「んふ~」
「…………」
すりすり
妹紅は混乱していた。
「んむ~」
「…………」
すりすり
どうしてこんな状況になっているのか訳も分からなかった。
しかし自分はちゃんと自分の部屋で、自分の布団で、自分の枕に頭を乗せて眠っていたことを確認して安堵する。したまでは良かった。
「うみゅぅ~……」
「…………」
すりすり
しかしこの、さっきから自分の背中に頭をすりすりしている――自分の布団に図々しくくるまっている宿敵は何のつもりなのか。ていうかすりすりすんな。
「ってかなんでお前が私の家にいるんだよ――ッ!!」
ガー! と布団を跳ねのけ立ち上がった妹紅は、自分の腹に回されていた腕から無理やり脱出し、ものすごい勢いで天井にへばりついた。お前はイモリか。
そこでようやくむくりと起き上った、先まで妹紅の布団で背中をすりすりしていた黒髪の少女――蓬莱山輝夜。妹紅の宿敵にして、彼女を不老不死にした張本人とも言える少女。
その輝夜は妹紅を見上げるや否や、突如ウルッとした瞳を妹紅に向け(久々に鳥肌が立ったと妹紅は語る)、小さく呟く。
「……永琳と喧嘩したの」
「お前今月何回目だ」
「永遠と須臾を生きる私にとって過去なんて小さなことよ」
「よーし分かったお前をふんじばって永遠亭までご案内してやる。喜べてるよ」
「嫌よ。絶対帰らないもん……えーりんのアホー、死んじゃえー」
布団から這い出たと思ったら畳の上に寝転がってしまった輝夜の前に着地し、妹紅は腰を下ろす。寝ている間に寝違えたのか、少々首がだるい。気だるい首を捻りながら、小さく溜息を吐いた。
永遠亭の主蓬莱山輝夜と、その従者八意永琳が喧嘩をすることは、そう珍しいことではない。……自分が寝ている間に布団に潜り込んでくることも、さして珍しくもない。
今月で何度目か――もうそろそろ二桁に到達しても驚かないと思うほど日常的に、家出騒ぎ(と布団潜り込み事件)は頻発していた。
「で、今度は何をした?」
今回の輝夜家出の理由。毎度毎度馬鹿げた理由(以前はジグソーパズルのピースがひとつ無い、だった)に頭を抱える妹紅だが、輝夜の口からまともな理由が出ることをほんのちょっぴり期待もしていた。
だがやはり、今回の家出の理由も、例に違わず大したことが無かった。
「掃除」
「……は?」
「酷いのよ永琳たら! 私がたまにはお掃除しようと思ったのに……ちょっとヘマしたけど……とにかく!
「もう姫は何もしないでください」なんて言うのよ! いつもぐーたらしてないで家事くらい手伝えとか言うくせにいざ手伝ったら何もするな! 理不尽だわ横暴だわ非人道的だわー!!」
「あー、そうだな」
ここで「お前の掃除が致命的に下手なのが悪い」と言えば本気で拗ねてしまうので、そこは黙っておく。しかし家出の理由が掃除とな。
掃除が原因で家出も堪ったものではいが、前述の通り最近はもう慣れが来てしまってさして驚かなくなってしまった。慣れって怖いね。
まぁ夜になったら鈴仙かてゐ辺りが迎えに来ると思うので、とりあえず朝食を食べようと妹紅は立ち上がった。
目の前の家出娘の分もついでに作ってやるとする。作らないと作らないでぶーぶー文句を言い出しかねない。最も、二人とも食べても食べなくても関係ないのだが。
不老不死でも腹は減る、妹紅もこの千年余、何度餓死と蘇生を繰り返したことか。
最近は過保護な半獣のおかげで餓死したくてもできない状況なのだが――いや、したくないけど。
「げ、ご飯残ってないじゃん」
土間に置かれた釜の中は悲しくも空。そういえば昨日、慧音が久々に訪ねてきて全部食べちゃったんだっけ? 参ったなぁ。
ちら、と後ろに目を向けるが、輝夜はさっきから卓袱台の周りを物凄い勢いで転がっている。吸引力の落ちないただ一つの掃除機、テルヨン。
時たま(慧音が)掃除はしているためそこまで汚い、ということもないが、それでも秒速2mのスピードで転げまわれるほど清潔かと聞かれると返答に困ってしまう。
いや、別に輝夜の服が埃まみれになろうが妹紅の知ったことではないのだが。
