くしゅん、と一つ、相方がくしゃみをした。
《幕間》
「鈴仙、スカートをたくしあげて……!」
永遠亭の主の部屋で、当の主とそのペット二羽が火鉢に寄り添い語らっていると、どたどたとその従者が乱暴に襖を開けて乱入
し、鬼気迫る表情でそう告げる。
従者――八意永琳の髪は乱れ、愛用の帽子も外れており、肩で息までをしている状態だ。
平時において冷静沈着、深謀遠慮を旨とする彼女のそのような様は、部屋にいる三名を驚かせるに十分だった。
名を呼ばれた兎――鈴仙・優曇華院・イナバは口に放り込んでいた蜜柑を喉に詰まらせる程。
そこから、三者三様の言動を返す。
右斜め横に座るもう一羽の兎――因幡てゐに背を摩られ、漸く平静を取り戻し、己が師でもある永琳の、その突飛な言葉の真意
を探った。
鈴仙は永琳の言動、頭脳、容姿、全てに憧れの念を抱いている。
であるからして、時折飛び出てくる己が師の不可解な言葉にも須らく意味があるものと感じていた。
(師匠があんなに急いできたんだから、大事な事だよね、きっと)
(あ、もしかして、私が気付いていないだけで、太腿辺りに腫瘍とかできちゃってるのかな……)
(んー……でも、そんなのできてないよね……?)
正座をしていた足を崩し撫でながら、月兎は首を傾げた――「師匠、何もできてませ――」
鈴仙の背に手を伸ばし、彼女が落ち着くように気遣ったてゐは、そうしながらも月の頭脳の正気を疑った。
とは言え、彼女も永琳の、鈴仙――と言うよりは、永遠亭の住人――に対する深い愛情は知っている。
時に異常とも思えるが、それは一種の行き過ぎた愛情表現、スキンシップの表れだ。
(『鈴仙』って呼んだんだよねぇ……)
(あの永い夜にだって、鈴仙の前じゃ『うどんげ』だったらしいのに)
(ってことは、普通じゃないよね、今。ほんとに鈴仙の体に何かあった……?)
月兎の伸ばされた足を横目でちらりと見た後、地兎は訝しみながら顔をあげた――「永琳、鈴仙の足、どうかし――!?」
素直な兎と優しい兎に微笑みを浮かべ、しかし、その主――蓬莱山輝夜は刹那の時間で表情を変えた。
彼女は永琳と言う存在の全てを知っている。
永琳が、彼女の手の平にあり続けている事を理解している。
だから、誰よりも、永琳の言葉の意味を解っていた。
「この寒い季節に! 頭の春度高めているんじゃない!」
つまり、誰よりも早く言葉を発し、瞬時に右手を振りあげ弾幕まで放つ――「神宝‘ブディストダイアモンド‘っ!」
「ん?」
「たのっ?」
「びびんばー!?」
順に、鈴仙、てゐ、永琳。
――永琳は平時において冷静沈着、深謀遠慮を旨としている。けれど、幸か不幸か、永遠亭での大概の時間は、彼女にとって平
時ではなかった。
「違うんです、姫。違うんです」
つんとする輝夜の後ろに膝立ちで陣取り、永琳は両手をあげて弁明する。
あからさまに情けない姿だったが、弾幕による傷跡が既にふさがっている辺り、カリスマと実力とは比例しないのだろう。
尤も、対面の鈴仙にすれば、永琳がそのような動作をしていても、彼女への尊敬の念は一向に薄れなかったが。
輝夜は永琳を無視し続ける。
「姫、リリーがくしゃみをしたんです!」
けれど、唐突に出てきた春告精の名に反応を返した。
「リリー? リリー・ホワイト? 永琳、今は冬よ?」
「あぁ姫! 漸く私の愛に振りかえってくれたのですね!?」
「――のっ、返事をしただけで抱きついてこないでっ!」
迫りくる愛情に拳をもって対応する。輝夜なりのスキンシップだ。
物理的な介入により目的の遂行を妨げられた永琳は、何時もの如く地に伏した。
「あ、聞いた事あります。冬に唐突な行いをするのは、『リリーがくしゃみをした』からだって」
代わりに答えたのは鈴仙。敬愛する主に解答を示せるのが嬉しいのか、耳がぴんと立てられている。
「リリーには迷惑な言い方ね。大体、冬に春告精ってだけで十分突飛な事の例えじゃない?」
「え、あぅ、そう……ですかね……」
「鈴仙、姫様、怒ってるわけじゃないから。純粋に疑問に思ってるだけだから」
ですよね、と視線を向けるてゐに、苦笑しながら頷く輝夜。
笑う主を見て、鈴仙の耳が又、ぴんとなり揺れる。
単純な思考の月兎に内心微苦笑しながら、地兎は彼女が話しやすいようにと会話を振った。
「例えなんてそんなもんだと思いますよ。他にも季節ごとにあったよね、鈴仙?」
「うんっ、夏に実りがあると『秋姉妹の早起き』で、秋に切ない事があると『レティの溜息』って」
「それぞれ前倒しになっているのね。……あら、春は?」
鈴仙の話を楽しそうに聞き頷いていたが、ふと疑問に思い、輝夜は首を傾げて問う。
問われた鈴仙も、はてと耳を垂らして考えた――なんだったっけ?
