鏡の前に立ったとき、私はおかしなことに気付いた。
「んー?」
なんか清々しい。
なんで、きれいさっぱりなくなってるんだろう。いつもは遠目にでも黒光りするアレが、鏡に映っているはずなのに、どうしてこんなことになってるのか。
ひょっとしたら朝日の当たり具合のせいかもしれない。身体をずらして、横目に鏡を見てみる。特になにもない。なにもないから、何事もないんだ。あはは、よかった。
いや、いや、いや。
――厄がないじゃないか。
たたた大変だ。
布団をひっくり返してみる。なにも見つからない。すこし湿気を感じたので、ついでだから外に干してみる。ぱんぱん叩いて埃を落とした。これで今日も気持ちよく眠れそうだ。
クローゼットを開ける。替えの服に、リボンやらなんやらが見つかった。ほつれたボタンを見つけたので繕ってみる。慣れたものなので、あっという間に元通り。これでみっともなく思われずに済む。
それから顔を洗って、髪にブラシをかけて、部屋着から普段着に着がえて、目覚めの紅茶を一杯淹れた。いつもの椅子に腰掛け、まずは香りを楽しむ。それから、ゆっくりとカップを傾けた。
「ふぅ」
カップを置く。
…………。
これじゃ普段とおんなじだ。
どうしよう、落ち着け、まずは紅茶を飲むんだ。
「ふぅ、おいしい」
ガチャンと、ソーサーを鳴らしてしまう。どどどどどうしよう。カップはもう空だ。もう一杯淹れようか? いやいやいや。
焦ってばかりじゃ仕方ないから、まずは一考してみる。
神様である。これはまちがいない。厄がないからって身体の仕組みまで変わるものか。いつもと同じ服装である。これも見ればわかる。ていうか、さっき着がえたばかりだ。目は覚めている。これも問題ない。アールグレイのほのかな渋みのおかげだ。
そして、次が一番たいせつなところ。
厄神である。
「…………」
そうは見えないだろう。朝起きたら、自己主張をまるごと失ってしまった。まるで肉球を失った猫だ。そんな猫の悲しみはいかなるものか、今ならよくわかる。
「どうしよ……」
厄を失くしてしまうような厄神への信仰なんて、ありえないだろう。無益な神様をありがたがってくれるほど、世のなか甘くない。
神様における信仰というのは、健康のバロメーターみたいなものだ。仮に信仰がすっからかんになってしまったらどうなるだろう。髪も肌もまちがいなく荒れて、ボロ、ボロ、ボロ、のボロぞうきんになる。
ちょっと昔の厄落としを思い出す。
あの時は規模が小さかったから、少々だらしない格好で厄を拾いに行った。有り体にいってしまえば、寝て、起きて、そのまま行ってしまった。離れたところで拾っていたからバレないと思ったのだけど、運悪く、噂好きの人間に目撃されてしまったようで。
あの厄神は宿無しらしいぞクスクス、とか。
ほんとうは寝坊の神らしいよプププ、とか。
里中の評判になってしまった。
それからしばらくはもう大変だった。肌は荒れる、髪はバサバサになる、犬には吠えられる、ボヤまで出す。見えない誰かに一日中嫌がらせをされてるようなものだった。
ちょっと不名誉な噂であれだから、信仰ゼロともなると、キューティクルだけではなく、毛根までやられてしまう可能性がある。この格好で薄毛というのは、笑えるようで笑えない。いやまったく笑えない。人目は引けるかもしれないが、信仰なんてもってのほか。
ハゲた神様も、いるにはいるんだけど。
冗談じゃない……。
厄はどこへ行ったのか。それを考えてみる。消えた、というのは考えられない。そんなにあっさり消えてしまうのなら、厄神なんて必要ないわけであって。昨日はあっただろうか? 朝も昼も夕方も、そんな兆しすらなかった。いつもどおりドロドロしたものに包まれながら眠りについたのも、なんとなく覚えている。
となると。
そこまで考えて、思い至る。ぞわわっと、いやーな感じが背中を走る。
――寝てる間に。
持っていかれたのだ! さぞや気持ちよく眠っていたであろう自分を叩きたい。グー……、いや、パーで。びっくりするほど昨夜は快眠だったから、パーでは起きないかもしれない。
いったいどこのだれがやってくれたのか。そもそもだれも欲しがらないからこそ、アレは厄と呼ばれるようになったわけで。犯人はよっぽどの物好きか、いたずら好き。もしくは、なんだかよからぬことを企んだ悪いヤツ。
「なんてこと」
厄が好き勝手にばらまかれたら、いったいどんなことになってしまうのか。あれはただ不幸を運ぶだけではない。それはもういろいろな、詳しくはよく知らないんだけど、いろんな負の力を、人間や妖怪のもとに呼ぶ込むのだ。悪用されたらとんでもないことになる。
取り返さなくちゃ。
でも、どうしよう。「厄見なかったー?」なんて聞いて回るわけにもいかない。「厄はどうしたの?」なんて聞かれて「失くしちゃった」なんて言えやしない。自滅もいいところだ。
「神社に行けば?」
ああ、そうだね。お祓いしてるんだし、厄の一つや二つ持ってそうだね。
――ん?
◆
「お……お……おお?」
重い。すべてが重い。めずらしくカゼだろうか。
手に力をいれてみる。いつもと同じ感触が返ってきた。身体を起こしてみる。なにごともなく起きることができた。ベッドから出て、立ち上がってみる。べつにふらふらともしない。
身体はオーケイ。
が、しかし。
気分が最悪。二日酔いをぶちぬいて二十日酔いぐらいだ。なんだかよくわからんがデロデロする。泥だらけの湖に大量のウナギを放して、そこで泳いでいる気分だった。
カーテンを開けてみる。うすぼんやりした部屋に、新品の光りが差しこむ。それで終われば気持ちも晴れただろうに、カーテンレールが落ちた。べつに乱暴に扱ったわけではないのに、どういうことだ。
落ちたレールをひとまずよけておいて、窓を開ける。
ひんやりした風が入りこんで、よどんだ部屋の空気を追いだしてゆく。まだ気分は晴れないが、目は覚めた。さすがに冷たすぎるので閉めようと思ったら、へんな感じに引っかかって動かない。
おいおい、ご機嫌斜めなんだな、窓さん。
両手の指をひっかけて、力をこめる。ひたすら力をこめる。全身の筋肉を総動員して力をこめる!
ビクともしない。
しかたないので開けっぱなし。
「納得いかん」と思わず声が出た。
風が吹きすさんで、部屋の温度がさがり続ける。寒い、寒すぎる。換気じゃなくて寒気だ。うまいこと言った。メモっておこう。気分は悪いが、余裕はあるみたいだ。さすが私。
ふと、窓に映るなにかに気付いた。
「なんだこれ?」
気のせいでもなんでもなく、身体の周りでよくわからんものがデロデロしていた。どことなく黒光りしているようにも見える。光り具合がなんとも邪悪で、不吉だ。
「疲れてるんだな」
ひとまず何も見なかったことにした。ひょっとしたらまだ寝ぼけているだけで、あとで見たら消えているのかもしれない。大いなる楽観というやつだ。
たぶん、お腹が減ってるからだな。特にハラペコというわけでもないのだけど。食パンとジャムの瓶が目に入った。
これでいいや。
真っ赤なイチゴジャム。知り合いの魔法使いの家からこっそり拝借してきたものだ。ラベルには勇ましい書体で「紅蓮」とある。このラベルがあんまり気にいって、ついつい手くせの悪さを発揮してしまったのだ。
瓶の蓋はなかなか開かない。そんなに固く締めた覚えは無いのに。
寒すぎて凍ったか?
そんなバカな。あたまに来て力をこめる。ひたすらこめる。片膝ついてこれでもかっ、というぐらいこめる。顔が真っ赤になってそうだが、おかまいなしだ!
やっとのことで開いたおもったら、手を滑らせて放り投げてしまった。
窓ガラスに直撃して、風が入りこむ面積がひろがった。見るも無残で、なんかもういろいろと最悪だ。あとでなんとかしよう。いや、なんとかさせよう。元はといえばこのジャムをつくったやつが悪いんだ。
瓶を拾う。幸いガラス片が入り込んでいる様子もなく、無事だった。
椅子に座る。
疲れてる、疲れてるんだ。疲れてる時は甘いものだ。ジャムを塗りたくる。毒々しい赤が広がって、瓶はすっかり空っぽになった。見えないガラスが入ってたりして、と不安になるが、黙って見ていても仕方ない。
「あーん」
大口を開ける。甘い香りが近づいてくる。食欲があるわけではないが、じゅうぶん魅力的な香りだ。それだけでも舌が踊る。この甘さこそきっと救世主、メシア。いただきまーす!
ふいに、風が吹いた。
邪魔をするなよ。
そして、鼻をくすぐるなよ。
何の恨みがあるっていうんだ。
私は、パンを食べたいだけなんだ。
「は? は……」
その気はないのに、顔と手が動きだす。顔は前に、手も前に、無意識のユニゾン。
「くちゅん」
べちゃー。
顔中真っ赤で前髪もべたべた。
もう、食欲なし。
私はもともと陽気なはずだ。雨が降っても雨の日の雰囲気を楽しむし、カゼを引いても一日中家にいてかまわないのが嬉しい。困難にぶつかっても失敗していいや、と気楽な気持ちで望むから、落ち込むことはない。
「はぁぁ」
しかし今日に限ってはそうもいかなかった。いつもは気にしないはずの部屋の散らかりぐあいが、今日は煩わしくて仕方ない。顔を洗っても、鏡に映る自分の顔がにくたらしくて、ラクガキでもしてやりたくなる。
あいかわらず鏡に映っているアレを確認してしまったら、もうダメだ。
「なんなんだよ、これ」
私はなんだかおかしなことになっているようだけれど、無視することも、どうにかしようとすることも出来ない。一生こんなものと過ごしていくのだろうか。考えたくもない。どうしてこんな世の中に生まれてきてしまったのだろう。なんで人は戦い、争い、死にゆくのだろう。ポイズン。
いや、でも、本でも読んだら気が休まるかもしれない。ベッドの脇に置きっぱなしの本を見て、そう考えた。
『ペリーちゃんとホッタさんの指輪』
たしか、ペリーちゃんが泣きながらホッタさんの家を爆破したところまで読んでいたはずだ。シリアスな場面なのに大笑いしてしまったのをよく覚えている。いったい彼らはどうなってしまうのだろう。胸がおどって、頬が緩む。
本を開く。
「……これはぶったまげた」
未読の部分だけ、虫にがっつり食われていた。当然ながら、結末は分からずじまい。本の虫というのは、こんなに仕事の速いやつだったか。仕事熱心なのは良いことだけれど。
良いことだけれど!
……ああ、もう。
だめだ。
私はだめだ。
困ったときは、手っ取り早い解決手段を選ぶべきだ。私は今までずっとそうしてきた。
「死のう」
準備をしよう。死ぬ準備だ。
こうと決めたら行動は早いぞ。
まず、見られて困るものを引き出しの奥深くにしまった。「あら魔理沙ったらこんなの持ってたのねウフフ」とか、「やだー魔理沙ったらまだこんなの使ってるんだー」とか死後に言われるのは具合が悪い。
つぎは身支度だ。まさか寝間着に寝ぐせだらけの死体をさらすわけにもいかない。
髪をとかす。がっしゃがっしゃと、普通にやっているはずなのに、ブラシがボロボロになった。髪も、ブラシを入れる前より悲惨なありさまになった。きれいな頭で死ぬことはあきらめた。
寝間着からいつもの服に着がえる。普通に着たはずなのに、あちらこちらで生地が破れる音がした。しかも裏表が逆、前後も逆だ。確認したはずなのに、おかしすぎる。なんとか着がえ終わってみたら、ブラウスもスカートもボロボロだった。きれいな格好で死ぬことはあきらめた。
つぎは頑丈なロープと、踏み台だ。踏み台はいらないな、と自嘲した。
ロープはすぐに見つかった。引き出し開けたら一発だ。なんでここだけ、こうもすんなりいくのだろう。
まあいいや。
万全とはいえないが、死ぬ準備はできた。あとは場所を選ぶだけだ。
「神社にしたら?」
それはいいな。あの鳥居なんか派手で良い。巫女が見つけて死体を片付けてくれることだろうし、ひょっとしたら涙のひとつも流してくれるかもしれない。いや、それはないかも。
――ん?