(……なんてこったい、何も残ってないじゃん)
台所の様子に、妹紅は軽い眩暈を覚えた。
釜に白飯がないのは良いとして、肉も野菜も、そして何故か水瓶の中に水すらも入っていない。
これはいくらなんでもおかしい。昨日までは水瓶にはなみなみと水が入っていたはずなのに。
ジトッとした目で居間へ上がり、ゴロゴロと卓袱台の周りをレーシングする輝夜を見る。無言で両手をポケットに突っ込み、右足を振り上げた。
本日一度目、オイタをした悪ガキにお仕置きタイムだ。
「もこたんキック」
ドゴォッ!! といい音がし、「うっ」と呻き声を上げた輝夜が腹を押さえてようやく止まった。手加減無しの妹紅キックはさぞ効いただろう。
蹲る輝夜の襟を掴み、頭が外れちゃうんじゃないかと心配になるくらいの勢いでがらがら振る。ちなみに、心配する人がいないため妹紅はやりたい放題だ。
「お前が食ったんだろう輝夜。私には分かるぞ」
「もこ、たん。ちょっ、ちょっと、待ち、待って、首、首が」
「もこたんって言うな」
さっきは自分でもこたん言ったというのに、全く虫のいい蓬莱人である。
しばらく輝夜の頭をシェイキングし、ガシャンガシャンと妙な音が聞こえてきたあたりで、妹紅はようやく手を放し解放した。
ぐってりとした様子で地面に崩れ落ちた輝夜を見てからしゃがみこんだ妹紅は、輝夜が回復するまでじっとその光景を観察していた。
「だから私じゃないって」
「ほーお」
「痛い痛い痛い! ほんとに痛いってもこたん!! 髪はやめてぇー!!」
「もこたん言うな」
輝夜の頭を足で抑え髪をギリギリと器用に引っ張る妹紅。イジメってレベルじゃねーぞ。
どうやら本当に輝夜ではないらしい、と判断した妹紅は数分のいじめの後ようやく輝夜を解放した。小さく舌打ちが聞こえたのはきっと輝夜の気のせいだろう。
(輝夜じゃないーとしたら……誰だ? 慧音は絶対そんなことしないし)
迷いの竹林の内部にある妹紅邸を知る者は少ない。ここにいる涙目の輝夜はもちろん、人里で寺子屋を営む慧音、それに永遠亭の永琳、鈴仙、てゐ。
この面子がわざわざ自分の家に来て食糧を食い荒らして水瓶の水を飲み干す……考えにくい。しかし輝夜は違うと言う。
(嘘はついてないだろう、し……まぁいいか)
飯が無ければ取ればいい。野性溢れる妹紅は壁に立て掛けてあった釣り竿を手に取った。
「輝夜、さぞ腹が減ってるだろう、私も腹が減った。てことで取りに行くぞ」
「取りに行くって……何もないの?」
「ないの」
渋る輝夜の頭を掴み、ずるずると入り口まで引きずって行く。
働かざる者食うべからず。気の遠くなるような長い年月を自給自足生活してきた妹紅にとって、無けりゃ取るは当然の思考回路だ。
行きたくないー、と未だに渋る輝夜の頬をスペルカードで数回叩き、あくまでも笑顔で首を傾げる。非常に扱いに慣れているというか、なんとかいうか。
妹紅の庵近くを流れる沢、流れも緩やかなそこに到着した妹紅は、早々に餌となる虫を捕まえた。後はその辺の岩をひっくり返せば良いので、とりあえずは自分の定位置、沢にちょこんと飛び出た岩に腰掛ける。
ぶーたれる輝夜もようやく妹紅の横に座り、そこらで拾った小石を弄び始めた。
「さあ輝夜。大漁目指して頑張ろうじゃないか」
「わざわざ釣るの? 直接獲る方が得意とか前言ってたじゃない」
嬉々として針に虫を突き刺す妹紅を嫌そうな顔で見ながら、輝夜は沢に向かって小石を投げ入れる。
妹紅は「わかってないな」と呟きながら、横で輝夜の分の釣り針にエサを刺して手渡した。
「こういうのは風情を楽しむもんさ。釣れるかどうかはさして問題じゃない」
「……朝ご飯のために来たんじゃなかったかしら」
「じゃあ釣れるように頑張りなさい、よっと」
輝夜が渋る間に早くも一匹釣り上げた妹紅。小さいが塩焼きにすると美味な鮎だ。この辺は鮎がよく獲れるって、前自慢げに話してたっけ。
得意げな顔で「あげないぞ?」と言う妹紅。ここで輝夜の中の何かに火が付いたらしい。
