ゴーン、ゴーンと山の方から除夜の鐘の音がする。
あんたの家は寺じゃなくて神社だろう、と山の風祝に問いかけたが、ああ、あれはうちの神様が御柱をフルスイングしている音です、と返された。
それは冗談として、山の麓の方に、寺ではないが鐘があるらしい。里の人々もよくそこへ行くのだという。大晦日には除夜の鐘をついて年を送る。幻想郷でも日本古来から伝わる習慣は今でも続いている。そういう訳だ。
しかし、鐘の音が聞こえてくるのは境内の外れに居るからである。中に入れば一転、飲めや騒げやのどんちゃん騒ぎで鐘の音どころではない。
ここ数年、正月といえばずっとこんな感じである。年々妖怪が増えている気がする。
そして、妖怪が入り浸る大晦日の博麗神社に参拝客は来るはずもなく。
今頃向こうの神社では人で賑わっているのだろうと、遠い目で西の方を見ても、妬ましさがこみ上げてくるのみである。
・・・・・・馬鹿騒ぎすっか。
山の風祝は、自分の神社が忙しいからといって半刻程前に帰ってしまった。帰り際座布団を投げつけておいたが、それで気が晴れるという訳ではない。
さっきから魔理沙が私を探している。紅白弾幕合戦しようぜー、とか言って。
酒を飲みながら弾幕ごっことか冗談じゃないと思いつつも、こうして参拝客に溢れた神社を遠くから見ているこの状況も、あながち冗談ではない。酒を飲んで、暴れた方がまだ気もおさまる。こうして寒い中じっとしているよりは、幾分かマシだ。
箒を角に置き、足早に母屋に帰る。時折吹く強い風が、体を縮ませる。
途中後ろを振り返ったが、相変わらず人の気はない。
「レティ・ホワイトロックね」
一ヶ月位前だったと思う。突然神社に来たと思ったら、紫は空を見上げながらそんなことを言った。
「冬ねえ」
「だから?」
「寒くなってきたわねってこと」
淹れたてのお茶を飲みながら、適当に相槌を打つ。木枯らしが吹き、秋の終わりを告げようとするも、日差しがある分まだ暖かい。
そんな訳で、私と紫は縁側に座っていた。空を見上げると確かにレティらしき人物が、気持ち良さそうに飛んでいる。
「寒くないの?その格好で」
「もう慣れたわよ。毎年この格好だし」
「震えていない?良かったら私の胸で暖め」
「断る」
紫が抱きつこうとしたので、私は全力で突き飛ばした。こんなやりとりも、いつもの事なので驚きはしない。驚きはしないだけで、慣れないといえば慣れないが。
「割と本気だったんだけど」
「気持ち悪い」
「あら酷い。じゃあ次はこうしてやるわ」
「は?って、わひゃひゃ!ちょっわひゃっ!ひゃひゃっ!ゆかりっ!」
何だろう、いつもはここでおとなしく下がるのに、と思ったらいきなり腋をくすぐられた。スキマから腋のほうに手を伸ばしたと気付くも、時既に遅し。
「うひゃひゃひゃひゃ!もっ、ほんとっ、やめっ、ひゃひゃっ!」
軽く四半刻程くすぐられた気がする。最後の方は息をすることさえままならなかった。
博麗霊夢、一生の不覚である。こいつに腋を取られるなんて。
「どう?あったまった?」
紫が手を離す。
「はあっ、はあっ、あ、あんたねえ!」
あまりに腹が立ったので、服をわし掴みにしてやった。一発殴らないと気がすまないと思った。
「いやん、怖い」
「何しに来たのよ一体!」
紫はニコニコと笑顔を浮かべている。何を考えているのかわからない、そんな胡散臭い笑顔を。
私はその表情が大嫌いだ。なんとなく手玉に取られているような気になるからだ。
こっちは余裕がないというのに、対照的に笑顔で返す。
まるで全てを見透かされているような気分になる。そういうのが私は大っ嫌いだった。
「そんなに怒らないでよ」
「怒るわよ」
