アイシクルフォール(EASY)
冬と共にやって来るわけでもない。
氷の妖精チルノはそういう存在だった。
春にも夏にも彼女はいる。そして世界は彼女を拒否せざるをえなかった。
彼女が歩くたびに、彼女が触れるたびに、花は生気を失い、土は霜を降ろす。
無意識に発せられる冷気は、確実に寒さを嫌う生物の命を削っていった。
それは他の妖精も一緒だった。
春。何人もの妖精が野原で遊んでいる。
花の王冠を作り、つぼみを応援して咲く手伝いをする。
そこにチルノはやって来た。
「遊ぼう」
見かけない青い服を着た妖精を、他の妖精たちは喜んで迎えた。
しかしすぐに、チルノは決定的に生きる世界が違うことに気づいた。
チルノの側にいると冷気で凍え、チルノに触ると手は感覚を失うほど冷たくなる。
「みんな……?」
チルノと遊ぶときの距離は次第に遠ざかり、やがて見えなくなった。
「…………」
チルノは地面の花を取った。茎からすぐに凍り、花は萎れて死んだ。
涙はすぐに氷となって地面に落ちる。
彼女の座る地面は凍り、周囲の花は悲鳴をあげる様に倒れていった。
チルノに一人の妖精が寄って来たのはそんなときだった。
「遊ぼう」
緑の髪をした春の妖精だった。チルノは上げた顔を下げて言った。
「……いいよ」
「ほんと? じゃあ王冠作って遊ぼうよ」
「いや、そのいいじゃなくて……」
チルノが戸惑うのを他所に、春の妖精はチルノの手を取って走り出す。
着いたのは花畑だった。いつも妖精たちが遊んでいる、チルノも行きたいと思っていた場所。チルノが行くと死んでしまう場所。
その真ん中に二人は座った。
「ダメだよ。あたい、ここ……」
「私は大妖精のダイランシミラ。長いからダイでいいよ。あなたは?」
「…………チルノ」
ダイは慣れた手つきで王冠を作ると、チルノの頭の上に乗せた。
「えへへ。似合ってるよ、チルノちゃん」
頭に乗った花はあっという間に凍りついていく。
「…………どうしてあたいと遊ぶの?」
「チルノちゃんと遊びたいの。それだけだよ」
「………………」
二人はそれから毎日遊んだ。
いつも王冠を作り、チルノの頭で凍るそれをダイは「凍った花も綺麗だよ」と言って喜んだ。
最初は戸惑っていたチルノも、いつしかダイと一緒に笑うようになった。
そんな日がずっと続くと幸せだと思った。
ある日、いつもの花畑で二人が遊び、いつものように夕暮れ時に別れた後。チルノは王冠を花畑に忘れて、取りに帰った。
そして倒れているダイを見つけた。
「ダイちゃん! どうしたの!」
見ると、ダイの唇は紫に変わり、顔も真っ青だ。体はガタガタと震え、必死に暖気を取り込もうとしている。
その時になって、チルノは気づいた。
ダイはいつも唇が紫だった。それが普通だと思っていた。
しかし違った。体が震えるように、唇の色が変わるのも、体が寒さを表していたのだ。
「あ……チルノ、ちゃん……違うの。これは……」
必死に耐えていたのだ。寒いのを表に出さないように。チルノを傷つけないように。
「どうして……どうしてそこまでしてあたいと一緒にいるの? 寒いんでしょ!? 苦しかったんでしょ!? 離れればいいじゃない!」
「…………分かってたよ……私、チルノちゃんはいい子だって……だから、一緒にいたい。それだけじゃ……だめかな……」
「っ!」
チルノは泣きそうに顔を歪め、ダイの体を抱きかかえようとした。
しかし、その寸前で止まった。
近寄ればまたダイを寒くする。
「うう……」
彼女を家まで運ぶこともできない。
チルノは、ダイを置いて去ることしかできなかった。
「チルノ……チルノちゃん……」
ダイの力無い呼び声が、野原に僅かに響いた。
「バカ! バカ! ばかあ!」
チルノは泣きながら走っていた。草木が彼女の身を切るのも厭わず、ただがむしゃらにどこを目指すのでもなく進んでいく。
とうとうチルノは湖に落ちてしまった。
その身を濡らしながら、顔を手で覆って嗚咽を漏らす。
「う……ぐ……バカ……無理だったのに……一緒になんて……」
もしかしたらずっと一緒にいられるかと思っていた。そしてそんな希望は不可能だと思い知った。
チルノについた水は見る間に凍り、周囲の湖も氷を張り始める。
無意識状態でこれである。
チルノが冷気を意識的に発すると、湖は一斉に分厚い氷で覆われた。
彼女はその上を歩き出す。
湖にはいつも霧が立ち込めている。しかしチルノの周囲ではその霧ですら凍り付いて、彼女の体にまとわりつく。
自分は氷の妖精なのだ。春の妖精と一緒にいられるわけがない。最初から無理だったのだ。なぜ春に出てきたのだろう。ずっと寝ていればよかったのに。
妖精は通常、冬眠やら春眠やらをして自分に不適な季節を過ごす。
しかしチルノは幼すぎた。そして春眠の仕方を教える親もいなかった。
しばらく歩いていると、湖の中心に島が見えてきた。チルノが一人ぼっちのときによく行く場所だ。
島には一軒の豪邸が建っている。
それは紅魔館と言った。
「なんだまた来たか、チルノ」
紅魔館の門番、紅美鈴はチルノを見つけて溜息をついた。
全体的に緑色のチャイナ服を着ている長い赤髪の女性で、『龍』の文字のついた帽子をかぶっている。
チルノは暇な時にここに来る。そして美鈴は門番であるので、やって来る妖怪やら妖精やらを撃退するのである。
何度追い返してもやって来るチルノに、美鈴は内心呆れていた。
「私も忙しいんだけどな……ほれ、さっさと始め……ておい」
チルノは顔を落としたまま門の横壁にもたれかかった。そのまま膝を抱えてうずくまる。
「……おーい。チルノ? 隙だらけだぞー」
呼びかけにも応じず、チルノは無言でいる。美鈴には、彼女が泣いているように見えた。
「ふう……どうしたんだ。ほれ、話してみろ。黙っていては何も伝わらないだろう?」
「黙る……」
ダイはずっと黙っていた。体を悪くしてまでそれを隠し、チルノと一緒にいた。
チルノは顔を上げ、美鈴を見た。
「めーりん……」
「うん? ほら、話してみろって」
チルノは自分のせいで周囲が寒い思いをして、唯一できた友達までも傷つけてしまったことを話した。
「ふーん、なるほどなあ。確かにお前の側は寒いしなあ」
「…………」
美鈴は頭をがしがし掻く。どうにも調子が崩れる。しかしちゃんと構ってやるところ、彼女の面倒見の良さが窺えるのだった。
「お前の能力については私も分からんからなあ。親とかは教えてくれなかったのか?」
「……いない」
「…………そうか。それなら……」
美鈴は少し唸る様に考えていると、「ああそうだ」と手をぽんと打った。
「竹林の中に寺子屋があったな。そこで妖怪が教えているという。何か教えてもらえるんじゃないのか?」
「てらこや?」
「子供に色々教える場所だ。能力についても何か知っているかもしれない。正確な場所は分からないけど、探してみるといいんじゃないか?」
「…………」
チルノは無言で立ち上がり、去って行った。その彼女に、美鈴は呼びかける。
「チルノ。赤い霧には近づくな」
意味が分からず首をかしげるチルノ。美鈴はそれ以上話す気は無いのか、顔をそらして立っている。
チルノは怪訝な表情をしながらも、竹林を目指すことにした。
別に竹林に行ったところで何か解決するとは思わない。しかし、それ以外にすることが無かった。
竹林はすぐに見つかった。
しかしかなり広いらしく、周りを見渡しても竹以外に何も見えない。
しばらく竹林をうろついていると、やがて夜になった。明かりなど何も無い。月の光も竹で遮られる。
不安になって帰ろうかと思っていると、何かが光るのが見える。
寄っていくと蛍がいた。しかし、でかくて人型だ。どうやら蛍の妖怪である。
「……虫だ」
チルノが呟くと、蛍女は怪訝な顔をして振り向いた。
「なにさ。妖精じゃないか。ここに何の用?」
「てらこや、ってどこにあるの?」
「え? さあ。お喋りな雀にでも聞いてみたら?」
そう言って、蛍女は竹林の奥を指差した。
竹林はその暗さを増し、来る者を拒むように道無き道すら塞ぐ。
