*ご注意*
このお話は
作品集63「星熊勇儀の鬼退治」
作品集64「エンゲージ~続・星熊勇儀の鬼退治~」
の流れを引き継いでおります。
家に帰れなくなった。
いや、別に家がなくなったとかそういうわけじゃない。
寝煙草で火事だーとか地震で倒壊したーとかがあったわけではない。
いっそそっちの方が諦めがついた。
居づらいのだ、家に。家主なのに。
「……家主なのに……」
あ、やばい。ちょっと涙出た。
ノーカウントノーカウント。誰にも見られてないからノーカウント。
幸いここは地上と地下を結ぶ竪穴。誰も居ない。はず。
「…………」
不安になって見回してみる。
……うん。クモは居ないな。
用心のために出しておいた鬼神級スペルカードをしまう。
それより……これからどうしよう。
行く当てはないし、帰ろうにも帰れないし……
このままここに居てはいずれ見つかってしまう。
家を出るときまだ大いびきかいて寝てたからまだ時間はあるだろうけれど。
「はぁ……地上にでも逃げてしまおうかしら」
それは存外魅力的な案に思えた。
地上に出てしまえばひとまず『あいつ』と距離が置ける。
考える時間ができる。
もう色褪せてしまったけれど――かつては焦がれた陽の光を目にすることができる……
ならば迷うことは無い。行ってしまえ。
とは思えなかった。
行くのは簡単だ。行ってしまえばそうそう見つからない。しばらく気楽に過ごせる。
でも……あいつが、泣かないだろうか。
自分がなにかしたと思いこんで、嘆かないだろうか。
想像する。
帰らない私を探すあいつの顔を。
多分、あいつは泣かない。涙は流さない。
でも、心で泣く。子供のように泣く。
泣く寸前の顔で、その顔のままで、いつまでも私を探し続けるんだ。
胸が、痛い。
あいつのそんな顔、想像するだけで……心が、痛い。
――外れない鎖が穴の底まで伸びているのを幻視する。
鎖の先にはあいつが居て、その鎖は掴まれていて。
私がいくら遠ざかろうがあいつに捕まったままで。
鎖に縛られた私にはもう自由など残ってなくて。
私は、もう逃げ道など失っていて――
……嫌なことを考えてしまった。
別に、私は心底逃げたいとは思っていない。
別に、あいつはそこまで私を束縛してはいない。
ただ、私が……どうしてもあいつを…………
「……帰ろ」
目を覚ましたときに私が居なければ、それだけでうろたえるだろうし――
「あら」
突然、現れた。
「はじめまして、お嬢さん」
「……は、はじめまして……?」
優雅な挨拶に思わず応える。
……どこから現れた? 警戒は怠っていなかった。
いつでもスペルを撃てるように心構えだけはとっていた。
なのに、なんの物音も気配も無く――突然、現れた。
「なんか、どこかであなたの声を聞いたような気がするのだけど」
「思い違いではなくて? 私はあなたを知らないわ」
……それは、事実かもしれない。
見たこともないほどに美しい金糸の髪。深い深い底さえ知れない紫の瞳。
大陸を思わせるが国籍不明の道士服。こんな穴の中でなんの意味があるのかわからない日傘。
ここまで個性的な妖怪、一度見たら忘れるはずはない。
しかし……なにか、ひっかかる。
なにか、よくわからない妖怪だ。
強いような弱いような、ものすごく強いようなただの人間以下のような。
判断が一切できない。
見た覚えがないからといって、出会ってないとは言い切れないような気さえしてくる。
それに……私が、何故か妬めない。
妬もうと思えば妬めるはず。なのに、妬むべき個所が定まらない。
存在自体が霞がかっているような――違和感。
「あなたは……地上の妖怪?」
「そのとおり。地底と地上の行き来ができると聞いたので地底見物に来ました」
……胡散臭い。
何故か、信用してはならない気がする。
その言葉が額面通りの意味だとしても、その裏が幾つあるのかわからない。
探ろうとしてもかわされてる……錯覚?
「それより、どうしたのかしらお嬢さん。こんなところで蹲って。
具合が悪いのでしたら腕はいいけど微塵も信用できない医者を紹介しますわ」
「え、遠慮するわ」
うん。信用できない。信用してはならない。そんな医者紹介されてたまるか。
「それなら、どうしたのかしらお嬢さん。具合が悪いのでもないのに蹲って」
「う、ぬ」
……答え難いことをずけずけと訊いてくるやつだ。
そう簡単に口にできれば私はこんなところで蹲ってはいない。
「……それは、その」
「困りごと? なら相談に乗りましょう」
「へ?」
「知り合いに話すよりは気軽でしょう?」
……一理、ある。知り合いだからこそ話せないことなんて山ほどある。
行きずりの他人だから話せることがある。
あいつだから話せないことがある。
その、あいつに話せないことが――今、私が立ち向かっている難問だ。
「そうね……それじゃあ、相談に乗ってもらおうかしら」
どんな気紛れだったのか、たった一理で私の口は開いていた。
「酔っぱらいが、家に住みついちゃって」
「あらそれは大変」
相槌が軽いが、気にせず進める。
「なんていうか……強いんだけど、どこか脆いやつだから、追い出すわけにもいかなくて」
「矛盾ねぇ」
「一応承諾は求められたんだけど、うろたえてる内に押し切られちゃって」
「あら強引」
「いっしょに酒を飲んだり、食事したり、話し合ったりして。
とにかく、私といっしょに居ようとして。でも私、そういうのに慣れてないから」
「嫌なのかしら?」
相槌ではなく、質問が飛び出した。
「押しかけられて、好意をひたすらに向けられて。嫌なのかしら?」
また……答え難い。
「嫌っていうか――」
言葉に出来ない。
思考だけが渦巻いていて、誰かに伝えられるような言葉にならない。
「……困ってるのよ。どうしたらいいか、わからなくて」
だから、口から溢れるのは胡乱な言葉。
「好きになればなるほど……わからないことが多くなって。困って――不安で」
「それで、逃げだしてきた」
ぐさりと、言葉が突き刺さる。
胡乱さなど微塵も無い断定。
情け容赦なく事実が言葉にされる。
「向けられる好意が怖くて、先のことが信じられなくて。
でも拒絶もできなくて、追ってきてくれるのを期待して。
こんなところで蹲ってる」
理解する。
前に会ったことがあるような気がしたのは、似ているから。
「素直に甘えることができないから、逃げだした」
勇儀に、似ているんだ。
底が見えない在り方。
飄々としているようでその実揺るがぬ心。
それらは圧倒的な、私の想像も及ばない強さ。
この女は――あの鬼と同じくらいに遠くの存在。
女が、微笑む。
「あなた、私の好きな人に似ているわ」
優雅な手つきで、顔を撫でられる。
「人の好意に鈍感で、臆病で、そのくせさびしがり屋」
病的に白くて、長い指が、私の髪を梳く。
「とてもかわいいわね」
既視感。
いつか、あの鬼にこんなことをされた。
なのに、私の体はあのときのように動かなくて。
射竦められたように動かなくて。
女の顔が近づいてくる――
「このまま地上に連れ去ってしまおうかしら」
じゃらりと、マフラーの下の鎖が鳴った。
「――あら。鬼の匂い」
僅かに、柳眉が歪むのが見えた。
じゃり、と石を踏む足音。
振り返ればそこに、金の髪を広げた鬼の姿。
「え……勇儀……?」
追ってきて、くれたんだ。
一瞬、ほっとして。
彼女の眼を見て凍りつく。
「その子は、私のモノだよ八雲殿」
まずい。
まずいまずい……っ!
