注※ 壊れています、色々と
松風――茶釜に湯の沸き立つ音が沁み広がっていく。
立ち上る湯気が程よく暖められた四畳間に存在を許されるのはほんの数秒だけ。薄く白を引かれた向こうに覗く景色が、静謐でありながら浮き立つ空気を演出する風情を強調する。
茶会はどこまでも緩やかに進められていた。
もてなされているのは美鈴とパチュリー、その前で闊達に茶を点てるのは咲夜だった。見慣れた仲間故、気の置けない間柄だからこその緊張感があり、場を引き締めている。
剽げた味を滲ませる茶器の数々が気を和ませ、床の間の掛け軸は決して目を飽きさせない。
ひどくわかりやすいといえばわかりやすい作意が、かえって気取らない空気を招いている。
自然な風だ。それが要求するものは一つしかない。
笑い、だ。
おそらくこの場所に足を踏み入れたものは、誰もがその風に当てられることを逃れられない。
本当に笑い出してもいいのではないか、そう思えるほどだった。
――いっそ、そう出来たらどれだけ楽なことだろう。
美鈴は心中独りごち、静かな、深い呼吸を一つした。
気を落ち着ける必要があった。
やはり、笑ってはいけないのだ。
例え、どれだけ飄げていようともここは茶の湯の席だった。真剣勝負の場だった。緑のマット(要するに畳)のジャングルだった。
なにがなんでも笑ってはいけないのだ。
茶事だから笑ってはいけないのではなく――そもそもこれは、絶対に笑ってはいけない茶事なのだから。
そう。
たとえ点前を披露する咲夜がどストレートなお笑い鼻メガネをかけていようとも、そのつるが片方外れてなんだかすごい絵面になっていようとも、それでもやっぱり茶の席なのだ。笑ってはいけない茶の席なのだ。笑っては負けだ、そして負けたら多分死ぬ。そういう理不尽極まりない罰ゲーム付きの茶の席なのだ。
美鈴はこの拷問を耐え抜く決意を新たにする。
だがその意気を挫くように、もはや傲慢といってもいいほど凛々しく糞真面目な表情が面白鼻メガネ付属のカイゼルひげの向こうにはある。普段の完全で瀟洒な彼女を良く知る美鈴にはそのギャップがいろいろと苦しい。台無し加減はギャップ萌えとかそういうレベルの問題ですらない。やりすぎだ。
見るうちに徐々に上がってきた水位を誤魔化そうと、美鈴は視線を下に落とす。
すると、咲夜のメイド服(何故か色がショッキングピンクでいつもより露出度が高い)の胸元にタグのようなものがあることに気付く。
追求するな、と自分の中の何かが危険を告げるのはわかっていた。しかし美鈴は好奇心に勝てず、タグの文字を読んでしまう――そこにはただ、三文字。
『パッド』
直球だった。いろいろと捨て身だった。むしろその字面の短さ単純さと高い汎用性から一時代を築いた定番の懐かしネタである。それをあえて今、この場に持ってくるあたりがある意味凶悪なチョイスだった。
鼻から妙な呼吸が漏れる。腹筋が震えた。舐め始めたばかりの飴玉を飲み込んでしまったような息苦しい異物感が喉の奥の辺りから拭えない――
――ええ、わかってました! 定番ですから! ってかわざと分厚いの入れてズラしてますよね咲夜さん!?
美鈴が逃げるようにして視線を逸らした先は床間だった。
掛け軸には力強い楷書で『自爆装置↓』と書かれていた。字だけはひどく達者なそれは咲夜自らの筆によるものである――当たり前だが。
矢印の先には某くしゃみ大魔王が出てくる壺にそっくりな花入れがあり、その口にはどこで拾ったのか台座を半壊させたフラワーロック(最近幻想郷入りしたらしい)が無理矢理気味に突き刺さっている。それに目が合った気がした瞬間――不意に鳴ったししおどしの音に反応してか、グラサンひまわりがシャコシャコ動いた。プラスティックな笑顔で。
ヤバいものを見てしまった。痙攣が増す。
だが、耐えた。
瞬きというにはやや長い瞑目をし――奥歯を砕けるほど噛み締め、喉奥から這い上がってくる衝動を飲み込む。美鈴は全身全霊で身の震えを制御した。平静を装わなければいけない。
震えを堪える美鈴を捨て置いて茶会は踊り、されど進まず。耐える時間はどこまでも長い。
根本から歪みきったミニスカフリルのフレンチメイドスタイル――というかそれなんてイメクラ? な格好の咲夜は、なにか大事なものを捨ててしまったようにしか思えないその外見とは裏腹に見事な手前を見せていた(なお、いつの間にか鼻メガネは外していた)。
客の苦心などどこ吹く風、存分に披露されるぶち壊しな格好とは裏腹に見事な手前。
その無駄無く滑らかな手さばきはこんな状況ですら見入ってしまうほどだ。
こういうところは性格が出る、とちょっと感心する美鈴。
どれだけ本気で笑わせに、潰しに来ても元来の几帳面な気質は変えられないのだろう――
深呼吸二つの間に、そんなふうにして思考を横道に逸らす余裕は戻ってきていた。
実際、隣席するパチュリーは現在唯一の安全地帯であるそこを凝視することで気を紛らわせていた。美鈴もそれに倣う。
やれやれこれで一息つける――そう確信し、二人の視線が揃って手元に注がれた瞬間だった。
「きゃん☆」
釜の湯が跳ね、咲夜は寒気がするほど可愛らしい悲鳴を上げた。
語尾の☆は伊達ではない、かつては『まじかる☆咲夜ちゃんスター』とも呼ばれた妖々夢仕様の星型オプションをわざわざ引っ張り出して空間を漫符的に飾り立てているのだ。あろうことか咲夜は首をすくめて耳たぶに手を当てるファニーな若妻ポーズまで決めていた。さらには片目を瞑り、やたらと媚びた流し目をピンポイントに送る。
まさにドジっ子メイド、ステレオタイプな萌えの権化――なのだが勿論瞳の奥底には鋼鉄の意志がある。その狼の眼をしてああんやっちゃった、とばかりに舌を出すのは完全に反則だ。なにもかもが絶望的に似合っていない。
様々な上方修正を得、一打必倒の域に至った一発芸が炸裂。
初見殺しもいいところだった、無防備無警戒なところへの直撃になる。
しかし、寒気と錯覚するほどの震えが背中を這い回るのを自覚しつつも、二人はそれに耐えた。咲夜が何事も無かったように糞真面目な無表情へと転じるという熾烈な追い討ちにも耐え抜いた。
かこん、と。
しばしの重いのか軽いのか分からない沈黙を挟み、ししおどしがいかにもわざとらしく鳴る。
それを仕切り直しのゴングと取ったのか、咲夜はここで仕留めるのを諦めたようだった――十六夜咲夜は慌てない。十重二十重に仕掛けられたトラップを淡々と実行に移していくだけだ。
「続いて私のターン! ドロー! 茶菓子! ……何も御座いませんが、お菓子をどうぞ」
世代的にかなりピンポイントな小ネタを交えつつ(パチュリーに結構効いたようだった)、茶事は次のフェイズへと移行する。薄茶席のセオリー通り、干菓子が供される――はずだが、菓子盆の上には二組の小皿と杉箸以外何も乗っていなかった。
なにも乗っていない皿。
それを前にして反応に困る客二人に対し、咲夜は堂々と言い切る。
「馬鹿には見えないお菓子で御座います」
嘘だ。
あまりにわかりやすい悪意に満ちた嘘に美鈴の瞳のハイライトが消えそうになる。
が、そんなあまりにあまりな大ブラフ、絶対的大嘘も、この場においては突っ込むことも許されない。茶室は一つの宇宙であり、この宇宙の法則はそういう風にできている。
場を打開する起死回生のとんちが思い浮かぶはずもなく、仕方なく美鈴は食べる真似をし始めた。
美鈴は、まるっきりおままごとだ、と自嘲することで色々と精神のバランスを保っている。
――ああ、○○歳になってまでおままごとだなんて咲夜さんは可愛いですねぇ、あはは私も楽しいですよ、うん。鼻歌歌いたいぐらい楽しいですよ。Wellcome to the crazy-time♪ このイカレた茶会へようこそ――
「フェイントで御座います」
ぬけぬけと咲夜が言い放って、ままごと終了。
演技が抜けずバーチャ菓子をもごもごする美鈴のにょろんとしたしょんぼり顔がツボに入ったのか、パチュリーが腹を殴られたように短くうめいて口元を押さえた。
咲夜がその様子を、何もない空間からナイフを引き抜く鞘走りの音を響かせながら睨みつける――パチュリーは蒼白な顔色でふるふると首を振り、表情を殺して咲夜にノーカウントを主張。
しばしのお見合いになるもナイフは飛んでこなかった。判定はギリギリでセーフ。
咲夜がまあいいでしょう、と一つ頷いた。
茶会はさらに次のフェイズに移行。
だが、まだターンは終了していないぜ、的に茶菓子は攻撃表示。崖っぷちの状態は継続中だ。
「――実は、その菓子皿が食べられるという趣向なのです」
飴色の(言葉どおりなら本当に飴がけしたものなのだろうが)柚、覗く地肌はまるで小麦粉を焼き締めたクッキーのような柔らかい柿色。言われてみれば確かにサイズも色合いもそれっぽい皿ではあった。
古今の料理に通じ菓子作りも得意な咲夜なら、この程度のイミテーション細工はお手の物。普茶料理から模造イクラまで手作りする咲夜の料理スキルには一分の隙もない。その有り余る腕前で以ってわざわざさっきのネタを挟むためだけに手間暇かけるのは大人気なさ過ぎるといえばそれまでだが、一応は趣向として受け取れないこともない――もっとも茶事の常識からすれば明らかに破格のルール違反ではあるのだが。
呆れ半分、感心半分、美鈴はやや苦戦しながらも杉箸で皿をつまんで口へ入れる。
「わかりました……じゃあ改めて、いただきま”」
がちん、と。
歯と磁器の激突音が容赦なく茶室に響いた。
「フェイントで御座います」
咲夜の台詞は計ったように一歩遅い。
むしろ、間違いなく故意である。
モース硬度表によれば磁器は硬い。もちろん硬いものを思い切り噛むと痛い。
二度ネタは基本で、それゆえに破壊効果は高い。パチュリーが震えつつやや右にナナメっていた。一方何事も無かったように皿(端がちょっと欠けていた)を盆に戻す美鈴だが、やはり痛かったのかちょっと涙目になっていたりする。
「さて、ほどよくリラックスしてもらえたかと思いますのでそろそろ本物を――」
いけしゃあしゃあと咲夜は先へ進んだ。
得意のタネ無しマジックで掌に万国旗と花を出し――それらは完全に無視して背中側の死角に隠していた小皿を盆に載せる。やはり咲夜はどこまでも基本に忠実だった。
そうして新しく出された小皿にはなんだか生肉っぽいものがぞんざいに乗っかっていた。
むしろ生肉っぽいというか、どこからどう見てもそのまんま生肉だった。
「さ、どうぞ」
いやどうぞと言われても、というのが客役二人の正直な感想だったが、ツッコミ禁止なのでどうしようもない。
美鈴は途方に暮れつつも、礼に則り口に入れる。
一応塩は振ってあるようで食べられないこともなかったが、正体不明の生肉は噛む度絶望感が口の中に広がる味わいだった。奥歯で噛み潰すたび、体温程度では溶けない強固な油脂分と刺々しい旨味成分(イノシン酸)まみれになる――もちもちぬるぬる。凶悪に歯ごたえがあり噛み切れないのはまさに致命的だった。
嫌がらせ以外の何物でもない。
美鈴はそれでもなんとか、四苦八苦して飲み込んだ。横で生ものが苦手なパチュリーが咳き込み喘息の発作の兆候を見せていたが、それは流すことにした。他人を気遣っていては落とされるのは自分である。というか死んだ目で生肉を食べるパチュリーというシチュエーション自体が結構面白いため見ていると笑ってしまいそうで怖かった。
ここを乗り切れば一応このあとはちゃんと薄茶が出るはず、なんでもいいからまずは口の中を何とかさっぱりさせたい――例え茶が出されたとしてもそれがまともなものかどうかは怪しいところではあったが。
なにより、咲夜がどこからか道具箱を取り出して得体の知れない道具類をセットアップし始めたのが不気味すぎる。あからさまな溜めコマンド、必殺技の前兆を黙って見ているわけにはいかない。
チャージなどさせるものか!
梅干やらマリネやら酸っぱいものを想像して唾液を出す必死の努力をして塩水に漬けて濡らした鉛筆を舐めたような最悪の後味に耐え抜き、美鈴はなんとか型通りのやり取りへ進んだ。
「……け、結構なものをいただきましたが、今のお肉――じゃなくて、お菓子のほうは」
涙目で美鈴が言葉を搾り出す。
が、間に合わなかった。
足止めの間に虎柄ビキニと鬼角二本でコスプレを完了していた咲夜は、痺れる笑顔を作って答えた。
ラム
「羊肉だっ茶」
――横で、パチュリーがくの字に折れた。
§ § §
そもそも。
この、わび数寄に命を賭した利休居士とその弟子たちが見でもしたら草葉の影で泣くどころかオペレーションオーバーロードを凌駕する規模で憤怒の川を渡りかねない茶会を行うことになった原因は、実は当事者たちにはない。
紅魔館で起こるほぼ全てのドタバタ騒ぎはその支配者であるわがまま吸血鬼によってもたらされるのが常で、今回もまたその例外ではなかった。
中心はやはり、レミリア・スカーレット。いつも通りの紅い悪魔。
発端は、駄目茶会が開かれる三日ほど前のことだった。
「お茶会を開くわ」
上等な紅茶葉の匂いが立ち込める深夜のお茶会の真っ最中に、レミリアが言った。
もとより緩やかな静寂の中にある紅魔館サロン。不意打ち極まりない言葉が造った無言の時間は数十秒ほども続く。
その場にいた三人のうち、先に焦れたのはやはりレミリア。クッキーをぱくつきながら待つことさらに僅か、彼女は自ら沈黙を破り真っ先に友人と従者の無反応を糾弾した。
「なんで黙るのよ。いいアイデアじゃない」
レミリアはむくれ、それまで装っていた上品な態度をあっさり崩した。
膨れっ面でテーブルに肘を突き、恨めしそうに対面のパチュリーを睨み、次いでティーポット片手に傍らへ控える咲夜へ上目遣いに抗議の視線を送る。拗ねたように残っていた紅茶を一気に飲み干し、そっぽを向く。
ひどく子供っぽい仕草で非難された両者は、それぞれ同じような反応を見せた。
「今やってるじゃない」
「いつも通りにお茶会ですわ」
ごく常識的な返答。それを皮切りに、ようやく止まっていた二人の手が動く。
パチュリーは最適温度から2℃ほど冷めてしまった紅茶に口を付け、咲夜は空になったレミリアのティーカップを下げて新しいものに取り替えた。
提案を流された、というか半ば無視されたレミリアは頬を膨らませた。腹立ち紛れにパチュリーの分までクッキーを横取りドカ食いしたので物理的にも膨らんでもいた。そのままリスよろしく小さな口で頑張って咀嚼していたが、大量に口へ入れすぎたせいか見事に咽て咳き込み、さらに慌ててお茶で流し込もうとしたが淹れたての熱い紅茶で唇を焼いて悶えた。
ひと暴れ。
うーうー言いながら見えない何かと戦うかのごとく手足をばたつかせる主に、咲夜は心の中でエールを送る。助けに入ってもいいのだが誇り高い主人はそれを喜ばないだろう――というか持ち直すまではそっとしてあげないと可哀想過ぎる。
一方パチュリーはといえばそ知らぬ顔で、横取りされた分のクッキーをレミリアの皿から補充していた。
ふた暴れ。
相当に落ち着きの足りていない醜態を晒した後に、レミリアは食べ物相手に際どい勝利を収めなんとか口の中のもの全部を飲み下した。心なしか呼吸が荒く顔色も青ざめていたりした。
しかし喉元過ぎればなんとやら、レミリアは何事もなかったように泰然自若とした態度に戻って再び告げた。取り繕うわけでもなくまんま素であるあたりが貴種の血か。ただしまあ、口元に食べかすとこぼした紅茶が付いているので何もかも台無しではあったが。
「そうじゃなくて、やたら時間かけて苦くてマズイお茶飲むほうのお茶会よ」
「ああ、その茶会――というか茶事ですのね」
どこからともなく取り出したナプキンでレミリアの口元を拭いてやりつつ、咲夜はようやく合点がいったとばかりの声音で相槌を打った。苦くてマズイと思うなら飲まなくてもいいのに、とは考えても口にしないのがメイドとしての嗜みだった。
「最初からそう言ってる。一度目で全て察するのが本来貴女の義務よ、反省しなさい」
相変わらずというべき、どこまでも手前勝手な物言いだった。もっとも、五歳児よろしく『んー』などと喉を鳴らしつつあごを上げて顔を拭かれるままの後に続いた台詞だったので、咲夜からしてみればただ可愛らしいだけだったが。
「はいお嬢様。鋭意努力します」
「当然」
そこで一度場の流れを切ろうとカップを傾けようとしたレミリアだが、紅茶にクッキーの欠片が混入していることに気付き、もの悲しそうな目で咲夜を見た。
クロースアップマジック。咲夜得意のタネ無し手品で紅茶が瞬時に新しいものと交換される。
そこまでしてようやく、お茶会は落ち着きを取り戻した。ただし状況復旧に費やされたスカーレットデビルのカリスマは相当な量である。
「……それで、レミィ。なんでいきなりそんなことをしようと思ったのよ」
パチュリーが半ばため息混じりに、至極まっとうな疑問をぶつける。聞き手がリードしてやらなければ話が進まないと判断したのは明白だった。
問われたレミリアは腕を組み、赤い瞳を剣呑に輝かせ答える。
「この間、霊夢のところに遊びに行ったときのことよ――あの通年春頭の真ピンク幽霊に出くわしてね」
「真ピンク幽霊といいますと……白玉楼の亡霊嬢ですね。それはそうとお嬢様、また昼間っから独りで出歩いたんですか?」
「そうよ、せっかくお忍びで行ったっていうのにツイてないわ」
紅魔館と白玉楼、表立って敵対しているわけではないがそれぞれのトップ同士はあまり仲が良くはない(というか吸血鬼はほとんどの妖怪・人間たちと仲が良くなど無いのだが)。
「霊夢にお茶出してもらったんだけど、そのときお茶の話になってね――」
散々盛り上がって除け者にされた、とレミリアは歯軋りせんばかりに言った。
茶の銘柄、淹れ方等のなにやら暗号めいた会話内容についていけなかったことがよほど悔しかったらしい。愚痴は、霊夢と『通年春頭の真ピンク幽霊』の会話を一人二役で再現するほどの熱の入りようだった。何故か口調が巻き舌のニセアメリカン日本語発音という珍妙なキャラ付けでの熱演だったが。
「挙句の果てにはなんか茶会をやるって言い出して――霊夢も『面白そうね、呼んでよ』なんて返すのよ!? うちのパーティではお酒と料理だけかっ喰らってさっさと帰っちゃうくせに!」
怒りのあまりか、レミリアは例のポーズで50センチほど宙に浮いていた。どうやら強制不可能なレベルのクセらしい。
咲夜は幾千通りに分岐するであろう主の癇癪の行く末をシミュレーションし、かなりの絶望感を覚える。それでもパーフェクトメイド十六夜咲夜はくじけない。何故かといえば彼女はメイドさんだからである。
「それで、対抗して紅魔館でも茶会を行うと」
「ええ、真正面から勝負してやるわ」
ややすれ違いながらも、いざ鎌倉と覚悟を決めて見詰め合う主従を置いてパチュリーはそっけなく呟く。
「――そう、頑張ってね」
吸血鬼の行動理念などそれぐらいしかないのだ、と付き合いの長い魔女は改めて思い直していた。
そしてパチュリーは予想されるろくでもない展開を避けるため、少し無理して一息に残りの紅茶を飲み干し、席を立とうとする――が咲夜にブロックされた。
