一陣の風が吹いた。
すると近くを漂っていた精霊が大きなクシャミをしたので、反射的に飛び出しそうになった。
が、ふと我に返り、すんでのところで踏み止まる。
(いけない……!)
もうすこしで、見ず知らずの精霊の脳天にダイブするところだった。
危うく難を逃れたということも知らずに精霊は、風穴の寒さに身を縮こまらせながら、目の前を何事もなく通過していった。
(このクセ、なかなか抜けないなぁ……)
遠ざかっていく後姿を見送りながら、大きな桶にすっぽりと身体を隠した風変わりな妖怪は、自分でもおかしくなって小さく笑った。
しかし、すぐにその表情は淋しいものへと変わった。
自分は忘れ去られた妖怪だというのに、自身の過去は、なかなかどうして忘れられないみたいだ。
釣瓶落としの少女・キスメは、大きなため息とともに桶のなかに沈んでいった。
◆
キスメはその外見からも判るように、決して外交的な性格ではなかった。
だけどまだ地上にいたころの生活は、たくさんの人々の笑い声に囲まれた楽しいものだった。
「ぶえっくしょいっ!」
舞台上の男が、わざとらしく大げさなクシャミをした。
それが、合図だった。
勢いよく舞台に飛び出したキスメは、そのまま急転直下で男の頭上に落下する。
――ごーん!
桶の底が男の脳天にクリティカルヒットすると、間の抜けた、それでいて景気の良い音が鳴り響く。
するとたくさんの観客たちが、どっと大笑いするのだ。
「んっ? 『このヒモ、引くべからず』?」
天井からぶら下がる見るからに怪しいヒモに、危なっかしく手をかける男。
それを見守る観客たちの期待が高まる。
そしてやっぱり男がヒモを引いてしまうと、
――ガンッ!
キスメが落下して、派手な音が鳴り響き、男が少々オーバーに痛がる。
お約束通りの展開に、緊張が緩んだ観客たちが一斉に笑う。
「アイーン」
そこに物が落下する必然性もなければ、脈絡もない。
されど、キスメは落下する。
――ごいーん!
すると、どんなに唐突だったとしても、爆笑の渦が巻き起こって舞台にオチがつく。
キスメの存在は、一種のデウスエクスマキナ的な役割を果たしていた。
舞台に上がる芸人たちとキスメによる、体を張った芸。
それは単純でバカバカしい笑いだったけれど、だからこそ種族や言葉を越えて伝わる笑いでもあった。
キスメは、そんな笑いが大好きだった。
そしていつまでも、笑い声に囲まれた日々が続くと思っていた。
しかし、そんな日々にも終わりは来る。
「……どうしてっ!?」
普段は内気でおとなしいキスメも、その日ばかりは思わず大声をあげて喚いてしまった。
それは、キスメが行動を共にしていた芸人一座が解散を決めた日のことだ。
「……解散するなんて……嘘でしょう、チョーさん!?」
座長のチョーさんは、キスメをはじめとする芸人仲間に囲まれて、申し訳なさそうに、だけど悔しげな表情で「もう、限界なんだよ」と告げた。
「……限界?」
「ああ、おれたちの笑いは、もう時代遅れなんだよ」
「……そんなことないよ! 笑ってくれる人たち……まだまだいっぱいいるよ!」
そう反論するが、キスメも薄々は気付いていた。
お約束にすっかり飽きてしまった観客たちの笑い声が、だんだんと少なくなっていること。
体を張った芸風が「危ない」「下品」といって、子どもたちが真似することを危惧した親たちから多くの苦情が寄せられていること。
そして、それに取って代わるようにして、誰にでも真似できる一発芸的な笑いが流行りつつあること。
キスメ自身も、ずっと心配していたことだ。
「――それに、おれたちも、もう歳だ。いつまでも体を張った芸ができるわけじゃあないんだ。ホラ、おめえさんのお陰で、おれの頭もすっかりこのとおりだよ」
チョーさんは笑いながら、禿げ上がった頭をぽんと叩いた。
みんなもそれを見て笑っていたけれど、本心は残念な気持ちでいっぱいだったはずだった。