まずいまずいまずい――!
あの眼は、あの時の、本気で狂った時の……っ!
「ちょ、勇儀……!?」
――目に見えるほどの妖気。
物質化したかと思うほどに、明確に尖る殺意。
怒っている。怒り狂っている。
勇儀が。
鬼が。
「な、なんで……!?」
わからない。
わからないわからない……!
何故勇儀はここまで怒っているの!? 起きた時に私が居なかったから!?
まさか、勇儀はそんなに狭量ではない。
じゃあ、まさか、もしかして。
振り返り、女の顔を見上げる。
状況がわかってないのか、にこにこしている。
……私はさっきまで、ほとんど抱かれるように密着されてて、顔を撫でられてて……
くちづけでもするかのように顔を寄せられてて――
「ちちちち、違うのよ勇儀! この人はただ相談に乗ってくれただけでっ!」
浮気を疑われるなんてとんでもない!
私はそんな尻の軽い女じゃないわっ!
「パルスィ。退きな」
き、聞いてない……っ!
殺気が、ちっとも薄れないで、どんどん濃密に、凝り固まっていく……っ!
――私が首を絞められたときなんか比べ物にならないっ!
「に、逃げて!」
「あらあら」
「冗談じゃないのよっ! 見ればわかるでしょっ!? あいつ、鬼なのよ!
正真正銘最強の妖怪なのよっ! しかも怒ってる! 殺されるわっ!」
「私を庇ってこんなに必死に。本当にかわいいですわ」
なにを呑気な……っ!
私が喋れるのは殺意が私に向けられていないからだ。
あの恐怖が、この女にだけ向けられているからだ。
固まらずにいられるのはその余裕に過ぎない。
言うなれば死罪が決まり磔台に引きずられてる最中。それを傍観しているのが私。
なのに、何故この女はこうも我関せずと言わんばかりににこにこと。
「そいつから離れなパルスィ」
いっそう死の気配が強まる。
怒鳴ってこそいないが、その怒気は余波だけで震えが来る。
「は、離れたら殺す気でしょ!?」
いくらなんでも勘違いで殺させるわけにはいかない。
「あぁ、こんなにも私を守ってくれようと……本当に地上に連れ去ってしまいたい」
火に油どころか火薬をぶち込まないでーっ!!
なんで勘違いを助長させるようなことを狙っているみたいに言うのよ!?
あああああ。勇儀の指がみしりとか音たててる……!
あんなのに掴まれたら潰れる前に抉り取られる……っ。
「いい子だから――私の言うことを聞いておくれ」
諭すような口調が怖い。
抑え難い怒りをぎりぎりのラインで押し留めているみたいで。
「本当にこの子が大事なんですわね――鬼のあなたが」
背後の、女の気配が変わる。そう思った瞬間。
「え」
畳まれた日傘が、私の首に当たっていた。
「パルスィっ!」
勇儀が踏み出しかけ、止まる。
あれ? なにこれ。
なんかまるで、私が人質に取られてるみたいな。
「なんたる僥倖。鬼に対してここまで有効なカードを捕まえられるなんて」
いつの間にか背中に密着されて、肩まで掴まれてる。
え? なんで? もしかして悪人だったの?
あ。頭に大きな胸が当たってる。妬ましい。
「――八雲……っ」
忌々しげに歯噛みする勇儀が見える。
え? ……え?
ちょっと、待ってよ。話に、ついていけない。
……あれ? 妬める。あの女を妬める。
霞がかってない。明確な姿を認識できる。
まさか、この、嫉妬の橋姫である私に対して、警戒心をなくさせるようになにかを散らしていた?
ますますわからなくなる。
どうやったらそんなことができるのか。
どうしてそんなことをしたのか。
「……私と勝負しろ八雲のっ! 私が勝てばパルスィを放せっ!!」
怒号。
もう勇儀は怒りを抑えてなどいない。
びりびりと、この縦穴自体が揺れるほどの怒りを放っている。
なのに。
「いいでしょう」
女は変わらずにこにこしたまま承諾した。
「ですが。山の四天王、力の勇儀殿と無造作に戦っては地下の天井が崩れてしまう。ここはひとつ」
私の肩から手を離し、カードを取り出す。
「スペルカードルールで」
……勇儀を、知っている? なら、何故こんな自殺行為を?
