亡霊にはメルランのソロくらいがちょうどいいとされている。
じゃあ怨霊は?
「そもそも怨霊と亡霊って全然違うじゃん。音からして違うじゃん。あと見た目も」
亡霊は人間の姿をしているが怨霊は幽霊と区別がつかない。まだ騒霊と亡霊の方が音的にも見た目的にも近い。いずれにせよ十秒も話せばどちらなのか一発で看過できる。
例外があるとすれば生前から賑やかな人だったのなら死後も生き生きとした亡霊となるだろう。もっとも強い恨みや遺恨、未練を残した状態で死ななければ亡霊にはならないので、そういう頭に向日葵でも咲いているような人は大概簡単に死を受け入れる。
だから、結果的に霊っぽくせに生き生きとしてやかましい連中は、騒霊と相場が決まっているのである。
リリカはこの二百年くらい騒霊をやっているが、今のところ亡霊と間違えられた経験は無い。知識のない者からは幽霊とすらいっしょくたにされるが。
「大体」
リリカはティーカップを傾けるルナサに追及した。
「怨霊に取り憑かれでもしたら危ないからしばらく博麗神社に近付いちゃだめって、姉さん言ってたじゃない」
「一人で行ったら危ないからだめって言ったのよ。それに怨霊はもう退いているし」
「じゃあ行く意味無いじゃない。怨霊相手にライブする予定だったんでしょ?」
「するわよ」
「いやでも退いたって」
「追いかけるのよ」
「そんな、メルラン姉さんのビームでもあるまいし」
悪名高きホーミング霊ザービームである。完全で瀟洒と名高いメイドですらこのビームの前では自分の世界に引きこもるともっぱらの噂だ。
そんなプリズムリバー三姉妹随一の戦闘能力を誇る次女メルランが長女と三女の会話に全く関与していないのは、なぜか。
バックで新曲の練習をしているからである。そもそも現在、休憩時間なのだ。三姉妹随一の体力を誇るメルランはぶっ通しで演っているが、いつものことなので二人とも放っている。
「追いかけるったってあの怨霊ども、地下に帰ったらしいんだけど」
「地下には随分昔に封印された妖怪たちがもう一つの幻想郷とでも言うべき社会を築いているそうね。新聞記者から聞いたわ」
「その場に私もいたから覚えてるって。その時、釘刺されたでしょ? 妖怪立ち入り禁止だって」
「私たちは騒霊。奴らは天狗」
しょっちゅう記事に取り上げてもらってはいるが、別にしてくれと言った記憶もないし文々。新聞程度の発行部数ではライブ客が跳ね上がることもない。仲良くはしているが恩義は絶無の関係である。
リリカも文個人程度を敵に回すのなら数はこっちが三倍なので、遠慮はいらないが事はそういう話ではない。
「でも連中、不干渉条約結んだって言ってたよ? 破ったらヤバいんじゃない?」
「それはもう地下の住民側が破っているわ」
「あらまぁ」
「考えてもみなさいリリカ。私たちはつい最近まで地下世界があるだなんて知らなかったわ。それは私たちが幻想郷に来る前に、既に地下世界は出来上がっていて封じられて忘れられていたからよ。不干渉条約なんてとっくに過去の話。今更私たちが行ったって対してお咎めなんて受けないわ」
「要するに追っ払われた時は追っ払われた時ってこと?」
「その時は三人がかりで追い返せばいいわ」
ぱっぽっぱーっ、とトランペットが威勢良く鳴いた。頼もしい次女である。
ルナサはティーカップを皿に置いて、柱時計に目をやった。休憩時間は終了。ティーセットをルナサは片付け始める。
残されたリリカは、メルランの意見を聞くことにした。
「なんでルナサ姉さん、地下でライブやりたいんだろ?」
「リリカ、音集めしたくないの?」
マウスピースから口を離したメルランは、心底不思議そうにリリカへときょとんとした目線を送った。
リリカは腕組みして、唸った。
「そりゃどうにかして姉さんたちけしかけて、行きたいとは思ってたけどね……先を越されると逆に心配になるわけで」
リリカ・プリズムリバーは幻想の音を奏でる程度の能力を持っている。
この能力は既にこの世から失くなった音、死んだ音をもう一度響かせることができる。つまりは音の幽霊だ。それらの幽霊を見つけては拾い集め愛用のキーボードに放り込み、新曲のネタにするのがリリカの趣味である。
この能力はプリズムリバー楽団で重宝されている。実際に演奏で使われることも多いが、何よりインスピレーションを与えてくれる。
だがそう広くも無い幻想郷。幻想郷の性質上、外の世界で幻想となった音が舞い込むことは多いが「これぞ!」と唸れる音が見つけられることはそうそうない。
音ネタ集めを釣りに例えるとするならば、このたび新たに見つかった地下世界とは蛇が釣れるか鯨が釣れるか、はたまたディープワンが釣れるかさっぱりわからない未知の釣堀なのである。
これが行かずにいられようか。
それ故、どうにか二人の姉をそそのかしてでも近いうちに行くつもりではあったのだが――
「だって心配じゃない」
頭上から落っこちてきた釣瓶落としを撃墜したメルランは、けろっとした表情で言った。
周囲を警戒しつつ飛行を進めるルナサもこくりと頷く。
「一人で行かせた方が危険でしょう?」
「それくらいわかってるから、どっちみち姉さんたちを動かすつもりだったわよー」
「それくらいわかってるから、どっちみち私たちが動くならと先回りしたのよ」
「むぅー」
