――我が犯した罪悪と、彼の女が遺した呪いを、此処に記す。
◆
人生は短き春にして人は花と云ったものがある。無論書見という趣味が高じて覚えた言葉ではあるが、全くその通りだと僕は思った。僕からすれば短き春とは、どうしたって一年の中での春だけで、人生という儚い尺度からみた事を理解するのは難しいが、隣りに見知った顔の人間が立っていると、僕までもが人間になったような心持ちになって、短い春の中で永遠の花で居られたならどんなに好い事だろうかと考えていた。
「綺麗なものよね」
そうして僕が目の前に広がった風景に目を向ける事も忘れ、物思いに耽っているところで、唐突に僕の隣に立っていた楽園の巫女、博麗霊夢が声を掛けた。しかし当の本人に話しかけたという自覚は薄そうである。彼女は目の前の風景にすっかり目を奪われながら、恍惚とした表情をしている。その横顔が、幻想的な風景を背景に置く事によって、彼女の持つ儚さののようなものが一層強調されているような気がする。僕は気を取り直す為に眼鏡をかけ直した。
――春宵一刻値千金、そう評しても過言でないくらいに美しいその風景は、妖艶であり幻想的だった。青白い月が降ろす光が、周囲で瞬く星々の光などまるで意に介さず僕達を照らし出す中で、宵の色彩に好く映える桜が悠然と佇んでいる。逞しい幹は屈強な柱を思わせ、本来の桜色の花弁が青白い光に照らされて、ぼう、と暗闇の中に浮かび上がるようにしてそこに在るのは圧巻だった。
僕のような周りに頓着する事の少ない性格をしている者でも、その風光明媚な光景を目にしたのなら嘆息せずにはいられないに違いない。僕ですらそうだった。この光景を目にした時には、一瞬我さえ失ったのだから。
「ねえ霖之助さん。来てみて好かったでしょう」
「正直これほどまでとは思っていなかった」
「私の秘密の場所なのよ。霖之助さんには特別に教えてあげたんだから」
「随分と好い場所を独り占めしたものだ。まさか神社の裏の方にこんな場所があったとは」
僕達は博麗神社の母屋を裏手に回り、そこから森の中を暫く進んだ所で突如開けるこの広場に来ている。上空から見ればすぐに判りそうなものだが、春の宵に下から見上げる事によってこれほどまでに美しい光景になるとは誰も思いはしなかったに違いない。妖艶な雰囲気を醸すこの桜を見上げていると、僕は図らずもこの見事な景色を知らぬ者達全員に対して優越感を感じる事を禁じ得ない。それほどまでに、この景色は僕を魅了してしまったのである。
桜花爛漫たるその風景は何時までも僕を飽きさせなかった。恐らく霊夢も同様であった事だろう。咲き乱れた花は犇めき合う桜の木の梢から煙り、桜色の雪を見ているかのような錯覚に囚われてしまう、花弁の散る様子も全てが素晴らしいの一言に尽きる。純粋なる自然をこうして目にしたのは幾ら振りだったろう。僕は久し振りに素直な感動を感じた心持ちがした。そうして自慢げに胸を張ってみせている霊夢に一言お礼を述べた。
「さて、じゃあ一杯やりましょうか」
「一杯って、酒なんて持って来たのかい」
「ええ。だってこんなに美しいじゃない。飲まないと桜に失礼だわ」
「まあ、確かに肴には絶好の景色ではあるが」
霊夢は桜の梢が張り巡らす網を天井にして、その下に座った。夜露に濡れた草花は衣服を汚すとも限らないが、そんな事は何も気にしていないような風である。僕は霊夢の行動力に敬服すると同時に呆れも感じながら、隣りに腰かけた。じんわりと冷えて行く感触が下半身から伝わってくる。夜気を孕んだ風が、頬を撫でて行く。空気の澄んだ夜である。僕には時の流れが酷く速いように思われた。博麗神社までの道のりは永遠と続く旅路を歩き続けるが如く大変な作業であったが、此処に来てから呆けていた時間は一陣の風が吹き抜けるが如く速い。
「霖之助さんも飲みなさいよ。折角あるんだから」
「それじゃ貰うけど、酔い潰れて動けなくなったりしないでくれよ」
「そこまで無謀な飲み方なんてしないわ。何処ぞの鬼とは違うんだから」
「あれと比べても、元々の酒の強さが違うんだから、あまり意味がない」
確かに、と霊夢は云って笑っている。博麗神社に住み付いているも同然のあの鬼が此処に来ていたならば、さぞ浮かれていた事だろう。宴会好きな彼女と云えど、この風景には目を奪われ言葉を失うかも知れない。常時騒いで酒を飲んでいる彼女が、目も言葉も奪われてしまう姿を見てみたいと一瞬思ったが、霊夢曰く「私だけの秘密の場所」をわざわざ他の者に侵させるのも無粋だろうと思い直した。ところへ、霊夢が僕に手渡した猪口に酒を注ぐ。
透明な液体が注がれた猪口を、まずは上から見詰めてみると、僕の顔が空を背景に映っている。折角の満月は丁度頭に隠されてしまっている。頭を離してみると、そこには二つ目の満月が浮かび上がった。空に浮かんだ真実の満月と、酒に映った虚構の満月とが対になっている。僕は虚構の満月を一思いに飲み干した。
「そう云えば、桜の木の下には死体が眠っていると云うわよね」
「聞いた事はあるが、真偽を確かめた事はないね」
「霖之助さんはどちらだと思う? 私は埋まっていると思うけど」
「それはまた、どうして」
霊夢が突然そんな事を云い出すので、僕は一瞬答えに窮した。そこへ尋ね返してみたらそんな事を云ったので、僕は霊夢の考察を聞いてみる事にした。霊夢はこんな事を云う。
「だってその方が浪漫的じゃない。好くは判らないけど、もしも私が桜の木の下で死ねたら嬉しいもの」
「縁起でもない事を。僕は桜の下に死体が埋まっているだなんて考えた事もない」
「霖之助さんだって夢がないわ。人間の生気を根から吸い取っているから桜は綺麗なのよ」
「物騒な話だよ。桜の美しさは天から授かった生来のものさ」
死体の生命力を吸収して桜は美しく成長する。その論弁は僕の同意を誘ったが、僕の持論はそれとは程遠い。第一その理論は桜の美しさをある意味で貶めているようで好きになれない。その上霊夢が死ねたら、などという仮の話だとしても好くない冗談を云う物だから尚更そうである。夢がないと云われても一向に構わないけれども、死について語る事はそれ以上に夢がない。人間は生きている上で楽天的な思考を持つべきだ。ただでさえ儚い命なのだから。
「それもそれで素敵な推測だわ。霖之助さんってそういう事も云えるのね」
「失礼な事を云うな、君は。僕だって人並みの感想を抱く事ぐらいある」
「だって何時も仏頂面の朴念仁だもの。そう思ったって仕方ないわ」
「否定はしないが、肯定もしない。僕は意識してこんな性格を演じている訳じゃないんだから」
そうして僕らの話には一段落が付いた。霊夢は桜の木を見上げている。まるで桜自らが人間を死に誘うかのような妖しい魅力を放つ風景である。僕はこれを絵画で見たならきっとぞっとする恐怖を覚えたに違いない。何時だって美しさは何かしらの負の要素を孕んでいる。ただ美しいだけでは、素直な感慨も湧かないだろう。
――だが、僕が霊夢の横顔に特別な感動を覚えたのは、つまりそういう事かも知れない。霊夢には目前の桜と同様に、何か好くないものを孕んだ何かがある。それが人間故の儚さなのか、それとも霊夢が持つ別の何かか、確固たる確信は付かないが、とにかく僕はその横顔を見て美しいと感じた。そうして剣呑な雰囲気を感じたのである。
「私の顔に何か付いてるの?」
すると霊夢が僕の方へ向き直った。悪戯に微笑んで、楽しそうにしている。僕は何でもないと云って桜の木を見上げる。桜の花弁が幻想的な光景をちらつかせている。その中心に屹然と聳え立った逞しい幹は、不動の力を漲らせているように思われる。僕は猪口の中に新たに注がれている酒を一気に飲み干して、熱い息を吐き出した。ところへ霊夢が諧謔を弄する訳でもなく、また心凄しい様を表すでもなく、妙な事を呟いた。
「ねえ霖之助さん。もしも私が死んで、この桜の木の下で眠る事になったら、とても素敵だと思わない?」
さあ、と答えた僕の心境は何処か曖昧で、何にも付かない感情が錯綜する脳内は、混乱していた。結局是非も出せない。平生の僕が此処に居たのなら、きっと間髪入れずにそうかも知れないなどと云った事だろう。けれども今の僕は平生とは懸け離れていたようで、曖昧で形を持たない答えを呈する事しか出来なかった。
「きっと素敵よ。だから私が死んだ時には、この桜の木の下で眠らせてくれると嬉しいわ」
「約束は出来ないが、そんな先の話をしても仕方がない。第一暗くって駄目だ」
「暗くても好いのよ。何時かは来る事だわ」
こつん、と肩に何かが触れる。柔らかな感触がする。そうして花のような香しい石鹸の香りが鼻孔を擽った。そう云えば霊夢は風呂上がりだったろうかと思い出して、僕の肩に霊夢が寄りかかっている事を初めて自覚した。無理に横目で霊夢を見ようとすると、彼女は穏やかな表情で笑んでいる。しかし、僕はその顔に寂然たる何かを感じずには居られなかった。いっその事明るい話でもしてこの場の雰囲気を吹き飛ばそうと考えたが、そんな時に限って僕の舌は流暢に滑ってはくれない。甚だ迷惑な現象だ。そう思って、僕は忌々しげに桜を見上げる。
「――それに、こんなに綺麗な桜が私みたようじゃない」
面白い冗談だ、そう云うと霊夢は失礼ねと云って僕の頭を小突いた。桜色の雨が僕らに降り掛かる。決して忘れる事が出来ない光景だろう。あと数週が経過すれば儚く散ってしまうこの桜が、僕に忘れて欲しくないという願望を訴えているような心持ちがして、心に焼き付けて決して忘却の彼方に置き遣らないようにと誓いを立てた。
ある春宵の一時。僕はある種の離愁を感じながら、傾いて行く満月を見ては、肩にかかった髪を意識していた。
◆
ゆらゆらと陽炎が景色を滲ませる厳しい季節。作物には日照りを与える一方で太陽の恩恵を与え、人間や妖怪には耐え難い暑さと生きている実感を与えている。生命力に満ち溢れた青々と煙る草花は颯と吹く風に揺られ、ざわざわと騒いでいる。僕はそんな夏の声を聞きながら、一方で絶え間なく汗を滲ませてくる暑さに辟易しつつ、そんな夏の日を謳歌していた。書面には一滴二適と落ちる汗の玉がじわりと広がっている。とても耐えられたものじゃないと、僕は本を脇に置き、畳の上に寝転んで劣化の激しい天井の板を見上げて、溜息を一つ吐き出した。
こんな日は霊夢みたように昼寝に興じるのが定石かも知れない。そんな事を考えて目を瞑ると、途端に騒がしさを増す蝉時雨。聞いていて心地悪くはないが、昼寝に洒落込むには些か音量が大き過ぎる。その上猛暑に拍車をかけているようで、衣服の内に感じる汗の感触が酷く心地悪い。着替えを出そうかとも思ったが、それすら億劫で結局畳の上に身を横たえたまま呆けていた。じいじいと忙しなく鳴き続ける蝉の声が聞こえてくる。
「随分と怠惰な日常を過ごしているみたいね」
そこへそんな声が聞こえてきた。目の上に当てていた腕を退かして瞼を開くと、日に焼けそうになる視界の中には眩しい金色を赫奕として輝かせた大妖が微笑を湛えて、寝転がる僕を見下ろしていた。彼女は「この暑さじゃ堕落するのも仕方ない」と漏らした僕に呆れたような笑みを見せると、居間と土間との境に座って、そうねと云った。僕は変わらずそのままの体勢で、彼女の存在など気にせずにいた。その様子から察するに、特別な用事は無いようである。
「それにしても珍しいお客様が来たのに、店主がそれで好いのかしら」
「何かお求めの品でもお有りですか」
「特に無いけれど。私はただ遊びに来ただけ」
「商品を買わないというのならお客様ではない」
「それにしたって遊びにきた友人にお茶を出しても好いんじゃなくって」
「淹れるなら構わないさ。但し僕は動く気にならないと明言しておく」
