真昼の白玉楼。
白い太陽は延々と桜舞うこの地を照らしている。
季節は初春。
庭園を彩る築山、庭石、草木は春色に染まっていた。景色だけは平和だ。
そんな白玉楼の庭において妖夢は立ち尽くしていた。
目も、口も、心も、時も。全てが止まっている。
彼女の対面には魂魄妖忌が無表情で在った。
「幽々子様が……死ぬ?」
「あぁ、そうだ」
西行寺幽々子が死ぬ。
それは余りにも唐突な死の宣告であった。
妖忌はつい先刻この白玉楼に帰ってきた。長らく行方不明だった状態からである。
悟りを開き妖夢に全てを託した筈だったが、ここに戻ってきて再び妖夢と合間見えている。
腰には二刀の無銘の刀。
全てを託した証拠として楼観剣と白楼剣を妖夢に託している。
しかし、剣聖は戻ってきた。
「紫殿から聴いた話でな。西行妖を封印している幽々子様の亡骸の力が弱ってきている」
「それは……」
初耳だった。
妖夢はここで妖忌から西行妖と幽々子の亡骸の関係を聴く。
それを理解してしばし呆然とするも、このままではと思い心に活を入れる。
「死体の力が弱まれば桜が満開となり終わる。今、幽々子様が床に入っているのもそれが原因だ」
「何か方法は! 助ける手段は無いのですか!?」
「今、紫殿が考えている最中だが……見込みは薄いと考えるべきだな」
「師匠は……師匠はどうなされるのですか」
「……最後のときまで幽々子様に尽くすだけよ」
白玉楼の居間。
妖夢は正座をしながら幽々子の看病をしていた。
幽々子の状態はぐったりとしている。虫の息とはこのことだった。
発汗も酷く、単の和服は汗に塗れている。
今にも消えそうな、そんな雰囲気が幽々子にはあった。
妖夢は水の入った桶に、額に敷く為の布を入れる。
そして、それを桶から取り出しあらん限りの力で絞った。
幽々子様の症状は深刻だ。
しかも助かる望みは薄い。
濡れている布を幽々子の額から取り、代わりに新しい濡れた布を額に置く。
私が好きだった幽々子様が死ぬ。
それが妖夢の本心だった。
幼い頃から仕えてきた妖夢の恋心。この日まで共に過ごした妖夢の真実。
私が守る。
その一心でここまで駆けてきたんだ。
剣の腕も鍛えた。未熟者とは言え師匠から幽々子様を任される身となった。
庭師として、警護役として恥ずかしくないよう鍛えた。ひたすらに。ただ、ひたすらに。
いつでも告白出来るようにと、炊事、洗濯等の細かいこともこなしてきた。
そして、どんなときでもクスリと微笑んだそのときが、その瞬間が嬉しかった。
それがじきに終わる。
妖夢は震える手で使用した布を桶に入れる。
涙は出なかった。
ただ気が狂いそうなだけで。
そう。もう終わってしまう。
ならば……いっそこの手で……幽々子様を殺してしまえば。
私の手で幽々子様を殺せば、一生幽々子様を忘れないことになる。一生、幽々子様と居れる。いつまでも。
そう、ずっと幽々子様との思い出を忘れないで済む。未来永劫。ずっと。
自然と妖夢は脇に置いてあった刀を握った。
そして、刀の鍔に親指が触れる。
しかし。
「妖夢」
剣聖の一言で正気に戻る。
慌てて刀を握っていた手を元に戻す。
「……師匠」
「幽々子様の様子を診にきたが……やはり酷いな」
いけない。
幽々子様を殺すなんて論外だ。正気を保たねば。
だが、このまま正気を保つのは、もはや至難の業だ。
「妖夢……」
可憐な中に強さが秘められているいつものその声は無い。私を呼ぶ幽々子様の声は弱々しかった。
「何ですか、幽々子様」
「お腹空いた」
幽々子と妖忌が居る居間を後にして、妖夢は白玉楼の庭にやってきた。
そして、白楼剣をひたすらに振るう。
それが迷いを断つ為の結論だった。
幽々子様、元の元気だった頃の状態に戻ってください。
幽々子様!
