Ⅴ
「初めて入ったわ」
「初めて入れたもの」
ここは縁起が悪いし外は寒くなってきたから、といってレミリアは全員を二階の大広間に招いていた。レミリアは広間に入るなり「ステージとしては丁度良いんじゃないの?」とパチュリーに言った。その舞台の主役は自分なのだろうか、とパチュリーは辟易した。
広間には館の主を象徴するような、真っ赤な絨毯が広がっている。中央には豪快といって差し支えないほど巨大なテーブルが構えていた。
過剰なまでの広間の紅さに全員が慣れて来たころ、魔理沙が姿を現した。
「見つかったか?」
「あんた今まで何してたのよ」
「探してたぜ。おおよそ居そうにもないところをな」と言って笑っていた。そんなところだろうと、そこでは誰もが納得していた。
咲夜は妖精達に指示を出して、人数分の紅茶と甘味を用意させていた。主からの命令があったのかもしれない。思いがけない地下へのダイブで疲れたのか、全員揃ってカップに口をつけていた。
まるで中断された茶会の二次会だった。もっとも、茶会の趣向はずい分と様変わりしていたのだが。
落ち着いたところで、霊夢が「さて」と切り出した。ことのあらましを、魔理沙に伝えていた。事件を整理する意味合いもあったのかもしれない。
「犯人はそこのメイドを殺して、死体を地下の倉庫に捨てて、中から鍵を閉めて消えたらしいわ」
霊夢の説明には、ずい分と独自の解釈が入っていた。
「人の下僕を何度も殺さないで」
決まりごとのようにレミリアが抗議した。
霊夢はまたそれを無視して、淡い緑色をしたケーキの切れ端を口に運ぶ。昼食をとらなかったから重めの間食を用意したようだ。
「ふふうに考えて、いひばん怪しいのはあんたね」といって霊夢がアリスを示す。手には白くて大きめのティーカップを持っている。テラスで使っていたものだ。来客用に使っていたものが、いつの間にか彼女専用になってしまったらしい。
霊夢の最初の標的はアリスだった。
「なんでよ」アリスは憮然とする。
「この中じゃ器用じゃない、一番」霊夢はそう言って、今度はフォークでアリスを示す。
「本体で注意を引いておいて、人形でガツーンと。で、死体を倉庫に詰めて、人形に中から鍵をかけさせて、咲夜に鍵を持たせる。辻褄が合いすぎるわ」
「人形はどうするのよ」
「通気口があったんでしょ?」確かにあった。あったけれどしかし……とパチュリーは考える。
「便利過ぎるのよ、あんた。それが裏目に出たわね」はい解決、といって霊夢は次のケーキにフォークを刺した。
「人の話も聞きなさいよ」アリスが反論する。それをパチュリーが支援した。
「多分、それは不可能」そう言わざるを得なかった。「通気口は少なくともその人形より小さかったわ」
「バラバラにして、部分部分取り出したんじゃないの?」
「場合によっては不可能ではないけど」とアリスは言う。「そんな事させたくないわ。わざわざメイド一人のばすためだけに」恨みがあるわけでもないし、とも言った。
「じゃあもう自爆でもさせたんじゃないの」やけっぱちになって、霊夢が言い放つ。「跡形もなくなるぐらい粉々に」
「巫女のくせに物騒なことを言うのね」レミリアが言った。物騒なのは、なにも魔法使いに限ったことではないようだった。
「いつものことだぜ」魔理沙がからかった。
「だいたい本体で注意を引いてって言うけど、そういうことがあったの?」
「なかったわ」咲夜は端的に答える。
「人形で注意を引いて人形で殴ったってのは?」
「なかったわ」
「じゃあもうシンプルに魔法を使ったんじゃないの」
確かに外から鍵をかけるぐらいの事なら、魔法使いなら別に難しくはない。解錠・施錠なんて、初歩の初歩に分類される魔法だ。難しいのは鍵の構造を理解することだけで、理解してしまえばあとは簡単だ。鍵が自分から動きたくなるような、そういう力を与えてやるだけ。
だから、密室に関しては魔法使い三人が皆まとめてクロだった。魔理沙については少々疑問だったけれど。彼女がそういう繊細な魔法を使うところを見たことがない。
「大体それなら、私が実際に倉庫まで出向く必要があるじゃない。私の人形は残念ながら、独力で魔法を扱えるほど高性能じゃないわ」
真偽はさておきアリスの言葉を信用すれば、実際に倉庫へ行く時間があったかどうかが問題になる。
不可能だ、とパチュリーは否定した。アリスは朝のうちに図書館に来ている。咲夜は昼に巫女と魔法使いに会っていた。となると、それまで咲夜は無事だったことになるのだから、アリスに犯行を行う時間は無い。
「人形を使ってって簡単に言うけどね、メイドを一人気絶させて、地下に運び込んで鍵をかけた後に、なんとかして脱出させる? 確かに頑張れば不可能ではないわ。頑張ればね。それはもう一週間は寝込んでしまうぐらい」
アリスはそこで一旦区切って、カップに口をつけた。
「大変だし、そもそも理由がないわ」
「じゃあ、あんたじゃないの」
疑惑の種が尽きたのか、霊夢は矛先をレミリアに変えた。手当たり次第といった様子だ。
レミリアは黙っている。パチュリーには心なしか楽しそうに見えた。
「使えない下僕に、ちょっとしたお仕置きってやつ?」
「悪くはないわね」
まるで霊夢の思いつきに賛同したようだった。
「良くもありません」咲夜は主に抗議するように目を瞑っている。
「あの曲芸をやったんじゃないの?」と霊夢が言った。「コウモリになるやつ」
それはパチュリーも考えていた。不可能、ではないはずだ。
「そこの人形遣いじゃないけどね」といってアリスを指差す。「結構疲れるのよ、アレ」
犯行の否認にはなっていないのだが、奇妙な説得力があった。
「それに私はずっとあなた達と一緒にテラスにいたじゃない」
アリバイがある、ということだろう。
「じゃああんた」
やっぱり次は私か、とパチュリーはうんざりした。
「恨みがあったんじゃないの?」
霊夢は方法から攻めるのが面倒になっていたのか、動機から攻めてきた。
「大事な本を燃やされたとか。紅茶に胡椒を入れられたとか」
そういうことも有ったかもしれない、と無責任な事を思った。しかし、違う。
「密室はどう説明するのよ」とパチュリーは一応抵抗してみる。
「それこそ、魔法を使ったんじゃないの」
「鍵をいじること自体は簡単だけど、実際に私がそれを行う時間があったかが問題なのよ。私は朝から図書館にいて、アリスが来たから一緒にテラスへ向かって、その後はあなた達とずっと一緒。そうでしょう?」
「わかんないわよ」と霊夢が吐き捨てるように言った。「あんた達魔法使い二人、口裏合わせてるだけかもしれないじゃない」
共犯の可能性、ということか。霊夢は全くの思いつきなのだろうけど、そこまで的外れではないと思った。人間一人のしてやろうというのだから、少なくとも人形を使って云々、というよりは合理的だ。
「そう言われてしまったら、身も蓋もないけど」この場はそう言っておくことにした。
「さあ、さっさと吐いちゃいなさい」霊夢は自供を要求してきた。少し距離が近くなっている。拷問にでもかけるつもりだろうか。
「そう言われても、やってないことは白状のしようがないわ」
「はぁ……」と霊夢は若干疲れの混じった溜息をついた。
「魔理沙は?」なげやり気味に、相棒にも牙をむいた。
そういえば彼女だけあの場にいなかったな、とパチュリーは思い出す。いなかったけれど、それは咲夜が気絶、もしくは収納された後の話だから、特には関係はないはずだ。
しかし、怪しいといえば存分に怪しかった。普段の行動からして怪しいから、目立たないだけであって。
