「精が出る」
魔理沙が降り立った中庭では妖夢がサラシ一枚で剣を振っている。
半霊は近くの石灯籠の上に体を丸めて眠っているのか、起きているのか尻尾を時折動かした。
妖夢は魔理沙の箒の先に括り付けられた三冊の本を見て驚いた。
「珍しい」
「だろ」
妖夢はそのまま剣を収めた。
が、一瞬の後に右腰の鞘が下がったかと思うと石畳上の右足が一歩踏み出され、剣が宙を払ってまた鞘に戻った。
妖夢の頭上の辺りを漂っていた真っ赤なモミジの落ち葉が真っ二つになって石畳の上に落ちた。
妖夢は元の位置に戻る。
「やるな。まったく見えない」
「全然。ここ最近上達がない」
妖夢はまたモミジの葉が落ちて来るのを待っているようで、直立不動のまま三歩先の木を睨んだ。
この時期になると葉もほとんどが落ちており、時折風に煽られた生き残りが落ちてくるのみである。
「素人だからそう見える」
「師匠の方が上手いのか」
妖夢が振り向いた。
「当たり前だ。あの方は別格だ。本当に強い」
何と食いつきのいいことか。
魔理沙は内心でほくそ笑んだ。
「どう強いのかな」
「お前に説明したって無駄だ。何というか、もっとこう。絶対に勝てない」
「ふうん。そりゃすごい」
妖夢はまた黙って鞘に手を当てた。
素人だと思って馬鹿にされているのだ。
「まだこのまま続けるのか。私は返してくるぜ」
辺りには2つに分かれた落ち葉が散らばっている。
気味が悪い。
「ん」
「聞いてるのか」
「ちゃんと返しておいて」
しめたものだ。
「あいよ」
「師匠」というのは幽々子が妖夢のいない所で口にする「妖忌」のことだな、と魔理沙は頷いた。
相当な憧れやらある種のコンプレックスを抱えているという話しである。
あの様子では違いない。
何にせよ妖夢をからかうのは本当に面白い。
魔理沙は箒を入り口に立てかけて、倉庫の奥へ入っていく。
数日前、魔理沙は白玉楼の離れの一つであるこの倉庫から本を借りた。
本来であれば返却期限など無視して然るべきものであるが、今日は違った。
前回本を持ち出した際、倉庫の奥に面白そうな品々を発見したのだが、いかんせん妖夢の監視が付いていたため持ち出すに至らなかった。
そこで、わざわざ本を返却しに来る礼節折り目正しい魔法使いを演出して妖夢を油断させる算段を立てた。
効果覿面であった。
妖夢の姿が見えなくなると魔理沙は高笑いした。
これならばここまで綿密に計画を練る必要が無かった。
甘い。甘すぎる。アリスであれば人形五体を見張りに付けるものを、半霊も付けずに。
そこが温室育ちの甘さである。
魔理沙は倉庫の奥へと足を進めていく。本はとっくに元の場所へ返した。
狭い通路の両脇の棚にあるわあるわ、桐箱、古文書、彫刻品。
「流石、名家」
魔理沙は呟いた。
全部貰ってやってもいいが、あまりにも大きいものは無理だ。本性がばれる。
こういう場合、貴重品は最奥と相場が決まっている。
魔理沙は辺りを見回しながら歩みを進める。
それほど広い作りになっていないため、すぐに最深部へ辿り着いた。
「ほう」
突き当たりの五段棚の全段にずらりと品物が並べられている。
好きな所から取ればいい。
魔理沙は丁度目の高さに置かれていた桐箱を手に取った。
中々高級そうな一品で大きさも手頃だが、いかんせん振ると「かさかさ」と軽い音がした。
本当に欲しいのはこういうものではない。
魔理沙は桐箱を乱暴に元の位置に戻すとしゃがんだ。
最下段に何やら巨大な物が見えた。
そこを、掌の上に乗せた光球で照らして魔理沙はうなだれた。
巨大なオウムと鶴の焼き物であった。金持ちの趣味は分からない。
が、その横に置かれた箱を見た途端、魔理沙の目が輝いた。
桐箱の中においてただ一つだけオルゴール箱状の金属箱。その上、鎖で十字型に三重巻きにされて南京錠付き。
掌から少し余る程度の大きさだが、ずしりと重く振ると中で何かが動く。
形はほぼ立方体で材質は鉄だと思われたが、埃にまみれた割には錆も見当たらない。
「ある所にはある」
ロマンの塊のような小箱を抱えて、魔理沙は笑った。
何と心はやることか。
この場では開けられそうにないため、一旦エプロンのポケットに押し込んで外へ出る。
膨れあがったエプロンのポケットを触りながら箒を取った。
中庭では妖夢が未だに虚空を睨んでいた。
「満足のいくように切れたか」
妖夢は魔理沙の体を見回した。
「何も取ってないか」
「珍しいだろ」
魔理沙の笑顔が引きつる。
「で、どうなのよ。切れたのかって」
「ふん」
妖夢は鼻をならした。
この様子では駄目なのだろう。
魔理沙は箒に跨って、地面を蹴った。
「じゃあな」
妖夢は返事をしない。
魔理沙は白い歯を見せて笑うと、急降下してモミジの一際大きな枝を蹴飛ばした。
枝に止まっていた鳥が慌てて飛び出し、落ち葉が妖夢の上に降り注いだ。
「あああああ」
魔理沙は振り返らず、一目散に白玉楼の長い階段を滑降していった。
結界の近くまで来て後ろを振り返ると妖夢はいなかった。
盗人猛々しいとはこのことである。
魔理沙は息を切らしながら、自室に駆け込んだ。
宝箱を開ける瞬間というのはいつだって血湧き肉躍る。
ポケットから例の小箱を出して胸が高鳴る。
相変わらず、ずしりと重いくすんだ銀色のそれをベッドの上に置くと魔理沙は風呂に入った。
開ける楽しみは最後まで取っておくものである。
こうしてそれまでの時間を長引かせることによって、開けた時の楽しみもひとしおになるのだ。
風呂から上がり、バスタオルを頭に巻いた魔理沙は工具箱片手に部屋へ舞い戻った。