刀を振りながら心の中で叫ぶ。それは渇望だった。
叶わないことを望む。望むしかない。
故に邪念が入る。
だが、上段に構えて邪念を威圧する心を創る。そして袈裟に斬りかかり邪念を祓う。
迷い、邪念を生み、それを剣で振り祓う。
その繰り返し。
煩悩を絶って絶って絶って。妖夢はその行為を一念に行っていた。
湧き上がる渇望。渇望の断絶。
妖夢は答えを求めていた。今後幽々子のことをどうするか、という答えを。
幽々子様がもうじき死ぬかもしれない。助かる見込みも薄い。
紫様を信じて待つか、それともこの手で幽々子様を殺すか。
妖夢は―――――――――――――――
夜の白玉楼。
白玉楼の庭には妖夢と妖忌が居た。
夜風が静かに吹き、桜が舞う。それ以外の音は無く、この場には心に穴が開いたかのような喪失感が僅かに存在する緊張感があった。
妖夢の短い銀色の髪も僅かに靡く。
二人は既に刀の柄を握っている。決闘を始めようとしていた。
しかし何故、今、決闘を行おうとしているのか。
「どうしたらいいのか分からないです。師匠」
「…………」
「だから。手合わせ願いたい。真剣勝負を」
「………よかろう」
極限の状態で答えを求める。妖夢の答えはそれだった。
迷い、正し、迷い、正し。それを繰り返す昼間の状態では答えを見出せない。
己の真実を心の中から求めるには。幽々子様への本当の想いを見極める手段は。
剣しかなかった。
妖夢にとって自分の心を知る手段は剣の道以外無かった。
彼女はそうして柄を握っていた手に力を篭めて、二本の刀を抜刀する。
真剣勝負。何かの間違いがあれば死に至る勝負。それは極限だった。
「どうせその状態では何を言っても無駄だろう。どれ、お主の目を覚まさせてやろう」
妖忌は宣言して、重い二本の無銘の刀を抜く。
「ここでお主が幽々子様を殺さず、身を案じることを考えなければ……幽々子様は死んでしまう。言った筈だ。わしは最後のときまで幽々子様に尽くすだけ、と」
魂魄妖忌には誓いがあった。最後のときまで主を護るという誓いが。
その為にもし仮に、真剣勝負で妖夢を殺すことになろうとも悔いは残さないだろう。
壮絶なまでの決意。
そうして、両者が構える。互いの二本の刀には獲物を制する気迫があった。
妖夢は二本の刀を下段に構えている。
下段に構えて守りを固めようとしていた。相手の器が自分よりも上だからこそ、その結論に至った。
対して妖忌は上段に構えている。長刀と短刀の二本。
上段に構えて相手を威圧しようとしている。
そして、彼の振りは神速だ。
間合いに入ろうものならば、無銘の長刀を神速を以って打ち下ろすだろう。
「……………………」
両者が構えてから長い時が流れる。静かに、緊迫しながら。
桜はそれでも舞う。草はそれでも揺れる。風が吹くから。
庭石は静かにその成り行きを見守る。
白玉楼の庭は。彼らの結末を静かに見据えていた。
侍対侍。互いに二本の刀を持ち、流派も同じ。
はたして先に動くのは―――――――――――――――――――――
「はっ!!」
妖忌だった。
彼は大きく一歩踏み込み、妖夢に打ち込める、いや、斬りかかれる間合いにまで来た。
先程まで妖夢は彼の間合いに入っていないことに安心しきっていた。
そして、この踏み込みは予想外だった。
「!!」
しかし、活を入れて白楼剣を動かす。
ここで防がねば死ぬ――――――――――――!
刹那の攻防。
刃紋は遠慮することも無く夜の虚空を照らしている。畏怖する程に輝いていた。
そんな刃紋が二つ振られている。
妖忌の狙いは胴胸。斬られれば死は間逃れない。
それを妖夢は……防いだ。
今、白楼剣は確かに無銘の長刀と鬩ぎ合っている。
「くっ……!」
しかし、均衡は保たれない。
刀の圧し合いに発展したが、妖夢には如何せん力が不足している。
全身から発せられる力は妖忌に軍配が上がっていた。
このままでは……!
