「お帰りなさいませ――紫様」
「ただいま帰りましたわ」
紫の式神――八雲藍は恭しく主に一礼した。主である八雲紫は式の出迎えに笑って応えた。
「湯が沸いております。お入りになりますか?」
「ええ、ありがとう。いただくわ」
紫は玄関から家の中へと上がる。藍は主の食事を作るために台所へと向かった。やがて、四半刻もしたくらいで、紫が白い肌をやや赤くして上がってきた。洋風の華美なドレスではなく、簡素な、だが、さっぱりとした気品が醸しだされた浴衣姿だった。紫は畳の間の真ん中にある卓袱台の前に座り、静かに物思いに耽っていた。しばらくすると、藍が料理をもってきた。
「橙は今日はいないのかしら?」
普段、何かと式にくっついて歩く式の式の姿が今日は見えなかった。藍は苦笑して言う。
「今日一日中、遊びっぱなしでしたから。もう疲れて眠ってしまいました」
「本当に子供ね、あの子は」
「ええ、まったく。そろそろ落ち着いてきてほしいものです」
「何を言ってるの。あなただって、昔はあの子とそんなに変わらなかったわ」
紫はくすくすと笑う。藍は肩を竦めながらも、配膳をしていた。
「いただきます」
紫は目の前の食事に手を合わせた。藍は「召し上がれ」と微笑む。
藍のお酌で、冷酒を猪口に注いでもらう。紫はそれを一息でぐっと飲み干した。
「――どうやら、仕事は成功したみたいですね」
主の上機嫌な様子に、藍はそう言った。紫はうなずく。
「ええ、ちゃんとスペルカードを使ってもらえる契約を取りつけてきましたわ。それから――新しい異変を起こすことも」
「それはそれは」
藍は主の手際のよさに目を丸めた。
「大成功ですね。しかし、あの吸血鬼たちがこうも素直に紫様の言うことを聞くとは妙ではないでしょうか?」
「いえいえ、そんなことないわ」
紫はもう一杯、冷酒をあおる。お新香に箸をつけながら、紫は言う。
「あの吸血鬼たちは決して頭の悪い連中じゃないわ。前の戦争でもう十分懲りてるわよ」
藍が空いた猪口を再び満たす。紫はアルコールに頬を赤く染めながら笑った。
「彼女たちじゃ、私たちには勝てないってことはわかってるからね。だから、遊びでもいいから、『決闘』で勝てる道を選んだ。そう言う意味では、非常に賢い選択よ。少なくとも無駄に肩意地を張る馬鹿な頭の集まりではないことは確かだわ」
「『私たちには勝てないってことはわかってる』ですか。 ……………………そうですかね?」
藍は右手を顎に当て、目を細めた。
「私はあの吸血鬼が諦めたようには思えませんが」
「あら。どうして、そう思うの?」
「吸血鬼はもっとしつこいものだと私は思ってますからね。いかにも執念深そうな連中じゃないですか」
笑いながら尋ねる紫に対し、藍の眉は厳しげに曲がっていた。そして、藍は口に出すのも忌々しいかというように言った。
「それに――――地下室の『アレ』もまだ残っているじゃないですか」
「…………………………………………藍、『アレ』なんて言うのをやめなさい。彼女はれっきとした女の子だわ。怖いのはわかるけど、女の子をアレ呼ばわりするのは許さなくてよ」
紫は上機嫌から一転して、不快気に眉をひそめた。真剣に怒っているようだった。藍は深々と「申し訳ありません」と頭を下げた。紫はしばらく己の式を睨んでいたが、その様子に反省の色が見えると、表情を和らげた。
「まあ、確かに彼女の能力は、恐ろしい兵器になりうるけどね。だけど、彼女自体はとても優しい女の子だわ――隙間から覗いてたけどね」
「しかし、気が触れている、と外の世界では言われていたのではないですか?」
藍は納得できないという口ぶりで訊いた。紫はうなずきながらも言う。
「ええ、彼女は何らかの心の病気を抱えているわ。原因はまだわからないし、診断もつけられないけど、ね。情緒不安定なところも、まあ、一筋縄で解決できるものじゃないでしょうね。だけど、それは確かに病気なの。病気にも不治の病はあるけど、彼女のものはきっと治せるものだわ」