「霊夢は咲夜がいなくなるまで私とずっと一緒に居ただろう」
「それもそうね」
そこはあっさりと納得してしまった。あなた達二人が共犯だという方がよほどすっきりするのだけれど、とパチュリーは論理を組み立ててみる。
咲夜に会って、テラスへ向かった振りをして、二人がかりでこっそり襲撃する。それから咲夜を倉庫へしまって、魔理沙が魔法で外から鍵をかける。霊夢はその間見張り役でもしていれば、目撃者を警戒することも出来る。実に辻褄が合う。辻褄は合うのだが、話が面倒になるので黙っておいた。
「あの門番とか、他の妖精は?」
「門番は門番よ」
「門を守るのが仕事」咲夜が主に続けた。つまり門から離れることは許されない、ということだろう。考えたこともなかったが少し気の毒だった。
「それに、門番や妖精ごときに不意をつかれるほど衰えてないわ」
気絶しておいてよく言う。永夜異変の時はあまりに冴えなくて大変だったとか、レミリアがそうぼやいていたことをパチュリーは思い出していた。
「あんたの妹は? あのちょっと、ココがおかしいやつ」霊夢が頭をトントン、と叩いて見せた。
「最後に出してあげたのは、いつだったかしら?」
「さあ、覚えがありませんね」
霊夢の思いつきもそこまでだった。彼女の尋問は動機を尋ねたり、方法を尋ねたり、まったくのバラバラだった。もっとも、徒労ばかりというわけでは無かったと思うのだけれど。
「ま、別に何事も無かったんだし」魔理沙はそう言ってカップを置いた。よほど忙しく飛び回っていたのか、中身は早々と空になっていた。「帰ろうぜ」
「待って」それをパチュリーが遮る。
「そんな乱暴者を放置するなんて夜も眠れないわ」もちろん方便だ。「図書館に火をつけられるかもしれない」
「でも、本は燃えないんでしょう?」とアリスが言う。そういうことを言ってるのではないのだけど。
確かに本に施してある魔法には、全体をコーティングして、保護するような役割もある。よっぽど激しく燃えても煤が付く程度だろう。
「とにかく、犯人が分かるまではここにいてもらうわ」
「いいじゃない。少し早いけれど、晩餐の用意をさせるわ」レミリアが言った。
「美酒も出るんだろうな?」魔理沙が卑しいことを言った。
「私もそんなに暇じゃないのに」
霊夢はその場の誰にでも見抜ける嘘を言った。あの神社が繁盛しているところを見たことが無い。
ひとまずそこで解散という運びになった。ただし、帰宅は許されない。
「本当に、頑張るわね」
レミリアがパチュリーの背中にそう言った。
「レミィならもう、おおよそのことは分かってるんじゃないの?」
振り向きながら、パチュリーは思わずそう尋ねる。少し疲れが貯まっているのを感じていた。楽をしたかったのだろう。
「おおよそのことはね」レミリアはくっくと笑っている。「でも、一番面白いのは過程よ。私はそれが見たいの」といってパチュリーの肩を叩く。
「だからね、期待してるわ」
まぁ、ある意味ではこの退屈な友人の為に頑張っていることになるだろうか。そう考えると、もう少しだけ頑張ってみるのも悪くない。
パチュリーはそんな風に、前向きに考えることにした。
◆幕間
いつもの安楽椅子に座る。
晩餐が整うまでの間、少し抜け出してここで考えることにした。
やはり考え事をするときはここに限る。
ここは、落ち着く。
椅子だけではなくて、匂いや雰囲気の全てが私を包んでくれている感覚。
椅子に少し体重をかけて、勢いをつける。
力学の作法通りに反動が返って、椅子が揺れた。
しばらく、そうして揺られてみる。
揺られ揺られて、今日起きたことが思い出される。
大事なこととそうじゃないことが、篩にかけられる。
今大事なのは、不自然なこと。
落ち着いたところで、少しだけ思索に耽ってみることにした。
とはいっても、おおよその見当はついていた。
まず密室。これは館に集まった顔ぶれを見れば答えは単純だ。
色々な意味で、密室が密室足り得ない人物がいるじゃないか。
ただ、それだけでは答えに辿り着けない。
なぜ彼女は、わざわざ密室を演出したのか。
「私に気付かれたくなかったから」
そう言うのだろう。
でも、私に気付かれたくないだけの理由が、果たして彼女にあるのだろうか。
そこがやっぱり納得がいかない。
まぁでも、自信はある。
あの違和感だ。念には念を、といったところなのだろうが。
あれは蛇足。それを掴めば良い。
吹けば飛ぶような薄っぺらいものだけど、それなりのカードはある。
燻り出してやるか。
なんとなくそう思った。
Ⅵ
時刻は夕暮れ。真っ白だったテラスは紅に染まっている。館の名に相応しい色になったというべきだろうか。
パチュリーが図書館から戻ったときには、晩餐の準備がすっかり整っていた。色とりどりの皿とボトルが並んでいる。先程まで並んでいた椅子が取り払われて、立食形式になっていた。各々が好きな皿の前で楽しんでいる。
「おほかったじゃない」
よく聞き取れないことを霊夢が言った。
「行儀が悪いわ」アリスが言った。
「じゃあ食べないの?」
「食べるけど……」アリスは憮然としていた。なんともかみ合わない霊夢の反論だった。
銀髪のメイドが忙しく動いていた。頻繁に皿やグラスを取り替えている。パチュリーは今日初めて、服装に相応しい姿だと思った。軟禁されたり、無意味に頬をぶたれたりするのはメイドの仕事に含まれないはずだ。そんな事を思いながら声をかけた。
「咲夜、いいかしら」
「はい」銀の皿を抱えたまま咲夜が応じる。
「まず、聞くわよ」
「はい?」
「あなた、本当に気絶してたの?」
「はて……?」咲夜が怪訝な顔をして、皿を置いた。「何故そう思うのでしょう?」
「そもそも、意図が分からないのよ」
二人の様子に気付いて、霊夢が寄ってきた。咲夜が置いた皿の上の珍味を摘んでいる。話を聞くことと食糧を得ること、どちらかが目的か分かったものではなかった。
「咲夜を気絶させて、倉庫に放りこんで、鍵を締めて密室を作る」
そう、根本的な問題だ。
「それで?」
「ん?」霊夢がきょとんとした。
「咲夜はこの通り、ぴんぴんしているじゃない。生きているんだから、放っておけば勝手に目を覚まして、勝手に出て行くでしょう」
「殺し損ねたとかは?」
「こぶ一つ出来てないっていうのに?」
「毒を盛ったのかも」
この巫女は相変わらず物騒な方向に持っていこうとしてばかりだった。
「あれから結構経つけど、こうして元気に働いているじゃない。それに、毒で殺すつもりなら別に地下に閉じ込める必要はないでしょう? 放っておけば勝手に死ぬんだから」
「じゃあ何が言いたいのよ」
「そこの咲夜が、嘘をついてるってことよ」
あるいは、性質の悪い冗談。
「うそ?」霊夢がまた呆けた顔をした。「どういうことよ」
「無かったのよ、そもそも」
「主語もないわ」
「密室よ」
「それじゃなに、咲夜が勝手に閉じこもって、勝手に気絶してたってわけ?」
「気を失ってたっていうのも、たぶん嘘。つまり何もかも嘘っぱちなの」
そうじゃないと説明がつかないことがある。
「なんでそんな嘘つく必要があるのよ」
「大体の見当はついてるけど」パチュリーは咲夜に視線を向ける。「まずは咲夜の答えを聞きたいわね」
逆に言うと、パチュリーには見当しかついていなかった。証拠など何一つ無いのだから。
咲夜は黙って微笑んでいる。動揺しているようには見えなかった。
しばしの沈黙。自然と、視線が咲夜に集まる。
「バレちゃったけど、どうするの?」咲夜が言った。
咲夜の視線の先には、霧雨魔理沙。
美酒で赤く染まったグラスを、わざとらしく見つめている。ここまではパチュリーの予想通りだった。