「どうした。ここで終わりか」
「っ!!」
圧されていく妖夢。
師匠にはやはり敵わないのか。
だが、何の為に今、闘っている。
答えを、自分の本心を確かめる為だ。幽々子様をどうしたいかを確かめたいんだ。
ここで負けたらそれが分からなくなるだろう。
それは嫌だ。
刹那の葛藤。激しく否定する。
ここで終われない。終われない理由は確かにある。
だから先に進まねばならない。
「違う……」
「むぅ!」
刀を圧す。暴風の中を突き進むような心構えで。
「まだ終われない……」
「くっ!」
妖忌の心を圧す。相手を制する気迫を以って。
「幽々子様をどうしたいのかを確かめていない……」
「これは!?」
自分を圧す。困難を圧し潰すような強引さを以って。
「だから、まだここで終われない――――――――――!」
そう。まだ終われなかった。
妖夢には幽々子という想い人が居た。
だから、未だ終われない。例えどんな状況でも。
妖夢は気力全てを以って活を出す。両脚、腰、胸、両腕、両手と気が漲る。
彼女は妖忌の長刀を白楼剣で圧し返し、そして、弾いた。
彼はそれに驚き、一足飛びで後退する。
「私は本心を知りたい。私は幽々子様をどうしたいのかまだ分かっていない」
「…………」
妖忌はそれを黙って聞き入れる。決意を確かめるように。
そして、妖夢は話したあと白楼剣を鞘に収めて楼観剣のみを構える。
一刀で構えは中段。
初心に帰るような心持ちで彼女は話を続ける。
「幽々子様を殺したいのか。それとも信じて見守り続けたいのか。どちらが本心なのかを確かめたいし、本心からの行いを成し遂げたいのです!!」
そうして、彼女は自らの心を見据える。ひたすらに。
自分はどうしたいのか。それを確かめる。
再び辺りの音は凪じみた弱い風の音だけとなった。
桜が舞い、草が揺れる。空間にぽっかり穴が開いたかのような雰囲気がこの場にはあった。
妖忌は変わらず上段の構えをとる。
そして、攻めに転じた。
踏み込み、斬りかかろうとする妖忌の速度は速い。
それでも妖夢は自らの心を見ていた。
心を見ているとは即ち、心眼。心眼を養っていることになる。
心眼とは心の目。
これが見れれば、相手が次に何処に斬りかかろうとしているのかも読み取ることが出来る。
相手の心が読めるから。
それは例え神速で襲い掛かる刀をも太刀筋が分かる以上、捌けるということになる。
幽々子様を殺すことになろうとも。
幽々子様の行く末を最後まで辛苦と共に見守ることになろうとも。
あの人と一緒に居たいという気持ちは真実だ。
いや、生きているあの人と一緒に居たい。
ならば答えは初めから一つだった。
幽々子様を死なせはしない!!
それが彼女の本心だった。
「―――――――――――――――――!?」
妖夢が心眼を開眼した。
そのあとの行動は清流のように無駄が無かった。
妖忌の長刀を捌く。
楼観剣で妖忌を斬らず、寸でのところで斬撃を止める。
終わりは呆れる程、あっけなかった。
「見事だ……」
次の日の白玉楼。その昼、八雲紫と八雲藍が西行妖の前に居た。
西行妖を封印している幽々子の亡骸に対して術を行使している。彼女の亡骸が持つ封印の力を強める為に。
八雲紫一人ではどうにも出来ないが、八雲紫並の力を出せる式神が居れば、彼女が二人居ることになる。
それならば西行妖に干渉出来るだろう。
封印の力は二人分の八雲紫の力により、強めることが出来た。
そう、幽々子を救うことは可能な範囲の話だった。決して見込みの薄い話でもなかった。
「師匠。これは……」
「あれは嘘だったんだ」
幽々子が助かる見込みは薄い。それは嘘だった。
妖忌は飄々と真実を口にした。
どういうことだろう。何故、嘘を吐かれたのか。
「お主がもっと成長していたならば見極められただろうし、昨日のように迷うことも無かっただろう」
「…………」
未熟。全てはそれだった。
もっと精進していれば妖夢が狂気を持ってしまう場面も避けられた筈。
妖忌はそれを見極めることをしていただけであった。これも修行の一環か。