どこまでも主人に忠実なメイドは、わんこそばもかくやという按配にノータイムでお代わりを注ぎ、それによって少しだけ身を乗り出す形でパチュリーの進路をブロックしていた。機先を挫き、さらにシカゴの四つ玉宜しく指先で茶菓子を増殖させ笑顔で薦める。それらチョコレートクッキーやボンボンが必要とあらば銀のナイフに早変わりするのは疑いないことだ。
「……パチュリー様、お代わりはいかがでしょう? お菓子も硬軟取り揃えていますことですし」
「いや、別に――」
「いかがでしょう?」
「……いただくわ」
彼女が浮かべる寒気がするほど涼やかなメイドスマイルから読み取れる意図はたった一つ――『敵前逃亡は許しません』。
パチュリーは逃走(あるいは闘争)を諦め椅子に座り直す。やや挫けたのか、姿勢が猫背気味だった。
「お嬢様。外部から客を招く茶会、ということはパーティの一環として考えてよいのでしょうか?」
そうしていざという時の備えを確保した後、咲夜は話題に踏み込む。
主人の気分を害してはいけない、主人の命令に逆らってはいけない、それらを犯さない限り自身の安全を確保しなければならない、というメイド三原則に見事なまでにのっとった模範的行動だ。
「そうなるわね。パーティ、だけど真剣勝負よ」
レミリアの気まぐれにより紅魔館で不定期にパーティが開かれることは周知の事実。
場所は館の内外でまちまちだが、基本的には料理と酒を十分量用意してさあ盛り上がれさあ騒げ、という超本格ヴァイキングスタイルが採用される。パーティ主催者がわがまま吸血鬼ということもあり、饗応役を務める気が全く無いため致し方ない無い配慮だと言える。
その上、集める面子が面子なので歌や踊りはもとより弾幕・爆発等も時々起こる。結構どころじゃなく危ないため、顔ぶれはそれなりに腕に覚えのある連中で大体固定されている次第――癇癪持ちの達人・人外と付き合うためには最低限喰らいボムが必須スキルだ。
面子も同じなら展開も似通う、何度も繰り返しているうちに客も飽きてくる。
季節の風雅や目新しい食材を積極的に取り入れるなど、咲夜ももちろん努力している。が、基本的に飽きっぽい幻想郷の連中を、しかもその中でも特に一癖も二癖もある紅魔館パーティ参加者全員を毎回満足させるなど龍神様でもなければ不可能に近い。
たまには目先を180度変えてみる、というのは無茶苦茶なようで意義のある提案かもしれない――と咲夜は骨の髄まで染み込んだ主人に対するプラス修正込みでポジティブシンキング。
「ということで咲夜。手はずを整えなさい」
風切り音がしそうな勢いでレミリアは咲夜を指差した。
「……茶会となると、お嬢様が直々にホストを務めることになりますが宜しいのですか? 格を示すためにも多少事前講習などしなければなりませんし」
「上等よ、スカーレットセレブと呼ばれるこの私のハイソぶりを思い知らせてやるわ」
セレブ云々は置いておくにしても望み通りの答えを引き出し、咲夜は微笑みつつ深々と頭を下げた。
この熱意は可能な限り有効に使うべきだ、と硬く決めていた。
そう、レミリアが習い事を――それももっとも嫌う礼儀作法がらみの――をする気になるなど滅多にないチャンスではあった。この機会に、館の主たる落ち着きを身に付けてくれれば昨夜にとってこれに勝る喜びは無かった。尊敬できる主人でいてほしい、ということもあるが、なによりレミリアが大人しくしているだけで咲夜の仕事は半分以下になる。
早速ぶつけられるレミリアの質問に答えながら、咲夜は頭の中で最適プランを組み立てる。レミリアのわがままな思いつきと咲夜のリカバー能力がせめぎ合い火花を散らして最後はそれなりのところに軟着陸、というのが紅魔館における一つの様式美、お決まりのパターンである。
「元気で結構だけど……巻き込まれるのはこっちなのよね」
そんな仲睦まじい主従の様子を見て、パチュリーがため息を付いていた。
§ § §
「……へぇ、大したものじゃない」
その後の展開は急転直下。
咲夜が即席で設えた『茶室』を前に感嘆の声を漏らしたのはパチュリーだった。
実際、自他共に認める優秀なメイドだけあって咲夜は頑張った。
人里の道具屋、果ては香霖堂にまで単身殴りこみ、瀟洒からは程遠い壮絶な値引き交渉の果てに(紅魔館の財政も昨今ではそれほど余裕があるわけではない)必要な道具を予算内で入手し、吟味。冷え込む陽気に愚図る妖精メイドを監督して人里近くの朽ちた無人のあばら家を丸々一軒バラして移送、返す刀で日曜大工に入り即席の茶室へと仕立て上げると休む暇もなく掃除を開始。空間までいじって景観を整え、再びの大掃除――丸二日の大立ち回りで紅魔館付茶室・『紅庵』は完成した。
今現在は、景観の最終調整。
妖精メイドを餌で釣って露地に敷き松葉を張らせ、美鈴に何故かざっくりと刀傷が刻まれている織部灯篭(おそらく某半人半霊庭師が傷をつけて証拠隠滅に横流しした品だろう)の位置を修正させていたところだった。
賛辞を受けてようやくひと段落、とばかりに咲夜は肩の力を抜いてパチュリーに微笑を返す。
「流石ね、とても急ごしらえには見えない」
「ええ、内装もそれなりにまとまりました。資料の提供を感謝しますわ」
「礼なら小悪魔に言って。私はあの種の蔵書にはノータッチだから」
「では後ほど何か差し入れを――ああ、美鈴! その場所でいいわよ」
呼びかけられた美鈴は作業を終えて笑顔を見せ、手水場に向かう。
手水場には苔むした岩を削りだした石鉢と竹柄杓が据えつけられ、昨日今日に造ったとは思えない風情を見せていた。美鈴は作法でも気にしたのか、手を洗う前に咲夜のほうをちらりを見て、結局は開き直ったのか普通にざばざばと手を洗った。
美鈴は手を洗い終えると、ほとんどスキップするような大きい足取りで咲夜とパチュリーの元へ向かい話の輪に加わった。
「えーと、これで完成ですか? 咲夜さん」
「一応ね。茶室の景色に完成は無い、なんて本には書いてあったけど」
「なんにせよ、ご苦労様です」
美鈴は一度茶室のほうに目をやってから、パチュリーに誇らしげな笑顔を向けてみせた。
「咲夜さん、とっても頑張ったんですよ。私も少しお手伝いしましたけど」
「そうね、ありがとう美鈴。流石、大雑把な力仕事にかけては頼りになるわ」
素晴らしくストレートな表現を受けて美鈴はたじろぐ。咲夜・パチュリーともに普段あまり見ないほどの朗らかな笑顔なのでそれこそ効果は抜群だ。
「え……ええと、褒めてるんでしょうか、それ」
「勿論。見た目と中身が一致するアチョー系の単純パワーキャラは幻想郷中探しても貴重だもの。何故か中国風で特技がカンフー。このわかりやすすぎるキャラ付けは貴重よ」
「咲夜のいう通りね、あとは頑丈で目減りしないのが強み」
「はは、ははははは、そうですよね。ええ、そうですとも……そうだ、私、語尾にアルとかつけたほうがいいですか?」
二人に力強く言い切られ、美鈴は泣き笑いのような顔でカンフーポーズを取って見せた。軽快にジャブなど出してブボブボと香港映画風に服のすそをはためかせている辺りは完全にやけくそだ。むやみやたらとキレがいいのが余計哀愁を誘う。
「なに、騒がしいじゃない」
傍目には楽しそうな会話に割って入る、声質と口調の一致しない台詞。
現れたのは日傘を差したレミリアだった。
咲夜はレミリアの姿を認めるとすぐに傘を受け取り、差し掛けた。パチュリーは挨拶をするでもなしに、茶室の観察を再開。一方美鈴は何を考えたのか、ボディーガードっぽいポジショニングをして周囲を警戒してみせた(が、咲夜に尻を蹴られたので止めた)。
「これが茶室? なんだか随分みすぼらしく見えるけど――ああ、中が金張りなの?」
「いえお嬢様。これ黄金の茶室ではありません」
「じゃあ銀? 銀は駄目よ。触るとひりひりするし肌がかぶれるんだから」
「そんなお嬢様専用拷問部屋作りませんわ。中は普通の――」
「金、銀――銅? それって金臭そうだけど大丈夫なの」
「オリンピアな水平思考から一度離れてくださいお嬢様。中は普通の和式建築――砂流しの漆喰壁と杉板張りの床。侘び数寄、という立派な、格式あるスタンダードスタイルですよ」
へぇ、とそっけなく呟いてレミリアは手でファインダーを作るようにしてしげしげと観察。そのあとで手を後ろに組んで歩き回り、茶室の見立てとしてはかなり見当はずれなチェックを始めた。
そうしてたっぷり一分ほど気の済むまで無生物にガンをくれた後、レミリアは真剣な表情で咲夜に聞いた。
「……1・2・3の順に金銀銅で繰り下がっていったら漆喰は何位ぐらいかしらね?」
「ですからお嬢様、それはものごとの格にこだわるのと無関係なので自重してください」
きっと漆喰(4・9・位)で49位ですよ、などと空気を読まずに渾身のとんちを披露する美鈴の柔らか頭にナイフを突き立てつつ咲夜は苦笑。パチュリーはパチュリーで36位(4×9位)を主張していたがこれは黙殺。いくらなんでもパチュリーにはスナック感覚でナイフを投げるわけにはいかないし、中途半端に手加減しては投げつけたところであっさりかわされる。風が吹けば飛ぶような儚げな外見ながらもこの魔女は意外なほど回避能力が高いのだ。
「まあいいわ――それじゃ早速茶会をしましょう」
ぐだぐだになりかけた雰囲気を一蹴し、レミリアが気合の入った例のポーズを作り(ついでにスペカを発動させた音を轟かせつつ)宣言した。フレミングの法則っぽく固められた両手の間には紅い霧どころか磁場が発生しそうな勢いだ。
「え、ええと――お茶を点てるのはお嬢様なのでしょうか?」
「勿論。私以外の誰がやるのよ」
例の手の形のまま勢い余って腕をクロスさせるという斬新な新キメポーズでレミリアが意気込みを語る。
「気持ちはわかりますが、まずは座学と基本の稽古をですね」
「問題ないわ。実戦三日で平時の訓練三ヶ月に相当する経験を積めるというのはあらゆる軍隊の定説よ」
レミリアはどこまでも直球勝負な性格だった。というか面倒くさがりだった。
その一切の訓練を拒否することから生まれる強烈な雄度(吸血鬼とはいえ見た目は少女そのものだが)に押されつつも、咲夜は主になんとかの翻意を求めようとする。
「いえ、あの、精密動作系のマニューバはやはり積み重ねがものを言いますので。あと空軍においては訓練での飛行時間が正義だったりもしますし――っていうか茶の作法はミリタリーな練度と関係ないです」
咲夜としては、礼儀作法を養うことになると信じればこそ大車輪の立ち回りを演じ、レミリアの『茶会を開く』という唐突で準備側の手間暇をまるで考えない勝手極まりなしの言い分をほぼ無条件に通したのだ。ここでレミリアにただただ自分の思うまま茶会ごっこをされては苦労が全て台無しになってしまう。
「でも、茶人として名を残した戦国大名は数多い。彼らのある種型破りで、時には先鋭すぎ、ともすれば野蛮にも見えた天衣無縫の創意が茶の湯を更なる高みへ導いたのは歴史的事実」
いきなり裏切り者が出た。
パチュリーである。
いつも通りのやる気なさそうな半眼が『めんどくさいからさっさと終わらせろ』と強烈に主張している。
この場において二番目に大きな発言権を持っている彼女までがレミリアを支持するとなれば形勢は決定的になる。勿論咲夜は泡を食って止めに入る。
「パチュリー様も横から余計なことを言わないでください!」
「九分九厘、レミィも一回やれば飽きるだろうし、細かいことはいいからやらせてあげたらいい」
「唯一の心の支えを簡単にへし折らないでもらえますかパチュリー様……!」
身内に予想外の反乱分子を発見した咲夜は迅速にその制圧にかかった。事ここにいたっては、館の客分相手といえども実力行使を躊躇ってはいられない。
場外乱闘開始。
咲夜に手で口を塞がれたパチュリーがむきゅーむきゅー唸りながら頭突きで反撃していたりした。
レミリアそっちのけで、咲夜・パチュリー間に押し問答改めふたり緋想天が始まり、その横で美鈴がわたわた。
そんな脇での言い合い揉み合いを力任せに一刀両断、快刀乱麻に断ったのはやはりレミリアだった。
「――ああもう、細かいことをぐちぐちと五月蝿いわね。私がやると言ったらやるのよ!」
こんなにも月が紅いから本気でやってあげるわと、レミリアはお天道様の下で堂々言った。
§ § §
結局。
どれだけ張り切っても、ズブの素人がノープランで型通りの正式な茶など点てられるはずがないのである。
参加を渋るパチュリーとなかなかナイフが抜けず頭からだくだく血を流している美鈴を客に見立てて即決行された茶会は、恐ろしいほどわかりやすく失敗した。というか、茶の湯の形にすらなっていなかったというのが正しい。
抹茶の分量やら、茶菓子のセレクトやらの些細な問題ではなく、客に茶を飲ませるという根本的な段取りそのものが話になっていなかった。
レミリアが適当極まりない手前を披露する横で必死に咲夜がフォローを入れ、その度にパチュリー・美鈴が堪えきれずくすくす笑う――という流れを繰り返した挙句、レミリアがキレて丸窓を破壊し飛び出して行った。
完。
茶室は完成からわずかにして早くも半壊。
永遠に幼き紅いドラキュラバッドレディがクレイドルにスクランブルしていった大穴からは、恐ろしく寒い風が吹き込んでいる。畳や床柱にも侘びだ寂びだと言い切るのは到底無理そうなレベルの焦げ痕、というか燃え痕がばっちり残っていた。
あとに残ったのは、正座したまま事の成り行きを呆然と見守っているしかなかったパチュリー・美鈴。そして無手勝流にも程があるレミリアの手前を矯正するたび、うるさいわかってると打撃・弾幕を浴びスペルブレイクされた咲夜だけ。
所要時間三十分ほどでの惨劇である。
お茶を通して紅魔館メンバーがほのぼの交流、という咲夜が望んだ形のハートフルストーリーにはここでエンドマークが打たれ――そして話の本筋はここから始まる。
一度KOされた後は恐怖のストーリーモード。ある意味、常識だ。
スペカの発動音と共に、ぶちまけられた抹茶塗れになった咲夜がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。
怖い。とても怖い。
「――パチュリー様、美鈴?」
本気の怒りを示す紅く輝く瞳に射抜かれ美鈴が恐怖に硬直する。空の茶碗で茶を飲む真似をしていたパチュリーは特にリアクションはしていなかったが、流石に迫力に押されたのか冷汗を一滴たらしていた。
「せっかくお嬢様が習い事をする気になったというのに、どういうことです? 最初は誰もが素人です、お嬢様が戸惑いつつも必死に学ぶ様がなにか滑稽だとでも? そんな程度の低いひそひそ笑いが友情や忠誠に相応しいものだとでも?」
疑問符に合わせて一本一本馬鹿でかいナイフをスカートから引き抜き逆手に構える咲夜。三本目を口にくわえるあたりマジ怒り中のマジ怒り。抹茶に塗れた銀髪が逆立ち波打つその禍々しい威圧感は山姥一ダースにも匹敵する。
咲夜の怒りに加え、やはり多少後ろ暗いところもあったからか二人も大人しくしている。パチュリーでさえ素直に謝ってしまおうかと考える状況だ、美鈴の怯えっぷりは一層ひどい。
一触即発の睨み合いは、ししおどしが三度鳴るまで続いた。
「――私は少し外します。なんとかお嬢様に機嫌を直してもらわなければなりません」
僅か、ほんの僅かだけ、茶室の緊張が緩和され核時計の針が巻き戻った。
ナイフの持ち手を握力と咬筋力で粉砕した咲夜は大きな、大きな呼吸を一つして怒気をなんとか押さえ込んでいた。ただし、逆立つ髪と瞳の色は変わらない。臨戦態勢であることは間違いなかった。
無論、この状況下で余計な口を叩くほど両者とも馬鹿ではない。
再びの沈黙。
茶室にコォォ、と燃え尽きるほどヒートな呼吸音だけが響く――そのまま咲夜はゆらりと宙に浮いて、微妙な角度で傾いたまま茶室を後にした。機嫌の悪いレミリアからの被弾を覚悟したのか耐久力重視のモード(波紋闘法/押せ押せモード)に入っている模様だった。
「……なにやらえらいことになってまいりました」
「私は最初からこういう方向に行くと思っていたわ」
咲夜の姿が消えてしばらく、恐る恐る美鈴が口を開いた。
パチュリーもまた、大きくため息をついて心底疲れたように返す。いつの間にか、無事だった抹茶で勝手にお茶を作って飲んでいた。切り替えが素晴らしく早い、流石は魔女だけあって大したメンタリティだった。
あれだけの大騒ぎからあっさりと持ち直してしまったことに尊敬すら覚え、美鈴は思わずパチュリーの血色の悪い横顔を見詰めてしまう。
「……貴方も飲む?」
「あ、どうも、いただきます」
勧められ、美鈴も聞きかじりの知識通り三度回してから飲んだ。茶自体は咲夜が手を尽くして見つけてきた上物なので、香り高く美味い――気分が落ち着いた。
ようやく笑顔を取り戻して人心地、美鈴は結局言えないままだった『お茶の席お決まりのご挨拶』をパチュリーに向けた。
「美味しいです。パチュリー様、結構な御手前で」
「御手前もなにも、何から何まで適当よ――だいたい、型に拘りすぎ。レミィはド素人以前に向いてないし、咲夜も所詮付け焼刃なんだから適当に抹茶ぶちこんで適当に出せばいいのに、全く」
減点方式の茶道なんて本末転倒なのよ――などと妙に含蓄のある台詞を吐いて、パチュリーは少し姿勢を崩した。本読みらしく、猫背気味なほうが楽なのだろう。
それに笑って同意する美鈴。
「そーですね、やっぱりお嬢様には向いてないですよ、茶道なんて……それを言っちゃうと実は咲夜さんにも、ですけど。ちょっと気を張りすぎてて、こっちが気を使っちゃうというか」
「咲夜のほうは本人がまったく楽しもうとしない時点で『茶の湯』に向いてない。骨の髄まで従者根性が身に付いてるからしょうがないかもしれないけど――まぁ、あんまり滅多なことを言うものじゃないわね。壁に耳あり障子に目あり、ギロチン台にブラッディメアリとも言う」
パチュリーはえらく適当なことを言って茶で口を湿らせ気分を改めると、ひっくり返った棗を調べてまだ食べられそうな茶菓子を物色し始めた。基本ローテンションのまま百年ぐらいを生きてきた魔女はどこまでもマイペースであり、ひ弱に見えるが精神的にタフである。
「干菓子は割れてるけど大体無事かしら。他は――金つばとフルーツゼリーが混ざってかなりの未来派スイーツ(笑)になってるわね。見た目からして水とグレムリン並みに駄目な取り合わせではあると思うけど捨てるのも勿体無いし、美鈴、試してみる――?」
そう言って振り返ったパチュリーが戦慄する。
ほとんど無意識に一歩後ずさったことで手が銅鑼にぶつかり(中華風で通常茶室に置いてあるものより明らかに大きい)静寂を切り裂く大仰な金属音が響き渡った。
「どうしましたパチュリーさま――」
そこまで呟いて美鈴が硬直した。茶碗が落ちる。
錆びた歯車が三歩進んで二歩下がるといったガチガチの動作で振り返る美鈴の目に、予想通りのものが飛び込んできた。
勿論、切り裂きジャックである。
「――なんとか機嫌を直してもらえたようです」
げえっ、咲夜!