「もうちょっと粘ってくれよ」グラスを軽く傾けて、魔理沙が言った。
「どういうことよ」霊夢が言った。
やれやれ、といった様子で魔理沙が近づいてくる。
「つまり、お前達が咲夜にかかりっきりになってる間に、一仕事させてもらってたんだよ」
魔法使いのくせに素直で助かった、とパチュリーは安堵した。自分の見当は間違っていなかった。ここを白状させてしまえば、その先に行くのはそう難しくない。
「ちょっといつもよりお高い本を拝借したかったのさ」
聞いてもいないのに、魔理沙は動機語りを始めた。もちろん意図的なものだろう。パチュリーにはそれが分かった。
「そいつが本気で怒って、厳しめの弾幕を出しちゃうぐらいな」とパチュリーを指差す。
「それでどうして咲夜が閉じ込められるわけ?」霊夢が言った。
「抜け出す口実が欲しかったんでな。怪しまれずに抜け出したかったんだよ」
「別にあなたなら、無意味に出て行ってもそこまで不自然じゃなかったと思うけど」パチュリーが言った。魔理沙は自分でもそれは分かっているはずだ。
「せっかくだから密室を造りたかったんだよ。それっぽい事件が起きれば、みんなそっちに注目するだろ?」
せっかくだから、ねえ。たったそれだけの為に、ここまで手間をかけるような細やかさがこの魔法使いにあっただろうか。目くらましであるということは、おそらく嘘ではない。嘘ではないが、隠そうとしたのは魔理沙自身ではない。その先を暴く質問は、これだ。
「なんでわざわざ地下に閉じ込めたの?」
「ここの地下って嫌な感じがするだろ? 身体の力が抜けるみたいな。あそこなら、お前の魔法も働かないかなって思ったんだよ」
(――順調だ)
パチュリーは楽しくなったきた。それを悟られないように、ひとまず分かり易い疑問を片付けることにした。
「なんでこんな悪巧みに協力したの?」と咲夜に聞く。
「お嬢様が退屈してましたから。そういう趣向も、悪くないかなと思いまして」
いかがでしたか? と少し離れたところから眺めているレミリアに言った。
「このままだと退屈な結末になりそうだけれど」レミリアは少し不満げだった。
「あんたらしくないわね。こんな面倒なの」
おかげで良い迷惑だわ、と霊夢が言った。言いながらも、食糧を口に運ぶ手は休めない。迷惑というより恩恵に預かっていると言うべきだと思うのだけど。
「力任せばっかりじゃ芸が無いじゃないか」と魔理沙はにやけている。難を乗り切ったつもりだろうか。
頃合いかな。パチュリーはそう思って、切り札を見せることにした。
「咲夜」
「はい」
「あなた、それだけじゃないわよね」
「どういうことですか?」
「あなたは他にもちょっとしたイタズラをした。そうでしょう?」
「というと?」
「そうじゃないと、ありえないもの」パチュリーは言った。「私が本を持って行かれたことに気づかないなんて」
本が奪われた瞬間、私はそれに全く気が付かなかった。気付いたら何かが起こって、終わっていた。そんな違和感が確かにあった。
「気付いてたじゃないか」魔理沙が言った。
「それはあなたの思い込みでしょう? 見当はついていたけど、<犯行の瞬間>に気付いたわけじゃないわ」
「地下にいたからじゃないのか?」
パチュリーはそれを強く否定する。
「いくらあの地下にいるといっても、私がそれに全く気付かないなんてことは有り得ない」
私と本が完全に遮断されてしまうなんて、考えられないのだ。地下では魔力が希薄になるといっても、それは完全に遮断されてしまう程のものではない。第一それなら、『彼女』にとっても都合が悪かったはずだ。
「と言いますと?」
「私達、少なくともあの倉庫の周りの時間をあなたは止めた。そうでしょう?」
念には念を、といったところだろうが、私には逆にそれが切り札になっている。
咲夜は少し空とぼけたが、もう役者を続けるつもりは無いようだった。
「はい、確かに止めました」
「あーあ」魔理沙がわざとらしく言った。「意外と往生際が良いんだな」
ここを認めさせてしまえば、半分罠にかかったようなものだった。時を止めたこと自体は問題じゃない。問題は、この先。パチュリーは気を引き締めた。
「そうだぜ。念には念をいれてな。ちょっとイタズラしてくれって、頼んでおいたんだよ。お前が気づいて戻ってこられたんじゃ面倒だしな。図書館でのイタズラには気付かれなかったけど、倉庫でのイタズラには気付かれたわけか」
これはまいったぜ、といって魔理沙は舌を出した。お芝居が下手だな、とパチュリーは少し微笑ましく思った。
「それじゃあ聞くけど、咲夜」
たぶん、引っかかるんだろうなあ。
「あなたって、どの程度時間を止められるの?」
「さぁ……。あの倉庫周辺ぐらいの広さですと、十数秒ぐらいでしょうか。頑張れば二十秒はいけるかもしれません」
「それなら、いつからいつまで時間を止めたの?」
「それはお前、私が本を頂く時だけ――」
「ちょっと待って」
「帰るぜ」
「もう一度言ってもらえるかしら」
「なんと言われても帰るぜ」
「本を頂く時だけって言ったわ」霊夢が代弁した。
「あなた『本を頂く時』を、どうやって咲夜に伝えたの? 言い方が逆ね。咲夜が『時間を止める時』を、どうやって知ったの?」
「テレパシーだぜ」
「そんなこと出来るだなんて初めて聞いたわよ」と霊夢が言った。さすがにこの巫女も怪しんでいるようだった。
「魔法使いを甘く見ちゃいけないな」と魔理沙は言う。
それからは暫しの沈黙。視線が泳いで、あからさまに挙動不審な魔法使いだった。少し汗ばんでいるようにも見える。紅い広間の暖かさに因るものだけとは思えなかった。
「時間をきっちり合わせてたんだよ」と魔理沙はやっと切り出した。
「全然魔法使いらしくないし」霊夢があっさりと否定する。「あんたが時計持ち歩いてるとこなんて、見たことないわよ」
「腹時計ってやつだな。腹三分目ぐらいになったら、止めてくれって」
「きっちりねえ……」
そもそも時間を決めていたところで、私達、いや私が予定の時間に倉庫に辿り着かなかったら何の意味もない。三十秒ずれただけでも、私の時間は止まらず、魔理沙の犯行に気付くことになっていたはずだ。
それからはまた沈黙。魔理沙は万策尽きたようだった。
「もういいわ」
アリスがそう言って溜息をついた。諦めとも呆れとも取れるものが混じっていた。
「あなた達、お芝居が下手すぎるのよ」
あなた達とはつまり、魔理沙と咲夜。
「だいたい分かっているのでしょう?」
「ええ」パチュリーは頷いた。
「始めに怪しいと思ったのは?」
「咲夜が、朝から館にあなたが来たと言った時。最初はなんとも思わなかったけど」
「そうよね。図書館に行くのに、別に館に寄る必要はないわ」
ところが実際は必要があった。咲夜に協力を要請するために。
「それと、私が図書館に火をつけられるかもしれないって、冗談を言った時」
アリスはあの時、本は燃えないのでしょう? と言った。本に施す魔法の種類なんて限られているから、そこまで気にはならなかったけど、少し<知り過ぎている>ように思われたのだ。
「あれは本当に失言。致命的だとは、思わなかったけど。まぁどっちにしろ、証拠なんか何一つ無いのに、二人がべらべら喋ってしまうんだから。だいぶ前から諦めていたわ」
アリスが二人を見て、また溜息をついた。共犯者の質の悪さに少し同情した。
「ただ一つ分からなかったの」
それがパチュリーの最後の疑問だった。
「本が必要なら、貸してあげたのに」
「返すつもりがなかったのよ」