「いいだろう」
「何枚で来ますか?」
「――8枚」
「剣呑剣呑。どうやら叩きのめしたいご様子。
では、私も8枚で」
女が笑みを深くするのを気配で察し。
「では人質にはご退場願いましょう」
なにか思う前に私は闇に呑まれていた。
「パルスィーっ!!」
「見ておきなさい。あなたへの想いの形というものを」
なにもかもが見えなくなる瞬間。
勇儀の叫びと。
女の囁きが聞こえた気がした。
「あだっ!」
奈落の底に落ちるような気がしたのに、あまりにも早く尻もちをついた。
それなりに痛いが、覚悟したほど落下時間は長くなかったので大したことはない。
痛いけど。
「あたたた……」
……っていうかここはどこ?
暗いけど、なんかチカチカした光が見えるし……チカチカ? 弾幕っ!?
光の方に走る。飛ぶことも忘れて走る。
勇儀は……勇儀とあの得体の知れない女はどうなって……!?
「空餌「狂躁高速飛行物体」」
「枷符「咎人の外さぬ枷」」
勝負はもう始まっていた。
目を焦がす高密度弾幕の応酬。
どういう原理か、私が覗く窓のようなものからは音も光もまるで縦穴の中に居るかのように入ってくる。
「私の恋路を邪魔する奴は――馬の前に私が潰すっ!!」
勇儀がさらなるスペルを開放する。
私も見たことのない、強大なスペル。
煌びやかで、力強くて、全てを圧殺するかのような美しい凶器。
「ふふふ、恐ろしいほどの弾幕密度。なら――外力「無限の超高速飛行体」――」
目にも映らぬ速度の弾幕がそれを押し返す。
弾幕で弾幕を相殺している。
だが、非力。
勇儀のスペルの強大さは女のスペルを消し去り――女は回避に入る。
「さすがは鬼、さすがは星熊勇儀。
表面上は怒り狂っていながら裏では私の真意を探っている。
八雲紫を探っている。
だけど」
今度は女の番。
「あなたに教えることなど一つもありはしませんわ」
勇儀に匹敵するほどに強大なスペルを放った。
弾幕結界と聞こえたそれは、先ほどの焼き直し。攻守交替。
勇儀のスペルが呑み込まれ、勇儀が回避に専念することになる。
体が震える。
あれは、なんだ。
縦穴を埋め尽くさんばかりの弾幕密度。あの鬼に。あの勇儀に匹敵する妖力。
私は――なにと話をしていたんだ。
「――あっ!」
勇儀に迫る凶弾。
回避不能と思われたそれを。
「――ぉおおおおおおおおおおおっ!!!」
スペルの発動を以て相殺した。
あれは、見たことがある。
技よりも美麗さよりも、ただただ全てを押し流し圧倒する力のみのスペル――「大江山颪」。
……女の言葉が思い出される。
『見ておきなさい。あなたへの想いの形というものを』
スペルがイコール心だとは思わないけれど――確かに、心の形の一部なのかもしれない。
なら、荒れ狂うような勇儀の弾幕は……今の心情を如実に表しているのかもしれない。
……まっすぐな、弾幕。
あれが、勇儀の想いの形なら――それが、今までのことに重なるなら――私は。
「あ」
勇儀のスペルが消える。
緊急回避的に発動したからか、持続時間が切れたのか。弾幕結界に呑み込まれる。
だが、勇儀自身それで局面を変えれると思ってなかったのかすぐに回避を再開する。
悪く言えば大雑把なあの攻撃では、文字通り弾幕の結界を打ち破るには足りなかった。
「もう一押し――拝借「紫色百万鬼夜行」」
なのに、女は畳みかける。
「そのスペル……!」
勇儀が顔を歪める。牙を剥く。
「巫山戯るなあああああぁぁっ!!!」
一喝。発動したのは四天王奥義「三歩必殺」。
一瞬で、女の弾幕は掻き消された。
「あらあら」
女は余裕の態度を崩さない。
「まさか一発で消されるなんて」
しかし、弾幕を放つことなく勇儀から距離を取る。
勇儀の怒気は治まらない。
さらに詰め寄ろうとし――
「これでは私の負けですね」
その眼の前に私が放り出された。
「なっ!?」
「え?」
「約束通りお返ししますわ」
あのわけのわからない空間に落とされた時と同じように、勇儀の目の前に出た。
……本当になにをされているのかわからない。
「どういうつもりだ、八雲の」
「あなたは」
女は勇儀の言葉を遮る。
「私を知ろうとする前にもっと己と己の近くを知りなさいな」
なにか思うところがあったのか勇儀は黙り込む。
「さて、怖い怖い鬼が本気を出さぬうちに尻尾を巻いて逃げましょう。
――では御機嫌よう」
最後まで得体の知れないところを見せ続けて、女は退場した。
空間に切れ目が入り、そこからすとんと落ちるように消えてしまった。
私も……あんな風に消されていたのだろうか?
「言い忘れましたわ」
「うひゃあっ!?」
「心に隙間が残ってない者に興味はありません。
あなたの大事なお姫様に手を出すつもりはないので……
ご安心を。星熊童子殿」
私の目の前に、逆さまに首だけ出して、今度こそ消えた。
数分後。
私は正座させられていた。
痛いと言ったら勇儀の膝の上に置かれた。
……うん。痛くないし支えられてるから思ったより不安定じゃないんだけど。
「……恥ずかしい……」
どういう状況なんだこれは。
もう正座じゃなくなってるし。っていうか足が落ちて跨ってるし。
「こら。私の話を聞きなさい」
怒られた。
顔が間近だから迫力もあるんだろうけれど、羞恥心の方が先に立って怖くない。
「あの……反省するから。私が悪かったから、おろして」
こんなの誰かに見られたら羞恥死できる。
だけど、今の私にはわからないけれど、本気で怒ってるらしい勇儀は聞いてくれない。
「あれが何者かわかっているのかパルスィ」
「誰って……地上の妖怪としか……」
自己紹介も一切無しだったし。
つっこんだ話になる前に勇儀が来たし……
いや、今思えばあのままじゃなにされてたかわかったもんじゃないから来てくれて助かったのか。
「大妖怪だっ! この国でも指折りの大妖怪八雲紫っ!
