Coolier - 新生・東方創想話

二日精

2009/01/07 14:57:40
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 たとえばの話。
 もし今この瞬間に、自分がぱったりと死んでしまったとしたら。
 残された者たちは、一体どうするだろうか。
 縁起でもない話ではあるが、みんなが自分のために涙を流す光景というのは悪くない。
 たまにはそんな事を妄想してみるのも、なかなかに楽しいものである。よし、してみよう。


 まずはチーム名を変えないと。ニ月精? いやいや、このルナチャイルド様がいないのに「月」の字を勝手に入れちゃ駄目よね。三精。だと今度は三が残るから、命名:二日精。うん、いい名前。二日酔いみたいで。
 そんな二日酔いみたいな名前の新ユニットは、今までの調子でイタズラを試みるもことごとく失敗。どうして上手くいかないんだろうと思い悩んだ末、二人は自分たちが大切なものを欠いてしまった事をようやく実感し、亡きルナチャイルド様の偉大さを身に染みながら、砂を噛むような余生を送るのだ。
 ああ、楽しいこと考えていたら、何だか無性に笑い出したくなってきた。





「ふ、うふ、あはアハいたはハハハいたいいたい痛い痛イいいいいいいひゲはへふはははは痛ハハハハ!!!!」
「楽しいんだ。へえ。あんな非道な行いをしておいて、笑っていられるのね」
 感情の抜け落ちた声とともに、ルナチャイルドの背中に食い込むお払い棒に、さらなる荷重がかけられた。
 背骨のあたりがそろそろ駄目っぽい。


 妄想の外側の世界のルナはこの通り、本当にこの世からサヨナラの危機に瀕していたのだった。
 場所は博麗神社の庭、ルナをお払い棒で地面に縫い付けているのは、言わずと知れた博麗の巫女霊夢である。
 ルナが霊夢に捕まえられる事自体は、決して珍しい事ではない。三月精は定期的に(と本人たちは思っているが結構不定期に)神社にイタズラをしに来て、定期的に捕まえられている。いつも隊列の最後尾、古めかしく言えば殿の大役を任されるルナにすればそれは日常茶飯事と言っても過言ではない。

 しかし、尋常でないのは霊夢の顔である。
 そこにあるのは怒りでも憎しみでもない。
 身に受けたのがあまりに人の道を逸する行いであるが故に、怒りや憎しみよりも、人知の及ばぬ存在への諦念が先に来ている。自然災害の猛威に蹂躙され尽くした人々のようだ。
 一体どんなイタズラに引っかかれば、人間はこんな顔になるのだろうか。

 はい、正直やり過ぎました。

 お茶っ葉にコーヒー豆を混入するなんて。

 霊夢が白目を剥き、茶緑色の液体を噴霧しながら、ロケット弾の直撃を受けた電柱のように仰け反り倒れる光景は、きっと一生のトラウマになる事でしょう。
「まだ、震えが止まらないのよ。どう、してくれるの?」
 どんだけカテキン中毒よ。
 という突っ込みをルナはすんでの所で飲み込んだ。命は大事に。あと数分しか残ってないけど。

 ルナの胸の中に、温かい何かが満ちて来るのが感じられた。
「普段はあれだけど、ここぞって時の三月精の結束力は無敵なんだからね」
「大丈夫。あなただけを見捨てたりはしないわ、ルナ」
 仲間たちの言葉が蘇ってくる。
 いずれも聞いた時は白々しさに呆れたものである。しかし今あるのは、ほら見ろやっぱり大嘘やんという己の正しさの実感である。
 今なら胸を張って言える。
 お前らは純然たる矮小だ。
 悔しかったら今すぐ助けに来てみろ!


「巫女さん巫女さん、ちょいと待ってー!」


 来られないわよね?

 今聞こえた、果敢に割って入るサニーの姿を彷彿とさせる声は、もはやあの子にすらすがらざるを得ない、弱り切った私の心を原因とする幻聴よね?

「あらあなたたち自分から現れるとは殊勝ね。今回はこの子だけじゃなくて、全員探し出して裁いてあげようとちょうど思って……何よそれ」

 何だか背中の荷重が和らいだ感じがした。
 ついに痛覚が死んだのだろうか。

「本当にごめんなさい。私たち、お茶がそんなに大切なものだって知らなかったの。これ、そこのルナが行き付けのお茶屋さんで、コーヒー豆のおまけに貰った物です。私たち緑茶は飲まないから、お詫びに差し上げようと思って」
「……あなたたち」

 ああ、あのお茶缶か。ルナは意味のない記憶を呼び起こした。
 入手の経緯はおろか、緑茶であるという事自体が大嘘で、あれはその辺の雑草を乾燥させたものだ。
 元々、第一案ではあのお茶缶を、霊夢の台所に置いてあるものと交換する予定だった。しかし、すり替えるには霊夢の使っているお茶缶のデザインを知らなければならないが、その為に潜入が一回余分に必要になる事、よしんば交換に成功したとしても、反応を見るまでには霊夢が急須のお茶っ葉を捨てて新しいのを入れ直すという余分のステップを要する事など、よく考えると問題点が多かった。「じゃあ急須に直接細工すればいいじゃない」というサニーの鶴の一声で、わざわざ数日がかりでお茶缶を用意したルナの努力は水泡に帰したのだった。
 何もかもみな懐かしい。
 巫女がそのお茶缶を、失くした家宝が見つかったかのように両手に押し抱いている光景が見えるが、たぶん願望だ。

