私は暗い夜道を走っていた。
何度も後ろを確認しながら、時折転びそうになりながら、それでも私は死に物狂いで疾走を続ける。
逃げないといけない。
あの恐ろしい怪物から。
戻らないといけない。私の住む家に。
お母さんが待っているんだ。
もうすっかり夜だ。
薬草を採ることもできなかった。
でも今は家に帰りたい。
ここはどこだろう。里はどっちだろう。方向も分からない。
常闇から妖怪の声が聞こえるような気がする。
鬱蒼とした茂みの中から何かがこっちを見ている。
明かりなどどこにもなく、僅かな月明かりを頼りに私はひた走る。
私は帰らないといけない。
闇雲に走っていた私は、道端にある石碑に目が留まった。それはかすれて読みにくかったけど、
『博麗神社』
そう彫られているようだ。石碑の横では、長い石階段が丘の上へと伸びている。遥か上には鳥居が見えた。
この神社のことは知っていた。
なんでも、妖怪たちがたむろする妖怪神社だって噂だ。
里では誰も寄り付こうとしない怪しい神社。
でも住んでいるのは一応人間らしい。巫女さんが一人いるとか。
人間。
いつ妖怪が出てきて喰われるか分からない今の私には、それにすがるしかなかった。
石階段の脇には背の高い木々が生い茂り、ざわざわと嗤うように怪しく揺れる。宵闇と共に人間を飲み込もうとしているようだ。
「…………」
意を決し、私は長い石階段を上りだした。
荒い息づかいが妙に耳に響く。暗い足元に私は何度か転んでしまう。思わず手を突くとそこからじんじんとして痛みが響いてきた。
後ろを振り向いた。結構登って来たように思えたけど、案外それ程進んではいなかった。そして下から何か得体の知れない何かが這い上がってくる錯覚を覚える。
私は頂上に見える鳥居目指してまた登り始めた。
石階段はとても長かったけど、私はなんとか体力を振り絞って上りきった。鳥居をくぐり、慎重に神社を見渡す。
神社の境内には別に妖怪がうようよしているわけでもなく、ごく普通の神社に見える。やけに大きい賽銭箱が目に付いた。そして社内から明かりが見える。どうやら人がいるようだ。人、だろうか。人だといいな。
神社の周りを探っていると、裏手に玄関らしき引き戸を見つけた。
私はそれに取り付くように近づき、必死になって激しく叩いく。
「すみません! 誰かいませんか! すみません!」
今にもそこの茂みから妖怪が出てきそうだ。私は追い立てられたように叩き続ける。
少しして、中から女の人の声が聞こえた。「はいはい。一体誰よこんな夜更けに」などと言っているようだ。
今の私には人の迷惑を考える余裕は無かった。いつ喰われるかも知れない。
いつそこの茂みから妖怪が飛び出してくるかも知れない。
何度も戸を叩いていると、中の人は少々迷惑そうに引き戸を開けた。
「一体誰?」
現れたのは、妙な巫女服を着た女性だった。
歳は意外に若い。私より四つくらい年上のようだ。もっとおばさんかと思っていた。黒髪を背中まで伸ばしており、瞳も黒い。
変なのは何よりその服だ。何故か腋が露出している。破れているのかファッションなのか。
でもどうやら人間みたいだ。それだけで十分であり、些細な疑問は吹き飛んだ。
私は必死に訴える他無い。
「助けてください! 追われてるんです!」
「え? いや、あなた……」
困惑気味の巫女さん。確かに突然押しかけられたら迷惑かもしれない。悪いとは思いながらも、ここにすがる以外にもう何も考えられない。
「助けてくださいお願いします!」
「…………まあ、とりあえず入って」
促され、私は急いで神社の中へと入った。
引き戸が閉められ、大きく息を吐く。
「はあ……助かった……かも」
「……ほら、こっちよ」
「あ、は、はい」
案内されたのは、どうやら居間のようだ。中央にこたつが置いてある。そしてその上には蜜柑まで乗っている。食べかけなのか、花びらみたいに開かれた蜜柑の皮と中身まであった。
もっと堅苦しい本堂とかに案内されるのかと思っていた私は、ちょっと呆気にとられた。普通に生活感漂う部屋だ。
「ほら、とりあえず座って」
「は、はい」
言われるままにこたつに入ると、巫女さんは立ったまま何やらじっと私を見ていた。
初対面の私を警戒してるのだろうか。いや、こんな夜に来たので迷惑に思っているのかもしれない。
でも今から出て行けと言われても泣いてすがりつくつもりだ。とてもじゃないけど一人で里まで帰れない。
「あなた……お茶飲むの?」