まぁいいや、死に場所は決定。
箒を持って、死出の旅へとドアを開ける。そこで、ふと気づく。私が死んだらこの家はいったいどうなるのか。いけない、いけない。こういう雑なことをすると、後で後悔するんだ。
張り紙をしておこう。
『霧雨魔理沙は死んだ。今まで世話してやった。
死んだからって勝手に私の物持っていくなよ』
これでよし。走り書きだが、なんとか読めるだろう。いざ箒に乗って、目的地へ。
戸締りなんてもう、必要ないさ。おばけなんてウソさ。
◆
「厄、ください」
神社の境内で、私は頼んだ。まだ日が昇りきってないせいか、境内は冷える。鳥居が赤いのは、せめてもの救いだ。これで青とか紫の鳥居だったら、もっと寒々しかったろう。鳥居の先には本殿が見えるけど、まぁ、神様のくせにあまり馴染みのない場所だ。
「お祓いならともかくねえ」
霊夢は私をじろじろ眺めてから、そう呟いた。竹の箒を持っている。掃除をしているのだろうけど、枯れ葉があんまり多すぎて、どこを掃いても徒労になりそうだ。
「いつも祓ってるんだから、ちょっとぐらい持ってたっておかしくないでしょう」
「そりゃあもう、ひっきりなしに、祓ってはいるけどね」
なんだか大げさに、箒を振りまわす。やましいところがあるんだろうな。
「だったら厄、ちょうだい」
「さっきからそればっかりじゃない。一つ覚えのバカなの?」
「巫女が神様にむかって、それはないんじゃないのー」
霊夢は順番をいれかえてまで、「バカ」を強調してくれている。嫌われてるのかな、やっぱり。
「なんなのよ、あんた。その格好」
このほっかむりと、コートのことを言っているのだろう。必要に迫られてのファッションなんだって。そんな変なものを見るような顔、しないでほしい。
「大変なのよ」
私をさえぎるみたいに、霊夢はまた箒を振る。
「客が寄りつかないから、さっさと帰ってよ」
ぶっきらぼうに言われた。しっしっ、と手まで振っている。
おかしいな? 説明する流れだと思ったんだけど? と混乱したけど、気にせず続けることにする。
「よく見てよ」
「なによ」
「あるべきものが無いでしょう? いつもなら、こう、この辺にモヤってしてるやつが」
手振りで、モヤっとした感じをあらわして見せた。こう、うねうねっと。さすがに伝わらないかもしれない。
よくわかんない、と霊夢が首をかしげる。まぁ、そうだよね。
「それがなによ。けっこうなことじゃない。不吉でもなんでもない、ただの神様。縁があったら祀ってやってもいいわ」
「それじゃ困るのよ。ただの神様の需要なんて、これっぽっちもないんだから」
「狛犬にでもなればいいじゃない。あるわよ、そこ」
霊夢は顔だけで、私の左右のそれを示してみせる。狛犬が一対。オスと、メスかな? 私が入りこむ余地は無いね。
「狛犬なんかじゃ、誰も崇めてくれないんだって」
「取ったら? それ」
私のほっかむりが気になって仕方ない、といった顔だ。コソ泥と話してる気になってくるのかもしれない。
「出来れば取りたくないんだけどなあ」
諦めて、ほっかむりとコートをとった。
霊夢が呆れた顔になる。
「合わないにもほどがあるわ」
この神社とこの格好かな、と私は見当をつけた。
「目立たないと、神様なんかやってらんないんだって」
だまっているだけで信仰をあつめられる神様も、いるにはいる。けれどそれは座っているだけで後光がさすような、ものすごい上位にいる神様だ。高天原とか、散歩気分でふらりと行けちゃう神様。そんな場所に縁のないしたっぱ神様には、努力が欠かせない。
「目立ってる、というか、目に痛いわ」
努力とはつまり、この赤のリボンに、緑の髪に、赤のドレス。我ながらコントラストがきつい格好だとは思うけど、仕方のないことなのさ。半分以上は好みなところもあるけど。
「困ってるんだって。巫女なんでしょう? 神にお仕えするんでしょう? なんとかしてよ」
「なんとかしてってねえ。巫女が厄を集めてどうすんのよ」
「祓ってるんだから、集めてもおかしくはないんじゃないの」
「『博麗の巫女は厄を集めてるらしいよヒエェ』なんて噂になったらどうすんのよ。閑古鳥も撃ち落とす勢いで客がいなくなるわ。餓死よ餓死」
「箒でもかじってればいいじゃない」
「おいしいならそれもいいけどね」
それから、ほんのすこしの静寂。ヒーヨヒーヨと、どこかで野鳥が鳴いて、合間を埋める。たぶん鳴き声どおり、ヒヨドリが鳴いているんだろう。きれいな鳥だから、たまにエサで釣って眺めたりしてる。わりと、お気に入りの暇つぶしだ。
そんな声を聞きながら、箒を見つめた。庭箒だから、穂先がトゲトゲしい。でも、使いこまれてるせいもあってか、なんだか趣きがある。
なんとなしに、霊夢と目が合った。
「おいしそうではないなあ」と私は笑ってしまう。
そもそも、箒は食べ物じゃなかったね。
「また一から地道に集めなおせばいいんじゃないの?」
霊夢はなぐさめじみたことを言ってくれたけど。
「そういう問題じゃないんだって」
厄というのは、そんなに簡単に消えるものじゃない。十の厄から十の災いを受けたとしたら、消えるのはせいぜい一つか二つの厄だけ。やつらはしつこいのだ。あれだけ貯めこんだ厄が、一晩で消えてしまうはずがない。やっかいなものだからこそ、私が必要になるのであって。
「厄がどっかいっちゃいましたー。なんて言いふらしてたら、私の評判がガタ落ちしちゃうのよ。それに、ほっといたら大変なことになるかもしれないし」
「大変なことって?」
「幻想郷の人口が半分になっちゃうかも」
「そりゃ大変だー」
語尾を延ばすべきセリフではないと思うよ。
「だからなんとかしないと」
はぁ、と霊夢は息をもらす。なんの溜め息かわからないけど、少なくとも緊張感は含まれていない。
「それで、私にどうしろっていうの」
「ここにないなら、探すのを手伝ってよ。ていうか、探してきてよ」
霊夢は黙って視線を返してくる。私も同じように返して、にらめっこになった。
じっと見つめあう。
ああ、なるほど、そういうことね。
「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃない」
神様がじきじきに頼んでるというのに。
「だいたい、そんな簡単にどっか行っちゃうようなもんなの? 厄が人間に帰らないように見張ってるから、あんたは厄神なんじゃない。いや、厄神だったんじゃない。それが無くなったから探してくれって」
そこで「ふぅ」と一息ついて、トドメの一言。
「ありがたくもなんともないわ」
「う」
ぱきん、と肌の細胞がくずれて、ぴきっ、とキューティクルが死ぬ音がした。
「あ、ああ」う、う、う。「かかかか、勘弁して」
「……? どうしたのよ?」
「そんな、あからさまに信仰を失うみたいなこと、言わないで。肌が、髪が、ひどいことになっちゃう」
「よくわかんないんだけど」
「ほめて……。超ほめて!」
「すてきー」
「もっと神様っぽく!」
「神々しいなあ。ありがたいなあ」
「もっともっと!」
「いよっ! この天之御中主神!」
肌がつるんと瑞々しく、髪がさらりとなめらかになった。気のせいかもしれないけど。
「癒されたー」
ああそうよかったわね、と霊夢は肩をすくめる。
「探すって言っても、その辺にほいほい落ちてるようなもんじゃないでしょう。厄年だって人生に三回あるかないかじゃない。そんなめずらしいもの、いちいち探してらんないわよ」
「それは、そうだけど。そういうことじゃないんだってば」
「だいたいどうして無くなってんのよ。誰も欲しがらないから、あんたが集めてたんでしょう」
「それは、持っていかれたんだと思う」
物騒な話だけど、ほかに考えようがなかった。
「あんた以外に、物好きもいたものね」
物好きってのはどうかなあ。私はべつに厄が好きだから集めているわけではない。おかげでいろいろと不都合なこともあるわけだし。買いものに行くわけにもいかないから、身の回りの品はすべて自家製だ。それはそれで楽しいからべつにかまわないけど、面倒に思うこともある。
「ま、休暇だと思えばいいんじゃない?」
「そんな悠長な話じゃないんだってー」
駄々をこねてみせたけど、霊夢は無視して、本殿へ向かう。
「あなたみたいなのを職務怠慢って言うのよ」
食いついて行くけど、やはり無視される。
やっぱり、ダメかあ。あまり期待はしていなかったけど、先のことを思うと気が重くなる。厄なくしちゃいましたー。探してるんですー。不審なものには手を触れないで、係員の指示に従ってくださーい。なんて言いながら幻想郷中を飛び回らなければならないのだろう。石でも投げられるかもしれない。卵かトマトぐらいで勘弁してほしいな。
なんだか、鉛を飲んだような気になっていた。
「さー、仕事。あー、めんどくさ」
霊夢が鳥居を過ぎたあたりで、魔法使いが飛んできた。霧雨魔理沙、とかいったっけ。
「またなんか来た」と霊夢がうんざりする。
「よう、霊夢。と、いつかの厄神」
魔理沙は箒に座ったまま挨拶した。
「いまは休暇中みたいだけどねって、ボロボロじゃない、あんた」
たしかにボロボロだった。服がところどころ破れていて、肩には縄のようなものをかけている。どこかで野良仕事でもしてきたのだろうか、魔法使いというのも楽な仕事じゃないのかな、と気を遣ってしまう。
「そういう日もあるさ」
どこかふっきれた顔だった。ふっきれたというか、針が振り切れたというか……。
それから魔理沙はふらふら上昇して、鳥居の貫に縄を結びつけた。さらに縄を垂らした先に、まるい輪っかをつくる。
私たちを省みることはない。一心不乱。そんな言葉がぴったりだ。
霊夢と二人、黙ってその作業をながめた。
魔理沙がこれでよし、といった顔になって、親指を立てる。
「鳥居、借りるぜ」
花が咲いたような笑顔だった。
「厄いわねえ」
◆幕間
「そこを、もうちょっと右」
「せーい。せーい。ほい。こんな感じ?」
「右すぎ」
「左へせいせい。あ、なんかひどいことになった」
「不器用ねえ」
「代わってよ」
「嫌よ」
「トンカチとかないの?」
「意味ないでしょう」
「まぁ、そっか」
「こう、クイっとやって、グーンと」
「ぜんぜんわかんないよ」
「不器用ねえ」
「だから、代わってよ」
「嫌」
「こういうのは、勢いでやるべきなのかな」
「もう、任せるわ」
「そーれそれそれ、ほーれほれほれ」
「うわぁ」
◆
あれは、厄の仕業だ。
「なんなのよー、もう」
「死なせてくれ死なせてくれ」
二人はもみくちゃになって、私の頭上で暴れている。魔理沙の両手はがっしり縄をにぎって離さない。
「あんた、空飛べるやつが首吊りはないでしょうが」
「死なせてくれ死なせてくれ」
さっきから魔理沙はそればっかりだ。これこそ一つ覚えのバカだろう、と霊夢の言葉を思い出す。
「苦しくなって浮いちゃうのがオチだってば」
「花の下にて春死なむと言うじゃないか」
「春じゃないし、これ鳥居だし」
「じゃあヒノキでもモミの木でもなんでもいいから! 貸してくれ!」
どっちもきれいな花は咲かなそうだけどなあ。だいたい、貸すも返すもないだろうさ。
「ちょっとー、見てないでなんとかしてよ」
霊夢が助けを求めてきた。
「いや、遊んでるのかなって」
どう入っていったものか、いまいちわからない。こんなに近くで人間の営みを見るのも、久しぶりだ。楽しそうだったし、邪魔をするのも悪かった。
しかしまぁ、なんとかしてといわれたら、なんとかできるんだから、なんとかしてあげましょう。神様らしい奉仕精神というやつ?
「死なせてくれ死なせてくれ」
「あー、もう! 死ぬならよそで死ね!」
軽く準備体操をして、ステップを踏んだ。
「ぐるぐるー」
私は回る。
前で結んだリボンも、後を追ってくる。回る力を受けて、スカートがふわりと浮く。
誘われたみたいに、厄が寄って来る。
「お、おお?」
素っ頓狂な声がした。たぶん、魔理沙のものだ。
「おおぉ?」
似たような霊夢の声も聞こえる。仲が良いんだな。
吸い寄せる感覚がなくなったので、徐々にステップを緩める。
転ばないように気をつけながら、ゆっくり回転を止めた。
「はい、おわり」
これでお祓いはおしまいだ。巫女が行うものよりはたぶん、シンプルで手っ取り早い。もっとも厄が無くなるわけではないから、お祓いとはいえないのかもしれない。
魔理沙が急にすっきりした顔になった。
「生きてるってすばらしいな」
「そうかもね」
霊夢は疲れた顔だった。
「それで、なんで私が自殺未遂なんだ?」
縄を放して、霊夢の手からすべり落ちてくる。
「知らないわよ」すこし遅れて霊夢も落ちてきた。
「厄のせいだね。ほら、これだけ」集めた厄を指してみせる。「これぐらいならまだ大丈夫だと思うけど、あんまり近づかないほうが良いかも」と注意しといた。
「厄って、なんで魔理沙がそんなもん持ってんのよ。蒐集癖もそこまでいくと悪趣味よ」
「拾い食いした覚えはないぜ」
「はて? でもこの厄は私が集めてたやつだね。覚えがある感じだし」
「じゃあお前のしわざか? いつかの仕返しとか」
「失敬ね」
まぁ、疑われてもしかたないけど。
「うーん」と霊夢が厄を見つめてくる。「なんだかちょっとモヤがかかってるみたいな……」
「大した量じゃないからね。人間ひとりには、ちょっと荷が重いけど」
霊夢のものとはちょっと質のちがう視線を、魔理沙から感じた。霊夢が凝視なら、こっちは疑問視? どっちにしろ、ジロジロ見られてることには変わりない。
「なんでそんな、清く正しいことになってるんだ? 前見たときはもっとえんがちょだったのに」
ひどい言われようだと思うが、べつに気にしない。慣れたものというか、「畏怖」という信仰の形もある。魔理沙のはなんだか違う気もしたけど。
「朝起きたらこんなことになってたのよ」
「私と一緒だな」
「二人そろって夢遊病なんじゃないの」
「それはそれで愉快だな。まぁ、たすかったぜ。命拾いだ。私が自殺なんてなんの冗談だよ」
「どういたしまして。とりあえず、復職できたわー」
ほっと一息つく。これで一応は厄神を名乗れるようになったわけで、ほっかむり卒業だ。
「どうかな」
「どうかしら」
二人そろって疑問を投げてきた。
「なんで? どっから見ても厄神じゃない」
「厄神というか……」
「ただの陰気な神様ね」
「…………」
道のりは険しいようだった。
落ち着くとさすがに寒くなってきたのか、魔理沙は勝手に中庭へ向かって、そこから部屋に滑り込んだ。まさに、勝手知ったる他人の家。
霊夢も魔理沙に続いたけど、私は縁側でとどまって、ブーツをぷらぷらさせる。脱ぐのが面倒っていうのもあったのだけど、長年の厄神生活で身についた、配慮というものだった。
「あんた、髪もぼろぼろじゃない」
そんな声がしたので、膝で立って、部屋を覗きこむ。たしかにぼろぼろだ。前みたときはきれいな金髪だったのに、と思い出すと、あまり好ましくない記憶も一緒に頭へ流れてきた。つい最近、初対面で、理不尽にボコられたのだ。
「普通にやったはずなのに、なぜかこうなってだな」
魔理沙はからりと笑う。さっきまで黒々としていたのに、ずいぶん変わり身が速い。
「ここ座って」霊夢が座布団を投げる。「櫛いれてあげるから」
「今日はえらく気がきくんだな」
「えらく含みのある言い方ね」
ぽすっ、とおとなしく魔理沙がそこへ座る。
「やさしくしてくれよ?」
「保障はしないわ」と言って霊夢は、部屋の隅から箱を寄せてきた。
お化粧道具の箱かな。黒塗りで、たぶん漆器だけど、ところどころくすんでいて、遠目にもずいぶん年季が入っているように見える。先祖代々伝わるものかもしれない。
霊夢は箱から櫛を取り出した。落ちついた色をしていて、竹で出来ているようだった。普段使っているブラシと比べると、だいぶ趣向が違うけど、良い色だ。素直にそう思った。
「良いもん持ってるじゃないか」
「あげないから。ほら、前向いて」
不敵に笑って、魔理沙は背を向ける。そのまま、されるがままになった。
ざっ、ざっ、となんとも通りのよろしくない音がして、魔理沙の顔が小刻みに上を向く。
「いたい、いたい」
「仕方ないじゃない。あんたこれ、タワシでやってきたの?」
「終わってみたら、ブラシがそんな感じになってたな」
私は二人を、縁側から眺めていた。すこし大げさ過ぎるかとも思ったけど、これぐらいが一番、馴れた距離だ。役目としてではなくて、種族として身につけた人間との距離感。それが、だいたいこれぐらい。
そういえば誰かに髪をといてもらったことって。
ちょっと気になって、記憶の引き出しをあさる。
神様の記憶なんて、そう種類は多くない。人間と違って、やることがはっきりしてるからだ。だから、似たような記憶が積み重なると、一つ一つの区別が難しくなってくる。そうやってレアな思い出も、なんてことない思い出のなかに埋もれてしまう。
ゆえに、あったかどうか。はっきりしない。
いや、でも。
あったはずだ。
二人の姿を見ていると、私のなかに、なんだか不思議な確信が生まれていた。
根拠のない確信って、妄想って呼んだと思う。でも、あたまの奥底にはちゃんとしたイメージがあって、あんな風にちょっと大ざっぱだけど、でも優しい手つきに、なんだか覚えがある。
イメージというか、感触だろうか。
積もり積もった同じような記憶の片すみで、そいつだけが、色違いを主張してるような気がした。
「はい、おしまい。ちゃんとしときなさいよ」
霊夢が、魔理沙の頭をコツンと鳴らす。それで思考はストップして、なんだかよくわからない感覚が、消えてなくなった。霊夢はずいぶん手際がよかった。
「ご苦労さん」
魔理沙はやけにえらそうだったけど、霊夢は気にもせず櫛をしまおうとする。
それを見て、ちょっとした思いに駆られた。
本当にちょっとしたもので、きっと何の意味もない、ほんの思いつきだ。
「ねえ」
気がついたら、声をかけていた。
「なによ」
すこし躊躇してしまう。この程度ならまだ大丈夫、と見当をつけて、思いつきを通す。
「私も髪、やってくれない?」
「いいけど? こっちきなさいよ」
あっけなく、霊夢は引き受けてくれた。あっけなさすぎて、余計とまどう。
「でも、厄がうつるかも」
「死にゃしないわよ。ほら、さっさと」
二人とも頑丈そうだし大丈夫かな、と折り合いをつけて、靴を脱いで部屋にあがった。魔理沙がもぞもぞとコタツへ潜って、座布団を空ける。入れ替わりに私がそこへ座った。
「ほどいていいの? これ」
「いいよ」
「前結んでるやつは、自分でほどいて」
「はいはい」
リボンを、ほとんど同時にほどく。髪が広がって、目の前がエメラルドになった。
「サッラサラじゃない」
後ろ髪が動く。霊夢が指を通してるみたいだ。
「気をつかってるのよ」
神様といっても見た目には気をつかう。民衆というのはわりと単純であるから、みっともない神様の人気など、あっという間に地に落ちてしまう。信仰とはデリケートなのだ。
「神様の髪をとかすなんて、なかなかできない体験ね」
霊夢からは、なんだか奇妙なやる気を感じた。
冗談のつもりか? と魔理沙がなぜか厳しい声を出す。
「昔の神様、っていうか昔の人は髪を洗わなかったのよ?」
だれかに髪を触られるのは久々、たぶん久々で、急に照れくさくなって、そう茶化した。
「洗わないでどうすんのよ」
「櫛をいっぱい通して、汚れとか、ホコリを落とすの。それで油をぬっておしまい」
「ばっちいわ」
と霊夢は笑って、私の髪を手にとった。一束、ってところかな。
「そーれそれ」
霊夢が櫛を通してくる。
自分でいつもやっていることなのに、くすぐったい。人間の手っていうのは、なにか不思議な力でもあるのかな。手当て、なんて言葉もあることだし。霊夢の手は、やっぱり少し大ざっぱに思った。でも、根元から毛先まで、しっかり通してくれている。
なんだか落ち着かないけど、どちらかというと心地よくて、なつかしくもあった。
――なつかしい?