紫の目はどこか遠くのものを見る目だった。その表情は胡散臭いと呼ばれているものではなく――――どこまでも優しい母親の笑顔だった。
「それに私があの紅魔館のお嬢様を信用しているのは彼女がいるためでもあるのよ」
紫はまた冷酒に口をつける。彼女の顔は上機嫌のものに戻っていた。紫は嬉しそうに言った。
「あのお嬢様は自分の妹を兵器として使わなかったわ――――」
「………………………………………………………………」
「核兵器よろしく、戦場に一人向かわせれば、私たちの軍勢はあっという間に壊滅してしまったでしょうね。まあ、私やあなたがいるから、妹君に負けることもなく、最終的には勝利を手にすることはできたと思うけど」
「だが、それをあの吸血鬼はしなかった――」
藍が神妙な面持ちで呟いた。紫は笑顔でそれにうなずいてみせる。
「あの吸血鬼は戦争の勝利以上に大切なものを知っていた。戦局が不利になろうとも、自分の守るべきものを失わなかった。
そして、何より――家族想いだった。大切な家族を抱えていた」
「家族想いの奴に悪い奴はいないわ」と、紫は笑った。「――利害が対立することはあるけどね」
突然、がらりと襖が開いた。その向こうには、先刻会ってきた吸血鬼と同じくらい幼い容姿の少女が立っていた。女の子は目をこすりながら、言った。
「ん~~~~~~。あ、紫さま、お帰りなさい」
「ただいま、橙」
紫は式の式である猫叉の少女に微笑みかけた。橙はなおも眠そうに目を擦っていた。
「どうした、橙。寝てたんじゃないのか?」
「うん、おトイレに起きたの。そしたら、帰りに、居間に明りが点いてたから」
ふわぁ、と橙が欠伸をする。その可愛らしい欠伸に紫は思わず頬が緩むのを覚えた。藍もまた苦笑していた。
「ほら、みっともないぞ、橙。紫様の前ではちゃんとしなさい」
「でも、眠いんだもの」
橙は二本の尻尾をだらんと垂らしていた。本当に可愛らしい娘だ、と紫は思った。
「橙、今日は何をしてたの?」
「ええっと、今日は猫たちの相手をしたり、森でリグルちゃんとか、ミスティアちゃんたちと遊んでました」
「そう――――いい子ね」
「はい」
また、ふわぁと橙が欠伸をした。藍は橙に注意する――顔はすでに緩みっぱなしだったが。
「橙、早く布団に帰りなさい。風邪を引くぞ」
「わかりましたぁ。 藍さま、紫さま、お休みなさい」
「お休み、橙」
「お休みなさい」
主と主の主に見送られ、橙は寝床へと戻っていった。紫は襖が閉められるまでじっと橙の帰っていく姿を見つめていた。閉じた後も、襖に紫は目を向けていた。藍は主が襖の向こうに、遠くのものを見ていることに気づいた。やがて、紫は呟くように言った。
「橙は友達と遊べていいわね」
「…………………………………………」
「それはきっと本当に素晴らしいことなんでしょうね」
「…………………………………………」
「永い間、一人きりで、閉じこもっているというのは、どんな気分なんでしょうね――」
藍はしばらく主の言葉に答えず黙っていたが、やがて、言った。
「紫様――――」
「――何かしら?」
「先程の言葉、お許しください」
「…………………………………………」
「私の短慮でした。恥じ入るばかりです」
「……………………わかればいいのよ」
紫は杯をあおった。窓の外は満天の星空だった。きっと明日も良く晴れるだろう。
「太陽の嫌いな吸血鬼はどんな異変を起こすのかしら――――」
紫は今年の夏を楽しみに思い、藍によって再び注がれた酒を、また一口で飲み干した。
「『不夜城レッド』ってのはどうかと思うよ、お姉さま」
「そうかしら? なら『全世界ナイトメア』は……………………」
「うーん……正直、止めといたほうがいいと思うけどなぁ」
