【壷中の天 永遠密室】
>規定の登場人物を定義してください。
鈴仙・優曇華院・イナバ=事象の観察点。定義する者。すなわち『わたし』に相当する概念。
因幡てゐ=幸運の素兎。鈴仙のことをレイセンと呼ぶ。
八意永琳=鈴仙の師匠。鈴仙のことをウドンゲと呼ぶ。地上の密室は彼女の技。
蓬莱山輝夜=鈴仙の飼い主。鈴仙をイナバという愛称で呼ぶ。
上白沢慧音=先生。
藤原妹紅=慧音と仲が良く、輝夜とは宿敵の関係。
>入力確認。
想像できる最悪な寝起きの一発ってなんだろう。
今日という日にわたしは知った。
わたしは永遠亭で主に兎たちの統率をおこなっており、師匠から命令された雑務を処理したりもしている。基本、地上の兎たちはわたしの言うことなんて聞かないから、兎の統率をおこなっているというのは形だけだし、雑務の処理もほとんど一人でこなすしかない。
本当のところは、同僚のてゐにも手伝ってもらいたいところだ。でも、あいつもぜんぜん役に立たない。役に立ったためしがない。むしろわたしの仕事が増える。無駄に長生きしているくせに、行動はまるっきり子どもっぽい。
いや――、子ども返りしているのか?
いずれにしろ、わたしは師匠の仕事をほとんど一人でこなしている状況である。
ここのところは寝る暇もないほどの激務だった。
永遠亭の収支決算の日が近いのだ。
わりと計算は得意なほうだが、あまりにも莫大な計算量のため、ほとんど寝ない日々が、ここ一週間ばかり続いていた。
つらい。
眠い。
鬱だ死のう。
そんな言葉がリフレインするなか、わたしは夜四時ごろ、ほとんどぶったおれるようにして床についたのである。
そして、朝。
わたしはおそらく人生最悪と呼べる起こされ方をした。
「てゐ」
という掛け声とともに繰り出されるエルボー。
うん。当たり前のことだけど肘鉄だ。
腕の中でもっとも硬い部分を折り曲げることでさらに硬くしている。
それが全体重をかけて吸い込まれるように、みぞおちにヒット。
死ぬほど悶絶したね。
ふざけんなこのばかうさぎおまえどこに目をつけてどこに脳みそつけてどこに常識飼ってるんじゃクソボケが死ね。
などと約三十秒後には思ったが、そんなことよりもまず痛みで口がきけなかった。
思考が吹っ飛んだ。
むしろ何も考えられなかったと言った方が正しい。
いままでのうつらうつらの夢見心地が一瞬にして氷の地獄へと叩き落された気分で、わたしは冷や汗がでるほどの鈍い痛みとともに意識が覚醒したのである。
「な、なに……」
「あ、起きたー?」
「あんた何かわたしに恨みでもあんの。てゐ」
「起きたならいいじゃん」
「ふざっ――けんなっ!」
怒髪天をつくとはこのことを言うのだろう。
わたしの怒りは一瞬のうちに沸点に達し、気づいたらてゐの横顔を張り倒していた。
しまった。やりすぎたかと思ったがもう遅い。
「いたい……」
抗議するような目で、てゐがわたしを見ている。子どものような格好に騙されてはいけない。
ここで謝ったり、弱い態度をとればつけあがるに違いないのだ。
「なによ。なんか文句があるなら言ってみなさい」
「もういい」
いつもなら何か言い返してくるてゐだが、今日は少し毛色が違った。
まるでウサギの毛の中に犬の毛が混じっているような奇妙さだ。変だなと思う。
しかしそれ以上にみぞおちに喰らった一発の痛みが、あとからジンジンと響いてきている。
やっぱりてゐが悪いのだ。
わたしはなにもしていないし、そもそも仕事もろくにしないてゐにたたき起こされるなんて世の中まちがっている。わたしは疲れているし、せめて寝ているときぐらいは、起こさないでほしい。
時間――
時間は六時を回ったところで、もう少しは眠ることができそう。
二度寝しようか。
倦怠感から生じる怠惰な気持ちが、わたしをお布団の中へと誘う。
ああ――、どうしようもない抗いがたさ。
なにも考えたくない。
てゐの様子が少し変だったことなんて、どうでもいい。
今は――、寝よう。
寝てしまおう。
おやすみ……。
飛び起きた。
なんとなく身体が時間を教えてくれる。ふすまからこもれ出る光が、妙に明るかった。
昼――。
認識にかかる時間は刹那。
血の気がサーっと引いた。
二度寝の危険性は十分に理解していたつもりだったが、こんなにも簡単に敗北するとは思わなかった。
ああー、絶対師匠に叱られる。
憂鬱すぎる。
とりあえず落ちこんでいても仕方がない。一刻も早く職場にいって、師匠に謝らないと。
ふすまを開けて、わたしは日の光をとりいれる。ここ、永遠亭は平安時代の建物によく似た意匠をしているから、ふすまと畳の部屋が多い。わたしの部屋もまたその例に漏れない。
お日様の光を浴びると、寝ぼけた頭がだんだんとはっきりしてきた。
わたしは着替えて廊下にでることにする。
屋敷の中の様子は少々あわただしい。兎たちは兎たちでがんばっているようだ。
ああ、それなのにリーダーは昼まで居眠り。
最悪すぎる状況だ。
なにやってんだろう自分。
「あら、遅かったわね」
師匠は意外にも怒ってなかった。わたしの姿を見かけると、いつもと変わらない調子で声をかけてきたのだ。
「すいません。遅くなりました」
「いいのよ。ちょっと昨日は仕事を多くしすぎたみたいね。あとはわたしだけでも大丈夫よ」
「手伝います」
「そう」師匠は軽くわたしに視線を送る。「お願いするわ」
わたしはすぐに師匠のそばに行き、計算書類に筆を入れ始めた。
「今日の夕方ぐらいには終わるかしらね。なんとか間に合いそう」
師匠が書類に書きこみながら言う。書類を見てみると、確かに夕方までには終わりそうだ。兎の労働時間に定時があるとするならば、なんとか午後五時に終わりそうな分量。
五時からは解放される。そう思うと自然とやる気も湧いてくる。
「そういえば、てゐの姿を見かけなかった?」
「てゐは、今日も遊んでるんでしょう」
「そう。まああの子はそういう子だからしょうがわないわね。自分の幸福がなんなのか知っている子なんでしょう。だから幸福の素兎とか呼ばれている」
「気ままに振舞うのがですか」わたしは語意を強めて言った。「あんな自堕落な兎、うちにはいりませんよ」
「ふぅん……。てゐに何かされたの?」
師匠は聡い。簡単にわたしの変化は見抜かれてしまう。
何秒か迷った。
てゐに対する悪口になりそうだったからだ。
しかし、結局はてゐに対する怒りがまさった。
「てゐにエルボーでたたき起こされました」
「はやく起きて欲しかったのでしょうね」
「行動が子どもっぽすぎますよ。てゐは」
「でも、生物というものはすべからく大人になっても子どもっぽさをどこかに大量に保有しているものだから、そういう子どもっぽさを出すというのは本能に根ざした生理的行為だし、絶対的に必要だともいえるわね。誰しもストレス発散は必要でしょう」
「それでとばっちりを受けるのはわたしなんですよ」
「そうね。あなたの役回りはそんな感じになっちゃってるわね」
師匠は快活に笑った。
わたしの立場も少しは考えて欲しいものだ。
それからお昼まで仕事をして、お昼ご飯を食べて、また数時間仕事にうちこんだ。
師匠は一言も口を利かず、部屋の中はほとんど無音の状態だ。鉛筆を使った帳簿つけもそろそろ終り、あとは紐で閉じるだけ。
いつの間にか空が紅く染まり始めていた。
ようやく仕事が終わった。
肩のあたりが妙に重い。目のあたりは充血して真っ赤になっていることだろう。まあ、元から紅いけど。
とりあえず、仕事が終わったことを師匠に報告する。
「そう。ご苦労様。早速次の仕事」
「ええーっ」
「うそ。仕事というほどのことでもないわ。てゐを呼んできてもらえるかしら」
びっくりした。
普段ほとんど冗談は言わない性格の師匠が、今日はなんだか妙に明るい気がするのはなぜだろう。
なにかいいことでもあったのだろうか。
ともかくわたしは廊下に出て、てゐの姿を探すことにした。
とりあえず、てゐの部屋に行ってみる。竹林のほうにいることも多いが、その場合はちょっと探すのに時間がかかるから厄介だ。
「てゐ? いるの」
てゐの部屋のふすまは固くとじられていた。
姫様の御所である部屋には鍵がかけられているが、わたしたち飼い兎の部屋には特に鍵がついているわけではない。
したがって、ふすまを開ければそれで済む話なのだが……。
日本人としては閉じたふすまは決して開けてはいけないと思う。
出自は月であり地球を基準にすれば宇宙人であるが、精神の由来はわたしも日本にあると思っており、そういう意味ではわたしも日本人である。
だから、わたしはふすまに手をかけはしたが、実際には開けなかった。
師匠も姫様も宇宙人であるが、わたしと同じ立場だったら、おそらく同じようにふるまうだろう。
それだけこの壁は重い意味を持つ。
実際上は重いわけではなくむしろ軽いが――
ふすまはなおもわたしの前にたちふさがっていた。
日本の心――虚空の壁。
ふすま。
それは日本人の境界に対する考え方をうまい具合に表してはいないだろうか。
境界を具体化することなくあえて象徴化することで、逆に私的な空間であることを強調しているのだ。
現実的には音は漏れまくりだし、閉鎖性も低いふすまだけど、だからこそ開けないというつつしみ深さが必要となってくる。
わたしは待った。
すると、ふすまがほんの少し――、指をいれられるほど開けられた。見た目だけならつぶらな瞳が覗いている。
「なにか用?」てゐは不機嫌そうに言う。「用がないなら帰って」
「別にわたしが用があるわけじゃないわよ。お師匠様が呼んでるの」
てゐは少し驚いていた。
「お師匠様が?」
師匠がてゐをわざわざ呼び出して怒ることはほとんどない。単に珍しいから驚いたのだろう。
「いっしょにいくよ」
「わかった」
ふすまはまた閉じられる。てゐにもいろいろと知られたくないことはあるのだろうし、プライベートな空間を侵すつもりはない。
しばらく待つと、てゐは綺麗な格好で出てきた。
いつも着ているワンピースとは若干違う華やかな感じの服だ。
「あんたそれどうしたの?」
「印象づけだよ。師匠に好印象与えておけば、それなりになんかいいことありそうだし」
クシシとてゐが笑う。
なんというあざとい……。
まあそこらへんがてゐのてゐたる由縁だ。
こいつ――はっきりいって、自分がかわいいこと知ってるからなぁ。
だから余計腹が立つんだけど。
まあいい。実際にかわいいことは認めよう。
ただ精神にとてつもなく黒い部分があることもまた真実。
イタズラウサギ。それがてゐの二つ名だ。あとは人間を幸福にする能力を有していることから、シアワセウサギとか呼ばれていることもあるけれど、わたしに言わせれば、頭の中がお気楽なだけだと思う。実際、てゐの一番近くにいるわたしは幸せだと感じたことはない。
てゐはぴょこぴょこ跳ねるように歩く。
廊下を走るな――と言おうとしたが、走っているわけではないので微妙なところだ。結局わたしが言おうか言うまいか迷っているうちに、師匠のもとへたどり着いてしまった。
「ああ、また遅かったわね」師匠は微笑をたたえたまま言う。「今日で二度目」
「すいません」
「うそよ。怒ってないわ」
「すいません」
ひたすら謝るしかない。ほら、てゐ。あなたも謝りなさい。
視線で言うが、てゐは明後日の方向を向いて知らんぷり。
まったく、こいつは自分が人にどれだけ迷惑かけているのか考えたことがあるのだろうか。
師匠がわたしたちを手招いたので、そばに近づく。密談をするという雰囲気ではなさそうだが、いったいなんだろう。
「今日はわたしからいいものをプレゼント。とっても良いお薬ができたのよぉ」
「げ。まさか――」
「そう、そのまさか。実験台になってくれないかしら」
ぞーっとした。
わたしとてゐはよく師匠の実験台になることがあるのだが、たまに輪廻の狭間を経験したこともある。
三途の川を渡りかけて、小町さんと仲良くなりかけたこともある。
死にたくない。
わたしは死にたくなかった。
てゐはかたわらでぷるぷる震えていた。なんというチキン。まあウサギもいちおう一羽二羽と数えるものだし、チキンになってしまうのもせんないところではある。ただ、てゐの場合はすぐさま逃げ出しそうな感じなのに、今日は礼儀正しく正座中だ。殊勝だなと思うと同時にすこしばかり違和感。
なんだろうな、この変な感じ。
ちょっといつもと違う感覚は。
「大丈夫よ。別に精神に影響するような薬ではないから。厳密に言えば、ギリギリのところ薬といえるかどうかも怪しいもんなの」
「薬でもないものを飲ませようとしないでくださいっ!」
「これは厳格な数理に基づいて創られた移動機械に近い」
師匠が手に持っている薬は、ハチミツ色をしたカプセル状のものだ。綺麗な半透明をしており、小指の第一関節程度の大きさだ。
これが機械というのなら、もしかしていつぞやのときみたいに身体を小さくしてそのカプセルの中に入り、人体に突入したりするというタイプなのだろうか。
ミクロの決死圏ばりな大冒険がこのあと待ち受けてるのか
師匠の能力は言うまでもないことだが、あらゆる薬を作り出す程度の能力。不老不死の薬も創り出してしまうほどの超天才的能力。
普通すぎるのが逆に怖いことってないだろうか。そうだお夕飯は何にしようかなとかわいらしい少女が料理を作っているが、実は鍋の中はからっぽだったとか――。日常のなかににわかに侵入する異常こそがもっとも狂気をかきたてるものだ。
ざわり。
と、わたしは総毛立つ。
怖かった。師匠の笑顔も怖い。
もしかして今日、なにやら師匠が優しかったのは、
信じたくないけれど、
弟子をそんな実験動物だと考えているとは思いたくないけれど、
わたしを実験に誘うという伏線だったのか。
師匠はあいかわらず嬉しそうな表情を浮かべている。
いつものことながら、結局最後は実験につきあわされるのだ。
そうだとしたら、せめて説明を受けようと思った。それが哀れなモルモットにできる唯一の抵抗なのだ。
「いったいどういうことなんです?」
「これはね。幸せを探すための薬なの」
「幸せですか……。シアワセウサギならここにいますけど」
わたしはてゐの方をちらりと見る。
「幸せというものは形がないもの。これは幸せの本質的要素を探求するためにはうってつけの薬よ」
「脳内麻薬がでまくるとかですか」
「そんなの単なる幻想じゃない。――いや主観的な意味ではそうともいえないか。いずれにしろこの薬は幸福を連続試行するために存在する」
「連続試行?」
「そう」師匠は薬を陽光に透かすように覗きみる。「この薬は、ひとことで言えば神様 になるための薬。届かなかったすべての可能性世界を手のひらの宇宙へと収斂させるためのものなの」
「意味がよくわかりません。幻想郷にも神様はいるじゃないですか」
「神とは、この場合、因果の根源。要するにはソースのことよ」
「はぁ……」
師匠の話はときどき思考が飛翔するかのようなスピードで展開される。いまわたしは師匠の思考についていけているのだろうか。はなはだ自信がない。
要するに師匠が持っている薬は神になるための薬であり、神とは一神教的な神のことを指すのだろうか。
つまり――。
「全知全能になる薬ですか」
「まあそれに近い感じにはなれそうね。実際には限定された能力。いわば、すべてを置き換える程度の能力だから、全置全換と呼称したほうが正確かもしれないけれど」
「具体的にはどのように?」
「並列世界って知っているわよね。パラレルワールドとか呼ばれる。量子力学の観点から言えば可能性世界とも呼ばれる。そこでは『私』や『あなた』も無数に存在するの。いろいろと立場が違うかもしれないし、役割も違うかもしれない。人間関係も違うかも。それは可能性の問題。パラメータの割り振りの問題なの。そういった違う位置関係へと自由に移ることができる。これはそういう薬なのよ」
「違う世界へ飛べる……」
でも、それはなにかおぞましい。
そう、たとえば。
「いまここにいるわたしはどうなるんですか? 消えてしまうんですか」
「あなたにとってのあなたはいつだってあなたでしょう?」
ずいぶんと哲学的な物言いだった。確かにそうだ。観察者としての視点は動かせない。『瞳』は常に前方へと固定されていて、わたしはいつだってわたしを見ることはできないから。
しかし、そういうことが聞きたかったのではなかった。
「この世界の師匠たちにとってのわたしはどうなるんですか?」
「別にどうもならないわよ。あなたになりたいあなたが置き換わるだけ。異なる可能性世界間で、あなたの可能性どうしが交渉し入れ替わるだけなのだから他者にとっては認識しようがない。ちなみに実際に交渉するわけではないわよ。わたしさんわたしさんどうかあなたの立場と入れ替わらせてくださいと、いまのあなたが実際に交渉するわけではない」
「難しいです」
「そうねぇ……。じゃあこういうのはどうかしら。翻案としての表現になるけれど想像してみて。この薬は多数の次元を統括していて一種の情報の蒐集センターになっているわけ。それで、そこに薬を飲んで参加する資格を得た者が申しこみに来る。こういう自分になりたいんですけどって感じでね。そうすると薬のほうは条件にあてはまる可能性を選び出す。もちろんここでの交換はあくまで等価的。今申し込んだほうをAとして、適合した可能性世界のあなたをBとすると、BのほうはBのほうでAになりたがっている。そういう交換を行うようにする。こうすることで可能性は縮減することなく、世界はなにごともなく、すみやかに『なりたい自分』になれるわけよ」
「仮にBのわたしがAの世界で奇行に走ったら」
「それは、単にウドンゲと呼ばれるキャラクターが狂気に溺れたという事実が残るだけ」
「気持ち悪い薬ですね」
「でも、あなたには試してもらう。なーに、大丈夫よ。ちゃんと命綱はつけてるから。てゐ、あなたもそんな部屋のすみっこで縮こまってないで、こっちきなさい」
師匠が悪魔のような天使の笑顔で、てゐを呼んだ。
てゐは完全にガクブル状態だ。無理もない。
正直、わたしも戦慄していた。
これは要するに存在論的には同一の存在ではあるのだが、パラメータが違うわたしをわたしであると認めることができるのかという問題だ。
卑近な例になおしてみればわかりやすいと思うが、たとえば、わたしがとある一日を無限に繰り返すとしよう。
わたしは仕事をする一日を過ごす。わたしは勉強する一日を過ごす。てゐと遊ぶ一日を過ごす。姫様とお月見してまったり過ごす一日もあるだろう。
そういう微妙に違うけれど同じ一日を過ごすわたしは、その過ごすたびごとに、わたしという観察点において波動収縮し、一つの可能性へと収斂していくことになる。
このとき他にありえたであろうわたしをわたしは否定できるのだろうか。
それも『わたし』じゃないか?
逆に違うという意見もありうる。
わたしはあくまでわたしであって、可能性としてのわたしになれなかった可能性の絞りカスにすぎない。具現化されているわたしこそが真の実存であるという考え方。
これは仕事をしていたわたしにとっては、てゐと仲良く遊んでいたかもしれないわたしは幻にすぎないのだという現実的な認識に基づく。こちらの考え方のほうが五官に根ざしているためか当然な感じはするのだが、どうなのだろう。
どちらにしろ。
いずれの見解が正しいにしろ、まちがってるにしろ。
師匠には逆らえないんだけどね。
「はい、お口あーんして。ウドンゲ」
「あーん……」
ごっくん。
飲みこんだ。
最初の数秒、変化なし。
数十秒経っても異常なし。
わたしは逆に不安になって師匠を見る。
なんの変化もな――。
い……?
閃光。
一瞬のうちにまばゆい光に視界が覆われたかのような気がした。
違う、瞬間的に視座が動いた。
ものすごい勢いで、視線が飛んで、宇宙へと飛翔し、見えて、視えて、視得て、最後には何も見えなくなる。
暗い世界。
一面は虚無の海。
ああそういうこと、か。
固定された視点が因果を鳥瞰するために高度を上げたのだろう。
今、わたしは見えすぎている状態にあって、脳がその景色を認識できない状況にあるのだろう。究極の視力はなにもかも透過してしまって、因果の果てが視得てしまう。最終的には虚無を見つめるしかなくなって、要するに見えなくなる。
これは論理的帰結。
次に起こる変化を待ち構えているといきなり意識がふわりと浮いた。
な、なにこれ?
世界の波長がぐらぐらと揺れている。
わたしの意識は朦朧とする。
違う。
わたしの可能性が拡散しているんだ。
「大丈夫。これは単に移動にともなう意識のちょっとしたズレを補正しようとするものにすぎない。目覚めれば、あなたは神様になっているわ」
「神様に……」
「そう、カミサマウサギにね。あとはてゐに聞けばいい。てゐにはあなたの世界Bに同調させる薬を飲ませるから、帰還したくなったらてゐに聞きなさい」
「わかり、ました……」
だめだ。ぼーっとしてきた。なんだかすごく眠い。
前日からの寝不足との波状攻撃でわたしはすぐにでも意識を手放しそうだった。
「そうそう言い忘れてたけど」
師匠の言葉が霧のようにかすんで、最後に聞こえてきた言葉は
「この薬の名前は――ラグナ6と名づけることにするわね」
ラグナ6。
ラグナロク。
神々の黄昏か……。
師匠らしい大仰な名前だと思った。
気づいたらわたしは師匠の目の前に立っていた。
時間の経過をほとんど感じない。主観的には三十秒も経ってないんじゃないだろうか。
あれ?
どういうこと?
変化なし?
本当にどういうことだろう。師匠が作成した薬はいいにしろ悪いにしろ必ずなんらかの薬理効果があったはずだ。
なにもないということは今まで無かった。
いや――。
少し違和感。
てゐの姿が見えない。
「あの、師匠……」
「ん。どうしたの?」
「ラグナ6は失敗したんですか?」
「なんのことを言っているの?」
おかしい。師匠が自分の作った薬を忘れるわけがない。ここは変移した世界なんだろうか。その可能性は高そうだ。でもそうだとするといろいろおかしい。まず師匠の説明だと、世界Aから世界Bに移ったことになるわけだが、それはわたしがなりたい自分になれる世界のはず。
まずったな……。
そもそもなりたい自分とやらをどうやってラグナ6が判断しているかをよく聞いておくべきだった。
今のわたしは世界を移っているという明確な浮遊感覚はないが、もしかすると無意識のうちにどんどん交換しているのかもしれないし、無意識で神様している可能性もないとはいえない。時間が連続しているかのように感じるのは、そういう秩序をわたしが望んでいて、そういう秩序ある世界に在る自分を望んでいる結果かもしれないのだ。
でも――そういえば。
師匠は幸せを探求するための薬だとも言っていた。
無意識で何もかも決定されていくとすると、幸せもなにもあったもんじゃないから、ある程度強く意識したら、世界が変わる可能性が高そうな感じもする。
それともオートマティック?
試してみるべきか?
いや――
やめておこう。
意識を集中させようかとも思ったが、今、この世界に手を加えることのほうが怖い。
神様になれたかどうかわからないが、今のわたしが思うことはひとつ。
一刻も早く帰りたい。わたしが望むのはただ五体満足なまま元の世界へ帰還することだけだ。
確か世界を跳躍する前に師匠は言っていた。
命綱をつける、と。
それはたぶん、てゐに教えたのだろう。
こうやってわたしがあたふたしているのもおそらく実験のうちなのだろうが、師匠は本当に冷酷なお方だ。
「ん? なにウドンゲ」
この師匠じゃない。わたしは周りをみわたすふりをして言った。
「てゐの姿が見えないんですけど」
「あの子は自由人だからね。竹林にでもいるんじゃない?」
「そうですか」
「それよりも、姫様があなたのことを呼んでいたわよ」
「そうですか。――って、珍しいですね。姫様がわたしを直に呼ぶなんて」
「そうね。なにか子どもじみた用を出されたらしっかり断りなさい」
この世界でも師匠はやっぱり師匠だった。
わたしは一礼してその場を去り、廊下をゆっくりと歩きながら考えていた。どうしよう。どうするべきか。
わたしの選択肢としては二つほどあると思う。
ひとつは竹林あたりにいるであろうてゐを探して、帰還方法を聞く。ただこの世界がどうなっているのか具体的になにもわからない以上、下手に動かないほうがいいだろうとも思う。見た目はきわめて普通の日常だが、どこに異常な要素がまぎれこんでいるかわからない。
ここは異世界なのだから。
とりあえず、永遠亭は普段と変わらないようだから、わたしは姫様のもとに向かおうと思った。
姫とわたしの関係を一言で表すと、飼い主と飼い兎の関係だ。それなりにかわいがってもらえているのはわたしも感じるが、どうも姫様のかわいがり方は愛玩動物を抱っこするレベルのような感じもする。
それは、つまり――人格の否定とまではいかないまでも、やはりわたしというキャラクターをかわいがってくれているわけではないのだろう。事実、姫様は兎たちのことをすべてイナバという愛称で呼ぶ。わたしもてゐもその他の兎たちも全員イナバなのだ。
まあ、いい。それは瑣末なこと。
飼ってもらってることには恩義を感じてもいるし、姫様のことが嫌いなわけでもない。
必要以上に媚びる必要もないが、必要以上に卑屈になる必要もないということだけだ。
姫様の御所は、長い廊下を経た永遠亭の奥まったところに存在する。
廊下はすべて板張りで細長い空間を演出している。
両側は不釣合いだが白い壁。投射するスクリーンの役目も果たしていて、ときどき師匠が宇宙空間を映し出したりもしている。
が、もちろん物理的には普通の壁だ。
姫様の御所の前は、人の出入りは少ないが、障害になるものがなにもないから、廊下の端っこからでも美しいふすまを一望することは可能である。
月と竹。
両の腕を広げたほどの大きさのあるまんまるなお月様と、乱立する竹で彩られた永き夜。
それが部屋の前のふすまだ。
こういう演出ができるのはふすまのいいところで、障子では不可能なところだろう。
十間ほど廊下を歩き、わたしはふすまをノックした。
まあ多少変だが、和洋折衷の心ということで。
「姫様。わたしです」
「ああ、イナバ。遅かったわね」
今日三度めの遅かったコールだ。わたしが遅いのではなくてあなた方が呼びつけるのが唐突すぎるんですといいたかった。
もちろんいえなかった。
わたしは大きな声で「すいません」と謝る。
相手は恐れ多くも月の姫君ですからね。
なにやらガチャガチャキューッとやっている音が聞こえてきて、なんの音だろうなと思っていると、ようやくふすまが開いた。
「鍵を開けるのに手間取っちゃったわ。入りなさい」
姫様はいつものとおり、いやいつもよりもずっと輝いていた。なんというかオーラが違うのだ。いつもは怠惰な性格からかなんとなくだらしない雰囲気を有している人だったが、今日の姫様はまさしく月の姫の名にふさわしい気品を備えていた。
冷たい月のように綺麗な横顔。
すっと伸びた背筋。
そして、闇夜のように純粋な黒髪。
そこに深淵な表情をたたえた姫様の顔がまるで月のように存在した。
正直、ぞわっときた。
いつもの姫様とあまりにも雰囲気が違うからだ。波長を操るわたしの能力からすると、姫様の波長はいつも『暢気』寄りなはず――。
なのに――。
いまは。完全な真逆。
つまり、要するに、したがって、狂気……。
「どうしたの。イナバ……いいえ、二人きりになったからちゃんと名前で呼んであげましょうね。わたしのレイセン」
うわっ。なんだこれ。
白魚のような指先がわたしの肩にそっと添えられて、再びぞわりと冷たい感覚がする。
「どうしたの。驚いて。ねえレイセン。わたしのかわいいレイセン」
何度も何度もしつこいくらいに名前を呼ばれる。
わたしの本当の名前を繰り返される。ところがちっともうれしくないのはなぜだろう。この状況はとてもデンジャーだ。わたしの体感が全力で教えてくれている。
「いえ。なんでもありません。それよりも用事はなんでしょうか」
「わからない?」
「はいわかりません」
嫌な予感はビシビシ感じていますけれども。
姫様の含み笑いが怖いのですけれども。
わかりません。
わかりたくありません。
「ああ、そう……。なら教えてあげるわね。あなた、今日、わたしと閨をともにしなさい」
「ど、どういうことですか」
「伽を興じるだけのことよ」
「伽を……」
「そう、二人きりでね。あなたのことを思い切りかわいがりたいのよ。ねえ、いいでしょう」
「師匠に怒られますから!」
「あら、永琳なんてどうでもいいじゃない。わたしが興味があるのは、あなただけなのよ」
「師匠に叱られます。お許しを」
「あなたの師匠はわたしの従者。だからわたしの命令をあなたは聞くべきだと思わないかしら」
答えることができずに黙っていると。
うひゃ。
姫様が指先でわたしの顎を、クイともちあげた。
なにこの少女漫画風首上げ。
普通ありえない動作だが、人体の構造上、自然と姫様の双眸を覗きこむ形になる。わたしの狂気の瞳も、今の姫様には効きそうにない。適当なところで逃げ出したいところだが、どうすれば――。
「んふふ。あなたと合体したーい」
一万年と二千年前から愛してませんから!
姫様はナチュラルすぎる動きで、ふすまをそっと閉め、そこに鍵をかけた。わたしは咄嗟に鍵の構造を盗み見る。
ふすまは全部で四枚。
一枚一枚にわりと短めの金色の鎖が取っ手のそばについている。素材は不明だが、おそらくちょっとやそっとじゃ切れない類のものだろう。
その金の鎖の先端は凹と凸で一対になっているようだ。
どうやら、ふすまの端は両端についた壁の穴へと差込み、その他はふすまどうしの鎖を連結するらしい。
そうすることでようやくふすまの密室は完成する。
ってか、これ面倒くさすぎる。
図解するとこんな感じだ。
壁〕■■■■〔壁
■がふすま。空白部分に鎖。
全部で五箇所止められていることになる。わたしはさりげなくふすまに近づいて引っ張ってみた。
うわ。思ったより密室してる。
鎖の長さがうまいこと調整されているのか、引っ張っても数ミリ程度しか隙間ができない。あまり力強くひっぱったら、ふすま自体が変形しそうだ。
「これどうやったら開くんです?」
無駄だと思いながらも一応聞いてみた。
「ん。これ?」
鍵だった。小さな小さな鍵。
小指の先のようなサイズの鍵があって、それを連結部分の小穴に差し込んで開くのだろう。鍵の構造は単純そうだ。
しかし鍵――
それを姫様は何を思ったかパックンチョ。
ごっくんと胃の中に流し遊ばしめられた。何語を言ってるのか自分でもわからない。
どうしようもないほどに戦慄すべき状況だった。
結論から言って、脱出不能。
わたしはその場にへたりこんだ。
「これで、永琳に邪魔されることもないでしょう。いくら永琳が密室を創るのが得意だとしても、創り上げられた密室を壊すのは難しい」
「いやそういうことではなくてですね」
わたしの倫理観がとてもよろしくないと告げているのである。こう見えても真面目なタイプだともっぱらな噂のいい兎をしてきたつもりだ。
というか、そうそう思い出した。
「こんなの弾幕使えば一発で破壊可能じゃないですか」
「なんだそんなこと。じゃあ、結界でも張っておきましょ。物理的な力以外がこのふすまを通過しようとすると、警告音が鳴って多少の時間は遮断してくれるはず。もちろん、あくまで多少の時間であって本気で破られたら無理だろうけど、少なくとも服を着る時間ぐらいあるんじゃないかしらねぇ」
姫様は御札をぺたりとふすまに張った。
「この白い御札が紅く染まってたら、この部屋に向かって侵入するなんらかの神通力が使われたってことだから」
「いやそういうことではなくーっ」
「なーに? あなたもしかして、この期に及んでなにもされないとか思ってないわよね」
「思ってます。思ってますから」
「だから許してほしいとか?」
「そうですそうです」
「お布団の中で全部聞いてあげるわね」
いやあああああぁぁぁぁぁぁぁ。
わたしは姫様に首根っこを捕まえられ、ずるずると、そのまま布団のほうへと引きずられた。
「さてさて。レイセンの柔肌を蹂躙しちゃおうかなー」
「嬉しそうにいわないでください」
「おっぱいおっぱい」
「変態だーっ!」
めちゃくちゃな性格なところは変わってないらしい。ついでに言えば、わたしは貞操の危機らしい。
周りは完全に壁。絶叫して助けを呼ぼうかとも思ったが、駆けつけるまでに少なくとも血を見る結果にはなりそうだ。
まあいろんな意味で。
ここは想像力を働かせてみよう。
姫様の目が明らかにおかしい。するりと手が動いて、わたしの二の腕をつかんだ。
じんわりとしたスピードで顔と顔が近づく。
やばい。やばい。やばい。
姫様の腕を無理やり振りほどいて、わたしは四角い部屋の隅っこまで後退する。姫様は笑いながらじりじりとにじり寄ってくる。
捕食者の気分ってこんな感じなんだろう。
さながら姫様はライオンか。
そしてわたしは儚い兎。
「観念なさいね」
「観念したくありません!」
姫様がボクサーのようなスピードで角にいるわたしに迫る。わたしはさっと飛びのく。
ドシンと壁にぶつかる姫様。
いたそうに顔をさすり、しかしまだ表面上は笑っているから、なおさら不気味だ。
スマイルスマイルと呟き、
「つまり、これっていやがるレイセンを無理やり押し倒す。そういうゲームなわけね」
「そういうゲームってなんですかッ!?」
やばいよー。視線とか手の動きとかが食虫植物チックだよー。
ハエジゴクというべきか、ウツボカヅラというべきか。ちなみにハエジゴクは貝みたいな葉っぱをもっていて、中のとげに虫が触れるとパクっと閉じちゃうタイプの植物。ウツボカヅラはつるつるとすべってしまって抜け出せない蟻地獄のような感じの植物だ。
おそろしい。
わたしはわりと自分のことを鋭敏なほうだと思っているが、こういう未知の恐怖のまえでは、身体が重くなってしまう。人工灯の明かりに照らされた姫様のお顔ははっきりいってそこらの妖怪なんかよりもずっと恐怖を惹起させるものだった。
わたし、がんばった。
二時間――
兎とライオンの演劇は二時間続いた。
二時間も逃げまわることができたわたしを褒めてあげたい。
体力的には人間をそれほど凌駕しない姫様がお疲れになってその場でぶっ倒れたから、なんとかわたしの大事なものは守られた。
しかし、妥協案として同じ布団で眠ることになったのは、もはやわたしの能力的限界を越えた仕方の無いことなのだろう。
何もしないからといって涙目になられる姫様をみると、少しは悪い気もして、しょうがなく首を縦に振ったのだった。
布団の中では、顔をおっぱいに押しつけられました。
それ以外のことはほとんど覚えていない。
たぶん、なにもなかったと思う。
布団の上でぱっちりと目を覚ます。
横。
うん。横だ。
意識の混濁から解放されると、隣で姫様が死んでた。
部屋の中は嵐が過ぎ去ったあとのようにめちゃくちゃに荒らされていた。
そして部屋中が血だらけ。天井にまで血がついている。
物はあちらこちらに転がり、たんすはぶっ倒れ、その他の調度品もすべて部屋中に散らばっていた。
はぁ?