「な、何よ、あんなパンチの利いた前置きなんて無くったって、贈り物があるならいつでも大歓迎なのに。私ったらついマジになっちゃって、ごめんなさい、痛くなかった?」

 気持ち悪い猫撫で声とともに、全身に浮遊感を感じる。
 これは天に昇っていく感覚であって、ルナが霊夢に助け起こされている感覚とは多分違うと思う。
 あえて幻聴に返事をするなれば、ごめんなさい、ものすごく痛かったです。

「……もしもしルナ、もしもーし、ルナチャイルドさん?」
「あ、れ、わた、し、は……」
 何だろう、目から温かいものが溢れてくる。


 気がつくと、ルナの周囲に輪が出来ていた。
 サニーと、スターと、そして霊夢に囲まれていた。
 ルナはとりあえず笑ってみた。
 引き攣っていないだろうか。ちゃんと笑えているだろうか。
 ごめんなさい、二人とも。私はさっき、ちらとあなたたちを疑った。



 まったく同じ時刻、博麗神社の遥か上空に、とある大質量があった。
 色々なものが空を飛ぶこのご時世、地面のない場所に物がある事自体は特別な事ではない。
 しかし問題なのは、それが万有引力に抗うそぶりを見せておらず、従って物体が本来あるがままの、自由落下運動をしているという事だ。
 分かりやすく言うと、ものすごくデカい物体が神社めがけて落ちて来ている、のである。


 最初にそれに気がついたのは、霊夢だった。
 巫女の勘に何かが障ったのか、笑顔を一瞬で消し去り天を仰いだ。
 スターも一瞬遅れて同じ方向を見た。
 これは恐らく、生き物の位置を知る程度の能力によるものだろう。
 二人のような特別な能力はないものの、サニーも何となく空気を読んだ。
 三人は、互いに顔を見合わせると。
「1、2の……」
 タイミングを取る。中心のルナだけが、進行する事態に気付かない。
「3っ!」
 三者一斉にバックステップ。



  ひゅるるるる、



   どっすーん!

 
 
     ぷちっ。

 一瞬後、まさに輪の中心だった場所に、比那名居天子と共に1トン級の要石が落下。
 儚い音を立てて、妖精一名が犠牲になった。



 ここまでが、新ユニット・二日精誕生までの一部始終である。




 ◆




「で、どうするスター」
「二人だけで頑張るしかないわね。ルナの想いを引き継いで。二週間だけだけど」
「そうね。亡きルナの分までファイトね。二週間だけだけど」
 神社の庭に神々しく突き刺さる要石、そしてその下に埋まる妖精の圧死体に、サニーとスターは手を合わせた。
 そこに悲しみの色などは特に無かった。
 どうせ妖精。すぐ再生する。普通は。

「ふふふ、遊びに来てあげたわよ博麗霊あぶっ、いい一撃ね痺れるわ!」
「やかましい! あんた、あの庭どうしてくれる気よ」
「え、そっち? なんか降ってくるときに一人くらい潰した感じがしたけどそれはいいの?」
「やめて。わざわざ罪状増やして自滅しにいくとか気持ち悪いからやめて」
「そう言いつつ、踏んづける足に力が込もっているのは何故かしらぁ?」

 そんな訳で、霊夢と天子も心置きなく果たし合っている。というか、満たし合っている。
 あれに少しでも関わったら、大切な何かを失うような気がする。妖精たちは感じて、それとなく目線を逸らした。

「けど、ルナも面倒な時に逝くわねえ。普通の月齢の時なら、もう少し早く復活できたのに」
「ルナだから。間が悪いのはいつもの事よ」
 昼さがりという時間にあって、月は僅かに視認可能な状態で空に浮かんでいる。
 妖精は自分の属性と同じ力を浴びる事によって再生する。サニーなら昼間の日光、スターなら、太陽が出ている間は見えないものの、昼夜を通して降り注ぐ星の光である。
 という事はルナは夜の月光を浴びれば良い事になるのだが、残念ながら月は見ての通りの三日月だ。これから新月を経て、再びの三日月から半月に至る位まで、月から受けられる恩恵は極めて少なくなる。
 ルナが復活するまで二週間と、経験則で二人は見積もった。


 サニーはふうと溜息をつくと、しばらく唯一のパートナーとなる星の妖精スターサファイアを、頭のてっぺんから足の先までしげしげと見た。
「なに、サニー」
「なんか、安心して背中を任せられる気がしない」
 活動的なサニーの服や、ローブのように着心地重視のルナの服に比べ、ブルーを基調にしたスターのドレスは大人しくも装飾的であって、あんまり動くのに向いているように見えない。
 にもかかわらず、大抵いつも一番被害の少ない位置にいるスターである。疑念の一つも抱いて然りだ。

 そんなサニーに対して、スターは弾けるような笑顔。

「何言ってるのよ。私が貴女の背中を守るなんてありえないわ」
「断言!?」
「もちろん、サニーは私の為に尽くしてくれるわよね。友達だもの」
「自分がすごく支離滅裂な事を言っているって気付かないの!?」
 さしものサニーもがっくりと崩れ落ちるより他になかった。


「サニー、元気出して。これから二人でがんばるんだから」
「頑張る、ねえ。確かに、足掻いても無駄か。どうあっても、ルナが復活するまではこの二人で頑張らなくちゃいけないのよね。よしスター、行くわよ!」
「……行くって?」
「もち、悪戯しによ」
「切り替え早すぎよ。元気出してとは言ったけど、今すぐにとは言ってないし」
「私達って悪戯以外にする事ないじゃない。早くても遅くても一緒かと思って」
「正論ではあるけど。相変わらずとんでもない行動力ね」
「ターゲットは森の白黒魔法使いなんていいわね。うん、さっそく忍び込むわ。けってー」

