―――寒い。
霊夢はぼんやりと、黒く濁った空を眺めながら呟いた。ふわっと、白くなった息が乾燥した大気の中に広がる。
今日は、厳しい寒夜だった。
肌を刺すような冷たい風が吹き荒れ、彼女が着込んでいるぶかぶかのちゃんちゃんこを翻しては、追いかけっこをする子供たちのように、後方へと走り去っていく。背筋が冷えて、霊夢はくしっとくしゃみをした。
空は灰色の雲がほとんど一面を覆い、弱々しい半月が申し訳ない程度に、光を放っている。
ずず……と鼻水を啜りながら、霊夢は縁側に黙って立ち、腕を組んで空を眺める。
紅白の蝶は、今夜も一人だった。
寒くなって、宴会も少なくなり、人の通りがなくなった神社は、果たしてその存在の意味を有しているのだろうか。その神社の巫女たる自分も、存在する意味はあるのだろうか、と沈鬱な気持ちが込み上げてくる。
あんなに面倒で仕方なかった宴会の後片付けも、今は酷く懐かしかった。
はあ、と真っ白な息を吐き出して、冷え切った体を自分で抱きしめる。
後ろの障子の向こうには、暖かな部屋が待っている。自分一人でも、鮮やかな囲炉裏の火が、迎え入れてくれる。
しかし、それでも、霊夢は一人で部屋に戻る気にはならなかった。
また考え事をするような表情で月を見て、そして、目を伏せた。
「私は馬鹿だ」、とひとりごちる。
ここで待っていれば、誰かが来てくれるような気がして、ここを離れられない。離れたくない。
古びた床のギシギシと喚く音や、木々のざわざわと啜り泣く音を聞きながら、誰かが来てくれるのを待っている。
もちろん、霊夢はここを離れられないわけではない。その気になれば親友の魔法使いの家に行くことができる。知り合いの人形師を訪ねることだってできる。吸血鬼の家にも、地底の邸にも、行くことができる。彼女らは霊夢の来訪を歓迎するだろう。温かなスープと、穏和な笑顔をプレゼントしてくれるだろう。
しかし、それを理解してなお、自分を馬鹿だと罵りながらも、霊夢はここを動かない。
霊夢は、彼女らが自分の家に来てくれるのを待っているのだ。だから、自分で動くわけにはいかない。
それから少し経って、もう一度くしゃみをしてから、霊夢は境内へと足を運んだ。
凍りつくような冷たさの廊下を、ギシギシと軋ませて、歩く。
雪は、降っていない。あるのは意地の悪い寒風ばかりだった。
広い境内にでても、当然人はいない。
冷たい空気を肺に入れながらうろうろと意味もなく、鳥居の周りを歩く。霜の降りた地面を、踏みつける。賽銭箱の中身を確認して、鈴を無造作に鳴らしてみる。
錆びた境内に、がらんがらんとつまらない音が響いたのを聞いた後、霊夢は賽銭箱の隣へと腰かけた。
そして、「寒い」、と呟く。
枯れた木々がばさばさと風に打たれるのを聞きながら、真っ白な溜息を吐き出した。
風が吹きつけて、氷の冷たさを湛える髪がばたばたと暴れた。それをしがのような指先でかきあげ、直す。
やはり、当たり前だが、人が来るわけがない。
荒涼としたこの場には、誰も訪れる者はいない。
自分を元気づけてくれる魔法使いも、クッキーを焼いてきてくれる人形師も、自分を好いていてくれる吸血鬼とその従者も、心が読める嫌われ者とそのペット達も、胡散臭いが自分を何よりも大切に思ってくれている大妖も、誰も来てくれはしない。
霊夢はじわりと目に熱いものが溜まるのを感じ、慌てて拭った。「子どもか、私は」と情けなさが込み上げてきて、また涙ぐんだ。
どうして、冷たい夜はこんなにも人が恋しくなるのだろう。
潤んだ瞳で、空を見上げる。
縁側で見た時と、全く同じ姿で、寒月は自分を見下ろしている。寂寥とした闇の中に身を削りながら、他の星々が戻ってくるのを、只管に待っている。
霊夢は月に少しだけの共感を覚えながら、溜まった涙を再びぬぐった。