「え? いや、あの、おかまいなく」
「……そう」
巫女さんはそのまま私と向かい合うようにこたつに入った。もしかしてお茶を出すか悩んでいただけなのだろうか。
「それで、どんな用かしら」
「は、はい! あの、追われてるんです」
「追われてる?」
「はい! それで…………あ、私、藤堂千佳と言います。人間の里に住んでます」
少し落ち着いてきた私は、自己紹介をしていないことに気づいた。折り目正しくしていなさい、と日頃からお母さんに言われていたのに。
巫女さんは少し溜息をつく。呆れられてしまっただろうか。しかしすぐに名前を教えてくれた。
「博麗霊夢よ」
「霊夢さん。私、追われて…………あ。あの、最初から説明しますね」
「まあ、そうね……」
いきなりこんなまくし立てても霊夢さんには訳が分からないだろう。
私はここに来るまでの経緯を話すことにした。
私はお母さんと一緒に人間の里に住んでいる。お父さんは小さい頃に病気で死んでしまった。暮らしは辛いけれど、私も近所のお店の手伝いをして家にお金を入れていた。
しかし先日、お母さんが持病で倒れてしまった。医者に診せるお金も無い。布団に横になって苦しむお母さんを見ていても立ってもいられなくなった私は、万能だという薬草を求めて魔法の森へ向かった。
しかしそこで私は恐ろしい怪物に遭遇してしまい、命からがら逃げ出した。気づいたときには見知らぬ場所。あてもなく彷徨っていたところでこの神社に辿り着いたのだ。
「もうこんなに遅くなって……早く帰らないといけないんです」
霊夢さんは困惑した様子で言った。
「……そう。でもね……」
確かにこんな夜中に押しかけられたら誰だって困るだろう。でも、
「こんな遅くに迷惑なのは知ってます! でも、お母さんが待ってるんです! 薬草も探せてないのに……このままじゃ、お母さん、死んじゃうかも……」
私は泣き出してしまった。
堪えようとしても涙が止まらない。駄々をこねる迷惑な子供だと思われたかもしれないけれど、抑えられなかった。
お母さんが倒れ、いても立ってもいられなくて飛び出した時、最後に見たお母さんの姿はとても苦しそうだった。あの姿が私の目蓋に焼き付いて離れない。
「う……うぐ、ぐ……」
「……………………」
霊夢さんはしばし無言でいると、やがて溜息をついて口を開いた。
「分かったわ。里まで送っていってあげる」
その言葉に、私は涙を拭いて顔を輝かせた。同時に悪いな、と思ったけれど、遠慮する余裕はやはり無い。
「本当ですか!?」
「ええ」
「ありがとうございます!」
その後、霊夢さんはすぐに支度をして出発となった。
玄関で戸締りを確認している霊夢さんに、私はおずおずと切り出す。
「あ、あの。お礼のほうは後で……」
「いらないわよそんなの」
「え……で、でも……」
「いいから行くわよ」
「は、はい。ありがとうございます!」
いい人なのかもしれない。巫女さんだからかな。巫女さんというものを余り知らないけれど。妖怪神社なんて単なる噂だったんだろうか。
この際だから気になることも聞いてみよう。話の種にもなるかもしれない、とも思っていた。
「あの……」
「なに?」
「どうして腋が出てるんですか?」
「………………」
霊夢さんは答えてくれなかった。
そのまま明かりを持って無言で歩き出す。
聞いてはいけないことだったのかもしれない。
その後、しばらく私達は会話無く歩いていた。
暗い道を歩いていると、途中何度か妖怪に遭遇したりもした。その度に私は霊夢さんの後ろに必死に隠れるのだけれど、この巫女さんの顔を見ると、みんな逃げたり挨拶したりして去っていく。
「なに? 私の顔に何か付いてる?」
「いえ……霊夢さんって、すごい人なんですか?」
「聞かれても……」
妖怪達の態度を見るに、みんなこの霊夢さんには一目置いているようだ。
意外と大物なのかもしれない。
こんな妖怪だらけの中で生きていける人なんだから、やっぱり普通じゃないんだろう。なんだか、とても頼りになる。
私はしばし霊夢さんのことを感銘の眼差しで見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
「着いたわね」
「ありがとうございます!」
迷う事も無く、私達は無事里へと辿り着いた。夜中なのか、もう人影も見られない。普段見ている昼間の景色とは違った光景に、思わずぞっとするような不気味さを感じる。でも間違いなく私の暮らす里だ。