 音速の変わり身で森の方へ向けて拳を突き上げるサニー。
 しかし実はこの時既に、この悪戯は八割がた失敗すると、サニーは内心では理解していた。
 




 で、まあ実際のところ。





 あっさり見付かっちゃいました。





「ほらほら、逃げるならせめて私を楽しませてみろ!」

 道の両脇で、昔のマンガみたいなお星さまがガッツンガッツンと炸裂する。
 ひっきりなしに頬に飛んでくる砂や小枝だけでも、涙目になるくらいには痛い。直撃すればタダでは済まないはずだが、そうならないのはつまり遊ばれているという事だろう。
「サニーのバカ! ノープランにも程があるわ」
「な、なによ、スターがちゃんと『目』で見張っててくれれば問題なかったんじゃないの!」
「私の視界に入ってから、あいつが家の扉を開くまで僅か2秒! 根本的に相手が悪すぎた、ちょっと考えれば分かる事よ!」
「うぐぐ」
 なおも言葉を返そうとするサニーだが、不意に横あいからぶわりという風圧を受けて、大きくバランスを崩した。
 そこには高速で飛ぶ物体というか、箒にまたがった霧雨魔理沙が。
「いやいや、こいつの発想力はなかなかだよ。よく今日うちを狙ったな。最近、研究ばっかで鬱屈してたところなんだ。もちろん泥棒は悪い事で情状酌量の余地はないが、せめて楽しみながら始末してやる」
「ひいっ!」
 震え上がる二人。冷静に考えれば、この時点でもう追い付かれているのだから、なおも逃げ続けるのは無意味というものだ。しかしそこは妖精二人、完璧に頭が回っていない。
「ほれ」
 魔理沙からサニーに、小さな香水壜が無造作に手渡された。
 その中には星屑のような色とりどりの粉末が、ぎっしりと隙間なく入っている。
 ちょっと綺麗だったので、飛びながらも一瞬見入ったサニーに、魔理沙は一言。

「それ、ショックを与えると爆発するぜ」

 なんてこったい。

 ちなみに、隣のスターに「はい、パス」するというお約束の行動は、今回は禁止である。
 ここでチームワークを発揮できるか否かに、これからの2週間の二人の命運が懸かっているのだ。
 正解の行動は「隣の同僚に一瞬だけ笑顔を見せた後、一人身を挺して爆発物を処理する」。
 そう結論づけ、さっそく実行しようとしたサニーだが。

「そおいっ!」

 その瞬間、何かがサニーの胴体に突き刺さった。
 身体のバランスが今度こそ完璧に崩れ、くるくると視界が移り変わっていく。
 一瞬スターが視界に入って、彼女が渾身のイナズマキックで、白黒めがけて自身を蹴り飛ばした事をサニーは知った。
「うわっ!!?」
 さきほどまでの余裕から一転、霧雨魔理沙が裏返った声を出す。
 友人の身を惜しげもなく犠牲にしたこの攻撃を、さすがの魔理沙も予期しえなかったようだ。






 そして、最後の一手をぬかりなく打った後、スターはほくそ笑んだ。
 白黒は大きく軌道を乱されながらも前方に逃れたが、小壜が自分のそばから離れたというだけでも、サニーを蹴落としたのには十分な成果があったといえる。
 最後の懸念として、彼女がキレて壜を投げよこして来る、というのがあった。そのために打った最後の一手。

 すなわち、弾幕。

 流行りのスペルカード式弾幕ごっこではない、本来の意味での弾幕だ。サニーを蹴り飛ばした後の一瞬で、スターはなけなしの霊力を絞って弾をばらまいた。二人の間の空間は、文字通りの弾の幕で遮られている。どのような軌道で壜を投擲しても、スターに届く事なく壜は弾に接触、爆発する。
 案の定、サニーは壜を投げようと振りかぶった腕をそのまま凍りつかせ、虚ろな目を一瞬見せ、きりもみしながら後方に流れていった。

 ルナがいればな。
 コマ送りのような光景を見ながら、スターはそう思ってしまった。
 彼女ならこんな手の込んだ事をしなくても、勝手に壜を引き受けて爆発オチにしてくれるのに。

 弾幕は止まらない。サニーが地面に転がるところに、追い討ちで着弾、そして爆発……

 しない。

 スターは目を見開いた。予期していた爆発がないどころか、サニーが地面に転がる音すらしない。着弾の一瞬前、サニーの身体が空気に飲み込まれるようにかき消えたような、そんな光景が目に残った。

「っ、光の屈折を操る程度の能力!」

 ようやく思い当たり、スターは前を見た。
 そこには、さきに加速によって前方に逃れた白黒魔法使いの後ろ姿。
 そして、その箒にしがみつくサニーミルクが!