自分も一人なら、月も一人。ずっと、自分が生まれるより遥か昔から、ずっと一人。
「寂しくないの?」と、霊夢は月に語りかけた。
もちろん、月は答えない。
ただ、茫々と濁った空にその身を浸しているだけである。
霊夢はもう一度、「寂しくはないの?」と語りかけてみた。
声に、哀愁を籠めて、同情を込めて、そう、語りかけた。
だがやはり、月は答えてくれない。
霊夢は締め付けられるような心を気遣って、霜の降りた地面に、目を落とした。
自分の息で手を温めながら、潤んだ目を静かに伏せる。
すると、黙って浮かんでいた月の表情が変わった。
ゆらり、と。
一瞬だけ、月の顔が変わった。
まるで、霊夢が自分から目を離すのを待っていたかのように。
急に、ひゅうひゅうと吹いていた風が一層強くなり、周りの雲を薙ぎ払った。
半月は一度だけ、なけなしの力を振り絞って、濁った空から身を引き揚げ、透き通るような黒の中に、輝きを取り戻した。
月光が、地上を照らす。
淡いが、確かな光が、地上に降り注ぐ。
霊夢はさあっと照らされていく境内を眺めて、声も上げずに驚き、同時に、胸を打たれた。
凍てつききった空気の中で、美しい月光に照らされながら、鳥居で佇む碧色の髪を見たのだ。
深い碧色の髪が照らされて、ライトグリーンに、きらきらと輝いた。
同じように、早苗もまた、寒雲を割き、地上を照らした夜光に浮かび上がった霊夢の幻想的な美しさに、心を奪われていた。
どんな名画よりも煌びやかな本物の幻想が、掛け値なしの美しさが、そこにはあった。
二人は、寒さを忘れて、ずっとお互いを見つめあっていた。
やがて、月は役目を果たしたように、また濁々とした空に飲み込まれた。地上を照らした光も、さあっと闇が飲み込んだ。
また暗くなると、放心して棒立ちになっていた二人は、はっと我に帰った。
霊夢は素早く立ち上がって、早苗の下に歩み寄り、早苗は持っていた風呂敷を抱えたまま、パタパタと小走りで霊夢に駆け寄った。
「こ……こんばんわ、早苗」
「こんばんわ、霊夢。寒いですね」
霊夢は気恥しそうに話す早苗に「ん」と返事を返してから、居間へと招き入れた。
肌を刺すような冷たさは、何故かあまり、気にならなくなっていた。
☆
霊夢は用意した座布団の上に早苗を座らせ、お茶を淹れた。囲炉裏にあらかじめお湯を入った薬缶をかざしてあったため、簡単にお茶は出来上がった。
「はい、熱いから気をつけなさい」
「ありがとうございます」
熱々で、湯気の止まらないお茶を、早苗はずず……と啜った。
霊夢も、一くち口に含んだ。
「今日は、何の用かしら?」
「ああ、いいえ。この間の件でお詫びというか……」
「地底での……? 別にあなたが悪いってわけじゃないでしょ。あの馬鹿二柱が悪いのよ」
早苗はぶんぶんと首を振った。
「いいえ、私も計画は聞かされてましたし……何というか」
早苗は困り果てた、悲しそうな顔をした。
その表情は、どこかで見たことがある。
ああ、そういえば魔理沙が家に遊びに来て、古臭い壺を割ったときもそんな顔をしてたっけ、と思いだした。
夏のある日、神社に置かれていた年代物の壺が割れていたことがあったのだ。霊夢は全然気にしていなかったので、さっさと掃除をして済ませたが、その三日後、魔理沙が大量の食糧をもって、泣きそうな顔をしながら、訪ねてきたのである。
彼女は涙目になりながら「ごめん、ごめんな。黙っててごめん。あれ割ったの私なんだ、ごめんなさい」と話していくうちにぼろぼろと涙をこぼしながら、謝ってきたのだ。
最初から霊夢は何のことを謝っているか分からなかったので、「よしよし怒ってないわよ」と頭を撫ででやったものだが、今の早苗は、あの時の魔理沙と似たような表情をしている。
霊夢は目を細めて、聞いてみた。