「『風見幽香の微笑み』、あり得ない事の例え、だったんですけどね。幽香は、春にゃ機嫌が宜しくないと言われていたんで」
「わ、てゐ、物知りだね。凄い凄い」
「……鈴仙が駄目なだけだよ。一緒に聞いてたじゃん」
「まぁまぁ、月因幡、むくれないで頂戴。――最後の、どうして過去形なの?」
「『微笑み』があり得ない事じゃないらしいんで。尤も、私も屋台で聞いただけなんで、あやふやですが」
火鉢がぱちぱちと音を上げた。三名は何時までも和やかに話を続ける。
――予定だった。
「でも、姫様の言うとおり、他のも不思議な言い方だよね。夏に実りって、西瓜とかかな?」
何気ない鈴仙の言葉に、てゐは蜜柑を詰まらせ、輝夜が凍った。
先程のお返しと、噎せるてゐの背を摩る鈴仙の疑問に応えたのは、平時彼女に智を授けるモノ。
今しがたまで地に沈んでいた、永琳であった。
「別の言い方をすると、一夏のアバンチュールねっ」
永琳、喜色満面。
「……『実り』――結果なんだから、原因を現すソレは違うんじゃないかな」
「……いいえ、因幡。永琳が断定しているという事は、そういう意味も含まれるのでしょう。でもその顔は止めなさい」
「ふふふ、つい嬉し恥ずかしな言葉に好々爺ならぬ好々婆めいた笑みを浮かべてしまいますわ」
どちらかと言うと、辞書の刺激的な単語に赤線を引っ張る十四五の少年の笑顔であった。
ぐふぐふと笑う彼女の袖を、膝立ちで進んできた鈴仙が控えめに引く。
「えと、師匠、あばんちゅーるって、何ですか?」
火鉢により頬には赤みが差し、会話に取り残され曲げられている眉、そして、背丈の差により見上げる瞳。
「不倫は文化ぁぁああ熱い!?」
「私だって、熱い」
「そりゃ姫様、灰を直取りしたら熱いですよ……」
月姫の突っ込みは時として通常の域を容易に飛び越える。
「違うんです、姫。違うんです。リリーがくしゃみをしたんです」
「貴女、春になるまでずっと、春告精にくしゃみをさせ続けるつもり?」
「まだ結構ありますよね。リリー、性質の悪い風邪を引いてないといいけれど」
月兎は何処までも天然だった。
「いや、ほら、ありませんか?」
「……碌でもない事しか考えてなさそうだけど。何がよ?」
「時々無性にうどんげのおっぱいが揉みたくなったり。揺れるてゐのスカートを捲りたくなったり」
月の頭脳は殊更真面目な表情であり、その言葉には真意もへったくれもない。むき出しの感情だ。
――びきり、と火鉢にひびが入る。或いは、空間にであろうか。
「え、あれ、地震?」
「や、確かに震えたけど、多分違うとっ」
「姫様、何故お怒りに!? あ、お名前を挙げなかったから!?」
「鈴仙、てゐ。出ていきなさい」
輝夜の声は、澄んでいた。鋭利な刃物の刀身の様に。
「わ、わ、わ、姫様、物凄く怒ってる!?」
「いいから行くよ、鈴仙! ひ、姫、ほどほどに!」
「てゐ、普段は私に素っ気ないけど、心配してくれるのね。ふふ、嬉しいわ」
部屋から逃げ出す二羽を見送り、残った月の主従は真っ直ぐに向かい合う。
「さて。いい訳があるのなら、今のうちに言いなさい」
主の全身から放たれる『力』をその身に浴びつつも、逃げるどころか包み込むような笑顔で、従者は応えた――。
「リリーがくしゃみなどせずとも、私は常日頃から姫様の袴に潜り込みたいと思っておりますわ」
――永遠亭どころか、迷いの竹林全域に震動が伝わった。
《幕間》
風邪でも引いた?――問うと、小さく笑いながら、彼女は首を横に振る。
何故笑うのだろう。疑問に感じた事が顔に出ていたのか、答えはすぐに返ってきた。
貴女が余りにも真剣な表情で聞くから、と。
私はそんな顔をしていたのか。
考えていると、また、彼女が一つくしゃみをした。
《幕間》
洩矢諏訪子は、季節の割に暖かな午後を、己が神社の縁側で、きな粉餅をほうばりながら過ごしていた。
彼女は本来、餅をきな粉に付けるよりも醤油に付けて食す方が好みだ。
今日の是はこの神社のもう一柱である八坂神奈子の趣向。
(酒好きなのに、甘いのが好きなんだよね)
口に放り込む度、微かな粉がその周りから頬に付着する。
聊か煩わしくあったが、毎回毎回拭うのもまた煩わしい。
どうせ是で最後だし、と皿に乗せられた殊更大きな餅に手を伸ばす。
「食べ終わったぁ?」
手からぴっぴっと水滴を弾き、神奈子が台所の方から出てくる。
自分の皿を洗い終えたんだろうと諏訪子は予測をつけ、返事をした。
「もぉふぁー」
己が半身とも言える諏訪子の品のなさに、神奈子は顔を顰める。
(どっちもどっちでしょ)
そう思いはしたが、口を開いても出てくるのは粉と餅だけなので、諏訪子は言い返さなかった。
彼女達の気が緩んでいるのは、彼女達に仕える風祝――東風谷早苗が外出している為。
勿論、普段から気難しい顔ばかりをしている訳ではないが、ここまでだらけた姿はそうそうに見せられない。
諏訪子はともかく、神奈子にとって、早苗の信仰とはなくてはならないものだから。
「あぁ……」
神奈子から唐突に零れる溜息に、諏訪子は視線を向ける。艶めかしいと感じしてしまった自分に苦笑しながら。
「早苗とちゅっちゅしたい……」
「ごふっけふっ、いきなり何を言い出すかこのばーたれ!」
「……はっ!? あ、いや、ほら、リリーがね。くしゃみをね? 何、あんたはしたくないのか!?」
「責任を押し付けるな、逆切れするな! いや、私だってしたいけど!」
ぎゃーぎゃーと喚きあう二柱。早苗がこの場にいなくて良かったと思うのはどちらであろうか。
ったく、と言葉を切り、諏訪子は傍らに置かれた盆から茶碗を掴み、口につけ茶を嚥下する。
淹れた時は湯気が立ち上っていた筈だが、今はもうぬる過ぎると舌が文句をあげた。
口中に残った粉と茶が混じり合い、甘みと苦みがブレンドされて胃に落ちていく。
秋のとある日を境に、早苗はよく外出するようになった。
とは言え、二柱を蔑にする訳ではなく、夜にはちゃんと戻ってきて三名で食卓を囲む。
けれど、神社に諏訪子と神奈子だけ、という状況が増えたのも事実だ。
(水入らずっちゃ水入らずなんだよねぇ……)
ぼぅとする頭に、そんな言葉が思い浮かぶ。
年頃の子どもに友達ができて家に残される夫婦の様。
是では、何処にでもある家庭の一幕と同じじゃないか。
諏訪子は、口元のきな粉を拭い、低く微苦笑を零した。
と。
「……え?」
頬に、湿っぽく柔らかい感触。
「ん? どうかした?」
声は、すぐ近くから聞こえた。
「どうか……って、神奈子、今、その」