パチュリーが叫んで暴れた。腕が頭が銅鑼に当たってジャーンジャーンと景気良く鳴る。
錯乱した美鈴が逃げようとしたが――逆手のワンアクション、計三本の投げナイフで服の裾を壁に縫いとめられた。超高速でナイフが突き立つ音は火薬の炸裂音じみている。しかもそれだけの大威力にも関わらず、咲夜は左手一本しか動かしていない。
最初の一投で完全に動きを封じられ、抵抗を止めたにもかかわらず利き手の三本が豪快なワインドアップから容赦なく全弾放たれ美鈴の頭に直撃した。峰打ちのつもりなのか当たったのは全て柄のほうだが、あまりの勢いで柄が見事に頭にめり込んで刺さっているので意味はあまりない。
何かの回路が致命的にショートしたのか、それともヤバめの秘孔にでも当たったのか、『か、かまくらー!』と意味も脈絡もないが単語にはなっている世紀末的な断末魔を上げて美鈴は撃沈。
真剣にヤバイと踏んだのか、パチュリーがわたわたとはいずりながら逃げ出そうとする。
「ドミネ・クオ・ヴァディス(どこへ行かれますか?)――逃げると、磔刑になりますよ?」
駄目だ逃げられない相手は『世界』だ、とパチュリーは一瞬で素早く判断。割腹するぐらいの覚悟を決めて正座、状況を大人しく受け入れることにした。
どうやら咲夜は咲夜でへそを曲げたレミリアと激しい戦いを繰り広げていたらしく、髪の色が抹茶と血の混じった濁った紫色に変色している。向き合うと非常に怖い。
「お嬢様は大変ご立腹でしたが、なんとか許してもらえました。幸いなことに、再度の稽古・茶会の開催にも前向きな返答をいただいています。プライドの高いお嬢様が他人に、しかも数少ない友人と一応は信頼している従者に笑われて尚、あの程度で矛を収めてくれたことはまさに僥倖でしょう」
この状況での言葉など、まともに頭へ入ってくるはずがない。
なにせパチュリーの視界の隅では、美鈴が血の海に沈みかなりヤバめな痙攣している。美鈴は色気も何もない潰れたカエルのような格好で生足剥き出しに倒れているが、前垂をナイフで縫いとめられているのでチャイナドレスの中はぎりぎり無事だ。ただし血はだくだく流れているので一応R指定ではある。
「あの敗北主義者がどうか致しましたか? 今はそれより重要な話がありますパチュリー様」
「――ええ、その通りね」
悪いけどアレみたいな醜態を晒すのだけは勘弁――パチュリーは胸中美鈴に詫びつつも、惨状を一切無視することにした。仕置きに異議を唱えるような真似をしてこれ以上咲夜の真剣を逆なですればどうなるか知れたものではない。
「なにはともあれ……それはなによりだったわね」
「はい」
パチュリーが生返事をすると咲夜は一つ頷き、そしてますます眼光を強くした。
「――ですが」
鋭すぎる視線に込められた殺気が物理現象レベルにまで上昇したのかなんなのか、何故か斬撃音が響く。
というか実際、ししおどしが鳴ると同時に背後の掛け軸が真っ二つに切れて落ちた。
「次はありません。もう一度同じことがあれば、お嬢様は『お茶』の単語にすら反応して憎しみと共に力の限り弾幕をぶつけるようになるでしょう」
気迫に押されパチュリーは無機質に何度も首肯。
恐るべきことに、咲夜は微笑みすら浮かべて言葉を続けた。狂気を象徴する血走った四白眼が弓形に細められる様はより一層の恐怖を煽る。
「たとえ何があろうとも、お嬢様がどんな失態を犯そうとも、笑ってもらっては困るのです。わかりますね? そのためにもパチュリー様と美鈴には事前講習を受けてもらうことになります――無論、拒否権はありません」
そして冒頭へ、である。
§ § §
――戦いは終わった。
咲夜は最後の最後まで手を緩めず、一生分のベタギャグと不条理ネタを詰め込んだ最悪の予行演習は結局狂気のハイペースを保ったままラストまで突き抜けた。
序盤から中盤にかけて2、3本のナイフを貰いそうになったものの、パチュリー・美鈴ともにありとあらゆる妨害工作に耐え抜いた。余りの追いつめられっぷりに、吊り橋効果でパチュリー×美鈴というかなりマイノリティなカップリングが成立しそうになったりもしたがなんとか両者五体精神貞操とも無事に生還した。
というか、何の脈絡もなく小悪魔&某氷精(菓子か何かに釣られてのゲスト出演だろう)があの日交わした約束は砕けて散った感じのポーズを取り小芝居付きでアイキャンフライと茶室を駆け抜けていったあたりからもう色々がどうでも良くなってどんなネタもスルーできるようになっていた。
お手本のようなゲシュタルト崩壊。
詰め込みすぎると笑えなくなる、という典型である。
咲夜から『お土産です』と渡された、段ボールに銀紙を張って作ったお遊戯会の手作り記念品(優秀メダル、と書いてあった)を首から下げたパチュリーと美鈴は、馬鹿コント用に魔改造された茶室を前に憔悴しきって立ち尽くしていた。
「……パチュリー様。これから、どうします?」
「鼻と頭がおかしくなるぐらいハーブ利かせたお湯に身体が溶けて同化しそうになるまで浸かったあと、セラーのお酒を度数の高い順にしこたま飲んで寝るわ……貴女も付き合う?」
「そうしたいのは山々ですけど、仕事サボるわけにも行かないですから……」
「わかったわ……本番は明日ね、乗り越えましょう」
手を打ち合わせ、握り合い、肩を抱き合って戦友二人は別れた。
振り返り歩み去るタイミングまでシンクロしている。どうでもいいが故に過酷極まりない試練を乗り越えた動かない大図書館と華人小娘は極めて限定的なシチュエーション下において強い絆で結ばれたのだ。
二人ならどんな苦難も乗り越えられないはずがない。
――そう思えたのだ。この時には。
§ § §
茶会の流れというのは面倒くさそうでいて意外と単純だったりもする。
型通りのやり取りに纏わる細かいことは見なかったことにしてスルーしてしまえば、抑えておくべきポイントは実はそれほど多くない――先日のレミリアのように素人が入れ知恵なしのぶっつけ本番でやればいくらなんでも無理だが。
加えて、控えの水屋にカンペ付きの咲夜を配置しておける状況なら、席が崩壊するほどの大失敗など本来起こすほうが難しいぐらいなもの。
誰でも直前に含まされた内容をそれっぽい顔でなぞるぐらいは出来る。この状況では逐一咲夜がレミリアを煽てつつ進行できるので、ストレス爆発の危険性が少ないのも好材料だろう。
対する客二人、パチュリー・美鈴のほうは、真面目腐った顔をして見物していればいいだけ。地獄の訓練キャンプにすら耐え抜いた今の二人に不可能なことではない――まあ、こういうものは事前に訓練してもどうなるものではないのかもしれないがそれはそれ。というか、ことあるごとに思い出し笑いが出てくる危険性を高めただけのような気がしないでもないしぶっちゃけ逆効果だろうが気にしたら負けだ。
ともあれ。
レミリアの機嫌直しというなんともはやな理由で再度開催された模擬茶会は現在、つつがなく進行していた。
前回は傍若無人に振舞っていたレミリアも、二の轍を踏むのは流石に嫌だったのかきちんとやっている。
それでいて決して頭の中でマニュアルを確認したりせず、手早く堂々と手前を披露してもいた。珍しく自信がいい方向に出ている例だった。
基本さえ押さえておけば一本芯の通った立ち振る舞いは絵になる。美鈴など素で感心しているぐらいだ。
そういった空気が前面に出ているのか、レミリアもえらく機嫌が良かった。目を閉じ、いかにも慣れてますといった風に澄ました顔で釜の音など聞いていたりする。余裕を出しすぎて釜がぐつぐつと煮立ってしまっているぐらいはまあ、ご愛嬌だろう。
やや長めの静寂。
美鈴が目配せを送ってきているのにパチュリーが気付いた。
このまま最後までいけそうですね、そう言いたげなほっとした微笑が口元にある。
パチュリーはそれを唇に指を当てて指摘。気付いた美鈴が眉を上げ、思わず照れ笑いし慌てて口元を押さえる――適度に百合度の高い和やかな雰囲気である。
すっかりリラックスした客二人を前に、レミリアは非常に調子よく振舞っていた。
自信たっぷりに口の端に笑みを載せ、どうだとばかりに目を伏せ澄まし顔を見せている。あまりに上機嫌で、今に鼻歌でも歌いだしてしまいそうだった。
そんな小柄な友人の、主人の姿をパチュリーと美鈴は微笑ましく見上げている――
――見上げている?
ただでさえ小柄なレミリアが背中を丸めて茶を点てているというのに?
茶室の空気が変わった。
戦場のそれに、だ。
背筋を伸ばして正座したパチュリーと美鈴(特に美鈴の身長はレミリアと頭二つは違う、座高ですら本来はほぼ頭一つ分高い)より高い位置にレミリアの横顔があった。
どう考えてもおかしい。
猛烈に嫌な予感を覚えて顔色を変えた二人の前で、レミリアの顔の位置はますます上に。
そこでようやく、二人は何が起こっているのかを理解した。
畳がゆっくりと持ち上がっている。
先日の馬鹿コントに用いられた舞台装置の一つだった。確か記憶に拠れば昨日はここから神にも悪魔にもなれる力を持った元祖スーパーロボットくろがねの城(のパチモノ)の販促ポップがせりあがってきた――予想通り出てきた。にわか作りの張りぼてがなんとも味のある壊れ方をして気の毒なことになっているのに危うく吹き出しかけ、美鈴が慌てて口元を押さえた。
誤作動? だけどタイミングが悪すぎる――
辺りを見回したパチュリーは、茶室の窓に絶望的なものを発見する。
その視線を追った美鈴も同様に絶句していた。
そこには。
悪魔の妹が、これ以上ないぐらい楽しそうに笑って手を振っていた。
犯人確定、Q・E・D。
状況は言うまでもなく最悪だった。鉄板◎、単勝元返しの死亡フラグである。
危うく卒倒しかけたパチュリーだったが、なんとか踏みとどまる。
状況を整理し、適切な対応を取れば最悪の事態は免れることが出来るはず――そこまで考えて、パチュリーは事の重大さにめまいを覚える。
どう転んでもろくでもないことになるのに決まっていた。もとより、この茶会においての禁忌は『レミリアは頑張っているので、笑ったり馬鹿にしたりして機嫌を損ねないようにしましょう』の一つだけ。その命題が根本から覆されているのはもはや明白だった。だいたい、禁忌、と名の付くスペルカードだけでも悪魔の妹ことフランドールは五枚持っている。そのどれもこれもがシューター泣かせの凶悪弾幕だ。
仮に事前に設定させていたルールを破ったとしても、レミリアが拗ねて怒るだけ。この場合まず咲夜が真っ先に罰を受け、その被害分が上乗せされてパチュリー・美鈴にお仕置きがスライドしてくることになる。方式としては、弱いものが夕暮れさらに弱いものを叩く形――そんなふうにしてブルースが加速しても二段ロケットでの限界値は第一宇宙速度を超えたりは流石にしない。具体的には死なない、骨の一本でも覚悟していればそれで大丈夫。最後の一線を越えないだけの分別が全員にあるからだ。
が、そこにフランドールが絡めば話は全く変わる。
ここでトラブルが起きた場合、そしてその犯人がフランドールであると知れた場合、レミリアの怒りはフランドールに向く。間違いなくそうなる。姉妹喧嘩は避けられない。
その結果がどうなるかは、もはや想像するだに恐ろしかった。闘争の初速が違いすぎる。
吸血鬼の恐ろしさ、鬼の名を冠する妖怪の恐ろしさは単純なパワーと破壊力にある。
レミリアは単純に素手で岩をも砕く馬鹿力だし、弾幕もとかく派手で周囲の迷惑を顧みないものが大半だ。
対するはあらゆるものを破壊する程度の能力を持つフランドール。物騒極まりない力だが、実際のところそんなものは大して足しにならない。だいたい吸血鬼が本気でぶん殴れば大抵どんなものでも、それこそ人でも物でも魔女でも妖怪でも為すすべなく壊れるのだから結果は同じ。四人に増えたり炎の剣を振り回したり姿を消して無差別爆撃されたりするよりも、誤爆や二次災害が出ず幾分ピンポイントなだけむしろ積極的に使ってもらったほうがまだマシだった。
フランドールは全く、綺麗さっぱり、清々しいほどに手加減が利かない。
レミリアも同様だ。相手に合わせてリミッターを天井知らずに外す。
だからこその、狂気。
だからこその、吸血鬼――鬼なのだ。力も思考も、狂っているからこその。
くるくるぱーとれみりあうー、吸血鬼姉妹の取り合わせはそれこそ最悪に近い。
そんな暴走姉妹がドッグファイト、あるいは取っ組み合いになったがなったが最後、舞首がごとく回転飛翔し、何もかもを破壊しながら転がり続けるだろう。そうなったらもう館の住人には誰にも止められず、巻き込まれたら本気で命が危ない。紅魔館炎上エンドは確定的だ。
そして、その致命的自体を逃れる唯一の道、理想郷への扉の鍵はフランドールに握られている。
得意絶頂のレミリアをこっそりからかい、最後まで気付かせないままフランドールが満足して大人しく引き上げる――針の穴を通すような可能性だが、それしかない。
つまり、これは。
ああ、そうなのだ――パチュリーと美鈴、二頭の贖罪羊はほぼ時を同じくして結論に辿りついた。
これは、絶対に笑ってはいけない茶席なのだ。
イニシアティブは茶室内の者にはない。
希望は頼りなく、儚く薄い。
なにしろ全ての鍵を握るフランドールが自らドッキリ大成功のプレートを片手に乱入してくる可能性はどう好意的に解釈しても五割を超えており、第一その前にレミリアが異常に気付かずスルーするという関門を潜り抜ける必要がある。
どうにもこうにも絶望的だった。
そこまで一瞬で考え、現実に戻ると――目の前ではいい感じに壊れてくたびれた張りぼてロボが腕をぷらぷらさせていた。かつてえーりんえーりんと呼ばれ一世を風靡したヒーロー召還の儀式だが、それで思兼神が起死回生の策を引っさげ助けに来てくれるわけもない。来られても困る。
さらに都合の悪いことに、状況を唯一打開できるであろう咲夜は完全に死角となる場所に引っ込んでしまっている。現状では全く当てにできない。
残る館の戦力は、図書館で多分呑気に寝ているだろう小悪魔、あとは指示なしでは役立たずの妖精メイド達――彼女らが万が一宇宙的使命に目覚めてフランドールを阻止せんと挑みかかったところで戦力比が圧倒的過ぎて話にもならない、アヒルボートで宇宙戦艦に立ち向かうようなものだ。
人事を尽くそうにも徒手空拳、もはや天命を待つほかない。
思わず笑ってしまう状況――だが笑うに笑えない。自嘲と諦観、それらを命惜しさにどうにか自制し歪ませた左右非対称の絶望感が両者それぞれの顔に刻まれていた。
――パチュリー様。もしこれが終わってもまだ命があったら、一緒にお酒でも飲みましょう。
――いや美鈴、そんなに死に急がないでいいから。
この期に及んで、アイコンタクトを用いてまで律儀に死亡フラグを立てる美鈴にパチュリーはある種の感動を隠せない。筋金入りの不幸体質、被害者ぶりだった。
とにもかくにも、パチュリーと美鈴は死んだ目で互いの幸運を祈りあった。
拷問開始。
平和な時間は彼方へ去り、笑ってはいけない茶席の幕が上がる。
茶室はいまや死地である。壁に挽肉ミンチマシーンが埋め込まれているぐらいのキルハウスだった――咲夜が監修した以上本当にそうなっていても全くおかしくないのが恐ろしいところ。二人の死刑囚に対する処刑は刻一刻と進行中だ。
結局天井すれすれまでリフトアップしたレミリアが全く気付かないまま元の位置まで降りてきて、得意満面に点てた茶を差し出してくる。
ただし、誰もいない正反対の壁に向かって。
畳自体が内蔵リフトで上昇下降しつつゆっくり180度回転していたのだ。小技が利いている。大道具担当、裏方に回った咲夜の仕事はやはり完璧だった――元に戻し忘れたという致命的な一点を除けば。
「――どうぞ、粗茶ですが」
それに全く気付かず、型通りとはいえ超が付くほどレアな敬語を使いお上品に振舞うレミリア。上機嫌にも程があった。
二人ともが返事をしたものかどうか迷う。方向逆だし。
なお、客側から見える壁には立体視でぬりかべっぽい顔が浮かぶようになっており、したがって絵面は得意満面にお澄まししたレミリアがアルカイックな慈愛をたたえ物言わぬぬりかべと差し向かい、というもの。これはこれで結構パンチのある一枚絵だった。
無言が、腹に堪える。
十秒ほども待ってようやく目を開いたレミリアは、一瞬素に戻って疑問符を頭の上に出してから誤魔化すように微笑み、逆方向へ向かって全く同じ動作をした。
無論まだまだ取り繕い優雅に、である。
ミス→何事もなかったように繰り返し、の二度ネタは基本である。胃に来る。
いきなりハイレベルでトラディショナルな舞台コントの入りになった。幻想の観客が立てる笑い声――コピー&ペーストした年配のお客さん分の多いアレが聞こえてきそうな様式美である。
状況が緊迫している状況下、緊張の揺り戻しで余計に笑いがこみ上げてくるというケースはある。不幸にも、この場合はまさにそれが当てはまった。
鋼鉄の自制心で自らを律したパチュリーは茶碗を受け取り、瞬きすらせず定められた動作だけを機械的にこなす。期せずして前日のトレーニングが役に立った形かもしれない――が、その本来余計なステップのために準備された茶室がこの致命的自体を引き起こしたとも言える。古人曰く、敵に渡すな大事なリモコン。
パチュリー、クリア。
にらめっこ的な笑いの暴発を防ぐため目を合わせず、茶碗を美鈴に回す。
美鈴もまた、恐ろしく堅い動作で茶碗を手にした。喜怒哀楽がオーバーフローし、パニックを起こしかけているのが一目でわかる表情と仕草だ。
「い、いただきます」
それでもなんとか美鈴は教科書通りに茶碗を回し――口を付けかけたところで気付く。
レミリアの後ろ。余裕を見せて微笑むレミリアのその後ろ。
なんか後ろにいる。
なんかというか明らかにフランドールがいる。具体的には満面の笑顔で、広めに作った窓から音もなく気配もなく茶室に進入しようとしている。思いっきり実力行使に出てきている。
手には何故かマジックハンド、それを使って味噌田楽を持っていた。多分あつあつ。湯気が立っている。
――ああ、おでんが無かったのかな?