安心したのか思わず涙が出そうになる。
「あ、あの。よければ家まで来てください。たいしたお持てなしはできませんけど……」
しかし霊夢さんはきっぱりと首を横に振った。
「ううん。遅いし帰るわ」
「そうですか……」
とそこで、霊夢さんは小さく溜息をついて言う。
「それより、明日行くわよ」
「え?」
「魔法の森よ。薬草探すんでしょ?」
「え!」
私は目を見開いて霊夢さんを見た。ほとんどどころか、正真正銘初対面である。なぜここまでしてくれるのだろうか。
信じられず、恐る恐る聞いてみる。
「い、いいんですか……?」
「あそこに詳しい知り合いがいるのよ。きっとその薬草についても知ってるわ。明日の九時、ここに迎えにくるから」
「あ…………」
いい人だ。
この人いい人なんだ。
妖怪神社なんてとんでもない。
「ありがとうございます!」
「うん」
霊夢さんは来たときと同じ軽い足取りで、妖怪の蠢く暗い夜道へと歩いて行った。
その後姿を、私は感動と感嘆をもって見つめていた。
これでお母さんは助かるかもしれない。
私は嬉しくなり、家まで走って向かった。足元に注意しながらひた走る。
到着すると、家には鍵が掛かっていなかった。きっと私が帰るのを待っていたんだ。
「お母さん! 遅くなってごめん!」
お母さんは布団を敷いて既に寝ていた。
持病で疲れていたから早く寝付いたんだろう。
起こしてはいけないと思い、私は慌てて声を潜めて枕元へ行く。
「お母さん……」
お母さんはすっかりやつれてしまっている。昨日とは様子がまるで違う。
病気がひどく進行しているんだ。
「う…………」
お母さんは眠ったまま、呻くように口を開く。私は思わず耳を寄せた。
「千佳……」
寝言でも私の名前を呼んでくれたことに、恥ずかしさを感じながらもどこか嬉しさも覚える。
「お母さん……」
必ず助けるから。
そこで私の意識は途切れた。
気づいたら朝になっていた。
どうやらお母さんの側で寝ていたらしい。
外を見ると、日差しが眩しく窓から入り込んでいる。活動を始めた人々の声が響いていた。
「あっ……」
時計はもう九時前を差していた。霊夢さんとの待ち合わせ時間が近い。
私はまだ寝たままでいるお母さんに「行ってきます」と小さく言い、外へと飛び出して行った。
お腹はすいていないし、それどころではない。
「霊夢さん!」
霊夢さんはもう来ており、村の入り口で待っていた。人々が珍しそうに巫女さんを見ている。そして霊夢さんはそんな注目を気にした様子も無い。
「お待たせしましたか?」
「ううん。行くわよ」
「はい!」
私は家の方角を見た。ここからは見えないけれど、お母さんが苦しんでいるような気がする。
お母さん。今薬草を取ってくるからね。
そして、私達は魔法の森へ向けて歩き出した。
◇◇◇◇◇◇
魔法の森は相変わらず鬱蒼としている。
まだ昼前だというのにどこか暗い印象を持ち、風でかさかさと揺れる草木がどこか邪悪な気配を発する。
毒となる瘴気が一日中漂い、人も妖怪も長時間滞在すると命の危険がある。
でも今はなんだか気分は悪くならなかった。聞くと、霊夢さんのお札の効果で瘴気を遠ざけられる、とのこと。
すごい。今度お札を買いに行こう。
なんで妖怪神社だなんて噂が立ってるんだろう。
「あなた、前はここに生身で来たの?」
「はい……その、すぐ帰ればいいと思って……」
「無茶もいいとこよ」
「すみません……」
私達は暗い森の道を歩いていた。
魔法の森は妖怪もおいそれと近づかないという話だったので、すぐに帰れば問題ないと思っていた。だから昨日、私は薬草を一人で取りに行ったのだ。
しかしそこにあの怪物は現れた。
「まあ、確かにこの森には妖怪ですらあまり近づかないけど、中には平気な奴もいるのよ。で? あんたが会ったっていう怪物はなんなの? 妖怪?」
「あ、はい。その、何か、大きな蛇でした」
「蛇?」
「はい。こーんな大きな」
大きく手を広げて見せると、霊夢さんはくすりと笑った。
私はちょっと恥ずかしくなる。子供っぽすぎただろうか。
「あ、あの……」
「いやいいのよ、よく分かったから。……それにしても大蛇ね。そんなのが住んでるってこと、あいつが言ってたかしら……」
「あいつ……?」
「この森に詳しい知り合いよ。今向かってるわ」
言われたとおり、少しすると小さな家が見えてきた。
黒と白を基調とした一軒屋で、正面に「霧雨魔法店」という看板が取り付けられている。
霧雨?