あぁ、もっと精進しよう。妖夢はそう胸に誓う。
しかし、良かった。
幽々子様はまだ眠りにつかれているが亡くなられた訳でもない。
助かる見込みもある。また一緒に居られるだろう。
狂気に堕ちるような考えは捨てて、これからは大事な人を守っていこう。
白い太陽は延々と桜舞うこの地を照らしている。
季節は初春。
庭園を彩る築山、庭石、草木は春色に染まっていた。景色だけは平和だ。
そんな白玉楼の庭において妖夢は立ち尽くしていた。
目も、口も、心も、時も。全てが止まっている。
彼女の対面には魂魄妖忌が無表情で在った。
「幽々子様が……死ぬ?」
「あぁ、そうだ」
西行寺幽々子が死ぬ。
それは余りにも唐突な死の宣告であった。
妖忌はつい先刻この白玉楼に帰ってきた。長らく行方不明だった状態からである。
悟りを開き妖夢に全てを託した筈だったが、ここに戻ってきて再び妖夢と合間見えている。
腰には二刀の無銘の刀。
全てを託した証拠として楼観剣と白楼剣を妖夢に託している。
しかし、剣聖は戻ってきた。
「紫殿から聴いた話でな。西行妖を封印している幽々子様の亡骸の力が弱ってきている」
「それは……」
初耳だった。
妖夢はここで妖忌から西行妖と幽々子の亡骸の関係を聴く。
それを理解してしばし呆然とするも、このままではと思い心に活を入れる。
「死体の力が弱まれば桜が満開となり終わる。今、幽々子様が床に入っているのもそれが原因だ」
「何か方法は! 助ける手段は無いのですか!?」
「今、紫殿が考えている最中だが……見込みは薄いと考えるべきだな」
「師匠は……師匠はどうなされるのですか」
「……最後のときまで幽々子様に尽くすだけよ」
白玉楼の居間。
妖夢は正座をしながら幽々子の看病をしていた。
幽々子の状態はぐったりとしている。虫の息とはこのことだった。
発汗も酷く、単の和服は汗に塗れている。
今にも消えそうな、そんな雰囲気が幽々子にはあった。
妖夢は水の入った桶に、額に敷く為の布を入れる。
そして、それを桶から取り出しあらん限りの力で絞った。
幽々子様の症状は深刻だ。
しかも助かる望みは薄い。
濡れている布を幽々子の額から取り、代わりに新しい濡れた布を額に置く。
私が好きだった幽々子様が死ぬ。
それが妖夢の本心だった。
幼い頃から仕えてきた妖夢の恋心。この日まで共に過ごした妖夢の真実。
私が守る。
その一心でここまで駆けてきたんだ。
剣の腕も鍛えた。未熟者とは言え師匠から幽々子様を任される身となった。
庭師として、警護役として恥ずかしくないよう鍛えた。ひたすらに。ただ、ひたすらに。
いつでも告白出来るようにと、炊事、洗濯等の細かいこともこなしてきた。
そして、どんなときでもクスリと微笑んだそのときが、その瞬間が嬉しかった。
それがじきに終わる。
妖夢は震える手で使用した布を桶に入れる。
涙は出なかった。
ただ気が狂いそうなだけで。
そう。もう終わってしまう。
ならば……いっそこの手で……幽々子様を殺してしまえば。
私の手で幽々子様を殺せば、一生幽々子様を忘れないことになる。一生、幽々子様と居れる。いつまでも。
そう、ずっと幽々子様との思い出を忘れないで済む。未来永劫。ずっと。
自然と妖夢は脇に置いてあった刀を握った。
そして、刀の鍔に親指が触れる。
しかし。
「妖夢」
剣聖の一言で正気に戻る。
慌てて刀を握っていた手を元に戻す。
「……師匠」
「幽々子様の様子を診にきたが……やはり酷いな」
いけない。
幽々子様を殺すなんて論外だ。正気を保たねば。
だが、このまま正気を保つのは、もはや至難の業だ。
「妖夢……」
可憐な中に強さが秘められているいつものその声は無い。私を呼ぶ幽々子様の声は弱々しかった。
「何ですか、幽々子様」
「お腹空いた」
幽々子と妖忌が居る居間を後にして、妖夢は白玉楼の庭にやってきた。
そして、白楼剣をひたすらに振るう。
それが迷いを断つ為の結論だった。
幽々子様、元の元気だった頃の状態に戻ってください。
幽々子様!