しばらく歩いていると、今度は誰かの歌声が聞こえてきた。
「なーべーなーべーそーこぬけー。そーこのなーかのフンフフフン。いーつーいーつーでーああうー。フンフンフンのーばーんーにー」
所々歌詞がうろ覚えなのか、鼻歌で誤魔化している。
チルノが見上げると、木にとまって歌っている雀女がいた。
「……鳥?」
「む。妖精発見」
雀女はチルノの前に降り立った。
「ちょっとまってー。どこへ行こうというのかな」
「てらこや」
「寺子屋に? そんなのこの先歩いていけばすぐにあるけどそんなことを教える義理はないよー」
「分かった」
「ちょ、ちょっとまってー」
チルノは雀女を捨て置いて歩き出した。
やがて、一軒の平屋建てが見えてくる。その家には『寺子屋』という表札が取り付けられていた。
「……読めない」
家の前で首をかしげていると、後ろから服の襟を掴まれた。そのまま持ち上げられる。
「な! 何するんだよう! 離せよう!」
じたばたしながら相手を見る。チルノを持ち上げているのは長い白髪の少女だ。赤いもんぺを着ている。どうやら人間のようだ。
「なんだ? お前。ここに何の用だ」
「教えてもらいに来たんだ。いいから離せえ」
「ふーん……」
少女はチルノを降ろすと、家の中に入って呼びかけた。
「おーい。慧音。なんか来てる」
少しして中で返事が聞こえた。
「なんか、って何だ?」「教えてほしいとか言ってるけど?」「生徒か?」「さあ。妖精」「妖精?」
どたばたと中から人が出てきた。やはり人間のようだ。もんぺの女と同じく白い髪をしている。慧音と呼ばれたこの女性は、頭にかぶった小さな帽子が特徴的だ。
「君は?」
「あ、え……教えてほしくて……」
「生徒になりたいのか? 妖精が学びたいなんて珍しいな。しかし、うーん、困ったなあ。うちは人間の子供向けでなあ」
「いや。違う。あたい、この力について教えてほしくて……」
「力?」
どうにも要領を得ないチルノを前に、慧音ともんぺの女は顔を見合わせた。
「まあ、とりあえず入ってくれ。お茶でも出そう」
寺子屋の一室に通された。畳の敷かれた和室で、中央にはちゃぶ台が置かれている。
「私は獣人の慧音。こっちは人間の妹紅だ」
三人はちゃぶ台を囲んで向かい合った。三人分のお茶が湯気を上げる。
「けーね……もこ?」
「もこ『う』だ」
妹紅が茶をすすりながら訂正する。
「あたいチルノ。妖精」
「そうか、チルノ。一体何を教えてほしいんだ?」
「力!」
きっぱりと言い放つチルノ。胸まで張っている。
妹紅が呆れた様子で言った。
「お前馬鹿だろ」
「誰がバカだあ!」
「こらこら、話が進まない。チルノ。お前の言う力、って何だ?」
「…………これ」
チルノが湯飲みを掴むと、見る間に湯気が納まり、とうとうお茶が凍り始めた。
「あ! 湯飲み割れるだろ! やめろよ!」
妹紅はチルノから湯飲みをひったくった。そして凍りついたそれを手で包むと、次の瞬間、ちゃぶ台の上にさっきまでのように湯気を出す湯飲みを置いた。
チルノは目を丸くしてそれを見る。
「手品?」
「違う。お前ほんと馬鹿だな」
「むうう……」
「喧嘩をするな。チルノ、お前の力はその冷気だな。もしかして、無意識にも冷気を発してしまっているのではないか?」
チルノは頷く。
妹紅はお茶をすすって言った。
「どうりで寒いわけだ。自分の力をセーブもできないのか」
「セーブ?」
慧音が頷いて続けた。
「幻想郷には様々な異能者がいる。大抵は意識的にその力を出すものだが、たまにお前のように無意識に力を出してしまう者がいる。炎の力を持つ妹紅もかつてはそうだった」
「もこも?」
「もこ『う』だ」
チルノは驚きと共に妹紅を見た。信じられない。なぜなら、彼女の側にいても全然熱くないからだ。
「訓練によってその力を抑えることが可能だ。お前はそれを求めてここまで来たのではないのか?」
「……うん! それ! そうすれば、もうダイちゃんも寒くなくなるんだよね!」
「ダイちゃん?」
「うん……その……友達」
チルノは、自分の力によってダイが弱ってしまったことを話した。
「そうか。辛かったな」
「…………うん」
チルノの目に涙が溜まる。それは氷の塊となって畳みの上に落ちた。
「しょっぱい」
「妹紅、食べるな」
慧音は「よし」と呼びかけるように言って立ち上がった。
「これからお前には能力のコントロール方法を教える。日々のトレーニングによって完璧なコントロールは可能なはずだ。まずは……」
「おい慧音、ストップ。あんまり難しい言葉は言ってやるな」
「え?」
見ると、チルノは頭を抱えて目を回していた。
「やっぱお前馬鹿だわ」
三人は寺子屋から少し離れた場所に来た。竹林の中でもひらけた場所で、地面も草ではなく土がむき出しになっている。
慧音はチルノの首に何やら掛けた。ネックレスのようだ。
「これは……?」
紐に透明の丸い玉がくくりつけられている。その玉の中では、何やら水がちゃぷちゃぷと音を立てる。
「単なる水の入った玉だ。能力を制御する目安として、その玉の水を凍らせないように自分の力を抑えるんだ」
「でも……どうやるの?」
玉の水はすでに凍ってしまっている。
「うーん、そこからかあ。そうだなあ……妹紅」
「あいあい」
「いいか、チルノ。これから妹紅がお前に炎の攻撃を放つ。それを君は冷気で打ち消すんだ」
「え……それで力を抑えられるの?」
「そのための第一歩だ」
「……分かった」
チルノは妹紅と向かい合った。妹紅が笑って言う。
「大丈夫かあ? お前の力が弱すぎると直撃だぞ?」
チルノはむっとした顔で返す。
「ラクショーよ!」
「妹紅、最初は優しくだぞ。優しく」
「分かってる…………ほらよ!」
妹紅が手を振るうと、そこから直径一メートルはある巨大な火の玉が生まれた。チルノへと高速で迫る。
「妹紅! もっと弱いのから……!」
チルノは咄嗟に冷気を出して火の玉を防ぐ。
そのまま押し合いを繰り広げるが、猛烈な熱気がチルノを襲う。
強大な危険に怯えたチルノは、能力を全開にして火の玉を消そうと必死になった。
「うぐぐ……」
徐々に火の玉が小さくなっていく。もう拳ほどの大きさしかない。
しかし、チルノの力が切れるのが先だった。
「あつっ!」
小指ほどの火の玉がチルノの手の平を焼く。
彼女はその場にへたり込んだ。全ての力を使い切ったのだ。
「妹紅! いきなりそれはないだろう!」
「いやあ。そいつ妖精ったってそこそこ強い方だぞ? これくらいいけるかなー、って思ってさあ」
「全く……チルノ、大丈夫か」
慧音はチルノの手の平を見た。少し火傷をしている。
「家に戻ろう。手当てをする。立てるか?」
「ら、らくしょー……」
そうは言っても体は言うことを聞かないらしく、慧音に抱えられて家へと戻っていった。
火傷はたいしたことは無かった。包帯を巻かれた手を見て、チルノは難しい表情をする。
「大事に至らなかったから良かったものの、一歩間違えば大惨事だぞ」
「いいじゃないか。これくらいいける、って思ったんだ。やばそうなら攻撃やめてたよ」
「お前なあ…………まあいい。どうだ? チルノ」
「え?」
「玉を見てみろ」
見ると、先ほどの妹紅の攻撃で溶けたのか、玉の中は再び水で満たされていた。そしてそれが凍る様子も無い。
「あれ……」
「分かるか? 今のお前の体は力を使い切り、ほとんど冷気を発しない状態だ」
「あ……ほんとだ! じゃあいつも力を全部使えば……」
「いやそうもいかないだろう。力が少し回復すればまた冷気を発し始めるだろうし、いつも力を使い果たしてろくに動けないのも困る。だから、今の冷気を発しない感覚を憶えておくんだ。そして、普段からその状態を維持する」
「……分かった」
「これから毎日するぞ。できるまでな。他にも制御の特訓はあるから、今日からここに泊まりなさい。いちいち来るのも大変だしな。親御さんに連絡はできるか?」
「親いないよ」
「…………そうか、悪かったな」