いみふ。いみふ。
意味不明の略語を二回も心の中で言ってしまった。
あまりグロ描写はしたくないのだが、姫様が死んでいるのは間違いない。びっくりしたというよりも生理的な気持ち悪さがまず最初に来た。
わたしは師匠に薬学的な知識を学ぶかたわら、同時に人体の構造も学んでいる。当然だろう。身体のことを知らなければ薬のこともわかりようがない。
目的がわからなければ手段を模索しようもないのといっしょだ。
それにあまり思い出したくもないが、わたしはこう見えて元軍人なので人の殺し方ぐらいは知っている。
姫様の死体は、見るも無残な状況だった。
瞬間的に死んでいるとわかる。
人体の枢要部――致命的ダメージを与える部位を一突き。
刺殺痕。
つまり、おなかをなにか鋭利なもので貫かれていた。それ以外に傷はなく、はだけた着物に目をつぶれば、ずいぶんと綺麗な死体だ。
ところで人がおなかを刺されてもすぐに死なないイメージがあるだろうが、実際のところはそんなことはない。心臓や頚動脈に比べれば一瞬で死ぬということもそうそうないだろうが、動脈がおなかの中にはちゃんとある以上(上腸間膜動脈という)、場合によっては一瞬のうちに絶命することもある。
つまり動脈が切れれば大量に血がでる。死ぬ――。
凶器はどこにもない。
謎……。
謎だ。
だって、姫様は不死なのだ。
殺したところで二十分もあればケロッとした顔で生き返る。
しかし――、もしも。
姫様が不死でなかったら?
考えうることだ。『蓬莱の薬を飲まなかった姫様と出会ったわたし』と交換している可能性がある。
わたしが飛んだことはまちがいないとして、どこまでコントロールできているのかは謎だ。
おそらくできるかぎり近接した可能性世界を選択しようと無意識なりで思っているのかもしれないが、細かな点で違いがでるのは避けようがなさそうだ。
今回はそれが致命的な形で発露した――とは考えられないだろうか。
考えられた。
だから怖かった。
姫様の虚ろな瞳は、今はどことも知れない空間を見つめている。
とりあえず二十分ほど待ったが、変化はなにも訪れなかった。
やはりこれは姫様は死んでいると結論づけたほうがよさそうだ。復活も、おそらくしないのだろう。
そろそろ昼時だった。
あまり長い間、わたしの姿が見えなくても不審がられる。
どうする……。いったいこの状況でどうしたらいい。
わたしは部屋の状況を観察する。
この部屋は四方が壁に囲まれていて、前方のふすま以外には出口がない。ふすまには異常がない。綺麗な平面状のふすまは先ほどと見た目はかわらない。もちろん部屋の状況と同じく多少の血が付着しているものの、なんらかの物理的力が加えられた様子はなかった。念のため近寄って調べてみたが、どこにも妙なところはない。結界の役割を果たしている御札を見てみると、どうやら誰も神通力を使ってないらしい。御札は白いままだ。当然のことながら金鎖もどれひとつ欠けていない。
いよいよもってこれは――。
そんな状況で。
部屋の中央あたり、正確には部屋の中央からはひとりぶんほどずれた所、
布団の上に姫様の死体はある。ふすまからの距離は姫様五人分ぐらい。メートル法で言えば、8メートル程度。
争ったのか、部屋の中はものすごく荒れている。
つまり――うん、そうだ。
わかってる。
これ、密室だ。
もしかして寝ている途中で『姫様を殺したわたし』と入れ替わったのだろうか。その可能性もあるから怖い。
というか、状況からしてまちがいなくそうじゃないか?
ふすまは先ほどと同じく鍵がかかっているし、部屋の中を丹念に調べたが、どこにも鍵はなかった。
ちょっとグロすぎてどうしようもないが、姫様の中を調べるとちゃんと鍵発見。
はぁ……、両の手が血だらけだ。
ずいぶんと生暖かったなぁ。
血塗られ兎になっちゃったなぁ。
まあ実際には起きたときからぽつぽつと血がついてたけどね……。
「ウドンゲ? もうお昼よ」
……!
わたしはそっと振り返る。
ふすまの向こうから師匠の声が聞こえた。
ヤバイ。逃げられない。
そ、そうだ。落ち着けわたし。まだ慌てるような時間じゃない。
交換すればいい。世界を交換して、なにごともなく平穏無事にすごしているわたしと交換すればいいんだ。
なんだ。簡単じゃないか。
わたしはすぐに念じる。
飛べ飛べ飛べ飛べ!!!!
……ん。
あれ?
なにかおかしい。
飛べない。
なぜ?
よく考えるとどうやったら世界を交換できるのか、その境界条件はいまだ不確定だ。
もしかして一回ぽっきりの転移装置だったのかもしれない。
「ウドンゲー。姫様ー。いないのー?」
師匠の焦れたような声が聞こえる。
本気でどうする?
わたしは必死で周りを見渡す。
部屋の中はどこもかしこも木張りで、おそらく弾幕を使えば一瞬で破壊できるだろう。
壁も天井も床もそういった意味では密室にはほど遠い。
凶器がこの場にないから申し開きをすれば、師匠にはわかってもらえる確率は高そうだ。
しかし――この世界の師匠が本当に理解のある師匠なのか今のわたしには判断のしようがない。
逃げるか?
逃げるべきなのか?
てゐの状況がわからないのが恐ろしい。この世界にもしもてゐがいなかったらわたしは永遠に牢獄で暮らすことになりそうだ。
「あけるわよー?」
「あ、あの師匠。いま、姫様は寝てらっしゃっいます」
「たたき起こしていいわ。早くしなさい」
「いや安らかな寝顔ですので」
さすがに死に顔とはいえない。
「人間の睡眠時間は七時間程度が一番いいの。それ以上長く寝ると逆に不健康なのよ。さっさと開けなさい。開けないなら無理やりこじ開けるわよ」
静かな声だが、いらいらしているのがわかった。
くそう。時間を稼ぐこともできないのか。
やむをえない。わたしは人差し指以外を折り曲げて、銃の形を作り、弾丸の形をした弾幕を作り出した。
師匠が中の様子を見聞し、わたしに追っ手を差し向けるまでに要する時間は一分もかからないだろう。それだけじゃない。師匠とまともに戦っても勝てるわけがない。ここはてゐとなんとか合流して、元の世界に帰還するのが一番てっとりばやいはずだ。
壁に向かって、弾を発射。
ぶわっと空気の奔流とともに衝撃波が起こり、壁は粉微塵に粉砕された。
「何事!?」
師匠の声が後ろから聞こえる。
ここまで一秒。
わたしは文字通り脱兎のごとく逃げ出した。
追っ手の兎たちはわたしにとっては雑魚なので、死なない程度に痛めつけて追い払っていたが、そのうち師匠に場所を特定されてしまうだろう。竹林の中をさ迷っているだけじゃジリ貧は確実だった。てゐはどこにいるのかまだわからない。
このさわぎの中じゃなかなか出られないということも考えられる。
あいつ、実際こわがりだし、こういう状況下ではまるまってしまうのだ。
文字通りの意味で手と足をまるめて。
これが実際かわいいんだ。まあ、だからといって無理やりいじめたことはない。てゐはどこかで泣いていないだろうか。
くそ。何を考えているんだわたしは。
もっと冷静にならなければ――もっと頭を働かさなければダメだ。
それにしても妙なことになっている。師匠の薬を飲んで平穏無事に済んだことは一度もないが、今回ほどピンチになったことはない。
捕まったら、この世界の師匠に口ではいえない地獄の責め苦を味合わされることになりそうだ。
想像すると怖かった。
それにしてもどこに行くべきだろう。
このまま竹林であてどなくさまよっていても、絶対的にまずい状況になるのはわかりきっている。
どこかに身を隠さないと。
しかし――どこへ?
再び自身に問いかける。
わたしは人見知りが烈しく、あまり出歩くことがないためか人脈どころか知人も数える程度しかいない。
たとえば――紅魔館の主人。レミリア・スカーレット。彼女に無理やり呼び出されてなにかよくわからない事件の犯人扱いされてボコられた覚えがあったりもするが、ああいうところにはお世話になりたくない。
博麗の巫女のところはどうだろうか。
彼女はけっこうな面倒臭がりなところはあるものの、平等主義を地でいっているため、懇切丁寧に説明すればかくまってもらえるかもしれない。
けど、この場合は、逆に危険が増すともいえる。
あまりにも彼女は有名人なのだ。
この幻想郷において博麗の巫女のことを知らない存在はいないんじゃないだろうか。
そうすると、かくまってと頼んだその日のうちに追っ手に見つかってゲームオーバーの可能性も十分に高い。
やはり――だめだ。
選択肢はない。
「でも、動かなきゃ……」
わたしはとりあえず竹林を抜けることにした。
わたしがあとひとつよく行っている場所は、人里だ。
そこに行くしかない。
おいつめられた兎にできることはもう誰かになりふりかまわず助けを求めることだけ。
この血だらけの服装で人の前に出るのははっきり行って自殺行為だが、師匠達もおいそれとは立ち入ることができないだろう。
飛んだら神通力を感知されてしまう可能性が高かったので、わたしは竹林のなかを走って人里まで降りることにした。
視線。
人間の視線が容赦なくわたしに突き刺さる。
ようやく人里に下りてきた。
わたしは今、里の人間たちに遠巻きに観察されている。腫れ物に触るような視線がぶしつけに投げつけられて、わたしはどうしようもなく立ち止まる。
話しかけられるような雰囲気ではない。いつもの人里はのんびりした雰囲気なのだが、さすがに血塗られた兎が迷いこんだとなれば、彼らも恐怖心が増長し、普通ではいられないということなのだろう。
わかってた。
自分の両の手は今はもう渇いていてべっとりとした感覚はなくなっているが、真っ赤に染まっている。
着ているブレザーも同じく血だらけ。
そして人間ではない異端の存在。
こんな状況で、優しい笑顔で「やぁ」とかフランクに話しかけられたら、そっちのほうが逆に怖い。
正常な反応なんだ、と思った。
でも、どうしよう。
行く当てなど最初からなかったが、ここでかくまってもらえない場合、本気でレミリア・スカーレットのもとに身を寄せるしかなくなる。わたしが紅魔館の主人のもとに行きたくないのは別にボコられた経験があるからだけではなく、それもあるけど――要するに幻想郷内で戦争じみたことが起こる可能性があるからだ。
月の民の科学水準は幻想郷の中ではぶっちぎりでトップだから、師匠が負けることはまずないとは思うが、神通力においては誰も彼もが理論上無敵だったりするから何が起こるかわからない。回ってるコマのようにきわめて不安定な状態なのだ。少し手が触れたらすぐに回転は止まってしまう。
だから、人里が一番無難だったのに――。
人間の弱さ。
わかってはいた。しかし、一番弱いのは自分なのかもしれない。一見すると気が強そうに見られる傾向があるが、本当のところは内向的な兎だと自分でもわかっている。
「これはまたずいぶんと厄介なお客様みたいだ」
後ろから声。
わたしはすぐに振り返る。
長髪で美麗な人。
それがわたしの第一印象。
頭にはなにか大仰な帽子状のものがかぶられていて、昔ヨーロッパで船かなにかをカツラにしてたことを思い出した。重そう。
目と髪の配色から考えて、どう見ても人外だ。
いや、半妖というところか……、あるいは人獣?
まとっている雰囲気はやわらかく、正面から見える笑顔はアジサイのようだった。
しっとりとした視線を感じる。
こんな異常すぎるわたしに声をかけてくるとは、どう考えても並の胆力じゃないだろう。
……誰だ?
「穴があくように観察するのもそれぐらいにしてくれないか。君は永遠亭の兎だね」
「そうです」
「わたしは上白沢慧音という。ここで子どもたちに歴史を教えている者だ」
ずいぶんと硬い口調だなと思う。
その口調から性格の真面目さが垣間見える。その人の周りに人間の子どもたちが集まってきた。あいかわらずわたしに対する視線は警戒心が混ざっていたが、慧音と呼ばれる人物に対する敬愛の情が勝ったのだろう。
けーね先生。けーね先生となついていた。
子どもにこれだけ信頼されているところを見ると、この人物は少なくとも悪者じゃないと思う。
「助けてください」
意を決して言ってみた。真摯な態度をとれば、もしかすると助けてくれるかもしれないという淡い期待があった。
もうここしか行くところがない。
「困っているようだね。いいだろう。情けは人のためならず、だ。子どもたちに教えていることを実践できないようでは笑われてしまう。おまえたち、今日の学校はお休みだ。おうちに帰りなさい」
子ども達は元気に手を振り、帰っていった。
この人は、信頼に値する人物なのだろう。
子どもたちだけではなく、大人もわたしに対する警戒心を少しだけ――ほんの少しだけ解いて、いつもと変わらない日常へと戻っていった。
あとはこの人にまかせればいい、そう考えているかのように。
わたしは思わず口を開いていた。
「慧音先生」
「ん。ああ。何も心配しないでいいよ」
寺子屋の中は畳でできている。壁には子ども達が書いたのであろう習字がてんでばらばらに張ってあった。子ども達に自分で張らせたのだろう。紅い筆が走っていて、基本的には花まるが多い。あまり叱れないタイプなのだろうか。ただし指摘と注釈が細かい筆で書かれてあって、慧音先生はどうも細かすぎる性格らしいことがわかった。
師匠は――ああ見えて理知的すぎることも理知的ではないことを理解しているタイプだと思う。
適当なことがファジー理論につながることを知っていて、カオスであることもまた秩序系の一種であることを知っているようなタイプだ。
つまり、この考えを推し進めると、こうも言える。
慧音先生は十分に人間味に溢れている、と。
実際、時々思考が追いつけない師匠に比べて、慧音先生の話し振りはすこぶるわかりやすい。ただ少し冗長な話し振りともいえる。
わかって欲しいという気持ちが強すぎて、説明しすぎてしまい逆にわかりにくくなってしまうのだろう。子どもたちには少々酷だろうが、師匠でなれているわたしにしてみれば、先生の言葉がどれだけ慈愛に溢れているのかわかる。
驚くべきことは今日はじめてあったわたしにも、優しさがこめられていることだった。
――この人には勝てそうにない。
「まずは着替えてもらおうかな。子ども達が脅えてしまうから」
「はい」
出されたのはおそらく慧音先生が着ている服だろう。洋風のワンピースというものによく似ている服だが、若干和風な要素も取り入れた珍妙なタイプだ。当然見たこともない。歴史からはずれた服といった感じだ。
「ここで着替えるのですか」
「わたしも女だから気にしない。わたしが部屋のなかにいたほうが里のみんなも安心だろうし、我慢してほしい」
「わかりました」
拒否できるような立場でもないし、先生が言うとおり女どうしなので、わたしは極力気にしないように着ているものを脱いだ。
とはいえ、まったく考えないわけにもいかないのが、羞恥心ある兎の悪いところで……。
無言のままじっと見つめられると息がつまりそうだ。
「頬と身体にも血がついている。手ぬぐいをぬらしてくる」
先生の反応は驚くほど淡白だ。
数分後、慧音先生が手ぬぐいを数本ぬらして戻ってきた。片方の手の中には木の桶が握られており、中には水が入っている。
着ているものを脱ぐ。下着だけはさすがに勘弁して欲しい。見てみると少ししか血がついていない。これならまあなんとか許せるだろう。
ただ慧音先生の視線は厳しい。
「身体中血だらけみたい。だけど、幸いなことに君自身には傷はないようだ。背中はわたしが拭いてあげよう」
「お願いします」
背中はさすがに自分では拭けない。
恥ずかしがるな自分。
少し頬が熱くなるのを感じたが、先生の手つきにはいやらしいものはなく、むしろ子どもに対する愛情のようなものが含まれていた。
わたしもまだまだ子どもだということなのだろうか。年齢的にはどうか知らないが、精神年齢という意味においては慧音先生のほうがずっと大人であるように感じた。
背中を先生に拭かれたあと、わたしは自分の身体を手ぬぐいでぬぐった。ようやく身体中から血の臭いがとれた。桶の中は血でうっすらと紅く染まっている……。
先生は嫌な顔ひとつせず、血だらけになった手ぬぐいと桶を持っていった。
わたしはしばらく待つ。
心は奇妙なほどに落ち着いていた。一生忘れることができなさそうな強烈な画像を目の裏に焼きつけてきたというのに、畳の部屋で、沈黙とともに正座をしていると、自然と心の中に静謐が満ちていく。
慧音先生はお盆の上にお茶をのせてやってきた。渋そうな緑茶だ。わたしはのどが渇いていたので、すぐに手に取った。
のどを濡らし、渇きが収まると、わたしは大きく息を吐く。
精神の緊張が少し解ける。
「では、まず君の名前から聞こうかな」
「鈴仙です」
「ふむ。では鈴仙。なにがあったか教えてくれないか。できるだけ順序良く。最初から」
「わかりました」
しかし――どこから話したものか。
幻想郷の時代遅れな技術では、さすがに知恵者であっても師匠の薬のことを理解できるとも思えない。ラグナ6を作成可能なのはおそらく人外のオンパレードな幻想郷においても師匠だけなのではないだろうか。もちろんわたし自身もいったいどのようにして、薬を作ったのかはわかりようもないのだった。
慧音先生は、ただ静かにわたしが話しはじめるのを黙って待ってくれている。
その顔を見て、わたしもようやく決心した。
言おう。
言ってしまおう。
ラグナ6がどのようなメカニズムで作動するのはかわからないが、少なくともどんな結果をもたらすのかは経験している。
つまり、オブジェクト指向だ。
テレビやゲーム機器と同じでどんな原理かはわからなくても、終局、どんな振る舞いをするのか理解していれば、知恵をめぐらすことは可能。ならば知恵者から知恵を借りるのも悪くない。
わたしはすべてあまさず説明することにする。
永遠亭の主な構成員。永遠亭の構造。師匠に薬を飲まされたこと。薬の効果によって世界が交換され、全置全換されること。そして、その力のせいで、飼い主である姫様が殺された世界になぜか飛ばされたことを話した。気づいたとき部屋の中は血だらけだったこと。ふすまには鍵がついていたこと。鍵は姫様のなかから見つかったこと。争った形跡があるけれど、部屋のなかには自分しかいなかったこと。神通力がふすまを通り抜けると札が反応すること。そして、つまり部屋の中は密室だったこと。
これらをすべて伝えた。できるだけわかりやすく説明したつもりだ。
「世界を交換する薬か。珍奇なものを発明するものだなぁ」
「いつも師匠の実験台ですから」
「とすると、この世界は君にとって異世界ということになるわけだね」
「そうです。わたしにとっては交換されたBの世界です」
「ふうむ」
腕を組み、背筋を伸ばした正座の姿勢のまま、慧音先生は沈思した。
その姿はまるで一振りの刀のように鋭い美しさがある。
わたしも真似をして考えようとするが、どうも思考がまとまらない。雑念が多いことは自分自身も知っていた。そんなだから、てゐのイタズラにいつも振りまわされるのだ。
ほとほと自分にあきれるしかない。
慧音先生が静かに目を開けた。
「鈴仙。君にとっての元の世界の師匠は、いったい何を思い、この世界に君を送りこんだのだろうな」
「師匠は幸せを探求するためだと言っておりました」
「幸せとはなんだろう」
突然の問い。
幸せとは何か。
茫洋とした答えは持っているものの、これだという答えは見つからない。
「君はどう思う?」と慧音先生は子どもに言い聞かせるかのような口調になった。
わたしはとっさに、
「幸せだと感じたら、それが幸せなのではないですか?」
と答えた。
「君は幸せが主観であると思っているのだね」
「ええ、そうです」
「しかしたとえばの話だが、アヘンやけしを常用している者は、その瞬間、主観的には幸せだろう。それでも彼は幸せといえるだろうか」
わたしは言葉に窮した。
麻薬中毒者の主な症状を想像する。
うつろな瞳。血走った瞳。頬はだらしなくゆるみきり、よだれが口の端から零れ落ちる。そして口元からは幻惑に魅せられたものの言葉が間断なく呟かれるのだ。
それ――が正しく幸せであるといえるのだろうか。
けれど。
「幸せが客観であるとすると、それもおかしい……」
「そうだな」慧音先生は大きくうなずく。「幸せは誰かに決められるものでもない」
「じゃあ、主観でも客観でもない……」
それはいったいなんだ?
幸せはいったいなんだ?
答えはないのか?
答えがないということは、つまり――師匠はこの世界で朽ち果てろ、と……。
ぞっとしない思考に視線が落ちる。
恐ろしい考えではあるが、一応筋は通っている。
最初からてゐがいないのが異常で、しかも次には姫様が死んでいる。そんなふうに、わたしにとってどんどん状況が悪化していっている。わたしは師匠に恐ろしく緩慢に殺されようとしているのではないだろうか。
そういったことを慧音先生に言ってみた。
「いや、違うだろう。そもそも君の話だと、君の主観によれば、世界が変わったかのように見えるだろうが、元の世界の住人にとっては交換された君はそこにいるわけだ。Aの世界の君とBの世界の君を同定することは不可能だろう。とすれば、結局、社会的に抹殺することはできない」
「そこにいたわたしは殺せます」
「確かにな。だが、それは無意味だ」
「どうしてです?」
「もし仮にAの世界の永琳殿が君のことを抹殺したいのなら、おもむろに自分でラグナ6を飲み、『鈴仙と出会わなかった自分』や『鈴仙を殺した自分』を選択すればいい」
「わたしをいじめて楽しんでいる可能性もあります。今ここで苦しんでいるわたしを想像して楽しんでいるのではないですか!」
ヒステリックに叫ぶ自分がいた。
嫌な思考をしていると自分でもわかる。
けれど、不安がとまらない。
言葉も気持ちもとめられなかった。
慧音先生は黙って、わたしの絶叫を受け止めた。
そしてぽつりと呟くように言う。
「神に等しくなれるほどの薬を作る者が、そういうことを考えるだろうか……」
「わかりません」
「幸せについてはこれだという答えはないのだろう。幸せに形はない。物体としての形がないのは当然のことだが、それだけでなく観念そのものが形を持とうとすると崩れ去ってしまう類のものなのだろうな。わたしは幸せとは生滅するものだと考えている」
慧音先生は不意に立ち上がると、窓の外に視線をやった。
そして口を開いた。
「わたしは里で歴史を教えているのだがね。歴史には二つの考え方がある。一つは唯物史観。これは歴史とは物質であるという考え方だ。歴史は物質の上に胡坐をかき、どっかりと腰を落ち着けて存在するという考え方だ。では物質とは何かが問題となるが、これはつまり人間精神以外のものを指す」
少し硬い口調だ。授業モードなのだろう。
まったく関係のない話のように思われるが、類推の話は師匠でもお手のものだ。
黙って聞くことにする。
「唯物史観によれば、主体となるのは自然であり、人間の認識はその主体に追いつこうとする。これが歴史の動きであるとする。人間が物質の未知の領域を踏破していく運動こそが歴史であるという見解である。確かになるほどと思う一面もある。赤ん坊を見てみればいい。彼あるいは彼女は最初に外界を認識し、徐々に見たものの名前を覚えていくだろう。それをその子の歴史と呼ぶのは正しい。しかし本当にそうだろうか。人間の認識にはいつでも限界があり、彼や彼女の認識は決して事物の本来的な性質を根源にまで遡って明らかにすることはない。事実、人間はせいぜいがたとえばここにある机を見て、木でできているのだろうな、程度しかわからないのだから。そうだとすると、人間は究極的には真理の認識に到達できない」
慧音先生はここで大きく息継ぎをして続ける。
「これは、いわば一タス一は四であるという式が成り立つ算術のようなもので、歴史はただの言葉遊びに等しくなってしまわないだろうか。この疑問に対して、西洋の『えんげるす』なる者はこういっている。『それは限りない人間世代の連続の中で解決される矛盾である』と。しかし、人間の歴史は思っているよりも脆弱だというのがわたしの見解だ」
「どういうことですか?」
ためらいつつも、聞いた。
「今から明らかになる。静かに聞いてくれ」
「はい……」
先生はとても教育熱心のようだ。
「要するに、唯物史観は人間の脆弱さを嫌うあまりに物質に腰をおろした思想なのであるが、そうであるのにその物質を承認しているのは、その脆弱な認識力しか持たない人間なのだという点が矛盾しているといえる。このとき歴史を紐解く人間は人間でありながら物質へと同化した存在にならざるをえず、そんなことは神にしかなしえない。人間は神になれないのは言うまでもないことだ。したがって、客観を目指した歴史観はやはりおかしいといわざるをえない」
歴史の客観性の否定か。
なんとなくだがわかった。
「他方で観念論というものがある。精神こそが歴史であるという見解だ。この見解は個人レベルでは独我論と親和性が高そうだな。『わたし』が認識し知覚して始めて、その物質が存在するという考え方だ。この考え方は独りよがりで、傲慢だとわたしは思う」
しかし、わたしが今いるこの世界は、量子論的な考え方に依っている。
観察者の観察行動によって物質の業が決定される。いわゆる、
――シュレディンガーの猫
と呼ばれる思考実験。
いま、わたしはシュレディンガーの猫ならぬ兎なわけだが、観念が世界を構築していると言ってもまちがいではないのではないだろうか。
そして、それは人間の意識の現象的側面が物理現象の原因となりうるという観念論ではないのだろうか。
ラグナ6を認めることはすなわち観念論を捨て去ることができないことを意味している。
いずれにしろ――先生の歴史観とは関係ないが。
「慧音先生の歴史観は客観でも主観でもないとすると、いったいどんな考えなのですか?」
「歴史は『内』にも『外』にもない。唯物史観が述べたように、物質の神秘の中に内包されたものでもなければ、観念論がしたように物質の外面を覆っている膜でもないのだ」
慧音先生は静かに、ただ静かに言った。
「歴史とは関係だ」
それが先生の出した答えだった。
歴史とは関係。つまり、因果的な連鎖。相互連関的な因果の流れのようなものだろうか。
「そもそも、素朴に考えてみると歴史は淡々とした時の流れにすぎない。そして時間とは本来的には虚空の属性を有している。過去はすでに此処にはなく、現在も極限的に生滅しているから捉えようがなく、未来も此処にはない。無いものを在るかのように感じているのは人間精神が在るとするからである。人間の精神のなかで時間という観念が醸成されるのである。したがって、歴史もまた人間の精神の中で組成される」
「それは観念論となにが違うのですか」
「精神そのものが歴史と考えるのが観念論であり、わたしの考えは精神が歴史を書き換えるということだ。すなわち人間が現在を見て、過去を顧みて、未来を見渡して、虚空を通して得られた答えが歴史というものではないかと考えている。すなわち、歴史は物質と精神の狭間に在る」
「難しいです」
というか元の話はいったいなんだったか。
そうそう、幸せっていったいなんだろうという話だった。
「先生の話だと幸せも歴史も同じということになるのですか」
「そうだな。幸せは主観でも客観でもない。ただ人の心の中で弁証法的にのみ存在する。本来的な性質は無に等しい」
一切が空と、呟き、慧音先生は静かにまぶたを閉じた。
おそらくはあまりにも脆弱すぎる人間の生死を想ったのだろう。
人の寿命はあまりにも短い。
ほとんど無意味なほどに。
けれど、彼らは確かに存在する。生きている。
それにしても――。
慧音先生の熱心さはほとほと子ども達も身にしみているだろう。
てゆーか、説明長すぎですから先生。
これじゃあ今の世の中やっていけませんから。
説明はわかりやすく。
漫画のような授業をしてください。
小説だったら一行ずつ行間開けるような感じでゆとりたっぷりにしてください。
などと思うが、内向的なわたしは沈黙を保つのみだ。
わたしの精神的な葛藤など知るよしもなく、慧音先生の声のトーンは先ほどと変わる様子はなかった。
お茶をひとすすり、
「歴史の総論は先ほど話したとおりだ。時間がないので、次は歴史の各論について語ることにしよう」
「はい……」
まだ続くのか……。
だが、拒否権なんてわたしには存在しない。
べつにいいのだ。どうせここしか身を隠す場所はないし、人里なら師匠もおいそれとは入ってこれないはず。時間はまだ残されているだろう。
「君が述べた、永琳殿と輝夜殿についてだが、室町幕府初代の足利尊氏とその弟である直義の関係に似ているように思われる。尊氏の性格については諸説あるところであるが、基本的に思ったことをすぐ行動に移してしまう感情型の人間であったようだ。彼は何度も出家しようとしている。主観的な幸せを追求するタイプだったというべきか、あるいは周りが見えてないというべきか。時は不安定な初代室町幕府である。その時期にいきなり将軍の地位を弟に譲り渡そうというのだから、考えが足りないと評価されてもしかたのないところだろう。実際にやめることはできなかった」
わたしは歴史にはうとい。
正直、月にいた期間が長かったから、地球の歴史についてはあまり知らないのだ。
ここでも借りてきた猫ならぬ借りてきた兎のように身を小さくするしかなかった。
実際、その言葉はほぼ的を射ていると思う。
「他方で直義についてはこれまた諸説あるところであるが、どうやら性格的に尊氏と真反対であったようだ。尊氏がもののあはれを歌うのに対して、直義は合理で斬って捨てる性格といえる。尊氏と直義は性格的に補填しあえるからこそうまくいっていたのだろうな。基本的に尊氏のような統率者はその温情で部下をねぎらうことがうまいが、ある意味だらしがないともいえるので部下としては不安な側面もあるだろう。対して直義のような性格だと、ひとつひとつの行動の目的や手段がきっちりしてあって、仕えるものとしては安心感が湧く。しかし逆に言えば、冷徹な合理にしたがって断罪される恐れを抱かせかねないという面がある」
確かにそんな側面があるように思う。
姫様はこっちの世界ではよくわからないが、わたしの見知った姫様は本当に日常生活を送れないほどに怠惰な性格だった。逆に師匠はというと、これまた脳髄まで数学でできているのではないかと思わせるほどの人間のかたちをした機械である。
「人間は不完全だから、二人で事に当たろうとするのは悪い考えではない。相補的な二人で政治を運営するというのはうまくいっていた」
慧音先生の顔に陰が落ちた。
「しかし、その関係も結局は破綻した」
「どうしてですか?」
「尊氏の直属の部下である高師直と直義が対立したからだ。部下どうしの対立になるが、実質的に尊氏と直義の対立構造ができあがってしまうことになる。感情的には温情的な尊氏は直義を討ちたくはなかっただろうが、上に立つものとしてはしかたない。苦渋の決断を下すしかなかった」
しばし沈黙が満ちる。
結局、各論も良くわからない話だった。
ただ、沈痛な面持ちで先生はわたしの顔を見つめていた。
わたしに伝えるべきか考えあぐねているのだろうか。
まるで酷な真実であると言外に言われているかのようだった。
「どういうことですか?」
と、わたしは思い切って聞いた。
「いま言ったことと逆のことが起こったのではないかと思ったのだ」
「それって……つまり」
「つまり、永琳殿が輝夜殿を殺したのではないか」
「まさか、そんなことが……。根拠はいったいなんです?」
「もっとも怪しいと感じたのは、君の師匠殿は嘘をついているということだ」
「嘘を?」
「ああ……」
伝聞で話を聞いたに過ぎないのに、どうして師匠が嘘をついているとわかるのだろう。
「わからないか? ラグナ6を知らないと言ったのだったな。それは明らかに嘘だよ」
「いや、しかしラグナ6のことを知らない師匠であってもおかしくないのでは? そういう世界に交換したのかもしれませんし」
「鈴仙。よく考えてもみろ。ラグナ6が在る世界どうしでなければ世界を交換する条件を満たしていないことになるだろう。つまり、最低でもこの世界にラグナ6は存在しないといけない。この世界――つまり、君にとってのBの世界の鈴仙がラグナ6を飲んで、A世界と交換しなければ君はこの世界にそもそも来ることができなかったのだからな」
「なるほど、確かにそうですね」
「また、ラグナ6などという神がかり的な薬を作れるものなんておそらくこの幻想郷には永琳殿ぐらいしかいないだろう」
「師匠しか作れないはずです。師匠のあらゆる薬を作る程度の能力がなければ、おそらくは不可能――」
「それにしたってわたしには半信半疑なのだがね。それにこういうことも考えられる。君の元の世界の永琳殿が嘘をついている可能性だ」
――!