アリスは無表情に言って、少し歩いた。歩いた先には重厚な広間のドア。それを押し開いて見せた。開いた隙間に向かって、持ってきて、と声をかける。人形が数体がかりで一冊の本を運んできた。
それを見てパチュリーはなるほど、と思い至る。
読み進めていくうちに言語そのものまで変わってしまう本なんてあれぐらいのものだ。私は幸いどれも見覚えのある言語だったから、通読するぐらいの事はできたけれど、完全に理解したとは言い難かった。全くの初見であれを読もうと思ったら、まず言語体系を解明するところから始めなければならない。それだけ難解な本だから、写本するのにも大変な手間がかかる。
「欲しかったのよ。すごく」
「傑作だよな」アリスがだぜ、と言ってマリサが笑った。「人間なら読むこと自体諦めてるってのに」
「全然わかんないわ」とそれまで黙って聞いていた霊夢が不満げに言った。
「簡単よ」パチュリーが解説を始める。
「アリスしかいないじゃない。あの時、あの倉庫で、咲夜と魔理沙に同時に合図を出せた人物って」
「咲夜は分かるけど、魔理沙は――」
「そう、人形ね」
思い出してみれば、あの人形劇も不自然さの塊に思える。なのに少しもそう思わなかったのは、それだけ普段からおかしな所だらけだから、ということなのだろう。
「でも自分の時間も止められちゃったら、合図のしようがないじゃない」
「人形でマリサに合図をしてから、咲夜に合図する。咲夜には合図を<自分の声>とでも決めていたんじゃないかしら。合図をするまでは、倉庫の中に隠れていてもらう。その為の鍵、その為の密室ね」
「正解よ」アリスが忌々しげに言った。
「じゃあ何、魔理沙には咲夜とアリス、共犯が二人いたってわけ?」
「逆よ」
ほぼ間違いないと思っていたけれど、あの本を見て確信した。あれは魔理沙には必要無い。だって、理解する前に寿命が終わってしまうのだから。
「主犯は、アリス」
「へ? アリスが? なんで?」霊夢が呆けた顔をする。それを見て魔理沙が楽しそうにした。
「木を隠すには森といってな」
「三人がかりなら気付かれずに持ち出せると思ったのよ。万が一バレても、魔理沙の仕業にすれば、私の存在には気付かれないで済みそうじゃない」
もう面倒になっていたのか、アリスが早口で動機を語った。
「いつものことだしな」と魔理沙が言う。
「何をやるつもりかは、知りませんでしたけどね」
咲夜には本当に、指示だけを出していたわけだ。
「大体分かったわ」霊夢がやっとのことで納得する。
「分かったけど、それってそんなに良いものなの?」と言って、人形が持っている本を指した。
「さあ、考えたこともなかったけど」
良いものか、と聞かれるとなんとも言えなかった。貴重であることは間違いないけど、読める者が限られすぎる本に、果たして意味はあるのだろうか。
「どこかに流したら、博麗神社のお賽銭一世紀分ぐらいにはなるんじゃないの」とアリスが言った。賽銭が少なすぎるのか、本が高級すぎるのかは定かで無かった。
「まぁ、ばれたら返すつもりだったから」といって人形に合図する。パチュリーの手元に本が運ばれきた。これだけの手間をかけた割りに、アリスはずい分と諦めが良かった。
周到に準備して、奔放な共犯者に散々振り回された挙句、徒労に終わったアリスの苦労を思って、パチュリーは少し躊躇する。
「べつに、プレゼントしても良いのだけど」
「そういうつもりだったから、返すわ」
アリスは人形に合図して、本をパチュリーに近づけた。
「要らないなら、貰ってあげてもいいわよ」打算を含んだ目で、霊夢が言った。
「私が引き受けてやってもいいぜ」魔理沙がそれに続いた。
「遠慮しておくわ」
パチュリーが本を受け取って、そこで一先ずの終演となった。
結局アリスの陰謀は未遂に終わって、共犯者ともども紅魔館を去っていった。一件落着といったところだ。
「ご苦労さま」とレミリアがパチュリーを労う。
「少しは退屈凌ぎになった?」
パチュリーはそう尋ねた。退屈との戦いは、遍く命題のようなものだ。パチュリーもレミリアも、過剰なまでの時間を得る代わりに、その命題と戦わなければならない。
「ええ、とっても」
レミリアは心から喜んでいるように見えた。友人の尽力が自分の為でもあったことを知っていたようだった。
――もう一歩だったけれど
レミリアは去り際にそんなことを言った。
レミィの悪い癖だ、パチュリーはそう思うことにした。
霊夢では無いけれど、これ以上は面倒だった。
十分過ぎる仕事はしたし、友人も満足してくれた。
クライマックスで読みかけていた本もある。
今日は少し喋り過ぎたからか、胸の奥に焼け付くような気配を感じていた。
喘息は夜からひどくなる。
やけに長引いたけど、本日の余興はこれまで。
そんな風に折り合いをつけて、パチュリーは騒がしい一日に幕を下ろした。
Epilogue
「それでこの『むすめ』は、結局どうなるんだ?」
「――野垂れ死によ」
魔理沙が本を読んでいる。ここ最近で一番の苦労をして、やっとのことでくすねてきた、私の本だ。私が、書いてしまった本。
なんでよりによって、あの図書館で見つけてしまったのだろう。自分の目を疑ったものだ。
そういう約束だから、渋々読ましてやっている。紅魔館から引き上げる間に、何度事故を装って燃やしてしまおうとしたことか。
「おだやかじゃないな」といって魔理沙が笑った。
魔理沙はさっきからずっと、にやけている。馬鹿にしている、という風ではないけど。
「しかし脈絡の無いお話だよな」
「うるさいわね」
若かったんだから、というのは何か違うと思って、その言葉を飲み込んだ。
「木を隠すには森、なんて言ったときはどうなるかと思ったわ」
森という程のものではないけど、まだ隠しているものがあったから、本当に肝を冷やした。あれほど魔理沙の口を塞ぎたくなった時は無かった。
「口は災いのなんとやらだな」
「もとぐらい言いなさいよ」
三文字も長くなっているじゃない。
「でも」といって魔理沙は本を閉じる。「終始だんまりってのも、柄じゃないだろう?」
「――まあね」
別に私の存在に気付かれること自体は問題無かった。パチュリーの感覚をぼやけさせることさえ出来たら、私の目的は達成出来た。だからあのメイドには大した口止めをしなかった。
「あれで納得されてしまうなんて、お前も捨てたもんじゃないな」
「ほとんど本当のことだもの」
あの本が欲しかったというのは嘘ではない。幻想郷に写本が一冊有るか無いかだろう。読破するだけのやる気、という点については自信が無かったけれど。
「ま、約束どおり。他言はしないぜ」と言って魔理沙が本を投げてきた。慌ててそれを受け取る。苦労した割りに、そこまで興味は無いようだった。魔理沙からすれば暇潰しの延長でしかなかったのかもしれない。
「しかし、なんで私は良くて、パチュリーはダメなんだ?」
そう、パチュリーには思い出されるだけでも、具合が悪かった。思い出したら彼女はきっと、当分忘れてはくれない。
「そんなの決まってるじゃない」
単純な話だ。
「人間の方が早く忘れて、早く死んでくれるからよ」
「なるほど、なるほど」
細かいところで振り回された皮肉を込めて毒づいたつもりだが、魔理沙はあっさりと納得してしまう。
それどころか、手を叩いて笑っていた。なにがそんなに嬉しいのだろう。
「そいつは分かり易い」
魔理沙はそう言って、何をするでもなく私を見て笑っている。
ああ、早いところ……。
「ま、死ぬまで忘れないぜ」
「さあ、五十年ぐらいかしら?」
「見通しが甘過ぎる、と言う他ないな」
あと七十年? 八十年?