慧音はチルノの頭をくしゃくしゃと撫でると立ち上がった。チルノは困った表情で髪を直す。
「晩御飯にしよう。妹紅、火を頼む」
「あいよ」
少しして、ちゃぶ台に三人分の食事が並んだ。
「いただきます」
慧音と妹紅が言うが、チルノは怪訝な表情だ。妹紅が首をかしげる。
「何やってんだ? いただきますだよ」
「誰かと食べるの、久しぶりだから」
「……そうか。食べる前には手を合わせていただきます、って言うんだ」
「…………いただきます」
おずおずと真似をしてみる。妹紅は満足そうに頷いた。
「そうそう」
晩御飯は米と味噌汁、それと年中取れる竹の子の煮物だった。
「うまいか?」
「……熱い。こんなの初めて」
「ああそうか。いつも冷やしちまうんだな。熱いのはどうだ?」
「……うまい」
「だろ?」
チルノにとって、誰かと食卓を囲むのは本当に久しぶりのことだった。そして、それがこんなに楽しいことだと気づいた。
これは、自分が能力を制御するために努力をしているから。
今までのように漫然と暮らしていたのとは違う。誰かと一緒にいるために闘うから今がある。
チルノは一気に飯をかき込んだ。
「おーおー豪快な食べっぷりだな。こりゃ負けてられないかな。慧音、おかわり」
「お前ら落ち着いて食べろ……」
少ししてチルノの冷気が復活してきた。
「いいか、チルノ。さっきのように冷気を発していない感覚を思い出すんだ」
「うん」
チルノはさっき初めて力を使い果たし、冷気を発しない状態となった。今までは冷気を出すのが普通だと思っていた。その状態がいつもだと思っていた。
しかし違った。冷気を発しない感覚を覚え、それを普通にしたい。大切な友達と、一緒にいるために。
チルノの冷気が少し納まってきた。しかし完全に納めるまでには至らないようだ。ネックレスの玉が少しずつ凍ってくる。
「だめだよ……」
「いや、自分の意志でコントロールできる能力だと分かっただけでも大きい。後は練習あるのみだな。瞑想しながらやるぞ。そこにあぐらをかくんだ」
「分かった」
「暇そうだな。妹紅もやるか?」
「いや私はいいよ……」
「うかうかしてるとこの子に抜かされるぞ? 最近お前は特訓もしないで……」
「ふ、風呂入れてくる」
小言が始まり、妹紅は一目散に退散した。
「まったく……」
しばらくして風呂に入ることとなった。
「お風呂初めて」
「げえ! まじか」
妹紅はチルノの頭を掴んで匂いをかぐ。
「なにすんだよう」
「……なんで匂わないんだ? 妖精だから?」
風呂にはチルノと妹紅が一緒に入ることとなった。チルノだけで入ると風呂の水が凍ってしまうからである。妹紅が共に入ることで常時湯沸し状態にできる。
寝るときも二人は一緒にされた。慧音とチルノの間に妹紅が寝る。チルノの冷気を妹紅の熱気で遮断するためだ。
久しぶりに誰かと寝るので、チルノはしばし呆然として二人を見やった。
「どうした?」
「……あたいと寝て寒くないの?」
「……そういうこと言うやつはこうだ!」
妹紅がチルノを抱きしめた。熱気が発せられ、チルノの冷気を吹き飛ばして暖める。
「うぎゃー! 熱い!」
「ははは! 妖精ごときの冷気でこの藤原妹紅の炎に太刀打ちできると思うな!」
そんな二人を見て、慧音は思わず笑みがこぼれた。
普段はぶっきらぼうな妹紅が、チルノに気を使ってやっているのだ。彼女なりに元気付けようとしているのだろう。
「ほら、明かりを消すぞ」
「おう。おやすみ」
「あ……おやすみ」
その日、チルノはなかなか寝付けなかったという。
次の日から本格的な特訓が始まった。
「これを見てくれ」
昨日の広場で、慧音は二本の木の枝を地面に立てた。
「チルノ、右の枝だけを狙い撃てるか?」
「らくしょーよ」
チルノは冷気の弾幕で右の枝だけを撃ち倒した。
「へへん。どう?」
慧音は左の枝を引き抜いた。それをチルノに見せる。
「よく見てみろ」
見ると、その枝は凍り付いて硬くなっている。
「弾幕に込めたエネルギーが周囲に拡散してしまっているんだ。それを抑えるのも能力をコントロールすることに繋がるな」
「う……分かった」
チルノの特訓は続いた。
昼間は慧音が寺子屋の授業があるので、主に妹紅が面倒を見る。
「ほらもう一回」
「うう……」
昼食は寺子屋の生徒たちと一緒に食べた。
「よーせー、よーせー」
「冷たーい」
「ちょっと、羽触るなあ」
物珍しさに駆られた子供たちにおもちゃにされるチルノ。
「おいおい、そいつは氷の妖精だ。あんまり触ると溶けるぞ」
「えー!?」
「溶けるわけあるかあ!」
「あーもこたん嘘言ったー」
「もこたん言うな」
それからも特訓は続き、夕方には全ての力を使い切り、歩くのもやっとの状態で寺子屋に戻ってくる。
それから瞑想の時間が始まる。
「いいか。冷気を出していない、今の感覚を体に刻み付けるんだ。それが平常になるように体に言い聞かせるわけだ」
「むむむ……」
瞑想の時間が終わると食事を取って風呂に入り、今度は復活してきた冷気を抑える特訓をする。
「ほらほら、玉の水が凍ってきたぞ。もっと抑えるんだ」
「ぬむむむむ……」
そんな日々が続いた。
毎日力を使い切るまでの修行である。辛くないはずがない。しかしチルノは弱音一つ吐かずに精を出す。全ては胸を張ってダイに会いに行くためであった。
それに、誰かと一緒に特訓するのは別に嫌ではない。
そうして特訓を重ねてきて、妹紅は気づいたことがある。
チルノが力を使いきるまでの修行量が増えてきている。
それはチルノの力の絶対量が増していることを表す。
「…………」
チルノと一緒になって訓練する妹紅を見て、慧音は思わず笑みがこぼれるのであった。
そして数週間が過ぎた。季節はいつしか夏へと移っていた。
「チルノ、やってみろ」
頷き、チルノは前方に立つ二本の木の枝を睨む。横並びに配置されているのではない。一本の枝の後ろにもう一本が刺さっている。
チルノは力を練りこみ、叫んだ。
「アイシクルフォール!」
チルノの両サイドから無数の氷弾が発射される。それは寸分たがわず後ろの枝だけを撃ち倒した。
すぐに三人は突き刺さったままの手前の枝に駆け寄る。それは寒さで霜がついていた。
「あ~」
「うう……」
「まあ、随分と上達した。普段の冷気の制御も問題ないしな。本当によく努力したよ、お前は」
「そ、そうかな……」
「ああ、これなら大丈夫だ。卒業だな」
「え……」
慧音はチルノを抱きしめた。
「よく頑張ったな。友達にも胸を張って会えるぞ」
チルノも慧音の背中に手を回した。
「……うん」
それから、チルノは妹紅にも駆け寄って抱きついた。
「おいおい」
困惑気味の妹紅を、慧音は笑顔で促す。
妹紅は照れくさそうに頭を掻き、しかし力強くチルノを抱きしめた。
「また来い。一緒に風呂入ってやる」
「うん」
そしてチルノは竹林の向こうへと消えていった。その胸には、いつも掛けている玉のネックレスが揺れていた。
その様子を見ていた慧音が呟く。
「寂しくなるな」
「……さあな……慧音、それ」
「ん?」
見ると、慧音の服の胸の辺りが濡れている。
「泣いてたんだな」
「ああ。妹紅も」
「……ああ」
妹紅の服も胸の辺りが濡れていた。
「本当に馬鹿な奴だ。また会いに来ればいいのに」
「そうだな。馬鹿だな」
「ん? なんだ、慧音もあいつのこと馬鹿って思ってたんじゃないか」
「ああ。だから、今度からチルノにも生徒として授業を受けてもらわないとな」
「慧音、お前……」
「今度から妖怪やらの人外向けの授業を開こうと思うんだ」
「ああ、竹林には馬鹿な妖怪共も多いしな」
「チルノにも友達ができるだろうし……」
慧音と妹紅は顔を見合わせると、一緒になって薄く笑うのだった。
赤い霧が立ち込めたのはそんなときだった。
「慧音!」
「ああ!」
すぐに慧音がその力により、人里を霧から隔離する。
二人は寺子屋に飛び込んだ。
窓という窓を全て閉め、霧が入ってこないようにする。
「なんだこれ……慧音、分かるか?」
「分からない……しかし、これは有毒だ」
「だな。ちょっと調べてくる」