目を細くして、リリカは頭上にトンボを飛ばす。
結果的には一緒で策を巡らす労力も減ったのだが、子供扱いされているようでなんとも面白くない。それに企画発案者がルナサである以上、地下散策の指揮権は彼女が取ってしまった。ルナサの目的は正にそれなのだろうが。
懇意にされてしまっている新聞記者の鴉天狗にもよくからかわれるのだが、リリカはあまり一人で外出できない。必ずどちらかの姉が同行するのだ。それはリリカの悪戯好きを監視する目的も大きいが、根本的に二人とも世話焼きなのだろう。
「で、リリカ。目新しい音は拾えている?」
リリカは首を振った。
「今ん所場所そのものは普通に洞窟だからねー。封印された妖怪ってのと遊んだらもうちょっと面白そうな音も拾えるかもしれないけど」
「うーん、相手から襲ってこない限り下手にケンカ売っちゃ危ないわよ? 私たちは封印された面子を知らないからどんな能力で攻撃されるかわかったもんじゃないわー」
「天狗の話では鬼がいるともいうわ。鬼相手にはさすがに私たちが束になってかかってもものの数じゃないでしょう」
「いや角生えているから一目見たらわかるでしょ。大体、鬼がいるってわかってて、姉さんたち私が何も用意してないとでも思った?」
じゃじゃーん、という掛け声と共にポケットから取り出したるは、炒り豆を大量に入れた麻袋である。
「…………」
「あ、リリカだけずるいー。私にも分けてー」
メルランは手にいっぱい炒り豆を掴むと、ぽりぽり大して美味しくも不味くもなさそうに頬張り始めた。
目が覚めるとこいしが横で寝ていた。
さとりは寝癖のついた寝ぼけた頭を手櫛で整え、こいしに布団をかけたままベッドから抜け出した。
よくある朝の光景である。常時寝ぼけたような頭で行動しているこいしがいつの間にか帰ってきていつの間にか自分のベッドではなく、姉のさとりやペットの寝床を奪い取ってひんしゅくを買うことなど日常茶飯事なのであった。
さて、朝とは言うものの地下に太陽など――あるわけがなかったが、ともあれ日中日没などという概念は存在しない。しかし妖怪も生き物。体内時計に従って生きていれば、自然に朝と昼の感覚が生まれる。さらに言うのであれば、体内時計は季節にすら反応して全く関係がないはずの日照時間に合わせて逐一変更されて行くのだ。
そこらへんは無意識で生きている妹のこいしや本能の赴くまま生活しているペットたちが如実に示していた。年明け間近の冬。空が核制御にこなれてきた昨今、徐々に地霊殿の周囲も元の気温に戻りつつある。寒い、暗い、ひもじいの三つから不幸はやってくる。とりあえず寒いという感覚が戻ってきた今、ペットたちはさとりの目を盗んでは仕事をさぼりやすい。
例年ならば働き者のお燐と空の二大トップがさとりに代わって皆に気合を入れてくれるのだが、二匹とも最近は地上によく遊びに行ってしまっている。その内飽きて元に戻るであろうが……。
「まあ……ちょうどいい機会かも」
核融合の一件に関して、さとりは責任を感じていた。
最近やけに暑い、空はちゃんと火力調整しているのか? と疑問を覚えていたものの、しっかり者のお燐が何も言わなかったのですっかり油断していたさとりに、非がないとは言えない。
地霊殿最高責任者であるさとりだが、ペットが優秀に育ったので監督役という仕事以外なくなってしまったのだ。元より嫌われ者の総本山たる地霊殿に客もなく、顔役としての仕事すら必要なかった。一番怠け癖がついていたのはさとりかもしれない。
さて、ならば仕事である。
現状、やるべき仕事を幾つかさとりは脳内に浮かべてみた。
1:空に八咫烏を仕込んだ神様と顔合わせしておく
2:最近こいしに出来たという友達を確認しておく
3:ここ数百年で変わった地上の様子を見ておく
4:地霊殿の周囲を周り、ペットたちを監督しつつ労う
どれもしておいが方が良いが、優先順位を立てなければいけない。さとりは考えた。
まず1であるが、これはその内、空が核融合の材料を貰う際に接触できる。空と連絡を取れば大丈夫――ではないかもしれない。鳥頭の空だ。彼女に従う他の地獄鴉にも言い含め、いつ来るのか調べさせるように言っておかなければいけない。
つまり言いにいく以上、4の仕事を優先することになった。ならば残りの2と3の仕事であるが。
3の地上の様子を見に行くのは、例の巫女が恐らく忘年会でも開くだろうからその時にでも顔を出せば良い。心が読めるさとりだから、忘年会で集った幻想郷の面々の中に身を置いただけで現在の地上がわかるであろう。
最後の2であるが、友達の見当は付いている。これも忘年会の時に確認すれば良い。
結果、4、1、3、2の順で仕事をすることになった。
「お燐の姐さん、今日は旧地獄の7丁目あたりを回ってきやす」
「ういーっす。鬼の酔死体を見つけたらあたいに回すんだよー」
「了解ーっす」
相棒の地獄鴉を連れて、若い火車が猫車を猛スピードで押して行く。
火花が散った轍にはちろちろと鬼火が残っていた。実に平和な光景である。
地霊殿、死体置き場。
地底に封印された者どもにすら死体を漁る獣として嫌悪される地獄鴉と火焔猫であるが、彼らは隔離されたこの社会で重要な清掃業務を担っている。