使わなくなった工具を入れ物と一緒に河童から譲り受けたのは良かったが、今の今まで使う機会が無くお蔵入り寸前であった。
まずはマイナスドライバーを取り出して、十字型に締められた鎖を外そうと試みる。
幽々子か妖夢に頼んで鍵を頂きたいところだが、そうもいかない。
魔理沙が渾身の力を込めて鎖と箱の僅かな隙間にドライバーを入れるものの、固く締められた鎖はびくともしなかった。
予想の範囲内だ。
魔理沙は次に、金属ノコギリを取り出したが、二三回引くとあっという間に真中から折れた。
中々の難物である。
試しに金槌で上蓋を叩いてみたが、箱は凹むこともなく金属音が部屋に音高く響いた。
魔理沙は目を瞑って掌に意識を集中させた。
途端に細く白いレーザーが射出され箱の上をかすめて鎖を焼き切った。
上蓋の表面が少し焦げたが、上出来だった。
魔理沙は胸をなで下ろした。
外れた鎖と南京錠を机の上に放り投げると、魔理沙は箱の蓋を開いた。
中には一回り小さい桐の箱が入っていた。
木箱の周りには真新しい札が四枚張られており、札には何やら梵字が書かれている。
まるで今し方封印されたばかりのようだ。
何となく薄気味悪い光景に魔理沙は唾を飲んだ。
が、ここまで来たからには開けなければなるまい。
自分が何を怖れよう。
魔理沙が札を引っぺがそうと乱暴に手をかけた瞬間、梵字が赤く光り魔理沙の手に激痛が走った。
魔理沙は咄嗟に木箱を放り投げる。立方体の木箱は、ごつん、と音を立ててサイコロのように床の上を転がったが、蓋を上にして止まり梵字は光を失って元の黒い墨字に戻ってしまった。
魔理沙は恐る恐る箱に手を伸ばす。
そっと触れると、何事もなく手の中に収まった。
衝撃に反応する結界のようだ。何と高度なことか。
魔理沙の胸は高鳴った。
一体、中には何が入っていることやら。自分がこれを開ける時まで、誰も言ってくれるな。
魔理沙は少し考えた後、金槌を手に取って、箱の上に振り落とした。
途端に赤い光が見えて、金槌が跳ね返って顔面に迫り魔理沙の意識はブラックアウトした。
「茶は出ないのかよ」
アリス宅のソファーにぶちかって魔理沙は不満を漏らした。
「で、どれよ」
魔理沙は舌を鳴らす。
「よくぞお聞きくださった。じゃんっ」
魔理沙は箱を取り出す。
アリスは箱を見るなり、「気味悪い」と不快感を露わにした。
「どこからかっぱらってきた」
「裏庭」
アリスは箱を掴んで軽く揺すった。
「うん。桐箱だけじゃあり得ない重さだわ。何か入ってる」
「だろ。何だと思う? なあ」
魔理沙の鼻息が自然と荒くなる。
「さあ。で、これどうすんの?」
ロマンの無い女だ。
魔理沙は冷や水をぶっかけられたように苛立つ。
「言ったとおりさ、何かの術がかかってるんだよ。解けない?」
「うん。術か。解けないことはないだろうけど、破っちゃった方が早いんじゃ。お得意のマスタースパークは」
「恐くてやってない。それに、多分駄目だと思う。これはパズルみたいなもんだと思うんだよな。こういうのはお前向きだろうぜ」
とりあえず、金槌は駄目だった。
アリスは嫌味を感じ取ったらしく、含みのある笑い方をした。
「そう。私向きかも。でも私は術者じゃない。このタイプの結界は専門じゃないし。一回見せてくれない?」
魔理沙は陶器製のスプーンを取って、アリスが止める間もなく箱に投げつけた。
瞬時に梵字が赤く光り、スプーンが跳ね返って高速で壁にぶつかり粉々に砕けた。
余りにも上手くいったので魔理沙は笑いをこらえた。
「な、すごい結界だろ」
「死ね」
金髪の人形がスプーンの破片を運んでいき、アリスは箱を手に取った。
天井の灯りに近づけて梵字の書かれた札を観察していたが、箱を魔理沙に突き返した。
「うわっ、危ない。作動したらどうするんだ」
「形は覚えた。調べてみる。とりあえず返す」
魔理沙は頷いた。
「じゃあ頼むぜ。私は他を当たってみる。気になって夜も眠れそうにない」
魔理沙が玄関に出て箒を引っ掴んだとき、アリスは思い出したかのように付け加えた。
「中身が分かったら、教えて」
魔理沙はにやけた。
「ああ。気になるんだ?」
「ここまで関われば」
魔理沙は飛び立った。
博麗神社には先客、レミリアがいた。
彼女はアリスと違って箱に興味を示した。
「振っても音がしない。きっちり詰まってる」
「ああ。だけど、ちゃんと重いだろ」
「ええ」
霊夢も箱を手に取ろうとしたが、その前にレミリアが自分の方に引き寄せた。
「あんまり乱暴にしない方がいいぜ。痛い目に遭う」
レミリアは鼻で笑った。
「術を解く必要なんてないわ。あなたと来たら恐くて魔砲も撃ってないとか? ちょっと失礼」
レミリアはコタツから抜け出すと、魔理沙の制止も聞かずに日傘を取り障子を開けて庭に飛び出した。
実際に試していない自分は何とも言えないし、魔理沙は多少の期待もした。
「魔理沙」
「ん」
「レミリアなら中身まで壊しちゃうかも」
「かもな」
と、その時、一本の魔法槍と日傘と共にレミリアが障子と窓を突き破って室内に突っ込んできた。
レミリアは背中から突っ込んできてコタツをかすめた後、壁にぶつかって止まった。槍は更に裏の障子も突き破り、見事に家を貫通した。
「あふっ」
レミリアは二三度羽ばたいて、畳の上に崩れ落ちた。
「な、何してんだ。てめえはっ」
霊夢が怪我人の胸ぐらを掴んで揺する。
魔理沙が破れた障子の間から庭を見出すと、傷一つ無い箱が丸くえぐれた地面の中心に落ちていた。
「私、駄目だったの、跳ね返されたの」
「今すぐ日光に曝して反省させてやる」
「やめてっ、弁償するからやめてっ」