「んぁ、頬にきな粉が残ってたからね。手で拭おうにも、水分ついてるから気持ち悪くなっちゃうだろうし」
「……それで、舐めたと?」
あぁ、と頷く神奈子。舌を舐めずり、微かに残る甘さを楽しんでいる。
「――こりゃまた、似合わない動作をどうも」
「……はっ? 私、もしかして凄い恥ずかしい事してた!? リリーがくしゃみをしたからよって似合わないってどういう事!?」
年、容姿、普段の行い、と自ら『似合わない』原因をあげ連ねる神奈子に、諏訪子は何も答えない。
(くしゃみねぇ……春告精に風邪を引いてもらうにゃ、どうすればいいかね)
――神奈子から見えないよう、諏訪子は俯いて愛用の帽子を深く被り、火照る頬を隠した。
《幕間》
一度ならず二度までも。
鼻を摩る相方に、私は手を伸ばした。
彼女の額に触れ、驚いた。
随分と熱い。
その旨を伝えると、彼女はまた笑って言った――貴女の手が、冷たいから。
なるほど、道理――くしゅん――だが、やっぱり風邪を引いているんじゃないか、ちょっと、こら、逃げるな。
《幕間》
森近霖之助は、額に手を当て天を仰ぎ、眼前にいる霧雨魔理沙に問うた。
「……魔理沙。いいかい、落ち着いてくれ。落ち着いて、自分が何を言ったのか、何をしようとしているのか、考えてくれ」
言葉を向けられた魔理沙は、しかし、困惑する。
彼女は彼を幼い頃より知っていた。
彼が、大抵の事には驚かず、淡々と物事を受け止める性格だと知っていた。
だから、斯様な彼の態度は珍しく、数瞬の間、驚きで反応を返せない。
口を開いたのは、一分ほど経ってからだった。
「いや、待てよ、香霖。私は単に其処にある毛糸を買うって言っただけなんだが」
「そう、その通りだ。しかも、あろう事か、手には財布まで握られている」
「――物凄く普通な流れじゃないかしら? 違うの?」
最後の質問は、今まで店の商品を眺めていた、アリス・マーガトロイド。
「そうだ、酷いぜ、香霖。私が珍しく此処で買い物をするって言っているのに」
「……そんなだから、あぁいう反応を返されるんじゃないかしら」
「お前も酷いぜ……」
頬をむくれさせる魔理沙を、アリスは苦笑しながら宥めた。
魔理沙の言い分も、尤もだろう。
彼女の言の通り、今回に関してのみは彼女に非はない。
余計な事は云わず、さっさと受け取った方がいいのでは――そう、魔理沙とアリスは考えた。
霖之助から追加情報を聞くまでは。
「――も、なんだ……」
魔理沙は耳を疑った。
アリスは目を見開いた。
霖之助は、それでも果敢に、はっきりと告げた。
「君達の少し前に来てね。霊夢も、商品を購入していったんだ……!」
「う、嘘をつくな、香霖! あいつが!? 馬鹿な!」
「そ、それもどうかと思うけど! 確かに、此処の被害だけなら、魔理沙より霊夢の方が上よね!?」
「そう、そうなんだよ、フタリとも。片方なら僕も笑おう。今日はいい日だ、と胸に刻もう。だが、二人同日に、なんて……!」
彼の目は語っていた。
これは異変だ、と。
幻想郷始まって以来の未曾有の大異変だ、と。
元凶は英雄二人であり、解決すべき手段は、ない。
「僕は、恐ろしい……っ」
「……や、咲夜も妖夢もいるし。早苗だって弾幕張れるし。香霖、な、元気出せよ?」
「と言うか、そもそも、お金を払うのは当然よね。借りていくにしても、褒められたものじゃないわよ、魔理沙?」
「むぐっ、お前が口うるさく言うから、ちゃんと購入しようとしてるんだろう!」
少女フタリの軽口の言い合いに、漸く平静を取り戻したのか、霖之助は普段の表情に戻った。
「――ふむ、なるほど。霊夢の方はわからないけれど、魔理沙の方はそれが原因か」
「……? 『それ』って、私のお説教の事かしら?」
「恐らくだけど、その先だね」
顔に疑問符を張り付けるアリスに霖之助はくすくすと笑い、当の魔理沙を見やった。
魔理沙は、眼前のやり取りにわたわたと両手を振りあげ焦っている。
その様子だと首を縦に振っているのも同じだよ――開きかけた口を閉じたのは、霖之助なりの気遣いだった。
身内とも言える霖之助に心情を見抜かれた魔理沙は、顔を真っ赤にして捨て台詞を吐き、香霖堂を後にする。
「り、リリーがくしゃみをしたんだよ! それだけ! 香霖、金は置いていくからな、ふんっ」
彼女と共にやってきたアリスは残された形になり、ぽかんと口をあけ、悪態を吐く。
「あ、こら、魔理沙、言いたい事だけ言って出ていかないでよ!」
「なに、何時もの事さ。君も……いや、君に一つ頼みがあるんだが」
「まぁ、そうですけど。――頼みとは?」
魔理沙により勢いよく開かれた扉は鈍い音を立てて軋む。
「して当然で別に褒めるような事じゃないんだが、魔理沙にとっては当然じゃなかった」
「……つまり?」
「僕の代わりに、君があいつを褒めてやってくれないかい?」
外から風が吹き込んでくる。肌に触れるソレは冷たかったが、アリスには気持ち良く感じられた。
「呆れた」
「甘いかな?」
「過ぎるわ。それと、もう一つ。鈍感呼ばわりされてるのに、魔理沙の事には敏いのね」
見当違いの可愛らしい焼き餅に低く笑い、霖之助は応える。
「歳の離れた妹みたいなものだからね。彼女の事なら大概わかる、かな」
「……魔理沙は極稀に甘える時、小猫みたいに体をすり寄らせてくる」
「その癖、まだ抜けていなかったのかい? 変わらんな、あの子は」
「……そういう時は、普段からは想像もできない位、素直になる」
「ほう、そうだったのかい。――君にしては珍しく、絡んでくるね」
笑いながら指摘され、頬を朱に染めるアリス。確かに彼の言うとおりだ。
「……リリーがくしゃみをしたんでしょう。頼み事、わかったわ。……ありがとう」
言うが早いか、彼女は浮き上がり、彼女の小猫を追うために飛んで行った。
風が入り込む。その匂いを甘いと感じたのは、己の所為か、彼女達の所為か。
ともかく、と霖之助は立ち上がる。
「頼んだのは確かに一つだったけどね。扉を閉めるのも頼まなきゃいけなかったかな」
《幕間》
後ろから両肩を掴んでひっくり返した時、またもくしゅっ、と相方は鼻を鳴らした。
じたばたと逃れようとする彼女を抑えつけ、私は、少し悩んでから覆いかぶさる。
こつん、と小さな音が、私達の小さな部屋に響いた。
部位が同じであれば、正確に測れるはずだ。
熱い、気がする。
私の心配を知ってか知らずか、彼女は何故か嬉しそうだった。
――貴女が、こんな事をするなんて思わないもの。
私は顔を赤くして、そっぽを向いて応えた。
――君が、くしゃみをしたから、ら、くちゅっ!