そんな会話を交わすと、彼女はあははと笑った。似た者同士がこうも居るとはね、と云っている。何の事だと尋ねると、先刻博麗神社に行った時に、霊夢も同様に同じ事を云ったらしい。そう云われて、確かに霊夢なら僕のように過ごしているかも知れないと思った。すると面白い。彼女が熱さに唸りを上げながら寝転がっている様が容易に想像出来て、それが甚だ面白い。その様子と僕とを比べてみると、滑稽ですらある。
「そう云えば、新しい巫女の様子はどうだったんだい」
博麗神社には霊夢に代わる新たな巫女として修業を始めた少女が居る。霊夢とは似付かないくらい素直で健気な子である。僕も以前に面識があったが、とても妖怪と戦う責務を負うような人物には見えなかった。人里に居るような、極々平凡な少女だったのだ。そう思ったのは僕だけではないだろう。
その少女はある日霊夢が突然連れて来た。出生も素性も知れない相手だと、霊夢は云う。そうしてこんなにも早く次の博麗の巫女を育て始める意図が僕には判らない。それを尋ねても、霊夢は飄々としたまま碌な答えを返さない。唯一まともな答えだったのは、何となくという何とも彼女らしい答えだった。
「順調なんじゃないかしら。素質もあるようだし、次代に移るのもそう遠い事ではないかも知れないわ」
「へえ。唐突過ぎて初めは面食らったが、中々どうして霊夢には見る目があるんだね」
「……判っているんじゃないかしら。それとも疲れちゃったのかも知れないわね」
紫の言葉は好く判らない。迂遠な道のりを遥々辿り、散々低迷してから、漸く彼女の言葉はその本質を届ける。今回も例に漏れずそういう類の話し方である。物事の主題がすっかり放擲されていて、何を云いたいのか判然としない。それどころか進んで真実を伝えないようにしている。幻想郷を長らく見詰めてきた彼女にしか判らない事があるのかも知れないが、そこを気にする僕としては甚だ不十分な答えだった。
「疲れたって、何が。僕には何時も気楽そうに見える」
「間違っていないわ。実際霊夢は何時も呑気に暮らしているもの」
「なら、何を根拠に疲れただなんて云ったんだい」
「さあ。私の勘とでも云っておきましょうか」
紫に追及は無意味である。あるいは霊夢が紫には本当の所を話している上で、口止めをしているのかも知れない。どちらにしろこれ以上問い詰めたとて成果は上げられそうにない。彼女の口は軽いように見えて何処までも固い。そこに誓いが立てられているというのなら、決してそれが開く事はないだろう。
遂に僕は追及を諦めて、また天井を見上げた。くすんだ色が目立っている。もうこの店を建ててから随分と時間が経過したようである。それすらも生涯の中に於いて刹那でしかない僕達からすれば、そんな変化は茶が冷めるのと同様で、特別な感慨を与える事はない。もしも僕が人間だったなら、他に思う所があったのだろう。しかし如何せん僕らのような種族と人間には寿命に於いて決して埋まらない差がある。そうしてそれがある限り、人間の考えを僕が真に知る事はないのだろう。霊夢の考えが読めないのも、ひとえにそういう理由があるからなのかも知れない。
「それにしてもつれない人ね。こんな美人が来てるのに」
「誰の事を云ってるのか知らないが、僕はそんなに軽い男じゃないんだ」
唐突に話題を打ち切って何を云うのかと思えば、紫はそんなふざけた事を云った。彼女の言葉には勿論冗談の霧がかかっていたが、僕が減らず口を叩いていると、突然横たわっている僕の方へ近寄って来た。そうして何をするつもりなのかと思えば、いきなり僕の腹の上へ頭を置いて、下から覗き込んでくる。何をしたいのか問うと、返ってくるのは要領を得ない返事ばかりだった。
「何がしたいんだ、君は」
「手を出しても今なら叫ばないかも知れないわよ」
「君なら力で捩じ伏せてくるだろう」
「そうしないであげるのよ」
そうかいと返しても、そんな事をする訳がない。ただでさえこんな猛暑日なのに、擦り寄られては堪らないので、いい加減退いてくれと頼んだが、それもあの胡散臭い微笑の前に一蹴されてしまった。もうどうでも好くなって、僕はじりじりと窓から差し込んで僕を苛める日光を浴びながら、無心になって呆けていた。誰かにこれを見られる事があったなら、きっと不審に思う光景なのだろう。寝そべる男を枕にする女。これほど妙な構図もそうはあるまい。
彼女は先刻から僕の腹の上で僕を見詰めている。その視線に込められているのは恋慕などという甘い響きを伴ったものでない事は明白である。けれども、そうでなければその瞳に込められている意味が、僕には判らなかった。ただからかっているだけにも見えれば、何か打算のようなものがあってそうしているようにも見える。どちらにしろ暑苦しいのは変わらない。僕はそろそろ退かそうと畳の上に投げ出した腕を動かそうとした。
「随分と暑苦しい格好じゃない、二人とも」
そう声を掛けたのは、妙な構図で寝転がる僕らを見下ろす霊夢だった。見ると顔を顰めて呆れている。なるほど呆れられるのも無理はないと思うが、その言葉に含まれた確かなる怒気が何だか気になった。本気で怒っているようには見えないが、霊夢の考えている所を当てるのは、僕には出来ないようである。
「あら御機嫌よう。神社で昼寝してたんじゃなかったのかしら」
「あんたが来て目が冴えちゃったわよ。暇になって此処に来てみれば、これだし」
「大人の営みよ。貴方にはまだ早いわ」
「何が大人の営みよ。暑苦しい格好をしているだけじゃない」
そう云いながら、霊夢は居間へ上がり込んで、食机の前へ席を取る。そうして冷めたお茶を見下ろしながら深い溜息を吐いた。艶のある黒髪が陽光に照らされ、僕の腹に掛かっている黄金の髪の毛に負けずとも劣らない輝きを放っている。僕はとうとうこの悪戯に終止符を打つべく、寝転がっていた身体を起こして、無理やり腹を枕にする紫を退かした。彼女は不服そうな顔をするでもなく、笑いながら「あら残念」などと云っている。まるで何をしたいのかが見えてこない。
「僕だって迷惑さ。退かすのも面倒だったくらいだ」
「その割には喜んでいるように見えたけど」
僕の言葉が弁解染みていた所為か、不機嫌そうな霊夢の言葉が耳に痛い。実際拒む行動をこれまで取らなかった僕も馬鹿馬鹿しかったのかも知れないが、元凶が全て僕の隣でにやにやと意地悪く笑んでいる紫にあると思うと、何だか腹が立つ。何故此処で、僕が責められなければならないのだろうか。
「――で、何でこんな事をしてたんだい」
そう問うと、紫は更に意地悪く口端を吊り上げる。楽しくて堪らないというような調子である。
「胡散臭い隙間妖怪は、お節介が好きなのよ」
「何がお節介なんだか。そんなだから胡散臭いって云われるのよ」
意味有りげに云った紫の言葉に、霊夢がすかさず口を出す。紫はただ笑っているだけである。霊夢の不機嫌はそのままだった。僕だけが蚊帳の外に取り残されたようで、二人は見詰め合っている。――霊夢の視線は鋭い。敵を威嚇しているような厳しい目付きである。紫はわざとらしく「怖い怖い」と云って、立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ帰ろうかしら。怖い巫女さんが来てしまった事だし」
「何が怖い、よ。それならあんたの方がどれだけ怖いのか判りやしない」
そんな事を云って、霊夢は早く帰れと手で示している。追い遣られている紫は、あははと笑いながら目の前に開いた隙間に踏み込んだ。そうして最後に「ごゆっくり」などと云って立ち去ったので、何を我が物顔に、と思ったが、それを指摘する気もなかったのでそのままにしておいた。やがて一人が減った室内は静寂に包まれて、絶え間なく鳴り響く蝉時雨と、木々の梢が擦れる音だけが沈黙を支配していた。僕は元より、霊夢も何も云わなかった。
世界はただ静かである。二人だけこの場に取り残された心持ちがする。そうして心地好い。ただ堕落した時間を過ごすだけだった僕には僥倖である。
「全く。霖之助さんも少しは嫌がれば好いのに」
それまで何も云わなかった霊夢は、今になってそんな事を云った。僕としては充分に嫌がっていたつもりだったが、どうやらそれは伝わらなかったようで、霊夢の表情は未だに不機嫌である。何に対して怒っているのかも判らなかったが、癇癪を起こさせて、また店の商品が減るのも好ましくない。僕は努めて彼女の機嫌を直す為の話をしなければならなかった。けれども、それをどういう風にして伝えれば好いのか、とんと判らなかった。
そうなると、霊夢が僕をよく朴念仁だと評するのにも納得出来る気がする。詰まる所霊夢の望む答えを返す事が出来ないからなのだろう。現に今でも僕は答えに窮している。そういう所が、彼女に不愉快の感を与えるのかも知れない。
「一応は嫌がっていたつもりだが、どうもそういう風には見えないらしい」
「それどころか受け入れているように見えたわ」
「何をするのも億劫だったんだ。それくらいは仕方ない」
霊夢は頬を少しだけ膨らませている。どうやら怒りも収まったようで、そこには可愛らしい愛嬌がある。僕が一言謝って見せると、今度は「まあ許してあげるわ」と云って笑った。彼女らしい笑みである。何処か悪戯めいていて、しかし安らぐ心地になる。これが彼女の不思議な魅力の一つなのだろうと僕は解釈した。
夏は日が落ちるのが酷く遅い。空には未だ白い光をちらつかせる太陽が燃え滾っている。蝉時雨とて、その勢いが衰退する事はなく、盛んなまま騒がしく鳴いている。そんな夏の日の中、僕達は何をするでもなく、霊夢は座り、僕は寝転がっている。たまにはこんな生活を送るのも好いかも知れないと、そう思った。
「そういえば、君もこの炎天下の中、幾ら暇だったとはいえ好く此処に来る気になったね」
ふと気になった事だった。何もしていない口が、好奇心に任せたまま紡いだ言葉である。ほとんどが意識の外にあって、大した重要性を秘めていない。それなのに霊夢の方を見遣れば、彼女は心持ち頬を赤らめて、机の上に頬杖をして、わざとらしく窓の外を眺めていた。光の加減だろうか、彼女が頬を染める所など珍しい。
霊夢は暫くの間何も云わずにいた。それだから僕も先の質問に対する答えを期待するのは止めて、また時がただ過ぎ行くのを見詰めているだけだった。そんなところへ、霊夢は唐突に質問の答えを返す。
「誰かさんのお節介の所為かもね」
如何なるお節介を焼かれたのか、不機嫌そうな彼女の声は紫への不満を露わにしている。大方何事かをからかわれたのだろう。そうして紫の思惑通りに自分が行動した事に腹を立てているのかも知れない。すると何故霊夢がこの香霖堂へ赴かねばならない必要性を感じるのを余儀なくされた理由が判らない。今になって先刻紫が云った「お節介」が気になりだした。けれどもそれを聞いても、霊夢は「霖之助さんには関係ないわ」と云って取り合ってくれなかった。
「霖之助さん、お茶が飲みたいわ。麦茶の、好く冷えたのを」
見ると霊夢はにやにやと笑いながら僕を見ている。仕方がないと、僕は心中に嘆息を零しつつも、不承不承とした態度のまま横たえていた身体を起こして、こう尋ねた。
「君はお客さんだったかい」
甚だ可笑しい問いである。そう云う僕でさえ口端に浮かぶ笑みを隠せなかった。霊夢は楽しそうに笑って、「お客さんじゃなかったらお友達かしら」と云う。そうして客でも友達でも、お茶を出すものよねと付け加えて、早くと僕を急かした。――夏は日が落ちるのが酷く遅い。蒸し暑く身体に纏わり付くような暑さが、涼しげな虫の音と共に薄れるのはまだ当分先の事である。しかしその猛暑も、絶え間ない蝉の鳴き声も、今の時節の趣を凝らしているようで、ちっとも煩わしくはなかった。縁側の方で、風鈴がちりんと鳴っている。
◆