妹――フランドール・スカーレットは私のスペルカードの命名に対して、口を尖らせていた。私とフランはテーブルを挟み、向かい合って座っていた。テーブルの上には弾幕が装填されたスペルカードが散らばっていた。
白紙のスペルカードの束は翌日、門番長の紅美鈴のもとに届けられた。壁に寄りかかって昼寝をしていたところ、いつのまにか足元に置いてあったらしい。
『いやあ、何かと思いましたよ。ふと見たら足元に紐でくくられた紙の束があったんですからねぇ。危うくゴミかと思って捨てるところでした』
美鈴は頭をかいて飄々と笑いながら報告した。どうやら美鈴はメイド長から門番長になってだいぶ緩くなってきたようだった。だが、彼女はその後、冷や汗を垂らしつつ、こう続けた。
『実際、咲夜さんに指摘されてなかったら捨ててましたね。いやあ、怖かった怖かった。ナイフがなくても心臓を刺された気分でしたよ。『ちゃんと、門番の仕事はやっているんでしょうね。今眠ってたようだけど――』。いやホント、咲夜さん自体がナイフみたいでしたよ。危うく、視線だけで殺されるかと。いつかこれは咲夜さんにナイフ投げられますね』
あっはっは、と美鈴は暢気そうに笑った。私は彼女がメイド長によってナイフの的になる未来を何百通りも幻視したが、言わないでおいた。報告を聞いたとき、私は思わずこの長年付き合ってきた朗らかな少女に、ツッコミとしてグングニルしようかとも思ったが、美鈴は未来でいろいろと苦労することになりそうだから、やめておいた。
スペルカードを使った感触だが、魔法の道具としては、思ったよりも使いやすいものだった。ルールがわかりやすいのも評価できる。弾幕の見た目も派手であり、なるほど、華美でドラマチックな決闘にはもってこいのものなのかもしれない。弾幕ごっこは、見世物としても十分通用するくらい芸術性に溢れたものだった。
今、私たちはフランの部屋の横にある巨大な空間、通称『遊戯室』に来ていた。遊戯室というが何もない部屋だ。あるのはフランの部屋よりも頑丈な壁と高い天井、そして、フランと駆けっこすることができる程度の広い空間だけだった。
私とフランはここでスペルカードの研究をしていた。
まあ、まったくの素人同士、研究というほど大げさなものじゃないけれど。
「スペルカードって何枚もてるの、お姉さま?」
フランが首をかしげて訊いた。私は昨夜紫から渡された紙――『命名決闘法』手引きを見ながら答えた。
「うーん、特に指定はないみたいね。まあ、もてるだけもっていいんじゃない? まあ、結構スペルカードって、もってるだけで負担がかかるんだけど――」
紫が説明した以外のスペルカードの特徴――それは所持しているだけで負担になる、ということだった。さらに弾幕の種類や弾の数によってもその負担は変わった。これは要するに、力が強い妖怪ほど強力なスペルカードを多くもつことができるということだ。力の弱い妖怪は二、三枚しか装備できないだろう。意外と弱肉強食のルールだった。
――だけど、面白いわね。
弾幕ごっこは、基本的に降参するか、スペルカードを使い尽くすかで勝負が決まる遊びだった。力の弱い妖怪は選択の余地がないが、力の強い妖怪はスペルカードの量を調整できるのである。
たくさんのスペルカードをもって数と量の戦いを繰り広げるか、少しのスペルカードだけをもって負担を軽くし、その分質の高い戦闘を行うか。
いろいろな戦術が考えられる遊びだった。
「そうか……なら私はできるだけもっておこうかな」
「あら、フラン。少ないほうが機敏に動けるわよ。スペルカードはもってるだけで体力に制約がかかるんだから」
「いいの、いいの。大丈夫だって。たくさんもってるほうが、何かお得そうだし」
フランはにこにこと笑っていた。私は実際、スペルカードの負担はかなりのものだと見ていたが、フランはそんなことを感じなかったらしい。
フランは目一杯遊んだことがないからだと思う。