私の前に広がる膨大な時間の前では、なんてことは無い時間だ。
けれど私は、なんだか鉛を飲み込まされたような、そんな気がしていた。
「初めて入ったわ」
「初めて入れたもの」
ここは縁起が悪いし外は寒くなってきたから、といってレミリアは全員を二階の大広間に招いていた。レミリアは広間に入るなり「ステージとしては丁度良いんじゃないの?」とパチュリーに言った。その舞台の主役は自分なのだろうか、とパチュリーは辟易した。
広間には館の主を象徴するような、真っ赤な絨毯が広がっている。中央には豪快といって差し支えないほど巨大なテーブルが構えていた。
過剰なまでの広間の紅さに全員が慣れて来たころ、魔理沙が姿を現した。
「見つかったか?」
「あんた今まで何してたのよ」
「探してたぜ。おおよそ居そうにもないところをな」と言って笑っていた。そんなところだろうと、そこでは誰もが納得していた。
咲夜は妖精達に指示を出して、人数分の紅茶と甘味を用意させていた。主からの命令があったのかもしれない。思いがけない地下へのダイブで疲れたのか、全員揃ってカップに口をつけていた。
まるで中断された茶会の二次会だった。もっとも、茶会の趣向はずい分と様変わりしていたのだが。
落ち着いたところで、霊夢が「さて」と切り出した。ことのあらましを、魔理沙に伝えていた。事件を整理する意味合いもあったのかもしれない。
「犯人はそこのメイドを殺して、死体を地下の倉庫に捨てて、中から鍵を閉めて消えたらしいわ」
霊夢の説明には、ずい分と独自の解釈が入っていた。
「人の下僕を何度も殺さないで」
決まりごとのようにレミリアが抗議した。
霊夢はまたそれを無視して、淡い緑色をしたケーキの切れ端を口に運ぶ。昼食をとらなかったから重めの間食を用意したようだ。
「ふふうに考えて、いひばん怪しいのはあんたね」といって霊夢がアリスを示す。手には白くて大きめのティーカップを持っている。テラスで使っていたものだ。来客用に使っていたものが、いつの間にか彼女専用になってしまったらしい。
霊夢の最初の標的はアリスだった。
「なんでよ」アリスは憮然とする。
「この中じゃ器用じゃない、一番」霊夢はそう言って、今度はフォークでアリスを示す。
「本体で注意を引いておいて、人形でガツーンと。で、死体を倉庫に詰めて、人形に中から鍵をかけさせて、咲夜に鍵を持たせる。辻褄が合いすぎるわ」
「人形はどうするのよ」
「通気口があったんでしょ?」確かにあった。あったけれどしかし……とパチュリーは考える。
「便利過ぎるのよ、あんた。それが裏目に出たわね」はい解決、といって霊夢は次のケーキにフォークを刺した。
「人の話も聞きなさいよ」アリスが反論する。それをパチュリーが支援した。
「多分、それは不可能」そう言わざるを得なかった。「通気口は少なくともその人形より小さかったわ」
「バラバラにして、部分部分取り出したんじゃないの?」
「場合によっては不可能ではないけど」とアリスは言う。「そんな事させたくないわ。わざわざメイド一人のばすためだけに」恨みがあるわけでもないし、とも言った。
「じゃあもう自爆でもさせたんじゃないの」やけっぱちになって、霊夢が言い放つ。「跡形もなくなるぐらい粉々に」
「巫女のくせに物騒なことを言うのね」レミリアが言った。物騒なのは、なにも魔法使いに限ったことではないようだった。
「いつものことだぜ」魔理沙がからかった。
「だいたい本体で注意を引いてって言うけど、そういうことがあったの?」
「なかったわ」咲夜は端的に答える。
「人形で注意を引いて人形で殴ったってのは?」
「なかったわ」
「じゃあもうシンプルに魔法を使ったんじゃないの」
確かに外から鍵をかけるぐらいの事なら、魔法使いなら別に難しくはない。解錠・施錠なんて、初歩の初歩に分類される魔法だ。難しいのは鍵の構造を理解することだけで、理解してしまえばあとは簡単だ。鍵が自分から動きたくなるような、そういう力を与えてやるだけ。
だから、密室に関しては魔法使い三人が皆まとめてクロだった。魔理沙については少々疑問だったけれど。彼女がそういう繊細な魔法を使うところを見たことがない。
「大体それなら、私が実際に倉庫まで出向く必要があるじゃない。私の人形は残念ながら、独力で魔法を扱えるほど高性能じゃないわ」
真偽はさておきアリスの言葉を信用すれば、実際に倉庫へ行く時間があったかどうかが問題になる。
不可能だ、とパチュリーは否定した。アリスは朝のうちに図書館に来ている。咲夜は昼に巫女と魔法使いに会っていた。となると、それまで咲夜は無事だったことになるのだから、アリスに犯行を行う時間は無い。
「人形を使ってって簡単に言うけどね、メイドを一人気絶させて、地下に運び込んで鍵をかけた後に、なんとかして脱出させる? 確かに頑張れば不可能ではないわ。頑張ればね。それはもう一週間は寝込んでしまうぐらい」
アリスはそこで一旦区切って、カップに口をつけた。
「大変だし、そもそも理由がないわ」
「じゃあ、あんたじゃないの」
疑惑の種が尽きたのか、霊夢は矛先をレミリアに変えた。手当たり次第といった様子だ。
レミリアは黙っている。パチュリーには心なしか楽しそうに見えた。
「使えない下僕に、ちょっとしたお仕置きってやつ?」
「悪くはないわね」
まるで霊夢の思いつきに賛同したようだった。
「良くもありません」咲夜は主に抗議するように目を瞑っている。
「あの曲芸をやったんじゃないの?」と霊夢が言った。「コウモリになるやつ」
それはパチュリーも考えていた。不可能、ではないはずだ。
「そこの人形遣いじゃないけどね」といってアリスを指差す。「結構疲れるのよ、アレ」
犯行の否認にはなっていないのだが、奇妙な説得力があった。
「それに私はずっとあなた達と一緒にテラスにいたじゃない」
アリバイがある、ということだろう。
「じゃああんた」
やっぱり次は私か、とパチュリーはうんざりした。
「恨みがあったんじゃないの?」
霊夢は方法から攻めるのが面倒になっていたのか、動機から攻めてきた。
「大事な本を燃やされたとか。紅茶に胡椒を入れられたとか」
そういうことも有ったかもしれない、と無責任な事を思った。しかし、違う。
「密室はどう説明するのよ」とパチュリーは一応抵抗してみる。
「それこそ、魔法を使ったんじゃないの」
「鍵をいじること自体は簡単だけど、実際に私がそれを行う時間があったかが問題なのよ。私は朝から図書館にいて、アリスが来たから一緒にテラスへ向かって、その後はあなた達とずっと一緒。そうでしょう?」
「わかんないわよ」と霊夢が吐き捨てるように言った。「あんた達魔法使い二人、口裏合わせてるだけかもしれないじゃない」
共犯の可能性、ということか。霊夢は全くの思いつきなのだろうけど、そこまで的外れではないと思った。人間一人のしてやろうというのだから、少なくとも人形を使って云々、というよりは合理的だ。
「そう言われてしまったら、身も蓋もないけど」この場はそう言っておくことにした。
「さあ、さっさと吐いちゃいなさい」霊夢は自供を要求してきた。少し距離が近くなっている。拷問にでもかけるつもりだろうか。
「そう言われても、やってないことは白状のしようがないわ」
「はぁ……」と霊夢は若干疲れの混じった溜息をついた。
「魔理沙は?」なげやり気味に、相棒にも牙をむいた。
そういえば彼女だけあの場にいなかったな、とパチュリーは思い出す。いなかったけれど、それは咲夜が気絶、もしくは収納された後の話だから、特には関係はないはずだ。
しかし、怪しいといえば存分に怪しかった。普段の行動からして怪しいから、目立たないだけであって。
「霊夢は咲夜がいなくなるまで私とずっと一緒に居ただろう」
「それもそうね」