前提を揺るがすような発言に、わたしはただただ恐怖する。
もしかしたらこの世界から抜け出すことは永久に不可能なのだろうか。
わたしが物も言えずに黙っていると、慧音先生が優しく肩に手を置いてくれた。
「おそらくは大丈夫だろう。まったく異なる世界にただ転移するというだけの薬の可能性もあるが、その可能性は個人的には低いだろうと思っている」
「なぜですか」
「すべてが得られる立場は等価的にすべてが無価値になるからだ。要するに、すべてがどうでもよくならないだろうか……」
「そうかもしれません」
「いのちは有限だから、精一杯生きようとする」
「……」
「何を思い君を送りこんだのかはわからないが、いずれにしろ君の師匠は自分のことをさておき、弟子である君をカミサマウサギにしようとしたわけだ。ここには私心は見られない。だからわたしは信じたい。君は信じることができるか?」
「信じます」
素直に言葉がでた。
慧音先生の授業は優しさの中でくるまれているような感じなのだろうなと思う。
少し、人間の子ども達が羨ましかった。
慧音先生は再び声のトーンを落として、まっすぐにわたしと視線を交わす。
「そこで、だ。要するにA世界の永琳殿が嘘をついてないとすると、必然的にB世界、この世界の永琳殿は嘘をついたことになる。ここまではいいな?」
「そうですね。その可能性は高いと思います」
完全に数学的とはいえないが、少なくとも経験論的には十分な勝率がありそうな気がする。
師匠に言ったら鼻で笑われてしまいそうだが、今はわらにもすがりたい思いだった。
「師匠は嘘をついていると仮定する」
と、わたしは小さく呟く。
仮定してみると――いったい何が起こるのだろう。
直接的には何も明らかにはなってないようだ。
「まあ嘘をついていたからといって、すぐに永琳殿が輝夜殿を殺したことには結びつかないだろう」慧音先生の声が変わった。「ただ、物理的にもほぼ永琳殿しか不可能ではないだろうか」
「でも、わたしが殺した可能性だってありますよね」
「その可能性は低いだろう。なぜなら、君は凶器を持ってなかったのだからね」
「部屋の中には凶器らしきものは何もなかったと思います」
「ふむ。それに弾幕も弾丸タイプなのだろう?」
「そうですね。自分の弾幕では刺殺痕を作り出すことは不可能だと思います。立場は入れ替えることができても、わたしはわたしと入れ替わるわけですから限界がありますし……」
「となると、凶器がどこからもたらされたかといえば、ふすまの外からとしか考えられまい。ただ――この考えではどうにも解けない点があるな」
最後は歯切れの悪い言葉だった。
わたしは正座したまま、身を乗り出す。
「凶器を外から持ちこむことは不可能ですよ。ふすまは閉まってましたし、ふすま自体にもたとえば張り替えた痕跡とかはありませんでした」
「わたしは何もふすまを張り替えたと言ってるわけではない。単純な方法を考えたのだ。それは――ふすまのわずかな隙間から刃物を突き入れたのではないかということなのだが。どうも少ししっくりと来ない」
隙間から、か。
確かに考えなくはなかった。
数ミリとはいえ、わずかな空間が開くことはわたしも確認している。
姫様の御札は神通力の通過を感知するのみであるから、物理的に差し込まれた刃物については、なにも反応しないのだろう。
ただ、それは――。
明らかに妙な点がある。
「なぜ、姫様が部屋の中ほどで死んでいたのか」
「そうだな。その点だけがよくわからない。現場を見てみないとわからないが、君の報告どおり部屋の中央よりわずかにずれていたとすると、さらに困難だな。ふすまは基本的に部屋の中央線を横切るように配置されているものだ。とすると、例えば――矢のようなものを隙間からはなったとしても、輝夜殿の身体には届かないだろう。ふすまの構造上、必ず厚みがある」
慧音先生が人差し指と親指でだいたいの長さを表す。
そう、確かに2、3センチメートルの厚さはある。
こじ開けるようにして、わずかな隙間ができたとしても、ふすま自体の厚みのせいで、その隙間はあくまで部屋の中央に向かって直線的にならざるをえない。部屋の中央から少しずれたところにいた姫様にはどうがんばっても射殺するという方法は無理ということになる。
「ものすごい長い変てこな刀をぐいぐいと押しこむように入れたってことは?」
「隙間から覗くだけで、そんな微妙な作業ができるのか? だとすると恐ろしいほどの手先の器用さと勘を備えているな」
「実際できるかもしれませんが……、やはりちょっと考えにくいですね」
およそ物理的には不可能だが――不可能ではない。
けれど。
師匠はなによりも合理的なのだ。
合理的でないことを師匠はしない。
絶対に。イコール永遠に。
つまり、百パーセントありえない。
たとえ世界が変わったところで、おいそれと変更を加えることが可能な部分ではないような気がした。それに少しは会話を交わした、この世界の師匠も一見したところの感覚は元の世界の師匠と変わりがなかったのだから、たぶんこの世界の師匠も合理を尊ぶのだろう。
そうすると、そんな成功確率が低いやり方を選択しそうにはない。
「今のところはわからないことが多い。方法論的にはな。ただ十分に怪しい行動を取っていることは確かだ。嘘をついていたということだけでなく、仮にふすまの外から凶器を差しいれたとして、そういう奇異な行動を誰にも見られないでおこなうには、永琳殿のもう一つの能力が必要不可欠だろう。地上の密室を創るという技だ。この点については、わたしにはよくわからないからなんともいえないところなのだがな」
「空間移動ですね。端的に言えば、空間どうしの交換です。これも交換、か……」
妙な点で似通っているものだ。
まあ、同じ人の思考から生まれたものだから似るのも当然だろう。
それにしても慧音先生の着眼点はすごい。目撃者を出さないために、密室の外側からさらに密室を創っている可能性か――。
あの長い廊下を行きかう兎たちはわりと多いから、誰にも見られないようにするには、わりと運次第といったところだろう。しかしもしもどこか違う空間へ接続すれば、兎たちにはわかりようがない。目くらましになるのだ。
「これでわたしから言うべきことはだいたい伝えたと思う。あとは――鈴仙、君の処遇だが……」
慧音先生としては難しいところなのだろう。いくら人里に妖怪は侵攻しないことが不文律になっているからといって、主人を殺された師匠がやってこないわけがない。たとえ師匠が殺していたとしても兎たちに対する建前からやってこざるをえないだろう。
とすると、わたしがここにいることは結局迷惑をかけてしまうことになる。
「はい」とわたしは小さく答えるしかなかった。
「わたしの知人に藤原妹紅という者がいる。彼女に頼むという方法がひとつ。あとは――人里の中にひっそりと匿ってもらうということが考えられるな」
ああ、慧音先生は、姫様の宿敵である藤原妹紅と知り合いだったのか。
確かにあの人間は強い。姫様と仲良く殺し合いをしていたりする場面をよく見ることがある。それだけの耐久力を有しているということは、文字通りの意味で殺しても死なないようなやつということなのだろう。味方になってくれるなら心強い。ただ妹紅がこの世界でも不死者なのかはわからない。普通に不老なだけで死ぬかもしれないのだ。
そうでなくても、彼女のことはほとんど知らないに等しい。性格的には一見したところは寡黙で真面目な感じがするが、姫様とじゃれあってるのをみると、けっこう寂しがり屋なところもあるのかもしれない。
しかし――姫様の宿敵に助力を請うことになるとは、運命とは数奇なものだなと思う。
「君の縁者が誰かはわからないが、この里とつながりがあって、助けてくれそうなものは他にいないだろう」
「確かに博麗の巫女はこの場合は助けてくれなさそうですね」
なんのきなしに言ってみる。
しかし、慧音先生は「ん?」と短く言ったのみだ。
妙だな。
どうしてそんな顔をするのだろう。
今回は異変ではないし、個人的な永遠亭内部の問題だから博麗の巫女が動く場面ではないはず。
おかしなことは言ってないはずなのに。
あ。
もしかして。
もしかして……だが。
「あの、博麗の巫女ですよ? 博麗霊夢。ご存知ありませんか?」
「いや、知らない」
やはり――
驚くべきことだが、この世界には博麗霊夢が存在しないらしい。どういう条件で跳んでいるのか不明瞭なところはまだ多いわけか。それにしても霊夢がいないということは抑止力はどうなっているのだろう。
「例えば、紅魔館のレミリアあたりが好き勝手やったときにどうやって解決したのですか?」
「さっきから何を言っているのかよくわからないが……、なるほど君の元の世界の話をしているのだな」
「そういうことになりますね……」
もしかするとわたしがいるこの場は、ものすごく危険なのではないだろうか。
なぜなら人間を守る立場の者が存在しない。
外敵が存在しない状況下で栄華をきわめていた生物が、突然来訪した外来種によって絶滅に追い込まれる例は、生物史のなかではさほど珍しくもないことだった。
異常は突然訪れた。
耳に届いたのは、大きな太鼓を叩いたような音。
ドンドーンという音。
遠くから空気を伝わってくる。
衝撃波も同じようなスピードで飛来し、小さな小屋の壁をふるわしていた。
なんだ!
と思う暇もない。
当たり前のことだ。
抑止力がないのなら永遠亭の者が人間の里にずかずかと踏みこんできても文句を言うものはいない。
少しずつ、近づいてきた。
ドンドンと銅鑼を鳴らすような音が寺子屋の外から聞こえてるくる。少し遅れて人間たちの阿鼻叫喚が届く。
この音は――銃器の音だ。
三八式魔道銃。連射可能な突撃銃の鈍い音だった。永遠亭の歩兵部隊が装備している銃だ。
慧音先生は瞬間的にその場から起き上がり、窓の外を見る。わたしも立ち上ろうとしたところ、手で制される。
「君はこの場から動かないほうがいい……」
「わたしを追ってきたんです」
「まだ人間達を撃ってるわけではない。君が今でてしまえば相手の思う壺だぞ」
「しかし――」
「わたしが先に出て話をしてみる。危なくなったら竹林に逃げるといい。妹紅は迷いの竹林のどこかにいる」
慧音先生は寺子屋の外へと出て行った。
わたしは身を小さくして、小屋の小窓から外を覗き見た。
チェスのコマのように整列した兎たちとともに師匠の姿が凛然と存在する。その顔は悲愴に満ち、普段見たことのないような迫力があった。左手には師匠の愛用の武器、神をも殺せる弓が力強く握られている。
演技なのか。
あるいはそうでないのか。
わたしにはわかりようもない。
この小さな隙間はふすまから見える世界よりは広い。
けれど師匠の心には届かない。
「なにをしに来られたのかな」
慧音先生は穏便な口調で話し出した。交渉のはじめとしては悪くない。
「主を殺した悪い兎を狩り出すだけよ」
「ここは人間の里だぞ」
「だからどうした」師匠の声は冷え切っていた。「ここは人里。なら壊してもかまわないということよね?」
「人間の歴史を踏みにじることは誰にも許されない。妖怪にも、だ」
慧音先生の声が重たいものとなる。
対する師匠はどこ吹く風といった様子。
「失礼ね。わたしはこう見えてもただの人間よ」
「同じ人間なら、なおのことわかるだろう。ここで暮らしている人間がどれだけ必死に生きているか」
「生存条件は許すや許されないという次元の問題ではないわ。単に弱いから殺されるだけよ」
慧音先生の表情はまた暗くなる。
師匠は、なにかおかしい。少し口元が笑っていた。
「なにをするつもりだ……」
「べつに。兎狩りのついでに、目障りな人間どもも狩っておこうと思っただけよ」
「やめろ!」
「なら止めてみればいい」
師匠が右手を軽くあげて、
振り下ろす!
瞬間――
兎たちが持っている銃口からのマズルフラッシュであたりが明るく照らされた。
冗談かと思いたくなるほど機械的な音が響き、慧音先生の身体は鉄の塊に蹂躙される。
小さな質量と極大な速度がそのままエネルギーに変換され、慧音先生の軽そうな身体は数メートルほど後ろへ吹き飛ばされた。
人間だったら即死するレベル。
そうでなくても――。
慧音先生の服は、胸から腹にかけて鮮血に染まっていた。背中はどこを撃たれたかわからないほどに赤一色に染まっている。一瞬の間隙のうちに、慧音先生の命のともし火は消えかかっていた。
そんな――バカな。
師匠はあんな人だったか。
深謀遠慮もなにもあったものじゃない。
あんなのただの――
ただの狂人だ。
何が何だかわからなかった。
ただ、夕闇の中の茫漠とした空気の中で、わずかに微笑む師匠の顔に心の芯が冷え切ってくる。
怖い――怖い。怖い!
わたしは身を震わせていた。
師匠があんなふうに人を殺せることを知って、頭では理解しても心が拒否している。
冷たい水の中に一時間もいたような、そんな感覚。
それでも。
「ぐ……」
と、軽く漏らして先生が立ち上がる。
人間の大人たちが駆け寄ってきて支えた。
恐怖と怒りと悲しみががごちゃまぜになった奇妙な表情で、師匠をにらみつける人間たち。師匠の顔は微笑のまま固定されていて、歯牙にも欠けていない。虫けらでも眺めるかのような、そんな表情だった。
子ども達の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
見たくない。聞きたくない。けれど、そこにある情景はすべてわたしの罪の証だった。
「まだ生きてるの? 案外丈夫ね。まあいいわ。こんなゴミクズは放っておいて、さっさとウドンゲを探し出しましょうかね」
「わたしが生きている限りは、人間たちを傷つけさせはしない!」
慧音先生の口元と指先はわずかに震えていた。
人間達を手で後ろへ下がるように指示し、震える両の足を地につけて屹立する。師匠の面貌にわずかに不快の表情が混ざる。
刹那。
先生の身体から幾条もの光線が発射された。
まるで青いレーザー光線。
光の熱線に貫かれて兎たちの半数ほどは戦闘不能に陥った。周りはすでに兎たちの血で染まり、死屍累々の極み。
師匠の顔面にも同じく光線が迫ったが、弓の一振りで簡単に霧散した。
「ふうん。なかなかやるじゃない。けれど、これで決定ね。戦争の始まり始まり……」
師匠の言葉が引き金となったのか。兎たちは銃を乱射しはじめた。わたしは血の気が引くのを感じた。戦争が、風が吹くようにごく自然に始まるのを見ている気がした。いや、実際に始まっている。少なくとも、ここでは!
突如として猛然と銃弾の嵐が吹き荒れた。
慧音先生の身体が砂塵に飲みこまれた。
大人たちは死んだだろう。子ども達の泣き声も今はもう聞こえない……。
ゴッという鈍い音がした。ちらと視線を下げる。
すぐそばに人間の死体が転がっていた。視線は天空へと向けられていて、絶望に染まっている難民のような顔だった。
声が出そうになるのをわたしは必死で抑えこむ。
自分が置かれている状況がようやく頭蓋に浸透してきた。ここから、逃げなければ――
そこで――ようやくわたしは身を起こして、震える体を必死に理性で抑えこんで立ち上がった。
ほとんど無意識に流し場におかれてあった包丁を手に取る。
ここから、逃げなければ――
あふれ出す恐怖心。
違う! その前にしなくてはならないことがある。
慧音先生の暖かな顔がフラッシュバックして、わたしは混乱が少し収まるのを感じた。
わたしは、バカだ。
包丁なんて持って何をしようというのだろう。こんなもの武器にもなりやしない。
それに、わたしには指先から生じる弾丸がある。
同胞を殺すのは忍びなかった。
心が張り裂けるような思いがする。
人間も同じだろうか。
兎にとっては――少なくとも寂しがり屋の兎にとっては形容しがたい哀しみがある。
けれど、そんなことを言ってる場合ではなかった。
『インビジブルフルムーン』
不可視の弾丸。
わたしは同胞を撃った。突然目の前に現れた弾丸になすすべなく兎たちは活動を停止した。
いや――死んだ。
わたしが殺した。
「あら――、そんなところに隠れていたの」
師匠は優しげな声を出す。
「人間たちを殺す必要はなかったはずです。わたしを見つけ出せればそれでよかったはず!」
わたしは声を張り上げた。残った兎たちの銃口がこちらに向いた。師匠は軽く手を上げて、兎たちの行動を制した。
「害虫駆除みたいなものよ。例えば蛾がひらひらと飛んでいたとして、益も害もないとはいえるけれど、ただ不快ではあるわよね」
ただ不快。
たったそれだけの理由で?
これだけの人間を意味もなく殺したというのか。
そんなこと納得できない。
納得できるはずもない。
だって、師匠は合理を尊ぶはずなのだ。
合理的な人間は人間を殺さない――というわけでは必ずしもないけれど、師匠は優しい人でもあった。
なにより。
「師匠は人間でしょう?」
「蓬莱人にとっては、ただの人間など蛾といっしょというだけよ。もちろん、あなたは違う。主を殺すなんて、なかなかできるものじゃないし、わたし個人としては、わりと面白いと思っているのよ」
「師匠でしょう。殺したのは」
「あら。どうやって?」
「……」
「ほら。答えられない。まあいいわ。そろそろこのゲームも終わらせますか。あなたもそれを望んでいるのでしょう。自分が囮になって人間どもを生かそうとしている。そんなことは教えた覚えはないのに。愚かになったものね」
言いながら、師匠がゆったりとしたペースで弓をひく。
わたしは左に向かって駆け出した。農家の母屋を抜けたところで、弾丸よりも遥かに速いスピードで、師匠の放った弓矢が頭のすぐそばを飛来した。
弓矢はその場で爆砕し、破片やらなにかの屑やらを高速で撒き散らしながら木造の家をまるで紙のように貫き、一瞬でただの木のカタマリへと変貌させた。
一瞬だけ振り返り後ろを見る。
地面がまるで巨大な生物が通ったかのようにえぐれている。
なんの冗談。
クオリティが違いすぎる。
ほとんど本能的に姿勢を低くしなければ、一撃でしとめられていた。
師匠は本気だ。
続いて、視界の後ろのほうで、瞬間的に花火があがったときのように光が明滅した。
わたしは身を屈め、軸足で地面を踏みしめながら、遠心力を利用してくるりと後方を向く。
当てられなくてもかまわない。ほんの数秒でも牽制できればそれでいい!
弾丸を撃つ。撃つ。撃つ。
再び前方を向いて、全力で走り、手近な茂みへ駆けこむ。背後から散発的にコッキングレバーを引く音がする。
動かなければ死ぬ。
すぐ後に小動物が駆け抜けるようなダルルルルという音が耳に届いた。
「っ!」
右肩の骨に錐を打ちこまれたかのような痛みが生じた。
痛い――と思う暇もない。
右手がバネのように跳ね上がり、すぐに力が入らなくなった。
肩のあたりを撃たれたのだろう。身体ができそこないの人形みたいにぐらぐらとしているのがわかる。当然だろう。鉛球で関節を撃ち抜かれたのだ。
確認している暇もない。ただひたすら走る。
ずきずきと痛む肩。
痛みが止まらない。
周囲は鬱蒼とした竹林へと様相を変えていた。
そして時間は真夜中。幸いにもというべきか不幸にもというべきか月が天頂にあるため視界はそれほど悪くはない。ただ、やはり多少の命中率低下は避けられないだろう。索敵している兎たちが少なくとも十人を越えるこの状況では、命中率は下がっていたほうがいい。
深い竹林の只中で、わたしは足を止めた。そろそろ走るのにも疲れた。
がさがさと草を踏みしめる音が遥か遠方から聞こえる。
兎が動く音。
ガチャガチャとこすれる金属音。
波長を捉えて彼らの場所をおおざっぱに把握することは可能だ。わたしを包囲しようとしているのだろう。
射軸が重ならないように、扇型の展開をしているようだ。徐々に包囲網は迫ってきている。
どこか一点を抜け出したほうがよいかもしれない。
てゐはいったいどこにいるのだろう。
もしかすると、すでにこの世にはいないのかもしれない。
ああ……、ひどく疲れた。
身体が鉛でできているかのように重い。
斜面を背に、わたしは腰を下ろして少しだけ休憩する。俯いた。数秒間だけ意識を手放した。ほんのかすか、絶滅寸前の虫の音が聞こえてくる。
つられるように上に視線を向けると、竹林は左側から崖になっていて途切れていた。そこから先は人里へとつらなっているようだ。わたしは気慰みに月を見た。
わたしの故郷は世界が壊れてしまっても、変わらず怪しい光を放ち続けている。
そして心の中で謡う。
よく知られたあの詩を。
『籠目。籠目。籠の中の鳥はいついつ出やる。後ろの正面だあれ』
籠の中の鳥はわたしだった。
世界は密室でできている。
この世界そのものが巨大な密室だ。
師匠はいったい何を思って、わたしを送り出したのだろう。幸せを見つけるため?
不幸しかここにはない。
どこにも幸せなんてない。
ここには――冷たさしかなかった。血液をだいぶん失って、腕の先の感覚がほとんどない。
「明かり?」
崖下から炬火の光が見えた。わたしはそっと身を寄せて、崖下を覗いた。下に小さな小屋があるみたいだ。
藤原妹紅の小屋だろうか。
しかし、彼女に会うべきなのだろうか。瞬間的に胸臆で迷いが生じる。先ほどの人里での出来事を思い出すと、誰かに会うということがどれほどその人に危険をもたらすのか嫌でも痛感してしまっている。妹紅は確かに強くはあるが、師匠の本気の強さはおそらく、現状において幻想郷最強だろう。
抑止力が存在しない。
つまり霊夢がいないということは、あの怪しい妖怪、八雲紫もいないのかもしれないし、他の強力な神たちも存在しないのかもしれないのだ。
わたしがほとんど永遠亭のことしか意識していなかったから、適合する世界として、そんな物騒な世界が選択されたのだろうか。
ありうるし――あるいは違うのかもしれない。
ただ――今のわたしを助けてくれそうな人は、もうほとんど残されていない。
てゐ。
てゐの横顔を思い出す。てゐに会えたら、元の世界には戻れるだろう。けれど、慧音先生の死を体験してしまったわたしにとっては、元の世界に戻れたところで普通に暮らせるか自信がない。戦争からの帰還兵のように人間が――師匠が怖くなるかもしれない。
考えをまとめる。まとめようとする。
答えはでない。
答えはない。
幸せはどこにあるのかわからない。ただ、むしょうにてゐに会いたい、と思った。
そう思っていたからだろうか、薄暗い視界の隅になにか白いものを捉えた。
月明かりに照らされて、幽遠の彼方から、藤原妹紅が紅蓮の炎を身に纏い、夜空の闇を引き裂きながら飛来した。
傍らには――てゐの姿があった。
「レイセン!」
てゐがわたしの前方で言った。
夜を紅い光が満たしている。
そのままわたしのもとへ駆け出そうとしたてゐを、妹紅はぐいと右手で引っ張って戻した。
てゐが頭を振り戻して、妹紅を見る。
その顔は――その表情は――
地獄を見てきたことを物語っていた。
「おまえが、レイセンか」
わたしは音もなくうなずいた。
「輝夜を殺したのはおまえか?」
「ちょ、痛い……よ」
妹紅に腕を握られたてゐが、苦痛で顔を歪ませている。それだけ強く握りしめられているのだろう。
憎悪。
彼女の双眸からは、ひとめみてわかるほどの憎悪の炎が見え隠れしている。
このままでは、てゐも危ない。
でも――どうする。
わたしの能力では妹紅を倒すことはおそらく叶わないだろう。
素直にありのままを伝えるしかない。
「わたしは殺してない」
「そうか……。輝夜はな、わたしにとっては悪友そのものみたいな感じだったよ。いなくなってみると寂しいものだな。しかし、おまえが輝夜を殺していないとしても、間接的に慧音を殺したことだけは否定できないだろう!」
「慧音先生はやっぱり死んだの?」
「ああ……死んだ。わたしの目の前でな」
あのときはしかたなかった。
しかたなかった。
そうしなければ、わたしが殺されていた。
何度も何度も言い訳の言葉が溢れてくる。
しかし、同時に、慧音先生の命がこの世界で永久に失われたことが哀しかった。
哀しくて、哀しくて、「ごめんなさい」という言葉しか出なかった。
「なぜ、慧音が死ななければならない。誰か教えてくれ……。彼女はなにもしていない。それどころか弱い人間のために自分の持てる力の限りをつくして守ってきた。なのに、同じ人間に殺された。蓬莱人も同じ人間だ。わたしと同じ血が流れて、同じ思考をしている。どれほどの悪をその身の中に保有しているかもわかっているつもりだ。しかし、ああ、わからない。慧音のような善なる心も持っているのが人間のはず、なのに。彼女の歴史がなぜあんな終わり方をしなければならない。わからないんだ」
妹紅は傍らにあった大木を力任せに握り締めた。
木に比して柔らかな白肌が、みるみるうちに巨木を破壊していく。
めきめきと嫌な音を立てて、ついに巨木は地面へとその身を倒した。恐ろしいほどのパワー。
そして、気迫。
びりびりと感じる殺意。しかし、その殺意は熱をほとんど失った冷たいものだった。
「なぜ……、おまえが生きている?」
ぽつり、と。
つぶやくように妹紅が言った。
てゐは悲しみを含んだ瞳で、そんな妹紅のことを見つめている。
中空にある月は、夜空中の星を併呑し、今はほとんど真円の光しかない。
「言え。なぜおまえはのうのうと生きていられる。言わなければ、こいつを殺して、おまえも殺す!」
「生きたいから」
「はは……。そうか。貴様は自分が生き残るために他を犠牲にしたわけだ」
妹紅の言葉が容赦なく突き刺さる。しかし、その言葉はすべて正しかった。すべて正しいがゆえに当然の帰結として心の一番深いところにもぐりこんでくる。
わたしがそもそも人里に行かなければ、慧音先生は死ぬことはなかった。
わたしが悪いのだ。
わたしが選択をまちがえた。
これがテレビゲームだったら、笑って誤魔化せば済む話だけれど、現実世界での選択まちがいは死を意味していた。
その重さがわかっていなかった。
何人、何十人。あるいは何百人、死んだのだろう。
妹紅がてゐを離し、わたしの方へと向かってくる。一歩一歩確実に。
わたしは死を覚悟した。
「殺されてもいいと思っているのか?」
「死にたくはない」
「やめて。妹紅。レイセンを殺したって。なんにもならないよ」
てゐがかけよってきた。
そして、手を広げて、わたしをかばってくれた。
「そんなことはわかってる。わかっているんだ。けれど――、おまえになにがわかる。慧音はわたしにとって幸せそのものだったんだ。その幸せが消えてしまった。どこかへ行ってしまった。わたしはもうからっぽだ。なにもない。なにも残されてない」
「慧音は幸せに生きて欲しいと言ってたじゃない」
てゐは言う。こんなに切実な言葉を言うところを始めて聞いた。
「ああ。そうだ。あいつはバカだ。死ぬ間際まで他人の心配ばかり……」
怒気が急速にしぼんで、空気が抜けた風船のように、妹紅は膝の上に両の手をついてへたりこんだ。
「あいつは、おまえのことも頼むって、言ったんだ」
なにかをこらえるようにぐっと唇を結び、小鳥のように身体を震わせ始める。小さかった。あれだけの殺意をまとっていた彼女の身体は、本当に彼女自身が言うようにからっぽになってしまったかのようだった。殺意が彼女を支えていたのかもしれない。
今はやるかたない憤懣だけがそこにある。
そして、土いじりをするみたいに、意味もなく爪で地面をえぐりはじめた。
それからは声にならなかった。てゐがそっと手をかけた。
「感動すべき人間ドラマよね」
ぱちぱちぱち。
と、暗闇から手を叩く音が聞こえてきた。
「誰だ!」
涙をぬぐって妹紅が闇に対して叫び返した。
師匠の声だ。てゐをすぐ側まで呼んで、わたしは周囲を警戒する。
闇の中に師匠の姿が佇立していた。ほとんど無防備に。裸身をさらしているようなものだ。妹紅が師匠よりは弱いといっても匹敵する程度には強いはず、今の状況下でどうして――?
次の瞬間には、妹紅が指先から炎弾を発射していた。
速い!
しかし、それは――当たらなかった。
ほとんどありえない確率で、闇のなかへと吸いこまれていった。
「はずした……だと」
「無粋ねぇ。まずは師匠と弟子との愛の溢れる会話から始めるものじゃなくて。ねぇ。ウドンゲ」
「あなたのことを師匠と呼びたくはない……」
「あら、哀しいことを言うのね」
「なぜ人を殺すんです。あんなに簡単に」
「お月様が明るかったから」
師匠は――いや、もうこの呼称はやめよう――永琳はほとんど感情を感じさせない声で言った。
楽しそうに、くるくると回りながら、壊れた笑いを繰り返す。
「そんな理由じゃ足りないかしらね」
「……」
「そうそう。あなたがさっき言ったとおり、輝夜を殺したのはわたしよ。正確に言うとね、生物学的には殺したわけじゃないわ。蓬莱の薬を飲んだものは殺せない。だから、あれは生かさず殺さずの状態というほうが正しいの。ただ、外界に表現することができなくなっているだけ。いわば『思考を断絶する程度の薬』というわけね。でも、これもある意味『死』よね。死とは生物学的な死だけではなく、根源的にはコミュニケーションを他者と交わすことができない状態を言うのだから」
わたしは心臓をつかまれたかのように、魂が冷えるのを感じた。
あそこで、あの場所で姫様の魂は中空をさまよってるのか。
「なぜ、そんなことを」
「質問をするまえに、わたしの問いに答えてもらおうかしらね。残機は、ひぃ、ふぅ、みぃ。そう三機もあるから十分でしょう。さて、わたしはどうやって輝夜を殺したのでしょう。その方法がわからなければ、あなたたちを一人ずつ殺していくことにするわ」
「ふざけるな! おまえのゲームにつきあう必要はない。わたしと殺しあえ!」
妹紅が怒号を発し、永琳に迫る。
永琳はふっと笑いを浮かべ、それから弓矢をかまえた。
構えの状態に入った瞬間に、妹紅はすでに回避行動に移っている。本当に人間のスピードかと思えるほどにすばやい。
しかし、無造作に矢は放たれた。
ほとんど見てもいない。
確認する間もなく、木の板に突き刺さるときのようにいっそ小気味良い音が響く。
見ると、妹紅の肩口から矢が生えるように刺さっていた。
小さく呻き、肩に手をやる妹紅。
すでに、動きは抑えこまれていた。
「さぁ。ウドンゲ。邪魔なやつはとりあえず黙らせたわよ。早く答えてみせなさい」
今この場で、現状を打開できるのはわたしだけ。
実力行使は、ほとんど無意味だろう。
なにより、今日の永琳の強さは神がかっている。
神……。
そうか、永琳もラグナ6を飲んでいる可能性がある。当然のことながら作成した本人だから、薬の効用を思う存分使えるのだろう。
そう考えれば、先ほど妹紅の炎が当たらなかったことも、あっさりと永琳のはなった矢が当たったこともうなずける。
「ラグナ6を飲んで、それを使って……」
「ラグナ6は飲んでるわ。確かにそのとおり。でも密室の作成にラグナ6は関係ないの。だって確率をいじったところでゼロの確率はゼロのままでしょう。ゼロになにを掛けたところで、ゼロはゼロ。当たり前の計算ができないダメ兎ね。はい、残念でした」
永琳は躊躇なく矢をつがえると、一気呵成の勢いで、放った。
放たれた矢は一直線に妹紅の胸元へ突き刺さる。決して避けることのできない速度ではないはずなのに――
永琳が『避けることのできなかった妹紅を見下ろす自分』と交換しているために、不可避的な攻撃になっている。
力が抜けるのを感じた。
あっさりと。こんなにあっさりと。
妹紅の生命は断絶した。
横ざまに倒れこんだ妹紅のからだを優しくてゐが揺する。永琳から視線をはずさないように、チラリと妹紅の身体に目を這わす。だめだ。もう息をしていない。顔色は恐ろしいほどのスピードで土色に染まっていき、胸元からはおびただしい量の血がでて、まるで彼女の着ている服を紅く染め上げてしまいそうだった。
誰の目にも明らかなほどに、不死の人、藤原妹紅はあっさりと死んだ。
「残機は二つ。慎重に答えることね」
てゐ。
てゐがかたわらで小さく震えていた。いままで長生きしてきた兎だから生命の危機に直面したこともあるだろうが、さすがにこの威圧的な雰囲気には圧倒されるのも無理はない。
永琳の隙を盗み見て、元の世界に脱出というのはほとんど不可能そうだった。
なにしろ、彼女はそういう世界を選択しているのだろう。
なんにせよ。答えなければ。
あと数十秒もすれば、痺れを切らした永琳によって、あっさりと殺される。
今度は、てゐだろうか。その可能性が高い。
「どうしたの、わからないの? じゃあ――」
「まず、あなたは姫様の部屋の中には入っていない」
とりあえずわかるところから。
少しずつ時間を稼ぐしかない。
わたしはいまだわからない状況だった。
永琳はどうやって姫様の身体を中央まで運んだのか。そう――運んだとしか考えられない。どうやって?