そう言って、妹紅は外へと出て行った。
「おい、妹紅!」
「大丈夫。私は『不死』だからな」
妹紅は赤い霧が立ち込める中に出ると、思い切り息を吸い込んだ。
「…………んー、確かに有毒だ。普通の人間が吸うと危ないな。でもある程度力のある奴なら大丈夫じゃないか?」
「そうか……チルノが無事だといいが……」
妹紅は家に戻ってきて座り込んだ。
「あいつは大丈夫だろ。強くなったしな」
「ああ、そうだな…………私はここを動けない。博霊の巫女あたりが解決してくれるといいのだが……」
「ま、長引くようなら私が行くさ」
「そのときは頼む。しばらくはここで様子を見よう」
「分かったよ」
二人は、赤い霧で一寸先も見えない外を不審な目で見つめた。
チルノはあの花畑に向かう途中、赤い霧に遭遇した。
「なに、これ……」
吸い込むと、何だか嫌な気分になる。
迷ったが、そのまま花畑に向かうことにした。ダイのことが心配である。もう夜だが、赤い霧で闇さえも遮られていた。
チルノがいなくなってからというもの、ダイはいつも上の空であった。
他の妖精たちとも楽しく遊べない。それどころか、チルノに申し訳なく思った。
私だけ楽しく遊ぶなんておかしい。
チルノの家は知らなかったが、色々と森の生き物に話を聞くうちに、それらしき家は見つけられた。
木を改造して作った小さな家である。
しかしいくら待ってもチルノは現れない。
「どこ行っちゃったの、チルノちゃん……」
私のせいでいなくなったんだ。私がチルノちゃんを傷つけたから……。
ダイはある日、妖精たちと花畑で遊んでいた。以前チルノとも遊んでいた場所だ。
元気の無い表情で王冠を作る。これを掛けたい子は、ここにはいない。
「あっ!」
声をあげた妖精を振り向く。チルノが来たのかと思った。
しかし違った。
赤い霧が立ち込める。
「な、なにこれ!」
「うええ。気持ち悪い」
「早く帰ろう」
「うん、ダイちゃんも早く」
「え……」
ダイはいつもここで日が暮れるまで待っていた。チルノが帰ってきたとき、きっとここに来ると思っていた。
「私はもう少しここにいるよ」
「えー……分かったよう」
赤い霧が野原を覆う中、ダイは一人で待ち続けた。もう夜になっているのかもしれないが、霧のせいで夜かどうかも分からなかった。
「チルノちゃん……」
霧を吸うたびに体力が削られていく。
ダイは王冠を握り締め、そのまま横に倒れた。
「ちょっと大丈夫?」
ダイを助けたのは人間だった。
「う……誰?」
ダイを抱きかかえるのは、見たところ巫女のようだった。なぜか腋が出ている特殊な巫女服を着ているが。
「巫女よ。この異変を起こした奴探してるんだけど知らない?」
ダイは首をふるふると振った。
「ふう……そう。あ、これ。持っといて」
巫女はダイにお札を渡した。
「とりあえずそのお札持っとけば大丈夫だけど、さっさと家に帰るのよ」
「あ……ありがとうございます」
とそこで、巫女は瞬時に上へと飛んだ。
巫女のいたところを氷の弾幕が通過する。
「…………いきなり何するの?」
巫女は襲撃者を睨んだ。それは妖精だった。青いワンピースを着た子供の妖精で、髪も青、羽も青の青尽くしだ。
「チ、チルノちゃん」
吸い込んだ霧の影響であまり声が出ず、ダイが力なく呻く。
「ダイちゃんに何したの!」
「ダイ?……ちょっと何勘違いしてるか分かんないけど……」
「くらえ!」
「これだから妖精は……」
チルノは氷の弾幕を繰り出す。高速で撃ち出されたそれを、巫女は難なく回避する。
弾幕は後ろの木に当たり、五、六本同時になぎ倒した。
それを見た巫女の目が細まる。
「……あんた?」
「え?」
「この霧を作ってるの」
「? 何言ってんの」
「いや……何でもないわよ」
巫女は無属性の弾幕を放つ。
チルノはそれを避けるでもなく、真正面から自分の弾幕で迎え撃った。
「うぐぐ……」
次々と相殺していくが、少しずつ押し込まれている。
なんとか全て打ち消したとき、そこに巫女の姿はなかった。
「面倒ね。さっさと終わらせるわよ…………夢想封印」
チルノに接近していた巫女が呟くと、その体から光り輝く玉が数個放出された。
それは自動でチルノに狙いを定めて襲い掛かる。
「パーフェクトフリーズ!」
チルノも技で迎え撃つ。しかし、
「っ! あたいの技が消される!」
光りの玉に当たると、全ての弾幕が消滅するのだ。
どうやら巫女のほうが格上のようだ。
「うああっ!」
光りの玉が直撃し、チルノはきりもみしながら落下していく。しかしその途中で持ち直す。
「なんのお!」
再び舞い上がったチルノを見て、巫女は呆れたように肩をすくめる。
「はあ……しつこいわねえ」
「くらえ! アイシクルフォール!」
「聞いちゃいないわ……」
チルノの両側から無数の氷弾が発射される。
「むっ」
巫女はそれをぎりぎりで手前に避けた。そして、
「…………何これ」
チルノの目の前まで来て、その位置では全く弾幕が当たらないことに気づいた。
どうやらこれ以上の角度では氷弾で狙えないようだ。
「……安全地帯があるじゃない」
巫女はそのまま弾幕を放った。
「うぐえ」
今度こそチルノは地面に落下した。
「うう……」
「まったく……」
「うう……お前……」
「何?」
「冷たく、ないの?」
「別に」
見ると、巫女の服が凍っている様子もない。寒がってもいない。チルノの弾幕の近くにいたというのに。
「そっか……」
制御できたのだ。自分の力を、完璧に。
「? 負けたのに何満足そうにしてんのよ…………私は行くから。あんたにはお札も必要なさそうね。そこのお友達からちゃんと話聞きなさいよ」
そして巫女は去って行った。その様子を、チルノはどこか嬉しそうに見送っていたのだった。
直後、
「チルノちゃん!」
ダイが勢い良く抱きついてきた。
「うわっ、だ、ダイちゃん」
「バカ! どうしていなくなっちゃったの? ずっと、待ってたのに……」
「う……ご、ごめん………………どうかな」
「え?」
「寒い?」
そういえば。
チルノに抱きついているというのに、別に冷たくなかった。それどころか、人並みのぬくもりまで感じる。
「これ……」
「その……特訓してたんだ。寒くならないように」
「チルノちゃん……」
ダイは目に涙を浮かべてチルノをぎゅっと抱きしめた。
「バカ……」
「ど、どうしてえ?」
「ほんとバカ!」
二人はずっと抱き合っていた。
いつしか霧は晴れ、空には満月が光をたたえる。
それは、いつまでも二人を照らしていたという。
了
冬と共にやって来るわけでもない。
氷の妖精チルノはそういう存在だった。
春にも夏にも彼女はいる。そして世界は彼女を拒否せざるをえなかった。
彼女が歩くたびに、彼女が触れるたびに、花は生気を失い、土は霜を降ろす。
無意識に発せられる冷気は、確実に寒さを嫌う生物の命を削っていった。
それは他の妖精も一緒だった。
春。何人もの妖精が野原で遊んでいる。
花の王冠を作り、つぼみを応援して咲く手伝いをする。
そこにチルノはやって来た。
「遊ぼう」
見かけない青い服を着た妖精を、他の妖精たちは喜んで迎えた。
しかしすぐに、チルノは決定的に生きる世界が違うことに気づいた。
チルノの側にいると冷気で凍え、チルノに触ると手は感覚を失うほど冷たくなる。
「みんな……?」
チルノと遊ぶときの距離は次第に遠ざかり、やがて見えなくなった。
「…………」
チルノは地面の花を取った。茎からすぐに凍り、花は萎れて死んだ。
涙はすぐに氷となって地面に落ちる。
彼女の座る地面は凍り、周囲の花は悲鳴をあげる様に倒れていった。
チルノに一人の妖精が寄って来たのはそんなときだった。
「遊ぼう」
緑の髪をした春の妖精だった。チルノは上げた顔を下げて言った。
「……いいよ」
「ほんと? じゃあ王冠作って遊ぼうよ」
「いや、そのいいじゃなくて……」
チルノが戸惑うのを他所に、春の妖精はチルノの手を取って走り出す。