伝染病をばら撒く根源がいる地底ではあるが、だからと言ってありとあらゆる生き物の死体を放置して不潔にして良いわけでもない。自然の成り行きでバランスが取れ、狭いながらも色々な場所がある地上は自浄作用があるからいいものの、人工的に作られた土地である地底ではやはり人工的に浄化する必要があるのだ。
地獄鴉は死体の匂いに敏感だ。あとは火焔猫が猫車でここまで運び、適当に処理する。汚れ仕事ほど重要な仕事はない。
「思ったより精が出ていますね」
「あ、さとり様。そりゃあもうハイホーハイホーですから」
尻尾をふりふりさせながら言う。確かに言葉に嘘はない。お燐の仕事好きはさとりも強く信頼している。だが――
「後で地上に行って珍しい死体を探すつもりなのね」
「ああ、もちろん仕事に一段落つけてから行きますよ?」
火車の手によって攫われた死体は成仏することが出来ず、怨霊となる。
そして地霊殿の新たな住人となるわけでさとりとしては歓迎するのだが問題は相手が地上の住民だということだ。
地獄鴉や火焔猫は封印された妖怪ではなく、元からこの場に棲息していたところ地獄から切り離されて現在に至っている。いわば原住民なのである。
大昔においては火車が地獄の使いとして地上の住民を攫うこともあったが、それほど長生きしている世代はもう地霊殿にはいない。さとりのペットとして最古参であるお燐や空ですら地上に出た機会は無かっただろう。
だから地上が珍しいという気持ちは、第三の目を通さずともわかる。問題はお燐の戯れが過ぎると、地下の住民全員が地上の妖怪から睨まれることになりかねないということだ。
「……やっぱりマズいんですか?」
「――いいえ。お燐が節度を持っているという自覚がある限り、好きなようにしたらいいわ」
「え、いいんですか?」
さとりは考え方を逆転させた。
この地下世界ができてから非常に長い時が経過した。人間どころか妖怪ですらこの地下世界の存在を知らない世代が増えているに違いない。
そんな時に、なんでも幻想郷の外からやってきたという神様が空に力を与え、さらにそれを危惧した人間と妖怪がこの地下を一部ながらも解放した今回の事件は、時流だ。
数年前、鬼の一人が地上に出たこともあった。彼女は先駆けだ。地下世界に封印された嫌われ者どもの受け入れ準備を、ようやく幻想郷は整えたのかもしれない。
お燐の行動を止めてはいけない。妖怪からすら忌まれて封印された者の恐ろしさを、今一度地上に知らしめておいた方が後々のためになるだろう。
いっそ異変の一つでも起こそうか。
「とはいえ異変のための異変というのもね。やはり地上の様子を探るのが先決ね」
「さとり様、地上に興味があるんですか?」
「ええ。お燐、強そうな死体を作ってもいいです。あと博麗神社の忘年会の日時を聞いておいて」
「じゃあ、巫女を死体にしてもいいんですか?」
「お燐が死体になりたいならどうぞ。私たち全員一回負けたでしょう」
さて、火車たちの仕事ぶりに問題はなさそうだ。次は空であるが――
「おいーっす。あいかわらず血生臭いねぇ此処は。地獄に落ちるよー」
聞き慣れない舌足らずな声が突然虚空より現れ、お燐が固まった。他の火焔猫どもも猫車の陰に隠れ、屋根に登り、相手から距離を取る。
さとりが振り向くと、そこには天を衝く立派な双角を生やした鬼が一人ひょうたんを枕に寝そべっていた。
噂をすれば鬼が来る。伊吹萃香はトレードマークの鎖に一人ずつ面妖な格好をした少女を縛りつけ、当たり前のようにそこにいた。 心が読めるさとりですら今先ほどまで気配を感じなかった。これが鬼の力である。
「ああ、先日はうちのペットがお世話になりました」
「先日じゃなくても、しょっちゅう世話してるよ」
「そうですか。まあそんな所で寝話もなんですから、屋敷の方でお茶でも」
「私はお酒以外の水分は飲めないのよ~」
「思わぬ鬼の弱点を教えてもらいましたね。ところでそちらの娘方は……ああ、そうですか」
質問した瞬間、萃香の思考が一瞬そちらに向かって大体の事情は察した。覚(さとり)常套の情報入手手口である。
とはいえ、鬼は精神鍛錬を積んだ者が多く、さとりの目ですら読み通すことが難しい心を持つこともできるのだが。今日はそんなこともやる必要は無いらしい。
というか、もうさとりが承知しているというのにお燐たちのためか、はたまたさとりの能力すら失念しているのか、萃香は口頭で縛り付けている少女たちの説明を始めた。
「こいつらはしがないちんどん屋だよ」
「死体にしたら毎日が賑やかで楽しくなりそうだね」
「ああ無理無理。こいつらは騒霊だから、殺したら跡形もなくなるよ」
「そーれー?」
「うるさい霊のことです。しかし萃香様。ずいぶんとこの騒霊、形がはっきりしていませんか」
「そんなことは知らないねぇ」
本当に知らないようである。本人たちの口から聞けばわかるのだろうが、残念ながら全員目を回している。さとりの能力は意識がなければ通用しない。覚の天敵は、ある意味前後不覚の酔っ払いである。
もっとも彼女らは萃香に一発かまされて伸びてしまったようであるが。どうやら萃香が旧地獄まで向かっていたところで鉢合わせし、『対策はばっちりなんだから!』とかなんとか言った赤いのが勝負を仕掛け、炒り豆を投げる前にやられてしまったらしい。
「鬼に喧嘩を売るとは……ペットにできないかしら」
「地霊殿が騒音住宅として訴えられるよ、そんなことしたら」
「そんなにうるさいんですか」