里にある大きな道具屋「霧雨店」と同じ名前だ。私もよく買い物をする。
まさかこんな所に支店が? でもあの道具屋で魔法なんて扱ってないはずなのに。
「あの、霧雨って……」
「ああ……」
霊夢さんは困ったように顔をしかめて言った。
「里の道具屋の娘なのよ、あそこに住んでるの」
「え? でも確か店主さんに子供はいない、って……」
「まあ、色々あってね……」
「はあ……」
里の道具屋とこの店は関係が無い、と霊夢さんは言った。
そして、どうやらあまり聞いてはいけない話題のようだ。それくらい私にも分かった。
「魔理沙ー。いるー?」
霊夢さんが呼びかけると、中から女の人の声と共にどたばたと音がした。
「いるみたいね。ちょっとここで待ってて」
そう言い、霊夢さんは了解も取らずに中へと入っていった。
一人取り残された私は少々不安になって、辺りを警戒しながら待っていた。
家の周りには何やら得体の知れない物が煩雑に積み上げられている。
ゴミなのかな。
それとも魔法の道具? それにしては余りに扱いがひどい。なんだか住んでいる人の性格が見て取れた。
少しして霊夢さんと一緒に扉を開けて出てきたのは、霊夢さんと同い年くらいの女の人だった。
まず目に入るのは長い金髪。
黒と白の服を着ており、頭にはとんがり帽子。更には手に箒まで持っている。
どう見ても魔法使いだった。
魔法使いと言ったら普通は妖怪の一種だけれど、この人は道具屋の娘なわけで人間のはず。
人から魔法使いになることもできる、って噂があるけれど、この人はそうなのだろうか。だから道具屋を出て……?
いや、今はそんなことよりも、薬草を探すのを手伝ってもらわないと。
「お前が……」
その人は目を細めて私を見ている。ちょっと怖い。
霊夢さんはなんて説明したんだろう。
折り目正しくしていればいい、というのはお母さんにおそわった事だ。私は頭を下げて自己紹介をする。
「あ、あの。藤堂千佳と申します。薬草を探すのを手伝ってほしいんです」
「……霧雨魔理沙だ」
魔理沙さんはしばし唸るように私を見ていると、帽子を取って頭をがしがし掻いた。
どうやら結構男勝りな人らしい。人形みたいに綺麗な外見をしているのに。
「まあ、分かったぜ。探すの手伝ってやる」
「本当ですか!?」
「ああ。さっさと行こうぜ」
「はい! ありがとうございます!」
実は良い人なのかもしれない。
私達三人は魔法の森へと繰り出した。
「それで? なんの薬草を探すんだ?」
暗い森の中を歩きながら、魔理沙さんが聞いてきた。
「あの、ユウトウ草という薬草がお母さんの持病に効くみたいで……」
「あれを? あれはたいした効果ないぜ」
「え!」
私は心臓が止まりそうになる。ユウトウ草が効かないなら、一体私はどうしたらいいのか。
「昔はすごい効果あるように言われてたけどな。今の流行はコミロ草とかミリクロ草あたりだな」
「流行り廃りがあるの?」
霊夢さんが首をかしげて言う。私もそんな薬草事情は初めて聞いた。