なんでだろう。
どこで、だれに。
顔も、景色も、音も匂いも思い出せない。
思い出せるのは感覚だけ。
――――。
記憶の断片を拾い集めてみる。
……まとまらない。
もともとバラバラなのか、一つのものがバラバラになったのか。それはわからない。
まぁでも、多分。
そんなに、深刻な話じゃないかな。
「通りが良すぎて手ごたえが無いわ」
霊夢は物足りなさそうだ。それもそうだと思う。
「朝に、ちゃんとやってきたからね」
「じゃあなんで、あたしがやってんのよ」
不満げに言いながらも、霊夢は手をとめない。
「さあ?」
そんなふうにごまかして、くすくす笑ってしまう。なにがこんなにおかしいのか、やっぱりわからない。
「変な神様」
「神様ってのは、だいたい変なものだろう」
「まぁ、それもそうか」
君たちもう少し神様に対する敬意をだね、という言葉を飲み込む。二人のそんな軽口も、今は愉快に思えた。
それからまた、されるがままになる。
髪と櫛が擦れる音だけが、部屋に響く。
「なんだか、音が違うな」
「髪質の違い、なわけないか。あんたの髪がおかしかったのよ」
魔理沙は私の横で、うつ伏せになって、腕に頭をのせている。せっかくとかして貰ったのに、もう少し大事に扱ってみてはどうかな?
「はいおしまい。とかすとこ無いもん」
一通り櫛を通してもらったところで、魔理沙と同じように小突かれる。それが終わりの合図であるらしい。
「ありがとー」
「これ、結び方わかんないから、自分でやってよね」
霊夢がリボンを渡してくる。
私はその手を見つめたまま、しばらく髪を撫ぜていた。
なぜか、結ぶ気にならない。なんでだか、わからない。単なる思いつきのはずなんだけど、もったいないというか、名残惜しいというか、またさっきみたいに、頭のなかがごちゃごちゃしてくる。
でも、悪くはなかった。すっきりとはしないけど、それがなんだか楽しい。
楽しんでる場合じゃないんだけど、これって職務怠慢かな。
そんなことを考えながら、リボンを受け取った。
それからしばらく、三人で話した。おもな話題は、魔理沙の今朝の不幸について。
「厄年三十回ぶんぐらいだったから、死にたくなっても不思議ではないね」
というのが私の見解。けっこう乱暴な計算でもある。
「担当の管理責任を追及していく所存だ」
魔理沙はなんだか大仰なことを言っていた。
担当……、担当ねえ。まぁ、そうなのかもしれない。
「さて」と霊夢が立ち上がる。「魔理沙も生きる気力を取り戻したみたいだし。あんたの目的も達成されたみたいだし。二人ともさっさと帰ってね」
「いやいや」かぶりを振って見せた。納得するわけにはいかなかい。「まだまだ。ぜんぜん。これじゃ一割にもほど遠いわ」
「どれだけ貯めこんでたんだよ」
「三十年ぶんぐらい? そろそろ渡そうと思ってたのよ。上司の神様に」
「したっぱなんだな」
言われなくてもわかってるよ、と言うのを我慢して、お願いする。
「というわけで、探すのを手伝ってよ」
「どういうわけなのか分からんが、べつにいいぜ。暇だし」
「ほんと? やったー」
幻想郷は広い。協力者は一人でも多く欲しいところだから、ほんとに嬉しかった。
命の恩神様だしな、と魔理沙は笑う。うまい言い回しが出来たとでも、喜んでいるようだった。
「あんたはなんで」霊夢がすこし眉を下げる。「そんなもん集めてんのよ」
厄のことだろう、と私は見当をつけた。
「さあ? もう忘れちゃった」
何か嬉しいような、悲しいようなことがあった気がするのだけど、思い出せなかった。きっかけは、なんだか些細なことだった気がする。
だから、そんなに深く考えることはない。
「やっぱり物好きね。便利な物好きだけどさ」
「そういうわけじゃないんだってば」
「集めて渡したら景品でも貰えるのか?」
私も集めてみるかな、と本当か嘘かわからない顔で魔理沙が言う。
「もらったことはないけど」
今度たのんでみよう。魔理沙につられて、そんなことを考えてしまった。
「それで、探すっていっても、アテはあるの?」
ひょっとして霊夢も手伝ってくれるのだろうか。ちょっと期待してしまう言い方だ。
「まったくないよ」
なので、素直に答えた。
「お先真っ暗だな」
さてどう探したものかと考えていたら。
「号外でーす! 号外! 号外! あはははは!」
境内の方から、そんなわめき声が聞こえた。
「客が多い日ねえ」
◆
『号外 文々。新聞 廃刊のお知らせ』
もう、なんかぜんぜん、わかんないっす。新聞ってなにが楽しいんすか?
だーれも感涙にむせいでくれないし。内なるパトスを思いのままにぶつけてやってるのに。どいつもこいつも懐が狭いんです。
今朝なんか仕事サボって椛いじってたら、大天狗様に怒られました。報告書だとかなんとか。そんなに知りたきゃ自分で調べて自分で書けばいいんです。イラッときたのでシメちゃいました。「なんだ、どうしたんだ?」とか言ってました。どうもこうもねーよバーカ! バーカ! でも、グーパンはあんまりだったかな。グーはさすがに。椛も引いてました。
だいたい天狗なんかいまどき流行らないんです。天狗て。天狗だから鼻高々? 頭悪いっす。もう辞めます。天狗辞めます。小人になります。巨人を締めあげます。
ついでに新聞も辞めます。長らくのご愛顧ありがとうございました。射命丸先生の次回作にご期待ください。(射命丸文)
境内に出ると、天狗が新聞をまき散らしていた。
「何も言わずに、読んで下さい!」と言われたので、黙って読んだ。
渡すなり、ずっと小声でなにかぶつぶつ言っていたのだけど、俯いていて、表情は読み取れなかった。「煮込みモミジ……、揚げモミジ……」とか、そんなことを言っていたようだけど、なんのことだかわからない。
もちろん、厄のしわざだ。
「なんともフリーダムな新聞だな」
「いつもより面白いわね」
「厄いなあ」
天狗はあからさまに黒々としていた。あんまり使ったことはないけど、墨汁を思い浮かべた。バケツ一杯分ぐらいぶっかけた感じ。さっきの魔理沙より大分厄いように見える。
「なんでこんなことになってるわけ?」
霊夢がきくと、堰をきったように答えた。
「ほっといてください。もう辞めるって決めたんです。もうこんなもの書いてても意味がないんです。新聞なんて幻想郷にはいらないんです。どうせ誰も読んでくれないんです。私なんてバカでノロマな天狗なんです。私のようなやつはクズなんです。人を不幸にするんです。生きてちゃいけないんです」
厄のせいだろうけど、芝居がかってるなあ。大げさな手振りで、頭まで激しく振りかぶるものだから、暴れてるみたいにも見える。まぁ、それよりなにより、舌のまわりっぷりに感動してしまう。
「それはそうだけど」
と、霊夢はこれっぽっちも否定してあげなかった。たぶん、彼女はなぐさめて欲しいんだと思うんだけど。悲壮感? みたいな。そんな雰囲気出してるし。
「自分でも言いすぎだと思ったぐらいなんですけど」
ほらやっぱり。
「そんなことはないと思うけど」
ここは否定するんだ。ちらりと霊夢を見る。……わざとやってんのかなあ。素でやってるのなら、それはそれで大した巫女だと思う。
天狗は涙目で黙ってしまっている。
厄ると怒ったり笑ったり、僻みっぽくなったりするけど、涙もろくなるのもよくあることだ。そういうタイプなんだ、と微笑ましかった。
ふいに、小脇に抱えた新聞の束から一枚取り出した。それから、大きく振りかぶって。
「わぶ」
霊夢の顔に、新聞を張り付けていた。べったり。息できるのかなあ、これ。
「新聞だけに、斬新な使い道だな」
魔理沙はにやにやしながらその光景を眺める。
「わぶ」
今度は魔理沙に張り付けていた。大したテクニックだと思う。ノリでも塗ってあるのだろうか。記者のスキルの一つなのかもしれない。
「…………」
――え。
私も? 私もなの? そういう流れなの?
「きょ、興味深かったよ? 使われる身分ってのもつらいよねえ。ろくに文句も言えないんだもんね。立場ってものがあるから仕方ないのはわかるけど、もう少し気遣いってものがあってもいいと思うよ。この前なんか上司の神様がさあ」
「…………」
「わぶ」
――頑張ってフォローしてあげたのに。
釈然としないまま、新聞を剥がす。そこへまた、新たな新聞が飛んできた。
また剥がす。
また飛んでくる。
また剥がす。
超高速いたちごっこ。
…………。
よくわかんない。
そんなことを三人揃って繰り返しているうちに、みんなの顔がインクで黒ずんで、やがて新聞が尽きた。
投げるものがなくなったと思ったら。
「…………」
ビュン。
飛び立つ。
「逃げた」
ゴン。
ぶつかる。
「あ、ぶつかった」
バタン。
落ちる。
「落ちてきた」
天狗は鳥居に直撃して、落下して、気絶していた。目がうずまきになってる。この間、まばたき五回分ぐらい。
「厄って、こういうもんなんだよね」
「こういうもんなんだ」
「こういうもんだぜ」
先に言っておいてあげれば良かった。後のカーニバル。
「ぐるぐるー」
と回り始めたところで、霊夢が声をかけてきた。
「いちいち回らないと集めらんないわけ?」
「べつに回らなくてもできるけど?」
回りながら、片手間に答えた。言われてみれば、なぜ回る必要があるのか、わからない。
「じゃあなんで回ってんのよ」
「クセかな」
それが、一番しっくりくる。
「霊夢が牛乳飲むとき腰に手をあてるのと一緒だな」
「しないわよ、そんなこと」
魔理沙のときより少し時間をかけて、厄を吸いとった。お帰りなさーい、なんて厄に言う日がくるとは思わなかった。
「そこそこ黒くなってきたわね」
「もう、あんまり近寄らないほうがいいかも」
厄るよ、と注意しておく。さすがにこのぐらいになると、もう危ない。長年の経験からか、これぐらいの目算はできる。会話がなんとか成立するぐらいの、距離を置いた。
「霊夢なんかいつも浮きっぱなしだからな、たまには沈んでみるのもいいぜ」
「あんたもでしょ」
「なかなか得がたい経験だった」
「そんでこれ、どうすんの? 気絶してるみたいだけど」
霊夢が天狗を指差す。気絶してしまえば、もの扱いされるみたい。私も気をつけなくては、と心に刻む。
「せっかく気絶してるんだから、あれに吊るしとけばいいんじゃないか? わざわざ結んだし、一度は使わないとな」
自分の首をくくる予定だった、縄のことを言ってるんだろう。
「それは名案ね」
「名案かなあ……」
一応つっこんだけど、あれよあれよと天狗はつるし上げられてしまった。二人はやけに手際が良かった。
「一丁あがったわ」
「さて、どうしたものかな」
一仕事終えた顔で魔理沙がつぶやくと、霊夢が答えた。
「手分けしてさがした方がはやいかも」
あ、手伝ってくれるんだ、と素直に嬉しくなる。
「厄ゴンレーダーとか、場所がわかる感じのものはないのか?」
「……? あったら自分で使ってるよ」
それからどうしたものかと、三人でしばし、天狗を眺める。風に吹かれて、ときおり揺れていた。相変わらず目はうずまきのままだ。長いこと神様やってるけど、こういう光景は初めて見る。
……ミノムシ? なんか違うかな。
「すんすん?」ふいに、霊夢が鼻を鳴らした。「なんか良い匂い」
「どこからだ?」
「あっち」と階段を指差す。
「さすが霊夢だな」
「どういう意味よ」
「食い意地が張ってる。前世は犬。鼻の穴が大きい。好きなのを選べ」
「ちょっと見てきてよ」
魔理沙を無視して、霊夢が近いところにいる私に頼んだ。
「はいはい」
覗き込むと。
黒光りするものが飛んできて。
横を通り過ぎて。
境内に飛び込んで。
背後でなにかが砕け散った。
◆
狛犬がぶち壊れるなり、巨体が境内に現れた。
黒い巨体。それが発射源だった。身体は黒い。とんでもなく黒い。人型、と見えないこともないけど、手っぽい部分も、足っぽい部分も太くて、身体っぽい部分も寸胴だった。
不細工っていうのはこういう格好のことをいうんだろうなあ。
――ていうか、あれは。
「わたしの厄!」
まさか自分から帰ってくるだなんて。しかも、こんなみっともない姿になって……。なんだか悲しくなった。
「いかにもボスっぽいな」
「ボスだからって人の神社ぶっこわして良い道理はないわよ」
ぷんぷん、という音が聞こえそうな霊夢の怒りっぷり。こればっかりは同意できる。
「どうやったらあんな形にできるんだろう」
あんな形にしようと思ったこと自体、そもそも無いのだけど、あんなに密度があるものじゃなかったはずだ。
「……すーけーてー」
厄の左手から、間延びした声が聞こえてきた。指の隙間から、なんだか赤いのが見えてる。
「すんすん。やっぱり良い匂い」
霊夢がまた鼻を鳴らすと、それが合図だったみたいに、にょきっと左手からなにか生えてきた。
「たーすーけーてー」
あれは、同僚だ。神様。秋の姉妹の妹のほう。捕まっていたというか、握られていたというか……。厄なんて神様には効かないはずなんだけど、どういうことなんだろう。
「これは幻想郷中の厄がつどいにつどってできた意思を持った厄なのー。その名も『厄ルト』っていうのー。放っておいたら幻想郷の平和がおよび、おびよ、おびやかされちゃうよー。こわいよー。たーすーけーてー」
噛んだよね。
「なんだあれ?」と魔理沙が指差す。
「焼き芋、の匂いの素」
霊夢があっさり答える。間違ってはいないんだろうけどさ、匂いから離れてあげようよ。
「焼き芋って言うな」
急に真面目な顔になって、穣子は文句を言ってくる。
「じゃあ一面ボス」
「…………」
穣子はなんだか不満げになって黙ってしまったが、「たーすーけーてー」とすぐに再開した。
一つ覚えのバカだねえ。
「わかったわかった」
魔理沙がなにかアイテムを取り出して、厄へ向ける。手元に、すぐさま光りが集まった。
「ますたーすぱぁく」
極太の光線が発射される。照準は、モンスターの左手。穣子がつかまっているところだ。いったい何をわかったっていうのだろう。
「ちょちょちょちょっと」
穣子が身体をひねって、それに合わせるように、厄が左手を上げる。穣子がいた場所を特大の光線が通過していった。ぎりぎりのところで回避成功だ。穣子が避けたというより、厄が気を使ったように見えた。
「おー」魔理沙が感心する。「さすが神様」
「人質狙ってどうすんのよ!」と穣子が叫ぶ。
「人質だったんだな」
「で、なにしにきたの?」
霊夢がいつもより強い調子で訊く。目の周りに、黒いモヤがかかっていて、その中で瞳が紫に輝いている。厄の影響は、ないはずなんだけど、なんだか厄い。
「え、いや、たすけてよ」
「たすけてって、あんた神様じゃない。厄なんか効かないでしょう」
「…………」
穣子はまた黙る。
「たーすーけーてー」
またそれ。
だいたい助けろ助けろ言うくせに、なにもされていないんだもんなあ。強いて言えば、握られてるぐらいで、命の危機というか正義と悪というか、そんな必死な感じがまったく感じられない。
まぁでも。
「ぐるぐるー」
望みどおり、助けてあげることにした。あれだけ回収してしまえば、紛れもなく厄神復帰だ。
心おどるぅ、とすこし速度をあげて回転する。
そーれそれ。
「ぐるぐるぐるぐるー」
さすがにこれだけの量となると、時間がかかりそうだ、と思っていたら。
「ぐ」取り押さえられた。両脇からがっちり。
「まぁ、待てよ」
「まぁ、待ちなさいよ」
霊夢に、魔理沙。二人とも、なんだかゆるんだ顔をしている。
「なにすんのよー。ていうか、厄るよ」
「せっかくのボスじゃないか」
「ボスは倒すものよ」
恨みもあることだし、と霊夢は言う。狛犬のことだろう。あれは確かにかわいそうだった。
「だいたい、あれが戻ってきたらお前、また村八分だろ?」
なんだか真面目な目をしてから、もう少し遊んでいけよ、と魔理沙が笑った。
「それはそうなるけど、もともとそうだし。そうじゃないと困るし」
もしかして、気を使われているのかな。どうにもこの魔法使いはよくわからないところがある。巫女もそうなんだけど。つかみどころの無さじゃ、どっちもどっちだ。
「多少サボっても誰も怒りやしないわよ」
「霊夢が言うと説得力があるな」
「うるさい、吊るすぞ」
二人の理屈が、よくわからない。厄は荒ぶってるわけでもないから、ぜんぜんボスっぽくないし、どちらかというと、私の近くにいる方が危ないと思う。
不意に厄がしゃべった、ように聞こえたけど、穣子の声だった。
「やる気になったみたいだし、それじゃあ頑張ってねー」と、穣子がひょっこり抜け出す。
そして、いや、ちょっと。
…………。
穣子は、そのままあらぬ方向へふらふら飛んで行ってしまった。厄だけぽつんと、取り残される。
みんな、唖然。なんのためのボスか分からなくなってしまった。いったいなにしに来たんだろう……。
「スクープの気配」入れ替わるみたいに、天狗が目を覚ました。「ってなんですかこれ?」
「見ればわかるだろ。吊るしてるんだよ」
「それは分かりますけど、下ろしてもらえません?」
「わかったわかった」と言って魔理沙がまた、さっきのアイテムを取り出す。
「ますたぁ」
「けっこうです。ここで見てます。がんばってください」
「謙虚なやつだな」
自分の身を守っただけだと思うけど。
「ねえ、今からあんたのこと倒すけど、これ以上もの壊さないでよね」と霊夢が厄に提案した。ボス相手なのに、やけに気さくな感じだ。
(加減が難しくて)
……?