「つまり、良心の呵責に耐えられなくなったのね……?」
早苗は視線を彷徨わせてから、黙ってコクンと頷いた。
やっぱりか、気にしそうな性分だもんな、と霊夢は心の中で呟いた。
「あんた、悪者に向いてないわね」
「……自分でもそう思います」
もじもじと指を絡ませながら、早苗は続けた。
「だから……お詫びに、夜食にと、鍋とケーキを作ってきたんです。お口に合うか、凄く不安ですし、今日みたいな日に訪ねるのも失礼かと思いましたが、どうしても会いたくて」
早苗はギュッと袴を握りしめた。
「ごめんなさい」
霊夢は頭を下げる早苗に、真面目だなあと思いつつ、お茶を啜った。
「そんなの気にしなくていいわよ。大体、あんたあの時常識がどうたらこうたら言ってたけど、常識があるなら、それが一番いいと思うわ」
早苗が頭を上げたのを確認してから、霊夢は続ける。
「何かにとらわれるのは……私は絶対に嫌だけど、自分の筋を通すって言うのは重要でしょ。こっちの世界の常識は自分の中に作っていくもの、だと私は思うわ」
うん、と頷いて、またお茶を啜る。早苗が目を輝かせながら「博麗先生……」と呟いたのを聞いて、「まともな生徒はできなそうね」と霊夢は笑った。
「……あ、忘れてました」
早苗は持ってきた風呂敷を解いて、白い箱の下にあった鍋をどんと、丸型のテーブルの上に置いた。蓋を開けると、湯気と癖のある匂いが部屋に広がる。
中身は真っ赤なスープに、沢山の野菜が浮いている料理だった。いかにも辛そうだ。
「これは……外の料理?」
「私特製激辛おじやです」
早苗は得意げに「辛いですよ~」といった。今夜は食欲がなかったので何も食べてなかったのだが、いつの間にか空腹になっていた。
それに加えて、霊夢は辛い物は得意なほうなので、素直に喜んだ。
すぐに食器を二人分用意し、唐辛子にまみれた雑煮を盛り付ける。
丼に盛り付けたおじやは赤一色。すんと匂いをかぐと、鼻孔が刺激されて、涙が出てきた。
早苗は霊夢が食べるのを躊躇しているのをみて、「いただきます」と手を合わせて、スプーンでおじやをかき込んだ。
霊夢も遅れて、スプーンを口に運ぶ。酸味と辛味が、舌の上を走り抜ける。
焼ける様な辛さだったが、食べられないほどではなかった。味は良いし、体が温まる。
早苗は霊夢が満足していたのを確認して、静かにほほ笑んだ。
「美味しいですか?」
「うん、美味しい」
一口食べると、どれだけ自分が餓えていたか、わかる。
霊夢は喉がひりひりするのを感じながら、おじやをかき込んだ。
冷たかった心を、別のものが満たしていく。
嫌なものが詰まっていた心に、温かなものが、流れこむ。
その代わりに、今まで心を満たしていたものが、いっぱいになって、あふれだした。
つ……と霊夢の頬に、暖かなものが伝わる。霊夢はぐいっと袖で拭うが、一粒こぼれると、堰を切ったように、ぼろぼろと溢れ始めた。それは、もう止まらなかった。
「……辛い。辛くて、涙が出てくる」と、そう自分に言い聞かせるように呟きながら、ひっくひっくと痙攣する横隔膜を押さえつけ、もぐもぐと咀嚼して、またかき込む。
霊夢はぼろぼろと涙を流しながら、おじやを食べた。
早苗は「泣くほど辛かったですか」と吃驚して聞いたが、霊夢は「食べられないほど、辛くないわよ」と、相変わらずぼろぼろと涙を流し続けた。
少し経って、鍋の中身は空になった。
霊夢はぐすんぐすんと嗚咽を漏らしながら、涙を拭いてた。
「霊夢、本当に大丈夫ですか? 無理して食べたんじゃ……」
「……ん、大丈夫。無理なんかしないし、本当に美味しかったから食べたの」
「本当ですか?」
「本当もなにも、嘘つく意味がないじゃない」
心配して、早苗はおろおろしたが、霊夢が落ち着いてくると、安心してほっと一息ついた。