「百見は一聞に如かずってねぇ。よっこらしょっと。さ、あんたら起きた起きた」
騒霊たちの顔に萃香はひょうたんからじゃぶじゃぶ酒をぶっかけた。そこは水だろう。
「ん、ん……る、ルナサ姉さん、も、勘弁……呑めないよぉ……」
「りりかぁ……姉さんのお酒が呑めないというの……」
「姉さん、やめて、リリカの顔がありがたい壷みたいな色になってるわ……」
睡眠が浅くなり、夢を見始めたようだ。三姉妹揃って同じ夢を見ているとは、どれだけ仲が良いのか。
慣れたもので、萃香は彼女らの上半身を起こして次々渇を入れていく。鬼が天狗や河童に恐れられた原因の一つがこれだろう。酔い潰れても無理矢理起こされてさらに呑むよう強要される。鬼と呑むということは、つまり呑むか死ぬかということだ。
やがて、三人揃って寝ぼけ眼をこすり始めた。
「んぁ……う、うぷっ。ふ、腐臭がッ! 夏場にうっかりお肉を置きっぱなしにしていたあの臭いがッ!!」
「なに、どこ、ここ、墓場? 死体置き場? 攫っちゃうくらい私のソロ聞きたかったの?」
「…………ふぁ」
ぎゃあぎゃあ喚き出した三人を指差し、萃香はなぜか勝ち誇ったように笑った。
「ね?」
「目覚ましにはちょうど良さそうですね」
「ほほー。すると……天竺までありがたいお経をもらう途中だったと……」
「なんでやねん」
死体置き場が年頃の彼女らにはあまりにも臭うのか、うるさくて敵わないので客間に案内した。
出された紅茶を長女はミルクを適量入れて飲み、次女はたっぷりミルクに砂糖を何杯も入れて飲み、三女は突っ込みを入れながら飲んでいる。
萃香はそのままついてきて横でマイペースに一人呑み続けている。思考を読んだ所、一応地上の住民側として身元引き受け人のような気持ちでいる――というのがさとり流の解釈だ。
「私たちの頭数だと弟子だけで大乗経を取りに行くことになるでしょう」
「でもルナサ姉さん。三蔵法師って役に立ってんの?」
「オーケストラの指揮者くらいには役に立っているわ」
「じゃあ私がドラムで代用できるねー。えへへ。やっぱり私が一番偉い!」
「お馬さんは?」
「私はさとり。この地霊殿の主です」
放っておけばいつまでも姉妹内だけで話をしそうなので、さとりはやや強引に自己紹介をねじり込んだ。
緊張していたようなので冗談で少々場を和ませたが、実際のところ三姉妹が地下に乗り込んできた理由は既に知っている。
「音ネタ集めに来たそうですが」
「え? うん、そうだけど、なんで知ってるの?」
「『音ネタ集めに来ただけなのになんでこんな陰気な妖怪に捕まるかなぁ。ルナサ姉さんと同族の気がして嫌な予感がする……』ですか」
「え゛っ?」
「心配しなくてもリリカさんは独り言は言ってませんよ――『面妖な……』と思われましてもね。これが私の能力ですから、ルナサさん?」
「面妖ね……」
「お馬さんは?」
本当に竜馬の配役を誰がやるかしか考えていないメルランは放っておき、さとりはルナサとリリカの心を重点的に読んだ。大体の素性と能力、目的がわかる。さして強くも無ければ害も無さそうな連中である。
好きにさせても良いのだが、あまり甘くすると舐められてしまう可能性があった。特にリリカは一番初めに脅してみせたというのに、どうやってさとりをやりこめてやろうかと思考を練っている始末である。その思考すら筒抜けになっていると教えたはずなのだが。
「私の第三の目はあなたたちの心を見通す目。私の前ではいかなる策謀もガラス張りなのです」
「私の鬱の音はガラスを割れるわ」
「いや、しちゃダメじゃん姉さん」
「私の躁の音で粉微塵にだってできるわよ!」
「ああ、そちらのメルランさん。ソロで私の気を引いている間に逃げようとしても無駄ですよ」
「わ、リリカ、ホントにこの人心読んじゃったわよ?」
「『でも一人だけだし弱そうだし三人がかりで叩きのめせば勝てるはず!』ですか。まあその通りです。あなたたちの心象風景を見てもさして強そうな弾幕もありませんし。ですからここは鬼の顔に免じてあなたたちの好きにして構いません」
「ありがとうございます」
姉妹を代表してルナサが頭を下げた。実際のところ彼女は感謝のかの字も感じていない。
そうと決まれば、とメルランはトランペット片手に勢い良く立ち上がった。さとりは思わずびくりとする。彼女は考える前に行動するタイプだ。さとりが苦手とする相手である。
心を読むさとりの能力を相手に戦うことは無謀のように思えるが、そうでもない。実際のところ、戦闘中は細かいことを考える暇などないのだ。特に鍛え上げられた技は勝手に身体が無意識に行うので、下手に第三の目の情報がある分、覚はあまり戦いが得意ではない。
さとりが相手の思考を先読みして脅しをかけるのは、その事実を悟らせないために編み出された覚の知恵に従っているからである。
もっとも、そのおかげで嫌われるわけだが。
「さあ姉さん、リリカ! 行きましょう!」
「まずはどこへ行くか決めないと。リリカ、どう?」
「さきほどあなたたちが臭うと避けた死体置き場は、死体やそこから生ずる怨霊から様々な音が拾えるでしょう。それにこの地霊殿は色々な動物が集っていますから、獣の鳴き声には事欠きませんよ……無理矢理泣かせて噛みつかれても知りませんけどね」
「ね、姉さん、この人不気味だからさっさと行こうよ……」