かつては妖怪の軍団を率いたこともある大物だっ!!」
……まぁ、言われて納得である。
勇儀と渡り合った力といい、得体の知れなさといい。それくらいじゃなきゃ納得できない。
そういえば勇儀が何度か八雲と呼んでいた。
でもまだ実感が湧かない。「八雲紫」という妖怪を知らないからだろうか。
「ぜんっぜん信用ならん奴だ! 故に危険だから逃げろと言ったんだ!」
勇儀の怒りは治まらないのかこの密着状態で叫び続ける。
「だ、だだだだってあの人私の相談に乗ってくれたし、いい人みたいな気がしたしっ」
子供のいいわけにもなってないと自分でも思ったけど、意外にも勇儀はそれで引き下がる。
しかし、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ん……それは、まぁ……今回に限ればそうかもしれん、が」
何か詰まったような物言い。
自分に言い聞かせてるような。
「……認めるのは癪だが、八雲殿の言うことも一理ある、ね」
言って、逸らした目を私に戻す。
ただ、私を見つめてる。
「……「紫色」か。あんな欠陥スペルまで使って諭されては……」
視線が落ちる。
「真正面からの……力押し、か」
なにを、見ているのだろう。
思い耽るようで――なにかを、見ている。
それがなにかはわからないけれど、勇儀は、真剣にそれを見つめて、考え込んでいる。
苦しそうだな、と感じた。
彼女は、なにか……自分を痛めつけるように、なにかを見つめている。
「すまないパルスィ」
突然謝られる。
私がなにか言うより先に、彼女の言葉が遮る。
「おまえが受け入れてくれたことが嬉しくて、おまえと共にあれることが嬉しくて……
私は浮かれていた。おまえの都合も考えずに……家に押しかけて」
――そうか、勇儀は。
「私は、成長しないなぁ」
苦笑が、痛い。
だから――私は口を開く。
「謝ってばかりね」
本当に成長しないわね、と続ける。
勇儀の顔が曇るけど、気にしない。
「自分で勝手に完結して、私の気持ちは聞いてくれない」
ぱしっと、勇儀の顔を両手で挟む。
視線を逸らせないように。私を見るように。
「らしくないわ」
驚いている彼女の顔が小気味いい。
「そんなにしょぼくれてるのは勇儀じゃないわ」
「ぱ、パルスィ?」
「もっと傲慢で我儘で我が道を往くのがあなたでしょ。……まぁ、限度はあるけど」
「……そうだな。これからは気をつける」
苦笑したままで。
「おまえが楽しくなければ私も楽しくない。おまえが笑ってなければ私も笑えない」
そんなことを言う。
思わず、平手打ちしていた。
意外と大きな音がして縦穴中に響く。
「……え?」
きょとんとしてる。なんで叩かれたのか理解してない顔。
「この馬鹿鬼」
引っ叩いた頬を思い切りつねる。
「ぱ、ぱるひゅい、ひはい」
「黙れ」
「ひゃい」
「なに偉そうに自分を殺す宣言してるのよあなたは。勇儀らしさを殺して、それで私が惚れたままだと思ってるの」
「ひぇ、ひぇも」
「黙れ。口を開くな。泣き言を言うな。私の話を聞け」
「ひゃい」
「私が惚れたのは、あなたらしいあなたなのよ。まっすぐで、小細工を知らなくて、すぐ迷って、結局力押し」
ああ腹が立つ。
「私は弱いわ。だからたまには逃げるし泣くかもしれない。だからって。
だからってそれでもう終わりだなんて思われるのは心外にも程があるのよっ!!」
私を守ることばかり考えて、自分のことは微塵も考えない馬鹿に腹が立つ。
「私は弱い! 覚悟も足りない! だけど毎回毎回取り返しがつかないほどに傷ついたりしない!!
一人で背負うなっ! 私から逃げるなっ!! 星熊勇儀っ!!」
だから、あなたはあなたのままでいなさいよ。
手を離す。
勇儀はぽかんとしたままで、痛むだろう頬をさすることもしない。
「…………ふ」
体が揺れる。
勇儀の体が揺れてるから。
「は、はっはっはっはっは! そうか。いっしょに、背負ってくれるか。
いっしょに、考えてくれるか。いっしょに……生きてくれるか」
痛いぐらいに抱き締められる。
……うん。
いっしょに生きるから。いっしょに学ぼう。
私が、痛いって言ってあげるから。だから一人で悩まないでよ。
「あなただけのせいじゃ、ないんだから」
頷くのが肩に伝わる。
「……鬼の私が、捕まったんじゃ笑い話だな」
「プライドが許さなくても、逃がさないわ」
「パルスィが逃げたら……私が捕まえるよ。何度でも。何度でも、捕まえる」
「……ん」
「私は、私らしく――パルスィを愛するよ」
「……うん」
これからも、障害は多いんだろう。辛いんだろう。
「私も……頑張るから。勇儀が好きだから」
逃げないなんて言いきれない。弱音を吐かないなんて誓えない。
「ああ。私もだ」
でも、勇儀が捕まえてくれる。勇儀が居るから、平気と言える。
だから、これからもずっと――
「逃がさないんだから」
このお話は
作品集63「星熊勇儀の鬼退治」
作品集64「エンゲージ~続・星熊勇儀の鬼退治~」
の流れを引き継いでおります。
家に帰れなくなった。
いや、別に家がなくなったとかそういうわけじゃない。
寝煙草で火事だーとか地震で倒壊したーとかがあったわけではない。
いっそそっちの方が諦めがついた。
居づらいのだ、家に。家主なのに。
「……家主なのに……」
あ、やばい。ちょっと涙出た。
ノーカウントノーカウント。誰にも見られてないからノーカウント。
幸いここは地上と地下を結ぶ竪穴。誰も居ない。はず。
「…………」
不安になって見回してみる。
……うん。クモは居ないな。
用心のために出しておいた鬼神級スペルカードをしまう。
それより……これからどうしよう。
行く当てはないし、帰ろうにも帰れないし……
このままここに居てはいずれ見つかってしまう。
家を出るときまだ大いびきかいて寝てたからまだ時間はあるだろうけれど。
「はぁ……地上にでも逃げてしまおうかしら」
それは存外魅力的な案に思えた。
地上に出てしまえばひとまず『あいつ』と距離が置ける。
考える時間ができる。
もう色褪せてしまったけれど――かつては焦がれた陽の光を目にすることができる……