「何か今日怖いわー」
「気のせいよ」
紫の方こそ。
紫の方こそ、今日はやけに私に突っかかってくる気がする。いつもはこんな風にくすぐったりなんかしてこない。だから余計にさっきは対処できなかったのだけれども。
「初詣は、ここに来ようかしらね」
「いきなり何よ」
さっきくすぐられたせいで、若干服がはだけてしまった。実に恨めしい。
つっけんどんな声で返してやる。
「毎年ここに来ているんじゃないの」
「まあ、起きられたらね」
紫は空を見ながらそう言った。私はその意味を理解するのに数秒かかった。
レティ・ホワイトロックが空を飛ぶ。
もうすぐ冬がやってくる。
やってくるという事は、こいつはまた長い眠りにつく。
次の春がやってくるまで。
「ふうん」
「一応藍に話してあるんだけどね。初詣には行きたいからって」
だとすれば、今日こんなにやたらスキンシップをしてくるのは、さしずめ別れの挨拶といった所か。挨拶にしてはやけに悪質だけれども。
「淋しい?」
「何が」
「私が居ない間」
「別に」
淋しくなどない。来て欲しくないときに限ってこいつはやって来る。寝ている時に起こされたり、食事をしている時に割り込んできたり。おやつの饅頭を摘み食いしたり、入れた風呂に勝手に入られたり。
来ないほうが、寧ろせいせいする位だ。
「それは淋しいわねえ」
仮に、仮にそのことを置いておいたとしても、私は別に何も感じない。
確かに、何日も人や妖怪が来ないとき、つまらないと思うことはある。しかし、ここ最近は誰かしらやって来るし、一人で居たとしても、洗濯だの掃除だの、やることは沢山あるのでそう退屈はしない。
だから誰か一人が数ヶ月来なくなった所で、淋しいなどと思う筈も無い。
「折角これ持って来たのになあ」
紫が袋らしき物をスキマから出す。
「なに、それ」
「クリスマスプレゼント。一ヶ月早いけど」
「くりすますぅ?何ソレ」
「あら、知らないのね。西欧の行事の一つなんだけど。師走の終わり頃、子供たちの家に白ひげのおじいさんがやって来て、袋に入ったプレゼントを子供たちに配るの」
「白ひげ?」
「そう、白ひげ。それでこれはそのプレゼント」
紫から袋を渡される。何だかよくわからないが、貰っておける物は貰っておこうと思う。
袋を開ける。中に入っていたのは、白い手袋だった。所々桜の模様がついている。
「軍手?」
「んなわけ無いでしょ。これでも一生懸命作ったのに、酷いわ」
「冗談よ。あんたが作ったにしては綺麗じゃない。ありがとう、紫」
「あら」
紫は口に手をあてる。そして目を見開いてこちらを見ている。珍しいものを見るかのように。
「・・・・・・何よ」
「いや、やけに素直だなあって思って」
「貰える物は貰っとくの。そういう主義なの。知っているでしょ」
「そういやそうだったわね」
手袋をはめる。サイズはピッタリだった。
おそらく毛糸でできているのだろう。一見わからないが、よく見ると編み目が粗い所がある。はめてみると、思ったよりも暖かかった。
「肩が凝ったわー。久々にこんなものを作ったから」
「紫」
「何?」
「どうしてコレを私に?」
「なんとなく」
「ふうん・・・・・・じゃなくって。真面目に、ちゃんと答えてよ」
「貰っておける物は貰っておくものじゃないの?」
「そうだけど」
いくらなんでも、いきなり来られて、手編みの手袋を勝手に渡されては、どうしたものかと思ってしまう。こいつの事だ。何か理由がある筈だ。
「プレゼントよ。クリスマスの」
「それだけじゃ理由にならないわよ」
「クリスマスなら充分な理由じゃない」
くりすますなど訳のわからない単語を言われても、意味がわからない。お茶を要求されるか、菓子を要求されるか。それぐらいに私は思っていた。