「ルナサさん、しばらく地下に滞在するつもりならこの地霊殿の寝室で良ければお貸ししましょう。泊まり客なんて扱ったこと記憶にないですが」
「い、生きて帰れるかな、ルナサ姉さん……」
「元から私たちは生きても死んでもいないでしょう」
そんなことを言い合いながら三姉妹は席を立ち、客間を後にした。
三者三様の思考が読めない位置まで遠ざかるのを見届けてから、さとりは息をついた。
それを見計らっていた萃香が声をかけてくる。
「こないだこいしちゃんと遊んだんだけどさー」
「弱くなってましたか。良いことですよ」
「そりゃあ参ったねぇ。心配だねぇ」
萃香は覚顔負けの読心能力を持っていた。それはいつのまにか鬼が人間に騙されまいと身につけた技である。
こいしの能力は覚の能力を封じた結果、偶発的に生じた能力である。それが緩まって弱くなっているのなら、回復の兆しが見えているということだ。
毎日楽しそうに遊び歩いていた頃とやっていることは変わらないだろうに、一度は自ら望んで捨てた地上に戻ってから、こいしは再び覚本来の能力を取り戻そうとしている。
こいしが心を閉ざして生き残ったこと自体、奇跡に近いのだ。それはこいしが心を読めることそのものを疎んだわけではなく、心を読むと嫌われる結果を疎んだからこそである。でなければ第三の目を閉じた時点でこいしの人生も幕を閉じていた。
妖怪にとって精神的ダメージ、ましてや種族としての存在意義すら否定するほどの痛みは死に至るだけの毒となるのだ。
二度目はない。さとりはそう考えている。
キーボードを携えたリリカを先頭に、三姉妹は中庭を行く。
地霊殿で拾える幻想の音は、大別すると二種類に分けることができた。
近代死んだ音とより古代に死んだ音の二種である。地層のように区分けされている二種の音は、正反対の趣を持っていた。
まず古代の音であるが、これはここが現役地獄として使われていた頃の恐るべき怨嗟と呻き、生前の罪を悔いる嘆きに満ちた死者どもの声がほとんどである。ライブで適度に用いれば凄まじい迫力を発揮するだろう。
近代の音は地霊殿建設後のものだ。まだ死んでいない音が多いせいか古代の音に比べると量が少ない。だがさとりに拾われては成長してゆく火焔猫や地獄鴉の様子の跡を追うことができ、中々に興味深い。
「ふふん。心が読めるって言って脅してみせていたけど、あのさとりって人、案外お人好しじゃない。こんな奴、簡単に出し抜けるわよ!」
「そう考えているのも読まれるけど」
「そんなことよりリリカ、お人好しって、どんな感じの音でそう思ったの? お姉ちゃんにも聞かせて欲しいわー」
メルランがリリカの背中に飛びかかり勝手にキーボードを弾いた。姉妹である姉二人はリリカの扱うキーボードの幽霊も弾けることは弾けるが、各々能力は違うので奏でられる音は自分の能力に則したものである。
案の定、鍵盤を叩いてテンションが上がったメルランはリリカの背中に胸を押し付けたまま演奏し始める。
「猫踏んじゃった~♪ 猫踏んじゃった~♪ 猫踏んづけちゃったら引っかいた♪ ボムギッ!!」
「姉さん、錠前以前にあんたが重い!」
「うぃー、うぃーる、うぃー、うぃーる、ろっきゅう!!」
「rockはlockに変形しない! ルナサ姉さん、手拍子してないでこの重いの除けてよ!」
エレキギターの幽霊を取り出しかけていたルナサは渋々といった調子でメルランをリリカから引っぺがした。まだメルランの胸の感触が残る背中に妬ましさを抱きながら、リリカは鍵盤を弾いて先ほど捕まえた音の幽霊を再生する。
――おくうもさすがに火焔猫は食べないのね
――まだ生きているって? どちらにせよこの子は長くないわよ……まあ、暗くて寒くてひもじいと言っていることですし、せめて暖かい所で逝けるようにしてあげましょうか
再生された音の中には威勢のいいカラスの声とかき消されそうなほど弱々しい仔猫の声が混じっていた。
「こんなのもあるわよ」
――私はあなたの母親ではないのですよ?
――あなたの立派な翼はなんのためにあるのですか? 私の手をさんざ突っついた鋭い嘴は? 部屋を荒らして回った爪は?
――って、おくう! 人が良い話している時に甘やかさないっ
「……姉さんみたいだわ」
「ルナサ姉さんそっくりよね」
「私は手当たり次第に動物を拾ったりしない」
ただでさえ手間がかかる妹が二人も残っているのに、と言わんばかりに眉根を寄せて腕組みする。
苦労性である。だがそういう星の下に生まれつくことをレイラによって約束されていたルナサとさとりは違う。
持って生まれた性質であったとしてもその苦労性な性格が形成される原因が生い立ちにあったに違いない。
「きっと私みたいに可愛い妹がいるのよ」
「そうそう。きっとそうに決まっているわ」
「メルラン姉さんも私に同意ーっと」
「え? リリカ、私何も言ってないわよ」
「はい?」
きょとんとするメルランを、リリカは振り返った。
メルランは三姉妹で何かと一番大きい。魔力も声量もそうであるのならば身長もである。リリカと同程度の身長の少女なら隠れることはたやすい。
だから、メルランの背中からひょっこり白髪の女の子が顔を出しても、リリカはびっくりはしなかったが疑問は覚えた。一体いつの間に三姉妹一行の中に紛れ込んだのだろう?