 目が合うと、にっ、とサニーの唇の端が釣り上がる。

 そのままサニーは箒から手を離した。
 両手両足を大きく広げ、エアブレーキで減速しながら、一直線にスターに迫る。
 片手には、危険な小壜が握られていた。

 無駄だと分かっていながらも、スターはそれに向かって弾を撃たずにはいられなかった。
 肩口とくるぶしに、合わせて2発命中。しかしそれはサニーの顔をしかめさせただけに終わった。



 衝突のショックを受けて、壜が極彩色の光を放つ。妖精二人の身体は、抱き合うような格好でくるくるともつれた。そんな中で、スターがサニーの耳元に唇を寄せ、最後に紡いだ一言。
「やっぱり貴女はおばかさんね、サニー。せっかく箒に取り付けたんだから、白黒の方を巻き添えにすればよかったじゃない」
「……ごめん。その発想は、なかった」



  ◇



 今となっては意味のない事であるが、そのガラスの眼球は、アリス・マーガトロイドの血と涙と研究の結晶であった。
 一見人間のそれと同様に白く色づいて見える白目が、実は極めて透明度の高いガラスで出来ており、白色は精巧に隙間なく、しかし一つ一つ確たる意味をもって刻まれた模様による光の乱反射によっている事なども、世間一般では嘆息すべき事実であるが、ここでは何にもならない。
 無意味を承知で御託を並べるなら、その病的ともいえる精巧さは意匠などではなく、とある試みを達成するために必要なものだ。

 その試みとは、「成長」の否定である。

 生き物は成長する物で、成長する物が生き物である。
 生き物と変わらない自立人形を作るためには、成長の機構を組み込む事が必要不可欠である。

 本当にそうか?

 成長なんて、今まで出来なかった事が出来るようになりました、というだけの事だ。最初から出来るに越した事はない、成長を人為的に再現するなんて、はっきりと二度手間である。
 「成長」を神聖視する風潮の出所は単純で、かつて生命の再現を志した者たちが悉く失敗した末、自分たちが失敗した原因を「何か曖昧なもの」に求めようとしたに過ぎない。「可能性」という耳あたりの良い言葉で全てを片付けようとしたところで、何も進歩はないのは分かり切っているのに。

 もう幻想にすがるのはやめよう。

 「成長してそれが出来るようになる」物を作るのは、「それが出来るだけのポテンシャルを持つ」物を作る事に他ならない事を、我々は今こそ自覚すべきなのだ。
 砂粒くらいのサイズから始まった。裁縫針の100倍の精度をもつ白金の針で、その球面に超微細な紋様を刻んだ後、上から屈折率の異なるガラスで極薄のコーティングを被せる。一日一層という、同業者が聞いたら泡を吹きかねない驚異的な速度で、ガラス玉は雪だるま式に大きくなった。
 2ヶ月の不眠不休をもって、己が人形にさせられる事全て、させたい事全てを過不足なく、極限の密度で刻み込んだ、おおよそこの地球上類を見ない究極の制御中枢がその眼球である。

 ついに眼球が完成したのが今日の朝。しかしアリスは最低限の仮眠を取るとすぐに、再び作業机についた。
 完成品の出来を一刻も早く確かめたい。
 そのために、最後にして最高の関門があったからだ。
 眼球を人形に装着する事である。

 眼球が精密かつ超高機能なのは、そのプロセッサが処理する情報が膨大だからである。その膨大な情報は、全身に張り巡らされた魔力糸によってやりとりされる。人形の眼窩の裏内側には、ガラス玉最表面の模様と寸分違わす対応するように、膨大な魔力糸すべての先端がアラベスク模様を描いていた。回路の飽和点ギリギリまで魔力を注入されたガラスと糸は、一度でも触れた瞬間に親和・接合される。

 すなわち、そこに集まった300本の糸全てが、対応する模様と一発で触れ合うように、精密にガラス玉を眼窩に押し込むというウルトラCの離れ技を、アリスは今まさに披露しようという所であったのだ。

――クライマックス。

 ねっとりと粘度の高い、魔法の森の空気の底で魔法使いはいつしか、限界を超えたプレッシャーを快楽として感じるようになっていた。

 後から思えば、もう少し注意深くやるべきだったのである。何しろ2ヶ月にわたる努力の成果で、しかも材質がガラスである。幻想郷に安全な時間や安全な場所というのは原則無いから、ある程度は仕方ないという側面もあったが、それにしてもアリスは無防備すぎた。
 理由は、何より早く完成させたいという誘惑に負けてしまったのが一つ。
 もう一つはもしかしたら、この危うく魅惑的な瞬間自体に酔いたかった事、かも知れない。
 右手のピンセット、その先に挟んだ目玉。二本の棒のみに支えられる危うさが、この上なく甘美だ。

――私を好きにして。
――いっそ壊してしまってもいい。

 アリスが左手で人形の後頭部を支え、口づけせんばかりに顔を寄せた、その刹那。
 窓から差し込む、見覚えのある色の閃光。
 そして一瞬遅れて。

――ちょ、待、やっぱだめ……



 ちゅどぉぉぉぉぉ……ん



 極限の集中力が生み出す無音の世界――だったはずのところへ、想定外に大量の視覚聴覚情報と脳味噌をシェイクするような衝撃をぶちこまれたアリスは激しく、しかしあっけなく――果てた。

――わぁ、世界が上から下へ流れていくぅ。

 それはアリスの椅子が仰向けに倒れている所だからである。
 なんかもう周囲に大量のバラが散っている感じだった。

――流れ星みつけた。でもここ部屋の中じゃなかったっけ。

 それは貴女の努力の結晶である。
 のけぞった瞬間に、天井に向けて盛大に放り出したのだ。
 綺麗な放物線。軌跡に残るきらめき。そして。


 ぱりーん。


 ハンプティ・ダンプティ、おっこちた。


 床では、アリスが抜け殻のようになっていた。
 あられもなく四肢を投げ出し、恍惚としたまま天井を見上げる。

「まりさ……」

 唇が動き、一人の女の名前が出た。

「泣かす」

 続いて物騒な言葉が出た。抑揚はない。

「ぜったい泣かす。つかまえて、縛って、監禁して、ヒイヒイ言わす。私の言う事何でも聞いてくれるようになるまで許さない。はっきりと想像できる自分が地味に嫌。ふふ……」