厄はうなずいた、ような動きをした。ほんとに素直で、まるで人畜無害だった。あれでボス、ねえ。
「素直なボスってのも、なかなか味があるな」
「これ以上壊されたら、あたしがボスになるわよ」
「足、おっそいなあ」
のっしのっしと向かってくる厄は、きわめてノロマだった。
「あの、下ろしてください」
厄が弾幕を発射したとき、そんな声が聞こえた気がした。
そんな感じでバトル開始!
――とはいっても私に厄がきくはずもないので、見守る。ただ見守る。
厄はすごいやる気だ。なにがすごいって、密度がすごい。それだけでもけっこう危ないんだけど、弾幕が厄で出来てるのが、一番危ない。
「危ないから気をつけ――」
「ぎゃー」
霊夢がくらった。注意する暇もありゃしない。特大の楔弾が霊夢をつらぬいていた。
「いきなり派手にくらったなあ」
大丈夫かなあ……。私がいるから大丈夫だとは思うけど、とんでもない量だと一目で分かった。
厄はそのまま黒い霧になって、霊夢を隠す。
霧のなかから、木が折れたり、石がぶつかったり、ガラスが割れたりするような音が聞こえる。つまり、なんだかよくわからない。
霧が晴れると、なぜか紅白のはずの装束が真っ黒になっていた。
霊夢は膝を抱えて、座っている。
「はぁ、なんであたしがこんな目に会うんだろ。なんでみんなお賽銭に小銭しかいれないんだろ。財布ごと入れればいいのに。魔理沙の家なんて燃えればいいのに」
後ろ向きだなあ……。
あんまり厄いと服まで変わるんだ、と驚きつつ、厄を吸い取る。
「ぐるぐるー」
「よくもやったわね」
霊夢はあっという間にもとの紅白にもどって、飛んでいった。
的が大きいうえにホーミング射撃だから、よく当たっているのだけど、さっぱり効いている様子はない。まぁ、弾幕で消えてくれるのなら、厄神はいらないよね、となんともいえない気持ちで見守る。
そしてまた、一斉射撃。さっきより密度が濃い。あいからず規則性もゼロで全弾ばら撒き。パターンもなにもあったもんじゃないなあ。
気の毒に。
「ぎゃー」
今度は魔理沙が被弾した。
霊夢と同じように霧に包まれて、すぐに晴れる。白黒金のはずが、今度は全身真っ白になっていた。
……ひょっとして個性が出るのかな。
「はぁ、つらいぜ。悲しいぜ。生きてる意味がわからないぜ。人生は無情だぜ。芸術は爆発だぜ」
霊夢とは違う感じに後ろ向きだ。
「ぐるぐるー」吸い取る。
「仕返ししてやる」
魔理沙が復帰するが、ほとんど同時に、また霊夢が被弾した。
「ぎゃー」
霧に包まれる。そしてまた晴れる。
今度は、いや、もう。
ぜんぜんわかんない。
もはや巫女、っていうか、人間の形をしていない。なんだか緑色で、丸くて、つやつやしてる。表面に、目、みたいなのが二つ付いて、口が大きい。
うん。
ぜんぜんわかんないっす。
「ぷるぷるー」
「ぐるぐるー」
不穏な気配を感じたので、早めに回復。霊夢はまた元に戻って、また立ち向かっていった。
お互い忙しい。
「ぎゃー」
今度は魔理沙だ。かわりばんこでって、約束でもしてるんだろうか。同時に当たられたら、それはそれで困るのだけど。右へ左へ忙しくって仕方ないや。
魔理沙は、あれは、なんだろう。服はさっきまでと同じだ。
なにも、おかしいところは。
ある。
身体のつくりの細かいところが、なんというか……。
黒くて柔らかそうな毛に包まれた、大きな耳、のようなものがピンと立って、あたまの上についている。あの大きい帽子はどこへ行ったんだろう。
スカートの裾からは、黒くて細長いものが一本、覗いていた。あの感じだと、たぶん尻尾だ。
「人間をやめたぜ」
へぇ、そういうのもあるんだ。もう、なんでもありじゃん。
正直かわいらしいので、後回しにする。
魔理沙は耳と尻尾をつけたまま、立ち向かっていく。勇ましく、はないかな。
厄は中規模の弾幕の間に、ときおり大規模な弾幕を展開してくる。被弾した二人を復活させるより、撃ち漏らしを集めるほうが大変なのだ。小さい厄ならコケるぐらいで済むかもしれないけど、大きい厄ともなると見逃せない。
「ぐるぐるぐるぐるぐるぐる」
回りながら、私は考える。
なんで、あんなに頑張るんだろう。いろいろと危ないのに。
ぐるぐる過ぎてく景色のなかで、ときおり二人の顔を見る。笑ってる。とても楽しそう。よそ見してたら、回るテンポを乱してしまった。リボンが顔にかかって、くすぐったい。霊夢の手を思い出す。魔理沙の声が聞こえる。遊んでいけよ。そんな言葉を思い出す。遊んでいる。私は、遊んでるのかな。いろいろ忙しくて、よくわからないけど。
どうかな。
そうなのかも。
「はー、疲れた」
霊夢が座りこむと、厄は弾幕を止めた。なんとも場の雰囲気が読めるやつだ、と感心してしまう。
厄はずいぶん薄くなっていた。そりゃ、あれだけの厄を放出すれば薄くもなる。片っぱしから回収しているものだから、代わりにこっちがずいぶん濃くなっていた。
「しかし、結構くせになるわね、あれ」
「もとに戻るときが気持ち良いんだよな」
魔理沙が黒い耳をピクピクさせる。なんだか危ないことをしているみたいに思えてくる。
「回るのも楽じゃないんだけどー」
けっこうな数を回ったんじゃないかな。さすがに疲れてきていた。
「しかし、倒しきれるのかしら。ぜんぜん効いてないじゃない」
「そろそろトドメのアレをやる時じゃないか?」
思いついたように、魔理沙が言った。トドメもなにも、弱らせてもいないっていうか、厄が移動してるだけ、なんだけど。
「アレってなによ」
「合体だよ、合体」
「合体?」霊夢がきょとんとする。
「トドメっていったら合体だろう。みんなの力を合わせて、うんぬん」
そこから先が知りたいのに、大事なところを魔理沙は口ごもる。
「あたし達、そんなスキルあったっけ?」
「今思いついたぜ」
やっぱり。
「かたぐるまでもすれば、それっぽく見えるんじゃないか?」
「見えないと思うけど」
「もうだいぶ回収したし、お開きで良いんじゃないの?」
そう提案した。お開きっていうのも、なんだか変な感じがするのだけど、残りを回収してしまえば、集めてた分に到達するはずだ、たぶん。あんまり厄に中っても、良い影響があるとは思えないし。いい加減そのへんが心配になってくる。
「何を言う! 見せ場はここからだろう」
魔理沙は声を張る。誰になにを見せるっていうんだろう。
「このままじゃ締まらないし、いいかもね」
霊夢があっけらかんと言う。この巫女はノリが良いのか悪いのかわかんない。
「それじゃ、さっさと締めちゃってよ」
「お前もやるんだぞ?」
へ?
一瞬、思考停止。
私? 私もやるの? それはつまり?
スカートから、魔理沙の頭と耳が生えてきた。
こういうこと?
「ひゃあ」
変な声出しちゃった……。
そして。
持ち上げられる感覚。
傾く! かかかか傾いてる! 私!
「いたたたたたた」
耳を思いっきり握ってしまった。痛いんだなやっぱり。あんまりにも握りやすいところにあるものだから、つい。
いやでも、これは、握らないことには。
「いたっ、たっ、おっ、とっとと」
「おちっ、おち、っる!」
「無理っ、な重さではないが、バランスがっ、な?」
そうやってしばらくふらふらしていて、なんとか安定した。浮いて負担を減らそうかと考えたけど、なんだかそれは出来なかった。……なんでかな。
「お前は配慮というものをな?」
「浮いとけってんでしょ」
霊夢はそう言ってふよふよ浮き上がり、私の肩に座る。重さは感じないけど。
感じないけど、なんだろう、この格好。
形だけなら、三段かたぐるま。
土台はケモノっぽい魔法使いで、上は巫女。そして真ん中は、神様。
…………。
考えるの、やめよっかなあ。
「完成だ!」
「で、どうすんの?」
どうもこうもないんじゃないかなあ。
「それはお前、貯め技に決まってるじゃないか。チャージ」
「そんなスキルあったっけ?」
「今思いついたぜ」
やっぱり。
「まぁ、やればできる」
「まぁ、やってみるか」霊夢もやる気になる。やっぱり、ノリは良いみたいだ。
厄が弾幕を打ってくる。弾幕というか、ただの威嚇射撃で、寂しさを主張してるみたいだった。それぐらい殺気というか、やる気が感じられない。
「待ってな。今トドメさしてやるから。うーん」
「狛犬の恨み。ぬーん」
と二人は唸る。チャージ、しているらしい。
って。
いや、いや、いや。
なんか光りが集まってきた。どうなってるんだろう。
「おお?」
「やればできたわね」
やればできるにも限度ってものがあるよ。いや、でも、そんなことより。
「二人とも、厄ってるよ?」
これだけの厄に、こんなに深く長く中っちゃったら、さすがに厄る。
「いや、まぁ……、がんばるぜ……」
「やってやるわよ……。せっかく貯めたんだし……」
おどろいた。
人間の力でどうにもならないから、私がいるのに。
なんでだろ……。
二人ともきっと、遊んでるだけだ。ただ純粋に遊んでる。
だから楽しい。
そういえば。
人間はこんなに楽しい生き物だった。
それを思い出した。
そこからまた。
なにか、思い出しそうになる。
きっと、大したことじゃない。
こんなときに、こんな格好で思い出すのも、なんだかマヌケた話だ。
でも。
どんなにきれいな思い出でも、ほうっておいたらサビがつく。
すこしだけ、磨いてみようか?
せっかくだし。
だけど。
「無理しなくても」
「遊びに無理もなにもないぜ」
下からは魔理沙の声。魔理沙は、笑っているような気がした。
「最後ぐらいきっちり締めなさいよ」
上からは霊夢の声。霊夢は、きっといつもの仏頂面をしてる。
きっと二人とも、厄い顔なんだろうけど。
私は思い出す。
誰かの手。
最初はぎこちなかった。でも、段々上手になった。
それが嬉しかった。
私のために頑張ってくれた。
応えてあげたい。最初はただ、そう思った。
少しずつ、動いて見せた。驚かれたけど、喜んでくれたと思う。
それが嬉しくて、今度は回って見せた。大喜びだ。
気に入らない人もいたみたいだけど。
私はそれでよかった。
人間は、なにかの為に頑張れるから、私も頑張ろう。
そう思って。
お別れのとき。
ほんの少しの不幸せを引き受けた。
ただそれだけの。
大昔の話だ。
ほらやっぱり。
大切だけど、他愛のない話じゃないか。
「まだか……?」
「さっさとしてよ……」
私待ち、なんだ。それはつまり。
「私もやるの?」
「当たり前だ」
見よう見まねで、チャージしてみる。
「むーん……」
こんな感じ? むーん。むーん。むーん。
「あ」
できた。なんか力が湧いて、光ってる私。
はは、バカみたい。
「やればできんのよ……」
「いくぜー……」
二人とも限界っぽいから、元気な私が声を張る。
――深呼吸。
「うてー!」
おいしいところ、いただき。
ごうって音がして、なんだか色々混ざってるけど、きらきらしてきれいな弾幕が、私たちから飛び出した。
グランドフィナーレ、かな?
◆
いつの間にか太陽はやる気を無くしちゃって、山の端で、こっそり私たちを見つめてくる。照れてるみたいに、そこから神社を赤く染めていた。遊んでると、時が経つのが速い。そんなことを、なんだかすごい久しぶりに実感する。
厄は形を変えている。さっきまでの寸胴ではなくて、いつものよくわからないモヤモヤだ。
「祓えないのか?」
「無理よ。こんなでっかいの。私が千人いても無理だわ」
「それはおもしろい光景だ」
魔理沙は笑う。たしかに、面白い。
「お前も貧乏クジだよな」
それは、よく言われるんだけど。
「やりたくて、やってるんだよ」
わかりやすく、そう伝えた。それが貧乏クジとの、大きな違い。
「神様って、そういうもんなのよ」
霊夢はよくわかってたみたいだ。さすがは巫女。
「そういうもんなんだな」
だから。
「ぐるぐるー」
私は回る。心なしか、普段よりもゆっくり。回りながら、赤く染まった二人の顔を見る。こういう面白いやつらが面白く生きるために、私がいるのだと思うと、少しだけ誇らしかった。
「生きてる間に、もう一回ぐらいなら遊んでやってもいいぜ」
「今度は神社以外で」
「うん」
今日は楽しかったって、私は笑った。
◆ エピローグ
一日の働きを労って、お酒をいただいている。つまりは打ち上げ。
「姉さんも暇だよね」
穣子がとっくりを揺らす。わたしは一杯空けてから、答えた。
「徳が高いのよ」
「あれが徳のある行いかなあ。ただのいたずらじゃない」
「楽しそうだったけど?」
見てるぶんには、とても楽しそうだった。ちょっとひどい目にはあったけど。適当なところで種明かしするつもりだったのに、ああいう流れになっては仕方ない。
「楽しませるのが、姉さんの徳なの?」
「そうよ」
なんだか違う気もするけど、言葉っていうのは難しい。楽しませるっていうか、遊ばせるっていうか、息抜きっていうか。あの神様の仕事はちょっと、サボりにくいところがあるから。
まぁ穣子になら、言わなくても伝わるかな。
「神様らしからぬ、迷惑っぷりだったけど」
「たまにはわからせないと」
厄の怖さを。気をつけていれば避けられるからって、忘れてもらっては困る。
「それはオマケみたいなもんでしょ?」
「まぁね」
遊び相手にするついで、みたいな。
「たまには人間とも遊ばないと」
「神様らしくない、とか姉さん言ってたね」
「あと」
「そろそろ忘れてそうだから、でしょ?」
神様やってる理由をね。穣子と話すのは、とても楽だ。
「じゃあなんで姉さんは神様やってんの?」
「秋が好きだから」
私と一緒だ、と穣子は笑う。
満足、満足。互助の精神というものは、それだけで心を豊かにしてくれる。押し付けがましかったかもしれないけど、機会があったら狙っていかないとね。冬はやることも少ないから、こういうイベントに貪欲になるのかも。
「後始末は?」
神様として、そこはきっちりしておかないといけない。
「魔法使いに、天狗に、あと巫女にも配ろうとしてやめたんだよね。こぼれ弾は、だいたい集めて返してきたよ」
なら、いっか。
――あれ?
「あの服、どこで拾ってきたの?」
いろいろ便利だったけど。
「あ」
画竜点睛を、欠いたかな?