一段落つくと、二人とも、膨れた腹を擦りながら、ぼうっと天井を眺めた。
シミだらけの、年期のある天井。
どれだけの者たちがこの下で、何を思って、どんなことをしてきたのだろうか。
まるで、何十年何百年前の者たちと、時代を超えて繋がっているような不思議な感覚を、早苗は感じた。
古臭い畳張りの居間を見渡すと、隅の方にある囲炉裏には、煌々とした火が踊っている。
霊夢は揺らめく炎に目を移して、先ほどの、早苗の美しさを思い出していた。
ふわりと光る髪に、輝く双眸。
あれほど美しいものを見たのは、いつ以来だろうか、と考える。
弾幕は確かに美しいが、あの、早苗の輝石のような美しさはまるで異質だった。
とても自然で、見る者を絶えず魅了させてしまうような宝石を思わせる、煌びやかな美しさ。
天井に視線を戻して、ため息をついた。
目の前にいるのは、至って普通の、女の子であるというのに。自分とはあまり変わらない年頃だというのに。
一方、早苗も、揺らめく炎の上に出来上がった陽炎に目を移して、先ほどの霊夢の美しさを思い出していた。
あれほど美しいものを見たのは、多分初めてだろう、と考える。
外の世界には沢山の綺麗な物や美しいものに溢れていたが、霊夢の幻想的な美しさはまるで異なった次元のものだった。
大勢の人を蠱惑する華幻。けれど儚く、あっという間に無くなってしまう淡雪のような、危うい美しさ。
空間を歪ませる熱を見ながら、ため息をつく。
目の前にいるのは、私よりも年下の、女の子であるというのに。神に仕える者として、自分とは変わらない存在だというのに。
ぱちっと、炎が跳ねて、空気を舐めるように動いた。
不意に、どうして霊夢はあんなところにいたのだろうか、と早苗は疑問に思った。
こんな寒い夜に、風もあるのに。何故?
霊夢は、相変わらず天井を見ながら、ぼーっとしていた。
その虚ろな眼は、赤くなっている。さっきの涙のせいだろうが、今日の霊夢は、何だかおかしかった。
いつものような、ガンとした無遠慮な所がない。
陽気な気質も今は見られず、何だか母を待っていた子供のようだった。
霊夢は早苗の視線に気づいて、「何?」と聞いた。早苗は少し迷って、言った。
「外は寒いですね、霊夢」
霊夢は無意識に「そうね、寒かったわ。とても」と呟くように返した。
早苗は首を傾げながら言った。
「寒かった、ですか?」
霊夢は柔らかな笑みを早苗に向けながら「だって、もう寒くないもの」と答えた。
「そうですか、そうですよね。よかった」
早苗も笑顔で返した。すると、霊夢はにこっと笑った。
「……うん」
急に子供らしい顔つきになった霊夢を見て、どっくん、と早苗の心臓が跳ね上がった。
ぎゅっと胸元を握りしめて、心臓の鼓動を押さえる。
「そういえば、何でこんな時間に来たの? 来るのに難儀したでしょうに」
「ええ、これを作るのに手間取っちゃって……」
どっくん、どっくんと強くなる鼓動を感じながら、早苗は無理やりに笑顔を作った。
そして、持ってきたもう一つ、白い箱に手を伸ばした。
「ふぅん、手間取るようなものをわざわざ作ってきてくれたんだ」
霊夢はがばっと身を起してテーブルに手を置いて、早苗に顔を近づけた。
「ありがと、早苗」
早苗は箱を取ることを忘れ、びくっと跳ねてから「はは……」と赤面して頬をかく。ばくばくと暴れ出した心臓を抑えるのに必死だった。
しかし、暴れ出した心臓は治まることを知らないようだった。
「そ、そういえば、何であんなところにいたんです? まさか私が来るのを勘で当てた、なんて止めてくださいよ」
早苗は目を逸らしながら言った。霊夢は身を引かずに、さらに乗り出した。
霊夢の深い瞳が早苗を捕らえた。
「違うわ。まさか、そんなの勘で当てれるわけないじゃない」