「もちろん。薬草業界も日々進化してるんだぜ」
「あ……あの、それでどの薬草を持って帰ったら……」
「まずはその持病とやらを詳しく説明してくれ」
「は、はい」
咳が止まらない、首が痛くなる、などのお母さんの症状を話すと、魔理沙さんはふんふんと頷いて言った。
「じゃあコミロ草を採って帰ろう。万能だからな、あれは」
「は、はい。ありがとうございます」
一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなりそうで良かった。
それに魔理沙さん。最初はちょっと怖いと思ったけど、まだ若いのにすごく頼りになる。意外と気さくな人だし。
霊夢さんの言うとおり、この人を頼って良かった。
◇◇◇◇◇◇
「さあてこの辺りから生えてるはずだけど……」
少し開けた場所に来て、三人で周りを見渡してみる。
まだ昼間だというのに、木のすぐ向こうには冥暗が広がっているようだ。
「危険な生き物もいるから気をつけてくれよ」
随分と奥地まで来たようだ。もう鳥の鳴き声も聞こえない。
私達はきょろきょろと辺りを見渡し始めた。
その時だった。
茂みが大きく揺れた。
そう思った次の瞬間、何かがそこから飛び出してきた。
「霊夢!」
魔理沙さんが叫ぶ。
咄嗟に霊夢さんが私を抱えて飛んだ。
「っ!」
離れたところに着地すると、私はそれを見た。
「あ……」
飛び出してきたのは、胴体の直径一メートル、長さ十メートルはある大きな蛇だった。
体は黄色と黒の縞模様。牙は鋭く、ぎょろぎょろとした大きな目で、舐めるように周囲の人達を見回している。
「ああ……」
あれは、昨日私が襲われたのと同じ奴。
「あ、あああの蛇です! あれが私を襲ってきて!」
「あれが……」
霊夢さんは私を離し、魔理沙さんと一緒になってそれと対峙した。
魔理沙さんが苦々しい表情で言葉を投げかける。
「霊夢、こいつは一岐大蛇だぜ」
「いちまたおろち?」
「八岐大蛇の下っ端みたいなもんだ。別に竜じゃないけどな。喰いもしないのに人を襲う迷惑な奴だ。最近この森に住み着いた厄介者だぜ」
「……成程ね」
霊夢さんはお札を取り出し、魔理沙さんは何やら八角形の板を構える。
あの八角形の、確か薬を作るための物じゃ……?
「千佳! 下がってなさい!」
「は、はい!」
霊夢さんに言われ、私は木の陰に身を潜めてその場を覗き込んだ。
二人の事を睨んでいた蛇は、すぐに霊夢さん目掛けて突進した。口を限界まで開け、大きな牙から涎が滴る。
「ふんっ!」
霊夢さんは上空へと飛び上がった。
蛇は勢い余って木に噛み付く。それは一気にへし折られた。
「飛んだ!?」
上空で静止した霊夢さんを見て、私は目を白黒させた。
巫女さんって、飛べるものなんだろうか。
見ると、魔理沙さんも箒に乗って空を飛んでいる。いや、あの人は飛んでいても違和感は無いけれど。
「さっさと決めるぜ」
そう言うと、魔理沙さんはあの八角形を蛇に向かって構えた。武器なのだろうか?
