よくこんな辺境の町まで来たもんだ。
しかし、残念だったね旅人サン。
ここは絹の道からちょいと外れた、
いわば行き止まりの町サ。
なに、見るものも何も無いから一晩泊まったら引き返せばいい。
一週間ほど来た道を逆に歩けばホントの道に戻れるはずさ。
あの山かい?
いやぁ、確かにあのお山を超えれば三日で絹の道には戻れるけど。
ホラ、お山の中腹をご覧よ旅人サン。
うっすらと紅い霧が立ち込めているだろう?
あの霧の中にはね、血を喰らう鬼のお屋敷があるんだよ。
そう、吸血鬼さ。
人が空を飛ぶのも間近なこんな時代に吸血鬼だよ。
ちゃんちゃらおかしいと思わないかい?
ああ、俺もおかしいと思う。
だけどね……やっぱり居るんだよ。
昔からこの土地に根を降ろしている俺たちはね、
結局はあの、霧の中の小さい悪魔を信仰しているワケだ。
そんなだからあのお山を越えて絹の道に戻ろうなんて
思わないで素直に引き返しなさいナ。
行くのかい?
まぁ、止めないけれど。せいぜい気をつけるんだね。
アンタみたいな金髪美人さんの死体なんざ見たくないからね。
……しかしまぁ、そんなにも魅力的なのかね、東方の、黄金の国とやらは。
◇ ◇ ◇
ぼんやりと眼を開くと視界一面に亀裂が走っている。
まるでこの世界の脆さを現しているようで滑稽だった。
暫くするとそれがわたしの瞳の血管だということに気が付く。
トクン、トクンと脈打ち、
視界を黒く紅く染め上げていくそのヒビ割れは、
なるほど、わたしにはお似合いの光景だなと思った。
「あの人間来ないかな」
ヒビの入った光景に飽きたわたしはなんともなしに呟く。
昨日、わたしと遊んでくれた人間。
わたしをふらんと呼んでわらいかけてくれたにんげん。
そんなこと初めてだったから、楽しくなって夢中で遊んだ。
時間が止まるくらい、素敵な一夜だった。
ヒビ割れた部屋を眺めながら、昨日のことを思い出す。
パキパキと小枝の折れるような軽快な音を木霊させて、
わたしの居る地下室を、わたしにお似合いだねと紅く染め上げてくれた。
紅い紅い部屋はすぐにわたしのお気に入りになった。
けれど、部屋全体を紅く染め上げるには色が足りなくて、残念だった。
紅く染め上げられなかった部分には黒い染みが広がっている。
黒は嫌い。
嫌いなのに、昨日あれだけ紅かった部屋は今は黒。
黒はきらい。
嫌いなのに、わたしはあの黒の中に自分の意味を見つけてしまう。
黒い染みの中から不気味な眼がわたしを睨みつけていた。
あの眼はわたしだ。眼のちゅうしんは、血走っていてギョロリと光る。
わたしがわたしを睨みつけている。りゆうは知っている。
わたしが上手くお絵かきできないからだ。
そんなことじゃいつまで経ってもお姉さまと手を繋げないわよふらん。
白いチョークを右手で掴んで黒い壁に絵を描く。
チョークはがりがりと音を立てて、あっという間に削れて無くなってしまう。
眼はやっぱりわたしを睨みつけていた。
やっぱりだめじゃないのふらん。
わたしはお絵かきするのをあきらめて落ちていた骨盤を枕に寝転がる。
今日から私のことをお姉さまと呼んでも良いわよ。あの吸血鬼が言っていた。
冗談じゃない!