 なおも抑揚のない言葉の数々がこの後しばらく、仄暗い魔法の森の底から滔々と湧き出し続けるのだった。




  ◆




 スターは、ソファに一人腰掛けている。
 いつから生えているのか分からない巨木の胴。
 小さな窓から深い角度で差し込む夕陽は、目は嫌な感じに灼くくせに、スターの顔には濃い影を作って、その表情を完全に覆い隠している。
 帰ってきてから今までサニーは、スターと言葉らしい言葉を交わせずにいた。


 サニーは、キッチンから運んできた盆をサイドテーブルに置いた。

「珈琲、飲む?」

 うん、と言ったか、言わないか。
 スターは自分のカップを取り上げると、一口だけ口をつけ、そのまま盆に戻してしまった。
 サニーも立ったまま自分のカップを取るが、スター同様すぐに戻した。
 やっぱり、ルナの淹れる珈琲とは全然違う。
 「珈琲は淹れ方によって味が全然変わるっていうけど、実際は濃さが変わるくらいよねえ」とルナはかつて言っていて、サニーもそれを鵜呑みにしていた。しかし実際やってみると、濃さをちゃんと合わせるのにも凄い技が要るし、それが珈琲の味を全て決定づけてると実感する。豆の量はルナよりも多いくらいなのに、出来上がった珈琲は明らかに薄かった。

 そして、わざわざ給仕じみた手間仕事をしたのに、それすら会話の糸口にならなかったという事実は、きっとコーヒーの味とは関係ない。



 踏み外してしまったんだと思う。

 スターはいつでも得をして、ルナはいつでも損をする。これは一見理不尽に思えるけれど、実は三月精を三月精たらしめる重要な要素なのだ。
 スターは実際は、傍目に見る程には恵まれてはいない。いつも得をするポジションにいるというのは裏を返せば、損をしない範囲でしか動けないという事でもあるのだ。失敗前提で何でも言えるし何でも出来るルナよりも、自由度の面でスターは損をしている事になる。

 今回土壇場でサニーが取った行動、スターを巻き込んだ自爆、あるいは遡って、失敗して酷い目に遭う事必至の悪戯を敢えて強行した事は、それらを悉く無視した行為だ。
 悪く言えばしがらみだが、個人と個人の関係に無くてはならない何かを全部放り投げて、スターを三月精の中でのポジションから引き摺り降ろす事を、深層心理では指向していたのだ。
 せっかくの機会だから、スターも酷い目に遭わせてみたかった。
 そんな、卑怯で、サディスティックで、本当の意味で腹黒い衝動が、サニーの中に無かった、と言えば、残念ながら嘘になってしまう。

 結果としてそれがもたらしたのは、三月精という括り・関係の消滅だった。
 より表面的には、関係の発露としての言葉が、あるいは会話が、二人の間から失われてしまった事だ。
 そもそも、「サニーと一緒に爆死して沈んでいるスター」などというシンボルは、関係としての三月精の中には定義されていない。
 そういう場合に言うべき言葉なんて、サニーが知るはずないのだ。



 言葉だけではない。
 すべてが違ってしまっている。
 もう、そこが三月精の住処であるという事すら覚束ない。
 そして、目の前にある妖精の肢体すらも。



 さらさらとした真っ直ぐな黒髪。癖の一つでもあってくれれば、まだ生き物らしくも見えたのに。
 毎日たくさん日を浴びているにもかかわらず、何故かシルクのように白い肌。
 それに一点だけ紅をさしたような唇。


「なによ、サニー」
「っ!」

 唐突にスターに声を掛けられ、サニーの心臓は跳ね上がった。
 気が付くと、サニーはソファのかなり近くで、スターを見下ろす格好で棒立ちになっていた。
 誰が見ても挙動不審だ。
 どうしよう、何か言って誤魔化さないと。
 詰まっている間にも、心臓はばくばくと脈拍数を上げていく。

「な、なんかやりづらいね、二人って」

 出てきたのは脈絡もなにもない言葉だった。最悪だ。こんなの、余計にスターをきょとんとさせるだけ。
 しかしその突拍子のない言葉を聞いて、スターは何故か笑みを浮かべた。
 サニーの背に冷たいものが走る。

「そうね、二人だとやりづらい事もあるわよね。けど」

 スターの繊手が、サニーの手首を掴んだ。

「二人の方がやりやすい事っていうのも、あると思わない?」

 次の瞬間には、スターとサニーの位置が逆転していた。
 すなわち、掴んだ手首の一点を中心にして二人の身体がぐるりと回転、なかば押し倒されるように、サニーはソファに座らされていたのだった。
 声が出せない。
 何も行動が出来ないうちにサニーは右肩を押さえられ、立ち上がる事も叶わなくなった。

 先程までの、むっつりと押し黙ったスターではない。
 その瞳の中には、ぎらぎらとぬめる粘液に似た輝きが宿っていた。

「うふふ、私のサニー、可愛らしい」

 違う。
 こんなのは、三月精じゃない。



 サニーはスターを振り払うように、腕を動かした。動かしてしまった。
 重さのほとんど無いスターの身体は、それだけで床に投げ出された。
 サイドテーブルの足にぶつかったのか、食器がガチャンという音を立てる。
 金縛りが解け、サニーは立ち上がる。
 すると足元には、後頭部を押さえたまま動かないスターの姿が。
「い、嫌……」
 何も見えなくなった。
 その場から走り去るので、精一杯だった。