ならば迷うことは無い。行ってしまえ。
とは思えなかった。
行くのは簡単だ。行ってしまえばそうそう見つからない。しばらく気楽に過ごせる。
でも……あいつが、泣かないだろうか。
自分がなにかしたと思いこんで、嘆かないだろうか。
想像する。
帰らない私を探すあいつの顔を。
多分、あいつは泣かない。涙は流さない。
でも、心で泣く。子供のように泣く。
泣く寸前の顔で、その顔のままで、いつまでも私を探し続けるんだ。
胸が、痛い。
あいつのそんな顔、想像するだけで……心が、痛い。
――外れない鎖が穴の底まで伸びているのを幻視する。
鎖の先にはあいつが居て、その鎖は掴まれていて。
私がいくら遠ざかろうがあいつに捕まったままで。
鎖に縛られた私にはもう自由など残ってなくて。
私は、もう逃げ道など失っていて――
……嫌なことを考えてしまった。
別に、私は心底逃げたいとは思っていない。
別に、あいつはそこまで私を束縛してはいない。
ただ、私が……どうしてもあいつを…………
「……帰ろ」
目を覚ましたときに私が居なければ、それだけでうろたえるだろうし――
「あら」
突然、現れた。
「はじめまして、お嬢さん」
「……は、はじめまして……?」
優雅な挨拶に思わず応える。
……どこから現れた? 警戒は怠っていなかった。
いつでもスペルを撃てるように心構えだけはとっていた。
なのに、なんの物音も気配も無く――突然、現れた。
「なんか、どこかであなたの声を聞いたような気がするのだけど」
「思い違いではなくて? 私はあなたを知らないわ」
……それは、事実かもしれない。
見たこともないほどに美しい金糸の髪。深い深い底さえ知れない紫の瞳。
大陸を思わせるが国籍不明の道士服。こんな穴の中でなんの意味があるのかわからない日傘。
ここまで個性的な妖怪、一度見たら忘れるはずはない。
しかし……なにか、ひっかかる。
なにか、よくわからない妖怪だ。
強いような弱いような、ものすごく強いようなただの人間以下のような。
判断が一切できない。
見た覚えがないからといって、出会ってないとは言い切れないような気さえしてくる。
それに……私が、何故か妬めない。
妬もうと思えば妬めるはず。なのに、妬むべき個所が定まらない。
存在自体が霞がかっているような――違和感。
「あなたは……地上の妖怪?」
「そのとおり。地底と地上の行き来ができると聞いたので地底見物に来ました」
……胡散臭い。
何故か、信用してはならない気がする。
その言葉が額面通りの意味だとしても、その裏が幾つあるのかわからない。
探ろうとしてもかわされてる……錯覚?
「それより、どうしたのかしらお嬢さん。こんなところで蹲って。
具合が悪いのでしたら腕はいいけど微塵も信用できない医者を紹介しますわ」
「え、遠慮するわ」
うん。信用できない。信用してはならない。そんな医者紹介されてたまるか。
「それなら、どうしたのかしらお嬢さん。具合が悪いのでもないのに蹲って」
「う、ぬ」
……答え難いことをずけずけと訊いてくるやつだ。
そう簡単に口にできれば私はこんなところで蹲ってはいない。
「……それは、その」
「困りごと? なら相談に乗りましょう」
「へ?」
「知り合いに話すよりは気軽でしょう?」
……一理、ある。知り合いだからこそ話せないことなんて山ほどある。
行きずりの他人だから話せることがある。
あいつだから話せないことがある。
その、あいつに話せないことが――今、私が立ち向かっている難問だ。
「そうね……それじゃあ、相談に乗ってもらおうかしら」
どんな気紛れだったのか、たった一理で私の口は開いていた。
「酔っぱらいが、家に住みついちゃって」
「あらそれは大変」
相槌が軽いが、気にせず進める。
「なんていうか……強いんだけど、どこか脆いやつだから、追い出すわけにもいかなくて」
「矛盾ねぇ」
「一応承諾は求められたんだけど、うろたえてる内に押し切られちゃって」
「あら強引」
「いっしょに酒を飲んだり、食事したり、話し合ったりして。
とにかく、私といっしょに居ようとして。でも私、そういうのに慣れてないから」
「嫌なのかしら?」
相槌ではなく、質問が飛び出した。
「押しかけられて、好意をひたすらに向けられて。嫌なのかしら?」
また……答え難い。
「嫌っていうか――」
言葉に出来ない。
思考だけが渦巻いていて、誰かに伝えられるような言葉にならない。
「……困ってるのよ。どうしたらいいか、わからなくて」
だから、口から溢れるのは胡乱な言葉。
「好きになればなるほど……わからないことが多くなって。困って――不安で」
「それで、逃げだしてきた」
ぐさりと、言葉が突き刺さる。
胡乱さなど微塵も無い断定。
情け容赦なく事実が言葉にされる。
「向けられる好意が怖くて、先のことが信じられなくて。
でも拒絶もできなくて、追ってきてくれるのを期待して。
こんなところで蹲ってる」
理解する。
前に会ったことがあるような気がしたのは、似ているから。
「素直に甘えることができないから、逃げだした」
勇儀に、似ているんだ。
底が見えない在り方。
飄々としているようでその実揺るがぬ心。
それらは圧倒的な、私の想像も及ばない強さ。
この女は――あの鬼と同じくらいに遠くの存在。
女が、微笑む。
「あなた、私の好きな人に似ているわ」
優雅な手つきで、顔を撫でられる。
「人の好意に鈍感で、臆病で、そのくせさびしがり屋」
病的に白くて、長い指が、私の髪を梳く。
「とてもかわいいわね」
既視感。
いつか、あの鬼にこんなことをされた。
なのに、私の体はあのときのように動かなくて。
射竦められたように動かなくて。
女の顔が近づいてくる――
「このまま地上に連れ去ってしまおうかしら」
じゃらりと、マフラーの下の鎖が鳴った。
「――あら。鬼の匂い」
僅かに、柳眉が歪むのが見えた。
じゃり、と石を踏む足音。
振り返ればそこに、金の髪を広げた鬼の姿。
「え……勇儀……?」
追ってきて、くれたんだ。
一瞬、ほっとして。
彼女の眼を見て凍りつく。
「その子は、私のモノだよ八雲殿」
まずい。
まずいまずい……っ!