「な。駄目だと思うって言ったろ? 術は解くものだってのが基本じゃないか」
「はい」
レミリアは殊勝に頷いた。
家の障子は外れたままで、三人は吹きざらしの中コタツに入っている。
霊夢はようやく怒りが収まったようで、箱に手を伸ばした。
「レミリアは大人しく見学してろよ」
「はい」
「どうだ、解けそうか?」
霊夢は難しい顔をしたが、ゆっくりと札に指をかけた。
「お」
「あ」
梵字が赤く光って、じりじり、と音を立てたが、霊夢の指は一歩も退かずにそのまま札を剥がしていく。箱が大きく軋んだ。
が、札の一枚をほんの端っこだけ剥がした辺りで霊夢はおもむろに指を離してしまった。
「駄目」
「何で? いいとこまで行ってたじゃん」
「このままやると中身ごと箱が潰れて無くなる」
魔理沙は溜息を吐いた。
それでは元も子もない。
「何とか正攻法でいけない?」
「結界壊すのなら得意だけど」
魔理沙は隣のレミリアの顔を見た。
レミリアはまた怒られると思ったのか、にっこり、微笑んだ。
魔理沙はうなだれる。
「紫がいればなあ。あいつどこにいるんだか」
「ああっ」
霊夢が声を上げた。
レミリアの肩が跳ね上がる。
「何だよ」
「紫なら明日来るわよ」
「何でまた」
「宴会。私も呼ばれたの。明日はパチェも来るよ」
レミリアが口を挟んだ。
「宴会? 私は呼ばれてないぜ」
「留守だったじゃん」
魔理沙は箱の縁を指でなぞった。
パチュリーと紫が来れば好都合だ。
「あいつ絶対来るかな」
「さあ」
紫はどうにも信用できない。
「とりあえず、私が持っておくぜ」
魔理沙は霊夢から箱を受け取ると、穴の開いた障子をくぐって縁側に出た。
外はもう日が落ちようとしていた。
「帰るの?」
「ああ。今日は疲れた」
本来は泊めてもらうつもりだったが、隙間風の吹く家では安眠できそうにない。
レミリアが「私も帰る」と言って、縁側に降りた。霊夢と二人きりでは何をされるか分かったものではないのだろう。
このくらい暗ければ日傘もいらないようだ。
日傘は壁に突き刺さっていた。
「あら夕日」
わざとらしく呟いたレミリアは飛び立った。
「明日って白玉楼の連中来ないよな」
「来ない」
霊夢はあえて箱の出所を聞かなかったが、薄々勘付いている様子であった。
「そうか。がんばれよ。今夜は冷えそうだ」
翌日、十時過ぎ、魔理沙はアリス宅を訪問した。
アリスは珍しくこの時間まで寝ていたようで、下着姿のまま玄関へ降りてきた。
「どうしたの。もしかして封が解けた?」
魔理沙が状況を説明してやるとアリスは隈の深い目を擦って「私も行く」と言った。
もとよりそうさせるつもりであった。
「昨日遅くまで調べ物したけど、何も分からなかった」
「そうか。もう少し恥ずかしがれよ」
「別に」
博麗神社に行くと、見知った顔が集まっていた。
霊夢、萃香、レミリア、パチュリー、紫、藍、橙、そして幽々子と妖夢。
全員、縁側の前にござを敷いて真昼間から酒を飲んでいたが、妖夢は幽々子の傍に仏頂面で座っていた。
家はまだ修理が思わしくないらしく、外された障子が壁に立てかけられていた。
「魔理沙来たぞっ」
萃香の大声で全員の視線が魔理沙に集中した。
中でも妖夢が魔理沙を鋭く睨んだ様な気がした。
「箱ってどれ。見せて」
「おい。ちょっと待てよ」
魔理沙は慌てる。
「それより、何でお前らがここにいるんだ」
妖夢は口元をねじ曲げた。
「何でだと。怪しいと思って、品物を確認したら一番曰く付きの物が消えているじゃないか。それで家が分からないから、探してたらここに辿り着いて。幽々子様は一緒になって飲み始めるし」
「だって、紫がいたんだもん」
それは大変だ。
魔理沙は頭を掻いた。
「待て。中身は言うな」
妖夢は首を傾げた。
「何」
「知ってるんだろう。中身だよ。ずっと楽しみにしてたんだ。言ってくれるな。むしろ、見たら返してやるから。ちょっと開けるだけだから。な? 神様、もう少しだけ」
そこで幽々子が笑った。
「それ、実は私達も分からないのよ」
「何? 鍵を持ってるんじゃなかったのか?」
魔理沙が木箱を取り出すと、幽々子が驚いた。
「それ、中身?」
「ああ、そうだ。聞いてなかったのか。そこらの連中に? 鍵が無いんでレーザーで鎖を焼き切ったのさ」
妖夢が短く「泥棒」と呟いた。
「それはねえ、この間の大掃除の時に見つけたのよ」
周りの酔っぱらい達は三人のやり取りに釘付けである。
「私も妖夢も見覚えが無くて、中身を確認しようとしたんだけど鍵がないでしょう。だから、きっと妖夢の先代が残していったんだろうってことになってお蔵入りよ」
「妖忌か?」
妖夢が反応した。
「そうだ。だから、返してもらおう」
「今朝からずっとこの調子なのよ。私は大してあれなんだけどねえ」
魔理沙は早く中身を見たくて堪らない。
「これ」と言って紫に箱を渡すと、紫は「ほい来た」と箱を受け取った。
「紫様。返してください」
妖夢が紫に強く出られないことは知っているのだ。
「どう。開きそう?」
霊夢が紫の手元を覗き込んだ。
パチュリーと藍も立ち上がって箱を見ている。
「開くわ」
紫が紅潮した顔で微笑んだ。
「だって、これ封印したの妖忌ですもの。私に開けられないはずがありません」
「開けてしまうんですか。妖忌様に無断で開けることは」
逸る妖夢の肩を魔理沙は叩いた。
「妖夢。考えてもみろよ。師匠の残した物を弟子が管理出来ないでどうするんだ。それにお前も気にならないか? な、大掃除だと思ってさ。もう年の暮れだ」
「んん」
「そうよ、妖夢。中身を確認するいい機会だわ」