着いたのは花畑だった。いつも妖精たちが遊んでいる、チルノも行きたいと思っていた場所。チルノが行くと死んでしまう場所。
その真ん中に二人は座った。
「ダメだよ。あたい、ここ……」
「私は大妖精のダイランシミラ。長いからダイでいいよ。あなたは?」
「…………チルノ」
ダイは慣れた手つきで王冠を作ると、チルノの頭の上に乗せた。
「えへへ。似合ってるよ、チルノちゃん」
頭に乗った花はあっという間に凍りついていく。
「…………どうしてあたいと遊ぶの?」
「チルノちゃんと遊びたいの。それだけだよ」
「………………」
二人はそれから毎日遊んだ。
いつも王冠を作り、チルノの頭で凍るそれをダイは「凍った花も綺麗だよ」と言って喜んだ。
最初は戸惑っていたチルノも、いつしかダイと一緒に笑うようになった。
そんな日がずっと続くと幸せだと思った。
ある日、いつもの花畑で二人が遊び、いつものように夕暮れ時に別れた後。チルノは王冠を花畑に忘れて、取りに帰った。
そして倒れているダイを見つけた。
「ダイちゃん! どうしたの!」
見ると、ダイの唇は紫に変わり、顔も真っ青だ。体はガタガタと震え、必死に暖気を取り込もうとしている。
その時になって、チルノは気づいた。
ダイはいつも唇が紫だった。それが普通だと思っていた。
しかし違った。体が震えるように、唇の色が変わるのも、体が寒さを表していたのだ。
「あ……チルノ、ちゃん……違うの。これは……」
必死に耐えていたのだ。寒いのを表に出さないように。チルノを傷つけないように。
「どうして……どうしてそこまでしてあたいと一緒にいるの? 寒いんでしょ!? 苦しかったんでしょ!? 離れればいいじゃない!」
「…………分かってたよ……私、チルノちゃんはいい子だって……だから、一緒にいたい。それだけじゃ……だめかな……」
「っ!」
チルノは泣きそうに顔を歪め、ダイの体を抱きかかえようとした。
しかし、その寸前で止まった。
近寄ればまたダイを寒くする。
「うう……」
彼女を家まで運ぶこともできない。
チルノは、ダイを置いて去ることしかできなかった。
「チルノ……チルノちゃん……」
ダイの力無い呼び声が、野原に僅かに響いた。
「バカ! バカ! ばかあ!」
チルノは泣きながら走っていた。草木が彼女の身を切るのも厭わず、ただがむしゃらにどこを目指すのでもなく進んでいく。
とうとうチルノは湖に落ちてしまった。
その身を濡らしながら、顔を手で覆って嗚咽を漏らす。
「う……ぐ……バカ……無理だったのに……一緒になんて……」
もしかしたらずっと一緒にいられるかと思っていた。そしてそんな希望は不可能だと思い知った。
チルノについた水は見る間に凍り、周囲の湖も氷を張り始める。
無意識状態でこれである。
チルノが冷気を意識的に発すると、湖は一斉に分厚い氷で覆われた。
彼女はその上を歩き出す。
湖にはいつも霧が立ち込めている。しかしチルノの周囲ではその霧ですら凍り付いて、彼女の体にまとわりつく。
自分は氷の妖精なのだ。春の妖精と一緒にいられるわけがない。最初から無理だったのだ。なぜ春に出てきたのだろう。ずっと寝ていればよかったのに。
妖精は通常、冬眠やら春眠やらをして自分に不適な季節を過ごす。
しかしチルノは幼すぎた。そして春眠の仕方を教える親もいなかった。
しばらく歩いていると、湖の中心に島が見えてきた。チルノが一人ぼっちのときによく行く場所だ。
島には一軒の豪邸が建っている。
それは紅魔館と言った。
「なんだまた来たか、チルノ」
紅魔館の門番、紅美鈴はチルノを見つけて溜息をついた。
全体的に緑色のチャイナ服を着ている長い赤髪の女性で、『龍』の文字のついた帽子をかぶっている。
チルノは暇な時にここに来る。そして美鈴は門番であるので、やって来る妖怪やら妖精やらを撃退するのである。
何度追い返してもやって来るチルノに、美鈴は内心呆れていた。
「私も忙しいんだけどな……ほれ、さっさと始め……ておい」
チルノは顔を落としたまま門の横壁にもたれかかった。そのまま膝を抱えてうずくまる。
「……おーい。チルノ? 隙だらけだぞー」
呼びかけにも応じず、チルノは無言でいる。美鈴には、彼女が泣いているように見えた。
「ふう……どうしたんだ。ほれ、話してみろ。黙っていては何も伝わらないだろう?」
「黙る……」
ダイはずっと黙っていた。体を悪くしてまでそれを隠し、チルノと一緒にいた。
チルノは顔を上げ、美鈴を見た。
「めーりん……」
「うん? ほら、話してみろって」
チルノは自分のせいで周囲が寒い思いをして、唯一できた友達までも傷つけてしまったことを話した。
「ふーん、なるほどなあ。確かにお前の側は寒いしなあ」
「…………」
美鈴は頭をがしがし掻く。どうにも調子が崩れる。しかしちゃんと構ってやるところ、彼女の面倒見の良さが窺えるのだった。
「お前の能力については私も分からんからなあ。親とかは教えてくれなかったのか?」
「……いない」
「…………そうか。それなら……」
美鈴は少し唸る様に考えていると、「ああそうだ」と手をぽんと打った。
「竹林の中に寺子屋があったな。そこで妖怪が教えているという。何か教えてもらえるんじゃないのか?」
「てらこや?」
「子供に色々教える場所だ。能力についても何か知っているかもしれない。正確な場所は分からないけど、探してみるといいんじゃないか?」
「…………」
チルノは無言で立ち上がり、去って行った。その彼女に、美鈴は呼びかける。
「チルノ。赤い霧には近づくな」
意味が分からず首をかしげるチルノ。美鈴はそれ以上話す気は無いのか、顔をそらして立っている。
チルノは怪訝な表情をしながらも、竹林を目指すことにした。
別に竹林に行ったところで何か解決するとは思わない。しかし、それ以外にすることが無かった。
竹林はすぐに見つかった。
しかしかなり広いらしく、周りを見渡しても竹以外に何も見えない。
しばらく竹林をうろついていると、やがて夜になった。明かりなど何も無い。月の光も竹で遮られる。
不安になって帰ろうかと思っていると、何かが光るのが見える。
寄っていくと蛍がいた。しかし、でかくて人型だ。どうやら蛍の妖怪である。
「……虫だ」
チルノが呟くと、蛍女は怪訝な顔をして振り向いた。
「なにさ。妖精じゃないか。ここに何の用?」
「てらこや、ってどこにあるの?」
「え? さあ。お喋りな雀にでも聞いてみたら?」
そう言って、蛍女は竹林の奥を指差した。
竹林はその暗さを増し、来る者を拒むように道無き道すら塞ぐ。
しばらく歩いていると、今度は誰かの歌声が聞こえてきた。
「なーべーなーべーそーこぬけー。そーこのなーかのフンフフフン。いーつーいーつーでーああうー。フンフンフンのーばーんーにー」
所々歌詞がうろ覚えなのか、鼻歌で誤魔化している。
チルノが見上げると、木にとまって歌っている雀女がいた。
「……鳥?」
「む。妖精発見」
雀女はチルノの前に降り立った。
「ちょっとまってー。どこへ行こうというのかな」
「てらこや」
「寺子屋に? そんなのこの先歩いていけばすぐにあるけどそんなことを教える義理はないよー」
「分かった」
「ちょ、ちょっとまってー」
チルノは雀女を捨て置いて歩き出した。
やがて、一軒の平屋建てが見えてくる。その家には『寺子屋』という表札が取り付けられていた。
「……読めない」
家の前で首をかしげていると、後ろから服の襟を掴まれた。そのまま持ち上げられる。
「な! 何するんだよう! 離せよう!」
じたばたしながら相手を見る。チルノを持ち上げているのは長い白髪の少女だ。赤いもんぺを着ている。どうやら人間のようだ。
「なんだ? お前。ここに何の用だ」
「教えてもらいに来たんだ。いいから離せえ」
「ふーん……」
少女はチルノを降ろすと、家の中に入って呼びかけた。
「おーい。慧音。なんか来てる」
少しして中で返事が聞こえた。
「なんか、って何だ?」「教えてほしいとか言ってるけど?」「生徒か?」「さあ。妖精」「妖精?」