「ふむ。部屋の中に入ってない。とすれば、どうやって輝夜を殺せたのかしらね」
「おそらく、ふすまの前で呼んだ。姫様の名前を呼んだ。わたしは疲れていたし気づかなかった。それこそあんたがラグナ6を飲んでいるのなら、わたしだけが起きない世界を選択すればいいわけだし、これ自体はべつに分の悪い賭けじゃなかったんだろう」
「まあ、そうよ。というか――別にラグナ6の力は使ってないわ。そんなことをする必要もない。単に時間どおりに呼んだだけ。約束していたのよ。時間を決めて逢引するようにね……」
「いずれにしろ、ふすまの前まで姫様をおびき寄せたあなたはそこで、長刀かなにかをふすまの隙間から差しこみ、殺した」
場違いなイメージが思い浮かぶ。
タルの中に入ったひげの人間にブスリとナイフを刺して殺すゲーム。
そう――、これはゲームなのだ。
「そうね。殺したわ。正確には先ほども言ったとおり、生かさず殺さずの状態だけどもね」
永琳は楽しそうに応答した。
とにかく、ここまでは正解らしい。
しかし、ここまでは慧音先生にほとんど答えを教えてもらっていたようなものだ。
これからあとは――いったい、どうやった?
「さて、続きは?」
「続きは……。そう密室だ」
ピクリと永琳が反応する。正解に近いのか。わたしは続ける。
「地上に密室を創ることで、兎たちの目をくらました」
「まあ、そういう意味も確かにあるのだけどね。ちょっとがっかりな答えね」永琳は矢をながめすがめつし、それからおもむろに構えの態勢に入った。「ウドンゲ。それでおしまい?」
「待って!」
そうだ。
密室なんだ。
あの部屋は密室。
それで――永琳の密室作成能力。
物理的な力以外は透過させない御札。通過を拒否する。そう、あくまで『通す』ことを拒否する。
だったら――。
ひとつしかない。
答えはあまりにも単純で、
バカらしいほどに壮大だ。
「壷中の天だ」
と、わたしは言った。
「姫様の部屋の周りごと密室でさらに囲って、部屋ごと重力を操作したんだ!」
そう考えるしかない。
密室をさらに密室で囲って転移した場合。
それそのものは神通力ではあるが、外部の力は決して内部に侵攻していない。
通過していない。
通ってない。
ゆえに、反応しない。
姫様の部屋は壷。壷の入り口は封をされている。その封を破らないで中を混ぜる方法はと聞かれれば、誰でも壷を持ち上げて振るだろう。
それと同じことだ。
翻って、物理的な力とは汎用性の高い物理現象のことを言うから。重力は部屋に充満している以上、重力がたとえ二分の一になろうがゼロになろうが、変化したところで、それは物理的な現象の範疇に収まる。幻想郷の宇宙は一般的に重力が地上と同じ『設定』になっているが、べつに宇宙がひとつとは限らない。
そこは永琳の裁量でいくらでも別の空間へ飛ばせる。
重力がないか、弱い場所を見つけてくればいい。姫様の身体はふわりと重力のくびきから解き放たれて、部屋の中央に向かう過程で、また再び重力のある地上へと戻されたに違いない。
もしくは部屋自体を少し傾けることができれば、それだけでよかったのかもしれない。
ふすまの近くで殺された姫様の身体は、転がるようにして、部屋の中央へ向かう。わたしの身体もいっしょに転がるから何度か部屋自体を左右に振る。
これであの状況を作出することは可能だろう。
ともかく――。
重力の操作がおこなわれた。
どれほどの長い時間がかかったのかはわからないが、そう考えれば、いろいろと納得はいく。
どうして部屋の中がめちゃくちゃに荒らされていたのか。
どうしてわたしの背中にまで血がついていたのか。
すべて了解可能だ。
「この程度の問題でずいぶんと長い時間かかるのね。がっかりだわ。でも、まあいい。約束どおり今度はわたしが答えてあげましょう。なぜ姫様を殺したのかだったかしらね。それと、どうして密室を創ったかだったかしら? そんな質問はほとんど無意味。できそこないの自己満足しか得られない。いいことを教えてあげるわ。ウドンゲ。人間が殺意を有するときの動機はアナログ的なの。それはデジタルな精緻極まる思考とはおよそ対極に位置するものなのよ。そういうアナログ的な思考をどれだけ言葉で分解したところで、最終的な機微は伝わらない。その伝達不可能性をまず知りなさい」
けれど、と続いた。
「あなたの知りたい真実とやらに一番近い答えをありきたりな言葉で表現するのなら。例えばそうね『あなたを愛していたから』というのはどうかしら。わたしは輝夜よりもウドンゲ、あなたのことを愛していたの。だから輝夜があなたのことを部屋に呼んだとき、わたしは嫉妬した。だから、姫様を殺した。こういうストーリーはどうかしら」
「わざわざ密室で殺す必要がないはず」
「密室で殺せば、あなたが犯人である可能性が高まるじゃない。そうすれば、あなたを愛でることができる。永遠に。囚人としてね」
「嘘なんでしょう?」
「そう。嘘。本当のところはただのゲームだったの。わたしは何億回もこのゲームを繰り返したわ。いろいろと試した。あなたと愛し合ったり、姫様と愛し合ったり。好き勝手やったのだけど、どうも飽きてきたのよね。いろいろなことに。だから、つまらなくなって、殺してみようかと思ったの。殺し始めたのはつい最近だけど、もう千回ぐらいはやってるかしらね。よくわからない。記憶が曖昧だし。べつにどうでもいいことだから」
「どうでもいいから殺したのか」
「そう」
「あんたはやっぱり、わたしの知ってる師匠じゃない」
「それはどうかしら。ここにいるわたしはあなたのよく知っている八意永琳の可能性のひとつよ。明日のあなたがどうなるのかわからないように、今のわたしを否定することは、結局、元の世界の永琳も否定することになる」
「それでも――あなたのような邪悪な意思は滅びるべきだ」
「じゃあ、殺し合いましょう。素敵に楽しく、ゲームのように何度も何度も」
わたしは覚悟する。
ほとんど絶望的な状況だ。
素の状態でさえ万に一つにしか勝てる要素はないのに、今の永琳の強さはまさに神に等しい。
神を越えた神のレベル。
でも、可能性がないわけじゃない。ゼロだと思わなければゼロじゃない。
「ウドンゲがここまで到達できた可能性は千回の試行回数のうち、126回。つまり12.6パーセント」
わたしは先手必勝を胸に、指先から無数の弾丸を撃ち出す。
永琳はその場で避ける動作すら行わなかった。
それでも、逃げ場すらない状況に追い込めば、世界を交換しても逃げ場はない。
ゼロはゼロ。
今の永琳が有している能力は、確率を自由に操れるのとほぼ同等であるが、ゼロを一にする能力ではない。
それが世界を交換する能力の境界線。確率ゼロパーセントを覆す方法はない。
「そうね。確かにそうなのよ。ゼロを覆す方法はない。例えば殺したあとに同じ時空上で復活させるというようなことはできないのよね。全知全能ではないことがちょっとだけ不満」
永琳はいまだ攻撃すらしない。
微笑みながら、闇の中を闊歩している。
「あなたが反抗してきた確率は千回の試行回数のうち、約115回。つまり、ここまでたどり着いたあなたのほとんど全員がわたしに逆らおうとしたわ。あなたってけっこう攻撃的なのねぇ」
知るか!
「月兎遠隔催眠術《テレメスメリズム》」
左右同時攻撃に催眠術を使って軌道を読めなくする。
もしかすると精神攻撃なら効果があるかもしれない。
「そんなの効くわけないじゃない。避ける余地がほんのわずかでもあるのなら、わたしはその可能性の狭間をこじ開けることができるのよ」
なら、わたしはその可能性をすべて潰してみせる。
マインドペンディング。
炸裂弾ならどうだ。
広範囲をカバーする攻撃なら、逃げる余地が少ないはず。わたしは空中を飛びながら胴体ほどのでかさもある質量体を具現化し続ける。
炸裂する範囲は、ひとつ当たり数メートルにも及び、紅い球体が真っ赤な薔薇のように咲いた。
「バカらしい。範囲を広げたところで、少し潰せば同じこと」
そんなことはわかってる。そもそもの実力が違いすぎる。けれど――それはフェイク。
「幻朧月睨《ルナティックレッドアイズ》」
広範囲をカバーするこの技なら、どうだ!
「不可能よ。だって、博麗の巫女にも避けられた技でしょう。ただの人間に避けられた技が、永遠に等しい時間を生きてきたわたしに避けられないはずがない」
ほとんど踊るように、
優雅に、
ひらりひらりと、
永琳はわたしの弾幕をかわし続けた。
弾幕は性質上、術者の精神を反映したものにならざるをえず、コミュニケーションを欲してない生命体はいない以上、かならずどこかに穴がある。
その隙間――その可能性。
避けることができない可能性なんて、最初から無いのかもしれない。
「そう、ゲームの構造上、弾幕は必ず避けることが可能。どんなに微細なコントロールが必要でも、強運が必要だとしても、避けることができないということは無いのよ。放たれた瞬間に世界を交換すれば、わたしにあなたの弾幕が当たることは絶対にない。いい加減あきらめたらどうかしら。いつもあなたがあきらめてからゆっくりとかわいがることにしているのよ。教えてあげるまでもないことだけど、一応言っておくわ。あなたがわたしに勝てた回数は、千回の試行回数のうち、一度もない」
ニンマリと笑い、薄紅色の唇が横に伸びた。
気持ち悪さに吐き気が突き上げてくる。
「あなた。まだ少しだけ躊躇が残ってるわね。わたしを殺すことに戸惑いがある。やっぱり、だめな兎……。てゐあなたが死ねば少しは本気が見られるかしらね」
てゐの身体がビクっと震えた。
カッと身体が熱くなるのを感じる。まるで心の中に火箸をつっこまれたみたいに熱い。
左手を突き出して、わたしは構える。
ただの通常弾。
だけど、わたしだって、ラグナ6を飲んでいる。
同じ条件なんだ。わたしはわたしの望む世界を手に入れる。
「いい表情ね。ではここで問題よ。ラグナ6を飲んだものどうしが矛盾するような想念をそれぞれ思い描いたらどうなるのかしら。答え。どうにもならない。おのおのが適合する世界へ移るだけ。つまりここにいるわたしはウドンゲを打ち倒した世界へ交換するのでしょうし、あなたが仮にラグナ6を使いこなせたとしたら……、そう結局あなたの主観においてわたしは撃ち滅ぼされることになるのでしょうね。しかし、それは確率がわずかでも存在する場合に限られるのでしょうけど。はっきり言えば、そういう相手の立場に立った思考そのものがラグナ6を飲んだものには不要になるのよ。ただ望むべき世界がそこに存在するだけ。自分どうしで将棋を指すようなもの」
永琳は永琳で答えを知っているのだろう。
でも、結局わたしはわたしの未来を知らない。それが起こるまでは可能性の世界。
たとえ相手がどんな世界を選択しようと、知ったこっちゃないんだ!
わたしの世界と他者の世界はひとつも交差していない。
それがカミサマの世界。
ひとりぼっちの哀しい空間だ。
だから、一人遊びに飽きたのだろう。
永琳はかすかに哀愁の混じる表情を浮かべたあと、うっとうしそうに矢に手を添える。時間と空間が闇の中で糸のようにたわみ、永琳の水銀のような瞳がわたしの紅い瞳とかちあった。
動く気配。
一種の動物的な感覚から、わたしはその場で仰向けに身を伏せて、指を水平なまま弾丸を撃つ。
永琳の右胸のあたりに、吸いこまれるように弾丸はヒットした。
しかし――
予定済みだったのだろう。
永琳の表情は揺らぐことはなく、その矢は、わたしではなく、てゐに向けられていた!
やばっ!
逃げて!
声がでない。
音速を超えるすさまじいスピードの一線。
てゐはギュっと目をつむって、その場から動くことができない。
「てゐ!」
空白の時間。
時間が停止した。
「時空を越えてやってきた。猫巫女霊夢、ただいま参上!」
デウス・エクス・マキナだった。
それも考えられるうえでも最悪な。
彼女はほとんど誰が考えたのかわからないが、悪趣味すぎるほどに凶悪な猫耳をつけていた。
恐ろしいほどにかわいらしいタイプ。
そしてフリルがついた巫女服はいつもより三倍ほどひらひら度を増し、いつもの気だるそうな表情はどこにも無く、それどころか無邪気そうな笑顔をわたしたちに向けている。
そんなロリコン度が120パーセント増しな博麗の巫女。
唖然とするしかない。
無造作に――。
霊夢の手の中には永琳が放った矢が掴まれていた。
パキリとその場で、矢を折る音が聞こえた。
「あんた……だれ?」
思わずわたしは言う。
絶対こいつは博麗霊夢じゃない。
着ている服装以外は霊夢以外のなにものでもないが、明らかに霊夢じゃない。だいたいこの世界に博麗霊夢は存在しないはずなのだ。存在しない霊夢を存在させることはさすがにラグナ6の力をもってしてもできない。少なくともわたしの主観世界においては霊夢はすでに存在しなかったのだから、その存在様式を変えるにはわたし自身が変えるしかない。
わたしが――変えたのか?
いや、でも最初に一度だけ感じた、世界変容の感覚はどこにも無かったのだけれど。
「そんなのどーでもいいじゃんっ!」
ぐ。
と、親指を立てられても納得なんかできるはずもなかった。
「説明とか面倒なんで、さっさと倒すわね」と霊夢。
テンションがまったく違う。
あきらかに子どもっぽい。
永琳が冷たい観察者の視線で、霊夢を見下ろしていた。
「博麗霊夢。興をそがれるからあなたの存在しない世界を選択したのだけれど、どうやってやってきたのかしら。八雲紫が境界線を操ろうが、わたしの主観において選択する限り、絶対的に存在してはならないはず」
「そう、わたしはイレギュラーということになる。だからあんたがいくら世界を交換しようと無駄。翻案表現になるけれど、わたしはお薬よ。患部に止まってすぐに効く!」
「じゃあ、さしづめわたしは癌細胞ってとこかしら」
「言うまでもない」
二人が対峙する。
正体不明の博麗霊夢らしき人物と、神に等しい力を得た八意永琳。
事態の推移が飲みこめない。
一体、なにが起こってる?
思う間もなく、先に動いたのは永琳だった。
光る球体が霊夢の眼前に突如として現われ、その球体から無数のウイルスのような弾丸が発射される。
スペルカードルールが存在しないこの世界での、本気の速度は、優に人間の限界速度を超えていた。目測でも、一秒間に数千発のスピード。わたしの弾丸の速さを越えている。
回転。
ほぼ同時に、永琳の身体から渦巻状の弾幕。
避けることは無理だ。
――操神『オモイカネディバイス』
わたしは流れ弾に被弾しないように、てゐの頭を地面に押しつけて、自分も同じく地面に身体をこすりつけるように仰向けになった。
すぐ側にあった岩石が割れて、砕片がぱらぱらと頭に降り注ぐ。
この威力の弾丸が生身の肉体にめりこめば、まちがいなく死ぬ。人間ならひとつひとつが致命傷になりかねない。
視線だけをわずかにあげて見た。
霊夢は、わたしと戦ったときと変わらない気の抜けた表情をしていた。
今が明らかに殺し合いをしているにも関わらず、泰然とした様子には変わりはない。
ふわり。
霊夢の身体が中空に浮く。見えなかった。霊夢はまるで肉体がそこにあってそこにないかのような、瞬間移動を繰り返し、永琳の作り出す弾幕を軽々と避けていく。
「なぜ。わたしは交換しているのに」
永琳の声に焦ったものが混じった。
「交換してる可能性ごと食べちゃってるからね。今ものすごい勢いで患部を切除中だよ。交換された世界を一対一の関係でしか観察することができないあなたには認識しようがないことだろうけれどもね」
「ありえない。わたしを消すつもり? そんな権利、誰にも……」
「まあ確かにね。でも――他の可能性にまで手を出し始めたらやっぱりそれは人間の分を越えているということなんだと思う。わたしにはそういう正義と不正義を区別する能力はないけれど――ほら、そこにいる兎は、あなたのことを悪だと思っているわけだよ。だからあなたが悪だとわたしにもわかるわけ」
「意味がわからない。あんた、何者――」
その次の言葉は発することができなかった。
霊夢がスペルを宣言したからだ。
まるで、普段どおり、スペルカードルールの中で戦うかのように。
高らかに声が発せられる。
「二重弾幕結界」
それで、もう終りだった。
永琳の姿は結界の彼方にかき消された。
彼女自身も、そこから逃れる可能性を見出すことはできなかったのだろう。
あれだけ恐ろしく、禍々しい意思は、今、闇の中へと消失した。
そして、静寂だけが戻ってきている。周りにはかすかに虫の音が聞こえ――。
そうだ!
兎たちの戦闘部隊はどうなったんだ?
「霊夢。ここは危ないかもしれない」
「ん。どうして?」
「わたしは兎たちに追われてるの。べつに倒すことは可能だと思うけど、あまり……戦いたくない」
「ああ、それなら、問題ないよ。今からレイセンとてゐは元の世界に帰還すればいい」
「死んでしまった人たちは元には戻らないの?」
と、てゐが聞いた。
「死ぬというのも可能性のうちの一つ。それを勝手にもてあそんでいいわけがないよね。まあわたしにとっては人間さんの死というのがよくわからない概念だけど、そうらしいって紫ちゃんが言ってた。だからノータッチがベストなんじゃないかなぁ。ごめんね。よくわからなくて。思考形式が違うからうまく伝わってるか不明なんだよ。わたしと同じ論理レベルで会話を交わせるのは紫ちゃんだけっぽいし」
この世界で死んだ姫様や慧音先生や人間たち、妹紅の生命は二度と戻らない。
そういうことらしかった。
自分ひとりだけ帰って、平和な世界でなにもかも忘れることが正義にかなっているのか、わからない。それはとても汚いことのように思った。
「残るというのも選択肢のひとつよね」
「あぁ……責任感ってやつかぁ。わかるような気もするけどね」
どういう原理かわからないけれど、猫耳がふわふわと動く。
「それは結局のところ、どういう世界をレイセンが望んでいるかって問題だよね。交換可能な世界がそこにあるのなら、そこを目指す権利はどんな生命体にもあるんだよ。その暫定的な次元間の運動こそが、歴史と呼ばれている事象なのだからね。今ここで嘆き悲しむ自分でいたいのならそれでもいいと思うけど、わたしにはそれは単なる移動の軌跡の違いにすぎないから、どちらが良いとも悪いとも判断がつかないことなんだ。蝶がふわふわと飛んでいるのを見て、右に動くか左に動くかを見て、どっちが正しいかなんて言えないのといっしょ」
左に跳ねるか。
右に跳ねるか。
兎のジャンプは月には関係がないことなんだろうか。
わたしが経験してきた今までの出来事は、いわばゲーム内での経験と同じで、現実的にはまったく無意味なのではないだろうか。
そんな小さなほころびが心の中に生じた。
でも、こうも思うのだ。
経験は真実。
わたしが感じてきたこと、見て聞いて触って、そこから生じた観念だけは誰でもなくわたしを規定している。
嫌だった。
こんな世界にいたくなかった。
わたしがどんな現実を観察したいかと問われれば、結局、みんなでわきあいあいと過ごしたいのだ。血なまぐさい現実はどこかに放り出して、怠惰な姫様とそんな姫様を怒る師匠と、イタズラ好きなてゐと、そんなてゐを怒るわたしと、幸せに暮らしたい。
幸せになりたい。
「レイセン。帰ろう。わたしたちの永遠亭に」
てゐがいつもよりおとなしい口調でわたしを誘った。
「そうだね」
霊夢が優しく微笑んだような気がした。わたしの意識はまた混濁し、虚無の彼方へと飛翔するのを感じた。見えなくなる前にてゐの手を握った。
帰る間際に、世界の闇を見つめる。
わたしは忘れない。
この世界を忘れない。
それもまたわたしの世界だったから。
きっと、次に起きたら幸せになってる。
わたしはカミサマのように、そうなるよう、願った。
現在を規定する。
気づいたら、わたしは床に寝転がるようにして倒れていた。指先にはてゐの柔らかな感覚があって、わたしはほっとする。
そして、目の前。
びっくりした。
永琳――もとい師匠がわたしのことをじっと見ていたのだ。
「一秒後」
と師匠は言った。
「は?」
「薬を飲んでから、実時間は一秒しか経過してないわ。わたしからすれば、何が起こったのか観察する術はないのだけど、どう? カミサマになれた?」
カッと怒りの感情が湧いた。
しかし、師匠の顔はわたしの感情を見抜くとすぐにしおらしいものになった。
そして言う。
「なにかつらいことがあった?」
なんだろう。
いったいどういうことなんだろう。
怒りの感情は少しまだ残留しているが、ひとまずそれは心の片隅に閉まっておくことにして、とりあえず疑問を発することにする。
「あの薬でいったい師匠は何をしたかったんです」
「難しいわね。観念的な話になるのだけどね。端的に言えば、自殺したかったの」
「ふぇ? 自殺」
そりゃまた……。
大仰な。
というか、やっぱり意味がわからない。
師匠の説明は端的すぎて、慧音先生とは大違いだ。
ついでに言えば、優しさも半分ぐらいしか含まれていない。
苦いんですよ。
「わかりやすく言えば、わたしはこの薬を作成したときにふと考えたわけ。この薬を作成したということはわたしは可能性世界のどこへでも移動可能になるわけだけど、そうすると全体としてのわたしの総和に影響が生じる可能性があると思ったの。移動が可能ということは、そういうラグナ6で連鎖した世界のなかに参入することも意味しているのだから」
「総和というと、つまり師匠の可能性ですか」
「そうね。ファーサイドからニアサイドへ。つまりBからAへの交換という話だけなら別にかまわないのだけど。人間っていうのはわたしも含めてわがままだから、嫌なことを他者へ押しつけようとするでしょう。そうすると、どんどんと幸せな可能性が削り取られていって、わたし自身の属性がほとんど決定されるようになってしまう。それって、あまり気持ちの良いものではないわよね」
「ええ、まあそうだと思いますけど」
「だからね。冗長したわたしの可能性を破壊する必要があったの。わたし自身の可能性を食いつぶすような――、まあ言ってみれば、わたしの可能性の総和を全体の身体と見たときに、そいつは癌細胞みたいなやつね。それを切除する必要があった。と、まあそういうわけよ」
「自分でやってくださいよ」
「わたし自身は交換しても、わたしの可能性を観察することはできないでしょう。瞳は前方にしかついてないのだから、自分の姿を見ることはできないの。だからあなたに決めてもらおうと思ったの。あなたの役割はマーカー。無限に分割されたあなたが無限に分割されたわたしを追いかける。そういうイメージ。あなたが『わたし』を観察し悪と断じたら、それをわたしはこの世界から攻撃する。そういうシステムなわけよ」
「それが、猫耳霊夢なんですか」
「猫耳の霊夢だったの? それはおもしろいわね。どういう姿形になるのかはあなたの観察次第だったから不明だったわ」
「霊夢は師匠がつくった薬にしてはやけに饒舌でした。あとなぜか八雲紫のことを知っていました」
師匠の面貌にわずかに疑問が混入した。
「それは、よくわからないわね。可能性世界の境界を捉えることは一つの可能性存在としての視点しかもてないわたしたちには不可能な事柄だし、おそらくは――」
「おそらくは?」
「結局はソースに遡らなければ判断しようもない事柄ではあるのでしょう。事象の表面をなぞるように生きているわたしたちには真実を確かめることはきっとできないのでしょうね」
「八雲紫に聞けばわかるのでは?」
「それだけは死んでも絶対嫌!」
師匠が強度に拒否した。
その気持ちだけは痛いほど同意できた。
あの不気味すぎる妖怪に教えを請うぐらいなら、自分で真実へ漸近したほうがいくらかマシというものだ。
夜になった。
わたしは部屋の中で今日起こった出来事――主観時間としては二日か――を反芻していた。兎だけに反芻はお手の物だ。
師匠がしたことは、少しだけやっぱり許せない側面もあるのだけど、その動機はわたしと重なるところも多くて、要するに幸せに暮らしたいという気持ちから生じたものだった。
幸せになるためにはカミサマになって好き勝手振る舞う可能性を切り取らなければならないわけだ。
なるほどと思う。
そういう抜本的な手術を断行した師匠のことを、本当に師匠らしいなと思う。
しかし、言うまでもないことだけど、わたしは少なくとも千人ぐらいは死んだ。観察可能な範囲ではB世界の師匠が言ってたことだからおそらくまちがいない。本当はもっと死んだだろう。慧音先生も死んだ。妹紅も死んだ。姫様も死んだ。人間もたくさん死んだ。兎たちも数え切れないほど死んだ。
みんないなくなってしまった。
どこかの世界ではてゐも死んだだろう。
師匠はわたしがラグナ6を飲んで、ひどい思いをすることは知っていたはずなのだ。
もっとも師匠の視点からすれば、必ずわたしが帰還することも知っていたといえる。
てゐをわざわざ迎えにやるまでもない。
無事に帰還できるわたしのみが、師匠と再び邂逅できるのだから当然である。
そう考えるとなんだかはめられた気分がしないでもない。
肩の傷は嘘のようにさっぱりと消えているが、それは肉体的な傷であって、精神に刻まれたいろんな想いは今もまだ胸の中に残っている。
師匠はひどい。
わたしを実験動物と勘違いしている。
でも。
よく考えると、師匠はわたしに自分のことを殺してくれるように頼んだのだ。
実験したのは自分自身だったのかも――とも思える。
それだけ姫様やわたしやてゐや、あるいは他の人間たちのことをないがしろにする自分の可能性のことが嫌だったのだろう。今はその可能性は潰えたといえるのだろうし、おそらくは可能性の偏りのようなものは是正されたと考えてもいいのかもしれない。
ひとつの時空平面上にしか存在しえない兎にはわかりようもない。
わかる必要もないとも思える。
カミサマでもなくなったわたしにできることは、慧音先生が言ってたように、生滅する幸せを見逃さないようにするだけだ。
兎はそれだけ考えていればいい。
簡単だ。
てゐがふすまをノックした。
今朝とはまったく逆の立場だった。わたしはそっとふすまを開ける。
「どうしたの?」
「レイセンが泣いているのか確認しにきただけー」
「震えてたのはあんたじゃない」
「演技よ。演技。マジあの最終鬼畜お師匠様に殺されそうだったからあれぐらいするのが普通でしょ」
「ずいぶんと堂にいった演技ですこと」
「長生きをする秘訣だよ。うさうさ」
とまぁ、いつも通りのやりとりのあと。
てゐが部屋の中に入りたがっているようだったので、わたしはなかに入れた。
なんだろう。
てゐは後ろ手になにか握っている。
「なに隠してるの」
「べつにたいしたもんじゃないけどね」
ツンとおすまし。
かわいらしい仕草はお手の物。
それがてゐの詐欺的手口である。
わたしは幾分か警戒レベルを上げながら、思考をめぐらせる。
今日だけはさすがのてゐも精神的にも肉体的にも疲れているだろうし、いったいなにをするつもりなんだろう。
じっと見つめていると、意外にも早く答えは明らかになった。
「はい」
と、突き出されたのは草でできたわっか。
草のかんむり。
よく見ると、四葉のクローバーでできている。四十個ぐらいはありそうだ。幸せ四十倍といった感じの。
でも。
これ。
どうして?
「どうして?」
と思考がそのまま垂れ流し状態。
うん。よくわからない。
誕生日でもないし、クリスマスでもない。
そういったイベントならさすがに激務だろうが覚えている。イベント好きな姫様のこと、けっこうな頻度で幹事役補佐を任せられるので、イベントの日取りを忘れるわけがないのだ。
だとすると――
つまり、もう少しだけ汎用性が低い、確率的にはあまり祝われることのないイベントというところなのだろう。
「レイセンが永遠亭に来た日だよ」
と、てゐは短く言った。
それからわたしの頭の上にそっと、それを置くと、恥ずかしそうに顔を赤らめながら一目散にその場から走り去った。
せわしないやつ。
というか、これ。
毛虫でも入ってないだろうなー?
それにしても――
それにしてもである。
よくそんな細かいことを覚えていたなと思った。
素で忘れていた。わたし自身、あの当時のことはいろいろと思い出したくないことも多いからあえて意識にのぼらせないようにしていたのかもしれない。
けれど――そう。
本当はそういった逆境の近い状況でも、幸せはたくさん在ったのかもしれない。
今なら少しだけわかる。
右手と左手でそっとわっかに触れて、この日、このときだけは、わたしはカミサマよりも幸せだった。
手のひらの中でくすぐったそうに揺れる幸せに、わたしはそっと語りかける。
――おやすみ、またあした。
:REPLACED:
>規定の登場人物を定義してください。
鈴仙・優曇華院・イナバ=事象の観察点。定義する者。すなわち『わたし』に相当する概念。
因幡てゐ=幸運の素兎。鈴仙のことをレイセンと呼ぶ。
八意永琳=鈴仙の師匠。鈴仙のことをウドンゲと呼ぶ。地上の密室は彼女の技。
蓬莱山輝夜=鈴仙の飼い主。鈴仙をイナバという愛称で呼ぶ。
上白沢慧音=先生。
藤原妹紅=慧音と仲が良く、輝夜とは宿敵の関係。
>入力確認。
想像できる最悪な寝起きの一発ってなんだろう。
今日という日にわたしは知った。
わたしは永遠亭で主に兎たちの統率をおこなっており、師匠から命令された雑務を処理したりもしている。基本、地上の兎たちはわたしの言うことなんて聞かないから、兎の統率をおこなっているというのは形だけだし、雑務の処理もほとんど一人でこなすしかない。
本当のところは、同僚のてゐにも手伝ってもらいたいところだ。でも、あいつもぜんぜん役に立たない。役に立ったためしがない。むしろわたしの仕事が増える。無駄に長生きしているくせに、行動はまるっきり子どもっぽい。
いや――、子ども返りしているのか?