何だかんだ言って、こいつらは中身を気にしているのだ。
魔理沙はほくそ笑んだ。
さあ、さっさと開けろ。
「開けないの?」
すっかり退屈したらしいアリスが言った。
「紫様、開けてください。中身、気になります」
橙も言った。
「じゃあ、開けましょうか」
紫が言うと、妖夢がこの期に及んで「でも、妖忌様が」などと漏らした。
お前だって見たいくせに、この偽善者め。その証拠にいつになく実力行使に出てこない。
「妖夢。これも修行の一つだぜ」
もっともらしいセリフを吐いて、優しく妖夢の肩を叩いた。
ギャラリーが一斉に紫を中心にして輪を作る。
紫の細い指が札に触れると、札に書かれた複雑な梵字が青く輝いた。
レミリアが周囲に「昨日は赤だった」と小声で解説を入れた。
紫がそのまま手で箱を包み込むと、見る見る内に梵字が歪み、かき消えてしまった。
「おおおっ」
「おおっ」
「もう普通に剥がせるわよ」
魔理沙が我先にと真っ白い札を剥がした。
いよいよ、後は蓋を開けるだけとなる。
妖夢は最早、何も言わなかった。
「さあ、開けるぜ」
魔理沙がゆっくりと蓋を開けると、何かが白い紙に包まれて盛り上がりを作っていた。
「早く、開けて」
「早く」
誰かが言った。
「分かってるよ」
魔理沙が震える手を制御しながら丁寧に包み紙を剥がしていくと、そこには一つの湯飲みがあった。
「湯飲み」
気の抜けた声が出た。
箱から出してみると、それは確かに白い湯飲みであった。が、外側には幽々子と桜が鮮やかに描かれていた。
「幽々子様」
妖夢が声を出した。
湯飲みには桜吹雪の中を舞う幽々子が様々な姿で4人描かれていた。
「こんなものを、妖忌様が」
もっと分かりやすい物を期待していた魔理沙は、図らずして人の心に土足で上がり込んでしまったような感触に顔をしかめた。
沈黙する周囲も同じ気持ちであろう。
「これ、どうしましょう」
紫が声を上げた。
魔理沙は謝ってしまおうかと思ったが、ここで謝っては負けだと思い、こらえた。
「私は妖忌様の足下にも及ばない」
妖夢は妖夢で何か別の世界に浸っているようであった。
触れてはいけない琴線を引きちぎってしまったと見える。
ギャラリーは一様に目を反らした。
責任を全て魔理沙に被せる気である。
「妖忌は幽々子のことを本気で思っていたのね。色々」
紫は自分の発言がいかに無神経であるか気付いたらしく、黙った。
幽々子は顔を赤らめた。
「ぱあっと飲もうよ。全部忘れてさ。忘年会ってことでさ。ちょっと早いけど」
萃香が言った。
「賛成」
「賛成」
「私はそんな気分じゃないです」
妖夢が言った。
「そんな気分じゃありません。私の一年はまだ終わりません」
「じゃあ、その湯飲みはどうするんだ」
相変わらず、盗人猛々しい魔理沙が聞いた。
「どうって」
「考えてないだろう。思い出を無粋に掘り起こしちまったのは悪かったけどさ。もう時効だろう。湯飲みだってさ、一生使われないまま置いておかれるよりは正体が明らかになっただけでもいいじゃないか」
妖夢は何か考え事しているようで、答えなかった。
「じゃあ、こうしたらどうかしら」
紫が言った。
「その湯飲みは妖夢が使えば」
妖夢は目を丸くした。
「駄目ですよ。私が妖忌様のを使うなんておこがましい。それに、これは」
「使えばいいじゃない。一回くらい。妖忌には内緒で。ねえ、みんな?」
一同頷いた。
全員、共犯者である。
「きっと妖忌も喜ぶわよ。これからはあなたが白玉楼を守るんでしょう。幽々子様も。あなたが使って駄目なんてことは無いわよ」
妖夢は「でも」と言ったが、幽々子と紫に見つめられて頷いた。
「よし。それじゃあ本格的な忘年会にしようか」
「おおっ」
萃香の号令で全員がござの上に座った。
すぐに藍がお茶と酒を運んできた。
「ありがとうございます」
妖夢は先ほどの湯飲みを洗った後、並々とお茶を注いでもらった。
「いい器だ。美しい」
みんなが口々に褒める。
妖夢も頷いた。
「本当に美しい器です。私にはもったいない」
「湿っぽいのはそこまで。それじゃあ、行くよ。乾杯っ」
妖夢は茶の入った湯飲みを、他の面子は酒を入れたそれぞれの器を頭上高く振り上げた。
妖夢は一口啜って、「ああ、美味しい」と述べた。
「でも、やっぱりこの湯飲みを使うのはこれきりにします」
「え、何で」
「私のような未熟者にはもったいないものです」
何か反論しようとした幽々子と紫は妖夢の膝の前に置かれた湯飲みを見て、顔を引きつらせた。
異様な雰囲気を感じた魔理沙と霊夢と萃香も振り向いた途端、手に持っていたコップを落とした。
アリスが立ちすくんだ。
何だ何だ、と視線を彷徨わせていた藍とパチュリーは妖夢を見るなり、それぞれ愛想笑いを浮かべつつぎこちない動作で手を伸ばしレミリアと橙の目を覆った。
「あれ、皆さんどうしたんですか。もう酔っぱらっちゃいましたか? 全く」
唯一平静を保っているかのように見えた妖夢は溜息を吐きながら、素っ裸で踊る幽々子が描かれた湯飲みを傾けた。
魔理沙が降り立った中庭では妖夢がサラシ一枚で剣を振っている。
半霊は近くの石灯籠の上に体を丸めて眠っているのか、起きているのか尻尾を時折動かした。
妖夢は魔理沙の箒の先に括り付けられた三冊の本を見て驚いた。
「珍しい」
「だろ」
妖夢はそのまま剣を収めた。
が、一瞬の後に右腰の鞘が下がったかと思うと石畳上の右足が一歩踏み出され、剣が宙を払ってまた鞘に戻った。
妖夢の頭上の辺りを漂っていた真っ赤なモミジの落ち葉が真っ二つになって石畳の上に落ちた。
妖夢は元の位置に戻る。