どたばたと中から人が出てきた。やはり人間のようだ。もんぺの女と同じく白い髪をしている。慧音と呼ばれたこの女性は、頭にかぶった小さな帽子が特徴的だ。
「君は?」
「あ、え……教えてほしくて……」
「生徒になりたいのか? 妖精が学びたいなんて珍しいな。しかし、うーん、困ったなあ。うちは人間の子供向けでなあ」
「いや。違う。あたい、この力について教えてほしくて……」
「力?」
どうにも要領を得ないチルノを前に、慧音ともんぺの女は顔を見合わせた。
「まあ、とりあえず入ってくれ。お茶でも出そう」
寺子屋の一室に通された。畳の敷かれた和室で、中央にはちゃぶ台が置かれている。
「私は獣人の慧音。こっちは人間の妹紅だ」
三人はちゃぶ台を囲んで向かい合った。三人分のお茶が湯気を上げる。
「けーね……もこ?」
「もこ『う』だ」
妹紅が茶をすすりながら訂正する。
「あたいチルノ。妖精」
「そうか、チルノ。一体何を教えてほしいんだ?」
「力!」
きっぱりと言い放つチルノ。胸まで張っている。
妹紅が呆れた様子で言った。
「お前馬鹿だろ」
「誰がバカだあ!」
「こらこら、話が進まない。チルノ。お前の言う力、って何だ?」
「…………これ」
チルノが湯飲みを掴むと、見る間に湯気が納まり、とうとうお茶が凍り始めた。
「あ! 湯飲み割れるだろ! やめろよ!」
妹紅はチルノから湯飲みをひったくった。そして凍りついたそれを手で包むと、次の瞬間、ちゃぶ台の上にさっきまでのように湯気を出す湯飲みを置いた。
チルノは目を丸くしてそれを見る。
「手品?」
「違う。お前ほんと馬鹿だな」
「むうう……」
「喧嘩をするな。チルノ、お前の力はその冷気だな。もしかして、無意識にも冷気を発してしまっているのではないか?」
チルノは頷く。
妹紅はお茶をすすって言った。
「どうりで寒いわけだ。自分の力をセーブもできないのか」
「セーブ?」
慧音が頷いて続けた。
「幻想郷には様々な異能者がいる。大抵は意識的にその力を出すものだが、たまにお前のように無意識に力を出してしまう者がいる。炎の力を持つ妹紅もかつてはそうだった」
「もこも?」
「もこ『う』だ」
チルノは驚きと共に妹紅を見た。信じられない。なぜなら、彼女の側にいても全然熱くないからだ。
「訓練によってその力を抑えることが可能だ。お前はそれを求めてここまで来たのではないのか?」
「……うん! それ! そうすれば、もうダイちゃんも寒くなくなるんだよね!」
「ダイちゃん?」
「うん……その……友達」
チルノは、自分の力によってダイが弱ってしまったことを話した。
「そうか。辛かったな」
「…………うん」
チルノの目に涙が溜まる。それは氷の塊となって畳みの上に落ちた。
「しょっぱい」
「妹紅、食べるな」
慧音は「よし」と呼びかけるように言って立ち上がった。
「これからお前には能力のコントロール方法を教える。日々のトレーニングによって完璧なコントロールは可能なはずだ。まずは……」
「おい慧音、ストップ。あんまり難しい言葉は言ってやるな」
「え?」
見ると、チルノは頭を抱えて目を回していた。
「やっぱお前馬鹿だわ」
三人は寺子屋から少し離れた場所に来た。竹林の中でもひらけた場所で、地面も草ではなく土がむき出しになっている。
慧音はチルノの首に何やら掛けた。ネックレスのようだ。
「これは……?」
紐に透明の丸い玉がくくりつけられている。その玉の中では、何やら水がちゃぷちゃぷと音を立てる。
「単なる水の入った玉だ。能力を制御する目安として、その玉の水を凍らせないように自分の力を抑えるんだ」
「でも……どうやるの?」
玉の水はすでに凍ってしまっている。
「うーん、そこからかあ。そうだなあ……妹紅」
「あいあい」
「いいか、チルノ。これから妹紅がお前に炎の攻撃を放つ。それを君は冷気で打ち消すんだ」
「え……それで力を抑えられるの?」
「そのための第一歩だ」
「……分かった」
チルノは妹紅と向かい合った。妹紅が笑って言う。
「大丈夫かあ? お前の力が弱すぎると直撃だぞ?」
チルノはむっとした顔で返す。
「ラクショーよ!」
「妹紅、最初は優しくだぞ。優しく」
「分かってる…………ほらよ!」
妹紅が手を振るうと、そこから直径一メートルはある巨大な火の玉が生まれた。チルノへと高速で迫る。
「妹紅! もっと弱いのから……!」
チルノは咄嗟に冷気を出して火の玉を防ぐ。
そのまま押し合いを繰り広げるが、猛烈な熱気がチルノを襲う。
強大な危険に怯えたチルノは、能力を全開にして火の玉を消そうと必死になった。
「うぐぐ……」
徐々に火の玉が小さくなっていく。もう拳ほどの大きさしかない。
しかし、チルノの力が切れるのが先だった。
「あつっ!」
小指ほどの火の玉がチルノの手の平を焼く。
彼女はその場にへたり込んだ。全ての力を使い切ったのだ。
「妹紅! いきなりそれはないだろう!」
「いやあ。そいつ妖精ったってそこそこ強い方だぞ? これくらいいけるかなー、って思ってさあ」
「全く……チルノ、大丈夫か」
慧音はチルノの手の平を見た。少し火傷をしている。
「家に戻ろう。手当てをする。立てるか?」
「ら、らくしょー……」
そうは言っても体は言うことを聞かないらしく、慧音に抱えられて家へと戻っていった。
火傷はたいしたことは無かった。包帯を巻かれた手を見て、チルノは難しい表情をする。
「大事に至らなかったから良かったものの、一歩間違えば大惨事だぞ」
「いいじゃないか。これくらいいける、って思ったんだ。やばそうなら攻撃やめてたよ」
「お前なあ…………まあいい。どうだ? チルノ」
「え?」
「玉を見てみろ」
見ると、先ほどの妹紅の攻撃で溶けたのか、玉の中は再び水で満たされていた。そしてそれが凍る様子も無い。
「あれ……」
「分かるか? 今のお前の体は力を使い切り、ほとんど冷気を発しない状態だ」
「あ……ほんとだ! じゃあいつも力を全部使えば……」
「いやそうもいかないだろう。力が少し回復すればまた冷気を発し始めるだろうし、いつも力を使い果たしてろくに動けないのも困る。だから、今の冷気を発しない感覚を憶えておくんだ。そして、普段からその状態を維持する」
「……分かった」
「これから毎日するぞ。できるまでな。他にも制御の特訓はあるから、今日からここに泊まりなさい。いちいち来るのも大変だしな。親御さんに連絡はできるか?」
「親いないよ」
「…………そうか、悪かったな」
慧音はチルノの頭をくしゃくしゃと撫でると立ち上がった。チルノは困った表情で髪を直す。
「晩御飯にしよう。妹紅、火を頼む」
「あいよ」
少しして、ちゃぶ台に三人分の食事が並んだ。
「いただきます」
慧音と妹紅が言うが、チルノは怪訝な表情だ。妹紅が首をかしげる。
「何やってんだ? いただきますだよ」
「誰かと食べるの、久しぶりだから」
「……そうか。食べる前には手を合わせていただきます、って言うんだ」
「…………いただきます」
おずおずと真似をしてみる。妹紅は満足そうに頷いた。
「そうそう」
晩御飯は米と味噌汁、それと年中取れる竹の子の煮物だった。
「うまいか?」
「……熱い。こんなの初めて」
「ああそうか。いつも冷やしちまうんだな。熱いのはどうだ?」
「……うまい」
「だろ?」
チルノにとって、誰かと食卓を囲むのは本当に久しぶりのことだった。そして、それがこんなに楽しいことだと気づいた。
これは、自分が能力を制御するために努力をしているから。
今までのように漫然と暮らしていたのとは違う。誰かと一緒にいるために闘うから今がある。
チルノは一気に飯をかき込んだ。
「おーおー豪快な食べっぷりだな。こりゃ負けてられないかな。慧音、おかわり」
「お前ら落ち着いて食べろ……」
少ししてチルノの冷気が復活してきた。
「いいか、チルノ。さっきのように冷気を発していない感覚を思い出すんだ」
「うん」
チルノはさっき初めて力を使い果たし、冷気を発しない状態となった。今までは冷気を出すのが普通だと思っていた。その状態がいつもだと思っていた。
