝くは、宵闇深きことと見たり……ですね」
ぽつりと、そんな言葉が口を付いた。
目を閉じて、紫は柔らかく頷く。
「人は光、妖は闇。なればこの闇の子は、幻想郷に招かれて然るべき」
藍が月から目を移すと、そこには子供一人分ならばすっぽりと覆う程度の大きさの闇が、球体となって萃まっている。
先ほどまで渦を巻いていたそれは、もうほとんどここに萃まりきったのだろう。
闇の球体は、しかし全く動く気配はない。藍は不思議そうに見下ろした。
「……紫様。これが闇の塊であることは理解出来るのですが、これは……つまり妖怪として具現化はせず、と言うことでしょうか?」
「ふふ、さぁ……どうかしら?」
「と、言いますと」
首を傾げる藍に、紫はニヤリといつものような不敵な笑みで返し、眼前に小さな隙間を展開させる。
普段ならそこに手を突っ込んで、何かを取り出す程度の大きさの隙間を、紫は少々前屈みになって覗き始めた。
よく解らないのは慣れっこだが、しかしどうも藍にはよく解らない。
ふと、紫はちょいちょいと手招きをして藍を側に来るよう促した。藍は、訝しげにそれに応じる。
主人は、妙ににこやかだ。
「どうぞご覧になって。藍だけに」
「は……。いや、真っ暗で何も見えませんが……」
隙間の中を覗くと、そこは真っ暗な空間。しかしそこは、普段から通り慣れている隙間の空間とは別物であることが解る。
藍はしばらく辺りを見回してみるも、夜目が利く利かない以前に、藍はまるで目を閉じたかのような感覚に陥った。
そこでなんとなくだが理解する。
「……この隙間は、そこの闇の中に通じているのですか」
「そ。何か見えた?」
「いえ……。全く光を通さないようで、私の眼には何も」
「あらら、残念でした」
隙間から顔を出すと、扇子で口元を隠す主人の嫌味な視線が目に付く。
しかしその様子だと、見えなかったのはお互い様では
「私?私はほら、明暗の境界をちょちょいと」
「左様で……」
憎たらしいというか、憎めないと言うか。
藍は大きく息を吐いた。気苦労も知れるというものである。
「可愛い女の子ですよ」
「は」
唐突に言うものだから、思わずおかしな声が漏れてしまった。
藍がぽかんとしていると、紫はくるんと身を返し、同時に大きな隙間を生む。
我に帰り、藍は慌てて問う。
「あ、あれ、紫様?これはどのように?」
月明かりに照らされる黒丸を指差す。
紫はまるでいつもの散歩にでも来ていたかのように、ごく自然に隙間へと半身を入れていた。
くいと僅かに振り向いて、クスリと笑みを零す。きょとんとした藍の顔が可笑しいからかも知れない。
「どうもしないわよ。もうやることはやったし、『その子』に伝えるべきこともさっき伝えた。後は妖怪なんだし、自力でなんとかしていくでしょう」
「……?? つまり、これは妖怪なのですか?いや、しかしそれなら、この闇の妖怪は紫様の新たな式神として活用すべきでは……」
「式という形式上で妖怪とは言え、この子は闇そのものから生まれた妖精の様なもの。良い働きは期待できないでしょうし、何より闇は広がるもの。
私のような一妖怪が、それを抑止するわけにもいかないからね。………藍、置いてっちゃうわよ」
「え……うわ、ちょ、待って!」
おぞましい空間の裂け目に、慌てて駆け込む藍。
立派な尻尾が挟まりそうになったが、間一髪で隙間に収まった。
隙間は音も無く閉じられ、残ったのはただ、闇だけ。
「……ふぁ、よく寝た……。……あれ?寝てた……?」
「ルーミア……。『光』とはまた、随分と皮肉ではないですか?」
満月がよく見える、八雲邸の縁側。
藍は茶を啜りつつ、隣に膝を崩して座る紫の顔を窺った。
紫はそれに、ニヤリとして応じた。藍も長年の慣れか、もう自分が九割がた論破される役回りになることくらいはとっくに解っている。
「さっきも言ったでしょ。表裏一体。むしろ闇に闇と名付けても、なんの面白味もない」
「まったく、紫様らしいと言いますか……。ところで、式札はどうでした?」
「ちゃんと頭に付いてます。それなりに強い結界を張ったから、本人にすら触れることはできないでしょうけど」
頭、と言うことは、あの闇の中に、主人は闇から生まれた妖怪を確かに見たのだろう。
あの球体はさしずめ母胎のようなものだったのか、と藍は納得する。
「しかし、闇をより強く留めるためにはやむを得ないでしょう。察するに、それが剥がれればルーミアとやらは、元通りの闇に融けてしまうのでは?」
「まず剥がれることはないと思うけどね。……藍、橙に伝えておいてくれる?」
「は、なんです?」
藍が顔を上げると、そこには主人のどこか懐かしい笑顔が広がった。
ああ、これは昔、幼い頃に見た覚えがある。
「仲良くしてあげなさい、と」
「はい、承知しました。……しかし」
「?」
「闇が橙の友達……ですか」
「……それもそうね。さすがは幻想郷……ふふっ」
「くくく……」
顔を見合わせて、二人は思わず笑ってしまった。
闇すらも受け入れられた幻想郷
これから先には、どんなものが受け入れられていくのだろう。
きっと、その全てが受け入れられていくのだろう。
「そーなのかー」
こういうタイプのは初めて見ました
なんか新鮮です
ルーミアの誕生設定として新鮮で面白かったです。
良きセンスに一票を。
総体としての人間は闇を恐れているのでしょうが、あとがきの作者氏の言葉を拝見する限り、
少なくとも部分的には好きでいるところもありそうですね。
妖怪という概念は畏れを形にしようとしたのかもと思っております。
ルーミアの正体は闇そのものとか、灯りが発達して夜の闇が幻想入りとか
考えてたことが一致しすぎて怖いくらい。
これが100年以上前の話なら、そろそろリボンを外しても消えないくらい
妖怪としてのルーミアの存在が固定されてるのかなー、などと妄想は膨らみます。
とても良い発想ですね。
キャラも可愛いし、とても優しくて素敵なお話だと思います。
お札がリボン式だという解釈…やるなあ。
妖怪の賢者たちの胡散臭さもさることながら、
作品全体にルーミアの胎動のようなものが感じられました。
ルーミアは大好きなキャラクターですので
これほど上手く描ききられた事に感服するやら嫉妬してしまうやら。
彼女が口を開いたのは最後の一文だけだというのに、不思議なものです。
登場人物の息吹が感じられる作品は素晴らしいなあと感じ入りました。
ええい、口惜しいが文句なしの百点です。もらってやって下さい。
毎回、あなたの発想を楽しみに読んでいます。
闇が幻想入りしてそれがルーミアになったというのは非常に上手いですね。
そして壮大でいてかつ読みやすい文章、お見事です
何より、ルーミア好きとしてこのお話は評価せざるを得ません。
文句なしで100点を送らせていただきます。
ルーミア誕生秘話として違和感無く受け入れられました。
ルーミアのリボンの話はいろんな説があるけどこれは初めてかもww
お札の解釈が凄くいい。よくある強大な力の封印説よりずっといい解釈だと思います。
あと文章も読みやすくてその場面を想像できるような臨場感がありました。
文章も読みやすくパーペキ!