「やるな。まったく見えない」
「全然。ここ最近上達がない」
妖夢はまたモミジの葉が落ちて来るのを待っているようで、直立不動のまま三歩先の木を睨んだ。
この時期になると葉もほとんどが落ちており、時折風に煽られた生き残りが落ちてくるのみである。
「素人だからそう見える」
「師匠の方が上手いのか」
妖夢が振り向いた。
「当たり前だ。あの方は別格だ。本当に強い」
何と食いつきのいいことか。
魔理沙は内心でほくそ笑んだ。
「どう強いのかな」
「お前に説明したって無駄だ。何というか、もっとこう。絶対に勝てない」
「ふうん。そりゃすごい」
妖夢はまた黙って鞘に手を当てた。
素人だと思って馬鹿にされているのだ。
「まだこのまま続けるのか。私は返してくるぜ」
辺りには2つに分かれた落ち葉が散らばっている。
気味が悪い。
「ん」
「聞いてるのか」
「ちゃんと返しておいて」
しめたものだ。
「あいよ」
「師匠」というのは幽々子が妖夢のいない所で口にする「妖忌」のことだな、と魔理沙は頷いた。
相当な憧れやらある種のコンプレックスを抱えているという話しである。
あの様子では違いない。
何にせよ妖夢をからかうのは本当に面白い。
魔理沙は箒を入り口に立てかけて、倉庫の奥へ入っていく。
数日前、魔理沙は白玉楼の離れの一つであるこの倉庫から本を借りた。
本来であれば返却期限など無視して然るべきものであるが、今日は違った。
前回本を持ち出した際、倉庫の奥に面白そうな品々を発見したのだが、いかんせん妖夢の監視が付いていたため持ち出すに至らなかった。
そこで、わざわざ本を返却しに来る礼節折り目正しい魔法使いを演出して妖夢を油断させる算段を立てた。
効果覿面であった。
妖夢の姿が見えなくなると魔理沙は高笑いした。
これならばここまで綿密に計画を練る必要が無かった。
甘い。甘すぎる。アリスであれば人形五体を見張りに付けるものを、半霊も付けずに。
そこが温室育ちの甘さである。
魔理沙は倉庫の奥へと足を進めていく。本はとっくに元の場所へ返した。
狭い通路の両脇の棚にあるわあるわ、桐箱、古文書、彫刻品。
「流石、名家」
魔理沙は呟いた。
全部貰ってやってもいいが、あまりにも大きいものは無理だ。本性がばれる。
こういう場合、貴重品は最奥と相場が決まっている。
魔理沙は辺りを見回しながら歩みを進める。
それほど広い作りになっていないため、すぐに最深部へ辿り着いた。
「ほう」
突き当たりの五段棚の全段にずらりと品物が並べられている。
好きな所から取ればいい。
魔理沙は丁度目の高さに置かれていた桐箱を手に取った。
中々高級そうな一品で大きさも手頃だが、いかんせん振ると「かさかさ」と軽い音がした。
本当に欲しいのはこういうものではない。
魔理沙は桐箱を乱暴に元の位置に戻すとしゃがんだ。
最下段に何やら巨大な物が見えた。
そこを、掌の上に乗せた光球で照らして魔理沙はうなだれた。
巨大なオウムと鶴の焼き物であった。金持ちの趣味は分からない。
が、その横に置かれた箱を見た途端、魔理沙の目が輝いた。
桐箱の中においてただ一つだけオルゴール箱状の金属箱。その上、鎖で十字型に三重巻きにされて南京錠付き。
掌から少し余る程度の大きさだが、ずしりと重く振ると中で何かが動く。
形はほぼ立方体で材質は鉄だと思われたが、埃にまみれた割には錆も見当たらない。
「ある所にはある」
ロマンの塊のような小箱を抱えて、魔理沙は笑った。
何と心はやることか。
この場では開けられそうにないため、一旦エプロンのポケットに押し込んで外へ出る。
膨れあがったエプロンのポケットを触りながら箒を取った。
中庭では妖夢が未だに虚空を睨んでいた。
「満足のいくように切れたか」
妖夢は魔理沙の体を見回した。
「何も取ってないか」
「珍しいだろ」
魔理沙の笑顔が引きつる。
「で、どうなのよ。切れたのかって」
「ふん」
妖夢は鼻をならした。
この様子では駄目なのだろう。
魔理沙は箒に跨って、地面を蹴った。
「じゃあな」
妖夢は返事をしない。
魔理沙は白い歯を見せて笑うと、急降下してモミジの一際大きな枝を蹴飛ばした。
枝に止まっていた鳥が慌てて飛び出し、落ち葉が妖夢の上に降り注いだ。
「あああああ」
魔理沙は振り返らず、一目散に白玉楼の長い階段を滑降していった。
結界の近くまで来て後ろを振り返ると妖夢はいなかった。
盗人猛々しいとはこのことである。
魔理沙は息を切らしながら、自室に駆け込んだ。
宝箱を開ける瞬間というのはいつだって血湧き肉躍る。
ポケットから例の小箱を出して胸が高鳴る。
相変わらず、ずしりと重いくすんだ銀色のそれをベッドの上に置くと魔理沙は風呂に入った。
開ける楽しみは最後まで取っておくものである。
こうしてそれまでの時間を長引かせることによって、開けた時の楽しみもひとしおになるのだ。
風呂から上がり、バスタオルを頭に巻いた魔理沙は工具箱片手に部屋へ舞い戻った。
使わなくなった工具を入れ物と一緒に河童から譲り受けたのは良かったが、今の今まで使う機会が無くお蔵入り寸前であった。
まずはマイナスドライバーを取り出して、十字型に締められた鎖を外そうと試みる。
幽々子か妖夢に頼んで鍵を頂きたいところだが、そうもいかない。
魔理沙が渾身の力を込めて鎖と箱の僅かな隙間にドライバーを入れるものの、固く締められた鎖はびくともしなかった。
予想の範囲内だ。
魔理沙は次に、金属ノコギリを取り出したが、二三回引くとあっという間に真中から折れた。
中々の難物である。