 ◆




「ふかしいも、食べる?」
 その言葉が、朦朧とした意識には何時間かぶりの刺激だった。


 鳥のさえずりが聞こえる。朝。
 長い時間、板張りの廊下で膝を抱えていたせいで、お尻が痛かった。
 手渡されたふかしいもは明らかに昨日ふかしたものの余りといった感じで、固くて冷たかったが、それでもサニーはそれを一心不乱にほおばった。
「むっ!」
 つかえた。どんどんと胸を叩いていると、一つの湯呑みが無言で差し出される。
 口をつけると、独特の、ちょっと青臭い香りが口の中に広がった。
「なに、これ……」
「何って、昨日あなたたちがくれたお茶じゃない」
「……あー」
 そういえば、そんな話もあったっけ。

 ここは言うまでもなく毎度お馴染み博麗神社で、サニーにふかしいもと湯呑みを渡したのは霊夢である。そしてお茶は、ルナ発案の雑草茶だ。
 幻想郷の駆け込み寺、ならぬ駆け込み神社たるここで、あれからサニーは一夜を明かしたのだった。

「あ、あははは、おいしい」

 正直飲むのには抵抗がある。あんまり綺麗に洗ってなかったし。
 しかし、ここで飲むのを拒否すると悪事が露見するので、飲まざるを得ない。
 霊夢は普通に自分の湯呑みで同じものを飲んでいる。こういうお茶だと思えば、美味しくない事もないのだろう。
 やれやれ、これが本当の因果応報、か。

 まあ、何はともあれお腹は膨れた。
 そうしたら不思議と、いや不思議でも何でもないが、気分もずいぶん楽になった。

 サニーは縁側に座る霊夢を見た。
 いつもは逆上して自分たちを追い回す姿しか見る事がないため、穏やかな彼女というのは新鮮であった。
 そういう過去の遺恨など、微塵も残さない。
 無重力の巫女。
 神社に来る者は、人間だろうが妖怪だろうが、それ以外だろうが関係なく。
 追い返す事はしないが、その代わりに干渉もせず……

「ケンカでもした?」

 と思ったら、聞かれた。
 顔をあさっての方に向けたままの無造作な問いに、サニーは一瞬たじろいだ。

「あの黒い髪の子と」
 なおも言葉を重ねられ、サニーは慌てて返答する。
「あ、えと、違うの。すぐにでも、会いに行かないと」
「そ」

 言うと霊夢はおもむろに立ち上がり、サニーの鼻先をかすめて奥へ行ってしまった。
 何なんだろう。
 サニーがその後ろ姿を目で追っていると。

「来て」

 突然振り返った霊夢に、そう言われた。


「スター!」
 そこに布団で寝かされていたのは、確かにスターだった。
「庭に倒れてたわ。熱とかは無いようだけど」
 あくまでもそっけなく、霊夢は言う。
 スターは目を固く瞑り、うなされているように口から譫言が漏れていた。
「イジりたい、イジりたい、サニー、ルナぁ……」
「スター……私ってば、スターが正気を失っちゃったとばかり思って」
「落ち着いて。この子は充分に正気を失っているし、それで貴女が逃げてきたのも極めて正当だと思うわ」
「けど……」
 いつも前向きサニーミルク、とはいえ、ここまで深刻に全てが駄目になってしまって、なお前を見つづけるのは無理だった。

 おかしくなったのは、ルナがいなくなってから。
 なんて、過去を振り返っても意味はないだろうか。
 けど、そうせざるを得ない。だってルナはいないんだから。
 仕方がない。それなら、無理に目を逸らす事はしないで、その最初の狂いを元に戻してあげるのが、本当の前向きなのではないだろうか。
 そう、きっとそうだ。

 サニーは顔を上げると、霊夢の顔を正面から見据えた。

「聞きたい事があるの、えっと、霊夢、さんっ!」
「何かしら」
「この幻想郷に何か、月にゆかりの物ってないかしら」
「そうねえ、そういうものはおおよそ香霖堂。とある戦国武将が一世一代の戦に赴く前に月見酒をした杯とか、月見をしようとした坊さんが窓と間違えて頭をぶつけた名作すぎる掛け軸とかなら、見掛けた気がするけど」
「うーん、今は月の力が弱いから。そういう所詮は地球のもの、月の光を受けないと意味がないようなのは駄目だと思う。月から降ってきたものとか、それこそ本場の月の石、みたいなのでないと」
 って、流石にそんなものがホイホイ出てくる訳ないか、とサニーは言ってしまってから唇を噛んだ。

 霊夢は親指を唇にあてしばし考えたが。
「あるわよ!」
 不意に、両手をぽんと合わせた。




 ◆




 霊夢の話を聞くまでもなく、ここ永遠亭と月に何らかの関係があるというのは、よく耳にする噂話であった。
 噂の出所はといえば、何を隠そう住人たち自身だ。本当なら重大な事実であろうから、少しは伏せても良さそうなところだが、彼らは隠す気がないどころか、博覧会など開いて積極的に外部に吹聴している。
 それゆえに、かえって嘘臭い感が否めない。というか眉唾そのものである。

 しかし霊夢はそれを本当と断じた。

「そんなに大きな月の力が昔から幻想郷に有ったのなら、ルナが知らなかったのは変だと思う」
「それは話すと長くなるんだけど、要するに、つい最近まで結界が掛けてあったのよ」
 という具合で、何かの事情を知っているのは確かのようだった。
 どのみち他の当てもなし、サニーは潜入を敢行する事を決めた。

 確かに、この建物の雰囲気は特殊だ。
 サニーはさっきからひっきりなしに、自分は本当の月に来てしまったのではないかと不安に駆られていた。
 柱や床の一つ一つは、ちょっと高級とはいえ幻想郷の何処にでもあるものだ。しかし、それらを一つの景色として見ると、まるで金箔でも貼ってあるかのような眩しさを感じて、目を閉じずには居られない。
 汚すのが畏れ多くて歩くのすら躊躇われるが、実際には土の付いた靴で踏んでも足跡一つ付かない。
 そして、すれ違うのは人の姿をした兎ばかり。

(っと!)
 