理由も無く、何故か美鈴はそう思った。
他人事のように考えて美鈴は魂を遥か彼方に飛ばし――具体的には昭和五十年代の土曜ゴールデンタイムあたりにタイムトリップし――お茶の苦味でなんとかこの世に戻ってくる。
――それにしても、なんで妹様が田楽なんてレアなもの……ってまさか!?
紅魔館では珍しいこの手の和食。おそらくこれは茶会に使うことが予定されていたものなのだ。
それがフランドールの手にある、この事実から読み取れることは一つ。
水屋は、咲夜は既にフランドールに制圧されている。
本来茶会の全てをコントロールすべき司令塔は占拠され、既に無差別に悪ふざけと面白を提供するだけの魔窟と化しているのだ。
咲夜がこの状況を前に動かない時点で気付くべきだった。やや天然ボケの傾向があるにしろ、彼女は完全で瀟洒なメイドだ。主人の危機に際し、あらあらうふふと微笑んでいるだけの母性派タイプではないのである。キャラ的にも、サイズ的にも。いろいろと。
既に彼女は事態に気付き、巨大な敵に勇敢にも立ち向かい――敗北したのだ。
誰にも気付かれず、明日への可能性を繋ぐ声なき声を残してひっそりと。勇気ある敗北、立ち向かう意志(スタンド)を持つ者へと繋ぐシャボン玉のごとき華麗で儚き緋色の魂、真っ赤な誓い。
人はそれを――無茶振りと呼ぶ。
幾らなんでも無茶すぎる。
あくまで受身のまま吸血鬼に立ち向かって勝てというのか、理不尽な運命に精神論で打ち勝てと言うのか、前準備も一切無しに咲夜と一緒に『世界』に入門してまじかる☆咲夜ちゃんスターダストクルセイダースの一員にでもなれというのか。
美鈴は茶碗を回す方向をさかさまにするぐらい動揺した。
恐るべき事実を前にし完全に動きの止まった美鈴を不審がってか、レミリアが小首を傾げる。
その隙にフランドールは死ぬほど楽しそうな表情でマジックハンドを操作し、ゆっくりとあつあつおでん(の代用)をレミリアに近づける――あと50センチ、40センチ、30センチ……決壊が目に見えて近づく。ハチャメチャが押し寄せてくる。泣いてる場合でもないし、勿論笑ってる場合でもない。トラブルと遊べ? 無茶言うな。
破滅まであと5センチ。
びくり、と大きく震えた美鈴の視線を追って、レミリアが振り返る――茶室の空気が凍りついた。
だがそのときにはもうフランドールはすばやく窓の影に引っ込み、完璧に身を隠している。
「何してるの。冷めないうちに飲みなさい」
「は、はいっ! そうですよね!」
ターゲットであるレミリアだけが気付かない。
この一連こそが志村後ろと呼ばれる伝統芸能である。
これが最後まで、これが最期まで続くのだ。
そう考えただけでも気が遠くなる。
――そして、不幸なことにその予想はほぼ完璧に当たっていた。
フランドールは必要以上にギャグを詰め込む愚を犯さなかった。
盛り込んでくる小ネタはせいぜいがミイラ男のコスプレをしてくるぐらいのもの。
忍者屋敷を遥かに上回るコンシールメントを施された仕掛けの数々をフル活用し、ひとり蚊帳の外のレミリアをどれだけストーキングし、些細な悪戯をできるかの一点に全精力を注いでいた。
そして、その悪戯自体が恐ろしく下らない。
背中に『馬鹿』と書かれた紙を張るとか、こっそり茶碗を違うものに取り替えるとか、ピコピコハンマーで頭を叩こうとするとか、せいぜいがその程度のものだ。その上、全て未遂で終わらせている。ある意味レトロで牧歌的な悪戯なのだが、それがまな板の鯉である二人には逆につらい。
ただでさえ顔色の悪いパチュリーの顔色のRGBは目まぐるしくスライドし、美鈴に至っては感電でもしたかのごとく断続的にびくびくと震えている。
「表情が硬いわね。もう少しリラックスしたらどう?」
スカーレット姉妹の一挙手一投足に過剰反応を起こす美鈴とパチュリーをたしなめるレミリア。なんか忠誠を新たにしたくなるほどの慈愛に満ちた微笑だったりするのでより性質が悪い。
わかってやっているんじゃないのかと思いたくなるほど、レミリアには全く以って事態に気付く様子が無かった。
――ギャラリーとして関係ないところで見物できたら面白いんだろうな、これ。
何もかもを投げ出して逃げたくなる思いで、美鈴は胸中呟いた。
また音もなく、死角側からフランドールが茶室へ入ってくる。
美鈴もパチュリーも、もうどうにでもなれと半ば開き直り、何度目かになる闖入を緊張のあまり出てきた涙でぼやけた視線で眺めていた。
が、フランドールはそこでついに一線を踏み越えた。
棗をこっそり開け、菓子をつまみ食いし始めたのだ。
ドカ食いだった。口いっぱいに頬張り、幸せそうな笑顔さえ浮かべていた。
秘弾『そして誰もいなくなるか?』――茶菓子は一つも残らない。
「「――――!!?」」
とうとうあからさまな物的証拠を残す犯行を目の当たりにした二人は揃って絶句。
いくらなんでもこれは気付く。絶対に気付く。
結局フランドールはしてやったりと無言で高笑いし、また窓から逃げていった。
「さて、そろそろ」
そしてやっぱり気付かないままのレミリアが菓子を取り出そうと、棗を手にした。
手にしてしまった。
――ああ、これで終わった。
二人は絶望とすると同時、ある意味で安堵し脱力した。とにもかくにも、これで終わる。
レミリアがパンドラの箱に手を掛け、開く――
美鈴は意識が飛びかけているのを自覚し、夢想する。
頭の中で、幾つもの選択肢が浮かんで弾けた。
1、フランドールの『仲間外れで寂しかった』という台詞で和解、みんな揃って茶会のやり直しエンド。
2、復活した咲夜が時間を止め『YES,I AM!』と状況を一気に復帰させ、クールに決めるエンド。
3、どうにもならない、現実は非常である。(定番)
現実は非常である、という選択肢がもっとも真実性を帯びているのは確か。
ここまでお膳立てが整ってしまっていては、余程のご都合な超展開がない限り別の路線に持っていけるはずもない。多少の変化はあるだろうが、武装お仕置きエンドかその場でキレて大爆破エンドのどちらかという分岐は、ルート選択ではなく二択攻撃と呼ぶべきだ。プランB? ねえよそんなもん。
走馬灯にも似た思考の末、美鈴がいよいよもってどうしようもなくなり両手を合わせて何かに祈ったその瞬間――
大音声が、茶室を貫いた。
§ § §
「ご無事ですかお嬢様ッ! 先ほど妹様が――!!」
水屋から、何者かが完全武装の戦闘態勢で茶室に飛び込んできた。
何者か、とは言ってもその闖入者は奇襲を受けての気絶から目を覚ました十六夜咲夜その人以外であるはずもなく。
咲夜は無謀にもほどがある勢いのまま、物凄いパースをつけて茶室に躍り出――いつの間にか仕掛けられていたロープに引っかかって無様にずっこけた。それでもスカートの中を見せずに守りきったのがメイドとしての、彼女の最後の矜持だったのかもしれない。
ただそのためにバランスはさらに崩壊し、アクセルは加速した。
咲夜は勢いのまま茶釜と炉を引っ掛けて横転。芸術点の高い回転数と速度をキープしたまま、本人以外に人的被害を一切出さず茶道具一式を綺麗さっぱり破壊して壁に突っ込んだ。
瀟洒とは程遠い偶蹄目系の低く潰れた悲鳴を上げての大クラッシュ。
豪快な自爆、肉弾バウンス・ノーバウンスを暴発させ、Sアーマー(瀟洒アーマー)でもスペカ発動の無敵時間でもカバーできない特大ダメージを勝手に食らった咲夜は再び昏倒。頭に茶釜を被って湯気を出しているという完璧なまでののび方だった。
沈黙。
そして。
茶室内の誰もが状況を把握できないまま、コント用のシステムが一斉稼動した。
畳を持ち上げるリフトが作動し、掛け軸が落ち、花瓶からびっくり箱のバネ仕掛けが飛び出す。
天井から落ちてきたのはくす玉。
全体的に仕掛けが懐古主義に基づいているので、見た目がえらく派手だ。
茶室は一瞬にわかりやすい地獄絵図と化した。
ついには、仕上げとばかりに茶室の壁がプロの手並みで爆破され四方全部が外に向かって倒れる。
これぞ最大最後の大仕掛け、何もかもをうっちゃってコントにオチをつけるいわば切り札。80年代の大艦巨砲主義が生み出したお笑い舞台のモンスターだ。
勿論、外から丸見えになった四畳間を覗き込むは紅魔館総出の妖精メイド。単純に興味本位なのか、それとも脅しつけられてこの場に呼ばれたのかは定かでないがともかく観客の拍手に迎えられドッキリは大成功。ついでにどこからともなく飛来した金ダライがレミリアに命中、10割コンボ完遂でコントは完成した。
大成功。
オチはコント撤収の型を見事に踏襲していた。
崩壊した茶室ことコントのセットがノスタルジーすら醸し出す光景を前に、高らかに響く笑い声。
フランドールが腹を抱えて転がっている。咳き込むほどの大爆笑だった。
完璧だった。
完璧にぶち壊しだった。
取り繕おうとした努力も、当事者のプライドもなにもかもが木っ端微塵。これはこれでありとあらゆるものを破壊する程度の能力の一端とも言えなくもない。
「――なるほど。なるほどね」
レミリアは大きく二度頷くと、怒りに震える手で茶筅と茶碗を握り潰した。
壮絶な表情で、笑いすぎてほとんど痙攣しているフランドールに向き直る。
「なにか、なにか変だとは思っていたのよ。それも全部――あなたの仕業ね」
「そうよ? まさか今頃気付いたのお姉さま――澄ましちゃって、ああ可笑しい」
姉妹は明確過ぎる対決姿勢を示し、即座に行動を起こした。
「そうなの、じゃあ殺すわ」
「そんなの嫌、殺し返すわ」
交わした言葉はそれだけ。
あとに続くのは純然たる鬼の咆哮になる。
――それからの数十秒を、美鈴は未だに夢に見る。
レミリアが情け容赦なしの本気で攻撃して、フランドールがまじりっけなしの本気で迎撃した。
ラストワード級の大規模スペルが一山幾らの叩き売りで発動。
見栄えを度外視した歪で馬鹿でかい魔法陣がそのサイズに見合った極大の炸裂弾をのべつくまなしに吐き出す様は終末の煉獄を思わせるもの。更にはそれを迎え討たんと複層構造にリニューアルされた3D恋の迷路が空から降りそそぐ。
多段命中そして誘爆。
干渉共鳴した爆音は波形を狂わせ、物理的な衝撃すらを伴って空を劈く。空間そのものが軋んで爆ぜるかのような不協和音に殴りつけられた構造物がひしゃげ、爆心地に近いものはそれこそ見る間に、刃と貸した音の圧力に耐え切れるはずも無く破断した。
まるで死の壁のような大弾幕。だがそれすらを意にも介さず両者は高速回転しながら無差別飽和攻撃を正面突破。弾き散らされた大弾がピンボールのごとく敷地内を荒れ狂い危機的状況に追い討ちを掛けた。流れ弾を浴びた壁は飴細工のように溶け崩れ、ロールシャッハテストが出来そうなぐらい生々しく悪意に満ちたまだら模様を作り発火・破砕する。
無論そんなものには一切お構いなし、二匹の悪魔は気勢と奇声を上げてさらに闘争を加速させる。
互いの弾幕を蹴散らし飲み込み突撃した両者は亜音速で交錯、奇跡のトリプルクロスカウンターを完成させ姉妹仲良くぶっ飛んだ。
吹き飛び、時計塔と正門を大破させ、それでもまだまだ無傷で瓦礫の中から起き上がって両者共に再突撃。さらに押し合いへし合い、死と破壊を大盤振る舞いに振りまきながら手四つのストロングスタイルに取っ組み合う二大怪獣――
「バイキンよろしく増えるのが得意だったわねフラン――縦から割って、プラナリアみたいにしてあげるわ!」
「あはははははははははははははははははははは! そう言うお姉さまは何回壊れても大丈夫かなぁ!?」
ポケ○ンフラッシュもかくやという原色の閃光が炸裂する中で、姉妹はくんずほぐれつ入り乱れ神作画的な動きで絶好調に殴り合っていた。レミリアは異常進化をしたり恐竜帝国を滅ぼしたりしそうな緑色のオーラを発して輪郭と物理法則を歪ませているし、フランドールに至ってはなんかどさくさに紛れて六人ぐらいに増えている。
館が崩れる。燃えていく。
妖精メイドが片端から薙ぎ倒され、未だ気を失ったままの咲夜が茶室ごと地割れに飲まれ、真横に同じく呆然と立ち尽くしていたパチュリーが哀れにも流れ弾を食って天高く吹き飛ばされる中、美鈴の立ち位置だけが奇跡的に一時的な安地となっていた。
であるが故に、人知を超えた暴力の応酬がもたらす結果を、美鈴は独りひどく冷静に予測するに至る。
障子紙のように外壁を貫通され急速に崩壊しつつある紅魔館。
大炎上して物理的に赤味を強めた館をバックに、それぞれタイトルコールが入りそうな渾身のカッコイイ決めポーズを取り、持ちうる限りの最大火力をチャージする暴走吸血姉妹を眺めつつ――美鈴は状況をただ一言総括した。
「……だめだこりゃ」
大河のごとき超火力の正面衝突。
その結末は誰の目にも明らかだった。
灰は灰に、塵は塵に。
つまりは。
「次行ってみよう」
爆発オチだ。
終。
松風――茶釜に湯の沸き立つ音が沁み広がっていく。
立ち上る湯気が程よく暖められた四畳間に存在を許されるのはほんの数秒だけ。薄く白を引かれた向こうに覗く景色が、静謐でありながら浮き立つ空気を演出する風情を強調する。
茶会はどこまでも緩やかに進められていた。
もてなされているのは美鈴とパチュリー、その前で闊達に茶を点てるのは咲夜だった。見慣れた仲間故、気の置けない間柄だからこその緊張感があり、場を引き締めている。
剽げた味を滲ませる茶器の数々が気を和ませ、床の間の掛け軸は決して目を飽きさせない。
ひどくわかりやすいといえばわかりやすい作意が、かえって気取らない空気を招いている。
自然な風だ。それが要求するものは一つしかない。
笑い、だ。
おそらくこの場所に足を踏み入れたものは、誰もがその風に当てられることを逃れられない。
本当に笑い出してもいいのではないか、そう思えるほどだった。
――いっそ、そう出来たらどれだけ楽なことだろう。
美鈴は心中独りごち、静かな、深い呼吸を一つした。
気を落ち着ける必要があった。
やはり、笑ってはいけないのだ。
例え、どれだけ飄げていようともここは茶の湯の席だった。真剣勝負の場だった。緑のマット(要するに畳)のジャングルだった。
なにがなんでも笑ってはいけないのだ。
茶事だから笑ってはいけないのではなく――そもそもこれは、絶対に笑ってはいけない茶事なのだから。
そう。
たとえ点前を披露する咲夜がどストレートなお笑い鼻メガネをかけていようとも、そのつるが片方外れてなんだかすごい絵面になっていようとも、それでもやっぱり茶の席なのだ。笑ってはいけない茶の席なのだ。笑っては負けだ、そして負けたら多分死ぬ。そういう理不尽極まりない罰ゲーム付きの茶の席なのだ。
美鈴はこの拷問を耐え抜く決意を新たにする。
だがその意気を挫くように、もはや傲慢といってもいいほど凛々しく糞真面目な表情が面白鼻メガネ付属のカイゼルひげの向こうにはある。普段の完全で瀟洒な彼女を良く知る美鈴にはそのギャップがいろいろと苦しい。台無し加減はギャップ萌えとかそういうレベルの問題ですらない。やりすぎだ。
見るうちに徐々に上がってきた水位を誤魔化そうと、美鈴は視線を下に落とす。
すると、咲夜のメイド服(何故か色がショッキングピンクでいつもより露出度が高い)の胸元にタグのようなものがあることに気付く。
追求するな、と自分の中の何かが危険を告げるのはわかっていた。しかし美鈴は好奇心に勝てず、タグの文字を読んでしまう――そこにはただ、三文字。
『パッド』
直球だった。いろいろと捨て身だった。むしろその字面の短さ単純さと高い汎用性から一時代を築いた定番の懐かしネタである。それをあえて今、この場に持ってくるあたりがある意味凶悪なチョイスだった。
鼻から妙な呼吸が漏れる。腹筋が震えた。舐め始めたばかりの飴玉を飲み込んでしまったような息苦しい異物感が喉の奥の辺りから拭えない――
――ええ、わかってました! 定番ですから! ってかわざと分厚いの入れてズラしてますよね咲夜さん!?