早苗は相変わらず、目を逸らしたまま「で……ですよね」と笑った。霊夢は目を逸らしている早苗に不満を覚え、顎に優しく手を添えて、自分の方を向かせた。
早苗の目が見開かれるのを確認して、霊夢は続けた。
「待ってたの」
早苗は「あ……う……」と喘いだ。暴れる心臓と、脈打つ体が、自分のものに感じられなかった。
「誰かが来るのを待ってたの」
早苗は完全に硬直して、霊夢の透き通った深黒の瞳を見るほかなかった。
飲み込まれそうになるほど深い、深い、真黒色。
早苗は霊夢の瞳の虜にされながら、やはり、自分は霊夢に惹かれているんだな、と思った。
それは、初めて会ったときから――――自分が初めて、敗北というものを知ったときからだったのだろう。
空を、幻想を自由に駆ける紅白の蝶に、目を奪われてしまったあの日から。
だからこんなにもこの陽気な少女が気にかかり、こんなにも簡単に、彼女の瞳に囚われてしまう。
霊夢は早苗を見つめながら、またあどけなく笑った。
「それで、あなたが来た。まさか私も本当に人が来るなんて思わなかったわ。ほら、もう二十二時でしょ? こんな時間に誰かが訪ねて来るわけないって思ったけど……」
霊夢は早苗の顎から手を放し、身を引いて、座布団に座り直した。
「それでもやっぱり待ち続けて――――寒い寒いって震えながら待ち続けて……あなたが来た」
早苗は甘美な鎖から解き放たれても、顔を動かすことができなかった。
震える唇も、跳ねる心臓も、汗まみれになった手のひらも、熱くなった目も、完全に自分のものではなくなっていた。
「あなたは奇跡を身に纏っているって神奈子が言ってたけど、嘘じゃなかったわね」
霊夢は一息、間をおいて、すうと息をすった。
「もう一度言うわ、ありがと、早苗」
霊夢が言い切ると同時に、体の感覚が戻ってきた。
ほぼ同時に、ぼっぼっと顔が耳まで真っ赤に染まって、火を噴きそうなくらいに熱を持った。
霊夢も、全く動じてなかったわけではない。
どういうわけか、鼓動が速くなるのを感じていたのだ。
黙って早苗を見つめている今も、心臓はトクントクンと温かく脈打っている。
霊夢は胸に手を当てて、目を伏せ、さっきとはまるで違った口調で、続けた。
「ねぇ、今さらなんだけど、私、早苗のこと――――」
「……っ!」
びっくんと、早苗は背筋を伸ばす。
霊夢はそんな早苗の様子を可愛らしく思いながら、続けようとした。
「早苗のこと――――」
霊夢は言葉を紡ごうとして――――なぜか出てこないことに気がついた。
たった一言のことなのに。何でか、その言葉を紡げない。
霊夢はあれ? おかしいな、なんでだろうと心の中で繰り返しながら、口をぱくぱくと動かした。
しかし、ついにはその言葉は出てくることはなく、霊夢は休止して、小首を傾げた。
「……おかしいわね、何で……」
呟いてから、霊夢は自分の身に起こった変化に気がついた。
顔が異常なくらいに熱を持ち、心臓が勝手に暴れまわって、頭が沸騰して、何も考えられなくなるあの感覚。
霊夢は、生まれてきて初めて、この感覚を味わった。
「あ……あ、あれ……なんで……」
胸元をぎゅうっと握りしめて、がくがくと笑う膝を押さえた。
「な……なにこれ……」
激しくなった動悸は、さらに霊夢を困惑させる。
顔を真っ赤に染めながら、目を白黒させている霊夢をみて、早苗もどうしようか、と沸騰した頭で必死に考えた。
とりあえず立ち上がって、両手で顔を隠して「う~」と唸っている霊夢の下に歩み寄って、肩を抱いた。
「大丈夫、大丈夫ですから」
「早苗……」と、真っ赤なちゃんちゃんこに負けないくらい赤い顔で、潤んだ瞳で、霊夢は早苗を見上げた。
初めて見た霊夢の表情に 早苗は気付いた。
霊夢は普段から物おじせず、飄々として、掴みどころがなく、誰にでも一目置かれているから――――この世界を背負っている身であるから、無意識に特別な人なんだと思っていたが、違うのだ。