刀を振りながら心の中で叫ぶ。それは渇望だった。
叶わないことを望む。望むしかない。
故に邪念が入る。
だが、上段に構えて邪念を威圧する心を創る。そして袈裟に斬りかかり邪念を祓う。
迷い、邪念を生み、それを剣で振り祓う。
その繰り返し。
煩悩を絶って絶って絶って。妖夢はその行為を一念に行っていた。
湧き上がる渇望。渇望の断絶。
妖夢は答えを求めていた。今後幽々子のことをどうするか、という答えを。
幽々子様がもうじき死ぬかもしれない。助かる見込みも薄い。
紫様を信じて待つか、それともこの手で幽々子様を殺すか。
妖夢は―――――――――――――――
夜の白玉楼。
白玉楼の庭には妖夢と妖忌が居た。
夜風が静かに吹き、桜が舞う。それ以外の音は無く、この場には心に穴が開いたかのような喪失感が僅かに存在する緊張感があった。
妖夢の短い銀色の髪も僅かに靡く。
二人は既に刀の柄を握っている。決闘を始めようとしていた。
しかし何故、今、決闘を行おうとしているのか。
「どうしたらいいのか分からないです。師匠」
「…………」
「だから。手合わせ願いたい。真剣勝負を」
「………よかろう」
極限の状態で答えを求める。妖夢の答えはそれだった。
迷い、正し、迷い、正し。それを繰り返す昼間の状態では答えを見出せない。
己の真実を心の中から求めるには。幽々子様への本当の想いを見極める手段は。
剣しかなかった。
妖夢にとって自分の心を知る手段は剣の道以外無かった。
彼女はそうして柄を握っていた手に力を篭めて、二本の刀を抜刀する。
真剣勝負。何かの間違いがあれば死に至る勝負。それは極限だった。
「どうせその状態では何を言っても無駄だろう。どれ、お主の目を覚まさせてやろう」
妖忌は宣言して、重い二本の無銘の刀を抜く。
「ここでお主が幽々子様を殺さず、身を案じることを考えなければ……幽々子様は死んでしまう。言った筈だ。わしは最後のときまで幽々子様に尽くすだけ、と」
魂魄妖忌には誓いがあった。最後のときまで主を護るという誓いが。
その為にもし仮に、真剣勝負で妖夢を殺すことになろうとも悔いは残さないだろう。
壮絶なまでの決意。
そうして、両者が構える。互いの二本の刀には獲物を制する気迫があった。
妖夢は二本の刀を下段に構えている。
下段に構えて守りを固めようとしていた。相手の器が自分よりも上だからこそ、その結論に至った。
対して妖忌は上段に構えている。長刀と短刀の二本。
上段に構えて相手を威圧しようとしている。
そして、彼の振りは神速だ。
間合いに入ろうものならば、無銘の長刀を神速を以って打ち下ろすだろう。
「……………………」
両者が構えてから長い時が流れる。静かに、緊迫しながら。
桜はそれでも舞う。草はそれでも揺れる。風が吹くから。
庭石は静かにその成り行きを見守る。
白玉楼の庭は。彼らの結末を静かに見据えていた。
侍対侍。互いに二本の刀を持ち、流派も同じ。
はたして先に動くのは―――――――――――――――――――――
「はっ!!」
妖忌だった。
彼は大きく一歩踏み込み、妖夢に打ち込める、いや、斬りかかれる間合いにまで来た。
先程まで妖夢は彼の間合いに入っていないことに安心しきっていた。
そして、この踏み込みは予想外だった。
「!!」
しかし、活を入れて白楼剣を動かす。
ここで防がねば死ぬ――――――――――――!
刹那の攻防。
刃紋は遠慮することも無く夜の虚空を照らしている。畏怖する程に輝いていた。
そんな刃紋が二つ振られている。
妖忌の狙いは胴胸。斬られれば死は間逃れない。
それを妖夢は……防いだ。
今、白楼剣は確かに無銘の長刀と鬩ぎ合っている。
「くっ……!」
しかし、均衡は保たれない。
刀の圧し合いに発展したが、妖夢には如何せん力が不足している。
全身から発せられる力は妖忌に軍配が上がっていた。
このままでは……!