「さっきの白ひげのおじいさんね、サンタクロースって言うの。サンタクロースはね、クリスマスの日に、良い子の元にプレゼントを持ってくるの」
そう言うと、紫は私の頭に静かに手を置いた。いきなりのことで、払いのける間もなかった。
「霊夢はいい子だから。だから、プレゼント」
「・・・・・・訳わかんない」
「いいのよ。わからなくて。私が勝手に送ったの。それに、貰っておける物は貰っておくんでしょ?」
「そうだけど」
そのまま頭を撫でられる。少しくすぐったかったが、何故か不快ではなかった。
ああそうか。これからこいつは居なくなるんだっけ。
今更になって実感が湧いてきた。
「初詣には、お年玉でも持って行こうかしら」
「子供扱いしないでよ。それに、お年玉貰うくらいならお賽銭が欲しい」
「どっちだって変わらないでしょう。相変わらず現金ね」
紫の手が離れる。風が急に強くなったような気がした。冬の訪れを告げるかのように。
「それじゃ、もう行くから」
紫は縁側から立ち上がる。
「行くの?」
「行って欲しくないの?霊夢ってばやっぱり淋しんぼ」
全てを言い終える前にどついておいた。
照れ隠しなどではない。決して無い。
「いたた・・・・・・もう乱暴ねえ」
「あんたが変なこと言うからでしょ」
「まあ、それだけ元気なら大丈夫ね。この冬も」
「余計な心配しなくたって、平気よ。私は」
そうだ。心配されるような義理は無い。必要もない。
コタツは出した。
布団も冬用の奴に変えた。
結局あまり変わらなかったが、衣替えもした。
母屋の壁も厚いものに取り替えておいた。
食糧なら蔵に沢山残っている。保存の利くような物ばかり。勿論酒も。
それで無くたって、週に一回は里に買出しに出かけている。
炭も薪も、腐るほどある。だからこの冬も大丈夫だ。
「それじゃまた三月に・・・・・・いや、違うわね。初詣行くって言ったものね」
「起きられたらでしょ」
「起きるわよ」
「別に無理して来なくたって」
「行くわよ。決めた。今年は行くわ。三月に願かけたって、叶う望み薄いもの」
「あんたが願掛け?」
「そう、願掛け。幻想郷が今年も平和でありますようにっていう願掛け。それと」
「それと?」
私が聞くと紫はニヤつきながらこちらを見る。
「何よ」
「別に。あんまり人に話すと願い事は叶わないものね」
なんなんだ一体、と思ったが、ここで突っ込めばまたからかわれるに決まっている。気にしない振りをすることに決め込んだ。
「それじゃ、霊夢。いい子にしているのよ」
「だから!子供扱いするなって言っているでしょう!」
――――――よいお年を
そう言って、紫はスキマに消えていった。私は手袋をはめたまま、しばらく縁側に座っていた。
「酒だ酒ー!」
「あけましておめでとー! 霊夢!」
「あけましておめでとー!」
「いや、まだ明けてないし」
母屋に戻ると、魔理沙と萃香が肩を組んで杯を交わしている。既に出来上がっているようだった。
大部屋には幽々子がお腹すいたと妖夢の魂を食べている。妖夢は必死に何かを叫んでいる。
永遠亭の亭主がそれを見て大笑いしている。兎は一生懸命働いているようだが、永琳のメロンにつかまり、窒息しそうである。
参拝客が来なくても、うるさいぐらい賑やかだ。
「飲むかー、霊夢」
「頂戴」
私は萃香が持っている徳利を奪い取り、中の酒を飲んだ。
「おー」
「いい飲みっぷりだぜ霊夢」
喉が熱くなる。腹に酒が染み込んでいく。そのまま頭まで回るのに、そう時間はかからないだろう。
「ぷはーっ、ありがとう、萃香」
「おーって、ええ!? 全部飲んじゃったの!?」