この少女も、やはり自分と同じ人間なのだ。
立場を除けば、自分よりも幼い、女の子なのだ。
霊夢は唇が震えて、うまく言葉を紡げないのか「私……ご、ごめん、私なんかへん……」と早苗を見上げながら、やっとのことで絞り出した。
早苗はそんな霊夢を不憫に思うと共に、どうしようもないくらいの、愛情が湧くのを感じた。いつもの憧れではなく、もっと別の感情が。
肩を抱いたまま、霊夢を抱きしめる。思ったよりもずっと、線が細い。熱を取り戻した体の温もりが、じんわりと伝わってきた。
ぎゅうっと痛いくらいに抱きしめたはずだが、霊夢は大人しく、早苗の胸に顔をうずめていた。
少しの間身を寄せ合っていると、不意に強い風が、障子を叩いた。ガタン、と音が鳴り、早苗はそれにびくっと震える。
霊夢は瞑っていた目を静かに開いて、早苗の腕をとった。
「ありがと、もう大丈夫」
顔の火照りはとれていないだろうが、霊夢は落ち着いた様子だった。
早苗は名残惜しく思いながら、霊夢を放した。
霊夢は自分の胸に手を当てて、息を吸ったり吐いたりした。
ぼんやりと、早苗は霊夢の体温を思い出しつつその様子を眺めながら、何か自分は忘れていないかと、不思議に思った。
今日、ここを訪れた理由。
今日は何の日か。
そして、「あ!」と声を出してから、鍋を包んでた風呂敷包みから、三十センチ四方の、箱を手に取った。
「霊夢さん、今日は何ていう日か知ってますか?」
「え……えと……?」
「今日はクリスマスです!」
霊夢は「それって明日でしょ?」といった。
明日、自分は紅魔館のパーティーに誘われていたのだと、思い出した。
「いいえ、今日なんですよ。クリスマスイブは」
「だってレミリアが、二十五日に来いって言ってたし……」
早苗は、箱をテーブルに置いて、上蓋を取った。
「だから、イブは今日なんです、二十四日。……ほら、作るのに手間取ったのはこっちですよ」
霊夢は、上から覗き込むように、箱の中身を見た。
中身は、大きなケーキだった。
真っ白なクリームが、たっぷりと塗られ、真っ赤なイチゴがたくさん乗った、ふわふわのケーキだった。
霊夢は「うわぁ」と目を輝かせた。
そんな霊夢の様子をみて、早苗はほっと一息つき、ケーキを切り分け、クリームのたっぷり付いた果物ナイフを置き、箱に入れてあった二人分のフォークを取り出した。
「霊夢、遅れましたけど」
早苗は妙を緊張を覚えて、自分に苦笑してから、「メリークリスマス」といった。
霊夢も、妙に神妙そうな笑顔で返した。
「……メリークリスマス、早苗」
霊夢がケーキを口に運んだのを見とどけて、早苗は「どうですか?」と聞いてみた。
もちろん、味には自信があったので、次に霊夢が何と返してくるかは、わかりきったことだった。
「ん、美味しい。すっごく美味しいわ」
「よかった、苦労したかいがありました」
早苗は微笑みながら、子供のようにケーキにがっつく霊夢を眺めて、自分の分を取った。
食べようか、食べるまいか、迷うところである。最近ちょっと体重が気になり始めたので、全部霊夢にあげようと思っていたのだ。霊夢はいくら食べても太らない体質らしいから、大丈夫だろう。
しかし、この状況で、一口も食べずにいるのは、霊夢が食べにくくなるかもしれない。
考えていると、横から、霊夢がフォークを突き出してきた。
「早苗、早苗。ほら、あ~ん」
「えぇ、いいですよ。そんな」
「私のケーキが食べられないって言うの?」
む―と口を尖らせる霊夢に、早苗は恥ずかしそうな顔をしながら、おそるおそる口を開けた。
霊夢はニッと笑って、早苗の口の中に、ケーキを入れる。すると、クリームとスポンジのふわふわとした感触、続いて、とろけるクリームの甘さと、イチゴの酸っぱさが広がる。