しかし次の瞬間、蛇が地面から二人目掛けて大口を開けた。その口から無数の火の玉が吐き出される。
「げえ!」
魔理沙さんは慌てて構えを解き、回避に専念する。
私ははらはらして見守るしかなかったけれど、二人とも悠々と火の玉を避けきった。
「こんなの普段の弾幕に比べればなんともないわね」
「まあな。スターダストレヴァリエ!」
魔理沙さんから無数の星屑がばら撒かれた。
「きれい……」
私はカラフルな星に思わず目を奪われる。
そして次の瞬間、地面に着弾した星屑が轟音とともに触れたものを破壊する。
「ジルルルルル!」
いくつかの星屑が当たり、蛇が苦しそうにのたうっている。
「霊符『夢想封印』」
今度は霊夢さんから大きな光の玉が数個発射された。それは蛇目掛けて殺到する。
「ジルルルルル」
蛇が不気味に唸る。
そして、その蛇に変化が起きた。
「え……?」
自身の体で輪を作り、なんとその大きな口で尻尾から自分の体を飲み込み始めた。
あっという間に頭まで飲み込み、とうとうその場から完璧に消え去る。
目標を失ったのか、光の玉は空中で四散した。
「な!」
霊夢さんと魔理沙さんが驚きで声を上げる。
滅茶苦茶な仕組みだった。
私は頭が混乱しそうになったけど、考える事を放棄する。
私達がきょろきょろと辺りを見渡す中、突如として、何も無い場所から巨大な火の玉が二人目掛けて放たれた。
「くっ!」
ぎりぎりで回避する二人。
「姿を消しやがった! 霊夢!」
「ええ。竜もどきにはもったいない技だけど」
そう言って、霊夢さんは札を掲げる。
「神技『八方龍殺陣』」
次の瞬間、霊夢さんの周囲から無数の札が発生した。
それは四方八方へと拡散し、更には大量の鱗みたいな弾と巨大な陰陽玉が宙を飛び交う。
空を覆うくらい幾重にも弾幕がばら撒かれた。
「ジウウウウウウウ!」
とうとうあぶりだされた蛇が姿を現す。陰陽玉が直撃し、木へと叩きつけられて横倒しになる。
「それじゃあ私も竜もどきにはもったいない技を」
そう言い、魔理沙さんが蛇の上空へと飛び出した。
あの八角形を真下に構え、にやりと笑う。
「星符『ドラゴンメテオ』」
直後、八角形から極太のレーザーが発射された。
断末魔のような蛇の叫び声が聞こえる。
レーザーは地面へと降り立ち、轟音と爆風を伴って大地を揺らす。
眩い光に、私は思わず目を細めた。
風で吹き飛ばされそうになりながら、必死に木にしがみ付く。
そしてようやく衝撃が収まったとき、そこには骨だけ残ったあの蛇の姿があった。
周りの地面は上の全てが消し飛んでおり、草一本残っていない。
地面は衝撃で抉り取られ、余波で周りの木までなぎ倒されている。
「すごい……」
私はそう呟くしかなかった。
二人が地面に降り立ち、私は慌てて駆け寄った。
「す、すごいです! お二人とも人間なんですか!?」
「そりゃ、まあ……」
「人間だぜ」
揃って苦笑いを浮かべられる。
ちょっと失礼だったかもしれない。
私は蛇の残骸を見た。
骨だけ残ったそれは、やがて崩れて落ちた。
「…………」
ぼうっとそれを見ていた私達は、気を取り直して薬草探しを再開した。
◇◇◇◇◇◇
「あった!」
しばらく一緒に探していると、魔理沙さんが地面に駆け寄り、薬草を引き抜いた。
一緒に探す、というより、薬草の外見を知っているのは魔理沙さんだけなので、私と霊夢さんは付いて行っていただけなんだけれど。
「それが……」
「ああ。コミロ草だ。私の家に帰って調合しよう」
「はい!」
私がほっと溜息をついていると、魔理沙さんは自分の箒を示した。
「それじゃ……千佳」
「え?」
帰りの道。
私は魔理沙さんの箒に乗せてもらって空を飛んでいた。
「わあ……」
風を一身に受け、それが格別に心地良い。
太陽はまだ高く、日の光で幻想郷は山まで綺麗に映えていた。
遥か向こうには人間の里や、丘の上の博麗神社が見える。
そして空から見る幻想郷は、普段では信じられないほど壮観だった。
「空を飛べるって、いいですね……」