「おいしかったわ。ご馳走様」
「そんなあ、ひどいよう霊夢。地底の特産品だったのに」
萃香は涙目になっている。飲んでも湧いてくるいつもの物かと思ったら、いつまで経っても中身は出て来ない。
「何?あんたのいつもの徳利じゃなかったの?」
「ちがうよおー、もー。お気に入りだったのにー。あとで勇儀に貰いに行かなきゃ」
「というか霊夢、その徳利の残り全部は飲みすぎじゃないか?」
「うっさい魔理沙」
肩を組みながら瓶をラッパ飲みしているような奴に言われたくはない。
飲みたい気分なのだ。それに、酒には強いほうだと自負している。
「それより弾幕やるんでしょ。ホラ外行った!」
魔理沙を外に追い出す。
それにつられて中で馬鹿騒ぎしている奴らも、何事かと顔を出す。
「弾幕ごっこか!?」
「おお、毎年恒例の」
「今年はどっちが勝つと思う?永琳」
「白」
「じゃあ私は赤」
「賭け事なんて不遜ですって」
「いいじゃないの、妖夢。酒のつまみに丁度良いわあ」
私と魔理沙は、大勢の妖怪共がはやし立てる中、神社の上空へと上がった。
冬の空は澄んでて寒いが、酒が入っている分、幾分かマシだ。
山の方を見ると所々に灯りが灯っている。除夜の鐘に続く道なのだろう。
里の方も明るい。今夜はどこへ行ってもどんちゃん騒ぎだ。
湖に浮かぶ紅い館も、なにやらギラギラしている。
かうんとだうんをするんだとか何とか言っていた気がするが、よく覚えていない。
前方に魔理沙が見える。憎たらしい笑顔は健在だ。
「まー、なんだか妙な始まりだが、紅白弾幕合戦といこうぜ、霊夢」
「紅は私、白はあんたってこと?」
「そういうことだ」
「あんたには黒の方が似合うと思うけど」
「はっはっは。知ってるか?霊夢。外の世界じゃ今年は白が優勢なんだぜ」
「人の話聞いてねえし」
星の弾幕が夜空に広がる。どれが本物でどれが弾幕の星だかわからない。それぐらい沢山の星が隙間なく埋め尽くされる。
遅いものと早いもの。色々組み合わさって、それがまた嫌らしい。
だけどそう簡単にはやられるつもりはない。勝負を受けるか受けないかは、気分によって変わるが、受けた勝負に負ける気はない。
案外自分も魔理沙と同じぐらい負けず嫌いなのかもしれない。
「夢想封印・集!」
「いきなり苦手なのが来たぜ」
札は魔理沙を追いかける。相変わらずすばしっこい。それが仇となることが大半だが、最近ではもっと先を読めるようになってきたみたいだ。噂じゃ近所の魔法使いに戦いにおける頭脳の大切さをみっちり教わったとかなんとか。
スペルカードを切るのと同時に、星と星の間を潜り抜けていく。
思えば去年の大晦日も、こうして弾幕ごっこをした気がする。
こっちは新年の行事だとか、里への挨拶だとか、神社の整備だとかで疲れているのに、毎年つっかかって来るものだから困る。
そこで乗ってしまう私も私だなんていう突っ込みは、夢想封印で黙らせておく。
「こっちの紅白はどっちが勝つのかしらねえ」
「さあねー。てか紅黒の方が似合う気がするけど」
「紅白は紅白よー。紅白弾幕合戦。いい響きね」
外の風は冷たい。ナイフで切り裂かれるみたいだ。弾に当たることより、こっちの方が案外痛い事かもしれない。
お酒のせいか、動いているせいか、それでも体の中は熱い。
「酔いは回ったか! 霊夢!」
「あんたこそ!」
だんだん頭にまで酒が回ってきているのがわかる。さっきから魔理沙が二人にも三人にも見える。どれが星でどれが札だか、わかったもんじゃない。それも年越しの余興の醍醐味ってやつだ。勘さえ頼ればきっと何とかなるだろう。
「スターダストレヴァリエ!」