「どうした。ここで終わりか」
「っ!!」
圧されていく妖夢。
師匠にはやはり敵わないのか。
だが、何の為に今、闘っている。
答えを、自分の本心を確かめる為だ。幽々子様をどうしたいかを確かめたいんだ。
ここで負けたらそれが分からなくなるだろう。
それは嫌だ。
刹那の葛藤。激しく否定する。
ここで終われない。終われない理由は確かにある。
だから先に進まねばならない。
「違う……」
「むぅ!」
刀を圧す。暴風の中を突き進むような心構えで。
「まだ終われない……」
「くっ!」
妖忌の心を圧す。相手を制する気迫を以って。
「幽々子様をどうしたいのかを確かめていない……」
「これは!?」
自分を圧す。困難を圧し潰すような強引さを以って。
「だから、まだここで終われない――――――――――!」
そう。まだ終われなかった。
妖夢には幽々子という想い人が居た。
だから、未だ終われない。例えどんな状況でも。
妖夢は気力全てを以って活を出す。両脚、腰、胸、両腕、両手と気が漲る。
彼女は妖忌の長刀を白楼剣で圧し返し、そして、弾いた。
彼はそれに驚き、一足飛びで後退する。
「私は本心を知りたい。私は幽々子様をどうしたいのかまだ分かっていない」
「…………」
妖忌はそれを黙って聞き入れる。決意を確かめるように。
そして、妖夢は話したあと白楼剣を鞘に収めて楼観剣のみを構える。
一刀で構えは中段。
初心に帰るような心持ちで彼女は話を続ける。
「幽々子様を殺したいのか。それとも信じて見守り続けたいのか。どちらが本心なのかを確かめたいし、本心からの行いを成し遂げたいのです!!」
そうして、彼女は自らの心を見据える。ひたすらに。
自分はどうしたいのか。それを確かめる。
再び辺りの音は凪じみた弱い風の音だけとなった。
桜が舞い、草が揺れる。空間にぽっかり穴が開いたかのような雰囲気がこの場にはあった。
妖忌は変わらず上段の構えをとる。
そして、攻めに転じた。
踏み込み、斬りかかろうとする妖忌の速度は速い。
それでも妖夢は自らの心を見ていた。
心を見ているとは即ち、心眼。心眼を養っていることになる。
心眼とは心の目。
これが見れれば、相手が次に何処に斬りかかろうとしているのかも読み取ることが出来る。
相手の心が読めるから。
それは例え神速で襲い掛かる刀をも太刀筋が分かる以上、捌けるということになる。
幽々子様を殺すことになろうとも。
幽々子様の行く末を最後まで辛苦と共に見守ることになろうとも。
あの人と一緒に居たいという気持ちは真実だ。
いや、生きているあの人と一緒に居たい。
ならば答えは初めから一つだった。
幽々子様を死なせはしない!!
それが彼女の本心だった。
「―――――――――――――――――!?」
妖夢が心眼を開眼した。
そのあとの行動は清流のように無駄が無かった。
妖忌の長刀を捌く。
楼観剣で妖忌を斬らず、寸でのところで斬撃を止める。
終わりは呆れる程、あっけなかった。
「見事だ……」
次の日の白玉楼。その昼、八雲紫と八雲藍が西行妖の前に居た。
西行妖を封印している幽々子の亡骸に対して術を行使している。彼女の亡骸が持つ封印の力を強める為に。
八雲紫一人ではどうにも出来ないが、八雲紫並の力を出せる式神が居れば、彼女が二人居ることになる。
それならば西行妖に干渉出来るだろう。
封印の力は二人分の八雲紫の力により、強めることが出来た。
そう、幽々子を救うことは可能な範囲の話だった。決して見込みの薄い話でもなかった。
「師匠。これは……」
「あれは嘘だったんだ」
幽々子が助かる見込みは薄い。それは嘘だった。
妖忌は飄々と真実を口にした。
どういうことだろう。何故、嘘を吐かれたのか。
「お主がもっと成長していたならば見極められただろうし、昨日のように迷うことも無かっただろう」
「…………」
未熟。全てはそれだった。
もっと精進していれば妖夢が狂気を持ってしまう場面も避けられた筈。
妖忌はそれを見極めることをしていただけであった。これも修行の一環か。
あぁ、もっと精進しよう。妖夢はそう胸に誓う。
しかし、良かった。
幽々子様はまだ眠りにつかれているが亡くなられた訳でもない。
助かる見込みもある。また一緒に居られるだろう。
狂気に堕ちるような考えは捨てて、これからは大事な人を守っていこう。