竿を握りしめ、凄い顔で水面を睨む。その形相だけで鮎どころか水中の生物皆が尻尾を撒いて逃げ出しそうだ。
「勢い付くのはいいけど眼力で鮎を殺すなよ~」
「五月蠅いわね! 気が散るでしょ!」
所変わって、迷いの竹林。
「師匠ぉ~……も、もう無理です、死にます……」
「何言ってるのウドンゲ。永遠亭はすぐそこよ。御覧なさい、てゐなんて文句一つ言わずに運んでるじゃない」
「……ぐふっ」
「ああっ! 吐血した! てゐしっかりして、てゐ、て――――――――ゐッッッ!!!」
ぎゃーぎゃーと喚きながら竹林をフラフラ進む三バカ……否、月の頭脳とその弟子、それと幸せ兎。
先頭をズンズンと進む月の頭脳、永琳。その後ろで干し肉だの野菜だのをたんまり背負ってフラフラ歩く狂気の月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。尋常じゃない量の血を吐きぶっ倒れ、なみなみと水の入った水瓶に押し潰された幸運の……否、不運の素兎、因幡てゐ。
何故永遠亭の顔とも言える面々がそんな無様な姿を太陽の元に曝しているのかと言うと、それは数時間前に遡る。
→→→→→回想
「師匠、また姫様と喧嘩したんですか?」
「ええ……私も言いすぎたかもしれないわね、でも貴方の部屋が全壊して、台所も壊滅状態。それを笑って許すのも……」
「……――えっ?」
「仕方ない。てゐ、ウドンゲ。妹紅のところへ先回りしてありったけの食糧と水瓶を頂戴するわよ」
「イエス、マム!」
「台所が壊滅で私の部屋が全、壊して――えっ?」
←←←←←回想
何もわざわざ水瓶の中身を盗むこともないだろうに、こういうところで完璧主義な人は、と憤慨する鈴仙。てゐの背負う水瓶は、ご丁寧にも永遠亭から持ってきた高級品だったりする。
妹紅宅に侵入し、眠っている妹紅に気付かれないように食品を拝借。水瓶の中身を移し、退散。
突っ込みどころが満載のこの窃盗は、しかしやっぱりガチャガチャしてる間に妹紅が起きてしまった。
「んむ~……誰かいるの? けーね?」
「……!」
鈴仙とてゐの間に走る電撃。だが永琳はそこからが速かった。
目を擦る妹紅の背後に瞬時に移動、目を開けない内に妹紅の首を掴み、
「ん……何~?」
「ふんッ!!」
両の腕から生み出された物凄い勢いで、その首を180度ひねり切った。
うげ、と仰け反る鈴仙てゐ。無理もないだろう、今妹紅の首は前後逆さま、二人には首が後ろで体が前の、ホラーな妹紅がコンニチハしているのだから。
ぱたりと敢え無く倒れた妹紅。加害者の永琳は涼しい顔で首を元に戻し、優しく、あくまでも優しく布団へと寝かせ、掛け布団をかけた。既にリザレクションしたのか、妹紅は小さく寝息を立てている。
「さ、姫様が来る前に退散しましょう」
見事強盗殺人犯に格上げとなった永琳を見、自分はどうしてこんな人に弟子入りしたのだろうと鈴仙は遠い目になった。
永琳の目論見では、
妹紅宅に食糧も飲み水もなくなってしまっている
↓
輝夜が来訪。彼女の性格上ほぼ確実に妹紅の布団へ
↓
妹紅起床(このときリザレクションに気付けば尚良し)。輝夜に驚愕し激怒は必須
↓
極めつけに空の水瓶、朝食は確実にオジャン
↓
鬼神と化した妹紅に追い出され輝夜は泣く泣く永遠亭に帰還、全てが丸く収まる
だったらしい。いくら自分の主を帰らせたいからといって、他人の家に上がり込んで食物飲料を強奪、住人を一殺するだろうか。答えは永琳に限ってはイエスらしい。
なんで今日に限ってこんなことを、と鈴仙は勘繰ったが、永琳曰く
「今回ばかりは、私の方に非が無いとは言いにくいものね」
とのことらしい。そういえば、今まで家出する理由と言えば、やれセーブデータが消えただの、やれ御箸の片方が無くなっただの、挙句の果てには「気分がフィーバーしない」などと意味不明な理由で家出したこともあった。
要するに、非常に下らない、真面目に受け答えするのも馬鹿馬鹿しい理由ばかりだったのである。
比べて、今回は台所……と鈴仙の部屋……が使用不可能になったとはいえ、掃除を手伝うのは輝夜の好意だったはず。それを無碍にしたのだから……まぁ、それで家出もどうかと思うが。