ふわふわ、ふわふわ。戦いの最中だってのに、やけに気分がいい。
大きな星に小さな星。
左か右か・・・・・・よし、右に行こう。その次は下だ。斜め37°上がって、ぐるりと一回転。
かすれたところが夜風に当たってヒリヒリする。それだけが唯一意識を繋いでいる気がする。
「くっそー! 完全に酔っているくせに更に動きが良くなってやがるぜ!」
「くっくっく」
「何がおかしいんだ、霊夢。え!?」
「夢想封印・酔」
「なんだそりゃああ!」
あっはっは。愉快、愉快。
魔理沙の奴、さっきから同じところをぐるぐる回転している。どれが本物の魔理沙だかわからないけど。
笑いたくてしょうがない。酔っ払っている証拠だ。
「くっそー、酔っ払っているせいでクラクラするぜ! 飲みすぎた!」
「まりさあー、元気ぃー?」
「んのヤロォー!」
「こっちの世界じゃ紅が優勢ね」
「?あっちじゃ白が優勢なの?」
「ええ。白の勝ち。あ、もうすぐ日が変わるわねえ」
「へぇー。それでさ、紫」
大きな星をかわすと急に視界が開けた。息を切らした魔理沙が3人位いる。
どうやらまだ当たっていなかったようである。それもそうか。酒に弱いとはいえ、相手は魔理沙。やたらしぶといのだ。
「はあ、はあ。まだまだだぜ、霊夢。アースライトレイ!」
「酔魔陣!」
「だからさっきから何なんだよそれは!」
そうだ。そうこなくっちゃ。
体がぐるぐる回るぐらい酔っ払っても、まだ足りない。
汗をかくぐらい動き回っても、まだ足りない。
毎年のように行われるどんちゃん騒ぎ。酒にうまい料理。参拝客は来ないが、その代わり賑わいの絶えないこの神社。
何が足りないのかわからない。だけど、こうして動いて酔っ払えば、少しは気が紛れる。
気が紛れるなら、それでいい。
「なぁに?萃香」
「冬眠中じゃなかったの?」
「ああホラだって、約束しちゃったし、お年玉」
「お年玉ぁ?」
「それと、願掛けにね」
何の気を紛らわしたいか。なんでこんなにイライラしているのか。そんな事考えている暇もない。考えてたら負ける。今年の弾幕合戦は白の勝ちだ。
売られた喧嘩は買うのが主義だ。買って、ついでに勝つのが主義だ。
だから今は、酔いに任せて余計な事は全て頭の中から払いのけてしまえばいい。目の前に迫る星を、ただ避ければいい。
ふと、下の方を見た。
なんとはなしに、目に入ったからだ。
ギャラリーが何人かいて、こちらを見ていた。アリスが魔理沙に向かって何かを言っている。勇儀はひたすらはやし立てている。幽々子は大福を食べている。妖夢は隣でやれやれといった表情をしている。ちっこい妖怪兎が、紅か白か、さあどっちだ、とか言って、賭け事をしている。永遠亭の主達はそれに乗っている。その横で、萃香と紫が、酒を飲み交わしている。
「起きられたらね」
頭の中に、あいつの声が蘇った。頼んでもいないのに、あの日のことが思い出されていく。
「起きられたらでしょ」
「起きるわよ」
「別に無理して来なくたって」
「行くわよ。決めた。今年は行くわ」
そんな事言われたって、信用ならない。どうせ忘れて次に起きたときには春なんだろう。
来ない。絶対来ない。
そう思ってずっとここで見張ってきたのだ。それで春になったら言ってやるつもりだった。
やっぱりあんたは寝てばっかじゃない、と。
3月に願掛けしたって遅いんだと。
それが、どうして、どうしてここに。
ああ、まずい。そんなこと考えている場合じゃない。余計なことは頭の隅から追い出せ。
どうだっていいじゃないか。紫の事なんて。
紫がどうしようと、私には関係ない。関係ないんだ。こんなことを考えている場合じゃないんだ。
今は戦っている最中だ。集中しろ、集中しろ!