《幕間》
「違うの、藍、違うのよ、リリーがくしゃ」
「式神‘憑依荼吉尼天‘んんんっ!」
「りびんらびたろーかぁぁぁ!?」
八雲藍は、襲い来る魔手に力を振るった。
魔手とは五本の指であり、その持ち主は驚異的な指技を藍に用いようとしていたのだ。
尻尾の付け根をわきわきと狙う相手に、藍は全力で持って抵抗した。
目的は自衛であり、それは彼女の主である八雲紫も望む事、つまり主に等しい力が今、藍には宿っている。
「ふ、ふふ……藍、強く、なったわね……おねしょをしていた二本尻尾、二本尻尾の頃が」
「二本を強調しないでください! 超人‘飛翔役小角‘ぅぅぅ!」
「橙は今、してないものねーあがががががっ、がっ……ふ……」
最強の妖怪、沈む。割と沈んでばっかりだが。
両手を交互に軽く打ち合わせ、全く、と小さく呟いた後。
藍はふと、自身の式に思いを馳せた。
浮かぶのは、笑顔の橙。
(リリーのくしゃみ、ではないけれど。あの子は風邪を引いていないだろうか)
気になりだすと止まらない。心配すると言う事はそういうものだ。
(ふむ……偶には、マヨヒガの方で一晩を過ごすか)
偶にはも何も、週に三度は通っている藍であった。それでも彼女的には我慢しているようだが。
(よし、そうと決まれば飛んで行こう)
(待っていろよ、橙)
(今行くぞ、橙)
「ふふ、橙、私の尻尾は温かいぞぉ! お前が裸であったとしても風邪など引かせるものかっ!」
何時の間にか、彼女の頭の中の橙は生まれたままの姿で凍えていた。いろいろ危険だ。
「貴女にも、リリーのくしゃみが聞こえていると思うのだけれど、ね」
藍が隙間からいなくなった後、紫は至極まっとうな事を苦笑と共に呟いた。
その笑みは柔らかく優しく、慈愛に満ちたものであり、普段の彼女の印象を吹き飛ばす。
惜しむらくは、誰も見ていない事か。
――それとも、誰も見ていない故に、紫はそう笑んだのか。それは、彼女にしか解らない。
《幕間》
くしゅんっ――私と彼女は、同時に大きく鼻を鳴らした。
私はともかく、彼女は是でもう数度目だ。
風邪を疑うなと言う方が可笑しい。
ベッドで寝なさい、と肩を軽く叩き、催促する。
すると、彼女は首を横に振り、拒否した。
どうして、と尋ねる。
貴女も一緒に、と返ってきた。
……彼女は、私に風邪をうつすつもりだろうか。
怪訝な思いは表情に出ていたのだろう。
彼女はくすりと笑み、体を向き合わせ、額を当ててきた。
やはり、彼女の方が熱いと思う。
何故か頬に添えられた両手は、ひんやりとしていたが。
一瞬後、私の額は、顔は、体は、彼女と同等かそれ以上に熱くなった。
額をくっつけたまま、彼女は口を開く。
――ほら、貴女の体温も、熱い。
私の事なんてどうでもいい、それよりも。
――今のは、その、ねぇ、君、ずるくない?
口がうまく回らない。当たり前だ。一瞬とは言え、塞がれていたのだから。
――だって。
微笑む彼女。今は、私だけの白い春。
――貴女も、くしゃみをしたんですもの。ね、リリーブラック。
冬のとある日、誰かが何処かで何時か言う――リリーがくしゃみをしたのだ、と。
妄想のいい訳か、はたまた、照れ隠しの為か。
そんな事は一切合財関係なく――。
――春夏秋冬、三百六十五日、春告精達はくしゃみをする事になった。
<了>
《幕間》
「鈴仙、スカートをたくしあげて……!」
永遠亭の主の部屋で、当の主とそのペット二羽が火鉢に寄り添い語らっていると、どたどたとその従者が乱暴に襖を開けて乱入
し、鬼気迫る表情でそう告げる。
従者――八意永琳の髪は乱れ、愛用の帽子も外れており、肩で息までをしている状態だ。
平時において冷静沈着、深謀遠慮を旨とする彼女のそのような様は、部屋にいる三名を驚かせるに十分だった。
名を呼ばれた兎――鈴仙・優曇華院・イナバは口に放り込んでいた蜜柑を喉に詰まらせる程。
そこから、三者三様の言動を返す。
右斜め横に座るもう一羽の兎――因幡てゐに背を摩られ、漸く平静を取り戻し、己が師でもある永琳の、その突飛な言葉の真意
を探った。
鈴仙は永琳の言動、頭脳、容姿、全てに憧れの念を抱いている。
であるからして、時折飛び出てくる己が師の不可解な言葉にも須らく意味があるものと感じていた。
(師匠があんなに急いできたんだから、大事な事だよね、きっと)
(あ、もしかして、私が気付いていないだけで、太腿辺りに腫瘍とかできちゃってるのかな……)
(んー……でも、そんなのできてないよね……?)