そこはあっさりと納得してしまった。あなた達二人が共犯だという方がよほどすっきりするのだけれど、とパチュリーは論理を組み立ててみる。
咲夜に会って、テラスへ向かった振りをして、二人がかりでこっそり襲撃する。それから咲夜を倉庫へしまって、魔理沙が魔法で外から鍵をかける。霊夢はその間見張り役でもしていれば、目撃者を警戒することも出来る。実に辻褄が合う。辻褄は合うのだが、話が面倒になるので黙っておいた。
「あの門番とか、他の妖精は?」
「門番は門番よ」
「門を守るのが仕事」咲夜が主に続けた。つまり門から離れることは許されない、ということだろう。考えたこともなかったが少し気の毒だった。
「それに、門番や妖精ごときに不意をつかれるほど衰えてないわ」
気絶しておいてよく言う。永夜異変の時はあまりに冴えなくて大変だったとか、レミリアがそうぼやいていたことをパチュリーは思い出していた。
「あんたの妹は? あのちょっと、ココがおかしいやつ」霊夢が頭をトントン、と叩いて見せた。
「最後に出してあげたのは、いつだったかしら?」
「さあ、覚えがありませんね」
霊夢の思いつきもそこまでだった。彼女の尋問は動機を尋ねたり、方法を尋ねたり、まったくのバラバラだった。もっとも、徒労ばかりというわけでは無かったと思うのだけれど。
「ま、別に何事も無かったんだし」魔理沙はそう言ってカップを置いた。よほど忙しく飛び回っていたのか、中身は早々と空になっていた。「帰ろうぜ」
「待って」それをパチュリーが遮る。
「そんな乱暴者を放置するなんて夜も眠れないわ」もちろん方便だ。「図書館に火をつけられるかもしれない」
「でも、本は燃えないんでしょう?」とアリスが言う。そういうことを言ってるのではないのだけど。
確かに本に施してある魔法には、全体をコーティングして、保護するような役割もある。よっぽど激しく燃えても煤が付く程度だろう。
「とにかく、犯人が分かるまではここにいてもらうわ」
「いいじゃない。少し早いけれど、晩餐の用意をさせるわ」レミリアが言った。
「美酒も出るんだろうな?」魔理沙が卑しいことを言った。
「私もそんなに暇じゃないのに」
霊夢はその場の誰にでも見抜ける嘘を言った。あの神社が繁盛しているところを見たことが無い。
ひとまずそこで解散という運びになった。ただし、帰宅は許されない。
「本当に、頑張るわね」
レミリアがパチュリーの背中にそう言った。
「レミィならもう、おおよそのことは分かってるんじゃないの?」
振り向きながら、パチュリーは思わずそう尋ねる。少し疲れが貯まっているのを感じていた。楽をしたかったのだろう。
「おおよそのことはね」レミリアはくっくと笑っている。「でも、一番面白いのは過程よ。私はそれが見たいの」といってパチュリーの肩を叩く。
「だからね、期待してるわ」
まぁ、ある意味ではこの退屈な友人の為に頑張っていることになるだろうか。そう考えると、もう少しだけ頑張ってみるのも悪くない。
パチュリーはそんな風に、前向きに考えることにした。
◆幕間
いつもの安楽椅子に座る。
晩餐が整うまでの間、少し抜け出してここで考えることにした。
やはり考え事をするときはここに限る。
ここは、落ち着く。
椅子だけではなくて、匂いや雰囲気の全てが私を包んでくれている感覚。
椅子に少し体重をかけて、勢いをつける。
力学の作法通りに反動が返って、椅子が揺れた。
しばらく、そうして揺られてみる。
揺られ揺られて、今日起きたことが思い出される。
大事なこととそうじゃないことが、篩にかけられる。
今大事なのは、不自然なこと。
落ち着いたところで、少しだけ思索に耽ってみることにした。
とはいっても、おおよその見当はついていた。
まず密室。これは館に集まった顔ぶれを見れば答えは単純だ。
色々な意味で、密室が密室足り得ない人物がいるじゃないか。
ただ、それだけでは答えに辿り着けない。
なぜ彼女は、わざわざ密室を演出したのか。
「私に気付かれたくなかったから」
そう言うのだろう。
でも、私に気付かれたくないだけの理由が、果たして彼女にあるのだろうか。
そこがやっぱり納得がいかない。
まぁでも、自信はある。
あの違和感だ。念には念を、といったところなのだろうが。
あれは蛇足。それを掴めば良い。
吹けば飛ぶような薄っぺらいものだけど、それなりのカードはある。
燻り出してやるか。
なんとなくそう思った。
Ⅵ
時刻は夕暮れ。真っ白だったテラスは紅に染まっている。館の名に相応しい色になったというべきだろうか。
パチュリーが図書館から戻ったときには、晩餐の準備がすっかり整っていた。色とりどりの皿とボトルが並んでいる。先程まで並んでいた椅子が取り払われて、立食形式になっていた。各々が好きな皿の前で楽しんでいる。
「おほかったじゃない」
よく聞き取れないことを霊夢が言った。
「行儀が悪いわ」アリスが言った。
「じゃあ食べないの?」
「食べるけど……」アリスは憮然としていた。なんともかみ合わない霊夢の反論だった。
銀髪のメイドが忙しく動いていた。頻繁に皿やグラスを取り替えている。パチュリーは今日初めて、服装に相応しい姿だと思った。軟禁されたり、無意味に頬をぶたれたりするのはメイドの仕事に含まれないはずだ。そんな事を思いながら声をかけた。
「咲夜、いいかしら」
「はい」銀の皿を抱えたまま咲夜が応じる。
「まず、聞くわよ」
「はい?」
「あなた、本当に気絶してたの?」
「はて……?」咲夜が怪訝な顔をして、皿を置いた。「何故そう思うのでしょう?」
「そもそも、意図が分からないのよ」
二人の様子に気付いて、霊夢が寄ってきた。咲夜が置いた皿の上の珍味を摘んでいる。話を聞くことと食糧を得ること、どちらかが目的か分かったものではなかった。
「咲夜を気絶させて、倉庫に放りこんで、鍵を締めて密室を作る」
そう、根本的な問題だ。
「それで?」
「ん?」霊夢がきょとんとした。
「咲夜はこの通り、ぴんぴんしているじゃない。生きているんだから、放っておけば勝手に目を覚まして、勝手に出て行くでしょう」
「殺し損ねたとかは?」
「こぶ一つ出来てないっていうのに?」
「毒を盛ったのかも」
この巫女は相変わらず物騒な方向に持っていこうとしてばかりだった。
「あれから結構経つけど、こうして元気に働いているじゃない。それに、毒で殺すつもりなら別に地下に閉じ込める必要はないでしょう? 放っておけば勝手に死ぬんだから」
「じゃあ何が言いたいのよ」
「そこの咲夜が、嘘をついてるってことよ」
あるいは、性質の悪い冗談。
「うそ?」霊夢がまた呆けた顔をした。「どういうことよ」
「無かったのよ、そもそも」
「主語もないわ」
「密室よ」
「それじゃなに、咲夜が勝手に閉じこもって、勝手に気絶してたってわけ?」
「気を失ってたっていうのも、たぶん嘘。つまり何もかも嘘っぱちなの」
そうじゃないと説明がつかないことがある。
「なんでそんな嘘つく必要があるのよ」
「大体の見当はついてるけど」パチュリーは咲夜に視線を向ける。「まずは咲夜の答えを聞きたいわね」
逆に言うと、パチュリーには見当しかついていなかった。証拠など何一つ無いのだから。
咲夜は黙って微笑んでいる。動揺しているようには見えなかった。
しばしの沈黙。自然と、視線が咲夜に集まる。
「バレちゃったけど、どうするの?」咲夜が言った。
咲夜の視線の先には、霧雨魔理沙。
美酒で赤く染まったグラスを、わざとらしく見つめている。ここまではパチュリーの予想通りだった。
「もうちょっと粘ってくれよ」グラスを軽く傾けて、魔理沙が言った。
「どういうことよ」霊夢が言った。
やれやれ、といった様子で魔理沙が近づいてくる。
「つまり、お前達が咲夜にかかりっきりになってる間に、一仕事させてもらってたんだよ」