稔の秋。読書の秋。芸術の秋。そんな風に謳われる季節が今年もやってきた。夏の容赦ない陽射しは漸く涼しげなものへと移り、山の方では豊作との報せが時折僕の耳へも届いてくる。今宵は雲一つ無い空に丸い月が見事に浮かぶ十五夜の日、僕はそんな空の下で湯呑を片手に読書を嗜んでいる。鬱陶しい蚊も何処かへ消えて、蟋蟀や蟋蟀の歌声が澄んだ音色を夜半に響かせる時分、こうして一人洒落た読書も悪くないと思いながら、手製の月見団子を一つ頬張り、お茶を飲む。そうして傍に置いた提灯の光を頼りに、紙面の上に羅列されている文字へと目を通して行く。
人里も遠く、たまの買い出しも一苦労する場所に建てた店の界隈は何処までも静かだった。喧騒は一切なく、それどころか虫達の歌声以外に耳を擽る音は何もない。こんな時ばかりは、客が滅多に来なくとも、こんな場所へ店を建てたのも好く思えてくる。僕は一人賞賛の言葉を自分に送りながら、初秋を楽しんでいた。短くすぐに去っていくこの季節は、今という時を楽しまなくては大損である。来年にこの楽しみを持ち越すには、幾ら時間が有り余った僕の立場であれ、経過しなくてはならない時間が長過ぎる。冷やかな風に頬を冷やされながら、頭の中に広がるのは広大な本の世界だった。
博麗神社に関する噂が頻りに届くようになったのは、夏が終わりへ向かい始め、段々と夜の侵略が始まった頃である。そういう話を僕へ届けるのは決まって紫か魔理沙だった。彼女らは香霖堂へ訪ねてくる度に、博麗神社がどういう変化を遂げたか、また霊夢はどうなったか、などの話をして行く。僕はそれを聞きながら、たまには自分の足で博麗神社へ行ってみた方が好いかも知れないなどと考える。僕の時間的概念を人間のそれと混同しては、何時の間にか何年という月日が経っていたなどという冗談にもならない事象が起こり得てしまうかも知れないからだ。
しかし、そういう事を考えると、決まって霊夢から僕の所へ訪ねてくるので、遂に僕はここ数か月というもの、自身の足で博麗神社への道のりを辿った事はない。語られる言葉のみで、神社の様相を想像するばかりなのである。
「……」
ふと空を見上げてみれば、見事に晴れた空には星々が煌めいている。その中心に浮かぶ見事な満月は、その存在を誇張するかのように輝かしい光を、大地を這う生物全てに向けて投げ掛けている。唐突に、女心と秋の空という諺が頭の中に蘇った。何とも上手い表現でいて、的を射たその諺は、僕の中では一人の女性を対象として浮かび上がる。まるでこの秋の空のようではないか。彼女はそういう印象を与える女性だったけれども、この秋の空のように激しい変化を見せる訳ではない。晴々とした日に唐突に降り出す驟雨のような変化ではなく、どちらかと云えば木々の葉が赤く色付いて行くように、緩慢な変化の方が適切なようである。そうして気付けば赤く染まっているというように、歴然でありながらその変化を容易に悟らせない。それだから、彼女に大きな変化が表れたとして、僕がそれに気付くのは大変遅いのである。
そんな事はもう何度もあった。彼女と共に過ごしてきた星霜を数えるのは容易い。そうして先の変化を僕が確かに感じた瞬間を数えるのも容易い。それなのに思い出すのが難儀であるのは、彼女の上に現れた変化を言葉として表すには、適当な表現が見付からないからに他ならない。何時でも霊夢の変化は、雲が懸かった時のように不明瞭なのだ。
丁度そんな事を考えていた時、天駆ける流星が一閃、銀河の海より海へ流れ行った。そうして吹き荒ぶ烈風の如き勢いで、静寂なる僕の居場所へと、霧雨魔理沙が姿を現す。彼女は金色に輝くその髪を靡かせながら僕の前へ立ち、片手を上げて挨拶をすると、堂々としながら僕の隣へ席を取る。あまりにも突然な登場には、既に慣れてしまっている。最早日常茶飯事と云って差し支えないくらいである。魔理沙は勝手に団子を一つ頬張った。
「秋の夜長に読書と月見なんて、贅沢な事をしてるじゃないか」
「おまけに静けさまで備わっていたが、たった今その興が削がれた所だよ」
「はは、まあそう云うな。五月蠅い方が楽しい事だってある。宴会なんてその最たるものだぜ」
「僕が宴会を楽しむ性格だと云うのなら、君には僕との付き合いが何年あるかもう一度計算して貰いたい」
魔理沙は平生と変わらない。けれども霊夢とはまた違った気楽な様子で笑う。この微妙な差異を読み取る事が出来るのは、ひとえに彼女ら二人との付き合いが長いからなのだろう。魔理沙はにやりと笑いながら、僕をからかおうとする。
「そんな事を云って、何時も楽しんでいるだろ。――誰かさんの隣で」
紙面の上に始終落とされていた視線はそれで別の方向へと向き直る。そうして僕は、遂に手元の本を脇へと置いた。誰かしらが来ればこれはもう通例である。集中力を欠いた状態で読書をしても、読んでいる事には到底ならない。であれば一思いに諦めた方が得策なのは云わずとも知れている。僕は読書を諦める一方で、その集中力を月見と、その肴には充分である会話に回す事にした。それが動揺であったのかは、筆者の現在を鑑みるに疑いようもない真実であった事だろう。
「何を云いたいのか、纏めてから話してくれないと、僕には毛頭判らない問題だ」
「そういう反応が見ていて面白いんだ。香霖も、誰かさんも」
呆れたように首を振る。それはある種の言訳だったのかも知れない。少なくとも、魔理沙にはそう捉えられたようで、彼女は得意の意地悪い笑みを浮かべながら、また団子を一つ口の中へ放り込む。最後の一つはそうして消える。団子が重ねられていた食器には、月の明かりだけが落ちている。僕は溜息を一つ零して魔理沙を見遣った。
「一体今日はどんな用件で来たんだい。まさか団子を食べるだけとは云うまい」
「勿論他の用事があってだ。団子はそのついで」
「僕としては傍迷惑な話さ。それで、用事ってなんだい」
魔理沙は一度息を吸って、何だかよく判らない事を流暢に喋り出す。
「秋の夜半に出張運送業、彗星の如くご所望の品を貴方にお届け! と云えば霧雨魔理沙だぜ」
「何時から君はそんな職に就いたんだ。で、何か僕宛てに届け物でも?」
「いや、私は頼まれた品を受け取りに来ただけだ」
「何で僕が。別段頼まれた品なんてないが」
「急遽入った依頼だからな。まあそんなのはどうでも好いんだ。早く乗れ」
魔理沙はもう縁側を離れて箒に跨っている。そうして、親指で自分の後ろを示している。云わんとしている事は嫌でも判るが、何故僕が彼女の云う「届け物」にならなければならないのかが判らない。第一僕は物ではない。その上依頼主というのが明かされておらず、そこを明確にされない以上は魔理沙の遊びに付き合うのは憚られた。
「乗れって、依頼主は」
「届けられてからのお楽しみだ」
「それなら遠慮しておこう。途中で箒から落ちるとも限らない」
「霧雨運送の信頼度は確かだぜ。物の損傷は決してしない」
「そもそも僕は物じゃない。生き物だ。届け物として扱われる意味が判らない」
「ああ、もう、ぐだぐだと。さっさと乗れってば」
頑なな僕に遂に痺れを切らしたのか、魔理沙は僕の方へ近寄ると強引に腕を取って、無理やり箒の柄の上へ座らせた。初めから抵抗は無意味なものだとは思ったが、これでは頑固なのがどちらなのか判らない。少なくとも、こうして箒に乗るのを強要されて、しかし諦めてそれに甘んじている僕の方がまだ寛容な人格を持っていると思う。しかし、そんな指摘も魔理沙には何の痛痒も与えないのだろう。――そうこうする内に、僕の足は大地から離れていた。
◆
まだ初秋の過ごし易い夜とはいえ、空気を裂き、風を切る音が轟音と化す恐るべき速度で飛べば寒くもなる。僕が博麗神社――その上長い階段の一番下へと降ろされた時には、歯ががちがちと音を出すほどに身体が冷えていた。対する魔理沙は平然とした表情で、鍛えてないからそうなると云っている。外見からでは判らないが、着ている服の内に暖かな防寒具があるのなら、その指摘は見当違いである。けれどもそれを指摘すれば話がややこしくなるのは目に見えているので、敢えて僕は何を云う事もなく、また屈強な肉体を持っている自覚も無かったので、嘆息するしかなかった。
それにしても、わざわざこの階段の一番下に降ろして行くのは虐めが過ぎる。僕みたような虚弱な者は、これを登るのにさえ足の疲れを極限まで溜める。それを判っていながら此処に降ろしたというのなら、笑顔で「頑張れよ」と意味不明な事を別れの言句にして去った魔理沙を恨むなという方が無理な話である。
が、そういう不満を此処でつらつらと述べていても何も始まらない。僕は彼女の為に何度吐かされた事か判らない溜息を再び落し、一段目の階段に足を掛ける。上を見れば延々と続く石段が僕を嘲弄するように聳えている。今夜の筋肉痛は覚悟せねばなるまい。そんな事を思いながら、博麗神社へと続く階段を登って行った。
「全く、何で僕がこんな目に」
そう零した時に、僕は漸く博麗神社の全貌を捉えられる位置に立つ事が出来た。背後を振り返れば、星々の海が頻りに瞬いている。眼下に眺望する事の出来る幻想郷の様子は静まり返り、遠方に認められる人里の家々には明かりが灯って、空を見上げても、大地を見下ろしても、同様に星が輝いているようである。その中で明らかなる違いは、大きな満月があるかないかのみだった。僕はそんな光景を背に、神社の母屋の方へと足を進める。
境内の丸石を踏みながら先へと進むと、やがて少女と判じた方が適切な影が見えた。明るい月光のお陰で明確になるその姿を、僕が久方振りに目にした博麗神社の後継の姿なのだろうと推測するには然したるほどの時間を要さなかった。何故ならその少女が身に纏うのは見慣れた紅白の巫女装束である。忘れようとしても忘れられないその色彩は、薄闇の領する境内の中でも一際存在感を放っている。
「やあ、今晩は。遅くにすまないね。訳も判らないまま連れて来られたんだが」
そう声をかけると、初めて少女の顔は僕へ向いた。薄闇の中では判然とした表情を認める事は出来なかったが、それでも僕の方へ静々と歩んできた彼女には、既に毅然とした態度が備わっている。幻想郷を守る存在として弱さを見せては行けないのだろう。前に僕がこの少女を見た時には、始終怯えていて、話しかければ肩が跳ね上がるくらいだったのだから。後継ぎはすくすくと成長している。その事実を目にして、僕は不安と安堵とを同時に感じた。
「今晩は。その節は、実は私の申し出によるものなんです。迷惑を被らせてしまって申し訳ありません。魔理沙さんが快く引き受けてくれて、つい調子に乗ってしまいました」
そう云って少女は恭しく礼をして見せる。凡そ霊夢の修行を受けているとは思えぬほどに礼儀正しい。霊夢みたような性格をしている者を師匠として高じたのなら、礼儀など後回しどころか覚えなくとも構わないという風になりそうに思われたので、殊更意外に感じられた。まだ小さな巫女は、そうして母屋の方へと僕を招く。しかし自分は境内で立ったままである。君も来れば好いと云うと、「私なぞは邪魔な存在ですから」と穏やかに笑みながら云われた。
どうやらある種の性格は継がれているらしい。霊夢が人をからかう姿に好く似ている。僕は軽く笑って「迷惑かけるね」と云い残して、母屋の方へと歩を進めた。背後から少女の「ごゆるりと」という声に苦笑を洩らしながら。
天には満月、地に月見。今宵必要な趣は既にして凝らされている。淋しい夜半に好い伴侶とは贅沢な願望であるけれども、僕にとってはそんな事は些細な問題である。僕が母屋の縁側へ辿り着くと、そこには一人お茶を啜りながら呆けている霊夢がいた。目線は夜空へと投げられている。虚空を彷徨う瞳がやがて星々を明らかに認め、そういう過程を経てから満月へと至るまでが僕には判別出来た。この薄闇の中でも、彼女の眼球の運動が認められたのは、あるいは奇跡だったに違いない。――彼女の目は、満月より下に落ちると、次いで僕を捉える。僕は軽く手を上げて会釈した。