「もらったぜ!」
「え」
魔理沙の声がする方へ振り返る。
目の前に星が迫っていた。
まずいと思いきや、ぎりぎりかわせる範囲だった。いつものように避ける。
だけどここで気が付いた。顔じゃなくて、腹に何かが当たっている事に。
角張っていて熱い。星の形をしているようだった。
しまった。さっきから弾幕の事を気にしていなかった。あれだけ余計なことを考えるなと言い聞かせたのに。
こんな形で終わるだなんて、不本意にも程がある。
「今年は白の勝ちだな!」
落ちていく瞬間、世界が逆さになったように見えた。母屋の方を見れば、あーあ、だの、賭けに勝っただの、色んな声がする。その中で只一人、目が合った人物が居た。心配そうな表情だった。
地面すれすれで札を撃ち込む。不時着は成功した。それでも衝撃は全身に走った。
弾に当たった所が痛い。
上を見上げれば星と月。そして箒に乗った魔法使い。
ニヤけた顔で笑っている気がして、すごく腹が立った。
「明けましておめでとうだぜ。今年は幸先いいな」
「・・・・・・」
「ああそれと、弾幕勝負の最中に余所見は禁物だぜ。いくら気になる奴が居たからってな」
あとで十倍殴っとこう。そう心の中で誓った。
ゴーン、ゴーンと除夜の鐘の音がする。
酔っ払った頭でも、疲れた体でも、それだけはわかる。冬の夜風と冷たい地面が、火照った体を冷やしていく。
どれぐらいそうしていただろうか。魔法使いは夜空から消え、どんちゃん騒ぎに戻る。観客たちも皆、寒い寒いと言いながら、中に入っていく。
それでも私は、何故か起きる気にはなれなかった。
「惜しかったわねえ」
一ヶ月ぶりに聞く声だった。その声を聞くと、心地いいような、癪なような、何ともいえない気持ちになる。おそらく両方なのだろう。
「・・・・・・何しに来たのよ」
「初詣」
「ふうん」
私は地面に寝転がったまま、返事をする。
「風邪引くわよ」
「うん」
「うんって、その格好寒くないの?」
「もう慣れた」
「一ヶ月前も同じ会話をした気がするわ」
一ヶ月。だけどその一ヶ月、こいつはずっと寝ていたわけで。
一ヶ月の実感があるのかと問いたくなる。こっちは起きて顔洗って洗濯して食事して、やってくる妖怪どもをやっつけたり、雪が降っては雪かきしたり。色々大変だったというのに。
「せめて、起き上がるぐらいしなさいよ」
ため息を吐きながらそう言ってくるので、私は無言で手を差し出した。
「起こせっていうの?」
疲れて返事を返すことすら面倒だった。
そもそも私が負けたのは全部こいつのせいなのだから、それぐらいして貰ったっていいだろうと思う。
ずっと手を上げていたら、いい加減観念したのか、紫はため息をつきながら私の手を引いてくれた。
握った手がほんの少し冷たい。そんな気がした。
「中に入らないの」
「どっちでも」
「ねえ霊夢」
見上げると、なにやら心配そうに、紫がこちらを見ていた。
「その、ごめん」
「なにがよ」
「さっき負けたのって、もしかして私のせい?」
とりあえず、座った姿勢からぶん殴っておいた。
どこをどう思えばそういう思考に至るのか、本当にわからない。
「気が散っていただけよ。酔っ払って」
「痛い。ひどいわ。一ヶ月ぶりに会ったっていうのに」
「あんたが変な事言うからよ」
正直に言ってしまえば、図星であることが癪だった。なんでこいつの事をあの時考えてしまったのか、悔やんでも悔やみきれない。来るはずのない人物がそこに居た。それだけで面を食らうこともあるが、それとはまた違う気がする。