試しに金槌で上蓋を叩いてみたが、箱は凹むこともなく金属音が部屋に音高く響いた。
魔理沙は目を瞑って掌に意識を集中させた。
途端に細く白いレーザーが射出され箱の上をかすめて鎖を焼き切った。
上蓋の表面が少し焦げたが、上出来だった。
魔理沙は胸をなで下ろした。
外れた鎖と南京錠を机の上に放り投げると、魔理沙は箱の蓋を開いた。
中には一回り小さい桐の箱が入っていた。
木箱の周りには真新しい札が四枚張られており、札には何やら梵字が書かれている。
まるで今し方封印されたばかりのようだ。
何となく薄気味悪い光景に魔理沙は唾を飲んだ。
が、ここまで来たからには開けなければなるまい。
自分が何を怖れよう。
魔理沙が札を引っぺがそうと乱暴に手をかけた瞬間、梵字が赤く光り魔理沙の手に激痛が走った。
魔理沙は咄嗟に木箱を放り投げる。立方体の木箱は、ごつん、と音を立ててサイコロのように床の上を転がったが、蓋を上にして止まり梵字は光を失って元の黒い墨字に戻ってしまった。
魔理沙は恐る恐る箱に手を伸ばす。
そっと触れると、何事もなく手の中に収まった。
衝撃に反応する結界のようだ。何と高度なことか。
魔理沙の胸は高鳴った。
一体、中には何が入っていることやら。自分がこれを開ける時まで、誰も言ってくれるな。
魔理沙は少し考えた後、金槌を手に取って、箱の上に振り落とした。
途端に赤い光が見えて、金槌が跳ね返って顔面に迫り魔理沙の意識はブラックアウトした。
「茶は出ないのかよ」
アリス宅のソファーにぶちかって魔理沙は不満を漏らした。
「で、どれよ」
魔理沙は舌を鳴らす。
「よくぞお聞きくださった。じゃんっ」
魔理沙は箱を取り出す。
アリスは箱を見るなり、「気味悪い」と不快感を露わにした。
「どこからかっぱらってきた」
「裏庭」
アリスは箱を掴んで軽く揺すった。
「うん。桐箱だけじゃあり得ない重さだわ。何か入ってる」
「だろ。何だと思う? なあ」
魔理沙の鼻息が自然と荒くなる。
「さあ。で、これどうすんの?」
ロマンの無い女だ。
魔理沙は冷や水をぶっかけられたように苛立つ。
「言ったとおりさ、何かの術がかかってるんだよ。解けない?」
「うん。術か。解けないことはないだろうけど、破っちゃった方が早いんじゃ。お得意のマスタースパークは」
「恐くてやってない。それに、多分駄目だと思う。これはパズルみたいなもんだと思うんだよな。こういうのはお前向きだろうぜ」
とりあえず、金槌は駄目だった。
アリスは嫌味を感じ取ったらしく、含みのある笑い方をした。
「そう。私向きかも。でも私は術者じゃない。このタイプの結界は専門じゃないし。一回見せてくれない?」
魔理沙は陶器製のスプーンを取って、アリスが止める間もなく箱に投げつけた。
瞬時に梵字が赤く光り、スプーンが跳ね返って高速で壁にぶつかり粉々に砕けた。
余りにも上手くいったので魔理沙は笑いをこらえた。
「な、すごい結界だろ」
「死ね」
金髪の人形がスプーンの破片を運んでいき、アリスは箱を手に取った。
天井の灯りに近づけて梵字の書かれた札を観察していたが、箱を魔理沙に突き返した。
「うわっ、危ない。作動したらどうするんだ」
「形は覚えた。調べてみる。とりあえず返す」
魔理沙は頷いた。
「じゃあ頼むぜ。私は他を当たってみる。気になって夜も眠れそうにない」
魔理沙が玄関に出て箒を引っ掴んだとき、アリスは思い出したかのように付け加えた。
「中身が分かったら、教えて」
魔理沙はにやけた。
「ああ。気になるんだ?」
「ここまで関われば」
魔理沙は飛び立った。
博麗神社には先客、レミリアがいた。
彼女はアリスと違って箱に興味を示した。
「振っても音がしない。きっちり詰まってる」
「ああ。だけど、ちゃんと重いだろ」
「ええ」
霊夢も箱を手に取ろうとしたが、その前にレミリアが自分の方に引き寄せた。
「あんまり乱暴にしない方がいいぜ。痛い目に遭う」
レミリアは鼻で笑った。
「術を解く必要なんてないわ。あなたと来たら恐くて魔砲も撃ってないとか? ちょっと失礼」
レミリアはコタツから抜け出すと、魔理沙の制止も聞かずに日傘を取り障子を開けて庭に飛び出した。
実際に試していない自分は何とも言えないし、魔理沙は多少の期待もした。
「魔理沙」
「ん」
「レミリアなら中身まで壊しちゃうかも」
「かもな」
と、その時、一本の魔法槍と日傘と共にレミリアが障子と窓を突き破って室内に突っ込んできた。
レミリアは背中から突っ込んできてコタツをかすめた後、壁にぶつかって止まった。槍は更に裏の障子も突き破り、見事に家を貫通した。
「あふっ」
レミリアは二三度羽ばたいて、畳の上に崩れ落ちた。
「な、何してんだ。てめえはっ」
霊夢が怪我人の胸ぐらを掴んで揺する。
魔理沙が破れた障子の間から庭を見出すと、傷一つ無い箱が丸くえぐれた地面の中心に落ちていた。
「私、駄目だったの、跳ね返されたの」
「今すぐ日光に曝して反省させてやる」
「やめてっ、弁償するからやめてっ」
「な。駄目だと思うって言ったろ? 術は解くものだってのが基本じゃないか」
「はい」
レミリアは殊勝に頷いた。
家の障子は外れたままで、三人は吹きざらしの中コタツに入っている。
霊夢はようやく怒りが収まったようで、箱に手を伸ばした。
「レミリアは大人しく見学してろよ」
「はい」
「どうだ、解けそうか?」
霊夢は難しい顔をしたが、ゆっくりと札に指をかけた。
「お」
「あ」
梵字が赤く光って、じりじり、と音を立てたが、霊夢の指は一歩も退かずにそのまま札を剥がしていく。箱が大きく軋んだ。