「噂をすれば影が起き上がって肩を叩くー。こんにちは。古明地こいしです」
「どうも、プリズムリバー楽団の長女です」
「クラシックバンドの次女です」
「ちんどん屋の三女です」
「ふふん。知ってるわ。お姉ちゃんと話している所からずっと見ていたんだもん」
大分前の話である。暇な妹妖怪だ。
「それはずいぶん良い眼をお持ちで」
「話も聞いていたわ」
「耳も良いのね」
「お茶菓子のクッキーもちょろまかせてもらったわ」
「職業はコソ泥?」
「泥棒はいけないことよ? 私はきちんと『いただきます』って言ってから貰うわ」
「それは『どうぞ』と言われるまで貰っちゃいけないのよ」
「え? そうなの? まあうちのクッキーなんだから別にいいじゃない。そんなことよりはるばる地底の奥深くまでようこそ。せっかくだから一曲聴かせてちょうだいな」
そう言われて騒がずに帰ってしまえば騒霊の名が泣く。目配せし合ったリリカたちは、各々の楽器を持ち出した。
リリカが軽くタップを踏み、そのリズムに合わせてどこからともなくドラムのリズムが乗る。やがてリリカの指が鍵盤の上を躍り始めた。
曲目は――無題。たった今この地霊殿で手に入れたばかりの幻想の音に、地上の幻想の音を組み合わせたアドリブ演奏だ。
ルナサとメルランは、そのリリカ自身どこへ向かおうとしているのかわからない楽曲に最初から楽譜を渡されていたかのような自然さでついて行く。いや、時折ルナサがリードして曲調を下げ、かと思えばメルランのトランペットが深い深い地下で明るく主張し始めるのだ。
演奏中の三姉妹に、会話など必要ない。その声や言葉すらかき消えるあまりにもやかましい音の中ではお互いの心も魂も一体となっているのだから。
「――っとぉ。姉さん姉さん、まずいまずい。うっかりここの怨霊たちに乗せられて疲れ果てるまで騒いじゃうとこだったよ」
演奏の興奮で酩酊状態に陥っていたリリカはふと我に返り、指の動きを次第に緩め、止めた。ルナサとメルランもそれぞれ息をついて汗を拭う。
ぱちぱちぱちっ、とこいしが拍手を送った。
「中々ね。うちの死んだペットの声まで自然に入っていていつ生き返ったのかと思っちゃったわ」
「えへへ。あなたの家のペットの音は、私のキーボードで蘇っていつまでも生き続けるのよ。どう、偉いでしょ?」
「地上にはつくづく不思議な能力を持っている連中が増えたのね。うーん、こんなことならお姉ちゃんにくっついて地底に引きこもらない方が良かったかも」
「いや、あなたたち覚は今後もどうぞ地底の奥深くで眠りについておいて」
「心配しなくてもお姉ちゃんは絶対地上には戻らないわよ。それに私も心配無用よ? お姉ちゃんと違って心なんて読めないの。第三の目はずいぶん前に閉じて以来、開け方も忘れてちょっと困ってるくらいなんだから」
「開けようと思ってんじゃんか~。大体あんたとお姉さんだけ問題ないって言われたって~」
リリカの文句に、こいしはきょとんと眼を丸くした。
そしてくすくす笑いながら三姉妹に呟きかける。
「何言ってるの? 覚はあなたたち地上の連中に滅ぼされてもう私たち姉妹二人しか残っていないっていうのに」
「さとり様、やかましいお客様たちが帰るみたいです」
「そう。中庭にまだいらっしゃるのね? そこでいいわ。聞きたい子を呼び集めておいて。地上の現代音楽よ。中々聞けるものじゃないわ」
金魚に餌をやりながらさとりは頷いた。告げに来た火焔猫は喜び勇んで仲間に声をかけに行く。
プリズムリバーたちは世話になったお礼にライブをするらしい。火焔猫は場所と許可が欲しいという伝言役を任されていたので、さとりはそのまま中庭でライブを行わせることにした。
動物たちにどれだけ音楽がわかるか不安である。どうせなら他の客も呼んで盛り上がらせるのも悪くないが、地霊殿は地下の住人すら近寄りたくないとされる場所だ。招待しても来ないだろう。
「あ」
こいしを見かけたら連れて来てほしいと言うのを忘れた。足の速い火焔猫は既に地霊殿を飛び出しているだろう。
この前の一件でもふらふら外をふらついているから、こいしは一歩乗り遅れてわざわざ自分から地上へ行くことになったのである。もう少し落ち着きを持ってもらいたいものだ。
――いや。さとりはかぶりを振った。
好きにさせておこう。最近こいしは自分から変わり始めようとしているのだ。さとりが下手に口出しをして元の木阿弥では元も子もない。
「ライブねぇ。ずいぶん演奏には自信があるみたいだけれど」
金魚の餌を戸棚に戻しさとりは中庭に向かった。
さとりは廊下で足を止めた。人間で言えば呼び止められたに近い。
誰かが、さとりを探して屋敷を歩き回っている思考を掴んだ。ペットの誰でもない。となれば、プリズムリバーの誰かだろう。
呼ばれて飛び出るつもりは毛頭ないがライブの内容くらい先に聞いておくのも悪くない。さとりはその思考を目指して踵を翻した。
「どうしたの、リリカ?」
チューニング中のことである。ルナサはリリカの音に雑念が混じっていると目ざとく気づいた。
突発とはいえ、相手がほとんど動物とはいえ、ライブである。いつでも真面目一徹のルナサは十全で挑まなければひどく機嫌を損ねるだろう。
手抜きの演奏や妥協など許さない。自分に厳しく、他にも厳しい。それがプリズムリバー楽団に求められるルナサの立ち位置だ。
リリカもそれがわかってはいたが、唸った。
「形にしたい曲がちょっとあるんだけど……」
「音が足りないの?」
「ううん。どんな形にすれば良いのかそもそもわからない」
アドリブでも良い。リリカは頭の中に引っかかっている何かを、音楽として表現したかった。
それも、この地霊殿で。他の場所では意味がない。
「何が足りないのかわかる、リリカ?」
「……ストーリー性かなぁ」
「いえ、お姉さんの気持ちよ」
「はい?」
「ぷふっ」
トランペットを吹いていたメルランが吹き出した。お腹を抱えてひとしきり笑い終えると、親指で屋敷の方を指差す。
「GO!」
「いやゴーって」
「リリカにだってわかるでしょ? お姉さんの気持ちは。でも私たちに聞いたって私たち姉妹の形にしかならない。リリカが表現したいのは別の姉妹のよ」