美鈴が逃げるようにして視線を逸らした先は床間だった。
掛け軸には力強い楷書で『自爆装置↓』と書かれていた。字だけはひどく達者なそれは咲夜自らの筆によるものである――当たり前だが。
矢印の先には某くしゃみ大魔王が出てくる壺にそっくりな花入れがあり、その口にはどこで拾ったのか台座を半壊させたフラワーロック(最近幻想郷入りしたらしい)が無理矢理気味に突き刺さっている。それに目が合った気がした瞬間――不意に鳴ったししおどしの音に反応してか、グラサンひまわりがシャコシャコ動いた。プラスティックな笑顔で。
ヤバいものを見てしまった。痙攣が増す。
だが、耐えた。
瞬きというにはやや長い瞑目をし――奥歯を砕けるほど噛み締め、喉奥から這い上がってくる衝動を飲み込む。美鈴は全身全霊で身の震えを制御した。平静を装わなければいけない。
震えを堪える美鈴を捨て置いて茶会は踊り、されど進まず。耐える時間はどこまでも長い。
根本から歪みきったミニスカフリルのフレンチメイドスタイル――というかそれなんてイメクラ? な格好の咲夜は、なにか大事なものを捨ててしまったようにしか思えないその外見とは裏腹に見事な手前を見せていた(なお、いつの間にか鼻メガネは外していた)。
客の苦心などどこ吹く風、存分に披露されるぶち壊しな格好とは裏腹に見事な手前。
その無駄無く滑らかな手さばきはこんな状況ですら見入ってしまうほどだ。
こういうところは性格が出る、とちょっと感心する美鈴。
どれだけ本気で笑わせに、潰しに来ても元来の几帳面な気質は変えられないのだろう――
深呼吸二つの間に、そんなふうにして思考を横道に逸らす余裕は戻ってきていた。
実際、隣席するパチュリーは現在唯一の安全地帯であるそこを凝視することで気を紛らわせていた。美鈴もそれに倣う。
やれやれこれで一息つける――そう確信し、二人の視線が揃って手元に注がれた瞬間だった。
「きゃん☆」
釜の湯が跳ね、咲夜は寒気がするほど可愛らしい悲鳴を上げた。
語尾の☆は伊達ではない、かつては『まじかる☆咲夜ちゃんスター』とも呼ばれた妖々夢仕様の星型オプションをわざわざ引っ張り出して空間を漫符的に飾り立てているのだ。あろうことか咲夜は首をすくめて耳たぶに手を当てるファニーな若妻ポーズまで決めていた。さらには片目を瞑り、やたらと媚びた流し目をピンポイントに送る。
まさにドジっ子メイド、ステレオタイプな萌えの権化――なのだが勿論瞳の奥底には鋼鉄の意志がある。その狼の眼をしてああんやっちゃった、とばかりに舌を出すのは完全に反則だ。なにもかもが絶望的に似合っていない。
様々な上方修正を得、一打必倒の域に至った一発芸が炸裂。
初見殺しもいいところだった、無防備無警戒なところへの直撃になる。
しかし、寒気と錯覚するほどの震えが背中を這い回るのを自覚しつつも、二人はそれに耐えた。咲夜が何事も無かったように糞真面目な無表情へと転じるという熾烈な追い討ちにも耐え抜いた。
かこん、と。
しばしの重いのか軽いのか分からない沈黙を挟み、ししおどしがいかにもわざとらしく鳴る。
それを仕切り直しのゴングと取ったのか、咲夜はここで仕留めるのを諦めたようだった――十六夜咲夜は慌てない。十重二十重に仕掛けられたトラップを淡々と実行に移していくだけだ。
「続いて私のターン! ドロー! 茶菓子! ……何も御座いませんが、お菓子をどうぞ」
世代的にかなりピンポイントな小ネタを交えつつ(パチュリーに結構効いたようだった)、茶事は次のフェイズへと移行する。薄茶席のセオリー通り、干菓子が供される――はずだが、菓子盆の上には二組の小皿と杉箸以外何も乗っていなかった。
なにも乗っていない皿。
それを前にして反応に困る客二人に対し、咲夜は堂々と言い切る。
「馬鹿には見えないお菓子で御座います」
嘘だ。
あまりにわかりやすい悪意に満ちた嘘に美鈴の瞳のハイライトが消えそうになる。
が、そんなあまりにあまりな大ブラフ、絶対的大嘘も、この場においては突っ込むことも許されない。茶室は一つの宇宙であり、この宇宙の法則はそういう風にできている。
場を打開する起死回生のとんちが思い浮かぶはずもなく、仕方なく美鈴は食べる真似をし始めた。
美鈴は、まるっきりおままごとだ、と自嘲することで色々と精神のバランスを保っている。
――ああ、○○歳になってまでおままごとだなんて咲夜さんは可愛いですねぇ、あはは私も楽しいですよ、うん。鼻歌歌いたいぐらい楽しいですよ。Wellcome to the crazy-time♪ このイカレた茶会へようこそ――
「フェイントで御座います」
ぬけぬけと咲夜が言い放って、ままごと終了。
演技が抜けずバーチャ菓子をもごもごする美鈴のにょろんとしたしょんぼり顔がツボに入ったのか、パチュリーが腹を殴られたように短くうめいて口元を押さえた。
咲夜がその様子を、何もない空間からナイフを引き抜く鞘走りの音を響かせながら睨みつける――パチュリーは蒼白な顔色でふるふると首を振り、表情を殺して咲夜にノーカウントを主張。
しばしのお見合いになるもナイフは飛んでこなかった。判定はギリギリでセーフ。
咲夜がまあいいでしょう、と一つ頷いた。
茶会はさらに次のフェイズに移行。
だが、まだターンは終了していないぜ、的に茶菓子は攻撃表示。崖っぷちの状態は継続中だ。
「――実は、その菓子皿が食べられるという趣向なのです」
飴色の(言葉どおりなら本当に飴がけしたものなのだろうが)柚、覗く地肌はまるで小麦粉を焼き締めたクッキーのような柔らかい柿色。言われてみれば確かにサイズも色合いもそれっぽい皿ではあった。
古今の料理に通じ菓子作りも得意な咲夜なら、この程度のイミテーション細工はお手の物。普茶料理から模造イクラまで手作りする咲夜の料理スキルには一分の隙もない。その有り余る腕前で以ってわざわざさっきのネタを挟むためだけに手間暇かけるのは大人気なさ過ぎるといえばそれまでだが、一応は趣向として受け取れないこともない――もっとも茶事の常識からすれば明らかに破格のルール違反ではあるのだが。
呆れ半分、感心半分、美鈴はやや苦戦しながらも杉箸で皿をつまんで口へ入れる。
「わかりました……じゃあ改めて、いただきま”」
がちん、と。
歯と磁器の激突音が容赦なく茶室に響いた。
「フェイントで御座います」
咲夜の台詞は計ったように一歩遅い。
むしろ、間違いなく故意である。
モース硬度表によれば磁器は硬い。もちろん硬いものを思い切り噛むと痛い。
二度ネタは基本で、それゆえに破壊効果は高い。パチュリーが震えつつやや右にナナメっていた。一方何事も無かったように皿(端がちょっと欠けていた)を盆に戻す美鈴だが、やはり痛かったのかちょっと涙目になっていたりする。
「さて、ほどよくリラックスしてもらえたかと思いますのでそろそろ本物を――」
いけしゃあしゃあと咲夜は先へ進んだ。
得意のタネ無しマジックで掌に万国旗と花を出し――それらは完全に無視して背中側の死角に隠していた小皿を盆に載せる。やはり咲夜はどこまでも基本に忠実だった。
そうして新しく出された小皿にはなんだか生肉っぽいものがぞんざいに乗っかっていた。
むしろ生肉っぽいというか、どこからどう見てもそのまんま生肉だった。
「さ、どうぞ」
いやどうぞと言われても、というのが客役二人の正直な感想だったが、ツッコミ禁止なのでどうしようもない。
美鈴は途方に暮れつつも、礼に則り口に入れる。
一応塩は振ってあるようで食べられないこともなかったが、正体不明の生肉は噛む度絶望感が口の中に広がる味わいだった。奥歯で噛み潰すたび、体温程度では溶けない強固な油脂分と刺々しい旨味成分(イノシン酸)まみれになる――もちもちぬるぬる。凶悪に歯ごたえがあり噛み切れないのはまさに致命的だった。
嫌がらせ以外の何物でもない。
美鈴はそれでもなんとか、四苦八苦して飲み込んだ。横で生ものが苦手なパチュリーが咳き込み喘息の発作の兆候を見せていたが、それは流すことにした。他人を気遣っていては落とされるのは自分である。というか死んだ目で生肉を食べるパチュリーというシチュエーション自体が結構面白いため見ていると笑ってしまいそうで怖かった。
ここを乗り切れば一応このあとはちゃんと薄茶が出るはず、なんでもいいからまずは口の中を何とかさっぱりさせたい――例え茶が出されたとしてもそれがまともなものかどうかは怪しいところではあったが。
なにより、咲夜がどこからか道具箱を取り出して得体の知れない道具類をセットアップし始めたのが不気味すぎる。あからさまな溜めコマンド、必殺技の前兆を黙って見ているわけにはいかない。
チャージなどさせるものか!
梅干やらマリネやら酸っぱいものを想像して唾液を出す必死の努力をして塩水に漬けて濡らした鉛筆を舐めたような最悪の後味に耐え抜き、美鈴はなんとか型通りのやり取りへ進んだ。
「……け、結構なものをいただきましたが、今のお肉――じゃなくて、お菓子のほうは」
涙目で美鈴が言葉を搾り出す。
が、間に合わなかった。
足止めの間に虎柄ビキニと鬼角二本でコスプレを完了していた咲夜は、痺れる笑顔を作って答えた。
ラム
「羊肉だっ茶」
――横で、パチュリーがくの字に折れた。
§ § §
そもそも。
この、わび数寄に命を賭した利休居士とその弟子たちが見でもしたら草葉の影で泣くどころかオペレーションオーバーロードを凌駕する規模で憤怒の川を渡りかねない茶会を行うことになった原因は、実は当事者たちにはない。
紅魔館で起こるほぼ全てのドタバタ騒ぎはその支配者であるわがまま吸血鬼によってもたらされるのが常で、今回もまたその例外ではなかった。
中心はやはり、レミリア・スカーレット。いつも通りの紅い悪魔。
発端は、駄目茶会が開かれる三日ほど前のことだった。
「お茶会を開くわ」
上等な紅茶葉の匂いが立ち込める深夜のお茶会の真っ最中に、レミリアが言った。
もとより緩やかな静寂の中にある紅魔館サロン。不意打ち極まりない言葉が造った無言の時間は数十秒ほども続く。
その場にいた三人のうち、先に焦れたのはやはりレミリア。クッキーをぱくつきながら待つことさらに僅か、彼女は自ら沈黙を破り真っ先に友人と従者の無反応を糾弾した。
「なんで黙るのよ。いいアイデアじゃない」
レミリアはむくれ、それまで装っていた上品な態度をあっさり崩した。
膨れっ面でテーブルに肘を突き、恨めしそうに対面のパチュリーを睨み、次いでティーポット片手に傍らへ控える咲夜へ上目遣いに抗議の視線を送る。拗ねたように残っていた紅茶を一気に飲み干し、そっぽを向く。
ひどく子供っぽい仕草で非難された両者は、それぞれ同じような反応を見せた。
「今やってるじゃない」
「いつも通りにお茶会ですわ」
ごく常識的な返答。それを皮切りに、ようやく止まっていた二人の手が動く。
パチュリーは最適温度から2℃ほど冷めてしまった紅茶に口を付け、咲夜は空になったレミリアのティーカップを下げて新しいものに取り替えた。
提案を流された、というか半ば無視されたレミリアは頬を膨らませた。腹立ち紛れにパチュリーの分までクッキーを横取りドカ食いしたので物理的にも膨らんでもいた。そのままリスよろしく小さな口で頑張って咀嚼していたが、大量に口へ入れすぎたせいか見事に咽て咳き込み、さらに慌ててお茶で流し込もうとしたが淹れたての熱い紅茶で唇を焼いて悶えた。
ひと暴れ。
うーうー言いながら見えない何かと戦うかのごとく手足をばたつかせる主に、咲夜は心の中でエールを送る。助けに入ってもいいのだが誇り高い主人はそれを喜ばないだろう――というか持ち直すまではそっとしてあげないと可哀想過ぎる。
一方パチュリーはといえばそ知らぬ顔で、横取りされた分のクッキーをレミリアの皿から補充していた。
ふた暴れ。
相当に落ち着きの足りていない醜態を晒した後に、レミリアは食べ物相手に際どい勝利を収めなんとか口の中のもの全部を飲み下した。心なしか呼吸が荒く顔色も青ざめていたりした。
しかし喉元過ぎればなんとやら、レミリアは何事もなかったように泰然自若とした態度に戻って再び告げた。取り繕うわけでもなくまんま素であるあたりが貴種の血か。ただしまあ、口元に食べかすとこぼした紅茶が付いているので何もかも台無しではあったが。
「そうじゃなくて、やたら時間かけて苦くてマズイお茶飲むほうのお茶会よ」
「ああ、その茶会――というか茶事ですのね」
どこからともなく取り出したナプキンでレミリアの口元を拭いてやりつつ、咲夜はようやく合点がいったとばかりの声音で相槌を打った。苦くてマズイと思うなら飲まなくてもいいのに、とは考えても口にしないのがメイドとしての嗜みだった。
「最初からそう言ってる。一度目で全て察するのが本来貴女の義務よ、反省しなさい」
相変わらずというべき、どこまでも手前勝手な物言いだった。もっとも、五歳児よろしく『んー』などと喉を鳴らしつつあごを上げて顔を拭かれるままの後に続いた台詞だったので、咲夜からしてみればただ可愛らしいだけだったが。
「はいお嬢様。鋭意努力します」
「当然」
そこで一度場の流れを切ろうとカップを傾けようとしたレミリアだが、紅茶にクッキーの欠片が混入していることに気付き、もの悲しそうな目で咲夜を見た。
クロースアップマジック。咲夜得意のタネ無し手品で紅茶が瞬時に新しいものと交換される。
そこまでしてようやく、お茶会は落ち着きを取り戻した。ただし状況復旧に費やされたスカーレットデビルのカリスマは相当な量である。
「……それで、レミィ。なんでいきなりそんなことをしようと思ったのよ」
パチュリーが半ばため息混じりに、至極まっとうな疑問をぶつける。聞き手がリードしてやらなければ話が進まないと判断したのは明白だった。
問われたレミリアは腕を組み、赤い瞳を剣呑に輝かせ答える。
「この間、霊夢のところに遊びに行ったときのことよ――あの通年春頭の真ピンク幽霊に出くわしてね」
「真ピンク幽霊といいますと……白玉楼の亡霊嬢ですね。それはそうとお嬢様、また昼間っから独りで出歩いたんですか?」
「そうよ、せっかくお忍びで行ったっていうのにツイてないわ」
紅魔館と白玉楼、表立って敵対しているわけではないがそれぞれのトップ同士はあまり仲が良くはない(というか吸血鬼はほとんどの妖怪・人間たちと仲が良くなど無いのだが)。
「霊夢にお茶出してもらったんだけど、そのときお茶の話になってね――」
散々盛り上がって除け者にされた、とレミリアは歯軋りせんばかりに言った。
茶の銘柄、淹れ方等のなにやら暗号めいた会話内容についていけなかったことがよほど悔しかったらしい。愚痴は、霊夢と『通年春頭の真ピンク幽霊』の会話を一人二役で再現するほどの熱の入りようだった。何故か口調が巻き舌のニセアメリカン日本語発音という珍妙なキャラ付けでの熱演だったが。
「挙句の果てにはなんか茶会をやるって言い出して――霊夢も『面白そうね、呼んでよ』なんて返すのよ!? うちのパーティではお酒と料理だけかっ喰らってさっさと帰っちゃうくせに!」
怒りのあまりか、レミリアは例のポーズで50センチほど宙に浮いていた。どうやら強制不可能なレベルのクセらしい。
咲夜は幾千通りに分岐するであろう主の癇癪の行く末をシミュレーションし、かなりの絶望感を覚える。それでもパーフェクトメイド十六夜咲夜はくじけない。何故かといえば彼女はメイドさんだからである。
「それで、対抗して紅魔館でも茶会を行うと」
「ええ、真正面から勝負してやるわ」
ややすれ違いながらも、いざ鎌倉と覚悟を決めて見詰め合う主従を置いてパチュリーはそっけなく呟く。
「――そう、頑張ってね」
吸血鬼の行動理念などそれぐらいしかないのだ、と付き合いの長い魔女は改めて思い直していた。
そしてパチュリーは予想されるろくでもない展開を避けるため、少し無理して一息に残りの紅茶を飲み干し、席を立とうとする――が咲夜にブロックされた。
どこまでも主人に忠実なメイドは、わんこそばもかくやという按配にノータイムでお代わりを注ぎ、それによって少しだけ身を乗り出す形でパチュリーの進路をブロックしていた。機先を挫き、さらにシカゴの四つ玉宜しく指先で茶菓子を増殖させ笑顔で薦める。それらチョコレートクッキーやボンボンが必要とあらば銀のナイフに早変わりするのは疑いないことだ。
「……パチュリー様、お代わりはいかがでしょう? お菓子も硬軟取り揃えていますことですし」
「いや、別に――」
「いかがでしょう?」
「……いただくわ」
彼女が浮かべる寒気がするほど涼やかなメイドスマイルから読み取れる意図はたった一つ――『敵前逃亡は許しません』。
パチュリーは逃走(あるいは闘争)を諦め椅子に座り直す。やや挫けたのか、姿勢が猫背気味だった。
「お嬢様。外部から客を招く茶会、ということはパーティの一環として考えてよいのでしょうか?」
そうしていざという時の備えを確保した後、咲夜は話題に踏み込む。
主人の気分を害してはいけない、主人の命令に逆らってはいけない、それらを犯さない限り自身の安全を確保しなければならない、というメイド三原則に見事なまでにのっとった模範的行動だ。
「そうなるわね。パーティ、だけど真剣勝負よ」
レミリアの気まぐれにより紅魔館で不定期にパーティが開かれることは周知の事実。
場所は館の内外でまちまちだが、基本的には料理と酒を十分量用意してさあ盛り上がれさあ騒げ、という超本格ヴァイキングスタイルが採用される。パーティ主催者がわがまま吸血鬼ということもあり、饗応役を務める気が全く無いため致し方ない無い配慮だと言える。