「だろ?」
私は前に座る魔理沙さんをぎゅっと掴みながら言った。
こんな素敵な体験ができるなんて思ってもいなかった。
さっきまで死ぬかもしれなかったのに、そんな恐怖もどこかへと吹っ飛んでいってしまう。
「あの、魔理沙さん」
「なんだ?」
「良かったら、また乗せてくれませんか?」
「――!」
魔理沙さんはなぜか声を詰まらせた。
見ると、隣を飛ぶ霊夢さんも何やら苦しげな表情をしている。
気軽に乗せてほしい、なんて言ったのがまずかっただろうか。
「あ、あの。すみません。迷惑ですよね」
「…………いや、迷惑なんかじゃないぜ」
「え……」
「……また、乗せてやる」
私は思わず魔理沙さんに抱きつく力を強めた。
「ありがとうございます!」
「……ああ」
何故だろう。
魔理沙さんは、体に力を入れて震えているようだった。
寒いのかな。
その後、途中で霊夢さんが「ちょっと用事があるから、後で里に行くわ」と言って去って行った。
私達二人は魔理沙さんの家に行くと、あっという間に薬を調合して里へと飛んだ。
その時には、太陽は少し落ちかけていた。
◇◇◇◇◇◇
里に着くと、そこにはすでに霊夢さんが待っていた。更にはもう一人、女の人が隣にいる。
やっぱり霊夢さんと同い年くらいの白い髪の人だ。腰に二本の剣を差している。更におかしいのは、その人の側には何やら白い雲みたいな塊が浮かんでいた。
「あ、あの……」
「この子は魂魄妖夢。ちょっと知り合いでね」
「あ……藤堂千佳です。よろしくお願いします」
「……よろしく」
ちょっと無口で怖い人かもしれない。でも、その目はなんだか優しい。
剣を持っている点で普通怖いんだけれど、側の白い塊が全ての疑問を一身に集めていた。
霊夢さんが連れてきた人だから大丈夫なんだろう。
「さ、早く薬を持って行こうぜ」
「は、はい!」
妖夢さんのことを聞いている時じゃない。
私達は家へと向かった。
「ただいまー!」
私は元気よく家の引き戸を開ける。
そこでは、お母さんが後ろを向いたまま壁に向かって座り、じっとうな垂れていた。
家は暗く、明かりもろくに点いていない。
「お母さん! 薬を持ってきたの。飲んで。きっと良くなるから」
「………………」
お母さんは顔を落としたまま動かない。
もしかして無断で外出していたことを怒っているのだろうか。そういえば言づてもしていなかった。
二日続いて無断で外出し、しかも夜に帰ってきたらそれは怒られても仕方ない。
「あ、あの……ごめん……勝手に外へ出て……」
「………………」
「あ、その……お母さん、私……」
「千佳のお母さんだな」
見かねた魔理沙さんが話しかけてくれる。
私としては早くお母さんに薬を飲んでほしいので、魔理沙さんの気遣いがありがたかった。
「娘さんに頼まれて薬を取って来た。飲んでほしい」
「…………?」
お母さんがこちらを向く。その顔はひどくやつれていた。
たった数日でこんなにも病気がひどくなるなんて……。
一刻も早く薬を飲んで良くなってもらわないと。
薬を手渡され、お母さんは力無く魔理沙さんを見上げる。
「あなたは……?」
「霧雨魔理沙だ」
「……? …………霧雨店の……勘当された、娘さん……?」
勘当?
確か、親子の縁を切られる、ということ。
私は魔理沙さんを恐る恐る見上げる。
魔理沙さんの表情に変化は無い。
「……ああ。それより今は薬を飲んでほしい。娘さんはそれを探しに魔法の森へ入ったんだ」
「――!」
お母さんの表情が強張る。
私は怒られるかもしれない、と思って身を縮めた。
しかしお母さんは震えながら薬を見つめると、やがて口に運んだ。
何度か咳き込み、飲み干す。
薬を飲んでくれたことに、私はほっと溜息をつく。
お母さんはそして、体を震わせながら目に涙を溜め、震える声で言った。
「……こんな物のために」
「お母さん……ごめんなさい。でも私」
「こんな物のために娘は死んだんですか!」
え?
何?
お母さん?
死んだ?
誰が?