フランは生まれてから十年もしないうちに地下深くに閉じ込められていた。いくら遊戯室が広いからといって、全力で身体を使ったり、魔力を放出させることはできなかった。だから、自分の限界がどこにあるかわかっていないのだ。
それは同時に、自分の力の程度を知らないことでもある。
吸血鬼はその生存のために人間の血を吸う必要がある。だが、フランはきっと吸血の前に人間を跡形もなく消し飛ばしてしまうだろう。
彼女が力の加減がわからず、掴んでいるだけでものを壊してしまうのも、彼女の経験不足がいかに深刻かを表していた。
もし、私が地下室に閉じ込めていなければ、良かったのかしら――
私はその後ろ向きな考えを頭の中から追い払った。今は弱気になっている場合ではない。
「――まあ、いいけどね」
私はそう言って、自分のスペルカード、天罰『スターオブダビデ』を手に取る。真っ白な紙に、このスペルカードに眠っている弾幕を模した紋様が描かれ、禍々しい文字で『天罰『スターオブダビデ』』と記されてあった。
――しかし、よくできてるわね。
スペルカードをもち、想像し、念ずることで、スペルカードは自分の望んだ通りの弾幕を生み出していた。そして、スペルカードから発される弾幕は一つの例外もなく幾何学的な弾道を描き、美麗なものになった。
実際のところ、スペルカードは弾幕のパターンを構成し、記憶する媒体に過ぎなかった。弾幕の具現化には使用のたびに、持ち主からの魔力の供給が必要だった。ただ、使用者の認識システムがあり、その弾幕を作製した者にしか使えないようだった。
「個人の魔力を識別してるみたいだね」
吸血鬼であり、魔法少女でもあるフランはそう言った。ふーん、と私はその言葉にうなずいた。
「ねえ、お姉さま」
フランはにこにこしながら言った。とても興奮しているのが私にもわかった。
「せっかくだからさ、その弾幕ごっこっていうのをやってみない?」
フランの手には一枚のスペルカードが握られていた。今、作ったばかりのものである。フランの目は興奮と期待に輝いていた。
私は心の緊張を悟られないように、静かに考える。
――『危険かもしれないわよ――』
親友、パチュリー・ノーレッジの言葉を思い出していた。
私はフランの地下室に下りてくる前、先にパチュリーの図書館に寄っていた。これから、フランのところに行ってくるわ、と伝えた私に対して、親友は、
死んでも灰は拾わないわよ、と本から目を離さずに答えた。その目は親友の私にしかわからない程度に、細められていた。当人の私に悟られてちゃ仕方がないじゃない、とおかしくもあったが、これがパチュリーなりのコミュニケーションなのだろう。パチュリーは私が逢った中で、一番ひねくれた人間だった。この知識と日陰の少女が素直になるのはいつのことだろう。もし、そんな日が訪れるなら、それはとても楽しみなことだった。
パチュリーの言うことはわかる――――フランの力の暴走を恐れているのだ。
フランのもつ能力――『あらゆるものを破壊する程度の能力』は、ときどき暴走する能力であった。
その理由が、能力の存在自体にあるのか、それともフランにあるのかはわからない。
だが、どちらにしろ、思い出したように――本当にふと思い出したように、大きな発作が起こるのだった。フランの私室の扉は数年前にその暴走が引き起こした爆風と灼熱で形も残らず蒸発してしまった。小さな発作は頻繁にあった。机が壊れる。椅子が崩れる。本が破れる。毎日ではないが、一週間に一度は彼女の周りのものが壊れるのだ。
周りの者の下した結論は、妹の能力をできるだけ刺激しないことだった。やがて、その結論は、妹をなるべく刺激しないことに変わっていくのだが。
では、はたして、今はどうか。
弾幕ごっこは遊びである。しかし、真似事とはいえ他者に弾をぶつける――他者を傷つける必要があるのだ。
その行為は妹の破壊の能力を刺激しやしないか?