その上、集める面子が面子なので歌や踊りはもとより弾幕・爆発等も時々起こる。結構どころじゃなく危ないため、顔ぶれはそれなりに腕に覚えのある連中で大体固定されている次第――癇癪持ちの達人・人外と付き合うためには最低限喰らいボムが必須スキルだ。
面子も同じなら展開も似通う、何度も繰り返しているうちに客も飽きてくる。
季節の風雅や目新しい食材を積極的に取り入れるなど、咲夜ももちろん努力している。が、基本的に飽きっぽい幻想郷の連中を、しかもその中でも特に一癖も二癖もある紅魔館パーティ参加者全員を毎回満足させるなど龍神様でもなければ不可能に近い。
たまには目先を180度変えてみる、というのは無茶苦茶なようで意義のある提案かもしれない――と咲夜は骨の髄まで染み込んだ主人に対するプラス修正込みでポジティブシンキング。
「ということで咲夜。手はずを整えなさい」
風切り音がしそうな勢いでレミリアは咲夜を指差した。
「……茶会となると、お嬢様が直々にホストを務めることになりますが宜しいのですか? 格を示すためにも多少事前講習などしなければなりませんし」
「上等よ、スカーレットセレブと呼ばれるこの私のハイソぶりを思い知らせてやるわ」
セレブ云々は置いておくにしても望み通りの答えを引き出し、咲夜は微笑みつつ深々と頭を下げた。
この熱意は可能な限り有効に使うべきだ、と硬く決めていた。
そう、レミリアが習い事を――それももっとも嫌う礼儀作法がらみの――をする気になるなど滅多にないチャンスではあった。この機会に、館の主たる落ち着きを身に付けてくれれば昨夜にとってこれに勝る喜びは無かった。尊敬できる主人でいてほしい、ということもあるが、なによりレミリアが大人しくしているだけで咲夜の仕事は半分以下になる。
早速ぶつけられるレミリアの質問に答えながら、咲夜は頭の中で最適プランを組み立てる。レミリアのわがままな思いつきと咲夜のリカバー能力がせめぎ合い火花を散らして最後はそれなりのところに軟着陸、というのが紅魔館における一つの様式美、お決まりのパターンである。
「元気で結構だけど……巻き込まれるのはこっちなのよね」
そんな仲睦まじい主従の様子を見て、パチュリーがため息を付いていた。
§ § §
「……へぇ、大したものじゃない」
その後の展開は急転直下。
咲夜が即席で設えた『茶室』を前に感嘆の声を漏らしたのはパチュリーだった。
実際、自他共に認める優秀なメイドだけあって咲夜は頑張った。
人里の道具屋、果ては香霖堂にまで単身殴りこみ、瀟洒からは程遠い壮絶な値引き交渉の果てに(紅魔館の財政も昨今ではそれほど余裕があるわけではない)必要な道具を予算内で入手し、吟味。冷え込む陽気に愚図る妖精メイドを監督して人里近くの朽ちた無人のあばら家を丸々一軒バラして移送、返す刀で日曜大工に入り即席の茶室へと仕立て上げると休む暇もなく掃除を開始。空間までいじって景観を整え、再びの大掃除――丸二日の大立ち回りで紅魔館付茶室・『紅庵』は完成した。
今現在は、景観の最終調整。
妖精メイドを餌で釣って露地に敷き松葉を張らせ、美鈴に何故かざっくりと刀傷が刻まれている織部灯篭(おそらく某半人半霊庭師が傷をつけて証拠隠滅に横流しした品だろう)の位置を修正させていたところだった。
賛辞を受けてようやくひと段落、とばかりに咲夜は肩の力を抜いてパチュリーに微笑を返す。
「流石ね、とても急ごしらえには見えない」
「ええ、内装もそれなりにまとまりました。資料の提供を感謝しますわ」
「礼なら小悪魔に言って。私はあの種の蔵書にはノータッチだから」
「では後ほど何か差し入れを――ああ、美鈴! その場所でいいわよ」
呼びかけられた美鈴は作業を終えて笑顔を見せ、手水場に向かう。
手水場には苔むした岩を削りだした石鉢と竹柄杓が据えつけられ、昨日今日に造ったとは思えない風情を見せていた。美鈴は作法でも気にしたのか、手を洗う前に咲夜のほうをちらりを見て、結局は開き直ったのか普通にざばざばと手を洗った。
美鈴は手を洗い終えると、ほとんどスキップするような大きい足取りで咲夜とパチュリーの元へ向かい話の輪に加わった。
「えーと、これで完成ですか? 咲夜さん」
「一応ね。茶室の景色に完成は無い、なんて本には書いてあったけど」
「なんにせよ、ご苦労様です」
美鈴は一度茶室のほうに目をやってから、パチュリーに誇らしげな笑顔を向けてみせた。
「咲夜さん、とっても頑張ったんですよ。私も少しお手伝いしましたけど」
「そうね、ありがとう美鈴。流石、大雑把な力仕事にかけては頼りになるわ」
素晴らしくストレートな表現を受けて美鈴はたじろぐ。咲夜・パチュリーともに普段あまり見ないほどの朗らかな笑顔なのでそれこそ効果は抜群だ。
「え……ええと、褒めてるんでしょうか、それ」
「勿論。見た目と中身が一致するアチョー系の単純パワーキャラは幻想郷中探しても貴重だもの。何故か中国風で特技がカンフー。このわかりやすすぎるキャラ付けは貴重よ」
「咲夜のいう通りね、あとは頑丈で目減りしないのが強み」
「はは、ははははは、そうですよね。ええ、そうですとも……そうだ、私、語尾にアルとかつけたほうがいいですか?」
二人に力強く言い切られ、美鈴は泣き笑いのような顔でカンフーポーズを取って見せた。軽快にジャブなど出してブボブボと香港映画風に服のすそをはためかせている辺りは完全にやけくそだ。むやみやたらとキレがいいのが余計哀愁を誘う。
「なに、騒がしいじゃない」
傍目には楽しそうな会話に割って入る、声質と口調の一致しない台詞。
現れたのは日傘を差したレミリアだった。
咲夜はレミリアの姿を認めるとすぐに傘を受け取り、差し掛けた。パチュリーは挨拶をするでもなしに、茶室の観察を再開。一方美鈴は何を考えたのか、ボディーガードっぽいポジショニングをして周囲を警戒してみせた(が、咲夜に尻を蹴られたので止めた)。
「これが茶室? なんだか随分みすぼらしく見えるけど――ああ、中が金張りなの?」
「いえお嬢様。これ黄金の茶室ではありません」
「じゃあ銀? 銀は駄目よ。触るとひりひりするし肌がかぶれるんだから」
「そんなお嬢様専用拷問部屋作りませんわ。中は普通の――」
「金、銀――銅? それって金臭そうだけど大丈夫なの」
「オリンピアな水平思考から一度離れてくださいお嬢様。中は普通の和式建築――砂流しの漆喰壁と杉板張りの床。侘び数寄、という立派な、格式あるスタンダードスタイルですよ」
へぇ、とそっけなく呟いてレミリアは手でファインダーを作るようにしてしげしげと観察。そのあとで手を後ろに組んで歩き回り、茶室の見立てとしてはかなり見当はずれなチェックを始めた。
そうしてたっぷり一分ほど気の済むまで無生物にガンをくれた後、レミリアは真剣な表情で咲夜に聞いた。
「……1・2・3の順に金銀銅で繰り下がっていったら漆喰は何位ぐらいかしらね?」
「ですからお嬢様、それはものごとの格にこだわるのと無関係なので自重してください」
きっと漆喰(4・9・位)で49位ですよ、などと空気を読まずに渾身のとんちを披露する美鈴の柔らか頭にナイフを突き立てつつ咲夜は苦笑。パチュリーはパチュリーで36位(4×9位)を主張していたがこれは黙殺。いくらなんでもパチュリーにはスナック感覚でナイフを投げるわけにはいかないし、中途半端に手加減しては投げつけたところであっさりかわされる。風が吹けば飛ぶような儚げな外見ながらもこの魔女は意外なほど回避能力が高いのだ。
「まあいいわ――それじゃ早速茶会をしましょう」
ぐだぐだになりかけた雰囲気を一蹴し、レミリアが気合の入った例のポーズを作り(ついでにスペカを発動させた音を轟かせつつ)宣言した。フレミングの法則っぽく固められた両手の間には紅い霧どころか磁場が発生しそうな勢いだ。
「え、ええと――お茶を点てるのはお嬢様なのでしょうか?」
「勿論。私以外の誰がやるのよ」
例の手の形のまま勢い余って腕をクロスさせるという斬新な新キメポーズでレミリアが意気込みを語る。
「気持ちはわかりますが、まずは座学と基本の稽古をですね」
「問題ないわ。実戦三日で平時の訓練三ヶ月に相当する経験を積めるというのはあらゆる軍隊の定説よ」
レミリアはどこまでも直球勝負な性格だった。というか面倒くさがりだった。
その一切の訓練を拒否することから生まれる強烈な雄度(吸血鬼とはいえ見た目は少女そのものだが)に押されつつも、咲夜は主になんとかの翻意を求めようとする。
「いえ、あの、精密動作系のマニューバはやはり積み重ねがものを言いますので。あと空軍においては訓練での飛行時間が正義だったりもしますし――っていうか茶の作法はミリタリーな練度と関係ないです」
咲夜としては、礼儀作法を養うことになると信じればこそ大車輪の立ち回りを演じ、レミリアの『茶会を開く』という唐突で準備側の手間暇をまるで考えない勝手極まりなしの言い分をほぼ無条件に通したのだ。ここでレミリアにただただ自分の思うまま茶会ごっこをされては苦労が全て台無しになってしまう。
「でも、茶人として名を残した戦国大名は数多い。彼らのある種型破りで、時には先鋭すぎ、ともすれば野蛮にも見えた天衣無縫の創意が茶の湯を更なる高みへ導いたのは歴史的事実」
いきなり裏切り者が出た。
パチュリーである。
いつも通りのやる気なさそうな半眼が『めんどくさいからさっさと終わらせろ』と強烈に主張している。
この場において二番目に大きな発言権を持っている彼女までがレミリアを支持するとなれば形勢は決定的になる。勿論咲夜は泡を食って止めに入る。
「パチュリー様も横から余計なことを言わないでください!」
「九分九厘、レミィも一回やれば飽きるだろうし、細かいことはいいからやらせてあげたらいい」
「唯一の心の支えを簡単にへし折らないでもらえますかパチュリー様……!」
身内に予想外の反乱分子を発見した咲夜は迅速にその制圧にかかった。事ここにいたっては、館の客分相手といえども実力行使を躊躇ってはいられない。
場外乱闘開始。
咲夜に手で口を塞がれたパチュリーがむきゅーむきゅー唸りながら頭突きで反撃していたりした。
レミリアそっちのけで、咲夜・パチュリー間に押し問答改めふたり緋想天が始まり、その横で美鈴がわたわた。
そんな脇での言い合い揉み合いを力任せに一刀両断、快刀乱麻に断ったのはやはりレミリアだった。
「――ああもう、細かいことをぐちぐちと五月蝿いわね。私がやると言ったらやるのよ!」
こんなにも月が紅いから本気でやってあげるわと、レミリアはお天道様の下で堂々言った。
§ § §
結局。
どれだけ張り切っても、ズブの素人がノープランで型通りの正式な茶など点てられるはずがないのである。
参加を渋るパチュリーとなかなかナイフが抜けず頭からだくだく血を流している美鈴を客に見立てて即決行された茶会は、恐ろしいほどわかりやすく失敗した。というか、茶の湯の形にすらなっていなかったというのが正しい。
抹茶の分量やら、茶菓子のセレクトやらの些細な問題ではなく、客に茶を飲ませるという根本的な段取りそのものが話になっていなかった。
レミリアが適当極まりない手前を披露する横で必死に咲夜がフォローを入れ、その度にパチュリー・美鈴が堪えきれずくすくす笑う――という流れを繰り返した挙句、レミリアがキレて丸窓を破壊し飛び出して行った。
完。
茶室は完成からわずかにして早くも半壊。
永遠に幼き紅いドラキュラバッドレディがクレイドルにスクランブルしていった大穴からは、恐ろしく寒い風が吹き込んでいる。畳や床柱にも侘びだ寂びだと言い切るのは到底無理そうなレベルの焦げ痕、というか燃え痕がばっちり残っていた。
あとに残ったのは、正座したまま事の成り行きを呆然と見守っているしかなかったパチュリー・美鈴。そして無手勝流にも程があるレミリアの手前を矯正するたび、うるさいわかってると打撃・弾幕を浴びスペルブレイクされた咲夜だけ。
所要時間三十分ほどでの惨劇である。
お茶を通して紅魔館メンバーがほのぼの交流、という咲夜が望んだ形のハートフルストーリーにはここでエンドマークが打たれ――そして話の本筋はここから始まる。
一度KOされた後は恐怖のストーリーモード。ある意味、常識だ。
スペカの発動音と共に、ぶちまけられた抹茶塗れになった咲夜がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。
怖い。とても怖い。
「――パチュリー様、美鈴?」
本気の怒りを示す紅く輝く瞳に射抜かれ美鈴が恐怖に硬直する。空の茶碗で茶を飲む真似をしていたパチュリーは特にリアクションはしていなかったが、流石に迫力に押されたのか冷汗を一滴たらしていた。
「せっかくお嬢様が習い事をする気になったというのに、どういうことです? 最初は誰もが素人です、お嬢様が戸惑いつつも必死に学ぶ様がなにか滑稽だとでも? そんな程度の低いひそひそ笑いが友情や忠誠に相応しいものだとでも?」
疑問符に合わせて一本一本馬鹿でかいナイフをスカートから引き抜き逆手に構える咲夜。三本目を口にくわえるあたりマジ怒り中のマジ怒り。抹茶に塗れた銀髪が逆立ち波打つその禍々しい威圧感は山姥一ダースにも匹敵する。
咲夜の怒りに加え、やはり多少後ろ暗いところもあったからか二人も大人しくしている。パチュリーでさえ素直に謝ってしまおうかと考える状況だ、美鈴の怯えっぷりは一層ひどい。
一触即発の睨み合いは、ししおどしが三度鳴るまで続いた。
「――私は少し外します。なんとかお嬢様に機嫌を直してもらわなければなりません」
僅か、ほんの僅かだけ、茶室の緊張が緩和され核時計の針が巻き戻った。
ナイフの持ち手を握力と咬筋力で粉砕した咲夜は大きな、大きな呼吸を一つして怒気をなんとか押さえ込んでいた。ただし、逆立つ髪と瞳の色は変わらない。臨戦態勢であることは間違いなかった。
無論、この状況下で余計な口を叩くほど両者とも馬鹿ではない。
再びの沈黙。
茶室にコォォ、と燃え尽きるほどヒートな呼吸音だけが響く――そのまま咲夜はゆらりと宙に浮いて、微妙な角度で傾いたまま茶室を後にした。機嫌の悪いレミリアからの被弾を覚悟したのか耐久力重視のモード(波紋闘法/押せ押せモード)に入っている模様だった。
「……なにやらえらいことになってまいりました」
「私は最初からこういう方向に行くと思っていたわ」
咲夜の姿が消えてしばらく、恐る恐る美鈴が口を開いた。
パチュリーもまた、大きくため息をついて心底疲れたように返す。いつの間にか、無事だった抹茶で勝手にお茶を作って飲んでいた。切り替えが素晴らしく早い、流石は魔女だけあって大したメンタリティだった。
あれだけの大騒ぎからあっさりと持ち直してしまったことに尊敬すら覚え、美鈴は思わずパチュリーの血色の悪い横顔を見詰めてしまう。
「……貴方も飲む?」
「あ、どうも、いただきます」
勧められ、美鈴も聞きかじりの知識通り三度回してから飲んだ。茶自体は咲夜が手を尽くして見つけてきた上物なので、香り高く美味い――気分が落ち着いた。
ようやく笑顔を取り戻して人心地、美鈴は結局言えないままだった『お茶の席お決まりのご挨拶』をパチュリーに向けた。
「美味しいです。パチュリー様、結構な御手前で」
「御手前もなにも、何から何まで適当よ――だいたい、型に拘りすぎ。レミィはド素人以前に向いてないし、咲夜も所詮付け焼刃なんだから適当に抹茶ぶちこんで適当に出せばいいのに、全く」
減点方式の茶道なんて本末転倒なのよ――などと妙に含蓄のある台詞を吐いて、パチュリーは少し姿勢を崩した。本読みらしく、猫背気味なほうが楽なのだろう。
それに笑って同意する美鈴。
「そーですね、やっぱりお嬢様には向いてないですよ、茶道なんて……それを言っちゃうと実は咲夜さんにも、ですけど。ちょっと気を張りすぎてて、こっちが気を使っちゃうというか」
「咲夜のほうは本人がまったく楽しもうとしない時点で『茶の湯』に向いてない。骨の髄まで従者根性が身に付いてるからしょうがないかもしれないけど――まぁ、あんまり滅多なことを言うものじゃないわね。壁に耳あり障子に目あり、ギロチン台にブラッディメアリとも言う」
パチュリーはえらく適当なことを言って茶で口を湿らせ気分を改めると、ひっくり返った棗を調べてまだ食べられそうな茶菓子を物色し始めた。基本ローテンションのまま百年ぐらいを生きてきた魔女はどこまでもマイペースであり、ひ弱に見えるが精神的にタフである。
「干菓子は割れてるけど大体無事かしら。他は――金つばとフルーツゼリーが混ざってかなりの未来派スイーツ(笑)になってるわね。見た目からして水とグレムリン並みに駄目な取り合わせではあると思うけど捨てるのも勿体無いし、美鈴、試してみる――?」
そう言って振り返ったパチュリーが戦慄する。
ほとんど無意識に一歩後ずさったことで手が銅鑼にぶつかり(中華風で通常茶室に置いてあるものより明らかに大きい)静寂を切り裂く大仰な金属音が響き渡った。
「どうしましたパチュリーさま――」
そこまで呟いて美鈴が硬直した。茶碗が落ちる。
錆びた歯車が三歩進んで二歩下がるといったガチガチの動作で振り返る美鈴の目に、予想通りのものが飛び込んできた。
勿論、切り裂きジャックである。
「――なんとか機嫌を直してもらえたようです」
げえっ、咲夜!