まずいまずいまずい――!
あの眼は、あの時の、本気で狂った時の……っ!
「ちょ、勇儀……!?」
――目に見えるほどの妖気。
物質化したかと思うほどに、明確に尖る殺意。
怒っている。怒り狂っている。
勇儀が。
鬼が。
「な、なんで……!?」
わからない。
わからないわからない……!
何故勇儀はここまで怒っているの!? 起きた時に私が居なかったから!?
まさか、勇儀はそんなに狭量ではない。
じゃあ、まさか、もしかして。
振り返り、女の顔を見上げる。
状況がわかってないのか、にこにこしている。
……私はさっきまで、ほとんど抱かれるように密着されてて、顔を撫でられてて……
くちづけでもするかのように顔を寄せられてて――
「ちちちち、違うのよ勇儀! この人はただ相談に乗ってくれただけでっ!」
浮気を疑われるなんてとんでもない!
私はそんな尻の軽い女じゃないわっ!
「パルスィ。退きな」
き、聞いてない……っ!
殺気が、ちっとも薄れないで、どんどん濃密に、凝り固まっていく……っ!
――私が首を絞められたときなんか比べ物にならないっ!
「に、逃げて!」
「あらあら」
「冗談じゃないのよっ! 見ればわかるでしょっ!? あいつ、鬼なのよ!
正真正銘最強の妖怪なのよっ! しかも怒ってる! 殺されるわっ!」
「私を庇ってこんなに必死に。本当にかわいいですわ」
なにを呑気な……っ!
私が喋れるのは殺意が私に向けられていないからだ。
あの恐怖が、この女にだけ向けられているからだ。
固まらずにいられるのはその余裕に過ぎない。
言うなれば死罪が決まり磔台に引きずられてる最中。それを傍観しているのが私。
なのに、何故この女はこうも我関せずと言わんばかりににこにこと。
「そいつから離れなパルスィ」
いっそう死の気配が強まる。
怒鳴ってこそいないが、その怒気は余波だけで震えが来る。
「は、離れたら殺す気でしょ!?」
いくらなんでも勘違いで殺させるわけにはいかない。
「あぁ、こんなにも私を守ってくれようと……本当に地上に連れ去ってしまいたい」
火に油どころか火薬をぶち込まないでーっ!!
なんで勘違いを助長させるようなことを狙っているみたいに言うのよ!?
あああああ。勇儀の指がみしりとか音たててる……!
あんなのに掴まれたら潰れる前に抉り取られる……っ。
「いい子だから――私の言うことを聞いておくれ」
諭すような口調が怖い。
抑え難い怒りをぎりぎりのラインで押し留めているみたいで。
「本当にこの子が大事なんですわね――鬼のあなたが」
背後の、女の気配が変わる。そう思った瞬間。
「え」
畳まれた日傘が、私の首に当たっていた。
「パルスィっ!」
勇儀が踏み出しかけ、止まる。
あれ? なにこれ。
なんかまるで、私が人質に取られてるみたいな。
「なんたる僥倖。鬼に対してここまで有効なカードを捕まえられるなんて」
いつの間にか背中に密着されて、肩まで掴まれてる。
え? なんで? もしかして悪人だったの?
あ。頭に大きな胸が当たってる。妬ましい。
「――八雲……っ」
忌々しげに歯噛みする勇儀が見える。
え? ……え?
ちょっと、待ってよ。話に、ついていけない。
……あれ? 妬める。あの女を妬める。
霞がかってない。明確な姿を認識できる。
まさか、この、嫉妬の橋姫である私に対して、警戒心をなくさせるようになにかを散らしていた?
ますますわからなくなる。
どうやったらそんなことができるのか。
どうしてそんなことをしたのか。
「……私と勝負しろ八雲のっ! 私が勝てばパルスィを放せっ!!」
怒号。
もう勇儀は怒りを抑えてなどいない。
びりびりと、この縦穴自体が揺れるほどの怒りを放っている。
なのに。
「いいでしょう」
女は変わらずにこにこしたまま承諾した。
「ですが。山の四天王、力の勇儀殿と無造作に戦っては地下の天井が崩れてしまう。ここはひとつ」
私の肩から手を離し、カードを取り出す。
「スペルカードルールで」
……勇儀を、知っている? なら、何故こんな自殺行為を?
「いいだろう」
「何枚で来ますか?」
「――8枚」
「剣呑剣呑。どうやら叩きのめしたいご様子。
では、私も8枚で」
女が笑みを深くするのを気配で察し。
「では人質にはご退場願いましょう」
なにか思う前に私は闇に呑まれていた。
「パルスィーっ!!」
「見ておきなさい。あなたへの想いの形というものを」
なにもかもが見えなくなる瞬間。
勇儀の叫びと。
女の囁きが聞こえた気がした。
「あだっ!」
奈落の底に落ちるような気がしたのに、あまりにも早く尻もちをついた。
それなりに痛いが、覚悟したほど落下時間は長くなかったので大したことはない。
痛いけど。
「あたたた……」
……っていうかここはどこ?