なんでたった三年早く生まれただけで、アレは姉として振舞っているのだ。
わたしの嫌いな色の翼を生やしたアレの両脚をもいだ。
アレは痛がることもせず、
わたしを慈悲深い表情で見つめると槍をわたしの心臓に深々と突き刺したのだ。
わたしたちはノーライフプリンセス。
足がもげようと心臓を潰されようと、そうそう簡単に死ねない。
今度は頭でも潰してみるか。
そう考えながらわたしは自分の心臓が動くのをやめたことを悟った。
ふらん、貴女には相応しい部屋を用意したわ、私の可愛いふらん。
わたしを睨みつけていた眼は、
いつのまにかアレと同じ眼差しでわたしを見つめていた。
いらいらする。いらいらする。
わたしを見つめないで、わたしを哀れまないで。
わたしは両足で地面をしっかりと踏みつけ、眼の生える壁まで歩く。
眼は見つめることを止めない。
止まない視線は、止めさせないと止まない。
わたしと同じ視線から見つめている眼のひとつに人差し指を差し込んだ。
柔らかい感触に弾かれた。
そのまま強引に指を突き入れるとつぷんッ、と生暖かいゼラチン質に包まれる。
眼の中は温かく脈打っていた。
指を動かすとザラリとした触感。
と、わたしの頭の中に無数のイメージが浮かび上がる。
◆ ◆ ◆
磔刑になり、口元を奇妙に歪めて動かない聖人。
後ろ向きに歩き出す殉教者たち。
断崖から赤子を抱えて老人が飛び降りる。
娘は泣きながら最愛の母に火を放つ。
竹林の中で白い虎がにんげんを嘲る。
絵の中の婦人が眼球を抉っている。
金髪の女が隙間から手招きをする。
縫い針を胃袋に詰め込んで腹部を殴打する。
市場に運ばれる豚が人間を哀れむ。
吊るされた肉の袋が異形を哀れむ。
謳うは生命の賛歌。
謳うは死への誘い。
謳うはわたしと彼の、大脳の革命。
球体になった摩天楼が高速エレベーターを天秤にかける。
ネズミが群れを成して象を齧る。
勝者は歓喜に震え、自らの首を右手に翳す。
油が切れ、動かなくなった機械人形がふらん、ふらんと叫びながら涙を流す。
ティーカップに注がれた木屑からチェスの駒が躍り出る。
ベランダでシチューを煮込む女がシャンデリアに刺し殺される。
眼が見せた映像は、この上なく刺激的で気持ち悪く、儚いものだった。
ふらん! 素敵よふらん!
わたしは何故だか悲しくなって指をさらに突き入れる。
ぐわんと大きな音がして指を突き入れていたゼラチンが飛散した。
眼はソレっきり、部屋のドコにも現れない。
部屋を見渡すと粉々に砕けた肉片と、
白いチョークと、チョークでできた骨盤が転がっている。
鍵のかかっていた扉は奇妙に捩れ、ひしゃげて、その意味を失っていた。
仄かに紅く霞がかかるその扉の向こうへ、わたしは歩き出す。
クダラナイ私の揺りかごよ、おさらば、お去らばで御座います。
並んだ蝋燭が煌々と薄い絨毯を照らしている。
光は赤みを帯びて薄暗い廊下を紅色に染めていた。
いつしか世界をジグザグに分断する私の血管は鼓動を弱めて見えなくなっていた。
そうだ。昨日遊んでくれたあの人間を探そう。そしてまた遊んでもらおう。
生命も、
時間も、
運命までもが凍りつく興奮の中、
わたしは幸せを噛み締めて絶命するのだ。
なんて素敵なアイディア! 冴えてるわ、ふらん!