◆ おまけ
河城にとりは、文明の利器をいじりまわしている。
しかし、今日は不可思議だった。
火薬もエレキテルも使っていないのに、なにかある毎に爆発が起きるのである。
にとりも馬鹿ではない。爆発のきっかけがどこにあるのか、いい加減わかっていた。なにかをくっつけたり、スイッチを押したりすると、尽く爆発するのである。
一見、理論もへったくれもない。
しかし。
なぜ爆発するのか? それを突き詰めるのが河童であり、理系だ。
故に、にとりは試行錯誤をくりかえす。
接着。爆発。
パーツをはめ込んでみる。爆発。
ポチっとな。爆発。
あくびをしてみる。爆発。
トライアンドエラーは、科学が背負った宿命なのだ。
黒こげになった、にとりが叫ぶ。
「文字通り燃えてきた!」
河童が一番前向きだった。
おしまい
「んー?」
なんか清々しい。
なんで、きれいさっぱりなくなってるんだろう。いつもは遠目にでも黒光りするアレが、鏡に映っているはずなのに、どうしてこんなことになってるのか。
ひょっとしたら朝日の当たり具合のせいかもしれない。身体をずらして、横目に鏡を見てみる。特になにもない。なにもないから、何事もないんだ。あはは、よかった。
いや、いや、いや。
――厄がないじゃないか。
たたた大変だ。
布団をひっくり返してみる。なにも見つからない。すこし湿気を感じたので、ついでだから外に干してみる。ぱんぱん叩いて埃を落とした。これで今日も気持ちよく眠れそうだ。
クローゼットを開ける。替えの服に、リボンやらなんやらが見つかった。ほつれたボタンを見つけたので繕ってみる。慣れたものなので、あっという間に元通り。これでみっともなく思われずに済む。
それから顔を洗って、髪にブラシをかけて、部屋着から普段着に着がえて、目覚めの紅茶を一杯淹れた。いつもの椅子に腰掛け、まずは香りを楽しむ。それから、ゆっくりとカップを傾けた。
「ふぅ」
カップを置く。
…………。
これじゃ普段とおんなじだ。
どうしよう、落ち着け、まずは紅茶を飲むんだ。
「ふぅ、おいしい」
ガチャンと、ソーサーを鳴らしてしまう。どどどどどうしよう。カップはもう空だ。もう一杯淹れようか? いやいやいや。
焦ってばかりじゃ仕方ないから、まずは一考してみる。
神様である。これはまちがいない。厄がないからって身体の仕組みまで変わるものか。いつもと同じ服装である。これも見ればわかる。ていうか、さっき着がえたばかりだ。目は覚めている。これも問題ない。アールグレイのほのかな渋みのおかげだ。
そして、次が一番たいせつなところ。
厄神である。
「…………」
そうは見えないだろう。朝起きたら、自己主張をまるごと失ってしまった。まるで肉球を失った猫だ。そんな猫の悲しみはいかなるものか、今ならよくわかる。
「どうしよ……」
厄を失くしてしまうような厄神への信仰なんて、ありえないだろう。無益な神様をありがたがってくれるほど、世のなか甘くない。
神様における信仰というのは、健康のバロメーターみたいなものだ。仮に信仰がすっからかんになってしまったらどうなるだろう。髪も肌もまちがいなく荒れて、ボロ、ボロ、ボロ、のボロぞうきんになる。
ちょっと昔の厄落としを思い出す。
あの時は規模が小さかったから、少々だらしない格好で厄を拾いに行った。有り体にいってしまえば、寝て、起きて、そのまま行ってしまった。離れたところで拾っていたからバレないと思ったのだけど、運悪く、噂好きの人間に目撃されてしまったようで。
あの厄神は宿無しらしいぞクスクス、とか。
ほんとうは寝坊の神らしいよプププ、とか。
里中の評判になってしまった。
それからしばらくはもう大変だった。肌は荒れる、髪はバサバサになる、犬には吠えられる、ボヤまで出す。見えない誰かに一日中嫌がらせをされてるようなものだった。
ちょっと不名誉な噂であれだから、信仰ゼロともなると、キューティクルだけではなく、毛根までやられてしまう可能性がある。この格好で薄毛というのは、笑えるようで笑えない。いやまったく笑えない。人目は引けるかもしれないが、信仰なんてもってのほか。
ハゲた神様も、いるにはいるんだけど。
冗談じゃない……。
厄はどこへ行ったのか。それを考えてみる。消えた、というのは考えられない。そんなにあっさり消えてしまうのなら、厄神なんて必要ないわけであって。昨日はあっただろうか? 朝も昼も夕方も、そんな兆しすらなかった。いつもどおりドロドロしたものに包まれながら眠りについたのも、なんとなく覚えている。
となると。
そこまで考えて、思い至る。ぞわわっと、いやーな感じが背中を走る。
――寝てる間に。
持っていかれたのだ! さぞや気持ちよく眠っていたであろう自分を叩きたい。グー……、いや、パーで。びっくりするほど昨夜は快眠だったから、パーでは起きないかもしれない。
いったいどこのだれがやってくれたのか。そもそもだれも欲しがらないからこそ、アレは厄と呼ばれるようになったわけで。犯人はよっぽどの物好きか、いたずら好き。もしくは、なんだかよからぬことを企んだ悪いヤツ。
「なんてこと」
厄が好き勝手にばらまかれたら、いったいどんなことになってしまうのか。あれはただ不幸を運ぶだけではない。それはもういろいろな、詳しくはよく知らないんだけど、いろんな負の力を、人間や妖怪のもとに呼ぶ込むのだ。悪用されたらとんでもないことになる。
取り返さなくちゃ。
でも、どうしよう。「厄見なかったー?」なんて聞いて回るわけにもいかない。「厄はどうしたの?」なんて聞かれて「失くしちゃった」なんて言えやしない。自滅もいいところだ。
「神社に行けば?」
ああ、そうだね。お祓いしてるんだし、厄の一つや二つ持ってそうだね。
――ん?
◆
「お……お……おお?」
重い。すべてが重い。めずらしくカゼだろうか。
手に力をいれてみる。いつもと同じ感触が返ってきた。身体を起こしてみる。なにごともなく起きることができた。ベッドから出て、立ち上がってみる。べつにふらふらともしない。
身体はオーケイ。
が、しかし。
気分が最悪。二日酔いをぶちぬいて二十日酔いぐらいだ。なんだかよくわからんがデロデロする。泥だらけの湖に大量のウナギを放して、そこで泳いでいる気分だった。
カーテンを開けてみる。うすぼんやりした部屋に、新品の光りが差しこむ。それで終われば気持ちも晴れただろうに、カーテンレールが落ちた。べつに乱暴に扱ったわけではないのに、どういうことだ。
落ちたレールをひとまずよけておいて、窓を開ける。
ひんやりした風が入りこんで、よどんだ部屋の空気を追いだしてゆく。まだ気分は晴れないが、目は覚めた。さすがに冷たすぎるので閉めようと思ったら、へんな感じに引っかかって動かない。
おいおい、ご機嫌斜めなんだな、窓さん。
両手の指をひっかけて、力をこめる。ひたすら力をこめる。全身の筋肉を総動員して力をこめる!
ビクともしない。
しかたないので開けっぱなし。
「納得いかん」と思わず声が出た。
風が吹きすさんで、部屋の温度がさがり続ける。寒い、寒すぎる。換気じゃなくて寒気だ。うまいこと言った。メモっておこう。気分は悪いが、余裕はあるみたいだ。さすが私。
ふと、窓に映るなにかに気付いた。
「なんだこれ?」
気のせいでもなんでもなく、身体の周りでよくわからんものがデロデロしていた。どことなく黒光りしているようにも見える。光り具合がなんとも邪悪で、不吉だ。
「疲れてるんだな」
ひとまず何も見なかったことにした。ひょっとしたらまだ寝ぼけているだけで、あとで見たら消えているのかもしれない。大いなる楽観というやつだ。
たぶん、お腹が減ってるからだな。特にハラペコというわけでもないのだけど。食パンとジャムの瓶が目に入った。
これでいいや。
真っ赤なイチゴジャム。知り合いの魔法使いの家からこっそり拝借してきたものだ。ラベルには勇ましい書体で「紅蓮」とある。このラベルがあんまり気にいって、ついつい手くせの悪さを発揮してしまったのだ。
瓶の蓋はなかなか開かない。そんなに固く締めた覚えは無いのに。
寒すぎて凍ったか?
そんなバカな。あたまに来て力をこめる。ひたすらこめる。片膝ついてこれでもかっ、というぐらいこめる。顔が真っ赤になってそうだが、おかまいなしだ!
やっとのことで開いたおもったら、手を滑らせて放り投げてしまった。
窓ガラスに直撃して、風が入りこむ面積がひろがった。見るも無残で、なんかもういろいろと最悪だ。あとでなんとかしよう。いや、なんとかさせよう。元はといえばこのジャムをつくったやつが悪いんだ。
瓶を拾う。幸いガラス片が入り込んでいる様子もなく、無事だった。
椅子に座る。
疲れてる、疲れてるんだ。疲れてる時は甘いものだ。ジャムを塗りたくる。毒々しい赤が広がって、瓶はすっかり空っぽになった。見えないガラスが入ってたりして、と不安になるが、黙って見ていても仕方ない。
「あーん」
大口を開ける。甘い香りが近づいてくる。食欲があるわけではないが、じゅうぶん魅力的な香りだ。それだけでも舌が踊る。この甘さこそきっと救世主、メシア。いただきまーす!
ふいに、風が吹いた。
邪魔をするなよ。
そして、鼻をくすぐるなよ。
何の恨みがあるっていうんだ。
私は、パンを食べたいだけなんだ。
「は? は……」
その気はないのに、顔と手が動きだす。顔は前に、手も前に、無意識のユニゾン。
「くちゅん」
べちゃー。
顔中真っ赤で前髪もべたべた。
もう、食欲なし。
私はもともと陽気なはずだ。雨が降っても雨の日の雰囲気を楽しむし、カゼを引いても一日中家にいてかまわないのが嬉しい。困難にぶつかっても失敗していいや、と気楽な気持ちで望むから、落ち込むことはない。
「はぁぁ」
しかし今日に限ってはそうもいかなかった。いつもは気にしないはずの部屋の散らかりぐあいが、今日は煩わしくて仕方ない。顔を洗っても、鏡に映る自分の顔がにくたらしくて、ラクガキでもしてやりたくなる。
あいかわらず鏡に映っているアレを確認してしまったら、もうダメだ。
「なんなんだよ、これ」
私はなんだかおかしなことになっているようだけれど、無視することも、どうにかしようとすることも出来ない。一生こんなものと過ごしていくのだろうか。考えたくもない。どうしてこんな世の中に生まれてきてしまったのだろう。なんで人は戦い、争い、死にゆくのだろう。ポイズン。
いや、でも、本でも読んだら気が休まるかもしれない。ベッドの脇に置きっぱなしの本を見て、そう考えた。
『ペリーちゃんとホッタさんの指輪』
たしか、ペリーちゃんが泣きながらホッタさんの家を爆破したところまで読んでいたはずだ。シリアスな場面なのに大笑いしてしまったのをよく覚えている。いったい彼らはどうなってしまうのだろう。胸がおどって、頬が緩む。
本を開く。
「……これはぶったまげた」
未読の部分だけ、虫にがっつり食われていた。当然ながら、結末は分からずじまい。本の虫というのは、こんなに仕事の速いやつだったか。仕事熱心なのは良いことだけれど。
良いことだけれど!
……ああ、もう。
だめだ。
私はだめだ。
困ったときは、手っ取り早い解決手段を選ぶべきだ。私は今までずっとそうしてきた。
「死のう」
準備をしよう。死ぬ準備だ。
こうと決めたら行動は早いぞ。
まず、見られて困るものを引き出しの奥深くにしまった。「あら魔理沙ったらこんなの持ってたのねウフフ」とか、「やだー魔理沙ったらまだこんなの使ってるんだー」とか死後に言われるのは具合が悪い。
つぎは身支度だ。まさか寝間着に寝ぐせだらけの死体をさらすわけにもいかない。
髪をとかす。がっしゃがっしゃと、普通にやっているはずなのに、ブラシがボロボロになった。髪も、ブラシを入れる前より悲惨なありさまになった。きれいな頭で死ぬことはあきらめた。
寝間着からいつもの服に着がえる。普通に着たはずなのに、あちらこちらで生地が破れる音がした。しかも裏表が逆、前後も逆だ。確認したはずなのに、おかしすぎる。なんとか着がえ終わってみたら、ブラウスもスカートもボロボロだった。きれいな格好で死ぬことはあきらめた。
つぎは頑丈なロープと、踏み台だ。踏み台はいらないな、と自嘲した。
ロープはすぐに見つかった。引き出し開けたら一発だ。なんでここだけ、こうもすんなりいくのだろう。
まあいいや。
万全とはいえないが、死ぬ準備はできた。あとは場所を選ぶだけだ。
「神社にしたら?」
それはいいな。あの鳥居なんか派手で良い。巫女が見つけて死体を片付けてくれることだろうし、ひょっとしたら涙のひとつも流してくれるかもしれない。いや、それはないかも。
――ん?