「こんな遅くにどうしたの。霖之助さんはお店に居るものだと思っていたけど」
「お節介焼き二人に見舞われてね。――どんなお節介を受けたのだか判らないが」
「随分ね。霖之助さんってやっぱり鈍感だわ。私はもう何年も前から気付いているもの」
「それなら是非に講釈を授かりたいものだね。僕には皆目見当も付きやしない」
冗談めかしてはぐらかせば、「馬鹿ね」という霊夢の声がする。僕は「そうかも知れない」と曖昧な返事を寄越して霊夢の隣に席を取る。僕らを隔てる月見団子は山のように積み重なり、その頂きが欠けている。大方霊夢が食べた次第だろう。その予測は間違ってはいないらしく、彼女はまた団子の山から一つ取り口に含んだ。もぐもぐと動く頬が、何とも子供らしい。それを指摘すると、霊夢は「子供じゃないわ」とそっぽを向いた。
「僕からすれば子供さ。魔理沙も君も。境遇は子供とは程遠いがね」
「失礼な事云うわ。女性に向かって子供だなんて、霖之助さんたらきっと常識を知らないのね」
「君達よりかは弁えている。少なくとも店の商品を勝手に持ち去ったりはしないから」
「それにしたって失礼よ。私はもう大人なんだから」
そういう糊塗が、殊更に子供らしい稚気を醸しているという事に、彼女は気付いていないのだろうか。あるいは気付いている上でそういう振る舞いを見せているのかも知れないけれども、僕が見る霊夢の拗ねた表情は、僕の批評を受けて明らかに不機嫌になっている。わざわざこんな表情を作れるようになれたと云うのなら、成程彼女はもう大人かも知れない。そういう老猾さは子供の内は、純粋なる心の内へと隠れているからだ。
ともかく、霊夢を不機嫌なままにしておくのは僕に分が悪い。後に「子供だもの」とこの話題を引っ張り出しながら、店の商品を次々と盗って行くかも判らない。僕は「でも」と云って言葉を続ける。
「まあ、そうだね。大人寂びた色艶がないと云えば嘘になる」
「何だか、それってはしたない表現だと思わない?」
「君がはしたないだなんて言葉使う方が妙だと思うな」
「そうかも知れないけど、――有難う」
淡く染まった頬は嬌羞の情を孕んでいるように思われる。しかしその自覚がない為に、自らが発する艶めかしい雰囲気に気付いていない。霊夢の無意識にはほとほと困却させられる。涼しげな風の吹く夜半、二人のみを世界に置いた静寂が立ち込める空間で、その無意識を出されれば僕は殉情を抑えるのに心血を注ぐようになる。けれどもその状態が表面に微塵も現れたりはしないから、誰も気付かぬまま、僕の内に広がり始めるこの感情の揺らぎを知る者は居ない。
霊夢が何処からか出した酒を一口喉へ通す。そうしてまた一口、二口と続ければ猪口の中より酒は消え失せて、それを見た霊夢が新たな酒を更に注ぐ。そうしてまた一口、二口と流し込み、僕らは賦活された酔いを醒まそうなどと毛頭思わず、陶然たる心持ちの中で、淫蕩なる世界へと溺れ行く。
「どうにも、月が綺麗で参る。魔杖を振られた気分だ。いっそ石になりたいくらいに」
「石になられたら困るわ。こんな所に霖之助さんの石像が何時までもあるだなんて、まるで生活を監視されているようで心苦しいもの。――ねえ、だから私が治してあげるわ。きっと簡単よ」
悪魔の微笑み。否それは天使であるのかも知れない。霊夢の笑みはそういう類のものである。全く僕の予想の範疇内より逸脱している。それだから、赤らんだ頬に手を当てて、凄艶さを増す熱い吐息が小さな唇より流れ出ると、僕はいよいよ月の魔力に中てられたかのように、頭の中が微醺に微睡む心地になる。彼女の酔眼とて同じ事である。僕らの瞳は一様にしてある種の湿り気を帯びているに違いない。掛けている眼鏡を外して全てが朧な世界に入り込めれば、どれだけ楽だったろう。そんな考えても仕様のない事が、つらつらと頭の中を駆け巡っている。
僕は何を云ったろう。そうしてこれまでにどれだけの時間が経っている事だろう。月見団子の傍らに、一つの徳利と二つの猪口が鎮座している。透き通った酒の中に浮かぶ満月が、僕の目を眩ませる。最早酔いに酔った覚束ない脳では思慮すらままならず、それは霊夢とて同じようで、これまたとろりと淫気を醸すその姿に、心を穿たれる心持ちになる。十五夜の満月に催された二人きりの宴会で、飲み物がお茶より酒へ移り変わるのは至極当然だった。
「……」
霊夢の言明を避けると云うなら、僕は即座に大地に足を付き、立ち上がらねばならない。けれども、――ああ、そんな理由は何処にも無く。彼女の行動を黙許して、僕はきっと二人とも酔っているのだと心中に零す。熱い吐息は唇に懸かり、添えられた手はひやりと体温を和らげ、交わる薄影は紛れもなく僕らのものだった。「ねえ、治ったでしょう」という霊夢の言葉。「危うく石像になり掛けた」と僕の言葉。軽く笑って流せば平生の僕らはそこに居る。しかし明白となった僕らの間の変貌は隠し通す事も出来ず、――つい博麗の跡継ぎの「ごゆるりと」という言葉が頭に浮かんだ。
「いやいや、何を馬鹿みた事を」
「何が馬鹿みた事なの?」
知らず口を出た言葉を掻き消すには、あまりにも霊夢の瞳に宿る好奇の光は強大過ぎた。まるで真実を云わねば許さないと恫喝されているかのように、彼女の瞳は僕へ訴えかける。けれども云えるはずがない。一時の気の迷いで起こり得る過ちを彼女の元にもたらすなどと、僕にする事は出来ないのである。それだから、僕は素直に云うしかない。出来る限り霧に紛れさせた、虚飾に近い真実を伝えねばならない。それでも霊夢は、きっと納得しないだろう。
「馬鹿な事を考えたのさ。聞きたいなら、石破天驚を覚悟してくれ」
「それじゃ云ってみて。何もそこまで驚く事じゃないんでしょう」
「それじゃ耳を貸してみると好い。……」
霊夢の耳が僕の唇に近付く。触れ合うには少し頭を傾けるだけで事足りるだろう。しかし、それも僕の理性が拒んでいる。僕は酔った勢いで、なるようになれと半ば自棄になりながら、自分の考えた事を告げた。限りなく主題を薄め、伝わり辛いようにはしたつもりである。が、そんな努力をいざ知らず、霊夢は僕から離れると丸まった瞳で僕を見詰め、たちまち上気する頬を片手で押さえ、両手で押さえ、そうして彼女らしからぬ恥じらいを以て、俯いた。
「……全く、霖之助さんもそういう事考えるのね」
霊夢は俯いたまま、蟋蟀達の鳴き声にさえ掻き消されそうな声量でそう云った。僕はそんな彼女に何故だか謝らねばならない心持ちがして、「すまない」と一言云って空を見上げた。満月は次第に傾いて行く。曙光が差すには有り余る時間が残っている。僕らの間に会話はなく、重い沈黙がただひたすらにこの雰囲気を支配している。
――やがて、霊夢は立ち上がった。月光を受けて光る烏の濡れ黑羽のような髪が、僕を誘うかのように揺れる。
「もうそろそろ寒くなるわ。霖之助さんも中へ入りなさいよ」
「それなら、お暇するとしようか。長く居座るのも迷惑だろう」
「そんな千鳥足で何を云ってるの。途中で妖怪に襲われるかも知れないじゃない」
確かに今の僕は歩けば倒れそうなほどに足元が覚束ない。此処から随分とある家路を辿るにはあまりにも頼りなかったので、仕方なしに居間へと上がった。
「ほら、そんなに酔ってるんだったら、こっちに来て」
霊夢はそう云って、居間の隣の部屋へ繋がる襖を開ける。そこは霊夢が寝室として使う部屋である。布団は一つしか敷かれていない。僕が彼女の領域を侵すには、遠慮しなくてはならない要素が沢山ある。僕は今にも倒れそうなほどに酔った頭を必死に働かせて、「居間でも寝れるから、構わないでくれ」と云った。
「風邪でも引かれたら私が困るのよ。ほら、早く来て」
霊夢は強引に僕の手を取り、布団の上へ転がした。柔らかな布団の上に倒れると、間もなく睡魔が襲ってきて、しかも酔っているとなればその脅威も尚更増すと思えるが、却って僕の頭は冷静だった。必死に働かせなくとも、平生の如く働いている。そうして足元に立って、僕を見下ろしている霊夢の表情の動きの細部に至るまでが判る。彼女の柳眉は八の字を描いて、しかし優しげな光を湛えた目は、慈悲に満ち溢れた慈顔を形作っている。
やがて彼女は僕の傍らに座る。静かな室内には二人の息遣いが明らかに聞こえる。
「ねえ霖之助さん。私、話したかしら。何で博麗の後継をもう連れて来たのか」
僕は首を横に振る。仰向けに寝転んだ身体を起こす気にはなれない。
「疲れちゃったのよ。全てを人任せにして、死ねたら好いと思えるぐらいには」
霊夢は笑っている。その話の重量をまるで気にする風がない。けれども、僕は身体を起こさず、彼女の明眸を見詰める。寂しげな光を湛えた瞳に、僕の顔が映っている。
「冗談にしては、性質が悪いと思うが」
「あはは。そうね、そうかもね。……本当は、自分が楽したかっただけ」
そう云う霊夢から、寂しげな光は消え失せない。始終湛えられているその光が、僕は好きでない。ふとした時に鏡を見ると、僕の瞳には同じ光が宿っているからである。
「何とも君らしい理由だが、――一方で君らしくない」
「どういう事かしら」
霊夢の問いには答えなかった。元より答える気概がない。僕は瞼を閉じて、薄闇の中に佇んだ。霊夢の息遣いが明らかに聞こえてくる。そうして酔いに猛った心臓の鼓動が、身体の内より鼓膜を叩く。何処までも静かな夜で、何処までも喧しい夜である。そんな矛盾が、僕の頭の中で錯綜している。
眠気を誘うような暗闇の中に身を置いても、僕は少しも眠くはならなかった。瞼を開いた向こうには霊夢が座しているのだろうけれども、何故だか今は、彼女の事を見ながら話す気にはなれなかった。一時の気紛れの所為かも知れないが、何処かで業腹な部分があったのかも知れない。そんな疑問でさえ、今の僕には重大な問題のように思われる。
夜は既に更けている。虫達の鳴き声は相も変わらず美しい音色を奏でている。僕達の様子は傍から見ればどうなっているのかは判らない。雲一つない夜空がどのように変化を遂げているのか、それとも未だ無変化の中に世界を抱いているのか、それも閉ざされた瞳には映る事はない。――ただ、耳の近くで、霊夢の声を聞いた。
「何時か交わしたわよね。――あの約束、忘れないで頂戴」
そうして、唇に彼女の息遣いを感じた気がした。
腹の上の重量感。さらりと頬を擽る糸の感触。高鳴った互いの鼓動。瞼を開けばそこに在る彼女の姿。
きっと僕らは酔っている。あるいは酒に、あるいは絡まる糸に、あるいは滾々と湧き出る甘い蜜に。
薄暗い寝室の中に唯一光を提供する小さな蝋燭の焔に照らされた影が、白い障子に映って揺れている。薄赤くそまった白雪の上を手が滑る。じわりと熱を孕んだそれは、しかし平らな氷面の如き滑らかさである。
陶酔に陥った僕達は、何も判らぬままにお互いを渇望したのだろう。照った日に晒され続ければ容易く草木は枯れ、水を欲するように、僕達はそういう関係が促すままに、その行為に没頭したのだろう。――それだから、汗に混じった雫に気付かないまま聞いた霊夢の言葉が、殊更に儚く感じられたのだ。
「あの桜の木の下に、きっと」
僕はそう云われた時、無言で霊夢の黒い双眸を見詰めた。彼女は寂しい笑顔を一つ、僕に見せて背中に手を回してくる。――そんな事を云うな。その言葉は口外に出る事はなく、静けさに呑み込まれて行った。……
◆
生物が最も生き辛い季節が今年もやってきた。身を凍えさせる寒気は容赦なく幻想郷を包み始め、草花は散り、木々はその瑞枝を失って寂寥感を漂わせる尖った枝を晒している。けれども冬特有の透き通った空気は空を美しくする。夜になれば満天の星空を見上げる事が出来、季節の星座も容易く認める事が出来るだろう。が、僕に限っては店の中に閉じ籠って、唯一暖を提供してくれるストーブを酷使しつつ、やはり馴染みの読書を楽しむのだった。