キーキーと喚く蝙蝠を塵に還しながらわたしは廊下を歩く。
心が躍る。純然たる煌きの中、死を享受するに相応しい。
なんて素敵な一夜なんだろう。
窓の無い廊下じゃ外の様子は分からないけれど、
きっと外も素敵な素敵な満月に違いない。
海には潮が満ち、森は静寂にざわめき、鏡のような湖面には水月。
桃色の鳥が空を駆け、東の果てからやってくる。幻視。
紅沈む回廊の奥から、そんな島国から運ばれてきた風の匂いがした。
「し~っしししっし~、しにたくなーい。どうかたすけていのちだけは~」
わたしは、昨日の人間が囀っていた歌を唄いながらこの広い館を散策する。
と言っても長い長い廊下が続くだけで、窓も、扉も見当たらない。
眼はどこにも見えなかった。ふらんはあきらめない。
なぜならその先には出会いが待っているから。
四角い、チョコレート板をはめ込んだような扉を見つけた。
いかにもお粗末な、この館には相応しくないメルヘンチックな扉。
この扉の隙間から風は漏れているようだった。
扉を静かに開けると……ホラ、やっぱり居た。
だけど居たのはあの人間ではなく、白いチョークの骸骨をもったお姉さまだった。
わたしの心臓を一突きに貫いたお姉さま。
引きちぎった脚はとっくに再生している。
わたしには無い、忌々しい漆黒の翼が威厳を醸し出していた。
ドレスは赤く、黒く。嫌いで、好き。
ふらん、踊りましょう。
にこやかに笑いかけるお姉さまの眼、眼、眼、眼。
三年、たった三年だけど目の前のコレはわたしより早くこの世に生を受けた。
空白の三年間が姉と妹の境界をどうしようも無いまでにハッキリと区分していた。
カチコチと、お姉さまの後ろにある壁かけ時計が逆さまに時を刻む。
理解する。
嗚呼、この遊びは永遠なので御座いますね。
わたしは、お姉さまの眼に指を――。
◇ ◇ ◇
よくこんな辺境の町まで来たものね。
けれど残念。残念だったわね旅人サン。
ここはあのシルクロードからちょっと外れにある、行き止まりの町。
そうね、見るものなんて何も無いから一晩泊まったら引き返しなさいな。
三日ほど来た道を車で飛ばせば元通りの道に戻れるはずよ。
……あの山?
確かにあの山を越えれば一晩で絹の旅路には戻れるけど。
ほぅら、あの山の中腹をじっくりと見てごらん。
うっすらと紅い霧が立ち込めているでしょう?
あの霧の中にはね、血を啜る吸血鬼のお屋敷があるのよ。
そう、吸血鬼。
月に人が行くこんな時代に吸血鬼よ。
まったく、笑っちゃうわよね、もう。
ええ、私もおかしいと思うわ。
だけど、だけどね……やっぱり居るのよ。
漆黒の翼を持ち、
紅い髪をたなびかせたスカーレットデビルの異名を持つ吸血伯爵。
かの有名なスカーレット卿。
……あっはっはははは、冗談よ。冗談。
血を吸うって言うのは迷信。
ハハハ、そ、そんなに怒らないでよ旅人サン。
科学万能の世の中よ。
神も悪魔も幻想の向こう側よ。
でもね、うん。
でも、あのスカーレット卿はそんな幻想になった迷信や、伝説を信じているの。
バカにしちゃいけないわ。
一昨日だって、5色の綺麗な石……本人は賢者の石って言っていたけれど、
それを身につけた錬金術師を屋敷に招き入れたのだから。
さぁ、身体に埋め込むのやら、エリクシールでも精製して不老不死になるんだか。
錬金術でホムンクルスを造るって言うのも面白そうね。
昔あったでしょう? ほら、フランケンシュタインの怪物って。
ああ、吸血鬼っぽい、いかにもな翼を生やすっていうのもワクワクするわね。
まぁ……ひとつだけ忠告しておくと、
やっぱり見なかったということにしたほうが良いわ。
神も悪魔も……夢も希望も幻想になったこんな世の中よ。
封じられた秘密を暴くことばかりが正しいとは限らないわ。
バカみたいに信じる私みたいなヤツが居たって良いでしょう?
さて。今日のところは宿でぐっすり眠ると良いわ。
宿? ああ、ドコもかしこも。
『私の家』以外は全くもって空き家だから、好きなところで寝なさい。
新しい墓石を一つ立てる仕事が終わったら、私も眠ります。
◆ ◆ ◆
紅い髪の女は淫靡に笑った。
誰が彼女を殺した。
誰が彼女に殺された。
物語は常闇の中。
物語は幻想の中。
しかし、犯人はこの中に居ない。
-fin-
さっぱり理解できません。
いやでも狂人の感覚ってこうなのかもしれませんね。
話の方は、大変私好みでした。
私もこんな風に書く時もありますし・・・まあ、その時はお世辞にも良い出来ではなかったんですけれど、ね?
妹様の狂気が、よくわかる作品でした。
パチュリーノーレッジ
フラン
私
(´・ω・)