不幸な永遠亭爆破事件が起きたのは朝の四時(輝夜が突如掃除をするなどと言い出し、眠気に包まれた永遠亭を叩き起して回った)だったか、もうすぐ朝食の時間かもしれない。
(……ああ、帰って早く朝ごはん食べたい……)
目を回したてゐを抱えて尚重くなった荷物に鈴仙は溜息を吐き、水瓶片手に竹林を進む永琳の後を追った。
「ほれ」
「……いらない」
「拗ねるなって輝夜……。初心者なんだから釣れないときもあるって」
「……いらないもん」
小麦色に焼けた美味しそうな鮎にかぶり付く妹紅に背を向けた形で、輝夜はムスッとしながら呟く。
結局、大漁でニヤける妹紅とは対象的に一匹も釣り上げることができなかった輝夜。
それでも二人で食べるには充分すぎる量だ。流石に可哀想になった妹紅は輝夜に「あげる」と言い続けている。
だが数百年余を殺し合ってきた相手に情けをかけられるのは己の矜持が許さないのか、先から膝を抱えて動こうとしない。
毎度のように家出先として押し掛けてくる癖に、変なところで変な意地張りやがって。
ええい。もう知らん、私が食べたい分だけ食べてさっさと鍛練をしに行こう。いつまでもコレに付き合っている時間はない。
「ごっそさん。火の始末はしといてよ……あ、残った鮎はホントーにいらないなら私の家に持って帰っといて。晩に食べるから」
「……ふーんだ」
「こんちはー、っと」
霧の湖、年中濃い霧に包まれた小さな湖。その湖の島に建つ館へと、妹紅は降り立った。
紅魔館。幻想郷で、その館の名を知らない妖怪はいない。
死と災厄を運ぶとされる悪魔、しかもその中でも最上位クラスの種族、[紅い悪魔]の棲む屋敷だ。それこそ、好き好んで立ち入る人間などそうはいない。
……と、いうのは建前で。
「とある事変」が起きて以来、紅魔館は以前ほど危険では無くなった。
勿論、九割九部の住民が人外なため全く安全というわけではない。あくまでも「以前に比べて」という話だ。
「ああ、妹紅さんじゃないですか」
紅魔館の巨大な正門、その脇の石柱にもたれかかっていた華人は、妹紅の姿を捉え手を振る。
緑色のチャイナドレス、鍔のない人民帽を被った、紅色の髪を持った女性。妹紅はその女性に笑いかけながらすぐ傍に降り立った。
「今日はちゃんと起きてたね美鈴さん。偉い偉い」
「酷いですよー。私もたまには起きてますって」
「……たまには、ねぇ」
ずっと起きてなきゃだめじゃん、と苦笑しつつ、妹紅は辺りを見回す。どうやら今日は妖精たちは来ていないらしい。
妹紅が紅魔館の門番、紅美鈴と知り合ったのはもう真円の月が何度昇る前か。基本的にカレンダーを使わない妹紅は、大まかな四季、十二ヵ月程度の認識しかない。
その頃にはもう輝夜との殺し合いにある程度の区切りを付けられる程度に落ち着いていた妹紅は、紅魔館の門番――紅美鈴という妖怪が、武術の達人ということを数少ない友人に聞いた。
妹紅もどちらかと言えば弾幕戦よりも肉弾戦を好む傾向にある。というより、手加減が苦手で弾幕勝負だと周りの被害に頭を抱えたくなる(彼女の力は皮肉にも自然破壊にはうってつけの「火」だった)ため自粛するしかなく、拳で闘うことに慣れてしまっていた。
そうしてある程度自分の腕に自信のあった妹紅は、思い切り全力で、誰かと拳同士でぶつかり合ってみたかった。
弾幕勝負は、はっきり言って輝夜以外だと「もしも」を考慮して自粛せざるを得ない(前回竹林が全焼しかけた時は焦りに焦った)。
だが、その輝夜相手ではもうはっきり言って打ち止め。自分の戦術も相手の戦術も、お互いがお互いを知りつくしてしまっていて碌な勝負にならない。ほぼ先手を取ればそちらの勝ちになってしまう。
己を知り敵を知らば百戦危うからず。だが、相手においてもそれが言えるのなら孫子の言葉にも意味がない。
と、いうわけで。
嬉々として紅魔館の門番、美鈴に殴り込みをかけた妹紅はやっぱりというか、当然のように負けた。