まぁいいや、死に場所は決定。
箒を持って、死出の旅へとドアを開ける。そこで、ふと気づく。私が死んだらこの家はいったいどうなるのか。いけない、いけない。こういう雑なことをすると、後で後悔するんだ。
張り紙をしておこう。
『霧雨魔理沙は死んだ。今まで世話してやった。
死んだからって勝手に私の物持っていくなよ』
これでよし。走り書きだが、なんとか読めるだろう。いざ箒に乗って、目的地へ。
戸締りなんてもう、必要ないさ。おばけなんてウソさ。
◆
「厄、ください」
神社の境内で、私は頼んだ。まだ日が昇りきってないせいか、境内は冷える。鳥居が赤いのは、せめてもの救いだ。これで青とか紫の鳥居だったら、もっと寒々しかったろう。鳥居の先には本殿が見えるけど、まぁ、神様のくせにあまり馴染みのない場所だ。
「お祓いならともかくねえ」
霊夢は私をじろじろ眺めてから、そう呟いた。竹の箒を持っている。掃除をしているのだろうけど、枯れ葉があんまり多すぎて、どこを掃いても徒労になりそうだ。
「いつも祓ってるんだから、ちょっとぐらい持ってたっておかしくないでしょう」
「そりゃあもう、ひっきりなしに、祓ってはいるけどね」
なんだか大げさに、箒を振りまわす。やましいところがあるんだろうな。
「だったら厄、ちょうだい」
「さっきからそればっかりじゃない。一つ覚えのバカなの?」
「巫女が神様にむかって、それはないんじゃないのー」
霊夢は順番をいれかえてまで、「バカ」を強調してくれている。嫌われてるのかな、やっぱり。
「なんなのよ、あんた。その格好」
このほっかむりと、コートのことを言っているのだろう。必要に迫られてのファッションなんだって。そんな変なものを見るような顔、しないでほしい。
「大変なのよ」
私をさえぎるみたいに、霊夢はまた箒を振る。
「客が寄りつかないから、さっさと帰ってよ」
ぶっきらぼうに言われた。しっしっ、と手まで振っている。
おかしいな? 説明する流れだと思ったんだけど? と混乱したけど、気にせず続けることにする。
「よく見てよ」
「なによ」
「あるべきものが無いでしょう? いつもなら、こう、この辺にモヤってしてるやつが」
手振りで、モヤっとした感じをあらわして見せた。こう、うねうねっと。さすがに伝わらないかもしれない。
よくわかんない、と霊夢が首をかしげる。まぁ、そうだよね。
「それがなによ。けっこうなことじゃない。不吉でもなんでもない、ただの神様。縁があったら祀ってやってもいいわ」
「それじゃ困るのよ。ただの神様の需要なんて、これっぽっちもないんだから」
「狛犬にでもなればいいじゃない。あるわよ、そこ」
霊夢は顔だけで、私の左右のそれを示してみせる。狛犬が一対。オスと、メスかな? 私が入りこむ余地は無いね。
「狛犬なんかじゃ、誰も崇めてくれないんだって」
「取ったら? それ」
私のほっかむりが気になって仕方ない、といった顔だ。コソ泥と話してる気になってくるのかもしれない。
「出来れば取りたくないんだけどなあ」
諦めて、ほっかむりとコートをとった。
霊夢が呆れた顔になる。
「合わないにもほどがあるわ」
この神社とこの格好かな、と私は見当をつけた。
「目立たないと、神様なんかやってらんないんだって」
だまっているだけで信仰をあつめられる神様も、いるにはいる。けれどそれは座っているだけで後光がさすような、ものすごい上位にいる神様だ。高天原とか、散歩気分でふらりと行けちゃう神様。そんな場所に縁のないしたっぱ神様には、努力が欠かせない。
「目立ってる、というか、目に痛いわ」
努力とはつまり、この赤のリボンに、緑の髪に、赤のドレス。我ながらコントラストがきつい格好だとは思うけど、仕方のないことなのさ。半分以上は好みなところもあるけど。
「困ってるんだって。巫女なんでしょう? 神にお仕えするんでしょう? なんとかしてよ」
「なんとかしてってねえ。巫女が厄を集めてどうすんのよ」
「祓ってるんだから、集めてもおかしくはないんじゃないの」
「『博麗の巫女は厄を集めてるらしいよヒエェ』なんて噂になったらどうすんのよ。閑古鳥も撃ち落とす勢いで客がいなくなるわ。餓死よ餓死」
「箒でもかじってればいいじゃない」
「おいしいならそれもいいけどね」
それから、ほんのすこしの静寂。ヒーヨヒーヨと、どこかで野鳥が鳴いて、合間を埋める。たぶん鳴き声どおり、ヒヨドリが鳴いているんだろう。きれいな鳥だから、たまにエサで釣って眺めたりしてる。わりと、お気に入りの暇つぶしだ。
そんな声を聞きながら、箒を見つめた。庭箒だから、穂先がトゲトゲしい。でも、使いこまれてるせいもあってか、なんだか趣きがある。
なんとなしに、霊夢と目が合った。
「おいしそうではないなあ」と私は笑ってしまう。
そもそも、箒は食べ物じゃなかったね。
「また一から地道に集めなおせばいいんじゃないの?」
霊夢はなぐさめじみたことを言ってくれたけど。
「そういう問題じゃないんだって」
厄というのは、そんなに簡単に消えるものじゃない。十の厄から十の災いを受けたとしたら、消えるのはせいぜい一つか二つの厄だけ。やつらはしつこいのだ。あれだけ貯めこんだ厄が、一晩で消えてしまうはずがない。やっかいなものだからこそ、私が必要になるのであって。
「厄がどっかいっちゃいましたー。なんて言いふらしてたら、私の評判がガタ落ちしちゃうのよ。それに、ほっといたら大変なことになるかもしれないし」
「大変なことって?」
「幻想郷の人口が半分になっちゃうかも」
「そりゃ大変だー」
語尾を延ばすべきセリフではないと思うよ。
「だからなんとかしないと」
はぁ、と霊夢は息をもらす。なんの溜め息かわからないけど、少なくとも緊張感は含まれていない。
「それで、私にどうしろっていうの」
「ここにないなら、探すのを手伝ってよ。ていうか、探してきてよ」
霊夢は黙って視線を返してくる。私も同じように返して、にらめっこになった。
じっと見つめあう。
ああ、なるほど、そういうことね。
「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃない」
神様がじきじきに頼んでるというのに。
「だいたい、そんな簡単にどっか行っちゃうようなもんなの? 厄が人間に帰らないように見張ってるから、あんたは厄神なんじゃない。いや、厄神だったんじゃない。それが無くなったから探してくれって」
そこで「ふぅ」と一息ついて、トドメの一言。
「ありがたくもなんともないわ」
「う」
ぱきん、と肌の細胞がくずれて、ぴきっ、とキューティクルが死ぬ音がした。
「あ、ああ」う、う、う。「かかかか、勘弁して」
「……? どうしたのよ?」
「そんな、あからさまに信仰を失うみたいなこと、言わないで。肌が、髪が、ひどいことになっちゃう」
「よくわかんないんだけど」
「ほめて……。超ほめて!」
「すてきー」
「もっと神様っぽく!」
「神々しいなあ。ありがたいなあ」
「もっともっと!」
「いよっ! この天之御中主神!」
肌がつるんと瑞々しく、髪がさらりとなめらかになった。気のせいかもしれないけど。
「癒されたー」
ああそうよかったわね、と霊夢は肩をすくめる。
「探すって言っても、その辺にほいほい落ちてるようなもんじゃないでしょう。厄年だって人生に三回あるかないかじゃない。そんなめずらしいもの、いちいち探してらんないわよ」
「それは、そうだけど。そういうことじゃないんだってば」
「だいたいどうして無くなってんのよ。誰も欲しがらないから、あんたが集めてたんでしょう」
「それは、持っていかれたんだと思う」
物騒な話だけど、ほかに考えようがなかった。
「あんた以外に、物好きもいたものね」
物好きってのはどうかなあ。私はべつに厄が好きだから集めているわけではない。おかげでいろいろと不都合なこともあるわけだし。買いものに行くわけにもいかないから、身の回りの品はすべて自家製だ。それはそれで楽しいからべつにかまわないけど、面倒に思うこともある。
「ま、休暇だと思えばいいんじゃない?」
「そんな悠長な話じゃないんだってー」
駄々をこねてみせたけど、霊夢は無視して、本殿へ向かう。
「あなたみたいなのを職務怠慢って言うのよ」
食いついて行くけど、やはり無視される。
やっぱり、ダメかあ。あまり期待はしていなかったけど、先のことを思うと気が重くなる。厄なくしちゃいましたー。探してるんですー。不審なものには手を触れないで、係員の指示に従ってくださーい。なんて言いながら幻想郷中を飛び回らなければならないのだろう。石でも投げられるかもしれない。卵かトマトぐらいで勘弁してほしいな。
なんだか、鉛を飲んだような気になっていた。
「さー、仕事。あー、めんどくさ」
霊夢が鳥居を過ぎたあたりで、魔法使いが飛んできた。霧雨魔理沙、とかいったっけ。
「またなんか来た」と霊夢がうんざりする。
「よう、霊夢。と、いつかの厄神」
魔理沙は箒に座ったまま挨拶した。
「いまは休暇中みたいだけどねって、ボロボロじゃない、あんた」
たしかにボロボロだった。服がところどころ破れていて、肩には縄のようなものをかけている。どこかで野良仕事でもしてきたのだろうか、魔法使いというのも楽な仕事じゃないのかな、と気を遣ってしまう。
「そういう日もあるさ」
どこかふっきれた顔だった。ふっきれたというか、針が振り切れたというか……。
それから魔理沙はふらふら上昇して、鳥居の貫に縄を結びつけた。さらに縄を垂らした先に、まるい輪っかをつくる。
私たちを省みることはない。一心不乱。そんな言葉がぴったりだ。
霊夢と二人、黙ってその作業をながめた。
魔理沙がこれでよし、といった顔になって、親指を立てる。
「鳥居、借りるぜ」
花が咲いたような笑顔だった。
「厄いわねえ」
◆幕間
「そこを、もうちょっと右」
「せーい。せーい。ほい。こんな感じ?」
「右すぎ」
「左へせいせい。あ、なんかひどいことになった」
「不器用ねえ」
「代わってよ」
「嫌よ」
「トンカチとかないの?」
「意味ないでしょう」
「まぁ、そっか」
「こう、クイっとやって、グーンと」
「ぜんぜんわかんないよ」
「不器用ねえ」
「だから、代わってよ」
「嫌」
「こういうのは、勢いでやるべきなのかな」
「もう、任せるわ」
「そーれそれそれ、ほーれほれほれ」
「うわぁ」
◆
あれは、厄の仕業だ。
「なんなのよー、もう」
「死なせてくれ死なせてくれ」
二人はもみくちゃになって、私の頭上で暴れている。魔理沙の両手はがっしり縄をにぎって離さない。
「あんた、空飛べるやつが首吊りはないでしょうが」
「死なせてくれ死なせてくれ」
さっきから魔理沙はそればっかりだ。これこそ一つ覚えのバカだろう、と霊夢の言葉を思い出す。
「苦しくなって浮いちゃうのがオチだってば」
「花の下にて春死なむと言うじゃないか」
「春じゃないし、これ鳥居だし」
「じゃあヒノキでもモミの木でもなんでもいいから! 貸してくれ!」
どっちもきれいな花は咲かなそうだけどなあ。だいたい、貸すも返すもないだろうさ。
「ちょっとー、見てないでなんとかしてよ」
霊夢が助けを求めてきた。
「いや、遊んでるのかなって」
どう入っていったものか、いまいちわからない。こんなに近くで人間の営みを見るのも、久しぶりだ。楽しそうだったし、邪魔をするのも悪かった。
しかしまぁ、なんとかしてといわれたら、なんとかできるんだから、なんとかしてあげましょう。神様らしい奉仕精神というやつ?
「死なせてくれ死なせてくれ」
「あー、もう! 死ぬならよそで死ね!」
軽く準備体操をして、ステップを踏んだ。
「ぐるぐるー」
私は回る。
前で結んだリボンも、後を追ってくる。回る力を受けて、スカートがふわりと浮く。
誘われたみたいに、厄が寄って来る。
「お、おお?」
素っ頓狂な声がした。たぶん、魔理沙のものだ。
「おおぉ?」
似たような霊夢の声も聞こえる。仲が良いんだな。
吸い寄せる感覚がなくなったので、徐々にステップを緩める。
転ばないように気をつけながら、ゆっくり回転を止めた。
「はい、おわり」
これでお祓いはおしまいだ。巫女が行うものよりはたぶん、シンプルで手っ取り早い。もっとも厄が無くなるわけではないから、お祓いとはいえないのかもしれない。
魔理沙が急にすっきりした顔になった。
「生きてるってすばらしいな」
「そうかもね」
霊夢は疲れた顔だった。
「それで、なんで私が自殺未遂なんだ?」
縄を放して、霊夢の手からすべり落ちてくる。
「知らないわよ」すこし遅れて霊夢も落ちてきた。
「厄のせいだね。ほら、これだけ」集めた厄を指してみせる。「これぐらいならまだ大丈夫だと思うけど、あんまり近づかないほうが良いかも」と注意しといた。
「厄って、なんで魔理沙がそんなもん持ってんのよ。蒐集癖もそこまでいくと悪趣味よ」
「拾い食いした覚えはないぜ」
「はて? でもこの厄は私が集めてたやつだね。覚えがある感じだし」
「じゃあお前のしわざか? いつかの仕返しとか」
「失敬ね」
まぁ、疑われてもしかたないけど。
「うーん」と霊夢が厄を見つめてくる。「なんだかちょっとモヤがかかってるみたいな……」
「大した量じゃないからね。人間ひとりには、ちょっと荷が重いけど」
霊夢のものとはちょっと質のちがう視線を、魔理沙から感じた。霊夢が凝視なら、こっちは疑問視? どっちにしろ、ジロジロ見られてることには変わりない。
「なんでそんな、清く正しいことになってるんだ? 前見たときはもっとえんがちょだったのに」
ひどい言われようだと思うが、べつに気にしない。慣れたものというか、「畏怖」という信仰の形もある。魔理沙のはなんだか違う気もしたけど。
「朝起きたらこんなことになってたのよ」
「私と一緒だな」
「二人そろって夢遊病なんじゃないの」
「それはそれで愉快だな。まぁ、たすかったぜ。命拾いだ。私が自殺なんてなんの冗談だよ」
「どういたしまして。とりあえず、復職できたわー」
ほっと一息つく。これで一応は厄神を名乗れるようになったわけで、ほっかむり卒業だ。
「どうかな」
「どうかしら」
二人そろって疑問を投げてきた。
「なんで? どっから見ても厄神じゃない」
「厄神というか……」
「ただの陰気な神様ね」
「…………」
道のりは険しいようだった。
落ち着くとさすがに寒くなってきたのか、魔理沙は勝手に中庭へ向かって、そこから部屋に滑り込んだ。まさに、勝手知ったる他人の家。
霊夢も魔理沙に続いたけど、私は縁側でとどまって、ブーツをぷらぷらさせる。脱ぐのが面倒っていうのもあったのだけど、長年の厄神生活で身についた、配慮というものだった。
「あんた、髪もぼろぼろじゃない」
そんな声がしたので、膝で立って、部屋を覗きこむ。たしかにぼろぼろだ。前みたときはきれいな金髪だったのに、と思い出すと、あまり好ましくない記憶も一緒に頭へ流れてきた。つい最近、初対面で、理不尽にボコられたのだ。
「普通にやったはずなのに、なぜかこうなってだな」
魔理沙はからりと笑う。さっきまで黒々としていたのに、ずいぶん変わり身が速い。
「ここ座って」霊夢が座布団を投げる。「櫛いれてあげるから」
「今日はえらく気がきくんだな」
「えらく含みのある言い方ね」
ぽすっ、とおとなしく魔理沙がそこへ座る。
「やさしくしてくれよ?」
「保障はしないわ」と言って霊夢は、部屋の隅から箱を寄せてきた。
お化粧道具の箱かな。黒塗りで、たぶん漆器だけど、ところどころくすんでいて、遠目にもずいぶん年季が入っているように見える。先祖代々伝わるものかもしれない。
霊夢は箱から櫛を取り出した。落ちついた色をしていて、竹で出来ているようだった。普段使っているブラシと比べると、だいぶ趣向が違うけど、良い色だ。素直にそう思った。
「良いもん持ってるじゃないか」
「あげないから。ほら、前向いて」
不敵に笑って、魔理沙は背を向ける。そのまま、されるがままになった。
ざっ、ざっ、となんとも通りのよろしくない音がして、魔理沙の顔が小刻みに上を向く。
「いたい、いたい」
「仕方ないじゃない。あんたこれ、タワシでやってきたの?」
「終わってみたら、ブラシがそんな感じになってたな」
私は二人を、縁側から眺めていた。すこし大げさ過ぎるかとも思ったけど、これぐらいが一番、馴れた距離だ。役目としてではなくて、種族として身につけた人間との距離感。それが、だいたいこれぐらい。
そういえば誰かに髪をといてもらったことって。
ちょっと気になって、記憶の引き出しをあさる。
神様の記憶なんて、そう種類は多くない。人間と違って、やることがはっきりしてるからだ。だから、似たような記憶が積み重なると、一つ一つの区別が難しくなってくる。そうやってレアな思い出も、なんてことない思い出のなかに埋もれてしまう。
ゆえに、あったかどうか。はっきりしない。
いや、でも。
あったはずだ。
二人の姿を見ていると、私のなかに、なんだか不思議な確信が生まれていた。
根拠のない確信って、妄想って呼んだと思う。でも、あたまの奥底にはちゃんとしたイメージがあって、あんな風にちょっと大ざっぱだけど、でも優しい手つきに、なんだか覚えがある。
イメージというか、感触だろうか。
積もり積もった同じような記憶の片すみで、そいつだけが、色違いを主張してるような気がした。
「はい、おしまい。ちゃんとしときなさいよ」
霊夢が、魔理沙の頭をコツンと鳴らす。それで思考はストップして、なんだかよくわからない感覚が、消えてなくなった。霊夢はずいぶん手際がよかった。
「ご苦労さん」
魔理沙はやけにえらそうだったけど、霊夢は気にもせず櫛をしまおうとする。
それを見て、ちょっとした思いに駆られた。
本当にちょっとしたもので、きっと何の意味もない、ほんの思いつきだ。
「ねえ」
気がついたら、声をかけていた。
「なによ」
すこし躊躇してしまう。この程度ならまだ大丈夫、と見当をつけて、思いつきを通す。
「私も髪、やってくれない?」
「いいけど? こっちきなさいよ」
あっけなく、霊夢は引き受けてくれた。あっけなさすぎて、余計とまどう。
「でも、厄がうつるかも」
「死にゃしないわよ。ほら、さっさと」
二人とも頑丈そうだし大丈夫かな、と折り合いをつけて、靴を脱いで部屋にあがった。魔理沙がもぞもぞとコタツへ潜って、座布団を空ける。入れ替わりに私がそこへ座った。
「ほどいていいの? これ」
「いいよ」
「前結んでるやつは、自分でほどいて」
「はいはい」
リボンを、ほとんど同時にほどく。髪が広がって、目の前がエメラルドになった。
「サッラサラじゃない」
後ろ髪が動く。霊夢が指を通してるみたいだ。
「気をつかってるのよ」
神様といっても見た目には気をつかう。民衆というのはわりと単純であるから、みっともない神様の人気など、あっという間に地に落ちてしまう。信仰とはデリケートなのだ。
「神様の髪をとかすなんて、なかなかできない体験ね」
霊夢からは、なんだか奇妙なやる気を感じた。
冗談のつもりか? と魔理沙がなぜか厳しい声を出す。
「昔の神様、っていうか昔の人は髪を洗わなかったのよ?」
だれかに髪を触られるのは久々、たぶん久々で、急に照れくさくなって、そう茶化した。
「洗わないでどうすんのよ」
「櫛をいっぱい通して、汚れとか、ホコリを落とすの。それで油をぬっておしまい」
「ばっちいわ」
と霊夢は笑って、私の髪を手にとった。一束、ってところかな。
「そーれそれ」
霊夢が櫛を通してくる。
自分でいつもやっていることなのに、くすぐったい。人間の手っていうのは、なにか不思議な力でもあるのかな。手当て、なんて言葉もあることだし。霊夢の手は、やっぱり少し大ざっぱに思った。でも、根元から毛先まで、しっかり通してくれている。
なんだか落ち着かないけど、どちらかというと心地よくて、なつかしくもあった。
――なつかしい?
なんでだろう。
どこで、だれに。
顔も、景色も、音も匂いも思い出せない。
思い出せるのは感覚だけ。
――――。
記憶の断片を拾い集めてみる。
……まとまらない。
もともとバラバラなのか、一つのものがバラバラになったのか。それはわからない。
まぁでも、多分。
そんなに、深刻な話じゃないかな。
「通りが良すぎて手ごたえが無いわ」
霊夢は物足りなさそうだ。それもそうだと思う。
「朝に、ちゃんとやってきたからね」
「じゃあなんで、あたしがやってんのよ」
不満げに言いながらも、霊夢は手をとめない。
「さあ?」
そんなふうにごまかして、くすくす笑ってしまう。なにがこんなにおかしいのか、やっぱりわからない。
「変な神様」
「神様ってのは、だいたい変なものだろう」
「まぁ、それもそうか」
君たちもう少し神様に対する敬意をだね、という言葉を飲み込む。二人のそんな軽口も、今は愉快に思えた。
それからまた、されるがままになる。
髪と櫛が擦れる音だけが、部屋に響く。
「なんだか、音が違うな」
「髪質の違い、なわけないか。あんたの髪がおかしかったのよ」
魔理沙は私の横で、うつ伏せになって、腕に頭をのせている。せっかくとかして貰ったのに、もう少し大事に扱ってみてはどうかな?