暗いけど、なんかチカチカした光が見えるし……チカチカ? 弾幕っ!?
光の方に走る。飛ぶことも忘れて走る。
勇儀は……勇儀とあの得体の知れない女はどうなって……!?
「空餌「狂躁高速飛行物体」」
「枷符「咎人の外さぬ枷」」
勝負はもう始まっていた。
目を焦がす高密度弾幕の応酬。
どういう原理か、私が覗く窓のようなものからは音も光もまるで縦穴の中に居るかのように入ってくる。
「私の恋路を邪魔する奴は――馬の前に私が潰すっ!!」
勇儀がさらなるスペルを開放する。
私も見たことのない、強大なスペル。
煌びやかで、力強くて、全てを圧殺するかのような美しい凶器。
「ふふふ、恐ろしいほどの弾幕密度。なら――外力「無限の超高速飛行体」――」
目にも映らぬ速度の弾幕がそれを押し返す。
弾幕で弾幕を相殺している。
だが、非力。
勇儀のスペルの強大さは女のスペルを消し去り――女は回避に入る。
「さすがは鬼、さすがは星熊勇儀。
表面上は怒り狂っていながら裏では私の真意を探っている。
八雲紫を探っている。
だけど」
今度は女の番。
「あなたに教えることなど一つもありはしませんわ」
勇儀に匹敵するほどに強大なスペルを放った。
弾幕結界と聞こえたそれは、先ほどの焼き直し。攻守交替。
勇儀のスペルが呑み込まれ、勇儀が回避に専念することになる。
体が震える。
あれは、なんだ。
縦穴を埋め尽くさんばかりの弾幕密度。あの鬼に。あの勇儀に匹敵する妖力。
私は――なにと話をしていたんだ。
「――あっ!」
勇儀に迫る凶弾。
回避不能と思われたそれを。
「――ぉおおおおおおおおおおおっ!!!」
スペルの発動を以て相殺した。
あれは、見たことがある。
技よりも美麗さよりも、ただただ全てを押し流し圧倒する力のみのスペル――「大江山颪」。
……女の言葉が思い出される。
『見ておきなさい。あなたへの想いの形というものを』
スペルがイコール心だとは思わないけれど――確かに、心の形の一部なのかもしれない。
なら、荒れ狂うような勇儀の弾幕は……今の心情を如実に表しているのかもしれない。
……まっすぐな、弾幕。
あれが、勇儀の想いの形なら――それが、今までのことに重なるなら――私は。
「あ」
勇儀のスペルが消える。
緊急回避的に発動したからか、持続時間が切れたのか。弾幕結界に呑み込まれる。
だが、勇儀自身それで局面を変えれると思ってなかったのかすぐに回避を再開する。
悪く言えば大雑把なあの攻撃では、文字通り弾幕の結界を打ち破るには足りなかった。
「もう一押し――拝借「紫色百万鬼夜行」」
なのに、女は畳みかける。
「そのスペル……!」
勇儀が顔を歪める。牙を剥く。
「巫山戯るなあああああぁぁっ!!!」
一喝。発動したのは四天王奥義「三歩必殺」。
一瞬で、女の弾幕は掻き消された。
「あらあら」
女は余裕の態度を崩さない。
「まさか一発で消されるなんて」
しかし、弾幕を放つことなく勇儀から距離を取る。
勇儀の怒気は治まらない。
さらに詰め寄ろうとし――
「これでは私の負けですね」
その眼の前に私が放り出された。
「なっ!?」
「え?」
「約束通りお返ししますわ」
あのわけのわからない空間に落とされた時と同じように、勇儀の目の前に出た。
……本当になにをされているのかわからない。
「どういうつもりだ、八雲の」
「あなたは」
女は勇儀の言葉を遮る。
「私を知ろうとする前にもっと己と己の近くを知りなさいな」
なにか思うところがあったのか勇儀は黙り込む。
「さて、怖い怖い鬼が本気を出さぬうちに尻尾を巻いて逃げましょう。
――では御機嫌よう」
最後まで得体の知れないところを見せ続けて、女は退場した。
空間に切れ目が入り、そこからすとんと落ちるように消えてしまった。
私も……あんな風に消されていたのだろうか?
「言い忘れましたわ」
「うひゃあっ!?」
「心に隙間が残ってない者に興味はありません。
あなたの大事なお姫様に手を出すつもりはないので……
ご安心を。星熊童子殿」
私の目の前に、逆さまに首だけ出して、今度こそ消えた。
数分後。
私は正座させられていた。
痛いと言ったら勇儀の膝の上に置かれた。
……うん。痛くないし支えられてるから思ったより不安定じゃないんだけど。
「……恥ずかしい……」
どういう状況なんだこれは。
もう正座じゃなくなってるし。っていうか足が落ちて跨ってるし。
「こら。私の話を聞きなさい」
怒られた。
顔が間近だから迫力もあるんだろうけれど、羞恥心の方が先に立って怖くない。
「あの……反省するから。私が悪かったから、おろして」
こんなの誰かに見られたら羞恥死できる。
だけど、今の私にはわからないけれど、本気で怒ってるらしい勇儀は聞いてくれない。
「あれが何者かわかっているのかパルスィ」
「誰って……地上の妖怪としか……」
自己紹介も一切無しだったし。
つっこんだ話になる前に勇儀が来たし……
いや、今思えばあのままじゃなにされてたかわかったもんじゃないから来てくれて助かったのか。
「大妖怪だっ! この国でも指折りの大妖怪八雲紫っ!