「あー、じゃ、ちょっと行ってくるね」
キーボード片手にリリカは飛び出した。そういえばまだ許可が下りたと聞いていないので、直接さとりに聞くのも良いかもしれない。
だが、肝心の曲作りに必要な質問はさっぱり形にならないままだ。これはもうぶっつけ本番で行くしかないだろう。
屋敷に入ってしばらくうろついていると、廊下の向こうからさとりがやってきた。なんとタイミングが良い。これも日頃の行いが良いおかげであろう。
「ライブをやるそうですね」
「うん。嫌って言ってももう始めちゃうからね。なんならもうこの場でソロライブだってやってみせるわ」
「せっかくですから三人揃った演奏を聴きたいので、ソロはまた別の機会に。さて、私に何か用があるようですが……おや、自分でもなんだかよくわかっていないのね」
「うぇ~っ」
「『やっぱり思っていることをばしばし当てられるのは気持ち悪い』ですか。残念ですがそれを思うのはあなたで百万人めですね」
「そりゃめでたいわねー」
「ほう。こいしに会ったようね。……ああ、あの子あの場に居たの。あの子の心だけは私も読めませんからね」
「やっぱり種族が同じだと対抗できるのかしら? 私たちも鬱や躁の音がそれぞれ効き目薄いからねぇ」
「いえ、あの子は無意識を操るので」
妙な能力である。というか具体的に何がどう凄いのかさっぱりわからない能力だ。楽器の演奏などは楽譜を意識せずに弾きこなせるほど練習するのが基本であるが、常時あんな調子にでもなるのだろうか。
なんとなし会話が途切れると、さとりは片目を閉じてリリカをじっと見つめた。何か嫌な予感を覚えて後ずさりすると、さとりはにやりと唇を歪ませた。気色悪い。
「……なるほど。あなたにも妹さんがいたのね。てっきり末っ子だと思っていました」
「んなっ!?」
「私は無意識の領域までは読みきれませんが、あなたの心を外から見て考えて質問に答えられる。私は良い姉ではないので、参考にするのは良くありません」
リリカはそう言われて、さとりにどのようなイメージを自分の中で抱いていたかわかった。外から見てルナサのようだと感じたさとりは能力を抜きにすれば非常に良い人柄に思えたのだ。
プリズムリバー姉妹は長女と次女の年が近く、それから三女の年が若干離れている。そして四女と三女は一才違いだ。自然、年が近い同士親しくする。
そのため姉妹には上の世代と下の世代の派閥が出来ていた。とは言っても陽気な次女のメルランが姉妹全員の結束を取り成していたのだが。
レイラの前で、リリカはさして良い姉だったとは自分では思っていない。しかし一番じゃれ合っていた仲だったとは思う。いずれにせよ、レイラがいた時のリリカはもっとしっかりしていたように、自分でも思う。
そしてさとりを見て、リリカはなぜか不安を覚えた。
「あなたたち姉妹は心に作用する音を使う分、敏感なのでしょう」
「ルナサ姉さんは厳しいからねぇ~。感覚も研ぎ澄まされるってもんよ」
「そう。そんな長女を私に反映してあなたは気にしている。だから一人席を外してたずねに来た」
「そうなの?」
自分では気づいていなかった。さとりはそうですと頷く。
「まあ、こいしも忘れてしまっていることかもしれません。古い恥晒しをしましょうか」
古明地の名前は地霊殿を任せられた時に名乗ることとなったものだ。その意は旧灼熱地獄を管理する火除けの地である。
そして下の名前の「さとり」はそのまま種族の名前。種の長のみが名乗る。
つまり古明地さとりに個人名は無い。元々あった彼女個人の名前は地上と妹の心にのみ残った。
その他に彼女の本名を知る覚の仲間はことごとく死んだ。
なぜそのような事態が起きたのか。真相は歴史の闇に埋もれてしまい、ハクタクでもなければ掘り起こすことは不可能だろう。当時を生きた妖怪でも事態に参加していなかったものは何も知らないし、知っている者は口をつぐむ。
ただ、厳然たる事実がある。
覚の精神攻撃は文字通りの一撃必殺である。精神文化を発展させてきた妖怪にとって、この能力ほど凄まじいものはそうそうないだろう。それを恐怖し、危惧した者が行動を起こせばどうなるか。
心を読めるとはいえその能力の効果範囲には限界がある。ならば超遠距離から攻撃を仕掛ければ覚を仕留めることは可能である。
他にも予測はできても反応しきれない高速で攻撃する、興奮状態となり無我夢中で攻撃する、等の対抗策を取れば覚の能力は無力に等しい。
覚も当然それを知っていたからこそ、自らの能力の恐ろしさをアピールし抑止力としていた。外の人間の伝承にすら残る『思っていることを即座に口にする』覚の習性は身の安全を守るために必要だった。
何がきっかけとなったか今となってはわからない。いずれにせよ努力空しく、今生き残っている覚はたった二人の姉妹だけだ。
そのうえ、妹の方は心を閉ざし能力を閉ざした。最後の最後に残った種族の生存本能が新たな能力を発現させたのかもしれない。こいしは今までの覚が持ち得なかった、覚の天敵となる能力を得た。
だから、この世界に存在する覚は事実上その名の通りのさとりだけだ。
「地霊殿を任された当初、ここはずいぶんとひどかった」
地獄から切り離されその役目を終えた灼熱地獄は地霊殿で蓋をされ、この辺りは急激に冷え込んだ。
切り離されたとは言っても、全ての住民が移動するわけでもない。特にただの動物である地獄鴉や火焔猫は元から地獄の住民にも蔑まれていたこともあって、そのまま放置された。
地獄鴉や火焔猫は灼熱地獄がフル稼働していた気温に適応しすぎており、火を落とされた環境の変化について行けず死んでゆく個体が続出した。
覚は地下に落とされる前からほとんど動物たちだけが友であった。だからこいしもさとりも目前で死に瀕する彼らを見過ごせず助けようとした。
けれど原住民の動物からしてみれば、さとりたちが後からやってきていきなり環境を激変させた張本人なのである。想いが伝わる覚である分、その反発は凄まじかった。
かと言ってさとりは地霊殿を取り潰すわけにはいかない。旧灼熱地獄と怨霊の管理は地底世界を存続させるうえで必要不可欠なことなのだ。その仕事を怠るわけにはいかない。