当たり前の結果だろう。相手は武術の達人。こちらはいくら得意とはいっても、我流の型も何もないただのケンカ戦法なのだから。
あっさりと地にねじ伏せられ、その時妹紅は久々に血が滾るのを感じた。言い訳も何もない、完全な自分の敗北に震え、歓喜した。これでまた、超えるものができたと。
永き時を生きる妹紅にとって、超える壁というのはいくつあっても良いものだ。日々を怠惰で過ごすより、超えるべき壁に向かって努力を重ねる方がずっといい。
それから、妹紅は暇さえあれば紅魔館へ赴き、美鈴と組み手を繰り返した。
美鈴の方も最初は困り顔だったが、最近では組み手の後に一緒に茶を啜る程度には付き合ってくれている。随分人のいい妖怪だ。
「さてっと。それじゃあ早速始めようじゃないか」
「いいですよー、今日はどうしましょう」
「ん、今日はいらない」
美鈴が手をひらひらさせるのを見、妹紅は不敵な笑みを浮かべ首を振る。
常ならば美鈴は、妹紅との組み手にある程度のハンデを付ける。
それは右腕は使わないだの、防御はせずに全て避けるだの、以前の妹紅なら激怒してフジヤマノヴォルケイノは必須だっただろう。
だが妹紅は美鈴を「格上」と認め、その上で組み手を挑んだ。美鈴がハンデを付けるのも、純粋に自分のためだと都合よく解釈していた。
「そうですか? じゃあ、ちょっと待ってて下さいね」
ぱたぱたと紅魔館に駆け込んでいく美鈴に笑い、妹紅は石柱脇に腰掛ける。
準備運動はここに来る途中にしてきたため必要なかった。美鈴は恐らく、籠手か何かを取りに行っているのだろう。
ゆったりと流れる雲を見やり、妹紅は美鈴が眠くなる理由も分かるかも、と息を吐いた、
途端。
「恋符 『 マスタースパーク 』」
「ッ!!?」
突然行われるスペルの宣言、同時に迸る、無茶苦茶な威力の光と光の怒涛。いつの間にか寝転んでいた妹紅は慌てて起き上がり、門から一目散に退避した。
その一瞬後に炸裂する、光の怒涛が生み出す轟音と物凄い量の砂煙。頭を抱えてしゃがみ込むというどこぞの吸血鬼のポーズを取って事なきを得た妹紅は、怒涛を放った術者が浮かぶ空に向かって叫ぶ。
「何すんだ! あっぶないなもう!!」
「んあ、なんだ。中国じゃないのか」
箒に跨り、ゆっくりと下降してくる黒と白の服を纏う少女――霧雨魔理沙に、妹紅は渋い顔になって唸る。
此処、紅魔館によく来るようになってから、彼女の姿を時たま見かけるようになった。何時もは昼過ぎに行く為、出てくる姿しか見たことはなかったのだが。
美鈴が「無茶苦茶な侵入者」と愚痴を零していたが成程、初見からマスタースパークとな。
「何考えてんだ、死ぬかと思った」
「死んでも死なないんだろ?」
「そりゃそうだけど」
「なら問題ないぜ、じゃなっ」
眉を寄せる妹紅を尻目にぴゅー、という音が似合いそうな姿で飛び抜けようとする魔理沙に、頬をピクつかせながら両の手をポケットに突っ込む。
本日二度目。天高く上がる妹紅の右足に、魔理沙は気付かなかった。
「もこたんグレネードキック」
今度はご丁寧に炎を纏った右足で、まさに脇を飛びぬけようとした魔理沙の、その箒の柄を蹴り飛ばす。
千三百年余鍛錬に鍛錬を重ねられた美しくも力強いその右足が、見事にジャストミート。そのままの勢いで、ホームランバッターよろしく明後日の方向へ。
やられたぜー、と飛んで行く魔理沙を見(50mくらい飛んだら普通に箒に跨って帰って行った。ノリのいい奴め)、妹紅は溜息を吐いて門の方を見やる。
流石は紅魔館の正門。幻想郷最強クラスの威力を持つあのマスタースパークを受けたのにも関わらず、少々煤けている以外に何の被害も見られない。スゴイ。
「お待たせしましたー、籠手を探すのに手間取っちゃって……あれ?」
ちょっぴり黒ずんだ門に、戻って来た美鈴が首を傾げる。だが、すぐに気を取り直して妹紅の傍へと駆け寄る。
妹紅の方も今さっき気持ちよくホームランを打ったことをさらりと水に流し、美鈴へと向き直った。
ある程度の間隔を空けてお互いに向き合う。近いようで遠い、面倒な距離だと日頃から妹紅は思う。だが、至近から始めたらそれこそ文字通り捻り倒されるため黙っておく。