正座をしていた足を崩し撫でながら、月兎は首を傾げた――「師匠、何もできてませ――」
鈴仙の背に手を伸ばし、彼女が落ち着くように気遣ったてゐは、そうしながらも月の頭脳の正気を疑った。
とは言え、彼女も永琳の、鈴仙――と言うよりは、永遠亭の住人――に対する深い愛情は知っている。
時に異常とも思えるが、それは一種の行き過ぎた愛情表現、スキンシップの表れだ。
(『鈴仙』って呼んだんだよねぇ……)
(あの永い夜にだって、鈴仙の前じゃ『うどんげ』だったらしいのに)
(ってことは、普通じゃないよね、今。ほんとに鈴仙の体に何かあった……?)
月兎の伸ばされた足を横目でちらりと見た後、地兎は訝しみながら顔をあげた――「永琳、鈴仙の足、どうかし――!?」
素直な兎と優しい兎に微笑みを浮かべ、しかし、その主――蓬莱山輝夜は刹那の時間で表情を変えた。
彼女は永琳と言う存在の全てを知っている。
永琳が、彼女の手の平にあり続けている事を理解している。
だから、誰よりも、永琳の言葉の意味を解っていた。
「この寒い季節に! 頭の春度高めているんじゃない!」
つまり、誰よりも早く言葉を発し、瞬時に右手を振りあげ弾幕まで放つ――「神宝‘ブディストダイアモンド‘っ!」
「ん?」
「たのっ?」
「びびんばー!?」
順に、鈴仙、てゐ、永琳。
――永琳は平時において冷静沈着、深謀遠慮を旨としている。けれど、幸か不幸か、永遠亭での大概の時間は、彼女にとって平
時ではなかった。
「違うんです、姫。違うんです」
つんとする輝夜の後ろに膝立ちで陣取り、永琳は両手をあげて弁明する。
あからさまに情けない姿だったが、弾幕による傷跡が既にふさがっている辺り、カリスマと実力とは比例しないのだろう。
尤も、対面の鈴仙にすれば、永琳がそのような動作をしていても、彼女への尊敬の念は一向に薄れなかったが。
輝夜は永琳を無視し続ける。
「姫、リリーがくしゃみをしたんです!」
けれど、唐突に出てきた春告精の名に反応を返した。
「リリー? リリー・ホワイト? 永琳、今は冬よ?」
「あぁ姫! 漸く私の愛に振りかえってくれたのですね!?」
「――のっ、返事をしただけで抱きついてこないでっ!」
迫りくる愛情に拳をもって対応する。輝夜なりのスキンシップだ。
物理的な介入により目的の遂行を妨げられた永琳は、何時もの如く地に伏した。
「あ、聞いた事あります。冬に唐突な行いをするのは、『リリーがくしゃみをした』からだって」
代わりに答えたのは鈴仙。敬愛する主に解答を示せるのが嬉しいのか、耳がぴんと立てられている。
「リリーには迷惑な言い方ね。大体、冬に春告精ってだけで十分突飛な事の例えじゃない?」
「え、あぅ、そう……ですかね……」
「鈴仙、姫様、怒ってるわけじゃないから。純粋に疑問に思ってるだけだから」
ですよね、と視線を向けるてゐに、苦笑しながら頷く輝夜。
笑う主を見て、鈴仙の耳が又、ぴんとなり揺れる。
単純な思考の月兎に内心微苦笑しながら、地兎は彼女が話しやすいようにと会話を振った。
「例えなんてそんなもんだと思いますよ。他にも季節ごとにあったよね、鈴仙?」
「うんっ、夏に実りがあると『秋姉妹の早起き』で、秋に切ない事があると『レティの溜息』って」
「それぞれ前倒しになっているのね。……あら、春は?」
鈴仙の話を楽しそうに聞き頷いていたが、ふと疑問に思い、輝夜は首を傾げて問う。
問われた鈴仙も、はてと耳を垂らして考えた――なんだったっけ?