理由なんてわからない。わかりたくもない。
「ちゃんと来るって言ったでしょ、初詣」
「だから別に」
「ついでにお年玉と、願掛けにね」
紫はしゃがみこんで、私の頭を撫でる。秋の終わりにそうしたように。
相変わらずくすぐったかったが、何故か嫌だとは思わなかった。
「明けましておめでとう。今年もよろしくね、霊夢」
「・・・・・・よろしく」
優しい声に恥ずかしさが込み上げてくる。なんとか返事をしたけれど、相手に届いたかはわからない。
「お年玉、ちゃんと持ってきたから」
「そんなの頼んだ覚えはないわよ。お賽銭の方が良いって言っているでしょ」
「そう言わないの」
ふわりと暖かいものが首に巻きついた。
何事かと思って手に取ってみれば、毛糸でできたマフラーだった。
色は白。桜の模様に、ところどころに編み目が粗い所がある。
「なにこれ」
「お年玉」
「だから子ども扱いしないでってさっきから」
「私にしてみれば全然子供なんだけどねえ」
紫はくすくす笑いながら、私にマフラーを丁寧に巻いていく。その様子を黙って見ていた。
これでは返そうと思っても返せない。
「はい、出来た」
「・・・・・・」
「これで少しは寒くないでしょ」
「そうだけど、こんな勝手に」
「私が居ない間、貴方が風邪引かないように。これでも心配しているんだから」
「必要ないわよ。だってここまで風邪ひいてないんだし」
「そんな事言って。魔理沙から聞いたわよ? 大寒の頃あの霊夢が熱出して4日ぐらいずっと世話していたって」
「ああもう! んなことは過去の話じゃない! 確かあの時は冬用の布団を出し忘れていたのよ!」
「そんなんだから心配になるのよ」
心配、心配って。
いい加減にして欲しいと思った。だから、弾みでつい口走ってしまった。
「だったらこんなものくれないで、ずっとここに居れば」
いいでしょう。
最後まで言い切るより早く、自分がとんでもないことを口走っていることに気がついた。
はっとして口をつぐむ。けれどももう遅い。
今私は何を言った?
ずっとここに居ればいい。言葉を返せば、ずっとここに居て欲しい。
いや、ない。ありえない。
「ち、違うから、今のは」
今のは言葉の弾みというやつだ。無意識の内につい・・・・・・って違う。無意識などといったらそれこそ本当にこいつに会いたかったみたいじゃないか。かといって意識的に言った訳じゃない。絶対違う。ああもう、何を言っているんだ私は。
何かの間違いだ。そんなことを思う訳がない。
たかだか一ヶ月会わなかっただけで、淋しいなんて思うはずもない。
「霊夢」
紫がまっすぐこちらを見ている。わかってはいるけれど、目が合わせられない。
どうしてこいつといると、訳がわからなくなるんだろう。
憎たらしいのに憎めない。
うざったい筈なのに、居なけりゃ居ないで腹が立つ。どうしようもなく腹が立つ。
「ごめんね」
ああ、やっぱり。
やっぱり私は、こいつが大嫌いだ。
時々こんな風に優しく話しかけるこいつが、私は大嫌いだ。
「初詣が終わったら、また眠りにつかなきゃ」
用もないのに、出てくるこいつが大嫌いだ。
頼んでもいないのに、謝るこいつが大嫌いだ。
許していないのに、勝手に抱きしめるこいつが大嫌いだ。
「不便な体で嫌になっちゃうわ。こうして貴方を抱きしめることもしばらくできないし」
「・・・・・・私は頼んでない。離れてよ」
「嫌よ。だって霊夢寒そうだし、しばらくまた会えないんだし」
「離れてってば」
「意地張らないの」