 サニーははっとして、手近な壁に身を寄せた。
 光の屈折を使って姿もちゃんと消しているから、正面からやってきた兎はサニーに気付かず通り過ぎた。
 見付かれば捕まる。サニーは今、住居不法侵入の真っ最中なのだ。
 今まで何度もやってきた事。しかし、今回は明らかに勝手が違う。
 潜入の最中に、足音やら、自分の呼吸音やら、心臓の音やらが聞こえる、というのは、今までに無かった事だ。

(ち、近あっ!)

 続いてやって来たのは兎が6匹のグループだった。横に広がって歩いていたので、端の一匹がサニーの鼻をかすめんばかりの所を歩く事になる。
 ルナがいても見つかる距離だ。
 三月精が寄れば姿もなく音も聞こえないはずなのだが、何故かその状態の三月精にある程度以上近づいた者はふと立ち止まって、靴を踏み鳴らしたりして首を傾げ、辺りを捜索し始めるのだ。

 という訳でサニーは発見されるのを半ば覚悟したのだが、兎たちは何事もなくそこを通り過ぎてしまった。
(あれ、随分あっさり。ていうか)
 三人の時よりも上手く行っているかも知れない。
 さらに何匹かの兎を同様にやり過ごして、サニーは確信する。

(いける。何だか分からないけど、今の私は誰にも見付からない!)

 今までのパターンからいくと、一人で何かやっても上手く行くはずはないと思っていた。
 上手く行ったら行ったで、じゃあ仲間なんか居なくてもいいじゃんという事になってしまうので、それはそれで微妙だ。
 しかし、実際に物事は上手く運んでしまっている訳で、「これはきっと仲間を思う気持ちが奇跡を起こしたのよ!」と、彼女らの名誉のために、強引にそう考える事にした。

(そうと決まれば、あとはファイトあるのみ!)

 気合いの入れ直し。
 サニーは両のほっぺたを叩こうとして、やめた。
 音が出るとまずい。
 音を出さずに気合いを入れるべく、とりあえず下っ腹の辺りにぐっと力を込め。
 そのまま固まった。
 致命的な落とし穴が、やっぱりあったようだ。



(やば……ふかしいも、食べすぎた)

 音を出さずに済ますのは……どうやら手遅れっぽい。




 ◆



「侵入者ウサー!!!!!!!!!」



 ◆



「ほら、怖くないから。どうしてここに来たのか、正直に言ってみて、ね」

 銀色のたっぷりとした髪に穏やかな物腰、サニーの真ん前に鎮座する何というかとっても大きな母性。これで甘い香りの一つでも漂わせようものなら、殿方は年齢嗜好など問わず秒でコロッと行ってしまいそうなものだが、残念ながら彼女が身に纏うのは刺激的な薬品臭だ。それでもコロッと行く輩は後を断たないらしい。

 永遠亭を実質的に取り仕切る、八意永琳その人である。

 あっさりとサニーを捕まえた兎たちは、この広間までサニーを連行すると、今ではその光景を遠まきに眺めるのみ。その顔にはみんな等しく、お気の毒様元気でねという表情を貼り付けていた。

「取って食ったりはしないから。悩み事困り事は、ドクターえーりんに全部お任せよ」

 優しい言葉とともにウインク。しかし、サニーはその瞳の奥にあるモノを見逃さない。
 あの輝き、それと同種のものを、嫌というほど見慣れている。
 昨日今日だけを思い出しても、それはたとえばスター、あるいは霊夢の眼の奥にもあった。
 ひとたびその光が輝けば、サニーやルナはロクな目に遭わない。
 むしろ、他人が不幸になるほどに輝きを増す。

 端的に言えば、ドSの目だ。

 だから、決してサニーは心を許さない。唇を固く噤んだまま、涙目でいやいやをするのみ。

「困ったわねえ、ラチが空かないわ」

 言って永琳は傍らのケースを開き、注射器といくつかのアンプルを取り出して吟味しはじめた。
 何かをする気だ。

「はなしてえっ!!」

 その時、広間を仕切る障子が開いた。
「スター!?」
 確かにそれは、博麗神社で寝ているはずのスターサファイアであった。
 サニーの横まで歩かされると、観念したのかそのまま隣に腰を下ろした。
「来た……んだ」
 サニーの言葉に、スターはふっと一瞬だけ笑顔を見せた。
 スターの能力はサニーやルナと違い、隠れるのには一切役に立たない。
 発見されるのを未然に防ぐ事は出来るが、逃げ回ってばかりでは潜入にならないから、必ずどこかで危険を冒す必要がある。現にこうして捕まっているということは、危ない橋を渡ろうとしたのだろう。
 あのスターが。