稔の秋が過ぎ去って、僕の生活が呈する様相は少し変貌を遂げた。何処がどういう風に変化したのか、と問われれば言葉に詰まるより他になくなるけれども、確然たる変化が僕の意識に根差したのは紛れもなく真実なのである。が、その変化の元に起こり得る行動を取る事は、むしろ少ないくらいだった。面倒だとか、そういう類の理由から自身の行動に制約を設けている訳ではない。ただ、僕は判然たる時間の流れをこの目に認めるのが嫌だった。そうして、その残酷な時の流れを目にして、彼女がまた寂しげに微笑む所も、見たくはなかった。
時折僕は妙な事を考える癖がある。もしかしたら、自分が眠っている内に世界の時は何年も経っていて、目が覚めた時には眠る前と全く違った風景を映す窓があるのではないか、そうして自分の周りを取り巻く人物達が何時の間にか消えていたりしやしないか、などと下らない事を考える。それも目を覚ませば杞憂だと思えるのだが、しかしそれは僕や他の妖怪からすれば真理に違いない。少なくとも人間と自分達とを比較してみた時に、僕の懸念は真理として目の前に姿を現すのである。
人間と妖怪の時間的概念の捉え方は懸け離れている。儚く短い生を一生懸命に送る事こそ人生というのなら、僕が送っているのは決して人生ではない。僕らは長命で、寿命など気付けば擦り減っているものなのだ。自身の命の残量をそう捉えている限りは、人間と妖怪の血を半々に受け継いでる僕ですら、人間には成り得ない。元より人間が持つ情緒を僕が持ったなら、残された膨大な時間の重圧に負けて、たちまち発狂してしまうだろう。
「……」
人間と僕らとの間には解消出来ぬ隔意が常として存在している。それを考えた時、僕は読書を何時の間にか止めていた。他の思考に気を取られ、読書もままならず、またじっとこの身をストーブが提供する暖かさに晒し続ける気にもならず、自然僕は立ち上がっていた。そうして、ぼう、と音を立てて燃え盛るストーブを何とか宥め、冷たい風が颯と吹き抜けて行く外へと出て、遠い道のりを歩いて辿って行く事にした。
この道のりでさえ、僕らの間にある隔たりを露わにしているものなのかも知れない。――僕はそんな事を思って苦笑を洩らし、一人「馬鹿な」と呟いて、また歩き出した。厳冬は容赦なく僕を苛める。陽射しは暖かいけれども、それを帳消しにしてしまう風が、やはり寒い。ふと、桜の下で凭れ掛けられた体温が恋しくなった。
ひらりひらりと花筏、咲き乱れたる桜の花がせめて手向けにと散華する。
「私のやうね」と云った女みたように、揺れて流るる花弁の美。
散り散り、舞い舞い、蒼穹に散らばっては哭く、風。
「馬鹿な事を」云った男に老醜の兆し、悲哀の影、無し。
散り散り、舞い舞い、蒼穹に散らばっては叫ぶ、風。
しかして、女の残滓に、男、涙。
「我に春なく、なれば我に冬もなく。斯様な我であればこそ、哭く事あらず」
――絢爛たる桜の下で、一人男が痛み入る。
酷く懐かしく思える石段は新鮮さすら僕に与え、それを登るのも容易いと思わせるぐらいだった。何百段とある長い階段の先には博麗神社が建っている。その境内では巫女が掃除をしているか、それともその後継が修行に励んでいるか、そのどちらかだろう。僕はそんな博麗神社の日常の風景を想像しながら、足があげる悲鳴に耳も貸さず、歩を進める。すると如何ほどの時間が経ったのか、何時の間にか僕が立っているのは神社の境内だった。
そこには見知った巫女が二人いる。けれども僕が声をかける事はなかった。しかし僕は瞠目したまま、目の前の光景にただ見惚れている。――博麗の後継の前で、霊夢は舞っていた。それがどれだけの感銘を僕に与えたのかは、到底計り知れない。思考さえ奪い、情操さえ忘れさせ、恐ろしいまでの美を以て僕を魅了する。舞い続ける霊夢にはある種の魔力が備わっていた。他人を惑わし虜にする魔力である。が、僕はその魔力に魅せられても構わないと、その時思った。
その様まるで、桜花爛漫たる桜の如く美しく。
散らした花弁は儚くとも、散る姿は心、射抜く。
ぽかりと空いた穴に吹き抜ける風は冷たく、暖かく。
暗窖照らす幻燈の焔が風に吹かれ、雫に濡れ、消える。
斯くも眇然、斯くも杳然、男の手には決して届かぬ深淵の闇。
「我忘れ、凋落する様見遣るに、真の儚さ見えり。ああ、狂瀾に呑まれし我は、懸崖に座す」
――妖艶なる桜の下で、一人男が、痛み入る!
「あら、霖之助さん。どうしたの、珍しい」
「暇だったから、何となく来たんだ。君こそ珍しいじゃないか。踊っているなんて」
「小さい頃に覚えさせられたのよ。折角だから、この子にも教えてあげようと思って」
霊夢はそう云って隣にいる少女の頭の上に手を乗せる。頭一つ分くらいは霊夢の背が勝っている。けれども霊夢の頭は僕の肩辺りでしかない。やはり僕には霊夢が師匠というには、何処か妙に感じてしまう。が、それを口に出す事はなく、僕は素直に彼女の舞いの感想を述べた。が、踊りについて博識な知識を持たない僕がする事の出来る評価など高が知れている。僕は一言、「綺麗だった」と云った。霊夢は照れたように微笑んで、「有難う」と返した。
「それなら、邪魔をしても迷惑だろうし、僕は帰るとするよ」
「あ、待って下さい。私は一人で練習出来ますから、森近さんはどうぞ寛いでいて下さい」
僕が帰ろうとして、それを引き留めたのは意外にも霊夢ではなく、少女の方だった。彼女は背を向けた僕の所へ駆け寄って、そう云うと共に、霊夢の方へと振り返って了承を求めた。僕と霊夢は顔を見合わせる。けれども霊夢の視線はすぐに少女の方へと移る。そうして彼女らは言葉も無しに、頷き合う。僕は彼女らの間にどんなやり取りがあったのか寸毫も知り得ない。
「折角なんだから、ゆっくりして行って」
霊夢がそう云って母屋の方へと歩き出す。僕もその後に続いたが、少女の横を通り過ぎる前に挨拶を一言だけ交わした。それが全く面白く、僕らはお互いに笑んだ。何だか何時か見たようなやり取りである。
「それじゃ、お言葉に甘えようか。迷惑かけるね」
「いえ、お気になさらず。――それでは、ごゆるりと」
稜線に雲煙縹渺、曙光が差して光り輝く黒き糸。
晴天に轟く霹靂は、女の頬に雨を降らし、冥々たる闇を見据えさせる。
糠雨見上げ「冷たいわ」と女、「雨など何処に」と男。
桜の下にて契った約束想い、儚く笑む女の姿は夢幻泡影。
斯様な女を畏怖嫌厭、男は永遠の境に立ち尽くす。
「真実を忘れ、虚飾を嫌い、浮世を憂いては我を失い、女の姿は朝露の如く消え逝く」
奇しくも男、宛てなき散歩の果てに約束の地を踏み。
「契の為に流した血潮を我に与え、脈動する心の蔵に終止符を打つ」
――決して忘れぬと、何時かの慈顔をその頭に思い出す。
縁側に赴くと霊夢の姿がある。昼間と云えど、寒いこの季節に何時も通りの格好で寒くないのかと問うと、霊夢は「寒いに決まってるじゃない」と当然のように返した。それなら何で上着を羽織らないんだ、と問えば、必要ないなどと云う。僕はどうしたいのか、霊夢の意図が全く判らず、溜息混じりに彼女の隣に席を取った。
霊夢は何処に視線を定着させるでもなく、何を考えるでもなく暇を持て余していると見える。僕は寒さに凍て付いた手を擦りながら、もう一度寒くないのかと問う。すると霊夢は僕へと視線を移して、無言のまま見詰めてくる。何がしたいのか僕には判り兼ねる問題を理解する事も出来ず、僕もその視線をまじまじと見詰めていたが、霊夢はやがて空を見上げると、「本当に朴念仁」と云って不機嫌そうな顔をした。女性故か、霊夢故か、とかく彼女の心境を悟るのは難儀である。
「霖之助さんは寒いの」
「寒い。君よりは大分暖かいとは思うが」
「私も寒いわ」
「それなら室内に入れば好い。炬燵だってあるだろう」
「そんな事より、問題を解決するのに早い方法があるじゃない」
どんな、と聞き返そうとした僕の言葉は、霊夢の行動によって阻まれた。彼女は僕の胸の中へと飛び込んで、両腕をしっかりと背中に回したまま、動かない。僕はどうすれば好いのかも判らないまま、遂に霊夢の背中に手を回す。そうするのを求められているような心持ちがしたのである。そうして、霊夢が「やっと判ったのね」と下から僕を上目使いに見遣る。僕は「教えられなければ判らないよ」と言訳をして、微笑んだ。
僕達の時間はこうしている間だけ止まっているかのようだった。お互いに何も云わないまま、そうして何もせず、無為な時を過ごしていた。元より僕には文句を云う気概は無かったし、霊夢もそれは同様のようである。むしろ、背中に回された腕に、心なしか力が込められる度に、離さないでと云われているようで、そんな意外な一面を可愛らしく感じたりもした。それだから、再び霊夢が言葉を発した時には、それが久し振りだと思えるくらいには時間が経っていた。
「ねえ霖之助さん。もしも私が居なくなったら、どうする?」
「……そういう話は好きじゃない。特に今となっては」
「好いじゃない。例えばの話なのよ。本当に居なくなる訳ないじゃない」
霊夢はそんな事を云いながら、僕を下から覗き込んでは頻りにどうすると聞いてくる。しかし、僕がその問いに答えたくなるのとはまた別で、どう云われようとも、霊夢が居なくなった時の話など想像も出来なかったし、したくもなかった。けれども霊夢はその質問を止める事なく続ける。何かしらの答えを出さないと何時までも聞き続ける気色である。
「発狂したと思われるぐらいには、悲しむかも知れないね」
「あはは、霖之助さんらしくない事云うのね」
「それじゃ、僕らしいってどういう風を云うんだい」
「そうね、私は別にどうもしないって答えると思ったわ」
霊夢はにこやかに笑っている。僕は失敬なと零しながら、けれども怒る気にはならないので、彼女の頭を撫でてやった。子供じゃないわ、と霊夢が云う。僕はそんな彼女に悪戯をしてやろうと思いながら、彼女の頭をまた撫でる。霊夢は不機嫌そうに顔を顰めるけれども、赤くなった頬は確かに喜色を表しているから面白い。僕達は暫くそんな事をしながら過ごしていた。気付けばこの身を苛める寒さも感じてはいなかった。
やがて日が傾き、長い宵闇が天空を支配しようと、稜線の向こうから勢力を広げてきた。薄暮の時間帯ともなれば、随分と周囲を取り巻く空気も冷たくなるもので、幾ら二人で寄り添っていようとも、到底それを凌げる段階ではなくなってくる。僕は霊夢の柔らかな髪の上に置いた手を退かして、彼女の肩を何度か叩いてみた。が、少しも反応がない。もう一度肩を叩いてみると、煩わしそうに寝息が聞こえてくる。すっかり寝入っているようだった。
「全く、これじゃ子供みたようじゃないか」
そう呟いても霊夢が起きる事はなく、すうと寝息を立て続けるばかりである。僕は何とかその体勢から霊夢を抱いて、戸を開けて、どうにか霊夢を室内へと連れて行った。そうして布団の上に寝転がせて、その隣に座る。何処からか聞こえてくる烏の囀りが、明らかに聞こえてくる。それが霊夢の寝息を掻き消すので、目を瞑り、ぴくりとも動かないまま寝転がっている姿がまるで死体を見ているようで心持ちが悪くなる。心中に恨み言を烏に向かって囁いて、僕は耳を澄ました。
「君が死んだら、なんて考えたくないが、それでも何時かは訪れる事か」
眠っている霊夢に向かって話しかける。勿論返事はない。安らかな息遣いだけが聞こえてくる。
「そんな事があったなら、後追い自殺をしないとも限らない」
ふと、霊夢の唇が動く。些細な動きである。寝ている間に起こり得る事象なのだろうが、それでも僕にはそれが何事かを云っているように思われた。たった六文字、「ごめんなさい」と云われた気がしたのだ。