私は言った。
「ええ、やりましょう、フラン」
私は微笑んでみせた。フランは、やった、と飛び跳ねる様に喜んだ。
怖くないわけがない。下手をすれば、私は数分後に命を落としているのだ。
だが――どちらにしろ、これしか方法がないのだ。
フランが、私やパチュリー以外の妖怪や人間と接していく方法――
フランの友達のつくりかたは今のところ、これしかないのだ。
まあ、私なら蝙蝠一つ残れば復活できるから、大丈夫だろう。
私は前向きになることにした。
もう後ろ向きになるのは飽き飽きだ。
「今回はスペルカード一枚だけでやってみましょう」
私は『スターオブダビデ』をもって、椅子から立ち上がった。うん、とフランも自分のスペルカードを握って立ち上がる。
「ところで、あなたのそのスペルカード、何ていうの?」
「これ? これはね……………………」
フランは悪戯っ子のような笑みを浮かべて、とっておきの秘密を告白するかのように言った。
「禁忌『レーヴァテイン』ていうんだよ」
「へえ、レーヴァテイン、ね――」
私はその言葉ににやりと笑った。自分の中の吸血鬼の血がたぎるのを感じていた。同時に妹の心の底にも自分と同じ闘争心が宿っているのがわかった。
「なかなかのネーミングセンスね。スカーレット家に伝わる、禁じられた魔杖をスペルカードに使うなんて、さすがは私の妹だわ」
「お褒めの言葉ありがとうございます、お姉さま」
フランはスカートの端をかすかにつまみ上げて一礼してみせた。再び上げた妹の顔には強い活力が満ちていた。
「私の『不夜城レッド』、『全世界ナイトメア』には負けるけどね」
「それはないって」
くすくすと笑う妹を見る。こんなに楽しそうな妹を見るのは初めてだった。
フランの楽しそうな顔を見れただけでも、スペルカードに出会ってよかった、と正直に思う。
私とフランはできるだけ遠く距離をとった。互いにスペルカードを構える。
先にフランがスペルカードを天に掲げた。
「禁忌『レーヴァテイン』!!」
スペルカードから魔力が放たれると、妹の手に緋色に輝く灼熱の剣が現れた。まさしく魔杖レーヴァテインだ。一薙ぎで山を焼くといわれる禁忌の杖だった。
しかし、今――多くの人妖に恐れられたその一撃は、無力な子供を殺すことさえできない。
この世で一番安全な魔法の杖だった。
だが、それを握るフランの顔は誇らしげだった。私は自然に頬が釣りあがるのを感じた。私の口もまた勝手に動いていた。
「こんなに月が紅いから――」
「お姉さま、地下じゃそんなことわからないよ」
フランが横槍を入れた。だが、私は物食わぬ顔で答えた。
「いいのよ。これは決闘なんだから。格好良くて楽しければ何でもいいの」
「……………………決闘――。決闘かぁ――――」
フランは何度か口の中でその言葉を繰り返し、はにかんで笑った。
「何だか気恥ずかしいね」
「あら、フランは嫌かしら?」
「まさか。物語みたいで何だか格好いいよ」
文学少女でもあるフランはそう言って微笑む。私も笑んで口上を続ける。
「こんなに月が紅いから――」
私もスペルカードを掲げた。フランが剣を構え、虹色の翼を揺らして飛翔する。
「記念すべき夜になりそうね」
私とフランの初めての弾幕ごっこが始まった。
結果、私は灰になっている、ということはなかった。
フランの能力は暴走することもなく、弾幕ごっこは無事終了した。
「けっこう、弾って痛いね」
「ええ、そうね」
フランは床に寝転がりながら言った。ぜえぜえと肩で息をしていた。対する私も息を切らしながら、スカートが汚れるのを気にすることなく座り込んでいた。最初の弾幕ごっこは私の勝利だった。フランの圧倒的な戦闘経験と飛行経験の不足がその理由だろう。だが、フランは良く戦った。お互い、激しい弾のぶつけ合いで、身体はあちこちずきずきと痛んでいた。フランは私より何倍も多くの弾を喰らっていたが、最後まで降参の意思を示すことはなかった。二人のスペルカードの効果が切れたところで、私の判定勝ちであった。