「さて、今度こそ始めようか」
「はい。ご要望に応えて手加減はしませんよ」
「……そりゃ嬉しいね。それじゃ――行くぞッ!!」
足裏に炎を生み出すや否や、瞬時に爆ぜる。急激な加速を得た妹紅は、さらに鳳翼を燦燦と輝かせ尚の加速。
持続的な速度はそれこそ先の魔理沙や鴉天狗には及ばないものの、瞬間的な、爆発的な速度ならば前二人にも引けを取らない速度の飛び廻し蹴り。
素人どころか、心得のある者でも一撃で勝負を決めてしまうほどの威力を持ったその蹴りを、
だが美鈴は、左腕を右腕に添えた形で軽々と受け止めた。
ゴリッ、と美鈴の足が地面に減り込む。決して威力が殺されたわけではない。力を力で受け止めただけ。それだけなのに、妹紅は歓喜に打ち震える。
こうでなくては面白くない。もっとだ、もっとその力を見せてみろ。人外の成せる業を、ヒトを超越した達人の力を全て自分に曝け出せ。
「……私はその全て、超えてやるさ!!」
昼食を紅魔館で馳走になり、その後も数回拳を交えから帰路に着いた妹紅は、やっぱりというかヘロヘロのバテバテだった。
あの後完膚無きまでにボコボコにされた妹紅は、しかし美鈴に一撃当てられたことである程度はご機嫌。
這々の体で、しかし鼻歌交じりに我が家の扉を引く。
と、そこに輝夜のものではない、見慣れた一足の靴を見つけた。
自分の履いている草臥れた、ボロボロの靴でもなく、輝夜の履く見るからに金の掛け方を間違えている高級靴とも違う、綺麗に磨かれ、持ち主の几帳面さを全身で表わしているような靴。
その靴を見てマズイ、と慌てて少々草臥れた靴を脱ぎ、ぱたぱたと居間に上がる。だが途端に香る、よく知る緑茶の香りに絶望した。
「ああ妹紅、帰ったのか。丁度茶が入ったぞ」
「もこたん遅い~、寂しかったのよー」
銀と蒼の髪を持つ、変な帽子を被った少女――上白沢慧音と輝夜の姿に、妹紅は無意識の内に一歩後ずさる。
ヤバイ。空気がヤバイ。死んでるなんてレベルじゃない。
態度には表れていない。だが――いや、だからこそ、声色と居間全体の空気に「それ」が染み出していた。
お互いがお互いを、家に棲み付いた害虫として認識している。あくまでも態度には出していない、文面だけ見れば穏やかなものだ。だが、声色がエグい。
どれくらいエグいかというと、500円玉を博麗神社の賽銭箱に投げ入れた後、巫女が来たのを確認してからあらかじめ結んでいた凧糸で手繰り寄せ、「やーい、引っかかったバァカ」とか言うくらいエグい。
ああ、考えただけで胸焼けが――美鈴のクッキー食べたいなぁ、久々に妖夢と手合わせしてから「茶菓でもどうですか」なんていうのも悪くないなぁ。いやいや、現実逃避はいかんよ妹紅君。
「どうした妹紅? 冷めてしまうぞ」
「どこ行ってたのー? またあの門番のところ?」
「あ……ああ――うん」
二人の言葉に答え、妹紅は卓袱台に座って茶を啜る。美味しい。美味しい、が、
(やめてくれ、卓袱台の下で足をゲシゲシし合うのはやめてくれぇー……)
二人はあくまでも気付いていないと思っているのだろう、実際妹紅も座るまで気付かなかった。
だが座って気付く――卓袱台の下で、音速を超えた何かがぶつかり合っている。畳が焦げる臭いがするぜ畜生。
「あ、ちょっと、厠に……」
だめだ、堪えられない、一秒でも早くここから逃げ出そう。
いつの間にか身体の疲れは吹き飛び、元気よく立ちあがった妹紅はそそくさと厠へ逃げ込んだ。
「……輝夜、お前はまた妹紅の優しさに付け込んで――」
「あら、貴方は関係ないじゃない? 最近妹紅と少し仲が良くなったからって調子に乗ってるようね」
「調子に乗る? 何を馬鹿なことを、調子に乗っているのは輝夜、お前の方だろう。家出など、馬鹿馬鹿しい……」
全部聞こえてます、全部聞こえてますよ慧音さん輝夜さん。
厠の扉は無情にも薄かった。二人の低くも恐ろしい対話が、まるでその場にいるかの如く鮮明に聞こえてくる。何だ、何なんだこの地獄は……!