寝顔を見ると、やはり霊夢は眠っている。僕は頭を掻いて、胸の内に遍満している不安を早く払拭したくなった。けれども霊夢は眠っている。普段の快活な姿を、今は見る事が出来ない。僕には「死なないでくれ」と場違いな願をかけるより他になかった。霊夢が時折見せる儚さが、死に直結していると思えて仕方がないのである。
彼女の手に触れれば、外気に晒され続けていたそれは、とても冷たく、一瞬体温が無いとさえ思われた。が、耳を澄ませると、やはり聞こえてくる彼女の寝息が、僕に漸く安堵をもたらす。それでも尚無くならない不安が、鬱陶しくて仕方がなかった。ありもしない未来を想像しては首を振る。そんな繰り返しをする内に、居間へと通じる襖が開けられた。
「やあ、霊夢がこの通り寝てしまってね。面倒を見ていたんだが」
そこには霊夢の後継が立っていた。どうやら邪魔をしてしまったのではないかと思っているらしく、判り易く狼狽している。僕はそろそろお暇しようと思っていたところだったから、立ち上がって、少女に後を頼んでも好いかいと尋ねた。
「あ、はい、それは勿論。でも、こんなに遅くですから今日は泊って行って下さい」
「有り難いお言葉なんだが、流石に迷惑をかけ過ぎる訳にも行かない」
「そんな、迷惑だなんて。少しも思っていないんですから」
少女はそう云って僕を帰らせようとしない。遂には中々諦めない僕に「もしも森近さんが妖怪に襲われでもしたら、師匠にどれだけ怒られるか」と云い出したので、呆気なく僕は折れてしまった。中々どうして、彼女は口が上手い。
そこまで勧められては泊って行った方が得策なので、僕はまた暫くこの寝室に居座る事にした。少女はまた「ごゆるりと」と云って部屋を出て行こうとする。その背中に、僕は問い掛けた。
「そう云えば、君の名前は」
今に至るまで、僕はこの子の名前を知らなかった。たまに博麗神社へと来ても、彼女の名前を知る機会が驚くほどに無かったのである。霊夢が彼女の名前を呼ぶ所も聞いた事が無ければ、よくこの神社に訪れる妖怪達の口からもそういう類の言葉は聞いていない。それだから、失礼だとは思ったが、そんな事を尋ねた。
少女は振り返る。そうして何事かを口にした。僕は確かにそれが少女の名前だったと記憶していたが、今になってそれが思い出せない。あの時少女は自身の名を何と云ったか、まるで忘れてしまっているのだ。それだから、この書にこの時点での少女の名が載る事はない。筆者が知り得ぬ事は、この小説の上に決して姿を現わせないのである。
麗らかな春が過ぎ、厳暑に呻吟する夏が過ぎ、稔の秋が過ぎ、死滅の盛んな冬が過ぎ。
一つの輪廻が世を統べて、等しく生物を死に招く中。
男が一人此岸に取り残されて、女が一人彼岸への道を歩む。
三途の河が恨めしや。彼方へ向かう女を追いかける術は無し。
「ついぞ我が識る事はなく。無縁塚の地に赤い赤い彼岸花が一輪」
足が赴く地に往けば、女の姿がそこに在り。
男、それを見ては慷慨悲歌の慟哭を詠む。
「真に悲しきは我の一身、孤独な身となれば世を憐れむ事もなく」
――地より屹然と聳える桜の木が、男を嘲弄するように嗤っている!
◆
巡り巡って帰ってきた春、それは僕に訪れる事はなかった。
その報せを聞いたのはつい先刻の事である。魔理沙が何時ものように乱暴に戸を開けて香霖堂へ飛び込んできて、早口に捲し立てた。最初は、僕の頭はあまりにも速く回る彼女の舌が紡ぎ出す言葉の全てを咀嚼するに至らず、真白な頭の中に段々と広まって行く事実を一つ一つ捉える内に、漸く事の重大さを知るに至った。涙を流し、取り乱しながら僕に縋り付く魔理沙を宥めながら、僕の頭は無心だった。何も考えられず、何も感じず、現実の重さの前に立ち竦むしかなかったのである。性質の悪い冗談ではないのか、そう疑う事さえした。けれども魔理沙の様子は、現実の酷薄さを露わにするばかりで、僕に安息を与える事はない。それは酷く静かな、ある春の一日である。
寒さに喘ぐ季節は去って、再び暖気豊かな季節が幻想郷を包み始め、僕は心地よく読書を楽しんでいた。麗らかな春の空気は眠気さえ与えるが、本への好奇心がそれしきで衰退する事もなく、僕は埃が被らないように布を被せたストーブを見ては、冬の寒さも、あれはあれで好い趣を凝らしていたのかも知れないなどと思いつつ、本の中に展開される世界へ没頭していた所へ、魔理沙は突然来訪した。戸を破壊する勢いで、凡そ尋常とは云えない様相を呈しながら。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
そう尋ねると、膝に手を付いて呼吸を荒げさせた魔理沙は、それを整えようともせず、今にも泣き出しそうな表情で言葉を紡いだ。震える声は、確かにそれが真実だと告げている。僕は目を見開いて、目の前で涙を流し始めた魔理沙を見詰めるより他になかった。突拍子もない事を云われても、そんな簡単に事態を呑み込めるほどに、僕は柔軟な頭をしていない。それだから、彼女の云った事柄を理解するのは酷く遅かった。
「霊夢が、霊夢が、死んだ。香霖、霊夢が死んだんだ。なあ、私はどうすれば……」
魔理沙はそう云って僕に抱き付いた。外聞も気にせず大声で泣いている。僕はと云えば、あまりの衝撃に涙さえ流す事も出来ず、真白になった頭の中で、魔理沙の云った言葉を延々と反芻していた。「霊夢」と頻りに云っている魔理沙が酷く哀れで、そんな魔理沙の姿を見ていながら涙も流さない自分は、なんて無情な奴なんだろうと思いながら、僕は窓の外に広がる晴天を見上げる。燦々と爽やかな陽光を降ろす太陽が、酷く恨めしかった。
朝雲暮雨の日は疾うに消え、泡沫となって弾けた想いは朧。
彼の男に来たりし春の、鮮やかなる色彩は冬の如く朽ち掛ける。
げに哀れなるは全き人の生を半途も辿らず死せりし女。
げに哀れなるは望まぬ契りを結びし男。
「喜怒哀楽は我になく、彼岸に旅立ちし女にこそあり」
紅い泉に沈んだ女、紅い泉に臥す男。
有象無象の言の葉は嘲りの音となり、淋しき男を締め付ける。
「なればこそ、浮世に遺した未練は瑣末。旅立ちの時は今こそ来たる!」
――ぬらりと輝く燐光が、今に男へ飛び掛からん!
幻想郷にその名を知らしめた霊夢の死は、瞬く間に広がって行った。スペルカードルール創設者として、幻想郷での人妖の在り方を変え、異変解決の度にその姿を現し、人々を救い、妖怪から好かれた彼女は、多くの功績を遺産として残して、死んだ。それは春を迎え、桜の花が美しく舞う時節の事であったらしい。僕がそろそろあの桜の木を見たいと、博麗神社に赴こうと考えてから間もない事である。――僕の後悔は決して小さくはならなかった。
如何にして彼女が死んだのか。彼女の葬式に参列した妖怪の一人にそう尋ねた事がある。八雲紫として、霊夢同様名を知らしめた彼女は、無機質な瞳を向けて語った。まるで感情を忘れてしまったかの如く、淡々とした口調は恐怖さえ僕にもたらしたが、鏡を見ればきっと僕も同様の表情なのだろう。彼女の変化は、むしろ当然の事だった。
「自殺、だそうよ。頸動脈を切って、眠るように布団の上で倒れていたらしいわ。既に手遅れの状態で、それでも安らかそうに。理由は、知らない、わ。遺書が、ある、と聞いた、けれど……」
彼女の瞳からはやがて滔々と湧き出る涙が流れ始めた。途切れ途切れになった言葉を必死に紡ぎ、最後に「ごめんなさい」と云って、手巾で目を覆った。僕もそれ以上声をかける事が出来ず、大々的に行われている葬式の一番前に置かれた、霊夢の写真を眺めた。喪服に身を包んだ者達が犇めき合う中で、彼女だけは何時も通りの巫女服である。華のような笑顔を咲かせて、遺影として選ばれた写真の中に、全く同じ表情のまま居る。僕はどうしても霊夢の死が実感出来ないでいた。涙を流し、洟を啜る者達が周りに居る中で、一人黙然と立ち尽くしている僕は、殊更異端であるのだろう。
やがて読経が始まる。色彩鮮やかな花に囲まれた棺桶に向かって座る坊主が呪文のような言葉を紡ぎ始める。それは周囲の者達の泣き声に彩られ、悲痛な歌となって僕らを苛めた。時折霊夢の名を呼ぶ者もある。しかしそれを制する者は居ない。皆同様にして、同じ気持ちを胸にこの葬式に参加しているのだろう。それだから、いっそ叫び出したい衝動に駆られるのはむしろ自然な事である。却って僕みたような者の方が、この葬式には向いていない。
「何故、自殺なんて」
呟いた言葉は読経に掻き消される。霊夢は尚も笑っている。
雲翳の消え失せた空に燦爛と輝く星月夜。
約束の地は、斯くも無変、斯くも妖しく、散る花弁は斯くも儚く。
男に飛び掛からんと白刃が風を切り、喉笛を噛み千切ろうと迫る。
刹那、男の目に、遺されし便箋が、映る。
「我が生きねばならぬのは無辺世界。一片の光さえ差さぬ暗黒の世界」
桜に向けた供物の如く、佇む紙は白刃を弾き、男の手は、そろりそろりと其れ掴み。
「ああ、如何に老猾、如何に刻薄、貴方の残影は我を、殺す」
ぽたり雫が墨を滲ませ、ぽたり雫が染み作り、ぽたり雫が男の頬を流れ行く。
――白刃の煌めき地に落ちて、遺された男、桜を叩く。
それから僕が博麗神社へ訪れる事になるのは、随分と時間が経ってからだった。僕が時間的概念を気にする事はなくなり、またそれに執着する事もなくなり、幾年経ったのか、それすら判らなくなるくらいに時間が経った心持ちがする。そうしてふと、僕は博麗神社に行ってみようと思ったのだ。時刻は夜遅く、けれども日を跨ぐにはまだ少しばかりの時間が残っている。丁度丑三つ時には到着するだろう。肌寒さなどは気にならない。
決して容易でない道のりを延々と辿り人里を抜け、それから遥かに遠い場所を目指し歩いて行く。行く先々で咲き誇る桜が休憩を促して来ても、僕は無心に歩き続ける。そうして漸く辿り着く長い長い石段の下、上を見上げては零れる溜息に打ちひしがれ、それでも休む事なく登って行く。その内僕の脳は疲労を忘れたかのように、足をすいすいと動かすようになった。幾ら歩いても疲れは僕を苛めない。ある種の催眠にかかった心持ちである。が、好都合であるのに変わりはないので、僕はむしろそれを喜ばしく思いながら、石段の上へ辿り着いた。
境内に人影はなかった。新たな博麗の巫女となった少女も居なければ、他の妖怪もおらず、寂寞を漂わせた博麗神社は物寂しく佇んでいる。煌々と輝く満月の光は、この境内を避けるように差している心持ちがする。星々の瞬きさえも、この境内には場違いである。けれども、きっとそれは僕の中に起こった変化の象徴でもあったのだろう。この場所に魅力を感じず、この場所の意義を確然たる意識を以て認識出来なくなった僕が見た、錯覚だったのだろう。
母屋へ訪ねる気分にはなれなかったので、僕は博麗神社の裏手に回り、何時か彼女と見た桜のある地へと行こうと思った。霊夢の残り香を感じる場所は僕には辛いけれども、一方で最も安心をもたらすからである。
「……」
程なくして、僕は例の地へ辿り着いた。森閑として静まり返った森の中、緑の葉を青々と煙らせた木々が周囲に立ち並んだ中で、殊更異質に咲き誇る大きな桜の木は、あの日と同じ美しさを寸毫も損なう事なくそこにある。僕はその桜の木の前に座り、美しい花弁の雪が降る下で何とも云えぬ感慨に耽った。
静かな森の中には物音一つしない。不気味なくらいの静寂が僕の世界を取り囲んでいる。時折吹く冷たい風に揺らされて、ざわざわと音を立てる桜だけが、心地よい音色を提供していて、それ以外に僕の耳の中へ入り込む音は何一つとしてなかった。静けさの約束されたこの場所は、あの日から僕を魅了している。けれどもその魅力は穴が空いたように、何処か物足りず、それが隣に居るはずの霊夢が居ないからと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