チョーさん自身もそうだったに違いない。
きっと、悩みに悩んで決断したことなのだろう。
長い時間をいっしょに過ごしてきた仲間たちは、頑固者のチョーさんが一度こうだと決めたことを簡単に曲げないことを知っている。
そして、チョーさんの言う通りだということも感じていた。
だからみんなは、悔しいながらも納得のうちに座長の決定に従うことにした。
「オイオイ、おめえら、なにしけたツラしてんだ。そんなんじゃあ、笑ってくれるはずのお客さんも笑ってくれねえよ?」
「そうだな。最後の舞台だ、グランドフィナーレっぽく派手に打ち上げようぜ!」
「ぱあーっと、笑いの花火をな! シケた花火は上がらないもんな!」
「よっしゃ、おれたち史上最後にして最高の舞台にしてやろうか!」
「おめえさんも、いい仕事頼むよ!」
キスメは、こっくりと頷いた。
そして最後の舞台。
その日のキスメは、いつも以上のはりきりを見せた。
おかげで仲間たちは死にかけた。
「みんなとも、これでお別れだな……」
チョーさんは、頭から大量の血を垂れ流しながら、しみじみと言った。
だが、すべてをやりきった男に、後悔の様子はなかった。
「ところで、おめえさんはこれからどうするんだい」
「……わたしは、地底に下りようと思います」
「地底? なんだってそんなとこに?」
「……地底には、忌み嫌われた妖怪や忘れ去られた妖怪たちが、たくさん棲んでるって聞いたの。……このまま地上に居続けるよりは棲みやすいかな、って」
「そうか、地底でも達者でな!」
そしてキスメは、頭から出血し続ける仲間たちに見送られながら、地底へと降りていった。
「歯ぁ磨けよ!」
「風呂入れよ!」
「風邪引くなよ!」
芸人一座の仲間たちは、口々にキスメとの別れを惜しんだ。
そのときにキスメが流した涙は、桶に溜まって足元が水浸しになってしまうほどだった。
◆
そして月日は流れ、現在に至る。
静かな地底での平穏な生活は、確かにおとなしいキスメの性分に合っていた。
だけども、たまに過去の賑やかな日々が懐かしくなるときもある。
さっきだって、通りすがりの精霊のクシャミに、つい昔の癖が出てしまった。
(ああ、もう一度でいいから、誰かの頭上に飛び込みたいな……!)
キスメがかつての快感を思い出し、身悶えした。
そのときだった。
ふたたび、強い風が吹いた。
それは、博麗霊夢と霧雨魔理沙。
温泉を求めて、地上からやってきたのだ。
――ババンババンバンバン!
ふたりの少女たちは、弾幕で邪魔な岩を撃ち砕きながら飛ぶ。
――ババンババンバンバン!
邪魔な精霊たちをも、容赦なく撃ちまくっている。
霊夢たちの突然の乱入によって、静謐な地底の世界に爆音と喧騒が響き渡る。
さらに、温泉という餌に釣られたふたりは、テンションがあがりまくっていた。
「いい湯だっな~」
「ア、ハハン!」
「いい湯だっな~」
「ア、ハハン!」
霊夢と魔理沙が口ずさむ歌に、キスメは辛抱たまらず飛び出した。
笑うべきなのに、なぜか涙が・・・
そっかー、劇団にいたのかー……
キスメにならぶつかられてもい(ry
なんていうか……すごく元気出た!
色々ときました、もうホント色々と
こんなふうに出してくるとは……。
色々と笑えました。
団員達がキスメを見送るところでちょっとウルッとしました。
いろんな意味で泣き笑いッス。
元気出ましたぜ!
勘違いしないでよね、この涙は笑い涙なんだから!
ちょっと早い年末笑い収めでした。
簡易で付けてしまったので改めて評価出来ないが、気持ち的にプラス50点。
キスメ可愛いな、笑いつつしんみりさせていただきました。
すげえ
…地霊殿一面プレイ中、勝手に例のメロディが脳内再生されるように
なりました。どうしてくれるー。
ああもう、泣けばよいのか笑えばよいのか!
まさにえんやーこーらやどっこいさっさーこーらや
キスメの芸人魂に惚れました。
かつ筋が通っているのはすごい。