「ああ、痛いなあ。遊びだけど、痛いもんなんだねぇ」
フランが呻く。だが、その顔は晴れ晴れとしていた。
「飛ぶのも久しぶりだし、明日は筋肉痛だし、大変だよ」
「あはは……そうね、私もだわ」
「だけどさ――
すごく綺麗だったね――――」
「……………………」
「お姉さまの弾幕、とっても綺麗だったよ」
フランはそう言って笑った。破壊の悪魔が浮かべる笑顔は天使のものだった。悪魔の私はその笑いにつられて微笑んだ。
「フランの弾幕もとても美しかったわ」
「そう?」
フランは私の言葉に嬉しそうに笑んだ。
それから、私とフランは息が落ち着くまで黙っていた。心地よい沈黙にしばし身を任せる。
やがて、フランは床に寝たまま、私を呼んだ。
「ねえ、お姉さま」
「何かしら、フラン?」
「お姉さま――――最初に、友達のつくりかたを教えてあげる、て言ったよね?」
「―――――――――ええ、言ったわ」
「これが、その方法なの?」
「―――――――――そうよ」
「そっか。そうなんだ」
そうなんだ、とまた呟き、フランは額に浮かんだ汗を拭った。とても綺麗な笑顔だった。
「友達をつくるのって、痛くて、綺麗なことなんだね」
とっても素敵だね、とフランは自分の言葉にうなずいた。
私は自分が妹を侮っていたことに気づいた。
妹は私が思っているほど子供ではなかったのだ。
妹は私の言葉の意味を考えていた。
私が何を教えたいのか、深く考えていたのだ。
人を接するとはどういうことかを、真剣に学んでいたのだ。
ずっと、地下室に閉じ込められていたが、妹は決して他者と――世界と繋がることを諦めていたわけではなかったのだ。
友達をつくることを諦めていたのではなかったのだ。
「私さ、」
フランは私に話し続ける。それは独白のように淡々とした声だった。
「弾幕ごっこする前、少し悩んだんだよね。ひょっとしたら、私の能力が暴走するかもしれないってさ」
「――――――――――――――――――――――」
私は沈黙せざるを得なかった。フランはじっと天井を見つめていた。
「お姉さまを怪我させちゃうかもしれないと思ったけど、誘っちゃった。ごめんなさい」
フランは冗談めかしてはいたが、とても申し訳なさそうな顔をしていた。だが、すぐに笑顔に戻って続けた。
「だけど、何か大丈夫そうな気がしたから、誘ってみたの。思ったとおり、大丈夫だったよ」
えへへ、とフランは笑った。私は何も言えず、フランの顔を見つめているしかなかった。
「実はね、私、自分の力を使う練習をしてるんだよ。ずっと私は自分の力が嫌いだったから、使ってこなかったけど、私たちが――紅魔館が幻想郷に引っ越してきてから、練習するようになったんだ」
「どうしてかしら、フラン?」
私の問いかけに、フランは、別に大した理由はないんだけどね、と言った。
「何か皆変わり始めてるからさ、私だけ変わらないのも仲間はずれみたいじゃない」
フランは、あはは、と笑った。
私はただひたすら驚くだけで何も言えなかった。
「それが良かったのかはわからないけどね」
フランは身体を起こして、私の目を見た。
「私ね。お姉さまが、友達のつくりかたを教えてあげる、て言ったとき、どうしたんだろう、て思ったの」
私と同じ紅い虹彩には強い力が篭っていた。
「私は地下室で長い間暮らしているけど、実はそんなに不幸でもないんだよね」
フランは私を安心させるように笑った。
「だから、私自身、そんなに友達とか考えたりしないんだけど。お姉さまがすごく楽しそうに話すから、それもいいかな、って思ったの」
私を見るフランの目は真っ直ぐだった。
「そんなにもお姉さまが真剣に私のことを考えてくれたんだから――」
本当に私は妹を侮っていたのだと重ね重ね思った。フランは私の手をとって言った。
「だから、私、努力してみるよ――――友達をつくる努力をしてみる」
私の心に――強い希望が差していた。
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