私の頭に手が置かれた。
見ると、妖夢さんが穏やかな表情で私を見つめている。
「あれを見るんだ」
促され、私はお母さんの向こうの空間を見た。
そこには小さな仏壇があった。
どうしてだろう。さっきまで何も無かったと思ったのに。
そしてその中央には、
私の写真が飾ってあった。
「あ……れ」
私は呆然と、唖然と、呆気にとられ、それを見つめていた。
「なん、で……?」
何かが流れる。
見ると、私の体を赤い液体がだらだらと流れていた。
「血……だ……?」
流れる元を手で探る。
それは私の首から出ているようだった。
そこを触ると、大きな穴が空いているのが分かる。
血はそこから流れていた。
「あ……」
そうだ。
私はあの森で。
あの蛇に襲われて。
逃げられなくて。
噛まれて。
「あ……ああ……」
「君が死んで十日になる。死体は、魔法の森の入り口で見付かったそうだ」
妖夢さんの言葉が、冷たい水のように私の中に染み入ってくる。
見ると、霊夢さんや魔理沙さんも苦しそうな表情で目を落としている。
そうか。
私は死んだんだ。
死んでたんだ。
なんで気づかなかったんだろう。
私は死んでたのに。
目の前のお母さんを見る。
ただ泣きむせぶお母さんを見る。
お母さんに私は見えてないんだ。
でも、
薬を見つけられて、
届けられて、良かった。
そっか。
私はこれがしたかったから、
薬草を探す事に必死だったから、
死んでることも、頭に入らなかったんだ。
私はお母さんを抱きしめた。
お母さんには分からないだろうけど、それでも強く抱きしめる。
「ごめんなさい、お母さん」
「う……うう……千佳……どうして……」
「ごめんなさい……」
心配かけて、ごめんなさい。
一人にして、ごめんなさい。
それからずっと、私はお母さんを抱きしめていた。
その中、お母さんが小さく「ありがとう」と言った気がした。
◇◇◇◇◇◇
「未練は無いか」
家を出た私達は、里の外れで向かい合っていた。
日はもう落ちかけ、夕日が赤く私達を染め上げる。
妖夢さんに言われ、私はこくりと頷いた。
「……そうか。これから君を彼岸へ連れて行く。そこで君は裁きを受ける。君は若い。おそらく転生を命じられるはずだ」
「……はい」
私は霊夢さんと魔理沙さんを見た。
二人とも難しい表情をしている。
二人とも、きっと最初から分かってたんだ。私が死んでるってこと。
それでも私の我侭に付き合ってくれた。
本当に、いい人たち。
未練なんてあるはずがない。この二人が最後にここまでしてくれたのに。
私はにこりと、笑ったと思う。
「お二人とも、本当にありがとうございました。おかげで私の願いも果たされました」
「……ああ」
「元気で……っていうのも変かしらね」
「お二人とも元気でいてください」
「……ああ、元気でいるぜ」
「そうね、元気でいるわ」
可笑しくなり、私は思わず噴き出した。つられて二人も少し笑う。
「あはは……魔理沙さん」
「なんだ?」
「私、忘れません。空から見た幻想郷を。この世界を」
「……ああ」
「それと…………親子は、やっぱり仲良いほうが嬉しいです」
魔理沙さんはぽかんとしていたけれど、やがて薄く笑って言った。
「……そうだな。そう思うよ」
「……おせっかいでしたね」
「いいや」
妖夢さんがきょとんとしているのが見える。
本当におせっかいだったと思う。何も知らない他人の私が言うようなことじゃないのに。
でも魔理沙さんは気にした風もなく笑ってくれる。
きっと私じゃ考えもつかないような苦労があったんだろう。
やがて、私は二人に手を振って別れた。
「さようならー」
二人も手を振ってくれた。
その姿が涙でにじんでぼやける。
きっと二人は笑顔でいてくれてる。
そんな気がした。
「妖怪の山の裏から三途の川へ行く。そこから彼岸へと辿り着ける」
妖夢さんに言われ、私はこくりと頷いた。
私達は妖怪の山へと歩いている。
正面に見えるそれは大きく、里のみんなからは危険な山として恐れられている場所だ。
そこへ向かって、私達は淀みなくしっかりと歩む。
太陽はもう落ちかけ、山も森も、人間の里も、幻想郷全体が赤く染め上がっている。
私はこの景色を頭に焼き付けておくように、ただじっと見慣れた風景を眺めていた。
抑え付けられていたかのように、私の感情が溢れ出す。
私が生きた幻想郷。
私が過ごした人間の里。
私が住んでいた家。
もう見ることも無いのかもしれない。
未練は無いと言ったけれど、それは嘘だ。
でなければ、こんなに涙が出るはずがない。
とその時、森から一匹の鳥が飛び上がった。
私はそれに目を奪われ、流れていた涙もその時ばかりは溢れるのをやめた。
その鳥は、優雅に、優美に、悠々と。
翼を広げ、さっきまで私もいた空を飛んでいく。
そうだ。
もしも何かに生まれ変われるなら、私はきっと――。
死んでいることに気づいている周りの人たちが温かくなるんですよね。
うんよかった