魔法使いのくせに素直で助かった、とパチュリーは安堵した。自分の見当は間違っていなかった。ここを白状させてしまえば、その先に行くのはそう難しくない。
「ちょっといつもよりお高い本を拝借したかったのさ」
聞いてもいないのに、魔理沙は動機語りを始めた。もちろん意図的なものだろう。パチュリーにはそれが分かった。
「そいつが本気で怒って、厳しめの弾幕を出しちゃうぐらいな」とパチュリーを指差す。
「それでどうして咲夜が閉じ込められるわけ?」霊夢が言った。
「抜け出す口実が欲しかったんでな。怪しまれずに抜け出したかったんだよ」
「別にあなたなら、無意味に出て行ってもそこまで不自然じゃなかったと思うけど」パチュリーが言った。魔理沙は自分でもそれは分かっているはずだ。
「せっかくだから密室を造りたかったんだよ。それっぽい事件が起きれば、みんなそっちに注目するだろ?」
せっかくだから、ねえ。たったそれだけの為に、ここまで手間をかけるような細やかさがこの魔法使いにあっただろうか。目くらましであるということは、おそらく嘘ではない。嘘ではないが、隠そうとしたのは魔理沙自身ではない。その先を暴く質問は、これだ。
「なんでわざわざ地下に閉じ込めたの?」
「ここの地下って嫌な感じがするだろ? 身体の力が抜けるみたいな。あそこなら、お前の魔法も働かないかなって思ったんだよ」
(――順調だ)
パチュリーは楽しくなったきた。それを悟られないように、ひとまず分かり易い疑問を片付けることにした。
「なんでこんな悪巧みに協力したの?」と咲夜に聞く。
「お嬢様が退屈してましたから。そういう趣向も、悪くないかなと思いまして」
いかがでしたか? と少し離れたところから眺めているレミリアに言った。
「このままだと退屈な結末になりそうだけれど」レミリアは少し不満げだった。
「あんたらしくないわね。こんな面倒なの」
おかげで良い迷惑だわ、と霊夢が言った。言いながらも、食糧を口に運ぶ手は休めない。迷惑というより恩恵に預かっていると言うべきだと思うのだけど。
「力任せばっかりじゃ芸が無いじゃないか」と魔理沙はにやけている。難を乗り切ったつもりだろうか。
頃合いかな。パチュリーはそう思って、切り札を見せることにした。
「咲夜」
「はい」
「あなた、それだけじゃないわよね」
「どういうことですか?」
「あなたは他にもちょっとしたイタズラをした。そうでしょう?」
「というと?」
「そうじゃないと、ありえないもの」パチュリーは言った。「私が本を持って行かれたことに気づかないなんて」
本が奪われた瞬間、私はそれに全く気が付かなかった。気付いたら何かが起こって、終わっていた。そんな違和感が確かにあった。
「気付いてたじゃないか」魔理沙が言った。
「それはあなたの思い込みでしょう? 見当はついていたけど、<犯行の瞬間>に気付いたわけじゃないわ」
「地下にいたからじゃないのか?」
パチュリーはそれを強く否定する。
「いくらあの地下にいるといっても、私がそれに全く気付かないなんてことは有り得ない」
私と本が完全に遮断されてしまうなんて、考えられないのだ。地下では魔力が希薄になるといっても、それは完全に遮断されてしまう程のものではない。第一それなら、『彼女』にとっても都合が悪かったはずだ。
「と言いますと?」
「私達、少なくともあの倉庫の周りの時間をあなたは止めた。そうでしょう?」
念には念を、といったところだろうが、私には逆にそれが切り札になっている。
咲夜は少し空とぼけたが、もう役者を続けるつもりは無いようだった。
「はい、確かに止めました」
「あーあ」魔理沙がわざとらしく言った。「意外と往生際が良いんだな」
ここを認めさせてしまえば、半分罠にかかったようなものだった。時を止めたこと自体は問題じゃない。問題は、この先。パチュリーは気を引き締めた。
「そうだぜ。念には念をいれてな。ちょっとイタズラしてくれって、頼んでおいたんだよ。お前が気づいて戻ってこられたんじゃ面倒だしな。図書館でのイタズラには気付かれなかったけど、倉庫でのイタズラには気付かれたわけか」
これはまいったぜ、といって魔理沙は舌を出した。お芝居が下手だな、とパチュリーは少し微笑ましく思った。
「それじゃあ聞くけど、咲夜」
たぶん、引っかかるんだろうなあ。
「あなたって、どの程度時間を止められるの?」
「さぁ……。あの倉庫周辺ぐらいの広さですと、十数秒ぐらいでしょうか。頑張れば二十秒はいけるかもしれません」
「それなら、いつからいつまで時間を止めたの?」
「それはお前、私が本を頂く時だけ――」
「ちょっと待って」
「帰るぜ」
「もう一度言ってもらえるかしら」
「なんと言われても帰るぜ」
「本を頂く時だけって言ったわ」霊夢が代弁した。
「あなた『本を頂く時』を、どうやって咲夜に伝えたの? 言い方が逆ね。咲夜が『時間を止める時』を、どうやって知ったの?」
「テレパシーだぜ」
「そんなこと出来るだなんて初めて聞いたわよ」と霊夢が言った。さすがにこの巫女も怪しんでいるようだった。
「魔法使いを甘く見ちゃいけないな」と魔理沙は言う。
それからは暫しの沈黙。視線が泳いで、あからさまに挙動不審な魔法使いだった。少し汗ばんでいるようにも見える。紅い広間の暖かさに因るものだけとは思えなかった。
「時間をきっちり合わせてたんだよ」と魔理沙はやっと切り出した。
「全然魔法使いらしくないし」霊夢があっさりと否定する。「あんたが時計持ち歩いてるとこなんて、見たことないわよ」
「腹時計ってやつだな。腹三分目ぐらいになったら、止めてくれって」
「きっちりねえ……」
そもそも時間を決めていたところで、私達、いや私が予定の時間に倉庫に辿り着かなかったら何の意味もない。三十秒ずれただけでも、私の時間は止まらず、魔理沙の犯行に気付くことになっていたはずだ。
それからはまた沈黙。魔理沙は万策尽きたようだった。
「もういいわ」
アリスがそう言って溜息をついた。諦めとも呆れとも取れるものが混じっていた。
「あなた達、お芝居が下手すぎるのよ」
あなた達とはつまり、魔理沙と咲夜。
「だいたい分かっているのでしょう?」
「ええ」パチュリーは頷いた。
「始めに怪しいと思ったのは?」
「咲夜が、朝から館にあなたが来たと言った時。最初はなんとも思わなかったけど」
「そうよね。図書館に行くのに、別に館に寄る必要はないわ」
ところが実際は必要があった。咲夜に協力を要請するために。
「それと、私が図書館に火をつけられるかもしれないって、冗談を言った時」
アリスはあの時、本は燃えないのでしょう? と言った。本に施す魔法の種類なんて限られているから、そこまで気にはならなかったけど、少し<知り過ぎている>ように思われたのだ。
「あれは本当に失言。致命的だとは、思わなかったけど。まぁどっちにしろ、証拠なんか何一つ無いのに、二人がべらべら喋ってしまうんだから。だいぶ前から諦めていたわ」
アリスが二人を見て、また溜息をついた。共犯者の質の悪さに少し同情した。
「ただ一つ分からなかったの」
それがパチュリーの最後の疑問だった。
「本が必要なら、貸してあげたのに」
「返すつもりがなかったのよ」
アリスは無表情に言って、少し歩いた。歩いた先には重厚な広間のドア。それを押し開いて見せた。開いた隙間に向かって、持ってきて、と声をかける。人形が数体がかりで一冊の本を運んできた。
それを見てパチュリーはなるほど、と思い至る。
読み進めていくうちに言語そのものまで変わってしまう本なんてあれぐらいのものだ。私は幸いどれも見覚えのある言語だったから、通読するぐらいの事はできたけれど、完全に理解したとは言い難かった。全くの初見であれを読もうと思ったら、まず言語体系を解明するところから始めなければならない。それだけ難解な本だから、写本するのにも大変な手間がかかる。