さらにさとりは動物たちの生き延びる環境を少しでも改善させるため、地底世界の事実上の主である鬼との交渉や動物たちとの信頼を得る仕事に追われた。
元からさとりに比べてこいしは精神的に弱かった。さとりの手伝いをしてはいたが、どうしても他者と触れる仕事はできなかった。だが地霊殿の主に覚が選ばれたのは、その読心能力を買われてこそだった。他者と接触しない仕事などたかが知れている。
覚の長としての重責。地霊殿の主としての仕事。原住民たちの反発と和解交渉。
当時のさとりは精神的に磨耗しきっていた。
たった一人残った妹を、ちらりとでも役立たずと思うことが増えていた。
そもそも、こいしと触れ合う機会すら減っていた。
そして、いつの間にか。
こいしは心を閉ざしてしまっていた。
「……と、話が過ぎたわね。新曲の参考にはなったでしょう? 早くお姉さんたちの所へ行きましょうか」
「あ、うんっ」
リリカはふと我に返り、さとりについて行くように中庭へ向かった。
懐かしくて苦々しい、埃を被っていた気持ちがリリカの中に広がっていた。
三女のリリカは普段、メルランとルナサに甘えきっている。妹としての不満も普段よく抱えている。
そんなリリカも、レイラが生きていた時代は姉としての不満を覚えていたのだ。誰よりも愛する妹を疎む瞬間が確かにあることを、リリカは自身を以って知っていた。
リリカの先を行くさとりの背中は、深く重い荷物を背負うもののそれだった。鬱の音を奏でるルナサも似たものを持つ。
プリズムリバー楽団は演奏中言葉もいらないほどに強く結びつきあっている。言葉など必要ないくらい、当たり前に信頼しきっている家族だと、リリカは考えていた。
「……姉さん」
日頃の悪戯を思い出し、リリカは中庭で待つルナサを申し訳ない気持ちで見上げ――
「あ、やば」
音速で目を逸らした。
「リリカ、遅かったわね」
声が低い。
既に観客は揃いきっていた。場を持たせるのには苦労したのだろう。精神に激烈な作用を及ぼす躁鬱の音を奏でるルナサとメルランがデュエットすれば、下手をすれば発狂者が出る。中和役のリリカがいないとライブは行えないのだ。
リリカは責任をなすりつける相手を考えた。いや、なすりつけるも何も、勝手にさとりが長話をしやがっただけだ。全てさとりが悪い。そうださとりが悪い。烏が黒いのも猫に尻尾が二本生えているのも全部さとりのせいだ。リリカはびしりとさとりを指差した。
「さとり様ーっ、地上の音楽ってどんなんだろうね!」
「そうね、どんな演奏が始まるか楽しみね」
ペットに囲まれていた。
逆四面楚歌である。さとりの周りは全てさとりの忠実なしもべで埋まっていた。
多勢に無勢に真正面から喧嘩を売るのは狡猾をウリにするリリカのやるべきことではない。しかし、ならば――
「ね、姉さ――」
「黙れ」
「いやこれに」
「 黙 れ ! !」
地霊殿には三本足の烏の意匠を施した見事なステンドグラスがいくつもある。リリカ三人分くらいの大きさを持つものだ。中庭ではそれらが一望できる。
砕けた。
すべからく砕けた。一望できた。
七つ八つに割れたという話ではない。粉微塵である。粒子状になった虹色硝子が綺麗だなぁ、と和んでいる場合ではない。
リリカの前に、涙で顔をくしゃくしゃにしたルナサが立っていた。仁王立ちである。素で恐ろしい顔をしている仁王様の方がマシだとリリカは常日頃から考えている。
「またリリカが変な悪戯でも考えているのかと私は思って……う~~ううう……」
鼻を啜る。リリカは慌ててハンカチでルナサの顔を拭いた。後ろでメルランが「ハッピーよ! いつでもハッピーの気持ちを忘れちゃいけないわ!」と叫びながら能力フル活用でソロブラスオーケストラを奏でる。風呂場の隅っこでジトジトしている幽霊ですらカラッと太陽のように輝かせるようなその演奏ですら、ルナサの嗚咽の前では児戯に等しかった。
ルナサ・プリズムリバー。騒霊楽団リーダー。
忘れてはいけない。彼女は騒霊。どれほど大人しくても、どれほど物静かでも、どれほど常識家でも、やかましいことを何より身上とする。
一見やかましい二人の妹に比べて存在感の薄い姉。だが二人の妹は、姉にやかましさで敵わないことを重々承知している。
プリズムリバー三姉妹長女が誰よりもうるさい時。
泣いた時である。
「あァァァんまりだァ~~~~~!!」
さとりは目を回し、紛れ込んでいた萃香は口から泡を吹き、火焔猫は機関銃掃射を受けたかの如くばたばたと倒れ、地獄鴉は一羽残らず墜落した。メルランは音には音で対抗しているが敵わなかった。
ルナサは楽器も何も使用していない。ただ泣き喚いているだけである。それでこれだ。最早人の形をしているものから発せられる音とは信じられない大量破壊素敵殺戮超音波兵器とルナサは化していた。
中庭の花は萎れ、地霊殿の壁は罅割れ、マントルに眠る核融合炉すら核反応を停止しようとした瞬間、ルナサはぴたりと泣き止んだ。
「ふぅ……すっきり」
溜まりに溜まったものを放出しきったルナサは彼女にしては信じられないほど爽やかな笑顔を浮かべ、ヴァイオリンを担ぐ。そして放心した二人の妹をちょいちょいと手招きした。
「さあ、ライブを始めるわよ」
「いや姉さん……聴く人全員口から魂出しているんだけど?」
「うるさいうるさいも静かの内よ。目覚めの一曲を奏でてあげましょう」
言うや否や、弓を滑らせた。
幽霊楽団――プリズムリバー楽団の代表曲。オープニングにふさわしい、三姉妹それぞれが暴れ回る騒がしい曲だ。
リリカはメルランと目配せし合い、躁の音が少々強調されるようにアレンジすることを伝えた。とにかく観客の目を覚まさせなければ始まらない。騒音を聞かれない騒霊ほど悲しいものはないのだから。
目覚めの曲を弾きながら、リリカは自分の姉は心配無用だということを悟った。
テンポがいいのか、ストーリー構成がいいのか、結構な長編なのにすらすら読めました。
キャラの動かし方が特に良かったです。
登場キャラに違和感がなくてすんなりと引き込まれていた。
こいしちゃんと弾幕るかと思ったけどそんなことなかったぜ!