いずれにしろ、わたしは師匠の仕事をほとんど一人でこなしている状況である。
ここのところは寝る暇もないほどの激務だった。
永遠亭の収支決算の日が近いのだ。
わりと計算は得意なほうだが、あまりにも莫大な計算量のため、ほとんど寝ない日々が、ここ一週間ばかり続いていた。
つらい。
眠い。
鬱だ死のう。
そんな言葉がリフレインするなか、わたしは夜四時ごろ、ほとんどぶったおれるようにして床についたのである。
そして、朝。
わたしはおそらく人生最悪と呼べる起こされ方をした。
「てゐ」
という掛け声とともに繰り出されるエルボー。
うん。当たり前のことだけど肘鉄だ。
腕の中でもっとも硬い部分を折り曲げることでさらに硬くしている。
それが全体重をかけて吸い込まれるように、みぞおちにヒット。
死ぬほど悶絶したね。
ふざけんなこのばかうさぎおまえどこに目をつけてどこに脳みそつけてどこに常識飼ってるんじゃクソボケが死ね。
などと約三十秒後には思ったが、そんなことよりもまず痛みで口がきけなかった。
思考が吹っ飛んだ。
むしろ何も考えられなかったと言った方が正しい。
いままでのうつらうつらの夢見心地が一瞬にして氷の地獄へと叩き落された気分で、わたしは冷や汗がでるほどの鈍い痛みとともに意識が覚醒したのである。
「な、なに……」
「あ、起きたー?」
「あんた何かわたしに恨みでもあんの。てゐ」
「起きたならいいじゃん」
「ふざっ――けんなっ!」
怒髪天をつくとはこのことを言うのだろう。
わたしの怒りは一瞬のうちに沸点に達し、気づいたらてゐの横顔を張り倒していた。
しまった。やりすぎたかと思ったがもう遅い。
「いたい……」
抗議するような目で、てゐがわたしを見ている。子どものような格好に騙されてはいけない。
ここで謝ったり、弱い態度をとればつけあがるに違いないのだ。
「なによ。なんか文句があるなら言ってみなさい」
「もういい」
いつもなら何か言い返してくるてゐだが、今日は少し毛色が違った。
まるでウサギの毛の中に犬の毛が混じっているような奇妙さだ。変だなと思う。
しかしそれ以上にみぞおちに喰らった一発の痛みが、あとからジンジンと響いてきている。
やっぱりてゐが悪いのだ。
わたしはなにもしていないし、そもそも仕事もろくにしないてゐにたたき起こされるなんて世の中まちがっている。わたしは疲れているし、せめて寝ているときぐらいは、起こさないでほしい。
時間――
時間は六時を回ったところで、もう少しは眠ることができそう。
二度寝しようか。
倦怠感から生じる怠惰な気持ちが、わたしをお布団の中へと誘う。
ああ――、どうしようもない抗いがたさ。
なにも考えたくない。
てゐの様子が少し変だったことなんて、どうでもいい。
今は――、寝よう。
寝てしまおう。
おやすみ……。
飛び起きた。
なんとなく身体が時間を教えてくれる。ふすまからこもれ出る光が、妙に明るかった。
昼――。
認識にかかる時間は刹那。
血の気がサーっと引いた。
二度寝の危険性は十分に理解していたつもりだったが、こんなにも簡単に敗北するとは思わなかった。
ああー、絶対師匠に叱られる。
憂鬱すぎる。
とりあえず落ちこんでいても仕方がない。一刻も早く職場にいって、師匠に謝らないと。
ふすまを開けて、わたしは日の光をとりいれる。ここ、永遠亭は平安時代の建物によく似た意匠をしているから、ふすまと畳の部屋が多い。わたしの部屋もまたその例に漏れない。
お日様の光を浴びると、寝ぼけた頭がだんだんとはっきりしてきた。
わたしは着替えて廊下にでることにする。
屋敷の中の様子は少々あわただしい。兎たちは兎たちでがんばっているようだ。
ああ、それなのにリーダーは昼まで居眠り。
最悪すぎる状況だ。
なにやってんだろう自分。
「あら、遅かったわね」
師匠は意外にも怒ってなかった。わたしの姿を見かけると、いつもと変わらない調子で声をかけてきたのだ。
「すいません。遅くなりました」
「いいのよ。ちょっと昨日は仕事を多くしすぎたみたいね。あとはわたしだけでも大丈夫よ」
「手伝います」
「そう」師匠は軽くわたしに視線を送る。「お願いするわ」
わたしはすぐに師匠のそばに行き、計算書類に筆を入れ始めた。
「今日の夕方ぐらいには終わるかしらね。なんとか間に合いそう」
師匠が書類に書きこみながら言う。書類を見てみると、確かに夕方までには終わりそうだ。兎の労働時間に定時があるとするならば、なんとか午後五時に終わりそうな分量。
五時からは解放される。そう思うと自然とやる気も湧いてくる。
「そういえば、てゐの姿を見かけなかった?」
「てゐは、今日も遊んでるんでしょう」
「そう。まああの子はそういう子だからしょうがわないわね。自分の幸福がなんなのか知っている子なんでしょう。だから幸福の素兎とか呼ばれている」
「気ままに振舞うのがですか」わたしは語意を強めて言った。「あんな自堕落な兎、うちにはいりませんよ」
「ふぅん……。てゐに何かされたの?」
師匠は聡い。簡単にわたしの変化は見抜かれてしまう。
何秒か迷った。
てゐに対する悪口になりそうだったからだ。
しかし、結局はてゐに対する怒りがまさった。
「てゐにエルボーでたたき起こされました」
「はやく起きて欲しかったのでしょうね」
「行動が子どもっぽすぎますよ。てゐは」
「でも、生物というものはすべからく大人になっても子どもっぽさをどこかに大量に保有しているものだから、そういう子どもっぽさを出すというのは本能に根ざした生理的行為だし、絶対的に必要だともいえるわね。誰しもストレス発散は必要でしょう」
「それでとばっちりを受けるのはわたしなんですよ」
「そうね。あなたの役回りはそんな感じになっちゃってるわね」
師匠は快活に笑った。
わたしの立場も少しは考えて欲しいものだ。
それからお昼まで仕事をして、お昼ご飯を食べて、また数時間仕事にうちこんだ。
師匠は一言も口を利かず、部屋の中はほとんど無音の状態だ。鉛筆を使った帳簿つけもそろそろ終り、あとは紐で閉じるだけ。
いつの間にか空が紅く染まり始めていた。
ようやく仕事が終わった。
肩のあたりが妙に重い。目のあたりは充血して真っ赤になっていることだろう。まあ、元から紅いけど。
とりあえず、仕事が終わったことを師匠に報告する。
「そう。ご苦労様。早速次の仕事」
「ええーっ」
「うそ。仕事というほどのことでもないわ。てゐを呼んできてもらえるかしら」
びっくりした。
普段ほとんど冗談は言わない性格の師匠が、今日はなんだか妙に明るい気がするのはなぜだろう。
なにかいいことでもあったのだろうか。
ともかくわたしは廊下に出て、てゐの姿を探すことにした。
とりあえず、てゐの部屋に行ってみる。竹林のほうにいることも多いが、その場合はちょっと探すのに時間がかかるから厄介だ。
「てゐ? いるの」
てゐの部屋のふすまは固くとじられていた。
姫様の御所である部屋には鍵がかけられているが、わたしたち飼い兎の部屋には特に鍵がついているわけではない。
したがって、ふすまを開ければそれで済む話なのだが……。
日本人としては閉じたふすまは決して開けてはいけないと思う。
出自は月であり地球を基準にすれば宇宙人であるが、精神の由来はわたしも日本にあると思っており、そういう意味ではわたしも日本人である。
だから、わたしはふすまに手をかけはしたが、実際には開けなかった。
師匠も姫様も宇宙人であるが、わたしと同じ立場だったら、おそらく同じようにふるまうだろう。
それだけこの壁は重い意味を持つ。
実際上は重いわけではなくむしろ軽いが――
ふすまはなおもわたしの前にたちふさがっていた。
日本の心――虚空の壁。
ふすま。
それは日本人の境界に対する考え方をうまい具合に表してはいないだろうか。
境界を具体化することなくあえて象徴化することで、逆に私的な空間であることを強調しているのだ。
現実的には音は漏れまくりだし、閉鎖性も低いふすまだけど、だからこそ開けないというつつしみ深さが必要となってくる。
わたしは待った。
すると、ふすまがほんの少し――、指をいれられるほど開けられた。見た目だけならつぶらな瞳が覗いている。
「なにか用?」てゐは不機嫌そうに言う。「用がないなら帰って」
「別にわたしが用があるわけじゃないわよ。お師匠様が呼んでるの」
てゐは少し驚いていた。
「お師匠様が?」
師匠がてゐをわざわざ呼び出して怒ることはほとんどない。単に珍しいから驚いたのだろう。
「いっしょにいくよ」
「わかった」
ふすまはまた閉じられる。てゐにもいろいろと知られたくないことはあるのだろうし、プライベートな空間を侵すつもりはない。
しばらく待つと、てゐは綺麗な格好で出てきた。
いつも着ているワンピースとは若干違う華やかな感じの服だ。
「あんたそれどうしたの?」
「印象づけだよ。師匠に好印象与えておけば、それなりになんかいいことありそうだし」
クシシとてゐが笑う。
なんというあざとい……。
まあそこらへんがてゐのてゐたる由縁だ。
こいつ――はっきりいって、自分がかわいいこと知ってるからなぁ。
だから余計腹が立つんだけど。
まあいい。実際にかわいいことは認めよう。
ただ精神にとてつもなく黒い部分があることもまた真実。
イタズラウサギ。それがてゐの二つ名だ。あとは人間を幸福にする能力を有していることから、シアワセウサギとか呼ばれていることもあるけれど、わたしに言わせれば、頭の中がお気楽なだけだと思う。実際、てゐの一番近くにいるわたしは幸せだと感じたことはない。
てゐはぴょこぴょこ跳ねるように歩く。
廊下を走るな――と言おうとしたが、走っているわけではないので微妙なところだ。結局わたしが言おうか言うまいか迷っているうちに、師匠のもとへたどり着いてしまった。
「ああ、また遅かったわね」師匠は微笑をたたえたまま言う。「今日で二度目」
「すいません」
「うそよ。怒ってないわ」
「すいません」
ひたすら謝るしかない。ほら、てゐ。あなたも謝りなさい。
視線で言うが、てゐは明後日の方向を向いて知らんぷり。
まったく、こいつは自分が人にどれだけ迷惑かけているのか考えたことがあるのだろうか。
師匠がわたしたちを手招いたので、そばに近づく。密談をするという雰囲気ではなさそうだが、いったいなんだろう。
「今日はわたしからいいものをプレゼント。とっても良いお薬ができたのよぉ」
「げ。まさか――」
「そう、そのまさか。実験台になってくれないかしら」
ぞーっとした。
わたしとてゐはよく師匠の実験台になることがあるのだが、たまに輪廻の狭間を経験したこともある。
三途の川を渡りかけて、小町さんと仲良くなりかけたこともある。
死にたくない。
わたしは死にたくなかった。
てゐはかたわらでぷるぷる震えていた。なんというチキン。まあウサギもいちおう一羽二羽と数えるものだし、チキンになってしまうのもせんないところではある。ただ、てゐの場合はすぐさま逃げ出しそうな感じなのに、今日は礼儀正しく正座中だ。殊勝だなと思うと同時にすこしばかり違和感。
なんだろうな、この変な感じ。
ちょっといつもと違う感覚は。
「大丈夫よ。別に精神に影響するような薬ではないから。厳密に言えば、ギリギリのところ薬といえるかどうかも怪しいもんなの」
「薬でもないものを飲ませようとしないでくださいっ!」
「これは厳格な数理に基づいて創られた移動機械に近い」
師匠が手に持っている薬は、ハチミツ色をしたカプセル状のものだ。綺麗な半透明をしており、小指の第一関節程度の大きさだ。
これが機械というのなら、もしかしていつぞやのときみたいに身体を小さくしてそのカプセルの中に入り、人体に突入したりするというタイプなのだろうか。
ミクロの決死圏ばりな大冒険がこのあと待ち受けてるのか
師匠の能力は言うまでもないことだが、あらゆる薬を作り出す程度の能力。不老不死の薬も創り出してしまうほどの超天才的能力。
普通すぎるのが逆に怖いことってないだろうか。そうだお夕飯は何にしようかなとかわいらしい少女が料理を作っているが、実は鍋の中はからっぽだったとか――。日常のなかににわかに侵入する異常こそがもっとも狂気をかきたてるものだ。
ざわり。
と、わたしは総毛立つ。
怖かった。師匠の笑顔も怖い。
もしかして今日、なにやら師匠が優しかったのは、
信じたくないけれど、
弟子をそんな実験動物だと考えているとは思いたくないけれど、
わたしを実験に誘うという伏線だったのか。
師匠はあいかわらず嬉しそうな表情を浮かべている。
いつものことながら、結局最後は実験につきあわされるのだ。
そうだとしたら、せめて説明を受けようと思った。それが哀れなモルモットにできる唯一の抵抗なのだ。
「いったいどういうことなんです?」
「これはね。幸せを探すための薬なの」
「幸せですか……。シアワセウサギならここにいますけど」
わたしはてゐの方をちらりと見る。
「幸せというものは形がないもの。これは幸せの本質的要素を探求するためにはうってつけの薬よ」
「脳内麻薬がでまくるとかですか」
「そんなの単なる幻想じゃない。――いや主観的な意味ではそうともいえないか。いずれにしろこの薬は幸福を連続試行するために存在する」
「連続試行?」
「そう」師匠は薬を陽光に透かすように覗きみる。「この薬は、ひとことで言えば
「意味がよくわかりません。幻想郷にも神様はいるじゃないですか」
「神とは、この場合、因果の根源。要するにはソースのことよ」
「はぁ……」
師匠の話はときどき思考が飛翔するかのようなスピードで展開される。いまわたしは師匠の思考についていけているのだろうか。はなはだ自信がない。
要するに師匠が持っている薬は神になるための薬であり、神とは一神教的な神のことを指すのだろうか。
つまり――。
「全知全能になる薬ですか」
「まあそれに近い感じにはなれそうね。実際には限定された能力。いわば、すべてを置き換える程度の能力だから、全置全換と呼称したほうが正確かもしれないけれど」
「具体的にはどのように?」
「並列世界って知っているわよね。パラレルワールドとか呼ばれる。量子力学の観点から言えば可能性世界とも呼ばれる。そこでは『私』や『あなた』も無数に存在するの。いろいろと立場が違うかもしれないし、役割も違うかもしれない。人間関係も違うかも。それは可能性の問題。パラメータの割り振りの問題なの。そういった違う位置関係へと自由に移ることができる。これはそういう薬なのよ」
「違う世界へ飛べる……」
でも、それはなにかおぞましい。
そう、たとえば。
「いまここにいるわたしはどうなるんですか? 消えてしまうんですか」
「あなたにとってのあなたはいつだってあなたでしょう?」
ずいぶんと哲学的な物言いだった。確かにそうだ。観察者としての視点は動かせない。『瞳』は常に前方へと固定されていて、わたしはいつだってわたしを見ることはできないから。
しかし、そういうことが聞きたかったのではなかった。
「この世界の師匠たちにとってのわたしはどうなるんですか?」
「別にどうもならないわよ。あなたになりたいあなたが置き換わるだけ。異なる可能性世界間で、あなたの可能性どうしが交渉し入れ替わるだけなのだから他者にとっては認識しようがない。ちなみに実際に交渉するわけではないわよ。わたしさんわたしさんどうかあなたの立場と入れ替わらせてくださいと、いまのあなたが実際に交渉するわけではない」
「難しいです」
「そうねぇ……。じゃあこういうのはどうかしら。翻案としての表現になるけれど想像してみて。この薬は多数の次元を統括していて一種の情報の蒐集センターになっているわけ。それで、そこに薬を飲んで参加する資格を得た者が申しこみに来る。こういう自分になりたいんですけどって感じでね。そうすると薬のほうは条件にあてはまる可能性を選び出す。もちろんここでの交換はあくまで等価的。今申し込んだほうをAとして、適合した可能性世界のあなたをBとすると、BのほうはBのほうでAになりたがっている。そういう交換を行うようにする。こうすることで可能性は縮減することなく、世界はなにごともなく、すみやかに『なりたい自分』になれるわけよ」
「仮にBのわたしがAの世界で奇行に走ったら」
「それは、単にウドンゲと呼ばれるキャラクターが狂気に溺れたという事実が残るだけ」
「気持ち悪い薬ですね」
「でも、あなたには試してもらう。なーに、大丈夫よ。ちゃんと命綱はつけてるから。てゐ、あなたもそんな部屋のすみっこで縮こまってないで、こっちきなさい」
師匠が悪魔のような天使の笑顔で、てゐを呼んだ。
てゐは完全にガクブル状態だ。無理もない。
正直、わたしも戦慄していた。
これは要するに存在論的には同一の存在ではあるのだが、パラメータが違うわたしをわたしであると認めることができるのかという問題だ。
卑近な例になおしてみればわかりやすいと思うが、たとえば、わたしがとある一日を無限に繰り返すとしよう。
わたしは仕事をする一日を過ごす。わたしは勉強する一日を過ごす。てゐと遊ぶ一日を過ごす。姫様とお月見してまったり過ごす一日もあるだろう。
そういう微妙に違うけれど同じ一日を過ごすわたしは、その過ごすたびごとに、わたしという観察点において波動収縮し、一つの可能性へと収斂していくことになる。
このとき他にありえたであろうわたしをわたしは否定できるのだろうか。
それも『わたし』じゃないか?
逆に違うという意見もありうる。
わたしはあくまでわたしであって、可能性としてのわたしになれなかった可能性の絞りカスにすぎない。具現化されているわたしこそが真の実存であるという考え方。
これは仕事をしていたわたしにとっては、てゐと仲良く遊んでいたかもしれないわたしは幻にすぎないのだという現実的な認識に基づく。こちらの考え方のほうが五官に根ざしているためか当然な感じはするのだが、どうなのだろう。
どちらにしろ。
いずれの見解が正しいにしろ、まちがってるにしろ。
師匠には逆らえないんだけどね。
「はい、お口あーんして。ウドンゲ」
「あーん……」
ごっくん。
飲みこんだ。
最初の数秒、変化なし。
数十秒経っても異常なし。
わたしは逆に不安になって師匠を見る。
なんの変化もな――。
い……?
閃光。
一瞬のうちにまばゆい光に視界が覆われたかのような気がした。
違う、瞬間的に視座が動いた。
ものすごい勢いで、視線が飛んで、宇宙へと飛翔し、見えて、視えて、視得て、最後には何も見えなくなる。
暗い世界。
一面は虚無の海。
ああそういうこと、か。
固定された視点が因果を鳥瞰するために高度を上げたのだろう。
今、わたしは見えすぎている状態にあって、脳がその景色を認識できない状況にあるのだろう。究極の視力はなにもかも透過してしまって、因果の果てが視得てしまう。最終的には虚無を見つめるしかなくなって、要するに見えなくなる。
これは論理的帰結。
次に起こる変化を待ち構えているといきなり意識がふわりと浮いた。
な、なにこれ?
世界の波長がぐらぐらと揺れている。
わたしの意識は朦朧とする。
違う。
わたしの可能性が拡散しているんだ。
「大丈夫。これは単に移動にともなう意識のちょっとしたズレを補正しようとするものにすぎない。目覚めれば、あなたは神様になっているわ」
「神様に……」
「そう、カミサマウサギにね。あとはてゐに聞けばいい。てゐにはあなたの世界Bに同調させる薬を飲ませるから、帰還したくなったらてゐに聞きなさい」
「わかり、ました……」
だめだ。ぼーっとしてきた。なんだかすごく眠い。
前日からの寝不足との波状攻撃でわたしはすぐにでも意識を手放しそうだった。
「そうそう言い忘れてたけど」
師匠の言葉が霧のようにかすんで、最後に聞こえてきた言葉は
「この薬の名前は――ラグナ6と名づけることにするわね」
ラグナ6。
ラグナロク。
神々の黄昏か……。
師匠らしい大仰な名前だと思った。
気づいたらわたしは師匠の目の前に立っていた。
時間の経過をほとんど感じない。主観的には三十秒も経ってないんじゃないだろうか。
あれ?
どういうこと?
変化なし?
本当にどういうことだろう。師匠が作成した薬はいいにしろ悪いにしろ必ずなんらかの薬理効果があったはずだ。
なにもないということは今まで無かった。
いや――。
少し違和感。
てゐの姿が見えない。
「あの、師匠……」
「ん。どうしたの?」
「ラグナ6は失敗したんですか?」
「なんのことを言っているの?」
おかしい。師匠が自分の作った薬を忘れるわけがない。ここは変移した世界なんだろうか。その可能性は高そうだ。でもそうだとするといろいろおかしい。まず師匠の説明だと、世界Aから世界Bに移ったことになるわけだが、それはわたしがなりたい自分になれる世界のはず。
まずったな……。
そもそもなりたい自分とやらをどうやってラグナ6が判断しているかをよく聞いておくべきだった。
今のわたしは世界を移っているという明確な浮遊感覚はないが、もしかすると無意識のうちにどんどん交換しているのかもしれないし、無意識で神様している可能性もないとはいえない。時間が連続しているかのように感じるのは、そういう秩序をわたしが望んでいて、そういう秩序ある世界に在る自分を望んでいる結果かもしれないのだ。
でも――そういえば。
師匠は幸せを探求するための薬だとも言っていた。
無意識で何もかも決定されていくとすると、幸せもなにもあったもんじゃないから、ある程度強く意識したら、世界が変わる可能性が高そうな感じもする。
それともオートマティック?
試してみるべきか?
いや――
やめておこう。
意識を集中させようかとも思ったが、今、この世界に手を加えることのほうが怖い。
神様になれたかどうかわからないが、今のわたしが思うことはひとつ。
一刻も早く帰りたい。わたしが望むのはただ五体満足なまま元の世界へ帰還することだけだ。
確か世界を跳躍する前に師匠は言っていた。
命綱をつける、と。
それはたぶん、てゐに教えたのだろう。
こうやってわたしがあたふたしているのもおそらく実験のうちなのだろうが、師匠は本当に冷酷なお方だ。
「ん? なにウドンゲ」
この師匠じゃない。わたしは周りをみわたすふりをして言った。
「てゐの姿が見えないんですけど」
「あの子は自由人だからね。竹林にでもいるんじゃない?」
「そうですか」
「それよりも、姫様があなたのことを呼んでいたわよ」
「そうですか。――って、珍しいですね。姫様がわたしを直に呼ぶなんて」
「そうね。なにか子どもじみた用を出されたらしっかり断りなさい」
この世界でも師匠はやっぱり師匠だった。
わたしは一礼してその場を去り、廊下をゆっくりと歩きながら考えていた。どうしよう。どうするべきか。
わたしの選択肢としては二つほどあると思う。
ひとつは竹林あたりにいるであろうてゐを探して、帰還方法を聞く。ただこの世界がどうなっているのか具体的になにもわからない以上、下手に動かないほうがいいだろうとも思う。見た目はきわめて普通の日常だが、どこに異常な要素がまぎれこんでいるかわからない。
ここは異世界なのだから。
とりあえず、永遠亭は普段と変わらないようだから、わたしは姫様のもとに向かおうと思った。
姫とわたしの関係を一言で表すと、飼い主と飼い兎の関係だ。それなりにかわいがってもらえているのはわたしも感じるが、どうも姫様のかわいがり方は愛玩動物を抱っこするレベルのような感じもする。
それは、つまり――人格の否定とまではいかないまでも、やはりわたしというキャラクターをかわいがってくれているわけではないのだろう。事実、姫様は兎たちのことをすべてイナバという愛称で呼ぶ。わたしもてゐもその他の兎たちも全員イナバなのだ。
まあ、いい。それは瑣末なこと。
飼ってもらってることには恩義を感じてもいるし、姫様のことが嫌いなわけでもない。
必要以上に媚びる必要もないが、必要以上に卑屈になる必要もないということだけだ。
姫様の御所は、長い廊下を経た永遠亭の奥まったところに存在する。
廊下はすべて板張りで細長い空間を演出している。
両側は不釣合いだが白い壁。投射するスクリーンの役目も果たしていて、ときどき師匠が宇宙空間を映し出したりもしている。
が、もちろん物理的には普通の壁だ。
姫様の御所の前は、人の出入りは少ないが、障害になるものがなにもないから、廊下の端っこからでも美しいふすまを一望することは可能である。
月と竹。
両の腕を広げたほどの大きさのあるまんまるなお月様と、乱立する竹で彩られた永き夜。
それが部屋の前のふすまだ。
こういう演出ができるのはふすまのいいところで、障子では不可能なところだろう。
十間ほど廊下を歩き、わたしはふすまをノックした。
まあ多少変だが、和洋折衷の心ということで。
「姫様。わたしです」
「ああ、イナバ。遅かったわね」
今日三度めの遅かったコールだ。わたしが遅いのではなくてあなた方が呼びつけるのが唐突すぎるんですといいたかった。
もちろんいえなかった。
わたしは大きな声で「すいません」と謝る。
相手は恐れ多くも月の姫君ですからね。
なにやらガチャガチャキューッとやっている音が聞こえてきて、なんの音だろうなと思っていると、ようやくふすまが開いた。
「鍵を開けるのに手間取っちゃったわ。入りなさい」
姫様はいつものとおり、いやいつもよりもずっと輝いていた。なんというかオーラが違うのだ。いつもは怠惰な性格からかなんとなくだらしない雰囲気を有している人だったが、今日の姫様はまさしく月の姫の名にふさわしい気品を備えていた。
冷たい月のように綺麗な横顔。
すっと伸びた背筋。
そして、闇夜のように純粋な黒髪。
そこに深淵な表情をたたえた姫様の顔がまるで月のように存在した。
正直、ぞわっときた。
いつもの姫様とあまりにも雰囲気が違うからだ。波長を操るわたしの能力からすると、姫様の波長はいつも『暢気』寄りなはず――。
なのに――。
いまは。完全な真逆。
つまり、要するに、したがって、狂気……。
「どうしたの。イナバ……いいえ、二人きりになったからちゃんと名前で呼んであげましょうね。わたしのレイセン」
うわっ。なんだこれ。
白魚のような指先がわたしの肩にそっと添えられて、再びぞわりと冷たい感覚がする。
「どうしたの。驚いて。ねえレイセン。わたしのかわいいレイセン」
何度も何度もしつこいくらいに名前を呼ばれる。
わたしの本当の名前を繰り返される。ところがちっともうれしくないのはなぜだろう。この状況はとてもデンジャーだ。わたしの体感が全力で教えてくれている。
「いえ。なんでもありません。それよりも用事はなんでしょうか」
「わからない?」
「はいわかりません」
嫌な予感はビシビシ感じていますけれども。
姫様の含み笑いが怖いのですけれども。
わかりません。
わかりたくありません。
「ああ、そう……。なら教えてあげるわね。あなた、今日、わたしと閨をともにしなさい」
「ど、どういうことですか」
「伽を興じるだけのことよ」
「伽を……」
「そう、二人きりでね。あなたのことを思い切りかわいがりたいのよ。ねえ、いいでしょう」
「師匠に怒られますから!」
「あら、永琳なんてどうでもいいじゃない。わたしが興味があるのは、あなただけなのよ」
「師匠に叱られます。お許しを」
「あなたの師匠はわたしの従者。だからわたしの命令をあなたは聞くべきだと思わないかしら」
答えることができずに黙っていると。
うひゃ。
姫様が指先でわたしの顎を、クイともちあげた。
なにこの少女漫画風首上げ。
普通ありえない動作だが、人体の構造上、自然と姫様の双眸を覗きこむ形になる。わたしの狂気の瞳も、今の姫様には効きそうにない。適当なところで逃げ出したいところだが、どうすれば――。
「んふふ。あなたと合体したーい」
一万年と二千年前から愛してませんから!
姫様はナチュラルすぎる動きで、ふすまをそっと閉め、そこに鍵をかけた。わたしは咄嗟に鍵の構造を盗み見る。
ふすまは全部で四枚。
一枚一枚にわりと短めの金色の鎖が取っ手のそばについている。素材は不明だが、おそらくちょっとやそっとじゃ切れない類のものだろう。
その金の鎖の先端は凹と凸で一対になっているようだ。
どうやら、ふすまの端は両端についた壁の穴へと差込み、その他はふすまどうしの鎖を連結するらしい。
そうすることでようやくふすまの密室は完成する。
ってか、これ面倒くさすぎる。
図解するとこんな感じだ。
壁〕■■■■〔壁
■がふすま。空白部分に鎖。
全部で五箇所止められていることになる。わたしはさりげなくふすまに近づいて引っ張ってみた。
うわ。思ったより密室してる。
鎖の長さがうまいこと調整されているのか、引っ張っても数ミリ程度しか隙間ができない。あまり力強くひっぱったら、ふすま自体が変形しそうだ。
「これどうやったら開くんです?」
無駄だと思いながらも一応聞いてみた。
「ん。これ?」
鍵だった。小さな小さな鍵。
小指の先のようなサイズの鍵があって、それを連結部分の小穴に差し込んで開くのだろう。鍵の構造は単純そうだ。
しかし鍵――
それを姫様は何を思ったかパックンチョ。
ごっくんと胃の中に流し遊ばしめられた。何語を言ってるのか自分でもわからない。
どうしようもないほどに戦慄すべき状況だった。
結論から言って、脱出不能。
わたしはその場にへたりこんだ。
「これで、永琳に邪魔されることもないでしょう。いくら永琳が密室を創るのが得意だとしても、創り上げられた密室を壊すのは難しい」
「いやそういうことではなくてですね」
わたしの倫理観がとてもよろしくないと告げているのである。こう見えても真面目なタイプだともっぱらな噂のいい兎をしてきたつもりだ。
というか、そうそう思い出した。
「こんなの弾幕使えば一発で破壊可能じゃないですか」
「なんだそんなこと。じゃあ、結界でも張っておきましょ。物理的な力以外がこのふすまを通過しようとすると、警告音が鳴って多少の時間は遮断してくれるはず。もちろん、あくまで多少の時間であって本気で破られたら無理だろうけど、少なくとも服を着る時間ぐらいあるんじゃないかしらねぇ」
姫様は御札をぺたりとふすまに張った。
「この白い御札が紅く染まってたら、この部屋に向かって侵入するなんらかの神通力が使われたってことだから」
「いやそういうことではなくーっ」
「なーに? あなたもしかして、この期に及んでなにもされないとか思ってないわよね」
「思ってます。思ってますから」
「だから許してほしいとか?」
「そうですそうです」
「お布団の中で全部聞いてあげるわね」
いやあああああぁぁぁぁぁぁぁ。
わたしは姫様に首根っこを捕まえられ、ずるずると、そのまま布団のほうへと引きずられた。
「さてさて。レイセンの柔肌を蹂躙しちゃおうかなー」
「嬉しそうにいわないでください」
「おっぱいおっぱい」
「変態だーっ!」
めちゃくちゃな性格なところは変わってないらしい。ついでに言えば、わたしは貞操の危機らしい。
周りは完全に壁。絶叫して助けを呼ぼうかとも思ったが、駆けつけるまでに少なくとも血を見る結果にはなりそうだ。
まあいろんな意味で。
ここは想像力を働かせてみよう。
姫様の目が明らかにおかしい。するりと手が動いて、わたしの二の腕をつかんだ。
じんわりとしたスピードで顔と顔が近づく。
やばい。やばい。やばい。
姫様の腕を無理やり振りほどいて、わたしは四角い部屋の隅っこまで後退する。姫様は笑いながらじりじりとにじり寄ってくる。
捕食者の気分ってこんな感じなんだろう。
さながら姫様はライオンか。
そしてわたしは儚い兎。
「観念なさいね」
「観念したくありません!」
姫様がボクサーのようなスピードで角にいるわたしに迫る。わたしはさっと飛びのく。
ドシンと壁にぶつかる姫様。
いたそうに顔をさすり、しかしまだ表面上は笑っているから、なおさら不気味だ。
スマイルスマイルと呟き、
「つまり、これっていやがるレイセンを無理やり押し倒す。そういうゲームなわけね」
「そういうゲームってなんですかッ!?」
やばいよー。視線とか手の動きとかが食虫植物チックだよー。
ハエジゴクというべきか、ウツボカヅラというべきか。ちなみにハエジゴクは貝みたいな葉っぱをもっていて、中のとげに虫が触れるとパクっと閉じちゃうタイプの植物。ウツボカヅラはつるつるとすべってしまって抜け出せない蟻地獄のような感じの植物だ。
おそろしい。
わたしはわりと自分のことを鋭敏なほうだと思っているが、こういう未知の恐怖のまえでは、身体が重くなってしまう。人工灯の明かりに照らされた姫様のお顔ははっきりいってそこらの妖怪なんかよりもずっと恐怖を惹起させるものだった。
わたし、がんばった。
二時間――
兎とライオンの演劇は二時間続いた。
二時間も逃げまわることができたわたしを褒めてあげたい。
体力的には人間をそれほど凌駕しない姫様がお疲れになってその場でぶっ倒れたから、なんとかわたしの大事なものは守られた。
しかし、妥協案として同じ布団で眠ることになったのは、もはやわたしの能力的限界を越えた仕方の無いことなのだろう。
何もしないからといって涙目になられる姫様をみると、少しは悪い気もして、しょうがなく首を縦に振ったのだった。
布団の中では、顔をおっぱいに押しつけられました。
それ以外のことはほとんど覚えていない。
たぶん、なにもなかったと思う。
布団の上でぱっちりと目を覚ます。
横。
うん。横だ。
意識の混濁から解放されると、隣で姫様が死んでた。
部屋の中は嵐が過ぎ去ったあとのようにめちゃくちゃに荒らされていた。
そして部屋中が血だらけ。天井にまで血がついている。
物はあちらこちらに転がり、たんすはぶっ倒れ、その他の調度品もすべて部屋中に散らばっていた。
はぁ?
いみふ。いみふ。
意味不明の略語を二回も心の中で言ってしまった。
あまりグロ描写はしたくないのだが、姫様が死んでいるのは間違いない。びっくりしたというよりも生理的な気持ち悪さがまず最初に来た。
わたしは師匠に薬学的な知識を学ぶかたわら、同時に人体の構造も学んでいる。当然だろう。身体のことを知らなければ薬のこともわかりようがない。
目的がわからなければ手段を模索しようもないのといっしょだ。
それにあまり思い出したくもないが、わたしはこう見えて元軍人なので人の殺し方ぐらいは知っている。
姫様の死体は、見るも無残な状況だった。
瞬間的に死んでいるとわかる。
人体の枢要部――致命的ダメージを与える部位を一突き。
刺殺痕。
つまり、おなかをなにか鋭利なもので貫かれていた。それ以外に傷はなく、はだけた着物に目をつぶれば、ずいぶんと綺麗な死体だ。
ところで人がおなかを刺されてもすぐに死なないイメージがあるだろうが、実際のところはそんなことはない。心臓や頚動脈に比べれば一瞬で死ぬということもそうそうないだろうが、動脈がおなかの中にはちゃんとある以上(上腸間膜動脈という)、場合によっては一瞬のうちに絶命することもある。
つまり動脈が切れれば大量に血がでる。死ぬ――。
凶器はどこにもない。
謎……。
謎だ。
だって、姫様は不死なのだ。
殺したところで二十分もあればケロッとした顔で生き返る。
しかし――、もしも。
姫様が不死でなかったら?