そこからの妹紅は鴉天狗もカメラを放って逃げていくほどの俊敏さで、しかしあくまでも無音で厠から飛び出す。二つの指で鼻をつまみ、叫んだ。
「妖怪だーッ!! 妖怪が、妖怪が出たぞー!!」
「何ッ!?」
ガタン、と卓袱台を叩いて立ち上がった慧音。先まで言い合っていた輝夜を尻目に、慌てて玄関へと駆ける。
さよなら~、と手を振る輝夜は、ようやく邪魔な相手が出て行った、と茶を啜る。美味しい。
慧音が飛び出てきたのを確認し、妹紅は即座に家の中へ駆け込む。
おかえりー、と茶を啜る輝夜に詰め寄り、胸倉を掴み凄い形相で叫んだ。
「輝夜ァ!!」
「な、なに!? どうしたのよもこたん!?」
「もこたんって言うな!! それより輝夜、表出て勝負しろや!!」
突然胸倉を掴まれ勝負を申し込まれた輝夜は、わけも分からず首を傾げた。
ここ最近ご無沙汰だった殺し合いを、突然しようと言い出した妹紅。だが近頃は自分も妹紅も、最初から詰の見える戦いに飽きが来ていたはず。
一体何なのよ、と口を開きかけた輝夜は、だが妹紅の瞳の奥に宿る「頼む、うんと言ってくれ、後生だから」という光を見た。挙動も、どこか切羽詰まっているように見える。
否応なく頷かされた形となった輝夜に、しかし妹紅は容赦がない。胸倉を掴んだまま思いきり振り被り、
「ってりゃあぁあ!!」
家の外へと投げ捨てた。
ぴぎゃ! と地面とキスをする輝夜の元へと降り立ち、妹紅は一分の時間も惜しいと戦闘態勢に入った。
「いいか!? 私に勝てたらずっと家に居ても構わない!!」
「え!? ほんと!?」
ガバッと起き上った輝夜に妹紅は首がどうにかなってしまうんじゃないかという勢いで頷いた。何なんだろう、この切羽詰まった感覚は。
俄然やる気が出たらしい輝夜は立ち上がり、懐から数枚のスペルカードを取り出す。
妹紅の家に行くのにも、最低限の備えはして行くものだ。
戦闘態勢に入る輝夜を見て頷いた妹紅は、だが「ただし」と口を開いた。もちろんタダでそんな条件を付ける筈がない。
「私に負けたら永遠亭に帰ってもらう! もうすぐ晩飯だし私は忙しいんだ!!」
え、と慌てて反論しようとした輝夜だが、しかしそれが「自分が負けると言う前提の反論」だと感じ、黙る。要するに、負けなければいいのだ。
「……ええ、いいわよ! その代わりちゃんと私が勝ったら婚姻とd「『 パゼストバイ、フェニ――――――ックス!!! 』」
ゴシャアッ!! と輝夜を中心として半径数メートル、高さに至っては25mにも昇るほどの巨大な火柱が上がる。台詞の途中でスペルをモロに食らった輝夜は、真っ黒の体で地面に突っ伏した。
その姿を見、妹紅は深さ五十センチほどのクレーターの中心で大きくガッツポーズを取る。それはもう、絶対的不利な状況をたった一人で打開した、かの名将のように。
「勝った。完璧に」
「……婚姻、届を、出してもらうわ!!」
神宝「ブディストダイアモンド」
「む」
倒れたと思われた輝夜の周りを複数の使い魔が取り囲む。ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ手加減をしたのが仇になったらしい。
ちなみに、妹紅の手加減した分の火力ではネズミは殺せない。それくらいほんのちょびっとだ。
妹紅目掛けて放たれる数多の楔形の弾。このスペルの厭らしいところは、レーザーで動きを制限し、楔連弾で動きを制限。そして星型弾で詰ませるところだろう。
常ならば苦労するであろうこの難関弾幕を、
「虚人『 ウー 』」
しかし妹紅は、何の躊躇いもなくスペルを切り、相殺した。自身のスペルで相手を瞬間的に無効化し、消し去る、通称を『ボム』。
だが勿論、それで弾幕が終わるわけではない。弾幕が途切れるのは、それこそほんの一瞬なのだから。
その、ほんの一瞬の隙間。だが妹紅には、その一瞬があれば十分だった。
紅魔館で見せた、瞬間的な加速を見せる妹紅の十八番。足裏で小さな爆発を起こし、鳳翼で一気に加速。
「輝夜ァ――ッ!!」
弾幕を縫うように飛び出した妹紅。使い魔は自身の背後、輝夜は目と鼻の先。
当の輝夜は、突然現れた妹紅に楔連弾を出すのも忘れて呆気に取られた。それはそうだ、レーザーで完全に動きを封じたはずの敵が、息をつく間に目の前へ躍り出ているのだから。
口に出して使うのは本日三度目。空中で前方に一回転し、叫んだ。
「藤原流モコタンカブトワリィッ!!」
避ける間も与えない、余りに見事な踵落とし。美鈴相手ならば簡単に避けられてしまうだろうが、輝夜に対してならば文字通り必殺の一撃となる。