しかし違った。冷気を発しない感覚を覚え、それを普通にしたい。大切な友達と、一緒にいるために。
チルノの冷気が少し納まってきた。しかし完全に納めるまでには至らないようだ。ネックレスの玉が少しずつ凍ってくる。
「だめだよ……」
「いや、自分の意志でコントロールできる能力だと分かっただけでも大きい。後は練習あるのみだな。瞑想しながらやるぞ。そこにあぐらをかくんだ」
「分かった」
「暇そうだな。妹紅もやるか?」
「いや私はいいよ……」
「うかうかしてるとこの子に抜かされるぞ? 最近お前は特訓もしないで……」
「ふ、風呂入れてくる」
小言が始まり、妹紅は一目散に退散した。
「まったく……」
しばらくして風呂に入ることとなった。
「お風呂初めて」
「げえ! まじか」
妹紅はチルノの頭を掴んで匂いをかぐ。
「なにすんだよう」
「……なんで匂わないんだ? 妖精だから?」
風呂にはチルノと妹紅が一緒に入ることとなった。チルノだけで入ると風呂の水が凍ってしまうからである。妹紅が共に入ることで常時湯沸し状態にできる。
寝るときも二人は一緒にされた。慧音とチルノの間に妹紅が寝る。チルノの冷気を妹紅の熱気で遮断するためだ。
久しぶりに誰かと寝るので、チルノはしばし呆然として二人を見やった。
「どうした?」
「……あたいと寝て寒くないの?」
「……そういうこと言うやつはこうだ!」
妹紅がチルノを抱きしめた。熱気が発せられ、チルノの冷気を吹き飛ばして暖める。
「うぎゃー! 熱い!」
「ははは! 妖精ごときの冷気でこの藤原妹紅の炎に太刀打ちできると思うな!」
そんな二人を見て、慧音は思わず笑みがこぼれた。
普段はぶっきらぼうな妹紅が、チルノに気を使ってやっているのだ。彼女なりに元気付けようとしているのだろう。
「ほら、明かりを消すぞ」
「おう。おやすみ」
「あ……おやすみ」
その日、チルノはなかなか寝付けなかったという。
次の日から本格的な特訓が始まった。
「これを見てくれ」
昨日の広場で、慧音は二本の木の枝を地面に立てた。
「チルノ、右の枝だけを狙い撃てるか?」
「らくしょーよ」
チルノは冷気の弾幕で右の枝だけを撃ち倒した。
「へへん。どう?」
慧音は左の枝を引き抜いた。それをチルノに見せる。
「よく見てみろ」
見ると、その枝は凍り付いて硬くなっている。
「弾幕に込めたエネルギーが周囲に拡散してしまっているんだ。それを抑えるのも能力をコントロールすることに繋がるな」
「う……分かった」
チルノの特訓は続いた。
昼間は慧音が寺子屋の授業があるので、主に妹紅が面倒を見る。
「ほらもう一回」
「うう……」
昼食は寺子屋の生徒たちと一緒に食べた。
「よーせー、よーせー」
「冷たーい」
「ちょっと、羽触るなあ」
物珍しさに駆られた子供たちにおもちゃにされるチルノ。
「おいおい、そいつは氷の妖精だ。あんまり触ると溶けるぞ」
「えー!?」
「溶けるわけあるかあ!」
「あーもこたん嘘言ったー」
「もこたん言うな」
それからも特訓は続き、夕方には全ての力を使い切り、歩くのもやっとの状態で寺子屋に戻ってくる。
それから瞑想の時間が始まる。
「いいか。冷気を出していない、今の感覚を体に刻み付けるんだ。それが平常になるように体に言い聞かせるわけだ」
「むむむ……」
瞑想の時間が終わると食事を取って風呂に入り、今度は復活してきた冷気を抑える特訓をする。
「ほらほら、玉の水が凍ってきたぞ。もっと抑えるんだ」
「ぬむむむむ……」
そんな日々が続いた。
毎日力を使い切るまでの修行である。辛くないはずがない。しかしチルノは弱音一つ吐かずに精を出す。全ては胸を張ってダイに会いに行くためであった。
それに、誰かと一緒に特訓するのは別に嫌ではない。
そうして特訓を重ねてきて、妹紅は気づいたことがある。
チルノが力を使いきるまでの修行量が増えてきている。
それはチルノの力の絶対量が増していることを表す。
「…………」
チルノと一緒になって訓練する妹紅を見て、慧音は思わず笑みがこぼれるのであった。
そして数週間が過ぎた。季節はいつしか夏へと移っていた。
「チルノ、やってみろ」
頷き、チルノは前方に立つ二本の木の枝を睨む。横並びに配置されているのではない。一本の枝の後ろにもう一本が刺さっている。
チルノは力を練りこみ、叫んだ。
「アイシクルフォール!」
チルノの両サイドから無数の氷弾が発射される。それは寸分たがわず後ろの枝だけを撃ち倒した。
すぐに三人は突き刺さったままの手前の枝に駆け寄る。それは寒さで霜がついていた。
「あ~」
「うう……」
「まあ、随分と上達した。普段の冷気の制御も問題ないしな。本当によく努力したよ、お前は」
「そ、そうかな……」
「ああ、これなら大丈夫だ。卒業だな」
「え……」
慧音はチルノを抱きしめた。
「よく頑張ったな。友達にも胸を張って会えるぞ」
チルノも慧音の背中に手を回した。
「……うん」
それから、チルノは妹紅にも駆け寄って抱きついた。
「おいおい」
困惑気味の妹紅を、慧音は笑顔で促す。
妹紅は照れくさそうに頭を掻き、しかし力強くチルノを抱きしめた。
「また来い。一緒に風呂入ってやる」
「うん」
そしてチルノは竹林の向こうへと消えていった。その胸には、いつも掛けている玉のネックレスが揺れていた。
その様子を見ていた慧音が呟く。
「寂しくなるな」
「……さあな……慧音、それ」
「ん?」
見ると、慧音の服の胸の辺りが濡れている。
「泣いてたんだな」
「ああ。妹紅も」
「……ああ」
妹紅の服も胸の辺りが濡れていた。
「本当に馬鹿な奴だ。また会いに来ればいいのに」
「そうだな。馬鹿だな」
「ん? なんだ、慧音もあいつのこと馬鹿って思ってたんじゃないか」
「ああ。だから、今度からチルノにも生徒として授業を受けてもらわないとな」
「慧音、お前……」
「今度から妖怪やらの人外向けの授業を開こうと思うんだ」
「ああ、竹林には馬鹿な妖怪共も多いしな」
「チルノにも友達ができるだろうし……」
慧音と妹紅は顔を見合わせると、一緒になって薄く笑うのだった。
赤い霧が立ち込めたのはそんなときだった。
「慧音!」
「ああ!」
すぐに慧音がその力により、人里を霧から隔離する。
二人は寺子屋に飛び込んだ。
窓という窓を全て閉め、霧が入ってこないようにする。
「なんだこれ……慧音、分かるか?」
「分からない……しかし、これは有毒だ」
「だな。ちょっと調べてくる」
そう言って、妹紅は外へと出て行った。
「おい、妹紅!」
「大丈夫。私は『不死』だからな」
妹紅は赤い霧が立ち込める中に出ると、思い切り息を吸い込んだ。
「…………んー、確かに有毒だ。普通の人間が吸うと危ないな。でもある程度力のある奴なら大丈夫じゃないか?」
「そうか……チルノが無事だといいが……」
妹紅は家に戻ってきて座り込んだ。
「あいつは大丈夫だろ。強くなったしな」
「ああ、そうだな…………私はここを動けない。博霊の巫女あたりが解決してくれるといいのだが……」
「ま、長引くようなら私が行くさ」
「そのときは頼む。しばらくはここで様子を見よう」
「分かったよ」
二人は、赤い霧で一寸先も見えない外を不審な目で見つめた。
チルノはあの花畑に向かう途中、赤い霧に遭遇した。
「なに、これ……」
吸い込むと、何だか嫌な気分になる。
迷ったが、そのまま花畑に向かうことにした。ダイのことが心配である。もう夜だが、赤い霧で闇さえも遮られていた。
チルノがいなくなってからというもの、ダイはいつも上の空であった。
他の妖精たちとも楽しく遊べない。それどころか、チルノに申し訳なく思った。
私だけ楽しく遊ぶなんておかしい。
チルノの家は知らなかったが、色々と森の生き物に話を聞くうちに、それらしき家は見つけられた。
木を改造して作った小さな家である。
しかしいくら待ってもチルノは現れない。
「どこ行っちゃったの、チルノちゃん……」