「『風見幽香の微笑み』、あり得ない事の例え、だったんですけどね。幽香は、春にゃ機嫌が宜しくないと言われていたんで」
「わ、てゐ、物知りだね。凄い凄い」
「……鈴仙が駄目なだけだよ。一緒に聞いてたじゃん」
「まぁまぁ、月因幡、むくれないで頂戴。――最後の、どうして過去形なの?」
「『微笑み』があり得ない事じゃないらしいんで。尤も、私も屋台で聞いただけなんで、あやふやですが」
火鉢がぱちぱちと音を上げた。三名は何時までも和やかに話を続ける。
――予定だった。
「でも、姫様の言うとおり、他のも不思議な言い方だよね。夏に実りって、西瓜とかかな?」
何気ない鈴仙の言葉に、てゐは蜜柑を詰まらせ、輝夜が凍った。
先程のお返しと、噎せるてゐの背を摩る鈴仙の疑問に応えたのは、平時彼女に智を授けるモノ。
今しがたまで地に沈んでいた、永琳であった。
「別の言い方をすると、一夏のアバンチュールねっ」
永琳、喜色満面。
「……『実り』――結果なんだから、原因を現すソレは違うんじゃないかな」
「……いいえ、因幡。永琳が断定しているという事は、そういう意味も含まれるのでしょう。でもその顔は止めなさい」
「ふふふ、つい嬉し恥ずかしな言葉に好々爺ならぬ好々婆めいた笑みを浮かべてしまいますわ」
どちらかと言うと、辞書の刺激的な単語に赤線を引っ張る十四五の少年の笑顔であった。
ぐふぐふと笑う彼女の袖を、膝立ちで進んできた鈴仙が控えめに引く。
「えと、師匠、あばんちゅーるって、何ですか?」
火鉢により頬には赤みが差し、会話に取り残され曲げられている眉、そして、背丈の差により見上げる瞳。
「不倫は文化ぁぁああ熱い!?」
「私だって、熱い」
「そりゃ姫様、灰を直取りしたら熱いですよ……」
月姫の突っ込みは時として通常の域を容易に飛び越える。
「違うんです、姫。違うんです。リリーがくしゃみをしたんです」
「貴女、春になるまでずっと、春告精にくしゃみをさせ続けるつもり?」
「まだ結構ありますよね。リリー、性質の悪い風邪を引いてないといいけれど」
月兎は何処までも天然だった。
「いや、ほら、ありませんか?」
「……碌でもない事しか考えてなさそうだけど。何がよ?」
「時々無性にうどんげのおっぱいが揉みたくなったり。揺れるてゐのスカートを捲りたくなったり」
月の頭脳は殊更真面目な表情であり、その言葉には真意もへったくれもない。むき出しの感情だ。
――びきり、と火鉢にひびが入る。或いは、空間にであろうか。
「え、あれ、地震?」
「や、確かに震えたけど、多分違うとっ」
「姫様、何故お怒りに!? あ、お名前を挙げなかったから!?」
「鈴仙、てゐ。出ていきなさい」
輝夜の声は、澄んでいた。鋭利な刃物の刀身の様に。
「わ、わ、わ、姫様、物凄く怒ってる!?」
「いいから行くよ、鈴仙! ひ、姫、ほどほどに!」
「てゐ、普段は私に素っ気ないけど、心配してくれるのね。ふふ、嬉しいわ」
部屋から逃げ出す二羽を見送り、残った月の主従は真っ直ぐに向かい合う。
「さて。いい訳があるのなら、今のうちに言いなさい」
主の全身から放たれる『力』をその身に浴びつつも、逃げるどころか包み込むような笑顔で、従者は応えた――。
「リリーがくしゃみなどせずとも、私は常日頃から姫様の袴に潜り込みたいと思っておりますわ」
――永遠亭どころか、迷いの竹林全域に震動が伝わった。
《幕間》
風邪でも引いた?――問うと、小さく笑いながら、彼女は首を横に振る。
何故笑うのだろう。疑問に感じた事が顔に出ていたのか、答えはすぐに返ってきた。
貴女が余りにも真剣な表情で聞くから、と。
私はそんな顔をしていたのか。
考えていると、また、彼女が一つくしゃみをした。
《幕間》
洩矢諏訪子は、季節の割に暖かな午後を、己が神社の縁側で、きな粉餅をほうばりながら過ごしていた。
彼女は本来、餅をきな粉に付けるよりも醤油に付けて食す方が好みだ。
今日の是はこの神社のもう一柱である八坂神奈子の趣向。
(酒好きなのに、甘いのが好きなんだよね)
口に放り込む度、微かな粉がその周りから頬に付着する。
聊か煩わしくあったが、毎回毎回拭うのもまた煩わしい。
どうせ是で最後だし、と皿に乗せられた殊更大きな餅に手を伸ばす。
「食べ終わったぁ?」
手からぴっぴっと水滴を弾き、神奈子が台所の方から出てくる。
自分の皿を洗い終えたんだろうと諏訪子は予測をつけ、返事をした。
「もぉふぁー」
己が半身とも言える諏訪子の品のなさに、神奈子は顔を顰める。
(どっちもどっちでしょ)
そう思いはしたが、口を開いても出てくるのは粉と餅だけなので、諏訪子は言い返さなかった。
彼女達の気が緩んでいるのは、彼女達に仕える風祝――東風谷早苗が外出している為。
勿論、普段から気難しい顔ばかりをしている訳ではないが、ここまでだらけた姿はそうそうに見せられない。
諏訪子はともかく、神奈子にとって、早苗の信仰とはなくてはならないものだから。
「あぁ……」
神奈子から唐突に零れる溜息に、諏訪子は視線を向ける。艶めかしいと感じしてしまった自分に苦笑しながら。
「早苗とちゅっちゅしたい……」
「ごふっけふっ、いきなり何を言い出すかこのばーたれ!」
「……はっ!? あ、いや、ほら、リリーがね。くしゃみをね? 何、あんたはしたくないのか!?」
「責任を押し付けるな、逆切れするな! いや、私だってしたいけど!」
ぎゃーぎゃーと喚きあう二柱。早苗がこの場にいなくて良かったと思うのはどちらであろうか。
ったく、と言葉を切り、諏訪子は傍らに置かれた盆から茶碗を掴み、口につけ茶を嚥下する。
淹れた時は湯気が立ち上っていた筈だが、今はもうぬる過ぎると舌が文句をあげた。
口中に残った粉と茶が混じり合い、甘みと苦みがブレンドされて胃に落ちていく。
秋のとある日を境に、早苗はよく外出するようになった。
とは言え、二柱を蔑にする訳ではなく、夜にはちゃんと戻ってきて三名で食卓を囲む。
けれど、神社に諏訪子と神奈子だけ、という状況が増えたのも事実だ。
(水入らずっちゃ水入らずなんだよねぇ……)
ぼぅとする頭に、そんな言葉が思い浮かぶ。
年頃の子どもに友達ができて家に残される夫婦の様。
是では、何処にでもある家庭の一幕と同じじゃないか。
諏訪子は、口元のきな粉を拭い、低く微苦笑を零した。
と。
「……え?」
頬に、湿っぽく柔らかい感触。
「ん? どうかした?」
声は、すぐ近くから聞こえた。
「どうか……って、神奈子、今、その」