地面へ思い切り叩き付けられた輝夜が気絶したのを確かめ(頭蓋骨が陥没していた。可哀想に)、妹紅は腕を高々と天に振り上げた。
「勝ったー!!」
騒ぎを聞き付けてきた妖兎に輝夜を引き渡し、しかし妹紅は気を抜かなかった。
止めの一撃はともかく、初弾ははっきり言って派手すぎた。その炎を見て、あの守護者が飛んでこないわけがない。
「妹紅!!」
――ほーらね、やっぱりだ。はぁ。
自分の脇に降り立った慧音に表面上は笑いかけ、妹紅は両手を広げて辺りの惨状を見せる。
「ちょっと手強い妖怪がいてね、派手にやっちゃった」
「全く……仕方ないやつだな。だがこんな場所にいたのだな、どうりで人里に戻っても気配を感じない筈だ」
妹紅が輝夜と戦ったのは、妹紅宅から西へ30メートルほど行った小さな広場。因みに人里の方向は反対だ。
腕力には自信があるとはいえ、人間を30メートル投げ飛ばせたとは、あの時自分は相当切羽詰まっていたに違いない。
切羽詰まっていた理由はもちろん、上白沢慧音と蓬莱山輝夜の件。
あの二人はここ最近仲がすっっっっっっごく悪い。丁度自分と輝夜が日常的な殺し合いを止めた辺りから、二人の間には険悪な何かが立ち込めている。
自分が輝夜を憎むのを止めた代わりに慧音が輝夜を恨み始めたのかな、と妹紅は思うが、実際に二人が弾幕を張り合う姿を見たことが無いためそれはないのだろう。
だが二人を一つ所に置くと、化学反応よろしく不気味な言い合いを始める。妹紅があまりの恐ろしさに厠で泣き寝入りしてしまうほどの不気味さだ。
厠で夜を越して以来は、妹紅は輝夜と慧音を引き離すことに全力を懸けていた。その情熱を建築業に向けたとしたら、宮殿の一つや二つ軽く建ててしまうだろう。
今回は「慧音を人里へ一度返しその間に輝夜を永遠亭へ連れて行く」という手段を行った。慧音は生真面目な性格なので例えガセだろうと必ず妖怪の存在を確かめに行く。狼少年も歓喜だ。
ちなみに、慧音は妹紅の家から30メートルというかなり近い距離に妖怪がいたんのにも関わらず気配を感じなかった、ということに疑問を覚えていない。
少し申し訳無い気もするが、誰もが自分の身が一番可愛い。あの恐ろしい会話を耳にするくらいなら、閻魔に説教を受けてもいい。――いや、それも嫌だけどね。
「さて、帰るぞ妹紅」
妹紅が考え事をする内に辺りの修復を終えていた慧音は、妹紅に手を差し出して微笑む。
笑ってその手を握り返した妹紅は、ポリポリと頬を掻いた。手を繋ぐというのは、何度やっても恥ずかしいものだ。
「久々の二人で晩御飯、献立は?」
「里の物が煮っ転がしを持ってきてくれてな、それと鮎の塩焼きでもどうだ」
「うげ、塩焼き朝食べちゃったよ」
「ふむ……では八目鰻で決まりだな。煮っ転がしは明日の朝食にでも食べてくれ」
「鰻? やったね、ヤツメだ」
手を繋いで歩く二人の少女は、竹林の近くで開いているであろう夜雀の屋台向けて歩き出した。もう辺りは暗くなり始めており、向こうに着けば真っ暗になってしまうだろう。
妹紅は空いた手で炎を起こして辺りを照らしながら、早足で竹林を歩く。しかしすぐに我慢できなくなったのか、慧音の手を引いて勢い良く走りだした。
「も、妹紅!? 急がなくても鰻は逃げんぞ!?」
「焼きたて鰻が逃げちゃうような気がした!!」
慧音の手を引き、彼女が付いて来れる程度の速度で竹林を駆ける。
目指すは八目鰻、久々の御馳走に自然と、頬がだらしなく緩む。幸いなことに、引っ張られている慧音からは見られることはない。
此処、幻想郷に来て毎日が信じられないほど楽しい。今まで外の世界で過ごした永の年月なんて、それこそ暖炉の薪に使って燃やしてしまえるほどに。
もう憎しみを抱いて輝夜と殺し合うこともない。それでも、彼女との殺し合いは一種の「遊び」レベルとしては行い続けるだろう。だが、そこに憎しみや怒りは存在しない。
"そんなもの"は、今の自分を形作る上で全く必要でない。だって、自分には友が、家が、『幻想郷』という故郷があるのだから。
竹林の中で――幻想郷の月の許、妹紅は叫ぶ。今までの千三百年間、一度も抱くことのなかった想いを。
「――生きてるって、サイコーだね!」
慧音と輝夜との不穏な空気もあったけれど
その全てが面白かったです。
こんな妹紅の日常も良いですよね!
三人で住める宮殿建てた方がいいんじゃねw
時が経てばその一角が入れ替わるんでしょうが、でも、その時まででもいいから
仲良くケンカしていてほしいものです。
良い事だ。
どーでもいいけど、水瓶の水まで盗んでどうするんだよww