ふと考える。僕は霊夢が死んでから、彼女の為に涙を流したろうかと。自白すると僕は一度も彼女の死について涙を流してはいない。悲しみは今でも僕の胸を締め付けているのにも関わらず、目の奥から熱い涙が込み上げてくる事も無ければ、身体が震えた事もなかった。そこまで僕は薄情な性格をしていただろうかと考えてみても、過去を延々と遡り続けるだけで埒が明かず、ただ未だ彼女の死を受け入れられていないとだけ結論付けた。甚だ言訳染みた事ではあるが、そう思わなければ涙を流していない事自体が僕の罪となる心持ちがして、それに苛められるのが嫌だったからである。
「何時か、君が居なくなったらどうすると問われた時に、僕は後追い自殺をしないとも限らないと答えたが、今になって思えばそうした方が幾ら好いか判らない。こうして君と見た桜を、僕一人で眺めていると、何だか死んでも好いと思えるんだ。丁度その為に常に持っている脇差もある。今此処で死んでも、君は僕を叱ったりしないだろうか」
一人桜に向かって語りかける。無論返事はない。風がざわざわと桜を揺らすばかりで、言葉は決して出て来ない。が、「まるで私みたようじゃない」と云った霊夢の言葉が今でも忘れられず、この桜が霊夢なのではないかと思えてくるものだから、我ながら重傷を負っているようだと自嘲的な笑みを浮かべるより他になかった。こんな姿を見られては、誰彼も僕を異常者だと疑うだろう。僕が第三者としてこの光景を見かけたなら、そう思う自信がある。
――気付けば、僕は懐から取り出した脇差を抜いて、自分の咽喉に宛がっていた。月光を受けて白い輝きを放つ脇差は、死の甘美を感じさせているように思われる。一思いにこれを首を突き刺したら楽になれるんじゃないか、そんな逃避が脳裏を過り、そうしようと決断したその時だった。僕の目は、桜の根元に転がされた封筒を明らかに認めた。
その封筒は小瓶の中に入れられて、風化から防がれている。小瓶は汚れに塗れていても、中に入っている封筒は綺麗なまま保存されている。僕は脇差を置き、その小瓶を拾ってみた。所々に傷が付き、この場所に放置されてから幾星霜の時が経っている事を感じさせるそれを手にした時、僕は自分の手が震え出すのを感じていた。
「まさか……」
霊夢の葬式が行われた時、遺書があるという話を聞いた。が、その遺書が見付かる事は遂になかった。色々な人妖が総力を掛けて捜索をしたものの、遺書らしき物は決して見付からなかったのである。その内遺書があるという話は出鱈目なのだろうと、皆が思って捜索を諦めた。それ以来、遺書など無いものとしてされてきたが、この場所に、こうして置いてある小瓶を見ると、期待が胸の中へ次第に広がって行くのを感じずには居られなかった。
蓋を取り、中に入っている紙切れを出し、目の前に広げて行く。そうして露わになったのは、筆で書かれた文字。「遺書」と題され、文章が続くそれの最後の段落には、「博麗霊夢」と書かれていた。僕は手が震えるのも構わず、それを最初から食い入るように読んで行く。胸の動悸が激しい。ともすれば卒倒してしまいそうである。だが、これを読まずして此処を去れと云うのなら、足を切り落とされてでもこの場所に留まってやるくらいの覚悟があった。
遺書にはこう書かれている。――
「遺書、拝啓森近霖之助様。
これは遺書と云うよりかは、手紙と称した方が正しい代物かも知れません。どちらにしろ、これが貴方の目に付くのかどうかは、私の死んだ後の事ですから判らないのですが、最後に貴方だけにこの手紙を送ります。私の生きた最後の春、此処で話した事を覚えているのなら、きっとこれを見付けてくれた事だと思います。勝手だとは自覚していますが、これを見付けた暁には、最後までお目通しをしてくれる事を願います。
自殺という死を選んだ事で、周囲が驚きに湧き立つのは決して自惚れではない事でしょう。私みたように気楽そうに毎日を過ごす者が、自殺という手段を選べば私とて驚きます。だから、この予測は決して間違ってはいないのでしょう。
私が何故自殺という手段を選んだのか、その理由の全てはこの手紙に記されています。これを読み終えた時には、貴方の心中にのみ遺して下さい。他言無用とも云いますが、私はこれを貴方以外の誰かに見られるのを快く思いません。読み終えた結果どうなろうとも、今となっては私が出来る事など何もありませんが、それでもせめてもの安息の為にそう記して置きます。そうすれば、優しい霖之助さんの事だから、きっとそうしてくれるのでしょうから。
私は生涯のある時点まで、自殺など考えた事もありませんでした。その私が如何にしてこんな行為に及んだのか、それは悪く云ってしまえば、霖之助さんの所為に他なりません。話を広げればこの幻想郷という世界に、人間と妖怪が越えられぬ境を持って生まれた事が、私の死んだ大きな理由になるのです。
私は霖之助さんに出会い、共に過ごして行く中で、次第に惹かれて行くようになりました。私の性格上それを露骨に表わす事は出来ませんでしたが、心の内では常に燃えるような恋慕の情に苛まれていたのです。鈍感な霖之助さんは恐らく気付かなかった事でしょう。私が貴方と言葉を交わす時、些細な事で貴方に触れる時、何時でも心躍る心持だった事を、恐らく知らなかったでしょう。私は何時でも貴方の為に、心苦しい思いをしていたのです。
ですが、決してその心苦しさが私の死に直結している事はありません。私の死んだ理由は先に明示した通り、人妖の間にある隔たりの元に生まれたのです。霖之助さんの所為で、とは書きましたが、それは一種の諧謔だと思って下さい。
私は貴方と過ごす内、一つの不安を胸に抱くようになりました。完全な妖怪ではなくとも、霖之助さんと私との間にある寿命の差は広く、比較しても意味のないくらいに離れていました。すると、その不安が他の不安を煽り、次第に融合して行って、大きな不安を心の中に根差すのです。私は膨れ上がり過ぎたその不安に、次第に押し負けて行きました。自身による慰めは、その不安の前にまるで意味を成さなかったのです。
私は貴方と過ごして行く中で、確然たる愛情を感じる事が出来ましたが、それでも私達との間にある差は絶えず不安の萌芽を芽生えさせました。仮に私が先に死んだとして、貴方の瞳が私以外の誰かに傾く事はないと、誰が確信を持って云えるでしょうか。少なくとも私にはその確信を持つ事が出来ませんでした。それ故に、こうして死という卑怯な逃避を選んでしまったのです。臆病だと思われても構いません。私は誰彼が思っている以上に強くはないのですから。
そう思うようになってからは、私の中に蔓延った不安が膨張するのは容易に想像出来る事だと思います。私は根拠のない嫉妬の炎に身を焼かれる内に、いっその事卑怯な手段に及んだ方が楽かも知れないと思うようになりました。私は此処に自白します。私が老獪である事と、霖之助さんに迷惑をかける可能性を持っている事を、先に明言します。
それを快く思わないのであれば、すぐにこの紙切れを破り去って、私の事を忘れて下さい。明言されている事を知って尚、この先を読もうとするのであれば覚悟をして下さい。私は貴方に迷惑をかけない保証を持ち得ません。そうする事で責任を感じるのは、地獄の業火に焼き尽くされる事よりも尚苦痛でしょう。だから、今の霖之助さんの正直な気持ちで、これを読み進めるか否かを決めて頂きたいのです。」
僕は此処まで読み進めて、震える手を必死に平生の通りに戻そうと奮闘しながら、重ねられたもう一枚の紙を取り出した。手紙で彼女は読みたくなかったら読むなと文言しているが、そんな事を云われて読み進めるのをやめてしまうほどに僕の気持ちは軽くない。彼女が此処に記しているように、僕とて燃え盛る恋慕の焔に身を焼かれる苦しみを知っているからである。
――何時からか、僕の瞳から涙が落ちていた。不器用な僕らの性格が作用して、今の事態が起こっているのならば、僕は彼女が死んだ日に感じた後悔をまた感じぬ訳には行かなかった。素直に自分の気持ちを吐露していたなら、彼女はこんな結末を選ばなかっただろうか。今となっては後の祭りだが、それでもそういう思考を止める事は出来なかった。結局僕は胸の内で常に彼女の死を引き摺っていたのだろう。そうして、彼女から離れる事が出来ないまま、何処かこの世界から浮いてしまっていたに違いない。
次の紙には、こう続いている。
「この部分を読み始めているのなら、私は霖之助さんに覚悟をして貰っているものとして、話を続けます。
私は自分が老獪だと書きました。その所以は、ひとえに私の自殺という行いと、死んだ後に講じた手段に起因します。私は霖之助さんとの間にある隔たりを超える術がどうしても思い付かず、こうして自殺を選びました。蓬莱の薬という禁薬の存在は知っていましたが、それを服用した者の姿を見れば、その薬の恐ろしさは容易に知れました。また魔法使いの間には人を捨てて魔に生きる為、永遠の寿命を得る法が存在すると聞きましたが、その方法たるや、到底私の理解に追い付く代物ではありません。あれは一種の賢者にのみ約束された永遠なのでしょう。
それらを踏まえ、どうしようもない事を知った時、私は死という手段を選ぶより他になかったのです。そうする事によって、霖之助さんとの間にある隔たりを気にせず、久遠の安息を得られると思ったのです。それをどうして、卑怯だと云わずに居られるでしょうか。私は貴方に卑怯だと云われても構いません。それだけの事をして来た自覚があります。それだから例えどんな罵言で罵られたとて、決して貴方を恨みはしません。真に恨まれるべきなのは私なのだと、判然とした自覚を持っているからです。そうして究極の憎悪が貴方の中に生まれたのなら、より一層私の事を忘れないでいてくれるだろうという打算を持っていたからです。それだから私は、老獪な人間なのです。
もう一つの理由は此処に明記しません。ただ、これを読み終わった後、現在の博麗の巫女に名前を尋ねてみて下さい。そうすれば、私が卑怯たる所以を理解する事が出来るでしょう。その一方で私への憎しみを募らせるかも知れません。けれども私は、私の事を忘れて欲しくないばかりに、そんな行動に及んだのです。
これで私の最後の言葉は終わりになります。これを読み、如何ほどの私を知って頂けたのかは今となっては判らない事ですが、次の言葉を最後に、本当の別れの言葉としたいと思います。その前に、霖之助さんを愛していた事と、私の行動が全てその愛情に関連している事を告げておきます。それから、唯一遺言らしい言葉を残すなら、霖之助さんに云った願いを、出来るのであれば叶えて下さい。――私をこの地に、貴方の手で眠らせて欲しいのです。
ごめんなさい。さようなら。
――博麗霊夢より、森近霖之助さんへ。」
膝を地に付ける。足が震え、立っている事もままならず、湿った土に手を付いて、見るも不様に臥した。止めどなく溢れ出す涙の奔流は止まる術を忘れ、何時までも流れ続ける。彼女が死んでから僕が生きた時が滑稽なほど薄く感じる。自分が何を考え何を思い生きていたのかも判らず、この手紙を読んだ事で、今一度彼女が僕にとってどれだけ重要な存在であったのかを思い出した。――彼女が死に、十三年の月日が、流れていた。
幾年、幾星霜、刹那の時は過ぎ去り、男、真なる淵源を識る。
禁忌の書に生を擬えようと時計の針を戻す事能わず、雲霞の如く煙る過去に想いを馳せる。
春宵に瞬く月の美しきは、世を峻峭なものとして、星達と共に嗤い大地に横臥。
ああ、男が一人天に哭しては自身を憂い、女の残影は男を縛す!