が、札の一枚をほんの端っこだけ剥がした辺りで霊夢はおもむろに指を離してしまった。
「駄目」
「何で? いいとこまで行ってたじゃん」
「このままやると中身ごと箱が潰れて無くなる」
魔理沙は溜息を吐いた。
それでは元も子もない。
「何とか正攻法でいけない?」
「結界壊すのなら得意だけど」
魔理沙は隣のレミリアの顔を見た。
レミリアはまた怒られると思ったのか、にっこり、微笑んだ。
魔理沙はうなだれる。
「紫がいればなあ。あいつどこにいるんだか」
「ああっ」
霊夢が声を上げた。
レミリアの肩が跳ね上がる。
「何だよ」
「紫なら明日来るわよ」
「何でまた」
「宴会。私も呼ばれたの。明日はパチェも来るよ」
レミリアが口を挟んだ。
「宴会? 私は呼ばれてないぜ」
「留守だったじゃん」
魔理沙は箱の縁を指でなぞった。
パチュリーと紫が来れば好都合だ。
「あいつ絶対来るかな」
「さあ」
紫はどうにも信用できない。
「とりあえず、私が持っておくぜ」
魔理沙は霊夢から箱を受け取ると、穴の開いた障子をくぐって縁側に出た。
外はもう日が落ちようとしていた。
「帰るの?」
「ああ。今日は疲れた」
本来は泊めてもらうつもりだったが、隙間風の吹く家では安眠できそうにない。
レミリアが「私も帰る」と言って、縁側に降りた。霊夢と二人きりでは何をされるか分かったものではないのだろう。
このくらい暗ければ日傘もいらないようだ。
日傘は壁に突き刺さっていた。
「あら夕日」
わざとらしく呟いたレミリアは飛び立った。
「明日って白玉楼の連中来ないよな」
「来ない」
霊夢はあえて箱の出所を聞かなかったが、薄々勘付いている様子であった。
「そうか。がんばれよ。今夜は冷えそうだ」
翌日、十時過ぎ、魔理沙はアリス宅を訪問した。
アリスは珍しくこの時間まで寝ていたようで、下着姿のまま玄関へ降りてきた。
「どうしたの。もしかして封が解けた?」
魔理沙が状況を説明してやるとアリスは隈の深い目を擦って「私も行く」と言った。
もとよりそうさせるつもりであった。
「昨日遅くまで調べ物したけど、何も分からなかった」
「そうか。もう少し恥ずかしがれよ」
「別に」
博麗神社に行くと、見知った顔が集まっていた。
霊夢、萃香、レミリア、パチュリー、紫、藍、橙、そして幽々子と妖夢。
全員、縁側の前にござを敷いて真昼間から酒を飲んでいたが、妖夢は幽々子の傍に仏頂面で座っていた。
家はまだ修理が思わしくないらしく、外された障子が壁に立てかけられていた。
「魔理沙来たぞっ」
萃香の大声で全員の視線が魔理沙に集中した。
中でも妖夢が魔理沙を鋭く睨んだ様な気がした。
「箱ってどれ。見せて」
「おい。ちょっと待てよ」
魔理沙は慌てる。
「それより、何でお前らがここにいるんだ」
妖夢は口元をねじ曲げた。
「何でだと。怪しいと思って、品物を確認したら一番曰く付きの物が消えているじゃないか。それで家が分からないから、探してたらここに辿り着いて。幽々子様は一緒になって飲み始めるし」
「だって、紫がいたんだもん」
それは大変だ。
魔理沙は頭を掻いた。
「待て。中身は言うな」
妖夢は首を傾げた。
「何」
「知ってるんだろう。中身だよ。ずっと楽しみにしてたんだ。言ってくれるな。むしろ、見たら返してやるから。ちょっと開けるだけだから。な? 神様、もう少しだけ」
そこで幽々子が笑った。
「それ、実は私達も分からないのよ」
「何? 鍵を持ってるんじゃなかったのか?」
魔理沙が木箱を取り出すと、幽々子が驚いた。
「それ、中身?」
「ああ、そうだ。聞いてなかったのか。そこらの連中に? 鍵が無いんでレーザーで鎖を焼き切ったのさ」
妖夢が短く「泥棒」と呟いた。
「それはねえ、この間の大掃除の時に見つけたのよ」
周りの酔っぱらい達は三人のやり取りに釘付けである。
「私も妖夢も見覚えが無くて、中身を確認しようとしたんだけど鍵がないでしょう。だから、きっと妖夢の先代が残していったんだろうってことになってお蔵入りよ」
「妖忌か?」
妖夢が反応した。
「そうだ。だから、返してもらおう」
「今朝からずっとこの調子なのよ。私は大してあれなんだけどねえ」
魔理沙は早く中身を見たくて堪らない。
「これ」と言って紫に箱を渡すと、紫は「ほい来た」と箱を受け取った。
「紫様。返してください」
妖夢が紫に強く出られないことは知っているのだ。
「どう。開きそう?」
霊夢が紫の手元を覗き込んだ。
パチュリーと藍も立ち上がって箱を見ている。
「開くわ」
紫が紅潮した顔で微笑んだ。
「だって、これ封印したの妖忌ですもの。私に開けられないはずがありません」
「開けてしまうんですか。妖忌様に無断で開けることは」
逸る妖夢の肩を魔理沙は叩いた。
「妖夢。考えてもみろよ。師匠の残した物を弟子が管理出来ないでどうするんだ。それにお前も気にならないか? な、大掃除だと思ってさ。もう年の暮れだ」
「んん」
「そうよ、妖夢。中身を確認するいい機会だわ」
何だかんだ言って、こいつらは中身を気にしているのだ。
魔理沙はほくそ笑んだ。
さあ、さっさと開けろ。
「開けないの?」
すっかり退屈したらしいアリスが言った。
「紫様、開けてください。中身、気になります」
橙も言った。
「じゃあ、開けましょうか」
紫が言うと、妖夢がこの期に及んで「でも、妖忌様が」などと漏らした。
お前だって見たいくせに、この偽善者め。その証拠にいつになく実力行使に出てこない。
「妖夢。これも修行の一つだぜ」
もっともらしいセリフを吐いて、優しく妖夢の肩を叩いた。