「んぁ、頬にきな粉が残ってたからね。手で拭おうにも、水分ついてるから気持ち悪くなっちゃうだろうし」
「……それで、舐めたと?」
あぁ、と頷く神奈子。舌を舐めずり、微かに残る甘さを楽しんでいる。
「――こりゃまた、似合わない動作をどうも」
「……はっ? 私、もしかして凄い恥ずかしい事してた!? リリーがくしゃみをしたからよって似合わないってどういう事!?」
年、容姿、普段の行い、と自ら『似合わない』原因をあげ連ねる神奈子に、諏訪子は何も答えない。
(くしゃみねぇ……春告精に風邪を引いてもらうにゃ、どうすればいいかね)
――神奈子から見えないよう、諏訪子は俯いて愛用の帽子を深く被り、火照る頬を隠した。
《幕間》
一度ならず二度までも。
鼻を摩る相方に、私は手を伸ばした。
彼女の額に触れ、驚いた。
随分と熱い。
その旨を伝えると、彼女はまた笑って言った――貴女の手が、冷たいから。
なるほど、道理――くしゅん――だが、やっぱり風邪を引いているんじゃないか、ちょっと、こら、逃げるな。
《幕間》
森近霖之助は、額に手を当て天を仰ぎ、眼前にいる霧雨魔理沙に問うた。
「……魔理沙。いいかい、落ち着いてくれ。落ち着いて、自分が何を言ったのか、何をしようとしているのか、考えてくれ」
言葉を向けられた魔理沙は、しかし、困惑する。
彼女は彼を幼い頃より知っていた。
彼が、大抵の事には驚かず、淡々と物事を受け止める性格だと知っていた。
だから、斯様な彼の態度は珍しく、数瞬の間、驚きで反応を返せない。
口を開いたのは、一分ほど経ってからだった。
「いや、待てよ、香霖。私は単に其処にある毛糸を買うって言っただけなんだが」
「そう、その通りだ。しかも、あろう事か、手には財布まで握られている」
「――物凄く普通な流れじゃないかしら? 違うの?」
最後の質問は、今まで店の商品を眺めていた、アリス・マーガトロイド。
「そうだ、酷いぜ、香霖。私が珍しく此処で買い物をするって言っているのに」
「……そんなだから、あぁいう反応を返されるんじゃないかしら」
「お前も酷いぜ……」
頬をむくれさせる魔理沙を、アリスは苦笑しながら宥めた。
魔理沙の言い分も、尤もだろう。
彼女の言の通り、今回に関してのみは彼女に非はない。
余計な事は云わず、さっさと受け取った方がいいのでは――そう、魔理沙とアリスは考えた。
霖之助から追加情報を聞くまでは。
「――も、なんだ……」
魔理沙は耳を疑った。
アリスは目を見開いた。
霖之助は、それでも果敢に、はっきりと告げた。
「君達の少し前に来てね。霊夢も、商品を購入していったんだ……!」
「う、嘘をつくな、香霖! あいつが!? 馬鹿な!」
「そ、それもどうかと思うけど! 確かに、此処の被害だけなら、魔理沙より霊夢の方が上よね!?」
「そう、そうなんだよ、フタリとも。片方なら僕も笑おう。今日はいい日だ、と胸に刻もう。だが、二人同日に、なんて……!」
彼の目は語っていた。
これは異変だ、と。
幻想郷始まって以来の未曾有の大異変だ、と。
元凶は英雄二人であり、解決すべき手段は、ない。
「僕は、恐ろしい……っ」
「……や、咲夜も妖夢もいるし。早苗だって弾幕張れるし。香霖、な、元気出せよ?」
「と言うか、そもそも、お金を払うのは当然よね。借りていくにしても、褒められたものじゃないわよ、魔理沙?」
「むぐっ、お前が口うるさく言うから、ちゃんと購入しようとしてるんだろう!」
少女フタリの軽口の言い合いに、漸く平静を取り戻したのか、霖之助は普段の表情に戻った。
「――ふむ、なるほど。霊夢の方はわからないけれど、魔理沙の方はそれが原因か」
「……? 『それ』って、私のお説教の事かしら?」
「恐らくだけど、その先だね」
顔に疑問符を張り付けるアリスに霖之助はくすくすと笑い、当の魔理沙を見やった。
魔理沙は、眼前のやり取りにわたわたと両手を振りあげ焦っている。
その様子だと首を縦に振っているのも同じだよ――開きかけた口を閉じたのは、霖之助なりの気遣いだった。
身内とも言える霖之助に心情を見抜かれた魔理沙は、顔を真っ赤にして捨て台詞を吐き、香霖堂を後にする。
「り、リリーがくしゃみをしたんだよ! それだけ! 香霖、金は置いていくからな、ふんっ」
彼女と共にやってきたアリスは残された形になり、ぽかんと口をあけ、悪態を吐く。
「あ、こら、魔理沙、言いたい事だけ言って出ていかないでよ!」
「なに、何時もの事さ。君も……いや、君に一つ頼みがあるんだが」
「まぁ、そうですけど。――頼みとは?」
魔理沙により勢いよく開かれた扉は鈍い音を立てて軋む。
「して当然で別に褒めるような事じゃないんだが、魔理沙にとっては当然じゃなかった」
「……つまり?」
「僕の代わりに、君があいつを褒めてやってくれないかい?」
外から風が吹き込んでくる。肌に触れるソレは冷たかったが、アリスには気持ち良く感じられた。
「呆れた」
「甘いかな?」
「過ぎるわ。それと、もう一つ。鈍感呼ばわりされてるのに、魔理沙の事には敏いのね」
見当違いの可愛らしい焼き餅に低く笑い、霖之助は応える。
「歳の離れた妹みたいなものだからね。彼女の事なら大概わかる、かな」
「……魔理沙は極稀に甘える時、小猫みたいに体をすり寄らせてくる」
「その癖、まだ抜けていなかったのかい? 変わらんな、あの子は」
「……そういう時は、普段からは想像もできない位、素直になる」
「ほう、そうだったのかい。――君にしては珍しく、絡んでくるね」
笑いながら指摘され、頬を朱に染めるアリス。確かに彼の言うとおりだ。
「……リリーがくしゃみをしたんでしょう。頼み事、わかったわ。……ありがとう」
言うが早いか、彼女は浮き上がり、彼女の小猫を追うために飛んで行った。
風が入り込む。その匂いを甘いと感じたのは、己の所為か、彼女達の所為か。
ともかく、と霖之助は立ち上がる。
「頼んだのは確かに一つだったけどね。扉を閉めるのも頼まなきゃいけなかったかな」
《幕間》
後ろから両肩を掴んでひっくり返した時、またもくしゅっ、と相方は鼻を鳴らした。
じたばたと逃れようとする彼女を抑えつけ、私は、少し悩んでから覆いかぶさる。
こつん、と小さな音が、私達の小さな部屋に響いた。
部位が同じであれば、正確に測れるはずだ。
熱い、気がする。
私の心配を知ってか知らずか、彼女は何故か嬉しそうだった。
――貴女が、こんな事をするなんて思わないもの。
私は顔を赤くして、そっぽを向いて応えた。
――君が、くしゃみをしたから、ら、くちゅっ!