かつては妖怪の軍団を率いたこともある大物だっ!!」
……まぁ、言われて納得である。
勇儀と渡り合った力といい、得体の知れなさといい。それくらいじゃなきゃ納得できない。
そういえば勇儀が何度か八雲と呼んでいた。
でもまだ実感が湧かない。「八雲紫」という妖怪を知らないからだろうか。
「ぜんっぜん信用ならん奴だ! 故に危険だから逃げろと言ったんだ!」
勇儀の怒りは治まらないのかこの密着状態で叫び続ける。
「だ、だだだだってあの人私の相談に乗ってくれたし、いい人みたいな気がしたしっ」
子供のいいわけにもなってないと自分でも思ったけど、意外にも勇儀はそれで引き下がる。
しかし、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ん……それは、まぁ……今回に限ればそうかもしれん、が」
何か詰まったような物言い。
自分に言い聞かせてるような。
「……認めるのは癪だが、八雲殿の言うことも一理ある、ね」
言って、逸らした目を私に戻す。
ただ、私を見つめてる。
「……「紫色」か。あんな欠陥スペルまで使って諭されては……」
視線が落ちる。
「真正面からの……力押し、か」
なにを、見ているのだろう。
思い耽るようで――なにかを、見ている。
それがなにかはわからないけれど、勇儀は、真剣にそれを見つめて、考え込んでいる。
苦しそうだな、と感じた。
彼女は、なにか……自分を痛めつけるように、なにかを見つめている。
「すまないパルスィ」
突然謝られる。
私がなにか言うより先に、彼女の言葉が遮る。
「おまえが受け入れてくれたことが嬉しくて、おまえと共にあれることが嬉しくて……
私は浮かれていた。おまえの都合も考えずに……家に押しかけて」
――そうか、勇儀は。
「私は、成長しないなぁ」
苦笑が、痛い。
だから――私は口を開く。
「謝ってばかりね」
本当に成長しないわね、と続ける。
勇儀の顔が曇るけど、気にしない。
「自分で勝手に完結して、私の気持ちは聞いてくれない」
ぱしっと、勇儀の顔を両手で挟む。
視線を逸らせないように。私を見るように。
「らしくないわ」
驚いている彼女の顔が小気味いい。
「そんなにしょぼくれてるのは勇儀じゃないわ」
「ぱ、パルスィ?」
「もっと傲慢で我儘で我が道を往くのがあなたでしょ。……まぁ、限度はあるけど」
「……そうだな。これからは気をつける」
苦笑したままで。
「おまえが楽しくなければ私も楽しくない。おまえが笑ってなければ私も笑えない」
そんなことを言う。
思わず、平手打ちしていた。
意外と大きな音がして縦穴中に響く。
「……え?」
きょとんとしてる。なんで叩かれたのか理解してない顔。
「この馬鹿鬼」
引っ叩いた頬を思い切りつねる。
「ぱ、ぱるひゅい、ひはい」
「黙れ」
「ひゃい」
「なに偉そうに自分を殺す宣言してるのよあなたは。勇儀らしさを殺して、それで私が惚れたままだと思ってるの」
「ひぇ、ひぇも」
「黙れ。口を開くな。泣き言を言うな。私の話を聞け」
「ひゃい」
「私が惚れたのは、あなたらしいあなたなのよ。まっすぐで、小細工を知らなくて、すぐ迷って、結局力押し」
ああ腹が立つ。
「私は弱いわ。だからたまには逃げるし泣くかもしれない。だからって。
だからってそれでもう終わりだなんて思われるのは心外にも程があるのよっ!!」
私を守ることばかり考えて、自分のことは微塵も考えない馬鹿に腹が立つ。
「私は弱い! 覚悟も足りない! だけど毎回毎回取り返しがつかないほどに傷ついたりしない!!
一人で背負うなっ! 私から逃げるなっ!! 星熊勇儀っ!!」
だから、あなたはあなたのままでいなさいよ。
手を離す。
勇儀はぽかんとしたままで、痛むだろう頬をさすることもしない。
「…………ふ」
体が揺れる。
勇儀の体が揺れてるから。
「は、はっはっはっはっは! そうか。いっしょに、背負ってくれるか。
いっしょに、考えてくれるか。いっしょに……生きてくれるか」
痛いぐらいに抱き締められる。
……うん。
いっしょに生きるから。いっしょに学ぼう。
私が、痛いって言ってあげるから。だから一人で悩まないでよ。
「あなただけのせいじゃ、ないんだから」
頷くのが肩に伝わる。
「……鬼の私が、捕まったんじゃ笑い話だな」
「プライドが許さなくても、逃がさないわ」
「パルスィが逃げたら……私が捕まえるよ。何度でも。何度でも、捕まえる」
「……ん」
「私は、私らしく――パルスィを愛するよ」
「……うん」
これからも、障害は多いんだろう。辛いんだろう。
「私も……頑張るから。勇儀が好きだから」
逃げないなんて言いきれない。弱音を吐かないなんて誓えない。
「ああ。私もだ」
でも、勇儀が捕まえてくれる。勇儀が居るから、平気と言える。
だから、これからもずっと――
「逃がさないんだから」
勇儀とパルスィが更に進展して良い感じに。
紫様の使い方もとても上手いですね。
あの二人の絆はもっともっと深まって欲しいですね。
面白かったです。
これからも猫井様のスタイルを貫き通して、頑張って下さい。
もう自分の中ではマリアリばりのジャスティスカップルになりましたYO
自重せずどんどん続けて下さい!
スペルカードルールを始めるシーンが個人的に良かったです。
なんだかんだでいい夫婦になったなぁ。ゆーぎとぱるしー。
そして「ひゃい」とか言ってる勇儀に不覚にも(ry
でもこういう事っていっぱいあるよね、好きになって貰う為に自分を殺す事。
必要なのは己を曲げる事でも曲げない事でもなく、ただ伝える事。 GJでした。
ゆかりんグッジョブでした!
段々仲が進展してきましたね。
あるのなら続きも楽しみです~♪
よだれが垂れそうなグッド勇パルでした
地霊ではこの二人大好きだ
責任とってこれからも良い勇パルを書いてくださいお願いします。
これからの作品も楽しみにしています。
パルスィも勇儀も真っ直ぐな感じで