考えうることだ。『蓬莱の薬を飲まなかった姫様と出会ったわたし』と交換している可能性がある。
わたしが飛んだことはまちがいないとして、どこまでコントロールできているのかは謎だ。
おそらくできるかぎり近接した可能性世界を選択しようと無意識なりで思っているのかもしれないが、細かな点で違いがでるのは避けようがなさそうだ。
今回はそれが致命的な形で発露した――とは考えられないだろうか。
考えられた。
だから怖かった。
姫様の虚ろな瞳は、今はどことも知れない空間を見つめている。
とりあえず二十分ほど待ったが、変化はなにも訪れなかった。
やはりこれは姫様は死んでいると結論づけたほうがよさそうだ。復活も、おそらくしないのだろう。
そろそろ昼時だった。
あまり長い間、わたしの姿が見えなくても不審がられる。
どうする……。いったいこの状況でどうしたらいい。
わたしは部屋の状況を観察する。
この部屋は四方が壁に囲まれていて、前方のふすま以外には出口がない。ふすまには異常がない。綺麗な平面状のふすまは先ほどと見た目はかわらない。もちろん部屋の状況と同じく多少の血が付着しているものの、なんらかの物理的力が加えられた様子はなかった。念のため近寄って調べてみたが、どこにも妙なところはない。結界の役割を果たしている御札を見てみると、どうやら誰も神通力を使ってないらしい。御札は白いままだ。当然のことながら金鎖もどれひとつ欠けていない。
いよいよもってこれは――。
そんな状況で。
部屋の中央あたり、正確には部屋の中央からはひとりぶんほどずれた所、
布団の上に姫様の死体はある。ふすまからの距離は姫様五人分ぐらい。メートル法で言えば、8メートル程度。
争ったのか、部屋の中はものすごく荒れている。
つまり――うん、そうだ。
わかってる。
これ、密室だ。
もしかして寝ている途中で『姫様を殺したわたし』と入れ替わったのだろうか。その可能性もあるから怖い。
というか、状況からしてまちがいなくそうじゃないか?
ふすまは先ほどと同じく鍵がかかっているし、部屋の中を丹念に調べたが、どこにも鍵はなかった。
ちょっとグロすぎてどうしようもないが、姫様の中を調べるとちゃんと鍵発見。
はぁ……、両の手が血だらけだ。
ずいぶんと生暖かったなぁ。
血塗られ兎になっちゃったなぁ。
まあ実際には起きたときからぽつぽつと血がついてたけどね……。
「ウドンゲ? もうお昼よ」
……!
わたしはそっと振り返る。
ふすまの向こうから師匠の声が聞こえた。
ヤバイ。逃げられない。
そ、そうだ。落ち着けわたし。まだ慌てるような時間じゃない。
交換すればいい。世界を交換して、なにごともなく平穏無事にすごしているわたしと交換すればいいんだ。
なんだ。簡単じゃないか。
わたしはすぐに念じる。
飛べ飛べ飛べ飛べ!!!!
……ん。
あれ?
なにかおかしい。
飛べない。
なぜ?
よく考えるとどうやったら世界を交換できるのか、その境界条件はいまだ不確定だ。
もしかして一回ぽっきりの転移装置だったのかもしれない。
「ウドンゲー。姫様ー。いないのー?」
師匠の焦れたような声が聞こえる。
本気でどうする?
わたしは必死で周りを見渡す。
部屋の中はどこもかしこも木張りで、おそらく弾幕を使えば一瞬で破壊できるだろう。
壁も天井も床もそういった意味では密室にはほど遠い。
凶器がこの場にないから申し開きをすれば、師匠にはわかってもらえる確率は高そうだ。
しかし――この世界の師匠が本当に理解のある師匠なのか今のわたしには判断のしようがない。
逃げるか?
逃げるべきなのか?
てゐの状況がわからないのが恐ろしい。この世界にもしもてゐがいなかったらわたしは永遠に牢獄で暮らすことになりそうだ。
「あけるわよー?」
「あ、あの師匠。いま、姫様は寝てらっしゃっいます」
「たたき起こしていいわ。早くしなさい」
「いや安らかな寝顔ですので」
さすがに死に顔とはいえない。
「人間の睡眠時間は七時間程度が一番いいの。それ以上長く寝ると逆に不健康なのよ。さっさと開けなさい。開けないなら無理やりこじ開けるわよ」
静かな声だが、いらいらしているのがわかった。
くそう。時間を稼ぐこともできないのか。
やむをえない。わたしは人差し指以外を折り曲げて、銃の形を作り、弾丸の形をした弾幕を作り出した。
師匠が中の様子を見聞し、わたしに追っ手を差し向けるまでに要する時間は一分もかからないだろう。それだけじゃない。師匠とまともに戦っても勝てるわけがない。ここはてゐとなんとか合流して、元の世界に帰還するのが一番てっとりばやいはずだ。
壁に向かって、弾を発射。
ぶわっと空気の奔流とともに衝撃波が起こり、壁は粉微塵に粉砕された。
「何事!?」
師匠の声が後ろから聞こえる。
ここまで一秒。
わたしは文字通り脱兎のごとく逃げ出した。
追っ手の兎たちはわたしにとっては雑魚なので、死なない程度に痛めつけて追い払っていたが、そのうち師匠に場所を特定されてしまうだろう。竹林の中をさ迷っているだけじゃジリ貧は確実だった。てゐはどこにいるのかまだわからない。
このさわぎの中じゃなかなか出られないということも考えられる。
あいつ、実際こわがりだし、こういう状況下ではまるまってしまうのだ。
文字通りの意味で手と足をまるめて。
これが実際かわいいんだ。まあ、だからといって無理やりいじめたことはない。てゐはどこかで泣いていないだろうか。
くそ。何を考えているんだわたしは。
もっと冷静にならなければ――もっと頭を働かさなければダメだ。
それにしても妙なことになっている。師匠の薬を飲んで平穏無事に済んだことは一度もないが、今回ほどピンチになったことはない。
捕まったら、この世界の師匠に口ではいえない地獄の責め苦を味合わされることになりそうだ。
想像すると怖かった。
それにしてもどこに行くべきだろう。
このまま竹林であてどなくさまよっていても、絶対的にまずい状況になるのはわかりきっている。
どこかに身を隠さないと。
しかし――どこへ?
再び自身に問いかける。
わたしは人見知りが烈しく、あまり出歩くことがないためか人脈どころか知人も数える程度しかいない。
たとえば――紅魔館の主人。レミリア・スカーレット。彼女に無理やり呼び出されてなにかよくわからない事件の犯人扱いされてボコられた覚えがあったりもするが、ああいうところにはお世話になりたくない。
博麗の巫女のところはどうだろうか。
彼女はけっこうな面倒臭がりなところはあるものの、平等主義を地でいっているため、懇切丁寧に説明すればかくまってもらえるかもしれない。
けど、この場合は、逆に危険が増すともいえる。
あまりにも彼女は有名人なのだ。
この幻想郷において博麗の巫女のことを知らない存在はいないんじゃないだろうか。
そうすると、かくまってと頼んだその日のうちに追っ手に見つかってゲームオーバーの可能性も十分に高い。
やはり――だめだ。
選択肢はない。
「でも、動かなきゃ……」
わたしはとりあえず竹林を抜けることにした。
わたしがあとひとつよく行っている場所は、人里だ。
そこに行くしかない。
おいつめられた兎にできることはもう誰かになりふりかまわず助けを求めることだけ。
この血だらけの服装で人の前に出るのははっきり行って自殺行為だが、師匠達もおいそれとは立ち入ることができないだろう。
飛んだら神通力を感知されてしまう可能性が高かったので、わたしは竹林のなかを走って人里まで降りることにした。
視線。
人間の視線が容赦なくわたしに突き刺さる。
ようやく人里に下りてきた。
わたしは今、里の人間たちに遠巻きに観察されている。腫れ物に触るような視線がぶしつけに投げつけられて、わたしはどうしようもなく立ち止まる。
話しかけられるような雰囲気ではない。いつもの人里はのんびりした雰囲気なのだが、さすがに血塗られた兎が迷いこんだとなれば、彼らも恐怖心が増長し、普通ではいられないということなのだろう。
わかってた。
自分の両の手は今はもう渇いていてべっとりとした感覚はなくなっているが、真っ赤に染まっている。
着ているブレザーも同じく血だらけ。
そして人間ではない異端の存在。
こんな状況で、優しい笑顔で「やぁ」とかフランクに話しかけられたら、そっちのほうが逆に怖い。
正常な反応なんだ、と思った。
でも、どうしよう。
行く当てなど最初からなかったが、ここでかくまってもらえない場合、本気でレミリア・スカーレットのもとに身を寄せるしかなくなる。わたしが紅魔館の主人のもとに行きたくないのは別にボコられた経験があるからだけではなく、それもあるけど――要するに幻想郷内で戦争じみたことが起こる可能性があるからだ。
月の民の科学水準は幻想郷の中ではぶっちぎりでトップだから、師匠が負けることはまずないとは思うが、神通力においては誰も彼もが理論上無敵だったりするから何が起こるかわからない。回ってるコマのようにきわめて不安定な状態なのだ。少し手が触れたらすぐに回転は止まってしまう。
だから、人里が一番無難だったのに――。
人間の弱さ。
わかってはいた。しかし、一番弱いのは自分なのかもしれない。一見すると気が強そうに見られる傾向があるが、本当のところは内向的な兎だと自分でもわかっている。
「これはまたずいぶんと厄介なお客様みたいだ」
後ろから声。
わたしはすぐに振り返る。
長髪で美麗な人。
それがわたしの第一印象。
頭にはなにか大仰な帽子状のものがかぶられていて、昔ヨーロッパで船かなにかをカツラにしてたことを思い出した。重そう。
目と髪の配色から考えて、どう見ても人外だ。
いや、半妖というところか……、あるいは人獣?
まとっている雰囲気はやわらかく、正面から見える笑顔はアジサイのようだった。
しっとりとした視線を感じる。
こんな異常すぎるわたしに声をかけてくるとは、どう考えても並の胆力じゃないだろう。
……誰だ?
「穴があくように観察するのもそれぐらいにしてくれないか。君は永遠亭の兎だね」
「そうです」
「わたしは上白沢慧音という。ここで子どもたちに歴史を教えている者だ」
ずいぶんと硬い口調だなと思う。
その口調から性格の真面目さが垣間見える。その人の周りに人間の子どもたちが集まってきた。あいかわらずわたしに対する視線は警戒心が混ざっていたが、慧音と呼ばれる人物に対する敬愛の情が勝ったのだろう。
けーね先生。けーね先生となついていた。
子どもにこれだけ信頼されているところを見ると、この人物は少なくとも悪者じゃないと思う。
「助けてください」
意を決して言ってみた。真摯な態度をとれば、もしかすると助けてくれるかもしれないという淡い期待があった。
もうここしか行くところがない。
「困っているようだね。いいだろう。情けは人のためならず、だ。子どもたちに教えていることを実践できないようでは笑われてしまう。おまえたち、今日の学校はお休みだ。おうちに帰りなさい」
子ども達は元気に手を振り、帰っていった。
この人は、信頼に値する人物なのだろう。
子どもたちだけではなく、大人もわたしに対する警戒心を少しだけ――ほんの少しだけ解いて、いつもと変わらない日常へと戻っていった。
あとはこの人にまかせればいい、そう考えているかのように。
わたしは思わず口を開いていた。
「慧音先生」
「ん。ああ。何も心配しないでいいよ」
寺子屋の中は畳でできている。壁には子ども達が書いたのであろう習字がてんでばらばらに張ってあった。子ども達に自分で張らせたのだろう。紅い筆が走っていて、基本的には花まるが多い。あまり叱れないタイプなのだろうか。ただし指摘と注釈が細かい筆で書かれてあって、慧音先生はどうも細かすぎる性格らしいことがわかった。
師匠は――ああ見えて理知的すぎることも理知的ではないことを理解しているタイプだと思う。
適当なことがファジー理論につながることを知っていて、カオスであることもまた秩序系の一種であることを知っているようなタイプだ。
つまり、この考えを推し進めると、こうも言える。
慧音先生は十分に人間味に溢れている、と。
実際、時々思考が追いつけない師匠に比べて、慧音先生の話し振りはすこぶるわかりやすい。ただ少し冗長な話し振りともいえる。
わかって欲しいという気持ちが強すぎて、説明しすぎてしまい逆にわかりにくくなってしまうのだろう。子どもたちには少々酷だろうが、師匠でなれているわたしにしてみれば、先生の言葉がどれだけ慈愛に溢れているのかわかる。
驚くべきことは今日はじめてあったわたしにも、優しさがこめられていることだった。
――この人には勝てそうにない。
「まずは着替えてもらおうかな。子ども達が脅えてしまうから」
「はい」
出されたのはおそらく慧音先生が着ている服だろう。洋風のワンピースというものによく似ている服だが、若干和風な要素も取り入れた珍妙なタイプだ。当然見たこともない。歴史からはずれた服といった感じだ。
「ここで着替えるのですか」
「わたしも女だから気にしない。わたしが部屋のなかにいたほうが里のみんなも安心だろうし、我慢してほしい」
「わかりました」
拒否できるような立場でもないし、先生が言うとおり女どうしなので、わたしは極力気にしないように着ているものを脱いだ。
とはいえ、まったく考えないわけにもいかないのが、羞恥心ある兎の悪いところで……。
無言のままじっと見つめられると息がつまりそうだ。
「頬と身体にも血がついている。手ぬぐいをぬらしてくる」
先生の反応は驚くほど淡白だ。
数分後、慧音先生が手ぬぐいを数本ぬらして戻ってきた。片方の手の中には木の桶が握られており、中には水が入っている。
着ているものを脱ぐ。下着だけはさすがに勘弁して欲しい。見てみると少ししか血がついていない。これならまあなんとか許せるだろう。
ただ慧音先生の視線は厳しい。
「身体中血だらけみたい。だけど、幸いなことに君自身には傷はないようだ。背中はわたしが拭いてあげよう」
「お願いします」
背中はさすがに自分では拭けない。
恥ずかしがるな自分。
少し頬が熱くなるのを感じたが、先生の手つきにはいやらしいものはなく、むしろ子どもに対する愛情のようなものが含まれていた。
わたしもまだまだ子どもだということなのだろうか。年齢的にはどうか知らないが、精神年齢という意味においては慧音先生のほうがずっと大人であるように感じた。
背中を先生に拭かれたあと、わたしは自分の身体を手ぬぐいでぬぐった。ようやく身体中から血の臭いがとれた。桶の中は血でうっすらと紅く染まっている……。
先生は嫌な顔ひとつせず、血だらけになった手ぬぐいと桶を持っていった。
わたしはしばらく待つ。
心は奇妙なほどに落ち着いていた。一生忘れることができなさそうな強烈な画像を目の裏に焼きつけてきたというのに、畳の部屋で、沈黙とともに正座をしていると、自然と心の中に静謐が満ちていく。
慧音先生はお盆の上にお茶をのせてやってきた。渋そうな緑茶だ。わたしはのどが渇いていたので、すぐに手に取った。
のどを濡らし、渇きが収まると、わたしは大きく息を吐く。
精神の緊張が少し解ける。
「では、まず君の名前から聞こうかな」
「鈴仙です」
「ふむ。では鈴仙。なにがあったか教えてくれないか。できるだけ順序良く。最初から」
「わかりました」
しかし――どこから話したものか。
幻想郷の時代遅れな技術では、さすがに知恵者であっても師匠の薬のことを理解できるとも思えない。ラグナ6を作成可能なのはおそらく人外のオンパレードな幻想郷においても師匠だけなのではないだろうか。もちろんわたし自身もいったいどのようにして、薬を作ったのかはわかりようもないのだった。
慧音先生は、ただ静かにわたしが話しはじめるのを黙って待ってくれている。
その顔を見て、わたしもようやく決心した。
言おう。
言ってしまおう。
ラグナ6がどのようなメカニズムで作動するのはかわからないが、少なくともどんな結果をもたらすのかは経験している。
つまり、オブジェクト指向だ。
テレビやゲーム機器と同じでどんな原理かはわからなくても、終局、どんな振る舞いをするのか理解していれば、知恵をめぐらすことは可能。ならば知恵者から知恵を借りるのも悪くない。
わたしはすべてあまさず説明することにする。
永遠亭の主な構成員。永遠亭の構造。師匠に薬を飲まされたこと。薬の効果によって世界が交換され、全置全換されること。そして、その力のせいで、飼い主である姫様が殺された世界になぜか飛ばされたことを話した。気づいたとき部屋の中は血だらけだったこと。ふすまには鍵がついていたこと。鍵は姫様のなかから見つかったこと。争った形跡があるけれど、部屋のなかには自分しかいなかったこと。神通力がふすまを通り抜けると札が反応すること。そして、つまり部屋の中は密室だったこと。
これらをすべて伝えた。できるだけわかりやすく説明したつもりだ。
「世界を交換する薬か。珍奇なものを発明するものだなぁ」
「いつも師匠の実験台ですから」
「とすると、この世界は君にとって異世界ということになるわけだね」
「そうです。わたしにとっては交換されたBの世界です」
「ふうむ」
腕を組み、背筋を伸ばした正座の姿勢のまま、慧音先生は沈思した。
その姿はまるで一振りの刀のように鋭い美しさがある。
わたしも真似をして考えようとするが、どうも思考がまとまらない。雑念が多いことは自分自身も知っていた。そんなだから、てゐのイタズラにいつも振りまわされるのだ。
ほとほと自分にあきれるしかない。
慧音先生が静かに目を開けた。
「鈴仙。君にとっての元の世界の師匠は、いったい何を思い、この世界に君を送りこんだのだろうな」
「師匠は幸せを探求するためだと言っておりました」
「幸せとはなんだろう」
突然の問い。
幸せとは何か。
茫洋とした答えは持っているものの、これだという答えは見つからない。
「君はどう思う?」と慧音先生は子どもに言い聞かせるかのような口調になった。
わたしはとっさに、
「幸せだと感じたら、それが幸せなのではないですか?」
と答えた。
「君は幸せが主観であると思っているのだね」
「ええ、そうです」
「しかしたとえばの話だが、アヘンやけしを常用している者は、その瞬間、主観的には幸せだろう。それでも彼は幸せといえるだろうか」
わたしは言葉に窮した。
麻薬中毒者の主な症状を想像する。
うつろな瞳。血走った瞳。頬はだらしなくゆるみきり、よだれが口の端から零れ落ちる。そして口元からは幻惑に魅せられたものの言葉が間断なく呟かれるのだ。
それ――が正しく幸せであるといえるのだろうか。
けれど。
「幸せが客観であるとすると、それもおかしい……」
「そうだな」慧音先生は大きくうなずく。「幸せは誰かに決められるものでもない」
「じゃあ、主観でも客観でもない……」
それはいったいなんだ?
幸せはいったいなんだ?
答えはないのか?
答えがないということは、つまり――師匠はこの世界で朽ち果てろ、と……。
ぞっとしない思考に視線が落ちる。
恐ろしい考えではあるが、一応筋は通っている。
最初からてゐがいないのが異常で、しかも次には姫様が死んでいる。そんなふうに、わたしにとってどんどん状況が悪化していっている。わたしは師匠に恐ろしく緩慢に殺されようとしているのではないだろうか。
そういったことを慧音先生に言ってみた。
「いや、違うだろう。そもそも君の話だと、君の主観によれば、世界が変わったかのように見えるだろうが、元の世界の住人にとっては交換された君はそこにいるわけだ。Aの世界の君とBの世界の君を同定することは不可能だろう。とすれば、結局、社会的に抹殺することはできない」
「そこにいたわたしは殺せます」
「確かにな。だが、それは無意味だ」
「どうしてです?」
「もし仮にAの世界の永琳殿が君のことを抹殺したいのなら、おもむろに自分でラグナ6を飲み、『鈴仙と出会わなかった自分』や『鈴仙を殺した自分』を選択すればいい」
「わたしをいじめて楽しんでいる可能性もあります。今ここで苦しんでいるわたしを想像して楽しんでいるのではないですか!」
ヒステリックに叫ぶ自分がいた。
嫌な思考をしていると自分でもわかる。
けれど、不安がとまらない。
言葉も気持ちもとめられなかった。
慧音先生は黙って、わたしの絶叫を受け止めた。
そしてぽつりと呟くように言う。
「神に等しくなれるほどの薬を作る者が、そういうことを考えるだろうか……」
「わかりません」
「幸せについてはこれだという答えはないのだろう。幸せに形はない。物体としての形がないのは当然のことだが、それだけでなく観念そのものが形を持とうとすると崩れ去ってしまう類のものなのだろうな。わたしは幸せとは生滅するものだと考えている」
慧音先生は不意に立ち上がると、窓の外に視線をやった。
そして口を開いた。
「わたしは里で歴史を教えているのだがね。歴史には二つの考え方がある。一つは唯物史観。これは歴史とは物質であるという考え方だ。歴史は物質の上に胡坐をかき、どっかりと腰を落ち着けて存在するという考え方だ。では物質とは何かが問題となるが、これはつまり人間精神以外のものを指す」
少し硬い口調だ。授業モードなのだろう。
まったく関係のない話のように思われるが、類推の話は師匠でもお手のものだ。
黙って聞くことにする。
「唯物史観によれば、主体となるのは自然であり、人間の認識はその主体に追いつこうとする。これが歴史の動きであるとする。人間が物質の未知の領域を踏破していく運動こそが歴史であるという見解である。確かになるほどと思う一面もある。赤ん坊を見てみればいい。彼あるいは彼女は最初に外界を認識し、徐々に見たものの名前を覚えていくだろう。それをその子の歴史と呼ぶのは正しい。しかし本当にそうだろうか。人間の認識にはいつでも限界があり、彼や彼女の認識は決して事物の本来的な性質を根源にまで遡って明らかにすることはない。事実、人間はせいぜいがたとえばここにある机を見て、木でできているのだろうな、程度しかわからないのだから。そうだとすると、人間は究極的には真理の認識に到達できない」
慧音先生はここで大きく息継ぎをして続ける。
「これは、いわば一タス一は四であるという式が成り立つ算術のようなもので、歴史はただの言葉遊びに等しくなってしまわないだろうか。この疑問に対して、西洋の『えんげるす』なる者はこういっている。『それは限りない人間世代の連続の中で解決される矛盾である』と。しかし、人間の歴史は思っているよりも脆弱だというのがわたしの見解だ」
「どういうことですか?」
ためらいつつも、聞いた。
「今から明らかになる。静かに聞いてくれ」
「はい……」
先生はとても教育熱心のようだ。
「要するに、唯物史観は人間の脆弱さを嫌うあまりに物質に腰をおろした思想なのであるが、そうであるのにその物質を承認しているのは、その脆弱な認識力しか持たない人間なのだという点が矛盾しているといえる。このとき歴史を紐解く人間は人間でありながら物質へと同化した存在にならざるをえず、そんなことは神にしかなしえない。人間は神になれないのは言うまでもないことだ。したがって、客観を目指した歴史観はやはりおかしいといわざるをえない」
歴史の客観性の否定か。
なんとなくだがわかった。
「他方で観念論というものがある。精神こそが歴史であるという見解だ。この見解は個人レベルでは独我論と親和性が高そうだな。『わたし』が認識し知覚して始めて、その物質が存在するという考え方だ。この考え方は独りよがりで、傲慢だとわたしは思う」
しかし、わたしが今いるこの世界は、量子論的な考え方に依っている。
観察者の観察行動によって物質の業が決定される。いわゆる、
――シュレディンガーの猫
と呼ばれる思考実験。
いま、わたしはシュレディンガーの猫ならぬ兎なわけだが、観念が世界を構築していると言ってもまちがいではないのではないだろうか。
そして、それは人間の意識の現象的側面が物理現象の原因となりうるという観念論ではないのだろうか。
ラグナ6を認めることはすなわち観念論を捨て去ることができないことを意味している。
いずれにしろ――先生の歴史観とは関係ないが。
「慧音先生の歴史観は客観でも主観でもないとすると、いったいどんな考えなのですか?」
「歴史は『内』にも『外』にもない。唯物史観が述べたように、物質の神秘の中に内包されたものでもなければ、観念論がしたように物質の外面を覆っている膜でもないのだ」
慧音先生は静かに、ただ静かに言った。
「歴史とは関係だ」
それが先生の出した答えだった。
歴史とは関係。つまり、因果的な連鎖。相互連関的な因果の流れのようなものだろうか。
「そもそも、素朴に考えてみると歴史は淡々とした時の流れにすぎない。そして時間とは本来的には虚空の属性を有している。過去はすでに此処にはなく、現在も極限的に生滅しているから捉えようがなく、未来も此処にはない。無いものを在るかのように感じているのは人間精神が在るとするからである。人間の精神のなかで時間という観念が醸成されるのである。したがって、歴史もまた人間の精神の中で組成される」
「それは観念論となにが違うのですか」
「精神そのものが歴史と考えるのが観念論であり、わたしの考えは精神が歴史を書き換えるということだ。すなわち人間が現在を見て、過去を顧みて、未来を見渡して、虚空を通して得られた答えが歴史というものではないかと考えている。すなわち、歴史は物質と精神の狭間に在る」
「難しいです」
というか元の話はいったいなんだったか。
そうそう、幸せっていったいなんだろうという話だった。
「先生の話だと幸せも歴史も同じということになるのですか」
「そうだな。幸せは主観でも客観でもない。ただ人の心の中で弁証法的にのみ存在する。本来的な性質は無に等しい」
一切が空と、呟き、慧音先生は静かにまぶたを閉じた。
おそらくはあまりにも脆弱すぎる人間の生死を想ったのだろう。
人の寿命はあまりにも短い。
ほとんど無意味なほどに。
けれど、彼らは確かに存在する。生きている。
それにしても――。
慧音先生の熱心さはほとほと子ども達も身にしみているだろう。
てゆーか、説明長すぎですから先生。
これじゃあ今の世の中やっていけませんから。
説明はわかりやすく。
漫画のような授業をしてください。
小説だったら一行ずつ行間開けるような感じでゆとりたっぷりにしてください。
などと思うが、内向的なわたしは沈黙を保つのみだ。
わたしの精神的な葛藤など知るよしもなく、慧音先生の声のトーンは先ほどと変わる様子はなかった。
お茶をひとすすり、
「歴史の総論は先ほど話したとおりだ。時間がないので、次は歴史の各論について語ることにしよう」
「はい……」
まだ続くのか……。
だが、拒否権なんてわたしには存在しない。
べつにいいのだ。どうせここしか身を隠す場所はないし、人里なら師匠もおいそれとは入ってこれないはず。時間はまだ残されているだろう。
「君が述べた、永琳殿と輝夜殿についてだが、室町幕府初代の足利尊氏とその弟である直義の関係に似ているように思われる。尊氏の性格については諸説あるところであるが、基本的に思ったことをすぐ行動に移してしまう感情型の人間であったようだ。彼は何度も出家しようとしている。主観的な幸せを追求するタイプだったというべきか、あるいは周りが見えてないというべきか。時は不安定な初代室町幕府である。その時期にいきなり将軍の地位を弟に譲り渡そうというのだから、考えが足りないと評価されてもしかたのないところだろう。実際にやめることはできなかった」
わたしは歴史にはうとい。
正直、月にいた期間が長かったから、地球の歴史についてはあまり知らないのだ。
ここでも借りてきた猫ならぬ借りてきた兎のように身を小さくするしかなかった。
実際、その言葉はほぼ的を射ていると思う。
「他方で直義についてはこれまた諸説あるところであるが、どうやら性格的に尊氏と真反対であったようだ。尊氏がもののあはれを歌うのに対して、直義は合理で斬って捨てる性格といえる。尊氏と直義は性格的に補填しあえるからこそうまくいっていたのだろうな。基本的に尊氏のような統率者はその温情で部下をねぎらうことがうまいが、ある意味だらしがないともいえるので部下としては不安な側面もあるだろう。対して直義のような性格だと、ひとつひとつの行動の目的や手段がきっちりしてあって、仕えるものとしては安心感が湧く。しかし逆に言えば、冷徹な合理にしたがって断罪される恐れを抱かせかねないという面がある」
確かにそんな側面があるように思う。
姫様はこっちの世界ではよくわからないが、わたしの見知った姫様は本当に日常生活を送れないほどに怠惰な性格だった。逆に師匠はというと、これまた脳髄まで数学でできているのではないかと思わせるほどの人間のかたちをした機械である。
「人間は不完全だから、二人で事に当たろうとするのは悪い考えではない。相補的な二人で政治を運営するというのはうまくいっていた」
慧音先生の顔に陰が落ちた。
「しかし、その関係も結局は破綻した」
「どうしてですか?」
「尊氏の直属の部下である高師直と直義が対立したからだ。部下どうしの対立になるが、実質的に尊氏と直義の対立構造ができあがってしまうことになる。感情的には温情的な尊氏は直義を討ちたくはなかっただろうが、上に立つものとしてはしかたない。苦渋の決断を下すしかなかった」
しばし沈黙が満ちる。
結局、各論も良くわからない話だった。
ただ、沈痛な面持ちで先生はわたしの顔を見つめていた。
わたしに伝えるべきか考えあぐねているのだろうか。
まるで酷な真実であると言外に言われているかのようだった。
「どういうことですか?」
と、わたしは思い切って聞いた。
「いま言ったことと逆のことが起こったのではないかと思ったのだ」
「それって……つまり」
「つまり、永琳殿が輝夜殿を殺したのではないか」
「まさか、そんなことが……。根拠はいったいなんです?」
「もっとも怪しいと感じたのは、君の師匠殿は嘘をついているということだ」
「嘘を?」
「ああ……」
伝聞で話を聞いたに過ぎないのに、どうして師匠が嘘をついているとわかるのだろう。
「わからないか? ラグナ6を知らないと言ったのだったな。それは明らかに嘘だよ」
「いや、しかしラグナ6のことを知らない師匠であってもおかしくないのでは? そういう世界に交換したのかもしれませんし」
「鈴仙。よく考えてもみろ。ラグナ6が在る世界どうしでなければ世界を交換する条件を満たしていないことになるだろう。つまり、最低でもこの世界にラグナ6は存在しないといけない。この世界――つまり、君にとってのBの世界の鈴仙がラグナ6を飲んで、A世界と交換しなければ君はこの世界にそもそも来ることができなかったのだからな」
「なるほど、確かにそうですね」
「また、ラグナ6などという神がかり的な薬を作れるものなんておそらくこの幻想郷には永琳殿ぐらいしかいないだろう」
「師匠しか作れないはずです。師匠のあらゆる薬を作る程度の能力がなければ、おそらくは不可能――」
「それにしたってわたしには半信半疑なのだがね。それにこういうことも考えられる。君の元の世界の永琳殿が嘘をついている可能性だ」
――!