二人で食べるには多すぎるし、カロリーの問題もないわけではなかったが、早苗が食べたのを確認して、もく、もく、とまた幸せそうにケーキを頬張り始める霊夢をみて今日だけはいいか、とひとりごちた。
☆
また少し夜が更けて、霊夢は、縁側へと出た。
部屋の中には、すーすーと寝息を立てる早苗と、食べかけのケーキがある。
早苗にかける蒲団を持ってこよう、と寝室に行く途中だった。
障子を閉めて、歩を進めると、雪が降っていることに気がついた。
しんしんと、ふわついた粉雪が後から後から降ってくる。だが、もう寒いとは感じなかった。
優しく流れていく冬風を背に受けながら、もう一度、今だにトクントクンと胸を叩く温かな鼓動を抱きしめた。
夜空には、あんなに弱々しかった半月が濁った黒雲を押しやり、一際目立って光る星に寄り添われて、気恥しそうに、きらきらと輝いていた。
霊夢は月に、にこっと笑いかけてから、メリークリスマスと、呟いてやった。
了
心情描写も情景描写もとても優しくて美しい‥「GJ!」です。
漢祭‥御武運を。メリークリスマス。
もう二つの神社習合してついでに二人も一緒になっちゃいなさいよ!と思わず叫びたくなるほどに甘い甘い
二人の未来に幸あれ。ベリーメリークリスマス!
でも二人の関係が暖かくて良いですね。
二人だけのクリスマスだけど何だか幸せそうな感じ。
霊夢と早苗の仲がもっと深まれば良いですね。
面白かったです。
漢祭はお気をつけを。
一点指摘を「関を切ったように」→「堰を切ったように」です。
さすが早苗さんだ!
月光に照らされる早苗さんは綺麗でしょうねー。もちろん霊夢も。
年上早苗の霊夢を見る姿勢が素敵ですね。
素敵なクリスマスプレゼントをありがとう。
甘くてすごいよかったです
素敵なプレゼント、ありがとうございます。
早苗さんもケーキ作ってて、なんか共感できたw
最高だ!
落ち着いた雰囲気がとても良かったです。
こういうの大好きですヨ。
一つ気になったのは、三点リーダー多用じゃないかな? と感じたくらいですかね。
次回に期待なため、それをふまえて厳しく点は入れてこれです。
次回期待!
なれないものですが、返信を。
>>1さん
ありがとうございます! 恐縮です!
>>3さん
具体的な評価に、感謝します!
男祭、来年は一緒にやりましょうかw
>>5さん
ありがとうございます! よいお年を!
>>6さん
甘々は僕も大好物です!
>>7さん
これからもがんばります!
>>煉獄さん
あなたから評価をもらうのが、目標の一つだったりしました! 具体的な評価をありがとうございます!
>>16さん
指摘をありがとうございました!
>>神谷さん
あなた様の作品は読ませていただいています!
私もあんな文が書けるようになりたいです!
>>24さん
傑作……なんて初めて言われました(ドキドキ
嬉しいです! ありがとうございます!
>>27さん
お読みくださってありがとうございました!
>>34さん
れいさなは自分も大好物でした!
>>35さん
次もがんばります!
>>38さん
レイサナはまた書こうと思います!
これからもよろしくお願いします!
>>46さん
男祭り、来年は一緒に行いましょうか!
>>47さん
もっと甘い作品が書けるようにしたいと思います!
>>desoさん
あなたのような大物からコメントを貰えるなんて……。
恐縮です!
>>喉飴さん
あなた様の作品も、見させて貰っています!
次の作品も楽しみにしてます! ありがとうございました!
文章の雰囲気もいいし、いいもの食べられました!
私もこんな雰囲気の良い作品が作れるようになりたいです。
「…あ、あれ?」なあの人とかあの人が見えました
恋愛ってタイミングすよね