「はいおしまい。とかすとこ無いもん」
一通り櫛を通してもらったところで、魔理沙と同じように小突かれる。それが終わりの合図であるらしい。
「ありがとー」
「これ、結び方わかんないから、自分でやってよね」
霊夢がリボンを渡してくる。
私はその手を見つめたまま、しばらく髪を撫ぜていた。
なぜか、結ぶ気にならない。なんでだか、わからない。単なる思いつきのはずなんだけど、もったいないというか、名残惜しいというか、またさっきみたいに、頭のなかがごちゃごちゃしてくる。
でも、悪くはなかった。すっきりとはしないけど、それがなんだか楽しい。
楽しんでる場合じゃないんだけど、これって職務怠慢かな。
そんなことを考えながら、リボンを受け取った。
それからしばらく、三人で話した。おもな話題は、魔理沙の今朝の不幸について。
「厄年三十回ぶんぐらいだったから、死にたくなっても不思議ではないね」
というのが私の見解。けっこう乱暴な計算でもある。
「担当の管理責任を追及していく所存だ」
魔理沙はなんだか大仰なことを言っていた。
担当……、担当ねえ。まぁ、そうなのかもしれない。
「さて」と霊夢が立ち上がる。「魔理沙も生きる気力を取り戻したみたいだし。あんたの目的も達成されたみたいだし。二人ともさっさと帰ってね」
「いやいや」かぶりを振って見せた。納得するわけにはいかなかい。「まだまだ。ぜんぜん。これじゃ一割にもほど遠いわ」
「どれだけ貯めこんでたんだよ」
「三十年ぶんぐらい? そろそろ渡そうと思ってたのよ。上司の神様に」
「したっぱなんだな」
言われなくてもわかってるよ、と言うのを我慢して、お願いする。
「というわけで、探すのを手伝ってよ」
「どういうわけなのか分からんが、べつにいいぜ。暇だし」
「ほんと? やったー」
幻想郷は広い。協力者は一人でも多く欲しいところだから、ほんとに嬉しかった。
命の恩神様だしな、と魔理沙は笑う。うまい言い回しが出来たとでも、喜んでいるようだった。
「あんたはなんで」霊夢がすこし眉を下げる。「そんなもん集めてんのよ」
厄のことだろう、と私は見当をつけた。
「さあ? もう忘れちゃった」
何か嬉しいような、悲しいようなことがあった気がするのだけど、思い出せなかった。きっかけは、なんだか些細なことだった気がする。
だから、そんなに深く考えることはない。
「やっぱり物好きね。便利な物好きだけどさ」
「そういうわけじゃないんだってば」
「集めて渡したら景品でも貰えるのか?」
私も集めてみるかな、と本当か嘘かわからない顔で魔理沙が言う。
「もらったことはないけど」
今度たのんでみよう。魔理沙につられて、そんなことを考えてしまった。
「それで、探すっていっても、アテはあるの?」
ひょっとして霊夢も手伝ってくれるのだろうか。ちょっと期待してしまう言い方だ。
「まったくないよ」
なので、素直に答えた。
「お先真っ暗だな」
さてどう探したものかと考えていたら。
「号外でーす! 号外! 号外! あはははは!」
境内の方から、そんなわめき声が聞こえた。
「客が多い日ねえ」
◆
『号外 文々。新聞 廃刊のお知らせ』
もう、なんかぜんぜん、わかんないっす。新聞ってなにが楽しいんすか?
だーれも感涙にむせいでくれないし。内なるパトスを思いのままにぶつけてやってるのに。どいつもこいつも懐が狭いんです。
今朝なんか仕事サボって椛いじってたら、大天狗様に怒られました。報告書だとかなんとか。そんなに知りたきゃ自分で調べて自分で書けばいいんです。イラッときたのでシメちゃいました。「なんだ、どうしたんだ?」とか言ってました。どうもこうもねーよバーカ! バーカ! でも、グーパンはあんまりだったかな。グーはさすがに。椛も引いてました。
だいたい天狗なんかいまどき流行らないんです。天狗て。天狗だから鼻高々? 頭悪いっす。もう辞めます。天狗辞めます。小人になります。巨人を締めあげます。
ついでに新聞も辞めます。長らくのご愛顧ありがとうございました。射命丸先生の次回作にご期待ください。(射命丸文)
境内に出ると、天狗が新聞をまき散らしていた。
「何も言わずに、読んで下さい!」と言われたので、黙って読んだ。
渡すなり、ずっと小声でなにかぶつぶつ言っていたのだけど、俯いていて、表情は読み取れなかった。「煮込みモミジ……、揚げモミジ……」とか、そんなことを言っていたようだけど、なんのことだかわからない。
もちろん、厄のしわざだ。
「なんともフリーダムな新聞だな」
「いつもより面白いわね」
「厄いなあ」
天狗はあからさまに黒々としていた。あんまり使ったことはないけど、墨汁を思い浮かべた。バケツ一杯分ぐらいぶっかけた感じ。さっきの魔理沙より大分厄いように見える。
「なんでこんなことになってるわけ?」
霊夢がきくと、堰をきったように答えた。
「ほっといてください。もう辞めるって決めたんです。もうこんなもの書いてても意味がないんです。新聞なんて幻想郷にはいらないんです。どうせ誰も読んでくれないんです。私なんてバカでノロマな天狗なんです。私のようなやつはクズなんです。人を不幸にするんです。生きてちゃいけないんです」
厄のせいだろうけど、芝居がかってるなあ。大げさな手振りで、頭まで激しく振りかぶるものだから、暴れてるみたいにも見える。まぁ、それよりなにより、舌のまわりっぷりに感動してしまう。
「それはそうだけど」
と、霊夢はこれっぽっちも否定してあげなかった。たぶん、彼女はなぐさめて欲しいんだと思うんだけど。悲壮感? みたいな。そんな雰囲気出してるし。
「自分でも言いすぎだと思ったぐらいなんですけど」
ほらやっぱり。
「そんなことはないと思うけど」
ここは否定するんだ。ちらりと霊夢を見る。……わざとやってんのかなあ。素でやってるのなら、それはそれで大した巫女だと思う。
天狗は涙目で黙ってしまっている。
厄ると怒ったり笑ったり、僻みっぽくなったりするけど、涙もろくなるのもよくあることだ。そういうタイプなんだ、と微笑ましかった。
ふいに、小脇に抱えた新聞の束から一枚取り出した。それから、大きく振りかぶって。
「わぶ」
霊夢の顔に、新聞を張り付けていた。べったり。息できるのかなあ、これ。
「新聞だけに、斬新な使い道だな」
魔理沙はにやにやしながらその光景を眺める。
「わぶ」
今度は魔理沙に張り付けていた。大したテクニックだと思う。ノリでも塗ってあるのだろうか。記者のスキルの一つなのかもしれない。
「…………」
――え。
私も? 私もなの? そういう流れなの?
「きょ、興味深かったよ? 使われる身分ってのもつらいよねえ。ろくに文句も言えないんだもんね。立場ってものがあるから仕方ないのはわかるけど、もう少し気遣いってものがあってもいいと思うよ。この前なんか上司の神様がさあ」
「…………」
「わぶ」
――頑張ってフォローしてあげたのに。
釈然としないまま、新聞を剥がす。そこへまた、新たな新聞が飛んできた。
また剥がす。
また飛んでくる。
また剥がす。
超高速いたちごっこ。
…………。
よくわかんない。
そんなことを三人揃って繰り返しているうちに、みんなの顔がインクで黒ずんで、やがて新聞が尽きた。
投げるものがなくなったと思ったら。
「…………」
ビュン。
飛び立つ。
「逃げた」
ゴン。
ぶつかる。
「あ、ぶつかった」
バタン。
落ちる。
「落ちてきた」
天狗は鳥居に直撃して、落下して、気絶していた。目がうずまきになってる。この間、まばたき五回分ぐらい。
「厄って、こういうもんなんだよね」
「こういうもんなんだ」
「こういうもんだぜ」
先に言っておいてあげれば良かった。後のカーニバル。
「ぐるぐるー」
と回り始めたところで、霊夢が声をかけてきた。
「いちいち回らないと集めらんないわけ?」
「べつに回らなくてもできるけど?」
回りながら、片手間に答えた。言われてみれば、なぜ回る必要があるのか、わからない。
「じゃあなんで回ってんのよ」
「クセかな」
それが、一番しっくりくる。
「霊夢が牛乳飲むとき腰に手をあてるのと一緒だな」
「しないわよ、そんなこと」
魔理沙のときより少し時間をかけて、厄を吸いとった。お帰りなさーい、なんて厄に言う日がくるとは思わなかった。
「そこそこ黒くなってきたわね」
「もう、あんまり近寄らないほうがいいかも」
厄るよ、と注意しておく。さすがにこのぐらいになると、もう危ない。長年の経験からか、これぐらいの目算はできる。会話がなんとか成立するぐらいの、距離を置いた。
「霊夢なんかいつも浮きっぱなしだからな、たまには沈んでみるのもいいぜ」
「あんたもでしょ」
「なかなか得がたい経験だった」
「そんでこれ、どうすんの? 気絶してるみたいだけど」
霊夢が天狗を指差す。気絶してしまえば、もの扱いされるみたい。私も気をつけなくては、と心に刻む。
「せっかく気絶してるんだから、あれに吊るしとけばいいんじゃないか? わざわざ結んだし、一度は使わないとな」
自分の首をくくる予定だった、縄のことを言ってるんだろう。
「それは名案ね」
「名案かなあ……」
一応つっこんだけど、あれよあれよと天狗はつるし上げられてしまった。二人はやけに手際が良かった。
「一丁あがったわ」
「さて、どうしたものかな」
一仕事終えた顔で魔理沙がつぶやくと、霊夢が答えた。
「手分けしてさがした方がはやいかも」
あ、手伝ってくれるんだ、と素直に嬉しくなる。
「厄ゴンレーダーとか、場所がわかる感じのものはないのか?」
「……? あったら自分で使ってるよ」
それからどうしたものかと、三人でしばし、天狗を眺める。風に吹かれて、ときおり揺れていた。相変わらず目はうずまきのままだ。長いこと神様やってるけど、こういう光景は初めて見る。
……ミノムシ? なんか違うかな。
「すんすん?」ふいに、霊夢が鼻を鳴らした。「なんか良い匂い」
「どこからだ?」
「あっち」と階段を指差す。
「さすが霊夢だな」
「どういう意味よ」
「食い意地が張ってる。前世は犬。鼻の穴が大きい。好きなのを選べ」
「ちょっと見てきてよ」
魔理沙を無視して、霊夢が近いところにいる私に頼んだ。
「はいはい」
覗き込むと。
黒光りするものが飛んできて。
横を通り過ぎて。
境内に飛び込んで。
背後でなにかが砕け散った。
◆
狛犬がぶち壊れるなり、巨体が境内に現れた。
黒い巨体。それが発射源だった。身体は黒い。とんでもなく黒い。人型、と見えないこともないけど、手っぽい部分も、足っぽい部分も太くて、身体っぽい部分も寸胴だった。
不細工っていうのはこういう格好のことをいうんだろうなあ。
――ていうか、あれは。
「わたしの厄!」
まさか自分から帰ってくるだなんて。しかも、こんなみっともない姿になって……。なんだか悲しくなった。
「いかにもボスっぽいな」
「ボスだからって人の神社ぶっこわして良い道理はないわよ」
ぷんぷん、という音が聞こえそうな霊夢の怒りっぷり。こればっかりは同意できる。
「どうやったらあんな形にできるんだろう」
あんな形にしようと思ったこと自体、そもそも無いのだけど、あんなに密度があるものじゃなかったはずだ。
「……すーけーてー」
厄の左手から、間延びした声が聞こえてきた。指の隙間から、なんだか赤いのが見えてる。
「すんすん。やっぱり良い匂い」
霊夢がまた鼻を鳴らすと、それが合図だったみたいに、にょきっと左手からなにか生えてきた。
「たーすーけーてー」
あれは、同僚だ。神様。秋の姉妹の妹のほう。捕まっていたというか、握られていたというか……。厄なんて神様には効かないはずなんだけど、どういうことなんだろう。
「これは幻想郷中の厄がつどいにつどってできた意思を持った厄なのー。その名も『厄ルト』っていうのー。放っておいたら幻想郷の平和がおよび、おびよ、おびやかされちゃうよー。こわいよー。たーすーけーてー」
噛んだよね。
「なんだあれ?」と魔理沙が指差す。
「焼き芋、の匂いの素」
霊夢があっさり答える。間違ってはいないんだろうけどさ、匂いから離れてあげようよ。
「焼き芋って言うな」
急に真面目な顔になって、穣子は文句を言ってくる。
「じゃあ一面ボス」
「…………」
穣子はなんだか不満げになって黙ってしまったが、「たーすーけーてー」とすぐに再開した。
一つ覚えのバカだねえ。
「わかったわかった」
魔理沙がなにかアイテムを取り出して、厄へ向ける。手元に、すぐさま光りが集まった。
「ますたーすぱぁく」
極太の光線が発射される。照準は、モンスターの左手。穣子がつかまっているところだ。いったい何をわかったっていうのだろう。
「ちょちょちょちょっと」
穣子が身体をひねって、それに合わせるように、厄が左手を上げる。穣子がいた場所を特大の光線が通過していった。ぎりぎりのところで回避成功だ。穣子が避けたというより、厄が気を使ったように見えた。
「おー」魔理沙が感心する。「さすが神様」
「人質狙ってどうすんのよ!」と穣子が叫ぶ。
「人質だったんだな」
「で、なにしにきたの?」
霊夢がいつもより強い調子で訊く。目の周りに、黒いモヤがかかっていて、その中で瞳が紫に輝いている。厄の影響は、ないはずなんだけど、なんだか厄い。
「え、いや、たすけてよ」
「たすけてって、あんた神様じゃない。厄なんか効かないでしょう」
「…………」
穣子はまた黙る。
「たーすーけーてー」
またそれ。
だいたい助けろ助けろ言うくせに、なにもされていないんだもんなあ。強いて言えば、握られてるぐらいで、命の危機というか正義と悪というか、そんな必死な感じがまったく感じられない。
まぁでも。
「ぐるぐるー」
望みどおり、助けてあげることにした。あれだけ回収してしまえば、紛れもなく厄神復帰だ。
心おどるぅ、とすこし速度をあげて回転する。
そーれそれ。
「ぐるぐるぐるぐるー」
さすがにこれだけの量となると、時間がかかりそうだ、と思っていたら。
「ぐ」取り押さえられた。両脇からがっちり。
「まぁ、待てよ」
「まぁ、待ちなさいよ」
霊夢に、魔理沙。二人とも、なんだかゆるんだ顔をしている。
「なにすんのよー。ていうか、厄るよ」
「せっかくのボスじゃないか」
「ボスは倒すものよ」
恨みもあることだし、と霊夢は言う。狛犬のことだろう。あれは確かにかわいそうだった。
「だいたい、あれが戻ってきたらお前、また村八分だろ?」
なんだか真面目な目をしてから、もう少し遊んでいけよ、と魔理沙が笑った。
「それはそうなるけど、もともとそうだし。そうじゃないと困るし」
もしかして、気を使われているのかな。どうにもこの魔法使いはよくわからないところがある。巫女もそうなんだけど。つかみどころの無さじゃ、どっちもどっちだ。
「多少サボっても誰も怒りやしないわよ」
「霊夢が言うと説得力があるな」
「うるさい、吊るすぞ」
二人の理屈が、よくわからない。厄は荒ぶってるわけでもないから、ぜんぜんボスっぽくないし、どちらかというと、私の近くにいる方が危ないと思う。
不意に厄がしゃべった、ように聞こえたけど、穣子の声だった。
「やる気になったみたいだし、それじゃあ頑張ってねー」と、穣子がひょっこり抜け出す。
そして、いや、ちょっと。
…………。
穣子は、そのままあらぬ方向へふらふら飛んで行ってしまった。厄だけぽつんと、取り残される。
みんな、唖然。なんのためのボスか分からなくなってしまった。いったいなにしに来たんだろう……。
「スクープの気配」入れ替わるみたいに、天狗が目を覚ました。「ってなんですかこれ?」
「見ればわかるだろ。吊るしてるんだよ」
「それは分かりますけど、下ろしてもらえません?」
「わかったわかった」と言って魔理沙がまた、さっきのアイテムを取り出す。
「ますたぁ」
「けっこうです。ここで見てます。がんばってください」
「謙虚なやつだな」
自分の身を守っただけだと思うけど。
「ねえ、今からあんたのこと倒すけど、これ以上もの壊さないでよね」と霊夢が厄に提案した。ボス相手なのに、やけに気さくな感じだ。
(加減が難しくて)
……?