前提を揺るがすような発言に、わたしはただただ恐怖する。
もしかしたらこの世界から抜け出すことは永久に不可能なのだろうか。
わたしが物も言えずに黙っていると、慧音先生が優しく肩に手を置いてくれた。
「おそらくは大丈夫だろう。まったく異なる世界にただ転移するというだけの薬の可能性もあるが、その可能性は個人的には低いだろうと思っている」
「なぜですか」
「すべてが得られる立場は等価的にすべてが無価値になるからだ。要するに、すべてがどうでもよくならないだろうか……」
「そうかもしれません」
「いのちは有限だから、精一杯生きようとする」
「……」
「何を思い君を送りこんだのかはわからないが、いずれにしろ君の師匠は自分のことをさておき、弟子である君をカミサマウサギにしようとしたわけだ。ここには私心は見られない。だからわたしは信じたい。君は信じることができるか?」
「信じます」
素直に言葉がでた。
慧音先生の授業は優しさの中でくるまれているような感じなのだろうなと思う。
少し、人間の子ども達が羨ましかった。
慧音先生は再び声のトーンを落として、まっすぐにわたしと視線を交わす。
「そこで、だ。要するにA世界の永琳殿が嘘をついてないとすると、必然的にB世界、この世界の永琳殿は嘘をついたことになる。ここまではいいな?」
「そうですね。その可能性は高いと思います」
完全に数学的とはいえないが、少なくとも経験論的には十分な勝率がありそうな気がする。
師匠に言ったら鼻で笑われてしまいそうだが、今はわらにもすがりたい思いだった。
「師匠は嘘をついていると仮定する」
と、わたしは小さく呟く。
仮定してみると――いったい何が起こるのだろう。
直接的には何も明らかにはなってないようだ。
「まあ嘘をついていたからといって、すぐに永琳殿が輝夜殿を殺したことには結びつかないだろう」慧音先生の声が変わった。「ただ、物理的にもほぼ永琳殿しか不可能ではないだろうか」
「でも、わたしが殺した可能性だってありますよね」
「その可能性は低いだろう。なぜなら、君は凶器を持ってなかったのだからね」
「部屋の中には凶器らしきものは何もなかったと思います」
「ふむ。それに弾幕も弾丸タイプなのだろう?」
「そうですね。自分の弾幕では刺殺痕を作り出すことは不可能だと思います。立場は入れ替えることができても、わたしはわたしと入れ替わるわけですから限界がありますし……」
「となると、凶器がどこからもたらされたかといえば、ふすまの外からとしか考えられまい。ただ――この考えではどうにも解けない点があるな」
最後は歯切れの悪い言葉だった。
わたしは正座したまま、身を乗り出す。
「凶器を外から持ちこむことは不可能ですよ。ふすまは閉まってましたし、ふすま自体にもたとえば張り替えた痕跡とかはありませんでした」
「わたしは何もふすまを張り替えたと言ってるわけではない。単純な方法を考えたのだ。それは――ふすまのわずかな隙間から刃物を突き入れたのではないかということなのだが。どうも少ししっくりと来ない」
隙間から、か。
確かに考えなくはなかった。
数ミリとはいえ、わずかな空間が開くことはわたしも確認している。
姫様の御札は神通力の通過を感知するのみであるから、物理的に差し込まれた刃物については、なにも反応しないのだろう。
ただ、それは――。
明らかに妙な点がある。
「なぜ、姫様が部屋の中ほどで死んでいたのか」
「そうだな。その点だけがよくわからない。現場を見てみないとわからないが、君の報告どおり部屋の中央よりわずかにずれていたとすると、さらに困難だな。ふすまは基本的に部屋の中央線を横切るように配置されているものだ。とすると、例えば――矢のようなものを隙間からはなったとしても、輝夜殿の身体には届かないだろう。ふすまの構造上、必ず厚みがある」
慧音先生が人差し指と親指でだいたいの長さを表す。
そう、確かに2、3センチメートルの厚さはある。
こじ開けるようにして、わずかな隙間ができたとしても、ふすま自体の厚みのせいで、その隙間はあくまで部屋の中央に向かって直線的にならざるをえない。部屋の中央から少しずれたところにいた姫様にはどうがんばっても射殺するという方法は無理ということになる。
「ものすごい長い変てこな刀をぐいぐいと押しこむように入れたってことは?」
「隙間から覗くだけで、そんな微妙な作業ができるのか? だとすると恐ろしいほどの手先の器用さと勘を備えているな」
「実際できるかもしれませんが……、やはりちょっと考えにくいですね」
およそ物理的には不可能だが――不可能ではない。
けれど。
師匠はなによりも合理的なのだ。
合理的でないことを師匠はしない。
絶対に。イコール永遠に。
つまり、百パーセントありえない。
たとえ世界が変わったところで、おいそれと変更を加えることが可能な部分ではないような気がした。それに少しは会話を交わした、この世界の師匠も一見したところの感覚は元の世界の師匠と変わりがなかったのだから、たぶんこの世界の師匠も合理を尊ぶのだろう。
そうすると、そんな成功確率が低いやり方を選択しそうにはない。
「今のところはわからないことが多い。方法論的にはな。ただ十分に怪しい行動を取っていることは確かだ。嘘をついていたということだけでなく、仮にふすまの外から凶器を差しいれたとして、そういう奇異な行動を誰にも見られないでおこなうには、永琳殿のもう一つの能力が必要不可欠だろう。地上の密室を創るという技だ。この点については、わたしにはよくわからないからなんともいえないところなのだがな」
「空間移動ですね。端的に言えば、空間どうしの交換です。これも交換、か……」
妙な点で似通っているものだ。
まあ、同じ人の思考から生まれたものだから似るのも当然だろう。
それにしても慧音先生の着眼点はすごい。目撃者を出さないために、密室の外側からさらに密室を創っている可能性か――。
あの長い廊下を行きかう兎たちはわりと多いから、誰にも見られないようにするには、わりと運次第といったところだろう。しかしもしもどこか違う空間へ接続すれば、兎たちにはわかりようがない。目くらましになるのだ。
「これでわたしから言うべきことはだいたい伝えたと思う。あとは――鈴仙、君の処遇だが……」
慧音先生としては難しいところなのだろう。いくら人里に妖怪は侵攻しないことが不文律になっているからといって、主人を殺された師匠がやってこないわけがない。たとえ師匠が殺していたとしても兎たちに対する建前からやってこざるをえないだろう。
とすると、わたしがここにいることは結局迷惑をかけてしまうことになる。
「はい」とわたしは小さく答えるしかなかった。
「わたしの知人に藤原妹紅という者がいる。彼女に頼むという方法がひとつ。あとは――人里の中にひっそりと匿ってもらうということが考えられるな」
ああ、慧音先生は、姫様の宿敵である藤原妹紅と知り合いだったのか。
確かにあの人間は強い。姫様と仲良く殺し合いをしていたりする場面をよく見ることがある。それだけの耐久力を有しているということは、文字通りの意味で殺しても死なないようなやつということなのだろう。味方になってくれるなら心強い。ただ妹紅がこの世界でも不死者なのかはわからない。普通に不老なだけで死ぬかもしれないのだ。
そうでなくても、彼女のことはほとんど知らないに等しい。性格的には一見したところは寡黙で真面目な感じがするが、姫様とじゃれあってるのをみると、けっこう寂しがり屋なところもあるのかもしれない。
しかし――姫様の宿敵に助力を請うことになるとは、運命とは数奇なものだなと思う。
「君の縁者が誰かはわからないが、この里とつながりがあって、助けてくれそうなものは他にいないだろう」
「確かに博麗の巫女はこの場合は助けてくれなさそうですね」
なんのきなしに言ってみる。
しかし、慧音先生は「ん?」と短く言ったのみだ。
妙だな。
どうしてそんな顔をするのだろう。
今回は異変ではないし、個人的な永遠亭内部の問題だから博麗の巫女が動く場面ではないはず。
おかしなことは言ってないはずなのに。
あ。
もしかして。
もしかして……だが。
「あの、博麗の巫女ですよ? 博麗霊夢。ご存知ありませんか?」
「いや、知らない」
やはり――
驚くべきことだが、この世界には博麗霊夢が存在しないらしい。どういう条件で跳んでいるのか不明瞭なところはまだ多いわけか。それにしても霊夢がいないということは抑止力はどうなっているのだろう。
「例えば、紅魔館のレミリアあたりが好き勝手やったときにどうやって解決したのですか?」
「さっきから何を言っているのかよくわからないが……、なるほど君の元の世界の話をしているのだな」
「そういうことになりますね……」
もしかするとわたしがいるこの場は、ものすごく危険なのではないだろうか。
なぜなら人間を守る立場の者が存在しない。
外敵が存在しない状況下で栄華をきわめていた生物が、突然来訪した外来種によって絶滅に追い込まれる例は、生物史のなかではさほど珍しくもないことだった。
異常は突然訪れた。
耳に届いたのは、大きな太鼓を叩いたような音。
ドンドーンという音。
遠くから空気を伝わってくる。
衝撃波も同じようなスピードで飛来し、小さな小屋の壁をふるわしていた。
なんだ!
と思う暇もない。
当たり前のことだ。
抑止力がないのなら永遠亭の者が人間の里にずかずかと踏みこんできても文句を言うものはいない。
少しずつ、近づいてきた。
ドンドンと銅鑼を鳴らすような音が寺子屋の外から聞こえてるくる。少し遅れて人間たちの阿鼻叫喚が届く。
この音は――銃器の音だ。
三八式魔道銃。連射可能な突撃銃の鈍い音だった。永遠亭の歩兵部隊が装備している銃だ。
慧音先生は瞬間的にその場から起き上がり、窓の外を見る。わたしも立ち上ろうとしたところ、手で制される。
「君はこの場から動かないほうがいい……」
「わたしを追ってきたんです」
「まだ人間達を撃ってるわけではない。君が今でてしまえば相手の思う壺だぞ」
「しかし――」
「わたしが先に出て話をしてみる。危なくなったら竹林に逃げるといい。妹紅は迷いの竹林のどこかにいる」
慧音先生は寺子屋の外へと出て行った。
わたしは身を小さくして、小屋の小窓から外を覗き見た。
チェスのコマのように整列した兎たちとともに師匠の姿が凛然と存在する。その顔は悲愴に満ち、普段見たことのないような迫力があった。左手には師匠の愛用の武器、神をも殺せる弓が力強く握られている。
演技なのか。
あるいはそうでないのか。
わたしにはわかりようもない。
この小さな隙間はふすまから見える世界よりは広い。
けれど師匠の心には届かない。
「なにをしに来られたのかな」
慧音先生は穏便な口調で話し出した。交渉のはじめとしては悪くない。
「主を殺した悪い兎を狩り出すだけよ」
「ここは人間の里だぞ」
「だからどうした」師匠の声は冷え切っていた。「ここは人里。なら壊してもかまわないということよね?」
「人間の歴史を踏みにじることは誰にも許されない。妖怪にも、だ」
慧音先生の声が重たいものとなる。
対する師匠はどこ吹く風といった様子。
「失礼ね。わたしはこう見えてもただの人間よ」
「同じ人間なら、なおのことわかるだろう。ここで暮らしている人間がどれだけ必死に生きているか」
「生存条件は許すや許されないという次元の問題ではないわ。単に弱いから殺されるだけよ」
慧音先生の表情はまた暗くなる。
師匠は、なにかおかしい。少し口元が笑っていた。
「なにをするつもりだ……」
「べつに。兎狩りのついでに、目障りな人間どもも狩っておこうと思っただけよ」
「やめろ!」
「なら止めてみればいい」
師匠が右手を軽くあげて、
振り下ろす!
瞬間――
兎たちが持っている銃口からのマズルフラッシュであたりが明るく照らされた。
冗談かと思いたくなるほど機械的な音が響き、慧音先生の身体は鉄の塊に蹂躙される。
小さな質量と極大な速度がそのままエネルギーに変換され、慧音先生の軽そうな身体は数メートルほど後ろへ吹き飛ばされた。
人間だったら即死するレベル。
そうでなくても――。
慧音先生の服は、胸から腹にかけて鮮血に染まっていた。背中はどこを撃たれたかわからないほどに赤一色に染まっている。一瞬の間隙のうちに、慧音先生の命のともし火は消えかかっていた。
そんな――バカな。
師匠はあんな人だったか。
深謀遠慮もなにもあったものじゃない。
あんなのただの――
ただの狂人だ。
何が何だかわからなかった。
ただ、夕闇の中の茫漠とした空気の中で、わずかに微笑む師匠の顔に心の芯が冷え切ってくる。
怖い――怖い。怖い!
わたしは身を震わせていた。
師匠があんなふうに人を殺せることを知って、頭では理解しても心が拒否している。
冷たい水の中に一時間もいたような、そんな感覚。
それでも。
「ぐ……」
と、軽く漏らして先生が立ち上がる。
人間の大人たちが駆け寄ってきて支えた。
恐怖と怒りと悲しみががごちゃまぜになった奇妙な表情で、師匠をにらみつける人間たち。師匠の顔は微笑のまま固定されていて、歯牙にも欠けていない。虫けらでも眺めるかのような、そんな表情だった。
子ども達の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
見たくない。聞きたくない。けれど、そこにある情景はすべてわたしの罪の証だった。
「まだ生きてるの? 案外丈夫ね。まあいいわ。こんなゴミクズは放っておいて、さっさとウドンゲを探し出しましょうかね」
「わたしが生きている限りは、人間たちを傷つけさせはしない!」
慧音先生の口元と指先はわずかに震えていた。
人間達を手で後ろへ下がるように指示し、震える両の足を地につけて屹立する。師匠の面貌にわずかに不快の表情が混ざる。
刹那。
先生の身体から幾条もの光線が発射された。
まるで青いレーザー光線。
光の熱線に貫かれて兎たちの半数ほどは戦闘不能に陥った。周りはすでに兎たちの血で染まり、死屍累々の極み。
師匠の顔面にも同じく光線が迫ったが、弓の一振りで簡単に霧散した。
「ふうん。なかなかやるじゃない。けれど、これで決定ね。戦争の始まり始まり……」
師匠の言葉が引き金となったのか。兎たちは銃を乱射しはじめた。わたしは血の気が引くのを感じた。戦争が、風が吹くようにごく自然に始まるのを見ている気がした。いや、実際に始まっている。少なくとも、ここでは!
突如として猛然と銃弾の嵐が吹き荒れた。
慧音先生の身体が砂塵に飲みこまれた。
大人たちは死んだだろう。子ども達の泣き声も今はもう聞こえない……。
ゴッという鈍い音がした。ちらと視線を下げる。
すぐそばに人間の死体が転がっていた。視線は天空へと向けられていて、絶望に染まっている難民のような顔だった。
声が出そうになるのをわたしは必死で抑えこむ。
自分が置かれている状況がようやく頭蓋に浸透してきた。ここから、逃げなければ――
そこで――ようやくわたしは身を起こして、震える体を必死に理性で抑えこんで立ち上がった。
ほとんど無意識に流し場におかれてあった包丁を手に取る。
ここから、逃げなければ――
あふれ出す恐怖心。
違う! その前にしなくてはならないことがある。
慧音先生の暖かな顔がフラッシュバックして、わたしは混乱が少し収まるのを感じた。
わたしは、バカだ。
包丁なんて持って何をしようというのだろう。こんなもの武器にもなりやしない。
それに、わたしには指先から生じる弾丸がある。
同胞を殺すのは忍びなかった。
心が張り裂けるような思いがする。
人間も同じだろうか。
兎にとっては――少なくとも寂しがり屋の兎にとっては形容しがたい哀しみがある。
けれど、そんなことを言ってる場合ではなかった。
『インビジブルフルムーン』
不可視の弾丸。
わたしは同胞を撃った。突然目の前に現れた弾丸になすすべなく兎たちは活動を停止した。
いや――死んだ。
わたしが殺した。
「あら――、そんなところに隠れていたの」
師匠は優しげな声を出す。
「人間たちを殺す必要はなかったはずです。わたしを見つけ出せればそれでよかったはず!」
わたしは声を張り上げた。残った兎たちの銃口がこちらに向いた。師匠は軽く手を上げて、兎たちの行動を制した。
「害虫駆除みたいなものよ。例えば蛾がひらひらと飛んでいたとして、益も害もないとはいえるけれど、ただ不快ではあるわよね」
ただ不快。
たったそれだけの理由で?
これだけの人間を意味もなく殺したというのか。
そんなこと納得できない。
納得できるはずもない。
だって、師匠は合理を尊ぶはずなのだ。
合理的な人間は人間を殺さない――というわけでは必ずしもないけれど、師匠は優しい人でもあった。
なにより。
「師匠は人間でしょう?」
「蓬莱人にとっては、ただの人間など蛾といっしょというだけよ。もちろん、あなたは違う。主を殺すなんて、なかなかできるものじゃないし、わたし個人としては、わりと面白いと思っているのよ」
「師匠でしょう。殺したのは」
「あら。どうやって?」
「……」
「ほら。答えられない。まあいいわ。そろそろこのゲームも終わらせますか。あなたもそれを望んでいるのでしょう。自分が囮になって人間どもを生かそうとしている。そんなことは教えた覚えはないのに。愚かになったものね」
言いながら、師匠がゆったりとしたペースで弓をひく。
わたしは左に向かって駆け出した。農家の母屋を抜けたところで、弾丸よりも遥かに速いスピードで、師匠の放った弓矢が頭のすぐそばを飛来した。
弓矢はその場で爆砕し、破片やらなにかの屑やらを高速で撒き散らしながら木造の家をまるで紙のように貫き、一瞬でただの木のカタマリへと変貌させた。
一瞬だけ振り返り後ろを見る。
地面がまるで巨大な生物が通ったかのようにえぐれている。
なんの冗談。
クオリティが違いすぎる。
ほとんど本能的に姿勢を低くしなければ、一撃でしとめられていた。
師匠は本気だ。
続いて、視界の後ろのほうで、瞬間的に花火があがったときのように光が明滅した。
わたしは身を屈め、軸足で地面を踏みしめながら、遠心力を利用してくるりと後方を向く。
当てられなくてもかまわない。ほんの数秒でも牽制できればそれでいい!
弾丸を撃つ。撃つ。撃つ。
再び前方を向いて、全力で走り、手近な茂みへ駆けこむ。背後から散発的にコッキングレバーを引く音がする。
動かなければ死ぬ。
すぐ後に小動物が駆け抜けるようなダルルルルという音が耳に届いた。
「っ!」
右肩の骨に錐を打ちこまれたかのような痛みが生じた。
痛い――と思う暇もない。
右手がバネのように跳ね上がり、すぐに力が入らなくなった。
肩のあたりを撃たれたのだろう。身体ができそこないの人形みたいにぐらぐらとしているのがわかる。当然だろう。鉛球で関節を撃ち抜かれたのだ。
確認している暇もない。ただひたすら走る。
ずきずきと痛む肩。
痛みが止まらない。
周囲は鬱蒼とした竹林へと様相を変えていた。
そして時間は真夜中。幸いにもというべきか不幸にもというべきか月が天頂にあるため視界はそれほど悪くはない。ただ、やはり多少の命中率低下は避けられないだろう。索敵している兎たちが少なくとも十人を越えるこの状況では、命中率は下がっていたほうがいい。
深い竹林の只中で、わたしは足を止めた。そろそろ走るのにも疲れた。
がさがさと草を踏みしめる音が遥か遠方から聞こえる。
兎が動く音。
ガチャガチャとこすれる金属音。
波長を捉えて彼らの場所をおおざっぱに把握することは可能だ。わたしを包囲しようとしているのだろう。
射軸が重ならないように、扇型の展開をしているようだ。徐々に包囲網は迫ってきている。
どこか一点を抜け出したほうがよいかもしれない。
てゐはいったいどこにいるのだろう。
もしかすると、すでにこの世にはいないのかもしれない。
ああ……、ひどく疲れた。
身体が鉛でできているかのように重い。
斜面を背に、わたしは腰を下ろして少しだけ休憩する。俯いた。数秒間だけ意識を手放した。ほんのかすか、絶滅寸前の虫の音が聞こえてくる。
つられるように上に視線を向けると、竹林は左側から崖になっていて途切れていた。そこから先は人里へとつらなっているようだ。わたしは気慰みに月を見た。
わたしの故郷は世界が壊れてしまっても、変わらず怪しい光を放ち続けている。
そして心の中で謡う。
よく知られたあの詩を。
『籠目。籠目。籠の中の鳥はいついつ出やる。後ろの正面だあれ』
籠の中の鳥はわたしだった。
世界は密室でできている。
この世界そのものが巨大な密室だ。
師匠はいったい何を思って、わたしを送り出したのだろう。幸せを見つけるため?
不幸しかここにはない。
どこにも幸せなんてない。
ここには――冷たさしかなかった。血液をだいぶん失って、腕の先の感覚がほとんどない。
「明かり?」
崖下から炬火の光が見えた。わたしはそっと身を寄せて、崖下を覗いた。下に小さな小屋があるみたいだ。
藤原妹紅の小屋だろうか。
しかし、彼女に会うべきなのだろうか。瞬間的に胸臆で迷いが生じる。先ほどの人里での出来事を思い出すと、誰かに会うということがどれほどその人に危険をもたらすのか嫌でも痛感してしまっている。妹紅は確かに強くはあるが、師匠の本気の強さはおそらく、現状において幻想郷最強だろう。
抑止力が存在しない。
つまり霊夢がいないということは、あの怪しい妖怪、八雲紫もいないのかもしれないし、他の強力な神たちも存在しないのかもしれないのだ。
わたしがほとんど永遠亭のことしか意識していなかったから、適合する世界として、そんな物騒な世界が選択されたのだろうか。
ありうるし――あるいは違うのかもしれない。
ただ――今のわたしを助けてくれそうな人は、もうほとんど残されていない。
てゐ。
てゐの横顔を思い出す。てゐに会えたら、元の世界には戻れるだろう。けれど、慧音先生の死を体験してしまったわたしにとっては、元の世界に戻れたところで普通に暮らせるか自信がない。戦争からの帰還兵のように人間が――師匠が怖くなるかもしれない。
考えをまとめる。まとめようとする。
答えはでない。
答えはない。
幸せはどこにあるのかわからない。ただ、むしょうにてゐに会いたい、と思った。
そう思っていたからだろうか、薄暗い視界の隅になにか白いものを捉えた。
月明かりに照らされて、幽遠の彼方から、藤原妹紅が紅蓮の炎を身に纏い、夜空の闇を引き裂きながら飛来した。
傍らには――てゐの姿があった。
「レイセン!」
てゐがわたしの前方で言った。
夜を紅い光が満たしている。
そのままわたしのもとへ駆け出そうとしたてゐを、妹紅はぐいと右手で引っ張って戻した。
てゐが頭を振り戻して、妹紅を見る。
その顔は――その表情は――
地獄を見てきたことを物語っていた。
「おまえが、レイセンか」
わたしは音もなくうなずいた。
「輝夜を殺したのはおまえか?」
「ちょ、痛い……よ」
妹紅に腕を握られたてゐが、苦痛で顔を歪ませている。それだけ強く握りしめられているのだろう。
憎悪。
彼女の双眸からは、ひとめみてわかるほどの憎悪の炎が見え隠れしている。
このままでは、てゐも危ない。
でも――どうする。
わたしの能力では妹紅を倒すことはおそらく叶わないだろう。
素直にありのままを伝えるしかない。
「わたしは殺してない」
「そうか……。輝夜はな、わたしにとっては悪友そのものみたいな感じだったよ。いなくなってみると寂しいものだな。しかし、おまえが輝夜を殺していないとしても、間接的に慧音を殺したことだけは否定できないだろう!」
「慧音先生はやっぱり死んだの?」
「ああ……死んだ。わたしの目の前でな」
あのときはしかたなかった。
しかたなかった。
そうしなければ、わたしが殺されていた。
何度も何度も言い訳の言葉が溢れてくる。
しかし、同時に、慧音先生の命がこの世界で永久に失われたことが哀しかった。
哀しくて、哀しくて、「ごめんなさい」という言葉しか出なかった。
「なぜ、慧音が死ななければならない。誰か教えてくれ……。彼女はなにもしていない。それどころか弱い人間のために自分の持てる力の限りをつくして守ってきた。なのに、同じ人間に殺された。蓬莱人も同じ人間だ。わたしと同じ血が流れて、同じ思考をしている。どれほどの悪をその身の中に保有しているかもわかっているつもりだ。しかし、ああ、わからない。慧音のような善なる心も持っているのが人間のはず、なのに。彼女の歴史がなぜあんな終わり方をしなければならない。わからないんだ」
妹紅は傍らにあった大木を力任せに握り締めた。
木に比して柔らかな白肌が、みるみるうちに巨木を破壊していく。
めきめきと嫌な音を立てて、ついに巨木は地面へとその身を倒した。恐ろしいほどのパワー。
そして、気迫。
びりびりと感じる殺意。しかし、その殺意は熱をほとんど失った冷たいものだった。
「なぜ……、おまえが生きている?」
ぽつり、と。
つぶやくように妹紅が言った。
てゐは悲しみを含んだ瞳で、そんな妹紅のことを見つめている。
中空にある月は、夜空中の星を併呑し、今はほとんど真円の光しかない。
「言え。なぜおまえはのうのうと生きていられる。言わなければ、こいつを殺して、おまえも殺す!」
「生きたいから」
「はは……。そうか。貴様は自分が生き残るために他を犠牲にしたわけだ」
妹紅の言葉が容赦なく突き刺さる。しかし、その言葉はすべて正しかった。すべて正しいがゆえに当然の帰結として心の一番深いところにもぐりこんでくる。
わたしがそもそも人里に行かなければ、慧音先生は死ぬことはなかった。
わたしが悪いのだ。
わたしが選択をまちがえた。
これがテレビゲームだったら、笑って誤魔化せば済む話だけれど、現実世界での選択まちがいは死を意味していた。
その重さがわかっていなかった。
何人、何十人。あるいは何百人、死んだのだろう。
妹紅がてゐを離し、わたしの方へと向かってくる。一歩一歩確実に。
わたしは死を覚悟した。
「殺されてもいいと思っているのか?」
「死にたくはない」
「やめて。妹紅。レイセンを殺したって。なんにもならないよ」
てゐがかけよってきた。
そして、手を広げて、わたしをかばってくれた。
「そんなことはわかってる。わかっているんだ。けれど――、おまえになにがわかる。慧音はわたしにとって幸せそのものだったんだ。その幸せが消えてしまった。どこかへ行ってしまった。わたしはもうからっぽだ。なにもない。なにも残されてない」
「慧音は幸せに生きて欲しいと言ってたじゃない」
てゐは言う。こんなに切実な言葉を言うところを始めて聞いた。
「ああ。そうだ。あいつはバカだ。死ぬ間際まで他人の心配ばかり……」
怒気が急速にしぼんで、空気が抜けた風船のように、妹紅は膝の上に両の手をついてへたりこんだ。
「あいつは、おまえのことも頼むって、言ったんだ」
なにかをこらえるようにぐっと唇を結び、小鳥のように身体を震わせ始める。小さかった。あれだけの殺意をまとっていた彼女の身体は、本当に彼女自身が言うようにからっぽになってしまったかのようだった。殺意が彼女を支えていたのかもしれない。
今はやるかたない憤懣だけがそこにある。
そして、土いじりをするみたいに、意味もなく爪で地面をえぐりはじめた。
それからは声にならなかった。てゐがそっと手をかけた。
「感動すべき人間ドラマよね」
ぱちぱちぱち。
と、暗闇から手を叩く音が聞こえてきた。
「誰だ!」
涙をぬぐって妹紅が闇に対して叫び返した。
師匠の声だ。てゐをすぐ側まで呼んで、わたしは周囲を警戒する。
闇の中に師匠の姿が佇立していた。ほとんど無防備に。裸身をさらしているようなものだ。妹紅が師匠よりは弱いといっても匹敵する程度には強いはず、今の状況下でどうして――?
次の瞬間には、妹紅が指先から炎弾を発射していた。
速い!
しかし、それは――当たらなかった。
ほとんどありえない確率で、闇のなかへと吸いこまれていった。
「はずした……だと」
「無粋ねぇ。まずは師匠と弟子との愛の溢れる会話から始めるものじゃなくて。ねぇ。ウドンゲ」
「あなたのことを師匠と呼びたくはない……」
「あら、哀しいことを言うのね」
「なぜ人を殺すんです。あんなに簡単に」
「お月様が明るかったから」
師匠は――いや、もうこの呼称はやめよう――永琳はほとんど感情を感じさせない声で言った。
楽しそうに、くるくると回りながら、壊れた笑いを繰り返す。
「そんな理由じゃ足りないかしらね」
「……」
「そうそう。あなたがさっき言ったとおり、輝夜を殺したのはわたしよ。正確に言うとね、生物学的には殺したわけじゃないわ。蓬莱の薬を飲んだものは殺せない。だから、あれは生かさず殺さずの状態というほうが正しいの。ただ、外界に表現することができなくなっているだけ。いわば『思考を断絶する程度の薬』というわけね。でも、これもある意味『死』よね。死とは生物学的な死だけではなく、根源的にはコミュニケーションを他者と交わすことができない状態を言うのだから」
わたしは心臓をつかまれたかのように、魂が冷えるのを感じた。
あそこで、あの場所で姫様の魂は中空をさまよってるのか。
「なぜ、そんなことを」
「質問をするまえに、わたしの問いに答えてもらおうかしらね。残機は、ひぃ、ふぅ、みぃ。そう三機もあるから十分でしょう。さて、わたしはどうやって輝夜を殺したのでしょう。その方法がわからなければ、あなたたちを一人ずつ殺していくことにするわ」
「ふざけるな! おまえのゲームにつきあう必要はない。わたしと殺しあえ!」
妹紅が怒号を発し、永琳に迫る。
永琳はふっと笑いを浮かべ、それから弓矢をかまえた。
構えの状態に入った瞬間に、妹紅はすでに回避行動に移っている。本当に人間のスピードかと思えるほどにすばやい。
しかし、無造作に矢は放たれた。
ほとんど見てもいない。
確認する間もなく、木の板に突き刺さるときのようにいっそ小気味良い音が響く。
見ると、妹紅の肩口から矢が生えるように刺さっていた。
小さく呻き、肩に手をやる妹紅。
すでに、動きは抑えこまれていた。
「さぁ。ウドンゲ。邪魔なやつはとりあえず黙らせたわよ。早く答えてみせなさい」
今この場で、現状を打開できるのはわたしだけ。
実力行使は、ほとんど無意味だろう。
なにより、今日の永琳の強さは神がかっている。
神……。
そうか、永琳もラグナ6を飲んでいる可能性がある。当然のことながら作成した本人だから、薬の効用を思う存分使えるのだろう。
そう考えれば、先ほど妹紅の炎が当たらなかったことも、あっさりと永琳のはなった矢が当たったこともうなずける。
「ラグナ6を飲んで、それを使って……」
「ラグナ6は飲んでるわ。確かにそのとおり。でも密室の作成にラグナ6は関係ないの。だって確率をいじったところでゼロの確率はゼロのままでしょう。ゼロになにを掛けたところで、ゼロはゼロ。当たり前の計算ができないダメ兎ね。はい、残念でした」
永琳は躊躇なく矢をつがえると、一気呵成の勢いで、放った。
放たれた矢は一直線に妹紅の胸元へ突き刺さる。決して避けることのできない速度ではないはずなのに――
永琳が『避けることのできなかった妹紅を見下ろす自分』と交換しているために、不可避的な攻撃になっている。
力が抜けるのを感じた。
あっさりと。こんなにあっさりと。
妹紅の生命は断絶した。
横ざまに倒れこんだ妹紅のからだを優しくてゐが揺する。永琳から視線をはずさないように、チラリと妹紅の身体に目を這わす。だめだ。もう息をしていない。顔色は恐ろしいほどのスピードで土色に染まっていき、胸元からはおびただしい量の血がでて、まるで彼女の着ている服を紅く染め上げてしまいそうだった。
誰の目にも明らかなほどに、不死の人、藤原妹紅はあっさりと死んだ。
「残機は二つ。慎重に答えることね」
てゐ。
てゐがかたわらで小さく震えていた。いままで長生きしてきた兎だから生命の危機に直面したこともあるだろうが、さすがにこの威圧的な雰囲気には圧倒されるのも無理はない。
永琳の隙を盗み見て、元の世界に脱出というのはほとんど不可能そうだった。
なにしろ、彼女はそういう世界を選択しているのだろう。
なんにせよ。答えなければ。
あと数十秒もすれば、痺れを切らした永琳によって、あっさりと殺される。
今度は、てゐだろうか。その可能性が高い。
「どうしたの、わからないの? じゃあ――」
「まず、あなたは姫様の部屋の中には入っていない」
とりあえずわかるところから。
少しずつ時間を稼ぐしかない。
わたしはいまだわからない状況だった。
永琳はどうやって姫様の身体を中央まで運んだのか。そう――運んだとしか考えられない。どうやって?
「ふむ。部屋の中に入ってない。とすれば、どうやって輝夜を殺せたのかしらね」
「おそらく、ふすまの前で呼んだ。姫様の名前を呼んだ。わたしは疲れていたし気づかなかった。それこそあんたがラグナ6を飲んでいるのなら、わたしだけが起きない世界を選択すればいいわけだし、これ自体はべつに分の悪い賭けじゃなかったんだろう」
「まあ、そうよ。というか――別にラグナ6の力は使ってないわ。そんなことをする必要もない。単に時間どおりに呼んだだけ。約束していたのよ。時間を決めて逢引するようにね……」
「いずれにしろ、ふすまの前まで姫様をおびき寄せたあなたはそこで、長刀かなにかをふすまの隙間から差しこみ、殺した」
場違いなイメージが思い浮かぶ。
タルの中に入ったひげの人間にブスリとナイフを刺して殺すゲーム。
そう――、これはゲームなのだ。
「そうね。殺したわ。正確には先ほども言ったとおり、生かさず殺さずの状態だけどもね」
永琳は楽しそうに応答した。
とにかく、ここまでは正解らしい。
しかし、ここまでは慧音先生にほとんど答えを教えてもらっていたようなものだ。
これからあとは――いったい、どうやった?