「張ってなんかない」
「まあ別にいいんだけどね。私がこうしたかっただけだし」
来ないとおもったらひょっこり現れ、現れたと思ったらすぐ居なくなる。
そんなこいつが大嫌いだ。
だけど、そんな風に思っても、引き離すことはできなかった。腕のなかで暴れても、すぐに押さえられてしまう。背中を叩いても無駄だった。押し返しても無駄だった。
暖かさが心地いいなんて、思いたくもないのに。
「初詣に行きましょうか」
そのままの体制で、紫は言う。そういえば初詣の為にここに来ると言っていた。
こんな風に起きていること自体が異例なんだろう。
「行ってくれば」
「あら、つれないのね」
「寒くなってきたのよあんたが変な事するせいで。私は母屋に戻るから」
「あらそう」
紫は抱きしめていた腕を離し、立ち上がる。そして私の前に手を差し出す。
紫に手を引かれながら、ようやく私は立ち上がった。
名残惜しい、などとは思わない。少しだけホッとしていた。これ以上こいつといると、頭が混乱して滅茶苦茶になりそうだった。
自分の気持ちがわからない。どんな感情をこいつに抱いているのかわからない。
だから、できれば出直したかった。出直して答えを見つけたらその時は、まっすぐに向き合えるだろうから。
「次に会うのは3月の終わりね。それまで元気にしているのよ」
「あんたに言われなくたって、私は元気よ」
「そう。ならいいんだけど」
紫は傘を広げる。雪も降っていないのにも関わらず。
「またね。霊夢。また三月に」
そう言うと、そのまま神社の表の方へ歩いていく。
私は追いかけなかった。
これでまたしばらく会うことはないんだろうとわかっていても、追いかけようとは思わなかった。
紫の姿は段々小さくなって、向こう側に消えて行く。
吐く息が白い。
首に巻いた温もりだけが、ここに残っていた。
「お賽銭入れたってねえ、あんたの願いは叶えないわよ!私は!」
思わず叫ぶ。
だけど、人の居なくなった神社の裏手に、返事をする声はない。
除夜の鐘は未だに鳴り続けている。とうに108回を超えている。
母屋からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。どんちゃん騒ぎでもしてるんだろうか。
霊夢、霊夢はどこだなんて声がした。
魔理沙が酔っ払っているんだろうと思った。
そういえばまだ宴会は続いているのだった。
夜風が冷たい。
雪でも降るのだろうか。
貰ったマフラーを首にしたまま、一人、母屋の宴会場へと帰った。
誰かがそこに居たような気がしたけれど、私は振り返らなかった。
今年もゆかれいむ最高!な一年になりそうです。
一箇所誤字がありました
上から六行目・・・博「霊」神社→博「麗」神社
やっぱこの二人は良いですよね!
だいじょぶですよ霊夢さん、何があっても妖しいスキマがクロスして何度も巡り逢わされますから。
>「賑わいの耐えない」→「賑わいの絶えない」ではないかと。
ゆかりんのやさしさがいい
>アースレイトライ→アースライトレイ。もしかして酔っぱらってることを強調するためわざとしたとしたらごめんなさい。
>「ついでに買って、勝つのが主義だ」→「買ったついでに勝つのが主義だ」「買って、ついでに勝つのが主義だ」とかのが文法的に良くないです?
まあ、そんなことはどうでもいいですゆかれいむ最高!!!1!1
誤字多すぎ反省します。ご指摘ありがとうございます。
旧年中は大変お世話になりましたゆかれいむ。
今年もまたどうぞよろしくゆかれいむ。