厄はうなずいた、ような動きをした。ほんとに素直で、まるで人畜無害だった。あれでボス、ねえ。
「素直なボスってのも、なかなか味があるな」
「これ以上壊されたら、あたしがボスになるわよ」
「足、おっそいなあ」
のっしのっしと向かってくる厄は、きわめてノロマだった。
「あの、下ろしてください」
厄が弾幕を発射したとき、そんな声が聞こえた気がした。
そんな感じでバトル開始!
――とはいっても私に厄がきくはずもないので、見守る。ただ見守る。
厄はすごいやる気だ。なにがすごいって、密度がすごい。それだけでもけっこう危ないんだけど、弾幕が厄で出来てるのが、一番危ない。
「危ないから気をつけ――」
「ぎゃー」
霊夢がくらった。注意する暇もありゃしない。特大の楔弾が霊夢をつらぬいていた。
「いきなり派手にくらったなあ」
大丈夫かなあ……。私がいるから大丈夫だとは思うけど、とんでもない量だと一目で分かった。
厄はそのまま黒い霧になって、霊夢を隠す。
霧のなかから、木が折れたり、石がぶつかったり、ガラスが割れたりするような音が聞こえる。つまり、なんだかよくわからない。
霧が晴れると、なぜか紅白のはずの装束が真っ黒になっていた。
霊夢は膝を抱えて、座っている。
「はぁ、なんであたしがこんな目に会うんだろ。なんでみんなお賽銭に小銭しかいれないんだろ。財布ごと入れればいいのに。魔理沙の家なんて燃えればいいのに」
後ろ向きだなあ……。
あんまり厄いと服まで変わるんだ、と驚きつつ、厄を吸い取る。
「ぐるぐるー」
「よくもやったわね」
霊夢はあっという間にもとの紅白にもどって、飛んでいった。
的が大きいうえにホーミング射撃だから、よく当たっているのだけど、さっぱり効いている様子はない。まぁ、弾幕で消えてくれるのなら、厄神はいらないよね、となんともいえない気持ちで見守る。
そしてまた、一斉射撃。さっきより密度が濃い。あいからず規則性もゼロで全弾ばら撒き。パターンもなにもあったもんじゃないなあ。
気の毒に。
「ぎゃー」
今度は魔理沙が被弾した。
霊夢と同じように霧に包まれて、すぐに晴れる。白黒金のはずが、今度は全身真っ白になっていた。
……ひょっとして個性が出るのかな。
「はぁ、つらいぜ。悲しいぜ。生きてる意味がわからないぜ。人生は無情だぜ。芸術は爆発だぜ」
霊夢とは違う感じに後ろ向きだ。
「ぐるぐるー」吸い取る。
「仕返ししてやる」
魔理沙が復帰するが、ほとんど同時に、また霊夢が被弾した。
「ぎゃー」
霧に包まれる。そしてまた晴れる。
今度は、いや、もう。
ぜんぜんわかんない。
もはや巫女、っていうか、人間の形をしていない。なんだか緑色で、丸くて、つやつやしてる。表面に、目、みたいなのが二つ付いて、口が大きい。
うん。
ぜんぜんわかんないっす。
「ぷるぷるー」
「ぐるぐるー」
不穏な気配を感じたので、早めに回復。霊夢はまた元に戻って、また立ち向かっていった。
お互い忙しい。
「ぎゃー」
今度は魔理沙だ。かわりばんこでって、約束でもしてるんだろうか。同時に当たられたら、それはそれで困るのだけど。右へ左へ忙しくって仕方ないや。
魔理沙は、あれは、なんだろう。服はさっきまでと同じだ。
なにも、おかしいところは。
ある。
身体のつくりの細かいところが、なんというか……。
黒くて柔らかそうな毛に包まれた、大きな耳、のようなものがピンと立って、あたまの上についている。あの大きい帽子はどこへ行ったんだろう。
スカートの裾からは、黒くて細長いものが一本、覗いていた。あの感じだと、たぶん尻尾だ。
「人間をやめたぜ」
へぇ、そういうのもあるんだ。もう、なんでもありじゃん。
正直かわいらしいので、後回しにする。
魔理沙は耳と尻尾をつけたまま、立ち向かっていく。勇ましく、はないかな。
厄は中規模の弾幕の間に、ときおり大規模な弾幕を展開してくる。被弾した二人を復活させるより、撃ち漏らしを集めるほうが大変なのだ。小さい厄ならコケるぐらいで済むかもしれないけど、大きい厄ともなると見逃せない。
「ぐるぐるぐるぐるぐるぐる」
回りながら、私は考える。
なんで、あんなに頑張るんだろう。いろいろと危ないのに。
ぐるぐる過ぎてく景色のなかで、ときおり二人の顔を見る。笑ってる。とても楽しそう。よそ見してたら、回るテンポを乱してしまった。リボンが顔にかかって、くすぐったい。霊夢の手を思い出す。魔理沙の声が聞こえる。遊んでいけよ。そんな言葉を思い出す。遊んでいる。私は、遊んでるのかな。いろいろ忙しくて、よくわからないけど。
どうかな。
そうなのかも。
「はー、疲れた」
霊夢が座りこむと、厄は弾幕を止めた。なんとも場の雰囲気が読めるやつだ、と感心してしまう。
厄はずいぶん薄くなっていた。そりゃ、あれだけの厄を放出すれば薄くもなる。片っぱしから回収しているものだから、代わりにこっちがずいぶん濃くなっていた。
「しかし、結構くせになるわね、あれ」
「もとに戻るときが気持ち良いんだよな」
魔理沙が黒い耳をピクピクさせる。なんだか危ないことをしているみたいに思えてくる。
「回るのも楽じゃないんだけどー」
けっこうな数を回ったんじゃないかな。さすがに疲れてきていた。
「しかし、倒しきれるのかしら。ぜんぜん効いてないじゃない」
「そろそろトドメのアレをやる時じゃないか?」
思いついたように、魔理沙が言った。トドメもなにも、弱らせてもいないっていうか、厄が移動してるだけ、なんだけど。
「アレってなによ」
「合体だよ、合体」
「合体?」霊夢がきょとんとする。
「トドメっていったら合体だろう。みんなの力を合わせて、うんぬん」
そこから先が知りたいのに、大事なところを魔理沙は口ごもる。
「あたし達、そんなスキルあったっけ?」
「今思いついたぜ」
やっぱり。
「かたぐるまでもすれば、それっぽく見えるんじゃないか?」
「見えないと思うけど」
「もうだいぶ回収したし、お開きで良いんじゃないの?」
そう提案した。お開きっていうのも、なんだか変な感じがするのだけど、残りを回収してしまえば、集めてた分に到達するはずだ、たぶん。あんまり厄に中っても、良い影響があるとは思えないし。いい加減そのへんが心配になってくる。
「何を言う! 見せ場はここからだろう」
魔理沙は声を張る。誰になにを見せるっていうんだろう。
「このままじゃ締まらないし、いいかもね」
霊夢があっけらかんと言う。この巫女はノリが良いのか悪いのかわかんない。
「それじゃ、さっさと締めちゃってよ」
「お前もやるんだぞ?」
へ?
一瞬、思考停止。
私? 私もやるの? それはつまり?
スカートから、魔理沙の頭と耳が生えてきた。
こういうこと?
「ひゃあ」
変な声出しちゃった……。
そして。
持ち上げられる感覚。
傾く! かかかか傾いてる! 私!
「いたたたたたた」
耳を思いっきり握ってしまった。痛いんだなやっぱり。あんまりにも握りやすいところにあるものだから、つい。
いやでも、これは、握らないことには。
「いたっ、たっ、おっ、とっとと」
「おちっ、おち、っる!」
「無理っ、な重さではないが、バランスがっ、な?」
そうやってしばらくふらふらしていて、なんとか安定した。浮いて負担を減らそうかと考えたけど、なんだかそれは出来なかった。……なんでかな。
「お前は配慮というものをな?」
「浮いとけってんでしょ」
霊夢はそう言ってふよふよ浮き上がり、私の肩に座る。重さは感じないけど。
感じないけど、なんだろう、この格好。
形だけなら、三段かたぐるま。
土台はケモノっぽい魔法使いで、上は巫女。そして真ん中は、神様。
…………。
考えるの、やめよっかなあ。
「完成だ!」
「で、どうすんの?」
どうもこうもないんじゃないかなあ。
「それはお前、貯め技に決まってるじゃないか。チャージ」
「そんなスキルあったっけ?」
「今思いついたぜ」
やっぱり。
「まぁ、やればできる」
「まぁ、やってみるか」霊夢もやる気になる。やっぱり、ノリは良いみたいだ。
厄が弾幕を打ってくる。弾幕というか、ただの威嚇射撃で、寂しさを主張してるみたいだった。それぐらい殺気というか、やる気が感じられない。
「待ってな。今トドメさしてやるから。うーん」
「狛犬の恨み。ぬーん」
と二人は唸る。チャージ、しているらしい。
って。
いや、いや、いや。
なんか光りが集まってきた。どうなってるんだろう。
「おお?」
「やればできたわね」
やればできるにも限度ってものがあるよ。いや、でも、そんなことより。
「二人とも、厄ってるよ?」
これだけの厄に、こんなに深く長く中っちゃったら、さすがに厄る。
「いや、まぁ……、がんばるぜ……」
「やってやるわよ……。せっかく貯めたんだし……」
おどろいた。
人間の力でどうにもならないから、私がいるのに。
なんでだろ……。
二人ともきっと、遊んでるだけだ。ただ純粋に遊んでる。
だから楽しい。
そういえば。
人間はこんなに楽しい生き物だった。
それを思い出した。
そこからまた。
なにか、思い出しそうになる。
きっと、大したことじゃない。
こんなときに、こんな格好で思い出すのも、なんだかマヌケた話だ。
でも。
どんなにきれいな思い出でも、ほうっておいたらサビがつく。
すこしだけ、磨いてみようか?
せっかくだし。
だけど。
「無理しなくても」
「遊びに無理もなにもないぜ」
下からは魔理沙の声。魔理沙は、笑っているような気がした。
「最後ぐらいきっちり締めなさいよ」
上からは霊夢の声。霊夢は、きっといつもの仏頂面をしてる。
きっと二人とも、厄い顔なんだろうけど。
私は思い出す。
誰かの手。
最初はぎこちなかった。でも、段々上手になった。
それが嬉しかった。
私のために頑張ってくれた。
応えてあげたい。最初はただ、そう思った。
少しずつ、動いて見せた。驚かれたけど、喜んでくれたと思う。
それが嬉しくて、今度は回って見せた。大喜びだ。
気に入らない人もいたみたいだけど。
私はそれでよかった。
人間は、なにかの為に頑張れるから、私も頑張ろう。
そう思って。
お別れのとき。
ほんの少しの不幸せを引き受けた。
ただそれだけの。
大昔の話だ。
ほらやっぱり。
大切だけど、他愛のない話じゃないか。
「まだか……?」
「さっさとしてよ……」
私待ち、なんだ。それはつまり。
「私もやるの?」
「当たり前だ」
見よう見まねで、チャージしてみる。
「むーん……」
こんな感じ? むーん。むーん。むーん。
「あ」
できた。なんか力が湧いて、光ってる私。
はは、バカみたい。
「やればできんのよ……」
「いくぜー……」
二人とも限界っぽいから、元気な私が声を張る。
――深呼吸。
「うてー!」
おいしいところ、いただき。
ごうって音がして、なんだか色々混ざってるけど、きらきらしてきれいな弾幕が、私たちから飛び出した。
グランドフィナーレ、かな?
◆
いつの間にか太陽はやる気を無くしちゃって、山の端で、こっそり私たちを見つめてくる。照れてるみたいに、そこから神社を赤く染めていた。遊んでると、時が経つのが速い。そんなことを、なんだかすごい久しぶりに実感する。
厄は形を変えている。さっきまでの寸胴ではなくて、いつものよくわからないモヤモヤだ。
「祓えないのか?」
「無理よ。こんなでっかいの。私が千人いても無理だわ」
「それはおもしろい光景だ」
魔理沙は笑う。たしかに、面白い。
「お前も貧乏クジだよな」
それは、よく言われるんだけど。
「やりたくて、やってるんだよ」
わかりやすく、そう伝えた。それが貧乏クジとの、大きな違い。
「神様って、そういうもんなのよ」
霊夢はよくわかってたみたいだ。さすがは巫女。
「そういうもんなんだな」
だから。
「ぐるぐるー」
私は回る。心なしか、普段よりもゆっくり。回りながら、赤く染まった二人の顔を見る。こういう面白いやつらが面白く生きるために、私がいるのだと思うと、少しだけ誇らしかった。
「生きてる間に、もう一回ぐらいなら遊んでやってもいいぜ」
「今度は神社以外で」
「うん」
今日は楽しかったって、私は笑った。
◆ エピローグ
一日の働きを労って、お酒をいただいている。つまりは打ち上げ。
「姉さんも暇だよね」
穣子がとっくりを揺らす。わたしは一杯空けてから、答えた。
「徳が高いのよ」
「あれが徳のある行いかなあ。ただのいたずらじゃない」
「楽しそうだったけど?」
見てるぶんには、とても楽しそうだった。ちょっとひどい目にはあったけど。適当なところで種明かしするつもりだったのに、ああいう流れになっては仕方ない。
「楽しませるのが、姉さんの徳なの?」
「そうよ」
なんだか違う気もするけど、言葉っていうのは難しい。楽しませるっていうか、遊ばせるっていうか、息抜きっていうか。あの神様の仕事はちょっと、サボりにくいところがあるから。
まぁ穣子になら、言わなくても伝わるかな。
「神様らしからぬ、迷惑っぷりだったけど」
「たまにはわからせないと」
厄の怖さを。気をつけていれば避けられるからって、忘れてもらっては困る。
「それはオマケみたいなもんでしょ?」
「まぁね」
遊び相手にするついで、みたいな。
「たまには人間とも遊ばないと」
「神様らしくない、とか姉さん言ってたね」
「あと」
「そろそろ忘れてそうだから、でしょ?」
神様やってる理由をね。穣子と話すのは、とても楽だ。
「じゃあなんで姉さんは神様やってんの?」
「秋が好きだから」
私と一緒だ、と穣子は笑う。
満足、満足。互助の精神というものは、それだけで心を豊かにしてくれる。押し付けがましかったかもしれないけど、機会があったら狙っていかないとね。冬はやることも少ないから、こういうイベントに貪欲になるのかも。
「後始末は?」
神様として、そこはきっちりしておかないといけない。
「魔法使いに、天狗に、あと巫女にも配ろうとしてやめたんだよね。こぼれ弾は、だいたい集めて返してきたよ」
なら、いっか。
――あれ?
「あの服、どこで拾ってきたの?」
いろいろ便利だったけど。
「あ」
画竜点睛を、欠いたかな?
◆ おまけ
河城にとりは、文明の利器をいじりまわしている。
しかし、今日は不可思議だった。
火薬もエレキテルも使っていないのに、なにかある毎に爆発が起きるのである。
にとりも馬鹿ではない。爆発のきっかけがどこにあるのか、いい加減わかっていた。なにかをくっつけたり、スイッチを押したりすると、尽く爆発するのである。
一見、理論もへったくれもない。
しかし。
なぜ爆発するのか? それを突き詰めるのが河童であり、理系だ。
故に、にとりは試行錯誤をくりかえす。
接着。爆発。
パーツをはめ込んでみる。爆発。
ポチっとな。爆発。
あくびをしてみる。爆発。
トライアンドエラーは、科学が背負った宿命なのだ。
黒こげになった、にとりが叫ぶ。
「文字通り燃えてきた!」
河童が一番前向きだった。
おしまい
愛らしい雛の挙動とモノローグが楽しかった。
秋姉妹GJ。
とても幻想郷らしいまたっりのんびりした事件というか
つまり、雛っていいキャラだなーかわいいよ~ってことですよ
楽しそうな3人の姿がふわりと浮かび上がってくる感じで
押しは強くないけれど、ある意味東方二次のお手本みたいな雰囲気。
ぐるぐるーって。
斬新すぎるwww
そいうえばカッパと厄神は伝承的にも相性がいいそうな
読後感がこんなに良い小説は久々でした。
色々起こってるのに、総じて楽しそうというw
何より、雛が楽しそうにしてる+秋姉妹がいい役だったので、文句なしでこの点数で