「星霜は灰燼と帰し! 已今当は煙と化し! 我が往くのは幽愁の中!」
ひらりひらりと花筏、男の生に彩り与え、炯々と輝く朧月が揺れる百枝を照らしている。
「懊悩煩悶我に無し! 無辺世界を揺蕩う術が此の身にあれば、哀憐を感じる事もなく!」
――其の身に海誓山盟、男が一人、女に手向けて痛み入る!
日が昇り、大地を明るく照らす朝が訪れて、地に臥した僕は漸く立ち上がった。眼に感じる違和感は、涙を流し過ぎた故だろう。僕は手に握り締めていた手紙を破り去り、その内容の一言一句も忘れないと誓い、千切れた紙切れと化したそれを放り投げた。颯々と吹く風に乗り、それは宛てのない空中散歩へ繰り出して行く。
僕はその門出を見届けた後、重い足取りで神社の方へと歩んで行った。彼女との約束を果たす前に、確認しなければならない事がある。その為には現在の博麗の巫女に話を聞かねばならない。そうして如何なる事実が伝えられようとも、僕はそれを受け止めなければならなかった。
春を謳歌する鳥達は好き勝手に唄っている。小春日和の今日、周りを取り巻く空気は暖かく、過ごし易い穏やかな気候が次第に僕の心に起こった波を鎮めて行く。けれども錯落する思考が絶える事はなく、僕の頭の中には様々な思慮が蔓延って、春の美しい風景に感嘆の溜息を零す事もなかった。
――やがて見慣れた母屋の横を通り、見慣れた境内へと出ると、そこには箒を片手に地面を掃く一人の少女の姿がある。紅白の巫女装束を着て、大きな赤いリボンを着飾り、楚々たる様を見せながら掃き掃除をしている。僕はその少女の元へ静かに歩み寄った。後ろ姿が、彼女と見間違うほどに似ている、博麗の巫女の元に。
「森近さん」
「こんにちは。随分と久し振りに会った気がするね」
「そうですね。最近、此処へ訪れる人も以前と比べれば少なくなりましたから」
彼女は苦笑交じりにそう云う。霊夢とは違う口調は、何処か不自然に感じられた。風に靡く髪も、僕を見詰める瞳も、僕が見れば全てが不自然に思われる。そうしてその要因が何たるかを理解している。僕は自分を惨めだと思わずには居られなかった。今は亡き彼女を、目の前の少女に重ねているなどと、全く惨めである。
快晴の空は空々漠々と広がり、燦と輝く太陽の恩恵は幻想郷の全てに平等に降り掛かり、雲影の一つさえ見えぬその蒼穹を一瞥してから、僕はもう一度少女を見遣る。不思議そうに目を丸くして、どうしたんですかと尋ねてくるその姿が、酷く僕の胸中を締め上げた。呻き声すら出ぬほどに、強い力が僕を締め付けている。
自分がどんな表情をしているのか、そうしてその表情がどんな印象を彼女に与えているのか、それも全く判らないまま、僕は「そういえば」と言葉を発する。彼女の手紙に記された最後の事実を聞く為に。
「――君の名前は」
そう尋ねれば、彼女はあははと笑った。そうして、天狗の新聞に大々的に載ったではありませんかと、さも可笑しいものを見るような口調で云う。僕は天狗の新聞など、とうの昔に見るのをやめていたから何も判らない。新聞に記された月日を見るのがどうしようもなく辛く、それを見る事で霊夢の死を直視せねばならないような心持ちになるからである。脆弱な僕はこれまで、そういう現実の光景から目を背けていた。
やがて彼女は可笑しそうに笑いながら、自分の名を打ち明ける。何処からか、桜の花が舞って来ては僕らの間を過ぎ去って行った。微かな芳香が鼻孔を擽り、遠い昔の出来事が頭の中へと雪崩込む。
「師匠の名を賜りまして、――博麗霊夢、と」
それはきっと、目の前の「霊夢」にとっては最も誇らしい事だろう。
けれども、彼女にその名を授けた「霊夢」の魂胆を、僕は知ったのだ。
その霊夢は「私の事を忘れて欲しくないばかりに」と遺書に記した。であれば、現在の霊夢が存在する理由は、一つしか有り得ない。今は亡き彼女の面影は、これほどまでに克明に、そうして残酷に此処にある。
春、夏、秋、冬。僕は今まで過ごしてきたその四季の中にある想い出を、決して忘れる事は出来ないだろう。それこそが霊夢の遺した呪いであり、僕にもたらされた幸福なのである。
厳酷なる浮世に別れを告げし者達の、墓標の前に男が一人跪く。
「交わした契りを果たせば忘我の境に低回する事もなく」
腐食を孕んだ土を穿ち、こつりと鳴れば冷たい方舟出でる。
「我咎人なれば、罪悪感ずる事もなく、彼方の世に願いが成就」
ずるずると音が続けば大地に軌跡が露わ。
「相貌醜汚の極致に達し、なれど彼の桜の下に、遥かな逢瀬を果たす」
嗚呼男の貌は鬼となり、女が真なる眠りへ就けば、降り出す紅雨。
――世は峻峭、世は醜穢、しかして一筋の光が差せば、世は柳緑花紅の如し。
◆
「よう、香霖。久し振りだな」
「魔理沙か。暫く見ない内に、随分と変わったものだ」
店の入り口の戸を開けて、そこから軽く会釈して見せた女に、男は微笑しながら挨拶を返した。かつて幼い印象を与えるばかりだった少女の姿は、今や見紛う事なく大人の姿へと変貌し、男はそんな彼女の姿を見る度に、寂しいような、嬉しいような、複雑な心持ちになる。そうして、時間の流れはこうも速いのだと、初めて気付くのである。
「そういう香霖は何も変わってないぜ」
「君達人間と比べたら、僕らが経験する時間なんて些細なものさ」
「はは、確かにそうに違いない。――なんだ、本なんて書いてるのか?」
「僕のように暇な者は、何かしらをしていないと死んでしまうんだよ」
男の元へ近寄りながら話し続ける女を余所に、男の瞳は始終机の上に落ちている。何枚も積み重なった紙の頂点を流暢に滑って行く彼の筆は、次々と新たな言句を生み出して行く。が、畢竟集中力を必要とするその行動に配慮もせず、女は無遠慮に話しかける。対する男も、掣肘された気概はないようで、平然とした表情のまま彼女の言葉に答えている。
「進行具合を見ると、そろそろ終わりか?」
「そうだね。後はこの一節を書き終えれば、――これで終わりだ」
そう云って、男は握っていた筆を置き、完成した文面をただ見遣る。読もうとする行いではなく、物体を鑑賞するような気色である。漠然とした意識で何処に注意を向けるでもなく、文面の全体を見渡しては、書き終えたという充足感に満たされる。けれども男の顔には、果たしてそんな表情は存在しなかった。
「それで、どんな小説なんだ?」
「ただの私小説さ。読んでもあまり面白くないだろう」
「じゃあ私が見てやる。香霖が書いただなんて、それだけで興味がそそられるじゃないか」
「元より誰にも見せる気はないよ。君とて同じだ。これは書き終えたら燃やそうと思っていたんだから」
男は憮然とした態度で、目の前に幾枚も重なっている紙の束を纏めると、ひょいと持ち上げてしまった。それで女は不機嫌そうに眉を寄せる。それでも男には、自らが書いたという書を見せる気色は豪も見られない。
「なんだ、つまらない奴だな。本ってのは他人に見せる為にあるんだろう」
「万人はそうかも知れないが、僕に限ってそれは当て嵌まらない」
「じゃあ何で本を書こうなんて気になったんだ? お前がそれじゃ、まるで意味がない」
女の質問は男の動作を一寸止めた。背を向けた男はそのまま動かない。女は怪訝な表情をして「どうした」と尋ねているが、やはり男は黙ったままである。――やがて男は緩慢な動作で女に振り向くと、痛々しい笑みと、悲哀の影を映した表情で、女の問いに答える。女は何も云う事が出来なかった。
「僕と、ある一人の人間の為、かも知れない」
颯と吹く風が、何処からか一枚の桜の花を、高き蒼穹に舞い上がらせる。
男と女は一様にしてその光景を目にしていたけれども、互いに何かを云う事はなかった。……
――了
なんて言えば良いのか分からないくらい、良かった。
素晴らしいの一言しか浮かばない
人と妖、間に穿たれた時という名の楔は、超えることのできないものなのでしょうか?
残された英雄はどう過ごすのだろう?疑問ばかり浮かびます……。
役目を終えた一人の英雄に安らかな眠りを……。
最後に、素晴らしい話をありがとう
あと、幸せにもしてあげてよ~
うまい感想をいえない自分が情けない。
せめて点だけでもお送りいたします。
次の春には二人の幸せな物語を見せてくれるんですね。わかります。
そして幸せな二人が見たくなるな
間に入る詩のような文章も素敵でした。
タイトルの著者を森近霖之助、にしなかったのは理由があるんでしょうか
・・・・・・自分の文才の無さに涙が出る。
感じた思いを言葉にすることすら難しい。
だが唯一言を送る。
素晴らしい話を有難う。
その言葉しか浮かばない。
純粋に感動して点を入れるのは久しぶりだわ
やはり彼女が少女から大人の女性になったからなのでしょうか?
貴方の描かれる博麗の巫女、風祝、隙間妖怪といった女性陣と霖之助の関係はどこか寂しくて切ないですね。
純文学的エロス、というものをよく描き出した作品でした。
霊夢と霖之助のやり取り、紫に対する霊夢の態度。
どきどきしました。
この話の真価はそこにあるのではないかな、と思います。
最後、魔理沙の登場にややご都合を感じてしまいました。
霖之助には然したる時間ではなくても、人間であった魔理沙には十三年は、重い。
数字に必然性があるのか、皆目分かりませんでしたので、この違和感を覚えたのだと思います。
タイトルがあだ名であることはあえてかな?そうでなければぜひ修正を。あと、タグの間のスペースは半角にしないとつながる。
軽々しい言葉では表現できない。この寂寥感、焦がれる程の美しさ。
一度紙媒体で、一日かけて読んでみたい。そんな作品でした。
愛って苦しいなぁ、と思った。
特に前半の雰囲気がたまらなかった
何度目かの転生の後、再び博麗神社の巫女に生まれ、その時は幸せになって欲しいものだ。
これぞ文学と呼べるぐらい完成度高いわ
そしてちょっとしんみりした内容でした。
心に残ると言うより抉り込む様に話が入ってきたよ
ほんま~凄いわ~
とてもきれいな話だと感じました。
良かったです。
個人的にはどっぷりと世界に浸りたかったのですが
文語を用いた詩的な表現が緩衝になって作品の世界に肉薄できなかったのが
私の読みのレベルの低さ故とはいえやや残念でした。
あの作品も、恋い焦がれて、取り返しのつかない間違えを犯し、自分の一生を文にして、燃やして、自殺、でした。そして、同じくエロイ!
「感動した」この一言に限る、上も下もないです
ただ純粋に「感動した」のですから
読んだ後も余韻に浸れる良い作品と思いました。
泣ける話だし、感動する話でもありました。
霊夢の様な呪いは死んでしまう大切な人にかけてもらいたいです。
すばらしい作品ありがとうございました。
愛した霊夢の死を乗り越えて、霖之助には強く生きてもらいたい……。
シンプルに、素晴らしい。
切なく、物悲しい。
けれどこれはバッドエンドでは無いのでしょうね。
お見事です。
でも幽々子様や映姫様にも事情あるんだろうなぁ…
本当にいいものを読ませていただきました。ありがとうございます。
題名が無いのも霖之助に内緒で仕上げたからなのかも…
話自体は素晴らしかった
素晴らしい。
書きたい感想が書けない自分が情けない……
言いたいことは三つ
\えろい!/\せつねぇ…/\すげえ!/
こんなんでスンマセン
とりあえず傷心の霖之助さんを癒す次代の博霊霊夢とのラブコメ辺を(ry