パチュリーが叫んで暴れた。腕が頭が銅鑼に当たってジャーンジャーンと景気良く鳴る。
錯乱した美鈴が逃げようとしたが――逆手のワンアクション、計三本の投げナイフで服の裾を壁に縫いとめられた。超高速でナイフが突き立つ音は火薬の炸裂音じみている。しかもそれだけの大威力にも関わらず、咲夜は左手一本しか動かしていない。
最初の一投で完全に動きを封じられ、抵抗を止めたにもかかわらず利き手の三本が豪快なワインドアップから容赦なく全弾放たれ美鈴の頭に直撃した。峰打ちのつもりなのか当たったのは全て柄のほうだが、あまりの勢いで柄が見事に頭にめり込んで刺さっているので意味はあまりない。
何かの回路が致命的にショートしたのか、それともヤバめの秘孔にでも当たったのか、『か、かまくらー!』と意味も脈絡もないが単語にはなっている世紀末的な断末魔を上げて美鈴は撃沈。
真剣にヤバイと踏んだのか、パチュリーがわたわたとはいずりながら逃げ出そうとする。
「ドミネ・クオ・ヴァディス(どこへ行かれますか?)――逃げると、磔刑になりますよ?」
駄目だ逃げられない相手は『世界』だ、とパチュリーは一瞬で素早く判断。割腹するぐらいの覚悟を決めて正座、状況を大人しく受け入れることにした。
どうやら咲夜は咲夜でへそを曲げたレミリアと激しい戦いを繰り広げていたらしく、髪の色が抹茶と血の混じった濁った紫色に変色している。向き合うと非常に怖い。
「お嬢様は大変ご立腹でしたが、なんとか許してもらえました。幸いなことに、再度の稽古・茶会の開催にも前向きな返答をいただいています。プライドの高いお嬢様が他人に、しかも数少ない友人と一応は信頼している従者に笑われて尚、あの程度で矛を収めてくれたことはまさに僥倖でしょう」
この状況での言葉など、まともに頭へ入ってくるはずがない。
なにせパチュリーの視界の隅では、美鈴が血の海に沈みかなりヤバめな痙攣している。美鈴は色気も何もない潰れたカエルのような格好で生足剥き出しに倒れているが、前垂をナイフで縫いとめられているのでチャイナドレスの中はぎりぎり無事だ。ただし血はだくだく流れているので一応R指定ではある。
「あの敗北主義者がどうか致しましたか? 今はそれより重要な話がありますパチュリー様」
「――ええ、その通りね」
悪いけどアレみたいな醜態を晒すのだけは勘弁――パチュリーは胸中美鈴に詫びつつも、惨状を一切無視することにした。仕置きに異議を唱えるような真似をしてこれ以上咲夜の真剣を逆なですればどうなるか知れたものではない。
「なにはともあれ……それはなによりだったわね」
「はい」
パチュリーが生返事をすると咲夜は一つ頷き、そしてますます眼光を強くした。
「――ですが」
鋭すぎる視線に込められた殺気が物理現象レベルにまで上昇したのかなんなのか、何故か斬撃音が響く。
というか実際、ししおどしが鳴ると同時に背後の掛け軸が真っ二つに切れて落ちた。
「次はありません。もう一度同じことがあれば、お嬢様は『お茶』の単語にすら反応して憎しみと共に力の限り弾幕をぶつけるようになるでしょう」
気迫に押されパチュリーは無機質に何度も首肯。
恐るべきことに、咲夜は微笑みすら浮かべて言葉を続けた。狂気を象徴する血走った四白眼が弓形に細められる様はより一層の恐怖を煽る。
「たとえ何があろうとも、お嬢様がどんな失態を犯そうとも、笑ってもらっては困るのです。わかりますね? そのためにもパチュリー様と美鈴には事前講習を受けてもらうことになります――無論、拒否権はありません」
そして冒頭へ、である。
§ § §
――戦いは終わった。
咲夜は最後の最後まで手を緩めず、一生分のベタギャグと不条理ネタを詰め込んだ最悪の予行演習は結局狂気のハイペースを保ったままラストまで突き抜けた。
序盤から中盤にかけて2、3本のナイフを貰いそうになったものの、パチュリー・美鈴ともにありとあらゆる妨害工作に耐え抜いた。余りの追いつめられっぷりに、吊り橋効果でパチュリー×美鈴というかなりマイノリティなカップリングが成立しそうになったりもしたがなんとか両者五体精神貞操とも無事に生還した。
というか、何の脈絡もなく小悪魔&某氷精(菓子か何かに釣られてのゲスト出演だろう)があの日交わした約束は砕けて散った感じのポーズを取り小芝居付きでアイキャンフライと茶室を駆け抜けていったあたりからもう色々がどうでも良くなってどんなネタもスルーできるようになっていた。
お手本のようなゲシュタルト崩壊。
詰め込みすぎると笑えなくなる、という典型である。
咲夜から『お土産です』と渡された、段ボールに銀紙を張って作ったお遊戯会の手作り記念品(優秀メダル、と書いてあった)を首から下げたパチュリーと美鈴は、馬鹿コント用に魔改造された茶室を前に憔悴しきって立ち尽くしていた。
「……パチュリー様。これから、どうします?」
「鼻と頭がおかしくなるぐらいハーブ利かせたお湯に身体が溶けて同化しそうになるまで浸かったあと、セラーのお酒を度数の高い順にしこたま飲んで寝るわ……貴女も付き合う?」
「そうしたいのは山々ですけど、仕事サボるわけにも行かないですから……」
「わかったわ……本番は明日ね、乗り越えましょう」
手を打ち合わせ、握り合い、肩を抱き合って戦友二人は別れた。
振り返り歩み去るタイミングまでシンクロしている。どうでもいいが故に過酷極まりない試練を乗り越えた動かない大図書館と華人小娘は極めて限定的なシチュエーション下において強い絆で結ばれたのだ。
二人ならどんな苦難も乗り越えられないはずがない。
――そう思えたのだ。この時には。
§ § §
茶会の流れというのは面倒くさそうでいて意外と単純だったりもする。
型通りのやり取りに纏わる細かいことは見なかったことにしてスルーしてしまえば、抑えておくべきポイントは実はそれほど多くない――先日のレミリアのように素人が入れ知恵なしのぶっつけ本番でやればいくらなんでも無理だが。
加えて、控えの水屋にカンペ付きの咲夜を配置しておける状況なら、席が崩壊するほどの大失敗など本来起こすほうが難しいぐらいなもの。
誰でも直前に含まされた内容をそれっぽい顔でなぞるぐらいは出来る。この状況では逐一咲夜がレミリアを煽てつつ進行できるので、ストレス爆発の危険性が少ないのも好材料だろう。
対する客二人、パチュリー・美鈴のほうは、真面目腐った顔をして見物していればいいだけ。地獄の訓練キャンプにすら耐え抜いた今の二人に不可能なことではない――まあ、こういうものは事前に訓練してもどうなるものではないのかもしれないがそれはそれ。というか、ことあるごとに思い出し笑いが出てくる危険性を高めただけのような気がしないでもないしぶっちゃけ逆効果だろうが気にしたら負けだ。
ともあれ。
レミリアの機嫌直しというなんともはやな理由で再度開催された模擬茶会は現在、つつがなく進行していた。
前回は傍若無人に振舞っていたレミリアも、二の轍を踏むのは流石に嫌だったのかきちんとやっている。
それでいて決して頭の中でマニュアルを確認したりせず、手早く堂々と手前を披露してもいた。珍しく自信がいい方向に出ている例だった。
基本さえ押さえておけば一本芯の通った立ち振る舞いは絵になる。美鈴など素で感心しているぐらいだ。
そういった空気が前面に出ているのか、レミリアもえらく機嫌が良かった。目を閉じ、いかにも慣れてますといった風に澄ました顔で釜の音など聞いていたりする。余裕を出しすぎて釜がぐつぐつと煮立ってしまっているぐらいはまあ、ご愛嬌だろう。
やや長めの静寂。
美鈴が目配せを送ってきているのにパチュリーが気付いた。
このまま最後までいけそうですね、そう言いたげなほっとした微笑が口元にある。
パチュリーはそれを唇に指を当てて指摘。気付いた美鈴が眉を上げ、思わず照れ笑いし慌てて口元を押さえる――適度に百合度の高い和やかな雰囲気である。
すっかりリラックスした客二人を前に、レミリアは非常に調子よく振舞っていた。
自信たっぷりに口の端に笑みを載せ、どうだとばかりに目を伏せ澄まし顔を見せている。あまりに上機嫌で、今に鼻歌でも歌いだしてしまいそうだった。
そんな小柄な友人の、主人の姿をパチュリーと美鈴は微笑ましく見上げている――
――見上げている?
ただでさえ小柄なレミリアが背中を丸めて茶を点てているというのに?
茶室の空気が変わった。
戦場のそれに、だ。
背筋を伸ばして正座したパチュリーと美鈴(特に美鈴の身長はレミリアと頭二つは違う、座高ですら本来はほぼ頭一つ分高い)より高い位置にレミリアの横顔があった。
どう考えてもおかしい。
猛烈に嫌な予感を覚えて顔色を変えた二人の前で、レミリアの顔の位置はますます上に。
そこでようやく、二人は何が起こっているのかを理解した。
畳がゆっくりと持ち上がっている。
先日の馬鹿コントに用いられた舞台装置の一つだった。確か記憶に拠れば昨日はここから神にも悪魔にもなれる力を持った元祖スーパーロボットくろがねの城(のパチモノ)の販促ポップがせりあがってきた――予想通り出てきた。にわか作りの張りぼてがなんとも味のある壊れ方をして気の毒なことになっているのに危うく吹き出しかけ、美鈴が慌てて口元を押さえた。
誤作動? だけどタイミングが悪すぎる――
辺りを見回したパチュリーは、茶室の窓に絶望的なものを発見する。
その視線を追った美鈴も同様に絶句していた。
そこには。
悪魔の妹が、これ以上ないぐらい楽しそうに笑って手を振っていた。
犯人確定、Q・E・D。
状況は言うまでもなく最悪だった。鉄板◎、単勝元返しの死亡フラグである。
危うく卒倒しかけたパチュリーだったが、なんとか踏みとどまる。
状況を整理し、適切な対応を取れば最悪の事態は免れることが出来るはず――そこまで考えて、パチュリーは事の重大さにめまいを覚える。
どう転んでもろくでもないことになるのに決まっていた。もとより、この茶会においての禁忌は『レミリアは頑張っているので、笑ったり馬鹿にしたりして機嫌を損ねないようにしましょう』の一つだけ。その命題が根本から覆されているのはもはや明白だった。だいたい、禁忌、と名の付くスペルカードだけでも悪魔の妹ことフランドールは五枚持っている。そのどれもこれもがシューター泣かせの凶悪弾幕だ。
仮に事前に設定させていたルールを破ったとしても、レミリアが拗ねて怒るだけ。この場合まず咲夜が真っ先に罰を受け、その被害分が上乗せされてパチュリー・美鈴にお仕置きがスライドしてくることになる。方式としては、弱いものが夕暮れさらに弱いものを叩く形――そんなふうにしてブルースが加速しても二段ロケットでの限界値は第一宇宙速度を超えたりは流石にしない。具体的には死なない、骨の一本でも覚悟していればそれで大丈夫。最後の一線を越えないだけの分別が全員にあるからだ。
が、そこにフランドールが絡めば話は全く変わる。
ここでトラブルが起きた場合、そしてその犯人がフランドールであると知れた場合、レミリアの怒りはフランドールに向く。間違いなくそうなる。姉妹喧嘩は避けられない。
その結果がどうなるかは、もはや想像するだに恐ろしかった。闘争の初速が違いすぎる。
吸血鬼の恐ろしさ、鬼の名を冠する妖怪の恐ろしさは単純なパワーと破壊力にある。
レミリアは単純に素手で岩をも砕く馬鹿力だし、弾幕もとかく派手で周囲の迷惑を顧みないものが大半だ。
対するはあらゆるものを破壊する程度の能力を持つフランドール。物騒極まりない力だが、実際のところそんなものは大して足しにならない。だいたい吸血鬼が本気でぶん殴れば大抵どんなものでも、それこそ人でも物でも魔女でも妖怪でも為すすべなく壊れるのだから結果は同じ。四人に増えたり炎の剣を振り回したり姿を消して無差別爆撃されたりするよりも、誤爆や二次災害が出ず幾分ピンポイントなだけむしろ積極的に使ってもらったほうがまだマシだった。
フランドールは全く、綺麗さっぱり、清々しいほどに手加減が利かない。
レミリアも同様だ。相手に合わせてリミッターを天井知らずに外す。
だからこその、狂気。
だからこその、吸血鬼――鬼なのだ。力も思考も、狂っているからこその。
くるくるぱーとれみりあうー、吸血鬼姉妹の取り合わせはそれこそ最悪に近い。
そんな暴走姉妹がドッグファイト、あるいは取っ組み合いになったがなったが最後、舞首がごとく回転飛翔し、何もかもを破壊しながら転がり続けるだろう。そうなったらもう館の住人には誰にも止められず、巻き込まれたら本気で命が危ない。紅魔館炎上エンドは確定的だ。
そして、その致命的自体を逃れる唯一の道、理想郷への扉の鍵はフランドールに握られている。
得意絶頂のレミリアをこっそりからかい、最後まで気付かせないままフランドールが満足して大人しく引き上げる――針の穴を通すような可能性だが、それしかない。
つまり、これは。
ああ、そうなのだ――パチュリーと美鈴、二頭の贖罪羊はほぼ時を同じくして結論に辿りついた。
これは、絶対に笑ってはいけない茶席なのだ。
イニシアティブは茶室内の者にはない。
希望は頼りなく、儚く薄い。
なにしろ全ての鍵を握るフランドールが自らドッキリ大成功のプレートを片手に乱入してくる可能性はどう好意的に解釈しても五割を超えており、第一その前にレミリアが異常に気付かずスルーするという関門を潜り抜ける必要がある。
どうにもこうにも絶望的だった。
そこまで一瞬で考え、現実に戻ると――目の前ではいい感じに壊れてくたびれた張りぼてロボが腕をぷらぷらさせていた。かつてえーりんえーりんと呼ばれ一世を風靡したヒーロー召還の儀式だが、それで思兼神が起死回生の策を引っさげ助けに来てくれるわけもない。来られても困る。
さらに都合の悪いことに、状況を唯一打開できるであろう咲夜は完全に死角となる場所に引っ込んでしまっている。現状では全く当てにできない。
残る館の戦力は、図書館で多分呑気に寝ているだろう小悪魔、あとは指示なしでは役立たずの妖精メイド達――彼女らが万が一宇宙的使命に目覚めてフランドールを阻止せんと挑みかかったところで戦力比が圧倒的過ぎて話にもならない、アヒルボートで宇宙戦艦に立ち向かうようなものだ。
人事を尽くそうにも徒手空拳、もはや天命を待つほかない。
思わず笑ってしまう状況――だが笑うに笑えない。自嘲と諦観、それらを命惜しさにどうにか自制し歪ませた左右非対称の絶望感が両者それぞれの顔に刻まれていた。
――パチュリー様。もしこれが終わってもまだ命があったら、一緒にお酒でも飲みましょう。
――いや美鈴、そんなに死に急がないでいいから。
この期に及んで、アイコンタクトを用いてまで律儀に死亡フラグを立てる美鈴にパチュリーはある種の感動を隠せない。筋金入りの不幸体質、被害者ぶりだった。
とにもかくにも、パチュリーと美鈴は死んだ目で互いの幸運を祈りあった。
拷問開始。
平和な時間は彼方へ去り、笑ってはいけない茶席の幕が上がる。
茶室はいまや死地である。壁に挽肉ミンチマシーンが埋め込まれているぐらいのキルハウスだった――咲夜が監修した以上本当にそうなっていても全くおかしくないのが恐ろしいところ。二人の死刑囚に対する処刑は刻一刻と進行中だ。
結局天井すれすれまでリフトアップしたレミリアが全く気付かないまま元の位置まで降りてきて、得意満面に点てた茶を差し出してくる。
ただし、誰もいない正反対の壁に向かって。
畳自体が内蔵リフトで上昇下降しつつゆっくり180度回転していたのだ。小技が利いている。大道具担当、裏方に回った咲夜の仕事はやはり完璧だった――元に戻し忘れたという致命的な一点を除けば。
「――どうぞ、粗茶ですが」
それに全く気付かず、型通りとはいえ超が付くほどレアな敬語を使いお上品に振舞うレミリア。上機嫌にも程があった。
二人ともが返事をしたものかどうか迷う。方向逆だし。
なお、客側から見える壁には立体視でぬりかべっぽい顔が浮かぶようになっており、したがって絵面は得意満面にお澄まししたレミリアがアルカイックな慈愛をたたえ物言わぬぬりかべと差し向かい、というもの。これはこれで結構パンチのある一枚絵だった。
無言が、腹に堪える。
十秒ほども待ってようやく目を開いたレミリアは、一瞬素に戻って疑問符を頭の上に出してから誤魔化すように微笑み、逆方向へ向かって全く同じ動作をした。
無論まだまだ取り繕い優雅に、である。
ミス→何事もなかったように繰り返し、の二度ネタは基本である。胃に来る。
いきなりハイレベルでトラディショナルな舞台コントの入りになった。幻想の観客が立てる笑い声――コピー&ペーストした年配のお客さん分の多いアレが聞こえてきそうな様式美である。
状況が緊迫している状況下、緊張の揺り戻しで余計に笑いがこみ上げてくるというケースはある。不幸にも、この場合はまさにそれが当てはまった。
鋼鉄の自制心で自らを律したパチュリーは茶碗を受け取り、瞬きすらせず定められた動作だけを機械的にこなす。期せずして前日のトレーニングが役に立った形かもしれない――が、その本来余計なステップのために準備された茶室がこの致命的自体を引き起こしたとも言える。古人曰く、敵に渡すな大事なリモコン。
パチュリー、クリア。
にらめっこ的な笑いの暴発を防ぐため目を合わせず、茶碗を美鈴に回す。
美鈴もまた、恐ろしく堅い動作で茶碗を手にした。喜怒哀楽がオーバーフローし、パニックを起こしかけているのが一目でわかる表情と仕草だ。
「い、いただきます」
それでもなんとか美鈴は教科書通りに茶碗を回し――口を付けかけたところで気付く。
レミリアの後ろ。余裕を見せて微笑むレミリアのその後ろ。
なんか後ろにいる。
なんかというか明らかにフランドールがいる。具体的には満面の笑顔で、広めに作った窓から音もなく気配もなく茶室に進入しようとしている。思いっきり実力行使に出てきている。
手には何故かマジックハンド、それを使って味噌田楽を持っていた。多分あつあつ。湯気が立っている。
――ああ、おでんが無かったのかな?