私のせいでいなくなったんだ。私がチルノちゃんを傷つけたから……。
ダイはある日、妖精たちと花畑で遊んでいた。以前チルノとも遊んでいた場所だ。
元気の無い表情で王冠を作る。これを掛けたい子は、ここにはいない。
「あっ!」
声をあげた妖精を振り向く。チルノが来たのかと思った。
しかし違った。
赤い霧が立ち込める。
「な、なにこれ!」
「うええ。気持ち悪い」
「早く帰ろう」
「うん、ダイちゃんも早く」
「え……」
ダイはいつもここで日が暮れるまで待っていた。チルノが帰ってきたとき、きっとここに来ると思っていた。
「私はもう少しここにいるよ」
「えー……分かったよう」
赤い霧が野原を覆う中、ダイは一人で待ち続けた。もう夜になっているのかもしれないが、霧のせいで夜かどうかも分からなかった。
「チルノちゃん……」
霧を吸うたびに体力が削られていく。
ダイは王冠を握り締め、そのまま横に倒れた。
「ちょっと大丈夫?」
ダイを助けたのは人間だった。
「う……誰?」
ダイを抱きかかえるのは、見たところ巫女のようだった。なぜか腋が出ている特殊な巫女服を着ているが。
「巫女よ。この異変を起こした奴探してるんだけど知らない?」
ダイは首をふるふると振った。
「ふう……そう。あ、これ。持っといて」
巫女はダイにお札を渡した。
「とりあえずそのお札持っとけば大丈夫だけど、さっさと家に帰るのよ」
「あ……ありがとうございます」
とそこで、巫女は瞬時に上へと飛んだ。
巫女のいたところを氷の弾幕が通過する。
「…………いきなり何するの?」
巫女は襲撃者を睨んだ。それは妖精だった。青いワンピースを着た子供の妖精で、髪も青、羽も青の青尽くしだ。
「チ、チルノちゃん」
吸い込んだ霧の影響であまり声が出ず、ダイが力なく呻く。
「ダイちゃんに何したの!」
「ダイ?……ちょっと何勘違いしてるか分かんないけど……」
「くらえ!」
「これだから妖精は……」
チルノは氷の弾幕を繰り出す。高速で撃ち出されたそれを、巫女は難なく回避する。
弾幕は後ろの木に当たり、五、六本同時になぎ倒した。
それを見た巫女の目が細まる。
「……あんた?」
「え?」
「この霧を作ってるの」
「? 何言ってんの」
「いや……何でもないわよ」
巫女は無属性の弾幕を放つ。
チルノはそれを避けるでもなく、真正面から自分の弾幕で迎え撃った。
「うぐぐ……」
次々と相殺していくが、少しずつ押し込まれている。
なんとか全て打ち消したとき、そこに巫女の姿はなかった。
「面倒ね。さっさと終わらせるわよ…………夢想封印」
チルノに接近していた巫女が呟くと、その体から光り輝く玉が数個放出された。
それは自動でチルノに狙いを定めて襲い掛かる。
「パーフェクトフリーズ!」
チルノも技で迎え撃つ。しかし、
「っ! あたいの技が消される!」
光りの玉に当たると、全ての弾幕が消滅するのだ。
どうやら巫女のほうが格上のようだ。
「うああっ!」
光りの玉が直撃し、チルノはきりもみしながら落下していく。しかしその途中で持ち直す。
「なんのお!」
再び舞い上がったチルノを見て、巫女は呆れたように肩をすくめる。
「はあ……しつこいわねえ」
「くらえ! アイシクルフォール!」
「聞いちゃいないわ……」
チルノの両側から無数の氷弾が発射される。
「むっ」
巫女はそれをぎりぎりで手前に避けた。そして、
「…………何これ」
チルノの目の前まで来て、その位置では全く弾幕が当たらないことに気づいた。
どうやらこれ以上の角度では氷弾で狙えないようだ。
「……安全地帯があるじゃない」
巫女はそのまま弾幕を放った。
「うぐえ」
今度こそチルノは地面に落下した。
「うう……」
「まったく……」
「うう……お前……」
「何?」
「冷たく、ないの?」
「別に」
見ると、巫女の服が凍っている様子もない。寒がってもいない。チルノの弾幕の近くにいたというのに。
「そっか……」
制御できたのだ。自分の力を、完璧に。
「? 負けたのに何満足そうにしてんのよ…………私は行くから。あんたにはお札も必要なさそうね。そこのお友達からちゃんと話聞きなさいよ」
そして巫女は去って行った。その様子を、チルノはどこか嬉しそうに見送っていたのだった。
直後、
「チルノちゃん!」
ダイが勢い良く抱きついてきた。
「うわっ、だ、ダイちゃん」
「バカ! どうしていなくなっちゃったの? ずっと、待ってたのに……」
「う……ご、ごめん………………どうかな」
「え?」
「寒い?」
そういえば。
チルノに抱きついているというのに、別に冷たくなかった。それどころか、人並みのぬくもりまで感じる。
「これ……」
「その……特訓してたんだ。寒くならないように」
「チルノちゃん……」
ダイは目に涙を浮かべてチルノをぎゅっと抱きしめた。
「バカ……」
「ど、どうしてえ?」
「ほんとバカ!」
二人はずっと抱き合っていた。
いつしか霧は晴れ、空には満月が光をたたえる。
それは、いつまでも二人を照らしていたという。
了
ですが一つだけ。妹紅、チルノが凍らせた湯飲みを熱で瞬間的に解凍してしまうとそれだって湯飲みを割ってしまうじゃないか・・・
訓練して次第に力を制御できるようになっていくチルノを見ているのは
とても微笑ましい光景でした。
慧音と妹紅との暮らしも一見家族のような感じがして良いですね。
良いお話でした。
最近質の悪い作品(ともいえないものも)が増えてきたので、こういうのを見るとほっとします。
いい話ですよね
チルノが寺子屋に至るまでとか、ところどころ童話っぽくて好きです。
そんでチルノが全編通して馬鹿可愛い過ぎる……!
いい話でした!
話は綺麗でも東方のSSとしては評価出来ない。
原作通りでなかろうが読んでいて気持ちがいい
今作はSS初投稿となります。普段縦書きで書いているので、これも縦で書いてから横に直した次第です。
困ったのは大妖精に名前が無いことです。話の都合上、どうしても名前を出さないといけなかったので適当につけました。
一応呼び名がダイになるようにしましたが。
チルノが能力を制御していく、ということを書きたかったのですが、ではどうやってそれを習得するのか、と考えたとき、誰かに教えてもらうことを思いつきました。
では教えるといったら寺子屋をやってる慧音かな、ということでチルノが竹林に行くことになります。
竹林で蛍女やら雀女やらが出てきますが、こいつらは消しても良かったな、と今では思います。
心配だったのは、チルノが去った後に野原に取り残されたダイは寒がっていたが無事なのか、死んだんじゃないのか、と読者が疑問に思ってしまう可能性でした。
何の描写も無しに数週間経ってしまいますしね。
チルノが去ったすぐ後に、ダイが無事である描写を入れれば良かったかもしれません。
そして無事能力の制御方法を習得したチルノですが、そのままダイと会ってハッピーエンド、では少々盛り上がりに欠けますし、アイシクルフォールの安全地帯のいきさつを書きたかったので、霊夢との戦闘シーンが追加されます。
ここでも心配だったのは、「霊夢が異変を解決しようとしてるのに、これじゃチルノが悪役じゃん?」と読者が思ってしまうことです。
「妖精は基本的にバカだから猪突猛進で霊夢につっかかっちゃうんだよ。チルノ悪くないよ」みたいなことで納得してもらえたらなあ、などと考えて描写しました。
凍った湯飲みを妹紅が一瞬で解凍しますが、確かに、割れるんじゃない? とは思いました。
でも「魔法の力ですから」とかそこら辺で納得してもらえるかなー、と思い、そのまま書きました。
何か描写を追加すればよかったかもしれませんね。
原作と離れてる、というのは…………サーセンww
ほのぼのしている、というのは積極的に意図したものでは無かったですね。
妹紅と慧音の私生活をイメージしたら自然とこうなりました。
でもそれが良いと言われて良かったです。
もうじき二作目もできあがるので、良ければ読んでいただけると幸いです。
あれはいいものだ
\最高/