《幕間》
「違うの、藍、違うのよ、リリーがくしゃ」
「式神‘憑依荼吉尼天‘んんんっ!」
「りびんらびたろーかぁぁぁ!?」
八雲藍は、襲い来る魔手に力を振るった。
魔手とは五本の指であり、その持ち主は驚異的な指技を藍に用いようとしていたのだ。
尻尾の付け根をわきわきと狙う相手に、藍は全力で持って抵抗した。
目的は自衛であり、それは彼女の主である八雲紫も望む事、つまり主に等しい力が今、藍には宿っている。
「ふ、ふふ……藍、強く、なったわね……おねしょをしていた二本尻尾、二本尻尾の頃が」
「二本を強調しないでください! 超人‘飛翔役小角‘ぅぅぅ!」
「橙は今、してないものねーあがががががっ、がっ……ふ……」
最強の妖怪、沈む。割と沈んでばっかりだが。
両手を交互に軽く打ち合わせ、全く、と小さく呟いた後。
藍はふと、自身の式に思いを馳せた。
浮かぶのは、笑顔の橙。
(リリーのくしゃみ、ではないけれど。あの子は風邪を引いていないだろうか)
気になりだすと止まらない。心配すると言う事はそういうものだ。
(ふむ……偶には、マヨヒガの方で一晩を過ごすか)
偶にはも何も、週に三度は通っている藍であった。それでも彼女的には我慢しているようだが。
(よし、そうと決まれば飛んで行こう)
(待っていろよ、橙)
(今行くぞ、橙)
「ふふ、橙、私の尻尾は温かいぞぉ! お前が裸であったとしても風邪など引かせるものかっ!」
何時の間にか、彼女の頭の中の橙は生まれたままの姿で凍えていた。いろいろ危険だ。
「貴女にも、リリーのくしゃみが聞こえていると思うのだけれど、ね」
藍が隙間からいなくなった後、紫は至極まっとうな事を苦笑と共に呟いた。
その笑みは柔らかく優しく、慈愛に満ちたものであり、普段の彼女の印象を吹き飛ばす。
惜しむらくは、誰も見ていない事か。
――それとも、誰も見ていない故に、紫はそう笑んだのか。それは、彼女にしか解らない。
《幕間》
くしゅんっ――私と彼女は、同時に大きく鼻を鳴らした。
私はともかく、彼女は是でもう数度目だ。
風邪を疑うなと言う方が可笑しい。
ベッドで寝なさい、と肩を軽く叩き、催促する。
すると、彼女は首を横に振り、拒否した。
どうして、と尋ねる。
貴女も一緒に、と返ってきた。
……彼女は、私に風邪をうつすつもりだろうか。
怪訝な思いは表情に出ていたのだろう。
彼女はくすりと笑み、体を向き合わせ、額を当ててきた。
やはり、彼女の方が熱いと思う。
何故か頬に添えられた両手は、ひんやりとしていたが。
一瞬後、私の額は、顔は、体は、彼女と同等かそれ以上に熱くなった。
額をくっつけたまま、彼女は口を開く。
――ほら、貴女の体温も、熱い。
私の事なんてどうでもいい、それよりも。
――今のは、その、ねぇ、君、ずるくない?
口がうまく回らない。当たり前だ。一瞬とは言え、塞がれていたのだから。
――だって。
微笑む彼女。今は、私だけの白い春。
――貴女も、くしゃみをしたんですもの。ね、リリーブラック。
冬のとある日、誰かが何処かで何時か言う――リリーがくしゃみをしたのだ、と。
妄想のいい訳か、はたまた、照れ隠しの為か。
そんな事は一切合財関係なく――。
――春夏秋冬、三百六十五日、春告精達はくしゃみをする事になった。
<了>
なんだかもう、皆が皆変な?行動や言動をとったりするのですね。
でも不思議とほのぼのとしてたり自然と笑みが出るようなお話でしたね。
面白かったです。
けしからん、もっとくしゃみしたまえ
あ、風邪はひいちゃだめですよ?
多分春を告げるのはウェディングのライスシャワーを二人で振り撒く時ですね。
取り敢えず道標さんの幻想郷は「えーりんゆかりんかなこさま」が自重したら大異変と確定。
ケロっ娘神かぅあ良いよケロっ娘神。
愚痴はともかく、永琳の最後の願いは私のソレです。姫様の袴に潜り込みてぇ。
はい、以下コメントレス。
>>煉獄様
奇行はえーりんとゆかりんに押しつけました(ひでぇ。
気持ちだけでも暖まっていただけたなら、幸いです。
>>6様
むひょひょ。
>>8様
彼女達の家にはベッドが一つしかないので、暖かくお休みできます。風邪はきっと引きません。
>>謳魚様
書くよ!いつかきっとその三名のシリアスも書くよ!(草稿すら今はありません。
諏訪子様は……ちょいとミスったかなぁ。
>>17様
感情を催させるのは難しいと思っております。ので、嬉しいです。
>>あらさん。様
春を告げる百合、って、私にはもうそっち方面でしか考えられません。その結果がこれです(笑。
以上
一足早く春が来ても何ともないぜ。
くしゃみするリリーコンビが可愛すぎる。