理由も無く、何故か美鈴はそう思った。
他人事のように考えて美鈴は魂を遥か彼方に飛ばし――具体的には昭和五十年代の土曜ゴールデンタイムあたりにタイムトリップし――お茶の苦味でなんとかこの世に戻ってくる。
――それにしても、なんで妹様が田楽なんてレアなもの……ってまさか!?
紅魔館では珍しいこの手の和食。おそらくこれは茶会に使うことが予定されていたものなのだ。
それがフランドールの手にある、この事実から読み取れることは一つ。
水屋は、咲夜は既にフランドールに制圧されている。
本来茶会の全てをコントロールすべき司令塔は占拠され、既に無差別に悪ふざけと面白を提供するだけの魔窟と化しているのだ。
咲夜がこの状況を前に動かない時点で気付くべきだった。やや天然ボケの傾向があるにしろ、彼女は完全で瀟洒なメイドだ。主人の危機に際し、あらあらうふふと微笑んでいるだけの母性派タイプではないのである。キャラ的にも、サイズ的にも。いろいろと。
既に彼女は事態に気付き、巨大な敵に勇敢にも立ち向かい――敗北したのだ。
誰にも気付かれず、明日への可能性を繋ぐ声なき声を残してひっそりと。勇気ある敗北、立ち向かう意志(スタンド)を持つ者へと繋ぐシャボン玉のごとき華麗で儚き緋色の魂、真っ赤な誓い。
人はそれを――無茶振りと呼ぶ。
幾らなんでも無茶すぎる。
あくまで受身のまま吸血鬼に立ち向かって勝てというのか、理不尽な運命に精神論で打ち勝てと言うのか、前準備も一切無しに咲夜と一緒に『世界』に入門してまじかる☆咲夜ちゃんスターダストクルセイダースの一員にでもなれというのか。
美鈴は茶碗を回す方向をさかさまにするぐらい動揺した。
恐るべき事実を前にし完全に動きの止まった美鈴を不審がってか、レミリアが小首を傾げる。
その隙にフランドールは死ぬほど楽しそうな表情でマジックハンドを操作し、ゆっくりとあつあつおでん(の代用)をレミリアに近づける――あと50センチ、40センチ、30センチ……決壊が目に見えて近づく。ハチャメチャが押し寄せてくる。泣いてる場合でもないし、勿論笑ってる場合でもない。トラブルと遊べ? 無茶言うな。
破滅まであと5センチ。
びくり、と大きく震えた美鈴の視線を追って、レミリアが振り返る――茶室の空気が凍りついた。
だがそのときにはもうフランドールはすばやく窓の影に引っ込み、完璧に身を隠している。
「何してるの。冷めないうちに飲みなさい」
「は、はいっ! そうですよね!」
ターゲットであるレミリアだけが気付かない。
この一連こそが志村後ろと呼ばれる伝統芸能である。
これが最後まで、これが最期まで続くのだ。
そう考えただけでも気が遠くなる。
――そして、不幸なことにその予想はほぼ完璧に当たっていた。
フランドールは必要以上にギャグを詰め込む愚を犯さなかった。
盛り込んでくる小ネタはせいぜいがミイラ男のコスプレをしてくるぐらいのもの。
忍者屋敷を遥かに上回るコンシールメントを施された仕掛けの数々をフル活用し、ひとり蚊帳の外のレミリアをどれだけストーキングし、些細な悪戯をできるかの一点に全精力を注いでいた。
そして、その悪戯自体が恐ろしく下らない。
背中に『馬鹿』と書かれた紙を張るとか、こっそり茶碗を違うものに取り替えるとか、ピコピコハンマーで頭を叩こうとするとか、せいぜいがその程度のものだ。その上、全て未遂で終わらせている。ある意味レトロで牧歌的な悪戯なのだが、それがまな板の鯉である二人には逆につらい。
ただでさえ顔色の悪いパチュリーの顔色のRGBは目まぐるしくスライドし、美鈴に至っては感電でもしたかのごとく断続的にびくびくと震えている。
「表情が硬いわね。もう少しリラックスしたらどう?」
スカーレット姉妹の一挙手一投足に過剰反応を起こす美鈴とパチュリーをたしなめるレミリア。なんか忠誠を新たにしたくなるほどの慈愛に満ちた微笑だったりするのでより性質が悪い。
わかってやっているんじゃないのかと思いたくなるほど、レミリアには全く以って事態に気付く様子が無かった。
――ギャラリーとして関係ないところで見物できたら面白いんだろうな、これ。
何もかもを投げ出して逃げたくなる思いで、美鈴は胸中呟いた。
また音もなく、死角側からフランドールが茶室へ入ってくる。
美鈴もパチュリーも、もうどうにでもなれと半ば開き直り、何度目かになる闖入を緊張のあまり出てきた涙でぼやけた視線で眺めていた。
が、フランドールはそこでついに一線を踏み越えた。
棗をこっそり開け、菓子をつまみ食いし始めたのだ。
ドカ食いだった。口いっぱいに頬張り、幸せそうな笑顔さえ浮かべていた。
秘弾『そして誰もいなくなるか?』――茶菓子は一つも残らない。
「「――――!!?」」
とうとうあからさまな物的証拠を残す犯行を目の当たりにした二人は揃って絶句。
いくらなんでもこれは気付く。絶対に気付く。
結局フランドールはしてやったりと無言で高笑いし、また窓から逃げていった。
「さて、そろそろ」
そしてやっぱり気付かないままのレミリアが菓子を取り出そうと、棗を手にした。
手にしてしまった。
――ああ、これで終わった。
二人は絶望とすると同時、ある意味で安堵し脱力した。とにもかくにも、これで終わる。
レミリアがパンドラの箱に手を掛け、開く――
美鈴は意識が飛びかけているのを自覚し、夢想する。
頭の中で、幾つもの選択肢が浮かんで弾けた。
1、フランドールの『仲間外れで寂しかった』という台詞で和解、みんな揃って茶会のやり直しエンド。
2、復活した咲夜が時間を止め『YES,I AM!』と状況を一気に復帰させ、クールに決めるエンド。
3、どうにもならない、現実は非常である。(定番)
現実は非常である、という選択肢がもっとも真実性を帯びているのは確か。
ここまでお膳立てが整ってしまっていては、余程のご都合な超展開がない限り別の路線に持っていけるはずもない。多少の変化はあるだろうが、武装お仕置きエンドかその場でキレて大爆破エンドのどちらかという分岐は、ルート選択ではなく二択攻撃と呼ぶべきだ。プランB? ねえよそんなもん。
走馬灯にも似た思考の末、美鈴がいよいよもってどうしようもなくなり両手を合わせて何かに祈ったその瞬間――
大音声が、茶室を貫いた。
§ § §
「ご無事ですかお嬢様ッ! 先ほど妹様が――!!」
水屋から、何者かが完全武装の戦闘態勢で茶室に飛び込んできた。
何者か、とは言ってもその闖入者は奇襲を受けての気絶から目を覚ました十六夜咲夜その人以外であるはずもなく。
咲夜は無謀にもほどがある勢いのまま、物凄いパースをつけて茶室に躍り出――いつの間にか仕掛けられていたロープに引っかかって無様にずっこけた。それでもスカートの中を見せずに守りきったのがメイドとしての、彼女の最後の矜持だったのかもしれない。
ただそのためにバランスはさらに崩壊し、アクセルは加速した。
咲夜は勢いのまま茶釜と炉を引っ掛けて横転。芸術点の高い回転数と速度をキープしたまま、本人以外に人的被害を一切出さず茶道具一式を綺麗さっぱり破壊して壁に突っ込んだ。
瀟洒とは程遠い偶蹄目系の低く潰れた悲鳴を上げての大クラッシュ。
豪快な自爆、肉弾バウンス・ノーバウンスを暴発させ、Sアーマー(瀟洒アーマー)でもスペカ発動の無敵時間でもカバーできない特大ダメージを勝手に食らった咲夜は再び昏倒。頭に茶釜を被って湯気を出しているという完璧なまでののび方だった。
沈黙。
そして。
茶室内の誰もが状況を把握できないまま、コント用のシステムが一斉稼動した。
畳を持ち上げるリフトが作動し、掛け軸が落ち、花瓶からびっくり箱のバネ仕掛けが飛び出す。
天井から落ちてきたのはくす玉。
全体的に仕掛けが懐古主義に基づいているので、見た目がえらく派手だ。
茶室は一瞬にわかりやすい地獄絵図と化した。
ついには、仕上げとばかりに茶室の壁がプロの手並みで爆破され四方全部が外に向かって倒れる。
これぞ最大最後の大仕掛け、何もかもをうっちゃってコントにオチをつけるいわば切り札。80年代の大艦巨砲主義が生み出したお笑い舞台のモンスターだ。
勿論、外から丸見えになった四畳間を覗き込むは紅魔館総出の妖精メイド。単純に興味本位なのか、それとも脅しつけられてこの場に呼ばれたのかは定かでないがともかく観客の拍手に迎えられドッキリは大成功。ついでにどこからともなく飛来した金ダライがレミリアに命中、10割コンボ完遂でコントは完成した。
大成功。
オチはコント撤収の型を見事に踏襲していた。
崩壊した茶室ことコントのセットがノスタルジーすら醸し出す光景を前に、高らかに響く笑い声。
フランドールが腹を抱えて転がっている。咳き込むほどの大爆笑だった。
完璧だった。
完璧にぶち壊しだった。
取り繕おうとした努力も、当事者のプライドもなにもかもが木っ端微塵。これはこれでありとあらゆるものを破壊する程度の能力の一端とも言えなくもない。
「――なるほど。なるほどね」
レミリアは大きく二度頷くと、怒りに震える手で茶筅と茶碗を握り潰した。
壮絶な表情で、笑いすぎてほとんど痙攣しているフランドールに向き直る。
「なにか、なにか変だとは思っていたのよ。それも全部――あなたの仕業ね」
「そうよ? まさか今頃気付いたのお姉さま――澄ましちゃって、ああ可笑しい」
姉妹は明確過ぎる対決姿勢を示し、即座に行動を起こした。
「そうなの、じゃあ殺すわ」
「そんなの嫌、殺し返すわ」
交わした言葉はそれだけ。
あとに続くのは純然たる鬼の咆哮になる。
――それからの数十秒を、美鈴は未だに夢に見る。
レミリアが情け容赦なしの本気で攻撃して、フランドールがまじりっけなしの本気で迎撃した。
ラストワード級の大規模スペルが一山幾らの叩き売りで発動。
見栄えを度外視した歪で馬鹿でかい魔法陣がそのサイズに見合った極大の炸裂弾をのべつくまなしに吐き出す様は終末の煉獄を思わせるもの。更にはそれを迎え討たんと複層構造にリニューアルされた3D恋の迷路が空から降りそそぐ。
多段命中そして誘爆。
干渉共鳴した爆音は波形を狂わせ、物理的な衝撃すらを伴って空を劈く。空間そのものが軋んで爆ぜるかのような不協和音に殴りつけられた構造物がひしゃげ、爆心地に近いものはそれこそ見る間に、刃と貸した音の圧力に耐え切れるはずも無く破断した。
まるで死の壁のような大弾幕。だがそれすらを意にも介さず両者は高速回転しながら無差別飽和攻撃を正面突破。弾き散らされた大弾がピンボールのごとく敷地内を荒れ狂い危機的状況に追い討ちを掛けた。流れ弾を浴びた壁は飴細工のように溶け崩れ、ロールシャッハテストが出来そうなぐらい生々しく悪意に満ちたまだら模様を作り発火・破砕する。
無論そんなものには一切お構いなし、二匹の悪魔は気勢と奇声を上げてさらに闘争を加速させる。
互いの弾幕を蹴散らし飲み込み突撃した両者は亜音速で交錯、奇跡のトリプルクロスカウンターを完成させ姉妹仲良くぶっ飛んだ。
吹き飛び、時計塔と正門を大破させ、それでもまだまだ無傷で瓦礫の中から起き上がって両者共に再突撃。さらに押し合いへし合い、死と破壊を大盤振る舞いに振りまきながら手四つのストロングスタイルに取っ組み合う二大怪獣――
「バイキンよろしく増えるのが得意だったわねフラン――縦から割って、プラナリアみたいにしてあげるわ!」
「あはははははははははははははははははははは! そう言うお姉さまは何回壊れても大丈夫かなぁ!?」
ポケ○ンフラッシュもかくやという原色の閃光が炸裂する中で、姉妹はくんずほぐれつ入り乱れ神作画的な動きで絶好調に殴り合っていた。レミリアは異常進化をしたり恐竜帝国を滅ぼしたりしそうな緑色のオーラを発して輪郭と物理法則を歪ませているし、フランドールに至ってはなんかどさくさに紛れて六人ぐらいに増えている。
館が崩れる。燃えていく。
妖精メイドが片端から薙ぎ倒され、未だ気を失ったままの咲夜が茶室ごと地割れに飲まれ、真横に同じく呆然と立ち尽くしていたパチュリーが哀れにも流れ弾を食って天高く吹き飛ばされる中、美鈴の立ち位置だけが奇跡的に一時的な安地となっていた。
であるが故に、人知を超えた暴力の応酬がもたらす結果を、美鈴は独りひどく冷静に予測するに至る。
障子紙のように外壁を貫通され急速に崩壊しつつある紅魔館。
大炎上して物理的に赤味を強めた館をバックに、それぞれタイトルコールが入りそうな渾身のカッコイイ決めポーズを取り、持ちうる限りの最大火力をチャージする暴走吸血姉妹を眺めつつ――美鈴は状況をただ一言総括した。
「……だめだこりゃ」
大河のごとき超火力の正面衝突。
その結末は誰の目にも明らかだった。
灰は灰に、塵は塵に。
つまりは。
「次行ってみよう」
爆発オチだ。
終。
咲夜さんのでパッドとかあったけど……まあ、いい。
題とかは某アレを取ったのでしょうが、あまりにも笑えませんでしたよ。
何この時期的に狙いすましたかのようなネタはww作者絶対狙って投稿しただろwwww
ガキの使いと全員集合、平成と昭和のお笑いのフュージョンという偉業をまさか東方SSで目撃するとは思いませんでした
内容はつまらなくはなかったけれども、笑い所が無かったの一言
無論いい意味で。
笑うなってほうが無理だwwwwwwww
腹痛ぇw
年の瀬になんてものをwwwwwwwwwwwww
ここまで来るとこれさえも意図的なのかと疑ってしまうんですが、一応誤字報告を。
>強制不可能
矯正不可能
>現実は非常である
現実は非情である
――だと思いました。
良い意味で馬鹿すぎるwww
ドリフ直撃世代とかどう考えてもこの界隈少ないでしょうから厳しいですが。
どれでもない人やキャラ崩壊がダメな人は最初から切り捨ててる感があるので低評価も致し方なし。
逐一状況がありありと浮かんでしまう自分はコアヒットでした、完敗。
今年一年どうなっちまうんだろう…
作品に関しては、フランのキャラが個人的に好きになれなかった分を引いてこの点数。
ただ、お嬢様がわがままで、咲夜さんが忠義馬鹿。
めーりんは虐待受けてて、妹様は無邪気を通り越して無神経だとちょっとねー。
けど一体俺らの尻を誰が叩きに来るんだろう?w
フランなにやってんだよwwww
面白かったわ
一人でも笑わせたら勝ちですね。
オレ、アウトー
新年早々画面に向かって吹かせて頂きました。
ああ笑った笑った…w
ドリフ好きにはたまりませんねw
ラムは反則すぎるだろ咲夜さん…
ネタが地の文にまで余すところなく詰め込まれているのは見事ですが、ちょっとギャグのテンポが悪くなっているような気が。
しかし、ある意味季節物でよかったです。
過ぎた内輪ネタ
どれも安直で嫌いです。特に見るところのない作品でした。
ラムは凄すぎですよ咲夜さん
天丼系はきついっすよw
冷めてしまった。
逆にいじめを見ているみたいで可哀想な気分になってしまった。
一々情景が完全に頭に浮かびすぎる
笑えたし、これいいなぁ
あと誤字報告で一箇所だけ咲夜が昨夜になってますよ
妙なローテンションというか説明口調的な笑いが大好きなんです。
80年代お笑いが遺伝子に捻じ込まれた世代として、楽しませて頂きました。
【ケツバットされまくって座ることすら侭成らぬ尻を擦りつつ】
これは無理w笑うだろwww
私、アウトー
でもなんだかんだ面白かったかな
創想話作品はまだ1000作ぐらいしか読んでいませんが、その中で一番不条理ギャグが光っていた作品でした。
しかし、これはない、これはないよwww
この茶会という名の地獄に放り込まれたらマジで耐えられる気がしない。
美鈴とパチュリーが必死で笑いをこらえる姿も、元ネタ同様に笑いを誘ってくれました。
途中まではニヤニヤして読んだけど、後半つまんなすぎてオチも微妙だな。