「欲しかったのよ。すごく」
「傑作だよな」アリスがだぜ、と言ってマリサが笑った。「人間なら読むこと自体諦めてるってのに」
「全然わかんないわ」とそれまで黙って聞いていた霊夢が不満げに言った。
「簡単よ」パチュリーが解説を始める。
「アリスしかいないじゃない。あの時、あの倉庫で、咲夜と魔理沙に同時に合図を出せた人物って」
「咲夜は分かるけど、魔理沙は――」
「そう、人形ね」
思い出してみれば、あの人形劇も不自然さの塊に思える。なのに少しもそう思わなかったのは、それだけ普段からおかしな所だらけだから、ということなのだろう。
「でも自分の時間も止められちゃったら、合図のしようがないじゃない」
「人形でマリサに合図をしてから、咲夜に合図する。咲夜には合図を<自分の声>とでも決めていたんじゃないかしら。合図をするまでは、倉庫の中に隠れていてもらう。その為の鍵、その為の密室ね」
「正解よ」アリスが忌々しげに言った。
「じゃあ何、魔理沙には咲夜とアリス、共犯が二人いたってわけ?」
「逆よ」
ほぼ間違いないと思っていたけれど、あの本を見て確信した。あれは魔理沙には必要無い。だって、理解する前に寿命が終わってしまうのだから。
「主犯は、アリス」
「へ? アリスが? なんで?」霊夢が呆けた顔をする。それを見て魔理沙が楽しそうにした。
「木を隠すには森といってな」
「三人がかりなら気付かれずに持ち出せると思ったのよ。万が一バレても、魔理沙の仕業にすれば、私の存在には気付かれないで済みそうじゃない」
もう面倒になっていたのか、アリスが早口で動機を語った。
「いつものことだしな」と魔理沙が言う。
「何をやるつもりかは、知りませんでしたけどね」
咲夜には本当に、指示だけを出していたわけだ。
「大体分かったわ」霊夢がやっとのことで納得する。
「分かったけど、それってそんなに良いものなの?」と言って、人形が持っている本を指した。
「さあ、考えたこともなかったけど」
良いものか、と聞かれるとなんとも言えなかった。貴重であることは間違いないけど、読める者が限られすぎる本に、果たして意味はあるのだろうか。
「どこかに流したら、博麗神社のお賽銭一世紀分ぐらいにはなるんじゃないの」とアリスが言った。賽銭が少なすぎるのか、本が高級すぎるのかは定かで無かった。
「まぁ、ばれたら返すつもりだったから」といって人形に合図する。パチュリーの手元に本が運ばれきた。これだけの手間をかけた割りに、アリスはずい分と諦めが良かった。
周到に準備して、奔放な共犯者に散々振り回された挙句、徒労に終わったアリスの苦労を思って、パチュリーは少し躊躇する。
「べつに、プレゼントしても良いのだけど」
「そういうつもりだったから、返すわ」
アリスは人形に合図して、本をパチュリーに近づけた。
「要らないなら、貰ってあげてもいいわよ」打算を含んだ目で、霊夢が言った。
「私が引き受けてやってもいいぜ」魔理沙がそれに続いた。
「遠慮しておくわ」
パチュリーが本を受け取って、そこで一先ずの終演となった。
結局アリスの陰謀は未遂に終わって、共犯者ともども紅魔館を去っていった。一件落着といったところだ。
「ご苦労さま」とレミリアがパチュリーを労う。
「少しは退屈凌ぎになった?」
パチュリーはそう尋ねた。退屈との戦いは、遍く命題のようなものだ。パチュリーもレミリアも、過剰なまでの時間を得る代わりに、その命題と戦わなければならない。
「ええ、とっても」
レミリアは心から喜んでいるように見えた。友人の尽力が自分の為でもあったことを知っていたようだった。
――もう一歩だったけれど
レミリアは去り際にそんなことを言った。
レミィの悪い癖だ、パチュリーはそう思うことにした。
霊夢では無いけれど、これ以上は面倒だった。
十分過ぎる仕事はしたし、友人も満足してくれた。
クライマックスで読みかけていた本もある。
今日は少し喋り過ぎたからか、胸の奥に焼け付くような気配を感じていた。
喘息は夜からひどくなる。
やけに長引いたけど、本日の余興はこれまで。
そんな風に折り合いをつけて、パチュリーは騒がしい一日に幕を下ろした。
Epilogue
「それでこの『むすめ』は、結局どうなるんだ?」
「――野垂れ死によ」
魔理沙が本を読んでいる。ここ最近で一番の苦労をして、やっとのことでくすねてきた、私の本だ。私が、書いてしまった本。
なんでよりによって、あの図書館で見つけてしまったのだろう。自分の目を疑ったものだ。
そういう約束だから、渋々読ましてやっている。紅魔館から引き上げる間に、何度事故を装って燃やしてしまおうとしたことか。
「おだやかじゃないな」といって魔理沙が笑った。
魔理沙はさっきからずっと、にやけている。馬鹿にしている、という風ではないけど。
「しかし脈絡の無いお話だよな」
「うるさいわね」
若かったんだから、というのは何か違うと思って、その言葉を飲み込んだ。
「木を隠すには森、なんて言ったときはどうなるかと思ったわ」
森という程のものではないけど、まだ隠しているものがあったから、本当に肝を冷やした。あれほど魔理沙の口を塞ぎたくなった時は無かった。
「口は災いのなんとやらだな」
「もとぐらい言いなさいよ」
三文字も長くなっているじゃない。
「でも」といって魔理沙は本を閉じる。「終始だんまりってのも、柄じゃないだろう?」
「――まあね」
別に私の存在に気付かれること自体は問題無かった。パチュリーの感覚をぼやけさせることさえ出来たら、私の目的は達成出来た。だからあのメイドには大した口止めをしなかった。
「あれで納得されてしまうなんて、お前も捨てたもんじゃないな」
「ほとんど本当のことだもの」
あの本が欲しかったというのは嘘ではない。幻想郷に写本が一冊有るか無いかだろう。読破するだけのやる気、という点については自信が無かったけれど。
「ま、約束どおり。他言はしないぜ」と言って魔理沙が本を投げてきた。慌ててそれを受け取る。苦労した割りに、そこまで興味は無いようだった。魔理沙からすれば暇潰しの延長でしかなかったのかもしれない。
「しかし、なんで私は良くて、パチュリーはダメなんだ?」
そう、パチュリーには思い出されるだけでも、具合が悪かった。思い出したら彼女はきっと、当分忘れてはくれない。
「そんなの決まってるじゃない」
単純な話だ。
「人間の方が早く忘れて、早く死んでくれるからよ」
「なるほど、なるほど」
細かいところで振り回された皮肉を込めて毒づいたつもりだが、魔理沙はあっさりと納得してしまう。
それどころか、手を叩いて笑っていた。なにがそんなに嬉しいのだろう。
「そいつは分かり易い」
魔理沙はそう言って、何をするでもなく私を見て笑っている。
ああ、早いところ……。
「ま、死ぬまで忘れないぜ」
「さあ、五十年ぐらいかしら?」
「見通しが甘過ぎる、と言う他ないな」
あと七十年? 八十年?
私の前に広がる膨大な時間の前では、なんてことは無い時間だ。
けれど私は、なんだか鉛を飲み込まされたような、そんな気がしていた。
前編の一番最初を見て、え、ナニコレと思いましたが、ようやく話が繋がりました。
でも、もう少しだけパンチが欲しいです・・・塩二つまみぐらい。
ミステリとしては少し物足りない気がしますねー
なぜなら超人ばっかりだから。
淡白な語り口なところがなんともミステリーっぽくてよかった。
パチュリーの探偵親和度は異常。
ひょっとしてアリスの実体験なんじゃないかなぁとか思ってしまいました
魂を魔界人に拾われ蘇生させられる(※元ネタより)前の、「死の少女アリス」の生前の体験を
密室を作る理由をミステリーにしたあなたに乾杯
東方でのミステリーとしては成功してるように思えます。
面白かった。
とても面白かったです。楽しませて頂きました。