ギャラリーが一斉に紫を中心にして輪を作る。
紫の細い指が札に触れると、札に書かれた複雑な梵字が青く輝いた。
レミリアが周囲に「昨日は赤だった」と小声で解説を入れた。
紫がそのまま手で箱を包み込むと、見る見る内に梵字が歪み、かき消えてしまった。
「おおおっ」
「おおっ」
「もう普通に剥がせるわよ」
魔理沙が我先にと真っ白い札を剥がした。
いよいよ、後は蓋を開けるだけとなる。
妖夢は最早、何も言わなかった。
「さあ、開けるぜ」
魔理沙がゆっくりと蓋を開けると、何かが白い紙に包まれて盛り上がりを作っていた。
「早く、開けて」
「早く」
誰かが言った。
「分かってるよ」
魔理沙が震える手を制御しながら丁寧に包み紙を剥がしていくと、そこには一つの湯飲みがあった。
「湯飲み」
気の抜けた声が出た。
箱から出してみると、それは確かに白い湯飲みであった。が、外側には幽々子と桜が鮮やかに描かれていた。
「幽々子様」
妖夢が声を出した。
湯飲みには桜吹雪の中を舞う幽々子が様々な姿で4人描かれていた。
「こんなものを、妖忌様が」
もっと分かりやすい物を期待していた魔理沙は、図らずして人の心に土足で上がり込んでしまったような感触に顔をしかめた。
沈黙する周囲も同じ気持ちであろう。
「これ、どうしましょう」
紫が声を上げた。
魔理沙は謝ってしまおうかと思ったが、ここで謝っては負けだと思い、こらえた。
「私は妖忌様の足下にも及ばない」
妖夢は妖夢で何か別の世界に浸っているようであった。
触れてはいけない琴線を引きちぎってしまったと見える。
ギャラリーは一様に目を反らした。
責任を全て魔理沙に被せる気である。
「妖忌は幽々子のことを本気で思っていたのね。色々」
紫は自分の発言がいかに無神経であるか気付いたらしく、黙った。
幽々子は顔を赤らめた。
「ぱあっと飲もうよ。全部忘れてさ。忘年会ってことでさ。ちょっと早いけど」
萃香が言った。
「賛成」
「賛成」
「私はそんな気分じゃないです」
妖夢が言った。
「そんな気分じゃありません。私の一年はまだ終わりません」
「じゃあ、その湯飲みはどうするんだ」
相変わらず、盗人猛々しい魔理沙が聞いた。
「どうって」
「考えてないだろう。思い出を無粋に掘り起こしちまったのは悪かったけどさ。もう時効だろう。湯飲みだってさ、一生使われないまま置いておかれるよりは正体が明らかになっただけでもいいじゃないか」
妖夢は何か考え事しているようで、答えなかった。
「じゃあ、こうしたらどうかしら」
紫が言った。
「その湯飲みは妖夢が使えば」
妖夢は目を丸くした。
「駄目ですよ。私が妖忌様のを使うなんておこがましい。それに、これは」
「使えばいいじゃない。一回くらい。妖忌には内緒で。ねえ、みんな?」
一同頷いた。
全員、共犯者である。
「きっと妖忌も喜ぶわよ。これからはあなたが白玉楼を守るんでしょう。幽々子様も。あなたが使って駄目なんてことは無いわよ」
妖夢は「でも」と言ったが、幽々子と紫に見つめられて頷いた。
「よし。それじゃあ本格的な忘年会にしようか」
「おおっ」
萃香の号令で全員がござの上に座った。
すぐに藍がお茶と酒を運んできた。
「ありがとうございます」
妖夢は先ほどの湯飲みを洗った後、並々とお茶を注いでもらった。
「いい器だ。美しい」
みんなが口々に褒める。
妖夢も頷いた。
「本当に美しい器です。私にはもったいない」
「湿っぽいのはそこまで。それじゃあ、行くよ。乾杯っ」
妖夢は茶の入った湯飲みを、他の面子は酒を入れたそれぞれの器を頭上高く振り上げた。
妖夢は一口啜って、「ああ、美味しい」と述べた。
「でも、やっぱりこの湯飲みを使うのはこれきりにします」
「え、何で」
「私のような未熟者にはもったいないものです」
何か反論しようとした幽々子と紫は妖夢の膝の前に置かれた湯飲みを見て、顔を引きつらせた。
異様な雰囲気を感じた魔理沙と霊夢と萃香も振り向いた途端、手に持っていたコップを落とした。
アリスが立ちすくんだ。
何だ何だ、と視線を彷徨わせていた藍とパチュリーは妖夢を見るなり、それぞれ愛想笑いを浮かべつつぎこちない動作で手を伸ばしレミリアと橙の目を覆った。
「あれ、皆さんどうしたんですか。もう酔っぱらっちゃいましたか? 全く」
唯一平静を保っているかのように見えた妖夢は溜息を吐きながら、素っ裸で踊る幽々子が描かれた湯飲みを傾けた。
空気が好きです。
何やってるんだ妖忌w
なら封印するしかないよね!
爺なにやってんだwww
淡々と進む構成とそっけない会話文、そしてこの落ち。結構なお点前、堪能いたしました。
しかし、温度が上がると服が脱げる湯のみとは。
そんなものもあったなぁ、懐かしいw
捨てるにも捨てられず封印するしかなかったのだろうかw
粋なジジイの、ただの照れ隠しだと思っていたのに。
そんな仕掛けを施しちゃあ、誰にも見られんように封印せなあかんわな。
しかし、この物語後の妖夢の心境を思うと黙祷せざるを得ないwww
聞くだけだけど。
どうやったらモデルを描けたのか……詳しく。
ちょっと待てパチュリーさん、あんたお嬢様より年下じゃないかw
×博霊神社
○博麗神社
盗人猛々しい魔理沙の描写が印象的でした。公式はこんな感じなのでしょうか。
けど、もうちょっと物を大事にしろよ。盗んだものもそうだし、スプーンとか。
捨てるには色々惜しいし……
お土産屋さんでよく売ってましたよね…
これおいくらで譲ってもらえます?
あと笑えるオチだったからいいようなものの魔理沙はもう少し自重すべきですね・・・