「さて、続きは?」
「続きは……。そう密室だ」
ピクリと永琳が反応する。正解に近いのか。わたしは続ける。
「地上に密室を創ることで、兎たちの目をくらました」
「まあ、そういう意味も確かにあるのだけどね。ちょっとがっかりな答えね」永琳は矢をながめすがめつし、それからおもむろに構えの態勢に入った。「ウドンゲ。それでおしまい?」
「待って!」
そうだ。
密室なんだ。
あの部屋は密室。
それで――永琳の密室作成能力。
物理的な力以外は透過させない御札。通過を拒否する。そう、あくまで『通す』ことを拒否する。
だったら――。
ひとつしかない。
答えはあまりにも単純で、
バカらしいほどに壮大だ。
「壷中の天だ」
と、わたしは言った。
「姫様の部屋の周りごと密室でさらに囲って、部屋ごと重力を操作したんだ!」
そう考えるしかない。
密室をさらに密室で囲って転移した場合。
それそのものは神通力ではあるが、外部の力は決して内部に侵攻していない。
通過していない。
通ってない。
ゆえに、反応しない。
姫様の部屋は壷。壷の入り口は封をされている。その封を破らないで中を混ぜる方法はと聞かれれば、誰でも壷を持ち上げて振るだろう。
それと同じことだ。
翻って、物理的な力とは汎用性の高い物理現象のことを言うから。重力は部屋に充満している以上、重力がたとえ二分の一になろうがゼロになろうが、変化したところで、それは物理的な現象の範疇に収まる。幻想郷の宇宙は一般的に重力が地上と同じ『設定』になっているが、べつに宇宙がひとつとは限らない。
そこは永琳の裁量でいくらでも別の空間へ飛ばせる。
重力がないか、弱い場所を見つけてくればいい。姫様の身体はふわりと重力のくびきから解き放たれて、部屋の中央に向かう過程で、また再び重力のある地上へと戻されたに違いない。
もしくは部屋自体を少し傾けることができれば、それだけでよかったのかもしれない。
ふすまの近くで殺された姫様の身体は、転がるようにして、部屋の中央へ向かう。わたしの身体もいっしょに転がるから何度か部屋自体を左右に振る。
これであの状況を作出することは可能だろう。
ともかく――。
重力の操作がおこなわれた。
どれほどの長い時間がかかったのかはわからないが、そう考えれば、いろいろと納得はいく。
どうして部屋の中がめちゃくちゃに荒らされていたのか。
どうしてわたしの背中にまで血がついていたのか。
すべて了解可能だ。
「この程度の問題でずいぶんと長い時間かかるのね。がっかりだわ。でも、まあいい。約束どおり今度はわたしが答えてあげましょう。なぜ姫様を殺したのかだったかしらね。それと、どうして密室を創ったかだったかしら? そんな質問はほとんど無意味。できそこないの自己満足しか得られない。いいことを教えてあげるわ。ウドンゲ。人間が殺意を有するときの動機はアナログ的なの。それはデジタルな精緻極まる思考とはおよそ対極に位置するものなのよ。そういうアナログ的な思考をどれだけ言葉で分解したところで、最終的な機微は伝わらない。その伝達不可能性をまず知りなさい」
けれど、と続いた。
「あなたの知りたい真実とやらに一番近い答えをありきたりな言葉で表現するのなら。例えばそうね『あなたを愛していたから』というのはどうかしら。わたしは輝夜よりもウドンゲ、あなたのことを愛していたの。だから輝夜があなたのことを部屋に呼んだとき、わたしは嫉妬した。だから、姫様を殺した。こういうストーリーはどうかしら」
「わざわざ密室で殺す必要がないはず」
「密室で殺せば、あなたが犯人である可能性が高まるじゃない。そうすれば、あなたを愛でることができる。永遠に。囚人としてね」
「嘘なんでしょう?」
「そう。嘘。本当のところはただのゲームだったの。わたしは何億回もこのゲームを繰り返したわ。いろいろと試した。あなたと愛し合ったり、姫様と愛し合ったり。好き勝手やったのだけど、どうも飽きてきたのよね。いろいろなことに。だから、つまらなくなって、殺してみようかと思ったの。殺し始めたのはつい最近だけど、もう千回ぐらいはやってるかしらね。よくわからない。記憶が曖昧だし。べつにどうでもいいことだから」
「どうでもいいから殺したのか」
「そう」
「あんたはやっぱり、わたしの知ってる師匠じゃない」
「それはどうかしら。ここにいるわたしはあなたのよく知っている八意永琳の可能性のひとつよ。明日のあなたがどうなるのかわからないように、今のわたしを否定することは、結局、元の世界の永琳も否定することになる」
「それでも――あなたのような邪悪な意思は滅びるべきだ」
「じゃあ、殺し合いましょう。素敵に楽しく、ゲームのように何度も何度も」
わたしは覚悟する。
ほとんど絶望的な状況だ。
素の状態でさえ万に一つにしか勝てる要素はないのに、今の永琳の強さはまさに神に等しい。
神を越えた神のレベル。
でも、可能性がないわけじゃない。ゼロだと思わなければゼロじゃない。
「ウドンゲがここまで到達できた可能性は千回の試行回数のうち、126回。つまり12.6パーセント」
わたしは先手必勝を胸に、指先から無数の弾丸を撃ち出す。
永琳はその場で避ける動作すら行わなかった。
それでも、逃げ場すらない状況に追い込めば、世界を交換しても逃げ場はない。
ゼロはゼロ。
今の永琳が有している能力は、確率を自由に操れるのとほぼ同等であるが、ゼロを一にする能力ではない。
それが世界を交換する能力の境界線。確率ゼロパーセントを覆す方法はない。
「そうね。確かにそうなのよ。ゼロを覆す方法はない。例えば殺したあとに同じ時空上で復活させるというようなことはできないのよね。全知全能ではないことがちょっとだけ不満」
永琳はいまだ攻撃すらしない。
微笑みながら、闇の中を闊歩している。
「あなたが反抗してきた確率は千回の試行回数のうち、約115回。つまり、ここまでたどり着いたあなたのほとんど全員がわたしに逆らおうとしたわ。あなたってけっこう攻撃的なのねぇ」
知るか!
「月兎遠隔催眠術《テレメスメリズム》」
左右同時攻撃に催眠術を使って軌道を読めなくする。
もしかすると精神攻撃なら効果があるかもしれない。
「そんなの効くわけないじゃない。避ける余地がほんのわずかでもあるのなら、わたしはその可能性の狭間をこじ開けることができるのよ」
なら、わたしはその可能性をすべて潰してみせる。
マインドペンディング。
炸裂弾ならどうだ。
広範囲をカバーする攻撃なら、逃げる余地が少ないはず。わたしは空中を飛びながら胴体ほどのでかさもある質量体を具現化し続ける。
炸裂する範囲は、ひとつ当たり数メートルにも及び、紅い球体が真っ赤な薔薇のように咲いた。
「バカらしい。範囲を広げたところで、少し潰せば同じこと」
そんなことはわかってる。そもそもの実力が違いすぎる。けれど――それはフェイク。
「幻朧月睨《ルナティックレッドアイズ》」
広範囲をカバーするこの技なら、どうだ!
「不可能よ。だって、博麗の巫女にも避けられた技でしょう。ただの人間に避けられた技が、永遠に等しい時間を生きてきたわたしに避けられないはずがない」
ほとんど踊るように、
優雅に、
ひらりひらりと、
永琳はわたしの弾幕をかわし続けた。
弾幕は性質上、術者の精神を反映したものにならざるをえず、コミュニケーションを欲してない生命体はいない以上、かならずどこかに穴がある。
その隙間――その可能性。
避けることができない可能性なんて、最初から無いのかもしれない。
「そう、ゲームの構造上、弾幕は必ず避けることが可能。どんなに微細なコントロールが必要でも、強運が必要だとしても、避けることができないということは無いのよ。放たれた瞬間に世界を交換すれば、わたしにあなたの弾幕が当たることは絶対にない。いい加減あきらめたらどうかしら。いつもあなたがあきらめてからゆっくりとかわいがることにしているのよ。教えてあげるまでもないことだけど、一応言っておくわ。あなたがわたしに勝てた回数は、千回の試行回数のうち、一度もない」
ニンマリと笑い、薄紅色の唇が横に伸びた。
気持ち悪さに吐き気が突き上げてくる。
「あなた。まだ少しだけ躊躇が残ってるわね。わたしを殺すことに戸惑いがある。やっぱり、だめな兎……。てゐあなたが死ねば少しは本気が見られるかしらね」
てゐの身体がビクっと震えた。
カッと身体が熱くなるのを感じる。まるで心の中に火箸をつっこまれたみたいに熱い。
左手を突き出して、わたしは構える。
ただの通常弾。
だけど、わたしだって、ラグナ6を飲んでいる。
同じ条件なんだ。わたしはわたしの望む世界を手に入れる。
「いい表情ね。ではここで問題よ。ラグナ6を飲んだものどうしが矛盾するような想念をそれぞれ思い描いたらどうなるのかしら。答え。どうにもならない。おのおのが適合する世界へ移るだけ。つまりここにいるわたしはウドンゲを打ち倒した世界へ交換するのでしょうし、あなたが仮にラグナ6を使いこなせたとしたら……、そう結局あなたの主観においてわたしは撃ち滅ぼされることになるのでしょうね。しかし、それは確率がわずかでも存在する場合に限られるのでしょうけど。はっきり言えば、そういう相手の立場に立った思考そのものがラグナ6を飲んだものには不要になるのよ。ただ望むべき世界がそこに存在するだけ。自分どうしで将棋を指すようなもの」
永琳は永琳で答えを知っているのだろう。
でも、結局わたしはわたしの未来を知らない。それが起こるまでは可能性の世界。
たとえ相手がどんな世界を選択しようと、知ったこっちゃないんだ!
わたしの世界と他者の世界はひとつも交差していない。
それがカミサマの世界。
ひとりぼっちの哀しい空間だ。
だから、一人遊びに飽きたのだろう。
永琳はかすかに哀愁の混じる表情を浮かべたあと、うっとうしそうに矢に手を添える。時間と空間が闇の中で糸のようにたわみ、永琳の水銀のような瞳がわたしの紅い瞳とかちあった。
動く気配。
一種の動物的な感覚から、わたしはその場で仰向けに身を伏せて、指を水平なまま弾丸を撃つ。
永琳の右胸のあたりに、吸いこまれるように弾丸はヒットした。
しかし――
予定済みだったのだろう。
永琳の表情は揺らぐことはなく、その矢は、わたしではなく、てゐに向けられていた!
やばっ!
逃げて!
声がでない。
音速を超えるすさまじいスピードの一線。
てゐはギュっと目をつむって、その場から動くことができない。
「てゐ!」
空白の時間。
時間が停止した。
「時空を越えてやってきた。猫巫女霊夢、ただいま参上!」
デウス・エクス・マキナだった。
それも考えられるうえでも最悪な。
彼女はほとんど誰が考えたのかわからないが、悪趣味すぎるほどに凶悪な猫耳をつけていた。
恐ろしいほどにかわいらしいタイプ。
そしてフリルがついた巫女服はいつもより三倍ほどひらひら度を増し、いつもの気だるそうな表情はどこにも無く、それどころか無邪気そうな笑顔をわたしたちに向けている。
そんなロリコン度が120パーセント増しな博麗の巫女。
唖然とするしかない。
無造作に――。
霊夢の手の中には永琳が放った矢が掴まれていた。
パキリとその場で、矢を折る音が聞こえた。
「あんた……だれ?」
思わずわたしは言う。
絶対こいつは博麗霊夢じゃない。
着ている服装以外は霊夢以外のなにものでもないが、明らかに霊夢じゃない。だいたいこの世界に博麗霊夢は存在しないはずなのだ。存在しない霊夢を存在させることはさすがにラグナ6の力をもってしてもできない。少なくともわたしの主観世界においては霊夢はすでに存在しなかったのだから、その存在様式を変えるにはわたし自身が変えるしかない。
わたしが――変えたのか?
いや、でも最初に一度だけ感じた、世界変容の感覚はどこにも無かったのだけれど。
「そんなのどーでもいいじゃんっ!」
ぐ。
と、親指を立てられても納得なんかできるはずもなかった。
「説明とか面倒なんで、さっさと倒すわね」と霊夢。
テンションがまったく違う。
あきらかに子どもっぽい。
永琳が冷たい観察者の視線で、霊夢を見下ろしていた。
「博麗霊夢。興をそがれるからあなたの存在しない世界を選択したのだけれど、どうやってやってきたのかしら。八雲紫が境界線を操ろうが、わたしの主観において選択する限り、絶対的に存在してはならないはず」
「そう、わたしはイレギュラーということになる。だからあんたがいくら世界を交換しようと無駄。翻案表現になるけれど、わたしはお薬よ。患部に止まってすぐに効く!」
「じゃあ、さしづめわたしは癌細胞ってとこかしら」
「言うまでもない」
二人が対峙する。
正体不明の博麗霊夢らしき人物と、神に等しい力を得た八意永琳。
事態の推移が飲みこめない。
一体、なにが起こってる?
思う間もなく、先に動いたのは永琳だった。
光る球体が霊夢の眼前に突如として現われ、その球体から無数のウイルスのような弾丸が発射される。
スペルカードルールが存在しないこの世界での、本気の速度は、優に人間の限界速度を超えていた。目測でも、一秒間に数千発のスピード。わたしの弾丸の速さを越えている。
回転。
ほぼ同時に、永琳の身体から渦巻状の弾幕。
避けることは無理だ。
――操神『オモイカネディバイス』
わたしは流れ弾に被弾しないように、てゐの頭を地面に押しつけて、自分も同じく地面に身体をこすりつけるように仰向けになった。
すぐ側にあった岩石が割れて、砕片がぱらぱらと頭に降り注ぐ。
この威力の弾丸が生身の肉体にめりこめば、まちがいなく死ぬ。人間ならひとつひとつが致命傷になりかねない。
視線だけをわずかにあげて見た。
霊夢は、わたしと戦ったときと変わらない気の抜けた表情をしていた。
今が明らかに殺し合いをしているにも関わらず、泰然とした様子には変わりはない。
ふわり。
霊夢の身体が中空に浮く。見えなかった。霊夢はまるで肉体がそこにあってそこにないかのような、瞬間移動を繰り返し、永琳の作り出す弾幕を軽々と避けていく。
「なぜ。わたしは交換しているのに」
永琳の声に焦ったものが混じった。
「交換してる可能性ごと食べちゃってるからね。今ものすごい勢いで患部を切除中だよ。交換された世界を一対一の関係でしか観察することができないあなたには認識しようがないことだろうけれどもね」
「ありえない。わたしを消すつもり? そんな権利、誰にも……」
「まあ確かにね。でも――他の可能性にまで手を出し始めたらやっぱりそれは人間の分を越えているということなんだと思う。わたしにはそういう正義と不正義を区別する能力はないけれど――ほら、そこにいる兎は、あなたのことを悪だと思っているわけだよ。だからあなたが悪だとわたしにもわかるわけ」
「意味がわからない。あんた、何者――」
その次の言葉は発することができなかった。
霊夢がスペルを宣言したからだ。
まるで、普段どおり、スペルカードルールの中で戦うかのように。
高らかに声が発せられる。
「二重弾幕結界」
それで、もう終りだった。
永琳の姿は結界の彼方にかき消された。
彼女自身も、そこから逃れる可能性を見出すことはできなかったのだろう。
あれだけ恐ろしく、禍々しい意思は、今、闇の中へと消失した。
そして、静寂だけが戻ってきている。周りにはかすかに虫の音が聞こえ――。
そうだ!
兎たちの戦闘部隊はどうなったんだ?
「霊夢。ここは危ないかもしれない」
「ん。どうして?」
「わたしは兎たちに追われてるの。べつに倒すことは可能だと思うけど、あまり……戦いたくない」
「ああ、それなら、問題ないよ。今からレイセンとてゐは元の世界に帰還すればいい」
「死んでしまった人たちは元には戻らないの?」
と、てゐが聞いた。
「死ぬというのも可能性のうちの一つ。それを勝手にもてあそんでいいわけがないよね。まあわたしにとっては人間さんの死というのがよくわからない概念だけど、そうらしいって紫ちゃんが言ってた。だからノータッチがベストなんじゃないかなぁ。ごめんね。よくわからなくて。思考形式が違うからうまく伝わってるか不明なんだよ。わたしと同じ論理レベルで会話を交わせるのは紫ちゃんだけっぽいし」
この世界で死んだ姫様や慧音先生や人間たち、妹紅の生命は二度と戻らない。
そういうことらしかった。
自分ひとりだけ帰って、平和な世界でなにもかも忘れることが正義にかなっているのか、わからない。それはとても汚いことのように思った。
「残るというのも選択肢のひとつよね」
「あぁ……責任感ってやつかぁ。わかるような気もするけどね」
どういう原理かわからないけれど、猫耳がふわふわと動く。
「それは結局のところ、どういう世界をレイセンが望んでいるかって問題だよね。交換可能な世界がそこにあるのなら、そこを目指す権利はどんな生命体にもあるんだよ。その暫定的な次元間の運動こそが、歴史と呼ばれている事象なのだからね。今ここで嘆き悲しむ自分でいたいのならそれでもいいと思うけど、わたしにはそれは単なる移動の軌跡の違いにすぎないから、どちらが良いとも悪いとも判断がつかないことなんだ。蝶がふわふわと飛んでいるのを見て、右に動くか左に動くかを見て、どっちが正しいかなんて言えないのといっしょ」
左に跳ねるか。
右に跳ねるか。
兎のジャンプは月には関係がないことなんだろうか。
わたしが経験してきた今までの出来事は、いわばゲーム内での経験と同じで、現実的にはまったく無意味なのではないだろうか。
そんな小さなほころびが心の中に生じた。
でも、こうも思うのだ。
経験は真実。
わたしが感じてきたこと、見て聞いて触って、そこから生じた観念だけは誰でもなくわたしを規定している。
嫌だった。
こんな世界にいたくなかった。
わたしがどんな現実を観察したいかと問われれば、結局、みんなでわきあいあいと過ごしたいのだ。血なまぐさい現実はどこかに放り出して、怠惰な姫様とそんな姫様を怒る師匠と、イタズラ好きなてゐと、そんなてゐを怒るわたしと、幸せに暮らしたい。
幸せになりたい。
「レイセン。帰ろう。わたしたちの永遠亭に」
てゐがいつもよりおとなしい口調でわたしを誘った。
「そうだね」
霊夢が優しく微笑んだような気がした。わたしの意識はまた混濁し、虚無の彼方へと飛翔するのを感じた。見えなくなる前にてゐの手を握った。
帰る間際に、世界の闇を見つめる。
わたしは忘れない。
この世界を忘れない。
それもまたわたしの世界だったから。
きっと、次に起きたら幸せになってる。
わたしはカミサマのように、そうなるよう、願った。
現在を規定する。
気づいたら、わたしは床に寝転がるようにして倒れていた。指先にはてゐの柔らかな感覚があって、わたしはほっとする。
そして、目の前。
びっくりした。
永琳――もとい師匠がわたしのことをじっと見ていたのだ。
「一秒後」
と師匠は言った。
「は?」
「薬を飲んでから、実時間は一秒しか経過してないわ。わたしからすれば、何が起こったのか観察する術はないのだけど、どう? カミサマになれた?」
カッと怒りの感情が湧いた。
しかし、師匠の顔はわたしの感情を見抜くとすぐにしおらしいものになった。
そして言う。
「なにかつらいことがあった?」
なんだろう。
いったいどういうことなんだろう。
怒りの感情は少しまだ残留しているが、ひとまずそれは心の片隅に閉まっておくことにして、とりあえず疑問を発することにする。
「あの薬でいったい師匠は何をしたかったんです」
「難しいわね。観念的な話になるのだけどね。端的に言えば、自殺したかったの」
「ふぇ? 自殺」
そりゃまた……。
大仰な。
というか、やっぱり意味がわからない。
師匠の説明は端的すぎて、慧音先生とは大違いだ。
ついでに言えば、優しさも半分ぐらいしか含まれていない。
苦いんですよ。
「わかりやすく言えば、わたしはこの薬を作成したときにふと考えたわけ。この薬を作成したということはわたしは可能性世界のどこへでも移動可能になるわけだけど、そうすると全体としてのわたしの総和に影響が生じる可能性があると思ったの。移動が可能ということは、そういうラグナ6で連鎖した世界のなかに参入することも意味しているのだから」
「総和というと、つまり師匠の可能性ですか」
「そうね。ファーサイドからニアサイドへ。つまりBからAへの交換という話だけなら別にかまわないのだけど。人間っていうのはわたしも含めてわがままだから、嫌なことを他者へ押しつけようとするでしょう。そうすると、どんどんと幸せな可能性が削り取られていって、わたし自身の属性がほとんど決定されるようになってしまう。それって、あまり気持ちの良いものではないわよね」
「ええ、まあそうだと思いますけど」
「だからね。冗長したわたしの可能性を破壊する必要があったの。わたし自身の可能性を食いつぶすような――、まあ言ってみれば、わたしの可能性の総和を全体の身体と見たときに、そいつは癌細胞みたいなやつね。それを切除する必要があった。と、まあそういうわけよ」
「自分でやってくださいよ」
「わたし自身は交換しても、わたしの可能性を観察することはできないでしょう。瞳は前方にしかついてないのだから、自分の姿を見ることはできないの。だからあなたに決めてもらおうと思ったの。あなたの役割はマーカー。無限に分割されたあなたが無限に分割されたわたしを追いかける。そういうイメージ。あなたが『わたし』を観察し悪と断じたら、それをわたしはこの世界から攻撃する。そういうシステムなわけよ」
「それが、猫耳霊夢なんですか」
「猫耳の霊夢だったの? それはおもしろいわね。どういう姿形になるのかはあなたの観察次第だったから不明だったわ」
「霊夢は師匠がつくった薬にしてはやけに饒舌でした。あとなぜか八雲紫のことを知っていました」
師匠の面貌にわずかに疑問が混入した。
「それは、よくわからないわね。可能性世界の境界を捉えることは一つの可能性存在としての視点しかもてないわたしたちには不可能な事柄だし、おそらくは――」
「おそらくは?」
「結局はソースに遡らなければ判断しようもない事柄ではあるのでしょう。事象の表面をなぞるように生きているわたしたちには真実を確かめることはきっとできないのでしょうね」
「八雲紫に聞けばわかるのでは?」
「それだけは死んでも絶対嫌!」
師匠が強度に拒否した。
その気持ちだけは痛いほど同意できた。
あの不気味すぎる妖怪に教えを請うぐらいなら、自分で真実へ漸近したほうがいくらかマシというものだ。
夜になった。
わたしは部屋の中で今日起こった出来事――主観時間としては二日か――を反芻していた。兎だけに反芻はお手の物だ。
師匠がしたことは、少しだけやっぱり許せない側面もあるのだけど、その動機はわたしと重なるところも多くて、要するに幸せに暮らしたいという気持ちから生じたものだった。
幸せになるためにはカミサマになって好き勝手振る舞う可能性を切り取らなければならないわけだ。
なるほどと思う。
そういう抜本的な手術を断行した師匠のことを、本当に師匠らしいなと思う。
しかし、言うまでもないことだけど、わたしは少なくとも千人ぐらいは死んだ。観察可能な範囲ではB世界の師匠が言ってたことだからおそらくまちがいない。本当はもっと死んだだろう。慧音先生も死んだ。妹紅も死んだ。姫様も死んだ。人間もたくさん死んだ。兎たちも数え切れないほど死んだ。
みんないなくなってしまった。
どこかの世界ではてゐも死んだだろう。
師匠はわたしがラグナ6を飲んで、ひどい思いをすることは知っていたはずなのだ。
もっとも師匠の視点からすれば、必ずわたしが帰還することも知っていたといえる。
てゐをわざわざ迎えにやるまでもない。
無事に帰還できるわたしのみが、師匠と再び邂逅できるのだから当然である。
そう考えるとなんだかはめられた気分がしないでもない。
肩の傷は嘘のようにさっぱりと消えているが、それは肉体的な傷であって、精神に刻まれたいろんな想いは今もまだ胸の中に残っている。
師匠はひどい。
わたしを実験動物と勘違いしている。
でも。
よく考えると、師匠はわたしに自分のことを殺してくれるように頼んだのだ。
実験したのは自分自身だったのかも――とも思える。
それだけ姫様やわたしやてゐや、あるいは他の人間たちのことをないがしろにする自分の可能性のことが嫌だったのだろう。今はその可能性は潰えたといえるのだろうし、おそらくは可能性の偏りのようなものは是正されたと考えてもいいのかもしれない。
ひとつの時空平面上にしか存在しえない兎にはわかりようもない。
わかる必要もないとも思える。
カミサマでもなくなったわたしにできることは、慧音先生が言ってたように、生滅する幸せを見逃さないようにするだけだ。
兎はそれだけ考えていればいい。
簡単だ。
てゐがふすまをノックした。
今朝とはまったく逆の立場だった。わたしはそっとふすまを開ける。
「どうしたの?」
「レイセンが泣いているのか確認しにきただけー」
「震えてたのはあんたじゃない」
「演技よ。演技。マジあの最終鬼畜お師匠様に殺されそうだったからあれぐらいするのが普通でしょ」
「ずいぶんと堂にいった演技ですこと」
「長生きをする秘訣だよ。うさうさ」
とまぁ、いつも通りのやりとりのあと。
てゐが部屋の中に入りたがっているようだったので、わたしはなかに入れた。
なんだろう。
てゐは後ろ手になにか握っている。
「なに隠してるの」
「べつにたいしたもんじゃないけどね」
ツンとおすまし。
かわいらしい仕草はお手の物。
それがてゐの詐欺的手口である。
わたしは幾分か警戒レベルを上げながら、思考をめぐらせる。
今日だけはさすがのてゐも精神的にも肉体的にも疲れているだろうし、いったいなにをするつもりなんだろう。
じっと見つめていると、意外にも早く答えは明らかになった。
「はい」
と、突き出されたのは草でできたわっか。
草のかんむり。
よく見ると、四葉のクローバーでできている。四十個ぐらいはありそうだ。幸せ四十倍といった感じの。
でも。
これ。
どうして?
「どうして?」
と思考がそのまま垂れ流し状態。
うん。よくわからない。
誕生日でもないし、クリスマスでもない。
そういったイベントならさすがに激務だろうが覚えている。イベント好きな姫様のこと、けっこうな頻度で幹事役補佐を任せられるので、イベントの日取りを忘れるわけがないのだ。
だとすると――
つまり、もう少しだけ汎用性が低い、確率的にはあまり祝われることのないイベントというところなのだろう。
「レイセンが永遠亭に来た日だよ」
と、てゐは短く言った。
それからわたしの頭の上にそっと、それを置くと、恥ずかしそうに顔を赤らめながら一目散にその場から走り去った。
せわしないやつ。
というか、これ。
毛虫でも入ってないだろうなー?
それにしても――
それにしてもである。
よくそんな細かいことを覚えていたなと思った。
素で忘れていた。わたし自身、あの当時のことはいろいろと思い出したくないことも多いからあえて意識にのぼらせないようにしていたのかもしれない。
けれど――そう。
本当はそういった逆境の近い状況でも、幸せはたくさん在ったのかもしれない。
今なら少しだけわかる。
右手と左手でそっとわっかに触れて、この日、このときだけは、わたしはカミサマよりも幸せだった。
手のひらの中でくすぐったそうに揺れる幸せに、わたしはそっと語りかける。
――おやすみ、またあした。
:REPLACED:
でもさぁ………可能性の世界だとしてもこの永琳の考えとかってどうよ?
無闇矢鱈に人を殺すとかって正直嫌悪感が拭えませんね。
胸糞悪い…。
永琳の扱いや猫巫女霊夢とか最悪なことはあったけど
読ませることに関して良かったと。
平行世界についてなんだか新しい視点で見られそう。
ラノベと西尾維新しか読んでない私には難しいお話でした。
ほとんど理解できないw
ただ、昔に読んだホラーの玩具修理者についてたもう一個の話を思い出した。
なんにしても理解出来ないのは怖い。つまり、私にとってこの話はホラーでした。
あと猫巫女霊夢で笑ったw
高尚だなぁ、と思いながら読んでたら急に下劣になった感じ。
いや、鈴仙にとっても私にとっても救いになりましたけどw
兎にも角にも、ムズカシイお話なので理解出来ませんでしたが、最後まで読ませるそのパワーに点数を贈りたいと思います!
全体としては好みなのですが、平行世界の永琳を神を越えるなどと
持ち上げておきながら霊夢に手も足も出ない戦闘描写とか、
最後に紫を登場させる意図が全く判らない所とかが、ちょっと首を傾げる所でした。
あとこれは評点にも関係ありませんし全く気になさらなくても良いことですが、
姫様ファンの私としては、姫様の扱いが・・・つw;
永琳の行動が理解に苦しむ
世界観は嫌いではないしミステリーとして考えればいいのかもしれないが
基本的に平和でありスペルカードを戦いの基礎とする幻想郷でこの設定は合わない
銃だの出てきたが以ての外
血腥い話は東方でやってほしくない
その点を除けば自分が好きな作品ですよ。
次回あたりが密室系列では最後になるかもしれません。
そのまえに他の系統の話を書いてみるかぁ。
難しい部分はあんまり吟味してないけど・・・
紫の一種族一人ってのはこんな意味もあるんですかねぇ
人工的に作られた真の神様だと思えば、神もどきの永琳にだって勝てるさ。
次が密室系最後ですか。楽しみにしてますよ。
あと。
なんというか、長いやつ読んでがっかりしたときの気分わかるよ。
時間とらせてしまってごめん。
永琳は相変わらずファジーでカオスだけど、弟子に自分の不幸を押し付けたら駄目だよ!もうちょっとちゃんと自分の口で青い鳥の在り処を教えてあげて!
姫は今回は完全に殺され損だけど、こういう役割は鈴仙より姫がやった方が面白そうな気が。
ネタが割れている今となっては難しいけど、気が向いた時にでも姫バージョンを書いてもらえると嬉しいです。
猫耳霊夢や虐殺永琳は許容できたんですが、紫は物語上完全に蛇足なように思いました
確かにてゐの反応が薄い。
もっと活躍させたかったんですけれど、一人称の弊害ですかね。
師匠こと永琳はけっこう薄情な性格になってしまいました。反省。
姫様も完全に殺され損でした。
41氏
紫が蛇足ですね。霊夢の説明をするためだけに存在するような形になってしまいました。
蛇足といわれればその通り。
割り切り方が好きなのかも。魅せ方がすごく勉強になる。
短編も長編もいずれも面白い。
そんなふうに書きたいなと思います。
畳がいっぱいあるんですか?
その時代は基本的に板敷きで、
畳は高貴な人のために敷きます。
2、ぶったおれるようにして床についたのに、
うつらうつらの夢見心地なんですか?
普通はその状況ならば深い眠りにつくと思います。
3、「あ、起きたー?」?
普通、日本語ではひらがなに「ー」は使いません。
この3点で読む気が失せたので、これ以上は読んでないのですが、
「あ、起きたぁ?」
ではダメな理由があったのでしょうか?
他のいろいろな作者様の感想に長いコメント残している人だからと
読みに来たのですが、正直ガッカリしました。
感想ありがとう。ここまではレスる。
1平安時代で畳が多いは失敗したか。フォローが足りない。
2ぶったおれるようにして床についたのにうつらうつらの夢見心地。これはありうる。
3そーなのかー?
がっかりさせてごめんよ。
しかし、残虐永琳は恐ろしい。
重い話が展開されていた分、終盤の猫巫女霊夢の威力が半端ないw
氏の次なる可能性世界を期待しています。
でももの凄く面白かったし読み終えるまで目が離せなかった。
ここまで引き込まれた作品は久々です。
わざわざ例に出して説明も入れてくれたから、普段聞きなれないような~論だとか
可能性世界だとかが出てきても投げださずに読めたと思う。これは作者さんに感謝。
とりあえず他の人のSSを読むときは他人の庭をみる感じで細かいとこは気にしなければいいと思う。
の行動には恐れいるけれど、それって意味あるのかとも思いますね。やって
もやらなくても自分に影響ないわけですから。if世界に残忍な自分がいた
からといって、それでこの世界の自分に何かがあるわけでもないし。
幸せというよりは究極の自己満足みたいな。つまり無意味。あ、満足感が
得られただけでも良いかも。意味ないけど。
理解できなかったということが理解できた
点はなしで
かと言って他にこのアイディアを発表できる場があるかと言えば難しいかもしれませんが。
少なくともこの場はある程度のぬるさ(駄作ではなくて)が求められるので、違うかなと。敢えて空気を読まないにしても、読まない方向が違うかなと。
まるきゅーの名に相応しくない良くできた力作であることは確かですが。
特に今作の永琳の描写、ここまで圧倒的な存在感を持たせている作品は珍しく、とても新鮮でした。
ただ、やはりデウスエクスマキナを持ち出すあたり少々設定に厳しい所があったかと。作中で明示すれば許されるというものではないでしょうし。その意味でこの点数で。
大して気にされてないとは思いますが、作風が気に食わないからと低評価をする連中は好みと作品の出来を混同してる輩なので、無視するのが得策かと。
この手の話は、いい意味で読者の予想を裏切るのが醍醐味だと考えます。
そういう観点でいくと読者の予想しうる範囲の一回り外側に真相を置いて、スケールの大きさを感じさせる手法は流石だなと舌を巻く次第です。
なにを予想するべきなのか、その予想すべき対象を錯誤させて、その時点で既に裏切っているみたいな。
感情に訴えかけるタイプの話ではなかったからなのか、どうしても感想も分析的な作者視点になってしまいますけどね。
永琳像はまさしく僕の考えていたそれでした