 サニーはスターの手をぎゅっと握った。
 耳元で、ささやく。

「三月精は、負けないよ」

 友情ごっこは終わったかしら、と永琳は二人の方へ向き直った。
 その手には注射器。中の液体は調合を終え、一層怪しげな色を帯びていた。

「こうして袖を捲ってちょうだい。少しチクッてするけど、すぐ気持ち良――――――――」

 え、と、サニーは目を見開いた。
 台詞の後半は、口パクだった。
 いや、普通の人間は、あんなに芝居臭さのない自然な口バクは出来ない。という事は、音が消えてしまったというのが正しいのか。
 ありえない。
 いや、もちろん幻想郷では何が起こっても不思議ではなくて、音が突然消えてしまう事だってありえないとは言えないのだ。
 現に、昨日までサニーの身の周りでは普通にあった事だ。
 しかし……







 その時、兎たちの中に紛れてちゃっかりとそこにいた鈴仙の耳が、ぴくりと動いた。
「ねえ、てゐ。何か聞こえない?」
「今は鈴仙の声しか聞こえないよ」
「そう。気のせいなのかなあ。でも、心なしかどんどん音が大きくなっているような」
「どんな音?」
「そうねえ、あえてチープな擬音で表現するなら……




  ひゅるるるる、



   どっすーん!

 
 
     ぐしゃっ」





 ◇



 恐る恐る、サニーが閉じていた目を開くと、光景は一変していた。
 周囲の兎たちは、相変わらず気まずそうな沈黙に包まれていたが。
 目の前に、八意永琳の姿はなく。
 千年杉の幹かと見紛う巨大な要石がただ、粛然とそこに鎮座していた。

「あ、あれ、どちらを見ても兎ばっかり。
私ってば間違えて月面に降りてしまったのかしら。
ハロー、ハロー、マイ・ネーム・イズ・テンシ・ヒナナウィー。
ノット・テンコ、オーケー?」


 サニーはへたり込んで呆然と、スターも立ち上がってはいたもののぽかんとした表情で、要石の岩肌を見つめるばかりだった。
 そこへ、声は横あいから聞こえてきた。

「あらら……本当は、会話の邪魔をして気を引くのが目的だったんだけど」

 聞き慣れた、余りにも聞き慣れ過ぎた声だった。
 サニーは声のした方に向かい、立たない腰の向きをずるずると変えた。
 そこにあったのは、見慣れているがそこにあるはずのない、ゆったりとしたローブに、金髪縦ロール。

 サニーは言葉を失ったまま、その身体をぺたぺたと触ってみた。

「ちょっと、やめて。幽霊じゃないってば。ちゃんと月の力で復活したのよ」

 どうやら正真正銘、月の妖精ルナチャイルドに間違いはないようだった。
 けど、どうして。
 この潜入作戦はルナを復活させるためのもので、成功しなければルナは戻ってこないはず……

「そもそもね、あなたたちがやろうとしてた事って無意味だったのよ。身体を失った時点で、幻想郷のどこに月の力の源があるかは、私にとって関係なくなってしまった訳。どこにあったって、私の身体はその場所に再生するの。目が覚めたら、私はここの宝物庫にいたわ」

 あう、ああ、とサニーの口から声が漏れた。
 脱力感。身体を支えていた最後のものが、すうっと音を立てて抜けていった。

「本当は力が溜まるまで隠れてようかと思ったんだけど、外で妖精がどうのって騒ぎになってるから来てみれば、まったくあなたたちってば……って、ちょっとサニー!」

 サニーの顔はもう、色々なものでぐしゅぐしゅだった。
 ルナの胴にがっちりとすがりつく。

「ちょっと、重い、ハナミズ付く! スター、どさくさに紛れて縦ロールを愛でるな! ほんとにもう、あんたたちってばぁーーーーー!!!」

 それは今度こそ本当に、幸せに満ち溢れた光景だった。
 兎たちの輪の真ん中。
 天井に穿たれた大穴からは光が差し込み、三人を祝福していた。




 ◇



「良いわよねえ、うどんげ。私、密かにこういうの弱いの」
「師匠、みんな貴女を倒して感動してるんですから、んな簡単にリザレクションしないで下さいよ」




 ◆





 ◆









「で、











 結局私が殿かいっ!!!!」










 そうして全ては元通り。
 三月精は三人揃ってイタズラに励む日々。
 以前と変わらぬ光景がそこにあったのでした!


 例によって後方で絶望的に頑張っているルナを尻目に、残りの二人は悠々と前を飛ぶ。
 いつもの光景が当たり前にあるのが嬉しくて、サニーはめいっぱい顔をほころばせていた。

「楽しいわね、サニー」

 隣を飛ぶスターが流し目気味で言った。
 本当、まったくこの子は、最後の最後で綺麗にまとめてくるから、憎めない。
 首をちょっと傾ける仕草のせいで、綺麗なうなじが少しだけ覗いた。

 サニーは言葉を返そうとして。

「うん、本当に、……あれ?」

 突然、詰まった。







 何かが。
 変だ。

 二人になった時から、あるいは綺麗なうなじを見た時から。

 心臓の鼓動が、変に速まっている。

 さらさらとした真っ直ぐな黒髪。
 シルクのように白い肌。
 一点だけ紅をさしたような唇。

 目に食い込んで、脳味噌に流れ込んで来る。







「……ニー、ちょっと、どうしたの、サニー」
 相棒の声が、遠くに聞こえた。
※この作品は爆発オチです
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コメント



0.1020簡易評価
16.90名前が無い程度の能力削除
誰が欠けてもいけない、そんな関係が素晴らしい。

あと天子がウザかわいいです。
18.100名前が無い程度の能力削除
こういうほんのりとした百合はいいなあ
20.80とらねこ削除
これぞ三位一体ですね。
23.100名前が無い程度の能力削除
GJ